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スパイラルロッドの取り付け工事 50万V送電線 [送電線]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2023年09月19日再掲載 タイトル : 再掲載しました。(タイトル変更なし)
昨日のアクセス解析を見ると最新の記事「家(実家)で最初に飼ったワンコ ジョン」の次に多かったのが、6年前の過去記事「スパイラルロッドの取り付け工事 50万V送電線」でした。数年前の過去記事のアクセス数が多いのは珍しいことなので、それを機会に再掲載させていただきました。
 2023年9月19日 閲覧数:11,699 nice!:141 CMT:10 再掲載時
 2023年9月20日 閲覧数:11,873 nice!:175 CMT:22
 2023年9月21日 閲覧数:11,986 nice!:191 CMT:32
 2023年9月22日 閲覧数:12,106 nice!:203 CMT:38
 2023年9月23日 閲覧数:12,221 nice!:209 CMT:40

2017年10月18日掲載
タイトル : スパイラルロッドの取り付け工事 50万V送電線

中途半端に終わらせたくなくて、長く中断していた「送電線取替工事に関する記事の掲載」を再開いたしました。先ずはプレーボタン( )をクリックしてみてください。送電線にスパイラルロッドを巻き付けているところです。東京電力の房総線で送電線の取替工事が2016年12月中頃から2017年3月23日まで行われていました。この間の工事は房総線全長約40km(房総変電所から新京葉変電所)の約10%にあたる4.1㎞の送電線でした。今までに送電線に関する記事を書いてきて2017年5月10日に5つ目の⑭の「4導体用スペーサーの取付工事(⑯の点検を含む)」の記事を掲載したところで中断していました。時間が経ちましたが送電線の取替工事の紹介を再開したいと思います。今回は⑮のスパイラルロッドの取付工事の紹介です。上の動画がスパイラルロッドの取付を行っているところです。袋をさげた人の左側がスパイラルロッドを取り付ける前で、右側が取り付けた後です。ちなみに世界一高い送電塔は高さ380mで、中国浙江省舟山市にある舟山島送電線で島と島を渡すため径間長は2700m送電鉄塔だそうです。
下記のリストが送電線の取替工事の手順です。赤色以外の①~⑰の着色丸数字をクリックするとその作業の記事を表示します。
YouTube登録動画はこちらです。→ポチッ
クリックすると拡大 送電線取替工事手順
 ① スパイラルロッドの取外し
 ② 4導体用スペーサーの取外し
 ③ ジャンパ線取外し & 碍子の取替
 ④ 滑車の取付 
 ⑤ 2本送電線の連続化
クリックすると拡大 ⑥ 吊り下げ金具の取付
 ⑦ 4本の送電線の内2本の新旧交換
 ⑧ 2本送電線の連続化    と同じ
 ⑨ 滑車への送電線かけ換え と同じ
 ⑩ 4本の送電線の内2本の新旧交換
 ⑪ 吊り下げ金具の取外し
クリックすると拡大 ⑫ 碍子に送電線取り付け
 ⑬ 滑車の取外し
 ⑭ 4導体用スペーサーの取付
  スパイラルロッドの取付
 ⑯ 点検(スパイラルロッドとスペーサー)
 ⑰ ジャンパ線の設置(プレハブジャンパ)

スパイラルロットを移動しながら取り付けていきます。時間を短縮するために36倍速にした動画を紹介します。着色文字をクリックするとオリジナのスピードと6倍速の動画も別画面で見ることが出来ます。
 別画面で表示 → オリジナル(16分7秒) 6倍速(2分41秒) 36倍速(26秒)


クリックすると拡大下の写真は3段ともにスパイラルロッドの取付が完了した送電線です。遠くから見た写真ですがスパイラルロッドが確認できると思います。右の写真はスパイラルロッドが外された状態です。違いが分かってもらえると思います。
4本の電線を束ねているのがスペーサーです。このように4本で構成されている送電線のことを4導体送電線と呼び、主に500KV送電線(50万ボルト送電線)と275KV送電線に使われます。
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スパイラルロットの構造が分かるようにスペーサーのあたりを拡大いたしました。黄色の円で囲った部分を見るとわかるように電線に巻き付けられているスパイラルロッドは1本ではなく4本だったのです。
スパイラルロッドの取り外しや取り付けは大変な作業であることから、それを取り付けなければならない大きな理由があることを感じました。
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スパイラルロッドを取り付ける目的(理由)を検索すると風切り音の防止と着雪防止が出てきます。我々のあたりは豪雪地帯でもなく雪が降るのは稀なことです。偶然ですが工事中にスパイラルロッドが取り付けられていない時に強風(春一番)が吹いたことがありました。その時の動画が下記ですが今までに聞いたことが無いほどの大きな風切り音がしたのです。我々の住んでいる地域は住宅地のために、ここでは風切り音を防止することがスパイラルロッドの最大の目的のように感じました。強風時に電線から発生する風切り音(電線風音)の防止対策として,1973年から既設の電線にスパイラルロッド(弦巻素線)を巻きつける方法が適用されてきたそうクリックすると拡大です。
1987年には右の写真のような電線自体に突起を設けた低風音電線が実用化されましたが、今回の取替工事では、工事の手間のかかるスパイラルロッドを後から巻く方法が採用されたのにはそれなりの理由があるのだと思います。
プレーボタン( )をクリックすると大きな「送電線の風切り音」以外に「カメラにあたる風の音」と「送電線同士の接触音」さらに2分13秒ごろからは「下校時の子供たちの声」も聞こえます。


