マウナケア・ツアー その5 星座観察 [ハワイ]

マウナケア・ツアーは「山頂からの沈む夕日鑑賞」と「星座観測」の2つのビックイベントで成り立っています。「山頂からの沈む夕日鑑賞」はマウナケ・ツアーその4で紹介いたしました。残りの「星座観察」を本記事で紹介したいと思います。星座観察は星座の観察だけでなく上の写真のように天体望遠鏡を使った観察もありました。
マウナケア山頂に18時29分に到着して沈む夕日を見終わると、山頂の滞在時間制限があることから

出発寸前に撮ったツアーバスです。その4で紹介した通り、メインのカメラがモノクロ(色黒)設定になっているに気付かずに写真を撮り続けていました。
<撮影時刻 19時07分>

出発してすぐに撮った外の景色です。
<撮影時刻 19時12分>

約4100mの高さからの夕焼けでした。
<撮影時刻 19時14分>

日没が終わって一斉におり始めたので沢山の車が連なっていました。我々の車は後方車を追い抜かさせるために何度か停止やいたしました。後で分かったことですが我々のツアーバスは重量があることたら悪路での車のダメージを防止するためだったのです。写真では道路が舗装されていますが、もうすくし下ると未舗装に変わるのです。その対策を実感したのは星座観測が終わって帰路の途中で、我々と同じツアー会社の同じタイプの車が故障して動けなくなっているのを見た時でした。我々の車が少しの間停車してして運転手同士少し話しましたが、我々の車に人が乘る余裕がないので代車が付くまでかなりの時間待ったと思います。
<撮影時刻 19時15分>

日が沈んだ後の天文台の景色です。
<撮影時刻 19時15分>

時間と共に幻想的な景色になってきました。
<撮影時刻 19時16分>

刻々と景色が変わっていきました。
<撮影時刻 19時18分>

暗くなってきたのでこれより先は鮮明な写真は撮れなくなりました。
<撮影時刻 19時19分>

観測場所に到着したのは写真の撮影時間から19時25分から19時52分の間で、その時の記憶と山頂を19時12分に出発したことから想定すると星座の観測場所への到着は19時45分頃だと思います。観測場所で最後に撮った写真は20時34分です。20時45分頃に出発したとすると、星座観測場所に滞在していたのは約1時間ということになります。写真はツアーバスに積んであった天体望遠鏡です。三脚しか見えませんが、立派なものでした。

星座観測場所のからの星空です。クリックすると星座が見えると思いますが、この回のツアーでの星座撮影は失敗でした。光は半月の月あかりのみでカメラの設定が出来なかったことや、星座撮影が初めてにも関わらずガイドの方の話の合間に、いろんな感度やシャッタースピードを試す時間が無かったことから、すべての写真が露出不足でした。PCで露出調整をして掲載させていただきましたが限界があります。旅行の出発前に試していればよかったと後悔いたしました。
この写真は北斗七星かと思って撮りましたが違っていました。少し星まの並び方の間隔が違うし、水平線近くにある北極星との位置関係も違っていました。本写真をクリックすると同じ縮尺で広い範囲を表示します。
<撮影時刻 20時03分>

上の写真の地面近くを撮りました。夏至に近いこの時期は北極星は地平線の下かもしれません。
こちらもクリックすると同じ縮尺で広い範囲を表示します。
<撮影時刻 20時04分>

星座らしいものがありますが名前は判りません。こちらもクリックすると同じ縮尺で広い範囲を表示します。
<撮影時刻 20時06分>

地表近くから空に伸びている光は、他のツアーのガイドの人がレーザー光を使って星座を説明している光です。我々のガイドの方も使っていました。こちらをクリックすると単純に拡大します。
<撮影時刻 20時07分>

4つの星が印象的だったので撮りました。ネットから転用させていただいた右の図の「からす座」に似ています。カラスは太陽のアポロンにつかえた銀色に輝く羽根を持つ言葉が喋れる鳥でしたが、

<撮影時刻 20時08分>

こちらが北斗七星でした。ハワイは北極星は地平線の近くにあるはずですが写真の範囲には入りませんでした。7つの星を右からたどると、ベミトナシュ→ミザール→アリオト→メグレズ→フエクダ→メラク→ドゥーベです。2番目のミザールのすぐそばにある小さな星がアルコル(死兆星)です。死兆星が見える人は一年以内に死が訪れる言伝えがあります。下の写真では死兆星が確認出来ますが、肉眼では見えなかったことにいたします。

<撮影時刻 20時13分>

我々のツアーです。天体望遠鏡を捜査しているのがガイド兼運転手の方です。天体望遠鏡では木星も見せてもらいました。表面の模様や衛星がくっきりと見えたのが印象的でした。
<撮影時刻 20時14分>

カメラが動いて星が流れたようになっています。同じ方向でないのでカメラが回転してしまったようです。
<撮影時刻 20時26分>

星座観察中の唯一のカラー写真です。フラッシュを使った写真もこの一枚の身です。メインカメラも外付けのフラッシュを持って行きましたが星座観測の雰囲気を壊してしまうので使いませんでした。ただし雰囲気を伝えたくてフラッシュに気がつかれないように遠く離れてコンデシでフラッシュ撮影の1枚のみさせていただきました。上の天体望遠鏡のカラー写真はこの写真から切り取ったものです。
<撮影時刻 20時31分>


<撮影時刻 20時33分>

上の写真が南十字星であることを証明するためにネットから南十字星が写った写真を転用させていただきました。南十字星の形もそっくりですが、周辺の明るい星の配置も同じであることが分かっていただけると思います。もちろん十字の線は写真に追加されたもので実際にはありません。旅行会社のサイトの写真なのでマウナケアで撮られた写真の可能性が高いと思います。点滅する南十字星の文字は私が入れました。

南十字星の地平線からの位置がを紹介します。2枚上の写真はこの写真から切り取りました。沢山の星が判別できるようにPCで画面を明るくしています。

<撮影時刻 20時33分>

上の写真を撮った後の12分後の20時45分頃に帰路につきました。
ケンタウルス座と、おおかみ座のイメージ図も紹介します。

その1とその2とその4の記事でも掲載していましたが、分かりやすいようにマウナケア・ツアーのルートを本記事でも紹介します。ホテルを13時50分に出発して9時間を超えるツアーとなりホテルに戻れたのは23時頃でした。昼間のコナの町を散策した時にコナ・イン・ショッピング・ビレッジ(Kona Inn Shooping Village)で買ってあったハワイ島名産のマカドミアンナッツとビールで最初のハワイ島ツアーを締めくくりました。翌日はハワイ島一周ツアーでした。
❶ チェックイン・ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
❷ 夕食用弁当などの積込み Wolmart
❸ 最初の休憩場所 アイランド・グルメ・マーケット
❹ 2回目の休憩場所 マウナケア州立公園(1989m)
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2805m)
❻ 沈む夕日を見た場所 マウナケア山頂(4201m)
❺ 夜空の星座を見た場所 オニヅカ・ビジター・ステーションの近く
❶ 宿泊ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
下記の写真は翌朝7時25分にホテル正面玄関にお迎えに来たハワイ島一周ツアー用のバスです。ツアー終了後、我々だけオアフ島に帰るのでツアー終了後はこのバスが最初にコナ空港に着いて我々のみおろすことから、ホテルはチェックアウトして全ての荷物を持ってツアーバスに乗りました。と言ってもスーツケースなどはオアフ島のホテルに預けてきたので荷物は一人リュック1つでした。今回の記事掲載でマウナケア・ツアーは完結となります。まだ未掲載の記事はハワイ島一周ツアーや、オアフ島へ戻るフライトや、オアフ島に戻ってからのツアーです。着色文字をクリックすると記事を表示します。
マウナケア・ツアー
その1 ホテル→マウナケア州立公園
その2 マウナケア州立公園→オニヅカ・ビジター・ステーション
その3 ギンケンソウ(銀剣草)
その4 マウナケア山頂へのルートからの景色と山頂から見る沈む夕日
その5 星座観察
ハワイ旅行の出発便を紹介します。JL786
ハワイの全記事(将来掲載記事も追加) → 1/2(3記事+α) 2/2(30記事)
ハワイ旅行の帰国便を紹介します。JL789
オアフ島からハワイ島へ HA368
ハワイ島からオアフ島へ HA307 (後日掲載予定)

マウナケア・ツアー その4 マウナケア山頂(標高4205m)へのルートからの景色と山頂から見る沈む夕日 [ハワイ]

今年は7月に北海道に行くつもりでしたが、新型コロナのために中止しました。海外旅行も長く行っていないので、中断していたハワイ旅行の記事掲載を再開したいと思います。ハワイ島の標高4205mのマウナケア山(マウナケア)の中腹の標高2800mまで登ったところまで書いていたので、本記事では標高2800mのオニヅカ・ビジター・ステーションからマウナケア山頂までの景色と、山頂から見る沈む夕日を紹介したいと思います。実はオニヅカ・ビジター・ステーションでカメラに関して大失敗をしてしまったのです。カメラは一眼レフとコンデジ2台(1台は予備)を旅行には持ってきたのですが、夕日を撮ることからメインで使っている一眼レフの手動設定を調整している時にモノクロ(白黒)設定になってしまったのです。そのことに気がつかずに撮ったことからオニヅカ・ビジター・ステーションを出発してから翌日の14時頃までの写真が全て白黒になってしまい、そのために上の写真のように夕日が白黒写真になってしまいました。コンデシで撮った写真はもちろんカラーなのですが、山頂では1度も使わなかったために山頂の写真は1枚もカラーがないことになりました。予備のコンデシはオアフ島のホノルルのホテルに置いてきました。
Google地図の航空写真にルートを書き込みました。本記事(その4)はオニヅカ・ビジター・ステーション(❺)からマウナケア山頂(❻)までを紹介したいと思います。右の図はGoogle地図で表示されるプロフィールマップです。

オニヅカ・ビジター・ステーションには16時37分に到着して17時46分に出発いたしました。標高差(❻ - ❺)は1396mでした。写真には沢山の噴火口が写っています。下記に書いている標高はgoogle地図で表示された数字です。
車と同じルートですが徒歩でのルート表示も紹介します。→ポチッ
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2805m)
❻ 沈む夕日を見た場所 マウナケア山頂近く(4201m)

出発地の標高2805mにあるオニヅカ・ビジター・ステーションです。ここはホテルを出発してから3番目の休憩場所でした。このハワイ旅行はネットからの次の3つの予約(契約)で構成されています。③のハワイ島ツアーの予約にはハワイ島の1泊のホテル代と、オアフ島とハワイ島の往復のチケット代と、オアフ島のホテルと空港のリムジン手配が含まれています。2つのツアーとは1日目がマウナケアツアーで2日目がハワイ島一周ツアーでした。オアフ島内の旅行は自分たちで前日に計画して路線バスやタクシーなどを使って行いました。
① 往復の航空券の予約 航空会社(JAL)
② オアフ島のホテルの予約 ホテル予約サイト
③ ハワイ島の2つのツアーの予約 現地旅行会社

出発地点から登っていく方向を紹介します。よく見ると写真の一番上の辺りに土ぼこりが写っています。ガイドの方の話では、ここから先は個人の車は入れません。先住民に許可された旅行会社などの車だけが登ることが出来るそうです。

土ぼこりの辺りを拡大いたしました。この道を登っていくのです。ジグザクの道が見えます。

出発してすぐのバスの中からの景色です。バスの中からはコンデシと一眼レフで撮りました。カラーの写真はコンデジで撮った写真です。先ずは山頂の沢山の天文台が見える標高4077mのところまでノンストップで登ります。そこでバスから降りて写真撮影をした後に目的場所である山頂(4205m)近くの約4200m(Google地図では4201m)のところまでバスで登りました。先ずは標高4077mまでのバスの中からの景色を紹介いたしますので登っていく雰囲気を感じてもらえれば幸いです。メインのカメラは白黒ですが、登っていく途中ではコンデジも作ったのでその写真だけはカラーです。見えている建物はオニズカ国際天文学センターで山頂にある天文台の人達などの宿泊設備もあるようです。

標識を撮ってみました。書かれている文字を手前から紹介します。真ん中の標識を見るとこの先に登るためには4輪駆動車が条件のようです。
WARNING ROAD WORK IN PROGRESS
USE YOUR FOUR WHEEL DRIVE
ROAD NARROWS PROCEEF WITH CAUTION

出発地点のオニヅカ・ビジター・ステーションが見えました。遠くに見えるなだらかな山は世界最大の体積(75,000㎦)のマウナロア(標高4169 m)です。マウナロアは今でも噴火を繰り返している危険な火山です。

ほぼ同じ場所から広い範囲を撮った写真です。

バスの中から進行方向の景色を紹介します。バスの右側の一番前の席に座っているのでこのような写真を撮ることが出来ました。窓からの景色も進行方向に対して全て右側の景色だと思ってみてください。

南東方向を撮った写真です。雲海が広がっていました。

同じ構図の広い範囲の写真です。上の写真はズームで撮った写真です。

少し上り坂が急になってくると道路は舗装はされていません。

道が細くなっているところもありました。

小さな火山の間に道が見えます。そこに建物が見えるところがオニヅカ・ビジター・ステーションです。遠くのなだらかなな大きな山がマウナロアです。

雲海が広がっている景色です。

山肌に沿って登っていきました。

少し緩やかになり左右が高い場所もありました。なかなか山頂は見えてきませんでした。

遠くに高くなっている場所がありました。それぞれが噴火で出来たのだと思います。

左端の高い山に向かって道が伸びています。

ひときわ高い山があり、これから登る道が見えることから山頂があるところだと思います。

その山を拡大いたしました。

ここは赤色の溶岩ですが黒い溶岩もありました。バスは揺れながら走っているので近いところはぶれています。

山に近づいてきました。

上の写真の道がある山の真下まで来ました。

その山を登っていくと天文台が見えてきました。一番手前が日本のすばる天文台です。

さらに近づきました。

すばる望遠鏡の間近まで来ました。山頂から夕日を見る場所からは、夕日が沈む方向に最も近かったのが、すばる望遠鏡でした。
正式名称 国立天文台ハワイ観測所 大型光学赤外線望遠鏡
愛称 すばる望遠鏡
運用組織 日本自然科学研究機構国立天文台ハワイ観測所
観測開始年 1999年
標高 4,139 m (13,579 ft)
観測波長 可視光・赤外線
形式 主焦点/リッチー・クレチアン/ナスミス式
口径 8.2m
分解能 0.23 秒 ウィキデータを編集
開口面積 53m2
焦点距離 16.4m(主焦点)
架台 経緯台
ドーム cylindrical dome

ツアーバスの中から、いろんな天文台を見上げる形で見ることが出来ました。窓に反射が見えるのでバスの車内であることが分かっていただけると思います。

冒頭で説明した通り標高4077mのところで車を下りました。主な目的は写真を撮るためでした。この時18時12分でした。このドームはカルテクサブミリ波天文台(Caltech Submillimeter Observatory)です。
この場所の航空写真はこちらです。→ポチッ1 ポチッ2

車から下りて撮った写真です。これから一番高いところにある天文台の辺り(標高4201m)まで登ります。標高差は124mですが、一旦は4042mまで下がってから159m登ります。

我々のバスを入れて上の写真と同じ方向を撮りました。

別の方向からも撮りました。ここには12基の望遠鏡があります。
1インチは25.4mmです。
カルテクサブミリ波天文台 カリフォルニア工科大学
カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡 カナダ、フランス、ハワイ大学
ジェミニ北望遠鏡 米国 英国 カナダ チリなど7ケ国
赤外線望遠鏡施設 NASA
ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡 英国 カナダ オランダ
すばる望遠鏡 日本国立天文台
サブミリ波干渉計 台湾 アメリカ
イギリス赤外線望遠鏡 英国
ハワイ大学88インチ望遠鏡 ハワイ大学
ハワイ大学24インチ望遠鏡 ハワイ大学ヒロ校
超長基線アレイ 米国
W・M・ケック天文台 カリフォルニア天文学研究協会

沢山の天文台が写った航空写真を紹介します。判りやすいように縮尺の違う2つの航空写真を掲載しています。ケック天文台の左下隣りに、すばる望遠鏡が入ったドームがあります。青色ラインがツアーバスが通ったルートで、❻がマウナケア山頂近くでツアーバスが駐車した場所で、


これは旅行でのメイン(一眼レフ)のカメラで撮った写真なので白黒のはずですがカラーです。実はガイドの方に記念写真を撮っていただくためにオート(自動)に切り替えたのです。つまりカメラを自動にしていれば全てカラーだったわけですが、記念写真を撮った後に自動に戻しました。暗くなっていないのに手動にする理由はピントを合わせるところをスポット(1点)にしたいためです。自動にすると多点になってしまうので自分でピントを合わせたい点が選べないからです。そのために普段も手動ですが、シャタースピードと絞りは自動なのです。

数少ないカラー写真なので、天文台の部分を拡大いたしました。

標高4077m場所での写真撮影が終わったら標高約4200mを目指して出発し、本写真の頂上への分岐点(標高:4042m)に戻りました。左から大きく外側をカーブして右から曲がってくる道が登ってきた道です。その途中から左に曲がっているのが山頂への道です。

山頂に向かって登り始めると視界が広がってきました。

雲海も遠くに見えています。

遠くに見える標高4169mのマウナロアも水平線と同じ高さになってきました。空もきれいでした。

最後の急阪です。外の景色を水平に撮るとバスが急阪を登っていることが実感していただけると思います。

外の景色を拡大いたしました。高さ4200mからの景色です。これだけ見ていると飛行機からの景色のようにも見えます。

山頂近くの天文台が見え始めました。

さらに進むと車を停める場所に近づきました。我々のバスが停めた場所は車で行ける最も高い場所でした。Google地図で確認すると4201mなので山頂の目指す場所の標高は約4200mといたしました。今までに飛行機以外で標高4000mを越えたのは今回が2回目です。初めては九寨溝・黄龍ツアーで雪山梁峠(標高4007m)を越えた時です。

バスの中から撮った最後の写真です。写真で見えている最も高いところがマウナケアの最高峰(4205m)です。最も近くなる位置で最高峰を撮りました。直線距離で260mです。反対側の窓が反射しています。その中に太陽も見えます。

車から下りて東方向を撮りました。雲にマウナケアの影が映っています。

ズームを広角にして広い範囲も撮りました。マウナケアの大きさが間接的に分かってもらえると思います。

皆さん、日没の瞬間を見るために西側に集まり始めました。右の方に夕日があります。左端のドームはイギリス赤外線望遠鏡(UKIRY)です。

雲から山が覗いています。我々が建っている標高4200mの高さが実感できる景観でした。

北西方向の景色です。太陽は左方向にあります。

上の写真よりもカメラを太陽方向に向けました。一番左の天文台が日本の「国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡」です。すばる望遠鏡のある標高は4139mです。

太陽に背を向けて東方向を撮った写真です。影が長く伸びていることから太陽から水平方向から日が差していることが分かっていただけると思います。右に見えている小山の部分がマウナケアの最高峰の標高4205mです。

こちらの場所から夕陽を見ました。皆さんが見ている雰囲気が伝わるでしょうか。右端の天文台がGemini Observatoryです。その左側がカナダ・フランス・ハワイ大学望遠鏡で、左端の天文台がNASAの赤外線望遠鏡施設です。

太陽を正面から撮れる暗さになってきました。太陽に最も近いのが、すばる望遠鏡です。すばる望遠鏡の右側の2つのドームがW・M・ケック天文台です。

上の写真から切り取りました。冒頭に使った写真でもあります。きれいな夕日でした。カラー写真で夕日を紹介出来なかったのが残念です。

すばる望遠鏡を中心に撮った写真です。

太陽から左方向の写真です。

少しづつ暗くなっていきました。

最も広い範囲で撮った写真です。

露出を少し変えて撮った写真です。実際の明るさは上と下の写真と同じです。

歓声が出る景色になってきました。

きれいな景色になったところで家内にポーズをとってもらいました。夕日が見れるかどうかは運次第のために夕日が見れない時もあるそうです。


夕日は雲に隠れ始めました、これから見えなくなるまで早かったです。

拡大いたしました。すでに雲を通しての光になってきていました。

暗くなった来た雲海です。

少しづつ夕日が欠けていきました。

拡大するとカメラが露出調整するので、すでに太陽の一部が雲に隠れていることが分かりました。

上の写真よりさらに太陽が下がったことが分かっていただけると思います。

太陽の上の部分は雲に沈みました。雲の切れ目から太陽の一部が見えている状況となりました。肉眼では分かりませんがカメラを覗いていると判りました。

さらに太陽が沈んだ写真です。

上の写真から太陽の部分を拡大しました。

完全に太陽が見えなくなりました。

太陽が完全に沈んで見えなくなり、ツアー客の人たちも帰り支度を始めました。

さらに50秒後には人が少なくなりました。山頂に留まる時間は先住民の人たちとの間で決められているそうです。この時19時08分でした。バスに戻りながら振り向いて撮った写真です。



バスに戻りました。オニヅカ・ビジター・ステーション(標高2805m)に到着したからマウナケア山頂(標高4201m)で夕日を見てしゅっば津するまでタイムテーブルは次の通りです。山頂で滞在時間は40分でした。標高2805mの出発地点から山頂までの所要時間は43分ですが途中ので10分間の写真撮影タイムがあったので標高差1396mの未舗装の道路を実質33分でツアーバスは登ったことになります。かなりのパワーがあるバスのように感じました。
標高 到着時間 出発時間 滞在時間
出発地点 2805m 16時37分 17時46分 1時間09分
記念写真撮影場所 4077m 18時12分 18時22分 10分
マウナケア山頂 4201m 18時29分 19時12分 43分
これから標高が約2800mの場所まで下ってツアーバスに積んであった天体望遠鏡を使って星座観測です。続きは、その5で紹介します。

