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バイモ(貝母) アミガサユリ(編笠百合) テンガイユリ(天蓋百合) [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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実家の庭の花の中で、母が気に入っている一つが上の写真のユリ科のバイモ(貝母)です。Wikipediaによれば正式の種名はアミガサユリだそうですが、バイモと呼ぶ方が一般的なようだし母もバイモと呼んでいます。分類は次の通りで、ユリ科バイモ属の半蔓性多年草です。原産地は中国で、現在は日本(貝母)、韓国(패모)、モンゴル、新疆ウイグル自治区、カザフスタン、シベリアのアルタイ地方に自生していると書かれているサイトもありました。クリックすると拡大日本では梅雨頃から休眠するのも特徴だそうです。鱗茎(球根の6種類の1つ)が二枚の厚い貝状の鱗片が相対していることに由来して貝母(ばいも)の名が付いたそうです。右の鱗茎の写真はネットから転用させていただきました。
蔓(つる)植物に見えないのに半蔓性多年草(半つる性多年草)と説明されているは葉の先が巻き付き気味の形をしているためではないかと想定しています。ただし、はっきりと巻き付いている葉はありませんでした。
バイモ(アミガサユリ)の分類を紹介します。バイモ属の中にはクロユリがあります。右の2枚はWkipediaの写真です。クリックすると拡大
  界 植物界    Plantae
    被子植物   Angiosperms
    単子葉類   Monocots
  目 ユリ目    Liliales
  科 ユリ科    Liliaceae
  属 バイモ属   Fritillaria
クリックすると拡大  種 アミガサユリ Fritillaria verticillata
 呼名 バイモ    貝母
    アミガサユリ 編笠百合
    テンガイユリ 天蓋百合 ※1
 英名 Fritillaria thunbergii Miq
中国名 贝母 贝母花 羊肚菌百合
韓国名 패모
※1:Wikipediaではバイモの和名(別名)がテンガイユリ(天蓋百合)と書かれていますが、一般的にオニユリ(鬼百合)のこともテンガイユリ(天蓋百合)と呼ばれているようで、テンガイユリ(天蓋百合)検索するとほとんどがオニユリになってしまいます。

実家のバイモの背丈が判る角度の写真を紹介します。
クリックすると拡大Wikipediaによれば「茎高50cm程度で茎頂に2つほどの花を下向きに咲かせる」とありますが、実家のバイモの背丈は94cmで、一番上の花の高さは82cmあり、花は写真のように沢山つけています。別の種類かもしれないと思いましたが、ネットから転用させていただいた右の写真のように東京都清瀬市の明治薬科大学薬草園のバイモ(アミガサユリ)は、実家のバイモと同じように沢山花をつけていました。海外のWikipediaによれば7つ咲くこともあるそうです。実家の背の高いバイモは5株で花は背の高い順に6つ、6つ、6つ、2つ、3つで、少し手前に小さな株があり1つ花をつけています。クリックすると拡大母がこのバイモを気に入っている理由の一つが大きく育っていることです。ちなみに右奥に見えている赤色の花の椿は父と同じ名前「正義(まさよし)」です。久留米地方を中心に江戸時代から普及していた正義(まさよし)をヨーロッパに持ち帰って普及させたのがドイツ人医師で植物学者のシーボルトでした。ヨーロッパ名はドンケラリーです。右の写真が正義でクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大こちらがバイモの花のアップです。クリックすると面積で16倍に拡大いたします。本記事に掲載している写真は2枚を除いてすべて面積で16倍に拡大いたします。明治薬科大学薬草園の説明板には右のように英名はFritillaria thunbergii Miq.と書かれていました。バイモは薬草なのでWikipediaに書かれている薬効と副作用を枠内に転記いたしました。枠内のバイモの鱗茎を乾燥させた写真はネットから転用させていただきました。その形が貝母の名前の由来です。
クリックすると拡大乾燥させた鱗茎は貝母と呼ばれる生薬として日本薬局方に収載されており、粉末が去痰・鎮咳・催乳・鎮痛・止血などに用いられる。貝母は、清肺湯(せいはいさん)、滋陰至宝湯(じいんしほうとう)などの漢方処方に用いられる。
鱗茎をはじめ全草にフリチリン・フリチラリン・ベルチシンなどのアルカロイドを含む。心筋を侵す作用があるので副作用として血圧低下、呼吸麻痺、中枢神経麻痺を引き起こす事もある。また、呼吸数や心拍数が低下する事もあるため、使用時は量に注意すべきである。
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花を下からフラッシュを使って撮りました。内側には独特の模様があります。バイモ(貝母)やアミガサユリ(編笠百合)やテンガイユリ(天蓋百合)以外に流通名ではバイモユリ(貝母百合)やフリチラリア・ツンベルギー(Fritillaria thunbergii)も使われています。
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1つの花を拡大いたしました。
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フラッシュを使わないで撮ると花弁が透けるようなイメージになることが判りました。
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もう少し広い範囲のフラッシュなしの写真を紹介します。
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クリックすると拡大下向きの花はカメラの液晶モニターの向きを変えて上向きで撮りました。液晶モニターの角度が180度変えられるのでレンズを向ける方向がうまくいきました。地面すれすれから水平を撮る時や、自撮りにも便利にしています。


