本佐倉城のマスコットキャラクター「勝っタネ!くん」 [千葉]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2023年2月21日再掲載 タイトル:本佐倉城のマジを再掲載
先日、臼井城の記事を掲載した機会に本佐倉城の記事をブラシュアップして再掲載いたしました。大きな城でありながらあまり知られていない城です。
右の図は臼井城の配置図です。臼井城も本佐倉城も佐倉城より前からあった城です。
2015年11月29日掲載
タイトル:本佐倉城のマスコットキャラクター「勝っタネ!くん」
2015年11月24日に、地元産の新ソバが11月下旬から食べれる蕎麦屋「みなもと」で新蕎麦をいただきました。蕎麦屋の場所は千葉県印旛郡酒々井町尾上123-25で、その帰り道の近くに本佐倉城があります。そこで本佐倉城に行ってみることにいたしました。千葉県には沢山の城跡が残されていますが、佐倉周辺の城跡の中で大きなものが次の3つです。その中の本佐倉城は上の図のように規模が大きいにも関わらず、一般には知られていないようなので、今回、紹介したいと思い記事にいたしました。本佐倉城に来て写真を撮ったのは下記の3度目です。家内と来たのは今回が初めてでした。家内も、これだけの規模で国の史跡にも関わらず、あまり知られていないのはもったいないとの感想でした。
2013年11月06日 14時ごろ EOS 5D
2015年09月28日 09時ごろ EOS 5D
2015年11月24日 13時ごろ G7X
3つの城の場所と年代を紹介いたします。ちなみに江戸時代は1603年~1868年で、戦国時代は1467年~1590年です。つまり本佐倉城は戦国時代の城なのです。しいて言えば、臼井城は鎌倉時代、佐倉城は江戸時代の城なのです。戦国時代(1493~1590年)は、日本の総人口が800~1200万人の世界でした。着色文字をクリックすると過去に掲載した記事を表示します。
臼井城 1114年ごろ~1604年 490年間 平安時代~安土桃山時代
本佐倉城 1479年ごろ~1615年 136年間 戦国時代~安土桃山時代
佐倉城 1544年ごろ~1873年 329年間 戦国時代~江戸時代
下高野館 先崎城 井野城 小竹城 中世(臼井城の傘下)
蕎麦屋「地蕎麦 みなもと」+ そば畑(約8000㎡)
酒々井プレミアムアウトレット
印旛沼の水田干拓前の地図に3つ城をプロットしました。昔は本佐倉城の脇に印旛沼があったことがわかります。本佐倉城と臼井城は印旛沼に突き出した半島状の地形に造られました。
⬤ 臼井城 ⬤ 佐倉城 ⬤ 本佐倉城
本佐倉城には10台程度の駐車場が用意されていていますが、周辺の道は細く道が判りにくいので、下記の住所をナビに入力することをお勧めします。駐車場の近くまで行けると思います。
徒歩で行く場合は最寄駅の京成本線の大佐倉駅が便利です。大佐倉駅から本佐倉城の入口まで約1㎞です。主格があった城山までは約1.3㎞です。地図をクリックすると広範囲を表示します。
住所 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉823
━ 徒歩 大佐倉駅から本佐倉城
━ 車 京成佐倉駅から本佐倉城
地形がわかりやすい図に名称を追加させてもらいました。
城名 本佐倉城 もとさくらじょう
別名 将門山城 根古谷城
城郭構造 連郭式平山城
天守 なし
築城主 千葉介 輔胤 ( 千葉 輔胤 )
築城年 文明年間
主改修者 千葉氏
主な城主 千葉氏、小笠原吉次、土井利勝
廃城年 1615年(元和元年)
遺構 堀、土塁
文化財 国の史跡
現在の周辺は水田や畑で囲まれていますが、城があったころは沼および湿地帯で囲まれており堅牢な要塞であったことがうかがえます。この図は右下の方向が北になります。
城域は内郭と外郭に分かれており、内郭は南方に谷が刻まれた半島状の丘陵上に占地し、往時は三方を沼および湿地帯で囲まれた要害でした。一方の外郭は内郭から繋がる丘陵上を自然地形と空堀で分断した広大な地積を持ち、千葉氏の勢力が伸張したのち、家臣団の屋敷地として整備されたと考えられています。現在でも城の土塁や空堀などの遺構が、ほぼ完全な姿で残っており、1998年9月11日に「本佐倉城跡」として国の史跡に指定されました。
城はⅠ郭からⅦ郭で構成されています。Ⅳ郭以外は名前で呼ばれていますが、Ⅳ郭は城ノ内ではなくⅣ郭と呼ばれることが多いようです。内郭であるⅠ郭~Ⅶ郭の外側にも荒山、向根古谷、佐倉根小屋などの3つの外郭群が存在していました。Ⅰ郭の城山以外の郭の性格は確認調査による成果からの推測のため、調査が進むにしたがって性格が変わってくることもありうるそうです。
Ⅰ郭 城山
Ⅱ郭 奥ノ山
Ⅲ郭 倉跡
Ⅳ郭 城ノ内
Ⅴ郭 東山馬場
Ⅵ郭 東光寺ビョウ
Ⅶ郭 セッテイ山
本佐倉城の航空写真です。水田部分が昔は印旛沼および湿地帯でした。上の地図と比較するとそれぞれの郭の現在の状況が分かってもらえると思います。
本佐倉城の北側の入口である東山虎口あたりを遠くから撮った写真です。本佐倉城(もとさくらじょう)は、千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる将門山に築かれた千葉氏後期の本拠地となった城です。文明年間(1469年-1486年)の築城と考えられており、国の史跡に指定されています。城があったころは写真を撮っている位置は印旛沼の上でした。虎口(こぐち)とは中世以降の城郭における出入口のことで、守るために狭い通路になっています。
上と同じ写真で東山虎口あたりを拡大いたしました。本佐倉城の文字が読み取れると思います。
城のビューポイントからの景色です。東山虎口の近くです。目の前を京成本線が走っています。城があったころには水田部分が一面、印旛沼だったことを想像願います。天気が良ければ右の写真のように筑波山を見ることが出来ます。
東山虎口に近づきました。右下の方に説明が立てられています。
東山虎口の説明です。東山虎口にはに二重に門が建てられて敵の侵入を守っていました。
東山虎口に向かって登っていきます。
説明の通り道が曲がりくねっていました。蛇行した狭い通路と二つの門と内枡形の長方形の空間によって非常に厳重守られていたことが伝わってきました。
登り詰めると城内の雰囲気になっていました。城の雰囲気を感じてもらうためか、Ⅳ郭と呼ばれているあたりに木製の盾が並べられていました。左側には東山馬場が広がっています。
この上がⅣ郭部分です。Ⅳ郭は城ノ内と呼ばれることもあり、段々状に家臣団屋敷などがある兵站地であったのではないかと思われています。
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城の内側から東山虎口を見た景色です。右の高くなっている部分が東山と呼ばれているところです。ここにも説明が立てられていました。
こちらの説明板には、東山虎口の門と、東光寺ビョウと、南奥虎口の説明がが書かれていました。
Ⅳ郭から東山馬場方向を見た景色です。
こちらが東山馬場です。名前の通り馬場考えられています。建物跡は見つかっていないそうです。
東山馬場からさらに下りていくと車で来るルートに出ます。その入口から見た本佐倉城です。
その入口には国史跡「本佐倉城跡」の石碑が立っていました。
石碑は2002年(平成14年)に建てられたものでした。
東山馬場から登っていく方向の写真です。
こちらがⅣ郭虎口です。この奥に昔は門がありました。道には堀底道と名前が付けられていました。
Ⅳ郭虎口の説明板です。
堀底道を登っていき左に曲がると大堀切があります。ここで城山に向かうために左に曲がりました。
左がⅠ郭である城山で右がⅡ郭である奥ノ山です。城山と奥ノ山は木橋がかけられていたと推測されています。
ここお登って向側に下りていくと分かれ道になっていて、それぞれ城山への道と奥ノ山への道になっています。
大堀切の説明板には大堀切を登りきったところに木戸があったことが書かれています。
ここが分かれ道です。右に行くと奥ノ山で、左に行くと城山です。ここも厳重な守りであったことが想像できました。
左に曲がると城山への道が続いていました。右側は空堀です。ここは城山虎口です。
城山への道を登の切ったところらも門があったことが書かれていました。
このあたりに城山の門があったわけです。
城山門跡の説明板です。2006年の発掘調査で門跡が見つかったそうです。門をくぐると主殿がありました。
ここが城山です。右側から登ってきました。
城山には沢山の建物があったことが発掘でわかりました。
初めて本佐倉城に来た家内は興味深く見て回っていました。
発掘により城山(Ⅰ郭)で、下記の遺構が見つかりました。
主殿 11.45m x 15.14m
遠侍 10.1m x 5.7m
会所 11.2m x 13.5m
園池 11m x 8m
築山 8m x 5m
建物4棟(台所・倉庫・便所など)
櫓2棟(平櫓・井楼櫓)
門2棟
塀(門連結・土塁上)
通路
木橋(城山と奥ノ山を連結)
城山にあった主殿(上)と会所(下)に類似した建物の写真です。
主殿の写真は青森県の根城で復元されたものです。会所の写真は岐阜県の江馬氏館の復元された会所です。このような建物が城山郭に建てられていた想像するだけでロマンを感じます。
500年前の城は城砦としての性格が強く、外から城内の地形が知られないように低い建物で構成されていたと想像されます。当然ですが、主殿の位置を特定されるような天守閣は設けなかったと感じました。
城山から分かれ道まで下りてきて、今度は奥ノ山の方に向かいました。
こちらがⅡ郭の奥ノ山です。
妙見郭とも呼ばれることがあるように発掘で15mx15mの基壇が見つかっており妙見宮の跡と考えられています。
奥ノ山はかなり広いスペースでした。奥ノ山には本佐倉城(根古谷城)に関する,ステンレスの説明版が設置されたてました。本佐倉城は文明年間に千葉氏21代当主の千葉輔胤により築城されて、1590年(天正18年)に姻戚関係にあった小田原の北条氏と共に滅亡するまで、戦国大名千葉氏宗家の本拠地として9代続きました。その後は徳川氏に接収されて軍事上の必要から佐倉藩の藩庁が置かれました。1615年(元和元年)に藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により廃城となりました。本佐倉の城下町は酒々井宿に移設されて成田街道の宿場町になったと考えられています。本佐倉城の前の千葉氏の居城は現在の千葉市の中心にあった亥鼻城(千葉城 1126年築城)でした。千葉輔胤が古河公方足利成氏と結んで下総国を平定したことから1455年に亥鼻城から佐倉に本拠地を移し、その後に本佐倉城を築城したようです。史実から少なくとも1479年には完全には完成していなかったようです。
本佐倉城で一番驚いたのは1615年に廃城になり、400年間という長い年月があったにも関わらず、ほとんどの広い土地が畑などにされることもなく昔のままに遺構(空堀、土塁)が残されていたことです。これは周辺の印旛沼や湿地帯が江戸時代から始まった干拓事業により右の写真のような広くて便利な水田や畑が身近なところに、あったことが影響している気がします。
本佐倉城の城主は妙見宮で元服しており、千葉氏の守護神とされていたと説明されていました。
Ⅲ郭となる倉跡です。確認調査によって掘立柱建物が広範囲に分布していること分かったことから
その名の通り倉庫群が存在したと考えられています。炭化した米も沢山見つかりました。供膳具や調理具や貯蔵具なども沢山見つかったことから、倉庫だけでなく人の生活するための空間も存在したと考えられています。
倉跡の上にはⅦ郭のセッテイ山がありました。セッテイ山へ登っていく道です。
こちらの竹林には節と節の間に緑と薄い黄色の縞模様が表れる金明竹が沢山あることでも有名であることが散策マップに書かれていました。上のセッテイ山へ登っていく道の写真にも金明竹が写っています。金明竹は真竹の突然変異だそうです。
セッテイ山は、その名から接侍郭、あるいは場所的なイメージから人質郭と考えられています。人質郭と考えられているのは主殿から遠く離れており厳重な虎口の形態や大規模な空堀や郭の形状などからです。確認調査において、建物跡の存在がが分かっており、供膳具や調理具や貯蔵具なども沢山見つかっています。また他の郭ではあまり見られない墓石、茶壺、火箸なども見つかっているそうです。本佐倉城で倉跡だけは畑として利用されていました。
倉跡とセッテイ山の間には高さ10mの空堀があります。堀底道はⅥ郭の東光寺ビョウにつながっています。
倉跡と奥ノ山の間から南に下りていく細い道です。
下りて行ったところに妙見神社(妙見社)がありました。
社には妙見神社と書かれていました。
Ⅵ郭の東光寺ビョウです。本佐倉城で最も広い郭でしたが、その性格に関してはまだ不明だそうです。2つの物見台に守られた空間です。