その1とその2の記事でも掲載していましたが、分かりやすいように本記事でもハワイ島全体の航空写真にマウナケア・ツアー全工程を書き込みました。ホテルを13時50分に出発してホテルに戻ったのが23時頃だったので9時間を超えるツアーでした。さらに言えばオアフ島のホテルを朝の6時20分にチェックアウトしてからの旅だと考えるとこの日は16時間40分の旅だったと言えるかもしれません。翌日にはハワイ島一周ツアーに行きました。マウナケア・ツアーは全員がロイヤル・コナ・リゾートの宿泊客でしたが、翌日のハワイ島一周・ツアーはいろんなホテルの宿泊客で、ツアーバスはホテルを廻ってピックアップいたします。そのことからもマウナケア・ツアーの人気がうかがえました。マウナケア・ツアーでは同じ旅行会社のツアーバスを見かけました。マウナケア・ツアーもハワイ島一周・ツアーも我々のようにオアフ島から参加した人は我々2名だけでした。確認すると、ほとんどがJTBなどの日本の旅行会社のオプショナル・ツアーを申し込んだ人たちでした。
❶ チェックイン・ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
❷ 夕食用弁当などの積込み Wolmart
❸ 最初の休憩場所 アイランド・グルメ・マーケット
❹ 2回目の休憩場所 マウナケア州立公園(1989m)
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2805m)
❻ 沈む夕日を見た場所 マウナケア山頂(4201m)
❺ 夜空の星座を見た場所 オニヅカ・ビジター・ステーションの近く
❶ 宿泊ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
追伸
2020年9月20日の早朝から関西に行きます。関西からは山口県まで日帰りで墓参りにも行ってきます。家に帰ってくるのは9月28日の夕方のフライトのため、それまではネット環境の関係で皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
2020年9月26日追記 タイトル:岩徳線に乗りました。




行き:逆瀬川→(阪急)→宝塚→(JR)→新大阪→(新幹線)→徳山→(防長バス 330円)→久保駅前
帰り:周防久保→(JR岩徳線)→岩国→(JR山陽本線)→広島→(新幹線)→新大阪→(JR)→大阪→(阪急)→逆瀬川
下の写真は山口県まで日帰りで墓参りに行ったときの帰りに広島駅で、その日の夕食用に買ってきた広島流お好み焼きと宮島口の名物の穴子飯です。2つ買ったお好み焼き(900円x2 税込)は母とそれぞれ食べて、1つだけ買った穴子飯(1400円 税込)は2つに分けていただきました。

マウナケア・ツアー その3 ギンケンソウ(銀剣草) [ハワイ]


ここはハワイ島のマウナケア(山頂4205m)の中腹の標高2800mにあるオニズカ・ビジター・ステーションです。この扉の中にマウナケア(山)の固有種であるギンケイソウが生えているとガイドさんから聞いたので中に入って見に行ってみることにいたしました。どんな形の植物なのかは知る由もありませんが、見ると判るとのことでした。扉には次のように書かれていました。
STATE OF HAWALL
DEPARTMENT OF LAND AND NATURAL RESOURCES
DIVISION OF FORESTRY AND WILDLIFE HALE POHAKU EXCLOSURE
Estab. 1982; elev. 9000'
扉の左側にも次のような注意書きがありました。SILVERSWORDが植物の英語名だと思われたので、ネットで確認するとMAUNA KEA SILVERSWORDが英語名でした。DEPARTMENT OF LAND AND NATURAL RESOURCES
DIVISION OF FORESTRY AND WILDLIFE HALE POHAKU EXCLOSURE
Estab. 1982; elev. 9000'
AHINAHINA ENCLOSURE MAUNA KEA SILVERSWORD
STAY ON TRAIL
STAY ON TRAIL


中に入ってマウナケアの方を見た景色です。この中にギンケンソウが生えているかどうか分かりません。黄色い花が沢山咲いていました。一見して分かるとのことなので黄色い花の植物ではなさそうです。

黄色い花もきれいなので拡大写真を掲載いたしました。車で登ってくる時も沢山見かけた黄色い花だと思います。

こちらの写真にはいろんな植物が写っています。変わった植物も多いのですが、なんとなくギンケンソウとは違うように感じました。

白い花を咲かしている植物も咲いていました。
ハワイ諸島では在来自生種の植物は1800種ありますが、約85%がハワイ諸島の固有種です。鳥類では海鳥を別にすると、77種の在来種の内76種がハワイ諸島固有種で、哺乳類の在来種はコウモリの1種のみなのです。




白い花を拡大して見ました。高山植物だと思いますが、ギンケイソウではなさそうです。

探検している気分にさせられました。

敷地内に石組がありました。正面がマウナケア山頂です。マウナケアはハワイの先住民たちにとって数々の神が棲む聖地なのです。代表的な神は雪の女神ポリアフです。マウナケアの方向に向いていることから、神々に関係したものだと思われます。

ギンケイソウ探しは後回しにして、この石組を詳しく見てみることにいたしました。調べてみるとハワイ神話に登場する雪の女神・ポリアフの祭壇でした。祭壇のことはヘイアウ(heiau)で、捧げ物を置く台はレレまたはウヌだそうです。

祭壇を拡大いたしました。
ポリアフの神話をネットから転用させていただきました。
昔のハワイでは、山の斜面に石垣を築いて造った巨大な滑り台を、木製のそりに乗って滑るという王族の遊びがありました。
ポリアフは、そり滑りがとても得意でした。ある時、ポリアフが友人とそり滑りをしていると、そこに黒いマントを羽織った美女が現れ、自分とそり競争しようと言いました。さっそく美女とポリアフは、山の上から同時にそりに乗って滑り下りました。ポリアフの乗ったそりのほうが速いのは、誰の目に見ても明らかでした。競争の途中で、なにげなくポリアフは後ろを振り返ると、なんと後ろから、黒マントの美女が大きな炎の塊になって、山腹から噴出させた溶岩の上に乗って追い掛けてくる姿を目にして驚きました。黒マントの美女は、ペレだったのです!
しかし、ポリアフは急いでその場でそりから飛び降りると、あわてて逃げたりせずに、その場にすくっと立って、ペレを真正面から見据えたのです。溶岩はポリアフに向かって流れてきます・・・・ところが、ポリアフの目の前まできた溶岩は、二手に分かれてポリアフを避けるように流れていったのでした。
ポリアフはマウナケアの山頂から、氷のように冷たい風をペレと溶岩に向けて吹きつけました。 溶岩は冷えて固まり、ペレは寒さにこごえて退散していきました。

中央の大きな石が印象的でした。神聖なものだと感じます。
雪の女神ポリアフと対立関係なのが火の女神ペレ(Pele)です。上で記載の神話に出てくる黒マントの美女が火の女神ペレです。

諸説ありますが、雪の女神ポリアフ(Poliʻahu)は一般的に下記のような4姉妹という説が多いそうです。リリノエもワイアウもカホウポカネも雪の女神とされることがあるそうです。カホウポカネはハワイ島のフアラライ山の女神との記述が多いのですがWikipediaではマウイ島のハレアカラ山の雪の女神(?)と書かれています。リリノエもハレアカラ山の雪の女神との記述もありました。右の2枚の写真はポリアフを描いた最近の絵画です。

次女 霧の女神 リリノエ Lilinoe
三女 湖の女神 ワイアウ Waiau
四女 衣の女神 カホウポカネ Kahoupokane

ポリアフの祭壇あたりの航空写真です。❺がオニヅカ・ビジター・ステーションの建物で、

マウナケアの雪の女神ポリアフのご利益(ごりやく)があったのか、遠くに銀色に輝く草が生えているのが目に飛び込んできました。「これがギンケンソウだ」とすぐに分かりました。ギンは「銀」でケンは「剣」だったのです。つまりギンケイソウは漢字で書くと銀剣草でした。確かに見ればわかる。でした。場所は、上の航空写真でポリアフの祭壇の少し東側(右側)のエリアでした。

近づいてよく見ました。サボテンや多肉植物のように見えますがキク科の植物だそうです。植物の分類を越えて環境が形を作るのだと実感いたしました。進化の不思議を感じました。

不思議な植物です。

次々とギンケイソウを見つけました。下記は十分に成熟した個体の特徴です。開花まで5年~50年もかかる非常に成長の遅い植物です。
葉長 30~40cm
花茎 70~250cm(最大高さ:300cm)
開花 7~10月
頭花 最大500~600個
標高 2100~3750m

葉が出ている部分を拡大いたしました。



被子植物 Angiosperms
真正双子葉類 Eudicots
コア真正双子葉類 Core eudicots
キク類 Asterids
真正キク類Ⅱ Euasterids II
目 キク目 Asterales
科 キク科 Asteraceae
属 ギンケンソウ属 Argyroxiphium
種 ギンケンソウ Argyroxiphium sandwicense
和名 銀剣草
・ハワイ島マウナケア(山)
亜種 A. sandwicense subsp. sandwicense
英名 Mauna Kea silversword (マウナケア・ギンケンソウ)
・マウイ島ハレアカラ山
亜種 A. sandwicense subsp. macrocephalum
英名 Haleakala silversword 又は east Maui silversword

かなり広い範囲で見つけることが出来ました。
Wikipediaによるとギンケンソウ属(Argyroxiphium)には現有種が5種と絶滅種が1種が書かれていました。→翻訳

現有種
Eke silversword
Greensword
Argyroxiphium × kai D.D.Keck (A. caliginis × A. grayanum)
Mauna Loa silversword (or Mauna Kaʻū silversword)
Silversword ギンケンソウ
亜種 Mauna Kea silversword ハワイ島マウナケア固有種
亜種 Haleakalā silversword マウイ島ハレアカラ山固有種
絶滅種(1945年以前)
East Maui greensword
以前は含まれていた(現在はDubautia属)
Dubautia gymnoxiphium

いろんな形を見せてくれていました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定しています。ギンケンソウの英文のWikimediaでの種の保全状況にはG2と書かれていました。我々がよく見かけるCRやENやVUなどのカテゴリー分けとは表示が違うのでIUCNのレッドリストとNatureServeの保全状況を比較をしてみるとENに近いものと想像されます。G2レベルはGlobal LevelでのImperiled(typically having 6 to 20 occurrences, or 1,001 to 3,000 individuals)です。ギンケンソウが絶滅危惧種になった大きな原因は人間がハワイに持ち込んだ家畜が野生化した野ヤギや野ヒツジが食べたことだそうです。非常に成長の遅い植物なので動物に食べられてしまうとひとたまりもなかったのだと思います。一時は野生のものは36株まで減ったそうです。現在は人工繁殖をして絶滅しないように維持をしているようです。ギンケンソウが生えていたエリアが柵で囲まれていたのは、野ヤギや野ヒツジの食害からギンケンソウを守っていたのかもしれません。

EW:野生絶滅
CR:絶滅寸前
EN:絶滅危惧
VU:危急
CD:保全対策依存
NT:準絶滅危惧
LC:低危険種
DD:データ不足
NE:未評価

雰囲気を感じてもらうために沢山掲載させていただきました。

他の植物には過酷な環境だからこそ、環境に適用したことと、高い山のために他の場所への進出が難しいことから固有種になったのだと感じました。

葉の部分を拡大いたしました。

さらに葉を拡大しました。何枚かの葉はピントが合っていると思います。表面に細かな毛が付いています。これにより銀色に輝いているのだと思います。

さらに葉を拡大して見ました。是非ともクリックしてみてください。細かな綿毛は鉱山での保温の役目と紫外線を防ぐ役割もあるようです。このような植物の文献「セーター植物・温室植物にみる極限の適応」には、似た植物としてヒマラヤ地域に右の写真のキク科トウヒレン属のワタゲトウヒレン(Saussurea gossypiphora)など6種があると書かれていました。


今回、ギンケンソウ(銀剣草)の写真を撮ったのは❺のオニヅカ・ビジター・ステーションの近くでした。Googleマップでは、この辺りはMauna Kea State Park - Halepōhaku Areaと書かれていました。
❹ 2回目の休憩場所 マウナケア州立公園(1989m)
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2801m)
❻ 沈む夕日を見る場所 マウナケア山頂(約4200m)
マウナケア・ツアー その2 マウナケア州立公園→オニヅカ・ビジター・ステーション [ハワイ]


前記事(その1)では宿泊したコナのホテルから2回目の休憩場所であるマウナケアの山麓にあるマウナケア州立公園までを紹介しました。

本記事(その2)はマウナケア州立公園(❹)からマウナケアの中腹にあるオニヅカ・ビジター・ステーション(❺)までを紹介したいと思います。オニヅカ・ビジター・ステーションも紹介します。
右の図はGoogle地図で表示されるプロフィールマップです。

❹ 2回目の休憩場所 マウナケア州立公園(1989m)
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2801m)
❻ 沈む夕日を見る場所 マウナケア山頂(約4200m)
車と同じルートですが徒歩でのルート表示も紹介します。
画面内のPllus d'optionをクリックするとプロフィールマップを含んだルート図を別画面で標高差う辞します。
右側から着て休憩のために公園に入って休憩が終わって幹線道路に出たところです。左に曲がっていきます。

幹線道路の景色です。

マウナケアには沢山の小さな噴火口や小山(溶岩ドームや溶岩円頂丘がありました。左方向の遠くに見えるなだらかな山肌はマウアケアです。

マウナケアを登り始めました。

沢山の草木が生えていました。マウナケエは長く噴火していないことの証でもあります。最後に噴火は約4,500年前で現在は休火山だそうです。

傾斜は急になってきました。遠くに見える2つ小山は2枚上の写真に写っている小山と同じものです。

晴れていたのに急に霧に覆われることもありました。標高的に霧というよりは雲なのだと思います。

雲に覆われて暗いために見えにくい状態が続いていましたが、沢山の牛が放牧されているところを通ったので写真を撮りました。

車の正面を見てもらうと運息が分かると思います。ほんとうに山頂から夕陽や夜の星座を見ることが出来るのか、心配になってきました。

こちらの黒い岩のようなものも牛です。

溶岩ドームのような小山の間を進みます。傾斜があるのが分かってもらえると思います。

やっと晴れました。雲を抜けたのだと思います。遠くに見える雲のようなところを通ってきたのだと思います。晴れると一気にきれいな景色になりました。

オニズカ・ビジター・ステーションのエリアに到着いたしました。

オニズカ・ビジター・ステーションに到着して写真を撮りました。我々の車は右の白い車です。左の一番手前の白い車は我々と同じ旅行会社の車です。ここの施設はオニズカ情報ステーション(Onizuka Information Station)あるいオニズカ・ビジター・センターとも言われています。


建物の正面です。ここから先はトイレがない上に帰りも深夜になることからホテルに着くまではトイレがないので休憩時間の間にトイレを済ますことも大切です。建物の反対側にトイレがあります。
正面に沢山のインホメーションが貼られていました。

そのインホメーションを拡大いたしました。HAZARDSの文字が書かれていることから、どうやらマウナケアにおける注意書きのようでした。クリックすると拡大するので雰囲気は分かってもらえると思います。内容までは読めませんがタイトルは判ると思います。

道路の入口から撮ったオニズカ・ビジター・ステーションです。

モノクロで撮ったオニズカ・ビジター・ステーションです。

近くにオニヅカ氏と思われる石碑がありました。



奥の方から撮ったビジター・ステーションです。

オニズカ・ビジター・ステーションあたりの航空写真です。写真内の❺が上の写真の建物の位置です。
ここまで登ってきた道です。ここを左に入るとビジター・ステーションです。遠くの左の方には雲海が広がっています。

一般車は我々より少し低いエリアに誘導されていました。

一般の車は登れないのです。ハワイの先住民にとってマウナケアは神聖な場所なのです。そのことから外部の人間がマウナケアに登ることを嫌っているので、天文台を建設することも大きな反対運動が起こりました。現在も合計13基までと制限されています。旅行者に関しても強硬意見も多いのですが、折り合いをつけて旅行社の企画するツアーに関しては許可制で許されているのです。山頂に留まる時間も制限されています。

上の写真はこちらの写真から切り取りました。

すぐに夕食用の弁当が配られました。実はここ2800mの標高の場所で夕食を食べることも高山病予防になるとガイドの方が説明されていました。確かに他のツアーの人もみんな夕食を食べていました。

まさに日本のお弁当でした。ホテルを出てくすぐに立ち寄ったWolmartエリアで飲み物などと一緒に積み込んだのだと思います。

温かな味噌汁とお茶もついていました。おかずはいろいろ入っていました。右下が切り干し大根で、その上がお新香2種と昆布の佃煮です。日本のお弁当と遜色ありませんでした。味もハワイとは思えないほどの美味しさでした。

おかずは左から鶏のから揚げ、シュウマイ、玉子焼き、アジのフライ、分厚いハムでした。割りばしの袋にSUSHI寿司と書かれているので、お寿司も出す和食店のお弁当のようです。少し崩した文字はShionoのように読めます。


テーブルが並べられたこちらのエリアで食べました。


天体望遠鏡が沢山置かれていました。ボランティアによる天体観測ができると書かれていました。ツアーで使われる天体望遠鏡も置かれていたのかもしれませんが、我々のツアーでは天体望遠鏡は車に乗せられていました。

実際に使われている天体望遠鏡もありました。太陽に向けられていました。覗くために行列がだ来た時もありました。黒点などが見れたので歯ないでしょうか。

月も出ていました。まだ雲がすこし邪魔をしていました。夜になると半月ではありますが、月は明るいので星座を見るのには邪魔な存在でもありました。

周辺の景色を紹介したいと思います。マウナケアの上の方です。頂上方向はもう少し左にあります。ただし、ここは近すぎて頂上自体を見ることは出来ませんでした。

重心から少し左辺りがマウナケアの山頂方向だと思われます。写っている建物はオニズカ国際天文学センター(Onizuka Center for International Astronomy)です。このオニズカ国際天文学センターの一部の設備としてオニヅカ情報ステーション(オニズカ・ビジター・センター)があります。この宿泊施設は頂上にあるすばる望遠鏡などのマウナケア天文台群の建設、保守、観測者などの宿泊用だそうです。

オニズカ国際天文学センターあたりの航空写真です。
山頂方向を拡大いたしました。
マウナケアは楯状火山(Shield volcano)に分類されています。楯状火山(たてじょうかざん)は右下の写真のように緩やかに傾斜する斜面を持つ底面積の広い火山です。


山頂方向をさらに拡大しましたが何もありません。

別の方向の写真です。

モノクロ(白黒)の写真も紹介します。山頂方向の写真です。

少し南に降りて食事をしたテーブルがあった辺りを含めて山の方向を撮りました。左の端方向が産地用方向だと思われます。

ズームで撮ると溶岩だらけであることが実感できました。

マウナロア方向の景色です。

下方向にも建物がありました。一般の車が誘導されていたあたりです。

この時はキラウエ火山も噴火していたので、もしかしたら火山の噴煙かもしれないと思って撮った写真です。ガイドさんは噴煙が見えると言っていましたが、これかどうかは分かりません。

小山もありました。溶岩円頂丘か溶岩ドームなのだと思います。いずれにしても噴火で出来たものだと思います。

上の写真はモノクロなのでカラーの写真も紹介します。

小山の頂上付近が気になったので拡大して見ました。

雲海も広がっていました。標高が高いからこそ天体観測にもむいた山なのだと実感いたしました。

それでは登っていく方向を紹介します。この道を登っていきます。ここは舗装されていますが先に進むと地道になりました。

STOP HAZARDOUS CONDITIONS AHEADと書かれた標識が道路からビジター・ステーションに入るところに立てられていました。

少し位置を変えてマウナケアに登っていく道の写真も撮りました。

登る道を拡大いたしました。よく見ると写真の一番上の辺りに土ぼこりが写っています。

拡大すると降りてくる車が見えます。この土ぼこりだったのです。ジグザクの道が見えます。

上の写真の左側を撮った写真です。やはりジグザクの道がわかります。

こちらはレンズを右側の方に向けて撮った写真です。これからこの道を登っていくのだと実感が湧いてきました。

いよいよ出発の時間が迫ってきました。山頂に滞在できる時間は取り決めで決まっており、ツアーの目的は夕日が沈む景色おみることなので、


前記事(その1)でも掲載していましたが、分かりやすいように本記事でもハワイ島全体の航空写真にマウナケア・ツアー全工程を書き込みました。ホテルを13時50分に出発してホテルに戻ったのが23時頃だったので9時間を超えるツアーでした。さらに言えばオアフ島のホテルを朝の6時20分にチェックアウトしてからの旅だと考えるとこの日は16時間40分の旅だったと言えるかもしれません。翌日にはハワイ島一周ツアーに行きました。
❶ 宿泊ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
❷ 夕食用弁当などの積込み Wolmart
❸ 最初の休憩場所 アイランド・グルメ・マーケット
❹ 2回目の休憩場所 マウナケア州立公園(1989m)
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2801m)
❻ 沈む夕日を見る場所 マウナケア山頂(約4200m)
追伸
2019年10月10日朝から10月21日まで関西に行ってきます。その間は皆様の所に訪問出来ないことをお許しください。
台風19号が近づいています。それも台風15号と同じように千葉の家の近くを通るルートです。台風15号の時は中心が家の真上を通りましたが、今回は風が強く吹く北西側を通るルートが予想されています。家を離れているので心配です。電話で確認すると、我が家では被害はなかったそうです。ルート図を追加しました。
ルート図:http://www.imocwx.com/typ/tyani_19.htm

伊豆に上陸した10月12日19時の画像です。

太平洋に抜けた10月13日02時の画像も紹介します。

マウナケア・ツアー その1 ホテル→マウナケア州立公園 [ハワイ]

2019年9月7日掲載 タイトル:マウナケア・ツアー その1

昨年(2018年)に行ったハワイ旅行の関連記事を今までに31掲載いたしました。

日本人のハワイ旅行はオアフ島かハワイ島あるいはオアフ島&ハワイ島がほとんどですが、初めてハワイ島に行かれた方の多くが行かれるツアーが「マウナケアの夕日と星空ツアー」なので、経験された方は多いと思います。

ツアーのルートを紹介したいと思います。ホテルを13時50分(集合:13時40分)に出発して行きは海沿いの道を行き、帰りは内陸の道を走りました。ホテルに戻ったのは23時ごろで、全走行距離は235km(━━)になります。
今回の記事(その1)は宿泊ホテル(❶)からマウナケアの山麓にあるマウナケア州立公園(❹)までを紹介したいと思います。
❶ 宿泊ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
❷ 夕食用弁当などの積込み Wolmart
❸ 最初の休憩場所 アイランド・グルメ・マーケット
❹ 2回目の休憩場所 マウナケア州立公園(1989m)
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2801m)
❻ 沈む夕日を見る場所 マウナケア山頂(約4200m)
このホテルの入口で待ち合せました。
この日はオアフ島のホテルを7時15分に出発して国内線でハワイ島に移動してハワイ島のホテルに11時少し前にチェックインてコナの町を散策し、マウナケア・ツアーに行ってホテルの戻ったのが23時だったのでかなりハードな1日でした。

