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イオラニ宮殿(ʻIolani Palace) [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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結婚式が行われていたカワイアハオ教会を出た後はイオラニ宮殿を目指しました。すぐ近くにありながら、歩いている人に聞いてもいろんな方向を言われました。やっと数人目の人が指さした方向にイオラニ宮殿を確認出来ました。木々の中に建物が確認できたのです。

写真を撮っていなかったのでカワイアハオ教会の前の交差点からイオラニ宮殿方向をみたGoogleストリートビューを紹介します。正面の大きな木の幹の間にイオラニ宮殿の建物が僅かに見えました。確認が出来たので道路の横断歩道を渡ってイオラニ宮殿に向かいました。


イオラニ宮殿(ʻIolani Palace)の正面方向(南西方向)の門です。この門はイオラニ宮殿から出る時に撮りました。敷地内に入ったのは南東方向の門です。
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門に取り付けられていたハワイ王国の紋章を拡大いたしました。下に書かれている文字「UA MAU KE EA O KA AINA I kA PONO」はハワイ語でです。意味は「この地の生命は正義によって維持される / The life of the land is perpetuated in righteousness」だそうです。正確なハワイ語だと「Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono」になるようです。ハワイ王国は無くなりましたがこの構図はハワイ州の紋章に使われているなどハワイ王国は今でもみんなの心の中に生きているのだと思います。
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南東方向の門から入った景色です。イオラニ宮殿の側面が見えました。
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イオラニ宮殿に近づきました。
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イオラニ宮殿の中に入るためのチケットを買った建物です。日本語ガイドも頼みました。こちらの建物は昔の宮殿兵舎でイオラニ・バラックス(ʻIolani Barracks)と呼ばれています。
クリックすると拡大1870年に建てられ王制が崩壊した1893年まで約80人の警備兵がいたそうです。カワイアハオ教会と同じくサンゴの岩のブロックの外壁で出来ていて米国の重要文化財の一つです。右の写真はWikipediaから転用させていただいた当時のイオラニ・バラックスです。
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こちらが冒頭の写真で紹介したイオラニ宮殿(ʻIolani Palace)の正面です。ハワイ王国7代目カラカウア王の命で 1882年に建てられた宮殿です。王制が崩壊した1893年までの11年間に宮殿として使われました。王制廃止後は1969年まで行政府として使用されたそうです。現在の宮殿の維持・管理はハワイ王家を継承している財団の中の人が中心になったボランティア団体が行っているそうです。我々が来た時は半旗でした。
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建物全体のイメージを感じていただくためにgoogleの3D航空写真でイオラニ宮殿を紹介します。ストリートビューでも見ることが出来ます。