椿の正義(まさよし ヨーロッパ名:ドンケラリー/Donckelarii )は上で小さな写真では紹介しましたが大きな写真を紹介します。咲いている花の中で一番大きいものを撮りましたが、花の直径を計り忘れました。残っている少し小さい花の直径を計ると11cmなので、写真の物は12cmを超えていたように感じます。写真をクリックすると面積で24.9倍に拡大いたします。
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シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)が船で正義をヨーロッパに持ち帰るところからの経緯を久留米物語の記載内容を枠内に転記する形で紹介します。シーボルトの肖像画(日本で描かれた)と写真(晩年)はWikipediaから転用させていただきました。
クリックすると拡大文政12年(1829年)12月、シーボルトはオランダ船ジャワ号に、植物と動物の標本、生きた植物のコレクションを積み込み、日本を離れました。その中に「正義」が含まれていたのです。航海中、多数の植物が枯れましたが、翌年7月にアントワープ港に到着し「正義」を含むツバキの接ぎ木苗5株は枯死寸前で荷揚げされました。「正義」は植物園で養生され、息を吹き返します。そして、植物園園長の名にちなみ「ドンケラリー」と命名されました。
クリックすると拡大ドンケラリーはシーボルトらの尽力で欧米に広まり、その大輪の華麗な花柄が人気を呼んでヤブツバキを代表する名花として愛されています。
戦後、「ドンケラリー」は日本に里帰りしました。現在、草野町には、樹齢300年などの「正義」の古木が6株あります。そのいずれかが「ドンケラリー」の母株といわれています。
シーボルトは、著書の中で、ツバキについてこう書いています。
ツバキは愛好家にとっても商業園芸家にとっても、冷温室の最大の宝物となっており、しかもそれが冬のバラであるが故に、ますますその栄誉に値するものとなっている。ツバキはその花の美しい様子によって、この季節の他の植物の緑の単調さを際立たせているのである

タグ:ゆり 実家
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台北/龍都酒楼 高雄/海天下 [台湾]

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上の写真はピッツバーク空港の朝(6時59分/日本時間19時59分)の写真です。タイトルにあるように、台湾の中華料理店の記事なのに、いきなりアメリカの空港の写真を掲載してのを不思議に感じている方もおられると思います。前記事「1泊2日の台湾旅行」の中に台北の地図を掲載しましたが、その中に龍都酒楼と言う名のレストランがあり、そこで食事した日を調べてみると、ビッツバークから日本に帰った日の翌日に、台湾に出発してその日の夕食を食べたレストランが龍都酒楼であったことが分かったので、記事の冒頭にビッツバーク空港の写真から始めさせていただきました。下記が日本からピッツバーグに出発ところからのフライトスケジュールです。ピッツバーグの記事はこちらです。→ポチッ
 8月3日 UA884 成田 → シカゴ
 8月3日 UA734 シカゴ → ピッツバーグ
 8月5日 UA707 ピッツバーグ → シカゴ
 8月5日 UA881 シカゴ → 成田(8月6日着) 自宅1泊
 8月7日 EG201 成田 → 台北 龍都酒楼
 8月8日 GE563 台北 → 高雄 海天下
 8月9日 EG278 高雄 → 成田 
GE:トランスアジア航空

台北/龍都酒楼
そして、こちらが台北の龍都酒楼です。台湾に着いた日(8月7日)の夕食を食べたレストランです。
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台湾ナビと言うサイトで確認すると広東式ダックが名物と書かれていました。やはり広東式ダックを注文していました。
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ダックの部分を拡大いたしました。ダック料理と言えば北京ダックが有名ですが、地域によっていろんなダック料理があるようようです。
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別のテーブルでダックを切り分けていたので写真を撮らせていただきました。
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こちらは海老が入ったサラダです。
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生のレタスがどーんと置かれました。
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海老が沢山入ったこちらの具を上のレタスで包んで食べる料理です。
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お店の方がレタスに具をのせてくれました。あとは手で包んで食べました。
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こちらの焼売もおいしかったです。
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ホタテなどのシーフードが沢山入った料理です。
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こちらは高級な干しホタテがたっぷり入ったあんをかけた料理です。
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えびを湯葉で巻いて揚げた料理です。中国語の料理名は鮮蝦腐皮巻です。日本語だと「蝦の湯葉巻」になります。台湾ナビのサイトで一押しの料理でした。
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龍都酒楼( )はすでに場所を紹介した青葉( )と梅子( )の間です。
 名前 龍都酒楼
 住所 台北市中山北路一段105巷18−1号  
 電話 02-2563-9293
 営業 11:30~14:30 17:30~22:00
 定休 年中無休
 ナピ https://www.taipeinavi.com/food/159/


お店(龍都酒楼)のストリートビュー(SV)です。


台北のホテルの泊まった部屋です。たぶん、台北で一番よく泊まった華泰王子大飯店だと思いますが、窓がカーテンではなくブラインドなので、違うホテルの可能性もあります。
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高雄/海天下
翌朝にトランスアジア航空(GE)で高雄に移動しました。こちらの写真はホテルの部屋の窓からの高雄港の景色です。泊まったホテルの名前は覚えていませんが現在のGrand Hi-Lai Hotelから見たSVの景色の角度に似ています。
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高雄での夕食は海天下と呼ばれているレストランで食べました。正式には海天下海産餐庁です。先ずは前菜を注文しました。これは小さな巻貝です。普通は殻のまま出てくるので、自分で爪楊枝で身を取り出しながらたべるのですが、こちらのお店では最初から身を取り出していました。これがなかなかの美味なのです。
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小エビの前菜です。こちらもおいしかったです。
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中華料理と言えば大皿からみんながとって食べるのが多いけれども、ここはフランス料理のように一人一人に料理が順番に出されました。一見、塩鮭かなと思いますが左が頭で右が尻尾の魚です。
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分かりにくいので拡大しました。お腹の部分だけ取り除いてから揚げにされています。
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こちらは肉料理です。
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大きな蟹の半分が一人前です。やっぱり蟹は美味しいです。
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最後の〆は炒飯でした。
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アオサのスープも出てきました。
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海天下海産餐庁( )の場所を地図で紹介します。赤崁檐仔麺( )と紅毛港海鮮餐廳( )はすでに記事で紹介しています。世界全体に広げた地図も紹介します。地図内のマークをクリックして出てきたURLをクリックすると記事を表示します。
 名前 海天下海産餐庁
 住所 高雄市新興區林森二路188號  
 電話 07-281-0651
 営業 11:00~14:00 17:00~21:30
 定休 年中無休