南奥虎口は東光寺ビョウから城に登っていく玄関口です。発掘調査によって木戸跡や柵列跡や通路跡が見つかっています。現在は見通しが良い場所ですが、当時は木戸や柵などで虎口内部は見えない状態でした。本城には東山虎口、Ⅳ郭虎口、城山虎口、南奥虎口などの虎口がありました。
南奥虎口にも詳しい説明板が設置されていました。
東山虎口の東側が名前の通り東山で険しい自然の尾根がつづいていました。
東山虎口の西側の土手には諏訪神社(諏訪社)がありました。Ⅳ郭と倉跡の間から行くことが出来ます。
諏訪神社の社です。
諏訪神社と書かれていました。
諏訪神社の社の中です。小さな社が祭られていました。
諏訪神社の周りには小さな社や安産祈願の石像が祭られていました。
ここは立派な史跡にも関わらず訪問者が少ない場所ではありますが、3回来て初めて多人数で来ている人を見かけました。車数台で来られていました。
本佐倉城内に沢山の説明板が建てられていましたが、そこには甲冑姿のキャラクターが描かれていました。本佐倉城のマスコットキャラクター「勝っタネ!くん」です。「勝っタネ!くん」は、本佐倉城跡の第3代城主である千葉勝胤(ちば かつたね) をモデルとして作られそうです。
千葉勝胤は1514年に編さんされた連歌集「雲玉和歌集」の中で、「武に優れ、大和歌にも通じ、地に幸草の種をまいた。」 とうたわれた文武に優れたお殿様でした。その幸草の種と千葉氏の継名の胤の字をかけて誕生したのが、文武両道と勝利の神様「勝っタネ!くん」だそうです。体は 幸草の種で作られていて、 手足は、台地にしっかりと根を張る根っこでできています。
身長155cm、体重130kg、胴回り300cm
1471年11月16日(文明3年10月5日)生まれの544歳
今回のキャラクターのモデルとなった千葉勝胤は、室町幕府の下総権守で、本佐倉城の城主としては三代目ですが、千葉氏の当主としては二十三代目になります。
城主 【 当主 】
初代 千葉輔胤【二十一代】
二代 千葉孝胤【二十二代】
三代 千葉勝胤【二十三代】
四代 千葉昌胤【二十四代】
五代 千葉利胤【二十五代】
六代 千葉親胤【二十六代】
七代 千葉胤富【二十七代】
八代 千葉良胤【二十八代】
九代 千葉邦胤【二十九代】
クリヤーな「勝っタネ!くん」を紹介したくて酒々井町のホームページから画像を転用させていただきました。
画像をクリックするとオリジナルを表示します。
最近、家内が佐倉城のイメージキャラクターである右の写真の「カムロちゃん」のぬいぐるみ(700円)を買ったので、「勝っタネ!くん」のぬいぐるみもほしくなりました。以前に酒々井のアウトレットで「勝っタネ!くん」と思われる着ぐるみを見かけた気がしたので、本佐倉城を見た後に、酒々井のプレミアムアウトレットに行き、以前に見かけたフ-ドコ-ト(Food Court)の中にある酒々井コミュニケーションセンターに行ってみました。やはり記憶は正しく、着ぐるみが来たことがあったとのことでした。でも、残念ながら、ぬいぐるみは作っていないとのことでしたが、写真のしおりを無料でいただきました。
家に帰って「勝っタネ!くん」の着ぐるみの写真を探してみました。見つけたので紹介します。写真を撮ったのは2014年7月6日に家内と娘と姪っ子たちとアウトレットに行った時でした。残念ながら今は、着ぐるみがアウトレットに来ることは無いそうです。また、再開してほしいものです。
酒々井町には2つのマスコットキャラクターがあります。右がもう一つのマスコットキャラクターである井戸っこ(しすいちゃん)です。町名の由来となった「酒の井伝説」の井戸の妖精です。特技は井戸座りで、見てのとおりのポッチャリ体系で運動は苦手だそうです。でも、徳利の魔法の水(お酒)を飲みすぎると、たまにダンスを踊っちゃうそうです。
お得なヒレカツ太巻寿司 [話題]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2023年2月4日から2月26日まで関西に来ています。実家の宝塚で泊まっていますが。最寄り駅の逆瀬川駅の近くのスーパーで珍しいお寿司を見つけたので買ってみました。づ場にタイトルの通りヒレカツ太巻寿司です。
普通の巻寿司とヒレカツ太巻寿司を買いました。どちらも一本で8個に切り分けられていました。
お店のコーヨー(KOHYO)逆瀬川店は、今はイオングループではありますが、元々は魚類が新鮮で有名なスーパーで、その伝統があるためか魚やこちらのお店内で作るお寿司は出来立てで美味しいのです。そして立派な巻寿司が298円と安いのです。原材料は酢飯、味付干瓢、しいたけ入り干瓢煮、おぼろ、玉子焼、きゅうり、のり、です。カロリーは56kcal/1切れです。
そしてヒレカツ太巻寿司が388円だったのです。巻寿司298円に+90円でヒレカツが巻かれた太い巻寿司が買えたのです。おそらくヒレカツの巻寿司はなじみがないので、お試し価格にしてみんなに味わってもらいたかったのではないかと想像しました。ちゃんと「お買い得商品」と書かれていました。原材料は酢飯、とんかつ、濃厚ソース、マヨネーズ、リーフレタス、のり、です。カロリーは78kcal/1切れです。
透明カパーを外した巻寿司とヒレカツ太巻寿司です。
こちらの冒頭に使ったヒレカツ太巻寿司の写真です。買うときは少し躊躇しましたが、食べてみると美味しかったです。是非ともクリックして拡大した写真を見てほしいです。今回の記事に関しては写真をクリックするとすべての写真が面積で16倍に拡大するように設定しました。
クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載しました。こちらもクリックすると面積で16倍に拡大します。ヒレカツとすし飯に合う特別なソースが一緒に巻かれていました。
その特製ソースとマヨネーズが一緒に巻かれているのがよく見える部分の写真を紹介します。
巻寿司も単独で掲載しました。実はこの298円の巻寿司も美味しいのでよく買っています。大体は穴子寿司も一緒に買っています。
参考に昨年の10月22日に撮った穴子寿司と巻寿司の組み合わせの写真を紹介します。穴子寿司398円もお得です。穴子寿司のカロリーは72kcal/1切れです。
自分の皿に取りながら食べました。
試しにトンカツソースをつけて食べてみましたが、それもありでした。
お店を紹介します。ここ10年以上の大晦日の夕食のてっちり(ふぐ鍋)やてっさ(ふぐ刺し)に捌いてもらうフグを買うお店でもあります。電車のマークのところが阪急の逆瀬川駅の改札口です。臙脂色マーク( )がKOHYO 逆瀬川店です。
同じ建物内の同じフロアー(B1F)に、いかりスーパー( )があるので両方で買い物を楽しむことが出来ます。川を渡ればコープ宝塚( )があります。食パンなどのパンは近くにあるパンネル可成店で買っています。臙脂色ライン(━━)で囲ったところがKOHYO(コーヨー)が入っているビルのアピア1です。
名前 KOHYO 逆瀬川店(コーヨー サカセガワテン)
住所 兵庫県宝塚市逆瀬川1-2-1 アピア1 B1F
電話 0797-71-5400
営業 9:00〜21:00
定休 無休(1月1日以外)
タグ:寿司
臼井城 千葉県佐倉市 [千葉]
宿内砦の記事で、宿内砦と臼井城の見学会に参加させていただいたことを紹介させていただいて、その記事では京成臼井駅を出発して宿内砦を見学して、長源寺までを紹介させていただ来ました。本記事では長源寺を出発して臼井城を見て、京成臼井駅近くの御伊勢公園で解散するまでを紹介したいと思います。右の臼井城の概念図はネットから転用させていただきました。
上の写真は臼井城のⅡ郭(二の丸)です。右下の図でⅡ郭と書かれているところです。臼井城は12世紀(1101年~1200年)中頃に築城されたと伝えられている城で、江戸時代より前に存在した当時としては巨大なお城でした。住宅地や畑に囲まれていながら、廃城となって419年経った現在もⅡ郭(二の丸)跡とⅠ郭(本丸)跡は当時の地形のままに残されている貴重なお城です。Ⅱ郭(二の丸)は広角で撮っても入りきらない大きさです。Ⅱ郭(二の丸)の西にあった大きなⅢ郭(三の丸)はさらに広大でしたが、今は畑や住宅地になっています。右の臼井城の当時の配置図はネット(佐倉市教育委員会)から転用させていただきました。
右上の臼井城の配置図をクリックすると拡大いたしますが、クリックが面倒な方のためにⅡ郭(二の丸)とⅠ郭(本丸)の部分を拡大いたします。
■堀 ■斜面 ■土塁 ■曲輪 ■埋められた堀 ■消滅した土塁
下の臼井城復元図に臼井城の位置を赤色文字とで示し、臼井城を守る宿内砦、洲崎砦、仲台砦、田久里砦、稲荷台砦の5つの砦の位置を赤色の矩形で砦の名前を囲っています。上の当時の配置図の範囲を緑色ライン(⎕)と橙色ライン(⎕)で囲みました。
臼井の町を歩いていても、家が沢山建っているために臼井城の場所が判らないので、Wikipediaの臼井城遠景と名前の付いた写真から本丸(Ⅰ郭)あたりを切り取った写真です。写真のすぐ右側が印旛沼で景気の良い場所であることが判っていただけると思います。撮られたのは宿内砦の台地にある稲荷神社の北西側の崖上から撮られたものと思われます。
黄色の枠の部分が切り取った上の写真です。この臼井台地(丘)全体が臼井城だったそうです。そして印旛沼に注ぐ手繰川・鹿島川に挟まれています。Wikipediaによると、臼井城の歴史で最初に出てくるのは、永久2年(1114年)に、平・常兼の子の常康が臼井に居館を築き臼井六郎を称したと伝えられることだそうですが、その居館がこの臼井城であったかどうかは定かではないそうです。もし臼井六郎(平・常康)が丘の上に居館を作りたいと思ったのであれば、景色のよい印旛沼に近い丘の上の場所に建てたと考えるのも不思議ではないと思います。
それでは宿内砦の記事の最後の長源寺( )を出発するところから順に紹介していきたいと思います。空色ライン(━━)が長源寺( )から臼井城( )を見学して京成臼井駅近くの公園(御伊勢公園)まで歩いたルートです。見学会の前半の京成臼井駅から宿内砦を見学して長源寺まで歩いた橙色ライン(━━)と合わせると約4km+αになります。+αはルート外を写真を撮るために歩き回った分です。右下の図はネットから転用させていただいた立体的なイメージ図です。
臼井城
宿内砦、洲崎砦、仲台砦、田久里砦、稲荷台砦
道誉上人の墓塔
長源寺
太田図書の墓
雷電夫人の甘酒茶屋跡
稲荷神社
━ 臼井駅(集合)→宿内砦→道誉上人の墓塔→長源寺
━ 長源寺→太田図書の墓→臼井城→稲荷神社→御伊勢公園(解散)
長源寺から進んでいく方を撮った写真です。この場所には明治6年1月16日に臼井小学校が置かれて、明治17年8月25日には臼井村役場が置かれたそうです。
中宿交差点に出ました。臼井城下は城下町として栄えましたが、廃城になった後も宿場町として栄えたそうです。特に成田山詣でブームになってからは反映したそうです。宿場町としての名も地名として残っているようです。江戸方から片町・上宿・中宿・下宿・新町と続いたそうです。中宿あたりが宿場町の中心だったようです。
中宿交差点には道路元標が置かれていました。文字がほとんど消えている古びた説明板の右側の小さな石柱が臼井町の道路元標です。
道路元標は元々は向かって7m右側に接地されていましたが、道路の新設工事のために、今の場所に移されたそうです。道路元標の説明板の左側の大きな石柱には「明治天皇臼井行在所 史跡名勝天然紀念物保存法ニ依リ史跡トシテ 昭和十二年十二月文部大臣指定」と書かれていました。
臼井寺に向かって細い道を歩いていると常勝寺がありました。常勝寺の門の前を左に折れてしばらく行くと上り坂になりました。
臼井城への上り坂です。今までにも臼井城に行こうとしたことがありましたが、なかなかこの道が見つかりませんでした。案内の方がおられると迷うことなく行くことが出来ました。城に石垣が使われていない時代は空堀や土塁が主な防御ですが城への道が簡単に見つからないのも、防御の一つなのかもしれません。
臼井城の入口の前を通って先ずは太田道灌の弟の太田図書(太田資忠)の墓に行きました。太田図書はこの場所で討死したそうです。
こちらが皆さんが集まる前に撮った太田図書(太田資忠/太田図書助)の墓です。
太田図書は文明11年(1479年)7月15日に臼井城攻めから一旦兵を退こうとした時に虚を衝かれて、激しい戦闘となり討ち死にしたけれども結果的に臼井城は陥落したそうです。落城したけれども臼井氏も臼井城も存続しつづけたようです。主導権はいろいろとかわったようです。
興味のある方のために説明板を掲載させていただきました。
階段を上って撮った写真です。
