ビショップ博物館 Bishop Museum [ハワイ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2018年の最後の記事となりました。最後の記事はハワイのビショップ博物館です。
カメハメハ大王が着ていた上の写真の貴重なケープ(マント)が展示されているとのことで、イオラニ宮殿のガイドの方に薦められてビショップ博物館(Bishop Museum)に行くことにいたしました。
イオラニ宮殿( )の近くのバス停から路線バス'The Bus'に乗ってビショップ博物館( )に行きました。距離は4.7kmでした。
ビショップ博物館
イオラニ宮殿
カワイアハオ教会
アリイオラニ・ハレ
カメハメハ大王像
ホノルル美術館
パンチボール
イオラニ宮殿近くのバス停です。ここを通るバスの番号が沢山書かれています。最初に来たバスの運転手の人にビショップミュージアム行きたいというと、乗るバスの番号を教えてくれます。
1Lか2番のバスに乗るように教えてもらいました。すぐに2番のバスが来たので乗りました。
次は降りるバス停が問題です。バス停には名前がないので、運転手の人にビショップミュージアムの近くで降りたいことを伝えておく必要があります。このような時はスマホの位置情報があると便利です。下の写真が降りたバス停で、このバスに乗って来たのです。このバス停を通るバスは1Lと2Lと2とW3です。
方向を感で見定めて歩くとBishop Museumの案内板を見つけました。これで安心です。
やっと到着いたしました。
広い敷地の中にあり、門を入ってからもかなり歩きました。
こちらの建物が入場券を買うところです。有料範囲に入ってから撮った写真です。
右側が入場券を買ったところで、左の建物がビショップ博物館(Bishop Museum)です。こちらの写真も敷地内を散策した時に撮った写真です。日本語でもビショップ博物館よりはビショップ・ミュージアムよ呼ばれる方が多いようでした。正式にはBernice Pauahi Bishop Museumだそうです。
住所 1525 Bernice Street, Honolulu, Hawaii
入口の建物の方からビショップ博物館を撮った写真です。博物館としてはハワイの歴史や科学などを展示しているところです。この博物館は、実業家として名をはせたチャールズ・リード・ビショップ(Charles Reed Bishop)が、妻が亡くなった時に彼女を称えて建設し1889年に設立されたそうです。彼の妻バーニス・パウアヒ・ビショップ(Bernice Pauahi Bishop)はカメハメハ王家の血筋を引く最後の直系の子孫でした。ハワイの最大の博物館でもあります。
ポリネシアの文化に関連したコレクションが数多く展示されていました。昆虫の標本が多いことでも知られ、その数およそ1350万に上るコレクション数は米国の中でも3番目に多いそうです。1982年7月26日に、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されたそうです。
正面から撮った写真です。現在までに増改築を経て現在に至っています。建物の右側の大きな部分は1903年に増築された部分で、左側が1892年の設立当初からの建物です。
学習施設としての機能もあるそうです。
配置図があったので掲載します。増改築が色分けされていました。
1892年:建設 1894年:増築 1903年:増築 2007年:改築
配置図が乗っていた説明パネルです。
1892年建てられた状態の写真のようです。
1894年に建物の後ろ側に増築された状態の写真です。上の写真に比べるツタが壁を覆っていて黒っぽく見えます。
1903年に増築し現在の外観になった写真です。建物の外壁にツタがある部分が黒く見えます。右の建物には全くツタがないので1903年の増築間もないころの写真だと思われます。
別の角度から見た建物です。
正面入口から入った瞬間の景色です。目の前に2階に上がる階段がありました。
今では貴重品となったハワイ原産のコアの木が贅沢に使われてた階段です。これを見るだけでも値打ちがあるとガイドの方が説明されていました。ドアなどにもコアの木がふんだんに使われていました。コア((Acacia koa) はハワイ諸島に生えているマメ科ネムノキ亜科アカシア属の樹木です。
界 植物界 Plantae
被子植物 angiosperms
真正双子葉類 eudicots
コア真正双子葉類 core eudicots
バラ類 rosids
マメ類 fabids
目 マメ目 Fabales
科 マメ科 Fabaceae
亜科 ネムノキ亜科 Mimosoideae
属 アカシア属 Acacia
種 コア A. koa
コアの木の階段を堪能してください。さすが家具材でもあり素晴らしい風合いでした。
入口の正面階段の左側にうれしい案内板が置かれていました。
その案内版です。ビショップ美術館にはイオラニ宮殿のようなすべてを案内するようなガイド(有料)はありませんが、うれしいことに30分の無料のガイドがありました。さらにスマホで説明を聞くことが出来るアプリも用意されていました。
幸いなことに最後の2時30分のガイドの時間に間に合いました。若い女性のガイドの方で、おそらく事務所の職員の方のように感じました。
そのガイドの女性に最初に案内されたのがハワイの王族に関わるものが展示されているカヒリの部屋(Kahili Room)でした。写真をクリックすると内容が読める大きさに拡大いたします。内容は次の通りでした。
Abigail Kinoiki Kekaulike
Kāhili Room
These elegant feather standards stand guard in honor of the aliʻi nui(high chiefs) of the Hawaiian Kingdom.A desire to preserve and perpetuate the legacies of the Islands' royal families provided the impetus for the founding of Bishop Museum in 1889. Among the first museum collections were the kāhili(feather standarda) of Queen Emma Kaleleonalani, Princess Bernice Pauahi, Princess Ruth Keʻelikōlani, and Princess Victoria kamāmalu.
