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岩国高校記念館 [山口県]

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クリックすると拡大前記事で紹介した香川家長屋門の次に来たのは岩国高校記念館(岩国高等学校記念館)です。上の写真は岩国高校記念館が建っている広場の入口で二本の石の門柱は昔の岩国高等学校や岩国高等女学校に使われていた門柱と似たものです。右の写真をクリックすると大きな写真を表示するので比較しやすいと思います。下向きの黄色の矢印が私の母です。

下側の赤色マーク( )が香川家長屋門で、上側の赤色マーク( )が岩国高校記念館です。
錦帯橋→佐々木屋小次郎商店(ソフトクリーム)→香川家長屋門→岩国高校記念館→吉香鵜の里(鵜飼育施設)→岩国シロヘビ館→白山比咩神社→旧目加田家住宅→吉香公園の噴水→吉川家(岩国藩主)墓所→永興寺→錦帯橋と紫色ライン(━━)を反時計回りに歩きました。
広場に入ってすぐに右側を向くと正面に緑の中に岩国高校記念館が見えました。
岩国高校記念館は山口縣立岩國高等女學校の校舎の一部を基にして1916年に旧制岩国中学校(現在名:山口県立岩国高等学校)に建てられた御大典記念武道場です。当時の岩国高等学校及び岩国高等女学校のの雰囲気を今に伝えている唯一の建物のようです。御大典記念武道場には岩国高等女学校の建物の一部が使われて建てられたとの記載もありました。
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クリックすると拡大こちらが岩国高校記念館です。建物の中が知りたくてネットで確認すると右の写真が掲載されたサイトがありました。卒業生から講演「岩国高等学校の歴史を学ぶ」を在校生が聞く場面の右の写真が掲載されていました。想像していた以上に立派できれいに整備されていると感じました。
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こちらが正面の入口です。右側にかけられている看板には横山自治会館と書かれていることから、自治会館としても使われているようです。
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入口の屋根の部分を拡大いたしました。
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斜めから撮った岩国高校記念館です。
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宇野千代さんの石碑が建てられていました。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校の跡地の記事の中で紹介したように宇野千代さんは山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。クリックすると拡大多才な小説家で4度結婚(藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫)するなど多くの著名人との恋愛・結婚遍歴も有名で一度は卒業名簿から除名されましたが、世の中の価値観が変わってくるとともに積極的に宇野千代の出身校であることを宣伝されるようになったそうです。小説家だけでなく随筆家、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていました。
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花水木(ハナミズキ)も有名なようです。1912年(明治45年)に日本からアメリカに3000本の桜の苗木が送られてワシントンのボトマック湖畔で見事に花を咲かせたことは有名な話ですが、その桜の苗木の返礼として1915年に花水木が送られたことはあまり知られていない話です。そのことの75周年を記念して植樹されたことを記載した説明版でした。
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こちらの出口から次の目的の吉香 鵜の里(鵜飼育施設)に向かいました。
現在の広大な吉香公園は旧山口県立岩国高等学校の跡地に造られた大公園で、日本歴史公園百選にも選ばれたそうです。岩国中学校は藩校「養老館」の流れをくみ、明治13(1880)年に養老館の跡地に創立され、明治18(188))年に現在の岩国徴古館の位置に移された後、明治34(1901)年に吉香公園の地に移転したとネットに書かれていました。岩国高校記念館は岩国中学校〜岩国高等女学校〜山口県立岩国西高等学校(後の岩国高等学校)で使われてきた由緒ある建物とも書かれていました。
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私が3歳の時の錦帯橋の前で撮った記念写真です。真ん中が岩国高等女学校に通っていた母で、1番右が岩国高等学校に通っていた叔父さんです。1番左が母方の祖母です。手前の子供が私と姉です。母も叔父さんも岩国駅近くの家から学校までの通学のために毎日約10km(往復)を歩いて通っていました。
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山口県立岩国高等学校の沿革を紹介します。2021年は創立141年になり、藩校の養老館からだと174年目になります。クリックすると拡大
一番下の写真はネットから転用させていただいた山口県立岩国高等学校・川西校舎の写真です。撮影は1963年なので5年後の1968年に岩徳線の向山の新校舎に移転いたことになります。この航空写真の場所には、元々は右の写真の母の通っていた山口県立岩国高等女学校がありました。右上の小さな写真をクリックすると9枚の写真を表示します。
青色:男子校 赤色:女子校 黒色:共通 黄緑色:参考
 1847年       前身となる藩校「養老館」が設立
 1868年10月23日 明治元年
 1880年08月15日 横山上口の養老館に山口県立岩国中学校が創立
 1884年03月01日 統合により山口県立山口中学校岩国分校となる
 1885年04月    校舎が完成(現在の徴古館の場所)
 1885年~      吉香公園(横山公園)の前身となる吉香神社の庭園整備
 1887年03月    山口中学校岩国分校が廃止、岩国高等小学校別科が設置
 1887年12月    岩国学校に改称
 1888年01月    山口県玖珂郡岩国学校に改称
 1890年04月01日 防長教育会の管理のもと私立岩国学校に改称
 1897年09月01日 私立岩国学校が県立移管 山口県尋常中学校岩国分校
 1899年04月01日 中学校令の改正により山口県山口中学校岩国分校に改称
 1900年04月01日 山口県山口中学校より分離し山口県岩国中学校に独立
 1901年05月15日 山口県立岩国中学校に改称
 1902年04月01日 山口県玖珂郡立実業補修女学校が創立(明治35年)
 1903年04月01日 横山の元・岩国中学校舎に移転
 1907年04月01日 山口県玖珂郡立岩国女学校と改称
 1909年04月01日 山口県玖珂郡立岩国高等女学校と改称
 1914年03月    宇野千代が岩国高等女学校を卒業
 1915年01月13日 岩国町大字川西の新校舎に移転 現:川西第一街区公園
 1916年06月    御大典記念武道場(現在の岩国高校記念館)が完成
 1918年10月31日 校旗を制定 八稜鏡の絵を背景に「高女」の文字を置く
 1923年04月01日 県立移管 山口県立岩国高等女学校に改称(大正12年)
 1929年04月05日 岩徳線が開業
 1940年04月01日 岩国市発足 岩国町 麻里布町 川下村 愛宕村 灘村が合併
 1941年12月08日 太平洋戦争の開戦
 1944年       光海軍工廠などへ学徒動員が開始
 1945年04月    学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続
 1945年08月15日 太平洋戦争の終結
 1945年09月    学校での授業を開始
 1947年04月01日 学制改革 六・三制の実施
 1948年04月01日 新制高等学校 山口県立岩国高等学校(男子校)が発足
 1948年04月01日 新制高等学校 山口県立岩国第一女子高等学校が発足
 1949年03月31日 併設中学校を廃止
 1949年04月01日 統合により山口県立岩国西高等学校・川西校舎となる
 1950年04月01日 統合により山口県立岩国高等学校に改称
 1960年04月16日 川西駅が開業
 1960年11月01日 岩日線(現:錦川清流線)が開業
 1968年04月18日 岩国中学校敷地跡の吉香公園が都市計画総合公園となる
 1968年06月01日 全学年を向山の新校舎に移して川西校舎を廃止
 1999年04年01年 川西校舎跡地に川西第一街区公園を開設


