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キムチ・チキンラーメン [拉麺]

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2019年8月10日掲載 タイトル:キムチ・チキンラーメン
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チキンラーメンのキムチ味があることを、とんちゃんさんの記事「【実食】日清チキンラーメン アクマのキムラー激辛MADMAX」で知りました。名前は袋めんがクリックすると拡大「チキンラーメン やみつき旨辛 アクマのキムラー」で、カップ麺が「チキンラーメン キムラー やみつき旨辛キムチ味」です。クリックすると拡大
それならばと、普通のチキンラーメンにキムチをトッピングするのもアリと思い、やってみました。上の写真がお湯を入れる前です。右の小さな2枚の写真の内、左側の写真はインスタントラーメン発明記念館に展示されている1958年8月25日に発売された初代チキンラーメンです。

これが、お湯を入れたばかりのチキンラーメンです。キムチのタレがスープに溶け込みました。お湯をキムチにかけたのでキムチの色が白っぽくなっています。この後、蓋をして3分待ちました。実は硬めが好きなのでチキンラーメンに関しては普通は1分くらい食べ始めるのですが、この時だけは3分待ってみました。過去のチキンラーメンの記事→ポチッ
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使ったキムチは前記事でも紹介した鶴橋の徳山物産のキムチです。前記事で使った右の写真は実は下の写真から切り取ったものだったのです。
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 住所 大阪市生野区新今里3-3-9
 創業 1948年 (会社設立 1984年)
 販売 ジャパンミート(JAPAN MEAT)
 重量 500g
 価格 288円(税別)
 SV https://goo.gl/maps/W9ztFAQkwd9sXDDu6
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実は今回の徳山物産のキムチのパッケージは2008年2月1日と2008年5月22日の間に左のパッケージから右のパッケージに変わったのです。見た目は大きく変わりましたが、大切な違いは新しいパッケージにはJAPAN MEATの文字が入ったことです。
JAPAN MEAT(ジャパンミート)はスーパーマーケットチェーングループで、関東のホームセンターとして有名なジョイフル本田の生鮮館に入っているスーパーマーケットです。つまりジャパンミートの専用のパッケージに変わったことになります。現在(2019年8月時点)のパッケージは右のパッケージに似ていますが賞味期限のみの記載です。現在の内容量は500gですが、当時は330gでした。2008年の写真があったことから、少なくとも11年は食べてきたことが分かりました。
  製造年月日 2008年1月31日     製造年月日 2008年5月22日
  賞味期限  2008年2月19日     賞味期限  2008年6月10日
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2008年時点では製造日から日数による味わいの違いの説明がありました。上段が2008年2月の表示で、下段が2008年5月の表示です。内容を分かりやすく転記しました。括弧内は賞味期限日を基準にした日数です。発酵させて作ってるキムチの参考になると思います。ただし、発酵ではなく調味料を調合して味だけを合したキムチには適用されないと思います。
3~4回キムチ・チキンラーメンを食べてみた結果として、チキンラーメンにトッピングして場合は特に酸味のあるスープになったのが美味しかったので、賞味期限に近くなったキムチが適しているように感じました。
 製造日から  (賞味期限基準) キムチの味・風味の特徴
 0~5日目  (14日前まで ) 日本のおつけもの感覚
 6~10日目  (13~9日前 ) 本来の発酵食品として
 11日目以降 (8日前以降  ) 爽やかな酸味の天然調味料として
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これがパーケージの蓋を開けたところが、最近は撮っていなかったので、2008年5月25日に撮った写真を掲載させていただきました。現在はアルミ状の皿はありません。
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これが、3分経って完成したキムチ・チキンラーメンです。キムチの色がお湯のために抜けたので、見栄えのためにキムチを追加いたしました。このキムチ・チキンラーメンは旨味が増した上に、酸味があって美味しかったのです。
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冷麺の記事で紹介したキムチの材料の表示の部分です。天然調味料がふんだんに使われているのがわかります。この天然の旨味成分のおかげで美味しくなったのだと思います。さらにキムチの酸味が独特の美味しさを出していました。もちろん辛い味もインパクトを増してくれていましたが、うまみと酸味が印象的な味にしてくれました。このキムチを使ったからなのかもしれません。
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ネギをたっぷりと乗せたキムチ・チキンラーメンも作ってみました。
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これがネギたっぷりのキムチ・チキンラーメンです。
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上の写真はクリックすると拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。こちらは3分待たずに1分くらいで食べ始めました。
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ネギと竹輪を乗せたキムチ・チキンラーメンです。玉子を乗せるのもいいかもしれません。次にやってみます。キムチが少ないように見えますが、ネギの下に沢山キムチが隠れているのです。
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ついつい追加でキムチを乗せてしまうのでスープは真赤になります。チキンラーメンだけの場合はスープーは残していましたが、キムチを入れた場合は、辛みと酸味が美味しくて全て飲んでしまいます。好みによると思いますが、チキンラーメンのトッピングに使うのは、自然発酵が続いているタイプで賞味期限が近づいた(8日前から賞味期限日の)キムチがおすすめです。
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発売(1958年8月25日)と同じ1958年にテレビで流された初代CMを紹介します。実写版の鉄腕アトムが初めてテレビで放送された1959年3月7日と同年代というも興味深いです。クリックすると拡大テレビの影響をいち早く察知したのだと思います。2018年10月1日から2019年3月30日まで放送されたNHK続テレビ小説の第99作目「まんぷく」の中でも1958年夏に「まんぷくラーメン」が発売され、テレビCMも行われていました。


参考に世界の2018年のインスタントラーメン(即席麺)の消費量を紹介します。
クリックすると拡大インスタントラーメン(即席麺)の1人あたりの消費量世界一の韓国で、三養ラーメン(삼양라면)が右の写真のインスタントラーメンを韓国で初めて発売したのが1963年(日清食品のチキンラーメ発売から5年後)ですが、韓国の食糧難を少しでも助ける目的で、明星食品が無償で三養ラーメンに技術供与したことで実現したそうです。→ポチッ ポチッ
 世界全体 約1036億食 13.6食/人
 中国   402.5億食 28.3食/人 世界1位 1人あたり世界5位
 日本    57.8億食 45.4食/人 世界4位 1人あたり世界6位
 韓国    38.2億食 74.7食/人 世界8位 1人あたり世界1位



2019年8月17日追記 
タイトル:玉子を乗せてみました。 キムチ・チキンラーメン
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キムチ・チキンラーメンをしてから、玉子を乗せたキムチ・チキンラーメンをやってみたかったので実行いたしました。2019年8月17日の午前中にキムチを買ってきて昼食で作ってみました。生玉子をチキンラーメンに乗せました。

