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オキザリス・ナマクアナ(Oxalis namaquana) カタバミ属 [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の黄色い花は、昨年の10月ごろに頂いた小さな株が大きくなって株数が増えたものです。花数は少ないけれども昨年も可憐な黄色い花を咲かせた後に株分けをして植え替えたのが上の植木鉢です。ところがその後しばらく経ってから刈れてしまっていたのですが、今年(2019年)の10月になって芽がでてきて11月に入って沢山の花を咲かせし始めたのです。黄色い花も可憐ですが、気になっているのが細い松葉のような6本の葉です。

可憐な花を咲かす6枚の葉を持つこの植物の名前が気になってネットで検索もしたのですが見つかりませんでした。検索ワードとしては「黄色い花」「6枚の葉」「冬咲き」「秋咲き」などを組み合わせて画像検索をしたのですが、黄色い花の細い6本の葉を持つ植物の画像は出てきませんでした。
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私が「なかなか花の名前が見つからない」と家内に話したところ、家内は画像検索ではなく、通常のウェブで「冬咲きの花」で検索して1つ1つ確認していき、オキザリスという名前にたどり着いたのです。検索で探すのは自信があったのですが、家内に先を越されてしまいました。オキザリスの検索ワードを追加してさらに探してみた結果、この花がオキザリス・ナマクアナ(Oxalis namaquana)であることが分かったのです。
ずばりの名前が出てきたサイトはこちらです。→ポチッ
オキザリス(Oxalis)は単体の種ではなく沢山の種が含まれるカタバミ属を表していたのです。カタバミ属の中の種としてのカタバミは雑草のように至る所に生えています。クローバーのような三つ葉で小さな黄色の花を咲かせます。そのカタバミと同じ種類(属)だったのです。右の写真の上が今回のオキザリス・ナマクアナで、真中が今回の種に見た目が近いシボレカタバミで、下がカタバミです。
  界 植物界         Plantae
クリックすると拡大    被子植物        Angiosperms
    真正双子葉類      Eudicots
    コア真正双子葉類    Core eudicots
    バラ類         rosids
クリックすると拡大    真正バラ類 I       eurosids I
  目 カタバミ目       Oxalidales
  科 カタバミ科       Oxalidaceae
  属 カタバミ属       Oxalis
クリックすると拡大  種 オキザリス・ナマクアナ Oxalis namaquana
 別名 ナマクエンシス     Oxalis namaquensis
 近種 シボリカタバミ     Oxalis versicolor
 近種 カタバミ        Oxalis corniculata
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葉が主役の気に入っている写真です。
花はは上から見ると真黄色ですが、裏から見ると赤い縞模様がありました。この特徴と花の形がシボレカタバミ(オキザリス・バーシカラー)と似ていました。家内が候補としてリストアップした名前を記録しておきます。オキザリス・ペンタフィラ(Oxalis pentaphylla)の中には今回に似た六つ葉や五つ葉のタイプもあるようです。Oxalis pentaphyllaはOxalis polyphyllaの変種のようです。 Oxalis pentaphyllaにはゴヨウカタバミという和名があります。右の連続写真は世界(英文サイト)の珍しいオキザリスの写真です。
クリックすると拡大 オキザリス・ボーウィ       紫
 スプリング・チャーム オキザリス
 オキザリス・バーシカラー
 パルム オキザリス
 オキザリス・ロバータ       黄
 桃の輝き
 オキザリス・トリアングラリス   紫
 オキサリス・アーティキュラータ  うす紫
 オキザリス・ペンタフィラ     桃 葉は松葉状
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これが気に入った六つ葉です。オキザリスは三つ葉が多いけれども四つ葉もあり、五つ葉や六つ葉もあると書かれていました。
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オキザリスは種類が多く、大きく二つに分けて夏に休眠する種類と冬に休眠する種類があるそうです。今回のオキザリス・ナマクアナは夏に休眠するタイプだったので。諦めて捨ててしまわなくてよかったと思いました。
植え替えは基本的には休眠期に行なうのが良いと書かれていました。夏に休眠する種類は秋に芽を出して秋から春にかけて花を咲かせるタイプと秋だけ花を咲かせるタイプと、春に芽を出して春に花を咲かせるタイプがあるそうです。昨年のことははっきり横覚えていないのですが調べた範囲では花期は10月~12月のようです。
 原産地 :南アフリカ北ケープ地方のナマクアランド
 植付適期:7月~9月
 花期  :10月~12月
 休眠期 :5月~7月
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この花には夜にしぼむ特徴がありました。この写真は19時51分にフラッシュを使って撮った写真です。しぼんでも翌日には開きます。
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花を咲く時間を調べてみることにいたしました。
この日は日出は6時05分でした。この写真は7時19分に撮ったので日出時刻から1時間14分後ですが夜の上の写真とほとんど変わりません。ちなみにこの彦朝から夜まで快晴でした。水平線近くの建物のために日は直接当たっていませんが周辺は明るくなっていました。この後は約30分間隔で写真を撮りました。7時48分の時は日は当たっていましたが、花が開く様子はありませんでした。
 日出:06時05分   正午:11時22分   日没:16時40分
 昼:10時間35分   夜:13時間25分
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9時01分の写真ですが花の開き具合は変化がありません。日出から2時間56分が経ち、太陽の日が直接当たって1時間13分以上経っても花が開かないことが分かりました。
9時頃には出かける予定でしたが出発を延期して観察を続けました。
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花が開き始めたのを確認出来たのは9時33分の写真でした。日出から3時間28分後でした。完全に開く時間が知りたくて出発をさらに延ばしました。
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こちらの写真は9時42分です。9分間でかなり開きました。日出から3時間37分です。
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花の拡大写真です。
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時刻は9時53分です。日出から3時間48分になります。9時42分よりは少しだけ開きました。
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時刻は9時58分です。日出から3時間53分になります。手前の2つの花を見てもらうと上の写真よりも開いていることが分かってもらえると思います。
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クリックすると拡大角度を変えて太陽に向かって撮りました。
使っている培養土には右の写真のサボテン・多肉植物用の土を使っています。昨年植えた時には植物の性質は判らなかったので、一番安全な水はけのよい土にしたわけです。根づいてくれて株も増えてしっかりと花が咲いてくれたので正解だったようです。
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開いた花を拡大いたしました。冒頭の写真と比べるともう少し開くと思われますが観察は終了して出かけることにいたしました。見ていた感じですが10時30分(日出から4時間25分後)までには完全に開いたと思います。逆光で撮ると花の裏の赤い模様が表からも確認出来ました。
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用事を済ませて戻ってきて撮った写真です。時刻は11時54分(日出から5時間49分後)で、花は完全に開いていました。
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用事というのはオキザリスを買いに行くことだったのです。名前を調べていて買いたくなったのです。同じオキザリスはなかったのでお店にあった3種類のオキザリスを買ってきました。
買いに行ったお店は京成バラ園でした。前日に、家に比較的近い園芸店(J.H.)に買いに行ったのですが売られていなかったので、すこし足を延ばしたのです。
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今回購入したオキザリスの名札を紹介します。花の名前のオキザリスはカタバミ属の総称なので種の名前ではありません。右端だけは「桃の輝き」という固有名詞が書かれていました.。あとはバーシカラーとイエローと色だけが書かれた居ました。園芸種は交配が行われるために自然の中の種を充てるのは難しいのかもしれません。ただし、バーシカラーのオキザリスに関しては、シボリカタバミ(Oxalis versicolor)と思われることからオキザリス・バーシカラー(Oxalis versicolor)が種名であり学名でした。英語名としてキャンディケインソレル( Candy Cane Sorrel)の名前がありました。クリックすると裏面の説明の拡大版を別画面で表示します。管理ポイントとしては3種共に「日当たりがよく、水はけの良い場所で育てる」ようにと書かれています。
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家内がサボテンが欲しいというので5種類のサボテンを買いました。左側の4つは京成バラ園で買い、一番右側は家の近くの野菜の直売店で買いました。前々日に野菜の直売店に野菜を買いに行った時に一番右のサボテンを見て買いたくなったのです。実際に買ったのは京成バラ園からの帰り道でした。サボテンの名前は左から雪晃(440円)、黄金司(330円)、美青丸(330円)、ブカレンシス(440円)、バニーカクタス(550円)で、価格は税込みに換算しています。
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植え替えたオキザリスとサボテンです。
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買ってきて植え替えた3種のオキザリスは、オキザリス・ナマクアナの後ろに並べました。
左端と真中は松葉のような細い葉ですが六つ葉ではなく三つ葉でした。右端はクローバーのような三つ葉です。カタバミの大型版という感じです。
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4つのオキザリスの葉を紹介します。今回購入したオキザリス(カタバミ属)は細葉や丸葉の違いがありますが、いずれも三つ葉であることが分かりました。オキザリス・ナマクアナの葉は単なる六葉というだけでなく細くて整った形をしていて特徴的な葉であることが印象付けられました。
   今回購入の「桃の輝き」      今回購入の「バーシカラー」
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   今回購入の「イエロー」       オキザリス・ナマクアナ
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こちらが「桃の輝き」です。
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バーシカラーと書かれていたオキザリスは葉の形は違いますが、オキザリス・ナマクアナと非常に似たいるので3枚の写真で紹介します。
  属 カタバミ属       Oxalis
  種 シボリカタバミ     Oxalis versicolor
 英名 Oxalis versicolor / Candy Cane Sorrel
    オキザリス・バーシカラー/キャンディケインソレル
シボリカタバミ(Oxalis versicolor)と思われることからオキザリス・バーシカラー(Oxalis versicolor)が種名であり学名でした。英語名としてキャンディケインソレル( Candy Cane Sorrel)の名前がありました。
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花の裏の模様が特徴的です。
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花の表と裏が両方写った写真です。
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こちらがオキザリス・ナマクアナです。花が上のオキザリス・バーシカラーと似ているのでここで掲載しました。
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別の角度からの写真も紹介します。
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花が開いていく時間を上で紹介したので、花が閉じる時間を紹介します。同じ日の夕方に観察いたしました。この日の日の入りは16時40分に対して、この写真は15時15分(日没1時間25分前)です。まだ花は全開状態でした。
 日出:06時05分   正午:11時22分   日没:16時40分
 昼:10時間35分   夜:13時間25分
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上の写真の44分後の15時59分(日没41分前)です。すでに花が少し閉じ初めていました。太陽の光があたっていても弱くなると花が閉じるようです。葉が黄色く見えているのは太陽の光が横からさしていることから反射して金色に見えているのです。
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閉じつつある花を拡大いたしました。
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写真の時刻は16時37分なので日没3分前の写真です。ほぼ閉じた状態になっていました。
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上で紹介した写真ですが、19時51分にフラッシュを使って撮った写真です。日没後3時間11分の写真になります。完全に花が閉じた状態です。
カタバミ属(Oxalis)は沢山の種類があり、知られているだけで850種ほどあるそうですが、Wikipediaのカタバミ属(Oxalis)の中に書かれている和名のある18種(下記)の中にはOxalis namaquanaは入っていませんでした。
 コミヤマカタバミ  Oxalis acetosella
 イモカタバミ    Oxalis articulata あるいは Oxalis rubra
 ハギカタバミ    Oxalis bahiensis
 ハナカタバミ    Oxalis bowieana
 ベニカタバミ    Oxalis brasiliensis
 カタバミ      Oxalis corniculata
 ムラサキカタバミ  Oxalis debilis subsp. corymbosa
 オッタチカタバミ  Oxalis dillenii あるいは Oxalis stricta
 アマミカタバミ   Oxalis exilis あるいは Oxalis amamiana
 ミヤマカタバミ   Oxalis griffithii
 キダチハナカタバミ Oxalis hirta
 オオヤマカタバミ  Oxalis obtriangulata
 ゴヨウカタバミ   Oxalis pentaphylla
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 フヨウカタバミ   Oxalis purpurea
 エゾタチカタバミ  Oxalis stricta あるいは Oxalis fontana
 モンカタバミ    Oxalis tetraphylla
 シボリカタバミ   Oxalis versicolor
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追伸
2019年11月14日から11月22日まで関西に行きます。その間は皆様の所に訪問出来ないことをお許しください。
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洛西の竹林公園(BAMBOO PARK) [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で竹の径(たけのみち)の全工程を紹介いたしましたが、その途中で寄ったのが今回紹介する竹林公園です。クリックすると拡大ここが竹林公園の正門(北入口)です。すでに紹介の通り入社当時の神戸事業所での仲間を知友審の9名での第76回ハイク「京都洛西の竹林と古墳巡りハイク」で訪れた場所の一つが今回の竹林公園でした。右の写真が竹の径です。