カヒリ・ルームと言うだけあって沢山のカヒリが展示されていました。カヒリ(Kahili)はハワイ語で、鳥の羽を棒の先端に縛り付けたものです。カヒリを完成させるには膨大な時間と技術と貴重な材料が必要であることから「王族のシンボル」とされてきたそうです。
それぞれ時代の王のカヒリが展示されているように感じました。
いろんなタイプのカヒリ(kahili)がありました。
材料の羽も展示されていました。
家系図も印象的でした。カメカメハ大王(初代王)以前も判ります。
歴代王たちや有名な人たちの肖像画や写真も並べられていました。その中から初代から第8代の王の肖像画や写真を紹介します。クリックすると拡大いたします。上段が初代から第4代で、下段が第5代~第8代です。
ハワイ王国・国王 在 位
初代 カメハメハ1世 1795~1819年 カメハメハ大王
第2代 カメハメハ2世 1819~1824年
第3代 カメハメハ3世 1825~1854年
第4代 カメハメハ4世 1854~1863年
第5代 カメハメハ5世 1863~1872年
第6代 ルナリロ 1873~1874年
第7代 カラカウア 1874~1891年
第8代 リリウオカラニ 1891~1893年
1903年に建てられた部分は3階まで吹き抜けのホールになっていた、3階の高さの部分に大きなマッコウクジラのモニュメントが置かれていました。ハワイはクジラとも関係が深かったようです。鮫も吊下げられていました。
クジラの反対面は骨格模型になっていました。3階から撮った写真です。
こちらは2階から撮った写真です。吹き抜けのホールの周囲が回廊になっていて展示物が置かれていました。
その展示物の中で最も重要な物の一つがカメハメハ1世(カメハメハ大王)が実際に使っていた黄色の羽根で出来たケープです。黄色の羽根があまりにも貴重であったことから、他の王たちのケープは赤色の羽根を基調として一部に黄色の羽根を使っていました。貴重な鳥の羽根を約50万枚も使うことから制作も数十年以上が必要だったとイオラニ宮殿のガイドの方から聞きました。
黒い羽根の中に僅かな黄色い羽根を持つハワイ・オーオー(Hawaiʻi ʻOʻO)の日本名はムネフサミツスイ(胸房蜜吸)です。鳥黐(とりもち)で捕獲して黄色の羽根を4枚のみ取って放したそうです。Hawaiʻi ʻOʻO以外にKauaʻi ʻOʻOとOʻahu ʻOʻOとBishop's ʻOʻOが生息していたようです。オーオー(ʻOʻO)以外の鳥の羽根を使う場合も飛翔に支障が出ないように数枚だけを取って放していたことから羽根から作られたケープや頭の飾り物は貴重だったわけです。この鳥の羽根のケープ(マント)はハワイ語「アフ ウラ/ʻAhu ʻula」と呼ばれています。
カメハメハ二世のケープです。こちらは赤色の羽根が基調になって一部に黄色の羽根が使われています。赤い羽根はハワイ固有種で現在では絶滅危惧種のベニハワイミツスイ(学名:Drepanis coccinea)が主に使われていました。ハワイ語ではイイヴィ(ʻiʻiwi)と呼ばれています。
カメハメハ三世のケープです。こちらも高価な黄色の羽が沢山使われたケープです。
上のケープの正面側です。
広げた状態のケープ(マント)も展示されていました。
背丈の短いケープです。もしかしたら女性用かもしれません。鳥の羽のケープ(マント)は通常は男性の王が着ますが女性は右のような羽根の装飾品が付けていました。すでに絶滅したオーオー(ʻOʻO)と呼ばれる黒色の鳥に僅かに生えている黄色い羽根で飾られたドレスです。これだけの羽根を集めるだけで何10年も必要だそうです。
羽根を使った飾り
ハワイ王国が出来る前の王と王妃の写真のようです。王妃がつけている飾りが展示されていました。
上の写真のものはこちらのケースの展示物の一つでした。