今回に使用した玉子は1ケ月前に偶々買って発見したお気に入りの玉子なのです。なにしろ味が濃いのです。こんなに味が濃い玉子は初めてなので、それ以来、全てこの卵を買っているのです。美味しい玉子なのに意外と手ごろな価格なのも気に入っている理由の一つです。使用した玉子は偶々発見してから4パック目の9個目なので39個目になると思います。夏は素麺や冷し中華や冷麺で玉子を使う機会が多いようです。いろんな食べ方の中で一番違いを感じたのは、クリックすると拡大調味料を入れないで焼いた錦糸卵でした。味の濃さもありますが、香りも濃かったのです。
 名前 きよらグルメ仕立て
 生産 富士山ポートリー(アキタフーズグループ)
 住所 静岡県富士宮市 山宮913番9
 HP https://www.akitatamago.co.jp/kiyora/reason/
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お湯を入れて3分だけでは、玉子はほとんど生のままなので、お湯を入れる前に電子レンジをかけてみることにしました。初めてやるので固まり具合が分からないので500Wで30秒づつやってみることにいたしました。写真は3回、つまり合計1分30秒ほど電子レンジをかけた状態です。
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1分30秒でもいい感じでしたが、試しにさらに30秒電子レンジで温めてみました。こちらが500Wで2分(30秒x4回)の状態です。結論としては電子レンジは500Wで1分30秒~2分が良いと思います。
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買ってきたキムチをトッピングしました。
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この日に買ってきたキムチです。賞味期限(2019年9月3日)の17日前のキムチです。製造日から賞味期限日まで期間が2008年時点と同じであれば、製造日から2日目と思われます。
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製造してすぐなので少し若いキムチです。
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お湯を入れて、ネギもトッピングいたしました。蓋をして2分半待ちました。
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2分半経って蓋を開けで、玉子の固まり具合を確認してみました。もう少し柔らかいのを好む人は1分半の方がいいかもしれません。写真を撮る場合も、もう少しとろっとした方が美味しそうに見えますが、私の好みとしては丁度良かったです。
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スープにも卵の味が少し移ってコクもましたように感じました。生卵のままで作った場合は、スープが玉子味になりすぎるので、電子レンジを使ったのでした。
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キムチのおかげでスープも完食でした。
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食事の後のデザートは今年と初めての梨にいたしました。キムチを買ったジョイフル本田の生鮮館で買ってきました。
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家内は娘と次男と一緒に関西に帰省しているので家には私一人なのです。いつもだったら2切れですが、1個分(4切れ)頂きました。
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2019年8月18日追記 タイトル:写真重視のキムチ・チキンラーメン
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前日に引き続き2019年8月18日にもキムチ・チキンラーメンを作ってみることにいたしました。前日は玉子を乗せた後に電子レンジをかけましたが、見た目が美味しそうに見える写真を撮ってみたかったので2日連続作ってみることにしたわけです。生卵(生玉子)をそのままチキンラーメンに乗せるのではなく黄身と白身を分けて、白身は最初にチキンラーメンに乗せてお湯を入れてある程度固めて、黄身は最後に入れて、とろとろ感を出す作戦です。そのために写真のように黄身を分けました。

卵の白身を中央に置き周囲にキムチを並べたところです。
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お湯を入れました。中央の白身が少し固まっています。卵の黄身はまだ入れていません。
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白身をしっかり固める意味もあることから蓋を置いて3分間待つためにタイマーを置きました。
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クリックすると拡大3分間の間に卵の黄身の表面が乾燥しないように卵の殻をかぶせました。賞味期限のタグは卵に1つ1つに貼り付けられているのではなく、ケースに貼ってあったタグを最後に食べると思われる卵に右のように貼り替えておいたものなのです。賞味期限の部分は剥がすことが出来ます。書かれているURLのサイトを開いて生産履歴コードと賞味期限を入力すると産卵日がわかります。新しく買った卵で試してみました。→ 入力画面 → 検索結果
入力画面で赤色文字を入力すると検索結果で緑色文字が表示されます。
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 賞味期限    2019年09月06日
 履歴コード   FF789P6
 産卵日     2019年08月16日
 生産農場    富士山ポートリー
 農場住所    静岡県富士宮市山宮3765番地15
 飼育管理責任者 久川 翔 さん
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参考に生産場所の航空写真を紹介します。
航空写真内に生産農場GPセンター(卵選別包装施設)の場所にプロットしました。生産農場は富士山の裾野にあることが分かりました。Google地図での標高は生産農場が891m(900m)で、富士山スカイラインからの入口930mで、GPセンターの前の道路が303mでした。標高900mで飼育している理由は、鶏(ポリスブラウン種)が夏の暑さに弱いことから、夏場の卵の質と生産性の維持のためだそうです。使われる飲み水は地下500mの富士山の深層水だそうです。つまり別荘地のようなストレスの少ない快適な環境たからこそ良質な卵を産んでくれるというわけのようです。
富士山最高峰(日本最高峰)の剣ヶ峰(標高:3776.24m)から直線水平距離で、生産農場は南西8.14km、GPセンターは南西14.3kmにあります。


3分経って蓋を開けて卵の黄身と薬味の小葱を乗せたら完成です。
このキムチ・チキンラーメンの写真を撮りたかったなのです。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。白身はほどよく柔らかく固まっていました。
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卵の黄身を崩すと美味しそうに見えます。
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もう少し混ぜた拡大写真も紹介します。
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スープは少し濁りますが、辛みも強く卵っぽくなりませんでした。。
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スープも完食でした。
いつもは薄味の朝食(めかぶ、野菜ジュース、半分のタレの納豆、ヨーグルト、果物)の代わりにキムチ・ラーメンをクリックすると拡大食べたためにデザートの後も喉が渇いて3時間くらいの間に麦茶を約1.8リッターも飲んでしまいました。おかげで見かけ体重は2kg近く増えました。水分補給なので、実質的には体重増加はないと思います。昼食でキムチ・チキンラーメンを食べても飲み物を沢山飲みたくなることが無いので、これは不思議でした。すぐに新しい麦茶を作りました。
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もちろんデザートは前日に買った梨です。食べやすいように6つに切り分けました。
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2019年8月30日追記 
タイトル:キムチ・チキンラーメンに目玉焼きを乗せてみました。
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キムチ・チキンラーメンに上の写真の目玉焼きを乗せてみたので写真を追加掲載させていただきました。この卵はすでに紹介した富士山の標高900mの場所で生産されている卵です。

チキンラーメンの上にキムチを乗せてお湯を注いだ後に、目玉焼きを乗せたところです。キムチの色がスープに移っているのが分かってもらえると思います。
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追加で目玉焼きの上にキムチをトッピングいたしました。
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トロットした黄身の部分を出しました。今回の追加記事で4種類のキムチ・チキンラーメンを紹介したことになります。卵を使ったキムチ・チキンラーメンは3種類になりましたが、それぞれ違った味わいとなりました。
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黄身の部分を部分を拡大いたしました。
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麺は黄身をからめていただきました。
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スープにも意外と黄身が溶け込みました。今回のキムチは賞味期限から判断して若い製造したばかりのキムチで辛みが強かったので、スープはここまでしか飲めませんでした。以前の紹介した3記事では最後まで美味しく飲めたことから、キムチの熟成度はキムチ・チキンラーメンの味に大きく影響があることを実感いたしました。以前にも書いたように賞味期限が近づいて酸味が強くなったキムチが合うようです。
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下高野の奥州講の行事を体験させていただきました。 ぼんてん塚 [風習・歴史]