こちらが門の前にあった竹林公園案内図です。ここでは洛西竹林公園(RAKUSAI BAMBOO PARK)と書かれています。公園内の竹の資料館で頂いたパンフレットでは京都市洛西竹林公園と書かれていました。当初の予定では現在地と書かれている北入口から入り「竹の資料館」で昼食をとった後にクリックすると拡大公園内を散策して約350体ある石仏や生態園や東屋や百々橋などを見て南入口から出で竹の径の散策を続けるつもりでした。竹の資料館に着いて確認したところ竹の資料館の館内も含めて竹林公園の園内では飲食が出来ないことが分かりました。さらに昼食は公園に隣接した子供の広場で食べることを薦められたので、竹林公園内を散策した後に南入口を出て子供の広場に行くことにいたしました。
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竹林公園の注意書きがあったので紹介したいと思います。
 開園時間 9:00~17:00(入園は16:00)
 休園日  毎週水曜日 12月29日~1月3日
 料金   無料
 目的   竹・笹の知識の普及 学術研究
 遵守事項 ペット同伴不可 小学生以下は保護者必要
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いよいよ中に入ります。右の門柱に墨で文字が書かれた看板(表札)が取り付けられています。
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看板の文字が読みにくいので拡大して看板だけ露出調整いたしました。看板には竹林公園と書かれていました。
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門を入ってすぐの景色です。この道を下っていきますが、いろんな種類の竹を見ることが出来ました。園内には110種以上の竹が植わっているそうです。
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京都市はウクライナのキエフ市と1971年9月7日から姉妹都市のようで、1982年10月25日にキエフ市長の入洛記念に植竹が行われていました。竹林公園は1984年6月に開園したので、公園が造られている時に植竹が行われたことになります。キエフ市側はワレンチン・アルセンティェビッチ・スグールズキー市長で京都市側は今川正彦市長でした。入洛の洛は京都を意味しているので入洛は「京都に入る」を意味しているのですが、時代劇などで大名などが京都に入ることを意味している上洛の方が効き馴れています。ただし、上洛は上下関係を感じるのに対して、入洛(じゅらく、にゅうらく)は対等感があります。
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最初に沢山植えられていたのはスホウチク(蘇枋竹)でした。
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クリックすると拡大スホウチク(蘇枋竹)には黄色の幹(稈)に緑の筋が入ていました。名札の説明には「熱帯性の株立ち。稈は黄色で緑条がある。庭園の竹として、また生け花など監視用用に適する。」と書かれていました。
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スホウチクの右側には同じような色合いの太い竹が植わっていました。
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その太い黄色の竹はキンメイモウソウ(金明孟宗竹)でした。
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キンメイモウソウ(金明孟宗竹)の名札の説明には「モウソウチクの園芸品種。黄金色の稈に緑色の縦縞が交互に発現したもの。宮崎県と福岡県で天然記念物に指定。観賞用。」
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クリックすると拡大歩いていると目立つ竹が次々と現れました。こちらの竹の名前はキッコウチク(亀甲竹)です。突然変異で節が斜めになっていますが、右の写真のように節の内部の境も斜めだそうです。右の写真は資料館の内部の竹のサンプルを撮った写真から切り取りました。
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キッコウチク(亀甲竹)の名札です。説明には「モウソウチクの園芸品種。竹稈下方部の節間が亀の甲羅のように膨れるのが特徴。竹材は京都府指定伝統工芸品の一つ。」と書かれていました。竹稈は「チクカン」と読みます。稈は「カン」と読み、両方共に竹の幹を意味しています。
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竹の資料館に近づいてくると、こちらの竹が植わっていました。名前はカンザンチク(寒山竹)でした。
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カンザンチク(寒山竹)は別名ダイミョウチクと呼ばれているそうです。名札には「中国南部産。九州で広く植栽されている。稈は3~8mで直立性。タケノコは美味。防風用。」説明の中の「タケノコは美味」が気になります。
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竹の資料館の入口前には2種類の笹(ササ)が植えられていました。こちらはヒメシノ(姫篠)です。
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ヒメシノ(姫篠)にも名札が立てられていました。名札の説明には「通称コグマザサの名称で流通しているコガシアズマザサの矮性変種。鑑賞用や地被用として広く栽培されている。」とかかれていました。
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もう一つの植わっている笹はオカメザサ(阿亀笹)でした。
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オカメザサ(阿亀笹)の別名はブンゴザサです。説明には「稈の高さ1~1.5m。枝は短く、各節から3~6本束生。葉は丸形で2~3枚。全国で広く植栽。園芸用、地被用。」とありました。
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類似した名前の竹が3種類まとまって植えられていました。
こちらはギンメイチク(銀明竹)です。説明にば「マダケの園芸品種。緑色の稈の節間芽溝が淡黄色になる。稈麺の配色が珍しく、観賞用に植栽される。」と書かれていました。
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上がギンメイチクに対して、こちらはキンメイチク(金明竹)です。名札の説明には「マダケの変種。稈が黄金色で、節間の芽溝部に緑条が入る。葉には時に黄色の縦縞が入る。観賞用。」と書かれていました。
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金明竹(キンメイチク)に対して黄金竹(オウゴンチク)もありました。こちらもマダケの変種で、説明には「稈は見事な黄金色で、葉にも少数の白い条がある。庭園・公園等に観賞用に植栽される。」と書かれていました。クリックすると拡大中国の西安市とも姉妹都市で記念植竹でオウゴンチクが植えられたようです。友好都市(姉妹都市)が提携されたのは1974年5月10日です。入洛記念植竹は1982年11月15日に行われました。西安市側は張鉄民市長で京都市側は今川正彦市長でした。
中国との友好関係に私が接することが出来た経験としては河南省の開封市にある大相国寺でした。右の写真のように開封市の大相国寺と京都市の相国寺と友好関係にありました。
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もう1種類。マダケの園芸品種を紹介します。縦縞のあるシボチク(絞竹)です。説明には「稈面に深い縦じわが現れる珍種。竹材はかなり肉厚。花器。茶器などの工芸品に利用される。」と書かれていました。竹林公園に植わっていた竹や笹の紹介はこれで終わりといたします。110種類以上(資料館の方の説明では120種)植わっているほんの一部を紹介させていただきました。下からは竹の資料館の周辺を紹介します。
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竹の資料館の中から見た前の庭です。石の橋を渡って坂を登っていくと約350体の石仏が設置されているそうです。驚いたことに織田信長が築いた旧二条城の石垣に使われていた石仏だったそうです。坂の上には、あずまや(四阿 or 東屋)があります。散策しようと外に出たところ雨が強くなってきたので、橋のところまで行って資料館に戻ってきてしまいました。雨が弱まるのを待っていましたが、強くなるばかりなので、石仏などの散策は断念いたしました。
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強い雨のためにほとんど散策が出来なかったので、竹の資料館で頂いた案内図を掲載いたします。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。
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上の案内図の範囲が分かるGoogleの航空写真を紹介します。上の案内図には北方向を書き込みましたので頭の中で右に回転して北を上方向にすると本航空写真とイメージが合うと思います。


