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小さな村のホテルでディナー [ロシア]


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紹介したエストニアとの国境近くの小さな村のホテルで食べた夕食です。魚料理と肉料理を出してもらいました。魚はスズキの仲間で白身です。薄い衣をつけて揚げた料理です。

サラダは迫力がありました。キュウリのピクルス、ラディッシュ、ミニトマトにピーマンです。
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ローストビーフにソーセージにハムも出てきました。
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そうなるとビールがほしくなります。ビールを頼むと黒ビールが出てきました。不思議に思って聞いてみると、実はホテルには、この黒ビールしか置いていませんでした。それでも美味しかったので満足でした。


最後に出てきたのはポークステーキです。トマトとチーズが乗っており、ついビールを追加してしまいました。昼食と同じように、ご飯が乗せられていました。
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この小さなホテルの夕食でした。
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ホテルの周りの雰囲気をお伝えしたいので航空写真を掲載いたしました。クリックすると、もっと広範囲を表示します。上の写真は南が側から撮った写真です。黄色い線が高い鉄柵の塀の位置です。


サンクトペテルブルグから今回のホテルのあったエストニアとの国境近くの小さな村までのルートです。

追い抜きはスリルがありました。 [ロシア]



この画面だけを見ていても普通の追い越しに思われると思います。ロシアの車窓という記事で街中の渋滞も含めて190kmの一般道路を2時間40分で走ったことを紹介したとおり、車は一般道路ですが時速120kmで走りました。
右のスピードメーターでは時速115kmを表示していますが時速140kmで走ることもありました。我々以外の乗用車も、みんな早く走りますがトラックは乗用車ほどのスピードではないために、どうしても追い抜き操作が必要になってきます。
対向車線の乗用車も当然スピードがあります。対向車とは遠く離れているようでも、かなりきわどい追い抜きがあることは想像してもらえると思います。

運転手さんは、慣れており、慎重に追い抜きをしていることも伝わってきますが、このような追い抜きに慣れてない日本人にとってはスリルのあるドライブとなりました。
ロシアのサンクトペテルブルクからエストニアの国境近くのロシア側の小さな村までの旅の途中の出来事でした。


タグ:ロシア

ロシアの車窓 [ロシア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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6月29日にドイツのベルリンからロシアのサンクトペテルブルグに入りました。ホテルに着いたのは17時50分でした。 翌日の6月30日に車でホテルを出発してエストニアとの国境近くの小さな村に行きました。その時の車窓を紹介します。

サンクトペテルブルグからエストニアとの国境近くの小さな村までのルートは下記の地図の赤線です。ほとんどが一般道路で距離は190kmあるため4時間は覚悟していました。


8時5分この写真はサンクトペテルブルグ市内のホテルの前の景色です。
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8時33分 サンクトペテルブルグ近郊は道もきれいで近代的な建物が多くありました。


9時23分 少しサンクトペテルブルグから離れると木造の民家が時々ある風景に変わってきます。


9時26分 家があるのは稀で、ほとんどがこのような牧草地の風景が続きました。このあたりは英語ではVOLOSOVSKIY D.という地名のようです。


9時47分 民家は集まっています。木造で屋根はスレートが多かったです。
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10時2分 実は道路の両脇には木が残されているため、上の写真は簡単には撮れません。それに一般道路と言えでも時速120kmで走るため鮮明な写真を撮るのは難しいのです。写真を撮る一番いいチャンスなのが鉄道線路を渡る時なのです。木がなくなる上にゆっくりと走ります。遠くまで景色が見える絶好の撮影ポイントなのです。
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10時10分 サンクトペテルブルグを出てから目的地に着くまでの間にある唯一の町で、キンギセップという町です。あとは村程度の大きさの人家があるだけの道でした。
全工程の4分の3ほど走ったあたりの位置でした。町の名前をネットで日本語検索すると出てきました。
キンギセップ(Ки́нгисепп / Кингисе́пп)はレニングラード州の西部にある都市で、昔はヤムブルク(ヤームブルク、Я́мбург, Yamburg)やヤマ(ヤーマ、Я́ма)と呼ばれていました。人口は50,295人(2002年)です。ノヴゴロド州からレニングラード州を経てフィンランド湾に注ぐルーガ川(Луга)が町をながれています。右の画像はキンギセップの紋章です。この町が最初に記録に現れるのは1384年のことで、ノヴゴロド共和国がスウェーデンに対抗するためにこの場所に要塞(クレムリ)を築いたそうです。


翌日に帰るときにキンギセップで撮った写真です。調べるとヤムブルク大聖堂で、イタリア人建築家アントニオ・リナルディ設計の後期バロック建築で、1764年から1782年にかけて建設されたそうです。移動しながらの上、窓の反射のために、きれいに撮れていない為にクリックするとネットの写真を表示するようにしました。


10時18分 また線路を横断しました。ロシアは世界で最大の国土の国で人口密度は小さい方から4番目の国です。ロシアと日本を比較してみました。
         日本           ロシア
 人口  127288419人     141903979人   1.1148倍
 面積    377914km²    17075200km²  45.1828倍
 GDP  4兆9,106億ドル    1兆6,765億ドル  0.3414倍
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10時26分 このあたりからは人家は少なくなり森林の中を走っている状態になってきます。遠くに見えるのは白樺の林で針葉樹と白樺がこのあたりの木の主体になってきます。


10時31分 また線路を横断しました。針葉樹の中を列車が走っていることが判ると思います。


10時33分 道路脇も深い針葉樹の森林に囲まれていました。


10時45分 到着しました。4時間を覚悟していた190kmの一般道路を2時間40分で走りきりました。小さな村の泊まったホテルです。
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サンクトペテルブルグの地下鉄 [ロシア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

