新幹線からの伊吹山 2024年8月11日 [話題]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
先日、新幹線からの富士山の記事へのTake-Zeeさんから「新幹線から見える山で富士山と伊吹山が好きです。富士山は地元からも見えますが伊吹山が見えると嬉しかったです。」とコメントでいただいたことから、新幹線から見える伊吹山の本記事を掲載させていただきました。伊吹山は「いぶきさん」と呼ばれる地域もありますが国土地理院も含めて「いぶきやま」と呼ばれことが圧倒的に多いようです。
乗った新幹線は2024年8月11日の東京6時42分発のぞみ105号でした。
ちなみに今回乗った車両はWorkシート車両でした。席番号8番E席Wの末尾にWと書かれているのがWorkシート車両を表しているようです。そのためにパソコンを持ってきたのですが、Workシートは3人席の5番より後ろだけで、他は普通の席でした。満席だったので結局パソコンはリュックから出しませんでした。
名古屋駅を出発して、しばらくすると前方に小さく伊吹山が見えたので写真を撮りました。今回の中で最初に撮ったのが上の写真①です。遠くからでもすぐに伊吹山だと分かるのは、伊吹山が石灰岩が多く含まれていることから白い山肌が多く見られるためです。時刻は8時53分32秒でした。この写真の撮影位置は後で紹介しますが、決め手になったのが クスリのアオキ の赤い色の看板でした。SV
上の写真から標高1377.31mの伊吹山あたりを切り取って拡大したのが、こちらの<写真です。こちらの写真はもう少し広い範囲の写真を表示します。
撮影したのは、岐阜羽島駅を通過して5.62kmの距離の場所です。
こちらは上の写真の3秒後の8時53分35秒に撮った写真②です。上で拡大写真を紹介したので、伊吹山はすぐに分かっていただけると思います。こちらの位置は青色のトラックでした。SV1 SV2
こちらは上の写真から19秒後の8時53分54秒にズームで撮った伊吹山の写真③です。新幹線は南海トラフ地震への警戒から三島駅と三河安城駅の間でスピードを落とした運転していてことと名古屋駅で体調を壊した方がおられたことから、この時点で約20分の遅れで走行していました。最終的に新大阪に19分遅れで到着しました。SV
Googleマップで①~③の位置を紹介します。黄色のラインが伊吹山の方向です。マップ内の が①の位置を特定する決め手となった「クスリのアオキ大井店」です。ここから下で④~⑮から撮った伊吹山の写真を紹介します。
列車の進行とともに伊吹山は手前の山に隠れました。送電鉄塔の右に伊吹山が少し見えています。右下の建物は不破ノ席病院です。
時刻は8時55分21秒です。写真④
下の写真は右の写真から伊吹山が見えているあたりを切り取りました。
鉄塔の両サイドの白っぽく見えているのが伊吹山です。この写真は撮った写真をトリミングしているため写っていませんがオリジナルの写真には(株)サコの建物が写っていることから場所が特定できました。時刻は8時55分30秒です。写真⑤
列車の進行とともに伊吹山本体が見えてきました。
時刻は8時56分13秒です。写真⑥
コンデジのフルズームに近い状態(87.6%=32.249mm÷36.8mm)で撮って、右下の写真のように電気盤が屋上に設置された鉄筋コンクリートの建ての建物が見える場所ですが、この建物は国保関ケ原診療所であることがSVで判りました。
さらに大きく見えてきました。時刻は8時56分24秒です。SV 写真⑦
標高 1377.31m
住所 滋賀県米原市、岐阜県揖斐郡揖斐川町、岐阜県不破郡関ケ原町
山系 伊吹山地
種類 堆積岩(石灰岩)
また手前の山に遮られました。時刻は8時56分26秒です。写真⑧
伊吹山全体が見えるようになりました。時刻は8時57分30秒です。写真⑨ SV
伊吹山は古くから霊峰とされていて、古事記や日本書紀においてはヤマトタケル(日本武尊)が東征の帰途に伊吹山の神を倒そうとして返り討ちにあったとする神話が残されているそうです。