案内図の裏面も掲載いたしました。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。京都市洛西竹林公園と書かれています。竹の径の竹林のほとんどが向日市物集女町なので竹林公園は向日市だ思い込んでいました。前記事の中で②~③の竹の径は京都市と向日市の市境で、沈淪公園は京都市側でした。
 名前 京都市洛西竹林公園
 住所 京都市西京区大枝北福西町2-300-3
 電話 075-331-3821
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強い雨のために石仏群を見ることも写真を撮ることも出来なかったので、上の竹林公園のパンフレットから石仏群の写真を切り取らせていただきました。パンフレットの一番左下の写真です。
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クリックすると拡大竹林公園に入る前に竹の径から東屋を撮った右の写真の東屋(あずまや)の屋根の上の竹林の隙間から資料館が見えていたのです。歩いている時は気が付きませんでした。
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1467年5月の応仁の乱ゆかりの石橋です。橋の名前は百々橋(どどばし)で、架かっていた小川が埋められたのを機会に、1963年に竹林公園に移築したそうです。橋脚を支える4基の礎石(そせき)の内2つが竹林公園に橋と共に移され、クリックすると拡大残りの2つの内の1つは架かっていた場所(百々橋ひろば/百々橋跡:京都市上京区大猪熊町)に、もう一つが京都市立室町小学校(京都市上京区室町通上立売上ル室町頭町261)に保存されているそうです。説明板の手前の四角い石が当時の橋の礎石だそうです。
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礎石を比較するためにたの2ヶ所の礎石の写真をネットから転用させていただきました。クリックすると転用させていただいたサイトを表示します。応仁の乱の時代は板橋だったようで、その後に石橋に改築されたそうです。航空写真の中の茶色と黄色のマークが礎石の位置です。
      百々橋ひろば          京都市立室町小学校
クリックすると拡大クリックすると拡大


百々橋(どどばし)の説明を枠内に転記いたします。ここに来た時は、かなりの雨だったので、すぐに資料館に戻りました。ちなみに説明文の中の小川は「おがわ」ではなく「こかわ」で、れっきとした川の名前(固有名詞)です。
百々橋の由来
宝鏡寺門前の東西の通りを百々の辻と呼ぶのは平安時代からであるが、小川にかかるこの小橋が、いちやく有名となったのは、戦国時代この橋をはさんで合戦が行われたからである。
応仁元年(一四六七)五月、応仁の乱最初の大合戦にさいし、この橋には、細川勝元配下の三宅、吹田、茨木、茶川氏など攝津の武将が布陣し山名方の平賀氏と激しく戦った。ここから、南の方一条戻り橋付近までが、その時の主戦場となり、付近一帯が戦火で焼失いた。
それから四十年後、細川勝元の子、政元の後嗣をめぐって、養子の澄元と澄之が対立、永正四年(一五〇七)六月二十三日澄之が、香西元長(嵐山城主)薬師寺長忠らと謀って養父政元を殺し翌二十四日澄元を攻めて、この橋で激しく戦った。澄元は近江へ敗走したが、八月一日には京都に還り、澄之、元長、長忠攻め亡ぼした。
この小さな橋には、かくて戦国乱世の歴史のひとこまが刻まれている。
なお、明治四十年(一九〇七)に改築したもので小川が昭和三十八年(一九六三)に埋められ、石橋の貴重な遺構として現地に礎石を遺しここに移築したものである。
京都市
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江戸時代以降の絵図と地図から推定された小川(こかわ)と百々橋(どとばし)です。地図と航空写真が切り替わるようにしました。百々橋の礎石の置かれている場所が分かると思います。→ストリートビュー 航空写真
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クリックすると拡大こちらは狩野永徳23歳(桃山時代・16世紀)の作品である上杉本洛中洛外図屏風に描かれた小川(こかわ)と、小川に架かる橋です。下の絵も上の絵も百々橋ひろばに立てられている右の案内板から切り取ったものです。案内板の写真はネットから転用させていただきました。
この絵からだけでは百々橋がどれかは判りませんが、当時は石橋ではなくこの図のように木造の板橋だったようです。クリックすると拡大江戸時代に石橋に改築されたそうです。上の推定図に描かれているのは石橋です。下記の絵は右の上杉本洛中洛外図屏風の黄色の枠で囲った部分です。
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建物全体の写真を撮っていなかったので本写真を掲載します。本写真は右の写真から人物を消す加工をしたものです。クリックすると拡大
 資料館面積 約450㎡
 公園の面積 35,068㎡
 生態園面積 約5,000㎡
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雨の中で庭の手入れをされている方がおられました。
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和の空間が溢れていました。細い竹が敷き詰められた桟敷(さじき)です。後ろの竹垣は建仁寺垣です。
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小さな庭園も建物の敷地にありました。こちらの後ろの竹垣も建仁寺垣です。本写真には写っていませんが光悦寺垣もありました。
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建物に戻って雨が止むのを待ちました。
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資料館の方に竹に関する説明をしていただきました。外人の方には英語で説明されていました。一番手前はモウソウチク(孟宗竹)です。モウソウチクは日本のタケ類の中で最大種です。学説によって異なりますが、世界で600種または1,200種、日本では150種あるいは600種があると言われているそうです。その中の一つのモウソウチクの分類を紹介します。一般的にタケ類と言われているのはタケ亜科あるいはタケ連になるそうです。タケ亜科はタケ連(Bambuseae連)とOlyreae連の2つに分類されますが、右下のようにArundinarieae連を加えた3つへの分類も提案されているそうです。クリックすると拡大
  界 植物界    Plantae
  門 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 単子葉植物綱 Magnoliophyta
  目 イネ目    Poales
  科 イネ科    Poaceae
クリックすると拡大 亜科 タケ亜科   Bambusoideae
 (連 タケ連    Bambuseae )
  属 マダケ属   Phyllostachys
  種 モウソウチク Phyllostachys heterocycla
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竹のサンプル部分を拡大しました。手前の方が乾燥した竹そのものですが、奥の方は加工した竹が並んでいます。表面に薬品で模様をつけたり、四角い枠を付けて四角い竹を作ったりして竹材を作ることが分かりました。竹林の中に積まれているのも表面の色を変えるためであることを知りました。クリックすると特別に大きく拡大いたします。一番手前がモウソウチク(孟宗竹)ですが、今までに見たことが無いほど太い孟宗竹が展示されていました。クリックすると拡大
上で紹介したキッコウチク(亀甲竹)のサンプルも写っています。
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資料館の中にはいろんな説明がありました。
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復元されたものですがエジソンの電球も展示されていました。
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6000種類の植物繊維を実験して選ばれたのが、京都の八幡の真竹(マダケ)が使われたそうで宇。1882年のことでした。


竹の地下部分も展示されていました。根のように見えるのは地下茎で、根はそこから出ている細い短い毛のようなものです。
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竹の地下部分は2019年4月10日に放送されたNHK{ガッテン」の収録後に寄贈されたものだそうです。
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クリックすると拡大竹の資料館でお土産として竹の刷毛を買いました。薬味おろしでおろした薬味を集めるのに使うつもりです。竹材の産地なだけに竹細工をする人も多いと思います。皆さんいろんな竹細工を買われていました。
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薬味おろしと竹のハケの写真を撮りました。
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いくら待っても雨が止まないので、雨の中ですが昼食のために子供の広場に移動いたしました。
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こちらの子供の広場の東屋(あずまや)で昼食にいたしました。食事の後は時間がたっぷりあったので、皆さんで持ち寄ったスイーツや日本酒を飲んで時間を過ごして雨が止んでから出発いたしました。私はお酒を2合ほど飲んでしまいました。
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四阿(あずまや)から見た子供の広場です。広場の周囲にも竹が沢山植わっていました。園芸種ではなくWikipediawで掲載されていた分類学的な種の日本の代表的なものを紹介します。キッコウチクは形は大きく違いますが、種としてはモウソウチクで、亜種的存在です。
 モウソウチク Phyllostachys heterocycla f. pubescence
(キッコウチク Phyllostachys heterocycla f. heterocycla)
 マダケ    Phyllostachys bambusoides
 ハチク    Phyllostachys nigra
 ホテイチク  Phyllostachys aurea
 ホウライチク Bambusa multiplex
 ナリヒラダケ Semiarundinaria fastuosa
 チシマザサ  Sasa kurilensis(ネマガリダケ)
 トウチク   Sinobambusa tootsik
 シホウチク  Chimonobambusa quadrangularis
 カンチク   Chimonobambusa marmorea
 ヤダケ    Pseudosasa japonica
 メダケ    Pleioblastus simonii
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子供の広場からは、この坂をのぼって竹の径の四辻に戻りました。
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こちらが四叉路(四辻)です。写真は竹林公園に向かっている時に撮った四辻なので向いている方向は反対で、実際には右奥方向(東向日駅方向)に歩いて行きました。
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こちらが四叉路から東向日駅方向の最初の竹の径の景色でした。
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竹林公園の範囲をGoogle航空写真で紹介します。緑色ライン(━━)の竹の径(たけのみち)より左側の緑の部分が全て竹林公園です。駐車場の場所が北入口(正門)で、そこから橙色ライン(━━)のように入りました。真ん中の建物が「竹の資料館」でそこに着くころには雨が本降りとなっていました。そのため竹林公園内の散策は資料館の北東側を少し歩いただけで資料館内の見学が主になりました。竹の径(━━)の右上側が向日市で左下側が京都市です。向日市が京都市側に食い込んでいる(向日市の西と北と東が京都市)ためにイメージと反対のことが起こるのです。
 緑色ライン(━━) 竹の径(たけのみち)
 橙色ライン(━━) 歩いたルート


洛西竹林公園(Rakusai Bamboo Park)の英語のPRサイトにあった竹の魅力を表現した動画を紹介します。音楽だけでナレーションはありません。
10秒間だけですが、頭から3分33秒から竹の径の映像も出てきます。

