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手塚治虫記念館に行ってきました。 [宝塚]

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2023年5月17日掲載 タイトル:手塚治虫記念館に行ってきました。
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以前に紹介したことがあるように私が入社して神戸の事業所に配属になった課の先輩の方などがクリックすると拡大神戸周辺で軽いハイキングを企画されていてタイミングが合えば参加させていただいておりました。新型コロナ渦のために計画が控えられていましたが、久しぶりに企画されたので、その第83回ハイク(宝塚花の道~文化芸術芸術センターなど散策)に2023年5月16日に参加させていただきました。右の上段の写真が宝塚花の道です。
手塚治虫記念館にも行ったのを機会に本記事を再掲載させていただきました。第83回ハイクに関して別途紹介したいと思っています。右の手塚治虫記念館の館内の写真で階段を下りているのも円筒のエレベーターで下りているのも我々のメンバーです。

最近、リニューアルされたと聞きました。リボンの騎士サファイア姫に広いクリックすると拡大スペースが割かれていました。そのコーナーは初めて見ました。リボンの騎士は少女向けストーリーアニメの先駆け的な存在と言えると思います。リボンの騎士は2023年3月4日~6月25日の第88回企画展でした。上と下の両写真共にクリックすると面積で16倍に拡大いたします。
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クリックすると拡大こちらが記念写真です。私は右から2人目です。☆マークが今までに参加したハイクです。記念写真を撮った場所は宝塚市立文化芸術センターメインガーデンです。昼食もメインガーデンで食べました。右の写真が食事風景です。
    2018年12月26日(水) 忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    2019年12月25日(水) 忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花の道~文化芸術芸術センターなど散策
第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
    2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN)
:参加  :新型コロナを配慮して場所を選択  :予定
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2023年05月17日 閲覧数:20,246 nice!:108 CMT : 87
2023年05月19日 閲覧数:20,571 nice!:149 CMT:101

2014年8月20日掲載 タイトル:手塚治虫記念館に行ってきました。
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鉄腕アトムと言えば手塚治虫です。その手塚治虫の記念館が、私の育った宝塚にあります。2014年8月8日から8月14日まで実家の兵庫県宝塚市に帰省しているときに娘と一緒に手塚治虫記念館に行ってみました。
手塚治虫は1928年に豊中市に生まれて5歳(1933年)の時に家族と共に宝塚市に移り住み、24歳までの約20年間を宝塚市で過ごしました。
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 本名 手塚 治 (てづか おさむ)
 生誕 1928年11月03日 豊中市
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 学歴 医学博士
手塚治虫は生涯に漫画を604作ほど作ったと言われています。細かいシリーズなどを入れると700タイトル以上で原稿枚数15万枚分とされています。その内分けは少年向け341作、少女向け36作、大人向け110作、低年齢向け32作、絵本39作、4コマ漫画17作、1コマ漫画29作だそうです。小説も4作あります。手塚治虫の作品を知りたい方はこちらをクリックしてみてください。→作品一覧

下の写真が宝塚市手塚治虫記念館の建物です。宝塚市手塚治虫記念館は手塚治虫の生涯を称えて、「自然への愛」と「生命の尊さ」を基本テーマとして1994年に設立されました。我々が訪れたのは8月13日でしたが、驚いたことに2日前の8月11日に来館者が350万人に到達したとのことでした。右の写真は入口の受付でもらった来館者350万人達成記念の絵ハガキです。
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建物の入口前には「火の鳥」のモニュメントが建っていました。「火の鳥」は手塚治虫作品の一つで1954年に初めて連載されました。その後いろんな雑誌に掲載され1986年まで続いた息の長い作品でした。
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モニュメント前の床には作品の登場人物(お茶の水博士、日の鳥、ヒゲオヤジ、Oマン、マグマ大使、悟空、どろろ、百鬼丸、ブッダ、アセチレンランプ、スカンク草井、バンパイヤ、ハムエッグ、ロック
ホーム)の手形、足形の石板が埋め込まれていました。
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火の鳥のモニュメントから望んだ記念館の建物です。
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建物の入口からモニュメントの方を振り向いた景色です。
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建物に入りました。
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最初に迎えてくれるのが鉄腕アトムとリボンの剣士です。
ここからがアニメの世界です。手塚治虫記念館を紹介します。
  名称 宝塚市立手塚治虫記念館
  住所 兵庫県宝塚市武庫川町7-65
  電話 0797-81-2970
  時間 9:30~17:00
  定休 水曜日 臨時休館&臨時開館があるのでHPで確認願います。
  料金 大人 700円 中高生 300円 小学生 100円 他各種割引あり
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貰ったパンフレットの建物内の配置図です。3階建てですが、一番下がG階でその上が1階で、最上階が3階になります。1階が入口のある階です。建物が傾斜した地面に建っていることからG階は完全な地下ではなく、G階にも出入口があります。画面をクリックすると別画面で拡大配置図を掲載するので、その配置図を見ながら記事を読んでいただくとわかりやすいと思います。
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1階からG階に降りていく階段の壁には日本の漫画の歴史が展示されていました。
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G階は不思議な空間でした。アニメーションの歴史や手法も展示されていました。


