世界遺産 レッド・フォート ( Red Fort / Lal Qila ) [インド]
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2024年9月3日再掲載 タイトル : 世界遺産 レッド・フォート
インドのデリーの世界遺産のクトゥブ・ミナール(Qutab Minar)を掲載し、同じ首都デリーにある世界遺産のフマユーン廟(Humayun's Tomb)を再掲載したことを機会に、同じデリーの3つ目の世界遺産レッド・フォートの記事を再掲載いたします。レッド・フォートはデリーでは最も新しく登録された世界遺産です。最も新しく登録されたと言っても、今から17年前の2007年に登録された世界遺産です。インド全体では現在42の世界遺産が登録されていますが、本記事を掲載した時点では32の世界遺産が登録されていてレッド・フォートは27番目に登録されたので、私が見学した時点では比較的新しい世界遺産でした。インドで最初に世界遺産が登録されたのは1983年で4つが登録されました。
その4つはアジャンター石窟群、エローラ石窟群、アーグラ城塞、タージ・マハルでした。
2012年10月18日 掲載
2024年09月07日 再掲載 閲覧数:3,678 nice!:176 CMT :26
2024年09月08日 閲覧数:3,835 nice!:200 CMT :32
2024年09月09日 閲覧数:3,967 nice!:219 CMT :42
2024年09月11日 閲覧数:4,093 nice!:234 CMT :48
2012年10月18日掲載 タイトル : 世界遺産 レッド・フォート
インドの首都デリーには1993年に登録されたフマユ-ン廟とクトゥブ・ミナールの2つの世界遺産にがありましたが2007年に赤い城の建造物群が世界遺産が登録されて、デリーの世界遺産は3ケ所になりました。それが今回紹介するレッド・フォートです。フマユ-ン廟とクトゥブ・ミナールはすでに紹介させてもらっております。
世界遺産としての正式の登録名は"レッド・フォートの建造物群(The Red Fort Complex)"です。大きな城壁に囲われた中にいろんな建築物があります。しかし、なんといっても入口の城壁そのものが、すばらしい景観を見せてくれます。
英語名 レッド・フォート(Red Fort)
現地語 ラール・キラー(Lal Qila)
日本語 デリー城 赤い城の建造物群
門の部分を拡大いたしました。
インド全体では32個の世界遺産がありますがレッド・フォート(赤い城)は27番目の登録の世界遺産です。
昔はラリー・キラーで検索すると沢山でてきましたが今はレストラン名前がほとんどとなりました。これは世界遺産になる前はラリー・キラーとの呼び名が多かったのではないかと想像しています。
ネットで調べても詳しく判りませんが調べた範囲で解説させてもらうとレッド・フォートは17世紀前半、ムガール帝国(1526~1858年)のシャージャハーン皇帝(在位1628~1658年)によって建設されましたそうです。そしてムガール帝国の都をアーグラからデリーに遷都し、このデリー城(ラールキラー)を建設したそうです。つまりムガール帝国の第5代皇帝から第17代皇帝までが住んだことになります。第3代皇帝~第5代皇帝までは、すでに紹介したアーグラ城塞に住んでいました。
レッド・フォートは長く壮観な姿を見せていましたが、19世紀半ばに反乱軍と英国軍の攻撃を受け、華麗な宮殿のほとんどが破壊されたそうです。総延長約2kmの赤砂岩の城壁に囲まれた内部には、高さ33mで八角形の門塔、一般謁見の間、貴賓謁見の間、真珠のモスクなどが残っており権勢を振るったムガール帝国の面影を今に残していました。写真は入口となっているラホール門です。
城壁の外側は堀になっています。日本の世界史教科書ではデリー城と書かれているそうです。
近くで見ると堅固な城塞であったことが伝わってきます。
門の部分は芸術的でもあります。
城の入口の最も有名な門の上の飾りの部分です。
その有名な飾りの下の門を正面から撮りました。門の奥はアーケードのようになっていました。巨大さが判ります。
そのアーケードの通路には沢山のお土産屋さんがありました。
アーケードを過ぎると赤砂岩の門が目の前に現れます。写真はアーケードとは反対側から撮ったものです。名前はチャッタ・チョウクで内部は軍事博物館になっていました。
その門の奥にインドの観光客の人が記念撮影する建物がありました。上の門の写真はその建物の方から撮ったものです。ここは一般謁見の間で名前はディワン・イ・アームです。
その記念撮影の建物の奥に大理石の建物群がありました。これは貴賓謁見室ディワニ・カースです。
さっそく貴賓謁見室ディワニ・カースにきてみました。大理石は宝石が埋め込まれて装飾されていました。
その装飾された柱を拡大しました。宝石を大理石に埋め込んでいるのが判ってもらえると思います。
見事な大理石の細工物もありました。これは是非ともクリックしてみてください。
