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岩国城の麓の城(御土居)跡に建立された吉香神社(きっこうじんじゃ) [山口県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真は山口県岩国の錦帯橋の近くにある吉香神社の一ノ鳥居です。真直ぐに進むと順にニノ鳥居、神門、拝殿、本殿があります。
吉香神社は前記事の武家屋敷 旧目加田家住宅で紹介した古地図の中の御城跡と書かれている場所に1884年(明治17年)に建立されました。吉香神社の社殿(本殿、拝殿、神門など)は元々は西側に隣接した白山比咩神社内に吉川興経を祀る治功大明神として1728年(享保18年)に造営されたもので1884年(明治17年)に移築に近い形で建立されたそうです。

クリックすると拡大クリックすると拡大古地図(作製年不明)の中に吉香神社の文字はなく御城跡と書かれていることから、古地図が描かれたのは幕末から吉香神社が建立された明治17年までの間に作られたと思われます。さらに絞り込むとするならば廃城令が出た1873年(明治6年)から1884年8(明治17年)の間の可能性が高い気がします。右の小さな古地図に白山社と書かれているのが、白山比咩神社です。
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クリックすると拡大上の古地図を部分的に切り取った全体の古地図である旧岩国城下図(横山)を紹介します。旧岩国城下図(横山)は錦川の右岸(上流から見て)の地図で、上流から見て左岸の地図が右の慶応絵図「岩国城下図(錦見)」です。右の小さな古地図をクリックすると横山地区と錦見地区の両方が描かれた古地図を表示します。
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現代の航空写真で吉香神社と白山比咩神社と武家屋敷(目加田家住宅)の位置関係を紹介します。岩国城は関ヶ原の戦いの1年後の1601年に吉川広家が築き始めた城です。戦時のために山上と、住むために麓の2ケ所に城が築かれました。麓(ふもと)の城(御土居)は1602年に完成し、山上の城(横山城)は7年を費やして1608年に完成しました。山上の城は4重6階の唐造りの見事な天守閣を持つ城だったそうです。山上の城が堅固であったことと、城が2ケ所に分かれていたことが悲劇を生みました。徳川幕府(1603年~1867年)の一国一城の令により山上の城は完成からわずか7年後の1615年に廃城させられたそうです。麓の城(御土居)は岩国領の陣屋として明治維新まで存続したそうです。明治になった、その麓の城(御土居)跡に白山比咩神社から社殿が移築されて吉香神社になったわけです。
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吉香神社の部分を拡大して参道が水平になるように回転させました。左端の掘から拝殿までを撮った写真で紹介したいと思います。
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堀を渡る石橋の上からの景色です。写真の中の建物は錦雲閣(きんうんかく)です。錦雲閣は旧藩時代の矢倉に似せて1885年(明治18年)に造られた絵馬堂です。岩国市の登録有形文化財となっています。
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岩国城の天守閣からは錦雲閣を見ることが出来ました。クリックすると拡大拝殿や本殿は木が多くて全体は見れませんでしたが黄色の丸印(〇)の部分に本殿の屋根を見ることが出来ました。写真をクリックすると本殿の屋根が写った写真を表示します。
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冒頭の写真の一ノ鳥居です。
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進んでいく道の右側に茶店のような建物がありました。調べてみると星出茶屋で食事などが出来るようです。
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更に進むとニノ鳥居がありました。
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こちらが社殿の入口の神門です。12月23日ですが既に門松が置かれていました。
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神門を拡大いたしました。本写真をクリックすると特別に大きく(面積で16倍)拡大いたします。
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神門から拝殿に向かう途中の左側の景色です。


こちらが吉香神社の拝殿です。奥に本殿があります。
吉香神社は岩国藩主の祖先吉川元春公が、天文年間安芸国山県郡新庄村日の山城主の時、一祠を建て祖霊を奉祀したことに始まるそうです。慶長5年吉川広家は関ケ原役後雲州から岩国に移封されたが、このとき当地横山に居館を構え築城し、正徳年間に本社をこの地へ奉遷し、居館の西、城山のふもとに社殿を造営したそうです。明治4年に廃藩置県の令があり、同年5月に吉川経健は東京に帰住後、有志数百人と相はかり同7年本社を後世に残すべく認可をうけて8神を合祀して吉香神社と称したそうです。
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内部が写っている部分を拡大いたします。格子の奥が本殿です。
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本殿の位置を紹介するためにGoogleマップの航空写真を掲載いたしました。マイナスのアイコン(-)を5回クリックすると岩国城天守と錦帯橋が表示されます。


堀に架かる石橋から拝殿前までのストリートビュー(SV)を紹介します。
さらに調べてみると二ノ鳥居から岩国城の山頂駅までの徒歩ルートもSVで見ることが出来ました。→ ポチッ① ポチッ②
山頂への道は徒歩はOKですが、自転車を含む車両は通行できません。→ ポチッ


上で触れた横山地区と錦見地区の両方が描かれた古地図を紹介します。吉香神社のところは屋敷と書かれていることや岩国村の文字があることから江戸時代の古地図だと思います。古地図は山口県文書館などから転用させていただきました。錦帯橋も描かれています。
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