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丹波篠山デカンショ館 第80回ハイク [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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入社時の神戸事業所の仲間との第80回ハイキングでは最初に篠山城を訪れました。クリックすると拡大その後は右の写真の共通券の残りの3ケ所を見ることにして、篠山城の次に向かったのは青山歴史村の中にある丹波篠山デカンショ館でした。篠山城の記事の中で紹介した二階町バス停から篠山城に向かう途中のお堀の傍に建っていた篠山藩地方役所門をくぐってデカンショ館に向かいました。篠山藩地方役所門は明治初期に置かれた篠山藩庁舎の遺構で、篠山城大手門から真っ直ぐ北に進んで篠山郵便局の手前にありましたが、丹波篠山デカンショ館周辺の整備を機会に現在の場所に移設したそうです。

ネットで調べていると郵便局横の場所も元々の場所ではなく、下記写真のように昭和57~58年頃に解体せずにコロ引きで郵便局横の場所に移動している動画が掲載されていました。4枚の写真を6秒ごとに表示していますが、3枚の写真には郵便局が写っているのが分かっていただけると思います。2枚は移動中の写真で1枚は郵便局の近くに設置され塀も新しく作られた写真で、1枚は現在の場所でのお披露目式の写真です。4枚の写真の内、2枚は動画から、2枚はネットから転用させていただきました。
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クリックすると拡大篠山藩地方役所門は切妻、本瓦葺、三間一戸、4本の親柱に2本の控え柱がある趣のある門でした。
本来は青山歴史村も見ることができるはずでしたが地方役所門に貼られている説明板(右に拡大)にあるように青山歴史村は改修工事のために、見ることは出来ないのでデカンショ館のみの見学となりました。青山歴史村の資料の一部はデカンショ館に移して展示されていると書かれています。
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青枠で囲ったところが青山歴史村です。紫色の枠の所がデカンショ館です。本来は青山歴史村の長屋門から入り、青山歴史村側からデカンショ館に入るのですが、我々は駐車場から直接にデカンショ館に入りました。


デカンショ館でもらった青山歴史村の資料に掲載されていた配置図です。この配置図を見ていると青山歴史村が見れなかったのが残念に思えてきました。
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こちらが駐車場側のデカンショ館の入口です。
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デカンショ館の説明資料です。3画面を8秒間隔で切り替えています。内容を読みたい方は画面をクリックすると1枚の大きな画面を表示するので読めると思います。
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こちらがシアター室です。
デカンショ節と言えば「デカンショデカンショで♪ 半年暮らす♪ あとの半年寝て暮らす♪」を思い出される方もおられると思います。全国的によく知られたフレーズですが、放映されているビデオによってデカンショ節が丹波篠山と大きな関りがあったことを知ることになりました。デカンショ館に入ると最初にシアター室でビデオを見ることをお薦めします。そうすることで展示されている資料を興味深く見ることができると思います。内容はデカンショ節の発祥と変遷です。
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バーチャルデカンショ踊りブースです。ここではAR(拡張現実)を活用してデカンショ踊りが再現されています。
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このコーナーには昔の写真やポスターが展示されていました。
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展示されていた昔の写真の写真を紹介します。
デカンショ節が全国に普及したの明治時代です。そのきっかけになったのが東京一高(現在の東京大学と千葉大学)の学生たちでした。明治になり廃藩置県により篠山藩も廃藩となりましたが、旧篠山藩青山家の奨励によって、郷土の秀才を年々東京に遊学され、多くの秀才を養成したことは有名な話ですが、遊学生たちは夏になると房州八幡の浜(現在の館山市)を銷夏地としてやってきていたそうです。明治31年(1898年)の夏にその江戸屋の2階で青山忠允他篠山町出身の若者達が蛮声を張り上げて郷土の盆踊りの唄を歌っているのを、ちょうど階下に居合わせた東京一高の水泳部員たちがこれを聞いて、気に入り篠山出身の若者たちに付添っていた亘理章三郎(後の東京高等師範学校の教授)らから唄の指導をうけ意気投合、そして彼らは東京に帰ってからも自由奔放に唄い多くの学生や若者の共鳴を受けて愛唱されるようになり、デカンショ節が全国に広まったと言われているそうです。そんなことからデカンショ節は学生歌として全国にひろまったようです。
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昔のデカンショ祭りの写真も展示されていました。
デカンショ節は明治大正時代に全国的に学生歌として広まりましたが、元は江戸時代から歌われていた篠山地域の盆踊りの民謡「みつ節」でした。
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丹波篠山の強度品も置かれていました。
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外に出て次の武家屋敷方向に歩いていると、2017年4月25日にお披露目となったデカンショ節の踊り子人形がありました。白い繊維強化プラスチック製で、高さは165cmだそうです。青山歴史村の入口辺りです。
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見事な長屋門がありました。
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その長屋門が青山歴史村の入口でしたが、すでに紹介の通り整備中のために中に入ることは出来ませんでした。
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せっかくなので頂いた青山歴史村の説明資料を掲載します。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
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こちらが説明し利用の裏側です。
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緑のマークの所がデカンショ館がある丹波篠山です。

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新型コロナウイルス感染者の推移 [日々]

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2020年4月02日更新 タイトル:新型コロナ感染者が2500人になりました。

上のグラフはNHKの新型コロナウイルス特設サイトに掲載されている累積感染者の推移です。1週間ごとに数値を追記いたしました。
過去1週間(3月25日→4月01日)で1.9倍(=2495÷1307)なので、この先1週間(4月01日→4月08日)が2.5倍と予想すると6238人(=2495×2.5)になる計算です。1週間前に各自治体から外出自粛要請が行われておりそろそろ効き目が出てくる頃(1週間)で、単なる仮定の数値であり、先のことは判りませんが、1週間で2.5倍になることは医療崩壊が発生する非常に厳しい状況なので、本グラフを紹介させていただきました。さらに以前に掲載したグラフや数値も主要なものは更新させていただいております。
4月2日17時06分に配信されたニュースによると、4月2日に確認された新型コロナウイルスの新たな感染者は東京都内だけで97人となったそうです。NHKが各日の10時30分に発表する日本国内の感染者数を紹介します。患者は=感染-死亡-退院で計算した数値です。
      感染    重症  死亡   退院   患者  新規感染 
 3月29日 1724人  56人  55人  372人  1297人 169人/日
 4月01日 2233人  59人  66人  424人  1743人 269人/日
 4月02日 2510人  60人  70人  472人  1968人 279人/日
 4月03日 2793人  62人  73人  505人  2215人 353人/日 
 4月04日 3139人  64人  77人  514人  2548人 368人/日 

新型コロナ感染に関しては、東京都は日本の縮図です。東京都が守れれば日本も守れるのだと思います。東京都は最新感染動向サイト新規感染者/累計感染者のグラフの埋込コードを公開しており、貼り付けさせていただきました。カーソルを棒グラフの所に持って行くと感染者数と日付を表示します。
これ以外に東京都最新感染動向サイト検査陽性者の状況検査実施状況陽性患者の属性検査実施人数検査実施件数相談件数受診相談麺数地下鉄の利用者数の推移都庁来庁者数の推移の埋込コードも公開しています。
表示に時間がかかることから画面のハードコピーに切り替えました。画面をクリックすると別画面で埋込コード実験的に埋め込んだ記事を別画面で表示します。ただし、8つのグラフの表示するのでパヒコン(PC)だと数分間(約7分)の時間がかかります。スマホだと20秒程度で表示しますが、棒グラフを触っても数値を表示する機能はありません。→ポチッ


日本全体に対する東京都の新規感染者数の割合が分かるグラフを紹介します。日本の合計値(東京都+他)はNHKの発表した人数で、東京の数値は東京都の発表した上のグラフの数値です。日本全体の新規感染者は3月31日から連続最高値を更新し続けて、4月3日には353人/日、4月4日には368人/日となり、非常に厳しい状態となっています。



2020年3月26日更新 タイトル:小池都知事 緊急記者会見
右グラフのように東京都での3月25日の新規感染者が突然に従来の2倍以上の41人になったとの放送があり、深刻な状況つまりオーバーシュート(感染爆発)に至る重大局面であることが現実になってきたように感じます。それに伴って、3月25日の小池都知事の緊急会見で3つのを避ける要請がありました。今までのテレビなどの解説では3つのが重なることを避けると説明されています。重なる表現を抜いたのは画期的です。完全に感染を止めることは出来ませんが感染確率を下げるのが重要だと思います。今まではみんなに受け入れやすいように3つの重なりを避けると表現していましたが、重ならなくても避けることは大切なことです。みんなが実行して新型コロナを乗り越えてもらいたいと思います。右の画面のように3月26日にはさらに多い47人が感染したとのことです。
 1 換気の悪い閉空間
 2 多くの人が集する場所
 3 近距離での接な会話


新型コロナウイルスの感染は、クルーズ船内や屋内や車内での感染が多くみられるます。避ける場所として最初に換気の悪い閉空間が書かれていることからも空気中に漂うウイルスを意識しているように感じられます。現段階では空気中のどのような状態で感染が広がっているかは解明はされていませんが、感染者が空間にいた場合は空気中を漂うウイルスは時間と共に濃度が濃くなる特徴があることから、分からない以上は避けることが大切です。


現時点では自分自身が感染する可能性は少ないかもしれませんが、ひとたび感染が広がると一気に感染確率は上がります。それを抑えられるのは個人個人の行動と言えると思います。個人個人の行動とは自分の感染確率を下げる行動と考えればわかりやすいと思います。人ごみに行く回数を半分にすれば感染確率も半分になるのです。マスクをすれば感染確率は下がる感覚を持たれていると思います。ウイルスや細菌によって感染する場合、一般的に1個吸い込んでも感染しないのです。新型ウイルスの場合はまだ発表されていませんが、他のウイルスでは種類や個人差によって幅がありますが数千個から数10万個吸い込んで初めて感染するそうです。つまり他のウイルスの傾向ではありますが、マスクによって吸い込む数が少なくなれば感染確率が小さくなるのです。さらにマスクによって湿度が保たれて粘膜も正常に保たれやすくなれば付着したウイルスも細胞に到達する前に排出されることも期待できるように感じます。マスクの防御効果を重視しないあるので、あえてマスク効果を書かせていただきました.3密の感染確率やマスクをした場合の確率低減などを常に意識しながら行動すれば感染を防ぐことにつながると思います。マスクは周りの人たちへのマナーでもあるように感じます。
3月25日は日本全体でも最も沢山の人(96人)が感染した日にもなり、3月27日にはさらに多い123人が感染いたしました。東京以外でも新しい感染者が55人も出ています。3月28日には東京都内の新たな感染者が63人確認され、全国では200人の感染が確認されたとのことです。都知事の会見のおかげで自粛ムードにはなりましたが、現在確認されている人は潜伏期間の約1週間前にウイルスを体内にクリックすると拡大取り込んでしまった人たちなのです。今回の3月26日からの自粛効果が確認出来るころ(4月2日ごろ)には相当の感染者になっている可能性が高いように感じます。その頃から少しでも鈍化してほしいものです。まさに瀬戸際なのかもしれません。
 日本全体  200人/日
 東京都   68人/日
 東京都以外 132人/日
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現在(2020年3月27日7時30分)、関西から関東に行くために新幹線で移動しています。新型コロナウイルスの感染の確率を低くするために、泊まっていた実家の最寄駅である逆瀬川駅を始発の5時7分に乗り新幹線の自由席の2号車に乗りました。写真は新大阪を出発してすぐの新幹線で、思惑通り2号車の乗客は私も入れて3名(座席数100席)でした。京都で1名が乗られてきて京都出発時点で4名になりました。混み具合だけを見れば、前日の夜の飛行機をキャンセルして新幹線にしたのは正解だったようです。品川到着寸前でも25名程度でした。問題は通勤時間帯に品川に着くことなので、混んでいないルートで、混んでいない端の方の車両を選びたいと思います。世界全体では、3月27日朝の時点で、検査で確認出来ている感染者数だけで46万人を超えているわけですから、海外と密接な関係がある東京は厳しい中での戦いになるのだと思います。
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2020年3月13日更新 タイトル:3月13日朝の時点の数値に更新
最初に掲載した3月5日から約1週間が経ちましたが、驚く速さで世界に新型コロナウイルが広がりました。掲載しているグラフや数値などを3月13日の朝の状態に更新しました。