こちらがスパイラルロッドを巻き付けている時の静止画(写真)ですが、完成した写真に比べるとスパイラルロッドの目立ち方が少ないように感じました。
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上の写真を拡大して見ると巻かれているスパイラルロッドは2本でした。
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この写真でも2本づつ巻いていることが分かると思います。どうやら4本同時には巻けないようです。つまり同じ作業を2度繰り返して4本にしていたことが分かりました。スパイラルロッドを巻き付ける作業は大変な作業であることをあらためて知りました。
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上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載しました。この写真をクリックすると広い範囲を表示します。
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今回の東京電力の房総線での送電線の交換は下記の地図の24鉄塔から32鉄塔までの3770m(━━)が対象でした。その中で高さ121mの最も高い27鉄塔でのスパイラルロッド取付工事開始の様子を紹介いたします。右の小さな2枚の写真は新しいケーブルを送り出す24鉄塔( )と巻き取る32鉄塔( )の場所の写真です。
クリックすると拡大クリックすると拡大 送電線交換・始点鉄塔 24鉄塔
 送電線交換・終点鉄塔 32鉄塔
 シルバー塗装鉄塔
 赤白塗装鉄塔
 ━━ 送電線一括交換部分 3770m  房総線鉄塔の高さデーター → ポチッ


その27鉄塔(121m)で袋に入ったスパイラルロッドを引き上げているところです。地上に設置されたウインチで引き上げていました。スパイラルロッドを引き上げが行われていた27鉄塔の脚元(足元)にはKELユーカリが丘(千葉県佐倉市ユーカリが丘5丁目3-1)のフットサル・コートがあります。
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写真の一番下にスパイラルロッドの入った袋がぶら下っているのが分かると思います。一番上まで引き上げているところです。この時は3段の送電線の一番上の送電線にスパイラルロッド取り付けるのです。鉄塔の高さは121mなので約100mの高さでの作業になります。下段の2段の送電線は新旧を入れ替えるための滑車が取り付けられています。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので、拡大写真を見ていただくと上の説明が分かりやすいと思います。
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準備作業は3人で行われていました。このあと2人が左方向にスパイラルロッドの取付作業を始めました。次に右方向も作業員の方がスパイラルロッドの取付工事を始められました。この鉄塔から両方向に工事を始めたのは、一番高い鉄塔から始めると進行方向が少しでも下り方向になるためではないかと想像いたしました。地上のスペースも広かったので、それも理由かもしれません。
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高さを実感していただけるでしょうか。写真で人が写っているのが、上で紹介した作業が行われていた高さ121mの27鉄塔です。手前から28鉄塔、27鉄塔、26鉄塔、25鉄塔です。実は27鉄塔と26鉄塔の間は谷になっていることから、その谷の部分の地面からは約120mの高さの作業になっているのです。
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房総線の鉄塔の位置を全てプロットいた地図を紹介します。房総変電所から新京葉変電所の間が房総線です。
地図の右上のアイコンをクリックして別画面で地図を表示させると五井火力線や新京葉線などの鉄塔も表示させることが出来ます。
房総線は次のように変貌いたしました。地図画面の左上端の の東東京変電所(当時の名前)は新野田変電所に名前が変わりました。新古河変電所は表示されている外側にプロットしています。新京葉変電所が出来たことで1993年に房総線の新京葉変電所~新古河変電所までは新京葉線に名前が替わりました。
 房総線の沿革
  1966年 63km 房総変電所~東東京変電所 500KV設計 275KV運用
  1973年 84km 房総変電所~新古河変電所 500KV運用 日本初実用
  1993年 40km 房総変電所~新京葉変電所 500KV運用 現在の状態  
 赤白塗装の鉄塔
 シルバー塗装の鉄塔
 送電線交換・始点鉄塔 24鉄塔
 送電線交換・終点鉄塔 32鉄塔
 房総変電所 新京葉変電所 新野田変電所 ( 新古河変電所 江東変電所 )
 五井火力発電所 総出力 188.6万KW 使用燃料 LNG(天然ガス)
 ━━ 五井火力線 五井火力発電所~房総変電所
 ━━ 旧房総線  新京葉変電所~新野田変電所(旧・東東京変電所)


五井火力発電所から房総変電所までの鉄塔をプロットした地図→ポチッ

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家(実家)で最初に飼ったワンコ ジョン [犬]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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家(実家)で最初に飼ったワンコを紹介します。猟をするために沢山猟犬を飼われている方から子犬を私の父が譲っていただいたのです。特別に優秀な猟犬の血(DNA)を引きついでいるためか、散歩の時に空き地に離すと、雉(きじ)の子供を銜え(くわえ)てきました。初めてのことだったので興奮していました。でも猟犬のDNAのを持っているためか、獲物を傷つけないように軽く銜えているだけなので、キジの子供にケガはありませんでした。ただし訓練していないので、放させるのに苦労いたしました。もちろんキジは元の空き地に放すと元気に走って行きました。ジョンを飼い始めた時は実家が私が住んでいる家だったのでタイトルには「家(実家)」を使いました。上の写真のようにシッポを後ろにまっすぐに伸ばすのが特徴です。片足を上げると獲物を見つけた時のポイント姿勢になります。
 名前  ジョン(Jon) 
 犬種  イングリッシュ・ポインター(Pointer か English Pointer) 雄
 両親  優秀な猟犬(少し遡ると世界的チャンピオン犬)
 誕生日 1973年(or 1972年)

