原爆ドーム [広島]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
右下の写真の前記事で紹介した昼食で「広島のお好み焼き」を食べた五エ門を出た後は、従妹夫婦に原爆ドームのある平和記念公園と縮景園を案内してもらいました。従妹の旦那さんはボランティアで広島市内の観光案内をされていることから詳しい話を聞くかせてもらうことが出来ました。実は五エ門から上の写真の場所まで歩いて400mの距離だったのです。車を駐車場に置いたまま原爆ドームまで来ることが出来ることから、広島のお好み焼きのお店として五エ門を選択されたのかもしれません。
これまでに原爆ドームに来たのは、広島の井口町に住んでいた幼稚園児の時と小学生低学年の時なので数十年ぶりになります。そのため撮った原爆ドームの写真を沢山紹介したいと思います。
原爆が広島に落とされたのは1945年8月6日(月)午前8時15分でした。22年後に行われた原爆ドームの補強工事を記念した石碑です。記載内容を枠内に転記する形で紹介します。
原爆ドーム昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した
その1個の爆弾によって20万人をこえる人々の生命が失われ半径約2キルメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため 国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し これを永久に保存する
昭和42年8月6日 広島市
北側から見た原爆ドームです。
こちには北西方向から見た原爆ドームです。
こちらは西北西方向から撮った写真です。
西方向からの写真です。背中側は元安川です。
こちらは南西方向からの角度の写真です。
こちらは南南西方向からの原爆ドームです。
原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光の数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達したそうです。0.8秒後には、衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風が襲い、1平方メートルあたり35トンの爆風圧を受けたと推測されているそうです。このため建物は原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊し、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存したそうです。原爆の爆心は写真の左上の方にあったようです。
ドームの鉄骨部分を拡大しました。
レンガ(煉瓦)の部分です。
クリックすると読める大きさに説明板を拡大いたします。ただし読みやすいようにモノクロ(白黒)に変換した写真です。
少し離れて撮った原爆ドームです。南の元安橋(もとやすばし)から撮った写真です。原爆ドームは1996年に世界遺産に登録されました。
世界遺産の顕著な普遍的価値(OUV)の言明→PDF
こちらも元安橋から撮った写真です。黄色の矢印のところが爆撃機からの照準点であった相生橋(あいおいばし)です。相生橋のところは川が2つに分かれることから上空から見ると橋はT型でした。
こちらが爆撃機からの照準点となった原爆投下前の相生橋の写真です。T型をしていたことが分かっていただけると思います。Tの部分を走っている路面電車の辺りが照準点だったようです。こちらの写真は広島平和記念資料館に展示されていたものです。
原爆投下4ケ月前の1945年4月に撮られた原爆投下用の広島の航空写真です。アメリカ空軍歴史研究センター所蔵だそうです。
説明には「周囲に目盛りが記されており、位置を横と縦3けたずつの数字で表しています。原爆の照準点は「063096」でした。これは市の中心部にあるT字型の相生橋にあたります。」と書かれていました。こちらも広島平和記念資料館に展示されていたものです。
Wikipediaから転用させていただいた爆心のイメージ図です。1945年8月6日(月)午前8時15分でした。
爆撃機の照準点と爆心点と原爆ドームの位置関係を航空写真に記載しました。原爆は高さ約600メートルの空中で爆発したので、角度的に原爆ドームのほぼ直上で爆発したと言えると思います。
━━ 原爆ドーム→爆心(約160m) ━━ 照準点→爆心(約300m)
━━ 原爆ドーム→平和の灯→原爆死没者慰霊碑→平和記念資料館
相生橋から見た原爆ドームです。
背景にビルがない角度から撮った原爆ドームです。
川を挟んだ場所に設置された原爆被災説明板の場所から撮った原爆ドームです。
原爆被災説明板を大きく撮りました。クリックすると文字が読めるように特別に大きく拡大いたします。SV
クリックが面倒な方のために説明板だけを拡大します。クリックして拡大すると更に読みやすくなります。
原爆前の昔の広島県産業奨励館の写真です。こちらは広島平和記念資料館に展示されていた写真です。
広島平和記念資料館には旧広島県産業奨励館の模型と原爆ドームの模型も展示されていたので紹介します。裏側からの写真です。裏側の方はほとんど破壊されてしまっていることが分かります。クリックすると特別に大きく拡大します。右の小さな写真のように並んで置かれていました。
資料館のプロジェクションマッピング映像での原爆投下前と投下後を8秒ごとに表示させています。黄色の矢印(↓)が原爆ドームの位置です。明るい画面が原爆投下前で、暗い画面が原爆投下後の映像です。こちらはプロジェクションマッピング映像を撮った動画から作りました。動画に関しては資料館の記事を書いた時に紹介させていただきます。原爆投下後の市内の様子の映像(Wikipedia)→動画
原爆直後の原爆ドームです。こちらに広島平和記念資料館に展示されていた写真です。
広範囲の原爆投下から2ケ月後(1945年10月5日)の写真です。右端の橋が照準にされた相生橋出す。相生橋と原爆ドームの位置から写真の左端辺りが爆心になります。こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大いたします。
上の昔の写真の丁度反対側から撮った写真です。写真を撮った場所の元安橋が写っています。沢山の外国人の人が見に来ているのが印象的でした。元安橋は安土桃山時代に木橋として築造され1920年に鋼橋に永久橋化、1945年原爆被災の際、爆心地より約130mに位置し爆心地から最も近い橋です。落橋を免れ、の被災状況から、爆心地特定の手がかりとなったそうです。戦後も長く使用されて1992年に架け替えられました。日本百名橋の1つだそうです。
上の写真の広い範囲を撮った写真です。みなさん真剣に見ておられる感じで、資料館では無言で見学されていました。
広島平和記念資料館の2階から原爆ドーム方向を撮った写真です。原爆ドーム、平和の灯、原爆死没者慰霊碑などが一直線に並んでいます。
少し左側から撮った写真です。斜めから見ると距離感が判ると思います。
少し右側から撮った写真です。
Googleマップの航空写真で平和公園の辺りを紹介します。
━━ 原爆ドーム~爆心 ━━ 照準点~爆心
━━ 原爆ドーム~嵐の中の母子象
原爆ドーム 原爆投下照準点 爆心
原爆の子の像 平和の灯 原爆死没者慰霊碑
平和記念資料館 資料館入口 祈りの泉
嵐の中の母子象 広島のお好み焼き店 五ェ門
原爆ドーム方向から広島平和記念資料館方向を撮った写真です。手前から平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館です。
一直線上からは少し外れますが、もっと北側にある原爆の子の像です。
私が広島市井口町に住んでいた幼稚園児~小学4年頃は、ここに千羽鶴が吊るされていました。
原爆の子の像に近い一直線上から見た原爆ドームです。写真の左側に原爆の子の像があります。
こちらは原爆死没者慰霊碑です。慰霊碑は1949年に成立した広島平和記念都市建設法の精神に則り建立が計画され、1952年にコンクリート製が完成し、1985年に現在の御影石製に改築されたそうです。
したがって私が幼稚園児と小学生の時に見たのはコンクリート製だったことになります。
右の写真はネットから転用させていただいた建設中(1952年撮影)のコンクリート製の初代原爆死没者慰霊碑です。
2016年にアメリカのオバマ大統領が現職として初めて慰霊碑に献花し、2023年のサミットではG7首脳が初めて揃って慰霊碑に献花しました。
原爆死没者慰霊碑の前で記念写真を撮る人が多かったです。
撮った瞬間を拡大いたしました。
原爆死没者慰霊碑から見た原爆ドームです。
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