奥の部屋は皆が楽しめるアニメ工房となっていました。
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この機械を使ってアニメを作って遊べるようです。
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アニメ工房の一番奥に手塚治虫の仕事部屋が再現されていました。


G階から1階に戻ると丁度10時15分のアニメ「オサムシとムサシ」の上映開始時間となったので映像ホールに入りました。ちなみに我が家のワンコの名前はムサシです。


こちらはアトムビジョン映像ホールです。


アニメのタイトルは「オサムとムサシ」です。プレーボタン( )をクリッククリックすると拡大すると全18分の中の頭3分間を見ることが出来ます。このアニメは手塚治虫記念館のためのオリジナルアニメで少年時代の手塚治虫(オサム)と小さな甲虫のオサムシ(ムサシ)が主人公のようです。右の写真はオサムシです。治虫(オサム・ムシ)は「オサムシ」とも読めないこともないので、この昆虫に思い入れがあったのかもしれません。


オリジナルアニメを見た後は2階に上がりました。子供たちが座っている機会は情報・アニメ検索機です。子供たちに人気があるようでした。
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昔の漫画の単行本の展示棚です。
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単行本に鉄腕アトム1~3です。漫画全集としては6~8です。
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懐かしい漫画の単行本の漫画全集が並んでいました。
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図書館のように漫画が読めるコーナーもあり巻いた。沢山の手塚治虫の本が並んでいました。「手塚治虫ライブラー」コーナーです。
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並んでいる本を紹介します。クリックすると別の段の本を表示します。


お絵かきコーナーもありました。
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2階の企画展示室では手塚治虫とオトメイトのコラボの「テヅカオトメ」の特別展示がありました。期間は2014年7月4日~2014年10月27日です。


特別展示の「テヅカオトメ」の入口です。紹介したいところですが、手塚治虫記念館でここだけが写真撮影禁止でした。コラボ先のオトメイトの作品は記念館の所有ではないので仕方がないことです。
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ただし記念撮影のエリアが設けられていました。
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記念撮影場所は全部で3ヶ所ありました。


右の縦長の写真は記念館でもらった「テヅカオトメ」のパンフレットです。
手塚治虫とオトメイトのコラボの特別展示の「テヅカオトメ」は撮影禁止なのでネットから「オトメイト」に関する画像を転記させていただきました。
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手塚治虫のことが一番理解できるのが1階の手塚治虫の歴史を39個の筒で表現しているコーナーです。ここは1から39まで順番に見てもらいたいコーナーです。
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これが1番の手塚治(手塚治虫)の幼年期です。
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7番では中学生の時に、すでに昆虫の細かな描写絵を書いていたことが紹介されていました。
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こちらは13番です。実は手塚治虫は医学博士だったのです。医者が本業で漫画製作が副業の時代がありましたが、いつしか漫画が専門になっていたのです。


こちらは14番の手塚治虫が描いた宝塚歌劇の男役であった春日野八千代の似顔絵とブロマイドです。
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こちらも14番の筒です。1951年8月には宝塚をテーマとした少女ロマンを書いていました。この時期、宝塚歌劇が少なからず影響したと思われます。
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こちらは19番です。1952年の介ジューがかかれた手地用も展示されていました。
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こちらも19番で漫画の漫画の下書きも展示されていました。
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こちらが28番で、アトムとお茶の水博士のキャラの設定の展示です。
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こちらが39番で1980年の作品関連の展示でした。
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年表でも手塚治虫の歴史を紹介していました。こちらは最初の頃です。線表の中にジャングル大帝、鉄腕アトム、火の鳥、リボンの剣士、などか読み取れます。鉄腕アトムは1951年4月から掲載の「アトム大使」の中の単なる脇役として登場したのが最初でしたが、翌年の1952年4月から主人公となり、作品名も「鉄腕アトム」となりました。
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鉄腕アトムが最初にテレビに登場したのは実写版だと思っていたら人形劇が1957年4月13日~9月28日に放送されたそうです。人形劇→実写版→アニメだったそうです。人形劇のことはkojiroさんにコメントで教えていただきました。鉄腕アトムの実写版の記事はこちらです。→ポチッ
その実写版が放送されたのは1959年3月7日でした。最初にアニメがテレビで放送されたのが1963年1月1日で、白黒でした。今、「まんだらけ」でのブリキ製人形の万引きで話題になっている鉄人28号もテレビに最初に登場したのは実写版だったと思います。鉄人28号は横山光輝の作品です。
                   実写版放送              TVアニメ初放送
 鉄腕アトム 1959年03月07日~1960年5月28日(65話) 1963年01月01日
 鉄人28号 1960年02月01日~1960年4月25日(13話) 1963年10月20日

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こちらは後半の年表です。
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1階には過去のグッズも沢山展示されていました。2階にはショップがあり、現代のグッズを買うことが出来ます。
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Google地図で手塚治虫記念館の場所を紹介します。
宝塚南口駅が最寄駅です。ただし実家の家からは記念館までは1.6kmの距離なので我々は実家から歩いて行きました。実家の最寄の逆瀬川駅まで歩いたあと電車で宝塚南口駅まで移動する時間を考えると直接歩く方が近いのです。
   宝塚市立手塚治虫記念館
   宝塚歌劇大劇場
   430m 宝塚南口駅→記念館
   730m 宝塚駅→記念館