翌日のハワイ島一周ツアーでは5ケ所のホテルでピックアップしたので、やはりマウナケア・ツアーは人気のようでした。

集合すると先ずは同意書にサインいたしました。やはり標高4200m まで登ることから持病や体調や年齢の参加資格である12歳~84歳に入っていることなどの同意書です。つまり少なくとも11歳以下と85歳以上の人はツアーに参加出来ないのです。妊婦も参加できません。確かに山頂では、小さな子供さんは見ませんでした。翌日のハワイ島一周ツアーでは、同意書はありませんでした。


ここからはバスの中からの景色などを順番に紹介したいと思います。
これはコナの町のフリーマーケットの写真です。

出発して最初に寄った場所がスーパーマーケットのWolmartでした。標高2801mで食べるる夕食用の弁当などを積み込むためでした。この夕食が高山病を予防するのに重要であることを後で知りました。

道は全て溶岩の上を走っていました。新しい溶岩は真っ黒で、古くなるほど茶色だそうです。

野生化したヤギを時々見かけました。真っ黒の溶岩の上に立っている時は見つけにくかったです。ハワイ諸島は太平洋の真ん中に出来た火山島であることから、海が渡れるアザラシ類を除く哺乳類は全て人間と一緒に入ってきたものなのです。

こちらは草が生え始めた溶岩です。新しい溶岩は草も生えていませんでした。

見えている山はコハラ山地です。溶岩とコハラ山地の間には海が見えます。

海がよくわかるように拡大いたしました。

コナのホテルを出発して1時間後の道路です。このような道路が続いていました。

マウナケアが遠くに見えてきました。マウナケア(Mauna Kea)はハワイ語で「白い山」という意味です。日本語ではマウナケア山あるいはマウナ・ケア山とも言われていますが、マウナは山を表しているので本記事では、「山」をつけない呼び方であるマウナケアと呼ぶことにいたします。
山頂付近は天候が安定し、空気が澄んでいることもあり、世界11ヶ国の研究機関が合計13基の天文台(マウナケア天文台群)/望遠鏡を設置していjます。日本の国立天文台が設置した「すばる望遠鏡」もここにあります。ハワイ原住民との取り決めから、13基より多くの天文台を建設しないことになっており、山に登る観光も制限されています。

焦点距離100~400mmのズムレンズに取替て、最大の400mmで撮ったでマウナケアの山頂あたりです。振動の大きいバスの車内からの写真なので解像度は良くありませんが複数の天文台が確認出来ました。日本のカメラメーカーのレンズの手振れ防止機能の優秀さを実感いたしました。

ホテルを出発して1時間25分後に最初のトイレ休憩場所に着きました。名前はアイランド・グルメ・マーケットでした。

休憩場所の駐車場から写真ですが、雲の上にマウナケアの山頂が僅かに見えています。このツアーで一番気になっていたのが天候です。走っている間、雲に隠れていることが多かったので心配していました。

400mmのレンズに交換して撮ったマウナケアです。天文台/天体望遠鏡が確認できます。

さらに上の写真から山頂部分を切り取りました。雲に覆われている方が多かったです。撮影距離をGoogleで確認したところ44.3kmでした。手持ちで撮っているので解像度はもう一つですが雰囲気はマウナケアに近づいていることを実感いたしました。

上の写真を画像処理してみました。雲が多いことが分かりやすいと思います。左から3つ目の円筒形の建物が日本のすばる望遠鏡です。

溶岩の上に道路が作られていることが分かりました。正面に見えている山は標高4169mマウナロアです。なだらかな山なので4000mを越えているとは思えませんが、広大な広さに溶岩が流れて出来た山なのです。体積では世界最大(地球最大)の山と言われています。この写真の目の前の溶岩も58km離れたマウナロアから流れてきたのです。

溶岩の上を走る道路を拡大いたしました。休憩場所を出発するとこの道を走りました。ここからはマウナケアに向かって真っすぐに進みました。

火口だったと思われる起伏がいたるところにありました。

こちらも火口だったと思われます。マウナロアは今でも危険な火山ですが、マウナケア側は活動は無いようで、俗にいう休火山です。プレートが北西方向に移動しているために、数万年の時間軸では常に新しい場所(今はキラウエア火山やマウナロア)から噴火しているのです。

草が沢山生えている古い溶岩の部分も多くなってきました。

真っ黒ではないけれど草が少ない溶岩の大地もありました。

ズームしなくてもマウナケアが大きく見えるようになってきました。

木が生え始めた場所も多くなってきました。

こちらはマウナロアです。

私が座っている右側にマウナロアがありました。

周辺の景色で最も緑が多い写真です。

運転席の写真も紹介しておきます。運転している方は、ガイド、バスの運転、天体望遠鏡操作、星座の説明を一人でこなすスーパーマンでした。

なんとなく阿蘇山の雰囲気に似ていました。

小さな小山が沢山ありました。

軍関係の施設もありました。調べてみるとブラッドショー陸軍飛行場(Bradshaw Army Airfield)の関連施設のようでした。

ここがマウナケア州立公園の入口です。左に曲がると州立公園です。

ここが2回目のトイレ休憩場所でした。

マウナケア州立公園です。正面がマウナケアの山頂方向ですが、近すぎで遠くから見ていたのとは印象が違いました。ここまでホテルから2時間19分でした。

我々が乘ってきたバスとマウナケアとの2ショットです。

山頂方向を拡大いたしました。マウナケアの標高4205mとエベレストの標高8,848mより4,653mも低いけれども、裾野からの高さとなるとマウナケアは裾野が海底まで続いていることから山の高さは10,203mとなり、エベレストを抜いて世界で最も高い山となるそうです。マウナケアは約6,000mの深海から噴火で出来た巨大な山であることを知りました。
長い時間軸のことではありますが、自分自身の重さによって海底が押しつぶされて高さは徐々に減少しているそうです。

マウナケアとの反対側には世界最大の体積の山であるマウナロア(Mauna Loa)が広がっていました。マウナロアはマウナロア山あるいはマウナ・ロア山とも書かれます。マウナロアはハワイ語で「長い山」の意です。山頂にはモクアウェオウェオ(Mokuʻāweoweo)と呼ばれるカルデラがある。マウナ・ロア山の体積は約75,000 km3で、富士山(1,400 km3)の53.6倍の体積でまさに地球最大の体積なのです。
マウナロアはマウナロアは70~100万年前に噴火を始めましたが、人類がハワイに到達したのは約1000年前であり、文字をもたなかったことから噴火の記録が残っているのは1800年代前半からなのです。その1800年代前半からだけで33回の噴火が起こっています。1984年の3月から4月にかけて起こった噴火は世界的にも有名で、ガイドの方によればハワイで最も危険な火山と言われています。ただし、マウナロアから噴出する溶岩は珪長質に乏しく非常に粘度が低いために非爆発的なハワイ型噴火になる傾向にあることから人命にかかわる噴火は少ないようです。粘性が少ないことで火山斜面の傾斜は極めてなだらかなために、標高が4169mでありながら、地球で最も体積の大きい山となっているのです。

記念のためにバスの写真を撮りました。このバスが標高4200mまで連れて行ってくれるのです。

ドア側の写真も紹介します。ここからさらに約2200m登ってくれるわけです。

ハワイ島全体の地図で、今回の記事で記載した宿泊ホテル(ロイヤル・コナ・リゾート)❶→❷→❸→❹2回目の休憩場所(マウナケア州立公園)のルートを青線(━━)で紹介いたします。
宿泊ホテル(❶)を13時50分に出発して、マウナケア州立公園(❹)には2時間19分後の16時09分に到着いたしました。❶→❹の距離は96kmでした。
2019年9月9日緊急追記 タイトル:雨雲の動きを追加しました。

ハワイの記事とは関係ありませんが台風15号が私の住んでいる地域を直撃しそうなので、2019年9月8日20時30分から9日20時00分までの雨雲の動きを追加しました。雨雲の中心が台風15号です。雨雲の動き→ポチッ
9月9日の朝の写真を次の記事「台風通過後の近所の写真」に掲載いたしました。
やはり直撃したので、2019年9月9日5時05分前後の雨雲レーダーの画像も追加で掲載いたしました。画像はスライドショーの形式で4時10分、4時30分、5時00分、5時05分、5時25分、5時30分、5時35分の順に広範囲と拡大図の計14枚を表示しています。この5時05分に私の住んでいる場所が台風の目に入り風が止み、5時30分ごろから再び風が強くなり始め、5時35分には強風に戻りました。無風の時間が意外と長かったことからも台風の大きさを実感いたしました。28℃前後あった外気温度も下がり始めて6時5分の時点で24.9℃になったことから風向きが変わったのだと思います。画像をクリックすると台風の目に入った瞬間の5時05分の拡大画像を表示します。ニュースによると関東各所で観測史上最大の風速を記録、9日4時28分には千葉市で57.5m/秒の最大瞬間風速を記録したそうです。雨雲レーダー→ポチッ

千葉市に上陸寸前で、台風の中心が東京湾にある台風15号の進路予想図を8秒間表示した後に2秒間ほど雨雲レーダー(4時05分時)の画面を表示するように設定いたしました。

台風15号の進路の動画も紹介します。台風のルート(進路)をじっくりと確認できるように最後の画面は30秒間表示するように設定いたしました。
本動画の掲載サイト→台風経路図 国際気象海洋HP
台風01号 台風02号 台風03号 台風04号 台風05号
台風06号 台風07号 台風08号 台風09号 台風10号
台風11号 台風12号 台風13号 台風14号 台風15号

ツアー出発前にコナの町(Kailia-Kona)を散策 [ハワイ]


オアフ島からハワイ島に移動した前記事で紹介したようにハワイ旅行4日目は午前中にオアフ島からハワイ島のコナのホテルに移動しました。チェックインしてホテルの部屋に入ったのが11時で、マウナケア山ツアーの集合時間が13時40分と時間があったことからコナの町を少しだけ散策して見ることにいたしました。本記事では散策した範囲の写真を紹介したいと思います。右の写真はお土産で買ってきたコナコーヒーで

1日目~3日目 オアフ島
4日目~5日目 ハワイ島
6日目~8日目 オアフ島
9日目 帰国
ハワイ島でコナと言えば、広い範囲のコナ地区と狭い範囲のコナの町を意味しているようです。コナ地区はノース・コナ(North Kona)とサウス・コナ(South Kona)を合わせた範囲です。狭い範囲のコナの町と言えばカイルア・コナ(Kailua-Kona)のことです。コナで有名なコナコーヒーは広い範囲であるコナ地区(ノース・コナ + サウス・コナ )で作られています。今回の紹介は散策時間が短かったことからカイルア・コナのほんの一部だけであることは最初にお伝えしておきます。ハワイ島の面積はハワイ州全体の62.7%に対して人口は13.7%です。反対にオアフ島の面積はハワイ州全体の僅か9.3%なのに70.1%の人が住んでいるのです。
NO | 名前 | ハワイ語 | 面積 | 人口 | 人口密度 | |
1 | ハワイ島 | Hawai'i | 10,432km² | 186,738人 | 17.9人/km² | |
3 | オアフ島 | O‘ahu | 1,545km² | 953,207人 | 617.0人/km² | |
参考 | ハワイ州陸地 | 16,638km² | 1,360,301人 | 81.8人/km² | ||
日本 | 340.8人/km² |

ホテルに飾られていたハワイ島の地図で町の名前がKailua-Kona(カイルア・コナ)であることを初めて知りました。この地図をクリックするとハワイ島全体の地図を表示します。その地図にハワイ島ツアーで訪問した場所に黄色の●を記載いたしました。

こちらが泊まったホテルのロイヤル・コナ・リゾートです。

こちらがホテルの前の海の景色です。ハワイの明るい印象と違い暗いと感じられたと思います。実は前記事でも紹介したように、この日のハワイ島は厚い雲に覆われていたのです。

最初はキラウエア火山の噴火の影響かと思いましたが、ハワイ島の広範囲が雲に覆われていたので、天候のためだったようです。
前記事で紹介しましたがマウナケア山とマウナロア山の山頂の直線距離から計算すると雲の高さは約2370mとなりました。クリックすると標高0mを書き込んだ大きな写真を表示します。コナの町(Kailua-Kona)は右端のマウナロア山の手前側になります。

町のすぐそばにそびえている標高2,521mのフアラライ山(Hualalai)も全く見えませんでしたが、ほんのわずかな時間だけ少し見ることが出来た時に撮ったフアラライ山です。

今回の散策ルーがオレンジ色の線(━━)です。本記事ではホテルに近いところから順番に紹介していきたいと思います。
ホテルから海岸沿いの道路に出たところです。

こちらは方向に町の中心部があります。

コナにもヨーロッパでよく見かけた無人のレンタルサイクルシステムがありました。

レストランなどが並んだエリアに入ってきました。

同じエリアを町の中心から撮った写真です。

レストランがさらに続いていました。ハワイは横断歩道に近づくだけで車がたまってくれました。

不思議な海藻が岩についていました。

海水がかかるような場所にも木が沢山生えていました。この写真の中にも上の黄色い海藻が写っています。

気になったので、その木の花の写真を撮りました。ハワイでは珍しい地味な花でした。

ハワイと言えばこちらのプルメリア(Plumeria)です。コナでも沢山のプルメリア(Plumeria)の花を見ることが出来ました。いろんな色があると聞いていましたが、確かにいろんな色に出会えたので紹介します。

赤色の花です。

黄色が多めの花もありました。ガイドの人曰く、7色があると言われていました。この周辺だけで5種類を見つけました。

オレンジ花の花もありました。

更に進むと教会がありました。

教会の庭にあったマリア像です。マリア像を覆っているのはサンゴだと思います。3秒間隔で拡大していくように設定しています。

コナ空港からホテルまで送ってくれた運転手の人に教えてもらった人気のレストランです。

そのレストランの近くから歩いてきた道路を撮った写真です。ここにもプルメリア(Plumeria)が咲いていました。

こちらの交差点が町の中心的な場所でした。冒頭の写真もこちらを使わさせていただきました。

更に先の方向の景色です。

沢山のお店が集まったショッピングセンターがありました。名前はコナ・イン・ショッピング・ビレッジ(Kona Inn Shooping Village)です。

人が少ないように感じました。日本のゴールデンウイーク明けの季節的な影響もあろうとは思いますが、キラウエア火山の噴火の風評も関係していたのかもしれません。

レストランやお店が沢山並んでいて、ここでビールやつまみや軽食や水の調達いたしました。さらに進むとフリヘエ宮殿(Hulihe'e Palace)などがありましたが、時間の問題でここで断念してホテルに戻りました。

コナ・イン・ショッピング・ビレッジ(Kona Inn Shooping Village)の部分の航空写真を紹介しま

同じルートでホテルの部屋に戻って、買ってきたサンドイッチで昼食を終わらせて、13時40分に集合場所のホテルの玄関に行き、右の写真のバスで「マウナケア山頂&天体観測ツアー」に出発いたしました。
追伸
2019年3月21日から関西に行きます。帰ってくるのは3月29日の予定です。その間は皆様のところに訪問が出来ないことをお許しください。3月23日には山口県にも行きます。
オアフ島からハワイ島へ [ハワイ]


昨年のハワイ旅行の記事を掲載していましたが3日目を掲載したところで中断して、少し時間が経ってしまいましたが4日目から掲載を再開したいと思います。なんとか1年以内にはすべての記事を掲載したいと思っていますが、怠けていたために結構厳しくなってきました。
上の写真は飛行機から撮ったカホオラウェ島(手前)とマウイ島(奥側)で、下の地図のようにオアフ島とハワイ島の間にありま

1日目~3日目 オアフ島
4日目~5日目 ハワイ島
6日目~8日目 オアフ島
9日目 帰国
2日間のハワイ島ツアーは4日目「マウナケア山頂&天体観測ツアー」と5日目「ハワイ島一周ツアー」の2つのツアーだけでなく、オアフ島の泊まっているホテルのピックアップから往復の航空券代とハワイ島のホテル代とオアフ島の泊まっているホテルまでの送迎を一括含んだツアーでした。依頼した会社は53年の歴史のある老舗ツアー会社でジャックスツアーズでした。今回のハワイ旅行の直前に噴火したキラウエア火山関係との時系列を記載しました。
ハワイ往復の航空券手配 JAL 2017年06月30日 マイレージ
オアフ島のホテル予約 ホテルズドットコム 2018年03月14日
ハワイ島1泊ツアー予約 ジャックスツアーズ 2018年03月14日 $595x2
ESTA申請/即承認 公式ウエブサイト 2018年05月03日 $14x2
キラウエア火山噴火開始 2018年05月03日
火山国立公園が封鎖 2018年05月11日
キラウエア火山最大噴火 2018年05月17日
ハワイ旅行出発 2018年05月19日
ハワイ旅行帰国 2018年05月27日
キラウエア火山の溶岩流出終了 2018年09月上旬
火山国立公園の一部開園 2018年09月22日
キラウエア火山噴火の事実上の終息宣言 2018年12月04日
火山国立公園の約80%解放 2018年12月18日
ESTAはビザなし入国に必須の渡航認証システム
本記事ではオアフ島のホテルのピックアップからハワイ島のホテル到着までを紹介したいと思います。オアフ島(O‘ahu)とハワイ島(Hawai'i)の間には順番にモロカイ島、ラナイ島、カホオラウェ島、マウイ島があります。噴火中のキラウエア火山から泊まるコナのホテルまでの距離は近いように見えますが、78kmあります。コナ空港までは80kmです。


ジャックスツアーズから依頼されたスピーディーシャトルの車が6時45分に迎えに来ることになっていました。枠内が事前にメールでいただいた要領です。
スピーディシャトルの送迎の場合
1) ご連絡しましたお迎え場所にてお迎え時間 5分前にはお待ち下さい。
担当運転手がお迎えに上がります。
※右の写真が基本のスピーディーシャトルのバンの形です。違う色のバンもございますので御注意下さい。
なお、シャトルのため混載となります。交通状況、立ち寄るホテルの数、お迎え進行によってはご連絡していたお迎え時間より遅れることもございますのでご了承下さい。
15分以上遅れた場合は、スピーディシャトルへまずご連絡下さい。
英語のみとなります。(電話番号 1-877-242-5777)
また、弊社の営業時間内(月曜日から金曜日 8時から17時まで)は808-969-9507までご連絡下さい。(日本語可)営業時間外電話番号は808-938-7142 (英語のみ)になります。
ホテルは一旦チェックアウトして荷物を預けるために余裕を見て6時20分にロビーに降りてきましたが、まだ暗い状態でした。車はいろんなホテルの人をピックアップして空港に向かうのですが、我々のホテルは空港から一番遠いので最初に来るために時間通りに来るのではないかと予想していましたが、予想が外れて一番最後のピックアップだったので30分ほど遅れて車が到着いたしました。スピーディーシャトルの会社に近いところからピックアップして我々のホテルの近くから高速に乗って一気に空港に行ったのだと思います。

こちらがスーツケースの預かり証です。一泊だけなので飛行機に機内手荷物だけにするためにそれぞれリュック一つで出発いたしました。

こちらがEチケットのフライト部分を切り取ったものです。フライトの出発時刻は9時15分なのでホテルでのピックアップが遅れましたが、車が渋滞したとしても十分に余裕がありました。フライト時間は47分で、コナ空港への到着は10時2分でした。

助手席のみが空いた満席の状態で空港に向かいました。

こちらが我々が乘ったシャトルミニバスです。空港に着いた時に撮りました。

すぐにメールで送ってもらっていたEチケットでチェックインいたしました。こちらがホノルル→コナの搭乗券です。搭乗Gateは55番で座席は6Aと6Bです。
搭乗券の TSA Preの部分に赤いボールペンでマークが入れられています。TSAはTransportation Security Administrationなので安全検査の時にチェックされたのだと思います。
5月19日 JL786 成田→ホノルル(オアフ島)
5月22日 HA368 ホノルル→コナ(ハワイ島)
5月23日 HA307 コナ→ホノルル
5月26日 JL789 ホノルル→成田(翌日18時30分着)

朝食は空港の搭乗口の近くで食べることにしていました。ホテルの出発が30分遅れましたが、この時で出発時間の1時間10分前と、余裕のタイムスケジュールで計画されていました。まだ早いようで空港全体としては人が少なかったです。

さすがアメリカです。コーヒーも大きかったです。

ハンバーガーとサンドイッチの中間的なものでした。クロワッサンにハンバークと玉子が挟まれていました。

ポテトも一つたのみました。ハッシュドポテトでした。

我々が乘る55搭乗口(GATE)には人が集まっていました。

これが我々が乘る飛行機です。機種はボーイング717(Boeing 717)でした。低翼配置の主翼と胴体尾部のエンジンを特徴としたDC-9(マクドネル・ダグラス社)の流れを持つ機種ですが、ボーイング社には717とほぼ同じ客席数の737-600が存在したことから、2006年5月23日を最後に生産が終了しました。マクドネル・ダグラス社は1997年にボーイングに吸収されました。

飛行機はハワイアン・エアラインズ(Hawaiian Airlines)ですが、JALとの共同運航便になっていました。日本から早朝に着いた飛行機から乗り換えてハワイ島に行くのだと思います。

飛行機に乗って窓から撮ったホノルル空港の景色です。

オアフ島のホノルル空港の離陸の動画を紹介します。飛び立ってワイキキに沿って飛び、ダイヤモンドヘッドが目の前に見えるところまで写っています。ホノルル空港の正式名はダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K. Inouye International Airport)で、有名な日系人の名前(ダニエル・K・井上)が使われています。
ホノルルの町やダイヤモンドヘッドがきれいに見えました。

ダイヤモンドヘッドがきれいなのでズームで撮った写真も掲載いたします。少しだけ露出調整いたしました。さらに本写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。

まだオアフ島が見えますが、点々とした沢山の雲で島の景色が遮られています。

オアフ島から離れました。海面の点々とした黒い部分は雲の影です。

オアフ島を離れて最初に見えてきたのはモロカイ島(Molokaʻi )です。
標高1,512mのカマコウ山(Kamakou)がモロカイ島の最高峰です。
面積は673.4k㎡で、ハワイ諸島で5番目の大きさの島です。

左端の島がモロカイ島で、右端に写っているのがラナイ島です。遠くに見えている山がマウイ島の3,055mのハレアカラ火山です。マウイ島はハワイ諸島で2番目に大きい島です。この位置からだとマウイ島は2つの島のように見えます。元々は2つの島でしたがハレアカラ火山から流れ出た溶岩でつながって一つの島になったそうです。ちなみに1番目に大きな島がハワイ島で、3番目がオアフ島で、4番目がカウアイ島です。