昔の岩国高等学校の写真を紹介したくてネットから山口県立岩国中学校(男子校)とクリックすると拡大山口県立岩国高等女学校の写真を転用させていただきました。こちらが門の表札の通り山口県立岩国中学校です。今でも存在している吉香公園と紅葉谷公園への右の案内板が写っています。右方向が吉香公園で左方向が紅葉谷公園です。背景にある山の形状は吉香公園の岩国高校記念館あたりから岩国城天守方向の形に似ています。→ポチッ
そのことからこちらの建物は現在の広くなった吉香公園の中に建っていたと想像されます。つまり、この時代にも吉香公園があったけれども、山口県立岩国中学校の敷地外に広くなる前の吉香公園が山口県立岩国中学校の敷地外にあったように感じます。調べてみると吉香公園は1885年に旧岩国藩主であった吉川家の氏神社である吉香神社が現在の所在地(吉川氏の居館跡)へ移設されたのに合わせ、同神社の境内および付属地が庭園として整えられたのが始まりで、その時のを公園が右上の案内板で示している公園で、その後、山口県立岩国中学校が川西地区に移転して1968年4月18日に都市計画公園の総合公園の指定を受けて今に至るとのことです。
山口県立岩国中学校の名前が使われていたのは1880年08月15日~1884年02月29日と1901年05月15日~1948年03月31日です。
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こちらが山口県立岩国高等女学校の写真です。山口県立岩国高等女学校の名前が使われていたのは1923年04月01日~1948年03月31日です。門の石柱が、冒頭の写真の広場の入口の石柱と同じ形のなのが判っていただけると思います。
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今は宝塚の実家に住んでいる母の岩国女学校時代の写真を紹介します。黄色の矢印(↓)が母です。クリックすると2倍(面積で4倍)に拡大するので矢印が判りやすいと思います。表示された写真が小さい場合は、その写真をもう一度クリックしてみてください。
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タグ:岩国 錦帯橋
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香川家長屋門 岩国藩家老の家の表門 [山口県]