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2019年8月24日追記
タイトル:下高野の奥州講が八千代よみうりに掲載されました。 
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2019年8月24日に発行された「八千代よみうり」に八千代市下高野地区で奥州講に参った人たちによって行われている梵天飾りの行事(風習)が掲載されました。その古くから続いている行事にいつも参加されている方から記事を送っていただいたので、クリックすると拡大以前に書いた記事に追加させていただきました。私が2012年からほぼ毎年参加させていただいている年初めの右の写真の辻切り(藁の大蛇)作りに参加させていただいているメンバーの方も何人か写真に写っております。
クリックすると拡大1度だけですが、2012年に、その奥州講の行事を体験させてただいて記事を掲載させていただきました。その記事に「八千代よみうり」の記事"五穀豊穣祈る「奥州講」梵天飾り 立てて参拝"を追加させていただきました。2019年7月に八千代よみうりの担当の方が取材に来られてたそうです。八千代よみうりは読売新聞をとられている方に折り込みで入ってくるそうです。
今回の新聞記事で200年間続いてきた行事であることを知りました。確かに、右の写真のように江戸時代(1603年~1868年)中期の寛政六甲寅年(1794年)と書かれた最も古い奥州参り記念石碑が建てられてから、225年が経過していることが分かりました。この地区の庚申塔で最も古いものは享保十二年(1727年)で、古さは3番目の寛政二年(1790年)の庚申塔に相当します。

八千代よみうりの記事の内容を枠内に転記いたします。記事内の「三山拝司」の内容は2012年に拝辞として記載させていただいています。
五穀豊穣祈る「奥州講」 "梵天飾り"立てて参拝
下高野地区に200年続く風習
クリックすると拡大古くからの農村の風習を守り続けている下高野地区(立山利明区長)で、奥州参りに行った人々が、"梵天(ぼんてん)飾り"を三山塚に立てて参拝する「奥州講」が7月21日に行われ、参加者が太陽の恵みに感謝し五穀豊穣わ祈った。
奥州参りは山形県にある月山・羽黒山・湯殿山の出羽三山を巡拝するもので、江戸時代に全国に広まり、八千代でも北西部を除く多くの集落で農家の長男たちが講をつくり出かけた。帰ると地元の三山塚に記念碑を建て、毎年7月下旬に参拝。同地区でも最も古い記念碑には寛政6(1794)年と記されている。
梵天飾りは、篠竹の先に稲藁の小さな俵を刺し、5色の色紙や白の半紙の飾りをつけたもので、地域によって切り方や折り方が異なる。これを6本むつくり、三山塚に刺してタコ糸つなぎ一同が三山拝司を唱える。下高野では2月14日の「ボンテンハキ(梵天祭り)」でも梵天飾りを作るほか、講のメンバーが亡くなり、その家から要望があると講の仲間が梵天を作り、その家の仏壇が見える場所に立てて三山拝司を唱え、その後、墓地に行って梵天を立て、再び三山拝司を唱える風習が現在もあるとという。
この日は朝から地区の公会堂にメンバー7人が集まり、分担作業で立石区長が茂り出してきた篠竹を削ったり、慣れた手つきで色紙を折ったりして梵天飾りを製作。トラックで三山塚に運び、塚の落ち葉を掃き清め、飾りを地面に刺して神妙な面持ちで三山拝司を三唱。クリックすると拡大公会堂に戻ると直会で親睦を深めた。
メンバーの一人で地域の民族風習に詳しい小澤一雄さんは「奥州講で梵天を飾るのは、神仏習合により仏教の梵天祭りと出羽三山信仰がひとつになったのではないか」と話している。


2012年7月22日掲載 
タイトル:下高野の奥州講の行事を体験させていただきました。
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千葉県八千代市には奥州溝(出羽三山溝)と呼ばれる風習が残っています。
この辺りでは江戸時代に始まった風習です。集落の50歳前後になった長男が十数年に1度の割合で奥州参りを行い集落に戻ってきて記念碑を建てます。その記念日に奥州参りに行った人たちだけで毎年二月と七月に梵天(ぼんでん)飾りを行う風習で、八千代市の下高野では今でも、この風習が続いているのです。右の写真は奥州参りをする時のスタイルです。
上の写真が新しく作ったボンデン(梵天)です。白い梵天が一本とカラフルな梵天が五本で構成されています。私は下高野に住んでいないし奥州参りに行ったことはないけれども、下高野で続いている風習・辻切りに参加させてもらった縁で、今回の奥州溝の年行事に誘ってもらえました。
二月は14日(梵天ハギ/ぼんでんはぎ) と決まっており七月は20日前後の日曜日と決められており、今回は7月22日でした。9時にうかがって梵天を作るところから参加させてもらいました。行事のことをボンデン飾りと呼ぶとこもあるようです。写真をクリックすると大きく拡大いたします。

梵天を作るところから紹介いたします。
先ず準備するものは竹と藁に半紙にタコ糸です。


先端の飾りのために色紙も準備されていました。普通の色紙は片面だけに色がついていますが、両面ともに鮮やかなものを準備する必要がありますが、これは簡単には手に入らないとのことです。これは葬儀屋さんから手に入れられたと教えてもらいました。この辺りの葬儀の風習で、この色紙を使うことがあるそうです。
準備する色紙は黄色、青色、緑色、赤色に紫色です。真白の半紙も準備します。


色紙をカットする型板が2種類です。それにカッターのための台です。
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色紙は4分の1にカットします。先端に取り付ける白い紙は半分にカットして二つ折りにします。


色紙は溝にそってカットします。


カットしたものを、このようにおります。


私も入れて5人で色紙を折りました。


先端に取り付ける白の飾りも専用のプラスチックの型板でカットします。昔は段ボールを使っていたそうですがプラスチックにしてからは作業が、はかどるようになったそうです。


先端の飾りは対象に折っていきます。


先端の飾りは大きいものが一つに対して三角形の飾りが三つです。この三角形の飾りは出羽三山を表現しているそうです。出羽三山とは月山(がっさん)と羽黒山(はぐろさん)と湯殿山(ゆどのさん)のことです。奥州参りの時はこの三山登山も含まれています。


竹の両側は突き刺さるように鋭くカットします。


こちらは先端に取り付ける飾り用の台座を作るメンバーです。


ワラを束ねて台座を作ります。


台座が完成しました。胴に巻かれた2本のタコ糸に色紙を挟みます。


台座に色紙を取り付けているところです。


色紙をつけた台座を竹の先端に突き刺すと梵天の完成です。こちらもクリックすると大きく拡大いたします。
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これが完成した6本です。
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完成した梵天を軽トラックに積んでボンデン塚(梵天塚)に持って行きます。その時に奥州参りを行った人が全員一緒に行きます。