マウイ島のハレアカラ火山をズームアップしました。

小さく見えていたラナイ島(Lānaʻi)が大きく見えてきました。これでもハワイ諸島で6番目に大きさの島です。

ここでジュースが出されました。Passion-Orangeのジュースでした。パッションフルーツとオレンジのミックスジュースのようです。

ここで機内の雰囲気も紹介します。

ラナイ島(Lānaʻi)に近づくとラナイ空港(Lānaʻi Airport)が目の前に見えました。

冒頭の写真です。左上のマウイ島の右手前にカホオラウェ島(Kahoʻolawe)が見えてきました。カホオラウェ島の面積は約116k㎡で、ハワイ諸島の主要8島では最も小さい島だそうです。乾燥した島で農作物が育ちにくく、現在は無人島ですが、カメハメハ3世時代には流刑地として使用していたそうです。

遠くにハワイ島の高い山が見えてきました。その山を目いっぱいズームいたしました。ハワイ諸島の最高峰(標高4,205m)のマウナケア山です。この日の晩のツアーの目的地でもあります。到着したホテルから13時に出発して4200mの山頂から沈む夕日を見るツアーです。澄んだ空の星座を見た後に長時間走ってホテルに戻ってきたのは23時頃でした。

左の山がマウナケア山で、全体が見えませんが右の山が標高4,169mマウナロア山です。マウナロア山はなだらかな山であることから世界一体積の大きい山として有名です。地上は雲に覆われていて2つの山以外は見えませんが、雲が無ければ大きなハワイ島が目の前に広がっているはずです。

地表が厚い雲に覆われていて標高4205mの高さの実感が湧かないと思うので写真から標高0mを割り出してみました。マウナケア山とマウナロア山の山頂の直線距離をGoogle地図で計測してみると40.8kmでした。飛行機の方向(オアフ島の方向)から40.8kmを投影すると38kmであることから38km対4.205kmの比率から標高0mの位置に水平線を書き込んでみました。雲の高さは約2370mとなり雲の上のマウナケア山の高さは1830mましたとなりました。つまり地表が雲に覆われていてもマウナケア山の山頂に行けば夕日や星はきれいに見える可能性があることを予感させてくれました。クリックすると標高0mを書き込んだ大きな写真を表示します。

この後、徐々に高度を下げていき雲の中に入ったために景色は見えなくなりました。雲の下に降りると写真の青い海が広がっていました。そのまま真直ぐにコナ空港に向かっているようでした。

ハワイ島に近づいた時にはすでに着陸態勢でした。

ハワイ島のコナ空港への着陸の動画の動画を紹介します。コナ空港の正式名はエリソン・オニヅカ・コナ国際空港(Ellison Onizuka Kona International Airport at Keāhole)で、ホノルル空港と同じように、有名な日系人の名前(エリソン 鬼塚)が使われています。CAの方の機内放送を聞いていただくと実際に乗っている雰囲気を感じてもらえるかもしれません。溶岩の上の空港であることも判っていただけると思います。
コナ空港の管制塔です。
ハワイ諸島の主要8島を、あらためて面積の大きい順に紹介します。
NO | 名前 | ハワイ語 | 面積 | 人口 | 人口密度 | |
1 | ハワイ島 | Hawai'i | 10,432km² | 186,738人 | 17.9人/km² | |
2 | マウイ島 | Maui | 1,884km² | 144,444人 | 76.7人/km² | |
3 | オアフ島 | O‘ahu | 1,545km² | 953,207人 | 617.0人/km² | |
4 | カウアイ島 | Kauaʻi | 1,456km² | 65,689人 | 45.1人/km² | |
5 | モロカイ島 | Molokaʻi | 674km² | 7,404人 | 11.0人/km² | |
6 | ラナイ島 | Lānaʻi | 364km² | 3,102人 | 8.5人/km² | |
7 | ニイハウ島 | ‘O Ni‘ihau | 180km² | 130人 | 0.7人/km² | |
8 | カホオラウェ島 | Kahoʻolawe | 116km² | 0人 | 0.0人/km² | |
参考 | ハワイ州陸地 | 16,638km² | 1,360,301人 | 81.8人/km² | ||
日本 | 340.8人/km² |

こちらがターミナルビルです。1階建てのハワイらしい建物でした。

飛行機からタラップで降りた後はターミナルビルまで歩いて移動します。

タラップを降りて、乗ってきた飛行機を記念に撮りました。

タラップと書きましたが、3つのスロープで構成されたボーディングブリッジでした。これならば車いすでも乗り降りできます。1階建てのターミナルビルだからこその工夫なのかもしれません。

ターミナルビルの入口です。国内線なので何のチェックもなく建物をスルーして外に出てしまいます。ホテルまでの車の運転手との待ち合わせは荷物受け取り場所なので、探すと最も道路に近いところにありました。待っているとジャックス・ツアーズの運転手の方が来られました。

預け荷物がないのに驚かれましたが、すぐに車に乗ってホテルに向かいました。

コナ空港は溶岩台地の上に建てられていますが、空港の周りだけ緑の木が植えられていました。

空港の敷地を離れると、このような溶岩に覆われた場所でした。



コナの町に入ってくると、観光地であることが伝わってきました。

海の向こうに見えているのがこの日に泊まるロイヤル・コナ・リゾートです。

ホテルが大きく見えてきました。

到着するとリゾートホテルという雰囲気が伝わってきました。

部屋に着いたのは11時でした。ツアー出発まで時間があったのでコナの町に出てみることにいたしました。マウナケア山頂ツアーの集合はホテルの正面玄関に13時40分でした。ツアーから戻ってくるのは深夜でレストランや売店は営業していないと思われたことからビールやつまみや軽食や水の調達も町で行うことにいたしました。これは大正解でした。




地元のメディアHonolulu Civil Beatによりキラウエア火山の火口部分のYouTubeによるライブ配信が2018年5月18日から始まりました。その5月18日にライブ配信された動画を紹介します。時差の関係から我々が成田空港を出発した前後の動画です。本動画は7時間17分ですが、埋込コードにstart=12000を入れているので、プレーボタン( ► )をクリックすると3時間20分(12000秒)の部分から動画が始まります。溶岩が流れいてるところ→ポチッ
コメントでコナコーヒーが話題になったのでお土産で持ち帰ったコナコーヒーの写真を追加しました。写真は5パックの5種類ですが、お土産として持ち帰ったのは合計9パックで、その中で貴重と言われているピーベリー(Peaberry)豆が5パックでした。

ビショップ博物館 Bishop Museum [ハワイ]



2018年の最後の記事となりました。最後の記事はハワイのビショップ博物館です。
カメハメハ大王が着ていた上の写真の貴重なケープ(マント)が展示されているとのことで、イオラニ宮殿のガイドの方に薦められてビショップ博物館(Bishop Museum)に行くことにいたしました。
イオラニ宮殿(









イオラニ宮殿近くのバス停です。ここを通るバスの番号が沢山書かれています。最初に来たバスの運転手の人にビショップミュージアム行きたいというと、乗るバスの番号を教えてくれます。

1Lか2番のバスに乗るように教えてもらいました。すぐに2番のバスが来たので乗りました。



方向を感で見定めて歩くとBishop Museumの案内板を見つけました。これで安心です。

やっと到着いたしました。

広い敷地の中にあり、門を入ってからもかなり歩きました。

こちらの建物が入場券を買うところです。有料範囲に入ってから撮った写真です。

右側が入場券を買ったところで、左の建物がビショップ博物館(Bishop Museum)です。こちらの写真も敷地内を散策した時に撮った写真です。日本語でもビショップ博物館よりはビショップ・ミュージアムよ呼ばれる方が多いようでした。正式にはBernice Pauahi Bishop Museumだそうです。
住所 1525 Bernice Street, Honolulu, Hawaii

入口の建物の方からビショップ博物館を撮った写真です。博物館としてはハワイの歴史や科学などを展示しているところです。この博物館は、実業家として名をはせたチャールズ・リード・ビショップ(Charles Reed Bishop)が、妻が亡くなった時に彼女を称えて建設し1889年に設立されたそうです。彼の妻バーニス・パウアヒ・ビショップ(Bernice Pauahi Bishop)はカメハメハ王家の血筋を引く最後の直系の子孫でした。ハワイの最大の博物館でもあります。
ポリネシアの文化に関連したコレクションが数多く展示されていました。昆虫の標本が多いことでも知られ、その数およそ1350万に上るコレクション数は米国の中でも3番目に多いそうです。1982年7月26日に、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されたそうです。

正面から撮った写真です。現在までに増改築を経て現在に至っています。建物の右側の大きな部分は1903年に増築された部分で、左側が1892年の設立当初からの建物です。
学習施設としての機能もあるそうです。

配置図があったので掲載します。増改築が色分けされていました。
1892年:建設 1894年:増築 1903年:増築 2007年:改築

配置図が乗っていた説明パネルです。

1892年建てられた状態の写真のようです。

1894年に建物の後ろ側に増築された状態の写真です。上の写真に比べるツタが壁を覆っていて黒っぽく見えます。

1903年に増築し現在の外観になった写真です。建物の外壁にツタがある部分が黒く見えます。右の建物には全くツタがないので1903年の増築間もないころの写真だと思われます。

別の角度から見た建物です。

正面入口から入った瞬間の景色です。目の前に2階に上がる階段がありました。

今では貴重品となったハワイ原産のコアの木が贅沢に使われてた階段です。これを見るだけでも値打ちがあるとガイドの方が説明されていました。ドアなどにもコアの木がふんだんに使われていました。コア((Acacia koa) はハワイ諸島に生えているマメ科ネムノキ亜科アカシア属の樹木です。

被子植物 angiosperms
真正双子葉類 eudicots
コア真正双子葉類 core eudicots
バラ類 rosids
マメ類 fabids
目 マメ目 Fabales
科 マメ科 Fabaceae
亜科 ネムノキ亜科 Mimosoideae
属 アカシア属 Acacia
種 コア A. koa

コアの木の階段を堪能してください。さすが家具材でもあり素晴らしい風合いでした。

入口の正面階段の左側にうれしい案内板が置かれていました。

その案内版です。ビショップ美術館にはイオラニ宮殿のようなすべてを案内するようなガイド(有料)はありませんが、うれしいことに30分の無料のガイドがありました。さらにスマホで説明を聞くことが出来るアプリも用意されていました。

幸いなことに最後の2時30分のガイドの時間に間に合いました。若い女性のガイドの方で、おそらく事務所の職員の方のように感じました。

そのガイドの女性に最初に案内されたのがハワイの王族に関わるものが展示されているカヒリの部屋(Kahili Room)でした。写真をクリックすると内容が読める大きさに拡大いたします。内容は次の通りでした。
Abigail Kinoiki Kekaulike
Kāhili Room
These elegant feather standards stand guard in honor of the aliʻi nui(high chiefs) of the Hawaiian Kingdom.A desire to preserve and perpetuate the legacies of the Islands' royal families provided the impetus for the founding of Bishop Museum in 1889. Among the first museum collections were the kāhili(feather standarda) of Queen Emma Kaleleonalani, Princess Bernice Pauahi, Princess Ruth Keʻelikōlani, and Princess Victoria kamāmalu.

カヒリ・ルームと言うだけあって沢山のカヒリが展示されていました。カヒリ(Kahili)はハワイ語で、鳥の羽を棒の先端に縛り付けたものです。カヒリを完成させるには膨大な時間と技術と貴重な材料が必要であることから「王族のシンボル」とされてきたそうです。

それぞれ時代の王のカヒリが展示されているように感じました。

いろんなタイプのカヒリ(kahili)がありました。

材料の羽も展示されていました。

家系図も印象的でした。カメカメハ大王(初代王)以前も判ります。

歴代王たちや有名な人たちの肖像画や写真も並べられていました。その中から初代から第8代の王の肖像画や写真を紹介します。クリックすると拡大いたします。上段が初代から第4代で、下段が第5代~第8代で

ハワイ王国・国王 在 位
初代 カメハメハ1世 1795~1819年 カメハメハ大王
第2代 カメハメハ2世 1819~1824年
第3代 カメハメハ3世 1825~1854年
第4代 カメハメハ4世 1854~1863年
第5代 カメハメハ5世 1863~1872年
第6代 ルナリロ 1873~1874年
第7代 カラカウア 1874~1891年
第8代 リリウオカラニ 1891~1893年








1903年に建てられた部分は3階まで吹き抜けのホールになっていた、3階の高さの部分に大きなマッコウクジラのモニュメントが置かれていました。ハワイはクジラとも関係が深かったようです。鮫も吊下げられていました。

クジラの反対面は骨格模型になっていました。3階から撮った写真です。

こちらは2階から撮った写真です。吹き抜けのホールの周囲が回廊になっていて展示物が置かれていました。

その展示物の中で最も重要な物の一つがカメハメハ1世(カメハメハ大王)が実際に使っていた黄色の羽根で出来たケープです。黄色の羽根があまりにも貴重であったことから、他の王たちのケープは赤色の羽根を基調として一部に黄色の羽根を使っていました。貴重な鳥の羽根を約50万枚も使うことから制作も数十年以上が必要だったとイオラニ宮殿のガイドの方から聞きました。


カメハメハ二世のケープです。こちらは赤色の羽根が基調になって一部に黄色の羽根が使われています。


カメハメハ三世のケープです。こちらも高価な黄色の羽が沢山使われたケープです。

上のケープの正面側です。

広げた状態のケープ(マント)も展示されていました。

背丈の短いケープです。もしかしたら女性用かもしれません。


羽根を使った飾り

ハワイ王国が出来る前の王と王妃の写真のようです。王妃がつけている飾りが展示されていました。

上の写真のものはこちらのケースの展示物の一つでした。


Boki, Governor of Wahu the Sandwich Islands, his wife Liliha. Engraving after John Hayter, 1824


古い時代の女性が付けていた飾りが沢山展示されていました。

この鳥の羽根の冠り物(ヘルメット/兜)は主に戦争時に使われていたようでハワイ語で「マヒオレ/Mahiole」と呼ばれています。

大ホールの1階の中央には昔の住居が再現されていました。

これが再現された住居です。

住居が写った古い写真も展示されていました。

家の周囲にはこのような木の彫り物が置かれていました。

いろいろな木の彫り物が置かれていたようです。

小型の模型で住居周辺の配置を再現していました。

人類(ホモ・サピエンス)が初めてハワイに到達したと思われるルートが説明されていました。



Tracing the migration of pacific peoples through Adzesと書かれていたことから、各地に残された石斧(Adze)により、人類の移住を追跡したようです。下の写真は各地の石斧の先端部分です。


ハワイの石斧と写真も展示されていました。斧は航海に必要な船を作るのに必要不可欠な道具なので注目されたのかもしれません。

博物館の内部は木がふんだんに使われていました。色艶から、これもコアの木だと思われました。

ガイドの方の説明は30分だけなので、重要な部分と博物館の見学の仕方の説明でした。おかげで、その後も興味深く見学することが出来ました。

これもハワイ王国統一前のもののように感じます。

漁の道具のようです。

首飾りです。

木の置物も沢山展示されていました。

ハワイ諸島に昔から伝わっていたものの展示物が多かったです。

織物も沢山展示されていました。

コア((koa)の木の展示ケースも素晴らしかったです。

鳥の羽を使ったものです。

いろいろなスポーツで活躍した人も紹介されたいました。

その中でオリンピックでいくつも金メダルを取った水泳選手のデューク・カハナモク(Duke Paoa Kahinu Mokoe Hulikohola Kahanamoku)です。そのデューク・カハナモクがサーフィンで優勝した時の展示物だと思います。

飾りのついた槍です。象徴的なものか儀式に使われたものだと思います。

釣り針も沢山展示されていました。ハワイは海に囲まれている場所であることを再認識いたしました。恵みが得られる海は古代から特別な存在だったことでしょう。


巨大な釣り針もありました。

こちらは貝が付いた巨大な釣り針です。

こちらも魚を獲る道具のように感じました。

絵が描かれた貝殻もありました。

展示は広範囲におよんでいました。

The Muriel Macfarlane Flanders Gardenの石板です。

敷地内の建物です。教育施設だったのかもしれません。

別の角度から撮った同じ建物です。

ビショップミュージアムの3D航空写真です。アイコン

アリイオラニ・ハレ(Aliʻiōlani Hale) ハワイ州最高裁判所 [ハワイ]



ホノルルのカメハメハ大王像はアリイオラニ・ハレの正面にありました。そのカメハメハ大王像を見た後にアリイオラニ・ハレの入口に行ってみると内部が無料で見学出来るとのことなのでトイレ休憩も兼ねて中に入ってみることにいたしました。ここに入る前に見学したイオラニ宮殿の内部のトイレは使用不可なので丁度良かったです。上の写真の中の銅像がカメハメハ大王像で、後ろの建物がアリイオラニ・ハレです。後で説明いたしましがアリイオラニ・ハレの中に現役のハワイ州最高裁判所があるのです。
Google地図の航空写真でアリイオラニ・ハレの周辺を紹介します。小さな写真はカワイアハオ教会とイオラニ宮殿です。アリイオラニ・ハレの建物は、なんとなくイオラニ宮殿に似ています。イオラニ宮殿のイオラニ(ʻiolani)とアリイオラニ・ハレのイオラニ(ʻiolani)は同じ文字なので、意味も同じだと思われます。






こちらが中央ホールです。
アリイオラニ・ハレ(Aliiolani Hale/Aliʻiōlani Hale)はカメハメハ5世が宮殿として計画してカメハメハ5世の死後の1847年完成しました。そのために建物自体は宮殿並みの豪華さがあり、米国の歴史的建物としても指定されいるほどです。ただし歴史の流れの中で宮殿として使われることはなかったそうです。カメハメハ5世が亡くなったことによりカメハメハ大王の血統が途絶え、ルナリロ王が即位するも1年1ヵ月後で他界し、その後カラカウア王が即位するも、その後のクーデターで皮肉にもこの建物内に白人の臨時政府が置かれてしまいました。その後にイオラニ宮殿が完成したそうです。ハワイ語のアリイオラニ・ハレ(Aliʻiōlani Hale)は「崇高な王族の家」や「天の王様たちの家」や「天界の王の住む家」を意味しているそうです。ハレ(Hale)は家あるいは建物の意味です。イオラニは「天国の鳥」や「天国の鷹」の意味だそうで、アリ(Ali)はハワイ語で王様や貴族を表しているようです。宮殿として使われていたならばアリ・イオラニ宮殿(Aliiōlani Palace)と呼ばれたのかもしれません。

こちらが2階から見た中央ホールです。1894年のハワイ共和国設立後は主に司法機関となり、1900年にハワイが米国領土になったことでアリイオラニ・ハレは合衆国連邦政府の裁判所となりましたが、もともと宮殿として構造的に司法機関に向いていないことから、司法機関のほとんどは別の施設に移されました。ハワイがアメリカ50番目の州となった1959年からはハワイ州最高裁判所となり現在に至っているそうです。そのハワイ州最高裁判所は2階にあります。

肖像画が並べられた立派な部屋が2階にありました。
右のドアの上にはSUPREME COURT・COURTROOM(最高裁判所・裁判所)と書かれていました。最高裁判所の入口の部屋というところでしょうか。
この建物のことを地元では最高裁判所ではなくアリイオラニ・ハレと呼ばれていることから、最高裁判所が中にあるアリイオラニ・ハレと呼ぶのが正確だと思います。


こちらは1階の廊下です。1階は州の司法歴史センターとなっており写真やイラストなどで司法の歴史を展示していました。

廊下にも説明用のパネルが設置されていました。

昔のアリイオラニ・ハレの写真を上のパネルから切り取りました。
写真に対する説明は次のように書かれていたことから143年前の1875年頃の写真と思われます。
Circa 1875, the back entrance on the Queen St. side of the building was often referred to as the public entrance. The front entrance on the King St. side served as the royal entrance.