城の中にはイギリス風の建物群もありました。沢山の建物がありました。これらはインド人の独自の力によって建てられたことが意義があるように説明されていました。
一般の観光客の人はあまり行かない裏側の道路からの景色です。車から降りて門の隙間から写真を撮りました。
大理石の建物が沢山並んでいました。真中の建物は「真珠のモスク」と呼ばれる美しい白大理石造りのモティ・マスジット(Moti Masjid) 右側が、先ほど説明した貴賓謁見室ディワニ・カースだと思います。このあたりは地盤沈下が激しくて数mに達します。入口が地面に埋もれているのが判ると思います。SV1 SV2
この城の中は世界遺産登録前には軍関係の施設であったことから、他の観光地と違い警備が厳重でした。
すごく警備の人のターバンが雰囲気があったので下のように写真を撮らせてもらいました。さらに右の写真のように横に並んだ写真も撮らせてもらいました。真中が私です。
これがレッド・フォートの航空写真です。Google航空写真でレッド・フォートの広さを測ってみると南北が1160mで、東西が570mでした。
上の航空写真と比べて見てください。Wikipediaから転用させてもらった1857年以前の城塞の中の配置図です。つまり反乱軍と英国軍の攻撃を受け前のレッド・フォートです。
2015年時点のインドの世界遺産を紹介します。タイトルが着色のものは私が訪問した7ケ所の世界遺産です。タイトルまたは写真をクリックすると、その記事を表示します。
・文化遺産
1983年 アジャンター石窟群
1983年 エローラ石窟群
1983年 アーグラ城塞
1983年 タージ・マハル
1984年 コナーラクのスーリヤ寺院
1984年 マハーバリプラムの建造物群
1986年 ゴアの教会群と修道院群
1986年 カジュラーホーの建造物群
1986年 ハンピの建造物群
1986年 ファテープル・シークリー
1987年 パッタダカルの建造物群
1987年 エレファンタ石窟群
1987年 大チョーラ朝寺院群
1989年 サーンチーの仏教建造物群
1993年 デリーのフマーユーン廟
1993年 デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群
1999年 インドの山岳鉄道群
2002年 ブッダガヤの大菩提寺
2003年 ビンベットカの岩陰遺跡群
2004年 チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅
2004年 チャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園
2007年 赤い城の建造物群 レッド・フォート
2010年 ジャイプルのジャンタル・マンタル
2013年 ラージャスターン州の6つの丘陵城砦群
2014年 グジャラート州パタンのラーニキ・ヴァヴ
・自然遺産
1985年 カジランガ(カージランガー)国立公園
1985年 マナス(マーナス)野生生物保護区
1985年 ケオラデオ(ケーオラーデーオ)国立公園
1987年 スンダルバンス国立公園
1988年 ナンダ・デヴィ(ナンダー・デーヴィー)
2012年 西ガーツ山脈
2014年 大ヒマラヤ国立公園
デリーの3つの世界遺産の場所を紹介します。
レッド・フォート Red Fort
フマーユーン廟 Humayun's Tomb
クトゥブ・ミナール Qutab Minar
地図上のアイコンを何度もクリックすると訪問した他の世界遺産の場所もわかると思います。
より大きな地図でデリーの世界遺産を表示
世界遺産 フマユーン廟(Humayun's Tomb) [インド]
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2024年9月3日再掲載 タイトル : 世界遺産 フマユーン廟(Humayun's Tomb)
インドの世界遺産のクトゥブ・ミナール(Qutab Minar)を掲載したことを機会に、同じ首都デリーにある世界遺産のフマユーン廟(Humayun's Tomb)を再掲載したいと思います。本記事はブログを始めた15年前の2009年に掲載したもので、私の最も古い記事に分類されます。ただし2015年に若干記事をブラシュアップさせていただきました。
2009年12月31日 掲載
2024年09月03日 再掲載 閲覧数:2,930 nice!:205 CMT :76
2024年09月04日 閲覧数:3,052 nice!:228 CMT :80
2024年09月05日 閲覧数:3,192 nice!:254 CMT :83
2024年09月06日 閲覧数:3,260 nice!:261 CMT :89
2024年09月07日 閲覧数:3,328 nice!:263 CMT :94
2024年09月08日 閲覧数:3,348 nice!:264 CMT :94
2009年12月31日掲載 タイトル : 世界遺産 フマユーン廟(Humayun's Tomb)