こちらがボンデン塚(梵天塚)です。建てられている碑は奥州参りに行った参拝記念碑(三山碑)で参加した人の名前と年月日が刻まれています。
一番古い三山塚(右の写真)は中心に立っている大きな木の右脇にありました。
寛政六申寅年と書かれていることから1794年ということになり今から218年前の参拝記念碑ということになります。
一番新しい三山塚のは右手前の大きい碑です。奥州参りが最も最近行われたのが昭和59年(1985年)なので27年前ということになります。この碑には今回の参加者の名前が刻まれていました。並んでいる三山碑の参拝日か下記のとおりです。
  寛政 6年       1794年
  文久 3年 3月吉日   1863年
  大正 7年 7月20日  1926年
  昭和15年 7月21日  1940年
  昭和28年 7月25日  1953年
  昭和34年 7月13日  1959年
  昭和44年 7月26日  1969年
  昭和51年 7月14日  1976年
  昭和59年 7月15日  1984年
この参拝記念碑を建てる行事をイシタテ(石建て)と言われています。立っている古いボンデン(飾り)は半年前(2012年2月14日)のものです。先ずは皆でボンデン塚の周りを掃除をしました。


梵天塚(三山塚)の参拝記念の石碑です。クリックすると一番右手前の昭和59年の石碑を拡大いたします。石碑には16名の名前が刻まれています。
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古い梵天(ボンデン)を抜いて新しいものに交換します。色紙の梵天を真中にしてそれを色紙の梵天4本で四角く囲みます。白い梵天は少し離れて北西方向に建てます。ボンデン塚の大きな木は「すだじい」で、クリックすると記念石碑を表示昭和51年2月24日に八千代市の保存樹木に指定されている木です。
右の写真は1985年(昭和59年)の記念碑を建てた時の記念写真と奥州講に行った時の写真をスライドショーで表示しています。つまり今回の参加者の方々の写真です。右の写真をクリックすると記念碑を表示します。ぼんてん塚は不思議な世界でした。
クリックすると記念石碑を表示

梵天を全て交換したところでタコ糸で6本の梵天をつなぎます。先ずは真中の梵天にタコ糸を結び、次に北西の方向の梵天に巻きつけ時計回りに四本の梵天をつなぎ最後に白い梵天にタコ糸を回します。プレーボタンをクリックすると動画が見れます。


これで完成です。こちらの写真はクリックすると拡大するよう設定いたしました。完成したところで次の手順で拝辞(おがむことば)を全員で奏(そう)します。拝辞は下高野の奥州講のことを書いた2019年の「八千代よみうり」の中の「三山拝司」にあたります。
 ① 一拝、二拍手、二拝
 ② 拝辞(三山拝司)を奏す。
 ③ 一拝、二拍手、二拝
拝辞は次の通りです。月山と羽黒山と湯殿山のことを言っているようです。
 あやにあやにくしくたふと月のみ山の上の御前を拝みまつる
 あやにあやにくしくたふと羽黒のみ山の上の御前を拝みまつる
 あやにあやにくしくたふと湯殿のみ山の上の御前を拝みまつる
               御前 : みまえ   拝 : おろが
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クリックすると拡大別の角度の写真も掲載します。この写真は一番手前のボンデン飾りにピントを合わせております。こちらも写真はクリックすると拡大するよう設定いたしました。6本の梵天飾りの配置を図式化したのが右の図です。上方向が北でボンデン塚があります。白のボンデンは北西方向に配置します。
クリックすると拡大平成20年の八千代地郷土博物館の資料によると出羽三山参拝記念碑(三山碑)が建てられている場所は34ケ所で合計で193基の三山碑があるそうです。ただし梵天飾りが行われているのは珍しいようです。右の写真は隣の上高野地区の梵天飾りですが、1本1本の飾りも違うし、配置も右下の図のように全く違っていました。クリックすると拡大1985年の奥州講は下高野と上高野が合同で参っている関係でありながら梵天飾りが全く違うのは不思議です。
下高野のボンデン塚には9基の三山碑がありますが、2012年に奥州参りが行われたとのことなので近いうちに10基になるのでしょうね。
クリックすると拡大

クリックすると拡大一週間後(2012年7月29日)の下高野のボンデン(梵天飾り)の先端の状況です。作った時に比べると少しシナッとしてきましたが雨が降っていないこともあり、まだ鮮やか姿を見せてくれていました。
右の写真が隣の地区の上高野のボンデン(梵天飾り)の先端です。赤色の梵天飾りのみ下にずれて竿の途中になってしまっています。右の写真はクリックすると大きく拡大いたします。


サンダーソニアさんのコメントで梵天飾りが、注連縄の紙垂(しで)に似ているとのコメントを頂いたので下高野の菅原神社の注連縄の写真を掲載させていただきました。下高野に注連縄作りの名人がおられます。紙垂の形も色々あるようで使い分けておられるようです。


八千代市下高野が緑色マークで、赤色マークが出羽三山の位置です。下高野から羽黒山までの直線距離は329km(━━)で、徒歩だと450km以上にもなります。実際には月山や湯殿山にも参り、沢山の宿がある場所にも行くので往復では寄り道なしでも1000kmを超えると思われます。そのため徒歩で行く江戸時代は現在のような直線的な車道もないことからさらに沢山の距離を歩いたのだと思います。ある文献によれば約2ケ月間の日程だったそうです。
 八千代市下高野 出羽三山(羽黒山月山湯殿山) 出羽三山神社

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より大きな地図で 出羽三山 を表示  より大きな地図で 徒歩ルート を表示

8月20日早朝の屋外温度は25.0℃でした。 室内室外温度計 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大我家では上の写真の室内室外温度計を2階の寝室と1階のリビングに置いています。上の写真は2019年7月29日にネットで買った室内室外温度計です。
暑い気温が連続続いていましたが、2019年8月19日23時ごろには2階の外の気温は26℃前後まで下がったので冷房なしで窓を開けて寝ました。
翌朝2019年8月20日5時12分の温度計の屋外の温度を見ると25.0℃で、室内の温度は26.8℃した。夜の間の最低気温を左下のボタンを押して確認すると24.2℃まで下がっていることが分かりました。24.2℃も25.0℃も最近の中では最も低い気温でした。少なくとも8月26日まで朝は連日涼しいので、8月20日が涼しい朝が始まった日になりました。8月26日の朝は気温が低い(22.2℃)だけでなく湿度も初めて低く(59%)なりました。