より大きな地図で 手塚治虫記念館 を表示
宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされています。この動画は5月に来た時に撮ったものです。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。


せっかくなので鉄腕アトムの歌詞を紹介いたします。
作詞:谷川俊太郎  作曲:高井達雄  歌手:上高田少年合唱団
空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム
耳をすませ ラララ 目をみはれ そうだ アトム ゆだんするな 心ただしい ラララ 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム
町角に ラララ 海のそこに 今日も アトム 人間まもって 心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友だち 鉄腕アトム

1980年代の歌はこちら→http://youtu.be/GX8b1TmXfvw
Vocaloidの歌はこちら →http://youtu.be/09KfdXh0a9U
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FcG4OdWCvDo

1959年3月7日~1960年5月28日に放映された実写版時代の歌詞は違います。初音ミクの歌声ので動画があったので紹介します。
作詞:青木義夫  作曲:益田克幸  歌手:中島そのみ
僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い 悪者 やってこい ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕はよいこ子だ 鉄腕アトム 困った時には 飛んで来て パンチだ 空手だ 正義の力だぞ いつでもどこでも 大勝利 ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕らのアトムは みんなのために どんなところでも 飛んで行く 僕らも一緒に 力を合わせ 平和な世界を 作るんだ  ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

kojiroさんに調べていただいた結果、歌手は第一部・ZZZ団の巻(中島そのみ)→第二部・メキシコ(岡村喬生 上高田合唱団)→第三部・フランケンとアトムの巻(岡村喬生)→第四部・アトム火星に飛ぶの巻(岡村喬生)→第五部・気体人間の巻(上高田合唱団 中島そのみ)とかわりました。
中島そのみの歌はこちら →http://youtu.be/8yxAcnFv00g
岡村喬生の歌はこちら  →http://youtu.be/DHs_ajbiIA0
            →http://youtu.be/IGZW4mK3T9w
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FAqhiGNm2fw
瀬川雅人の素顔登場   →http://youtu.be/ozD0lX_tSvc
瀬川雅人 : 鉄腕アトム役
kojiroさんからコメントいただいた実写版アトムの第四部「火星探検の巻(40~52話)」の、ネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介いたします。別のネットには「第3話 火星探検 1963年1月15日放送」と「アニメの第8話「火星探検(原題:火星隊長)」との記述もありました。
アトムはモス博士から火星探検隊長に任命される。 博士の言うには第一回目の探検隊が失敗したのは隊員の間の争いが原因だった。 そこでロボットであるアトムに依頼したのだ。 アトムは大学の教授(花丸博士, ケリガン)から1ヶ月の教育を受け,ロケットに乗り込んだ。
しかし,その中には密航者が一人乗っていた。 彼女はキャーベット(リイコ)といい,1回目の探検で反乱を起こしたレンコーン大尉の妹だった。 兄に会いに行くための密航だった。 もはや降ろすことも出来ずやむなく連れて行くアトム。
途中ロケットに未確認飛行物体が取り付き,アトムは自ら宇宙に出てそれをどかす。 しかし,アトムの命綱は誰かによって切られ置き去りにされてしまう。 アトムは不明のロケットの中に入り込み,原子力銃を持つ生物と出会う。
その銃の噴射力でロケットに戻ったアトムは一回目の反乱の原因がこの生物ではないかと考える。 火星に着いたアトム達の前に多くのロボットを引き連れたレンコーンが現れる。 そしてアトムのことをよく思わないケチャップ大尉はアトムに銃を向け反乱を起こす。
さらに彼はレンコーンのロボットを奪うべく出掛けていく。 彼らの前にはあの謎の生物達が襲ってくる。 宇宙人の存在を笑っていたケチャップは自ら恥じ,ロボットを指揮してその命を散らす。
鉄腕アトムがロボットと戦う姿も追加掲載させていただきました。


鉄腕アトム65話(13話×5部)の放送は土曜日の18:15~18:45に、一日も欠かさずに放送されました。kojiroさんのコメントによれば実写版の鉄腕アトムの頭の形は2回変わったそうです。その説明を参考にしてネットから3種類の画像を探してみました。
 第一部 '59年03月17日~'59年05月30日(01~13話) ZZZ団の巻
 第二部 '59年06月06日~'59年08月29日(14~26話) メキシコの巻
 第三部 '59年09月05日~'59年11月28日(27~39話) フランケンとアトムの巻
 第四部 '59年12月05日~'60年02月27日(40~52話) アトム火星に飛ぶの巻
 第五部 '60年03月05日~'60年05月30日(53~65話) 気体人間の巻
      初期         中期          後期



第四部 アトム火星に飛ぶの巻(40~52話)で登場する軍服姿の鉄腕アトムです。飾緒のついた短いダブルのボレロジャケットです。スカーフはアスコットタイ風にして軍服の襟の中に入れています。原作と異なり、軍服はジャケットのみで、ズボンははかず、軍服の下はつなぎのパンツ、タイツ、ブーツのスタイルでした。kojiroさんご推薦の軍服姿のアトムの写真をネットから転用させていただきました。この時、鉄腕アトムを演じていた瀬川雅人は小学6年生でした。(1話:小学5年~65話:中学1年)