太田図書の墓を見た後、臼井城のⅡ郭入口に戻りました。入口に立てられている臼井城の説明板です。クリックすると文字が読める大きさに拡大しますが、左下側のスペース描かれている地図は薄くなっていて確認は難しいと思います。同じ場所に臼井八景の第六景の城嶺夕照(じょうれいせきしょう)の説明板がありました。右の写真が城嶺夕照の説明板ですが、以前に自転車で見に来た時に撮ったものです。
臼井城の説明板に描かれている地図をネットから転用させていただきました。本丸、二の丸、三の丸、城内、御屋敷の文字が確認できます。現在地と書かれているところに説明板が立っていました。二の丸(Ⅱ郭)と三の丸(Ⅲ郭)の間は今でも非常に深い空堀になっています。
こちらがⅡ郭(二の丸)への入口です。臼井城の歴史を記載いたします。1114年(永久2年)に平常兼の子の常康が臼井に居館を築き臼井六郎(臼井常康)を称したと伝えられることから下記の沿革の12世紀中頃のところを1114年(永久2年)と表現されている場合もあります。ただし1500年より前は資料が少ないため、その時の居館がこの臼井城であったかどうかは定かではないそうです。
12世紀中頃 臼井常康が築いたと伝わるが定かではない
14世紀中頃 本格的城郭として整備される
1479年(文明11年)太田道灌の率いる上杉方に攻められ篭城(7ケ月)の後落城
1557年(弘治03年)臼井久胤の後見として原胤貞が入り原氏の支配下となる
1551年(天文19年12月 旧暦)とする説もある
1561年(永禄09年)上杉謙信に呼応した里見側の正木信茂に攻められ落城
1564年(永禄07年)原胤貞が臼井城を奪還
1566年(永禄09年)臼井城の戦いで上杉・里見勢に攻められるが、これを退ける
1574年(天正02年)生実城が里見氏の手に落ち臼井城は原氏の本拠となる
1590年(天正18年)小田原征伐により原氏が滅び臼井城は豊臣側に接収された
1604年(慶長09年)酒井家次の高崎移封に伴い臼井城は廃城となった
1610年(慶長15年)佐倉城が完成するに至って臼井城の役目を終えた
こちらが冒頭の写真に使ったⅡ郭(二の丸)です。佐倉周辺には大きな城が3つありました。我々が城をイメージしている高い建物の天守閣があったのは佐倉城だけで、戦うための城である臼井城や本佐倉城には天守閣のような建物はなかったようです。平和な江戸時代(1603年~1868年)に城として機能したのは臼井城が1年で本佐倉城が12年でした。約1500年より以前に関しては正確には分かっていないので一つの説です。
臼井城 1114年ごろ~1604年 490年間 平安時代~安土桃山時代+江戸1年
本佐倉城 1479年ごろ~1615年 136年間 戦国時代~安土桃山時代+江戸12年
佐倉城 1544年ごろ~1873年 329年間 戦国時代~江戸時代
Ⅲ郭とⅡ郭の間の空堀は非常に深くなっていました。これが守りの要と思えるほどの深さでした。
Ⅱ郭には空堀沿いにⅠ郭に向かう道が整備されていました。
こちらはⅡ郭とⅠ郭の間の空堀です。
空堀などの説明を受けているところです。
その空堀を背にⅡ郭側で記念写真を見学会の講師の郷土史家の蕨由美(わらび ゆみ)さんに撮っていただきました。
ここはⅡ郭とⅠ郭をつなぐ土橋です。
土橋を渡ってⅠ郭(本丸)に上ったところの景色です。Ⅰ郭は概ね3つの広場に分かれています。写真に写っている右側の広い広場と、正面の道を進んだところにある広場と、写真の側に広がっている広場です。
これが右側の広場です。
まっすぐ道を進んできた広場です。印旛沼がきれいに見える場所で、昔もⅠ郭(本丸)の中でも特別の場所だったのだと想像されます。真ん中の石は昔からあったものと推察されています。
奥に進むと印旛沼が見えてきました。
今も昔も最も景色がいいと思われる特別の場所からの印旛沼の景色です。
皆さん景色を堪能されていました。そして写真で見ても分かってもらえるように外側は急な崖になっていて、この場所を外から攻めるのは難しい場所でもあるのです。
Ⅰ郭の印旛沼川の北斜面は急な崖になっているので限られた場所からしか攻めてこれない地形になっているようです。
きれいな景色以外に、特別な場所と思われる理由がこちらの昔から置かれていたと思われる石です。さらに石の奥に飛び石が並んでいます。ここに人の生活があったのだと、実感させてくれる素敵な石たちでもあります。
別の角度からみた石です。ここが庭になっていたのではないかと思われる場所なのです。もし事実ならば印旛沼が背景になった素敵な庭だったとことになります。今となっては想像するだけです。
印旛沼を大きく撮りました。
赤松宗旦原著の利根川図誌に書かれている臼井城のⅠ郭(本丸)を中心とした図を紹介します。下の図をクリックすると右の図のように広範囲を拡大して表示します。上杉謙信が築いた一夜城の場所も出てきます。長源寺は台地の上に書かれているのでその場所が宿内砦と思われます。
この図は今回の見学会および2022年11月23日に八千代栗谷遺跡研究会主催で行われた中世城郭遺構についての学習会のための資料に入っていました。
上の地図のオリジナルには宿内砦のⅠ郭に長源寺あることが書かれた地図です。クリックすると確認できますがクリックが面倒な方のために宿内砦の部分を切り取って掲載いたしました。この中には後で紹介する稲荷神社や廃寺となった光明寺が書かれているので覚えておいてください。浄行寺も今はありませんが浄行寺跡として記録されていて雷電夫婦と娘の墓があります。
こちらが臼井城本丸(Ⅰ郭)から見た宿内砦の台地(丘)です。単独の城と言えるほどの大きさであることがわかっていただけると思います。写真の右端の丘の麓に長源寺が写っています。右の写真は長源寺のところを切り取ったものですが、画面が暗いので露出調整をしています。長源寺は元々は1570年(元亀元年)に宿内砦の主郭に創建された寺ですが1772年(安永元年)に火災で全てを焼失したために宿内砦の麓に再建されました。
下の写真の台地の左側が宿内砦で、右側が稲荷台砦です。
上の写真は宿内砦の部分を拡大して撮ったものだったのです。ただし、上の写真とは写している位置が違うので、少し角度が違います。したがって下からの木の枝のために長源寺を確認するのは難しいです。下の写真から上の写真と東遠部分が同じ範囲になるように切り取ったものです。
さらに左方向にある台地です。写真の中央あたりに光勝寺があります。
さらに左方向つまり東方向の景色です。写真の左端に印旛沼が写っています。印旛沼の畔には佐倉ふるさと広場があり、そこのシンボルであるオランダ風車リーフデがあります。オランダ人技師により建設された日本初の水くみタイプ風車で、日本唯一の風車守の仕事振りや内部を見ることが出来ます。写真を拡大すると、辛うじてさの風車を確認することが出来ます。ただし、遠くであるために小さくさらに沢山の送電線の鉄塔が沢山立っているところなのでなかなか見つからないと思います。
Ⅰ郭内で位置をかえて貴重な説明を聞いているところです。
展望場所から撮ったⅠ郭の南側の広場です。写真の中央の奥がⅡ郭からの入口です。そのⅠ郭の入口からの写真で右側に見えていた広場になります。
Ⅰ郭の最も南側の展望場所で見学会の講師であり案内人の郷土史家・蕨由美(わらび ゆみ)さんから説明を受けているところです。
登ってきた道を下りて帰路につきました。この後は通り道にある相撲取りの雷電ゆかりの場所を2ケ所を見ました。雷電爲右エ門(らいでん ためえもん)は現役生活21年の中で、江戸本場所在籍36場所(大関在位27場所)で、驚くことに通算黒星が10個、勝率96.2%の大相撲史上未曾有の最強力士とされています。21年間に10回の黒星ですから2年間に負けは1回だけの計算になります。
雷電に黒星をつけた力士を紹介しておきます。本場所以外の上覧相撲で1敗(陣幕嶋之助 1791年)があります。
梶ヶ濱力右エ門 1791年 政3年 4月場所5日目
市野上浅右エ門 1793年 寛政5年 3月場所8日目
市野上浅右エ門 1797年 寛政9年 3月場所7日目
鯱和三郎 1800年 寛政12年10月場所初日
柏戸宗五郎 1804年 文化元年10月場所5日目
春日山鹿右衛門 1805年 文化2年10月場所6日目
音羽山峰右エ門 1806年 文化3年 2月場所4日目
鏡岩濱之助 1808年 文化5年10月場所4日目
立神盤右エ門 1809年 文化6年10月場所3日目
江戸ヶ崎源弥 1810年 文化7年10月場所5日目
最初の雷電ゆかりの場所が雷電が嫁に迎えた八重さんが看板娘をしていた甘酒茶屋の跡です。大きな説明板が取り付けられていました。甘酒茶屋の屋号は「天狗さま」でした。今は武藤自動車整備工場になっています。ここが江戸時代に繫栄していた臼井宿であったことがうかがえる場所でもあります。結婚した1792年(寛政4年)は名古屋、大坂、京都と連続興行を行うなど忙しい年でしたが臼井宿の甘酒茶屋の娘・はん(後の八重)と結婚して江戸の麹町十丁目の長屋に新居を構えたそうです。
興味がある方のために説明板を掲載しました。雷電が関脇時代に甘酒茶屋に立ち寄り、甘酒茶屋(天狗茶屋)の娘で看板娘のおはんを見染て妻に迎えたそうです。おはんは結婚して八重に名前を変えたそうです。雷電は晩年を妻・八重の郷里である臼井宿で過ごしたそうです。そのことから八重の菩提寺だった浄行寺跡の杉山家墓地には雷電自身と妻子の名を刻んだ墓があります。雷電は各所に墓がありますが、娘がともに供養されているのはここだけだそうです。
見えている坂を上って宿内砦のあった丘を越えて京成臼井駅の方に向かいました。
上の写真の坂の途中に急な石段の稲荷神社がありました。ここの石段は寛政年間に雷電が寄進したものでした。長い年月の間に摩耗したりしたために石段は改修されましたが。雷電が寄進した貴重な石段は神社正面の敷石として保存されています。右の石柱に書かれているように、ここは雷電公園でもあります。左の石柱には稲荷神社と書かれています。
さっそく石段を登ってみることにしました。
稲荷神社の鳥居です。まっすぐに敷かれている敷石が雷電が寄進した石段です。
雷電の敷石の先に3つの祠がありました。
雷電の元石段の敷石のアップの写真です。しっかりとした立派な石段だったことが想像されます。
3つの祠のは左から三峯・古峯神社、 稲荷神社、子安神社です。
祠の位置から鳥居方向を撮りました。
3つの祠以外に石の祠と2つの石碑もありました。石の祠は天神様です。
こちらが石碑です。右の石碑には3つの祠の名前(三峯・古峯 稲荷 子安神社 神社)が枯れています。左下に「奉献社殿 臼井駅南土地区画整備組合 昭和五十八年十月吉日」と書かれていることから、後世に3つの祠のことを伝える石碑なのだと思われます。
左の石碑には「三峯神社 古峯神社 参拝記念」と書かれていることから本家の埼玉県の三峯神社と栃木県の古峯神社に参拝した人たちの記念碑ではないかと感じました。よく行われていた出羽三山詣のようなものなのかもしれません。
1つの祠の中を格子の間から撮りました。赤ちゃんを抱いた子安菩薩像像のようでした。子
大きなケヤキの保存樹が生えていました。1974年時点の推定樹齢は300年なので雷電(1767年生~1825年没)が生まれた時にはすでに樹齢約100年だったことなります。臼井宿の甘酒茶屋の「天狗さま」の看板娘と結婚した1792年(寛政4年)には樹齢は118年前後だったことになります。
解散場所の公園をめざして歩き始めました。
保存樹としての説明を紹介します。
区分 樹林
名称 臼井稲荷境内木
代表樹種 ケヤキ・スダシイ
所在地 臼井126
樹齢 推定300年(選定時)
伝来等 神社創立以来境内木として、管理保存されているという。
管理責任者 氏子総代
佐倉市選定第38号 昭和48年3月1日(1974年)
住宅地の中ですがいろんな石碑がありました。
このような石像も住宅地の道端にありました。右の説明碑によれば、この菩薩坐像(寛文5年/1655年 左)と如来立像(寛文12年/1672年 右)は、廃寺となった近くの光明寺にあったものだそうです。光明寺は上の方の地図で紹介したように稲荷神社の北西にありました。2002年(平成14年)に整備されたようです。切り取った地図には、逆さまに光明寺と書かれていて、斜めに稲荷社と書かれています。
京成電鉄本線まで出てきました。この踏切は臼井駅の東側にあり鉄道ファンにとって人気の場所だそうです。SV
踏切のストリートビュー(SV)を紹介します。踏切の道路以外は立入禁止です。ほほえましい光景の親子は電車を見るために待っている感じです。
踏切から臼井駅側を撮りました。
臼井駅と反対側も撮りました。臼井駅で折り返すための線路があるのが人気になっている一つの理由のようです。
御伊勢公園のこの場所で解散となりました。今回の見学会は郷土史家の蕨由美(わらび ゆみ)さんの案内で行われました。参加者は「八千代栗谷遺跡研究会」や「佐倉道を歩く会」の方々でした。参加者は私を含めて22名だったそうです。