1階には自由に見学できる法廷もありました。

上の写真は人が立っているところから撮ったものです。この写真は合うの写真の右端のドアの辺りから撮ったものです。

こちらは歴史を説明した展示物です。いろんな時代があったのだと思います。つらい歴史の一部でしょうか。フェンスが雰囲気を出しています。

こちらの展示室の右端には日本語で書かれて木の立て看板が柱に取り付けられていました。日本からの移民の人達も大きな関りがあったことが感じられました。

こちらでは建物の模型が展示されていました。

展示パネルの中の時計が気になりました。右上の実際の時計と類似した時計が描かれていたのです。

時計を拡大して見ました。下の文字盤は針で日にちを表示して、2つの窓で月と曜日を表しています。クリックして拡大すると判ると思いますが、この時、5月(MAY)27日、土曜日(SATURDAY)を示していました。

追伸
2018年12月25日と26日に神戸駅近くで忘年会があることから2018年12月22日の早朝から関西に行きます。幸いにも私と家内の実家は関西のため正月は子供や孫を含めて計9人が実家で過ごすことから千葉の家への帰宅は1月6日前後になる予定です。その間は皆様のところへのアクセスが難しくなることから、ガラ系の携帯からテザリングの出来るスマホに機種変更いたしました。スマホをWi-Fiルーターとして使いPCでブログなどを見る計画です。テザリングで、どの程度の通信容量になるのか中ら判らないため12月は最大容量の50GBで契約いたしました。1月以降はすでに1GB~50GB変動タイプにしています。子供たちは12月31日に実家に来ます。
2018年12月22日9時17分 新幹線で関西に移動中です。
カメハメハ大王像 Kamehameha Statue [ハワイ]



ハワイ旅行3日目にイオラニ宮殿を見た後、イオラニ宮殿の近くに観光スポットの一つであるカメハメハ大王像が立っているとのことなので探してみることにいたしました。イオラニ宮殿の正面の門を出るとすぐに見つかりました。日本語式だとKamehameha Great King Statue(0件)ですが、検索しても当然ではありますが、このような言い方は出てきませんでした。ネット内を見ていると、主に次の4つの呼び方がされていました。単に「カメハメハ王の像」という呼び方でも「カメハメハ1世の像」として理解されるようです。
Statue of Kamehameha the Great(94件)
Statue of Kamehameha I(87件)
Kamehameha Statue(73件)
King Kamehameha Statue(70件)
下記リストの初代国王カメハメハ1世がカメハメハ大王で、日本と親交が深かったのは第7代カラカウア国王です。
ハワイ王国・国王 在 位

第2代 カメハメハ2世 1819~1824年
第3代 カメハメハ3世 1825~1854年
第4代 カメハメハ4世 1854~1863年
第5代 カメハメハ5世 1863~1872年
第6代 ルナリロ 1873~1874年
第7代 カラカウア 1874~1891年 参考:1874年=明治 7年
第8代 リリウオカラニ 1891~1893年 1891年=明治24年
カメハメハ大王像はハワイ州最高裁判所(アリイオラニ・ハレ)の正面にありました。


斜め方向からのカメハメハ大王像も紹介します。カメハメハ大王つまりカメハメハ1世(Kamehameha I)がハワイ王国を建国し初代国王になったのは1795年で37歳前後の時になります。その後1810年(52歳前後)にハワイ諸島を統一しました。そして1819年(61歳前後)に亡くなりました。カメハメハ大王像は戦闘用ヘルメットをかぶり槍を持っていることから初代国王となりハワイ諸島を統一している時期の37歳~52歳の間の頃を表現しているように感じました。調べた範囲では約45歳を表現しようとしたようでした。日本ではカメハメハ1世よりはカメハメハ大王と呼ばれることの方が多いようです。「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」あるいは「静かな人」の意味だそうです。欧米文明に接する前のハワイ語は文字を持たない言語であった関係で、アルファベットがあてられたことから、古い文献などではハメハメハ (Hamehameha) と表記される例もあったそうです。

その斜めの角度のカメハメハ大王像を拡大いたしました。カメハメナ大王が羽織っているの黄金色のマントは貴重な鳥の黄色羽根で出来たケープ(マント)です。頭の帽子のようなかぶり物も黄色羽根で出来ています。おそらく黄金よりも高価なものだと思います。
またカメハメハ1世は次のような長いフルネームでした。
名前 Kalani Paiʻea Wohi o Kaleikini Kealiʻikui Kamehameha o ʻIolani i
Kaiwikapu kaui Ka Liholiho Kūnuiākea
出生 1758年(諸説あり) ハワイ島カパアウ あるいは その近郊
死去 1819年 61歳前後
在位 1795年~1819年

これがカメハメハ1世が実際に使っていた黄色の羽根で出来たケープです。ビショップ美術館で写真を撮ることが出来ました。黄色の羽根があまりにも貴重であったことから、他の王たちのケープは赤色の羽根を基調として一部に黄色の羽根を使っていました。貴重な鳥の羽根を約50万枚も使うことから制作も数十年以上が必要だったとガイドの方から聞きました。


これは形から見て王のものではないようでが、王の頭のかぶり物に近いものがビショップ美術館にありました。カメハメハ1世のものは全て黄色ですが、こちらは赤色の羽根が基調になって一部に黄色の羽根が使われています。
この鳥の羽根の冠り物(ヘルメット/兜)は主に戦争時に使われていたようで、


カメハメハ大王像は次項で記載のように4ケ所にあり、ハワイ州では3ケ所にあります。最も有名なのがハワイ州最高裁判所の前の、このカメハメハ大王像です。この像は「キャプテン・クックによるハワイ発見100周年」を記念してイタリアで造られましたが、輸送中にフォークランド諸島の近くの海に没したため、再度造られたそうです。
沈没したカメハメハ大王像(オリジナル)はフォークランド島民によって発見されて最終的にハワイ島のカメハメハ大王出身の地であるノース・コハラ(North Kohala)のカパアウ(Kapaau/Kapaʻau)に設置されたそうです。

Google地図にカメハメハ大王像の設置場所をプロットいたしました。ヒロのカメハメハ大王の台座のみKamehameha The Greatと書かれており、他の3体の台座にはKamehameha Iと書かれています。




こちらがハワイ旅行5日目に撮ったハワイ島のヒロ(Hilo)のカメハメハ大王像です。カメラの設定ミスで白黒写真(モノクロ写真)になってしまいました。前日に標高4200mのマウナケア山の山頂に登り沈む夕日を見るツアーに行った時にカメラの設定を変更したのです。その時に設定間違いをしてしまい白黒モードになってしまったわけです。ミスに気が付かないで翌日の昼過ぎまでの写真が白黒(モノクロ)になってしまったわけです。

今回は訪れていませんが、参考のためにハワイ島ノースコハラの小さな町カパアウ(Kapaʻau)と、アメリカ合衆国議会議事堂(United States Capitol)のカメハメハ大王像の写真をネットから転用させていただきました。
上でも書いている通りカパアウのカメハメハ大王像は、ホノルルに建てるために最初に作られたオリジナルですが輸送中に船が沈没して、のちに発見されてカメハメハ1世の生誕の地であるカパアウに立てられたのですが、その経緯や時期に関しては記載サイトによりまちまちです。その中で最も正確に感じたのがWikipediaのカメハメハ像(オリジナル)でした。→ 原文 Google翻訳
オリジナルがカパアウに設置された時期に関してはネット内では船が沈没した2年後と1912年の記載がありましたが、本Wikipediaによると沈没してすぐにフォークランドの島民によって発見されて1882年にハワイ政府に売られて修復されてカパアウに設置されたと書かれていたことから、沈没から2年後に設置されたとの表現が近そうです。オリジナルもホノルルの像のように元々の表面は茶褐色の真鍮の地金と金箔でしたが、傷みがひどかったためか現在は塗装されています。

ハワイ島カパアウ アメリカ合衆国議会議事堂


4ケ所のカメハメハ大王像の顔を比べてみました。微妙に違うようです。
上段のオアフ島(左)とハワイ島ヒロ(右)の大王像の写真は私が撮りましたが、下段のハワイ島ノースコハラ(左)とアメリカ合衆国議会議事堂(右)の大王像の写真はネットから転用させていただきました。ツアーのガイドの方からカメハメハ大王像の顔は本人とは違うと聞きました。実は大王像のモデルとなったのはカメハメハ1世本人ではなく、建立当時の王である第7代カラカウア国王が宮廷の中から最も美しい男性をモデルに選んだそうです。
写真をクリックすると拡大いたします。




こちらがカメハメハ1世(カメハメハ大王)の肖像画です。誰が見ても、顔だけでなく体形も像とは違うと思います。



右の写真で比べていただくと分ると思いますが台座の形や台座に取り付けられている石板の模様から、ホノルルのカメハメハ大王像のミニュチャアのように感じます。他の3体とは台座の形が明らかに違います。
また、クリックすると特別に大きく拡大するので分かると思いますが、上の4体とは違う顔であることに気が付きました。是非とも比べてみてください。

Google地図の航空写真でカメハメハ大王像を紹介します。小さな写真はカワイアハオ教会とイオラニ宮殿です。






カメハメハ・デー(6月11日)にハワイ島ノース・コハラのカパアウのカメハメハ大王像に花のレイを飾る動画がネットにあったので紹介します。いろいろの動画からカメハメハ・デーにはオアフ島のホノルルやハワイ島のヒロのカメハメハ大王像にも花のレイが大々的に飾られていることもわかりました。ただしオアフ島のホノルルのカメハメハ像では高所作業車が使われていましたが、カメハメハ大王の出生地であるハワイ島の2ケ所では2本の長い棒を使った昔ながらと思われる方法で花のレイを大王像に掛けていました。ノース・コハラでは木か竹の棒が使われていましたが、ヒロは大王像が大きいためか金属の棒が使われていました。是非とも3ケ所を比べてみてください。
オアフ島ホノルル 高所作業車 → 動画1
ハワイ島ヒロ 2本の長い棒 → 動画2 槍の交換(はしご車)→動画4
ハワイ島カパアウ 2本の長い棒 → 動画3
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イオラニ宮殿(ʻIolani Palace) [ハワイ]


結婚式が行われていたカワイアハオ教会を出た後はイオラニ宮殿を目指しました。すぐ近くにありながら、歩いている人に聞いてもいろんな方向を言われました。やっと数人目の人が指さした方向にイオラニ宮殿を確認出来ました。木々の中に建物が確認できたのです。
写真を撮っていなかったのでカワイアハオ教会の前の交差点からイオラニ宮殿方向をみたGoogleストリートビューを紹介します。正面の大きな木の幹の間にイオラニ宮殿の建物が僅かに見えました。確認が出来たので道路の横断歩道を渡ってイオラニ宮殿に向かいました。
イオラニ宮殿(ʻIolani Palace)の正面方向(南西方向)の門です。この門はイオラニ宮殿から出る時に撮りました。敷地内に入ったのは南東方向の門です。

門に取り付けられていたハワイ王国の紋章を拡大いたしました。下に書かれている文字「UA MAU KE EA O KA AINA I kA PONO」はハワイ語でです。意味は「この地の生命は正義によって維持される / The life of the land is perpetuated in righteousness」だそうです。正確なハワイ語だと「Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono」になるようです。ハワイ王国は無くなりましたがこの構図はハワイ州の紋章に使われているなどハワイ王国は今でもみんなの心の中に生きているのだと思います。

南東方向の門から入った景色です。イオラニ宮殿の側面が見えました。

イオラニ宮殿に近づきました。

イオラニ宮殿の中に入るためのチケットを買った建物です。日本語ガイドも頼みました。こちらの建物は昔の宮殿兵舎でイオラニ・バラックス(ʻIolani Barracks)と呼ばれています。


こちらが冒頭の写真で紹介したイオラニ宮殿(ʻIolani Palace)の正面です。ハワイ王国7代目カラカウア王の命で 1882年に建てられた宮殿です。王制が崩壊した1893年までの11年間に宮殿として使われました。王制廃止後は1969年まで行政府として使用されたそうです。現在の宮殿の維持・管理はハワイ王家を継承している財団の中の人が中心になったボランティア団体が行っているそうです。我々が来た時は半旗でした。

建物全体のイメージを感じていただくためにgoogleの3D航空写真でイオラニ宮殿を紹介します。ストリートビューでも見ることが出来ます。
日本語ガイドが付いた宮殿内の見学ツアーは10人程度でした。宮殿の北東方向の階段を上がって2階の入口から入りました。入ってすぐの内部の写真です。

こちらは2階から3階に上がる階段です。豪華な造りでした。豪華な調度品も沢山並んでいました。

ハワイ王国は日本との関係が強かったことをうかがわせる調度品も沢山


中央のホールの両側には沢山の部屋がありました。

床を傷つけないために入口でカバーを履きました。

豪華な部屋が並んでいました。

それらの部屋を紹介します。

こちらは食堂のようでした。

王家の紋章の入ったガラスの壺も置かれたてました。

東二を再現した食卓の上を紹介します。

さすが宮殿という感じでした。

3階には古いエレベーターで上がりました。3階のロビーです。こちらは下に降りる階段です。

シャンデリアが吊り下げられた部分がステンドクラスの天窓になっていました。

窓からの外の景色です。

驚いたことに料理や食器用のリフト(エレベーター)もありました。

部屋は見事な調度品でかがられていましたが、王政崩壊後に豪華な家具や調度品の多くは売られるなどして無くなったそうです。

現在はそれらを見つけ出して買い戻して宮殿内の元の場所に戻す地道な活動が続けられているそうです。

このような当時の写真を使って家具や調度品を探し続けているそうです。

お陰で当時の調度品を見ることが出来るのです。こちらのベッドカバーはカラカウア王のベッドにかけられたキルトだそうです。

宮殿の四隅の間にはコーナー側に小さな部屋が作られていました。

いろんなタイプの部屋がありました。ここは執務室でしょうか。当時の雰囲気を再現しているようです。

勲章も並べられていました。

当時の書類(または手紙)も並べられていました。

エジソンが電球を実用化したのは1879年ですが、それを採用したのです。イギリスの当時のバッキンガム宮殿にさえ無かった電気設備を備えていたそうです。

1877年に実用化された電話機も設置されていました。ハワイ王国には驚かされることが多くありました。

このような浴室も沢山の居間に設置されていました。当時としては先進的な設備に囲まれていたようです。

沢山の部屋を案内してもらい説明をしてもらいました。

当時、王宮で行われたフラダンスの写真も展示されていました。

当時のイオラニ宮殿の写真も掲載されていました。

こちらは王妃の寝室でしょうか。豪華なベッドが置かれていました。

カピオラニ王妃の写真でしょうか。

違う角度から紹介します。ベッドカバーはカピオラニ王妃のベッドに掛けられていた本物だそうです。

最も圧巻だった部屋を紹介します。一番手前のドレスが世界で最も豪華なドレスです。

すでに絶滅したオーオー(ʻOʻO)と呼ばれる黒色の鳥に僅かに生えている黄色い羽根で飾られたドレスです。これだけの羽根を集めるだけで何10年も必要だそうです。ハワイの王族だけが着ることが出来たドレスです。

ここに王や王妃が座ったのだと思います。椅子の左右には先端が鳥の羽根で飾られた棒であるカヒリ(kahili)が立てられています。

その椅子を拡大いたしました。

王冠なども飾られていました。

これは王政最後の頃にハワイ王国最後の君主であるリリウオカラニ女王が幽閉中に製作した有名なクレイジーキルトです。
これにも沢山の物語がありました。

クレイジーキルトの一部を拡大いたしました。イオラニ宮殿は1795年からの98年間続いたハワイ王朝の最期の舞台でもあったのだと実感させられました。

エレベーターで一階に降りると使用人たちの仕事場と思われるばしょがありました。このリフトで料理を上の階に運んだそうです。

この場所にかまどがあったのでしょうか。銅板で囲まれていました。

作業机だったのでしょう。

1階には宝石などの装飾品も展示されていました。最も豪華だったのがダイヤモンドで作られた蝶のブローチでした。




1階にはこのような部屋もありました。

1階の廊下です。いろんな写真が置かれていました。

Google地図の航空写真でイオラニ宮殿を紹介します。小さな写真はカワイアハオ教会とカメハメハ大王像です。






追伸
2018年10月19日から関西に行きます。帰ってくるのは10月30日の予定です。その間にネットが使えるのは1日に30分程度のため、皆様のところへの訪問が出来ないことをお許しください。
素敵な時間に出会えました。 カワイアハオ教会 [ハワイ]



ハワイ旅行3日目はワイキキビーチのレストランLu Lu’sで朝食を食べた後に路線バスを使ってワイキキの街の中にあるイオラニ宮殿を目指しました。イオラニ宮殿に近いバス停で降りたのですが歩き出す方向を間違えたために道に迷って、きれいな教会の前に出たので門の中にはいってみることにいたしました。教会の名前はカワイアハオ教会(Kawaiahao Church)でした。教会の名前にはハオ王女の聖なる水の池(Ka wai a Haʻo)という意味があるそうです。
横からのストリートビュー:https://goo.gl/maps/bBWnisJHGiM2
Google地図の航空写真で見るとカワイアハオ教会はイオラニ宮殿のすぐ傍でしたが、沢山の木があることイオラニ宮殿が判らなかったのです。カメハメハ大王像も近くにありました。このあとハワイ州立図書館の中にも入ってみました。ただし、図書館の中には沢山の人がおられたので写真は撮りませんでした。小さな写真はイオラニ宮殿とカメハメハ大王像です。






庭の中に入って撮ったカワイアハオ教会です。建物の前には白いリムジンが停まっていました。どうやら結婚式が行われているようでした。建物に近づいて中に入るかどうか躊躇していると、日本人のスタッフと思われる方が来られて、「今、結婚式のリハーサルが行われています。中に入って自由に見てください。」と言われたので中に入ってみることにいたしました。
こちらのカワイアハオ教会に関して調べてみると1842年に建てられた米国の重要文化財(1962年登録)のオアフ島最古の教会だそうです。




教会の壁にA Centennial Memorial of HIRAM BINGHAMと書かれた石板が取り付けられていました。Hiram Bingham(1789年10月30日~1869年11月11日)に関する石板のようですが、その中に教会が完成した1842年7月21日(July 21,1842)が読み取れました。

外壁に使われている176年前のサンゴの岩の質感を感じてもらいたくて本写真を掲載いたしました。クリックすると拡大した縦長の写真を表示します。

中に入ると確かに結婚式のリハーサルが行われていました。
2017年のゼクシィの調査(全146ページの30ページ目)によると日本在住の日本人が海外挙式でハワイ選択はダントツ1位です。
そしてハワイ挙式の中で96.6%のカップルがオアフ島を選びました。
(オアフ島:96.6% ハワイ島:1.9% マウイ島:0.5%)

2位:グアム 16.5% Σ:83.5%
3位:アジア 4.8% Σ:88.4%
4位:オーストラリア 4.5% Σ:92.9%
5位:ヨーロッパ 3.5% Σ:96.5%
6位:南太平洋・インド洋 1.3% Σ:97.7%
7位:アメリカ 1.0% Σ:98.7%
8位:ニュージーランド 0.6% Σ:99.4%
9位:サイパン 0.3% Σ:99.7%

日本在住の日本人の7年間の海外挙式率は平均で7%で最近は約9%です。7年間を見る限りは増加傾向にあるようです。7年間の全調査数は17,959カップルです。年間64万組が婚姻してその中の35万組が結婚式を挙げると仮定すると、その9%の3万組が海外で挙式することになります。ハワイはその67.1%なので年間2万組の日本人がハワイで結婚式を行っている計算になります。





2階から拡大した写真です。我々が建物を出るころに人が増えてきたので結婚式の本番が近づいて来たのだと感じました。本記事を見ている方の中にもこちらの教会で結婚式を挙げた方もおられるのではないでしょうか。

庭の中の小さな建物ですが、LUNALILO KA MOI. 1874.と書かれていました。手前の説明板にはKING WILLIAM CHARLES LUNALIO と書かれていました。これらの記載からハワイ王国の第6代国王ウィリアム・チャールズ・ルナリロ(William Charles Lunalilo、1835年1月31日~1874年2月3日)の霊廟(墓)と思われます。ハワイ王国第5代国王カメハメハ5世が後継者を定めないまま1872年に亡くなったため、憲法に従い選挙によって選ばれるたのがルナリロ国王ですが、肺結核にかかり在位1年1ヶ月ほどでこの世を去ったそうです。彼の遺言によりカワイアハオ教会の墓地に母親と共に埋葬されたそうです。

朝の公園の景色 カピオラニ公園(kapiolani Regional Park) [ハワイ]



前記事でハワイ旅行3日目はホテルから出てレストラン(LuLu's Waikiki)で朝食を食べたことを紹介しましたが、レストランには歩いて行きました。その時の景色を紹介したいと思います。進行方向に向かって左側がビーチ(海岸)で、右側が公園でした。その公園の景色を紹介したいと思います。公園の名前はカピオラニ公園(kapiolani Regional Park)です。
カピオラニ公園のエリアと宿泊ホテルと朝食を食べたレストランの場所を紹介します。緑色ライン(━━)で囲った部分がカピオラニ公園です。
赤色ライン(━━)で囲った部分はホノルル動物園です。


写真の左端に写っている歩道を歩きました。日曜日には歩道の右側に沢山のフリーマーケットが並びます。この日(3日目)は月曜日でした。背の高い椰子の木の上の方は写真には納まりませんでした。

歩道のさらに左側は駐車スペースになっていて、その左側に一方通行の車道があり、その車道の左側がワイキキビーチの中のカピオラニビーチとカイマナ ビーチです。日曜日には早朝から沢山の車が停まっていました。

ハワイらしい木が沢山並んでいます。

広い公園の雰囲気を感じてもらえると思います。

椰子の木以外によく見かける木が2種類あります。これが、その一つのモンキーポッドです。「この木なんの木」の歌詞で始まる日立のCMに使われた大樹と同じ種類と言えば思い出される方も多いと思います。CMに使われたのは別の場所の公園の木で、6日目に見に行きました。近いうちに紹介したいと思います。
目 マメ目 Fabales
科 マメ科 Fabaceae
亜科 ネムノキ亜科 Mimosoideae

種 アメリカネムノキ Albizia saman
別名 モンキーポッド
英名 Monkey Pod

椰子の木が上まで写った写真も紹介します。

上の方で紹介した一方通行の道路とは反対方向の道路です。沢山の車が走っていますが郊外からの通勤のための車だと思います。
観光用のトロリーバスも走っていました。

公園内にいた小鳥です。

その小鳥を拡大いたしました。

ハワイで多く見かけた2つの中のもう一つの木です。根が枝から垂れ下がるタイプです。ガジュマルと呼ばれる沖縄などにある木に近い種類です。この木の名前は通称バニアンツリー(Banyan Tree)のようです。

バニアンツリー(Banyan Tree)の垂れ下がった根の部分を拡大いたしました。

別のバニアンツリー(Banyan Tree)の近くに銅像がありました。ハワイではいろんな場所に銅像が建てられていました。

この銅像の人に見覚えがある方は多いと思います。

この銅像はやはりガンジーでした。ハワイの人たちとガンジーの関係は判りませんが、尊敬される人の銅像が建てられるようです。

こちらはハワイで最も尊敬されている女性の一人だと思います。

ハワイ王朝7代目の王であるカラカウアの妻であるカピオラニ女王です。英語(ハワイ語)ではQueen Kapiolani(Queen Kapiʻolani 1834年12月31日~1899年6月24日)です。カピオラニ公園(kapiolani Regional Park)の名前もこちらの人かつけられたものです。




1912年 金 100m自由形 ストックホルム 22歳
1912年 銀 800mフリーリレー ストックホルム 22歳
1920年 金 100m自由形 アントワープ 29歳 or 30歳
1920年 金 800mフリーリレー アントワープ 29歳 or 30歳
1924年 銀 100m自由形 パリ 34歳

花が咲いている木も沢山ありました。これは白い花ですが、いろんな色がありました。

花を拡大いたしました。花の種類はプルメリア(Plumeria)で、ハワイの女性の髪飾りに使われます。未婚女性は頭の右側に、既婚女性は左側に飾るそうです。プルメリアはキョウチクトウ科インドソケイ属の一般的な総称で、インドソケイ属の学名であるPlumeriaから来ています。ハワイ語ではPua Meliaあるいは単にMeliaと書かれるそうで

門 被子植物門 Angiosperms
目 リンドウ目 Gentianales
科 キョウチクトウ科 Apocynaceae
亜科 インドジャボク亜科 Rauvolfioideae
連 Plumerieae
属 インドソケイ属 Plumeria

3日目の朝食はワイキキビーチのレストラン [ハワイ]




こちらがレストランに入るメイン階段です。日本語の案内版には「ワイキキで1番うま~い 極上ロコモコの店」と書かれていました。

お店を紹介します。
店名 Lu Lu’s Waikiki
住所 2586 Kalakaua Avenue< Honolulu
電話 808-926-5222

お店で魅力的なのがビーチが見える窓際のカウンター席です。ただし、この席に気が付かないでテーブル席に座ってしまいました。途中で気が付いたのですが席を移りづらかったので最後までテーブル席で食事をいたしました。