海天下海産餐庁のSV画像を紹介します。海天下の大きな看板があります。


クリックすると拡大こちらが高雄で泊まったホテルです。部屋の中には健康器具も置かれていて新しいホテルなのでGrand Hi-Lai Hotelの可能性が高いように感じます。ネットにある動画を見るとスタンドやベッドやドアからGrand Hi-Lai Hotel(高雄漢來大飯店)であることを確信しました。
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クリックすると拡大7日間の移動ルートです。
ピッツバーグで1番気に入った景色が右の写真です。アレゲニー川(左)とモノンガヒラ川(右)が合流しオハイオ川になって左下方向に流れていく場所です。右の景色に出会えたのはケーブルカーで登った丘の上に建つマンションの最上階にある有名なシーフード・レストランで食事をする機会があり、そのレストランでも、この景色が常に見ることが出来るコーナーの席を用意しもらえたためです。



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1泊2日の台湾旅行 [台湾]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2つ前の記事「ローストビーフ握り寿司」の中で海外への旅で最短滞在日数だったのが台湾への1泊2日(2006年09月07日~2006年09月08日)だったことを紹介したので、その時の写真を紹介したいと思います。上の写真は1泊2日の海外の旅であったことが分かるパスポートのページです。ページにS-15と書かれているのは増補した部分の15ページを表しています。日本での出国と帰国のスタンプは赤色のマークのところです。クリックすると拡大
 出国 7. SEP. 2006  帰国 8. SEP. 2006
パスポートは増補(40ページ)しているのでスタンプ押せる場所は計82ページありますが、帰国時には出国時のスタンプを探し出して同じページに帰国(入国)スタンプを押してくれていました。

この時はブログに書く予定はなかったことから魅力的な写真は撮っていなかったので、記録写真程度のつもりで見ていただければ幸いです。往復のフライトは下記の通りです。ただし出発と到着の時刻は現在のフライトでの時刻です。ただし、帰国日の搭乗券だけは写真に撮っているので、台北のBR2196の出発時刻は14:55であることは判っています。つまり現在よりは10分早かったのです。
こちらの写真はANA(全日空)のラウンジで食べたお蕎麦です。
 2006年9月7日 BR2191 成田09:20→台北12:25 ANA機 4時間05分
 2006年9月8日 BR2196 台北15:05→成田19:00 EWA機 2時間55分
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こちらは機内で食事前に出された飲み物とツマミです。残念ながら機内食は撮っていませんでした。
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台湾桃園国際空港に着いて入国審査場で入国スタンプを押してもらいました。こちらも出国時に入国スタンプを探し出して見開きのページに出国スタンプを押してもらえたので、このページで台湾への1泊2日の旅であったことが分かっていただけると思います。台湾はこのページだけで3回入出国しています。台湾でのこの時の入国と出国のスタンプは赤色のマークのところです。台湾以外に中国の浦東空港とドイツのミュンヘン空港の入国と出国のスタンプも押されています。クリックすると拡大ドイツのミュンヘンは同じに日(2006年11月9日)に入国して出国しています。イスタンブールから帰りミュンヘン空港で5時間待ちのトランジットだったので右の写真の有名な時計塔を見るためと美味しいビールを飲むために町に出てみたのです。
 台湾  入国 SEP 07.2006  出国 SEP 08 2006
 台湾  入国 AUG 07.2006   出国 AUG 09.2006
 台湾  入国 NOV 20.2006   出国 NOV 22.2006
 中国  入国 7月09日 2006   出国 7月15日 2006
 ドイツ 入国 11月9日 2006   出国 11月9日 2006
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残念ながら昼間の写真は撮っていなかったので、夕食の写真を紹介します。もちろん台湾の中華料理です。先ずは前菜です。飲み物は、最初の台湾ビールを頼んで、次からは紹興酒を飲むのが台湾でのいつものパターンです。中国の時のように強いお酒は飲まなかったです。料理の種類は覚えていませんが、料理の写真から、湖南料理と台湾料理と広東料理と四川料理などからチョイスしたように感じます。先ずは前菜です。この時18時52分でした。
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クリックすると拡大お酒に合う台湾らし美味しい料理でした。料理の名前は富貴雙方です。手前に並べられているのは金華ハムで、奥は煎餅状のものです。別に置かれている皮状のもので右の写真のように挟んで食べます。右の写真はネットから転用させていただきました。
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クリックすると拡大皮が右上に写った写真も紹介します。上の写真にも少しですが右上に皮が写っていました。台湾の7-ELEVENのサイトでも売られていました。右の写真は別の機会に同じお店で食べたと思われる富貴雙方です。同じお店の根拠は並べ方と飾りの花の種類です。
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茹でた青い野菜の上にたっぷりのピリカラ海老を乗せた料理です。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックすると更に拡大します。
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こちらはピリ辛ですが、台湾風の料理です。
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帆立のほぐし身が沢山入った野菜料理です。薄味なのが台湾風です。
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薄くスライスした肉が野菜の上に沢山盛られた料理です。どれも紹興酒にピッタリでした。
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メロン(瓜)をくり抜いて器にした料理です。湖南料理店で同じ料理を食べたことがあります。その時は写真を撮っていませんでした。2回目に行った時は鶏肉が苦手な人がいたので注文できませんでしたが、やっと写真を撮ることが出来ました。これは1人に1つづ出てきました。この料理が出てきたことからお店の名前は彭園湘菜館だと思います。
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スープと鶏肉とメロンの果肉を一緒に食べます。
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Google地図で彭園湘菜館( )の場所を紹介します。
南北に走る林森北路と東西に走る民生東路の交差点の北西に建つビルにあります。一番多く泊まった華泰王子大飯店や初めて台湾に行った時に泊まった国賓大飯店も近くにあります。京鼎樓( )は小籠包の専門店です。青葉( )や梅子餐廰( )もよく食べに行きました。龍都酒楼( )にも行ったことがありました。龍都酒楼には8月6日にピッツバーグ(米国)から帰国して翌日の8月7日に台湾に来て、その日の夕食を食べたお店でもあります。ピッツバークには8月3日に成田空港を出発していきました。クリックすると拡大
 名前 彭園湘菜館 林森店
 住所 台北市林森北路380号  
 電話 02-2551-9157
 営業 11:30~14:00 17:30~21:00
 定休 年中無休