2020年3月5日掲載 タイトル:新型コロナウイルス感染者の推移
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連日、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染に関わるニュースで溢れています。中国の感染のピークは2月中旬から後半に向かい、その後はそのままの数値が4月まで続きその後は徐々に下がるであろうとの予測が1月の後半に発表されました。実際にどうなっているのかが気になってニュースを見ていても、それをとり上げている番組が見つかりません。いろんな場所で感染者が出ていることからそちらのニュースばかりが放送されているので、中国の感染状況を放送する時間が少ないために見つけられないのだと思います。そこで中国国内および世界の感染者をまとめている上のサイトの数値を使ってグラフを作って確認してみることにいたしました。上の画面は日本経済新聞の新型コロナウイルス感染マップの2020年3月17日の夜の画面です。

2020年3月5日早朝に記事を掲載した時の日本経済新聞の新型コロナウイルス感染マップの画面です。感染者数のリストで記載のように、僅か24日間で、中国以外が劇的に増加するだけでなく、さらに勢いを増しています。画面をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
      3月04日    3月31日  27日間で
 世界全体 92,916人 → 753,807人 8.113倍
 中国全体 80,270人 → 81,518人 1.016倍
 中国以外 12,646人 → 672,289人 53.162倍
 日本     294人 →  1,923人 6.541倍
 米国     149人 → 163,807人 1,099倍
 イタリア  2,502人 → 101,739人 40.663倍


こちらが2020年1月11日からの主な国の感染者数の推移です。世界全体に合わせた目盛にすると他の国の数値が読み取れないので、世界全体とその他の国は左側の目盛りにしています。本数値は今まではその時点の感染している人の数(患者数)と思っていましたが、最近に患者数ではなく回復者や死亡者も含めた感染者の累計であることが分かりました。中国は多いように見えますが回復した人を差し引いた3月30日時点の感染している人の数は3千人程度に下がってきています。ピークは3月18日で5万8千人程度でした。ちなみに3月18日の中国の累計感染者数は80,894人でした。
中国全体でも湖北省でも増加していますが増加スピードは弱まっています。さらに湖北省では3月3日まで増加していましたが3月4日の感染者数(67217名)は前日の3月3日の感染者数(67217名)と同じでした。このようなことは初期段階を除くと初めてのことで今後の数値を見守りたいと思います。中国が増加が鈍化しているのに対して世界全体の数値を見ると急に増加してきているように感じます。文字が読み取りにくいと思いますがクリックすると拡大いたします。今まで集計に入れていなかった「その他」の国の感染が急激に増加してきています。特にスペイン(11178)、スイス(2650)、オランダ(1705)、ベルギー(1243)、ノルウェー(1169)、オーストリア(1132)、スウェーデン(1059)、デンマー(960)は急速に感染者が増加していて、短期間(数日)の間に日本の感染者数(クルーズ船・不含)を越えてしまいました。括弧内数値は3月17日16時(CET)つまり日本時間3月18日0時にWHOが発表した感染者数です。つまり国内の感染拡大防止だけでなく、広い範囲の海外からの感染者流入を防止(大々的な移動抑制)する段階になってきたようです。
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まだ感染者が少ない国でも変化が分かりやすいように縦目盛を対数にいたしました。ニュースで取り上げられているようにイタリアとイランの感染者数が急速に増えていますが、まだ感染者数の少ないフランス、ドイツ、イギリス、カナダも増加スピートは大きいです。その他の国のラインも上向きに曲がってきているので色んな国に広がってきていることを表しているのだと思います。日本は増加割合(増加数÷現感染者数)はゆっくりのように感じますが分母の感染者数にクルーズ船の感染者706名)が入っているためです。
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そこでクルーズ船の感染者数と日本国内(クルーズ船を含めない)に分けてグラフを作ってみました。日本国内(クルーズ船を含めない)の感染者数は一定の角度で上がっていることから増加割合(増加数÷現感染者数)は下がっておらず、新たな感染者数は今後も増加することを示しており政府が危機感を感じるのは判る気がします。検査体制が十分に整っていないことから、現在の分かっている感染者数は氷山の一角にすぎないと考えるべきだと思います。確かに当分は正念場のように感じます。
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3月17日16時(CET)時点にWHOが発表した数値が16番目までにはスペイン(11178)、スイス(2650)、オランダ(1705)、ベルギー(1243)、ノルウェー(1169)、オーストリア(1132)、スウェーデン(1059)、デンマー(960)が入っていましたが、10日後の3月27日18時(CET)には下記グラフのように順位も数値も様変わりしました。
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人口百万人あたりに変換したグラフも作りましたので紹介します。
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情報が正確かどうかは分かりませんが、湖北省で新型コロナウイルスの感染者の変化は今後の参考になると思うので掲載いたしました。WHOで命名されたCOVID-19(コーヴィッド19)ですが、日本ではCOVID-19と呼ばれることは少なくほとんどが新型コロナウイルスあるいは新型コロナと呼んでいます。
        湖北省      日本
 人口     5902万人   1億2631万人
 人口密度   317人/km²  334.5人/km²
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ここから3枚は日本経済新聞のサイトに掲載されていたグラフを転用させていただいたもので、こちらは1日あたりの新規感染者数(人/日)のグラフです。2月13日に湖北省の認定基準が変わったことでいびつな形のグラフになっていますが、おそらく2月13日の突出した新規患者はその前の凹んだ部分を埋める形が実態なのだと想像されます。そのことから中国での新規感染者のピークは2月中旬であったと想定されます。
一方世界の新規感染者のピークはこれからであることもグラフから読み取れます。これから中国と同じようなピークを見せるのか、どのように変化するかを予想できる人は少ないと思います。比較のために2020年3月5日に記事を掲載した時点の下と同じ新規感染者数(人/日)のグラフを右に紹介します。→日経新聞のオリジナルのグラフ