こちらがメニューです。朝食はオムレツとパンケーキを頼みました。飲み物として頼んだのは紅茶とジュースでした。
OMELETS | ||||
DAWN PATROL | $13 | 注文 | ||
CHEESE OMELET | $10 | |||
HAWAIIAN FAVORITES | ||||
STEAK AND EGGS | $18 | $20 | ||
LOCO MOCO | $15 | |||
LONGBOARD BENEFICT | $12 | |||
他 | ||||
BACON & EGGS | $12 | $14 | ||
GARDEN ISLE SCRAMBLE | $12 | |||
PANCAKES & WAFFLES | $8 | $11 | 注文 | |
STUFFED FRENCH TOAST | $12 | |||
FRENCH TOAST | $8 | |||
GIDGET’s FRUIT BOWL | $9 | $5 | ||
ISLAND PAPAYA | $6 | |||
COFFEE & TEA | $4 | 注文 | ||
JUICE | $4 | 注文 |

飲み物はすぐに出てきました。紅茶とジュースです。ジュースの量は多かったです。

こちらが家内の頼んだパンケーキです。ワッフルも選択できましたが、ハンケーキにいたしました。ハチミツとクリームが付いていました。ハワイはハチミツが有名です。パンケーキには沢山のブルーベリーが入っています。ストロベリーやバナナも選べました。マカデミアンナッツの追加も出来ました。私は1枚を食べさせてもらいました。

オムレツの卵は3個が使われています。オムレツにはハム、ベーコン、マッシュルーム、ナス、タマネギなどが入った半熟のチーズがかけられていました。トーストとフライドポテトが付いていました。
事前に聞いていた通りハワイの朝食はボリューム満点でした。ホテルの朝食も量が多いと感じましたが、実は普通のレストランに比べると圧倒的に少なかったことを知りました。

チーズの部分を拡大いたしました。
お店の入口に書かれていた名物のロコモコ(Loco Moco) はステーキが入っているために朝食としては重そうだったので注文しなかったけれども、今となっては食べてみればよかったと後悔しています。

オムレツの真ん中にも具が入っていました。味は美味しくて申し分ありませんでしたが、量は「半端ない」でした。ハワイに出発前から分かっていたことでしたが、2人で一皿にすべきでした。ただし、いろんな味を試したいので一皿に出来ないのも事実でした。

お店の場所(



ハワイ旅行2日の夕食は地元で超人気のベトナム料理店 Hale Vietnam Restaurant [ハワイ]



ハワイ旅行の2日目の夕食はベトナム料理でした。初めてハワイ旅行に来てベトナム料理は珍しいと思います。実はホノルルの人たちの間で超人気のベトナム料理店があるとのことで、そのお店で夕食を食べることにいたしました。
驚いたことに割り箸(はし)が使われていました。ただしベトナムのように箸は縦置きでした。私の知る限りですが、箸を横置きにするのは日本だけです。韓国や中国も箸は縦置きなのです。日本製だと思った「おてもと」と書かれた割り箸にはMade in Chinaと書かれていました。

日本発着の航空会社の箸の置く向きも下の写真の通りです。右がベトナム航空で右が日本航空です。ベトナム航空は縦置きで、日本航空は横置きです。ベトナム航空の場合、メインのすき焼きは後で出てきます。韓国の航空会社の一部の日本料理で箸を横置きにするところがあります。写真をクリックすると、記事を表示します。
ベトナム航空 中距離便 日本航空 短距離便


韓国国内 韓国料理 アシアナ航空 日本料理


ベトナムと言えば、やっぱり生春巻きです。これはハワイでも同じでした。先ずは生春巻きが出てきました。海老と豚肉と生野菜が入っていました。

こちらは鶏の手羽先の料理です。手羽先にしては丸く膨らんでいると思いませんか。

丸かったのは肉の中に具が入っていたからでした。

うれしいことに、日本のビールもありました。

日本以外にメキシコ、オランダ、タイ。シンガポール、中国などのビールがありました。アメリカのビールは$4.57で、海外ブランドは$6.00でした。

海老が沢山入ったシーフードサラダも注文いたしました。ベトナム料理の特徴である沢山のハーブが使われていました。

肉料理も頼みました。ココナッツの入ったカレー料理ですが、インド料理のような辛みはありません。

白いごはんもありますが、雑穀が入ったごはんを頼みました。

揚げ焼きそばも頼みました。

揚げ焼きそばは拡大いたしました。日本で食べる揚げ焼きそばの味でした。

お店を紹介します。地元の人たちで満員になりました。
店名 Hale Vietnam Restaurant
住所 1140 12th Avenue Honolulu
電話 808-735-7581
定休 水曜日
営業 11:00~21:30

ベトナム料理店(Hale Vietnam Restaurant)の場所を紹介します。
中央の赤色マーク(





ワイナマロビーチ(Waimanalo Beach) [ハワイ]




こちらが正面の景色です。北東方向になります。ワイキキビーチは南西方向を向いているので180度反対方向の海岸なのです。日本で言えば太平洋側と日本海側になります。
正面をズームした写真です。

こちらが目の前のマナナ島(Mānana)です。マナナ島(Mānana)はハワイ語でラビット島(Rabbit Island)とも言われています。

島を拡大いたしました。

右方向(南東方向)のビーチです。右側の崖はすでに紹介したパラグライダーが飛びたつ有名な場所です。

高い崖を拡大いたしました。

崖下に広がるビーチです。

左方向(北西方向)のビーチの景色です。

景色をズームいたしました。

海岸に適していると思われる植物が生えていました。

海岸と道路の間は緑の豊かな公園になっていました。

道路沿いにはワイナマロビーチ(Waimanalo Beach)を示す看板が立てられていました。

看板を拡大いたしました。

ワイナマロビーチ(Waimanalo Beach)の場所(

ハロナ潮吹き岩(Halona Blowhole) [ハワイ]

今日9月13日から関西に行きます。関東に帰ってくるのは9月26日です。その間に、9月10日に生まれた2人目の孫娘に会ってきます。元々は9月19日から行く予定でしたが、孫娘が生まれたことから行く日を早めました。帰宅するまで、皆様のところに訪問出来ないことお許しください。


ココクレーター(Koko Crater)からワイマナロビーチ(Waimanlo Beach)に向かう途中にちょっとした観光名所がありました。それが上の写真のハロナ潮吹き岩(Halona Blowhole)です。岩の上から海中まで通路があることから押し寄せた波がによって海水が吹き上げるのです。
吹きあがった部分を拡大いたしました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。



写した位置が正確に一致していないために少し角度が違いますが冒頭の写真から、上の写真同じと構図の写真を切り取りました。比べてみてください。さらに男性と女性を私が撮った写真の中に入れてみました。そばに人が立つと潮の噴き上げた高さが実感できると思います。男性の身長が180cmだと仮定すると岩面の穴から9mの高さまで吹き上っていることになります。風が弱ければもっと高く吹き上っていたことでしょう。また水柱が太いこともこの写真でわかってらえると思います。

アニメーションGIFでも紹介します。このBlowholeはオアフ島がまだ火山活動をしていたころに


少し広い範囲のアニメーションGIFです。潮吹きの仕方は毎回違っていました。

動画でも紹介いたします。最初と32秒後に潮吹きを見ることが出来ます。
吹き出し部分の拡大写真です。



ここの見どころは潮吹き岩だけではありません。海の色もすばらしかったです。

岩に囲まれたビーチの景観も見ごたえがありました。この辺りの岩はすべて溶岩です。ココ・クレーターから噴出したものだと思います。

そのビーチの海側です。

北東方向の景色も見事でした。見えている砂浜はSandy Beachです。その先の岬の向こう側の山がすでに紹介したパラグライダーの名所です。

ハロナ潮吹き岩(Halona Blowhole)の場所(

ココクレーター(Koko Crater)の傍にありました。
カメラの位置とBlowholeの位置を黄色ラインで結んでみました。Google地図に登録されているBlowholeから海水が霧のように噴出している360°写真から場所を特定いたしました。


ハワイのパラグライダー [ハワイ]


ハワイの前記事でパラグライダーの写真が撮れなかったと記載しましたが、車の中からコンデジで撮った写真を調べてみると幸いにもパラグライダーが写った写真が1枚ありました。ホテルに予備の電池を忘れてきたために、ここに来る少し前に一眼レフ(5D)の電池が切れていたのです。車のフロントガラスの右上端に小さくパラグライダーが写っています。左側の険しい崖の上が、本記事の後半で紹介している標高357mのパラグライダーが飛び立つ場所と標高409mのところだと思われます。
パラグライダーの部分を拡大いたしました。この崖を何枚か撮りましたがパラグライダーが写っていたのは1枚だけでした。

上の2枚の写真は後部座席から撮った、こちらの写真から切り取りました。
絶壁の上を歩くハイキングコースがあり、Makapuu Tom Tom Trail(マカプウ・トムトムトレイル)と呼ばれているそうです。
そのハイキングコースのトムトムトレイルを紹介した記事があり、記事の中にもパラグライダーの写真が出てきます。

ハワイの前記事でも紹介したパラグライダーの飛行空域です。赤枠内が飛行空域に設定されているようです。



東側からの3D航空写真でパラグライダーやハンググライダーの飛出し場所を紹介します。

ここは北東からの強い貿易風が高い崖にあたって上昇気流になるのだと思います。上昇していく雲の流れも写っています。この写真の海の傍の崖下の道を通った時に冒頭の写真を撮りました。

ワイナマロビーチ(Waimanalo Beach)から見たパラグライダーの飛出し場所がある断崖の写真を紹介します。沖にある島はラビット島(Rabbit Island)あるいは、ハワイ語のマナナ島(Mānana)と呼ばれています。マナナ島の右側にある小さな島はケオヒカイプ島(Kāohikaipu)です。この写真はクリックすると特別に大きく拡大いたします。中央の岬からの360°写真も見ごたえがあります。

崖の垂直度を紹介したくてこちらの写真を掲載いたしました。崖にに近づくと崖が垂直に近いことがよく分かります。Waimanalo Beach Parkの看板が立っているようにワイナマロビーチの前の道路から撮ったものです。

パラグライダー(Paraglider)やハンググライダー(Hang Glider)が飛出すための標高357mの場所の360°写真がGoogleマップに登録されていました。最後に紹介している動画の始まる場面(3分25秒)と同じ場所でマナナ島が見える同じ構図を表示させています。水平にドラッグさせると周囲が判ると思います。
標高409mの場所の写真も登録されていました。→360°写真
上のハンググライダーやパラググライダーが飛び立つ標高357mの場所が入った動画がYouTubに登録されていたので紹介します。
その場所が出てくる3分25秒から動画が始まるように設定いたしましたのでプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。そして、上のGoogleマップの写真と比べてみてください。ハンググライダーが飛び立った瞬間に上昇気流で上に昇っていくのが分かってもらえると思います。
最初にパラグライダーが出てくるのは0分38秒です。→ ポチッ
ココヘッド周辺はホノルルの最も東に位置するベットタウン [ハワイ]



ホノルルのカハラ地区(Waialae-Kahala)のオープンハウスを見た後、東のビーチを目指しました。ふと横を見るとクラシックの車が走っていたので写真を撮ってしまいました。車体はクラシックカーですが足回りは新しいものです。エンジンも新しいものかもしれません。いずれにしても、こだわりとお金がかかった車のように感じました。写真の撮影場所です。→ポチッ
車の背景に写っているのはココヘッド(Koko Head)にある標高368mの山です。とりあえずココヘッドと呼んでおきます。車の後ろのマークから車種を調べてみると、右の写真のGeneral Motors(GM)の



シボレー(Chevrolet)は今でもGMの4つのブランドの一つです。4つのブランドとは、ビュイック(1908年)、キャデラック(1909年)、GMC (1912年)、シボレー(1911年)です。シボレーの現在の車種は、カマロ、コルベット、ソニック、キャプティバ、トラバース、タホ、シルバラード、トラックス、クルーズ、オーランド、ボルト、マリブ、インパラ、エクイノックス、サバーバン、コロラド、トレイルブレイザー、エクスプレス、スパーク、オニキス、プリズマ、モンタナ、コバルト、スピン、クラシック、カプリス、セイル、エンジョイ、N200、などがあります。

ハワイらしい景色が続きました。ココヘッドが見えています。

最も近づくところで車の中から撮ったココヘッドの山です。
真直ぐに伸びた道が見えますが、昔ケーブルカーがあった跡で今でもレールが残っています。観光用ではなく山頂に物資を上げるために第二次世界大戦時に作られた軍事用のケーブルカーのようでした。


Googleマップに登録されているKoko Crater Railway Trailの360°写真を紹介します。厳しい登りだと分っていただけると思います。画面を水平にドラッグすると周辺の景色を360°見ることが出来ます。
道沿いの展望駐車場から撮ったココヘッドの山です。

Google地図の山の航空写真です。ダイヤモンドヘッドと似ています。つまり山は火山の火口で、出来方はダイヤモンドヘッドと同じではないかと思われます。山の正式名はココクレーター(Koko Crater)です。ココクレーターを含めた南西の岬がココヘッドです。Wikimediaによるとココヘッドでの

展望駐車場からホノルルの中心方向(西方向)を撮った写真です。ココヘッド周辺はホノルルから最も東に位置する住宅地になっていました。写っている街並みはハワイ・カイ地区(Hawaii Kai)の住宅地です。

山の尾根にも沢山の住宅が建っています。ここからホノルルの中心まで同じような住宅が続いているのです。

ダイヤモンドヘッドの東側(右側)で白っぽく見える部分が近年に開拓された住宅地です。住宅が山の尾根に沿って建てられているのが分かってもらえると思います。住宅の開発は年々のびていきココヘッドまで来たそうです。カハラ地区(Waialae - Kahala)がすでに紹介した超高級住宅地です。ハワイ・カイ地区とカハラ地区の間にはクリオウオウ地区(Kuliouou - Kalani Iki)があります。ココクレーターからダイヤモンドヘッドまで直線距離で13.3km、車で16.4㎞です。ハワイは常に北東方向からの強い貿易風が吹いていることから、近くの北東方向に崖のある場所はパラグライダーの有名な飛行場所となっています。

ダイヤモンドヘッドの山頂から見たココヘッド(Koko Head)とココクレーター(Koko Crater)です。この写真は同じ日の9時50分に撮りました。そしてココクレーターの近くに来たのは5時間後の14時50分でした。
ココクレーターの山頂から見たダイヤモンドヘッド→ ① ② ③ ④ ⑤

ダイヤモンドヘッドあたりからココヘッドに向かう途中で撮った写真(①~⑥)の位置を紹介します。最後の⑤と⑥はすでに上で紹介した写真です。
つまり⑤がクラシックカー Chevrolet 210 を撮った場所です。













パラグライダーの飛行空域も紹介します。赤枠内が飛行空域に設定されているようです。着陸場所を確認すると飛び立った場所に戻るそうです。山の上から北東方向の海に向かって飛び立っても北東からの強烈な貿易風のおかげで、元の場所に戻ることが出来るそうです。


ハワイの4億円のオープンハウス [ハワイ]



ハワイ旅行の2日目の午前中はダイヤモンドヘッドに登り、午後からはホノルルの東方向の海の景色を見に行きました。最初に訪れたのは前記事で紹介したダイヤモンドヘッドの南側の海岸で、そこでハワイモンクアザラシと思われるアザラシを見ることが出来ました。そこからさらに東に向かいましたが、その道沿いは豪邸が立ち並ぶ地区であったことから、すこし寄り道して豪邸街を廻ってみることにいたしました。

家全体の写真を撮らなかったのでGoogle地図のストリートビューの写真を掲載いたします。写真は2011年6月に撮影されもので、左右の2つの門は銅板が使われた重厚で豪華なものです。右下の Date de l'image : juin 2011 はフランス語で撮影日を表しているようでした。

冒頭の写真の門は、重厚な門と家の間に設けられた内門なのです。上の写真で重厚な門が2つあったのは車が右側の門から入って左側の門から出ていけるようになっていたのです。つまり車のためのスペースが驚くほど広いのです。
玄関を入ってすぐの景色です。個人宅だと思うと圧倒させらる空間でした。中に入ると持ち主の50代と思われる御夫婦が出てこられました。日本から来たことを伝えると期待させたようで熱心に案内しながら説明をしていただきました。もう一組の見学者には申し訳なかったです。建物の床面積は602.1 ㎡でした。

最も庭側のエリアに行きました。全館冷房されていますが天井には空気をかき混ぜる優雅な装置が回って気持ちよい風が流れていました。窓の外にはプールがありました。

これがプールです。ハワイのオープンハウスに関する不動産会社の記載内容を枠内に転記する形で紹介いたします。
Hawaii Resort Planning
ハワイ・リゾート・プランニング不動産
ハワイでの不動産購入に興味をお持ちの皆さん、「オープンハウス」をご存知ですか?
簡単にいえば「売り物件の一般公開」のことで、通常、日曜日の午後2時~5時の間に開催されています。 日本で住宅を購入する場合には、モデルルームなどを見に行くことが多いと思いますが、ここハワイ、アメリカでは実際に売りに出る家が「オープンハウス」といって誰でも見学できでるシステムがあります。 もちろん予約なしで、誰でも自由に見学が可能という、とても便利な習慣です。 公開される物件の中にはほとんどの住宅にはまだオーナーが暮らしており、家具や調度の類も普段の暮らしそのままを感じることができます。そのため、実際に住んだ時の感覚をリアルに体感できるという大きなメリットがあります。

キッチンも見事でした。

メインテーブル以外にもテーブルが置かれている空間がありました。

いろんな場所にテーブルが置かれていました。屋外にもテーブルが置かれており、いろんな場所で食事が出来そうでした。

1階のベットルームです。2階のベッドルームを含めるとベットルームは5つありました。ハワイ旅行でオープンハウスを見学に行かれた方は少ないのではないでしようか。

このような小部屋も用意されていました。

こちらが2階に上がる階段です。ここから先が2階の設備です。

これがメインベッドルームです。

こちらのベットルールも素敵でした。

別のベットルームを紹介します。

2階のバルコニーも広かったです。

驚くことにバスルームが6つもありました。フルバスルームが5つで、ハーフサイズが1つでした。1つのベットルームに対して1つのフルバスルームがあったのです。

このようなクロゼットもいろんな場所にありました。

ミニキッチンも2階にいくつかありました。

下の写真は不動産会社のパンフレットの表紙の写真です。帰国してからネットで検索するといろんな不動産会社のサイトにも使われていました。見学時の価格は3,700,000ドルでしたが、現在の価格は3,480,000ドルです。少し買いやすくなりました。本案件の売り出し開始日が2018年5月18日とのことなので売り出し2日目に見学したわけです。履歴を確認すると現オーナーは2005年11月23日に2,350,000ドルで購入していることから相場は上がっているようです。
住所 1030 Kealaolu Ave. Honolulu
価格 3,700,000ドル(約4.1億円) 2018年5月20日(見学時)
3,480,000ドル(約3.9億円) 2018年8月30日
床面積 602.1 ㎡(6481ft2)
ベッドルーム 5
バスルーム 6 (フル:5 ハーフ:1)
建築年 1991年 築27年

偶然ですが見ることが出来たオープンハウスなので売れてほしいと思います。そんなこともあり不動産会社の資料に掲載されていた写真を紹介します。クリックすると拡大いたします。興味のある方がおられたら連絡してみてください。住所で検索するとすぐに分かると思います。

























今回紹介のオープンハウスの場所(

一つの不動産会社の日本人向けのサイトで、このカハラ地区(Kahala地区)だけで2~16.6億円の売り物件が29邸(●●)あり、29物件の総額は171億円でした。ホノルル(Honolulu)の観光の中心の街であるワイキキ(Waikiki)はダイヤモンドヘッドの左(西)に在ります。そのダやモンドヘッドの東側に高級住宅地のカハラ地区が広がっているのです。。航空写真内の赤丸(● 3.48M)が今回、見学したオープンハウス(物件)です。3.48Mは価格が3,480,000ドルであることを示しています。この航空写真をクリックするとワイキキの町やビーチも含めた広範囲の拡大航空写真を表示します。

ハワイモンクアザラシ かも [ハワイ]



ハワイの2日の午前中はダイヤモンドヘッドに行ったことはすでに紹介いたしました。午後からはオアフ島のホノルルのワイキキから東の方向のいろんなビーチを見て回りました。最初はダイヤモンドヘッドの真下にあるクイレイ・クリフス・ビーチ(Kuilei Cliffs Beach)で道路沿いにある見晴らしの良い展望駐車場から写真を撮りました。クイレイ・クリフス・ビーチの西隣がダイヤモンドヘッド・ビーチ(diamond Head Beach)です。
駐車場から真下を見た写真でです。Google地図で確認すると海面からの高さは33mでした。その場所から東方向が上の写真です。中央の波打ち際にサーファーが写っています。

この場所はサーファーに人気の場所でサーフィンの季節の休日には道路沿いには沢山の車が並びサーフアーたちがボードを持って高低差33mを歩いてビーチに下りるそうです。写真をクリックするとサーファー達が沢山写っているのが分かってもらえると思います。歩いて33mを歩いて下りるだけの価値のある波に出会えるのだと思います。

波の白とサンゴ礁の色と遠くの青い色が美しい海でした。

ふと下を見ると黒いものが水中を移動していました。この写真で右(西)から左(東)に動いていました。人間の大きさに比べてかなり大きくて2mは越えているようでした。

すこし拡大してアザラシの類だと感じました。アザラシに似た動物としてはアシカとオットセイがあります。アシカとオットセイは頭を上げて陸上でも歩行できますが、アザラシは陸上では這うようにしか移動できません。3種類の中ではアザラシが最も泳ぎに適した体形のようです。オットセイもアシカ科ですが硬い剛毛の下に柔らかい綿毛のがあることから寒冷地に適しているようです。
3枚の小さな写真はネットから転用させていただいたもので、左からアザラシ、アシカ、オットセイです。



アシカ 鰭脚類アシカ科
オットセイ 鰭脚類アシカ科

海面までの距離があるためにカメラのレンズのズームを目いっぱいの104mmではこれが精いっぱいでした。黒い動物は水中を泳いでいて水面の波のためにクリアーな輪郭は判りませんが体形的な感じからアザラシに間違いないようでした。400mmのレンズも持っていたのですが、移動していることから交換する時間がありませんでした。