帰国日である翌日(9月8日)の昼食はゴルフ場のラウンジで食べました。残念ながら午前中は写真を撮っていませんでした。
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この豚肉の料理は美味しかったです。日本への帰国便の出発時刻は14時55分だったので、食事が終わったら空港に直行いたしました。
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こちらが搭乗券です。出発時刻が14時55分に対して搭乗時刻は14時23分と書かれていました。搭乗時刻は通常は5分単位ですが、このように1分単位で書かれていたのは初めてで、これ以降もお目にかかったことはないと思います。珍しいので写真を撮ったのだと思います。
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エバー航空のラウンジです。台湾だけあって2種類の炒飯が置かれていました。
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台湾らしく包物も沢山の種類が置かれていました。
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ビールに合うソーセージもありました。後排加熱中(The food behind the first line is not ready.)と書かれています。表示部分より後ろ側は加熱中のようです。つまり3本は食べ頃で残りは、まだ加熱中ということになります。
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蕃薯と書かれた壺が置かれていました。壺の中には焼き芋が入っていました。
クリックすると拡大蕃薯(ばんしょ)は薩摩芋(さつまいも)のことのようです。文字として蕃藷も使われます。日本では甘藷(かんしょ)や唐芋(からいも)とも呼ばれていますが、台湾では一般的に蕃薯とよばれているようです。
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こちらが帰国便で乘った飛行機です。EVA AIRと書かれています。漢字では長榮航空と書かれています。機体にはキティーちゃんのラッピングがされていました。日本からのフライトもチケットはEVA AIRでしたが全日空との共同運航便で機体は全日空機だったので、まだ乗ったことのなかったEVA AIRの機体に乘ってみたかったのです。
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機内食は台湾らしい内容でした。
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肉まんも出てきました。
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飛行機の中での蒸籠で出てくる小籠包は値打ちものでした。台北には美味しい小籠包のお店があることで有名で、日本にもお店を出しています。
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デザートも台湾らしかったです。滞在期間を韓国と比較してみると、韓国よりもかなり遠い台湾に1泊2日の旅に行ったのは特別だったとことが分かっていただけると思います。クリックすると拡大
      台湾  韓国
 1泊2日  1回
 2泊3日  9回  11回
 3泊4日  9回    5回
 4泊5日  4回
 5泊6日  3回
 6泊7日  6回
 7泊8日  1回
クリックすると拡大 8泊9日  1回
 9泊10日   2回
 13泊14日 1回
 合計   37回  16回
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この時のパスポートは4冊目(左下)でした。4冊目のパスポートの有効期限は2008年6月14日でしたが40ページ増補してもスタンプを押すスペースがなくなったので、期限の1年2ケ月前の2007年4月20日に新しいパスポートを作りました。
 1冊目 1983年11月28日~1988年11月28日  5年旅券 赤 旧
 2冊目 1988年10月28日~1993年10月28日  5年旅券 赤 旧 増補
 3冊目 1993年10月04日~1998年10月04日  5年旅券 黒
 4冊目 1998年06月14日~2008年06月14日 10年旅券 赤   増補
 5冊目 2007年04月20日~2017年04月20日 10年旅券 赤 IC 増補
 6冊目 2017年02月23日~2027年02月23日 10年旅券 赤 IC
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自然のトンネル Nido de los Aguiluchos [メキシコ]


2023年3月6日再掲載 タイトル:ついにGoogleのSVで見つけました。

前記事ローストビーフ握り寿司の中でメキシコのお寿司のことにクリックすると拡大ふれたことを機会に、メキシコの本記事の懸案だったことを解決して記事の完成を試みてみました。
それは今から20年前にメキシコのモンテレイに約3ケ月(2002年12月10日~2003年03月12日)滞在していた時にモンテレイ(Monterrey)の町のホテル(Hotel Ancira)と発電所の建設場所を毎日車で往復していたのですが、通り道の両側に大きな山がありましたが、その山に自然にトンネルがあり、気になっていたので車の中から2003年3月2日16時59分(日本時間:2003年3月3日7時59分)に、そのトンネルを精いっぱいのズームで撮った写真が下との写真と右の上段の写真)です。Gooleマップでストリートビュー(SV)の機能が追加されてから、この自然のトンネルを探していましたが、今まで見つけることが出来なかったのです。SVを見つけて記事を完成させることが、この記事の懸案事項だったのです。クリックすると拡大そして2023年3月6日にやっと見つけることが出来たのでブラシュアップして再掲載することにいたしました。右の下段はネットから転用させていただいたトンネルの内側からの写真です。このトンネルの場所にはNido de los Aguiluchos(鷹の巣)という名前がありました。
 2003年03月02日 自然のトンネルの写真を撮る
 2005年10月14日 ゆびとまSNSでブログを始める
 2005年12月24日 自然のトンネルの記事を掲載
 2009年04月02日 ゆびとまSNSの最後の記事掲載
 2009年04月未明  ゆびとまSNS停止
 2009年05月05日 so-netブログを始める
 2012年03月21日 自然にトンネルの記事をso-netブログ掲載
 2019年10月01日 so-netブ→ログ→SSブログへ名称変更
 2023年03月06日 GoogleマップのSVで自然のトンネルを見つける
2023年03月06日 閲覧数:1,820  nice!:110 CMT:16
2023年03月09日 閲覧数:2,288  nice!:175 CMT:36
2023年03月11日 閲覧数:2,668  nice!:240 CMT:40
2023年03月13日 閲覧数:2,848  nice!:274 CMT:43
2023年03月15日 閲覧数:3,018  nice!:284 CMT:44