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前記事で紹介の通したソフトクリームを食べた後に錦帯橋の北西側(錦川の右岸側)の横山地区(旧 横山村)を散策いたしました。最初に訪れたのが上の写真の岩国藩の家老香川氏の表門です。香川家長屋門と呼ばれています。1693年 (元禄6年) に香川正恒(かがわ まさつね)が大工の大屋嘉左衛門に命じて建立したと伝えられています。岩国市の建造物としては最も古いものの一つで、当時の武家屋敷の構えをよく残しています。塀の内側は個人宅のためになどには入れません。ちなみに城や武家屋敷があった錦川の右岸(錦帯橋の北西側)が横山地区であるのに対して、商人たちが住んでいた錦川の左岸(錦帯橋の南東側)は錦見地区です。

場所は佐々木屋小次郎商店から歩いて1分ほどの距離です。この航空写真内の赤色マーク( )のところです。
錦帯橋→佐々木屋小次郎商店(ソフトクリーム)→香川家長屋門→岩国高校記念館→吉香鵜の里(鵜飼育施設)→岩国シロヘビ館→白山比咩神社→旧目加田家住宅→吉香公園の噴水→吉川家(岩国藩主)墓所→永興寺→錦帯橋と紫色ライン(━━)を反時計回りに歩きました。
 香川家長屋門
 佐々木屋小次郎商店
 食事処 むさし


門の正面から見た入口の部分です。桁行23.29m、梁間4.85mで、屋根は入母屋造りで本瓦葺きで、正面に向かって左寄りに出入り口があり、大小の扉がしつらえていて、門の左側に茶屋が設けられており、右側は三部屋に分かれ、仲間部屋、武道場(板敷)、馬屋に当てられていたそうです。
一般的に長屋門は上級武士の住宅の表門で、江戸時代に多く建てられた門で、門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用されたそうです。始まりは、諸大名が自分の屋敷の周囲に、家臣などのための長屋を建て住まわせていたが、その一部に門を開いて、一棟としたのが長屋門だそです。
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正面からの長屋門の全景が撮れなかったので離れた道からのストリートビュー(SV)を2画面紹介します。木が沢山あって判りにくいけれども入口は長屋門の中央ではなく向かって左寄りにありました。下段が真正面ですが木が多いので上段も掲載したわけです。



こちらが香川家長屋門の説明板です。クリックすると読める大きさに拡大しますが、内容を枠内に転記いたします。
山口県指定文化財
 一 建造物   香川家長屋門一棟
 一 指定年月日 昭和四十一年六月十日 山口県有形文化財
 一 管理団体  岩国市
説 明
 香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で今から二百七十年余前香川正垣が建造したもので建築面積123,14平方メートル江戸時代の武家門造の典型として城下町岩国をしのぶ好個の資料である。
 香川家は初め芸州(広島県)八木城主で吉川広家が岩国に移封された当時客分から家老に取り立てられた名門であり、かの歴史的に有名な陰徳太平記は正垣の父正矩苦心の作で正垣の弟景継が大成したものであります。その他香川家からは為政者あるいは歌人の優れた人物が輩出しています。この長屋門は昭和三十年一月二十五日山口県指定文化財顕彰規定により指定されていますがその後昭和四十年山口県文化財保護条例が制定さら同四十一年六月十日山口県有形文化財の指定を受けました。
 なお、この建造物は当主香川晃氏から昭和三十年十月二十五日、岩国市に寄贈されています。
岩国市教育委員会
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古図に書かれていた香川家の場所を紹介します。緑色で囲ったところが香川家の敷地です。赤色で囲っているのが以前に紹介した目加田家です。御城跡と書かれているところが、麓の岩国城(御土居)の跡で現在は吉香神社があるところです。
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長屋門を過ぎて塀に沿って歩いて右に曲がったところの景色です。右の塀は長屋門から続いていました。
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香川家長屋門の紹介の30秒の動画がネットにあったので掲載させていただきました。サイトの名前はやまぐち映像図鑑です。