クリックするとオリジナルを表示kojiroさんに送っていただいたアトムの軍服姿の敬礼姿の飾諸がかっこいい幻の写真を掲載させていただきました。右の写真のように変色しているので完全な白黒に色調整いたしました。クリックするとオリジナルの写真を表示します。この写真はkojiroさんの知人の方から、20年以上前に光文社の御厚意により、図書室でコピーして頂いきkojiroさんに送っていただいた貴重なものです。kojiroさん、ありがとうございました。
クリックするとオリジナルを表示

クリックするとオリジナルを表示火星探検の巻の実写版とTVアニメのアトムの軍服姿を紹介したので漫画の軍服姿を紹介します。光文社のカッパコミックス鉄腕アトムの1964年2月号です。右がカッパコミックスの表紙です。この本の表紙の軍服姿のアトムは原作の姿と違いTVアニメとそっくりです。そんなことからも、表紙の絵はカッパコミックスのために書かれたものと思われるそうです。中の漫画は原作と同じだそうです。漫画、アニメともに、軍帽を被っていますが、実写では、被っていません。ヘルメットの上には被れなかったようです。

左が火星探検隊長に任命されたところです。マンモス博士の持っている鞄の中に、軍服が入っています。このマンモス博士を訪問した時の服装が、半ズボンを脱げば実写のアトム少佐に近いかもしれないそうです。
右がキャーペットをロケットから降ろそうとするアトムですが、この軍服が原作の軍服で、学生服のようです。ズボンも履き、ブーツインではありません。隊員と同じごく普通の軍服です。肩のエポレットのところに、フリンジがついていたような気がしていましたが、ついていませんでした。


キャーペットにレンコーン大尉に会わせられないと言っています。普通の結び方でネクタイをしています。実写では、アスコットタイのように結んでいます。漫画の原作では、これが一番アトム少佐の全身を示しているようです。

漫画の原作の宇宙人と戦った後のアトム少佐の敬礼姿です。詰襟ではありませんが、学生服風です。実写のアトム少佐の方は、飾諸がかっこいい短いダブルのジャケットでマフラーをアスコットタイ風に結んでいます。

記事のタイトルにふさわしい幻の写真をkojiroさんから送っていただきました。アニメ雑誌「少年」(光文社)の1960年正月号に掲載された手塚治虫先生と、実写版鉄腕アトムと、漫画のアトムのスリーショットの写真です。正月らしい「初ゆめ」の言葉が印象的です。実写版の鉄腕アトムがテレビで人気だったことが写真からも伝わってきます。1960年正月号が出版された1959年12月は丁度、フランケンの巻が終わり、火星探検が始まる直前であり、ロシアの人工衛星で、月の裏側の写真が撮られた頃です。
その時代を反映して、手塚先生が、「月の裏側が見える」と言っているように書き込まれているそうです。次の号は、火星探検隊長のアトム少佐の写真だったそうです。スリーショットは貴重で、テレビ 漫画史上に残る貴重な写真と思います。この時代にどのようにして才能のある子役を探したのか不思議でしたが、瀬川少年は劇団・コジカ座に所属していたことから鉄腕アトム役として抜擢されたそうです。


こちらは1960年4月頃、雑誌「コウロン」に掲載された手塚先生を紹介した記事です。記事のタイトルは「日本のディズニーをめざす男」です。
手塚先生を応援するために、1960年4月29日に向ヶ丘遊園で、鉄腕アトム大会が開かれ、数千人の子供があつまったと、本雑誌の記事に書かれていたそうです。ステージ上には瀬川少年演じるアトムが実写版の鉄人28号らしきロボットと対峙していて、ステージの周りには沢山の子供達が集まってい光景が写っています。この子供達がぎっしり集まっている事からも、実写のアトムの人気ぶりが判ると思います。記事の中には漫画のアトムも書かれています。
鉄人28号の実写版も同じプロダクションだったそうです。アトムの向こうに見えるのは、テレビ番組の監督かもしれないそうです。本写真および説明はkojiroさんから送っていただきました。
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kojiroさんに送っていただいたアトム友の会の募集記事です。募集記事は11月号か12月号で、写真は、フランケンの巻で、隼探偵を救うための血清を取り返そうとしていた時に、燃料が切れた時の写真と思われるそうです。テレビのカットではなく、雑誌「少年」用に撮影した写真と推測されておられました。マフラーと脚の長さを強調するように撮ったものと思割れるそうです。記事の記載内容を枠内に転記いたしました。
テレビの「鉄腕アトム」・瀬川雅人くんの後援会(アトム友の会)の会則が出来ました。「少年」とテレビの「鉄腕アトム」のファンなら、だれでも入会できます。会費は一カ月 三十円です。会員には、すてきな会員バッチをおおくりするほか、瀬川くんをかこむ会を三カ月に一回ひらいたり、撮影所を見学するなど、いろいろの行事をおこないます。入会したい人は会費をそえて、東京都中央区銀座西七ノ五・弥生ビル内 松崎プロ「アトム友の会」まで。
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鉄腕アトムの実写版の記事を掲載にあたり、kojiroさんから、お宝写真やお宝資料を5つ送ってもらえたたので紹介します。
これは雑誌「少年」に載ったアトム友の会の募集の最後の案内です。1960年の4月号であろうとのことです。記事のなかの写真は第三部のフランケンの巻のようなので、1959年の写真と思われるそうです。これは、テレビフィルムから撮ったものだそうです。アトム大会が、4月24日に豊島園で行われると書かれていますが、実際には、コウロンにあるように、4月29日に向ヶ丘遊園と変更になったそうです。変更になったのは応募者が多かったのが理由ではないかと推測されていました。