目覚まし時計にも温度計が付いていますが、冷房にすべきか、窓を開けて外の空気を入れるべきが悩む日が続いたので、7月28日に室内室外温度計をネットで注文し、翌日の7月29日に到着してすぐに取り付けて22日間使用しました。ただし、暑い日が続いたので80%は冷房でした。左の室内室外温度計の室内温度は26.8℃で、時計の温度計は26.7℃を示しています。2つが20~30cm離れていると0.1℃はずれることがありますが、写真のように並べて置いておくと同じ温度を示すことが多いので誤差はほとんどないと思われます。ただし並べて置いていても空気の流れのためか0.2~0.3℃の差が出ることもあります。写真を撮る前はすこし位置がずれていたのです。時計の湿度計が80%を示していたので、この後は窓を閉めました。
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こちらが1階のリビングの時計と室内室外温度計です。時間は5時14分です。屋外の気温は25.5℃を示しています。夏の朝は2階に比べて0.5~1.0℃程度高い温度を示す傾向があります。2階は風通しがよいの前日に温められた地面の熱気が到達しにくいのに比べて1階は前日の地面の熱気が残りやすいために1階の温度計は高い温度を示すのだと思います。室温は寝る時と比べて1℃程度しか上がっていませんでした。すこし窓を開けましたが、湿度が上がるのが嫌なのですぐに閉めて冷房にしました。2階に比べて1階の湿度が低いのは前日の深夜まで冷房を入れていて窓を1度も開けていないからです。
         1階    2階
  屋外温度  25.5℃  25.0℃
  屋内温度  28.3℃  26.8℃ 
  屋内湿度   64%   80%  
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1階の室内室外温度計を拡大いたしました。2階のものと形は同じですが、デザインが違います。実は2015年5月15日に買ったものなのです。ただし屋外の温度を見る目的ではなく別の目的で買いました。機能的には新しいO-285IVと同じです。最近は無線タイプ(ワイヤレス)もあり便利になりましたが高価です。
 2014年5月15日購入 ドリテック O-215WT 945円(税送料込み)
 2019年7月28日購入 ドリテック O-285IV 1075円(税送料込み)
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使用目的はインターネットのWiFiルーターなどの全ての機器や配線をチェストの最下段の引き出しに入れるのが目的でした。熱が出るので引き出しの最下段と2段目引き出しの底板には沢山の穴を開けており背面の板にも排気口をつけましたが、それでも心配なので機器で最も高温になる部分の温度を計るために室内室外温度計のセンサーをその部分に貼り付けました。4年使っていて夏や冬の傾向も判ったので、2階に室内室外温度計を新しく着けたことを機会に、1階の屋外の温度を測るようにしたのです。
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朝起きて1階に下りてきて室内が29度以上で外気温度が27℃以下の時は窓を開けて外の風を入れて少しでも部屋を冷やすようにしているのです。風が吹かない時には、この写真のように扇風機を庭に出して網戸越しに空気を入れることもあります。クリックすると拡大外の風を入れると言っても気温が上がってくるので今の時期は7時か8時までが限度で、後は冷房に切り替えます。扇風機を置いている庭に降りるステップはムサシが脾臓摘出手術を受けた後すぐに設置したものです。


2階でも写真のようにバルコニーに扇風機を出して外の空気を送り込むこともあります。クリックすると拡大ただし防犯上、限られた時間帯にしかできません。念のため寝てしまうときなどはバルコニーの雨戸は閉めるので外に扇風機を置くことが出来ないからです。そのような時は廊下側のドアに向かって扇風機で空気を排出することで別の窓から空気を入れる方法を採用しています。クリックすると拡大
2019年8月20日(冒頭の写真)の場合もこの方法で室内が26.8℃まで下がったのです。こちらのバルコニーでは右の写真のように七輪で焼肉や焼鳥をする場所でもあります。


ここまでの記事は2019年8月20日の朝のことでしたが、昼間は前日までと同じように暑い日でした。ところが同じ日の8月20日の夕方18時52分に2階の外気温度(屋外温度)が24.1℃まで下がっているのに気が付きました。冷房をしていない2階の室内の温度は31.2℃だったので、すぐに窓を開けでバルコニーに扇風機を出して外の空気を取り込むようにしました。寝るまでに室温を下げたかったのです。18時52分の写真は撮っていなかったので19時2分の写真を紹介します。10分ほどで31.2℃が30.0℃まで下がっていました。驚いて10分ごとに写真を撮って記録してみることにいたしました。少し前に外気温度を見た時はもっと高かったので不思議に思いネットで過去の雨雲レーダーを確認すると1時間前(過去を見る限界)の18時頃に大きな雨雲が家の上空をゲリラ的に通ったことが分かりました。
ちなみに目覚まし時計はアラームが2つある上(この写真では14:19と5:30にセット)、大音量なのです。右上の大きな丸いスピーカーから音が出ます(徐々に大きくなります)が、あまりにも音が大きいので、右下の調整つまみ(VOLUME)を最低(MIN)に近い位置にセットしています。
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記録した結果をグラフにしたものです。室内の温度で破線は時計の温度計です。23時頃から23時40分まで室内の温度が上がっているのは、バルコニーの扇風機を屋内に移してドアからの排気に使うとともにバルコニーに出る窓の雨戸を閉めたからだと思われます。あるいは廊下側の暑い空気が部屋に入ってきたことも考えられます。いずれにしても扇風機を屋内に移動したのは22時10分だったので温度変化には遅れがあることも判りました。8月21日4時41分には屋内の湿度が80%になったので本来はもっと早く全ての窓を閉め切るのですが、今回は実験のために8月21日7時1分まで下記のようなスケジュールで扇風機も回していました。下記以外の時間は窓は閉めていました。8月20日22時10分~8月21日04時45分はバルコニーの雨戸は閉めていました。
 8月20日18時52分~8月20日22時10分 扇風機:バルコニーに設置
 8月20日22時10分~8月21日04時39分 扇風機:室内に置いて排気に使用
 8月21日04時39分~8月21日07時01分 扇風機:バルコニーに設置


最も外気温度が下がった瞬間の写真です。時間は4時19分でした。3時05分の時点も23.2℃でした。いずれも2階の2019年8月21日の数値です。
 2時39分 屋外 23.3℃ 屋内 25.5℃
 3時05分 屋外 23.2℃ 屋内 25.5℃ 
 4時19分 屋外 23.2℃ 屋内 25.3℃ 屋内も屋外も最低温度
 4時28分 屋外 23.3℃ 屋内 25.3℃
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タグ:温度計 気温
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韓国冷麺を、もう1つ見つけました。 [麺]

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クリックすると拡大前記事で、家で初めて右の小さな写真の本場に近い細麺の韓国冷麺を食べたことを報告させていただきましたが、その冷麺を食べた50日後に、別のメーカーの冷麺を見つけました。それが上の写真です。専門の韓国食材店では昔から冷麺が売られていたとは思いますが、今まで本格的な冷麺をスーパーで見ることが無かったのにたて続けに見つけたのには驚かされました。本記事では2番目に見つけた韓国冷麺を紹介したいと思います。パッケージにNONGSHIMと書かれています。クリックすると拡大
NONGSHIMは従業員約5000人の韓国のインスタントラーメンのメーカーです。ハングルでは농심で、漢字では農心です。最も有名なのが辛ラーメン(読み:シンラーメン ハングル:신라면)で日本でもよく見かけます。2017年に上海空港のラウンジで見かけて記事にしたことがありました。
クリックすると拡大インスタントラーメン(即席麺)の1人あたりの消費量世界一の韓国で、三養ラーメン(삼양라면)が右の写真のインスタントラーメンを韓国で初めて発売したのが1963年(日清食品のチキンラーメ発売から5年後)ですが、韓国の食糧難を少しでも助けたい目的で、明星食品が無償で三養ラーメンに技術供与したことで実現したそうです。→ポチッ ポチッ