2012年3月21日掲載 タイトル:自然のトンネル
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場所はメキシコのモンテレイ    肉の話は ⇒ ここ
車から気が付いて写真を撮りました。
判りますか? 写真の真ん中の白い点!
地元で知っている人はいましたが有名かどうかは未確認。
冬の17時に目いっぱいのズームの写真なので解像度はよくないです。

自然のトンネルがわかりやすいように露出調整しました。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大

クリック乃面倒な方のために拡大写真を掲載しました。こちらの写真もクリックすると解像度は悪いけれども拡大します。
クリックすると拡大

自然のトンネルと撮影場所が判る地図を添付します。黄色い〇が「自然のトンネル」の場所で赤いが写真を撮ったところです。焼肉を食べた場所の辺りでジャックラビットや生きたサソリやガラガラ蛇の死骸を見ました。
自然のトンネルは高大な面積(1774km²/山手線の内側28倍)のクンブレス・デ・モンテレイ国立公園(Parque nacional Cumbres de MonterreyCumbres de Monterrey National Park)の最も北側に位置しています。
クリックすると地図

まだgoogleマップのストリートビュー(SV)で見つけられていませんが、この山のどこかにあるはずです。あるいは、上の写真を撮ってすでに20年が経過しているので崩れてトンネルがなくなったかもしれません。撮影したのは日本時間で2003年3月3日7時59分なので現地時間では2003年3月2日16時59分です。
2023年3月6日に、山に近い場所からのSVで自然のトンネルの場所が判ったので、その方向の部分を拡大してみましたが、ここからの角度と距離のSVではトンネルは見えませんでした。場所は黄色の丸が点滅しているところです。この山の最も高いところの標高をGoogleマップの地形図の等高線で確認すると約2220mで自然のトンネルがあるあたりのピークは約1590mです。(2023年3月7日追記)
クリックすると拡大

2023年3月6日8時28分に、20年前の2003年3月2日に撮ったメキシコのモンテレイの自然のトンネルをGooglマップのストリートビュー(SV)で見つけました。それが上段の方のSVで、下段は20年前に撮った写真に近い方向からのSV5です。ただし山の麓に近いので見上げるような角度です。予想予想通り上のストリートビューの山の中に自然のトンネルがありましたが、見ている角度では見えていなかったことも分かりました。また航空写真に書き込んだ自然のトンネルの位置もほぼ正しいことも証明されました。埼栄された場所を探すためにいろんな角度のSVをまず記録してトンネルの角度を確認してみました。
いろんな角度→SV1 SV2 SV3 SV4 SV5 SV6 SV7 SV8 SV9 SV10
2003年3月2日撮影位置→SV11



位置をGoogeマップに書き込みました。緑色のカメラマークが2003年3月2日に写真を撮ったと思われる位置です。カメラ位置からのSV11では遠すぎてトンネルの角度は判らないことから、近くの位置で角度が同じになるSV5( )の延長線から判断しておおよその位置を特定いたしました。
 最初にSVで見つけた位置 SV0
 Nido de los Aguiluchos(自然のトンネル)
 撮った写真と角度が同じになる位置 SV5
 ━━ 通勤ルート ホテル⇔発電所建設場所


広範囲の航空写真を紹介します。発電所の試運転の夜の連続検査の時は私以外は12時間交代で対応しましたが、私には交代する人がいないために36時間勤務(朝の8時に出勤して翌日の20時に帰路)となりました。36時間勤務は10回以上行ったと思います。そんな思い出の場所でした。
 Hotel Ancira  発電所     Nido de los Aguiluchos
 ━━ 通勤ルート ホテル⇔発電所建設場所


今となっては、なかなか撮りに行けないのでネットの写真を転用させていただきました。


この自然のトンネルはNido de los Aguiluchosと名前が付けられているようです。Googeマップに登録されている写真なども転用させていただきました。


ネットに登録されていた動画を紹介します。興味のある方はプレーボタン( )をクリックしてみてください。動画の11分53秒からトンネルに入っるところになります。


こちらがプレーボタン( )をクリックすると11分53秒から始まるように設定した動画です。上の動画と同時に見ると時間の節約になると思います。


自然のトンネル(Nido de los Aguiluchos)の崖の上の尾根からの景色(SV12 SV13)です。この崖の下に自然のトンネルがあります。


等高線が入った地形図と航空写真を6秒間隔で交互に表示します。画像をクリックすると拡大するので等高線の標高が分かりやすいと思います。地形図での自然のトンネルの標高は約1200mで、この範囲で最も高いピークの標高は約1590mです。この山全体での最も高いピークは約2220mです。2003年3月2日に写真を撮った場所の標高は667mです。泊まっていたモンテレイ(Monterrey)の町のホテル(Hotel Ancira)の場所の標高は536mです。
クリックすると拡大

モントレイの町で3ケ月間ほど泊まっていたHotel Anciraです。クリックすると拡大右のホテルの内部の写真は残っていなかったのでネットから転用させていただきました。ほて内部の写真を見ると、3ケ月間ここで毎日朝食を食べたことが思い出されます。その間の写真で掲載した記事が下記ですが、その頃はまだブロクをしていなくて写真を沢山はとっていなかったここと、写真を保管していたノートパソコンが壊れてしまったので、残った写真が少なかったために記事を書くのは下記が精一杯でした。クリックすると拡大
着色文字をクリックすると記事を表示します。
 モンテレイの肉料理
 メキシコのサソリ
 メキシコの教会
 メキシコのお土産
 自然のトンネル Nido de los Aguiluchos
クリックすると拡大

