世界遺産 フマユーン廟(Humayun's Tomb) [インド]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2024年9月3日再掲載 タイトル : 世界遺産 フマユーン廟(Humayun's Tomb)
インドの世界遺産のクトゥブ・ミナール(Qutab Minar)を掲載したことを機会に、同じ首都デリーにある世界遺産のフマユーン廟(Humayun's Tomb)を再掲載したいと思います。本記事はブログを始めた15年前の2009年に掲載したもので、私の最も古い記事に分類されます。ただし2015年に若干記事をブラシュアップさせていただきました。
2009年12月31日 掲載
2024年09月03日 再掲載 閲覧数:2,930 nice!:205 CMT :76
2024年09月04日 閲覧数:3,052 nice!:228 CMT :80
2024年09月05日 閲覧数:3,192 nice!:254 CMT :83
2024年09月06日 閲覧数:3,260 nice!:261 CMT :89
2024年09月07日 閲覧数:3,328 nice!:263 CMT :94
2024年09月08日 閲覧数:3,348 nice!:264 CMT :94
2009年12月31日掲載 タイトル : 世界遺産 フマユーン廟(Humayun's Tomb)
これはデリーにある3つの世界遺産の一つであるムガール帝国第2代皇帝フマユーン(همايون)の霊廟(墓)です。インドのデリーは帰国の日の飛行機に乗るまでの時間で、3つの世界遺産を全て廻ることが出来る、うれしい街なのです。
フマーユーン皇帝は1530年に即位しましたが、1540年にスール族のシェール・ハンに大敗し、インド北部の君主の座を奪われてペルシアに亡命しました。しかしながら1555年に、アーグラとデリーを奪回して、北インドの再征服に成功しました。ところが、翌1556年に47歳で、突然に事故で死んでしまいました。フマーユーン死後の1962年に、ムスリマを信仰していたハミーダ・バーヌー・ベーガム王妃がデリーのヤムナー川のほとりに、亡き夫の壮麗な墓廟を建設することを指示し、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8~9年の歳月をかけてフマユーン廟を完成させたそうです。ハミーダ王妃は、フマーユーンの王妃であるとともに第3代皇帝アクバルの母でもありました。ちなみフマーユーン皇帝が37歳で亡くなった時、ハミーダ王妃は29歳で、即位したアクバル皇帝は13歳でした。ハミーダ王妃は1604年8月29日に77歳で生涯を閉じて夫の眠るフマーユーン廟に埋葬されました。下の肖像画はWikipediaから転用させていただいたハミーダ王妃とフマユーン皇帝です。
フマユーン皇帝の即位から墓廟(霊廟)完成まで
1530年~1540年 皇帝在位
1540年~1555年 ペルシアに亡命
1555年~1556年 皇帝復位
1562年~1571年 フマユーン墓廟を建設
フマユーン廟の拡大した写真を紹介します。
さらに拡大した写真を紹介します。フマーユーン廟はムガル帝国の廟建築の原型を示すと言われ、その建築スタイルはタージマハールにも影響を与えたそうです。
正面からだと大きすぎて全体が撮れないために斜め45度から撮った写真を紹介いたします。フマユーン廟の建設を指示したハミーダ王妃は、ムガール帝国初代皇帝バーブルの皇子ヒンダールの信仰上の導師でもあったシーア派のペルシア人のシャイフ・アリー・アクバル・ジャーミーの娘でした。ちなみにヒンダールは、長男フマーユーンの異母兄弟にあたります。
フマーユーンがハミーダに一目ぼれして求婚しました。ハミーダ本人や彼女を好いていた皇子ヒンダールに反対されましたが、40日間求婚するという涙ぐましい努力の末に彼女が応じたという経緯があるのです。
別の角度からの全景も紹介しまい。同じように見えますが、椰子の木の形の違いで同じ角度ではないことが判ってもらえると思います。実は建物は4方向が対称なのです。
航空写真で四方対称の建物であることを確認できます。
正方形の敷地全体も航空写真で紹介します。West Gate(左側の門)から中央までの道がメインルートです。我々もここから入りました。
フマユーン廟の門です。これをくぐると上の写真のフマユーン廟が目の前に現れます。このあたりが紹介したリスが寄ってくる場所でした。
フマユーン廟側から見た入口側の門です。
上の写真と似ていますが別の門です。フマユーン廟は正方形の建物ですが、そのフマユーン廟はさらに大きな正方形の敷地に立てられています。入口の門から見て右側の門です。
こちらの門は左側の門です。フマユーン廟の中からの景色です。
正方形の敷地の中にはこんな建物もありました。
上に上がる階段です。すごく急な階段でした。
内部を紹介します。フマユーン廟をお寺や宮殿と思われている方も多いと思います。以前にご紹介したとおり、実はお墓なのです。あの有名な総大理石の巨大な建物であるタージ・マハールも同じくお墓なのです。私も初めて、ここに来るまでは知りませんでした。そしてタージ・マハールは、このフマユーン廟をモデルにして作られたそうです。真ん中に墓石らしいものが置かれています。
別の角度から見た墓石です。
天井は大理石できれいに飾られています。写真をクリックして拡大すると大変な細工であったことが感じてもらえるかもしれません。
この廟には約150人もの死者が埋葬されたとされているそうで沢山の墓石(石棺)がありました。
入口からフマーユーン廟の通路の右脇に古い廟が2~3っあります。これらも是非見てほしいです。
崩れかけた入口が時代を感じさせてくれます。クリックすると中央の建物が表示します。
更に、もうひとつ紹介いたします。これらは全てフマーユーン廟の敷地にあるので見過ごさないように!
インド観光で最大の障害の一つが暑さです。ちょうど2月だったので一番気温の低い時期で、一番すごし易い季節です。ただしホテル代は夏に比べると2倍に跳ね上がります。もしかして世界で、もっともホテル代の高い国かもしれません。物価が非常に安い国のひとつなのに、これには驚きでした。
デリーの3つの世界遺産の場所を紹介します。
レッド・フォート Red Fort
フマーユーン廟 Humayun's Tomb
クトゥブ・ミナール Qutab Minar
地図上のアイコンを何度もクリックするとインド全体からの位置関係が判ると思います。
フマーユーン廟はインドで最初に泊まったタジマハールホテル( )に比較的近い場所にありました。