アザラシが写った最初の写真から左の方に移動した写真です。

さらに左方向(東方向)に移動した写真です。少し離れて小さく写っています。アザラシを最初に撮ってから、この写真まで僅か2分間のことでした。

今回のアザラシを目撃した場所(




ネットで検索すると2017年6月にハワイモンクアザラシがカイマナビーチで赤ちゃんを出産した記事や写真が沢山掲載されていました。その中から4枚の写真を転用させていただきましたビーチ名にちなんで、赤ちゃんの名前はKaimana(カイマナ)と名付けられたそうです。母親の名前はRocky(ロッキー)で2000年にカウアイ島で生まれて2002年からワイキキ(Waikīkī)を時々訪れるようになったことから、もしかしたら私が見たアザラシはRockyかもしれません。ただし、オアフ島全体では40~50頭のハワイモンクアザラシが生息しているので別のアザラシの可能性もあります。
4枚の写真の1枚目が親子(MOM & PUP)の写真です。


3枚目と4枚目はカイマナビーチのアザラシの親子を見るためにみんなが集まっている写真です。お母さんのRockyは10頭目の出産だったそうです。9頭目まではカウアイ島で出産して、ワイキキで初めての出産だったそうです。そして現在、妊娠しているそうです。同じ場所で出産する習性があるので、専門家の間では今年もワイキキのビーチで可愛い赤ちゃん(11頭目)を出産する可能性があると考えられているそうです。
カイマナビーチでハワイモンクアザラシの赤ちゃんを見ることが






朝食の記事→ポチッ

ホテルの泊まった部屋からの写真ですが、上で転用させていただいた4枚目の写真のビーチの監視塔が(2H)が写っています。

まさにこの場所で赤ちゃんを産んで育てていたのです。可愛かったことでしょう。写真にはワンちゃんが写っていますが、その時は犬を連れてくることが出来なかったことでしょう。

我々が泊まったいたホテル(New Otani Kaimana Beach Hotel)が写っているカイマナビーチ(Kaimana Beach)の写真です。手前の四角の建物が泊まったニューオータニ・カイマナビーチ・ホテル(New Otani Kaimana Beach Hotel)です。

カイマナビーチ(Kaimana Beach)は、北西から南東に連なっている8つ(又は9つ)のビーチの総称であるワイキキビーチ(━━)の最も南東側に位置するビーチです。ハワイ全体で最も人間が多いワイキキビーチ(Waikiki Beach)で母親のRockyが出産したのには、自分なりの考えがあったように感じます。少なくとも人間が好きなのではないかと思いました。
━━ ワイキキビーチ Waikiki Beach 約3.35km








(

海の方に目線を向けた景色です。この場所でアザラシがいたとは信じられませんでした。ハワイアンモンクアザラシの分類を紹介します。鰭脚下目の下にはアシカ科(7属14種 )とアザラシ科(3属18種)とセイウチ科(1属1種)の3つがあります。イヌ亜目は犬も同じです。犬の場合は、イヌ亜目・鰭脚下目・アザラシ科に相当するところがイヌ亜目・イヌ下目・イヌ科になります。

門 脊索動物門 Chordata
亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 哺乳綱 Mammalia
目 ネコ目 Carnivora
亜目 イヌ亜目 Caniformia
下目 鰭脚下目 Pinnipedia
科 アザラシ科 Phocidae
亜科 モンクアザラシ亜科 Monachinae
属 モンクアザラシ属 Monachus
種 ハワイモンクアザラシ Monachus schauinslandi
英名 Hawaiian monk seal ( ハワイアンモンクシール )
オス 体長:210cm 体重:150-200kg
メス 体長:230cm 体重:250-270kg

下記の地図の着色部分がハワイモンクアザラシの生息地です。北西ハワイ諸島+ハワイ諸島と周辺のサンゴ礁にだけ生息する希少な熱帯のアザラシです。1950年代には北西ハワイ諸島だけで約3000頭が生息していましたが、近年は全体で1000頭近くまで減少してしまいました。保護活動により2013年から増加傾向に転じたようです。生息数に関してはNOAAのホームページの資料(和訳)を参考にさせていただきました。

2014年 1309頭(1235~1420頭)
2015年 1329頭(1268~1437頭)
2016年 1426頭(1347~1541頭)

分布の内訳は右の図の通りです。
北西ハワイ諸島(NWHI) 1100頭
ハワイ諸島(MHI) 300頭

ハワイアンモンクアザラシの赤ちゃんがカイマナビーチで生まれた時のニュースの動画を紹介します。現在、約1,400頭にまで回復しているそうです。これから3,400頭にまで回復させるが目標だそうです。
こちらは生まれて44日目の2017年8月12日(土曜日)にハワイアンモンクアザラシの赤ちゃんをカイマナビーチから安全な場所に移動している動画です。移動は離乳(通常5~6週間)するまで待っていたとのことでした。運んでいるのはNOAAの人達だと思われます。
ダイモンドヘッドに登りました。 [ハワイ]



ダイヤモンドヘッド(Diamond Head)はワイキキの町の南東にあります。そのダイヤモンドヘッドにハワイ旅行の2日目の朝に登ってみました。上の写真は6日目にパンチボウル(Punchbowl)から撮ったダイヤモンドヘッドです。手前のビル群はワイキキの町です。ダイヤモントヘッドの右端の最も高いところに登りました。
ダイヤモンドヘッドは、この航空写真のように火山の火口の周囲のリング状の山なのです。約40~50万年前に出来たダイヤモンドヘッドは火山活動で噴出した火山砕屑物が火口の周囲に積もって丘を形成して出来た火山砕屑丘だそうです。


路線バスはトンネルの内側まではいかないことから、ホテルからダイヤモンドヘッドの内側まではタクシーで行きました。観光用のトロリーバスはトンネルを通って内側まで行きますが、午後からは別の場所に行く計画を立てていたことから時間優先のために行きも帰りもタクシーにいたしました。


━━ ダイヤモントヘッド登山道ルート
━━ タクシールート ホテル~ダイヤモンドヘッド火口
━━ トンネル
こちらが外側からダイヤモンドヘッドの内側に入るトンネルです。トンネルを歩いている人も沢山おられました。乗用車の前を走っているのが観光用のトロリーバスです。

ここで入山料1ドルを払います。

写真に見えているいるのがダイヤモンドヘッドの最高峰の部分で、皆さんが目指すところでもあります。駐車場には沢山の車が停まっていました。

こちらは観光用のミニレンタカーではないかと思われました。前輪が2つで後輪が1つの三輪車でした。

ここが登山道の入口です。火山の火口が登山ルートの出発地点なのは世界的には珍しいと思います。ダイヤモンドヘッドのように約40~50万年前に出来た火山は、日本ならば今でも活動する可能性があるので危険ですが、ハワイ諸島全体が北西に移動していることからオアフ島の下にはマグマは無くて、今はハワイ島の南東半部の下にマグマがあるのです。したがってオアフ島の火山の火口は安全なのです。

その入口に「DIAMOND HEAD STATE MONUMENT」が建てられていました。この時、9時でした。

最初はこのようななだらかな道が続いていました。

出発地点にはゴミ箱が設置されていました。一般ゴミ用とボトル&缶用の2種類でした。

ダイヤモンドヘッドに関する質問形式の看板が建てられていました。

これから目指すところどす。ダイヤモンドヘッドの名前は空から見た形がダイヤモンドの指輪に似ているからだと思っていましたが、実は19世紀にイギリスの水夫たちがこの山を登った時に火口付近の方解石の結晶をダイヤモンドと間違え「ダイヤモンドヘッド」と名付けたと言われているそうです。 ハワイの先住民は「マグロの額」という意味でハワイ語でレアヒ(Lēʻahi)と呼んでいるそうです。

登山道沿いにはマメ科の木が沢山生えていました。

なだらかな道が続いていますが、山の部分に近づいていることが感じられる景観となってきました。

休憩している人たちも見かけるようになってきました。

山道になってきました。

頂上付近が見える景観になってきました。

火口周辺の低い部分から外側の景色も見えてきて、かなり高くまで登ってきたことが感じられる景観にもなってきました。

溶岩と思われる岩を登る道になってきました。

振り返ると登ってきた道が見えました。

上を見るとまだまだ道が続いていました。

道の途中に見晴らし台がありました。

その見晴らし台の場所にはウインチが設置されていました。昔にこれで荷物を上げたのでしょうか。

さらに上りが続きました。

急な階段になってきました。

その階段を登りつめると岩をくりぬいたトンネルがありました。

トンネルの内部です。

トンネルを抜けるとコンクリートでできた急な階段が続きました。頂上に近づいてきている実感が湧いてきました。階段段は99段だそうです。

急なコンクリートの階段を登りつめるとコンクリーのトンネルがありました。

トンネルの先には螺旋階段がありました。どれだけ登ると頂上に着くのだろうと少し不安にしてくれました。螺旋階段は52段だそうです。

螺旋階段の辺りは1910年に作られた軍事施設のFire Control Station(射撃統制所)だったのです。1900年代(20世紀)に入り、海が一望できるダイヤモンドヘッドはオアフ島の沿岸防衛に理想的な場所とされ、1904年に連邦政府に買い上げられたのち、1908年から1943年まで大砲の砲台などが据え置かれ、軍事要塞化され、山の尾根には沢山のトーチカ(コンクリート建造物)が作られました。ただし現在まで1度も使われることはありませんでした。

Observation Deck(山頂展望台)
4階 Groupment Command Post “Battle Commander’s” Position
3階 Primary Station, Observation Post Battery HARLOW
2階 Secondary Station, Observation Post Battery Randolph
1階 Secondary Station, O.P. Ft. DeRussy, “Fire Commander’s Position” です。

螺旋階段を登りつめると、やっと外の光が見えてきました。
上の図のPrimary Stationの階です。

施設内からの景色です。西北西方向の景色です。

南南西方向の景色です。この時、9時32分でした。上り始めた火口のモニュメントの場所がちょうど9時だったので、ここまで32分でした。

建物の外に出ました。そこには青い海が広がっていました。

南東方向です。

沢山の人が写真を撮っていました。右の部分がコンクリート構造物です。

ワイキキの町が見えます。我々の泊まっているホテルも見えました。

ワイキキの町の方向の景色を拡大いたしました。左の白い建物が我々の泊まったホテルがあるところです。

そのホテルの建物群を拡大いたしました。この建物群で最も右端の建物が我々の泊まったホテルです。

ワイキキの町を拡大いたしました。

我々が泊まったホテルの辺りからダイヤモンドヘッドの頂上付近を撮った写真です。右側の高いところが山頂の展望台です。その山頂の展望台の地下が、上で紹介した太平洋戦争前からの軍事施設Fire Control Stationです。Fire Control Stationから山頂の展望台に登りました。左側の高い部分はトーチカの屋根の上です。

Fire Control Stationから頂上展望台の方向に向かう道です。

頂上展望台へ向かう道の途中から別の軍事施設(トーチカ)が見えてきました。施設の上に人が沢山立っていました。この近くに1943~1944年に建設されBattery 407と呼ばれる軍事施設には海に沈んだ戦艦アリゾナの主砲(35.6cm砲)を設置する計画がありトンネルや砲台は完成しましたが、主砲の周辺機器が使用不可能であったことからダイヤモンドヘッドに主砲が設置されることはありませんでした。ただし後部3番、4番砲塔は無傷のままだったためにオアフ島の東海岸に設置されてペンシルベニア砲台と命名されたそうです。

これがダイヤモンドヘッド頂上の展望台からの景色です。素晴らしい景観でした。標高は232mです。出発地点の火口の標高はGoogle地図で確認すると64mのため標高差は168mとなります。

ここからはワイキキの町全体を見ることが出来ました。

登山道以外は歩くのは禁止です。ホテル近くから撮った写真では軍事施設(トーチカ)の方にも人が行っていました。

軍事施設(トーチカ)とワイキキの町です。

やはり海がある景色はきれいです。

トーチカを拡大いたしました。頑丈そうな構造から、かつては軍事施設であったことが感じられます。

ダイヤモントヘッドに関する説明板も設置されていました。上で紹介したFire Control Stationの断面図は、この説明板の写真から切り取りました。

ダイヤモンドヘッドの内側の火口部分です。建物がある部分が出発地点です。

頂上の展望台から降り始めました。

人が立っている場所の下にもコンクリートの建物がありました。実はこの場所は立ち入り禁止になっているのですが、景色がいいためか人が入っていました。コンクリートの設備はFire Control Stationから頂上展望台の方向に向かう道から見えたトーチカです。

下山方向に進むと別の展望台に行く道があったので、そちらの展望台にも行ってみました。この写真は戻るときに撮ったもので向こう側からこちらに来たのです。

これが今回のルートで最も東側の展望台です。

東方向です。遠くに岬が見えています。岬はココヘッドで、ココヘッドの付け根にある山はココクレーターです。この日の午後にこちらの方向に行ってみました。

上の写真の一部を拡大すると軍事要塞の名残のトーチカが写っていました。

Google地図の3Dで確認すると尾根のトーチカだけでなく、その下の中腹にも大型のトーチカが作られていました。大型の大砲が設置されていたものと推測されます。ちなみにトーチカはロシア語(точка)だそうです。


出発地点の写真です。左端に外側から火口に入ってくるトンネルが写っています。

ここは中腹部分です。

火口部分に下りてきてあらためて頂上付近の写真を撮りました。

冷たいものを飲んだ後にタクシーに乗ってホテルに戻りました。ホテルに着いたのは11時10分でした。ホテルを出発したのは8時45分だったので2時間25分でダイヤモンドヘッドを満喫できました。

山頂付近の登山ルートや展望台を紹介します。太い鶯色と薄紫色でトンネルと階段を表しています。Fire Control Stationからはオレンジ色ルート(━━)で下山いたしました。




━━ 登山道
━━ 山頂付近散策ルート
━━ トンネル ━━ 階段
泊まったホテルの朝食 エッグベネディクト(Egg Benedict) [ハワイ]






飲み物はハワイらしくパイナップルジュースを頼みました。 もちろん生ジュースです。

私が頼んだのはレストランの名物料理であるClassic Egg Benedict (エッグベネディクト)です。エッグベネディクトが2個にポテトとパイナップルが添えられていました。

エッグベネディクトはグリルしたイングリッシュマフィンの上に、ターキーとカナディアンベーコンと半熟のポーチドエッグをのせて、オランデーズソースをかけたものです。

エッグベネディクトを切ってみた写真です。半熟玉子が流れ出ておいしさを伝えてくれました。

家内が選んだのがカイマイ ブレックファースト(kaimana Breakfast)でした。玉子は2個使われています。ベーコンが乗っていますが、ベーコン、ハム、スパム、ソーセージの中から選ぶのです。パンはホールウィートかホワイトトーストを選択します。ポテトの代わりにライスを選ぶことが出来ます。
私と家内は別のものを頼んでいますがシェアーしていただきました。ハワイは1皿の量が多いので、1皿を2人でシェアして食べるのが。量的には丁度良いのですが、いろんなものを食べたいので、それぞれ1皿を選んだのです。

これは冒頭の写真で、食べ終わった8時の写真だったのです。我々が食べ始めた時には空いたテーブルがありましたが、食べ終わった8時には満席で朝食を食べに来た人たちの行列が出来ているほどだったのです。後でわかったことですが、別のホテルから食べに来る人たちが多いことが判ったのです。

場所を紹介します。
店名 Hau Tree Lanai ハウツリーラナイ
場所 ニューオータニ カイマナビーチホテル
The New Otani Kaimana Beach Hotel
住所 2863 Kalakaua Avenue, Honolulu, Oahu, HI 96815
電話 +1 808-921-7018
営業 7:00~21:00
定休 無休

ハワイ旅行の初日の夕食はロブスターテールとガーリックシュリンプ [ハワイ]



これがハワイの料理です。ハワイ旅行の1日目の夕食は娘が友人から教えてもらったシーフードの人気店「Blue Water Shrimp and Seafood」に行ってみることにいたしました。ホノルル美術館からホテルに戻ってきてビーチに出る前にホテルの人から電話してもらい19時に予約してもらうように頼みました。ところがレストラン人の回答は予約は出来ないけれども早めにくれば大丈夫とのことでした。
1日目のため場所が判らないのでタクシーで行くことにして、18時にタクシーを予約してもらいました。タクシーの運転手にはホテルの人から行き先を説明してもらいました。一方通行が多いために一見は遠回りのタクシールートになっています。



━━ タクシールート
レストラン(Blue Water Shrimp and Seafood)について予約が出来ない理由が判りました。ファーストフード店のように並んで料理を注文するタイプのお店でした。確かに人気店で、写真を撮った時は並んでいる人は少なかったけれども、ほとんどは店から溢れるほど並ぶ状態だったのです。そんなことから問題がありました。テーブルを確保しないと食べれないのです。お店の外に沢山のテーブルが置かれているのですが、テーブルが空くのを待っている人が多いために簡単には確保できないために、並んで注文しても料理が出来上がった時に座れている保証がないために、テーブルを確保してから並ぶことになるのです。そのために沢山並んだ人も、ほとんどの人が諦めて離れていきました。諦めようか悩んでいる時に目の前のテーブルが空いて、テーブルを確保することが出来たのでした。

こちらがメニューです。シーフード以外にもいろんな料理がありましたが、食べる料理は行く前からシーフードと決めていました。近くのホテルに泊まっていればテイクアウトして部屋で食べれば確実に食べれます。
メニュー区分は次の4つでした。
TEASERS Appetizers
SURF Seafood
FRESH CATCH Fish
TURF Meat

こちらがメニューの中のシーフード(Seafood)の部分です。お店の一番人気のGarlic Shrimp(ガーリックシュリンプ)とLobster Tail(ロブスターテール)を頼みました。片道のタクシー代はチップも入れてロブスターテールより少し高い程度でした。

並んで注文すると、このカードを渡されるのでテーブルの上に置いておくと店員さんが出来上がった料理を持ってきてくれます。

これがLobster Tail(ロブスターテール)で名前の通り伊勢海老のテールと呼ばれるものをグリルしたものです。テールと呼ばれていますが、日本では身が沢山詰まった胴の部分です。Brazilian Rookという名前が付けられた料理でした。ステンレスの容器に入ったタレをつけて食べました。

ロブスターテールの部分を別角度から拡大いたしました。これは食べごたえがありました。

上の写真をクリックすると拡大しますが、クリック乃面倒な方のために拡大写真を掲載します。クリックするとさらに拡大いたします。

こちらがお店で一番人気のGarlic Shrimp(ガーリックシュリンプ)です。サラダとトーモロコシに加えて、白米のご飯もついていました。

ガーリックシュリンプの部分を拡大いたしました。実は高級店でも入れる服装で行ったのですが、その必要は全くありませんでした。でも味は、人気店というだけのことはありました。帰りはバス一日券があったのでバスで帰りました。お店を紹介します。
店名 BLUE Water Shrimp 又は Blue Water Shrimp and Seafood
住所 Rainbow Bazaar 1st Floor, 2005 Kalia Rd, Honolulu, HI 96815
Hilton Hawaiian Village内
電話 +1 808-955-5400
営業 9:00~23:00
定休 無休

追伸
2018年8月3日から関西に行ってきます。家に帰ってくるのは8月14日です。関西に行っている間はネット事情の関係で皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
ホノルル美術館 本館2階展示室 [ハワイ]


ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)に関して下記の着色タイトルの6つ記事を掲載しましたが、今回が最後の記事です。ホノルル美術館の本館は外観は1階建てのように見えます。航空写真の3Dでも2階に相当する窓がなく1階建てのように見えま

偶々見つけた階段を上ってみると展示室があったという感じなのです。そこで印象的だったのが上の写真のエリアでした。
路線バスでホノルル美術館を目指しました。
絵画編 西洋美術


特別展編 Erick Swenson
モダンアート編

本館2階展示室 ← 今回
中央の中庭の写真を帰国後に見て中庭の周囲の建物が2階建てあることが分かりました。中央の中庭を囲む部分だけが2階建ての建物であることは右上の3Dの航空写真をじっくり見て確信いたしました。

美術館の配置図に追記した青枠の部分が展示エリアでした。よく見ると配置図にTo Floor 2:の注記が書かれていました。注記の内容は次の通りで、フィリピン美術、アメリカ美術、太平洋、アフリカ、古代ラテンアメリカ、北アメリカの展示エリアだったのです。見逃して帰ってしまう人もおられると思い掲載させていただきました。エレベーターは南東の位置(E)にあります。
To Floor 2:
Art of the Philippines
American Art
The Pacific, Africa, Ancient Latin America and North America
配置図の赤枠部分は別館の2階の展示室で、すでに紹介したArt of Hawaiʻiの展示場所でした。ホノルル美術館全体で2階の展示室は青枠部分(本館)と赤枠部分(別館)の2ケ所だけでした。

こちらはThe Pacific(太平洋)エリアです。右側だけに窓があり左側の天井が傾斜しているので、右側が中庭側で左側が屋根の部分と思われます。

こちらはAfrica(アフリカ)のエリアです。こちらも右側が中庭の方のだと思われます。

確証はありませんが、壁の絵画はAmerican Artでしょうか。家具類も展示されていました。

キリストと思われる小さな像が壁一面に飾られていました。こちらも確証はありませんがArt of the Philippinesのエリアのように感じました。私はカトリックではありませんが、2階の展示室で最も印象的な部屋でした。
写真内の左端の大きな木像をネットで調べてみると「St. Thomas Aquinas, 18th century wood statue from the Philippines」と書かれていたことから、



壁の沢山の小さい像を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。いろんなタイプがあるのでキリストだけではないようです。

ホノルル美術館 日本・中国・韓国美術編 [ハワイ]


ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館はすでに下の着色文字の記事で紹介いたしました。意外なことに日本美術の展示に関しても力が入っていました。日本美術の中で最大のコレクションは浮世絵で、その数は10,000点にもなるそうで、米国で最も優れた浮世絵のコレクションの一つと言われています。日本の国立西洋美術館に保管されている松方コレクションの浮世絵の約8200点よりも多い数です。中国や韓国の美術品も沢山展示されていました。上の図でも分かるように日本・中国・韓国美術はホノルル美術館の中でも広いスペースが使われて展示されていました。個の3つのエリアの合計スペースは西洋美術と同程度が使われているほど力が入ったものでした。個々の作品の写真を撮らなかったのが悔やまれま

青枠 日本美術エリア Japanese Art
緑枠 中国美術エリア Chinese Art
赤枠 韓国美術エリア Korean Art
今までに紹介したホノルル美術館の記事です。



Art of Hawaiʻi エリア編
特別展編 Erick Swenson
モダンアート編
日本・中国・韓国美術編 ← 今回
日本・中国・韓国美術エリアは東洋的な中庭の周りに配置されていました。