子犬の時に家に来ましたが、残念ながら来た時の写真は残っていませんでした。こちらが探した中で一番若い写真です。少なくとも1歳未満だと思います。血統証明書を見た記憶はあるのですが、実家でいろんなところを探しましたが、見つかりませんでした。
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上の写真の現像の日は分かっていませんが、写真の現像の日が判っている中で現像日が最も古いのがこちらです。この写真の現像日が1974年1月なので誕生日を1973年(or 1972年)と予想したわけです。この写真の時に1歳未満ならば誕生日は1973年と思われます。犬小屋が比較的きれいなことからも誕生日が1973年と思われました。したがって家に来たのも1973年(or 1972年)としました。
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下の写真の左側は上の写真から切り取った1974年1月の犬小屋です。右側は2枚の写真を切り替えて表示していますが、10ケ月後の1974年11月の犬小屋と、さらに傷んできた犬小屋です。クリックして出てくる拡大写真を比べてもらうとよくわかると思いまが、10ケ月間(=1974年11月-1974年1月)の痛み具合から見て上の犬小屋(左側の犬小屋))は作ってから数か月以内と思われます。この犬小屋は子犬が家に来てすぐに父が作ったのを覚えています。私も手伝いました。
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冒頭の写真(右の小さな写真)はこちらの写真から切り取ったものです。クリックすると拡大人が来る可能性がないところで自由にさせてやりたいのでいろいろ探した結果、今は一部が住宅地(逆瀬台の山側)になっていますが、1973年頃はまだ、雑木林や広がったところなので人っ気のないところでした。今はありませんが大きな池もありました。ジョンを遊ばせるの絶好の場所なので、家から2km以上ありましたが散歩のとき(土日)に行きました。
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現在の航空写真(Googleマップ)に遊ばせた場所を赤色に着色いたしました。今は住宅地が入り込んでいますが、当時は住宅地から遠く離れていました。したがって人や犬がここに来ることはほとんどない場所だったのです。逆瀬川駅からだと2.6kmの距離です。ある時、深い雑木林の中の暗いところを歩いていると動物を捕まえるための罠が仕掛けられていました。罠を仕掛けるほどのところなので、普通の人は来ないないことを再確認できましたが、ジョンがけがをしてはいけないので、ひらけたところを歩くようにしました。気を付けて歩いていないと人間もけがをするタイプの罠でした。
緑色ライン(━━)で囲ったところが現在の逆瀬台です。


このような雰囲気のところを歩きました。
六甲山の西側にはモウセンゴケイシモチソウなどの確認しただけで6種類の食虫植物がいろんな場所に生えています。クリックすると拡大今の逆瀬台が山の方に広がる前にはモウセンゴケ属としてはモウセンゴケやイシモチソウ以外に右の写真のコモウセンゴケが生えていましたが、住宅の開発が進んで消えてしまいました。六甲山でコモウセンゴケを見つけたのは、今の逆瀬台の場所だけでした。
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拡大しました。モウセンゴケ族以外の食中植物はミミカキグサ類2種とタヌキモです。また武庫川を挟んだ陸上自衛隊長尾山演習場にもミミカキグサ類やモウセンゴケが生えていました。
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上の写真をクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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開けた場所です。イングリッシュ・ポインターの起源(Origin)/原産地はイングランド で、16~17世紀にスペイン(バスク地方)からイングランドにもたらされたスパニッシュ・ポインターを元に作出されたとされているそうです。ちなみにイングランドはイギリス(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )を構成する4つの国(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)の1つです。
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この辺りは沢山砂防ダムなどの構造物があります。石で組んだ砂防ダムのような斜面を登っているところです。
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行者山の尾根だと思います。写真の中に、犬の名前のポインターの由来となっているポイント姿勢「獲物を見つけた時に片足をあげる姿勢」はありませんが、見せたことがあったと思います。ネットには、生後2ヵ月の幼犬ですらポイントの姿勢を示すと書かれていました。
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今はありませんが大きな池がありました。ジョンは最初から泳ぎが得意でした。池があると躊躇なく飛び込んで呼ばなければ、いつまでも泳いでいました。ここに来る最大の楽しみでもあります。
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拡大しました。冬には薄氷が張りますが気にせずに入っていました。氷が割れて、ちょと驚いていました。
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さらに拡大しました。きれいな水の池なのに道から離れているので、私の年代の地元の人でも池があったことを知っている人は少ないと思います。知っているのは、その時の造成業者の人くらいではないでしょうか。
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上の写真をクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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まさに犬かきです。六甲山の池があるところに行くと、すぐに飛び込んで、いつまでも泳いでいました。
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拡大しました。
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別の角度からの泳いでいる姿を紹介します。
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ここからは家(今は実家)で撮った写真をを紹介したいと思います。
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のんびりと過ごしています。
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上の写真の場所です。つなぐ場所をいろいろと変えていました。写真の右上の丸いものはゴルフボールです。父がゴルフ練習用のケージを設置していました。
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家の中をよく覗き込んでいました。
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少し精悍な感じになってきました。
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この場所が気に入っているようです。
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姪っ子(姉の子供)は犬に慣れていました。今は3児の母です。
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平気で触っていました。
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少しだけ違う写真です。ジョンは動いていないことが分ります。
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姉のところの2番目の姪っ子です。上の写真姪っ子は1番目です。姉のところは犬を飼っていたので犬には慣れているようです。
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左の方に気になることがあるようです。
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別の角度からの写真も紹介します。
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犬の扱いに慣れています。ジョンはやっちゃなのですが、行儀よくなりました。
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3番目の姪っ子ともご対面です。姪っ子に指で頭を撫でてもらっています。
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ジョンも大喜びです。
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ジョンは子供が大好きでした。
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家内と一緒に実家の近くに散歩に出かけました。私が写しているので写真には写っていません。
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私が写った写真です。左から私、妻、母、祖母、父です。
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私が結婚して実家を出て行った後、実家ではミニチュアダックスフンドを飼って、我々は東京転勤で関東に引越して家を買ってからビーグルを飼いました。ミニチュアダックスフンドが2匹いるのは東京から姉が車で連れてきたからです。以前にも姉が連れてきたことがあって、それを気に入って同じ犬種を飼って同じ名前(クッキー)を付けたのです。色が濃い方が姉の家のクッキーです。むさしは片前足を上げてポイント姿勢のように見えます。今、ジョンは宝塚動物霊園に眠っています。
     実家            SORI家
 名前  クッキー          むさし 
 犬種  ミニチュアダックスフンド  ビーグル
 誕生日 1998年7月31日        2000年4月04日
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nice!が333,333 [日々]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2023年9月5日の朝5時04分にSSブログの管理画面を見るとnice!が333,338と3が5つ並んでいるのに気が付きました。残念ながら333,333と3が6つ並んだ画面を見ることは出来ませんでしたが報告いたします。
2023-09-05-5.jpg 記事数        2,678
 nice!          333,338
 累計閲覧数      18,151,711
 読者数        297
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 日記・雑感ランキング 5位
 nice!と思った人     8,720人
 コメント数      75,401
 ブログ初投稿     2009年5月05日 14年4ケ月前 → 初記事クリックすると記事表示