千葉県佐倉周辺の大きな城の位置を紹介します。戦国時代は1467年~1590年で、安土桃山時代は1573年~1603年で、江戸時代は1603年~1868年です。約1500年より以前に関しては正確には分かっていないので一つの説です。戦国時代(1493~1590年)の日本の総人口が800~1200万人の世界でした。着色文字をクリックすると過去に掲載した記事を表示します。
臼井城 1114年ごろ~1604年 490年間 平安時代~安土桃山時代+江戸1年
本佐倉城 1479年ごろ~1615年 136年間 戦国時代~安土桃山時代+江戸12年
佐倉城 1544年ごろ~1873年 329年間 戦国時代~江戸時代
下高野館 先崎城 井野城 小竹城 中世(臼井城の傘下)
印旛沼の水田干拓前(100年前)の地図に3つ城をプロットしました。上の地図と比べてもらったら判るように、今の本佐倉城は印旛沼から4.5kmも離れた内陸にありますが昔は城の脇に印旛沼があったことがわかります。本地図は小さいのでわかりませんが干拓前の臼井城は印旛沼に近かったようです。臼井城と本佐倉城は印旛沼に突き出した半島状の地形に造られ印旛沼との間は笠神埜原(かさがみやわら)と呼ばれる低湿地であったようです。このことからも臼井城と本佐倉城は防御に強い城だったようです。
⬤ 臼井城 ⬤ 佐倉城 ⬤ 本佐倉城
手作りの野沢菜漬けをいただきました。 [蓼科]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
蓼科に住んでいる友人夫妻から地元の野沢菜で使った野沢菜漬けが2023年1月27日に届きました。長くアメリカのアトランタで広い敷地の家に住んでいて、日本に戻ってきて住む場所として選んだのが蓼科でした。右が今住んでいる家の写真で、写っているワンコはムサシです。上の写真のようにZiplocパックに2重に入って送られてきました。近くで売られている野沢菜漬けは全てと言っていいほど緑鮮やかな浅漬けがほとんどですが、この野沢菜漬けのようなじっくり漬けられたものは手に入らないのです。数年前に初めて送ってもらった時に、その美味しさに驚いたのです。その野沢菜漬けが今年も送られてきたのです。高菜付の場合は古漬け売られていますが野沢菜に関してはまだ近くのお店ではお目にかかったことが無いの、我々にとってはものすごく貴重なのです。右は我々が刈れり家に遊びに行った時の写真です。
その友人とは学生時代のサイクリング部へ同じ年に入った仲間なのです。下の写真の左端のN氏がその友人です。下の写真は3回生の春合宿(3月20日~3月25日)の信州の馬越峠での写真です。N氏とI氏とK氏が同期です。下の写真の全員とは毎年2月に行われる:現役との交流会や会食であっていましたが新型コロナのために2020年からは会えていません。右の記念写真は2017年の交流会でN氏とI氏と私が出席しています。右の記念写真をクリックすると交流会の記事を表示し。下の写真をクリックすると合宿のスライドショーを表示します。SV
参考に上の写真の馬越峠の場所と合宿のコースを紹介しておきます。
赤色ライン(━━)が合宿(軽井沢→青梅)で、青色ライン(━━)が私が1人で走った行き帰りのコース(自走/プライベートラン)です。赤色ラインと青色ラインの接点(━━)のところが集合(軽井沢)と解散(青梅)の場所です。
通った峠 近くの峠 通った町
先ずはZiplocパックから2株だけ取り出して切りました。葉の茎の部分は普通に切って葉の部分は大きく切ります。大きく切る理由は後で判っていただけると思います。
そして、いつもの漬物を入れる蓋つきの器に入れました。2株が丁度良かったです。
さっそく野沢菜漬で包むおにぎり(おむすび)を作ってみることにしました。このために葉の部分は大きく切ったのでした。葉の上に醤油をふり掛けています。
炊き立てご飯の葉の上に乗せました。
これが出来上がりです。
2個目を作ります。今回の葉は少し1個目より小さめです。
炊き立てご飯を載せました。1個目より少し少なめにしています。
出来上がった2個です。
食べているとと途中で断面を撮った写真です。
2個食べたらさらに食べたくなったので3個を作り始めました。
葉は2個目より小さかったので3個目は小さめになりました。
ついついやみつきになる味なので、さらに食べたくなりました。葉ばかり食べていると茎ばかり残るので、炊き立てご飯の上に乗せて食べることにしました。
こんな感じでいただきました。ノザワナの分類を紹介します。野沢菜は、種としては白菜や広島菜と同じラパ(rapa)で、そのラパ(rapa)の変種なのです。白菜の学名はBrassica rapa var. glabraです。日本三大漬菜(野沢菜,広島菜,高菜)の一つ高菜(タカナ)はアブラナ属カラシナの変種です。
界 植物界 Plantae
門 被子植物門 Magnoliophyta
綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 フウチョウソウ目 Brassicales
科 アブラナ科 Brassicaceae
属 アブラナ属 Brassica
種 ラパ Brassica rapa
又は Brassica campestris
変種 ノザワナ Brassica rapa var. hakabura
2回生の春合宿もN氏と一緒の合宿でした。合宿ツアーは部員が全員が1つの合宿に参加するのではなく3~4つの合宿が有志によって計画され、各自は好きな合宿に参加します。したがって参加者人数は人気度で決まるためバラバラなのです。したがって部員は約40名ですが全員の記念写真はほとんどないのです。右は私が神戸の家に住んでいる時にN氏家族とI氏が来てくれた時の写真です。下の写真のT氏は東京のOB会に来てくれています。SV
2回生春合宿のルートも溶解しておきます。赤色ライン(━━)が合宿で、青色ライン(━━)が合宿参加のために往復を自走(プライベートラン)したルートです。合宿では雪が深くて権兵衛峠は越えられませんでしたが、右の写真のように、合宿に向かう時に1人で雪の権兵衛峠を越えることが出来ました。
これがサイクリング部4年間の合宿です。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。丸数字(①など)の赤色が私が参加した合宿です。写真も私が参加した合宿です。私の自転車での走行距離も書いておきます。
4年間走行距離 約6万km
2回年時 約2万km/年
3回生時 約2万km/年
2023年1月29日の昼食はお餅で磯辺焼き風野沢菜巻にすることにいたしました。
1個は海苔を使った本物の磯辺焼きで2個が野沢菜巻きです。お吸い物も用意いたしました。
お餅の部分を拡大いたしました。
これが磯辺焼風野沢菜巻です。同じ食べ方は記事「お餅の広島菜巻き」でも紹介したことがあります。
半分食べてところの写真も紹介します。
野沢菜と海苔とキムチの3種もしてみました。
新型コロナウイルス感染者の推移 [日々]
2023年01月09日追記 タイトル:新型コロナによる死亡率を掲載
2023年01月22日追記 タイトル:日本の新型コロナ科渦も収束の兆しが見えてきた
2023年04月11日追記 タイトル:グラフの更新を終了いたしました。
最近は感染者が増加し死亡者数も最も多くなっています。しかしながら感染者の割合に対しての死亡者の割合は減ってきているように感じている人も多いと思います。正確な死亡率を求めるためには感染した人がいつ亡くなったかの情報が必要なため、現在公表されている情報では正確な死亡率の蚕室が出来ないことから、全体的な変化を見るために次の計算式で簡易的な死亡率を計算してグラフにしました。200日間の数値で計算した理由は、100日間など小さな数字でも計算した起伏が大きくなり比較的滑らかなカーブにするためには200日程度が必要だったからです。死亡率と累計感染者数率は小さな数字も正確に知りたいので対数グラフにしました。青色の太い線が死亡率の推移です。
死亡率 =200日間の死者数 ÷ 200日間の新規感染者数
累計感染者数率=累計感染者数 ÷ 日本の総人口(1億2,484万人)
年末年始に多くの人が移動し集まったにも関わらず極端に感染が拡大せず、徐々に新規感染者が少なくなっていることから2020年以来初めて新型コロナ渦が徐々にですが、収束する可能性が出てきたように思われる。(2023年1月22日)
イメージが判りやすいので普通の目盛のグラフも紹介します。死亡率が低くなって少し安心な気持ちになるかもしれませんが死亡者の絶対値は最大になっていることを認識しておく必要があると思います。
2023年1月8日時点の上記の計算式の死亡率は0.135%です。つまり感染した人の740人に1人が亡くなる計算です。グラフをクリックすると右のように2つのグラフを横並びにした画像を表示します。
2023年04月03日 閲覧数:3,238 nice!:403 CMT:175
2023年04月04日 閲覧数:3,246 nice!:403 CMT:175
2023年04月17日 閲覧数:3,300 nice!:403 CMT:175
2022年08月06日追記 タイトル:4週間の新規感染者数が世界でトップとなる。
2022年12月02日更新 タイトル:また4週間の新規感染者数が世界でトップとなる。
2022年8月6日にJohns Hopkins大学の新型コロナのサイトを見ると4週間(28日間)の新規感染者数において、日本がアメリカを抜いて世界でトップになっていました。2022年8月6日5時21分において順位は日本(4,083,129)、アメリカ(3,544,577)、ドイツ(2,252,359)、イタリア(2,056,385)、フランス(2,028,838)、韓国(1,801,839)、ブラジル(1,204,764)、オーストラリア(1,167,309)、トルコ(709,051)、ギリシャ(681,942)、台湾(679,507)、メキシコ(636,527)、インド(522,034)、イギリス(495,221)、ベトナム(437,828)、スペイン(355,994)、オーストリア(285,645)、ペルー(284,173)、シンガポール(236,936)、ニュージーランド(235,512)の順です。
2022年8月06日
日本の累計感染者数 13,851,692
日本の4週間感染者数 4,083,129 29.5% 世界1位
世界の累計感染者数 582,593,446
世界の4週間感染者数 28,234,043 4.84%
2022年8月26日(追記)
日本の累計感染者数 18,001,565
日本の4週間感染者数 5,876,036 32.6% 世界1位
世界の累計感染者数 599,142,245
世界の4週間感染者数 24,749,568 4.13%
2022年10月14日(追記)
日本の累計感染者数 21,684,899
日本の4週間感染者数 1,224,921 5.65% 世界4位
世界の累計感染者数 623,686,599
世界の4週間感染者数 12,806,501 2.05%
2022年12月02日(追記)
日本の累計感染者数 24,933,509
日本の4週間感染者数 2,355,040 9.45% 世界1位
世界の累計感染者数 643,546,326
世界の4週間感染者数 11,563,415 1.80%
2020年08月12日追記 タイトル:第2波でも重症者が増加し始めました。
2020年09月05日更新 タイトル:重症者のピークも越えたようです。
2020年10月26日更新 タイトル:新規感染者も重症者も増加しています。
2020年11月12日更新 タイトル:ついに第3波に突入
2020年11月18日更新 タイトル:重傷者が第2波(259人)を越えました。
2020年11月23日更新 タイトル:重傷者が第1波(328人)を越えました。
2020年12月01日更新 タイトル:死者数が第1波(164人/週)を越えました。
2020年12月12日更新 タイトル:減少傾向にする強力なきっかけが必要
2020年12月17日更新 タイトル:勝負の3週間が過ぎました。でも
2020年12月23日更新 タイトル:減少が望めないなら早めの緊急事態宣言
2021年01月18日更新 タイトル:減少が始まりましたが低調(0.9倍/週)
2021年02月06日更新 タイトル:減少が続いています。(0.7倍/週)
2021年02月09日更新 タイトル:今は感染者を劇的に減らす数少ないチャンス
2021年03月05日更新 タイトル:感染者数の減少鈍化から増加に転じる
2021年04月30日更新 タイトル:重症者数が第3波を越えるのは確実な状況
2021年05月03日更新 タイトル:重症者数が第3波を越えるました。
2021年05月13日更新 タイトル:1週間の死者数が第3波を越えるのは確実な状況
