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モロッコ料理 [モロッコ]

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2024年10月19日再掲載 タイトル : モロッコ料理
ミケシマさんがタジン鍋の記事をみて昔にタジン鍋を使ったモロッコ料理の記事を書いていたことを思い出しました。クリックすると拡大
調べてみるとブログを始めた15年前の2009年07月06日でした。読み直してみると捨てがたい内容だったので再掲載することにいたしました。驚いたことに伝票を見ると食事をしたのは私の誕生日(1月22日)でした。
 2009年07月06日 掲載
 2024年10月19日 再掲載 閲覧数:5,467 nice!:197 CMT :38
 2024年10月21日     閲覧数:5,813 nice!:259 CMT :57
 2024年10月22日     閲覧数:5,920 nice!:272 CMT :59
 2024年10月23日     閲覧数:6,020 nice!:283 CMT :67
 2024年10月24日     閲覧数:6,067 nice!:286 CMT :67
 2024年10月29日     閲覧数:6,244 nice!:297 CMT :71

2009年07月06日掲載 タイトル : モロッコ料理
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この時はパリからモロッコのカサブランカに入りました。飛行機はほとんどスペインの上を飛ぶために風力発電の風車を沢山見ることが出来ました。その風力発電には驚きました。でもモロッコに入った以上は、やはり本場のモロッコ料理を紹介する必要がありますね。実は、この器がモロッコ料理の特徴です。後半で紹介している料理はこのタジン鍋に入って出てきました。
モロッコのカサブランカで食べた本場のモロッコ料理です。

香辛料の器もタジン鍋を意識したモロッコ的なものでした。


暗くて写真はぶれてしまいましたがお店の雰囲気を紹介したいので店内の写真を掲載します。
IMG_4977-400.JPG

地中海です。オリーブの実です。若いオリーブ(左)と熟したオリーブ(右)です。
モロッコはアフリカ大陸にありますが、アフリカ大陸の中で最もヨーロッパ的な国と言われておりヨーロッパの一部と言ってもおかしくないことを実感しました。フランス語圏だし


モロッコのビール 名前はカサブランカ


最初の料理です。モロッコ料理と言えばタジンやクスクスが有名ですが、モロッコ的なのが沢山並んだ、これらの料理です。周りに並んでいるのが野菜が中心の家庭料理といえます。特に豆料理が有名です。
この写真の料理も、いろんな種類があるので是非、写真をクリックして拡大された写真を見てください。中央のお皿に乗っている春巻きの様なのがブリワット(Birwatts)で、これもモロッコ料理の一つです。ネットで調べると丸いパンのように見える料理はモロッコではワラカと呼ぶパイ皮包み料理のパセラ (パスティラ/Pastilla)です
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この壷のような入れ物でスープが出てきました。ここから取分けてもらえたのです。後で掲載しているメニューの写真から読み取ると、このスープはハリラ(Harira)のようです。
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まさにモロッコのスープです。器にスープを取り分けてもらいました。


羊肉の煮込み料理Tajine(タジン)です。モロッコ料理の2大料理の一つと言えます。モロッコはイスラム教の国なので、やはり羊料理は多いです。
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冒頭の器で出てきたのは羊肉のクスクス(CousCous)です。クスクスの上に肉と野菜が乗ったのがクスクス料理です。クスクス料理がタジンと並ぶモロッコ料理の代表格です。こちらのクスクスは粟の粉のような穀物で作られた本場のクスクスと聞かされました。この料理は冒頭の写真のタジン鍋の蓋をとったら、この料理が現れました。上の羊肉の煮込み料理は土鍋のように深い形のタジン鍋でした。
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こちらは鶏肉のクスクスです。料理下に山盛りに盛られているのがクスクスです。日本だとご飯に相当するのでしょうか。イタリア料理だと小さなマカロニのようなものでしょうか。実はクスクスと言えば食べ物のクスクスではなくて動物のクスクスを思い浮かべてしまいました。でもクスクスで検索すると食べ物 のクスクス の方が多いですね。それにしても鶏肉と一緒に野菜が沢山乗っています。カボチャ、ニンジン、ジャガイモ、キャベツ、ズッキーニ、ピーマンに豆と細かく切って煮込んだタマネギも入っているようです。
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お茶を入れてくれています。モロッコ流の入れ方です。TVドラマ・相棒の杉山右京のお茶の入れ方に似ています。
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お茶のポットです。