クリスマスの時期は街はイルミネーションで飾られます。豪華なイルミネーションではないけれど街全体がイルミネーションだらけになるのがここの特徴でした。
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これが試運転で通っていた発電所です。フルターンキー(Full Turnkey/EPC)で納入した発電プラントです。メキシコ電力公社(CFE)に24万5千KWの電力を売ると共に隣の化学工場に毎時300トンの高温高圧の蒸気を売っています。この時マレーシアにも33万KWの発電プラントを建設していました。
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クリックすると拡大発電所の近くの山に登ると自然にサボテンが! でもガラガラヘビやサソリがいるんですよ。山に登るのも命がけです。実際に死んだガラガラヘビと生きたサソリを見ました。右の写真は試運転が終わり、みんなでバーベキューパーティーをした時の全メンバーでの記念写真です。私は真ん中辺りで白のワイシャツを着ています。
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ローストビーフ握り寿司 [話題]

IMG_7764-400.JPG写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大先日、右の写真のヒレカツ太巻寿司を紹介させていただいたので、昨年(2022年)の12月14日に食べた肉系の握り寿司があったので紹介します。それが上の写真のローストビーフの握り寿司でした。一見、同じように見えますが、ローストビーフの上に3種類のトッピングが乘っています。一番左が大葉の微塵切りで、真中がおろしニンニクで、右端が洋風ソースのゼリー固めです。スーパーで目に入って味が知りたくて買いましたが、ローストビーフも有りとの結論になるほど美味しかったです。

他に買ったの握り寿司がこちらです。上段がイカずくしの握り寿司で、下段はよく食べている握り寿司です。こちらの両方も美味しかったです。
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いなり寿司も買いました。
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やっぱりビールが飲みたくなるので、この日はサッポロビールにいたしました。
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大葉のトッピングのローストビーフ握り寿司にはワサビを載せてみました。これもよかったです。変ったお寿司を初めて知ったのは2002年のメキシコでした。今までに海外に274回(入国回数)ほど行きましたが、平均滞在期間は6.2日/回ですが、唯一約3ケ月と長期間滞在になったのがメキシコでした。それも10日間の予定が3ケ月に伸びたのです。そのメキシコは意外なことにステーキが美味しかったのです。毎日食べるとカロリー過多になるので、肉料理を一週間に1回食べるために6日間は日本料理店で寿司などの日本料理を食べる生活が続きましたが、圧倒的にとんでもない寿司がおおったたのです。例えばメキシコ料理の味付けの寿司です。その時の寿司と比べれば、今回のローストビーフの握り寿司は完璧に和食です。アメリカでも変わった寿司が多かったけれども、メキシコの変わった寿司は突出していました。
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国別の訪問回数を紹介します。メキシコは10日間の予定が3ケ月に伸びましたが、2位滞在日数となったタイも数日の予定が15日に伸びてしまったのです。滞在の記録は日本を出国して帰国するまでの日数/泊数です。最短滞在日数も調べてみました。最短滞在日数となった国は37回訪問した台湾で1泊2日でした。2泊3日は台湾が1回で韓国が10回になっていました。韓国は16回の訪問の内10回が2泊3日でした。右の写真はメキシコで滞在していた近くにあったセロデルフライル(Cerro del FraileSierra del Fraile)山です。クリックすると拡大
 訪問国数   29
 合計入国回数 274
 海外滞在日数 1704日
 平均滞在日数 6.2日/回(日本を出国して帰国まで)
 初めての海外 1988年
 最長滞在日数 93日/回 2002年12月10日~2003年03月12日 メキシコ
 2位滞在日数 15日/回 2000年09月03日~2000年09月17日 タイ
 3位滞在日数 14日/回 2002年10月27日~2002年11月09日 中国

参考に滞在日数の少ない方も調べてみました。韓国は16回の内で11回が2泊3日で5回が3泊4日でした。クリックすると拡大韓国は近いだけあって国内旅行並みです。でも韓国で1泊2日はなかったです。クリックすると拡大少し遠い台湾の1泊2日は特別でした。韓国の2泊3日の旅で印象的だったのが2002年5月30日~6月01日です。下記のサインの人と往復共に同じフライトで、韓国の空港のラウンジで会った時に下のサインをいただきました。
 最短滞在日数   1泊2日 2006年09月07日~2006年09月08日 台湾
 2位滞在日数   2泊3日 1990年02月20日~1990年02月22日 台湾
 2位滞在日数   2泊3日 2001年07月22日~2001年07月24日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2002年05月30日~2002年06月01日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2002年08月25日~2002年08月27日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2003年04月10日~2003年04月12日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2005年11月16日~2005年11月18日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2006年01月08日~2006年01月10日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2006年06月21日~2006年06月23日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2010年01月31日~2006年02月02日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2010年02月09日~2006年02月11日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2010年02月18日~2006年02月20日 韓国
 2位滞在日数   2泊3日 2010年04月25日~2006年04月27日 韓国

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岩倉山反射板 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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兵庫県宝塚市の逆瀬川駅付近から西にある岩倉山の稜線に四角の物が昔から見えていて前々から気になっていました。上の写真の黄色の下向きの矢印のところです。写真をクリックすると拡大するのでわかっていただけると思います。上の写真の空き地は少し前までは古い建物が立っていましたが、解体されて今は山の稜線がよく見えます。もうすぐ8軒の家が建てられて売り出されるようなので、今だから見れる風景です。この写真を撮った位置から四角の物までの距離は1.99kmです。