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竹の径(たけのみち) 洛西 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大上の写真が前記事および前々記事(物集女車塚古墳)で掲載予告をしていた竹の径(Takenomichi)です。2019年10月19日に参加した第76回ハイク「京都洛西の竹林と古墳巡りハイク」のメインイベントである「竹の径」を紹介いたします。名の通り竹林の中に作られた道です。

本写真は竹の径の入口近くあった案内板です。赤い字で現在地と書かれているのが次のGoogle地図のと書かれているところです。道の形が違うように見えるかもしれませんが案内板は右方向が北なので、左に90度回転してもらうと、次の地図の竹の径の形に似てくると思います。
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下記の地図のように竹の径への主な入口は4ケ所( )あります。今回は竹の径の入口から竹の径の入口に歩きました。竹林公園から竹の径の入口は雨も降っており時間を短縮するために残念ながら歩きませんでしたが、十分に満足できる景観に出会えました。②~③の道には西ノ岡竹林通という名もついています。本記事では竹の径の入口から竹の径の入口までを順に紹介したいと思います。
 緑色ライン(━━) 竹の径(たけのみち)
 青色ライン(━━) 竹林道
 橙色ライン(━━) 歩いたルート


こちらが竹の径の出発地点です。上の地図の竹の径の入口です。この幹線道路は御所海道です。
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入口から見た竹の径方向です。この辺りは右側だけが竹林ですが、進んでいくと冒頭の写真のように左右ともに竹林になります。画面では分かりにくいけれども上り坂です。竹で作られた垣根である竹垣が見事です。この竹垣の名前は竹穂垣(たけほがき)です。
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竹林の中を撮りました。立派な竹でした。濃い緑の竹でなく黄色の肌の竹も沢山ありました。
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上り坂なのが分かってもらえると思います。この写真の左側は竹林の中に作られた向日回生病院です。カーブミラーのポールに竹の径の表示があります。参考ですが向日回生病院の住所は京都府向日市物集女町中海道92-12です。
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本格的な竹の径に出ました。竹垣のタイプも変わりました。2種類の竹垣が使われていました。この2種類を組み合わせた竹垣が「来迎寺垣(らいこうじがき)」なのです。物集女町にある紫雲山来迎寺にちなんで名づけられたそうです。長めに切り揃えられた竹穂垣と扉の配置が特徴的だそうです。
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道の両側に竹垣がある景観は見事です。ここのエリアは左側が竹林です。道の両脇に立つ竹垣には、竹の枝を約1.5メートルの高さで束ねて並べた「竹穂垣」を始め、「来迎寺垣」「かぐや垣」「物集女垣」「寺戸垣」「古墳垣」「深田垣」「海道垣」の8種類で構成されているそうです。
ここの竹垣も上の写真と同じ「来迎寺垣」です。
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竹林の方を撮りました。平安京を「洛」と表現した区分が今でも使われています。今回の場所は洛西(らくさい)になります。洛東と洛北と洛西と洛南をまとめて洛外(らくがい)と言います。京都だけで使われる「洛」は「都」を意味しており、由来は中国の洛陽が唐の副都であった時代に遡るそうです。洛陽と言えば龍門石窟に行ったことを思い出します。
 洛中(らくちゅう) 上京、中京、下京の各区の辺りの呼び方
 洛東(らくとう)  左京区銀閣寺辺りから東山区まで
 洛北(らくほく)  北区上賀茂から北大路通辺りまで
 洛西(らくさい)  右京区南部から西京区、乙訓辺り
 洛南(らくなん)  九条通り以南、伏見辺りまで
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見事に手入れされた竹林でした。
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竹の径は向日丘陵の中にあります。竹林と言えば竹の子(筍)です。筍は向日市の特産品でもありますが、向日丘陵の竹林では工芸や建築用の竹の生産が本業であることを竹林公園で教えていただきました。だからこそ竹垣で竹の径を整備しいてるのだと感じました。
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こちらは脇道です。竹林を管理している人が使うのだと思います。私有地になるので我々は入ることは出来ません。切った竹が置かれています。これも意味があることを後で知りました。
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ここの竹林の竹も見事でした。
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竹の葉の写真です。風を感じます。
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竹垣のタイプが変わりました。
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この竹垣のの名前は「かぐや垣」でした。説明によれば竹筒と竹穂を組み合わせた珍しい竹垣で、竹筒の長短によりかぐや姫の着る十二単衣の袖元をイメージして命名されたようです。
竹垣の名前の「かぐや垣」の文字が一瞬「かぐや姫」に見えてしまいました。
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また違った竹垣が現れました。こちらの竹垣は「海道垣」だそうです。
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海道垣が続く景観は見事でした。
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分かれ道(T字路)に出ました。右方向に竹の径が続いています。
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右に曲がってすぐに撮った景観です。
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真直ぐに続いていました。見事なので少し進んだところで全員で記念写真を撮ることにしました。全員で撮るために少し重いけれども小形の三脚を持ってきたのです。
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右の写真の三脚を使って全員で撮った記念写真です。大きな一眼レフでも使える頑丈な小形の三脚です。クリックすると拡大重い一眼レフは持ってこなかったのでコンデジで撮りました。三脚は縮めると188mmですが写すときは477mmになるので地面から約500mmの高さの写真です。一番左側が私です。竹穂垣が途切れているところは竹林への出入口です。関係者以外は入れないように竹で編んだ門扉が付けられています。
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ここの「竹穂垣」は長く続きました。
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竹林に入るためのところは開けてありました。
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竹の子販売店の看板がありました。ほんまもん 物集女特産たけのこ 和田農園と書かれていました。期間は4月上旬~5月上旬と書かれていました。
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四叉路に出ました。金属製の柵の内側は竹林公園でした。昼食場所の竹林公園の近くまで来たのです。
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竹林公園の正門方向に行く道です。左の金属製の柵内が竹林公園です。
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上の写真のカーブミラーの部分を拡大いたしました。右方向(実際は左方向)から歩いてきました。左方向(実際は右方向)の道は昼食の後に歩く竹の径です。左端(実際は右端)に立っているのが写真を撮っている私です。括弧内に「実際は」と書いたのは鏡だから左右反対に写っているからです。
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四叉路の4方向の道が写った写真を紹介します。左の道から歩いてきて、手前の竹林公園の正門に向かっています。向こう側の道が昼食後に歩く竹の径で東向日駅の方向です。右の道に進むと竹林公園の南入口と子供の広場に行けます。朝食後はこの右の道からこの四叉路に戻ってきました。
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竹林公園内のあずまや(四阿 or 東屋)です。由緒ある石仏も沢山見えました。
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竹林公園の正門(北入口)です。正式名は京都市洛西竹林公園です。ここから園内に入って先ずは昼食予定場所の竹の資料館に行きました。竹林公園内は本記事では割愛したいと思います。次の記事で紹介します。
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クリックすると拡大竹の資料館および竹林公園園内は飲食が禁止されていたために竹林公園に隣接した子供の広場のあずまや(四阿 or 東屋)で昼食にいたしました。右のように「飲食は子供の広場でお願いします」と書かれていました。下の写真が昼食を食べたあずまやです。竹の資料館からこの子供の広場に来るまでは雨が土砂降りでした。雨が止んでから出発いたしました。
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子供の広場で昼食を食べて、すでに紹介した四叉路に戻ってきて東向日駅の方向の竹の径に入った最初の景観です。初めて見る竹垣が続いていました。
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竹垣ま名前は物集女垣でした。名前は地元の物集女町に由来していて、前記事で紹介した中世の物集女城の城壁をイメージして考案されたそうです。竹の表面を縦横に配して竹の表面の美しさを強調したそうです。
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竹の子が出た時の皮が竹の根元に残っていました。今年に出た竹なのだと判ります。竹の子が出てから半年近くたっているにも関わらず竹も川も生き生きとした色合いでした。
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こちらでは左右が違う竹垣になっていました。右が「竹穂垣」で左が「深田垣」です。
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赤色の案内板は119番通報ポイントです。119番に電話した時に「向-01」と伝えればこちらの位置がすぐに分かるのだと思います。救急車や消防車をイメージしているのだと思います。他にも案内板がありました。
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農家組合からは「たけのこは大切な親竹です。みんなで大切にしましょう。」との案内でした。下は各場所への所要時間が書かれていました。「寺戸大塚古墳 徒歩1分」の表示をこの時に読んでいたら、寺戸大塚古墳を見落とすことはありませんでした。
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竹の径はまだまだ続いていました。
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右側明るく開けたところに出てきました。また左右違う竹垣になりました。左側は「竹穂垣」です。右側の竹垣の名前は後で調べて分かったことですが「古墳垣」でした。つまり「古墳垣」の右側の丘が寺戸大塚古墳だったのです。クリックして拡大すると小さな石柱があるのが分かると思いますが、その小さな石柱にが、ここが寺戸大塚古墳であることを示していたのです。
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上の写真を目いっぱい拡大したのがこちらの写真です。実は「古墳垣」の範囲にはもう一つ石柱が建っていたのです。この写真よりも大きな石柱です。
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大きい方の石柱も撮った写真の中に写っていました。竹の径を振り返って皆を撮った写真の中に写っていたのです。
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クリックすると拡大角度の関係から私の写真に写った大小の石柱の文字を読むことが出来ないので、ネットから2つの石柱の写真を転用させていただきました。背景に寺戸大塚古墳が写っています。寺戸大塚古墳を紹介します。
 全長  98m
 後円部 直径54m 高さ10m 三段築成
 前方部 幅45m        二段築成
 くびれ 幅35m
 史跡  国の史跡
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古墳の大きさのイメーシジを感じるために古墳の配置図とGoogle航空写真の縮尺を合わせてみました。Google地図に書かれていた緑色文字の寺戸大塚古墳のマーク(私が書いたマークの下に隠れている)が円方部の中心であると仮定しているので、位置に関しては若干(数m)のズレはあるかもしれません。
航空写真の中に引いている2本のクロスの黄色の線は98mと54mです。