これが韓国冷麺の乾麺です。色は茶色で出来上がりは本場の冷麺に近いように感じました。白いトレーは食べる時の器や、作るときの水の計量にも使えるようです。それにしても麺は鳥の巣のように見えませんか。
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乾麺の状態を紹介したいので拡大いたしました。
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スープは青い袋に入った液体スープを260cc(260g)の冷水に溶かします。
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水+氷合わせて260gに袋スープを溶かしました。氷を入れた水を計量カップに入れて260ccの目盛りのところに水面を合わせると、氷が解けると260ccになります。食べるころには氷が全て溶け氷の量を入れます。
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こちらは今回乗せたトッピングです。ゆで玉子、キムチ、キュウリ、竹輪です。焼き豚が手元になかったので竹輪にいたしました。小ねぎは好みで入れました。
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これが完成した水冷麺です。麺は細い上に色が黒っぽいので、前回紹介した冷麺よりも、雰囲気が本場の韓国冷麺に近かったです。
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韓国冷麺はスープと麺の食感が命だと思います。その食感を伝えたくて拡大いたしました。
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その麺を紹介したいので、麺を上に上げて撮った写真を紹介します。この麺の食感も本場で食べた冷麺に近かったです。
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日本で売られているものは日本用のパッケージに入れられたものです。韓国のオリジナルのパッケージの写真をネットから転用させていただきました。少なくとも麺と、麺を入れているトレーは同じと思われます。
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左の写真が本場韓国で食べた水冷麺で、右の写真が前々記事で紹介した日本のコリアンタウンのメーカーが発売している水冷麺です。比較のために掲載いたしました。
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NONGSHIMの冷麺には、もう1つ種類がありました。それが左のビビン冷麺です。クリックすると拡大これは韓国でも食べたことはなかったです。
日本名の「ふるる冷麺」に相当する韓国での商品名は「둥지냉변」で、発音は「トゥンジ・ネンミョン」す。냉변が冷麺なので「ふるる」が「둥지」ということになりますが、意味としてはつながりません。
クリックすると拡大「ふるる」に相当する「둥지」はを意味しています。NONGSHIMのホームページで確認すると麺の見た目が巣のように見えることからこの名が付けられたようです。日本用に「ふるる」が名付けられた理由は現時点ではまだ分かりません
 ふるる冷麺 - 水冷麺   둥지냉면 - 물냉면
 ふるる冷麺 - ビビン冷麺 둥지냉면 - 비빔냉면
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確かに麺は鳥の巣のように見えます。
麺は青いパッケージの水冷麺と同じですが、スープではなく、この特製タレを麺にかけるのです。冷水で薄める必要はなくそのままかけます。
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ゆで時間は3分ですが、麺と麺がくっつきやすいので茹でている間、ほぐすようにかき混ぜておく必要があります。茹で上がったら素早く冷水でよく洗います。冷たい状態になるとくっつくことはありません。麺の茹で方や冷水で洗うところまでは水冷麺でも同じです。


原材料が書かれている部分です。前回と違い、蕎麦粉が使われていました。本場の麺も主に蕎麦粉が使われるそうなので原料的にも本場に近い麺なのだと思います。ただし使われている量は小麦粉、でん粉に次いで3番目でした。自分でタレを作る場合をネットでみると、コチュジャン大さじ1、酢大さじ1/2、蜂蜜小さじ1、ごま油小さじ2、醤油小さじ1、塩小さじ2と書かれていましか、今回の特製タレには遥かに多い沢山の種類の材料が使われていました。
日本法人の農心ジャパンが韓国の親会社から輸入していることも判りました。内容量は159g(めん109g)です。韓国で売られている冷麺は162gと書かれているので内容量は違うようです。調べた結果、韓国で売られているものにはタレだけでなく右の写真のようにクリックすると拡大乾燥野菜が入った黄色の袋が入っていて、それが3gの差のようです。さらに調べてみると2014年の時点では、日本で売られていた冷麺も162gで乾燥野菜(かやく)が付いていました。
右上の写真は韓国のビビン冷麺と2014年に日本で売られていたビビン冷麺のタレと乾燥野菜を交互に表示しています。クリックすると両方を表示します。
クリックすると拡大右の成分表は下記表の韓国-2です。韓国で売られているオリジナルは脂質(지방)が多いのでタレの成分や味も違うのかもしれません。韓国の人は日本で売られているビビン冷麺の辛さが物足りない(翻訳)との記述もありました。
項目 日本 韓国-1 韓国-2
内容量   내용량 159g 162g 162g
熱量    열량 473kcal 530kcal 495kcal
炭水化物  탄수화물 102.5g 113g 106g
糖類    당류 13g 18g
たんぱく質 단백질 9.2g 11g 9g
脂質    지방 2.9g 3.5g 3.9g
ナトリウム 나트륨 1.15g 1.09g
食塩相当量 식염 상당량 2.5g (2.9g) (2.7g)


2014年のビビン冷麺(左)と2019年のビビン冷麺(右)のパッケージを紹介します。2014年のヒビン冷麺の写真はネットから転用させていただきました。色が違うように写っていますが光の反射の問題で実際のいろは左の方が近いです。2014年パッケージに使われている女性はユンソナさんです。
 2014年ビビン冷麺 内容量:162g  2019年ビビン冷麺 内容量:159g
    特製タレ+乾燥野菜          特製タレのみ
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これが完成したビビン冷麺です。トッピングは水冷麺の時とほぼ同じで、ゆで玉子、キムチ、キュウリ、竹輪を入れました。
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よく混ぜて食べます。混ぜた写真です。
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タグ:冷麺 韓国
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家で本場に近い細麺の韓国冷麺を初めて食べました。 [麺]

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今までに韓国には16回行きました。印象に残った食べ物は沢山ありますが、韓国の本場の細い冷麺もその一つでした。日本では焼肉店などでは近いものは食べれますが、細い韓国冷麺は近くのスーパーでは手に入りませんでした。食感や味が近いのは盛岡冷麺ですが、麺は太いのです。他のメーカーのもの太いものばかりで、家で本場韓国に近い細い冷麺は見つけることが出来ませんでした。ところが今年(2019年)に細いタイプの韓国冷麺を近くのスーパーで見つけたので食べてみました。それが上の写真です。
韓国の記事(30)はこちらです。→ポチッ