日本語ガイドが付いた宮殿内の見学ツアーは10人程度でした。宮殿の北東方向の階段を上がって2階の入口から入りました。入ってすぐの内部の写真です。


こちらは2階から3階に上がる階段です。豪華な造りでした。豪華な調度品も沢山並んでいました。
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ハワイ王国は日本との関係が強かったことをうかがわせる調度品も沢山クリックすると拡大クリックすると拡大ありました。こちらは天皇家から贈られたと思われる菊のご紋が付いた壺です。この菊の紋章は八重菊を図案化した菊紋で十六八重表菊と呼ばれているそうです。日本から移民第1号の153名がハワイに渡ったのが1868年(明治元年)で、イオラニ宮殿を建てたカラカウア国王が世界一周旅行の最初の訪問国の日本に訪日し赤坂離宮で明治天皇と会談したのが1881年でした。その時にカラカウア国王から国王の姪で王位継承者のカイウラニ王女と山階宮定麿親王との縁組を提案したそうですが、明治天皇が丁重に断った為に幻に終わったそうです。その提案の背景にはその時代のアメリカ帝国主義によるハワイ王国の危急存亡を感じていたと想像されています。
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中央のホールの両側には沢山の部屋がありました。
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床を傷つけないために入口でカバーを履きました。
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豪華な部屋が並んでいました。
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それらの部屋を紹介します。
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こちらは食堂のようでした。
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王家の紋章の入ったガラスの壺も置かれたてました。
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東二を再現した食卓の上を紹介します。
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さすが宮殿という感じでした。
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3階には古いエレベーターで上がりました。3階のロビーです。こちらは下に降りる階段です。
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シャンデリアが吊り下げられた部分がステンドクラスの天窓になっていました。
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窓からの外の景色です。
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驚いたことに料理や食器用のリフト(エレベーター)もありました。
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部屋は見事な調度品でかがられていましたが、王政崩壊後に豪華な家具や調度品の多くは売られるなどして無くなったそうです。
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現在はそれらを見つけ出して買い戻して宮殿内の元の場所に戻す地道な活動が続けられているそうです。
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このような当時の写真を使って家具や調度品を探し続けているそうです。
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お陰で当時の調度品を見ることが出来るのです。こちらのベッドカバーはカラカウア王のベッドにかけられたキルトだそうです。
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宮殿の四隅の間にはコーナー側に小さな部屋が作られていました。
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いろんなタイプの部屋がありました。ここは執務室でしょうか。当時の雰囲気を再現しているようです。
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勲章も並べられていました。
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当時の書類(または手紙)も並べられていました。
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エジソンが電球を実用化したのは1879年ですが、それを採用したのです。イギリスの当時のバッキンガム宮殿にさえ無かった電気設備を備えていたそうです。
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1877年に実用化された電話機も設置されていました。ハワイ王国には驚かされることが多くありました。
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このような浴室も沢山の居間に設置されていました。当時としては先進的な設備に囲まれていたようです。
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沢山の部屋を案内してもらい説明をしてもらいました。
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当時、王宮で行われたフラダンスの写真も展示されていました。
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当時のイオラニ宮殿の写真も掲載されていました。
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こちらは王妃の寝室でしょうか。豪華なベッドが置かれていました。
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カピオラニ王妃の写真でしょうか。
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違う角度から紹介します。ベッドカバーはカピオラニ王妃のベッドに掛けられていた本物だそうです。
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最も圧巻だった部屋を紹介します。一番手前のドレスが世界で最も豪華なドレスです。
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すでに絶滅したオーオー(ʻOʻO)と呼ばれる黒色の鳥に僅かに生えている黄色い羽根で飾られたドレスです。これだけの羽根を集めるだけで何10年も必要だそうです。ハワイの王族だけが着ることが出来たドレスです。
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ここに王や王妃が座ったのだと思います。椅子の左右には先端が鳥の羽根で飾られた棒であるカヒリ(kahili)が立てられています。
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その椅子を拡大いたしました。
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王冠なども飾られていました。
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これは王政最後の頃にハワイ王国最後の君主であるリリウオカラニ女王が幽閉中に製作した有名なクレイジーキルトです。
これにも沢山の物語がありました。
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クレイジーキルトの一部を拡大いたしました。イオラニ宮殿は1795年からの98年間続いたハワイ王朝の最期の舞台でもあったのだと実感させられました。
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エレベーターで一階に降りると使用人たちの仕事場と思われるばしょがありました。このリフトで料理を上の階に運んだそうです。
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この場所にかまどがあったのでしょうか。銅板で囲まれていました。
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作業机だったのでしょう。
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1階には宝石などの装飾品も展示されていました。最も豪華だったのがダイヤモンドで作られた蝶のブローチでした。



1階にはこのような部屋もありました。
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1階の廊下です。いろんな写真が置かれていました。
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Google地図の航空写真でイオラニ宮殿を紹介します。小さな写真はカワイアハオ教会とカメハメハ大王像です。
クリックすると拡大クリックすると拡大 イオラニ宮殿
 カワイアハオ教会
 カメハメハ大王像
 アリイオラニ ハレ


追伸
2018年10月19日から関西に行きます。帰ってくるのは10月30日の予定です。その間にネットが使えるのは1日に30分程度のため、皆様のところへの訪問が出来ないことをお許しください。
タグ:ハワイ 宮殿
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