2021年05月14日更新 タイトル:1週間の死者数が第3波(688人/週)を越えました。
2021年08月01日更新 タイトル:重傷者が急激に増加し始めました。
2021年08月14日更新 タイトル:第5波の重傷者が第4波を越えました。
2021年09月13日更新 タイトル:日本は直近4週間の新規感染者数は世界で9番目
2021年12月08日更新 タイトル:新規感染者と日々回復者を対数目盛にしました。
2022年01月08日更新 タイトル:第6波は5波までとは違う急速な感染拡大
2022年01月19日更新 タイトル:第6波の新規感染者が第5波を一気に越えました。
2022年01月20日更新 タイトル:重症者も死者数も急速に増加し始めました。
2022年02月10日更新 タイトル:死者数(811人/週)が今までの最多となりました。
2022年02月14日更新 タイトル:1週間あたりの死者数が1000人/週を越えました。
2022年02月23日更新 タイトル:1週間あたりの死者数が1500人/週を越えました。
2022年07月13日更新 タイトル:第7波に入りました。前週の2倍以上の勢い
2022年08月10日更新 タイトル:死者数(人/週)が最大になる勢いで増加
2022年08月19日更新 タイトル:死者数(人/週)が最大となる
2022年12月28日更新 タイトル:第8波での死者数(人/週)が最大となる
2023年01月22日追記 タイトル:日本の新型コロナ科渦も収束の兆しが見えてきた
2023年04月11日追記 タイトル:グラフの更新を終了いたしました。
政府は第2波は重症者が少ないことが第1波と違うと強調してことから、新規感染者数と重症者数の推移を同じグラフにプロットいたしました。グラフをクリックすると拡大いたします。
重症者は全国( )と東京( )と東京以外( )が判るようにいたしました。使ってる数値はNHKの特設サイトの数値および基にして計算した数値を使っています。第1波で緊急事態宣言が行われた4月7日の重症者は89人で、第2波の8月12日の重症者は177人です。偶然ですが1週間の死者数は4月7日も8月11日も35人/週です。ベッド数に関しては第1波の時は余裕はありませんでしたが、第2波の8月11日の時点では第1波に比べると余裕があるようですが、感染者が多い状況なので油断するとすぐにひっ迫する可能性があります。グラフを見る限りでは第2波では緊急事態宣言をすることがなく新規感染者の増加比率がやっと下がってきて、ピークに到達あるいは近いうちにピークに到達しそうな状況です。これは感染者の増加に危機感を感じて各自および団体の対策努力によって達成しつつあるものと思います。世界的にも稀なケースではないでしょうか。まだ先は判らない上に高い感染者の状態であることは変わりないので、今まで以上の努力が無くしては仮に新規感染者や患者数(累計感染者-死者数-退院数)の高い状態が長引いてしまいます。長引くと重症者や死者数が増えてしまいます。新規感染者数の増加が鈍化あるいは下がり始めた中でも重症者数が増加しているのが現時点の状態です。急激に新規感染者数が下がった第1波の時でも重症者( )と死者( )のピークは新規感染者のピークから3週間後でした。今回の場合の先は読めませんが長引けば第1波の時よりも多くの人が重症化すると思われることから、今まで以上の個々の努力によって感染者を下げる努力が必要なのだと思います。参考にプロットしている回復者数(●)の第1波の時のピークは新規感染者のピークから5週間後でした。第2波での回復者の推移は第1波と違う推移を示しています。グラフ通り実際に第2波では回復が早いのか、あるいは第1波の時は回復者の情報入手が遅れたことを示している可能性もあります。5月9日までは厚生労働省が独自に情報収集していた回復者数を公表していて、その後に遅れが多いことから改めた経緯がありました。
グラフの中の死者数は数値が読み取れるように1週間の死者数(人/週)にしています。7分の1にすると平均化された1日あたりの数値です。
年末年始に多くの人が移動し集まったにも関わらず極端に感染が拡大せず、徐々に新規感染者が少なくなっていることから新型コロナ渦が雌雄即する可能性が出てきたように思われる。(2023年1月22日)
第2波の重症者は8月24日にピークとなり下がり始めました。ただし、下がり方はゆっくりです。新規感染者は8月7日はピークとなり下がり始めてはいますが、第1波に比べると下がり方はゆっくりであることから、社会全体が自粛を緩める雰囲気になると、いつでも上昇に転じることはすでに証明されていることから油断は禁物です。(2020年9月5日追記)
第3波に対する緊急事態宣言が1月8日から始まりましたが、感染者の低減率は緊急事態宣言が行われなかった第2波より悪い結果になっています。 日本の場合は国民の意識の変化次第であることから見て、今回の緊急事態宣言が心に響いていないことになります。その大きな要因に、今は中止しとなっているGoToトラベルとGoToイートの可能性が考えられるようです、感染拡大防止の大原則は「移動を抑える」と「蜜を避ける」ことですが、GoToトラベルは「移動を推奨」しGoToイートは「蜜を推奨」していることになったことが、深層心理に残されている可能性があるのであれば、これを払拭する対策を行う必要がありそうです。(2021年1月20日追記)
ついに1週間の死者数が第3波(688人/週)を越えてしまいました。さらに急速に増加する勢いです。東京や大阪以外の地域の新規感染者が急速に増加しており、全国での重症者数や死者数は厳しい状況になると予想されることから、早急の思い切った対策が望まれます。(2021年5月14日追記)
参考にしている新型コロナのサイト(クリックするとサイトを表示)
NHKの特設サイト Johns Hopkins大学
東京都 韓国 日経新聞 WHO 厚労省
上のグラフには参考に東京都の重症者数(━━)の推移もプロットしていますが、その数値は下に貼り付けている東京都のグラフで公表しているものです。全国の重症者が急速に増加しているのに比べると東京都の重症者の上昇は抑えられているように見受けられます。重症化しやすい高齢者や基礎疾患のある人への感染防止対策や個々の家庭での努力ではないかと感じます。ただし、先が判らないのが新型コロナなので楽観視は禁物です。とは言え、第2波での東京都(━━)と東京以外(━━)の重症者の変化はあきらかに大きく違います。
このグラフは2020年12月16日の19時からのニュースの中で政府が提唱した「勝負の3週間」の結果の検証で紹介されました。爆発的な拡大(パンデミックス)は避けられましたが、第1波や第2波の時のように新規感染の急激な低減には失敗したようです。早期に低減させるためには強力な対策が必要と思われます。
こちらは同じようにまとめられた死者数のグラフです。高い感染者が続けば多くの専門家が指摘しているように重症者は急速に増加し、それに伴い多くの死者も出てしまうと思われます。長く高い感染者が続いていることから、すぐに下がり始めた第1波や第2波とはピークのボリューム(グラフの山の面積に相当)が違います。今、下がり始めたとしても2波の数倍であり、これからさらに長引けば10倍を超えることもあり得る勢いです。第1波や第2波で重傷者や死者数が下がり始めたのは新規感染者のピークから3週間でしたが、新規感染者の高い状況が長引いていることから、厳しさは増してくると想像されまい。
2021年03月24日追記 タイトル:大阪府のデーターを追加しました。
2021年03月29日更新 タイトル:大阪府の増加割合は2倍/週を越えました。
2021年04月10日更新 タイトル:東京都の増加割合も1.2倍/週を越えました。
2021年04月13日更新 タイトル:全国各地で1.2~1.5倍/週が続いています。
2021年04月20日更新 タイトル:急拡大の兆候(>1.3倍/週)が出てきました。
2021年04月25日更新 タイトル:やっと大阪が1.0倍/週を下回りました。
2021年04月29日更新 タイトル:大阪の減少傾向は一時的でした。
2021年05月06日更新 タイトル:連休で脆弱な検査体制時は単なる参考
2021年05月19日更新 タイトル:やっと減少領域になりました。
2021年05月26日更新 タイトル:今年のGWは感染拡大の要因になりました。
2021年05月30日更新 タイトル:東京都の減少率が低いのが気になります。
2021年06月17日更新 タイトル:東京都が感染者の増加領域に入りそうです。
2021年07月31日更新 タイトル:全国的に感染爆発領域になりました。
2021年08月20日更新 タイトル:また危険拡大領域(>1.4倍/週)に!
2021年11月11日更新 タイトル:東京はすでに第6波の入口か?
2021年11月20日更新 タイトル:第6波には入っていないようです。
2021年12月15日更新 タイトル:今が第6波を防ぐ正念場
2022年01月08日更新 タイトル:第6波は5波までとは違う急速な感染拡大
2022年07月13日更新 タイトル:第7波に入りました。前週の2倍以上の勢い
2023年04月11日追記 タイトル:グラフの更新を終了いたしました。
2021年3月21日に緊急事態宣言が解除された首都圏よりも3週間早い2月28日に解除された関西圏の変化が気になって大阪の1週間前に対する感染者の変化が比較できるグラフを追加しました。グラフには5日間の平均をプロットしています。解除後11日目から増加しはじめ13日目(約2週間目)には1週間前に対する感染者数は1.4倍/週に達しました。さらに感染爆発の領域である2倍/週に近づきつつあります。緊急事態宣言が解除された首都圏が同じようにならないような対策が望まれます。下段の細長いグラフは2020年7月13日からのグラフです。クリックすると読み取れる大きさに拡大します。約2週間前のことがグラフに現れています。例えば最近で最も高い数値を出した2週間前はクリスマスでした。3月25日には大阪の感染者増加割合は感染爆発レベルである2倍/週を越えました。(2021年3月29日追記)
やっと大阪の新規感染者数が2021年4月21日にピークとなり下がり始めました。ただし重傷者が下がり始めるのは2週間後であり現状より重症者が少なくなるのは1ケ月後なので、厳しい状況は続きます。増加領域から減少領域に入ったのは4月22日です。状況も含めた住民へのアピールが大きく影響していることから、他の地域も変異ウイルスの抑え込みの施策の参考になりそうです。(2021年4月25日追記)
新規感染者が下がっているように見えるのは連休で検査体制も脆弱になっている影響の可能性があるので気の引き締めの継続は大切です。連休終了2日後からの数値に注目する必要があると思われます。(2021年5月06日追記)
新規感染者の7日前に対する増加の割合から判断して、今年(2021年)のGWは感染拡大の要因になったと思われます。昨年(2020年)ではGWは感染の抑制になったのとは、まったく逆の結果です。今年は人の移動が抑えられなかったのが原因と思われることから、感染拡大を抑えるためには人の移動を抑えることが大切なことを再認識させられる結果でした。世界的に見れば人の移動を抑制することを最重要対策にしている国が多いことからも全国的な感染拡大を抑え込む最も重要な対策の一つと言えるようです。(2021年5月26日)
上のグラフをクリックして出てくる2020年7月13日からの細長いグラフの新規感染者は対数目盛にいたしました。(2021年12月08日)
2020年11月13日追記 タイトル:第3波は第2波より厳しい
2020年12月12日更新 タイトル:減少傾向にする強力なきっかけが必要
2020年12月17日更新 タイトル:勝負の3週間が過ぎました。でも
2020年12月23日更新 タイトル:減少が望めないなら早めの緊急事態宣言
2021年01月18日更新 タイトル:減少が始まりましたが低調(0.9倍/週)
2021年02月06日更新 タイトル:減少が続いています。(0.7倍/週)
2021年02月09日更新 タイトル:今は感染者を劇的に減らす数少ないチャンス
2021年03月05日更新 タイトル:感染者数の減少鈍化から増加に転じる
2021年04月20日更新 タイトル:急拡大の兆候(>1.3倍/週)が出てきました。
2021年05月06日更新 タイトル:連休で脆弱な検査体制時は単なる参考
2021年05月19日更新 タイトル:やっと減少領域になりました。
2021年05月26日更新 タイトル:今年のGWは感染拡大の要因になりました。
2021年07月31日更新 タイトル:全国的に感染爆発領域になりました。
2021年08月20日更新 タイトル:また危険拡大領域(>1.4倍/週)に!
