今回ではありませんが、中禅寺湖のほとりに11月13日の晩秋に泊まったことがあります。丁度、今の時期なので紹介いたします。戦場ヶ原から中禅寺湖に下りて来て泊まったホテルです。観光に行ったとき、その町のホテルも楽しみの一つですね。この時に日光で泊まったホテルは、今まで泊まったことのない雰囲気のホテルでしたので紹介させてください。標高1271mの中禅寺湖の湖畔に中禅寺湖温泉街からは離れた、ひっそりと佇んでいるホテルでした。
見ての通り3階建で、木のバルコニーがあるロッジ風の外観が印象的でした。夕日に輝く木のホテルは特にきれいでした。

ホテルは中禅寺金谷ホテルで泊まったのは2階でした。鍵もカード式ではないところがいいですね。


その2階のバルコニーから横のバルコニーを撮りました。別荘をイメージしたホテルと言えるかもしれません。


部屋は全て中禅寺湖に面しておりミズナラの木々の合間から、夕日が沈む瞬間も見ることが出来ました。


夜にはロビーの暖炉に火が入れられました。写真は到着時に撮ったものです。


暖炉の前はゆっくりと寛げる雰囲気にソファーが並べられていました。


中禅寺湖側からみたホテルですが木々に囲まれていて、車で通っていると気がつかない人も多いと思います。


中禅寺湖とは反対側が広いスペースになっており駐車場や玄関も、そちら側にありました。


こちらが露天風呂です。右の露天風呂の写真はネットから拝借しました。露天風呂の写真をクリックすると拡大します。渡り廊下で連絡する別棟(下の写真)で露天風呂の温泉も楽しめました。真中で仕切られていて向こう側が女湯で手前側が男湯です。冷たい空気が気持ちよかったです。泉質は強い硫黄泉で、内湯・露天風呂ともに循環しない掛け流しで、 皮膚病をはじめ、リウマチ、糖尿病、高血圧症、痛風などに効果があると書かれていました。


写真は朝食の風景です。ホテルの自慢はフランス料理です。
料理に関しては別途紹介させていただきました。→ポチッ


部屋も紹介しておきます。ゆったりとしておりトイレと浴室は部屋の左右に別についた豪華な雰囲気です。これらの扉も全て銘木で出来ておりました。これでも料金が一番安いスタンダードツイン の部屋です。


日光で最も有名なのが日光金谷ホテルですが、そのホテルが経営している中禅寺金谷ホテルが今回宿泊したホテルでした。金谷ホテルには感動的な長い歴史があることをホテルの説明で知ったので紹介しておきます。
江戸が明治にかわると、東照宮の門前町として栄えていた日光にも大きな時代の波が押し寄せてきました。
明治4年(1871年)、当時まだ外国人を泊める施設がなかった日光の町で、宿に困った外国人を全くの善意で自宅に招いた青年がいました。若き日の金谷善一朗です。
良心的な青年の対応にその外国人は「これから涼を求めて多くの外国人が日光を訪れるでしょう。私も友人を連れてくるから宿を生業にしてはどうか」と助言を残してくれました。
その人こそがヘボン式ローマ字を提唱し和英辞典の編纂に尽力したヘボン博士でした。彼との出会いが、ホテル業を始める大きなきっかけとなったのです。
明治6年(1873年)、「カナヤ・カッテージ・イン」として夏の間外国人に自宅を提供するようになり、家族総出でお客様のおもてなしをしました。
善一郎を筆頭に妻と妹が掃除、子供達は鶏の羽むしりなどをしていました。
明治11年(1878年)には、イギリスの旅行家イザベラ・バードがヘボン博士の紹介でカッテージ・インを訪れました。
そして同13年(1880年)イギリスで出版された彼女の著書「日本奥地紀行」の中に滞在中の印象が詳しく紹介されると、金谷の名はヨーロッパにも広まりました。
ヘボン博士による知人への紹介もあり、金谷の名は横花・東京の外国人たちにも口コミにより広まり、イギリスの外交官で、日本研究家としても知られるアーネスト・サトウなどがリピーターとして訪れるようになりました。

明治23年(1890年)、宇都宮-日光間に鉄道が開通すると日光を訪れる外国人の数も増えて、日光市内には外国人向けの大きなホテルがいくつも建つようになりました。
小さな家で経営するカッテージインの経営は苦しいものになってきました。
このホテル競争を生き残るため善一郎は、息子には立教学院で英語の教育を受けさせ、本格的ホテルを建てたいと努力をします。
資金がとぼしかった善一郎は、偶然にも30年ぶりに資産家の旧友との再開、資金の援助を受け、建設途中で嵐の為、損傷したまま放置してあったホテル用建物を取得修復し、「カナヤ・カッテージ・イン」開業から20年目にして念願の「金谷ホテル」を、現在の地で始めることが出来たのです。
以来、135年後の今日に至るまでお客様をお迎えし続けているのです。


我々の泊まった中禅寺金谷ホテルは昭和15年に栃木県営の「日光観光ホテル」として誕生し、その建設・経営を金谷ホテルが委託されたのが始まりで、その後の戦争、進駐軍の保養施設、失火による全焼を経て平成4年に現在の建物での営業が始まったとのことでした。
写真は昭和15年当時の中禅寺金谷ホテルです。


 名前 中禅寺金谷ホテル
 住所 321-1661 栃木県日光市中宮祠2482番地
 電話 0288-51-0001  Fax 0288-51-0011