この奢侈化のように、錦帯橋のソフトクリームを紹介したやまぐち映像図鑑動画の背景にも香川家長屋門が出てきました。下の写真は動画のハードコピーで、クリックすると香川家長屋門が出てくるところからの動画を表示します。
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タグ:錦帯橋 岩国
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佐々木小次郎店で恒例の錦帯橋のソフトクリームが食べれました。 [山口県]

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前回に錦帯橋に来た2020年12月23日は、いつもソフトクリームを食べていた「佐々木屋小次郎商店」が右の写真のようにクリックすると拡大閉まっていたので、その時の記事で紹介した通り対抗店の「食事処むさし」で初めてソフトクリームを食べました。2013年から14回ほど錦帯橋に来ていたので、もしかしたら新型コロナの影響で閉店してしまったのではないかと心配していましたが、上の写真の通り2021年9月18日に来てみると、うれしいことに営業していました。周辺ではたくさんの人がソフトクリーム食べておられたので、一先ず安心ました。

さっそく食べてみることにいたしました。
今回、ソフトクリームを佐々木小次郎店で食べたので前回紹介したリストを下記のように更新いたしました。昼食場所に人数を書いていないのは、叔父さんと叔母さんと母と私の4人です。
  墓参り年月 昼食場所     食べた店 ソフトクリームの種類数
  2013年03月 山賊
  2013年08月 山賊
  2013年09月 錦果楼
  2014年03月 山賊
  2014年09月 山賊
2014年12月 山賊       小次郎  140種(むさし)
2015年03月 山賊       小次郎  140種(むさし)
2015年08月 山賊       小次郎
2015年12月 山賊       小次郎
2016年03月 山賊       小次郎
2016年09月 山賊       小次郎
2016年12月 山賊       小次郎
  2017年03月 山賊
2017年09月 山賊       小次郎  165種(むさし)
2017年12月 山賊       小次郎  165種(むさし)
  2018年03月 岩国四川飯店 6人
2018年08月 よ志だ新館    小次郎
2018年09月 わたぼうし    小次郎
2018年12月 山賊       小次郎    
2019年03月 岩国四川飯店 5人 小次郎
  2019年09月 アリス(新岩国駅前)
  2019年12月 たんぽぽ 2人
  2020年09月 列車内 1人
2020年12月 列車内 1人     むさし  170種(むさし)
  2021年03月 列車内 1人
2021年09月 列車内 1人     小次郎
          小次郎:佐々木屋小次郎商店  むさし:食事処むさし
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今回はじっくり時間をかけて選んでみることにしました。
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その時に目に入ってきたのがトッピングでした。好きなソフトクリームにトッピングができるのです。ソクトクリームの種類を選ぶ前に、6種類あるソースの中からベリーベリーソースをトッピングすることを先に決めました。そしてベリーベリーソースに合うソクトクリームを選ぶことにしました。
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選んだのが中央のフローズンヨーグルトでした。シンプルな味がクリックすると拡大ベリーベリーソースに合うと思って選びました。下の写真は右の写真から切り取りました。右の写真をクリックするとソフトクリームの名前が判る大きさに拡大いたします。
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そのソフトクリームがこちらです。自分を褒めてあげたくなる選択でした。ベリーベリーソースは6種類のベリー(ラズベリーやブラックベリーなど)を使っているそうです。ソウトクリームを乗せるコーンにはレギュラーコーンとワッフルコーンがありますが、ワッフルコーンにいたしました。
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食べながら上からの角度でも撮りました。
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食べながらお店の写真を撮りました。
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お店の方にピントを合わせて撮ったソフトクリームとお店のツーショットの写真も紹介します。ソフトクリームのトッピングには次の6種類がありました。右の写真はクリックすると特別に大きく拡大します。
クリックすると拡大 パラパラ        30円
 チョコレートソース   60円
 キャラメルソース    60円
 コーヒーソース     60円
 いちごソース      80円
 ベリーベリーソース 100円
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錦帯橋のソウトクリームを紹介した30秒の動画がネットにあったので掲載させていただきました。サイトの名前はやまぐち映像図鑑です。ベリーベリーソースのかかったソフトクリームの画像の部分からスタートするように設定いたしました。動画が終わると頭から再度流れるように設定いたしました。スタート画面の背景にある門は、次の記事で紹介する香川家長屋門です。