上の画面では333,334番目までしか確認できないので、nice!一覧画面で確認すると、333,333番目のnice!を押してくださったのはkenji-sさんでした。日付と時刻はコメントの時刻なので若干のずれはありますが、2023年9月4日の18時06分~19時25分の間に333333niceをいただいたものと推測されます。
記念にハートジャンプ(Heart Jump)を掲載いたします。
2023-09-05-5.jpg 333,338 beamuse
 333,337 せとっこ
 333,336 くらま
 333,335 tarou     9月4日 19時25分
 333,334 ずん♪
 333,333 kenji-s
 333,332 yokomi  9月4日 18時06分
 333,331 yokomi  9月4日 17時51分
 333,330 青い森のヨッチン  15時06分
 333,329 鉄腕原子
クリックするとnice拡大を表示

おまけに2023年9月6日の朝に実家の庭の花に来た蝶の写真を掲載します。ツマグロヒョウモンのメス(♀)のようです。
ネットで確認するとオス(♂)は全く違う模様でした。右の雄の写真はWikipediaから転用させていただきました。クリックすると拡大
  界 動物界        Animalia
  門 節足動物門      Arthropoda
  綱 昆虫綱        Insecta
  目 チョウ目(鱗翅目)   Lepidoptera
 上科 アゲハチョウ上科   Papilionoidea
  科 タテハチョウ科    Nymphalidae
 亜科 ドクチョウ亜科    Heliconiinae
  族 ヒョウモンチョウ族  Argynnini
  属 ツマグロヒョウモン属 Argyreus
  種 ツマグロヒョウモン  Argyreus hyperbius 漢字:褄黒豹紋
 英語 Indian Fritillary  中国語 斐豹蛱蝶  韓国語 츠마구로 표범 
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羽根を閉じた瞬間の写真です。この蝶はアフリカ北東部からインド、インドシナ半島、オーストラリア、中国、朝鮮半島、日本までの熱帯・温帯域に広く分布し、日本では南西諸島、九州、四国、本州南西部で見られるそうです。
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クリックすると拡大別の花に移動した写真です。けっこう長い時間、花から花へ移りながら蜜を吸っていました。
クリックすると拡大猫の目のように見える模様は鳥から身を守るためなのかもしれません。体内に毒をもつ右の写真の蝶カバマダラに擬態しているとも言われています。
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新幹線から撮った早朝の富士山の動画 [日本]

IMG_5014-400.JPG写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2023年9月2日に千葉の自宅を早朝(5時)に出発して品川で右の上段の写真の新幹線に乗り換えて関西に来ました。クリックすると拡大晴れた日でも早朝の場合は、いつも富士山は霞んでいましたが、この日はきれいに富士山が見えたので動画を撮ってみました。写真では何度も富士山を撮って掲載させていただきましたが、動画での紹介はなかったと思うので今回は動画にいたしました。今回、貼り付けた3つの動画は永遠に繰り返すように設定させていただいています。
クリックすると拡大上の動画は小田原駅を通過する前の平塚市から撮った富士山です。かなりのズームで撮っているので画面の揺れが大きいです。昔はYouTubeに手振れ補正機能があったのですが、今はなくなってしまって残念です。今までの中で一番最近の写真()での富士山の紹介は2023年4月18日でした。ただしきれいに見える時間帯になる東方向に向かう新幹線でした。→ポチッ
 6時52分 動画のURL:https://youtu.be/fos7f1YmQY0 長さ:8秒

こちらは富士山が一番きれいに見える富士市から撮った富士山です。富士山がきれいに見えていることの車内放送が流れました。プレーボタン( )をクリックしていただくと9秒後に車内放送を確認できると思います。
放送内容は「富士山のご案内をいたします。進行方向右側に富士山が見えてきております。しばらくご鑑賞ください。」です。富士山に関する説明内容は決まりがなく車掌さんによってさまざまだそうです。
 7時16分 動画のURL:https://youtu.be/L445Ryuy-bo  長さ:1分46秒


おまけ(御負け)に浜名湖周辺を撮った動画も紹介します。昔は鰻の養殖池が沢山ありましたが、今は太陽光パネルが目立ちます。
 7時44分 動画のURL:https://youtu.be/c88KsiGHM5A 長さ:2分25秒


今回(2023年9月2日)の富士山周辺と全体と、前回(2023年4月9日)の撮影位置が判る地図を並べて掲載します。と、まったく同じ範囲にしています。9月2日はカメラマークが動画の撮影位置です。4月9日はカメラマークと①~㉓が写真の撮影位置です。



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2回目の「入社当時の懐かしい仲間との神戸の飲み会 燦(SUN)」 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私が会社に入社して新入社員として配属になったのが神戸事業所ですが、その後に私の配属になった組織は組織ごと東京に転勤になりました。2019年に掲載した1回目の「入社当時の懐かしい仲間との神戸の飲み会 燦(SUN)」の記事で紹介したように2019年07月16日に私にとっては初めて(1回目)の夏の親睦会で、その後は毎年参加させてもらうつもりでしたが、新型コロナ渦のためにその後は全て中止していましたが、新型コロナ渦後初めての2023年07月21日に夏の親睦会が行われたことから参加させていただきました。