ベルリン(ドイツ)からサンクトペテルブルグ(ロシア)のホテルに6月29日の17時50分に着きました。この時期は白夜の季節のため遅くまで明るいので有名なネフスキー大通りに行ってみることにしました。地下鉄が便利なのでホテルの人に地図で説明してもらい、さっそく地下鉄に乗りました。ホテルの場所に近いTekhnologicheskiy Institut駅からNevskiy Prospekt駅まで2駅乗りました。驚かされたことがいくつかありました。もっとも驚かされたのがエスカレーターの長さです。東京で数十mの深さのエスカレーターは何度も乗り少々の深さのエスカレーターには驚かない自信ががありましたが、乗った瞬間、尋常ではない長さを感じました。東京のエスカレーターより遥かに深いことを直感しました。日本に帰ってインターネットで調べるとやはりサンクトペテルブルグの地下鉄は世界一深いと書かれていました。100mの深さの駅もあるそうです。この駅の深さは判りませんが地上から一気にホームまでエスカレーターで降りるのです。上の写真はTekhnologicheskiy Institut駅のエスカレーターです。

Tekhnologicheskiy Institut駅の入口です。次に驚かされたのが地下鉄の駅は建物の中にあることでした。それも地下鉄専用の建物なのです。


地下鉄の入口で、さらに驚かされたのが、扉がついていることなのです。沢山の人が出入するのにすべて扉がついていました。このような入口が建物に沢山ありました。


Tekhnologicheskiy Institut駅のホームです。両側の柱の奥に上り線と下り線がありました。どちらに乗ったらいいか迷っていると親切に女性の人が声をかけてくれて地図を見せて行きたいところを言うと乗る側のホームを教えてくれました。サンクトペテルブルグの市民の人の親切さに驚かされました。感謝です。反対に乗ってしまうと大変です。


Nevskiy Prospekt駅のホームです。大きさに驚きです。こちらの駅でも両側に柱があり、それぞれの柱の奥に上り線と下り線がありました。


地上に出ました。これがNevskiy Prospekt駅です。地下鉄専用の建物の大きさにまたまた驚かされました。沢山の人が条項するためドアの数も半端ではありませんでした。この写真はクリックすると拡大します。
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切符の買い方を紹介いたします。距離は関係なく均一料金なので迷うことはありません。人数だけ手で示せば、何とか買えます。ここでも驚かされました。それは渡された切符でした。


これが、驚かされた切符です。切符は紙だと思い込んでいたので、お釣のコインと思ってしまいました。切符を受け取っていないと言うと、このコインを指差されて切符であることが判りました。クリックすると拡大した切符が見れます。


改札機にコインを入れると入れます。ただしほとんどの人がICカードで入っていました。旧式の改札機のように見えましたが最新のノータッチのIC式であることに、またまた驚かされました。


最後にもう一度世界一長くて深いサンクトペテルブルグの地下鉄のエスカレーターのすごさを実感してください。このエスカレーターはNevskiy Prospekt駅のエスカレーターです。地質の関係で深くなったとそうですが、核戦争を想定したシェルターの役割があったからこそ経済性を度外視して深い地下鉄を50年以上前に作ったと直感的に感じました。だから入口はすべて、頑丈な建物の中にある上に一人が通れる幅のドアがすべてついているのだとも感じました。サンクトペテルブルグの地下鉄が開通したのは1955年で、今回乗った2号線は1961年に開通したそうです。沢山驚かされた上に趣のあるすばらしい地下鉄でした。是非ともサンクトペテルブルクに来る機会があれば、乗って深さを体験してほしいと思いました。

モスクワにも斬新な高層ビル [ロシア]

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モスクワに到着した日に泊まったホテルからのロシア様式の歴史のある高層ビルの景色を紹介しましたが、同じホテルの位置から近代的な超高層ビルも見ることが出来ます。それも斬新なデザインのビルが並んでいました。ホテルに向かう途中に車の中から撮った写真です。

夕刻で且つ西方向だったので逆光の写真で上の写真とほ別のビル群のように見えますが、実はこ同じビル群を泊まったホテルの前のモスクワ川から撮ったものです。超高層ビルはまだ限られた場所に建っていますが、これから増えていくのではないでしょうか。


上の写真の場所の航空写真です。空から見るとわかりにくいけれども影の長さで超高層ビルであることがわかります。


グリボエードフ運河で水上バイク [ロシア]


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ロシアのサンクトペテルブルグから帰国(2010年7月2日)して一週間が経ちました。昨日は50年前と変わらないスタイルで今でも売られているロシアの車を紹介しましたが、対照的な乗り物を紹介いたします。
サンクトペテルブルグには大きなネヴァ川や細い川(たとえばモイカ川)が沢山流れており川からの景色がきれいで沢山の観光船が走っていました。街の中には川から運河がつながっており、そこも観光名所になっています。ここはスパース・ナ・クラヴィー大聖堂の横を通るグリボエードフ運河です。大聖堂を見ていると突然に水上バイクがやってきました。観光船は沢山通っていましたが、町の中を水上バイクというのも珍しく掲載させていただきました。スパース・ナ・クラヴィー大聖堂に関しては、あとで詳しく掲載させていただきます。この走る勢いを見ているとロシアの経済も復活してきたのかな。と感じてしまいました。写真はクリックすると拡大いたします。

スパース・ナ・クラヴィー大聖堂とグリボエードフ運河の航空写真を掲載いたします。マイナスのアイコンを数回クリックするとサンクトペテルブルグの中の、この場所の位置が判ると思います。


ロシアで観光クルーズ [ロシア]

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サンクトペテルブルグの町には大きなネヴァ川を中心に小さな川や運河があります。そのためクルーズ船で町の中を廻ってみるのはいい方法だと感じました。
丁度、スパース・ナ・クラヴィー大聖堂を見ているときに近くをクルーズ船が通りました。

ひっきりなしにクルーズ船が通っている上に、屋外席は、どれも満席状態でした。皆さんカメラで写真を撮られていました。この写真はクリックすると広い範囲を表示いたします。
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見えている建物はスパース・ナ・クラヴィー大聖堂です。同じ運河を水上バイク(ジェットスキー)が通っていました。こちらの船は室内席も沢山の人が乗られていました。
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スパース・ナ・クラヴィー聖堂 [ロシア]