上の写真では見えにくいのでズームした写真を紹介します。クリックして拡大写真を表示させると茶色の四角の物があることが判っていただけると思います。
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写真を撮ったカメラはコンデジなので解像度は良くありませんが四角の茶色が判ってもらえると思います。
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クリックすると拡大野上4丁目公園からも四角い板を見ることが出来ました。ここからの距離は2.02kmです。下の写真から反射板部分を切り取ったのが右の写真です。クリックするともう少し広い範囲を表示しますが解像度はもう一つです。
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以前に次の2つの記事で紹介したことがありました。その時に四角の板は阪急電車の岩倉山反射板と紹介させていただいていました。この写真は上の写真とは別の場所から撮ったものです。この写真を撮った場所から岩倉山反射板までの距離は2.11kmです。本写真をクリックして表示される拡大写真は2021年6月24日にYahoo知恵袋のベストアンサーに引用されています。
 2021年6月08日 宝塚の聖天さん 七宝山 了徳密院
 2021年6月24日 宝塚聖天からの塩尾寺への山越えの道
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その岩倉山反射板のところに行って写真を撮ることにいたしました。その写真を上の2つの記事で紹介したいと思ったからです。そしてすでに撮った写真を小さな写真ですが紹介いたしました。本来ならば黄色のラインが最短なのですが、地図もないし、いろんな道があり迷いやすいことを知っているので、遠回りになりますが以前に紹介した塩尾寺(えんぺいじ)まで行き六甲山縦走路を歩いて目的の岩倉山反射板( )に行くことにしました。目的の場所は比較的縦走路に近いところにあります。縦走路から目的の岩倉山反射板に行く分かれ道のところがです。出発地点Ⓐは実家の家が特定されないように野上4丁目の代表的な十字路にしています。行き(→反射板)の登りの標高図を右下に紹介します。クリックするとGoogleのオリジナルを表示します。水色ラインは阪急今津線の逆瀬川駅近くのコープの駐車場から見た方向です。距離は2.49kmです。岩倉山反射板がある住所は宝塚市小林西山になります。行きに関しては近道しようとして道に迷って約1kmロスしました。は野上4丁目公園の近くでもあります。
クリックすると拡大から西方向(左方向)に伸びている白い道が六甲山縦走路です。