2014年12月から食べたソフトクリームの写真を紹介します。残念ながら2014年12月と2018年08月は私が食べたソフトクリーム自体は撮っていませんでした。ソフトクリームの写真をクリックすると大きく拡大いたします。
  2014年12月      2015年03月      2015年08月
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  2015年12月      2016年03月      2016年09月
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  2016年12月      2017年09月      2017年12月
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  2018年08月      2018年09月      2018年12月
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  2019年03月      2020年12月       2021年09月
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むさし店と佐々木小次郎店の位置を地図で紹介します。長州屋の位置も判ると思います。右下の橋が錦帯橋です。マイナス(―)のアイコンを1回クリックすると錦帯橋全体が表示されます。クリックすると拡大
 店名 佐々木屋小次郎商店
 住所 山口県岩国市横山2-5-32
 電話 0827-41-3741
 営業 09:00~19:00 冬場は早仕舞いあり
 定休 不定休
 SV https://goo.gl/maps/Tu8ugoD171DZLqRw6


追伸
前記事(錦帯橋 2021年台風14号通過直後の動画)の追伸の中で紹介していたお台場の撮影スタジオで撮った娘のウエディング写真が届いたので紹介します。

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錦帯橋 2021年台風14号通過直後の動画 [山口県]

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前記事で紹介の通り錦帯橋には2021年9月18日の13時32分に着きました。台風14号が近くを通過した翌日です。

錦帯橋周辺には何度も来ていますが、気になっていたけれども行ったことがなかったのが沢山残っていたので訪れることにいたしました。初めて訪れた場所が赤色マーク( )のところです。次回以降にそれらを紹介したいと思います。本記事では台風の後の錦帯橋を動画を交えて紹介したいと思います。紫色ラインがサンサクルートで、錦帯橋→佐々木屋小次郎商店(ソフトクリーム)→香川家長屋門→岩国高校記念館→吉香鵜の里(鵜飼育施設)→岩国シロヘビ館→白山比咩神社→旧目加田家住宅→吉香公園の噴水→吉川家(岩国藩主)墓所→永興寺→錦帯橋と紫色ラインを反時計回りに歩きました。錦帯橋を渡ってパンサーで岩国寿司を買い岩国国際観光ホテルまで行き、タクシーで新岩国駅まで行き16時35分の新幹線で帰りました。
 初めて訪れた場所
 今までに訪れた場所(今回も訪問)
 今までに訪れた場所(今回は行かず)


クリックすると拡大こちらが錦帯橋の近くに立てられていた案内板です。クリックすると文字が読みやすい大きさに拡大します。吉香公園には昔の岩国高等学校(岩国高校)があり叔父さんが岩国駅の近くから徒歩で通っていました。右の錦帯橋を背景に撮った小さな写真の中の右端が、その叔父さんです。あとは祖母と母と姉と私です。
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こちらは前回の2020年12月23日に錦帯橋に来た時の写真です。普段は第三橋と第四橋の部分だけに水が流れる程度ですが、今回は台風の後だけに冒頭の写真のように第一橋~第五橋の全ての下を水が流れていました。第三橋と第四橋の部分であっても普段は橋脚の下は水に洗われることはないようですが、今回は全ての橋脚が水に洗われていました。
クリックすると拡大 橋名 錦帯橋
 川名 錦川
 完成 1673年(初代落成) 348年前
 形式 5径間木造アーチ橋
 全長 193.3m
 幅  5m
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台風の後だけあって水が勢いよく流れていました。その様子を動画を撮りました。興味のある方は是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。