2021年12月15日更新 タイトル:今が第6波を防ぐ正念場
2022年01月08日更新 タイトル:第6波は5波までとは違う急速な感染拡大
2022年07月13日更新 タイトル:第7波に入りました。前週の2倍以上の勢い
1週間前に対する新規感染者数の倍率(比率)が徐々に危険な領域(2倍以上/感染爆発)に近づきはじめています。倍率が上がり始めたのは10月21日のため、その1週間前の10月中旬ごろに第3波の原因となる気の緩みが広まり始めたと思われます。11月12日の時点で1週間前に対して約1.6倍の新規感染者数です。倍率(比率)が1倍以下に下がらないと新規感染者は増加し続けることから厳しい状況であることがうかがえます。グラフをクリックすると第2波前の7月13日からのグラフを表示するので第2波と比較できると思います。上のグラフをクリックして出てくる2020年7月13日からの細長いグラフの新規感染者は対数目盛にいたしました。(2021年12月08日記載)
倍率の丸(〇)と破線は実数値で、実線(━━)は前後5日間の平均です。ただし、未来の数値は分からないので一番右端は3日間の平均で2番目は4日間の平均になります。
やっと新規感染者数が下がり始めましたが1週間前に対する感染者数は0.9倍/週と減少率は低調です。減少傾向が始まったばかりで、このまま減少傾向が続くことを願うばかりです。
第1波 0.6倍/週
第2波 0.8倍/週
第3波 0.9倍/週(1月14日~1月20日) 0.7倍(1月22日~2月14日)
1倍以上:増加傾向 1倍以下:減少傾向
(2021年1月18日記載 2月6日追記)
2020年3月16日からのグラフも紹介します。7日前に対する倍率(比率)に関しては5日間の平均値を表示するように設定いたしました。
1週間前に対する比率の数値とは違う指標ですが、同じような傾向を示す実行再生産数のグラフを紹介します。実行再生産数とは1人の感染者が次にうつす平均人数ですが、1以上が感染領域であり1以下が減少領域であるところが、1週間前に対する比率のグラフと同じです。絶対値は違いますが数値の変動の仕方も同じ傾向を示します。二乗すると数値的にも似てきます。このグラフは2020年12月16日の21時からのニュースの中で政府が提唱した「勝負の3週間」の結果の検証で紹介されました。新規感染者の爆発的な増加は回避は出来ましたが、未だに確実な減少領域には入っていけていない危険な状況が続いています。
注目されている地域(東京、大阪、北海道、愛知)別の実行再生産数のグラフも紹介されていたので紹介します。
曜日によって感染者数は大きく変わるので曜日別変化のグラフもあらためて掲載します。第3波では全国各地で感染者が同時に増加していることから、多くの人が同時に気の緩みが出たり行動してしまうような全国的キャンペーン(Gotoトラベル等)がきっかけになっている可能性を指摘する専門家も多く出てきはじめました。本グラフをクリックすると拡大いたします。(2020年11月21日追記)
都道府県の推移が判るグラフも掲載します。下から東京都、大阪府、神奈川県、千葉県、埼玉県、福岡県、兵庫県、愛知県、北海道、京都府、沖縄県、他県+空港です。クリックすると拡大いたします。
第2波の時の新規感染者数の予想値と実際値の推移が参考になると思われるので7月20日~8月10日のグラフを紹介します。第2波で危機を感じたのが7月22日なので、7月22日(水)が11月11日(水)に置き換えて比較すれば分かりやすいと思います。第2波と同様に推移するとすれば11月26日の新規感染者は4320人となり、すぐに対策を取ったとしても効果が出てくるのは10日間以降(11月23日以降)のため11月26日の新規感染者は3351人ということになります。第2波の時は危機感を持ってからピークになったのは2週間後だったことを考えると第3波はかなり厳しいと予想されます。第2派では1週間前に対して1.5134倍で増加していったのに対して今回(第3波)の現状は約1.6倍なので少し厳しくなる可能性もあります。対策の欄は第2波の実績と同じ比率の変化をすると仮定して算出した数値です。
第2波 予想/実際 第3波 予想/対策 /実際
7月22日(水) 795/795 11月11日(水) 1660/1660/1660
7月30日(木) 1485/1301 11月19日(木) 2512/2201/2358
8月07日(金) 2069/1605 11月27日(金) 4320/3351/2531
8月14日(金) 3132/1358 12月04日(金) 4924/2836/2442
8月22日(土) 5248/ 984 12月12日(土) 8251/2055/3041
11月13日前後では東京(左)よりも東京以外(右)の方が新規感染者の増加傾向が大きい傾向でしたが11月19日の東京は500人/日越えの534人/日となりました。
2020年7月27日追記
タイトル:感染者数予想グラフに実際の感染者数をプロットしました。
右下の小さなグラフの実際の感染者数を、2020年7月24日に追加掲載した感染者予想グラフにプロット(●)いたしました。グラフを掲載した7月24日以降の3日間(24日、25日、26日)の1週間前に対する感染者数は平均で1.365倍のため1.4倍のグラフにプロットしてみました。感染防止対策の強化や意識の変化や自主的な感染対策を行う人の増加により計算通りにならないことを祈るばかりです。
3日間平均:1.365倍=(777+803+835)÷(597+661+551)
7日間平均:1.508倍=(419+632+795+981+777+803+835)
÷(260+333+450+624+597+661+551)
新規感染者数と累積感染者数の予想値に対して8月5日頃から実際の数値が第1波に比べるとゆっくりではありますが下回り始めて感染爆発(パンデミックス)は避けることが出来たようです。全国的な緊急事態宣言のような劇的な対応策が行われない中で、感染拡大が抑えられたということはそれぞれの自治体の必死な対応と、各個人の危機感による対応によりところが大きいと言えると思います。7月初旬から中旬ごろの行動が続いていれぱ2ケ月後には1日の感染者数は1万人/日を越え、累積感染者数も30万人近くに達していたことから各自の行動がいかに大切であるかが証明された第2波であったのだと思います。これからは経済活動を正常に戻ししつつも慎重な対応が求められるのだと思います。(2020年9月7日追記)
上の9週間のグラフでは数値が読みにくいので5週間のグラフも掲載いたします。グラフの累計感染者数(○)とは2020年7月24日からの累計です。7月24日までの累計数である29,028人をプラスすると最初からの累計感染者数になります。上の2枚のグラフで累計感染者数(○)との差が読み取れないので3週間のグラフにいたしました。それでも7月29日までの累計感染者数は計算値(-)と実際(○)の差を読み取れるほどの違いは出ていない状態です。
右のグラフのように7月29日の時点の東京の新規感染者数の増加には多少ブレーキが見受けられますが、全国全体の新規感染者数の増加にはブレーキの兆候は見受けられません。日本の感染拡大は日本の多くの地域に広がってきており、これまで以上に感染防止のための移動自粛も含めた行動をする必要がありそうです。東京の感染者の増加のブレーキがあるように思えたのは、7月31日の高い感染数から見て単なる連休中(7月23~26日)の検査体制の影響の可能性が高いようです。2020年8月11日に下の2枚のグラフにプロットしていた患者数の増加分がプロット範囲が越えたので、本グラフに患者数の増加分を追加プロットいたしました。患者数は直接公表された数値ではなく計算(=累計感染者数-死者数-退院数)した数値です。(2020年8月12日追記)
今後ひっ迫が懸念されベッド数や軽症者用待機ホテルに影響する患者(=累計-回復-死者)の7月23日からの増加数を追記プロットしたグラフです。7月23日の患者数(6224人)から増加した人数をプロットしています。グラフの患者数の増加分の値に6224人を加えるとその時点の患者数になります。実際累計患者数と患者数の増加分の差が退院数+死者数です。
1週間後(7日後)の新規感染者の数が1.4倍ではなく1.5134倍になると仮定して予想感染者を計算すると8月3日時点での累計感染者数は予想値と実際値が赤色三角印(▲)の位置で一致します。すなわち非常に厳しい感染者数の増加(拡大)が続いていることになります。7日間で1.5倍になるという意味は4週間(約1ケ月)で5倍(=1.5x1.5x1.5x1.5)になるということです。発見された感染者が5倍ということは我々に新型コロナをうつす未確認の感染者も5倍程度存在すると考えるのが自然です。つまり同じ生活をしていれば感染確率は5倍になり、さらに1ケ月経てば感染確率は25倍になのということになります。当然ですが死亡する確率も1ケ月で5倍、2ケ月で25倍ですが、医療体制は崩壊するのでそれ以上の死亡確率になると思われます。それを防ぐには少しでも早く1倍以下にすることです。
政府の説明では第1波と違い第2波での死者数や重症者が少ないとの説明が頻繁になされているけれども第1波の時は、新規感染者のピーク(4月11日)から3週間後の5月2日が新規死者数のピーク(36人/日)で、同じく3週間後の5月1~3日が重症者のピーク(328人)であったことから、第2波は厳しい状況の始まりに過ぎないことは心の刻んでおく必要がありそうです。右のグラフは7月31日の19時のNHKニュースの死者数の推移の画面です。クリックすると重症者のグラフと並べて表示します。
新規感染者が下がり始めるピークに、いつなるのか判らないのは深刻な問題です。経済のことを考えて対策を躊躇していると累積感染者は加速度的(2次曲線的)に増えていくばかりです。数倍に膨れ上がってから対策をとっても長期化して結局は経済のダメージが大きくなってしまった例は世界で多く見られています。失われなくてもよかった命も早い対策で救われることも多いと思います。強力な対策を行うタイミングは難しいと思いますが、少なくとも感染防止意識を低減させるような「死者数や重症者が少ないから...」や「重症化しにくい若者が多いから...」などの言動や政策(Gt Toトラベルなど)は控えてほしいものです。つまり「死者数や重症者が少ないけれども...」や「若者の感染比率が多いことにより感染が広まり...」のような表現が大切です。
週初め(月・火・水)に数値が下がるのは行政や医療の体制の関係で土曜日と日曜日のPCR検査件数が少なくなることが影響している可能性が高いと思われます。そのような関係から、下がる傾向に見える場合もありますが、6月23日以降は曜日別で見ると全て新規感染者が増え続けています。これは第1波の時も同じでした。グラフをクリックすると大きなグラフを表示します。
2020年7月24日追記 タイトル:これから先の感染者数は?