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ロシアのサンクトペテルブルグのネフスキー大通りを散策しているとカザン聖堂や旧シンガーミシン社のビルのあたりから色鮮やかな教会が見えました。それが血の聖堂と呼ばれているスパース・ナ・クラヴィー聖堂です。運河沿いにあり遠くからすぐにわかる場所にでした。さっそく運河沿いに歩いて見に行くことにしました。掲載している写真はすべてクリックすると拡大します。

スパース・ナ・クラヴィー聖堂(Храм Спаса на Крови)は血の上の救世主教会と呼ばれるロシア、サンクト・ペテルブルクにあるロシア正教会の聖堂である。公式名は、ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)です。
血の上の救世主教会の名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地であります。横のグリバエードフ運河(グリボエードフ運河 Griboedov Canal)に映えた教会で近づいてくると迫力があります。
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この教会の特徴は玉ネギの形をした屋根です。それも違った色彩に飾られています。サンクトペテルブルグの町の建物はバロック様式の物が大半ですが、それとは違った異国を感じさせられるものでした。この教会の建築はロマンチックなロシア・ナショナリズム、中世のロシア建築の影響を色濃く受けていてモスクのような雰囲気を感じさせてくれていました。
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下から見上げた構図です。ピョートル大帝以来、西欧化を推進してきたロシアにおいては、建築においても伝統的なロシア様式が否定され、ヨーロッパの建築様式が主流となっていた。その西欧化を体現してきたともいうべき都市ペテルブルクにおいてさえ、聖ワシリイ大聖堂のようなロシアを象徴する建築が無意識的に望まれてできたと考えられるそうです。 その一方で、聖ワシリイ大聖堂と比較すると、全体の構成のより自由な点や優美さなどはモスクワに代表されるロシア的なものとは異質であり、やはり、ペテルブルクの建築であるとの評価があります。
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血の上の救世主教会は、アレクサンドル2世の暗殺というロマノフ家にとっての悲劇がきっかけになって建立された建築物である。クリックすると拡大このため、『聖書』の中から悲劇的な要素の強い主題とした面積7500平方メートル以上のモザイク画によって壁面が装飾されています。その一方で、教会は無数のトパーズ、青金石(ラピスラズリの原料)および他の半貴石で飾られています。
イコノスタシスは、ヴィクトル・ヴァスネツォーフ(Viktor Vasnetsov)、ミハイル・ネステロフ(Mikhail Nesterov)、(ミハイル・ヴルーベリ)らを含む当時のロシア最高の芸術家たちによって設計されました。主任設計士はアルフレッド・アレクサンドロヴィチ・パルランド(Alfred Alexandrovich Parland)ですか、ロシアにおいてもほとんど知られていないそうです。

教会の外側にキリストの像が配置されているのも珍しい気がしました。
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北側から見た教会です。観光バスが移動するのを待って写真を撮りたかったけれども、結局はここにいる間にバスが移動することはありませんでした。
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ネフスキー大通り入口から教会を望んだ構図です。このあたりは車が渋滞している場所でした。
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北側の道路を挟んだ隣接した小さな聖堂と思われる建物ですが、似た雰囲気のデザインが一部使われていました。
Googleのストリートビューで同じ構図がありました。→ポチッ
クリックしてオリジナルを表示させてNの文字をドラッグして回すと360度の景色が見ることが出来ます。
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航空写真で位置関係を確認しました。航空写真の中で「血の上の救世主教会」Спас на Крови と書かれているのがスパース・ナ・クラヴィー聖堂です。
小さな聖堂と思われる建物は道路を挟んでスパース・ナ・クラヴィー聖堂の北側(上側)にあります。その建物には「ムゼイ・カムニャ」Музей камня とかかれています。こちらの航空写真でも観光バスが並んでいます。観光バスの停車場所なのですね。

地図でサンクトぺテルブルグの場所を紹介します。レニングラードと呼んだ方がピント来る方もおられると思います。サンクトペテルブルグは、かつてのロシア帝国の首都で、その時代もサンクトペテルブルグと呼ばれていましたが、1914~1924年の間はペトログラードとよばれ、1924~1991年の間はレニングラードと呼ばれていました。ソ連崩壊を受けて、1991年に住民投票により、ロシア帝国時代の現在の名称に再び戻ったそうです。ロシアで訪れた町にもマークをいたしました。
  サンクトペテルブルグ
  モスクワ
  ノヴォシビルスク
  スタールイ・オスコル
  ミハイロフ
  スランツェ

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シベリア最大の町 ノヴォシビルスク [ロシア]


11月27日に日本からモスクワ経由でシベリアの最大の町であるノヴォシビルスク(ノボシビルスク/Novosibirsk)に入りました。その町の景観を紹介いたします。
写真の右側に見える川は町の真ん中を流れるオビ川です。眼下にはシベリア鉄道が走っていました。この時の朝の気温はマイナス20℃前後でした。

上の写真にも写っていますが、これがオビ川鉄橋です。


同じ場所から川の方を撮りました。川沿いに並んだクレーンと線路が印象的でした。


上の2枚の景色の場所のGoogle航空写真です。+のアイコンをクリックするの上の写真の景色が確認出来ると思います。-のアイコンを数回クリックするとルヴォシビルスクがロシアのどの場所にあるのかもわかると思います。ここは太平洋戦争で日本軍捕虜が抑留(よくりゅう)された場所の一つです。


ノヴォシビルスク(Новосибирск)は、シベリアの中心的都市で「シベリアの首都」的存在です。ノヴォシビルスク州の州都でオビ川に沿うており、人口は約147万です。人口はロシア国内第3位で、冒頭で紹介の通りシベリアでは最大のまちです。建設されたのは19世紀末であり、ロシアでも新しい町になります。シベリア鉄道建設中の1893年に、ノヴォニコラエフスクという名で現在のノヴォシビルスクが建設されたそうです。1925年、ソビエト連邦成立後にかつての皇帝ニコライ2世を思わせる市名は改称され、「新しいシベリアの街」を意味するノヴォシビルスクとなったそうです。ノヴォシビルスクはモスクワの雰囲気と違います。


