世界遺産 エレファンタ島の石窟寺院 [インド]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2024年9月3日再掲載 タイトル : 世界遺産 エレファンタ島の石窟寺院
インドのデリーの世界遺産の3つの世界遺産(クトゥブ・ミナール 掲載、フマユーン廟 再掲載、レッド・フォート 再掲載)を紹介したのを機会に13年前 2011年に掲載したムンバイ(旧名ボンベイ)の近くの島(エレファンタ島)にある世界遺産の石窟寺院を再掲載いたします。
インド全体では現在42の世界遺産が登録されていますが、この世界遺産「エレファンタ石窟群/Elephanta Caves/घारापुरीच्या लेण्या」は、今から37年前の1987年に登録されたインドで16番目の世界遺産です。
2011年03月07日 掲載
2024年09月14日 再掲載 閲覧数:3,048 nice!:229 CMT :42
2024年09月15日 閲覧数:3,199 nice!:257 CMT :46
2024年09月16日 閲覧数:3,307 nice!:276 CMT :51
2024年09月19日 閲覧数:3,457 nice!:296 CMT :52
2024年09月21日 閲覧数:3,530 nice!:299 CMT :57
2024年09月22日 閲覧数:3,585 nice!:304 CMT :60
2011年03月07日掲載 タイトル : 世界遺産 エレファンタ島の石窟寺院
インドのムンバイから船で1時間のエレファンタ島のヤギさんです。
白黒模様の珍しいヤギさんだったので紹介いたします。ネットで調べてもこのような白黒ヤギさんは出てこなかったです。この島には世界遺産のヒンドゥー教の石窟寺院があります。緑の豊かな島で野生動物も沢山いそうな感じでした。この島には野生の猿もいました。お猿さんは、こちらがおとなしくしていたら自然に周りを歩き回っていました。
船の出発地点はインド門(Gateway of India)です。インド門は英国の支配下にあった1911年に、英国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して造られました。この門は玄武岩でできており、ムンバイ湾に面したアポロ埠頭の突端に建っています。
高さ26m、グジャラート様式のこの門は、パリの凱旋門をモデルにしてジョージ・ウィテットの設計により、1924年に完成しました。かつては、植民地であったインドを訪れる英国の要人たちの歓迎式典が行われる場所でしたが、現在は観光客で賑わいを見せる観光ポイントとなっています。ここには右上の写真の豪華なタージマハール・ホテルもありました。
1時間15分の船旅ですがインド海軍の空母や潜水艦さらにトーチカ、さらにいろんな島が目を楽しませてくれました。左が空母の写真で右がトーチカの写真です。トーチカの名前はMiddle Ground Coastal Batteryです。このトーチカは1682年にイギリス東インド会社によって、地域の海賊行為を抑制するために、この島を要塞化したのが始まりだで、第二次世界大戦中に日本の攻撃から港を守のために大砲や高射砲を設置して要塞化を強化したそうです。
船のスピードは遅かった! 昼過から出発して帰ってくると夕方近かったです。
船旅も楽しいですよ。エレファンタ島の船着場には船が沢山停泊しています。航路は13.6kmでした。結構訪れる人が多いことがわかります。右の写真は山の上から船着場を撮ったものです。右の写真はクリックしてみてほしいです。
船着場から山の麓までは観光用の変わった乗り物が走っています。値段を聞いてビックリ! 船代とあまり変わらないということで乗らずに歩きました。
途中には船の残骸が!この写真の森の中に石窟寺院があります。
岩山の登りになると立派な階段になりました。階段から一歩はずれるとヤギや猿がいる森になっていました。
石窟寺院には立派な石段を登っていきます。道の両側に沢山の土産物店が並んでいました。SV1
急坂をを登ると世界遺産となった石窟洞窟がありました。それではエレファンタ島の世界遺産の石窟洞窟を紹介いたします。
下記の地図の①~⑤の番号は見ている方向を記載しています。
ここには7つのヒンドゥー教石窟寺院があり、巨大な第一窟は、破壊を免れ、多数のシヴァ神像が彫られている。ここが一番大きな石窟寺院である第一窟の入口①です。SV2
第一窟の岩をくりぬいた内部の地図です。赤い矢印は下の5枚の写真の撮影方向です。③だけはもう一つ自信がありませんでしたがネット内の写真から間違いないこと確認しました。石窟寺院の面積は約5,600平方メートルあり、東西の祠堂とメインの列柱ホールから構成される。エレファンタ島に残る多くの彫刻は17世紀に、ポルトガル人が銃の練習の標的として用いられてきたこともあり、往時の外観を損なっしまったそうです。古代インドの神は自然の岩窟の奥深くから信者の前に姿を現すと言われています。エレファンタ島の 7つの石窟寺院はヒンドゥ教のこうした考え方とシヴァ神への帰依の心からつくられたようです。エレファンタという島名は、この島にいくつも残されていた大きな象の彫刻に由来するそうです。インド名はガーラープリー島だそうです。 何世紀にもわたって風雨にさらされた石窟と内壁に刻まれた彫像の傷みは激しいけれどもすばらしさが伝わってきました。
下の写真は②の方向から中庭を撮ったもので、この部分の写真が一番迫力がありました。 エレファンタ石窟寺院は6世紀のカラチュリ朝、あるいは600~635年のグプタ朝時代の造営されたといわれており、「創造の神」と「破壊の神」の両神格を持つ最高神シヴァ神を祀る寺院だそうです。
こちらの写真は中庭から⑥の方向を撮ったもので奥の方に最初の入口が内側から写っています。こちら写真もクリックすると拡大いたします。
③列柱ホール内の聖室の入口には、守門神が彫刻されています。内部には石像が沢山ありました。
④奥から撮った写真
あらためてエレファンタ石窟群(マラーティー語:घारापुरीच्या लेण्या)を紹介すると、ムンバイ近海のアラビア海に浮かぶエレファンタ島にある石窟寺院のことで、シヴァ信仰の中心地であり、グプタ朝時代に建設が始まったとされています。1987年にUNESCOの世界遺産に登録されました。
⑤部屋の入口
内部にあった彫刻も紹介します。暗かったので画像を露出調整しています。手が沢山あるシヴァ神像です。
列柱ホールの最深部の壁面にシヴァ神三面上半身像があります。3方にある有名なシヴァ神像で、高さ5.7メートルあります。
崩れかけていますが立派な彫刻です。
暗くてよく判りませんがなんとなくシヴァ神であることがわかります。
岩山の裏側(南側)にも石窟洞窟がありました。その石窟洞窟も見逃さないように!
小さい石窟がいくつかありました。その中で3つほど紹介いたします。SV3
こちらは部屋のようになった洞窟です。観光客で一番多いのはインドの人でした。こちらも岩山の裏側(南側)にありました。SV4
作りかけて柱が折れて断念したような洞窟もありました。造りかけの洞窟はまだ柱は四角いだけだし壊れかけています。こちらも岩山の裏側(南側)にありました。SV5
この写真の中にも、お猿さんがいます。
Google地図/航空写真でエレファンタ島の位置を紹介します。右の写真はチャトラパティ・シヴァージー駅です。
世界遺産 エレファンタ島の石窟寺院
世界遺産 チャトラパティ・シヴァージー駅
インド門 タージマハールホテル
トーチカ インド海軍基地
━ ムンバイ・インド門からエレファンタ島までの航路