こちらが韓国の焼肉店で食べた水冷麺です。これが印象深かったのです。冷麺専門店でも食べたことがありますが、ブログを始める前だったこともあり、残念ながら冷麺専門店の冷麺の写真は撮っていませんでした。この麺の細さに驚かされましたが、スープも印象的でした。食べた瞬間は驚くほど薄く感じるのですが、食べている間に、その味に、はまってしまう味わいだったのです。酸っぱさがあるダシが効いたスープで、薄味なので全て飲み干してしまえるのでした。麺の上に大根キムチ、焼き豚、キュウリ、ゆで卵が乗っています。
この写真を掲載した記事はこちらです。→ポチッ
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最初の1枚は上海の韓国焼肉店の冷麺で、後の3枚は日本の焼肉店の締めで食べた冷麺です。写真をクリックすると記事を表示します。
冷麺は韓国語で냉면(ネンミョン) 又は랭면(レンミョン)です。麺の原料は主に蕎麦粉で、つなぎとしてデンプンや小麦粉を入れて練り、穴の開いたシリンダー状の容器で麺状に押し出してそのまま熱湯に落として茹でたものをすぐに冷水で冷やしてつくるそうです。
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今回、家で食べた冷麺はこちらです。大阪の鶴橋のコリアンタウンの会社のものでした。細い麺とストレートスープが特徴でした。上で記載しているように本場の韓国で食べられている灰色の冷麺に使われる原料は主に蕎麦粉だそうですか、この製品は蕎麦粉なしの白冷麺だそうです。
 製造 徳山物産
 住所 大阪市生野区新今里3-3-9
 創業 1948年 (会社設立 1984年)
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パッケージの中には生麺(120g)が2パックと、ストレートスープ(200g)が2パック入っているので、ずっしりとした重さがあります。ストレートスープは食べる直前まで、冷蔵庫でよく冷やしておくのがポイントです。


原材料が記載されている部分を紹介します。
スープのさわやかな酸味はリンゴ酢でした。


こちら完成した冷麺です。上で紹介した韓国で食べた冷麺ほど細くはありませんが、たの冷麺に比べるとかなり細いのです。ゆで卵とキュウリと焼き豚とキムチをトッピングいたしました。スープは本場に近いものでした。器をステンレス製のボールにすれば韓国の雰囲気になります。
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トッピングのキムチを拡大いたしました。
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キムチの味は大切です。スーパーで売られている中で一番気に入っているのがこちらのキムチです。甘いキムチが多くなった中で本場に近い味わいですが、辛すぎないのも気に入っているのです。値段も手ごろです。
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材料の表示の部分を拡大いたしました。やはり大切なのはアミエビがたっぷり使われていることだと感じでいます。にくにく、生姜、魚醤、にら、いりこ、昆布も味わいを深めているように感じます。こちらも大阪の鶴橋で作られているものでした。製造元を見ると冷麺と同じ徳山物産でした。
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本場の味に近い冷麺が見つかったことで、1週間後にも食べました。この時は、ゆで卵を半熟にしてみました。
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麺の食感とスープの味わいを感じていたたきたくて拡大写真を掲載いたしました。写真をクリックすると縮尺は同程度で広い範囲を表示いたします。
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タグ:冷麺 韓国
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久々に、我家でヒキガエルを見つけました。 [動物]

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玄関わきの小さな土の部分の草取りをしていると土の中から蛙(カエル)が出てきました。久々に見るヒキガエルのようです。アマガエルは平均的に年に1回は家で見かけますが、ヒキガエルに関しては15年以上、家では見ることがなかったので驚きでした。それも庭ではなく玄関わきの小さな土のエリアでした。それですぐに写真を撮ったわけです。普段は水域から離れて生活している蛙ですが、繁殖時には水域が必要です。ここは住宅地で水がありそうな場所からは直線距離で360mは離れているので不思議でした。その点では家で見かけるアマガエルに関しても不思議に思っているのです。

全く、動こうとしませんでした。動かないのが危険を避ける行動なのだと思います。分類は下記の通りですが、ここは千葉県なので、東日本を中心に生息している亜種のBufo japonicus formosus(アズマヒキガエル)だと思われます。もう一つの亜種は鈴鹿山脈以西に住んでいるBufo japonicus japonicus(ニホンヒキガエル)です。東京近辺では2つの亜種同士の交雑が進んでいるそうです。耳線と背中のイボから毒液を出すので注意が必要だそうです。耳線からは毒液を飛ばすことが出来るので目を近づけないとともに、ふれた場合はよく手洗いをする必要があるそうです。 
  界 動物界      Animalia
  門 索動物門     Chordata
 亜門 脊椎動物亜門   Vertebrata
  綱 両生綱      Amphibia
  目 無尾目(カエル目) Anura
 亜目 ナミガエル亜目  Neobatrachia
  科 ヒキガエル科   Bufonidae
  属 ヒキガエル属   Bufo
  種 ニホンヒキガエル Bufo japonicus
(亜種 アズマヒキガエル Bufo japonicus formosus )?
 俗名 ガマガエル、イボガエル、ヒキ、ガマ、蟇蛙、蟇、蟆
 漢名 蟾蜍(せんじょ)
 英名 Japanese common toad 又は Japanese toad
 体長 6~18cm (想定体重:20~640g)
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まったく動かないので、気になって私が少し枝でつついたので、気が付いていることが分かったようで逃げる行動になり、この後、土に潜って隠れました。居座ってほしいのですが、その日以降は見かけていないので引っ越ししてしまったのかもしれません。寿命は最長で10年だそうです。いずれにしても元気にしていてほしいです。蛙(カエル)は両生綱・無尾目(カエル目)に分類される動物の総称で、日本には少なくとも6科43種(or 48種)が生息しているそうです。その6科はヒキガエル科(4)、アマガエル科(2)、ヒメアマガエル科(1)、アカガエル科(23)、ヌマガエル科 (3)、アオガエル科(9)です。世界全体ではカエルは約6500種が知られていて、ヒキガエル科は少なくとも50属・約590種がいます。日本には生息していませんが、ヒキガエル科の中で最も多い属がフキヤガマ属(Atelopus)の97種です。
クリックすると拡大ヒキガエル(ガマガエル)と言えば筑波山名物のガマの油です。昔はヒキガエルの耳後腺および皮膚腺から分泌される蟾酥(せんそ)が配合されたものもあったようですが、医薬品の規制により蟾酥(せんそ)が使えないことから、現在は代用のものが使われているようです。
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クリックすると拡大ヒキガエルで印象的なのがジブリ作品の「となりのトトロ」の中で主人公のサツキが夜のバス停(稲荷前)で初めてトトロに出会う場面です。クリックすると拡大目の前をヒキガイル歩いて通り過ぎた後にトトロが登場したのです。
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神戸勤務時代(入社時)の居酒屋にタイムスリップ 権太 [神戸]

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前記事「入社当時の懐かしい仲間との神戸の飲み会」で紹介した通り、私が会社に入社して、初めての勤務地が神戸でした。大阪の事業所に移動するまでの5年間の神戸勤務時代(入社から5年間)は思い出深いものでした。その時の方たちとの神戸で行われる定期的な飲み会は右の写真のの飲み会だけでしたが、最近、下記のように神戸および神戸周辺で行われるイベントへの参加が3つ(,,)に増えました。前記事ではの飲み会の2回目を紹介いたしました。まだ、1回目の飲み会を紹介していなかったので本記事を書くことにいたしました。その飲み会(忘年会)が行われたのはJR神戸駅の近くにある上の写真の権太という居酒屋でした。本写真をクリックすると特別に大きく(面積で16倍に)拡大するように設定いたしました。
実は入社した当時にも権太で宴会をやっていたのですが、今回の飲み会が始まった段階では判らなかったのです。クリックすると拡大あることを切っ掛けに神戸勤務時代にも、この権太で宴会が行われたことを思い出したのですが、それまでは初めて入った居酒屋と思っていました。右の写真は初参加のハイキング()です。
 神戸勤務時代(入社時)の人達との神戸周辺でのイベント
   10月に会社施設で行われる飲み会 (長く参加している)
   7月と12月に行われている飲み会 (初参加:2018年12月26日)
   年に8回行われるハイキング   (初参加:2019年04月20日)