沢山の方が亡くなっており辛いグラフですが実情を知っていただきたくて死者数のグラフを掲載させていただきます。下のグラフのように新規の死者数は今までは圧倒的にクリックすると拡大中国が多かったけれども3月3日に初めて中国の新規死者数よりも中国以外の国の合計の新規死者数が多くなりました。今後もこの傾向は続くものと思われます。クリックするとイタリア、イラン、韓国の最近の新規死者数の推移のグラフを表示します。
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3月5日と3月13日で一番受ける印象が違うのが死者数のグラフです。こちらが3月5日のグラフです。上の3月13日のグラフと比べてください。
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世界で注目されている6ケ国(韓国、イラン、イタリア、フランス、ドイツ、日本)の1日あたりの新規感染者数(人/日)のグラフも紹介します。クリックすると拡大3月9日までは韓国、イラン、イタリア、日本の4ケ国のグラフでした。クリックすると3月9日のグラフを表示します。韓国の新規感染数は減りました。中国および韓国の新規感染数の推移と対策は参考になると思います。
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今後の新型コロナウイルスの感染を予想するのに最も重要なのが新規感染者数の推移だと思います。WHOや報道機関のサイトによって数字が微妙に違うので、公式的な数値である厚生労働省が公表している数値でグラフ作成しました。確定された人数であることからWHOや報道機関の発表と同レベルで判断する場合は15%増やした数値で見ていただいたら良いと思います。このグラフからも現段階は岐路に立っていると言えると思われます。このあと新規感染者の上昇を抑え込むことができるかどうかは、3月13日から1~2週間で分かるように感じます。グラフをクリックすると1月14日からのグラフを表示します。厚生労働省(厚労省)の発表と他のサイトとの差が分かるように4月04日16時の時点の数値を紹介します。厚労省サイトでは確定者数と表現して「確定日の情報が調査中の症例は含まれていません。」との注意書きをつけていますが、我々にとっては最も重要なスピート感がなく、報道などともかけ離れた意味のない数値になってきました。
クリックすると拡大     感染者  死亡者  重症者
厚労省  2017人
NHK  3139人  77人  64人
日経新聞 3053人  75人
WHO  2617人  65人
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厚労省のように確定した数値だけに限ってグラフ化すると直近の数値は少なめになる傾向になりがちになることから、先を予想する意味においては同じスタンスで書かれたグラフの方が役に立つと思われます。その意味において発表された時点の数値がプロットされているNHKに掲載されているグラフも紹介します。このNHKのグラフと厚労省のグラフで一番顕著なのがNHKなどの報道機関が発表したら4~5日経ってから数値が大きくなって報道機関の発表値に追いついてくることです。つまり現時点から数日前までは厚労省の数値は参考にならないのです。先は読めませんが、少なくとも減少する傾向はまだ見られないことは分かります。NHKの数値はWHOとも近い数値である上、他の報道機関とも近い数値です。厚労省の新規感染者数は感染者の推移とも整合性がとれない数値です。退院(回復)まで長引くのが新型コレラの特徴のようです。3月6日から毎日50人前後の感染者が確認されていることが続いています。この先も新規感染者の推移を注視することが大切です。これが下がらなければ対策を緩めることは出来ないし、上がる傾向になると更なる厳しい対策が必要になりそうです。グラフは3月29日時点で、数値は表示日の10時30分時点です。患者数(感染している人数)は患者=感染-死亡-退院の計算式で計算した値です。
            感染   重症  死亡   退院   患者 
 3月29日 日本国内  1724人  56人  55人  372人  1297人
      クルーズ船 712人   9人  10人  603人   99人
 4月01日 日本国内  2233人  59人  66人  424人  1743人
      クルーズ船 712人  10人  11人  619人   82人
 4月02日 日本国内  2510人  60人  70人  472人  1968人
      クルーズ船 712人  10人  11人  619人   82人
 4月03日 日本国内  2793人  62人  73人  505人  1968人
      クルーズ船 712人  10人  11人  619人   82人
 4月04日 日本国内  3139人  64人  77人  514人  2548人
      クルーズ船 712人   9人  11人  619人   82人
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グラフの更新が出来ない関西で掲載したNHKの画面のハードコピーも新しくしました。新規感染者が3月24日に今までの最大の71人が出たことから現状の対策のままで収束方向に向かう可能性は少なく、オーバーシュート(爆発的感染拡大)を防ぐために、感染確率を下げる対応のレベルアップを個々の人が実行する必要性を感じました。私は3月27日に関西から関東に帰る必要があることから人の少ない4時50分に出発して乗客の少ない新幹線で帰ることにいたしました。元々は3月26日の夕刻の飛行機の予定でした。ニュースで東京都での3月25日の新規感染者が突然に従来の2倍以上の41人になったとの放送があり、深刻な状況(オーバーシュートに至る重大局面)であることが現実になってきたように感じます。3月25日の小池都知事の緊急会見で3つのを避ける要請がありました。今までのテレビなどの解説では3つの密が重なることを避けると説明されています。重なる表現を抜いたのは画期的です。完全に感染を止めることは出来ませんが感染確率を下げるのが重要だと思います。今まではみんなに受け入れやすいように3つの重なりを避けると表現していましたが、クリックすると拡大重ならなくても避けることは大切なことです。みんなが実行して新型コロナを乗り越えてもらいたいと思います。
 1 換気の悪い閉空間
 2 多くの人が集する場所
 3 近距離での接な会話
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参考に韓国の公式サイトの画面を紹介します。
韓国では新型コロナのことを코로나19(コロナ19)と呼んでいるようです。
検査数(累計35万人)が多いデーターであることと、年齢別感染者数が分かることと、感染者数が下がってきていることから、今後の日本の参考になると思います。退院者数も4,528人と多くなりました。今まで時間がかかったことから、感染すると重症化しなくても回復に時間がかかる辛い病のようです。中国でも最近は新規感染者は100人/日を切るレベルになっているにも関わらず感染者数が減らないので、回復者はそれより少ないレベルと言えるようです。つまり感染すれば病状に苦しむだけでなく長期間会社を休むことにもなることを意味しています。下記の数値の年齢別と男女比率以外は2020年3月28日時点の韓国の数値です。右下は3月5日時点の年齢別グラフです。20~29歳の感染者数が多いのが特徴です。3月31時点で患者数がピークを過ぎているのは感染主要国の中では中国(2月18日 約5万8千人)と韓国(3月12日 7470人=7869人-66人-333人)だけです。現在(3月31日)は中国が約3千人で、韓国は4216人です。
 感染者数:9,332人  患者数:4,665 ( =9,3321394,528) 3月28日
      9,786人  患者数:4,216 ( =9,7861625,408) 3月31日
      0~9歳:106人   10~19歳:488人 20~29歳:2508人
      30~39歳:955人 40~49歳:1252人 50~59歳:1738人
      60~69歳:1162人 70~79歳:616人 80歳以上 :416人
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 退院者数:4,528人(回復者数)
 死亡者数:139
 検査人数:352,410人(累計)
 検査中 :15,219人(結果待ち)
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患者数(感染している人の数)のピークの分かるグラフを日経新聞サイトから転用させていただきました。3月30日時点で患者数がピークを過ぎているのは感染主要国の中では中国(2月18日)と韓国(3月12日ごろ)だけであることが分かります。上で紹介した中国のピークの約5万8千人と3月31日の約3千人は本グラフから読み取りました。
    ピーク ピーク患者数 (= 感染者 - 死者数 - 回復者  )
 中国 2月18日 約58000人 (=72436人-1868人-約12568人)
 韓国 3月12日   7470人 (= 7869人-  66人-   333人)
 日本   ?     ? 人
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患者数(感染している人の数)がピークになり、それ以降は徐々に下がっていくのは新規感染者数(人/日)を日々の回復者数(人/日)が上回ることで実現されます。感染した人の回復に時間がかかるところに、新型コロナウイルスの抑え込みに手こず理由があるようです。参考になるかどうか分かりませんが韓国の新規発生感染者数のグラフの中に患者数(= 感染者数-死亡者数-回復者数)がピークとなった日を書き込みました。新規感染者数が下がりきった日がピートとなりその日から患者数は下がり始めました。国によって事情は違いますが新規感染者数を相当に抑え込んで初めて患者数のピークをむかえて回復に向かうことが出来ることだけは言えると思います。
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患者数と感染累積数と回復者(退院者)数の関係を示したグラフを紹介します。本グラフは韓国の例ですが3月12日に患者数がピークとなっているのが分かるっていただけると思います。私は3月19日~3月27日まで関西に行っていて、その間のデーターの取り込みが出来なかったので3月18日~3月27日はデーターが無いため、その間は直線でラインを結んでいます。


クリックすると拡大3月28日の韓国の17ある行政区画ごとの感染者数を紹介します。行政区画ごとの感染者数の更新は合計数の発表から1~3日遅れているので最新ではありません。縦軸は対数目盛にしております。17の行政区画は、道(8)、特別自治道(1)、特別市(1)、広域市(6)、特別自治市(1)で構成されています。17の行政区画を色分けしたのが右の図です。クリックすると拡大するので番号が読み取れます。下記のグラフをクリックすると人口百万人あたりの数値のグラフを表示します。
クリックすると人口当たりのグラフを表示
WHOの感染者マップも紹介します。下記の画面は中央ヨーロッパ時間CET)で2020年4月12日18時にアップデートされた感染状況です。WHOは日本国内とクルーズ船(Diamond Princess)を分けて集計しています。4月02日時点で世界の約100%の国の205ケ国で感染者が見つかる状況になっています。
クリックすると拡大掲載している数値も2020年4月03日18時(CET)にアップデートされた数値です。
 感染者数 900,306人 日本:2,384人+712人(船)
 死亡者数 45,692人  日本:57人+11人(船)
 感染国数 205ケ国  ほぼ100%
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WHOサイトでは右に並んでいる国名をクリックするとその国の感染者数だけでなく死者数や新規感染者数の推移のグラフも表示されます。今話題のイタリアをクリックした画面を紹介します。192ケ国が同じように表示されます。日本を表示させた場合はこちらです。→ポチッ
      3月23日   3月17日   3月10日   3月09日
 感染者数 59,138人 ← 27,980人 ← 9,172人 ← 7,375人
 死亡者数 5,476人  ← 2,158人  ← 463人  ← 366人
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我家のささやかな朗報:消毒用アルコールを見つけました。
新型コロナが話題になった段階で、我家にはマスクは80枚以上ありました。普段は使わないのですが不思議と沢山買ってあったので、マスクに関しては心配ないと思っていました。ところが、娘などに渡すなどしたことから、心細くなってきてアルコール消毒でもして再利用すしようかとしましたがどこも売れ切れでアルコールは手に入りませんでしたが、実はだいぶ前に買ってあった消毒用アルコールを家の中で見つけることが出来ました。それが下記の写真です。少し心配の種が減りました。
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下の画面は2020年3月11日・午後7時(19時)のNHKのTVニュースの画面です。画面の数値をまとめると次のようになります。中国や韓国の新型コロナウイルスの情報から、感染者の回復には時間がかかっている状況のようですが、日本の退院者数(回復者数)を見る限り、治療はかなり善戦していると言えると思います。早期回復者が多い理由には、感染者を抑えることで充実した治療が行えている面もあるとも考えられます。右の画面は3月12日19時にTVで紹介された都道府県別の感染者数です。クリックすると拡大画面内の+18人や+25人の意味が気になりました。1日間の感染数にしては少なすぎるのでネット上で探してみるとWHOで公表されている数値に対しての差に近いことから、どうやら時間の差によるもののようです。
下の数値は下記画面の5日後の3月16日19時の時点です。感染者数・死者数共に増え続けています。5日間で感染者が235人増加しているのに対して、退院者数(回復者数)は50人だけなのです。
 世界感染者数  173,344人 中国:81,116人
 世界死亡者数  7019人   中国:3231人
 感染国数    152ケ国 
 日本感染者数  1547人(クルーズ船含む)
 日本死亡者数  28人(国内) 7人(クルーズ船)
 日本退院者数  622人(25.2%)  韓国:1401人
 感染都道府県数 41  発表なし:6
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秦皇島は万里の長城の東の基点 [長城]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2020年3月30日追記 タイトル:入海石城の写真を追加しました。
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上の写真は中国河北省の秦皇島(しんこうとう)市にある万里の長城の関所にあたる山海関(山海关)と呼ばれている城砦都市の東の城門です。
この城門はGoogle地図上で東羅城あるいは東羅城門と記載されていました。住所は秦皇岛市秦皇岛市山海关区“天下第一关外”と書かれています。
アクセス解析を確認している時に10年以上前の本記事(2009年11月8日掲載)が検索されているのに気がつきました。最近はシステムが変わって検索ワードはほとんどクリックすると拡大表示されなくなったのですが、昨日(2020年3月29日)は古いバージョンのOSを使っている方と思われる検索ワードが右のように表示されました。そこでアクセスされている記事を下の画面で確認してみると255人の方が合計277回ほど「秦皇島は万里の長城の東の基点」という記事にアクセス(ページビュー)していたことが分かったので本記事を再掲載いたしました。きっとテレビで万里の長城の起点に関しての番組の放送があったのではないかと感じました。入海石城の写真も追加いたしました。検索ワードは「万里の長城 起点」と思われます。試しにGoogleやYahooで検索してみてください。もう一つ検索ワードは「ガスコンロ 交換 ブログ」と思われます。→ポチッ
記事初掲載 2009/11/08 閲覧   0 /nice  0 /コメント 0
記事再掲載 2020/03/30 閲覧 2,822 /nice 145 /コメント 28
2020/04/01 閲覧 3,278 /nice 208 /コメント 54
2020/04/05 閲覧 3,545 /nice 237 /コメント 54

こちらが2020年3月29日の24時間のアクセスの状況です。この時点のトップ記事の「新型コロナウイルス感染者の推移」のアクセスが134と多いのは当然ですが、10年前の過去記事がそれを越えて277件なのは驚きです。検索エンジンによる自動情報収集で検索数が多くなることはありますが、その時は訪問者数は少ないままなのです。アクセス数(ページビュー)に訪問者数が近いのは人が実際に検索してアクセスしていることなので、それだけ検索が3月29日にあったことになります。時間帯で見ると8時~17時のアクセスが130件/h(=1168件÷9h)に対して18時~21時のアクセスが235件/h(=704件÷3h)と1.8倍になっていることから2020年3月29日の17時~19時の間のTV放送が関係した可能性が高いと思われます。
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今までに掲載した万里の長城の記事を紹介します。着色文字のタイトルをクリックすると記事を表示します。右の私の写真はフィルム時代に初めて長城に行った時(1995年4月17日)の写真です。他は全てデジカメ時代の写真です。
クリックすると拡大 万里の長城は大渋滞
 断崖の上の長城 司馬台
 これぞ万里の長城
 南六楼では皆が友達
 万里の長城の雨樋
 入海石城
 秦皇島は万里の長城の東の基点
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2009年11月8日掲載 タイトル:秦皇島は万里の長城の東の基点
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クリックすると拡大この写真は万里の長城の東の基点(起点)が2009年11月3日に訪問した秦皇島の山海関(山海关)で最も大きな門の上に建っている建物(楼閣)です。その山海関(さんかいかん)は河北省遼寧省の省境に位置するクリックすると拡大万里の長城の東端にある要塞で、明代は北方民族である女真の侵入に対する防衛の要とされたそうです。大きな門に掲げてある「天下第一関」と称されていますが、クリックすると拡大これは山海関が、東から数えて最初の関所であったことを示しているそうです。ここから海の方に徒歩で6.8km行ったところで万里の長城は右の写真のように海に落ち込んでいます。そこは入海石城と呼ばれています。右の写真をクリックすると入海石城の記事を表示します。