2020年7月23日の新規感染者数が981人(約1000人)となりました。さらに6月29日追記の時点から掲載している右のグラフの通り、1週間前の新規感染者数に対して約1.7倍の新規感染者が3週間続いて下がる兆候が見られません。現時点は重症者は少なく新たな死者も少ないけれども感染者が増加すればいずれも増加してしま巣ます。そこで7月17日~23日の1週間の実績パターンを使って1週間ごとに1.7倍の新規感染者数になると想定してこれから先の8週間の新規感染者数と累計感染者数を計算してグラフ化いたしました。1ケ月後の新規感染者数は約8,000人で、今からの累計感染者数は約8.2万人です。2ケ月後の累積感染者数は約98万人になります。油断すればすぐに驚異的な感染者数になるのが新型コロナの特徴であるようです。本グラフはあくまでも現在の感染対策や対策に人の人数が変わらない仮定したグラフではありますが、何らかの強力な対策をすぐにでも行わないと結果的に経済抑制期間が長くなってしまう可能性が高いように感じます。
参考に1.4倍の場合のグラフも紹介します。1.4倍でも1ケ月後の新規感染者数は約3,800人で、今からの累計感染者数は約4.6万人です。2ケ月後の累積感染者数は約26万人になります。
仮にすぐに1.0倍になったとしても現在の新規感染者が維持さことなので、1ケ月後には累積感染者数は1.9万人が現在の数値に加算されて、2ケ月後には3.8万人が加算されます。早く1.0倍以下の数値にしなければ将来の負担が大きくなるように感じます。
0.7倍になった時のグラフも紹介します。当然ですが1.0倍以下になって初めて新規感染者は減り始めます。この勢いで新規感染者が減っていっても2ケ月後には約1万人の感染者が現在の累計感染者数に上乗せされてしまいます。
2020年7月17日追記
タイトル:第2波は第1波を越える勢いです。
第1波感染拡大の時と比較するために2020年3月16日からの新規感染者数(速度)と、新規感染者数の1週間前に対する倍率(加速度)を一緒に記載したグラフを紹介します。第2派の新規感染者は現時点(7月16日)で第1派を越えていませんが、1週間前に対する比率(倍率)は下がっていく雰囲気がありませんこれからさらに感染者が増える兆候なのです。第1波の同じ時期(4月9日)は感染者は植えている状況でしたが1週間前に対する比率(倍率)は下がっていたのとは大きく違うところです。つまりどこまで感染者が増えるか現時点では分からない非常に危険な状態の可能性があるということなのです。
第1波は倍率(比率)のピークは3月28日で、そこで急ブレーキがかかり新規感染者数のピーク(720人/日)は、倍率のピークから約2週間後(13日後)の4月11日でした。今回の倍率(加速度)のピークは7月4日です。第1波の感染拡大と同じ経緯ならば新規感染者数(速度)は倍率のピークから2週間後ですが、急ブレーキは架かっていません。倍率(加速度)が下がってこないかぎり新規感染者のピークは先になってしまい新規感染者数も累積感染者数も患者数も増えてしまいます。第1波感染拡大の時は倍率がピークの3日前の3月25日に東京都知事の緊急記者会見があり、倍率がピークの9日後の4月7日に緊急事態宣言が行われて、緊張感がある中で、やっと新規感染者数が4月11日にピークとなり下がり始めた経験は忘れてはいけないと思います。右は3月16日からの新規感染者数(全国と東京)のグラフです。世界からは日本で第2波の感染の拡大始まったと判断されることでしょう。イメージ的には第1波の時の 3月23日~29日(月~日) が第2波の 6月29日~7月5日(月~日) に相当しているように感じます。それぞれの翌週の3月30日~4月5日(月~日)と6月6日~12日(月~日)を比較し、さらに翌々週を比較すると第2波の推移の予想の参考になるかもしれません。1週間単位で比較するのは感染確認数に1週間サイクルの傾向が見受けられるためです。
第1波の時は緊急事態宣言が発令された週( 4月6日~12日 )の翌週には新規感染者数が下がり始めましたが、危機感の少ない第2波の同じタイミングの週( 7月13日~19日 )の翌週に新規感染者が下がり始める可能性は少ないように感じられます。そうなれば病床および待機ホテル部屋数が足らなくなる可能性も高くなります。国民の気を引き締めなければならない中で、実害の有る無しに関わらず、気の緩みを助長しかねないGo To トラベルに対して、立場の違いでいろんな意見があるはずなのに専門家会議(分科会)が政府の方針(東京都を除外して実施)に異議を唱えないのは不思議です。→(7月16日の分科会で専門家の尾身会長から判断の先延ばしを提言したが採用されなかったことが、7月29日に判明)
二階俊博幹事長が全国旅行業協会の会長をしていることが影響している可能性があります。新型コロナは専門家でも判らないことが多い中では、感染爆発を起こせば悲惨な結果になる場合のように、結果が重大災害をまねくケースでは、可能性が少ないように思えても、安全サイドに考える慎重さが大切です。
下のグラフのように、1週間で新規感染者が約1.7倍も増加する状況は続いていて、いろんな対策が行われていますが落ち着てくる兆候はありません。患者数は800人台まで下がっていましたが僅か4週間で6.2倍(=5332÷857)になりました。1週間(月~日)の中で1番新規感染者数が多かった日の推移は113人/日→274人/日→430人/日→661人/日となっており、今週末には1000人/日に近い数値が発表されてもおかしくない推移です。強力な対策が行われなければ増加し続ける可能性が高まってきているようです。(2020年7月22日追記)
シンプルで判りやすいと思い、第1波も含めて範囲で日々の新規感染者数と累計感染者数などを同じグラフにしたものを掲載しました。重要な患者数(その時点で感染している人数)も入れました。数値は全てNHKが発表したものを使用しています。ただし、患者数は直接発表された数値ではなく下の式で計算した数値です。2020年5月9日以前は退院数の発表数値が不正確と思われるため破線にしています。死者数や重症者数は落ち着いているように見えますが、増加する兆候が見え始めました。
患者数 = 累積患者数 - 退院数 - 死亡数
2020年6月29日追記 7月16日更新
タイトル:新型コロナの患者数が上昇に転じました。
2022年9月29日更新 タイトル:回復者数の発表がなくなりました。患者数(=累積感染者数-死者数-退院者数)はピークとなった2020年4月下旬以降は減り続けて6月20日前後には800人台まで下がりましたが、6月20日を境にすぐに上昇に転じてしまいました。これは日々の退院者数( )よりも新規感染者数( )が多くなってしまったためです。患者数( )が増え続ければいつかは破綻してしまうので何らかの対応が必要になってくる可能性もあります。空色の丸は日々の回復者数+死者数です。6月29日時点では、新規感染者数が、退院者数(回復者数)の最近の平均値である61人以下になれば、患者数の増加は抑えられます。新規感染者が61人程度であれば現状程度でバランスする意味でもあります。6月24日以降は回復者より遥かに多い新規感染者数になっているだけでなく、その差も大きくなって患者数(その時点で感染している人数 )も急激に増えています。(2020年7月5日追記)
絶対値は少ないけれども爆発的感染拡大につながる、1週間前の2倍以上の新規感染者が出始めました。要注意の状況なのかもしれません。1週間前もPCR検査は現状と同程度で行われていると考えられることから、PCR検査が以前(4月ごろ)に比べて増えたことが感染者の確認数の急激な増加の理由にはならないことから、現実に増えていると考えた方がよさそうです。
6月30日の2.4倍は、6月30日(火曜日)の新規感染者数138人/日を6月23日(火曜日)の新規感染者数57人/日で割ったものです。新規感染者などのグラフを次に更新する1週間後の7月7日には、少し先が想像できるのかもしれません。新規感染者数が感染者の速度とすれば、新規感染者数の変化である1週間前の倍率は加速度になります。つまり感染者の加速度のグラフということになります。新規感染者数だけを見ていると1週間サイクルで週初め(月・火・水)は少ない数値が出ることからピーク(下がり始める日)が近いと感じる場合がありますが、本グラフ倍率(比率)の数値が1倍以下が続かない限りはピークにはならないのです。本グラフを見る限りはピークはまだ見えないようです。7月12日以降の倍率(比率)は東京以外が全国および東京を上回っているので感染者が増えてきている道府県はこの先しばらくは強力な対策が必要と思われます。7月23日になっても新規感染者数の約1.7倍の増加は続いていて衰える様子はありません。危機的状況を脱する思い切った早期対策が望まれます。(2020年7月24日追記)
6月23日(火) 1.3倍= 57÷44
6月24日(水) 2.1倍= 96÷46
6月25日(木) 1.2倍= 82÷70
6月26日(金) 1.8倍=105÷58
6月27日(土) 1.4倍= 92÷64
6月28日(日) 2.1倍=113÷55
6月29日(月) 2.6倍=110÷43
6月30日(火) 2.4倍=138÷57
7月01日(水) 1.3倍=127÷96
7月02日(木) 2.4倍=194÷82 東京:2.2倍=107÷48
7月03日(金) 2.4倍=250÷105 東京:2.3倍=124÷54
7月04日(土) 3.0倍=274÷92 東京:2.3倍=131÷57
7月05日(日) 1.8倍=208÷113 東京:1.9倍=111÷60
7月06日(月) 1.6倍=176÷110 東京:1.8倍=102÷58
7月07日(火) 1.5倍=208÷138 東京:2.0倍=106÷54
7月08日(水) 1.6倍=207÷127 東京:1.1倍=75÷67
7月09日(木) 1.8倍=355÷194 東京:2.1倍=224÷107
7月10日(金) 1.7倍=430÷250 東京:2.0倍=243÷124
7月11日(土) 1.4倍=386÷274 東京:1.6倍=206÷131
7月12日(日) 2.0倍=407÷208 東京:1.9倍=206÷111
7月13日(月) 1.5倍=261÷176 東京:1.2倍=119÷102
7月14日(火) 1.6倍=332÷208 東京:1.3倍=143÷106
7月15日(水) 2.2倍=450÷207 東京:2.2倍=165÷75
7月16日(木) 1.8倍=624÷355 東京:1.3倍=286÷224
7月17日(金) 1.4倍=597÷430 東京:1.2倍=293÷243
7月18日(土) 1.7倍=661÷386 東京:1.4倍=290÷206
7月19日(日) 1.3倍=511÷407 東京:0.9倍=188÷206
7月20日(月) 1.6倍=419÷261 東京:1.4倍=168÷119
7月21日(火) 1.9倍=632÷332 東京:1.7倍=237÷143
7月22日(水) 1.8倍=795÷450 東京:1.4倍=238÷165
7月23日(木) 1.6倍=981÷624 東京:1.3倍=366÷286
7月24日(金) 1.3倍=771÷597 東京:0.9倍=260÷293
7月25日(土) 1.2倍=803÷661 東京:1.0倍=295÷290
7月26日(日) 1.6倍=835÷511 東京:1.3倍=239÷188
7月27日(月) 1.4倍=598÷419 東京:0.8倍=131÷168
7月28日(火) 1.6倍=981÷632 東京:1.1倍=266÷237
7月29日(水) 1.6倍=1264÷795 東京:1.1倍=250÷238
7月30日(木) 1.3倍=1301÷981 東京:1.0倍=367÷366
7月31日(金) 2.0倍=1580÷771 東京:1.8倍=463÷260
8月01日(土) 1.9倍=1536÷803 東京:1.6倍=472÷295
8月02日(日) 1.6倍=1332÷835 東京:1.2倍=292÷239
8月03日(月) 1.6倍=959÷598 東京:2.0倍=258÷131
8月04日(火) 1.3倍=1239÷981 東京:1.2倍=309÷266
8月05日(水) 1.1倍=1354÷1264 東京:1.1倍=263÷250
8月06日(木) 1.1倍=1485÷1301 東京:1.0倍=360÷367
8月07日(金) 1.0倍=1605÷1580 東京:1.0倍=462÷463
8月08日(土) 1.0倍=1568÷1536 東京:0.9倍=429÷472
8月09日(日) 1.1倍=1443÷1332 東京:1.1倍=331÷292
8月10日(月) 0.9倍=839÷958 東京:0.8倍=197÷258
8月11日(火) 0.6倍=700÷1239 東京:0.6倍=188÷309
8月12日(水) 0.7倍=977÷1354 東京:0.6倍=222÷263
8月13日(木) 0.8倍=1176÷1485 東京:0.6倍=206÷360
8月14日(金) 0.8倍=1358÷1605 東京:0.8倍=389÷462
8月15日(土) 0.8倍=1232÷1568 東京:0.9倍=385÷427
8月16日(日) 1.7倍=1020÷1443 東京:0.8倍=260÷331
8月17日(月) 0.8倍=647÷839 東京:0.8倍=161÷197
8月18日(火) 1.3倍=918÷699 東京:1.1倍=207÷188
8月19日(水) 1.1倍=1072÷979 東京:0.8倍=186÷222
8月20日(木) 1.0倍=1185÷1176 東京:1.6倍=339÷206
8月21日(金) 0.8倍=1034÷1358 東京:0.7倍=258÷389
8月22日(土) 0.8倍=984÷1231 東京:0.7倍=256÷385
東京都の例で、土曜日と日曜日の(PCR+抗原)検査件数が少なくなっている1週間サイクルを紹介します。このため新規感染者数の推移をみる場合も検査数の変化を影響で週初め(月・火・水)に数値が下がっているという観点でグラフを見る必要があると考えます。この1週間サイクルは日本だけでなくアメリカなど各国で見られる現象です。
コメント頂いた
累積感染者数 12,116人
死者数 353人
回復者数 7,821人
新規感染者数 7月1日:72人/日 7月2日:132人/日
人口 10,369,000人
アメリカの累積感染者数が200万人を超えた2020年6月11日は新規感染者は徐々に下がり22,900人/日でしたが、その時点から増加に転じて21日後の7月2日には54,500人/日になり、さらに増加が続く状態になってしまいました。感染を抑え込んでいる国がある中で「世界最強の国でなぜ?」と思ってしまいます。アメリカは州によって状況が全く違います。急速に感染を拡大しているのがニュースでもよく出てくるカルフォルニア(7,900人/日)、テキサス(6,800人/日)、フロリダ(10,100人/日)、アリゾナ(3,300人/日)、ジョージア(3,500人/日)などです。グラフを見ると恐ろしくなる勢いです。各州の括弧内の人数は7月2日の新規感染者数です。ちなみに累計感染者数395,872人のニューヨークの7月2日の新規感染者数は878人/日です。ニューヨークで最も多かった新規感染者数は4月15日の11,400人/日でした。