上の写真を拡大しました。我々のイメージしているロシアの雰囲気の服装の人が多いのです。この町の人たちの冬の服装を見てしまうと、モスクワの町の人の服装はどちらかと言えばヨーロッパに近いといえます。


ノヴォシビルスクで最も有名な劇場です。オペラハウスNovosibirsk State Academic Opera and Ballet Theatreです。オペラハウスの正面から撮ったものです。オペラハウスの中を紹介したサイトがありました。→ポチッ

オペラハウスを上から撮ったGoogle航空写真を紹介します。上の写真は左側(西側)から撮ったものです。ここは大きな広場になっており上から5枚目の写真もこの広場で撮ったものです。

広場の道路に面した場所には大きな銅像がいくつも立てられていました。


道を走っているのはロシアの古い車だと思います。実はノヴォシビルスクは日本車が沢山走っていることでも有名な場所なのです。その理由は日本の中古車が沢山輸入されたからです。今は関税がとんでもなく高くなって現実的に中古車の輸入はなくなってしまったそうです。でも新しい日本の車が沢山走っていました。だから下のようなロシアの車は珍しいので撮ってしまいました。


ここから町の風景を紹介いたします。


バス亭でバスを待っている光景です。シベリアの人たちの服装が分かってもらえると思います。駐車している乗用車はもちろん日本の車です。


古いトロリーバスも走っていました。



本場シベリアの水餃子 ペリメニ(Pelmeni) [ロシア]



ロシアの有名な料理の中にロシア餃子があります。その起源はシベリアだそうです。シベリア最大の町であるノヴォシビルスクに来ている11月27日~28日こともあり、さっそく名物の餃子ペリメニ(Pelmeni)を頼みました。ペリメルも沢山の種類がありましたが最もオーソドックスと思われるSiberian(シベリア)を頼んでみました。右のお皿に乗せられて出てきました。

これがロシアの餃子ペリメニです。このSiberian Pelmeniは210ルーブル(676円)でした。味はズバリ水餃子でした。これはお店の中でもお得な料理のようです。


ロシアでは餃子をサワークリームで食べるのです。最初は醤油で食べたかったけれど、サワークリームで食べてみるとこれはこれで、結構おいしいし、雰囲気が味わえました。


これがメニューのPelmeniの写真で下がSiberian(シベリア)です。上の黒い餃子が気になりますね。我々も気になって注文いたしました。


これが黒い餃子の名前はThe Black Sea Pelmeniです。日本語で言えば黒海餃子でしょうか。値段も高くて590ルーブルなので約1900円です。結構高い餃子です。


こちらも拡大してみました。中の具は上のSiberian(シベリア)と同じような感じでしたが皮は少し甘みがあったので、おそらくイカ墨が練りこまれているのだと思います。黒い餃子とサワークリームの白のコントラストがなかなか良かったです。


メニューのペリメニ(Pelmeni)のページです。日本の国旗が付けられているように、驚いたことに日本の餃子も書かれていました。残念ながら気が付かなかったので食べませんでした。日本の餃子は豚肉と海老の2種類がありました。


こちらのレストランはオープンキッチンの洒落たお店でした。ペリメニ以外も紹介いたします。


日本流に言えばお通しです。黒パンを揚げたものでした。


こちらの料理はSalmon Covered by vegetables and caviarです。魚介と野菜を固めたサラダのような料理です。 caviar(キャビア)と書かれていますが、イクラのことです。キャビアはブラック・キャビアと言う必要があります。ニシンも入っていました。なかなかお洒落な料理でした。


黒パンは必ず出てきます。さすがロシアです。


いろんな揚げ物も頼みました。この日はビールを飲むための料理です。定番のニシンの塩漬けも頼みました。


Pork ribsです。豚のリブの料理で、ビールが進みました。



スープも頼みました。


この日の最も高級な料理でした。名前はRib eye steakです。やわらかいステーキだったので、おそらくリブロースのステーキだと思います。1500ルーブルなので約4800円です。でも数人で食べれる量なので、みんなでシェアーしました。



もちろんビールだけでなくウォッカもいただきました。
銘柄はもちろん紹介したベルーガです。


驚いたことにお寿司や刺身もありました。
高級レストランでは、お寿司と刺身が食べれるのがロシアやカザフスタンでしたがシベリアでも食べれるとは思ってもいませんでした。



お店の名前はBEERMANでした。
有名なお店のようでネットで調べると沢山検索でしました。
 Address           : 7 Kamenskaya str., Hilton Hotel
 Contacts           : 362-1-262
 Table reservation available : yes
 Accept bank cards      : yes
 English menu        : yes
 English-speaking personal  : yes
 Average bill         : 750 RUB for 1person  w/o alcohol


沢山ビールも飲んだしウォッカも飲んだのでホテルに帰ってぐっすりと眠れました。

モスクワの空港ホテル [ロシア]


上の写真はモスクワのドモジェドボ国際空港(Domodedovo International Airport)です。モスクワにはシェレメーチエヴォ空港(Sheremetyevo International Airport)もありますがJAL便はドモジェドボ国際空港に着きます。翌日の11月27日は同じ空港からS7航空でノヴォシビルスクに向かうことから空港近くのホテルに泊まることにしました。

ロシア料理を食べようと思っていたのですが、残念ながらロシアなのにロシア料理はボルシチ以外は見当たりませんでした。さっそくビールを楽しむことに気持ちを切り替えてロシアのビールを頼みました。


なるべくロシア風のものを頼みました。チキンのサラダです。


こちらの料理にはニシンの塩漬けが入っていました。なっとなくロシア風です。


もちろんボルシチも頼みました。これでやっとロシアに来ていることが実感できました。


ロシア風と思われるのはここまでで、後はビルーに合うものを頼みました。


部屋からの景色です。周りは全く何もない場所でした。


こちらのホテルのいいところは朝4時から朝食が食べれることでした。空港のホテルだけのことはありますが、やっぱりロイアを感じるためには遠くても町のホテルに泊まる方がいいかな? と思ってしまいました。
ただし空港に近くてゆっくりと寝ることが出来たのはよかったです。