門の強固さを感じていただくために再掲載を機会に写真を追加いたしました。これが東羅城あるいは東羅城門です。羅城門(らじょうもん)は、都市を取り囲む城壁である羅城(らじょう)の門の意味です。
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東羅城門のトンネルです。長さで城壁の厚みが分かっていただけると思います。こちらも追加した写真です。
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壁が大きいのでなかなか地上から全景がとれませんでした。こちらが地上から撮った写真の中でもっとも長城を実感できる写真だと思います。
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天下第一関の扁額が掲げられた建物(楼閣)がある城門の上に登っていく坂道から撮った景色です。要塞と呼ばれるだけのことはあって城壁は高く頑丈そうでした。城壁の上に建っている建物は牧菅楼です。山海関は明代の1381年将軍徐達が築いたとされ、北に燕山山脈を望み、東に渤海湾を望むところから山海関と名付けられたそうです。長城は、海に突き出している老龍頭から山海関を通り、燕山山脈の支脈角山へと続いています。大部分は1987年以降に修復されたものです。八達嶺長城の記事で紹介した、同じ形の雨樋がありました。
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城門の上に登る坂道です。城門の上の楼閣が見えていもす。この楼閣に天下第一関の扁額が掲げられいます。
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クリックすると拡大城壁の上に登って撮った景色です。遠くに見えている城壁の上の建物が上だも記載した牧菅楼です。城門の上は広くて右のような角度からの写真も撮れました。
万里の長城は、今まで国家文物局の発表(2009年4月18日)により東端の遼寧省虎山から西端の甘粛省嘉峪関まで総延長は8,851.8kmとされていたが、2012年6月5日に総延長は21,196.18kmと修正発表されたそうです。現存する人工壁の延長は6,259.6kmだそうです。
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こちらの写真も城壁の上を撮ったものですが、城壁の広さには驚かされました。いざと言う時は沢山の兵隊が守ったのでしょうね。
漢代は臨楡関と称され、明代に山海衛が設置された後に山海関と称されるようになったそうです。明末はヌルハチ、ホンタイジによる満洲族の侵入を阻止し、守将であった呉三桂が清朝に帰順するまで不落の要塞でした。再掲載を機会にクリックすると拡大するように設定いたしました。


城壁に作られたトンネルを見てもすごい要塞であったことがわかります。満州事変の舞台となった場所でもありました。その時に、初めて近代兵器によって陥落したとのことなので、単なる遺跡ではなく近年まで要塞として活躍した場所でもあったいうことになります。こちらの写真も拡大するようにいたしました。


この山海関は長城と城砦都市を囲む形でつくられていることが地図で表されています。城壁は、周囲は4.3km、高さ14m、厚さは7mあり、4つの城門とその上に楼閣が設けられた。「天下第一関」の額が掛けられている東の城門だけが現存していました。
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城砦都市の中心に鐘鼓楼がありました。
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山海関の航空写真を拝借いたしました。中央が上の写真の鐘鼓楼です。この写真を見ても山海関は要塞都市であったことがわかります。ここは皆さんが生活している場所でもありますが、2008年頃から街並みが復元され始めてたそうで観光にも力が入っている感じでした。これからは観光都市になっていくのでしょうね。


丹波の篠山城 第80回ハイク [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今回は、私にとっては4回目の参加となる第80回ハイクの記事を掲載させていただきます。今回は兵庫県の丹波篠山の散策ですが、その中のメインイベントは篠山城の訪問です。上の写真は篠山城の石垣です。本記事では、その篠山城を紹介させいてただ来ます。80回続いている本ハイキングは私が入社して配属になった神戸事業所の方が数年前に初められました。私は第72回に初めて参加させていただきました。メンバーは関西に住んでおられる入社当時の人たちで懐かしい人たちなのです。私のみ関東在住なので関西に行ったときに参加させていただいています。
先頭の☆マークが参加あるいは参加予定のハイクと飲み会です。※印の第81回と第82回ハイクは新型コロナウイルスの感染拡大のために中止との連絡が入りました。次は安心して集まってハイキングをして飲み会も出来るようになってからになるそうです。このハイキングに参加するきっかけは2018年12月26日の忘年会への参加でした。
☆    2018年12月26日(水) 忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
☆第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
☆    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
☆第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
☆第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
☆    2019年12月25日(水) 忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
☆第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
※第81回 2020年03月21日(土) 青春18きっぷによる敦賀市内散策
※第82回 2020年04月16日(木) 明智光秀の居城・福知山城を巡るハイク

クリックすると拡大集合はJR福知山線の篠山口駅に10時のため実家の最寄駅の阪急・逆瀬川駅で8時48分発の電車に乗るために8時半ごろに実家を出発いたしました。写真は逆瀬川駅の名前の元となった逆瀬川(武庫川の支流)です。右側の川沿いの道を登っていくと六甲山に行けます。見えている山が六甲山のの東の端になる東六甲エリアです。高校時代から関東に転勤になるまではよく歩いたところです。自転車でもよく六甲山を登りました。今は判りませんが、そのころは競輪選手がトレーニングのために自転車で登る道でもありました。川の左側の建物のために見えませんが建物の向こうに甲山があります。川の右端まで戻ると甲山が見れます。次は甲山も入れた写真を撮りたいと思います。
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上で川の端まで戻って写真を撮ると書きましたが、川の端では甲山は見えなかったので道路の端まで戻って撮ってみました。この位置だと甲山を撮ることが出来ました。六甲山の裾野も写っています。
六甲山は「ろっこうさん」と読みますが、甲山は「こうさん」「かぶとさん」ではなく「かぶとやま」と読みます。六甲山(ろっこうさん)は百万年前以後の六甲変動と呼ばれる地殻変動によって隆起し約1億年前に地下深くで生まれた花崗岩が露出した山ですが、甲山(かぶとやま)は1200万年前に噴火して出来た山で、岩質は輝石安山岩で出来ています。六甲山の名前の由来は諸説ありますが、最も夢が込められた説は、神功皇后が朝鮮遠征から帰還する途上に反乱者に襲われ、反乱者六人を捕らえ、その六人の首と兜を埋めたのことから六甲山の名前がついたというものですが、、六甲の字が使われ始めたのが江戸時代の元禄の頃なので信憑性はないようです。甲山の名前も諸説ありますが、確信が持てるまでは至っていないようでが、「かぶと」と読むことから形に由来しているように感じます。
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こちらが逆瀬川駅です。8時48分発の電車に乗る予定でしたが余裕で8時42ふんの電車に乗れました。
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こちらがJR宝塚駅です。
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そして、こちらがJR宝塚駅の改札口です。お袋と年4回行く山口県への墓参りの時に必ず使っている駅です。ここから新大阪駅まで乗り換えなしで行けるので利用させていただいているのです。その時に乗り換え時のお袋の車椅子の貸し出しをお願いしていて親切な対応に感謝している駅でもあるのです。
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8時50分発の新三田行の普通電車がありましたが、残念ながら新三田は篠山口よりは手前の駅なので、予定通り9時2分発の篠山口行きの快速電車を待つことにいたしました。
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改札からホームに降りると8時50分発の新三田行の普通電車がすぐに入ってきました。
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日本海側にある城崎温泉に行く特急こうのとり75号の写真もとることが出来ました。
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私が載った9時2分発の篠山口行きの快速電車です。この写真を撮るために先頭斜視量に乗りました。今回のハイキングの参加者は10名で全員がこの電車に乗っていたことは篠山口のホームに降りて初めて知りました。ただし宝塚駅から乗ったのは私を含めて6名で他の4名は神戸電鉄で新三田まで来て乗り換えたそうです。宝塚から乗った6名の方の中の1名の方とは電車に乗ってすぐに気が付いたので話しながら電車の旅を楽しむことが出来ました。
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道場駅の近くの景色です。電車に沿って流れているのが武庫川で、正面から流れてくるのが有馬の方から流れてくる支流だと思います。合流部分に岩があり小さな滝になっている景観でした。
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篠山口駅に着きました。ホームの階段の近くで全員が待っておられました。
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篠山口駅の改札口から外に出ました。
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篠山口駅は町から離れているので、このバスで町の中心地に近い二階町まで移動しました。すぐに出発したので駅の周辺の写真は撮れませんでした。
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そこでバスの車内から撮ったJR篠山口駅の写真を紹介します。写真の中の右側のバス乗場からバスに乗りました。
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こちらがバスの車内です。
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篠山の町に入ると昔の雰囲気のある街並みがあちらこちらにありました。
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二階町に着きました。
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二階町では我々だけでなく沢山の人が下車されました。


バス停の前で町の中をどのように廻るかを決めて出発しました。とりあえずは篠山城に行くことにいたしました。
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途中に大正ロマン館があったので中に入りました。昔、篠山町役場だったそうです。
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大正ロマン館の中には趣のあるカフェもありました。
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こちらが土産物売り場エリアです。私は黒豆パンをお土産に買いました。
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こちらがお土産で買った黒豆パンです。
大きな丹波篠山の黒豆が入ったパンでした。
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やはり大正ロマン館は篠山町役場でした。説明を読むと大正11年11月に新築上棟式を行い大正12年4月から篠山町役場として使われてきたそうです。役場として引退したのは平成4年3月なので約70年間町役場として活躍した建物でした。大正ロマン館として第2の活躍が始まったのは平成5年6月3日だそうです。この後、すぐに篠山城に向かいました。
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大正ロマン館館を出て城に行く途中に趣のある建物群と門がありました。クリックすると拡大建物群は青山歴史村で新しい建物のようでしたが、門は地方役所門で古いもののようでした。右の写真は大正ロマン館を出たところでした。このころも新型コロナウイルスの感染者が出ていましたが、まだ少なかったけれどもハイキングに参加した人の多くはマスクをしていました。
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地方役所門の場所から振り返ると篠山城の台形状石垣と堀が広がっていました。1609年(慶長14年)に城が築城されていましたが明治維新で廃城令により大書院以外は取り壊されたそうです。その大書院も1944年1月6日の夜にに火災により焼失したそうです。その大書院は地元の方々の長年の思いにより2000年3月に復元されたそうです。台形状の石垣の上の三角形の屋根が復元された大書院です。
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上の写真は本地図の北堀と書かれた位置の左側(西側)の道の辺りから撮りました。二階町バス停や大正ロマン館は、そこから北方向(上方向)に行ったところにあります。正方形の城を外堀の北堀、西堀、南堀、東堀が囲む平山城でした。
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上の地図に書かれていたa、b、c、dの部分の説明資料の中の写真を紹介します。b以外のa、c、dに関しては私が撮った写真も下の方で掲載しています。
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航空写真を紹介します。航空写真内の+のアイコンを1回クリックすると上の図と同程度の縮尺になります。