これはデリーにある3つの世界遺産の一つであるムガール帝国第2代皇帝フマユーン(همايون)の霊廟(墓)です。インドのデリーは帰国の日の飛行機に乗るまでの時間で、3つの世界遺産を全て廻ることが出来る、うれしい街なのです。
フマーユーン皇帝は1530年に即位しましたが、1540年にスール族のシェール・ハンに大敗し、インド北部の君主の座を奪われてペルシアに亡命しました。しかしながら1555年に、アーグラとデリーを奪回して、北インドの再征服に成功しました。ところが、翌1556年に47歳で、突然に事故で死んでしまいました。フマーユーン死後の1962年に、ムスリマを信仰していたハミーダ・バーヌー・ベーガム王妃がデリーのヤムナー川のほとりに、亡き夫の壮麗な墓廟を建設することを指示し、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8~9年の歳月をかけてフマユーン廟を完成させたそうです。ハミーダ王妃は、フマーユーンの王妃であるとともに第3代皇帝アクバルの母でもありました。ちなみフマーユーン皇帝が37歳で亡くなった時、ハミーダ王妃は29歳で、即位したアクバル皇帝は13歳でした。ハミーダ王妃は1604年8月29日に77歳で生涯を閉じて夫の眠るフマーユーン廟に埋葬されました。下の肖像画はWikipediaから転用させていただいたハミーダ王妃とフマユーン皇帝です。
フマユーン皇帝の即位から墓廟(霊廟)完成まで
1530年~1540年 皇帝在位
1540年~1555年 ペルシアに亡命
1555年~1556年 皇帝復位
1562年~1571年 フマユーン墓廟を建設
フマユーン廟の拡大した写真を紹介します。
さらに拡大した写真を紹介します。フマーユーン廟はムガル帝国の廟建築の原型を示すと言われ、その建築スタイルはタージマハールにも影響を与えたそうです。
正面からだと大きすぎて全体が撮れないために斜め45度から撮った写真を紹介いたします。フマユーン廟の建設を指示したハミーダ王妃は、ムガール帝国初代皇帝バーブルの皇子ヒンダールの信仰上の導師でもあったシーア派のペルシア人のシャイフ・アリー・アクバル・ジャーミーの娘でした。ちなみにヒンダールは、長男フマーユーンの異母兄弟にあたります。
フマーユーンがハミーダに一目ぼれして求婚しました。ハミーダ本人や彼女を好いていた皇子ヒンダールに反対されましたが、40日間求婚するという涙ぐましい努力の末に彼女が応じたという経緯があるのです。
別の角度からの全景も紹介しまい。同じように見えますが、椰子の木の形の違いで同じ角度ではないことが判ってもらえると思います。実は建物は4方向が対称なのです。
航空写真で四方対称の建物であることを確認できます。
正方形の敷地全体も航空写真で紹介します。West Gate(左側の門)から中央までの道がメインルートです。我々もここから入りました。
フマユーン廟の門です。これをくぐると上の写真のフマユーン廟が目の前に現れます。このあたりが紹介したリスが寄ってくる場所でした。
フマユーン廟側から見た入口側の門です。
上の写真と似ていますが別の門です。フマユーン廟は正方形の建物ですが、そのフマユーン廟はさらに大きな正方形の敷地に立てられています。入口の門から見て右側の門です。
こちらの門は左側の門です。フマユーン廟の中からの景色です。
正方形の敷地の中にはこんな建物もありました。
上に上がる階段です。すごく急な階段でした。
内部を紹介します。フマユーン廟をお寺や宮殿と思われている方も多いと思います。以前にご紹介したとおり、実はお墓なのです。あの有名な総大理石の巨大な建物であるタージ・マハールも同じくお墓なのです。私も初めて、ここに来るまでは知りませんでした。そしてタージ・マハールは、このフマユーン廟をモデルにして作られたそうです。真ん中に墓石らしいものが置かれています。
別の角度から見た墓石です。
天井は大理石できれいに飾られています。写真をクリックして拡大すると大変な細工であったことが感じてもらえるかもしれません。
この廟には約150人もの死者が埋葬されたとされているそうで沢山の墓石(石棺)がありました。
入口からフマーユーン廟の通路の右脇に古い廟が2~3っあります。これらも是非見てほしいです。
崩れかけた入口が時代を感じさせてくれます。クリックすると中央の建物が表示します。
更に、もうひとつ紹介いたします。これらは全てフマーユーン廟の敷地にあるので見過ごさないように!
インド観光で最大の障害の一つが暑さです。ちょうど2月だったので一番気温の低い時期で、一番すごし易い季節です。ただしホテル代は夏に比べると2倍に跳ね上がります。もしかして世界で、もっともホテル代の高い国かもしれません。物価が非常に安い国のひとつなのに、これには驚きでした。
デリーの3つの世界遺産の場所を紹介します。
レッド・フォート Red Fort
フマーユーン廟 Humayun's Tomb
クトゥブ・ミナール Qutab Minar
地図上のアイコンを何度もクリックするとインド全体からの位置関係が判ると思います。
フマーユーン廟はインドで最初に泊まったタジマハールホテル( )に比較的近い場所にありました。