お茶と一緒にデザートのクッキーを食べるのかモロッコ流です。
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この日に食べた料理の伝票です。 合計値段は1881DH(ディラハム)です。現在の為替レートだと10倍にすると日本円なので約19000円になります。したがって一人当たりは4000円弱です。メインデッシュが5~7行目のタジン(Tajine)のTanzia(130x2)とクススク(CousCous)のCouscous fassi(110)と Couscous chaoui(100)なので合計で260+110+100=470DHです。ビールが7本で350DHでワインが200DHでした。
その他、読み取れる文字の範囲で料理の名も書いてみました。
括弧内数値は値段です。10倍にすると日本円です。
 Salade(70) Poriwsttes(70) Pastilla(110x2) Marira(50) Porato(40)
デザート関係はこれです。
 Patisseries(50x2)


フランス語もモロッコ語もわかりませんがメニューを掲載しておきます。Tajines Agneau ou PouletT(ラムかチキンのタジン料理)が13種類で、Couscous(クスクス料理)が6種類がありました。メニューをクリックすると読める大きさに拡大します。
お店を紹介いたします。
   店名 Ryad Zitoun
   住所 31,Bd Rachidi - Casablanca
   電話 022-22-3927  Fax 022-27-2890


裏側です。スープ(Soupes)は2種類、スターター(Entrees)は5種類(Panache de salades/Birwatilla Ryad Zitoun/Pastilla tradititionnelle/Pastilla aux fruits de mer/Pastilla pigeons)、串料理(Brochettes)が4種類、魚のタジン料理が2種類、書かれています。


クリックすると拡大お店の場所をGoogleマップで紹介します。紫色のアイコン( )がRyad Zitounです。モロッコ王国の最大の都市カサブランカにありました。右の写真がレストランの北の海岸に建つハッサン 2 世モスクです。
 モロッコ料理店 Ryad Zitoun
 シーフード店  Restaurant du Port de Pêche

リカのパリ滞在記さんのモロッコ料理タジンにトラックバックしています。

久々の鶏のから揚げ [料理]

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2024年10月18日追記
2024年10月17日の夕食にも鶏の唐揚げ作ってもらえました。
先日の連休(10月12日~14日)に子供達(長男、次男、娘)が来てくれました。クリックすると拡大クリックすると拡大宝塚の実家には正月やお盆に集まってくれていますが、私の家に集まるのは、ほんと久しぶりでした。娘は2024年3月26日17時39分に出産した子供(右上の写真)を連れてきてくれました。クリックすると拡大長男と次男は仕事もありすぐに帰りましたが、娘は1年間の育児休暇である上に旦那の出張が重なったので娘は約10日ほど家に滞在するそうなのです。そして10月17日の夕食は偶然にも鶏の唐揚げだったのです。右の写真は生まれた日(今年3月26日)の写真です。
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こちらが、2024年10月17日の夕食です。
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一皿づつ紹介します。先ずは唐揚げです。
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市販の厚揚げ豆腐ですが、豆腐が滑らかで美味しかったです。
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南瓜の煮物も良かったです。
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この日のサラダです。
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もちろん味噌汁もありました。
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ビールを切らしていたので、姪っ子たちが来た時に買ってあったグレープフルーツのサワーを飲みました。アルコール濃度は5%とビールと同じですが、果汁は29%とジュースに近い感じでした。
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赤ちゃんの生まれた時の写真も紹介します。お宮参りの記事で紹介した写真です。クリックすると拡大下の赤ちゃんの写真は3月26日18時49分なので生まれて1時間10分後の写真です。看護師の方がガラス越しに抱いてくださっている写真です。赤ちゃんは女の子です。
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2024年10月12日掲載
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鶏料理はよく作ってもらいます。その中の一つが唐揚げですが、少し間隔あいていました。そんな中で久しぶりに唐揚げを作ってもらえました。

唐揚げだけでも十分な量がありましたが、サラダを作ってもらいました。
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カブの漬物も作ってもらいました。
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唐揚げを拡大しました。
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唐揚げと言えば、やっぱりビールです。
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お味噌汁もし食ってもらいました。
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タグ: 唐揚げ
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世界遺産 タージマハール [インド]

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2024年10月01日再掲載 タイトル : 世界遺産 タージマハール
インドで訪問したことのある7つの世界遺産の内、6つ(新掲載1つ 再掲載5つ)紹介しました。最後に残しておいた最後のタージマハールを再掲載いたします。下記のリストが私が訪れたことがあるの世界遺産です。下の小さな写真か着色文字をクリックすると記事を表示します。8枚目の写真はインドの発電プラントの契約の調印式の写真です。
 登録年     世界遺産の名称
 1983年 アーグラ城塞                   
 1983年 タージマハール(Taj Mahal/タージ・マハル)                  
 1987年 エレファンタ石窟群                
 1993年 デリーのフマーユーン廟            
 1993年 デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群 
 2004年 チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅  
 2007年 赤い城の建造物群 レッド・フォート 
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 2009年07月03日 掲載
 2024年10月02日 再掲載 閲覧数:7,091 nice!:118 CMT :34
 2024年10月03日     閲覧数:7,213 nice!:134 CMT :44
 2024年10月04日     閲覧数:7,308 nice!:151 CMT :44
 2024年10月05日     閲覧数:7,407 nice!:168 CMT :48