静止画(写真)でも水の勢いがある下流側を紹介します。
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箸の上流側静かでした。実は橋の部分で少し水を堰き止められていて水が少ない時でも鵜飼が出来るようになっているのです。
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この写真を見ていただくと、上流側と下流側の水野勢いの違いが判っていただき目と思います。右側が上流側で左側が下流側です。
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この松が以前にも紹介したことがある槍倒し松(やりこかしまつ)です。橋の上からは初めて撮ったので紹介させていただきました。
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ここからが戻りの時に撮った写真です。下流側の写真です。水の勢いは変わっていませんでした。右端に写っている松が「槍倒し松」です。
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水の緩やかな上流側で釣りをされている方がおられました。水面に映った錦帯橋の影が印象的でした。
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写真を拡大されていただきました。
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下流側でも水の静かなところで釣りをされている方がおられました。今回の台風14項のルートはことらです。→ホチッ
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追伸
2021年10月5日の早朝から、また関西に行きます。今は関西に滞在する機会が増えているのですが、結婚した娘たちとの記念写真を撮るために関西から10月1日に関東に帰ってきました。新型コロナのため結婚式はお預けなので記念写真だけは撮ることにしたようです。10月2日にお台場にある撮影スタジオ(ルミナス/LUMINOUS)に行って撮ってきました。いろんなセットがあって下の写真はその中の一つです。娘たちがそれぞれの独身寮から新居に引っ越したのは9月23日と9月25日でした。


撮影に立ち会ったのは1時間程度だったので、撮影が終わるまではこちらの写真の待ち合わせ場所のテレコムセンター西棟の5階にあるラウンジで過しました。14時30分から始まって、こちらのラウンジで会えたのは20時だったので準備なども含めて撮影には5時間30分かかったことになります。ゆっくりと話が出来ました。撮影スタジオは東棟7階でした。
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台風14号の後の山口県への墓参り 岩徳線 [山口県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2021年9月18日に兵庫県の宝塚の実家から日帰りで、山口県の周防久保に墓参りに行ってきました。クリックすると拡大実は前日の9月17日に台風14号が山口県を通過することはわかっていましたが、9月17日の朝に天気予報を確認すると周防久保あたりは9月18日は朝から晴れているとの情報により9月18日に墓参りに行くことにしました。早朝に出発することから前日の9月17日に切符を購入いたしました。上の写真は新大阪で撮った「さくら541号」です。