右の写真が2018年12月26日にの飲み会に初参加した時のメンバーです。開始は17時30分でした。
下の写真は、昔ながらの雰囲気を感じていただきたいので、時系列的には後半ですが、ぼかしを入れて掲載いたしました。テーブル席と座敷とは引き戸で仕切られている昔ながらの居酒屋でした。右上の写真は飲み会の最後に全員で撮った記念写真です。前記事で紹介した夏の会(7月)に比べると冬の会(7月)は忘年会を兼ねているので参加人数は多いようでした。
上の欄で神戸勤務は5年間と記載いたしましたが神戸(神戸周辺を含む)は10歳から37歳の27年間ほど住んでいました。37歳からは関東に住んでいます。ただし実家は宝塚なので今でも神戸とは縁が深いのです。神戸の事業所に勤務したのは22歳の4月1日から27歳の3月31日でした。
 10歳~16歳 兵庫県神戸市東灘区  小学4年の夏に広島市井口から引越
 16歳~28歳 兵庫県宝塚市野上   入社時の住所 会社に通勤
 28歳~29歳 大阪府茨木市南春日丘 9ケ月間(マンション完成まで)
 29歳~37歳 兵庫県神戸市須磨区  その後、関東に引越し 
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宴会が始まる前の座敷です。幹事の人とお店の方との会話から時々、利用させていただいてるお店であることは判りましたが、まだこの時点では神戸勤務時代に宴会が行われたとは気が付いていませんでした。
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昔ながらの雰囲気のお店でしたが料理に関しては紹介したくなる内容だったのです。お店にお任せのコース料理です。先ずは前菜です。もちろんビールで乾杯いたしました。
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次は茶碗蒸しが出てきました。ここまでの雰囲気から和食が続くように感じられました。
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ビール以外の用意されていたお酒です。大きな写真から切り取ったので鮮明さがないことをおゆるしください。

ここで店主(大将)の余興の手品が行われたのです。そのしゃべり口調や手品の余興で私の記憶のスイッチが入ったのです。神戸勤務時代に何度か課の宴会で、こちらのお店を利用させてもらったことを思い出したのでした。店主は少し若かったけれども、その時の体験そのものでした。まさにタイムスリップしたような雰囲気でした。ほんと驚きました。


そして次の料理が出てきて、さらに驚かされました。見た目も味わいもフランス料理のような一皿が、一人一人に前に置かれたのでした。この後も大きな皿に乗せられた料理がコース料理のように出されたのです。
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料理の拡大写真です。白身魚と茄子とシシトウです。糸唐辛子の飾りつけがお洒落でした。
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次の料理です。こちらも1人前です。鶏肉料理です。
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こちらも拡大写真を掲載いたします。こちらもなかなかの一品でした。
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こちらも1人前です。この料理だけは皿全体を撮り忘れました。懐かしい話に夢中で忘れたようでした。久しぶりの人も多かったので、何度が席を移動しながら飲んでいたので、今回の場合は料理の撮り忘れもあったようでした。
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牛肉の部分を拡大いたしました。ここまでの3皿は驚きの圧巻でした。
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昔の話で盛り上がったので、神戸勤務時代(入社時)のサイクリングとソフトボール大会と運動会の写真を紹介します。
私の入社前から、みんなでサイクリングに行くのは課の伝統でした。2枚目の写真で中央に大きく写っているのが私です。私が写っているのは2枚目、4枚目、6枚目、9枚目です。もちろん今回参加された方も、かなり写っています。これらの昔の写真もクリックすると拡大するように設定いたしました。
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部署対向のソフトボール大会も盛んでした。真剣勝負であり、素人の私が選手として出してもらえることはほとんどありませんでした。8枚目のように審判はさせていただきました。部署の女性陣も沢山応援に来ていました。
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運動会も年に1回ほど行われていました。私は1枚目と3枚目に写っています。上で紹介のソフトボール大会も運動会も同じ場所です。会社の運動施設で野球部の練習施設でもありスタンドやスコアボードもありました。私が配属になった課の大先輩にも都市対抗でピッチャーをした人もおられて神宮球場でも投げたと言われていました。その人は今は東京に住んでいるためにの飲み会のメンバーではありませんが、の飲み会のメンバーであり、同じゴルフクラブに入会しているので時々ゴルフもしています。
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メインの肉料理が出されたので、料理は終わりなのかと思っていたら、豪華な焼きガニも出されました。この時間帯になると自分の席には座っていないので、目の前に出されたものをいただきました。
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さらに、かき揚げ天麩羅です。初めて4人分が盛られて出されました。席を移動する人が増えてくることを、店主もよく分かっておられるのだと思います。手元に天つゆがなかったので塩でいただきました。


この時間帯の座卓の上の写真です。
皆さんを撮った右の写真から切り取りましたが、やはり撮り忘れた料理がありました。ステンレス製のトングが乗せられた料理です。こちらも4人ごとにまとめて出されたようです。
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豆腐にメザシが乘った一品も出されました。豆腐にメザシを乗せたのは珍しいです。メインの肉料理の後に少なくとも4品が出されたことになります。懐かしい仲間との会話だけでなく料理も楽しませていただきました。
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ちゃんと、最後はデザートも出されました。デザートが出されたのが宴会が始まって2時間2分でしたが、この後も盛り上がって宴会が終わったのはちょうど1時間後の20時32分でした。
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今回の宴会が行われた権太の場所をGoogle地図で紹介します。
 店名 食通 権太(ごんた)
 住所 兵庫県神戸市中央区相生町2-2-8
 建物 新神戸ビル西館 1F
 電話 078-341-5543
 定休 日曜日
 営業 11:00~13:30 17:00~22:30
 最寄 JR・神戸駅 徒歩170m


二次会はタクシーで三宮のスナック(Bar)に行きました。お店の名前はシェ モア(Chez Moi)です。権太を20時32分に出て4分後の20時36分にはお店に着いていました。私は真中ですが、私の右側の1人と左側の2人は、私の神戸勤務時代の人ではなくて、私が東京に転勤になり、そこに新入社員とし配属になり最近、神戸に転勤になったよく知っている後輩たちなのです。別の形で懐かしい人たちです。勤務地の経験は今回紹介した神戸以外に大阪と東京の3ケ所でした。5ケ所の勤務地ではありますが、全て知っている人たちとの数百人単位の移動でした。
右の2枚の写真を撮ったのは23時41分で、スナックを出たのが23時45分だったのでここでも3時間越えの3時間9分の宴会でした。権太の3時間2分と合わせると合計6時間11分の飲み会となりました。

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