こちらが日本美術エリアです。美術館の主なコレクションは、ホノルル美術館創設者(女性)であるAnna Charlotte Rice Cooke(結婚前:Anna Charlotte Rice)によって集められたものです。日本語ではアナ・ライス・クックあるいはアナ・シャーロット・クックと書かれています。
彼女は息子4人と娘2人に恵まれました。そして彼女だけでなく夫も長男も次男もWikipediaに書かれているほど著名で活躍した人達です。
彼女の夫の名前はCharles Montague Cookeで、長男の名前も同じCharles Montague Cooke Jr.(動物学者)で、次男の名前はClarence Hyde Cooke(実業家、政治家)です。彼女はハワイの初期の宣教師を先祖とする裕福な一家に1953年に生まれ、1874年に結婚して、1882年に現在のホノルル美術館の場所に家を建てて住んだそうです。夫の事業が成功したこともあり多くの美術品を集めていました。そして夫が亡くなった18年後の1927年に住んでいる家を取り壊して美術館を建てたそうです。そのCooke夫人が特に日本美術に興味を示していたと言われていま

彼女は1920年代~1930年代に横浜の野村洋三を通して多くの有名な作品も購入したそうです。
野村洋三は1894年に右の写真のサムライ商会(古美術商)を24歳で開業し、1938年にはホテル・ニューグランドの会長になり、横浜商工会議所会頭なども務めた人です。


絵画だけでなく漆器(特に沖縄漆器)、彫刻、茶道具、武家文化美術品などといろんな分野の美術品が集められているそうです。とは言え日本エリアでは絵画コレクションが圧巻です。

こちらが中国美術エリアです。いろんな美術品が多く並べられていましたが特に陶磁器は沢山展示されていました。日本エリアと同程度のスペースに沢山いろんな時代の陶磁器が並べられていました。

こちらは韓国美術エリアです。こちらも陶磁器が多く展示されていました。

ここの韓国陶磁は米国の屈指のコレクションだそうです。今まで見る機会が少なかっただけに値打ちがありました。

ホノルル美術館 モダンアート編 [ハワイ]


ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館の作品は今までに下記の3つの記事で紹介しました。上の作品は西洋美術エリアのTemporary exhlbitionsと書かれていた部屋に展示されていた作品です。本作品が常設展示なのか特別展示なのかは分かりませんが、

絵画編 西洋美術
Art of Hawaiʻi エリア編
特別展編 Erick Swenson
今回の展示室の場所は赤枠部分です。
今回紹介するエリアの作品は現代美術(Modernism)に含まれると思います。緑枠エリアの作品に関してはすでに絵画編で紹介しています。
青枠 西洋美術エリア
緑枠 Modernismエリア
赤枠 Temporary exhlbitions

こちらがすでに紹介した緑枠エリアのModernismの部屋です。ここでは絵画が主体でした。右の作品はキリコのThe Greal Machineです。



こちらが作品が展示されていたTemporary exhlbitionsです。右の作品が冒頭の作品です。

そのカラフルな作品を紹介します。壁にかかっていますが絵画ではなく立体的な作品でした。作家であるリキテンスタインは1923年にニューヨークに生まれて、1940年オハイオ州立大学美術学部に入学し、第二次世界大戦後の兵役を含んで1949年に修士号を取得しています。卒業後も大学にとどまり1949年から1951年までは講師で生計を立てながら、当時としては最新の抽象表現主義風の作品を制作していたそうです。

作家 ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)
作品 Woman Contemplating a Yellow Cup
制作 1995年 (71歳 or 72歳)

より雰囲気を感じていただきたくて拡大写真を掲載いたしました。


作家のルイーズ・ネヴェルソンはウクライナのキエフの材木を扱うユダヤ人商家に1900年に生まれ、5年後にアメリカ・メイン州に移住したそうです。木材に親しんだいたことから10歳から木を彫り始めたというアメリカ人女性彫刻家で、本名はレア・ベルリャフスキー(Leah Berliawsky)だそうです。家具のような日用品の廃物などを集め、それらを切り刻んで黒く塗り、黒い箱の中に入れて寄せ集めたアサンブラージュの作品が中心だそうで

作家 ルイーズネベルソン(Louise Neveison)
1900年~1988年(88歳没)
作品 Biack Zag X
制作 1969年 (68歳 or 69歳)

こちらも拡大いたしました。子供の頃の遊び心を忘れないで作ったような作品のように感じました。

別の角度からの部屋の景色を紹介します。壁に掛ける作品だけでなく床に置く作品も展示されていました。

ホノルル美術館 特別展編 Erick Swenson [ハワイ]




ホノルル美術館のホームページのイベントのページを見るといきなり下記の画面が出てきました。彼の作品はグロテスクなものが多いために写真は沢山撮りませんでした。今思えば撮っておけばよかったと後悔しています。これも撮っていない作品の一つなのでホームページから転用させていただきました。クリックするとホームページを表示しますが、将来変更になる可能性があるので画面のハードコピーを表示します。エリック・スウェンソンに関して少しだけ紹介させていただきます。
日本では知っている方は少ないと思いますがアメリカでは注目され始めているそうです。展示されている場所は彼の住んでいるテキサス州が中心ではありますが、他の州や海外でも展示されているそうです。

生れ:1972年ペンシルバニア州フェニックスビル
出身: North Texas大学、School of Visual Arts
現在:テキサス州ダラス在住
作品の展示場所
ダラス美術館 ダラス テキサス州
ナッシャー彫刻センター ダラス テキサス州
ワース現代美術博物館 ワース テキサス州
ヒューストン美術館 ヒューストン テキサス州
ホノルル美術館 ホノルル ハワイ州
ホイットニー美術館 ニューヨーク NY州
シェルドンメモリアルアートギャラリー ネブラスカ大学 ネブラスカ州
マラモッティコレクション レッジョ・エミリア イタリア
サーチ・ギャラリー ロンドン イギリス

今回のエリック・スウェンソンの作品が展示されていたのはホノルル美術館の敷地の中の最も右上に位置する建物の1階にありました。赤色の枠で囲った部分です。案内図には、この展示室はTemporary Exhibititinsと書かれています。今回の展示は2018年3月1日~7月29日とホームページに書かれていました。

沢山の作品があったのですが撮った3枚の写真を紹介します。入口に入って目の前に展示されていたのがこちらの作品でした。頭がハンマーのようになったシュモクザメです。照明の関係で少し色が付いているように見えますが純白でした。きらきらと光っており大理石できていると思われたくらいです。説明板によるとウレタン樹脂にアクリル塗装を行ったものだそうです。
作品 Present in the Past (Swimming with shark)
制作 2018年
材料 Urethane resin, acrylic paint

こちらも有名な作品のようです。入口にこちらの作品の大きな写真が貼ってあったので代表的な有名な作品だと思われます。作品の意味を示す説明はありませんでしたが、類人猿をイメージした作品のようです。材料の中のガラス(glass)は目に使われているようです。ネット上では彼女(She)という表現が使われていました。
作品 Ebie
制作 2002年
材料 Urethane resin, glass, oil paint

類人猿と言えば、現代の人類(ホモ・サピエンス)につながる進化は概ね下図の①→⑨に進化してきたと言われています。Ⓐ~Ⓙは同時期に存在し絶滅した人類です。人類の進化に関する学説はいろいろあり下記の図は現時点における一つの学説です。今後、研究が進めば変化していくものと考えるのが自然だと思います。最近脚光を浴びたルーシーと名付けられた猿人は⑤で、ジャワ原人は⑦になります。北京原人は⑦の亜種とされています。上の作品は現在のチンパンジーなどの類人猿なのか、人類につながる600万年前以前の類人猿を意識したものでしょうか。
① サヘラントロブス・チャデンシス(類人猿 700~600万年前)
② アルディピテクス・カダバ(猿人 580~520万年前)
③ アルディピテクス・ラミダス(猿人 580~440万年前)
④ アウストラロピテクス・アナメンシス(猿人 420~390万年前)
⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス(猿人 390~290万年前)
⑥ ホモ・ハビリス(240~140万年前)
⑦ ホモ・エレクトス(180~20万年前)
⑧ ホモ・ハイデルベルゲンシス(60~40万年前)
⑨ ホモ・サピエンス(現代人 ネアンデルタール人のDNAを約2%含)
Ⓐ ブルテレの足(340万年前)
Ⓑ パラントロプス・エチオピクス(270~230万年前)
Ⓒ パラントロプス・ボイセイ(200~120万年前)
Ⓓ パラントロプス・ロブストス(250~200万年前)
Ⓔ アウストラロピテクス・アフリカヌス(300~200万年前)
Ⓕ アウストラロピテクス・セディバ(180万年前)
Ⓖ アウストラロピテクス・ガルヒ(200~300万年前)
Ⓗ ホモ・ナレディ(不明)
Ⓘ ネアンデルタール人(40~2.8万年前)
Ⓙ ホモ・フロレシエンシス(? ~5万年前)

ネアンデルタール人は約40万年前に出現し2万数千年前に絶滅しましたが、現代人であるホモ・サピエンスのゲノム(DNA)の中にネアンデルタール人の遺伝子が約2%混入している説が2010年5月7日のサイエンスに発表されたそうです。その内容はNHKの人類誕生第2部でも紹介されました。下記は世界各地の現代人の遺伝子の中のネアンデルタール人DNAの割合を示した地図です。


ヨーロッパ 1.8~2.4%
アジア 2.3~2.6%
アフリカ 0.0%

3つ目の作品を紹介します。沢山のカタツムリがビールジョッキに群がっている作品です。カタツムリは本物と見間違えるほどリアルでした。これ以外のErick Swensonで確認してみてください。→ポチッ
作品 Schwärmerei
制作 2012年
材料 Acrylic on resin, silicone

欧米では珍しく撮影禁止の作品が1つだけありました。リアルなカタツムリが無数に並べられている作品でした。そのリアルさを紹介したいのでネットから一部を転用させていただきました。確かにカタツムリの作品のノウハウが詰まっているようで撮影禁止にしているのもうなづけました。
今回のホノルル美術館でのErick Swensonの展示会の記事を書かれている方がおられたのでその方の記事のURLを紹介します。偶然ですが同じ3作品の写真を撮って掲載されておられます。
記事を書かれた方によると「生物に時間が与える影響をテーマに、超現実主義彫刻を作るアーティスト」と表現されていました。
URL:https://ameblo.jp/hawaii-ni-sumu/entry-12356932369.html

ホノルル美術館 Art of Hawaiʻi エリア編 [ハワイ]


上の写真は現在噴火を続けているて話題になっているキラウエア火山を描いた作品です。ハワイ旅行の到着日(1日目)の最初に来たホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)の西洋美術を「絵画編」として先日紹介しました。ホノルル美術館だからこそ充実しているのがハワイ美術です。ハワイを描いた絵、彫刻、装飾美術などが展示されているのがArt of Hawaiʻi(ハワイ美術)エリアです。上の作品もこのエリアにありました。本記事ではハワイ美術エリアを紹介したいと思います。タイトルの中のHawaiʻiはハワイ語です。iとiの間の点は



ハワイ美術エリアはホノルル美術館の敷地の中の最も右上に位置する建物の2階にありました。赤色の枠で囲った部分です。

意外と現代的な作品が沢山並んでいました。

その中で気になったのがテレビゲームの中のキャラクターのような作品でした。調べてみると2002年6月21日に公開された ディズニー映画「 リロ&スティッチ 」の


作品 snitch(スティッチ) オリジナル記事 記事翻訳
制作 2014年
素材 Carved foam, tar, feathers

また2008年からは沖縄を舞台にした日本版スティッチ!も登場いたしました。
こちらはハワイを感じさせてくれる作品が多くありました。カメハメハ大王の像が中央に置かれハワイの景色の絵画や刺繍が展示されていました。

こちにがカメハメハ大王像です。これは屋外に建てられているカメハメハ大王像のミニュチャアのようです。ハワイにはオアフ島に1体とハワイ島の2体の計3体が建てられています。ワシントンの国会議事堂にも1969年に建てられたので世界には計4体があります。クリックすると特別に大きく拡大いたします。

見事な刺繍も展示されていました。説明文を右に貼付いたします。作者の一人であるLioʻi Kaʻananaはハワイ語なので、少なくとも、一人は昔からのハワイの方

作家 Carolina Sharratt と Lioʻi Kaʻanana
作品 Ua Mau Ke Ea O Ka Aina I ka Pono-Halepualani
制作 1932年~1933年
素材 Silk satin, wool batting, cotton


作品名の「Ua Mau Ke Ea O Ka Aina I ka Pono」はハワイ語で、意味は「この地の生命は正義によって維持される / The life of the land is perpetuated in righteousness」だそうです。




作家 James Jack 1979年~
作品 Molokai Window
制作 2018年
素材 Natural pigment, gum arabic on wood




作家のAmbrose Pattersonはオーストラリア人の画家で、メルボルン美術学校を卒業した後にパリで腕を磨いたようです。オーストラリアに戻った後にシドニーからニューヨークに行く途中にホノルルに降りて1916年から18ケ月間ほどハワイに住んでいたそうです。この作品はその時に描いたものと思われま

作家 Ambrose Patterson 1877年~1966年(89歳没)
作品 Mount Kilauea, The House of Everlasting Fire
制作 1917年

迫力のある部分を拡大しました。クリックするとさらに拡大いたします。
ホノルル美術館のArt of Hawai'iエリアに関するWikipediaの記載内容を枠内に転記する形で紹介します。
ハワイの、文字ではなく豊な絵で表現されてきた伝統は、ハワイを描いた絵、彫刻、装飾美術などのコレクションのなかに保存されている。このホノルル美術館のコレクションは、おそらく他のどこよりも優れているであろう。絵画と紙を使った作品がコレクションの中心で、キャプテン・クックがハワイに遭遇した1778年から今日までを網羅している。それらの作品は、18世紀後期から19世紀初頭のヨーロッパやロシアのハワイ遠征隊に伴ってきた画家達や、19世紀の放浪画家達によって描かれたハワイの風景、ハワイの人々の肖像画などである。
ホノルル美術館が所蔵するハワイの鳥の羽製ケープ、木製ヘイアウ(寺院)模型、瓢箪、見事なハワイアンキルトなどは、ハワイで育まれた芸術の宝物である。当館のハワイコレクションは、1778年から始まり現在までいたる。そして、160年以上にわたり、ハワイそして、そこに住む人々に及ぼしてきた一連の劇的な変遷を明らかにしている。

ホノルル美術館 絵画編 [ハワイ]



ハワイ旅行の到着日(1日目)の最初に来たのが前記事でも紹介したホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)でした。ここに来るまではハワイの芸術品が多く集められた美術館だと思っていましたが、

3Dの航空写真でも分かるように広い敷地の中に最大2階建ての瓦屋根の建物で構成されていました。沢山の中庭(Courtyard)があるのもホノルル美術館の特徴でした。2Dの航空写真→ポチッ

こちらが中央の中庭です。北側から美術館の入口側(南側)を撮った写真です。緑もきれいで建物も美しかったです。名前はCentral Courtyardです。そのほかにKinau Courtyard、Mediterranean Courtyard、Chinese Courtyard、PaIm Courtyardがありました。

こちらはChinese Courtyardと呼ばれる中庭だと思われます。

こちらは入口でもらったパンフレットに載っていた美術館の配置図です。緑色の部分が中庭です。冒頭でも説明させていただいたように世界の芸術品が集められた美術館で、いろんなエリアに分かれていました。全体では5万点を越えるコレクションがあるそうです。展示は一部だけのようですが日本の浮世絵だけでも1万点のコレクションがあるそうです。本記事では西洋美術のエリアを紹介したいと思います。パンフレットに載っていた配置図は斜め上空から見た形になっていましたが加工して真上から見た図にいたしました。
西洋美術
ヨーロッパ美術 アメリカ美術 その他地域 近代美術

アジア美術
日本美術 韓国美術 中国美術 その他地域
アフリカ、太平洋諸島、アメリカの伝統的な美術

この部屋はヨーロッパ美術のエリアです。我々のよく知っている作家の作品が沢山ありました。

ゴーギャンと言えばタヒチだと思います。長く住んでいたタヒチへ移住する決心をした背景には、ヨーロッパ人の物質主義的な欲望や価値から自由になりたいという願いあったと言われています。
作家 ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin) 1848年~1903年(満54歳没)
作品 タヒチの浜辺の女たち
制作 1891年~1894年

全ての作品には英語の説明が付けられていましたが、日本人になじみのある作家の作品に関しては日本語の説明もありました。


ピサロの作品もありました。ピサロは最晩年になるまで画家としての活動を精力的に続けて数多くの作品に取り組み、1890年代から1900年代初頭にかけては都市景観図をいくつも制作したそうです。
作家 カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro) 1830年~1903年(73歳)
作品 ボン・ヌフから見たルーヴル宮、霜の降りた冬の朝の陽射し
制作 1901年

こちらもピサロの作品です。ピサロは1874年から1886年までパリで開催された印象派展8回全てに出品した唯一の画家だそうです。この作品ではセーヌ河沿いの都市の生活を表現しているそうです。厚く塗った絵具が生み出す光と影などで活気ある港町を描写しています。
作家 カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro) 1830年~1903年(73歳)
作品 ルーアン、サン=セヴィール、朝
制作 1898年

こちらはクロード・モネの作品です。モネはパリの西約65kmの小さな村ジヴェルニーに小さな家を借りのちに購入しました。水に魅せられたモネは、1893年に野生の睡蓮に覆われた池のある庭の向こう側の土地も購入して、その後30年以上にわたってモネの芸術の主題として描き続けたそうです。
作家 クロード・モネ(Claude Monet) 1840年~1926年(86歳)
作品 睡蓮(すいれん)
制作 1917年~1919年ごろ

絵のタッチを伝えたくて拡大いたしました。クリックすると同じ縮尺で全体を表示します。

中庭が見える窓もきれいでした。

窓越しから見た中庭(Courtyard)もきれいでした。この辺りは1階で構成されていました。ここはMediterranean Courtyardと呼ばれる中庭です。

別の角度から見た部屋の景色です。

ゴッホの作品です。この作品は収穫のシリーズに属し1888年6月の後半に制作された10点の中の一つだそうです。
作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
作品 麦畑
制作 1888年

ゼザンヌの作品もありました。
作家 ポール・セザンヌ(Paul Cézanne) 1839年~1906年(満67歳没)
作品 雑木林、c
制作 1890年

中央の中庭を東方向から撮った写真です。やはり見事な景観でした。最初に紹介した中庭(Central Courtyard)の写真は女性の左の彫像の場所から撮りました。女性像はアリスティド・マイヨール(Aristide Bonaventure Jean Maillol)の作品「ペネロペ(Penelope)」です。ペネロペ像が置かれている台の上を歩けるようになっています。

こちらの部屋には彫像がたくさん並べられていました。

不思議な造形の彫像でした。こちらの部屋では、この彫像だけガラスケースに入れられていたので貴重なものに感じられました。説明書からキクラデス文明(Cycladic civilization)の紀元前2500年~2400年の女性像だそうです。つまり4500年前から4400年前の古いものであることが分かりました。キクラデス文明は新石器時代から青銅器時代初期にエーゲ海のキクラデス諸島に栄えた文明で、エーゲ文明に含められるそうです。栄えたのは紀元前3000年頃から2000年頃で、クレタ島のミノア文明よりも古くなります。本写真をクリックすると彫像の部分を特別に大きく拡大いたします。

こちらの部屋では日系の人の大きな絵が正面に飾られいてました。

本作品は絵の構図や題名から、2001年9月11日の同時多発テロや2004年のインド洋の大津波など、この時代の多くの悲劇を題材にしているようです。絵の中の2つのバベルの塔は、倒壊したワールドトレードセンター・ツインタワーを暗示させていると感じられます。
この大きな作品は日系人作家が描いたものです。寺岡政美は広島県尾道市で1936年に生まれた日系アメリカ人の画家で、米国ハワイ州ホノルル郡ワイマナロに在住している

ワイマナロは相撲の元横綱の曙の出身地でもあります。
作家 寺岡政美(Masami Teroka)
作品 The Cloisters / Tsunami
制作 2002年~2005年

本作家は日系人であることから興味がある方もおられると思うので枠内に説明内容を紹介します。説明板の写真をクリックすると拡大するのでそちらでも読むことが出来ると思います。
Masami Teraoka (American, born Japan 1936)
The Cloisters / Tsunami, 2002-5
Oil on canvas in gold-leaf frame
Gift of Don and Pamela Lichty, 2007(13769.1)
Many of today's artists engage contemporary themes by referencing traditional art history. Since the 1990s, Honolulu-based artist Masami Teraoka has been producing large-scale figurative paintings that address controversial social and political issues. Borrowing his visual vocabulary from Italian and Northern Renaissance painting, Teraoka constructs parables that conflate the evils and misfortunes of the past with the ills of the present. The Cloisters / Tsunami, begun after the events of 9/11, alludes to the biblical account of the Tower of Babel, suggesting a profound lack of comprehension and empathy between and among people and cultures. The painting features twin Towers of Babel under siege, while in the foreground citizens of Babel-whose acts of hubris have brought about the siege-take fight. Teraoka's razor-sharp commentary is aimed at hypocrisy in organized religion, regardless of creed, when acts of violence against people are perpetrated as articles of faith.
沢山の部屋がありました。

253年前となる1765年の古い作品です。
作家 Jean-Baptiste Pillement 1728年~1808年(79歳没)
作品 A Chinoiserie Procession of Figures Riding on Elephants with
Temples Beyond,c.
制作 1765年

こちらはアメリカ美術エリアです。

アメリカ人ですが、主にロンドンで活躍したそうです。印象派の時代のひとですが、浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、

作家 James McNeill Whistler 1834年~1903年 (69歳)
作品 Arrangement in Black No. 5 : Lady Meux
制作 1881年


作家 アンリ・マティス(Henri Matisse) 1869年~1954年
作品 Annelies, White Tulips, and Anemones
制作 1944年

いろんな作風の部屋がありました。

こちらも近代美術のエリアだと思います。

ジョルジョ・デ・キリコはイタリアの画家であり彫刻家で、形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えたそうで

作家 ジョルジョ・デ・キリコ
Giorgio de Chirico 1888年~1978年
作品 The Greal Machine
制作 1925年

沢山の絵画が展示されていました。ここはWorks on paperと呼ばれる作品が展示されているエリアです。

本記事で紹介した作品は青枠エリアに展示されていました。赤枠部分の作品は後日紹介します。赤枠エリアの右側のRobert Allerton Art Libraryと書かれている部屋はア-ト専門図書館で、麻布美術館から寄贈された15,000冊もの書籍が収蔵されています。
青枠 西洋美術エリア
緑枠 Modernismエリア
赤枠 Temporary exhlbitions