地図でモスクワ空港とホテルの場所を紹介します。上の青いマークがシェレメーチエヴォ空港で下の青いマークがドモジェドボ国際空港です。赤い押しピンマークが泊まったホテルの場所です。シェレメーチエヴォ空港は乗り継ぎで11月28日の夜に利用しました。シェレメーチエヴォ空港は新しい空港です。

より大きな地図で 2011/11/26~12/3 を表示

実は泊まった11月26日はフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第6戦、ロシア杯最終日でした。この写真は浅田真央が優勝した時の演技なのですがロシア語放送のため、この時はよくわかりませんでした。

シベリアの空の夕日 [ロシア]

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モスクワを11時40分に出発してシベリア最大の町ノヴォスビルスク(ノボシビルスク)に到着したのが18時45分でした。時差があるので4時間5分のフライトですが、やはり遠いです。この景色はモスクワからノヴォスビルスクへの飛行機の機内から18時20分に撮ったもので、日が沈んで少し経った時です。月が印象的でしたので紹介します。この写真ではわかりにくいけれども月の右下には金星も見えます。暗いけれども不思議とブレもなくクリヤーに撮れました。何枚か撮った中にブレのない写真がありました。是非ともクリックしてほしいです。クリヤーさが判ってもらえると思います。何種類かのパソコンの壁紙の一枚として使っています。→ポチッ

日が沈む瞬間です。このとき18時6分でした。この写真も是非ともクリックして太陽の沈む瞬間を見てほしいです。11月27日の景色でした。
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地上は極寒の雰囲気を伝えてくれました。


今回のフライトのルートは赤いラインです。実際のルートではなくモスクワの空港とノヴォスビルスクの空港を直接結んだものです。
赤いラインの左端がモスクワで右端がノヴォスビルスクです。

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本場ロシアのビーフストロガノフ [ロシア]

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6月29日にベルリンから夕方にロシアのサンクトペテルブルグに着きました。最初の日の夕食は是非ともロシアの代表的な料理に食べたいと思っていました。地下鉄に乗ってサンクトペテルブルグの町に出たあと戻ってきて、テレビをつけてロシア語でスポーツ番組を見たあとなったので、時間も21時になってしまったため、ホテルのレストランで食べることにしました。
メニューの中でRussian Specialties(ロシア・スペシャル) と書かれたページの料理の中から頼むことにしました。実はホテルではロシア料理は少なくてヨーロッパの料理が圧倒的に多いのです。
そのメニューの中のRussian Specialtiesのページを紹介します。
スターターは4種類
  ① Fish Plate
  ② Meet Plate
  ③ Blini with roasted vegetables
  ④ Traditional mushroom and potato filled vareniki
スープは2種類でした。
  ① Borsch
  ② Solyanka
メインは1種類のみでした。
  ① Beef Stroganoff
デザートは5種類あるのにメインがBeef Stroganoffだけだったのは驚きでした。
上の写真はスターターとして頼んだフィッシュ・プレート(Fish Plate)です。スモークサーモンにスモークされたオヒュウです。サモークサーモンは焼いたものも乗っていました。Fish Platには「Slighty salted salmon, warm smoked salmon and cold smoked halibut with capers and lemon」という詳しい名前がつけられていました。

そのフィッシュ・プレート「Slighty salted salmon, warm smoked salmon and cold smoked halibut with capers and lemon」の拡大写真です。クリックするとさらに拡大します。
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メインデッシュは迷わずビーフストロガノフ(Beef Stroganoff)でした。空港に降りたときから本場のビーフストロガノフを食べてみたかったのです。料理の名前は「Classic Beef Stroganoff, served with mashed potatoes」でした。
マッシュポテトが沢山付いていました。
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ビーフストロガノフ(Beef Stroganoff) を拡大してみました。美味しくて大満足でした。たっぷり入っていた牛肉がすばらしかったです。クリックするとさらに拡大します。
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クリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大します。味が伝えられたでしょうか。
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ビーフストロガノフはパンに、つけて食べても美味しかったです。


もちろんビールは何杯もいただいてしまいました。フィッシュプレートも美味しかったしビーフストロガノフもビールに合いました。
ネットで調べるとビーフストロガノフは16世紀初頭にウラル地方で成功した豪商・ストロガノフ家の家伝の一品であったとされ、食事と料理が好きな当主が深夜、小腹が空いて起きたものの家人や使用人は全員眠っていたため有り合わせの材料で料理を作ってみたら旨かった事から出来た料理だとされていますが、実際は貴族のたしなみであった『開かれた食事会』のために雇われ料理人が作ったものであるといわれています。19世紀に帝政ロシアのストロガノフ伯爵のフランス人コック長が広めたそうです。
作り方は、牛肉の薄切りとタマネギ、マッシュルームをバターで炒め、若干のスープで煮込んで、仕上げとしてサワークリームをたっぷりいれます。
中央の赤いマークが食事をしたOriginal Sokos Hotel Olympia Gardenです。

ロシアに着いたことを実感させてくれる光景 [ロシア]


海外に行き、その国の空港に着陸した瞬間に着いたことを実感いたします。特に初めての国は気持ちも高まります。この時はドイツのベルリンからロシアのサンクトペテルブルクに初めてエア・ベルリンで着きました。ロシアは初めてでしたが、この機首の扉が開く飛行機を見た瞬間、ここはロシアだ!と実感させてくれました。
世界最大の輸送機であるアントノフ124のようです。通称An-124「ルスラーン」(ウクライナ語:Ан-124 «Руслан»アーン・ストー・ドヴァーッツャチ・チョトィールィ・ルスラーン;ロシア語:Ан-124 «Руслан»アーン・ストー・ドヴァーッツァチ・チトゥィーリェ・ルスラーン)はソ連のアントノフ設計局(ОКБ имени О.К.Антонова、現在はウクライナのO・K・アントーノウ記念航空科学技術複合体(ANTKアントーノウ))が開発したそうです。量産された機体としては、世界最大の輸送機とのことです。ウクライナやロシアでは、ルスラーン (Руслан) の愛称で親しまれている。一方、北大西洋条約機構 (NATO) のつけたNATOコードネームは「コンドル」(Condor) であったそうです。また、An-124の発展型にAn-225「ムリーヤ」があります。後ろの扉も大きいです。