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 全長    98m
 後円部直径 54m 

この写真のすぐ右側に小さい方の石柱が立っているはずです。私の建っている右・真横が古墳の後円部の丘です。「古墳垣」は前方後円墳の丸みを帯びたイメージで考案したそうです。職人の技で生かされた竹垣です。
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クリックすると拡大寺戸大塚古墳の写真を撮っていなかったのでGoogle地図ストリートビューを掲載させていただきました。丘の頂上が後円部の頂上です。左右に回転させると上で紹介の2つの石柱が確認できます。


ここの竹の多くは建築材料や竹細工の材料なるものです。長期間、ここにあるように置いておくことで風合いを出しているそうです。沢山並べられています。
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また「竹穂垣」になりました。そしてさらに奥が「寺戸垣」となっています。Googleのストリートビューで探すと④に抜ける竹林道にも「寺戸垣」がありました。
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上の写真の「寺戸垣」の部分を拡大いたしました。これで8種類の竹垣全て紹介したことになります。寺戸垣は地元寺戸町に由来して、つけられた名前で、格子の間から見える景色が趣があるそうです。結び目の位置や格子の間隔に職人の技生かされているそうです。
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また「竹穂垣」になりました。竹の径で最も多く使われている竹垣だそうです。竹の枝のボリュームを十分に生かした作りです。この記事の最初に使わさせてもらった写真です。竹垣もきれいな上にまっすぐに上に伸びた太い沢山の竹も美しいです。この竹の径は京都においては「京都府景観資産」や「京都府文化的景観」に選定され、全国レベルでも 「全国遊歩百選」や「歩きたくなるみち500選」に認定されているそうです。
竹林浴の地としても人気のようです。
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カーブした竹の径もきれいです。
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8種類の竹垣をバラバラに紹介したのでここでまとめて紹介したいと思います。編集が間に合わなかったので、とりあえずこの8枚の写真はネットの写真を使わさせていただいています。 追伸:自分の写真を下に並べてみました。
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竹穂垣      来迎寺垣     かぐや垣     物集女垣
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
寺戸垣      古墳垣      深田垣      海道垣
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

竹垣の最後の写真から少し進むと、平安時代の第50代天皇である桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏(天之高藤広宗照姫之尊)の御陵である高畠陵か゜ありました。藤原乙牟漏は平城天皇(第51代)と嵯峨天皇(第52代)の生母です。ここに来ると竹の径もほぼ終了です。
 氏族 藤原氏(式家)
 父親 藤原良継
 母親 阿倍古美奈
 夫  桓武天皇
 子女 平城天皇 嵯峨天皇 高志内親王
 諡号 天之高藤廣宗照姫之尊
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高畠陵に対する宮内庁の注意書きありました。
 1.みだりに域内に立ち入らぬこと
 1.魚鳥等わ撮らぬこと
 1.竹木等を切らぬこと
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ここでもみんなで記念写真を撮りました。私は右から3人目です。
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高畠陵は航空写真のように竹は生えていないので、円墳の形がよく分かります。直径約65メートル、高さ約7メートルの円形をしています。もとは古墳時代前期の円墳であったとされています。
古墳としての名前は伝高畠陵古墳です。
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伝高畠陵古墳の位置と共に今回の第76回ハイクに関連した物集女車塚古墳と寺戸大塚古墳と五塚原古墳の位置と大きさの規模を示した地図をネットから転用させていただきました。
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クリックすると拡大右の写真の標識の位置である竹の径の入口③から住宅地に入ります。したがって、今回の「竹の径」の記事は、ここで終了したいと思います。元の計画では、この後は五塚原古墳と文化資料館に寄ってから阪急・東向日駅に行く計画で下が、雨も降ったり止んだりが続いていたことから東向日駅に直行することにいたしました。つまり皆さんの気持ちは打ち上げ飲み会ムードになっていたのです。


朝一に洛西口駅に到着した人から頂いた阪急電車発行のパンフレットの中の悠遊一日機構マップ(洛日口コース)では洛西口駅を出発して洛西口に戻る竹の径の入口から竹の径の入口に抜けるルートが書かれていてのでマップを紹介します。小さなリュックに入れていたので、しわくちゃになってしまいました。クリックすると拡大するので文字が読めるようにはなりますが、しわも確認出来ると思います。歩いていない竹の径や竹林道をGoogleストリートビューで確認したところ美しい景観が多いという意味において、お薦めは我々が歩いたのコースだと確信いたしました。
本案内図にも入口の①②③④を書き込みました。ただしの辺りには道が書かれていないので大凡の位置に書き込みました。
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京都府の向日市観光協会サイトに掲載されている竹の径イメージビデオを紹介します。先ずは竹の径を見てもらいたくて、LoopとStart機能を使い、竹の径の動画が始まる1分41秒からビデオが始まり終了した後に、頭から繰返し見れるように設定しています。竹の径の動画は走っている車から撮られています。前半は竹林の映像です。かなり前に撮られたビデオのようで画質は良くありませんが雰囲気は伝わるかもしれません。


京都中心から方向が分かる地図を掲載いたします。

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次は「竹の径」を目指しました。 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で紹介した右の写真の物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん)をクリックすると拡大見た後は竹の径(竹の道)を目指しました。竹の径が今回のハイキングのメインイベントなので外せません。本記事では物集女車塚古墳から竹の径の入口までの景色を紹介したいと思います。下記のルートの緑の文字のところが今回の記事で紹介の部分です。
洛西口駅→物集女車塚古墳→旭米顕彰碑→竹の径→竹林公園→竹の資料館→子供の広場(昼食)→竹の径→高畠陵→桓武天皇皇后御陵→五塚原古墳→東向日駅

今回紹介のルートは次のGoogle航空写真内のからです。
歩いたルートはほぼ計画と同じでした。太い橙色ライン(━━)が歩いたルートです。緑色ライン(━━)が今回のハイクのメインイベントである竹の径(みち)です。


物集女車塚古墳を出発して最初反対方向に進みそうになりました。最初の出だしで間違えると大変なので地元の人に確認して反対方向であると判ったわけです。写真は反対方向を撮った写真です。
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クリックすると拡大最初は物集女街道(西国街道 および 新西国街道)を歩きます。出発してすぐに洒落た交番がありました。物集女交番です。右の図のように阪急電車発行のパンフレットの中の悠遊一日機構マップ(洛日口コース)にも交番の絵が入っていました。クリックすると悠遊一日機構マップ全体を表示します。
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物集女街道の進行方向右側は畑や田んぼが続いていました。左側は住宅が続きます。こちらの田んぼの稲は刈り取られていました。冒頭の写真がこちらです。このように稲わらを干している景色は最近見なくなったように感じます。
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野菜の無人販売もありました。農地と住宅地が混在した地域なのだと感じました。
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色づいた柿も撮りました。井戸も懐かしいです。
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方向から判断して、遠くに見える山は比叡山だと思われます。つまり山の手前に京都の町の中心である京都御所があります。上で紹介のGoogle地図の中の細い水色の線が写真を撮った位置から比叡山を結んだラインです。
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物集女街道に石碑がありました。
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つい立ち止まった読みたくなります。
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石碑の名前は旭米顕彰碑です。石碑を拡大いたしました。最初に山本新五郎の名前が出てきました。
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石碑の横に立てられていた説明板です。明治時代の終わりに稲の新品種「旭」を発見した山本新五郎の功績をたたえて建立されたものでした。当時広く栽培されていた「日の出」と「神力」の間から悪天候でも倒れない新品種を作り出して「日の出」より優れている意味を込めて「朝日」と名付けたそうです。同名の品種があったことから、のちに「旭」に改められたそうです。現在よく作られているコシヒカリは「旭」が遠い祖先にあたるそうです。
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洛西口駅が見えました。実は洛西口駅付近を東西に走る幹線道路に先ずは出ることを目指していたのです。
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標識はありましたが竹の径へ行く方向が分かりませんでした。同じように歩いている方に竹の径へのルートを確認して迷わず幹線道路に向かって真直ぐに物集女街道を進みました。あとで地図で確認すると、ここから近い場所に物集女城跡がありました。物集女城跡も見どころの多い遺跡のようでした。
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ネットにあった物集女城主郭の想像復元図を転用させていただきました。中世の城の多くは天守郭はありません。クリックすると拡大城内の構造が分からないようにするのが中世の城の特徴です。物集女城は、中世に乙訓の土豪のリーダーとして活躍た物集女氏の居城でした。1575年に織田信長の支配下の細川藤孝の居城(勝龍寺城)で当主の物集女忠重が謀殺され、物集女城も廃城となったそうです。右の地図で橙色に着色したところが今回歩いた物集女街道(もずめかいどう)です。廃城になったあと周辺に沢山の住宅が出来てるのにも関わらず堀や土塁などの地形が444年間も残されているのには驚かされました。
 水がある堀の部分は今でも地図では水色です →ポチッ
 堀から水が流れ出た辺りのストリートビュー →ポチッ
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駅から伸びている幹線道路に出ました。上り坂です。幹線道路の名前は御所海道でした。街道ではなく海道が使われている理由が知りたくなりました。調べ切れていませんが、海道は「しらなみ海道」や「東海道」と比較的使われています。
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新しい家が多い中で、純日本家屋も見ることが出来ました。
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竹の径の入口に到着いたしました。竹の径への入口は3ケ所ありましたが、ここは御所海道沿いの入口です。冒頭のGoogle地図内で「竹の径の入口①」と書いているところです。
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クリックすると拡大竹の径の案内板も設置されていました。案内板の中で現在地と書かれているところが、今回の竹の径の入口です。
次の記事で右の写真の竹の径を紹介したいと思います。
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物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん) 第76回ハイクの最初の目的地 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私が会社に入社して最初に配属になったのが神戸事業所でした。その時の先輩の方々が数年前からハイキングを年に7~8回行っていることを昨年(2018年)の年末に知って初めて参加させていただいたのが2019年4月20日で第72回でした。毎回散策したいところですがタイミングよく関西に行く時に限られるので第73回~第75回は参加できませんでしたが、私としては2回目の参加の第76回ハイクを紹介したいと思います。現時点で第78回まで案内が来ています。第78回は都合が付きませんが第77回は参加予定です。ここでは第76回ハイクを紹介したいと思います。上の写真は待ち合わせ場所の阪急・洛西口(らくさいぐち)駅のホームです。☆マークが参加あるいは参加予定のハイクです。
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
☆第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
☆第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
☆第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
☆第79回 2020年02月16日(土) 丹波篠山???ハイク