実家を出で最初は住宅地を歩きます。ここは桜並木で有名な 「寿楽荘の桜並木(桜とんねる)」です。昨年の春に紹介させていただきました。→ポチッ
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クリックすると拡大ここは宝塚市武庫山の住宅地です。この近くには建築家の村野藤吾が設計した東京銀行宝塚クラブハウスが立っていました。右の小さな写真が東京銀行宝塚クラブハウスですが写っているのは私の両親と姉と私です。私は1月生まれなので6~7ケ月目ぐらいだと思います。郵便ポストのところを右に曲がってすぐに左の道に入って突き当りに宝塚クラブハウスが立っていましたが、今はありません。
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上の写真の右上の写真は小さくて見えにくいので一部分を拡大いたしました。クリックすると全体を表示するので、建築家の村野藤吾が設計した建物がもう少しわかると思います。写っているのは私の両親と姉と私です。私の小さいときの記事にも記載しています。この場所は長く探せなかったのですが、宝塚市の職員の方などの協力を得て探すことが出来ました。そんな経緯から母と姉とは別々ですが、この場所に行って記念写真を撮りました。
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急な上り坂になってきました。場所は宝塚市紅葉ガ丘3で、近くに甲子園大学がある場所です。すでに230m手前から宝塚駅からの六甲山縦走コースに合流しています。
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少し歩くと山道になってきました。ただし塩尾寺(えんぺいじ)までは車が登れる道です。
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山道の途中に広い広場がありました。広場の名前は塩尾寺休憩所で、白鳥大神が祀られていました。他にも祠がいくつかありました。急な上り坂になって塩尾寺までの中間地点でしょうか。ここから塩尾寺までは750mくらいです。
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塩尾寺休憩所から撮った写真です。右の道を登ってきて左の道を登りました。少し行ったところに塩尾寺まで700mと書かれた石柱が立てられています。
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塩尾寺までの間に展望台がありました。ここから先の岩倉山までは日が当たらない林の中を歩くことになります。今回は、それが少し問題でした。
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塩尾寺の入口に着きました。左の塩尾寺と書かれている前を左に上ると六甲山頂の方向ですが、境内に入って少し休憩いたしました。
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こちらが塩尾寺です。鐘楼の前の椅子に座って持ってきたお茶とチョコレートを食べました。
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六甲縦走路の登山道に入ります。塩尾寺のより先のこの細い道を歩くのは数十年ぶりです。走破距離56kmの六甲全山縦走大会に参加して以来のことなのです。塩屋を5時05分に出発して宝塚駅に14時15分に到着したので、56kmを9時間10分で歩いたことになります。ただし、年々競争がエスカレートして6時間で走る人が出てきたことから、予定より早く着く人にはチェックポイントの休憩が義務付けられていることから実質は8時間20分でした。
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上の写真の案内標識の部分を拡大しました。六甲山最高峰まで10.5kmと書かれています。
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上り坂は岩だらけの道や
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すり鉢のような道が続きました。この辺りから、ちょっと失敗したことに気が付きました。ダウンのチョッキにダウンのジャケットを着てきたのですが、ものすごく空気が冷たいのです。失敗は手袋を持ってこなかったことと、魔法瓶は持ってきたのですが、熱いお茶ではなく冷たいお茶を入れてきたことでした。仕方がないのでチョコレートを食べながら歩きました。
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塩尾寺を出発してから最初の目標値の砂山権現に着きました。鳥居と石の祠ずありましたが、境内がきれいに掃かれていたのに驚きました。これほどきれいと言うことは、ここまで歩いてきて頻繁に掃除に来られているのだと感じました。
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石の祠も少し変わった形の趣のある立派なものでした。ヘリコブターを使わないで、これを持ってくるのは、歩いて来るしかないので大変だったと思います。
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六甲山縦走路を進みました。道は平坦になってきたので岩倉山の山頂に近くなってきたことを感じました。
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ところが雪が残っているほどの寒さでした。
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標識は充実していました。
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さらに進むと「←この先展望良」と書かれた標識がありました。歩いた距離の感じでは目的地の岩倉山反射板があるところではないかと感じました。標識の下に手書きで「→岩倉山山頂」と書かれていたので、確信して左に曲がって進むことにしました。右に曲がって少し登ると岩倉山山頂のようです。いつもだったら岩倉山山頂に行ってから、岩倉山反射板の方に行くのですが、寒かったので岩倉山反射板に直行することにしました。標識の右側をまっすぐに伸びている道は六甲山縦走路です。
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標識の別の面を見ると「↑岩倉山反射板を経て猪谷、ゆずり・・」と書かれていました。石のために「ゆずり・・」の「・・」は確認できませんが近くの地名の「ゆずり葉台」と思われました。これで岩倉山反射板から下りれる道があることが判りました。標識の矢印(↑)方向の道を進みました。
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岩倉山反射板とは反対方向へは岩倉山山頂へ登る道がありました。写真の右上辺りが岩倉山山頂だと思います。
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これが岩倉山反射板に行く道です。
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反射板が見えてきました。四角の反射面は左奥方向に向いています。
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表側に回り込みました。
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確かに素晴らしい景色でした。こちら方向に通信用の電波を反射させているのだと実感しました。温かい太陽の日差しが当たっているので寒さの件も解決しました。暑いくらいでした。
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せっかく、この反射板の写真を撮りに来たのでいろんな角度からの写真を紹介したいと思います。ただし、周りには木が沢山生えているので、全体が写る角度は限られています。
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これが岩倉山反射板の全景です。全体にこげ茶色の錆止め塗装が塗られていました。岩倉山反射板は阪急電鉄が所有しているもので独自の通信網の中の無線通信の設備の1つだそうです。駅同士の連絡のように陸上の設備同士の場合は有線の設備で出来ますが、動いている電車との連絡は無線になります。地上からの電波をこの反射板で反射させて通信を行うことから反射板と名前がついているのだと思います。電波の発信設備と違い電源もメンテもほとんど不要なことから反射板が採用されているようです。
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上の写真では鉄塔の一部が木に隠れているので、すべてが見れる角度からの写真も紹介します。
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木が周囲に沢山あるので、離れて撮れないために全体がすべて見えている横長の写真は撮れませんでした。上の半分の横長写真です。
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反射板の部分だけの写真です。スマホのように公共の通信を活用する方法もあり得ることですが、スマホで頻繁に通信障害を起こしている現状や、災害時に予想される通信障害から、昔からの独自の通信網を維持しているようです。
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下から見上げた写真です。
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上野写真と似たアングルですが、反射板の真横から撮りました。
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少しで全体が入った横長の写真を撮ったつもりです。
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離れると木で隠れる部分が増えます。
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帰る方向の最後の写真です。つまり南側から登ってきた場合に見える最初の岩倉山反射板です。
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ここから帰る道を紹介していきたいと思います。
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雑木林の中を下りていきます。
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突然左右に同じ程度の道で分かれるところがありました。そこにテープ道しるべが書かれていたので、この行者山への矢印の方向の道を選びました。
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十字路になったところに下りてきました。まっすぐに進むと行者山で。右に登っていくと、ゆずり葉台か、上で分かれた道に戻るようです。左方向の道が、私が目指す光ガ丘です。
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行者山方向のところにハイキングコースの地図が立てられていました。私が目指す光ガ丘の方向も柱に書かれていました。
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ボールの先の地図を紹介します。行者山をハイキングする人達のために整備されているようです。
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私が下りてきた道は現在地から右下に伸びている破線だったのです。私は現在地から左に進んで光ガ丘に向かうので、正規の道よりもかなり短くなったようです。行者山には2015年に行ったことがあり正月の記事で報告させていただきました。その時も同じ十字路から光ガ丘に帰りました。
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2015年に行者山に登って、今回のように光ガ丘に下りた時のルートを紹介します。上の案内板とは上下が反対の地図です。赤色で点滅しているところがその時に歩いたルートです。この地図の左上から光ガ丘口までのルートが今回と同じです。
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光ガ丘方向の道は谷を歩いて下りる感じでした。雨が沢山降ると水が流れるのだと思います。ネットでの記載の中で「②光が丘コース:光が丘住宅北西(行者山光が丘口標柱)→猪谷→行者山下→岩倉山西方の縦走路」と書かれていたことから、この谷が岩倉山の標識に書かれていた猪谷ではないかと想像しています。さらに「支多々川源流の猪谷」と書かれているサイトもあったので間違いなさそうです。
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しばらく行くと谷から離れます。
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両側が谷になった尾根を歩きました。
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大きな砂防ダムのところに出ました。下流側を鉄砲水から守る設備です。
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砂防ダムの名前は西山堰堤となっていました。兵庫県が木島組に施工させたようです。設備工事の種類は通常砂防工事と書かれていました。
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上の方の猪谷は水は全くありませんでしたが、住宅地に近くなったところでは水が染み出てきていました。
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住宅地の支多々川の最も上流になります。
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光ガ丘に出てきました。近くに光が丘中学校がありました。
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実家に帰る途中には宝塚聖天さんがあるので寄ってから帰りました。
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今回は一部だけですが懐かしい六甲山縦走路を歩いたので、参考に私が歩いた時の六甲全山縦走のコースを紹介します。岩倉山反射板はの間にあります。クリックすると拡大山の部分に深緑色のマーク( )をプロットいたしました。時々表示される深緑色マーク( )群の最も右側(宝塚寄り)が岩倉山です。マークの数は25個になりました。プロットしてみることで、沢山の山を登り下りしたことを実感いたしました。25個の内訳は16個が上で紹介の名前が分かっている山で、9個が等高線から山と判断していますが、名前が分からない山 1 ~ 山 9です。画面内のは私が歩いた時の市民大会の右の参加証のチェックポイントです。本画像は10枚のGoogle地図のハードコピーを3秒間隔で表示させています。このコースを8時間20分で歩いたわけです。私が塩屋から歩いた時の56kmの距離に対して、須磨浦公園駅から44.9kmを歩いた場合の上りの累積高さは3165mになるそうです。クリックするとGoogle地図で表示します。
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上の六甲山縦走路(━━)の地図を拡大して今回の辺りを表示させました。岩倉山の下(南)すこし右(東)の空色の点が岩倉山反射板が建っている場所です。

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