下記が新大阪から周防久保までの実際に乗った列車とバスです。実は新大阪6時50分発の「さくら543号に」に乗っても徳山で9時00分発のバスには間に合うのですが、ある理由により6時25分発の「さくら541号」に乗ることにしたのです。切符は自由席にしていたので変更は問題ないのです。
早朝に起きて運行状況を確認すると岩徳線が台風のために運行見合わせになっていたのです。周防久保に行くまでは問題ありませんが、墓参りの後は岩徳線に乗って川西駅まで行き、錦帯橋のあたりを散策して新岩国から帰ることにしていたからです。完全に運行停止になっていた場合は、徳山からタクシーで墓との間を往復して徳山から帰ることに変更する判断を、徳山駅でする必要があったからです。新大阪6時50分発に乗ると、確認したり、判断する時間がほとんどなかったからです。
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広島で乗り換えてからは快晴に近い天気でした。
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こちらは徳山駅です。JRの駅員の方に確認すると11時に復旧させるようにしているとのことで、予定通りバスで周防久保まで行き墓参りの後はクリックすると拡大周防久保11時34分発(徳山11時14分発の列車)の岩徳線に乗ることにいたしました。周防久保駅は無人駅なので、運行状況をどのように知ればよいかを聞くと徳山駅から放送が右の写真のスピーカーから流れると教えてもらったので、安心してバスに乗って墓参りに行きました。スピーカーの写真は周防久保駅で撮りました。
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予定が決まるとお腹がすいてきました。朝早く宝塚の実家を出てから朝食を食べていないのを思い出しました。この日は車内販売がなかったのです。駅のコンビニでおにぎりとお茶を買いました。広島菜と高菜のおにぎりがあったので即買いました。
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こちらが「広島菜と鮭わかめ」のおにぎりです。麦も入ったおいしいおにぎりでした。
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こちらが「高菜炒め」が入ったおにぎりでした。
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予定通り9時発の兼清行のバスに乗りました。
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予定通り9時33分ごろに久保駅前に着きました。教会のの左側にある建物が岩徳線の周防久保駅の駅舎です。以前にも紹介した通り無人駅です。バスの本数も少なく、タクシーもないので、もし岩徳線が止まったらかなり苦労する場所なのです。
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墓に向かう道端の彼岸花は満開でした。
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お墓のあるお寺に着きました。周辺を掃除して持ってきた花を飾って、線香に火をつけてお彼岸のお参りをした後に、母や姉に見せるために右の記念写真を撮りました。私が着いた時には菊の花が飾られていたので、私の前に父方の従妹が来てくれたのだとわかりました。父方の従妹は下関と広島に住んでいるのです。
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墓参りの後はとりあえず周防久保駅まで来ました。台風14号による倒木は周防久保(すおうくぼ)と大河内(おおかわち)の間であったとの情報がネットに書かれていました。近いところで倒木があったのに驚かされました。
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徳山駅の駅員の方が教えてくれた徳山駅からの放送スピーカーがありました。乗車予定の11時34分までは時間があったので気長に待つことにいたしました。
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復旧予定の11時になっても放送がないので、少し不安になってきました。ネットで運行状況を確認しても「運転見合わせ」のままで、運行再開の情報はありませんでした。徳山駅に電話して確認しようと電話番号を調べているときに、11時30分に復旧見込との放送が流れました。さらに写真のように列車が到着するランプも点灯いたしました。
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岩徳線の運行再開が遅れる場合は、12時:47分発あるいは13時32分の防長バス で徳山に行くこともありうるので、岩徳線の乗車券(切符)を買わないで待っていました。遅れているけれども列車が来ることが分かったので川西駅までの切符を買いました。実はここからが長かったのです。
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放送の内容が判るように動画を撮りました。興味のある方は是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。この放送の後に隣の生野屋(いくのや)駅に着いたとの放送がありました。本来ならば生野屋から5分で周防久保に着くはずなのですが、15分近く待たされました。


スマホの運行状況画面です。
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列車に乗り込んで5分で着くはずなのが15分もかかった理由がわかりました。線路上の安全を確認するために恐ろしくゆっくり走っていたのです。感覚的な速度は15km/hでした。つまり自転車でゆっくり走ると程度のスピードだったのです。台風が通過後に初めて走行するので仕方がないと思いました。
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かなり遅れることを覚悟していましたが、単線のすれ違い駅である周防高森駅を過ぎると順調に走り始めました。対向車が周防高森駅より先は線路上の障害物の有無を確認しているので、通常のスピードで走り始めたのだと思います。
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順調に走り始めた動画を紹介します。以前に紹介した錦川清流線との合流地点の動画も入っています。列車のスピードを比較できると思います。


川西駅に着きました。結局12時21分到着予定が13時19分になったので58分遅れで済みました。最初の調子だし1時間30分は遅れると感じていたのです。
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川西駅を降りる階段です。
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岩徳線の全駅をプロットいたしました。左端(西端)が徳山駅で右端(東端)が岩国駅です。徳山駅から4つ目の駅が周防久保駅で、岩国駅の2つ手前の駅が川西駅です。真ん中あたりの単線のすれ違い駅である周防高森駅があります。


錦帯橋には13時32分に着きました。前回来た時に見れなかったところを散策しました。次回からそれらを紹介したいと思います。本写真をクリックすると特別に大きく拡大(面積で16倍)するように設定いたしました。
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今回の台風14号のルートをアニメーションで紹介します。周防久保に台風が接近した時(2021年9月17日21時ごろ)にアニメーションを一旦停止(8秒)させています。その時の中心気圧は992hPaで最大風速は23m/sでした。台風14号のアニメーションを転用させていただいたサイトです。→ポチッ
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