飛行機の仕様は下記の通りです。右下の飛んでいる写真はWikipediaから拝借いたしました。
クリックすると拡大 全幅       : 73.3m
 全長       : 69.1m
 全高       : 21.1m
 空虚重量    : 175t
 最大離陸重量 : 405t
 最大積載量   : 150t
 運航乗務員   : 6名
 搭乗者      : 88名
 最大速度    : 865km/h 
 巡航速度    : 800km/h 
 上昇限界高度 : 12,000m
 エンジン     : イーウチェンコ=プロフレース製 D-18T
            ターボファン(23400kg)4基

荷物の積み込み光景もWikimediaから拝借いたしました。
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ソ連時代(1924 - 91年)はレニングラードと呼ばれたサンクトペテルブルクは大きな町で沢山の観光客訪れるところであるけれどもターミナルは意外と小さかったです。
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Baggage Claim(バッゲージクライム / 手荷物受取所)は3ケ所だけでした。


航空写真で見たサンクトペテルブルク空港です。青い線は飛んできたベルリン方向を示しています。

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2日連続 寝台列車に乗りました。 [ロシア]

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海外で初めて寝台列車に乗ったことを紹介いたしましたが、その翌日(4月27日)もモスクワに帰るために寝台列車に乗りました。その列車が上の写真です。モスクワからの機関車はディーゼルでしたがモスクワへの帰りは電気機関車が使われました。

寝台列車はスタールイ・オルコスを4月27日18時00分に出発し12時間かけて翌日(4月28日)の6時00分にモスクワへ戻ってきます。
帰りも 0号車(ファーストクラス)でした。


これはロシアの鉄道網の地図です。しかしスタールイ・オスコル(Stary Oskol / Старый Оскол)を通る線路は書かれていませんでした。
スタールイ・オスコルの場所と予想通過線路を地図に記載しました。Google地図を見るともっと沢山の線路があることから、この地図の鉄道網は幹線のみで実際には鉄道網が網の目のように走っており、おそらくこの数倍の線があると想像されました。
また路線図では線路はまっすぐのように描かれていますがGoogleの地図で確認するといろんな町を通っていくために曲がりくねりながら目的の場所に向かっていました。地図で見るよりも実際の走行距離は長そうです。
画像をクリックするとロシア全体を表示するので是非とも見てください。
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来る時と同じように各車両の入口には車両の車掌の女性が立っていいてチケットとパスポートをチェックします。女性の車掌の人たちは終点のモスクワまで一緒に移動します。
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来る時とおなぐく約500mの列車編成でした。我々はちょうど真ん中の0号車でした。
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列車の中からのスタールイ・オルコス駅の風景です。
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列車の通路です。


クリックすると拡大寝台車の個室に関したはモスクワ→スタールイ・オルコスで紹介したので、こちらでは食堂車を紹介いたします。こちらが食堂車です。高級レストランの雰囲気の食堂車ではありませんが、きれいで清潔感がありました。


ファーストクラスはビールと夕食が付いています。部屋でも食べれるのですが、出発前に食堂車に準備するようにお願いして寝台列車が動きはじめたら、すぐに食堂車に向かいました。すでにビールは用意されテーブルに置かれていました。


最初は乗車券についている無料のビールで乾杯です。


ここで黒パンのビールに合う食べ方を教えてもらいました。パンの上に塩とレッドペッパーを振り掛けるのです。これが本当にビールに合うのに驚きました。不思議と胡椒ではなくレッドペッパーが置かれていたのがよかったです。


雰囲気が盛り上がるとやっぱりワインですね。ワインもいただきました。さらに持参していたウイスキー(山崎)も一本開けてしまいました。


乗車券についていた料理をつまみにビールやワインをいただきました。料理は決して高級感はありませんが、ロシアの味を堪能いたしました。ご飯が付いているのにも驚きました。これば鶏肉の料理です。
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料理は2種類からの選択です。付いているご飯はポテトに変更は出来ます。これはビーフのシンプルな料理でした。ビールには合いました。
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ここから下の料理が前日のモスクワ→スタールイ・オルコスの料理です。これはポークのフライです。これは一番料理らしい料理でした。
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こちらがポテトとビーフの組み合わせです。実は「ご飯」か「ポテト」のどちらかを選ぶのです。
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つまみとして頼んだタンとサラミとミートです。つまみに関しては、これ以外に沢山頼んでたっぷりとビールとワインとウイスキーと会話を楽しみました。


スタールイ・オルコスからモスクワへの帰りの寝台特急では、食事の後に近くの席で食事をされていた3人組みの女性の方に一緒に飲みませんかと声をかけた結果、気楽に応じてくれました。行きよりもより楽しく飲むことが出来た気がします。写真の右に少しだけ写っているのが私です。テーブルの上のカメラは彼女たちのものです。ちょっとリッチな人たちだったのかもしれません。女性たちはオルコスの人でした。


列車のルート検索をしてみると行きと帰りでは別のルートが出てきました。これ以外にも2種類の鉄道ルートが出てきたため、少なくとも4ルートがあることがわかりました。それぞれ縮小しているので画面をクリックすると見やすいと思います。
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ロシアの寝台特急 海外で初めて寝台列車に乗りました。 [ロシア]

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ロシアへ出発前に予告した通り4月26日にロシアの寝台特急(寝台列車)に乗りました。海外で寝台列車に乗るのは初めての経験となりました。4月26日19時27分にモスクワを出発してСтарый Оскол(発音 : Stary Oskol / スタールイ・オスコル)に4月27日7時00分に到着する11時間33分の列車の旅となりました。
上の写真はスタールイ・オスコルに到着した寝台列車です。巨大なディーゼル機関車2台で20両客車を引いて走ってきました。20両は、ほんとうに長い列車でした。一日に列車は昼間も含めてこの寝台列車だけなのでこれほどのロング列車になるのだと思いました。