こちらが北堀です。かなりの幅の広さです。これからも防御に徹した城であったことがうかがえます。
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北堀を渡って三の丸から撮った篠山城の中枢部の写真です。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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石碑の前で記念写真を撮りました。左側の道を進むと城の中枢部であった天守台、本丸、二の丸、大書院に行けます。篠山城は関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康がクリックすると拡大豊臣氏の大阪城の包囲と豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために篠山盆地に築いた城です。築城工事は西日本の15カ国20諸侯の大名に夫役を命じて普請方式で行われ、僅か1年足らずの1609年(慶長14年)に完成したことは有名な話です。
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この道を上がっていきました。この道は北廊下門跡でもあります。両側に高い石垣がある部分に表門(大手門)がありました。大きな門であったことが石垣の高さから想像できます。
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北廊下門の両側は堀(内堀)になっていました。こちらが東側の内堀です。
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そしてこちらが北廊下門の西側の内堀です。
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表門跡を通過したあたりです。
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表門を右に曲がったところに中之門がありました。枡形と呼ばれる構造で侵入した敵軍の動きを妨げるための広場です。
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この辺りに中之門があったようです。見事な石組みです。角の部分の出角の部分は「算木積み(さんぎづみ)」の工法が使われていて、その他の部分は自然石をあまり加工しないで積む「野面積み(のづらづみ)」です。石積みは滋賀・近江の穴太衆(あのうしゅう)によって行われたそうです。
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石垣に使われている石にはマークが入れられたものがありました。何のためのマークかは中で放映されている映像を見てもらえれば判ると思います。
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マークを拡大いたしました。いろんな場所で見ることが出来ます。
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門が取り付けられている場所に鉄門がありました。表門(大手門)からこ鉄門の部分が最終的な防御線だったようです。
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ここに鉄門がありました。
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鉄門跡を抜けると大書院が見えてきました。
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クリックすると拡大北廊下門から鉄門までの防御の構造説明図があったので紹介します。この説明図は右に小さく表示している二の丸御殿整備図の一部を切り取ったものです。整備図から石垣に使われている石は黒系花崗岩と白系花崗岩と錆系花崗岩であることが判りました。画面をクリックすると二の丸御殿整備図全体を表示します。
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正面に見えているのが大書院の入口です。先ずは大書院の内部を見学してから城をみることにいたしました。
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大書院だけのチケット400円ですが、街の中にある武家屋敷(200円)と青山歴史村(デカンショ館 300円)と歴史美術館(400円)をセットにした共通券にすると600円で見れることから共通チケットを購入いたしました。単独で入ると合計で1300円になるので共通券を買うことをお薦めします。それぞれの場所に行くとコーナー部の三角形が切り取られます。右上のコーナーが大書院なので写真を撮る間もなくその場で切り取られしまいました。
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チケットを買った時にいただいた4つの歴史館の資料を掲載いたします。クリックすると面積で16倍に拡大するようにいたしました。これならば内容を読むことが出来ると思います。
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こちらが資料の裏側です。
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大書院の中では先ずは展示室を見ました。篠山城の歴史が判ります。
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藩主の正室が嫁入り道具として持参した「古今集かるた」も展示されていました。
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天保10年3月5日(1839年)に12代将軍・徳川家慶が13代藩主・青山忠長に与えた知行宛行朱印状です。
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明治初期の大書院です。一部だと思われますが、まだ銃口のある城壁が石垣の上に残っているが判ります。
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シアター室で13分の映像による説明が行われていました。
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大書院の内部を見学させていただきました。入口近くの部屋です。
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大書院で最も広い虎之間です。広さは36畳です。もうすぐ雛祭りの時期だったので雛人形も飾られていました。上の写真も虎之間です。
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雛人形を紹介します。正面からの写真です。
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斜めからの写真です。建物内の写真はOKですが、文化財保護の観点からフラッュは禁止されていました。
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髪形が面白いので拡大いたしました。
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襖(ふすま)の前に柵が置かれて「入室はご遠慮ください。」と書かれた闇リ之間(くらがりのま)がありました。残念ながら襖が開いていなかったので部屋を見ることは出来ませんでしたが、大書院の建物の中心にある18畳半の部屋です。襖が閉まって照明が無ければ、昼間でも名前の通り真っ暗の部屋なのだと思います。今回、唯一見ることが出来なかった部屋です。
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回廊沿いの隣りの部屋(手鞠之間)には鎧(甲冑)も沢山展示されていました。
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大書院の中央には9つの畳の部屋があり、周囲に回廊のように板床の広縁がありました。内部の保護のためか板戸(雨戸)は少し隙間を開けて締められていました。チケット売り場でいただいた資料には9つの部屋のうち8つの部屋に名前が書かれていました。
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板戸の隙間から撮った北方向の外の景色です。山の景色は昔と同じと思うと感慨深いものがありました。
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クリックすると拡大その広縁(回廊)も見事でした。回廊の先の左側に車寄せがあると思われます。右の小さな写真がチケット売り場でいただいた説明書に載っていた車寄せです。車寄せを外から撮れる場所には行けなかったので説明書の写真を使わさせていただきました。
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大書院の模型が置かれていました。前に置かれているのはオリジナルの鬼瓦だと思います。模型で入口のようになっているところが、上で説明した車寄せです。現在は展示館の方(模型の右側)から出入いたします。
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鬼瓦の一つを拡大いたしました。
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別の角度から見た大書院の模型です。模型が置かれていたのは源氏之間です。
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金屏風が置かれている部屋もありました。名前は草花小禽図屏風(そうかしょうきんびょうぶ)です。篠山藩主青山家に伝えられていた屏風で、江戸時代後期に狩野養川によって描かれたものだそうです。
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金屏風が置かれている部屋の前の広縁は、文化財の保護のためか暗くなっていました。実は上の写真はかなり暗くて絵が見えにくかったのですが、パソコン(PC)で露出調整をして絵が見えるようにいたしました。部屋の名前は葡萄之間(21畳)でその前に車寄せがあります。つまり写真の左端の柵が写っているところが来るの寄せです。写真撮影は許されていますが、フラッシュを使っての撮影は文化財保護のために禁止するとの表示もありました。
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由緒ある篠山城の梵鐘も展示されていました。この梵鐘は4代藩主・松平安信が1672年(寛文12年)に二世安楽を願って作り、篠山城内の道場にかけていたそうです。その後、京都の新熊野権現社や蓮花寺に移されていましたが、310年ぶりの1983年に篠山に戻ってきたそうです。
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大書院で最も格式の高い上段之間です。部屋には付書院、大床、天袋、違棚、帳台構を備えた正規の書院造りの見事な部屋でした。右端の絵が連なった部分が帳台構です。
本写真も絵が見えるようにPCで露出調整させていただきました。こちらは隣の部屋(次之間)の前の広縁(回廊)から撮りました。写真の右下のコーナー部分の1段低くなっているエリアが次之間です。
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こちらの部屋の絵も見事だったのでPCで露出調整いたしました。上段之間の隣の次之間です。上段之間と次之間の間には襖(ふすま)はなく一つの部屋のようになっていますが上段之間が一段高くなっています。この写真は上段之間側の広縁から上段之間越しに撮った写真なので左下コーナー部分に少しだけ上段之間の畳が写っています。
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抹茶や和菓子が楽しめるエリアもありました。このエリアの前の部屋は孔雀之間で、この部屋にも甲冑が展示されていました。
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こちらが孔雀之間の甲冑です。最初に紹介して甲冑が置かれていた部屋は別の部屋です。全員ではありませんが記念写真も撮りました。
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珍しく小さな部屋があったので写真を撮っておきました。写真を撮った順番などから上段之間の帳台構の裏側(上段之間と孔雀之間の間)にある9つ目の部屋と思われます。この部屋にも入ることが出来ません。後でわかったことですが、この部屋には帳台之間という名前が付いていました。
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大書院の平面図を紹介します。上段之間と次之間の位置関係が判っていただけると思います。すでに紹介した大書院で最も広い虎之間や、金屏風が置かれていた葡萄之間や、甲冑が置かれていた手鞠之間と孔雀之間や、大書院の模型が展示されていた源氏之間の位置も判ると思います。クリックすると拡大唯一、写真が撮れなかったのが闇リ之間ですが、虎之間にあった闇リ之間の入口の右の写真の襖(ふすま)は撮りました。
 入れる部屋  孔雀之間 虎之間 手鞠之間 
 入れない部屋 上段之間 次之間 葡萄之間 源氏之間 闇リ之間 帳台之間
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上の平面図の中の1~6の部分の写真が説明書に乗っていました。その6枚を紹介したいと思います。1と6以外は掲載した私の写真の中に写っています。探せば見つかると思います。
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広縁を一周してしてきて雛人形の置かれている部屋に戻りました。我々が来たときは人が少なかったけれども沢山の人が見学に来られていました。きっとNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の影響が篠山城にも影響しているのだと感じました。もちろん明智光秀の時代には篠山城は作られていませんが明智光秀の居城の福知山城が近いのです。
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大書院の内部を見た後は外から大書院を見たり本丸や二の丸エリアを見学いたしました。写真は西南西方向から見た大書院です、
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クリックすると拡大こちらは南南西方向から見た大書院です。大書院の前の大きな広場は二の丸御殿があった場所です。地面には、そこに何があったのかが右の写真の白いタイルで表示されていました。大書院の左の建物は資料館です。
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防御に徹した城と言うことで、沢山の井戸が掘られたことも有名です。その中のいくつかが今も残されていました。
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井戸の上には転落防止用の細かい目の鉄格子が取り付けられていますが、その間から中を撮りました。目では全く判りませんでしたが、PCで露出調整してある程度は見えるようにいたしました。
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二の丸の最も南から撮った大書院です。
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その場所に門がありました。名前は埋門と呼ばれていて非常時には埋めて遮断することになっていたもんだそうです。後で知りましたが近くの石垣には普請総奉行の池田輝政の刻印が残っているそうです。門を出てすぐ右(西側)の石垣にあるそうです。
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ダメ元で、撮った写真の中から探してみると、刻印が写った写真がありました。これが普請総奉行の池田輝政の刻印です。もらった説明書に乗っていた写真と見比べてみた結果、正真正銘の池田輝政の刻印でした。
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反対側(東側)の石垣も紹介します。こちらには刻印らしいものはありませんでした。
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門の外側から内側を撮りました。足場がないので、この写真を撮った位置よりも遠くからは写真は撮れませんでした。石段の上に見えている屋根は大書院の先端です。
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次に行ったのは本丸のあったエリアです。本丸エリアには神社が建てられていました。
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大書院の説明板が建てられていました。クリックすると説明が読める大きさに拡大いたします。
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大書院の間取りが書かれていたので掲載いたします。上で紹介した間取り図とは南北が反対です。こちらの間取り図は下方向が北になります。この図でわかったのが大書院の中の部屋を紹介した時に名前が無い小さな部屋を紹介しましたが、帳台之間(帳台の間)という名前が付いていることが判りました。つまり名前の付いている部屋が8つではなく次の9つだったのです。
 入れる部屋  孔雀之間 虎之間 手鞠之間 
 入れない部屋 上段之間 次之間 葡萄之間 源氏之間 闇リ之間 帳台之間 
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青山忠誠公追墓碑がありました。篠山藩第5代藩主青山忠良の十男で、明治時代の華族(子爵)だそうです。陸軍軍人で数少ない華族出身の将校の1人だそうです。
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神社を別の角度からも撮りました。
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天守台です。建っていた建物が見てみたいです。
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これが天守台の上です。景色が見事でした。
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本丸エリアの井戸も保存されていました。
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明治維新で廃城令により大書院以外は取り壊され、現在は外堀と内堀のの間に篠山小学校が建てられています。この小学校で勉強したことは一生の思い出となることでしよう。
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本丸エリアから二の丸エリアに戻って大書院の写真を撮りました。地面に白いものが見えると思いますが、上で紹介した二の丸御殿の中の設備の位置が書かれているのです。
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二の丸御殿の設備の場所を示す白いタイルです。ここに側用人詰め所があったことを示しています。
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二の丸御所の配置図です。立派な建物だったと想像できます。黒色の四角が設備の場所を示した白いタイルの位置だと思います。
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Googleの航空写真を拡大すると南北が反対ですが二の丸御殿の輪郭と白いタイルが確認できます。画面左端の中央に二の丸御殿整備図と記載した赤色長方形が上の説明図か書かれていた表示版です。表示版にGoogle地図の航空写真とQRコードを張り付けてGoogle地図で確認できることを追記すれば興味を持ち、その場でスマホを操作して確認する人も出るように感じます。