これは雑誌「少年」に載った最後の実写版の鉄腕アトムの写真であろうとのことです。1960年の5月号前後であろうとのことでした。


宇宙船という雑誌の1981年夏号に載っていたアトムの写真です。左が、気体人間の巻で、田崎潤が天満博士でてでています。この時のフィルムは喪失しているそうです。第五部の気体人間の巻のネットで書かれている物語のあらすじを枠内に記載いたします。
アトムの両親が登場。アトムが宿題を忘れて居残りをさせられたりと日常風景も描いている。アトムがギャングに潜入した際にサングラスをかける場面がある。ヘルメット衣装を着けているため、耳たぶをかなり変形させてサングラスをかけていた。アトムに気体人間が乗り移り、悪人になったふりをする巻である。いまは無い「渋谷文化会館」のプラネタリウムや、渋谷駅前で撮影が行われている。
右は、最初のZZZ総統の時のプロテクターを装着したアトムがヘルメットを取った有名な写真です。


上と同じ宇宙船という雑誌の1981年夏号に載った写真で、火星探検の巻で、アトムを修理すべく、胸をあけているという珍しい写真が左下に載っています。


右の写真は雑誌「宇宙船」の1984年の8月号に載った火星探検のアトム少佐です。上半身しか映っていませんが、アトム少佐の雰囲気が感じられます。これは、レンコーンのロボットを呼ぼうとして、機械と接続したアトムが、ケチャップ大尉の操作で壊れてしまった後に、苦しみながら、ロケットから外に出ようとしているところだそうです。雑誌「宇宙船」の写真は、すべてフィルムから撮ったものだそうです。

右の写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、載った天満博士、お茶の水博士、アトムのスリーショットです。下の写真の左側も同じ雑誌に載った天満博士とアトムの写真です。
下の右側は1995年のリクルートの「ぼくらのヒットパレード1958-59 vol.1」に載ったアトムの写真で、確認できていないそうですが、ヘリコプターらしき乗物を操縦している写真です。アトムは自動車を運転していたのは有名ですが、ヘリコプターも運転したかもしれないそうです。有名なタイツのしわが見えます。ヘリコプタらしき乗物を操縦している写真以外は「気体人間の巻」の写真だそうです。乗物を操縦している写真は確定ではないそうですが、頭の形や服装からやはり「気体人間の巻」の可能性が高いそうです。
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1978年に発行された「朝日ソノラマ:テレビ版 宇宙をかけるSFヒーローたち」に載っていた実写版鉄腕アトムの気体人間の巻の写真です。
左は瀬川少年のアトムが腕を伸ばして空を飛ぶ時の上半身を前から撮ったものです。気体人間の巻だけ人形ではなく本人で撮ったそうです。伸縮性のないレオタード風つなぎだったため、袖の先から腕の素肌が出ています。もっと長い手袋で、素肌が出ないようにすれば良いのにと思ったそうです。つなぎの下は、メカが見えず、メカの上に人工皮膚をつけて、その上に服を着ているという設定の面白い写真です。
右は気体人間に操らるフリをしたので、悪党の一味に加わり、貯水池の管理人親子を、襲うシーンだそうです。アトムがサングラスをかけています。ヘルメットがサングラスの柄と干渉するのでサングラスの柄がまっすぐでなく曲げられていたそうです。結構 サングラスが似合っていると思います。


実写版の鉄腕アトムをペン画で描いた画像を送っていただいたので紹介します。クリックすると少し拡大します。かぶっているヘルメットを取られることは実際にはあり得ませんが、実写版らしいイメージをとらえた一枚です。アニメとは違うことがわかります。
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知らなかったのですが実写版用の女の子の鉄腕アトムの写真が残されていました。
クリックすると拡大鉄腕アトムは1972年の最終回で異常発熱をする太陽にロケットとともに突入して鉄腕アトムの連載は終わりました。宇宙船から発射されたロケットが、隕石に当たって止まった為に鉄腕アトムは自らを犠牲にして地球を救ったのでした。太陽熱で溶けけ宇宙空間に漂っている鉄腕アトムは、宇宙人に救われて、右のアニメにあるように修理・改造されて鉄腕アトムとしての物語が1972年~1973年に続いたそうです。このときにコスチュームが変わっていたのですが、その理由は明かされていませんでした。
それはタイミングを見て、アトムが女の子だったことにする秘かな計画が手塚先生の頭の中にあったようです。
クリックすると拡大クリックすると拡大このときに実写版の女の子のアトムが計画されて右の3枚の写真が残っているのです。
真中と右は同じポーズですがコスチュームは違います。真中が最初のバージョンだと思われるそうです。皮膚をサーモンピンクにしていたのですが、肉欲的な感じがしたのか、ベージュに変えたようです。胸のプロテクターのボッチの数や、ヘルメットというか被り物の形も違っています。これらのコスチュームは手塚先生自身が極秘裏に製作を依頼したそうです。ただし実写版そのものの実現はなかったようです。頭の星型の部分に触るとタイムトラベルも出来たそうです。これらの写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、手塚先生が女の子のアトムを構想したことを紹介する形で載りました。
もともとの鉄腕アトム(左)も、そのモデルとなった天馬飛雄(中と右)も女の子のような感じでもありました。先入観なしで鉄腕アトムの知識もなく、アニメの子が女の子だと言われれば、信じてしまい天馬博士は女の子に飛雄という名前を付けた気になってしまいます。
 1980年 鉄腕アトム    1963年 天馬飛雄    1980年 天馬飛雄  