上の写真の2人は王族の家系図にも出てきていました。サンドイッチ諸島(Sandwich Islands)のBoki(ボキ)と妻Liliha(リリーハ)です。サンドイッチ諸島はクックによって名付けられた名前でハワイ諸島のことです。ハワイ王国が出来てからはカメハメハ大王の任命によりオアフ島の総監を務めたそうです。
Boki, Governor of Wahu the Sandwich Islands, his wife Liliha. Engraving after John Hayter, 1824
古い時代の女性が付けていた飾りが沢山展示されていました。
この鳥の羽根の冠り物(ヘルメット/兜)は主に戦争時に使われていたようでハワイ語で「マヒオレ/Mahiole」と呼ばれています。
大ホールの1階の中央には昔の住居が再現されていました。
これが再現された住居です。
住居が写った古い写真も展示されていました。
家の周囲にはこのような木の彫り物が置かれていました。
いろいろな木の彫り物が置かれていたようです。
小型の模型で住居周辺の配置を再現していました。
人類(ホモ・サピエンス)が初めてハワイに到達したと思われるルートが説明されていました。
上の図では人類が東ポリネシアに1100年~700年前に定住したことでハワイに到達したのはのように読みとれます。先日見たテレビ(地球史を読み解く)では約1000年前にハワイに到達したと説明されていて、下記のネットから転用させていただいた図では1500年前と書かれていました。1400年前の記述もありました。長期間の航海が必要であるため、航海技術が発達したからこそ到達できたのだと思われます。イギリス人のクックがハワイに到達したのは240年前の西暦1778年でした。
Tracing the migration of pacific peoples through Adzesと書かれていたことから、各地に残された石斧(Adze)により、人類の移住を追跡したようです。下の写真は各地の石斧の先端部分です。
ハワイの石斧と写真も展示されていました。斧は航海に必要な船を作るのに必要不可欠な道具なので注目されたのかもしれません。
博物館の内部は木がふんだんに使われていました。色艶から、これもコアの木だと思われました。
ガイドの方の説明は30分だけなので、重要な部分と博物館の見学の仕方の説明でした。おかげで、その後も興味深く見学することが出来ました。
これもハワイ王国統一前のもののように感じます。
漁の道具のようです。
首飾りです。
木の置物も沢山展示されていました。
ハワイ諸島に昔から伝わっていたものの展示物が多かったです。
織物も沢山展示されていました。
コア((koa)の木の展示ケースも素晴らしかったです。
鳥の羽を使ったものです。
いろいろなスポーツで活躍した人も紹介されたいました。
その中でオリンピックでいくつも金メダルを取った水泳選手のデューク・カハナモク(Duke Paoa Kahinu Mokoe Hulikohola Kahanamoku)です。そのデューク・カハナモクがサーフィンで優勝した時の展示物だと思います。
飾りのついた槍です。象徴的なものか儀式に使われたものだと思います。
釣り針も沢山展示されていました。ハワイは海に囲まれている場所であることを再認識いたしました。恵みが得られる海は古代から特別な存在だったことでしょう。
巨大な釣り針もありました。
こちらは貝が付いた巨大な釣り針です。
こちらも魚を獲る道具のように感じました。
絵が描かれた貝殻もありました。
展示は広範囲におよんでいました。
The Muriel Macfarlane Flanders Gardenの石板です。
敷地内の建物です。教育施設だったのかもしれません。
別の角度から撮った同じ建物です。
ビショップミュージアムの3D航空写真です。アイコンを2回クリックすると建物が画面いっぱいに表示されます。