出発30分前はこの機関車が接続されていました。スタールイ・オスコルに到着した時はこの機関車ではなく上の巨大な機関車が2台が連結されていたので、おそらく駅構内で列車編成を行うための車両だと思います。写真を撮った時は、長い列車を、この一台で引くのは大変だな感じていたのです。


下のキップは車内の検札時に半券を切り取った状態です。
半券を切り取る前は右のように飛行機の搭乗券と同じ寸法でした。
ロシア語読めませんが日付と時間と区間は読み取れます。黒塗のところには私の名前が書かれていました。青塗の部分はパスポート番号です。
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モスクワ駅の出発前のホームでの寝台列車の客車です。全ての乗車口には緑の制服の女性の車掌さんが立っていました。入口に立っている車掌さんがチケット(切符)とパスポート(ロシア人は身分証明書)を確認します。ただしチケットの半券はこの時点では切りません。中に入って検札に来た時に初めて半券を切ります。
モスクワ近郊のホームは客車の床と同じ高さですが地方に行くと冒頭の写真のように低いホームになります。


先頭が19号車で一番後ろが1号車でした。ところが列車の真ん中に0号車がありました。それが我々の乗ったファーストクラスの車両でした。車内で表示しているNo 00が車両番号です。20両編成(機関車を入れると22両編成)は本当に長いです。0号車を探してホームの端から端まで歩いたので実感しました。よく考えてみたら日本でもグリーン車は階段に近い真ん中でした。


電光表示板は時刻と外気温度の表示にも切り替わります。早朝ですが20℃と行く前の予想と違い暖かかったです。現地の人に聞くと数日前から異常に暖かくなったとのことでした。持っていったコートは結局スーツケースに入れっぱなしになってしまいました。
ちなみに表示板の左下の緑の丸い表示はおそらくトイレが空いていることを示しているのだと思います。使用中は赤い表示になると想像されますが確認する機会はありませんでした。


0号車の車掌さんだけは青い色の制服で帽子もかぶっていませんでした。沢山の車掌さんの中の上司のような感じでした。この方も緑の制服の車掌さんも全て寝台列車に乗って我々と一緒に移動します。我々の車両には車掌室が2部屋もありました。朝起こしてくれたりしてくれました。食堂車に行く時はドアにカギをかけてくれました。


これが車内のファーストクラスの個室です。ファーストクラスといっても部屋は広くなかったです。でも写真で感じるよりはベッドも部屋も広いと思います。車両の幅が大きいのでベッドの長さが十分にあるのはよかったです。


部屋の両側に鏡が取り付けてあったので、こんなイタズラな写真を撮ってみました。


部屋は個室には鍵のかかるドアがあるので我々外国人は安心して乗れます。個室でないと荷物が心配でしたが、これなら安心です。主要都市間を結ぶ寝台特急には豪華な寝台車も用意されているようです。


日本製のテレビも設置されていました。


スリッパや歯ブラシなどの洗面用具もついていました。


洗面用具袋の中身を確認してみました。歯ブラシ、くし、石鹸、手拭、テッシュ、靴べら、靴磨きが入っていました。


さらに水が一本とビールが一本も無料でした。デザートはこのようなパックで配られました。中にはフルーツゼリーやチョコレートに紅茶のパックが入っていました。驚いたことに夕食もついていました。
その夕食とビールは部屋でも食べれるのですが、ゆっくりとビールを飲みたいので食堂車の方に用意してもらうように頼み列車が出発と同時に食堂車に行きました。ビールやつまみを沢山追加して日本の居酒屋状態となってしまいました。(笑)
おかげで朝までグッスリと寝ることが出来ました。食堂車に関しては帰りの寝台列車を紹介する時にまとめて掲載させてもらいます。


各車両には給湯器が共通で付いているので紅茶を飲みました。


洗面用のタオルが2枚付いていました。いたれりつくせりですが、シャワー室はなかったです。唯一残念に思いました。もっと長距離の場合は必要な気がします。


気になるトイレでですが、写真のトイレが車両に2つ設置されていました。


洗面台はトイレの部屋の中にありました。中は結構広いので日本の列車のトイレの中という感じはなかったです。


モスクワを出た近郊の駅には高速列車と思われるものも停まっていました。時間は19時37分なので走り始めて10分経ったところです。
我々の寝台列車はモスクワを出てく数時間は停車することはなかったです。初めて停車したのことに気が付いたのはスタールイ・オスコルに到着する3時間前でした。


スタールイ・オスコルの一つ手前の駅です。時間は6時51分でした。


日が昇ってきました。時間は7時2分なので到着30分前の景色でした。


列車はほぼ定刻の7時39分に到着して30分停車後に最終目的地に出発します。途中の駅で10分近く停車していることがありましたが30分も停車するのはスタールイ・オスコルが大きな町だからだと思います。ホームは低いので大きな荷物があると降りるのが大変です。降り口に立っているのはモスクワのホームで入口に立っていた青い制服の車掌さんです。
ドアを開けたとき階段がなかったのでどうやって降りるのか心配しましたが、床を内側にスライドさせると床下に階段がありました。ホームがある場合とない場合の両方に対応した構造になっていました。


これがスタールイ・オスコル駅です。真中あたりから寝台列車の後ろ側を撮りました。


これは、真中あたりから前側を撮ったものです。後ろ側を撮った写真同様に列車の先が見えません。2枚の写真から列車の長さを実感してもらえると思います。
こちら側に駅の出口があるので皆さんこちらの方向に歩いています。