2009年07月03日掲載 タイトル : 世界遺産 タージマハール
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今までにインドには13回ほど行きましたが、クリックすると拡大その中で一度だけ世界資産のタージマハール(タージ・マハル/Taj Mahal)に行くチャンスが出来ました。デリーから右の写真のバスで日帰りツアーで行くと、上の写真のように広い庭園の中に大理石の真っ白なタージマハールが目の前に現れました。

中央の池に沿って庭園をタージマハールに近づいていきます。緑の中に沢山のリス達がいました。今でも沢山いるようです。タージマハールはデリーにあるフマユーン廟をモデルにしたとも言われています。形や色は違いますが全体的なアレンジは確かに参考にしているようです。
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近づいて正面から撮りました。この写真は是非ともクリックしてみてください。
クリックすると拡大タージマハールはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年6月17日に36歳で亡くなった妻・ムムターズ・マハルのためにペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集めて、22年の歳月をかけて建造させたと言われている総大理石の墓廟(霊廟)です。インド文化を代表する建築物と言えると思います。
36歳で妻・ムムターズ・マハルが亡くなった時、皇帝シャー・ジャハーンは39歳でした。タージマハールはインドのウッタル・プラデーシュ州最大の都市であるアーグラ(Agra)にあります。アーグラの人口は約157万5千人(2011年)で、アグラとも表記されます。世界遺産に登録されているアーグラ城も近くにあります。デリーからは南南東に約180キロで、すでに紹介したジャイプルからは東に約220キロの位置にあります。ここを訪れたのは1993年7月31日(土曜日)でした。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
ヒンドゥー教徒は墓を持たず、遺体は火葬され遺骨や灰は川に流されます。一方、霊魂は永遠と考えるイスラーム教徒は簡素な墓を建てます。ムガル王朝はイスラーム教国家建設を目指しており、専制君主の権勢を示す目的があって皇帝の大きな霊廟を建設しました。ただし、タージマハールのように権力を握っていない王妃に対し壮大な墓廟が建設された例は、ほとんど無いそうです。
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画像は悪くなりますが、さらに拡大いたしました。真白の大理石に宝石が模様のように埋め込まれているのが判ってもらえると思います。今、建設したら、いくらぐらいかかるのでしょうね。想像できないくらいの金額だと思います。


クリックすると拡大このときはアーグラ城にも行きました。アーグラ城からヤムナ川越しに望むタージマハールです。晩年に幽閉されたシャー・ジャハーンが見た景色です。
右下の水牛、絵になっています。
インドらしい風景かもしれません。
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航空写真で見ると、アーグラ城塞とタージマハールと黒大理石の霊廟の建設予定の位置関係が判りやすいと思います。黒大理石の霊廟は、幻の黒タージマハールで、シャー・ジャハーン皇帝自身の霊廟の予定と言われています。
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これはどこだったかな!ブログに載せる以上は知らないわけにもいかないし。でも観光地は2ケ所しか行かなかった記憶! 省略するにはリッパ過ぎる!と頭を悩まししていました。
最近は便利ですね。インターネットでいろいろ調べた結果 ⇒ タージマハールの入口(玄関)でした。2ケ所しか行かなかった記憶は正しかった。この門を通った瞬間、壮大なタージマハールが目の前に出現します。庭や池の感じからタジマハールから門を撮った写真であることがわかりました。SV
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門をあらためて近くで見てみました。この門は外側から2番目になります。この門をくぐるとタージマハールが見えます。でもみんないろんな言い方をします。 
タージ・マハル タージ・マハール タージマハール タジ・マハル タジマハール などなど
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門には沢山の装飾が行われていました。この門は大理石と赤砂岩が使われています。タージマハールの大理石はラージャスターン地方産であるといわれています。碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから持ち寄られ、全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていたそうです。
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こちらが上の門の外側にある1番目の門です。このときも沢山歩いた記憶がありますが、ネットによると排ガスによる大理石の腐食を防止するために車の近くへの進入は禁止されて、遠くから歩かされると書かれていました。電気自動車は用意されているそうです。
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航空写真を掲載します。

別画面で 航空写真 を表示
Googlマップのストリートビューで360度を紹介します。上から北→東→南→西の順番です。今は世界中の景色をGoogleのストリートビューで見ることが出来ますが、やはり実際にそばに行って見た時の感動にはおよびません。
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タージマハールはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが1631年6月17日に亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのため建設した霊廟で、1666年2月1日に亡くなったシャー・ジャハーンも埋葬されました。左がムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンで右が愛妃ムムターズ・マハルです。
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