文化芸術センターのメインガーデン(庭園) [宝塚]

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上の建物が前記事で紹介した大久保英治展が行われていた宝塚市立文化芸術センターの建物です。本記事では宝塚市立文化芸術センターの敷地内にあるメインガーデン(庭園)を紹介したいと思います。建物の前に広がっているエリアは「みんなの広場」でメインガーデンは写真から右方向に進んだところにあります。
ホームページの沿革によれば宝塚市立文化芸術センターの敷地は古くは1911年 5月に開業した宝塚新温泉の一部であり、1960年 3月に宝塚新温泉から名前を改称した宝塚ファミリーランドの敷地の一部でもありました。さらに2003年 4月に宝塚ファミリーランドが閉園後、宝塚ガーデンフィールズが開園した場所でもあります。宝塚市立文化芸術センターの建設工事が2018年 3月から始まり、今回紹介するメインガーデンも2019年 3月に着工したそうです。メインガーデンは2020年 3月に竣工しましたが、宝塚市立文化芸術センターのグランドオープンは新型コロナの影響で2020年8月まで遅れたそうです。ちなみに宝塚ファミリーランドは子供を連れて実家に行った時にはよく行ったところです。

前記事で紹介した宝塚市立文化芸術センターや以前に紹介した手塚治虫記念館(宝塚市立)やメインガーデンの場所をGoogleマップの航空写真に書き込みました。クリックすると拡大本衛星写真は建物の屋上に庭園がないことから建設途中の写真と思われます。黄色の枠で囲った部分がメインガーデンで緑色ラインが散策ルートです。入口は左側(西側)と右上側(北側)にあり、今回は西側(左側)から入りました。左の建物が手塚治虫記念館です。