人家が沢山ある場所です。時刻は上の5秒後の8時57分35秒です。写真⑩
伊吹山は、古事記では伊服阜能山と記され、日本書紀では五十葺山と記されているそうです。他にも伊吹山や伊吹の別表記として膽吹山、伊服阜山、伊夫阜山、伊福貴、異吹、伊布貴、伊夫伎などがあり、かつて修験道においては大乗峰と呼ばれていたそうです。
もう一枚、人家の背景に伊吹山がある写真を紹介します。大きな屋根の建物は真宗大谷派の見瑞寺(滋賀県米原市大野木1468番地)です。時刻は上の写真の1秒後の8時57分36秒です。写真⑪
こちらの時刻は上の写真の14秒後の8時57分50秒です。写真⑫ SV
伊吹山の左側すそ野が白っぽく見えているのはセメントの原料の石灰岩の採掘場所だったところです。1952年に出来た山の麓の住友大阪セメント伊吹工場は2003年に生産を停止し一部の解体が進んでいるそうです。
伊吹山から離れていく位置に来ました。時刻は8時58分09秒です。写真⑬ SV
少しズームしました。石灰岩の採掘場だった場所がよくわかります。伊吹山の手前に2つの山のような緑がありますが、右側は山ではなく王街道の欅(けやき)と呼ばれているケヤキの木です。その右側の小山は油里城があった山だと思われます。地図で油里城跡と書かれているのは電波塔が建っている山頂ではなく手前側の少し高くなった麓です。時刻は8時58分13秒です。写真⑭ SV
手前の左側の山(城山城跡)で伊吹山が見えなくなる寸前です。
一番手前の民家の屋根をGoogleマップで見つけました。→SV1
上の写真⑭は1秒前なのですべての写真(①~⑮)の撮った位置が確定しました。
冒頭の写真①から4分39秒後の写真⑮です。8時58分14秒
上の写真⑮の撮影位置を確定した地上からのSV画面です。SV0 SV1 SV2
残念ながらストリートビューが撮影された時(2023年6月/juin 2023)は伊吹山の頂上付近は雲で覆われていました。
写真を撮った場所です。新幹線からの伊吹山方向の写真に送電線の鉄塔が沢山写っていたのでプロット( )しました。
西側の⑨~⑮の部分を大きく表示しました。
Googleマップ内の が⑫の位置を特定するのに役に立った右の写真のI・T・O株式会社です。
tarouさんにコメントで伊吹山ドライブウェイのことを教えていただいたので、伊吹山ドライブウェイの頂上の駐車場から山頂への登山道に入る部分のストリートビュー(SV)を紹介します。
右のようにGoogleマップでの駐車場の標高は1239mなので、あと138m登れば山頂(1377m)まで行けることになります。
さらに伊吹山ドライブウェイ入口(伊吹山口)から駐車場までの11ケ所のSVも紹介します。→ SV入口 SV1(料金所) SV2 SV3 SV4 SV5 SV6 SV7 SV8 SV駐車場 SV登山道 車ルート 徒歩ルート 下に表示させているのはSV7
同じ日に富士川を渡る時に富士山方向の動画を撮りましたが、残念ながらこの日は富士山は霞んでいました。
右は2024年7月28日に撮った写真です。動画だと鉄橋のトラスが気になります。
2023年12月28日の山頂に雪がある伊吹山の写真を紹介します。
クリックすると面積で16倍に拡大するように設定いたしました。右2枚の2024年8月11日の写真⑩と写真⑪の間で撮った写真です。
こちらは2024年3月11日に広島から関東の自宅に帰ってくるときに撮った雪のある伊吹山の写真です。今回の右の写真⑬に近い角度です。
この時の旅での広島などの記事を下記のようにいくつか掲載しました。タイトルをクリックすると記事を表示します。
・山口県の墓参りの新幹線と車の旅 朝食「ひっぱりだこ飯」
・昼食は本場の「広島のお好み焼き」を食べました。五エ門
・原爆ドーム
・広島平和記念資料館
・縮景園
・広島での初めての従妹夫婦との食事会 活きウマヅラハギ 海の幸・磯の坊