冬の忘年会や夏の親睦会が行われたお店の場所を紹介します。詳しくは知りませんが毎年同じお店で行われているようです。今までに参加したイベントも紹介します。橙色マーク( )が、今回の夏の親睦会が行われたお店の場所です。
    2018年12月26日(水) 冬の忘年会 権太
第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN) 13名参加
第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    2019年12月25日(水) 冬の忘年会 権太
第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花のみち~文化芸術芸術センターなど散策
第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
    2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN) 16名参加
第85回 2023年10月13日(火) 兵庫大仏/清盛塚など散策
:参加  :予定


夏の親睦会が行われる当日の昼前に関東の家を出発して品川駅で写真の新幹線にお昼ごろに乗り換えました。写真は品川駅で撮った乗車した新幹線です。
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新幹線の中は比較的すいていました。
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一旦、宝塚の実家に荷物を置いて親睦会の行われる神戸三宮に向かいました。写真は実家の最寄駅の逆瀬川駅(阪急・今津線)です。映画「阪急電車 片道15分の奇跡」の舞台の今津線です。
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西宮北口駅で阪急・神戸本線に乗り換えました。高校時代に通ったルートです。この日は写真の特急に乗りましたが、高校時代は普通電車に乗りました。電車の先頭に祇園祭と書かれた表示板を付けているのが印象的でした。
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神戸三宮に着いてまだ時間は会ったのですが、先ずは親睦会が行われるお店が入った神戸交通センタービルに向かいました。こちらの写真のビルが神戸交通センタービルで、最上階の10階に親睦会を行うレストランがあります。クリックすると拡大ビルの最上階の右端の円形になっている部分がレストランの一部です。写真を撮った時は気がつきませんでしたが、2019年7月の時と違うことがありました。親睦会のお店の部屋に入ってすぐに気がつきました。新型コロナ渦の間に神戸交通センタービルの北側に高いビルが建てられていたのです。
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お店の店内の配置図です。上の写真の円形部分がこの配置図の左上の部分です。こちらのお店がビルの顔のような存在かもしれません。右上の部分が入口で、下のを付けた14名~16名の掘り炬燵と書かれているところが我々の親睦会が行われた場所です。下方向が北で六甲山の方向でもあります。


レストランのある建物を撮った場所からの東側の景色です。クリックすると拡大この辺りは神戸まつりのパレードが行われるあたりです。神戸まつりは、戦前の1933年から開催されていた「みなとの祭ムと1967年からの「神戸港開港100周年記念祭&神戸カーニバル」が1971年に統合されて第1回の神戸まつりが開催されたそうです。右は私が見に行った時に撮った第5回神戸まつりの写真です。
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神戸交通センタービルに戻ってお店に行くためにエレベーターの前に来ました。
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エレベーターの扉に、今回のお店「燦(SUN)」が書かれていました。
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10階に上がるとすでに参加者メンバーの人が来られていました。
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燦(SUN)の入口です。
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親睦会が行われる部屋は前回の時と同じ北側の部屋でした。
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窓から景色を見ると高いビルが建っていて、六甲山が間近に見えた景色は変わってしまいました。高い建物は阪急の駅ビルでした。
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こちらが今回の旬香(Shunka)コースのおしながきです。おしながきの代わりにThanks For Comingと書かれていました。内容を転記する形で紹介します。クリックすると拡大
 豆腐 京都鹿島屋豆腐店 寄せ豆腐
 前菜 玉蜀泰の薩摩揚げ
    蛸と胡瓜の酢味噌掛け
    照り焼き鱧の押し寿司
 造里 水蛸のたたき 香味野菜添え
 揚物 万願寺とうがらしの海老真丈挟み揚げ
 主菜 若鶏と茄子の鉄板焼き 青唐味噌
 食事 順菜とろろ蕎麦
 甘味 氷菓
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先ずは乾杯です。飲み物は飲み放題なので、それぞれ好きなものを頼んで乾杯いたしました。大別するとビールか焼酎ですがビールが多かったけれども、乾杯後はビルを飲む人は少なかったです。
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先ずはおしながき通り、京都鹿島屋豆腐店の寄せ豆腐です。
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次が前菜の3品です。4人分づつ出されました。
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これが前菜の一つの玉蜀泰(とうもろこし)の薩摩揚げです。
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そして、こちらが蛸と胡瓜の酢味噌掛けです。透かしの器が洒落ていました。
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ここで旬のハモ(鱧)が食べれるとは思ってもいませんでした。料理名は「照り焼き鱧の押し寿司」です。前々記事「思い出の'活ハモの蒲焼'」の中で紹介したスーパーで買ったはも照焼きと違ってすごく美味しかったです。
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スパークリングワインも頼みました。
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造里(つくり)として出された「水蛸のたたき 香味野菜添え」です。「造り」の代わりに「造里」が使われているのは見たのは久しぶりです。造里には「お皿の上に里を造る」の意味が込められているようです。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたします。
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こちらは揚物として出された、万願寺とうがらしの海老真丈挟み揚げです。
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万願寺とうがらしの海老真丈挟み揚げも拡大写真を掲載させていただきました。こちらが冒頭の写真です。
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主菜の「若鶏と茄子の鉄板焼き 青唐味噌」です。
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「若鶏と茄子の鉄板焼き 青唐味噌」の拡大写真を掲載させていただきました。
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主菜が出たところで記念写真を撮りました。私以外にもう一人関東から参加された人がおられました。私は関西に実家がありますが、その人は親睦会のためだけに来られたそうです。
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雰囲気を感じていただくために9枚の写真を並べてみました。