メインガーテーンに入っていった手塚治虫記念館の方向から紹介したいと思います。右側の建物が手塚治虫記念館です。
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道を進むと庭園らしい景観になってきました。今回の中で人が写った唯一の写真です。
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上の写真から人の写っている部分を切り取って追加掲載させていただきました。マスクをされているので「ぼかし」なしで掲載させていただきました。このように小さなお子様を連れた方を数組見かけました。
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左側に振り向くと宝塚市立文化芸術センターの建物が見えます。建物の屋上が緑に覆われているのはいいですね。
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クリックすると拡大メインガーデンへの入口の写真を撮り忘れたので以前に撮った写真を紹介します。この時は閉園していたので扉は閉まっていました。今回の写真の中から入口の門が小さく写った写真写真を見つけたので切り取って右に追加掲載いたしました。2枚上の写真と同じものです。
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庭園内には小さな池と水が流れている小川があります。飛び石が見えます。
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散策路の右側にカンゾウ(萱草)に似た花が咲いていました。ヨーロッパで日本や中国の野生のカンゾウを改良を作られたヘメロカリスという名の花であることが、後で分かりました。
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そのヘメロカリスの花を拡大いたしました。
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棚につる性の植物が巻きついていて白い花を付けていました。
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つる性の植物はタイワンソケイ(台湾素馨)でした。
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シダも植えられていました。洋風の庭園でシダが使われているのは珍しく感じました。
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花が沢山咲いているエリアにあです。
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今咲いている主な花の説明板がありました。これでカンゾウ(萱草)に似た花がヘメロカリスであることが判ったわけです。
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メインガーデン全体はイングリッシュガーデンのような雰囲気ですが、花が沢山植えられている辺りは幾何学的なデザインになっていました。
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円形の中心部分です。
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円形部分の最も外周です。
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鮮やかなオレンジ色の花がありました。説明板にはなかったので名前が分かりませんでしたが、 sanaさんにコメント欄でアルストロメリアであることを教えていただきました。
 界 植物界       Plantae
   被子植物      Angiosperm
   単子葉類      Monocots
 目 ユリ目       Liliales
 科 ユリズイセン科   Alstroemeriaceae
 属 アルストロメリア属 Alstroemeria
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こちらは説明板のハドベキア・プレーソーサンのようです。
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ユリも咲いていました。
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円形の部分の中心です。
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円形の庭園の部分を離れて自然な雰囲気の部分に入りました。
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上の方で紹介した飛び石のところも歩きました。
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小川のある景色です。紫色の花が咲いていました。
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見慣れない大きな植物がありました。大きな植物で背丈より大きくなっているのもありました。
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その花を紹介します。
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散策路は木々に覆われている部分が多かったです。
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小川の流れる景色を別の角度から紹介します。
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メインガーデン(庭園)内にある建物の名前はガーデンハウスです。
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庭園から見た宝塚市立文化芸術センターの建物です。
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ホームページのマップを紹介します。
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メインガーデン(庭園)内では手塚キャラが探せます。
手塚治虫のアニメのキャラクターの絵が庭園の中に置かれていました。最初に見つけたのが「ふしぎなメルモ」でした今回見つけた手塚キャラを見つけた順番に紹介します。
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2番目に見つけたのがヒョウタンツギでした。
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3番目のリボンの騎士のサファイア姫もひっそりと置かれていました。
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4番目のユニコはメインガーデンの門の外側にありました。門の祖てですがエリア的にはメインガーデンないです。
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もう一度門内に戻って5番目を見つけました。ヒョウタンツギは2体あったのです。今回見つけたのは紹介した5体でしたが、探せばもっと見つかるかもしれません。ネットで見ると鉄腕アトムやブラック・ジャックも出てきました。探してみるのも楽しいかもしれません。
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メインガーデン入口の宝塚市立手塚治虫記念館前にはジャングル大帝レオの像も置かれていました。後ろの建物が宝塚市立手塚治虫記念館です。こちらを入れると今回見た手塚キャラは6体になりますがメインガーデンから離れているし、探す必要もないほど目立った存在なので数には入れませんでした。
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屋上庭園
上で紹介の庭園にはメインガーデンの名が付いていることから分かるように宝塚市立文化芸術センターには名前のついた庭園(ガーデン)が3つあります。その一つが屋上庭園です。ここでは屋上庭園を紹介したいと思います。もう一つはフロントガーデンですが、今回は名前が付いているとは知らなかったので写真は撮りませんでした。こちらの写真が駅方向からの屋上庭園への階段です。右端の建物はエレベーターです。エレベーターでも上がってくることが出来ます。
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階段を登り切ったところの景色です。
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西方向からの屋上庭園の全景です。
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東方向からの全景です。広い芝生の広場でした。
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東野エリアには原っぱの丘イメージして植物が植えられたエリアがありました。
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原っぱの丘に植えられている植物の説明板です。植えられていたのは、メアザミ、オトコエシ、カワラナデシコ、ワレモコウ、オミナエシ、フジバカマ、オニユリ、カントウヨメナ、キンキズヒキ、ミソハギ、ホタルブクロ、ウツボグサ、ハマナデシコ、キキョウです。
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屋上庭園から見たメインガーデンです。
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建物の2階からみたメインガーデンです。
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オープンして間近の2020年6月にもメインガーデン(庭園)に来たことがありました。ただし閉園日だったので中には入れないので柵の外から撮りました。写真は北側の入口です。この庭園があることを知ったのは2020年の春頃でした。実家から清荒神に行く道筋で見つけて入ってみたいと思っていてその年の6月に来てみた訳です。
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紫陽花が咲いていました。
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西側の入口です。やはり門は閉まっていました。
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水曜日が閉園日をだったのです。
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上で紹介した飛び石はや池は外のエリアから見ることが出来ました。
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庭園内の池は外のエリアにもつながっていました。右側の建物が宝塚市立文化芸術センターで、左側の建物が宝塚市立手塚治虫記念館です。
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宝塚市立手塚治虫記念館を広場から撮った写真です。右端のカラフルな色のドームの下が記念館の入口です。
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前回来た時が閉園日だったので2020年10月に来てみました。その時の写真を紹介します。写真のように北側の門が空いていました。
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門を入ってすぐの景色です。
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タイワンソケイ(台湾素馨)の棚がありました。
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ガーデンハウスの前の散策路です。
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飛び石のところです。
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ハロウィンの時期だったので大きなかぽつゃが置かれていました。
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北側の散策路です。手塚キャラ「ふしぎなメルモ」があった辺りです。この時は手塚キャラは気がつきませんでした。
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小川のある景色です。
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北側の散策路はいろんな景色を見せてくれます。
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散策路が広くなっている辺りです。
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開園当時に宝塚市が公表したイメージ図を紹介します。手前がメインガーデンで、奥が文化ゲイジュツセンターの建物です。屋上庭園のイメージも実際と同じです。
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下記の宝塚ファミリーランドのチラシに、手塚治虫記念館やメインガーデンをクリックすると拡大含めた宝塚市立文化芸術センターのエリアを黒枠で追記しました。ただし昔の航空写真などを参考にして書き込んだの大凡の位置であることはお許しください。宝塚フミリーランドは右の写真のホワイトタイガーが1985年から2003年(閉園)までいたことで有名で、1996年~2001年の間に何度(3回以上)か2~3頭の赤ちゃんも生まれました。
動物園エリアは左上の部分です。
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参考にした昔の航空写真です。黄色枠の部分が現在のメインガーデンなどを含んだ宝塚市立文化芸術センターのエリアです。この航空写真は1979年に撮影されました。クリックすると広範囲を表示します。
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クリックすると拡大1994年の航空写真にも宝塚ファミリーランドが写っているので宝塚市立文化芸術センターのエリアを確認してみてください。本航空写真には私が1歳の時に右の写真を撮った東京銀行宝塚クラブハウスが建っていたグラウンドやテニスコートが左下端に写っています。同じ場所にクラブハウスらしいものが傍にありますが、私が1歳の時に建っていた建築家の村野藤吾の設計のクラブハウスとは違うようです。
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こちらが建築家・村野藤吾の設計したクラブハウスと思われる建物が写っていた1961年5月13日に撮影された国土地理院の航空写真です。
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タグ:宝塚 庭園
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半円形に並んだおしゃべりの空間 里山トランジット [外食]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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以前の記事で成田空港の近くにあるDining Port 御料鶴で男3人でクリックすると拡大ランチを食べたことを紹介したことがありますが、同じメンバーで京成本線のユーカリが丘駅の近くで、5月の温泉旅行の計画の相談をするために飲み会兼ランチをすることになって選んだレストランが今回紹介の里山トランジット(里山transit)です。上および右の写真のように半円形の部分が空中に突き出した構造のレストランなのです。ユーカリが丘駅の近くにしたのは東京から一番近くに住んでいる人、一番遠くに住んでいる人の中間の位置だからです。