近くで機関車を見ると本当に大きかったです。
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今回訪問したスタールイ・オスコルはロシア連邦ベルゴロド州の都市です。モスクワから618km南のオスコル川流域にあります。 人口は215,898人(2002年の国勢調査)の都市だそうです。今から420年前の1593年、モスクワの南の防衛の為に要塞都市として作られ、17世紀にはクリミア・タタール人とウクライナ・コサックの略奪を受け、20世紀以降もロシア内戦、第二次世界大戦でも影響を蒙るが、戦後は工業の発展と共に人口が増加したそうです。右および下の写真はスタールイ・オスコルの紋章です。ここは世界で最も鉄鉱石の埋蔵量が多い場所の一つとされるクルスク磁気異常の境界に位置する重要な鉱業都市とされ、一年間に800万トン以上の鉄鉱石が採掘されているそうです。そのため市にはモスクワ連邦鋼合金研究所の支部が存在しているそうです。


スタールイ・オスコル駅の航空写真を掲載いたします。長い車両が停まれるだけあって駅も長いです。地方都市ではホームが低いのもわかる気がしました。一日に一回しか停まらない長距離列車のために高いホームを作るのは大変だと思います。(http→httpsへ変更済)

スタールイ・オスコル駅舎も紹介しておきます。降りるときは駅舎には寄らずに直接駐車場に向かいます。乗るときもキップを持っている場合は特に駅舎に寄る必要はなく駐車場から直接列車に乗ります。キップとパスポートのチェックは列車の乗り口ごとに立っている女性の車掌さんが行います。


SAILIN' SHOESさんの秩父鉄道へ 03にトラックバックしています。

寝台特急が出発したモスクワの駅 [ロシア]



夜行の寝台特急に乗ったことを紹介しましたが、列車に乗るまでのモスクワの駅を紹介いたします。車でモスクワの駅に行きましたがすぐそばまで近づくのは時間がかかるため少し離れた場所に車を停めて歩いてモスクワの駅を目指しました。

これがモスクワの駅です。駅名はおそらくモスクワ駅ではありません。ロシアでは目的地を駅名に使う習慣があります。パリにあるリヨン駅と同じです。


少し近づいたところでもう一枚撮りました。


駅の構内に入りました。左に沢山の窓口がありますがチケットを買うところです。我々は寝台特急なので事前に買ってもらっていました。


一階から地下にエスカレーターで降ります。


地下一階に降りました。エスカレーターを降りる寸前に撮りました。


そのまま駅のホームの地下通路を歩いて目的のホームに上がりました。


ホームに上がった景色です。ホームは昔ながらの雰囲気でした。


出発の40前ですが、すでに我々が乗る寝台特急が停まっていました。ホーム上で駅名を撮ろうと探しましたがどこにもありませんでした。これにはちょっと驚きでした。


駅の前には趣のある工場がありました。


チケットの駅名はロシア語で МОСКВА КУР とか書かれていました。
写真をクリックして拡大すると文字が読みやすいと思います。
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苦労しましたがGoogleの航空写真でМОСКВА КУР駅を探し出すことが出来ました。建物の感じが私が撮った写真と同じなので間違いありません。
駅名はモスクワ クルスカヤ パサジルスカヤ(Москва Курская Пассажирская)駅でした。КУРはクルスカヤ(Курская)の頭三文字でした。モスクワからクルスカヤを通ってパサジルスカヤに行く駅という意味なのでしょうか。
Курская(クルスカヤ)は今回の目的地のスタールイ・オスコルに比較的近い町で、Пассажирская(パサジルスカヤ)はウクライナの黒海に近くの町の名前でした。やはりロシアも目的地が駅名に使われていました。


ロシアのガソリン価格 [ロシア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2011年4月26日にモスクワから往復500kmほど車で走る機会がありました。ロシアのガソリン価格が気になったのでガソリンスタンドを撮りました。場所はモスクワ近郊です。リッターあたりレギュラー(オクタン価92)で24.25ルーブルのようです。1ルーブルが2.96円だとすると71.78円になります。現時点で比較すると日本の半分ということになります。ちなみにオクタン価95のガソリンは25.85ルーブル(76.52円)と書かれています。
上の写真は是非ともクリックしてみてください。ガソリンスタンドの周りの雰囲気がわかると思います。
クリックすると拡大ちなみに2009年原油生産量は下記の通り一位です。埋蔵量は約790億バレルで8位だけれど広い国土があるので、新しい場所が発見されて将来は上位になると思われます。
天然ガスは、生産量および埋蔵量ともに1位です。
 原油生産量(2009年)     1日あたり
  1.ロシア        1003万バレル/日
  2.サウジアラビア    971万バレル/日
  3.アメリカ合衆国    720万バレル/日
  4.イラン        422万バレル/日
  5.中華人民共和国    379万バレル/日
  6.カナダ        321万バレル/日
  7.メキシコ       298万バレル/日
  8.アラブ首長国連邦   260万バレル/日
  9.イラク        248万バレル/日
  9.クウェート      248万バレル/日
  ?.日本         1.16万バレル/日  消費440万バレル/日
日本とロシアの国土を比較してみました。45倍も面積があれば、まだ発見されていない天然資源も豊富だと思います。
           人口        国土
 日本      1億2805万人       377,914K㎡
 ロシア     1億4190万人    17,075,200K㎡
          (日本の1.1倍)    (日本の45倍)

ロシアのガソリン価格 [ロシア]


この写真は2010年6月30日に撮ったエストニア国境近くのロシアのガスリンスタンドです。レギュラーガソリンの値段は21.85ルーブルです。1ルーブルが2.9円( 0.3448ルーブル/円 )とするとガソリンの価格は63.4円です。1リッターの価格のようなので日本の半分の価格でした。

これはロシア・ルーブルと日本円の為替レートのグラフです。ルーブルは今は安いので日本円に換算すると特に安く感じてしまいます。ルーブルが高い時の4.5円/ルーブルだと21.85ルーブルは98円です。それでも日本より安いです。下記のグラフをクリックすると最新のルーブルの為替を表示します。
このグラフを見ているとルーブルの安い今は観光に絶好の時期のような気がします。今回、サンクトペテルブルグのホテルで食事をしても、料理の値段は高く感じませんでした。