映画「四月になれば彼女は」のロケ地になった「うのしまヴィラ」 おしゃれに並ぶ朝食 [茨城]
前記事「太田尻海岸 「うのしまヴィラ」での夕食」で紹介したように2024年7月6日に茨城県日立市の太田尻海岸にある 「うのしまヴィラ」に泊まりました。前記事で夕食を紹介したので本記事では朝食を中心に紹介したいと思います。上の写真が夕食や朝食を食べたフロント棟の入口です。入口の上のシンボルマークにあるように、うのしまヴィラ(UNOSHIMA VILLA)は1959年に祖父が創業した鵜の島温泉旅館をリニューアルしたそうです。きっかけは2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震で、旅館の売りであった木造の白い土壁に修繕不能なほどの被害を受けたことだったそうです。3年の月日をかけて名前も新たに再起したのが今の「うのしまヴィラ」だそうです。現在の宿泊棟は鉄筋コンクリート製だったことから内装をリニューアルして使えるようにしたそうです。
上の建物がフロントやレストラン&カフェ(Sea・ne/海音)があるフロント棟で、我々が泊まった宿泊棟は右にあります。朝食はここからフロント棟の中に入っていきました。
入口を入って正面に掛けてあったのがこちらのパネルでした。ネットによれば太田尻海岸と宿泊施設「うのしまヴィラ」でロケが行われたそうです。映画のタイトルは四月になれば彼女はでした。パネルに入口が反射して写っています。
夕食を食べた同じ席に用意されていました。ホームページなどでも写真が使われている海が見えるコーナー席は一番の席だと思います。赤ちゃん連れパワーのおかげだと思います。
右の写真が夕食時に撮っていただいた写真です。
タイトルのように、おしゃれに並べられていました。朝食我々が席に付いたら、温かい料理つまり、ご飯や味噌汁や焼き魚が並べられるのだと感じました。
最初に焼鮭が並べられました。
次にお椀が置かれました。たぶん味噌汁だと思いましたが、それにしては大きなお椀でした。後ろ立っている方が館主(代表取締役)の原田実能さんです。
最後にご飯が並べられました。ただし、飲み物は飲んでしまっていました。写真のために待てばよかったと記事を書き始めてから後悔しました。
飲む前に撮った飲み物の写真を掲載します。
味噌汁の具はシメジでした。ほんとボリュームがありました。
小鉢も紹介します。一番右にあった温泉玉子です。
いろんな味と食感が楽しめました。
最近は知りませんが、茨城県と言えば納豆です。
漬物も紹介します。
もちろん食後のデザートがありました。いろいろチョイスできました。飲み物はコーヒーにいたしました。
デザートも拡大いたしました。デザートはブルーベリーのソースがかかっていました。
宿泊客以外も受け入れているのでレストラン&カフェとしての名前のCAFE & DINING 海音(Sea・ne)の名前が付けられていました。
日本野菜ソムリエ協会の認定書が飾られていました。
宿とレストランの館主(代表取締役)には茨城県知事から、いばらき観光マイスターS級が認定されていました。
旅行新聞社からは、日本の小宿として「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100撰」にもうのしまヴィラが選ばれていることも知りました。
そして最初に書いたように映画「四月になれば彼女は」のロケ地になっていたのです。3人のサイン色紙が飾られていました。左から長澤まさみさん、佐藤健さん、森七菜さんの色紙だと思います。顔写真はネットから転用させていただきました。
と言うことでタイトルに、映画「四月になれば彼女は」のロケ地になった「うのしまヴィラ」 と入れさせていただきました。
右の3枚の写真は日立市の公式X(旧Twitter)から撮影風景を転用させていただきました。一番右の写真はフロント棟内です。
四月になれば彼女はは2024年3月22日に公開された映画です。山田智和監督にとって長編映画初監督作だそうです。
それでは予告編の動画を紹介します。予告編の中には「うのしまヴィラ」が写っていないようですが、動画の頭から1分11秒と1分15秒(確実)と1分18秒~1分19秒に太田尻海岸が一瞬ですが出来ているようです。1分15秒の画像は岬が同じなので太田尻海岸であることは確かです。プレーボタンをクリックすると1分10秒から動画を再生し、終わった後は頭から永遠に繰り返すように設定しております。
太田尻海岸と思われる3画面をハードコピー画面で紹介します。
頭から1分11秒後の画面です。元は暗い画面の動画ですが、画像処理で明るくしてみました。撮った写真の中にこの位置からの写真はありませんが、歩いて散策した時の記憶から太田尻海岸であると思われました。
頭から1分15秒後の画面です。右の写真が私が撮った太田尻海岸の北東方向の岬の写真です。映画の背景の岬の形から太田尻海岸であることが分かるりました。
1分18秒~1分19秒の画面の背景に上と同じ岬があると思われることから太田尻海岸と思われます。短い予告編の中に太田尻海岸が入っているのに感激いたしました。
ここからは前記事で紹介し尽くせなかった太田尻海岸の景色を紹介したいと思います。先ずは海岸の右端の岩山です。
岩山は不思議な空間を岩が囲うように浸食されていました。
砂浜と岩山の間には小さな小川が流れていました。簡単にまたげるほどの小川でした。これだけなら記事には書きませんが、実は海岸の左側も岩山と砂浜の間に小川が流れていたので気になったのです。そちらの方は濡れずには渡れないほどの幅の小川でした。
南西方向の海岸沿いの岩は不思議な光景を見せてくれていました。
左側(北東方向)の岩山の方に行ったのは、岩山に登って朝日を撮るためでした。
ところが、濡れずには渡れないほどの小川があったのです。水はきれいでした。
小川沿いもなかなかの奇岩でした。
陸の方に大きく廻りこんで岩山の向こうに出て朝日を撮ろうとも思いましたが、道がぬかるんでいて完全に断念いたしました。
朝食後に明るくなって外に出てみると西行法師(元永元年[1118年]~文治6年2月16日[1190年3月23日])の歌碑が建っているのに気が付きました。西行歌碑には下の緑色文字のように書かれていました。この歌碑は前身は「鵜の島温泉旅館」の初代館主の島崎二三男さんによって昭和四六年四月吉日に建立されたそうです。右の写真の茶色の屋根の建物が全て鵜の島温泉旅館の施設です。
西行法師
大田尻 衣は難幾何
波た可し万
沖吹く加世耳
三に八志萬ぬ駕
秀峰書
ネットの裸島と西行歌碑によれば「この歌は、平安時代末期頃、栄蔵という修験僧が、田尻海岸の小島(ぐみ島。今は海中に没してない)に小屋(栄蔵小屋)を建て住んでいたのを、 尋ねてきた西行が栄蔵の貧しい生活ぶりを裸島と結びつけて詠んだものである。」そうです。
後ろにある木造の建物が「うのしまヴィラ」の食事を食べたフロント棟です。
10時前にチェックアウトして近くのショッピングモールSEA MARK SQUAREで買い物をして娘たちの車で日立駅まで送ってもらいJR特急ひたち10号に乗り、上野で京成電鉄に乗り換えました。