クリックすると拡大車内の阪急・京都線の案内図です。実家のある宝塚の阪急・今津線・逆瀬川駅を8時33分に乘り、西宮北口駅で神戸線の特急に乗り換えて、さらに十三駅で京都線の準急に乗って洛西口駅で降りました。桂駅の一つ手前の駅です。ネットの路線検索では十三駅で特急に乗り高槻市駅に同じ準急に乘るルートが出ていましたが、右図のように十三駅でぎりぎり準急に乘れたので十三駅から座っていくことが出来ました。クリックすると京都線全線を表示します。
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ルートの計画では緑色でしたが、この日は雨が降っていたことと、竹の資料館内は飲食不可であったことから赤色となりました。歩いたルートはほぼ計画と同じでした。太い橙色ライン(━━)が歩いたルートです。緑色ライン(━━)が今回のハイクのメインイベントである竹の径(みち)です。本記事では洛西口駅から物集女車塚古墳までの道の景色と物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん)を紹介したいと思います。徒歩で歩いた時のGoogleルート図→ポチッ
洛西口駅→物集女車塚古墳→竹の径→竹林公園→竹の資料館(昼食)→竹の径→寺戸大塚古墳→桓武天皇皇后御陵→五塚原古墳→文化資料館→東向日駅
(実際)
洛西口駅→物集女車塚古墳→竹の径→竹林公園→竹の資料館→子供の広場(昼食)→竹の径→高畠陵→桓武天皇皇后御陵→五塚原古墳→東向日駅


洛西口駅の改札口です。今回が私にとって2回目の参加ですが、2019年04月20日に初参加した第72回の神戸市北区の重要文化財巡りハイクで記載した8つの記事を紹介します。着色タイトルをクリックすると記事を表示します。
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
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洛西口駅(らくさいぐちえき)の外観です。新しい駅なので調べてみると現在の高架ホームになったのが上り線が2013年10月26日で、下り腺は2016年3月5日でした。地上駅として開業したのも比較的新しく2003年3月16日でした。ただし、1946年2月1日~1948年3月1日には物集女(もずめ)駅がこの場所にあったそうです。つまり今回訪れた物集女車塚古墳の名前がついた駅が73年前~71年前の間に存在したのです。
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駅の時刻表です。待ち合わせ時間は10時だったので9時41分の電車でここに来ました。同じ電車で私以外に3名が乘られていました。それより前に1名が来られていて、次の9時51分の電車で全員が集まりました。
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駅からは少し幹線道路を歩きました。後ろに見えているのが洛西口駅の高架です。


幹線道路を少し歩いたところで左(南)に曲がって、こちらの道に入りました。正面方向が南です。
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水田で広がっていて、写真のような刈り取り前と刈り取り後が半々程度に広がっていました。
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田園風景の中を進みました。


今回のハイクの最初の目的地の物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん) に着きました。
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物集女車塚古墳(もずめ・くるまづか・こふん)は史跡・乙訓古墳群に分類されます。乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)は桂川西岸の長岡丘陵周辺である乙訓地域(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市の一部)に所在する古墳時代(3世紀~7世紀)の首長の古墳だそうです。 向日市の乙訓古墳群としては五塚原古墳・元稲荷古墳・寺戸大塚古墳・南条古墳・物集女車塚古墳 が知られていてその中の一つが本記事で紹介する物集女車塚古墳です。向日市以外では天皇の杜古墳(西京区)・寺戸大塚古墳(西京区)・恵解山古墳(長岡京市)・井ノ内車塚古墳(長岡京市)・井ノ内稲荷塚古墳(長岡京市)・今里大塚古墳(長岡京市)・鳥居前古墳(大山崎町)があります。
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物集女車塚古墳の形が分かりやすい角度から撮った写真です。この古墳は6世紀中頃(古墳時代後期)に造られた前方後円墳(全長約46m・高さ9m)のです。車塚が名前の中にある古墳は全国に沢山あり、前方後円墳を横から見た形から車塚と呼ばれるのが一般的ですが、淳和天皇(840年没)の棺を運んだ車を納めた地という伝承が「車塚」の名の由来とも言われています。埋葬されているのは継体天皇(大王)にゆかりの深い人と考えられていますが、名前は特定されていません。継体天皇は第26代天皇で、在位は明確ではありませんが、通説では507年3月3日?~531年3月10日?となっています。日本書紀によると継体天皇と言えば、511年に樟葉宮(現:大阪府枚方市楠葉丘)から筒城宮(現:京都府京田辺市)に遷都し、さらに518年に筒城宮から弟国宮(現:京都府長岡京市今里)に遷都したことが有名です。長岡京市は比較的この古墳から近い場所です。
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地上からだと形が分かりにくいのでGoogleの航空写真を紹介します。上の写真は本写真の右下から撮りました。上から見ると前方後円墳であることがよく分かります。一部が道路で削られたことが分かります。向日丘陵の前期の古墳は南北方向に規則的に築かれているのに対して、物集女車塚古墳は丘陵から伸びる尾根を利用してほぼ東西方向に築かれているそうです。
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道路に接する部分は石垣になっていました。上の航空写真では右上の道路(物集女街道)に接する部分です。開発などで昔の文化財が壊されてしまうと元に戻すことが出来ないことを実感いたしました。でも調べているうちに、大部分は保管されているすばらしい古墳であることが分かってきました。
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北方向から南西方向を撮った写真です。毎年5月末頃に横穴式石室の内部が公開されるそうです。出土遺物には、埴輪、須恵器、土師器、馬具、刀剣類、装身具などが多くあるそうです。1984年に京都府の指定文化財となりました。
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物集女車塚古墳があるこのエリアは車塚緑地と言われていて周辺地域の人達の憩いの場所でもあるようです。
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 全長  46m(二段築成)
 後円部 直径24~32m 高さ9m
 前方部 長さ18~23m 幅39m 高さ8m
 くびれ 幅36m
 史跡  京都府の史跡
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大きな説明板が設置されていました。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。
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こちらの写真で説明板の大きさが分かってもらえると思います。


クリックすると拡大物集女車塚古墳の右の写真の石室から2,000点以上の埋葬品などの遺物が出土し、それらの全てが2018年3月23日に京都府指定等文化財に指定されたそうです。ネットからそれらの一部を転用する形で紹介したいと思います。これらの写真は向日市教育委員会より1995年3月31日に発行された「向日市埋蔵文化財調査報告書第40集別冊」に掲載されていたものだそうです。右の石室の写真もネットから転用させていただきました。左上から「ガラス小玉・なつめ玉・トンボ玉」「広帯金銅製冠」「馬具(鞍金具・杏葉・雲珠・辻金具・鉸具・鋲)」「土器(高杯)」「各種副葬品」「武器(鉄鏃)」です。
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周囲には周濠が残っている部分もありました。
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石室と石棺の詳しい説明もありました。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。右側の2枚の写真は上が玄室と家形石棺で下が玄室から外方向を見た写真です。
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石室への入口の写真を撮り忘れたのでGoogleのストリートビューで紹介します。中央のステンレス製のドアが石室(玄室)入口です。


キケン!! のぼらないでください。」の注意看板が立てられていました。


古墳の側面には上に登るった跡がが残されていました。登りたくなりますが看板が立てられていたので断念いたしました。
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正面側にも上に登った跡が残されていました。
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石室の断面図もあったので掲載いたしました。
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古墳の側面に排水溝の出口がありました。上の図の左の端に人が立っているところの赤丸()部分の写真で、石室内の水が排水溝を流れてきて外部に出るところです。
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排水溝の説明板です。中央の下側の排水溝の出口は写真ではなく本物なのです。説明板がくり抜かれていて本物が見えるように工夫されているのです。上の写真は、ここを撮った写真です。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。2枚上の石室の断面図は本説明板の写真から切り取って掲載いたしました。
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古墳の周囲を歩いたルートを紹介します。


赤線の内側が京都府向日市物集女町です。8世紀~江戸時代までは山城国・乙訓郡・物集女村(荘)で、7世紀は乙訓郡の部分は弟国評であったようです。
物集女車塚古墳は物集女町の中の最も右下(東南)にあります。のアイコンのすぐ左の真横で、病院のマーク(⛨)の真下です。周辺との位置関係を知りたい方は、最右下ののアイコンを数回クリックしてみてください。

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マウナケア・ツアー その3 ギンケンソウ(銀剣草) [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ここはハワイ島のマウナケア(山頂4205m)の中腹の標高2800mにあるオニズカ・ビジター・ステーションです。この扉の中にマウナケア(山)の固有種であるギンケイソウが生えているとガイドさんから聞いたので中に入って見に行ってみることにいたしました。どんな形の植物なのかは知る由もありませんが、見ると判るとのことでした。扉には次のように書かれていました。
STATE OF HAWALL
DEPARTMENT OF LAND AND NATURAL RESOURCES
DIVISION OF FORESTRY AND WILDLIFE HALE POHAKU EXCLOSURE
Estab. 1982; elev. 9000'
扉の左側にも次のような注意書きがありました。SILVERSWORDが植物の英語名だと思われたので、ネットで確認するとMAUNA KEA SILVERSWORDが英語名でした。
AHINAHINA ENCLOSURE MAUNA KEA SILVERSWORD
STAY ON TRAIL