別の角度から見た大書院です。上の2枚上の二の丸御殿の配置図で説明するならば左下角方向から撮った写真です。Google地図であれは右上方向から見た構図になります。
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最後に大書院の前で記念写真を撮りました。右端が私です。
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入口でいただいた大書院の資料も掲載したいと思います。こちらのクリックすると面積で16倍に拡大いたします。
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こちらが裏側です。
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この後石垣で囲まれた坂道を下りて次の目的地の青山歴史村(デカンショ館)を目指しました。その後に武家屋敷に行き、昼食(そば処 一休庵)のあとに歴史美術館に行き、最後にお土産を買うために丹波栗菓匠大福堂に行きました。
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丹波篠山の場所を紹介します。緑色マークの場所が丹波篠山でそこに篠山城があります。青色マークが福知山城です。大阪城の場所にも黄色マークを付けました。最後の武将名は築城主です。
 篠山城  1609年築城 徳川家康
 大坂城  1583年築城 豊臣秀吉
 福知山城 1579年築城 明智光秀


追伸
2020年3月19日から関西に来ています。関東に帰るのは3月27日にその間はネット環境の関係から皆様のところに訪問できないことをお許しください。
タグ: 丹波 篠山
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今年の雛祭りには久々の「はま吸い」が付きました。 [雛祭り]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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雛祭りと言えば散らし寿司なので近くのスーパーに散らし寿司用の材料を2020年3月3日買いに行きました。大抵の材料は家にそろっているので刺身と、寿司の上に飾る海老と椎茸用の干しシイタケ(どんこ)だけのよていでした。すると地元千葉県産の大きなハマグリが売られていたのです。ひな祭りと言えば「散らし寿司」と「はま吸い(はまぐりの潮汁/ハマグリの吸い物)」ですが、いつもハマグリの価格を見て断念していたなの何年も食べていませんでした。大きなハマグリだったので思い切って「はま吸い」を作ってもらうことにしました。その代り刺身はやめました。「はま吸い」用に三つ葉も買いました。

薄い出汁でハマグリを入れて中火で温めて殻が3枚ともに開いた瞬間です。
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そのハマグリを拡大いたしました。この写真は特別に大きく寛大するように設定したので是非とも写真をクリックしてみてください。
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クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
ハマグリの分類を紹介します。ただしハマグリ(Meretrix lusoria)の本来の分布域は日本本土の東北地方以南と朝鮮半島の一部の淡水の影響のある内湾の砂泥底に生息していましたが、生息地の浅海域が破壊されて絶滅危惧II類(VU)となってしまいました。ハマグリの名で流通しているのはハマグリ(M. lusoria)とチョウセンハマグリ(M. lamarckii)とシナハマグリ(M. petechialis)の3種です。チョウセンハマグリとハマグリは古来から日本に生息していますが、シナハマグリは移入されて繁殖はしていますが日本在来種ではありません。チョウセンハマグリ(朝鮮蛤)は韓国が原産地というのではなく茨城県からフィリピンに広く生息している日本の在来種です。右下の写真で3種類のハマグリを順番に表示しています。
クリックすると拡大  界 動物界      Animalia
  門 軟体動物門    Mollusca
  綱 二枚貝綱     Bivalvia
 亜綱 異歯亜綱     Heterodonta
  科 マルスダレガイ科 Veneridae
 亜科 ハマグリ亜科   Meretricinae
  属 ハマグリ属    Meretrix
  種 ハマグリ     Meretrix lusoria
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クリックすると拡大こちらが完成した散らし寿司とハマ吸いと菜の花のおひたしです。冒頭の説明に入れていませんでしたが、菜の花も雛祭りらしいので、スーパーで買いました。散らし寿司飾ってもいいなと思いましたが、三つ葉は2束セットでものすごい量だったのでおつ篠飾りは三つ葉に任せて菜の花はお浸しにしたようです。三つ葉は、この後、4回の食事に出てきたほどの量があったのです。
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こちらが今年の散らし寿司です。やはり雛祭りぽくなります。
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お寿司を拡大いたしました。
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こちらが菜の花のおひたしです。すこし苦みがあるのがいいですね。
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そして、こちらがこの日のメインデッシュのハマグリのお吸い物つまり「はま吸い物」です。身が大きくて分厚くて食べごたえがありました。ハマグリのダシもしっかりと汁に出ていました。一番大きなハマグリを選んでよかったと思った瞬間でした。朝一に買いに行ったのも良かったみたいです。
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三つ葉でハマグリの身が見えないので、持ち上げで撮りました。ほんと肉厚でした。さすが千葉県産でした。九十九里浜産とまでは書かれていませんでしたが、千葉県産ハマグリと言えば九十九里浜です。
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やっぱり熱燗が飲みたくなります。元々はビール派なので、毎回違う日本酒を買っていましたが、剣菱を一度買ってからは味が気に入って熱燗をする時期は剣菱を続けて買っています。ということで、この日も剣菱でした。
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食事の後は桜餅にいたしました。
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雛祭りバージョンのキャラメルコーンもいただきました。
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青魚の缶詰 オメガ3たっぷりのひきわり納豆入りしじみ汁 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2020年1月8日のNHKあさイチ(放送:午前8時15分~9時54分)で、オメガ脂肪酸をとり上げていました。上の画面などでオメガ6脂肪酸(ω6/オメガ6)とオメガ3脂肪酸(ω3/オメガ3)を比較して説明が行われていていました。TVの中ではω3とω6の推奨摂取比率は1:2と分かりやすい表現されていました。範囲で示すならばω3とω6の望ましい摂取比率は1:1~1:4と書かれていました。
ω3の中のEPA+DHAは1日1g(1000mg)以上の摂取が推奨されています。上の画面は8時35分でした。

植物及び微生物は、ω3とω6を自ら生成することができますが、人を含む動物は自ら生成することが出来ないことから食物連鎖の中で摂取蓄積しているそうです。動物は自ら生成できないので食べるものでω3が多いかω6が多いかが決まって来るそうです。例えば牛はトウモロコシなどの穀物を与えられていてω3は少ないけれども、牧草で育てられた牛はω3が多くなるそうです。その中で魚や海の動物はω3が多く蓄積する傾向にあるようです。ω3とω6共に自ら生成できないことから両方共に摂取が必要な脂肪酸でありますが、現代人は食生活の変化によりω6は十分(あるいはそれ以上)に摂取出来ているのに対して、ω3が不足気味になっていることから積極的にω3を多く含む食べ物を多く摂取することが推奨されているのです。昔からオメガ3は体に良いと言われて、アマニ油なども買ったのですが、油としてはあまり美味しくなかったので長続きしませんでした。
クリックすると基準値を表示ちなみにオリーブオイルに含まれるオレイン酸などが分類されているオメガ9(ω9)はヒトを含めた動物の体内で合成できるため必須脂肪酸ではありませんが重要な脂肪酸です。オレイン酸以外にエイコセン酸、ミード酸、エルカ酸、ネルボン酸などがあります。
クリックすると基準値を表示動物性脂(油)に比較的多く含まれる飽和脂肪酸に関しては成長期の17歳以下の数値設定はありませんが、クリックすると基準値を表示18歳以上は全摂取カロリーの7%以下を目標量としています。
参考に必須脂肪酸の摂取基準を記載いたします。日本の基準は健康増進法第30条の2に基づいて定められたものです。ω3のα-リノレン酸とω6のリノール酸が狭義の必須脂肪酸と呼ばれるのに対して、ω3とω6は広義の必須脂肪酸です。
必須脂肪酸ISSFAL 2004日本 2015USA 2005
ω3 ω3脂肪酸 2.0~2.4g1.6~1.9g  
 α-リノレン酸2 g  1.6g 1.1g
 EPA / DHA0.5g以上    
ω6 ω6脂肪酸 8~11g 7~9g  
 リノール酸4~5g  14~17g 11~12g
1g = 1000mg  1日摂取量    
クリックすると基準値ょ表示

クリックするとmg表示日本の基準は健康増進法第30条の2に基づいて定められた必須脂肪酸の摂取基準は範囲で書かれていますが、実際には右の表のように年齢ごとに定められています。特に幼児期から成長期は細かく定められていることを調べてみて初めて知りました。表だけでは分かりにくいのでグラフ化したものを下に表示しました。成長期の変化を分かりやすくするために年齢軸を対数目盛と通常目盛りを6秒間隔で表示するようにいたしました。グラフをクリックすると通常目盛りのグラフを表示いたします。オメガ6脂肪酸(ω6)は実線で、オメガ3脂肪酸(ω3)は破線で表示させています。
右上の表をクリックするとmg表示を別画面で表示します。
クリックすると通常目盛