クリックすると拡大下の写真の左側がレストランの入口です。元はくいどんという名の焼肉店がありましたが、近くにイオンタウンが出来て、そちらに移転した後に里山トランジットが出来たのでした。
右の写真がネットから転用させていただいた焼肉店時代の店の写真です。
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3人の予定でしたが、急に1人がこれなくなって2人になってしまいましたが、先ずは生ビールで乾杯です。我々が座った半円の部分の窓際の席は掘りごたつ式でした。早めに予約しておいてよかったです。右の写真で左側が私です。
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座った席の窓からの景色がこちらです。見えている高層ビルは免震システムが採用されている地上31階・地下0階・高さ約114mの、総戸数411戸の高層マンションで、名前はスカイプラザ・ミライアタワ―(Sky Plaza Miraia Tower)です。清水建設の設計・施工の建物で、完成(竣工)は2013年10月です。100m以上なので日本の定義で超高層ビルに分類されます。日本で最も高い超高層マンションは虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワー(22155m)です。
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こちらが店内の写真です。顔が写らない角度にしたつもりですが念のために顔はぼかしを入れさせていただいています。我々の座った掘りごたつ席は左下端にクリックすると拡大少しだけうつっていますがそれ以外はテーブル席と丸いカウンター席になっています。掘りごたつ席がわかりにくいのでお店のfacebookから写真を右に転用させていただきました。最も外側に円弧を描いているのがこたつ席に上がる縁台部分です。
下の写真は13時13分でが、お店には11時45分から13時50分まで長居させてもらいました。ただし我々の右隣りのお客さんは我々よりも早く来て、我々が帰る時もまだ盛り上がっていました。
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先ずはビールのつまみになるものを頼みました。左の皿がローストビーフで、右が玉木の厚焼きです。
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ローストビーフを拡大いたしました。あとで紹介する佐倉きのこ園の椎茸ステーキのように、こちらのレストランはお塩にこだわっているようです。低温調理で仕上げただそうです。
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玉木の厚焼きも拡大しました。クリックすると皿全体の拡大写真を表示します。
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こちらは佐倉きのこ園の椎茸を使った椎茸ステーキです。佐倉きのこ園はテレビでも紹介されていたことがあります。
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こちらはチェダーチーズビーフです。ビールにぴったりでした。
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チェダーチーズビーフの半分をとり皿に取り分けました。
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パスタも注文しました。これはトマトクリームパスタです。ちぢれ麺のようなパスタ使われているようでした。
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デザートも食べました。タブレットの画面の中の左側の上と下の、里山特製ティラミス600円(税込)とりんごのタルト500円(税込)を注文しました。
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こちらがりんごのタルトです。
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里山特製ティラミスは食べる前に写真を撮るのを忘れてしまいました。食べ始めてから気が付いて写真を撮りました。
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食べる前の写真を撮り忘れたと思っていたら、しっかり撮っていました。器もスプーンもスコップに見立てているところにこだわりを感じました。これはお勧めの1品です。
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上の写真をクリックすると面積で16倍に拡大しますが、クリックの面倒な方のために拡大写真を掲載しました。こちらもクリックすると面積で16倍に拡大いたします。
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お店を紹介いたします。Google航空マップの航空写真内の一番上の地区センター駅近くの臙脂マーク( )が里山トランジットです。
 名前 里山トランジット(里山transit)
 住所 千葉県佐倉市ユーカリが丘4-1 スカイプラザモール 2F  
 電話 050-3561-2421
 営業 11:30〜15:00 17:00〜22:30
 定休 毎月曜日、第一火曜日 月曜が祝日の場合翌火曜日
 最寄 地区センター駅(ユーカリ線):1分 ユーカリが丘駅(京成本線):5分


レストランは高層マンション(イーストタワーとウエストタワー)に挟まれた場所にあります。ストリートビューで紹介します。中央の2階建て建物の2階が里山トランジットです。左がイーストタワーで、右がウエストタワーです。ユーカリが丘駅周辺には5つの高層ビル(すべてマンション)が建っています。5つともに超高層ビル(>100m)に分類されます。

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