クリックすると拡大扉があった場所は前記事で紹介したお弁当を食べたテーブルが並べられていた右の写真のエリアの奥でした。テーブルが空いていなかったので先に、ガイドさんに薦められたマウナケア固有種の植物を探しに行ってからお弁当を食べました。
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中に入ってマウナケアの方を見た景色です。この中にギンケンソウが生えているかどうか分かりません。黄色い花が沢山咲いていました。一見して分かるとのことなので黄色い花の植物ではなさそうです。
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黄色い花もきれいなので拡大写真を掲載いたしました。車で登ってくる時も沢山見かけた黄色い花だと思います。
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こちらの写真にはいろんな植物が写っています。変わった植物も多いのですが、なんとなくギンケンソウとは違うように感じました。
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白い花を咲かしている植物も咲いていました。
ハワイ諸島では在来自生種の植物は1800種ありますが、約85%がハワイ諸島の固有種です。鳥類では海鳥を別にすると、77種の在来種の内76種がハワイ諸島固有種で、哺乳類の在来種はコウモリの1種のみなのです。クリックすると拡大これらの数値からもハワイ諸島は、人類到達以前は世界からは隔離された場所であったことが分かっていただけると思います。何気なく生えている植物もハワイ諸島の固有種なのかもしれません。仮説ではありますが古代の人類は海鳥の移動を見て小舟を進めて新しい島を見つけて行ったと想像されています。つまり人類が移動した同じルートをクリックすると拡大火山噴火で島が出来た遥か昔に海鳥に種子が付着して植物が移動した可能性が高いことになります。それが進化して沢山の固有種になったと思われます。人類が住む以前は海亀や海蛇以外の陸生の爬虫類は住んでおらず、両生類も生息していなかったと考えられているのがハワイ諸島だそうです。昆虫などの節足動物は沢山の種類が生息していますが分類的には非常に偏っていることから海鳥に付着するなどしてハワイに到達出来た節足動物だけが繁栄して種類を増やしたと考えられているようです。南極大陸を除く象徴的なあらゆるエリアに進出したアフリカを起源とする人類(ホモ・サピエンス)ですが、人が住めるような温暖な地域において、ハワイは人類が到達するのが、最も遅いエリアの一つと言えるのかもしれません。クリックすると拡大ちなみに日本に人類が到達したのは4万年前~3万年前で、南アメリカ最南端辺りは1万2千年前で、グリーンランドは6000年前~4000年前です。それに対してハワイへの人類到達は1500年前~1000年前です。
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白い花を拡大して見ました。高山植物だと思いますが、ギンケイソウではなさそうです。
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探検している気分にさせられました。
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敷地内に石組がありました。正面がマウナケア山頂です。マウナケアはハワイの先住民たちにとって数々の神が棲む聖地なのです。代表的な神は雪の女神ポリアフです。マウナケアの方向に向いていることから、神々に関係したものだと思われます。
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ギンケイソウ探しは後回しにして、この石組を詳しく見てみることにいたしました。調べてみるとハワイ神話に登場する雪の女神・ポリアフの祭壇でした。祭壇のことはヘイアウ(heiau)で、捧げ物を置く台はレレまたはウヌだそうです。
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祭壇を拡大いたしました。
ポリアフの神話をネットから転用させていただきました。
昔のハワイでは、山の斜面に石垣を築いて造った巨大な滑り台を、木製のそりに乗って滑るという王族の遊びがありました。
ポリアフは、そり滑りがとても得意でした。ある時、ポリアフが友人とそり滑りをしていると、そこに黒いマントを羽織った美女が現れ、自分とそり競争しようと言いました。さっそく美女とポリアフは、山の上から同時にそりに乗って滑り下りました。ポリアフの乗ったそりのほうが速いのは、誰の目に見ても明らかでした。競争の途中で、なにげなくポリアフは後ろを振り返ると、なんと後ろから、黒マントの美女が大きな炎の塊になって、山腹から噴出させた溶岩の上に乗って追い掛けてくる姿を目にして驚きました。黒マントの美女は、ペレだったのです!
しかし、ポリアフは急いでその場でそりから飛び降りると、あわてて逃げたりせずに、その場にすくっと立って、ペレを真正面から見据えたのです。溶岩はポリアフに向かって流れてきます・・・・ところが、ポリアフの目の前まできた溶岩は、二手に分かれてポリアフを避けるように流れていったのでした。
ポリアフはマウナケアの山頂から、氷のように冷たい風をペレと溶岩に向けて吹きつけました。 溶岩は冷えて固まり、ペレは寒さにこごえて退散していきました。
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中央の大きな石が印象的でした。神聖なものだと感じます。
雪の女神ポリアフと対立関係なのが火の女神ペレ(Pele)です。上で記載の神話に出てくる黒マントの美女が火の女神ペレです。クリックすると拡大今のペレはハワイ島の南半分である活火山のマウナロア(山)やキラウエア火山を支配し、ポリアフはハワイ島の北半分であるマウナケア(山)を支配していると言われています。右の写真はペレを題材として描かれた絵画です。
諸説ありますが、雪の女神ポリアフ(Poliʻahu)は一般的に下記のような4姉妹という説が多いそうです。リリノエワイアウカホウポカネも雪の女神とされることがあるそうです。カホウポカネはハワイ島のフアラライ山の女神との記述が多いのですがWikipediaではマウイ島のハレアカラ山の雪の女神(?)と書かれています。リリノエもハレアカラ山の雪の女神との記述もありました。右の2枚の写真はポリアフを描いた最近の絵画です。
クリックすると拡大 長女 雪の女神 ポリアフ   Poliʻahu
 次女 霧の女神 リリノエ   Lilinoe
 三女 湖の女神 ワイアウ   Waiau
 四女 衣の女神 カホウポカネ Kahoupokane
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ポリアフの祭壇あたりの航空写真です。がオニヅカ・ビジター・ステーションの建物で、クリックすると拡大紫色のマークが夕食のお弁当を食べたテーブルです。黄色のラインが右の写真のベンチマーク(水準点)がある山頂方向です。写真内のマイナスのアイコンを7回クリックすると山頂が表示されます。山頂近くにも祭壇があるようです。


マウナケアの雪の女神ポリアフのご利益(ごりやく)があったのか、遠くに銀色に輝く草が生えているのが目に飛び込んできました。「これがギンケンソウだ」とすぐに分かりました。ギンは「銀」でケンは「剣」だったのです。つまりギンケイソウは漢字で書くと銀剣草でした。確かに見ればわかる。でした。場所は、上の航空写真でポリアフの祭壇の少し東側(右側)のエリアでした。
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近づいてよく見ました。サボテンや多肉植物のように見えますがキク科の植物だそうです。植物の分類を越えて環境が形を作るのだと実感いたしました。進化の不思議を感じました。
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不思議な植物です。
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次々とギンケイソウを見つけました。下記は十分に成熟した個体の特徴です。開花まで5年~50年もかかる非常に成長の遅い植物です。
 葉長 30~40cm
 花茎 70~250cm(最大高さ:300cm)
 開花 7~10月
 頭花 最大500~600個
 標高 2100~3750m
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葉が出ている部分を拡大いたしました。
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クリックすると拡大1株だけですが、花を咲かせた後の花穂が残った株もありました。それが下の写真です。右下の花穂が伸びた縦長の写真はWikimediaから転用させていただきました。ハワイ諸島には2つの亜種があるのみです。1つが今回紹介のハワイ島のマウナケア(山)固有種のマウナケア・ギンケンソウ(Mauna Kea silversword)で、もう1つがマウイ島のハレアカラ山の固有種のハレアカラ・ギンケンソウ(Haleakala silversword)です。右の5秒ごとに切り替わる写真はハレアカラ山の固有種のハレアカラ・ギンケンソウの写真です。
クリックすると拡大  界 植物界      Plantae
    被子植物     Angiosperms
    真正双子葉類   Eudicots
    コア真正双子葉類 Core eudicots
    キク類      Asterids
    真正キク類Ⅱ   Euasterids II
  目 キク目      Asterales
  科 キク科      Asteraceae
  属 ギンケンソウ属  Argyroxiphium
  種 ギンケンソウ   Argyroxiphium sandwicense
 和名 銀剣草
・ハワイ島マウナケア(山)
 亜種 A. sandwicense subsp. sandwicense
 英名 Mauna Kea silversword (マウナケア・ギンケンソウ)
・マウイ島ハレアカラ山
 亜種 A. sandwicense subsp. macrocephalum
 英名 Haleakala silversword 又は east Maui silversword
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かなり広い範囲で見つけることが出来ました。
Wikipediaによるとギンケンソウ属(Argyroxiphium)には現有種が5種と絶滅種が1種が書かれていました。→翻訳
クリックすると拡大ギンケンソウ(銀剣草)にSilversword(シルバーソード)が使われているのに対して右の写真の別種にはGreensword(グリーンソード)の名が見られます。ただし和名として検索してもグリーンソードや緑剣草(ギョクケンソウ)は出てこないのでギンケンソウ属は日本ではあまり知られていないようです。Wikimediaによるとギンケンソウ属はハワイ諸島の固有属だそうです。5種すべてが高山にあるのではなくGreensword (Argyroxiphium grayanum)は湿地に生育しています。East Maui greenswordは公式に1945年以前に絶滅したことになっていますが、1989年にHaleakalā silversword(ハレアカラ・ギンケンソウ)との交配種と思われる個体が見つかりました。
 現有種
  Eke silversword
  Greensword
  Argyroxiphium × kai D.D.Keck (A. caliginis × A. grayanum)
  Mauna Loa silversword (or Mauna Kaʻū silversword)
  Silversword ギンケンソウ
   亜種 Mauna Kea silversword ハワイ島マウナケア固有種
   亜種 Haleakalā silversword  マウイ島ハレアカラ山固有種
 絶滅種(1945年以前)
  East Maui greensword
 以前は含まれていた(現在はDubautia属)
  Dubautia gymnoxiphium
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いろんな形を見せてくれていました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定しています。ギンケンソウの英文のWikimediaでの種の保全状況にはG2と書かれていました。我々がよく見かけるCRやENやVUなどのカテゴリー分けとは表示が違うのでIUCNのレッドリストNatureServeの保全状況を比較をしてみるとENに近いものと想像されます。G2レベルはGlobal LevelでのImperiled(typically having 6 to 20 occurrences, or 1,001 to 3,000 individuals)です。ギンケンソウが絶滅危惧種になった大きな原因は人間がハワイに持ち込んだ家畜が野生化した野ヤギや野ヒツジが食べたことだそうです。非常に成長の遅い植物なので動物に食べられてしまうとひとたまりもなかったのだと思います。一時は野生のものは36株まで減ったそうです。現在は人工繁殖をして絶滅しないように維持をしているようです。ギンケンソウが生えていたエリアが柵で囲まれていたのは、野ヤギや野ヒツジの食害からギンケンソウを守っていたのかもしれません。
クリックすると拡大 EX:絶滅
 EW:野生絶滅
 CR:絶滅寸前
 EN:絶滅危惧
 VU:危急
 CD:保全対策依存
 NT:準絶滅危惧
 LC:低危険種
 DD:データ不足
 NE:未評価
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雰囲気を感じてもらうために沢山掲載させていただきました。
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他の植物には過酷な環境だからこそ、環境に適用したことと、高い山のために他の場所への進出が難しいことから固有種になったのだと感じました。
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葉の部分を拡大いたしました。
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さらに葉を拡大しました。何枚かの葉はピントが合っていると思います。表面に細かな毛が付いています。これにより銀色に輝いているのだと思います。
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さらに葉を拡大して見ました。是非ともクリックしてみてください。細かな綿毛は鉱山での保温の役目と紫外線を防ぐ役割もあるようです。このような植物の文献「セーター植物・温室植物にみる極限の適応」には、似た植物としてヒマラヤ地域に右の写真のキク科トウヒレン属のワタゲトウヒレン(Saussurea gossypiphora)など6種があると書かれていました。クリックすると拡大高山で「セーター」を着る意味は、加温や保温、雨や霧避けのほか、高山の強い紫外線を遮る意味もあると考えられているそうです。密生した綿毛は紫外線など波長の短い光を散乱させ、盛んに細胞分裂を行う茎頂や生殖器官を保護しているものと推測されるそうです。ヒマラヤの標高4300〜5600 mに生育しているワタゲトウヒレン(Saussurea gossypiphora)に関する上記の文献には、類似した植物としてハワイの高山帯に生えるギンケンソウ属(Argyroxiphium)が引用されていました。
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今回、ギンケンソウ(銀剣草)の写真を撮ったのはのオニヅカ・ビジター・ステーションの近くでした。Googleマップでは、この辺りはMauna Kea State Park - Halepōhaku Areaと書かれていました。
  2回目の休憩場所    マウナケア州立公園(1989m)
  夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2801m)
  沈む夕日を見る場所   マウナケア山頂(約4200m)