そんな中で手軽にオメガ3をとる方法として青魚の缶詰の比較も行われて興味深く感じたので写真に撮りました。この画面は9時10分でした。以前からサバ缶は手軽なのでよく買っていたのでイワシ缶やサンマ缶も興味が湧きました。オメガ3の推奨摂取量は1日あたり1600~2400mgなので、確かに手軽に必要摂取量がとれることが分かりました。意外なことにツナ缶(マグロ缶)のオメガ3は少なかったです。
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我家にある青魚の13種類の缶詰です。以前はサバ缶を中心に2~3種類でしたが、番組を切っ掛けにいろんな缶詰を買ってみたところ13種類になったわけです。ただし買う缶詰は、価格は100円前後のもので200円を超えるものはありません。魚の種類はサバとイワシとサンマです。味の種類は水煮と味噌煮と味付ですが、左下の缶詰は、さばトマト煮です。珍しいので買ってみました。
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こちらの写真が蓋を開けた、さばトマト煮です。ことらは温めてトマトのタレと一緒に食べました。
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家にある全ての青魚の缶詰です。13種類20個の缶詰があります。
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今までイワシの缶詰は買っていなかったのですが、テレビでイワシの水煮にはオメガ3が4073mg/100gも入っていると説明があってからはイワシの缶詰を買うようになりました。今は、いわし(鰯)の缶詰は3種類(水煮、味噌煮、味付)で6個あります。
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右下の写真はイワシ水煮缶に書かれていた成分表示です。TV放送での、いわしの水煮のオメガ3の4073mg/100gが正しいとすれば、こちらの缶詰は内容量が150gなの1缶では6110mg/缶(6110mg/150g)ということになります。DHAもEPAもオメガ3の中の1つなので、少なくともオメガ3はDHA+EPAより多いことになります。ただし、身だけではなく汁も食べた時の数値なのです。
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缶詰の種類 いわし水煮 150g缶
基準重さ 1缶あたり 100gあたり
たんぱく質 17.7g 11.8g
脂質(ω3+他) 24.0g 16.0g
炭水化物 1.1g 0.7g
食塩相当 1.2g 0.8g
水分 その他 106.0g 70.7g
DHA 2063mg 1375mg
EPA 3689mg 2459mg
DHA+EPA 5752mg 3834mg
TV放送 ω3 6110mg 4073mg
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缶詰の蓋を開けてみました。やはり油がかなりの量です。この油の中に中にDHAやEPAなどのオメガ3が沢山含まれているのだと思います。やはり汁を美味しく食べる方法は大切なようです。Wikipediaに書かれていた自然界に見つかる一般的なオメガ3を一部だけですが紹介します。
略名慣用名組織名数値
   all-cis-7,10,13-ヘキサデカトリエン酸16:3
 ALA α-リノレン酸 all-cis-9,12,15-オクタデカトリエン酸18:3
 STD ステアリドン酸 all-cis-6,9,12,15-オクタデカテトラエン酸18:4
 ETE エイコサトリエン酸 all-cis-11,14,17-エイコサトリエン酸20:3
 ETA エイコサテトラエン酸 all-cis-8,11,14,17-エイコサテトラエン酸20:4
 EPA エイコサペンタエン酸 all-cis-5,8,11,14,17-エイコサペンタエン酸20:5
 DPA ドコサペンタエン酸 all-cis-7,10,13,16,19-ドコサペンタエン酸22:5
 DHA ドコサヘキサエン酸 all-cis-4,7,10,13,16,19-ドコサヘキサエン酸22:6
  テトラコサペンタエン酸 all-cis-9,12,15,18,21-テトラコサペンタエン酸24:5
 ニシン酸 テトラコサヘキサエン酸 all-cis-6,9,12,15,18,21-テトラコサヘキサエン酸24:6

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脂の量を知りたいので、計量カップに汁を写してみました。缶詰の缶に書かれている成分表には脂質は24gと書かれていることから脂質の80%以上が汁の中にあることになります。オメガ3ものその資質の中に含まれていると思われることから汁を食べなければオメガ3の80%は無駄になってしまうと思われるのです。味噌煮の場合は汁をご飯にかけて食べても美味しくいただけますが、水煮の汁は臭みもあるので、美味しく食べるのは難しいと思えたので味噌汁に入れることにしています。アマニ油は長続きしなかったと冒頭で書きましたが、本方式は続けれているので紹介することにいたしました。
 内容量(150gのイワシ水煮缶)
  汁の量  70ml
  脂の量  22ml(20g)
  身の量  82g = 150-(70-22)-20 逆算
 汁の食べ方のお薦め
  水煮缶  味噌汁に入れる
  味噌煮缶 ごはんのタレ 又は 味噌汁に入れる
  味付缶  ごはんのタレ 又は 味噌汁に入れる
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我家ではこの即席みそ汁(しじ汁)を使っているので、その食べ方を紹介したいと思います。そしてひきわり納豆も入れて、しじみ納豆汁にしているのです。
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本当はひきわり納豆を使うのですが、偶々、家にひきわり納豆がなかったので、普通の納豆を料理バサミで切ってひきわり納豆風にすることにいたしました。時々やっていますが面倒です。
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よくかき混ぜたひきわり納豆と味噌を器に入れたところどす。具はお湯を入れる寸前に入れます。この間にイワシを汁と一緒に温めています。お湯も沸かしています。
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いわしの缶詰の汁と身は小さな鍋で温めます。冷たいままの汁を味噌汁に使うとぬるい味噌汁が出来てしまうので、温めているのです。一時期は電子レンジで温めていましたが、庫内に臭いが付くので鍋で温めにことにいたしました。電子レンジで温めた場合は、身が爆発して飛び散ることがあるので器に移してしっかりとラップをして、ラップの真中に穴を開けておきます。
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温めたイワシ缶の汁を入れたところです。
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お湯が沸いたら具を入れます。
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お湯を入れてかき混ぜて薬味ネギを入れたらオメガ3たっぷりのひきわり納豆入りしじみ汁の完成です。
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この日の夕ご飯です。メインはセイゴ(スズキの子)の塩焼きです。
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買ってきた1匹170円のセイゴです。元々は往復歩いて1万歩(11770歩)の青魚の安いスーパーにイワシかサバを買いに行ったのですが、クリックすると拡大安いセイゴが売られていたので方針変更でそのセイゴを買ってきました。この日はサバが1匹150円でイワシが8匹で80円前後(重量で値段が違う)でした。サバかイワシを買っていれば青魚の缶詰は食べませんでしたが、セイゴの身が白身なのでオメガ3を補うためにイワシの缶詰を食べることにしました。
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これがセイゴの塩焼きです。1匹を半身に2つに分けて食べました。
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身の食感を感じてもらいたくて、ほぐした部分を拡大いたしました。鯛の塩焼きに近い味わいです。
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味噌汁もアップしました。オメガ3たっぷりのひきわり納豆入りしじみ汁です。いわしの脂がかなり浮いています。
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缶詰のイワシの身の部分です。そのまま食べましたがマヨネーズも会うと思います。
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こちらが茎ワカメの和え物です。実はyokomiさんの「旬です 若布の茎」の記事を見て茎ワカメを買ってきて作りました。
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クリックすると拡大買ってきた新物の茎ワカメでした。沢山の量があったので3回に分けて食べました。今回は最後の3回目なので買ったばかりの右の写真の1回目の写真ほどの緑は残っていませんが美味しくいただきました。
手前のメカブは朝食用です。
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茎ワカメのタレは柚子醤油にいたしました。
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セサミンの摂取を期待して途中ですりごまをふりかけました。
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和食なので日本酒が飲みたくなりました。
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全て完食いたしました。
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いわしの味付缶で味噌汁を作った時の写真も紹介します。
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即席のしじ汁の味噌と温めた缶詰の汁をお椀に入れたところです。
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具を入れた写真です。この時はひきわり納豆は入れませんでした。
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完成したオメガ3入りしじみ汁です。
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下の写真の缶詰の缶に書かれている成分表のオメガ3(ω3)に関係する部分をまとめてみました。サンマの水煮缶は見つからなかったので空欄にしています。DHAやEPAはω3ですが、ω3にはそれ以外にもALAやSTDやETEやETAや DPA など沢山の種類があるので合計のω3の量は缶に書かれている成分表からは判りませんが、DHA+EPAの量は参考になります。いわし(鰯)はEPAが多くて、さば(鯖)はDHAが多いことが分かります。2人で1缶を汁も含めて食べたとすれば冒頭で記載したDHA+EPAを1日に1g以上をクリアー出来ることになります。
確かにイワシの水煮はDHA+EPAだけで4000mg(4g)に近い数字になっています。今までは気にしていなかったけれども缶詰メーカーもDHAやEPAを意識した表示にしていることも、今回知りました。赤色文字がω3に関係した部分です。後で分かったことですが、13種類の内5種類が海外製作であった中で不思議と全て国内材料で国内製造の缶詰を選択していました。
魚の種類     さんま   さば   いわし
味の種類     味付 味噌 水煮   味付 味噌 水煮   味付 味噌 水煮
たんぱく質 g   11.9 13.4     14.7 14.0 13.3   12.0 12.8 11.8
脂質(ω3+他) g   11.3 9.0     15.5 17.9 19.8   19.4 16.8 16.0
炭水化物 g   8.0 9.2     7.5 7.4 0.0   7.0 7.8 0.7
食塩相当 g   1.3 1.3     1.2 1.1 0.8   1.3 1.1 0.8
水分 その他 g   67.4 67.1     61.2 59.6 66.1   60.3 61.5 70.7
DHA mg   1077 1197     1500 1767 1967   1290 1230 1375
EPA mg   539 568     1101 1233 1467   1862 1670 2459
DHA+EPA mg   1617 1765     2601 3000 3434   3152 2900 3835
TV放送 ω3 mg     2200 3142     2786 2633     2523 4073
TV放送 ω3:1月8日放送NHKあさイチ  1g = 1000mg  100ℊあたり
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こちらが上の写真の表側です。一度、缶詰の成分表示を見てみるのも面白いと思います。もしかしたら下記の計算例のようにDHAやEPAのサプリメントよりも安上がりかもしれません。サバ缶の値段は120円にしていますが、近くのスーパーでは特売で100円の時もあります。
 サプリメント           サバ缶(190g)
 24000mg=100mg/粒×240粒   28500mg=5700mg/缶×5缶   
 9500円              600円=120円/缶×5缶
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さば味噌煮も特別に紹介したいと思います。現在下記の3種類のメーカーのサバ味噌煮の缶詰があります。表側と成分表示がある裏側を紹介しています。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。
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上の写真の真中の缶詰を食べてみることにしました。成分表示を紹介します。TV放送でのサバ味噌煮のオメガ3の2786mg/100gが正しいとすれば、こちらの缶詰は内容量が190gなの1缶では5293mg/缶(5293mg/190g)ということになります。八戸で国内産サバと信州味噌を使って作っているそうです。
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缶詰の種類 さば味噌煮 190g缶
基準重さ 1缶あたり 100gあたり
たんぱく質 26.6g 14.0g
脂質(ω3+他) 34.0g 17.9g
炭水化物 14.1g 7.4g
食塩相当 2.1g 1.1g
水分 その他 113.2g 59.6g
DHA 3357mg 1767mg
EPA 2343mg 1233mg
DHA+EPA 5700mg 3000mg
TV放送 ω3 5293mg 2786mg
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缶詰の蓋を開けた写真です。
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小さな鍋でイワシ水煮缶の時と同じように身と汁を一緒に温めました。
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汁は御飯にかけて食べるつもりで、テーブルには汁と身は分けて出しました。
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この日の夕食です。メインは大きな紅サケです。
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このように汁は御飯にかけて食べました。これが意外と美味しいのです。
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これが紅サケです。
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身の断面も紹介します。
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生のなめ茸を入れた味噌汁です。
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トマトもたっぷり食べました。
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記事を掲載してから新たに100円前後の青魚の缶詰を2種類見つけたので15種類になりました。それを機会にメーカー名や原材料の水揚げ場所や加工場所を調べてみました。国内製造で頑張っている製品もありますが海外から輸入している缶詰も多かったです。しかし驚いたことに輸入品でも魚の水揚げ場所は全て日本国内なのです。日本から海外に輸出してそこで加工して日本に輸入しているのです。だからこそ日本国内水揚げ材料使用と缶の表に書けるのだと思います。この表はあくまでも100円前後の缶詰で、高級品は含んでおりません。写真には写っていませんが3月3日にさらに国産製造で200円以下のサバ缶 の水煮と味噌煮を見つけたので現在は17種類です。
メーカー名 魚水揚げ 製造工場 種類 水煮 味噌 味付 トマト
マルハニチロ 北海道釧路 北海道釧路 いわし  
マルハニチロ 北海道 北海道釧路 さんま    
宝幸 日本 青森県八戸 さば  
高木商店 日本 茨城県神梄 さば    
極洋(輸入) 日本 フィリピン さば    
極洋(輸入) 日本 タイ さば    
相浦缶詰(輸入) 日本 マレーシア さば    
ノルレェイク(輸入) 日本 タイ さば      
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さば水煮の汁で味噌汁を作ったので紹介したいと思います。今回は海外で作られた缶詰を使わしていただきました。上の方の表で紹介したサバ水煮と大きく違うのが脂質でした。上で紹介したサバ水煮の100gあたりの脂質は19.8gなのに対して6.3gと3分の1でした。脂質が少ないためかω3のDHA+EPAは少ない目ですが、1日の推奨摂取量(1000mg)に比べれば十分に多い量です。
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缶詰の種類 さば水煮 150g缶
基準重さ 1缶あたり 100gあたり
たんぱく質 24.0g 16.0g
脂質(ω3+他) 9.5g 6.3g
炭水化物 0.2g 0.1g
食塩相当 1.1g 0.7g
水分 その他 115.2g 76.9g
DHA 510mg 340mg
EPA 2100mg 1400mg
DHA+EPA 2610mg 1740mg
TV放送 ω3 3950mg 2633mg
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蓋を開けてみました。イワシの水煮の写真の時は油が浮いていましたが、こちらでは油は目立ちませんでした。
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計量カップに汁を移してみると油が少ないことがはっきりいたしました。クリックすると拡大右の写真のように同じ150gのイワシ水煮缶では22mlの油が浮いていましたが、分離した形での油はほとんどありませんでした。今回は身は冷たいまま食べるので、計量カップの汁は味噌汁に入れるために電子レンジで温めました。沸騰すると庫内が臭くなるので500Wで50秒の温めにいたしました。
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身はぎっしりと入っていました。切った身の大きさを見て人が詰めているので人件費の安い海外で製造しているのではないかと感じました。
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今回の味噌汁にはサバ缶の汁を入れるだけでなく、こちらの市販のひきわり納豆を入れることにしました。
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さらにメカブも入れることにしました。
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ひきわり納豆とメカブは事前によく混ぜて粘りを出しておきます。
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さば水煮缶の汁を入れた写真です。これに具を入れてお湯を入れた後に、ひきわり納豆とメカブと薬味ネギを入れるのです。
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買ってきた小さなサボテンが花を咲かせました。 雪晃(Parodia haselbergii) [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大以前に右の写真のオキザリス・ナマクアナの花を紹介したことを覚えておられる方もおられると思いますが、そのオキザリス(カタバミ属)が気に入って昨年の11月6日に別の種類のオキザリスを買いに行った時に、300円~500円の小さなサボテンも5つほど買いました。驚いたことに買ってから2ケ月半後(74日目)の2020年1月19日に1つのサボテンに花が咲き現在(2020年2月22日)も咲いているので、咲き始めてから、現在までの姿を紹介したいと思います。