北側に高層の駅ビルが建つ前の2019年7月には右下の写真のように、クリックすると拡大六甲山の山肌にライトアップを見ることが出来たので、今回も楽しみにしていましたが、新型コロナ渦の間に高層ビル建ったことから残念ながら見ることで出来なくなってしまいました。これも時代の流れなのだと思います。高層ビルの左右に見ることが出来るかもしれないと思って暗くなるのを持っていました。
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〆の食事の順菜とろろ蕎麦が出てきた。
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最後のデザート(甘味/氷菓)はマンゴーのアイスでした。この後、話が盛り上がった3人で三宮のスナック街に出ました。スナックでは写真を撮らなかったので報告はここで終わります。三宮(三ノ宮)のスナックは久しぶりだったので懐かしかったです。三宮のスナックは2018年12月26日に行われた同じ会の忘年会の2次会以来だったと思います。右はその時の写真で雰囲気を感じてもらうために掲載しました。この中の一人(スナックの案内人)は今回も一緒に行きました。 
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1回目の「入社当時の懐かしい仲間との神戸の飲み会 燦(SUN)」2019年掲載
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8月25日は母の誕生日 [日々]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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8月25日は母の誕生日です。ただし前記事(思い出の'活ハモの蒲焼')でもクリックすると拡大紹介したように2023年7月21日から関西に行っていて8月13日に自宅の千葉に帰ることから少し早かったけれども8月12日に上の写真のように家族や私の姉に集まってもらって誕生日会をいたしました。上のケーキは8月1日に宝塚駅にあるデパート(宝塚阪急)の中のアンリシャルパンティエ(Henri Charpentier)に予約して誕生日会当日の11時に受け取ってきました。

右の写真が、みんなで撮った記念写真です。クリックすると拡大私は後ろに立っている3人の左端です。母の隣りが私の姉です。私は姉との2人姉弟(きょうだい)でした。
せっかくなので私が1歳時に撮った母と姉と私の3人が写った写真を下に紹介します。私は9ケ月で歩いたそうです。私は2歳の時に兵庫県西宮市夙川から広島市平野町に引越してきたので、こちらの写真は夙川に住んでいたころの写真だと思います。左の建物は2004年に取り壊された阪急西宮球場です。阪急西宮球場は阪神甲子園球場に対抗して1937年に完成した大きな球場で完成当時で57000人収容の日本屈指の球場だったとそうです。ネットでも阪急西宮球場の写真は少ないので昔の貴重な写真だとおもいます。右手に見える山は六甲山です。このころは舗装されていない地道(土の道)でした。この昔の写真を見ていると懸命に姉と私を育ててくれたのだと感じてしまいます。
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昔の航空写真に上の写真を撮影した場所を黄色の丸印で示します。写真はヒョーゴアーカイブスから転用させていただきました。西宮球場の跡地はショッピングセンター(阪急西宮ガーデンズ)となっています。


上の西宮球場近くを歩いている写真は、こちらの武庫川の河原に行くために歩いていたのだと思います。この時は夙川に住んでいたので夙川駅で阪急電車に乗って西宮北口駅まで来て武庫川の河原までは歩いたのだと思います。服装や持ち物のカバンが西宮球場近くを歩いている写真と同じです。夙川の前は伊丹に住んでいて、そこで私が生まれました。詳しい説明は男明神と女明神というタイトルの記事に書いています。


現在の航空写真に球場近くを歩いて写真の撮影場所に をプロットしました。阪急の西宮北口駅の東700mの辺りです。この場所で東から西方向に撮ったと思われます。武庫川での写真の撮影場所です。
 写真撮影場所
 武庫川
 西宮北口駅
 1歳ころに住んでいたあたり(夙川駅近く)
 ━━ 歩いたと思われるルート


クリックすると拡大上の写真は今は亡き父が右の写真の愛用のヤシカの二眼レフカメラで撮ってくれました。その父も入って4人で撮った写真も紹介いたします。4人の写真もセルフタイマーを使って二眼レフカメラで撮ってくれたのだと思います。父が勤めていた会社のクラブハウスで撮った写真です。1月生まれなので私は6~7ケ月目クリックすると拡大ぐらいだと思います。後ろに写っている建物は建築家の村野藤吾の設計の東京銀行宝塚クラブハウスだそうです。右の建物の写真は村野藤吾作品集第1巻(1928-1963)に掲載されていました。1980年に建てられた宝塚市庁舎も村野藤吾の設計です。母と私、姉と私で見に行ってきましが、現在は住宅地になっていました。
IMG_2430-400.jpg

クリックすると拡大1961年5月13日に撮影された国土地理院の航空写真で撮影された場所を紹介します。宝塚駅から武庫川を挟んだ山の中腹にありました。
IMG_2430-400.jpg

Googleマップでも紹介します。赤色マーク( )がクラブハウスが建っていたと思われる場所で、黄色で着色した部分はグラウンドやテニスコートなどの施設だと思われます。紫色マーク( )は阪急宝塚駅です。Googleマップを拡大していくと分かりやすいと思います。青色ライン(━━)は昔に歩いたと思われるルートです。クリックすると拡大武庫川を渡るところは右の写真の細い歩道橋がありました。この右の写真は会社に入ったころに参加した六甲全山縦走大会での記念写真です。私は後ろの左端です。つまり、この写真の25年以上前に渡った場所なのです。下の航空写真のように両側に歩道があるS字の車道が出来たために、今は右の写真の歩道橋はありません。中央の建物は水明館ですが、今は水明館はありませんがGoogle地図で水明館跡は確認できます。左の建物はホテル若水で建替えられたようですが、今でも健在です。