2020年6月22日追記 タイトル:じわじわ新規感染者が増えています。
2020年6月30日更新 タイトル:増加傾向が顕著になってきました。
2020年6月14日~6月21日まで関西に行っていました。6月21日(日曜日)の早朝の新幹線で千葉に帰宅いたしました。日曜日の早朝の新幹線にしたのは新型コロナへの感染リスクを低くするためです。私の乗った2号車は新大阪を出た時は私を含めて2名のみで品川を下りる時点で8名だったことから思惑通り感染リスクは低く抑えられたと思います。さっそく19のグラフを更新いたしました。最近の新型コロナ感染者数の特徴は新規感染者は低く抑えられてはいますが、すこしづつ増えていることだと思います。日々変化する上に感染者数の変化には1週間サイクルが見られることから7日間の移動平均で見ると、じわじわ新規感染者数が増える傾向であることが分かると思います。6月22日以降はさらに新規感染者の増加傾向が顕著になりました。
6月21日の移動平均の値は6月15日(月曜日)から6月21日(日曜日)の値を平均したものです。今までは基本的に19のグラフの更新は毎日行っていましたが、6月22日と29日に追加した6つのグラフ以外は1週間ごとの更新に変更しています。次の更新は火曜日の予定です。
大きなグラフの下の小さな2つのグラフは左が5月25日~6月22日のグラフで、右が6月22日~7月20日のグラフです。
全国の新規感染者数に大きく影響しているのが東京都の新規感染者数です。東京都のグラフを紹介します。明らかに新規感染者が増加傾向です。相談体制および検査体制の関係から土曜日と日曜日のPCR検査件数減少に影響して週初め(月・火・水)に新規感染者確認数が下がる傾向は全国だけでなく東京都にも見られることから曜日ごとの変化を注意深く見る必要があるようです。(202年7月16日追記)
参考に東京都以外を集計した46道府県のグラフも紹介します。東京都以外を集計した数値は、感染者の増加はなんとか抑えられているように感じていましたが6月22日以降は徐々に増え始めました。グラフをクリックすると5月25日から6月22日までのグラフを表示します。
比較しやすいように、全国、東京、東京以外の3つのグラフを並べてみました。
全国 東京 東京以外
同じグラフ上で東京都( 青色 )と東京以外( 緑色 )を比較できるようにしたものです。一番上の部分が日本全体の新規感染者数の推移です。
6月20日ごろ2~3週間に限って見ていると全国の10%の人口の東京都の新規感染者数が日本全体の60%に達しているのも特徴のようです。人口密度が高い東京の宿命なのかもしれません。マスコミ報道によれば20代か~30代の若者の感染者が目立ってきているのも最近の特徴だそうです。感染確率を下げるさらなる工夫が必要になっているように感じます。
比率の多かった東京都も7月20日には従来の約33%(累計感染者数での割合)に下がってきました。これは東京が減ってきたのではなく東京以外の地域の感染が急速に拡大してきたためです。
第1波が始まった2020年3月16日から都道府別の新規感染者数のグラフも紹介します。すでに掲載した3月16日からのいくつかのグラフでも表れているように各都道府県も1週間サイクルがあると思われることから、毎日の変化ではなく1週間ごとの変化を比べると判りやすいと思います。今は少ないと思って油断すると一気に感染者数が増えてしまうのが今回の新型コロナウイルスの特徴のようです。そして、その結果が1週間以上過ぎてから数値に現れてくるところも厄介なことです。感染者が少なかった3月23日以前を確認したい場合はクリックすると縦に伸ばしたグラフを表示します。
数値の表は8月23日0時時点の各都道府県の累計感染者数です。
東京都 | 19121人 | 大阪府 | 7720人 | 神奈川県 | 4369人 | ||
千葉県 | 2724人 | 埼玉県 | 3528人 | 福岡県 | 4055人 | ||
兵庫県 | 2105人 | 愛知県 | 4146人 | 北海道 | 1698人 | ||
京都府 | 1306人 | 他県+空港 | 11274人 | 日本全体 | 62046人 |
2020年6月13日追記 タイトル:次のグラフ更新は6月23日以降になります。
2020年6月14日の早朝から6月21日まで関西に行きます。ノートパソコンは持って行きますが、家のPCでないとグラフ編集に時間がかかってしまうためグラフ更新は千葉に帰宅してから行うので次のグラフ更新は6月23日以降にさせていただきます。また、関西に行っている間はネット環境の都合で皆様の所にも訪問出来ないことをお許しください。右の小さな花の写真は6月10日に咲いたサボテンの花で、現時点の最新の記事でもあります。写真をクリックすると、そのサボテンの花の記事を表示します。
2020年6月3日追記 タイトル:新規感染者の移動平均のグラフ
新型コロナの感染確認数は曜日によりバラツキ(月曜日が少なく木曜日金曜日が多くなる傾向)がある上、クラスターがあるとその日だけ数値が跳ね上がるので、右のグラフでは分かりにくいことから移動平均にしたグラフも紹介します。移動平均のグラフを10秒表示した後に実際の感染確認数を1秒表示することを繰り返します。本グラフであれば現在感染数が上がる傾向にあるのか下がる傾向にあるのかが判断しやすいと思います。丸印(●●●●●●●)は実際の感染確認数です。6月2日の数値は5月27日から6月2日までの平均値です。本グラフは変化が緩慢なため感染の爆発的拡大に関しては右上をクリックすると表示される実際の感染確認数のグラフで判断してください。
4月6日からの移動平均のグラフも紹介します。大局的な視点で見れるかもしれません。こちらも丸印(●●●●●●●)は実際の感染確認数です。クリックすると拡大します。
2020年5月14日追記 5月25日更新 タイトル:最近の新規感染者のグラフ
徹底した自粛が行われたゴールデンウイークも終わり、1週間前から仕事や通勤が始まり、5月14日には39県の非常事態宣言が解除されるなど、これから2~3週間は新規感染者の推移に眼が離せないので、右のグラフの後ろ3週間を拡大したグラフを作ってみました。上のグラフをクリックすると広い範囲を表示します。月曜日(●)以外の火・水・木・金・土・日(●●●●●●)は4週間連続下がってきていますが、出勤が始まった影響が出始める5月19日以降の推移に注目してみたいと思います。緊急事態制限解除の影響が出てくるならば5月22日以降と思われます。そんな中で、5月24日に感染者の確認数が1週間前の数値より大きく(1.6倍=14÷26)上がりました。1週間前の数値より大きく上がったのは4月20日(1.13倍)以来です。その間に5月4日(1.02倍)と5月14日(1.04倍)の2度小さな上昇はありましたが31回は1週間前より下がっています。緊急事態宣言解除などで気が緩みやすい時期だけに、今までよりも気を引き締めて感染防止の生活を心がけた方がよさそうです。(5月25日追記) グラフをクリックすると緊急事態宣言の前日の4月6日からの数値付グラフを表示します。
新型コロナの感染数の推移に影響のある事象をリストアップいたしました。事象をグラフにも書き込みました。クリックすると文字が読める大きさのグラフを表示します。
3月25日 東京都緊急記者会見 96人/日 東京:41人/日
4月07日 緊急事態宣言(7都府県) 368人/日
4月11日 最大感染者発生日 720人/日
4月16日 緊急事態宣言(全都道府県) GWを見据えた対応
4月29日~5月06日 GW中に徹底した行動自粛が自主的に行われた
5月07日&5月11日 仕事の再開
5月14日 緊急事態宣言・39県解除 8都道府県継続
5月21日 緊急事態宣言・関西圏解除 首都圏&北海道継続
5月25日 緊急事態宣言・全て解除
6月19日 全国移動自粛解除
都道府県の新規感染者の比率が分かるグラフも掲載いたしました。感染者の人数(人/日)と感染者の比率を10秒ごとに交互に表示しています。比率のグラフに関して日本全体の新規感染者数を100%としています。右側の棒グラフは各都道府県の累計感染者数と人口で、日本全体を100%として作っています。東京と大阪の感染者は人口比に比べて多いことから、単に人口の多さだけでなく人口密度の高さや3密の数の多さが少なからず関係している可能性があるように感じます。10秒ごとですが、切り替わるとじっくり見ることが出来ないのでグラフをクリックすると2020年3月9日からの下段の横長の拡大グラフを表示するように設定しています。5月23日から福岡県の感染者が増えているのは、北九州市で多くの感染者が出ているためです。(5月29日追記)
今までは東京都が毎日更新している陽性率の推移のグラフのハードコピー(右)を貼りつれていましたが、注意書きが下になるなどアレンジが変わりコンパクトになったことから埋込コードに変更いたしました。(6月8日) 陽性率は過去7日間の移動平均値です。5月7日以降の検査件数( 陽性者数 + 陰性者数 )が増えているのは、5月6日以前の集計には医療機関での保険適用検査数が含められていないためです。つまり5月6日以前(約400件/日)と5月7日以降の検査数(約1000件/日)の差が、東京都での保険適用検査数ということになります。一時期高い数値を示していた陽性率も、5月15日(5月9日~5月15日の平均)には1.4%まで下がり、5月20日には0.8%まで下がり、その後は上昇に転じで5月31日は1.9%となり、6月25日には2.7%になっています。(6月27日修正)
計算式 : 陽性率 = 陽性者数 ÷ ( 陽性者数 + 陰性者数 )
下の2組の3つの数値はJohns Hopkins大学(JHU) の日本時間2020年6月25日12時33分と2020年7月04日12時33分にアップデート(更新)された世界全体の新型コロナ感染情報です。24時間(1~数時間ごとに)更新されています。いずれの数値も累計です。回復者数に関してはフォローされていない国が多いので参考です。多い順に国名を紹介します。下記グラフは累積感染者の多い5ケ国の2020年5月25日時点の日々の新規感染者の確認数の推移です。米国と英国の新規感染者数は下がっていますが減少傾向は少なく長引きそうで、感染者数は増加している状況です。スペインは新規感染者数に関しては収束しつつある状況です。ロシアの新規感染者は下がり始めたばかりで先行きはまだ分からない状況です。最も感染者の多い米国の5月28日7時32分(5時32分)の数値は感染者1,697,459人(1,694,599人)、死者100,271人(99,983人)、回復者391,508人(384,902人)です。ブラジルは爆発的に感染者が増えている状況です。
グラフをクリックすると5ケ国を同時に表示します。
2020年6月25日12時33分更新
感染者数 9,408,757人 米国 ブラジル ロシア インド 英国
死者数 482,184人 米国 ブラジル 英国 イタリア フランス
回復者数 4,729,511人 ブラジル 米国 ロシア インド チリ
2020年7月04日12時33分更新
感染者数 11,049,505人 米国 ブラジル ロシア インド ペルー
死者数 524,677人 米国 ブラジル 英国 イタリア フランス
回復者数 5,849,347人 ブラジル 米国 ロシア インド チリ
アメリカの新型コロナによる死者数が10万人を超えました。NHKのNEWS WEBの記事の内容を枠内に転記いたします。ニュースが掲載された時刻が7時26分であることから、10万人を越えた瞬間はJohns Hopkins大学(JHU) のHPが5月28日6時32分(日本時間)に更新した100,047人と思われます。
下記の数値は死者が10万人を越えた日から14日目の2020年6月11日7時33分(日本時間)の時点のアメリカの新型コロナ感染情報です。悲しいことに5月28日~6月11日の14日間では1日平均893人(=(112769-100271)÷14)が亡くなっているペースです。アメリカも日本のように一週間サイクルで変化しています。
右のグラフは毎日の新規感染者(人/日)です。参考のために日本とアメリカを交互に出しています。
感染者数 1,997,636人
死者数 112,769人
回復者数 533,504人
患者数 1,351,363人 ( = 1,997,636人 - 112,769人 - 533,504人 )
死亡率 5.6%~17.4%( =112,769人÷(112,769人+533,504人) )の間
アメリカで死者10万人超える 世界全体の3割 新型コロナNHK NEWS WEB 2020年5月28日 7時26分アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のまとめによりますと、アメリカで、新型コロナウイルスに感染して死亡した人が、10万人を超えました。これは世界全体で感染して亡くなった人のおよそ3割にのぼります。
アメリカで最初の死者が確認されたのは、3か月前にあたる2月中だったとされています。死者が5万人に達したのが先月27日で、 1か月で10万人に倍増したことになります。
アメリカでは、感染のピークは過ぎたとして今月20日、全米50州すべてで業種や地域を限定して経済活動が再開されていますが、いまも1日あたりの死者は500人前後にのぼっています。
そして6月11日にアメリカの累計感染者数が200万人を超えたとの報道が枠内のようにありました。Johns Hopkins大学(JHU) の新型コロナのHPでは6月11日11時33分(日本時間)更新の数値では1,999,900人でしたが6月11日12時33分更新では2,000,464人になりました。IRIB通信によると、それより早く米メディアは6月10日に2,045,549人に達したとの報道があったそうです。
アメリカで感染者200万人超える 南西部で急増 規制緩和が要因か6/11(木) 13:13配信 ANNニュースアメリカでは、新型コロナウイルスの感染者が200万人を超えた。カリフォルニア州などで新たな感染者が急増し、第2波への懸念が広がっている。 カリフォルニア州では、先週の新たな感染者数が前の週より40%ほど増え、感染が最も深刻なニューヨーク州の先週の新たな感染者の約3倍になった。アリゾナ州とユタ州の先週の新規感染者も大きく増えている。また、フロリダ州では先週1週間で8553人の感染が確認され、週単位の増加数では最多となった。いずれの州も外出制限が緩和され、人が集まる機会が増えたことが要因とみられている。