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ラグビー発祥の地 [英国]

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Rugby Schoolラグビーワールドカップで2019年10月13日に日本チームがスコットランドを破って決勝トーナメントに進出しました。それを機会にラグビーの発祥の地に訪れた時の記事を再掲載いたします。決勝トーナメント進出、つまり史上初の日本のワールドカップ8強入りです。
Rugby School思い起こせば4年前の2015年のラグビーワールドカップで南アフリカから日本が歴史的な勝利(右の写真)をしたことで、ラグビー自体が日本で注目されるようになりましたが、その時でも決勝トーナメントには進出出来なかったのです。ロンドンから Rugby(ラグビー)という名の町に日帰りで行ってきた記事を掲載いたします。そのラグビーの発祥の地が、このは小さな田舎町であるラグビーなのです。
ラグビーの起源は、1823年に、この町にある右下の写真(ネットから拝借)のRugby校(ハイスクール)でのフットボール(原始的サッカー)の試合中に起こった事件が発端だそうです。その事件とは試合中にウィリアム・ウェッブ・エリスがボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出したことでした。
Rugby School1840年頃にはラグビーの原型であるボールを持って走る「ランニングイン」が確立したそうですが、その第1号がエリス少年と言うことなのです。ほかにも走る人がいても不思議ではありませんが、その根拠はエリス少年が最初にボールを持って走ったという証言が記してある文章が、ラグビーの起源に関する最古の文献だからだそうです。さらに起源と考案者を探る上で名前がわかっている人物はエリス少年、ただ一人だそうです。
なお、当時のフットボール(原始的サッカー)では、手を使うこと自体はルールとして許されていました。エリス少年がルールを破ったとされるのは、ボールを手で扱ったことでなく、ボールを持って走った行為にあるそうです。

もしかしたらラクビー校(Rugby School)が写るかもしれないと何気なく撮った右の写真の中にラクビー校が写っていました。逆光のためにクリアな写真ではありませんがネットの写真の屋根の部分が同じなので気が付きました。この写真はクリックすると拡大します。
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上のラグビー校の部分を切り取って拡大したのが下の写真です。
今まで、せっかくラグビーまで行ったのにラグビー校を見ないで帰ってきたことを後悔していましたが、実はラクビー校を見ていたのです。ラグビー校はイングランドで最も有名で、最も古いパブリックスクールの1つで、11歳から18歳までの男女共学のボーディングスクールです。定員は950名。そのうち800名が寮生活をしているそうです。ストリートビューで見ると、さすがです。2つのラクビーの競技グラウンドが緑の芝生の中に作られていました。
ストリートビュー→ポチッ ポチッ


航空写真で見るとラクビー校の大きさに驚かされます。

街の中の風景をさらに2枚掲載します。こちらはラグビー校を見ることが出来た丘の上からの別の方向の景色です。こちらは北西方向の写真です。ラグビー校が写っていた写真は南東方向の写真でした。
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大きな切り株です。こちらはタクシーの中から撮りました。
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クリックすると拡大ここのタクシーもロンドンのタクシーの大きい方と同じでした。 でもロンドンでは走っていなかった白色のタクシーが圧倒的に多かったです。イギリスのタクシーの後ろの扉は日本とは反対に開くのです。中は広くて前後に座席があり、応接間のように対面で座ることが出来ました。
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右の写真はラグビー駅のホームにあったRugby(ラグビー)の表示です。ラグビーに来た記念に撮りました。ラグビーの発祥の地であるラグビーの町の位置を紹介します。赤いマーク( )がラグビー発祥のラグビー校です。この縮尺では赤のマークに隠れていますが緑のマーク( )がラグビー駅です。黄色のマーク( )が我々が列車に乗ったロンドンのユーストン駅です。

より大きな地図でラクビーの町の位置を表示
この列車でロンドンからラグビー(RUGBY)までノンストップ 49分で着きます。ロンドンへの帰りはいくつも駅に停まったので1時間でした。


列車の中を紹介します。快適です。


列車からの景色を3枚紹介します。 
家は稀にしか見れません。この写真のようなな景色がほとんどでした。


家が見えると珍しいので写真を撮りました。


駅の景色も珍しいので紹介いたします。


ロンドンに昼過ぎに戻ってみるとのんびりとくつろいでる風景に出会えました。この後、荷物を預けてあったホテルに戻って頼んであったタクシーに乗って空港まで行きパリまで一気に飛びました。→ポチッ


Wikipediaでのラグビーに関する記載内容の最初の部分を紹介します。
ラグビー(英: rugby)は、イギリスラグビー校発祥のフットボールの一種。現在、ラグビーユニオンとラグビーリーグの2つのスポーツとして主に行われている。和名を闘球という。かつてはラ式蹴球とも言われた。
この競技は、正式にはラグビーフットボール (Rugby football) と呼ばれる。2つのチームに分かれて行われ、楕円形(回転楕円体)のボールを奪い合って相手陣のインゴールまで運ぶ、あるいはH型のゴール上部に蹴り入れて得点を競うスポーツである。
Wikipedia : フリー百科事典

2019年ラグビーワールドカップの決勝トーナメントの組み合わせと日程を紹介します。日本と南アフリカの因縁の対決は2019年10月20日に東京スタジアムで19時15分から行われる予定です。世界ランキングが10月7日の時点の1位~8位が決勝トーナメントに進みました。9位以下のチームが1チームも決勝トーナメントに残れなかったことから、番狂わせの少ないスポーツと言われいることは事実のようです。そして10月14日に日本は8位→7位となりフランスは7位→8位になりました
参考にプールAでの日本の成績も記載させていただきます。
  9月20日 日本 30:10 ロシア     東京スタジアム
  9月28日 日本 19:12 アイルランド  小笠山総合運動公園エコパ
 10月05日 日本 38:19 サモア     豊田スタジアム
 10月13日 日本 28:21 スコットランド 横浜国際総合競技場
ちなみに私の高校時代は体育の授業でラグビーが行われていて、私のポジションはフッカーでした。サッカーではキーパーでした。
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決勝トーナメントに進出した8チームのワールドカップ開催中のランキングの推移を紹介します。1週間ごとに更新されました。開催式は9月20日でした。
ワールドカップ開幕時の日本のランキングは10位でしたが、勝利を重ねることにより9月23日に9位となり、9月30日に8位となり、10月14日に7位となったわけです。ウェールズも調子がいいようです。グラフをクリックするとワールドカップに参加した20チームの2015年からのランキングの推移のグラフを表示します。10月26日の準決勝でイングランドがニュージンランドに勝利したことで1位と2位の順位が変わりました。


2019年10月28日時点の105チームのラクビー世界ランキングを紹介します。クリックすると最新のランキング(J・SPORTS版)を表示します。

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