クリックすると拡大母が作ったと思われるおそろいの服を着た写真も紹介します。右のように、この服を着て岩国の錦帯橋をバックに撮った写真もあるので、この写真も錦帯橋の近くの公園で撮ったものと思っています。右の写真の後ろは左側から祖母、母、叔父です。追伸(8/29):洋服は緑色と茶色が混ざった模様で、緑色は黄緑色に近かったようです。
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私の0~1歳の頃の写真に脱線いたしましたが誕生日会の写真に戻ります。クリックすると拡大
2019年までの母の誕生日会は右の写真の明月記遊行亭の仕出し料理を頼んでいましたが、これだとテーブルに6人しか座れないのですが、今回は10人となることから、テーブルに10人分の料理が並べられるようにイカリのグルメセレクションにいたしました。2022年の時の誕生日会も10人だったのでその時に初めて使ってみました。
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メインはお寿司にしました。本当はオードブル形式で1つの器に4人分づつ乗っているのですが、食べやすいように、それを小分けしていただきました。寿司オードブルを2つ注文して8人分けて、母の曾孫にあたる2人は別るお寿司を注文しました。
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これが曾孫たち用のお寿司です。子供達はにぎり寿司はあまり食べないと聞いていたので、選んだお寿司です。これを2つ用意いたしました。
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こちらが誕生日の雰囲気にするために頼んだ鯛の塩焼きです。鯛の上に写っているのは鶏の唐揚げで此れの2倍を頼みました。
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もちろんお赤飯も頼みました。鯛の塩焼も赤飯も最大サイズを頼みました。
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パーティーの雰囲気にしたかったので中華オードブルも頼みました。流石に昼の誕生日会では、ほとんど手つかずでしたが、夕飯で食べてみると驚くほど美味しかったです。イカリは有名な中華料理店「愛蓮 」を直営店として傘下に持っているので美味しいのです。冷えて温めなおした料理が、こんなに美味しかったのは初めてでした。これからも別のパーティーの時にこの中華オードブルは使えそうに思えました。
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雰囲気を感じてもらいたいのでテーブルの上の写真を紹介します。
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これは北海道から兵庫県に転勤になった長男家族が持ってきてくれて評判の丹波の冷酒です。試飲して美味しいのを選んできてくれました。
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食事が終わると誕生日ケーキを含めてデザートタイムです。プレートの名前や歳は消させていただいています。冒頭の小さな写真のようにローソクの火を母に消してもらった食べ始めました。
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ケーキを10人切り分けているところです。ケーキは18cm2段なので一瞬で食べてしまいました。
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すぐにお祝いでいただいた果物などを出してもらいもした。
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ここで登場したのがポアール(POIRE)のリンゴのフルーツソルベ(Fruit Sorbet)です。昔、実家の最寄駅の逆瀬川駅にポアール(POIRE)お店があって、子供達と家族で実家に行った時は必ずと言っていいほど買ってもらったものなので、その頃の話題で話が弾みました。あの頃も高級品でしたが、今は超超高級品になって簡単には手が出なくなりましたが、それを姉が母の誕生日のために取寄せてくれたのでした。逆瀬川駅からPOIREがなくなって心配していたので驚かされました。
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こちらは今回集まれなかった娘夫婦から花と一緒に送られてきたジェラードです。
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これが2段入っていました。
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左の花がジェラードと一緒に娘夫婦から送られてきた花です。右の花が姉の子供達で送ってきた花です。
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これは姉夫婦からのプレゼントです。
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左の姉と家内の共同で送った寝巻です。右の葡萄は姉夫婦からの葡萄です。
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せっかくなので母の女学校時代の写真を何枚か紹介します。通っていた女学校は山口縣立岩國高等女學校です。
母の女学校時代の錦帯橋をバックにした友達同士の記念写真です。右から2人目が女学校時代の母です。女学校には2年生の時に広島県三原から転入したそうです。父親が一時期三原に転勤していて2年生の時に岩国に戻ってきたとのことでした。3年生からは級長もしていたということなので、すぐに女学校になじんだのだと思います。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。クリックすると拡大多才な小説家で4度結婚(藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫)するなど多くの著名人との恋愛・結婚遍歴も有名で一度は卒業名簿から除名されましたが、世の中の価値観が変わってくるとともに積極的に宇野千代の出身校であることを宣伝されるようになったそうです。小説家だけでなく随筆家、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていました。
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クリックすると拡大母に関わる7枚の写真を切り替えて表示しています。その中の2枚の大人数の集合写真は女学校の構内での写真なので、今は無き女学校の建物が写った貴重な写真なのです。学校は木造瓦葺きの歴史がありそうな建物であったことが判ります。母が判るように黄色の矢印をつけています。4年生の時は梅組と桜組と楓組の3組あり、クリックすると拡大母は梅組だったそうです。右の「4年 梅組」の文字は集合写真の裏に書かれていました。
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かつて山口縣立岩國高等女學校があった川西第一街区公園のストリートビュー(SV)を紹介します。クリックすると拡大個人の井上一雄さんがGoogle地図に登録したSVです。公園の中心から撮った数枚の写真を組み合わせて360°の景色が見えるように作られています。初期画面は山口縣立岩國高等女學校と書かれた石碑がある南東方向です。水平に回転させて西方向にすると女學校の門と思われる2本の石柱が右下の写真のように確認できます。
クリックすると拡大母が写った右上の集合写真に写っている石柱と同じものかはわかりませんが似た石柱です。母の記憶によれば岩徳線に近い方(南東方向)にグランドがあり、遠い方向(北西方向)に校舎が沢山建っていたそうです。


クリックすると特別に大きく拡大出来るように写真を家に持ち帰ってスキャンいたしました。クリックすると4倍に拡大いたします。つまり面積では16倍に拡大いたします。拡大して見ると石柱の部分は石段になっていることが分かりました。金属製のフェンスも一段高いところに建てられていました。つまり現在の石柱と写真の石柱は違うことから現在の公園の入口とは違う入口の石柱のそばて写真が撮られたと思われます。写真の左上の白い部分は破れて無くなっているのです。
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4年の梅組の時の写真も家でスキャンして4倍に拡大(面積で16倍)するようにいたしました。拡大写真を見てもらうと当時の校舎がよく分かると思います。クリックすると拡大日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立した右の写真の曻地三郎(しょうち さぶろう)が岩国高等女学校の教員だったことがあり、その時に母は授業を受けたことがあるそうです。受けた科目は修身(1890年~1945年に存在)で今で言えば道徳のようなもののようです。 その後1948年に姓が山本から曻地に変わったので母は今でも山本先生と呼んでいます。右の写真をクリックすると曻地三郎が105歳の時の動画を表示します。
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2021年3月17日に周防久保に墓参りに行った時に山口縣立岩國高等女學校の跡地の川西第一街区公園に行ってみました。その時に撮った写真と動画と昔の女学校の写真などで編集して作った動画も紹介します。バックで流れているBGMはIndian Walk(2分39秒)です。興味のある方は是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。