2019年11月6日に買ってきたのがこちらの写真の3種類のオキザリスと5種類のサボテンでした。サボテンの名前は左から雪晃(400円)、黄金司(300円)、美青丸(300円)、ブカレンシス(400円)、バニーカクタス(550円)で、価格は税込です。花が咲いたのは一番左の雪晃(セッコウ)でした。
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こちらが植え替え前の雪晃です。
小さなポットに400円(税込)のタグが貼られています。
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植え替えたオキザリスとサボテンです。
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植え替えたサボテンの写真です。この時はさほど注目していなかったので単独の写真は撮っていなかったので、上の写真から切り取りとって回転させて掲載させていただきました。
この時点で花の蕾らしいものは全くありませんでした。
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サボテン用の荒い土なので少しの振動でも安定しないことから、簡単に鉢やサボテンが倒れないように4つまとめてステンレスの器に入れました。寒くなって夜には家に入れるのですが、まとめて移動できるので便利でした。
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晴れた日は毎日外に出していたのですが、2020年1月19日に写真のように花が咲きました。少し前から赤い蕾が付いているのは気が付いていたのですが、突然に咲いたのでした。最初に撮った写真がこちらの写真です。
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花を上から撮りました。FC2ブログでも本記事を掲載しました。記事掲載初期にはGoogle Imagesに本写真も出ていましたが今はありません。→ポチッ
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拡大しました。さらに赤い蕾が2つあるのが分かっていただけると思います。
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横からみた拡大写真も紹介します。雪晃の花期は概ね春と秋だそうですが、今回の場合が最も寒い冬(1月と2月)であるように、実質的には特に定まっていないそうです。天候や育てている環境で大きく前後するそうです。寒くなって夜は暖房の効いた屋内に入れて、温かい昼間は外に出すことを毎日つづれていたことで冬に咲いたとも考えられます。
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翌日の1月20日のサボテンです。少しだけ花びらが開いたようです。この時はどこまで開くのか判らないので頻繁に撮りました。
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1月20日の拡大写真です。
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さらに1日経った1月21日の写真です。オキザリスの花は毎日開閉を繰り返していましたが、サボテンの花は夜も昼も開いたままでした。1月19日と比べると花びらが広がってきて来ているのが分かっていただけると思います。
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1月21日の花を横から撮った写真です。新しい蕾が大きく膨らんできています。
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最初の2輪が咲いて5日目の1月24日に新しい2つの蕾も咲いて4つの花が咲いた状態になりました。1月24日に咲いた花はまだ花粉を出していませんが、1月19日に咲いた花も花粉は少ない状態です。
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同じ写真ですが、花の部分を拡大いたしました。大きく開いた左右の花の間から新しい花が咲いて来たことが分かっていただけると思います。
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1月30日の状態です。後から咲いた花も大きく開いたので、4つの花がいずれも大きく開いた状態となりました。花粉が少し見られるようになりました。
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上の写真の翌日の1月31日です。4つの花の花びらが開いた姿は見事でした。
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拡大いたしました。花粉の量が増えたように感じます。
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さらに1日経った2月1日の状態です。
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花を拡大いたしました。
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変化を見ていただくために2月4日の写真も紹介します。
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こちらが拡大写真です。
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花粉が多くなったようなので花粉が付着した部分を拡大いたしました。
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関西に出発する前日の2月6日の状態です。
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写真には写っていませんが花びらの下に小さな蕾が2つありました。関西から帰宅する2月17日までは確認できないので気になっていました。1月24日に咲いた方の花にも花粉が沢山付いていました。
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関西から帰ってくると4つの花はしぼんでいて、小さな蕾だった花が咲いていました。写真の中に萎んだ4つの花がらが残っています。留守にしていた11日間に劇的に変わりました。家内に聞くと6つの花が同時に咲くことはなく、4つの花がしぼんでから2つの花が咲いたそうです。関西から帰宅した翌日の2020年2月18日の写真です。
4つの花がしぼんだ日は正確には判らないのですが2月13日前後で4つとも同時に近かったそうです。
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上の写真を撮った2月18日の正面からの姿です。
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拡大した花の写真も紹介します。
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2月22日の朝の状態です。朝日に当たってきれいな透き通るような色になっていました。2月18日とあまり変わっていません。花は長持ちするようです。サボテンの品種は雪晃(せっこう)で、サボテン科パロディア属(旧ブラジリカクタス属)に分類されるそうです。Parodia haselbergii(ドイツ語:翻訳)にはParodia haselbergii subsp. haselbergii(Parodia haselbergii ssp.haselbergii)とParodia haselbergii subsp. graessneri(Parodia haselbergii ssp graessneri)があるようです。日本で呼ばれている雪晃と黄雪晃なのかもしれません。調べてみるとParodia haselbergii ssp.haselbergiiは雪晃で、Parodia haselbergii ssp graessneriは黄雪晃でした。
原産地はブラジルで、リオグランデドスル州(Rio Grande do Sul)の西部および北西部と、 サンタカタリーナ州(Santa Catarina)の南部に広く分布しているそうです。緯度(Latitude)的には-29.4°~-27°なので日本で言えば奄美大島や喜界島(緯度:28.3°)あたりになります。クリックすると拡大
確かではありませんがサンタカタリーナ州の北のパラナ州(Paraná)にも自生している記載もありました。
 界 植物界     Plantae
   被子植物    Angiosperms
   真正双子葉類  Eudicots
 目 ナデシコ目   Caryophyllales
 科 サボテン科   Cactaceae
 連 ノトカクタス連 Notocacteae
 属 パロディア属  Parodia
 種 雪晃      Parodia haselbergii
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雪晃の原産国のブラジルと対蹠地(地球の裏側)を重ねた地図を紹介します。
沖縄と鹿児島の間あたりの地球の裏側が自生地で、奄美大島あたりが中心であることがクリックすると拡大分かっていただけると思います。日本の対蹠地(たいせきち)の大部分が海ですが、右の地図のように種子島の南西部~奄美大島~沖縄~石垣島~与那国島までの島々と五島列島の一部には、陸地(赤色)の対蹠地があることが判ります。クリックすると地球全体の対蹠地地図を表示します。
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2月22日の花を拡大した写真も2月18日と似ています。朝は花粉はあまり出ていませんでしたが、昼過ぎには花粉が目立つようになっていました。
咲いた日と花粉が多くなった日と花が萎んだ日をまとめてみました。ただし私が関西に行っていた2月7日から2月17日に関しては正確ではないので2日程度のずれはあります。日付の右側の数値は咲いた日からの経過日数です。20~24日間ほど花が開いているようです。花が咲いている期間が長いのも雪晃の特徴のようです。僅かですが6輪が同時に咲いていた期間もあったようです。
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2020年2月26日16時47分の雪晃です。咲いている2輪の花が咲き始めて16日目であり、最初の花が咲いた日から39日目です。この日までに39日間も花を楽しませてくれていることになります。購入日からは113日目です。
今日は朝から厚い雲に覆われていて気温も上がらなかったことから外には出さずに屋内に置いていましたが、写真を撮るために外に出しました。少し暗かったのでフラッシュを使って撮った写真を掲載させていただきました。
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クリックすると拡大下の写真が2020年3月1日9時6分で、右の写真が2月29日10時22分の状態です。
花が萎んだ日を確定するのは難しいけれども、最後に咲いた2輪の花が萎んだ日は3月1日として表に日付を入れました。最後の花は19日間咲いたことになり、最初の花が咲いて42日目なので43日間ほど6つの花で楽しませてくれたことになります。
現       象 最初の2輪 次の2輪 最後の2輪
咲いた日 1月19日 0日目 1月24日 0日目 2月11日 0日目
花粉が多くなった日 1月30日 11日目 2月01日 8日目 2月22日 11日目
花が萎んだ日 2月12日 24日目 2月13日 20日目 3月01日 19日目
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夕方の2020年3月1日16時34分の写真も紹介します。朝(9時6分)の写真からさらに萎れ具合が進行し色も抜けてきていることから、花の萎れた日を3月1日にしたのは正解のようです。
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3月2日の写真を紹介します。
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