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岩国城から撮った写真です。錦帯橋が写ったこの写真の中に母が通っていた女学校(山口懸立岩國高等女學校)とクリックすると拡大叔父さん(母の弟)が通っていた高等学校(山口懸立岩國高等學校)がありました。それは女学校跡地と岩国高等学校跡地と書いている場所です。現在の女学校跡地は川西第一街公園となり、クリックすると拡大岩国高等学校跡地は吉香公園となっています。右の2枚の写真は現在の川西第一街公園です。母たちは、家のあった岩国の町から毎日片道4km(往復8km)を歩いて通っていました。118年と173年の長い歴史のある女学校と岩国高等学校の2つの学校は統合して、いろんな変遷を経て現在は川西駅のさらに向こう側に山口県立岩国高等学校として存在しています。
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思い出の'活ハモの蒲焼' ハモ鍋から2日目 [料理]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2023年7月21日~8月13日まで関西に行っていて、母の誕生日会用のケーキを予約するために8月1日にクリックすると拡大宝塚駅にあるデパート(宝塚阪急)に行って右の写真のケーキを予約した後にデパートの食料品売り場に行くと、ハモが山のように積まれて売られていました。前記事で紹介した鱧鍋(鱧しゃぶ)を2023年7月30日に食べたばかりでしたが、店員さんも大々的に呼び込んでおられて、さらに売場に'クリックすると拡大活はも'と書かれていて、右の'活'のシールも貼られているように見た目も新鮮そうなので買ってしまいました。ハモを使って、ある料理を作ることを思いついたのです。

愛媛県産のハモででした。加工者はデパートに入っている魚屋「鮮魚たかぎ」で、兵庫県宝塚市栄町2-1-1はデパートの住所です。'活はも'と書かれていて活きた状態で仕入れて、頭に包丁を入れて〆てすぐに骨切り加工も行われたのかもしれません。ハモは江戸時代には旬の夏に大阪湾や明石海峡から内陸の京都まで運んでも生きているほどの生命力のある魚なので、確かに愛媛県からトラックで運んできても生きている可能性は高いと思います。骨切りをした場所(愛媛県か宝塚か)を聞き忘れたことを後悔いたしました。いずれにして骨切りした時まで活きていたからこそ'活はも'と呼んでいたのだと思います。
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パックの中を広げた写真を撮りました。湯引きをする前提で梅肉や酢味噌が付いていましが、思いついた料理はハモの蒲焼でした。そのために鰻用の蒲焼のタレを沢山買い込みました。クリックすると拡大
実は7月24日に蒲焼ではないかと期待して右の写真の「はも照焼」を買って食べたのですが、残念ながら身が硬くてイメージしていたハモの蒲焼の味とは程遠いもので、がっかりしたことのリベンジでもありました。買った「はも照焼」のラベルには加工者ではなく保存温度変更者が書かれていたことから元は冷凍物だったのかもしれません。
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透き通った目や〆た頭の切り口を見ていただくと、ハモの新しさが分かっていただけると思います。活はもと書かれているだけのことがありました。
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身の方の表と裏です。骨切りは見事の技術です。一説ですが骨切り技術の発祥は大分県中津の料理人あるいは漁師と言われています。
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先ずは半分に切りました。この大きさではタレを付けるのも、盛り付けるのも大変なのでさらに半分に切りました。
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グリルのスイッチを入れて身を焼く前に、頭と骨は出汁に使えるように素焼きしました。
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クリルで焼いていると知友です。
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素焼きしたところで鰻用の蒲焼のタレを付けて皿に焼きました。
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これが出来上がったハモの蒲焼丼です。鰻丼と同じ言い方するとすれば鱧丼になりますが、「はもの蒲焼丼」あるいは「鱧の蒲焼丼」と呼んだ方が分かりやすいと思います。
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鱧の蒲焼の部分を拡大いたしました。鰻屋さんのように蒸すなどのことをしていないこともあり、食感はウナギの蒲焼とは別物ですが、これぞハモの蒲焼という感じで食感も味もすごく美味しい蒲焼でした。
実は、ハモの蒲焼を初めて食べたのは、結婚してすぐのことだったのです。結婚してすぐに神戸市須磨区の家を買って9ケ月後の8月10日から住み始めましたが、周辺には明石魚棚板宿市場など新鮮な魚を売っている商店街が沢山あり、頻繁に買いにいっていました。ある日、朝獲れて骨切りしたばかりのハモを板宿の細い路地の市場で見つけました。お店で料理方法を教えてもらったのが蒲焼で、クリックすると拡大その日の夕食で初めて食べて美味しさに感激したことを今でも思い出として覚えています。そのことからタイトルに「思い出の'活ハモの蒲焼'」と書いたわけです。右の写真はその時に買ったお店か、近いイメージのお店です。ちなみにお店の写真は活魚すえひろという名のお店です。板宿きたいちばには活魚すえひろ以外に村上鮮魚店があります。
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味や食感を感じてもらいたくて、さらに蒲焼の部分を拡大いたしました。
蒲焼(蒲焼き/樺焼/椛焼/かばやき)とは身の長い魚を開いて素焼きしてから濃厚なたれをつけて焼く照り焼きの1種だそうです。
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買ってあった巻き髄も一緒に頂きました。蒲焼の量もごはんの量も違いますが母も美味しいと言って食べてくれました。
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