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学生時代のサイクリング部の合宿 4回生の信州合宿 [思いで]

<写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前々記事の木曽馬の馬搬(ばはん)で紹介の通り2020年2月8日に学生時代のサイクリング部の現役とOB・OGとの交流会に行ってきました。上の連続写真が交流会の様子です。私が説明している写真が2枚入っています。紫系のセーターを着ています。今年はサイクリング部創設60年目の節目の記念と言うことで参加者もいつになく集まりました。OB・OGが23名で現役が23名でした。今回の交流会や親睦会の写真は顔が判らないように顔が小さくなるサイズにさせていただいていますが、当時のサイクリングの写真は、かなり昔なので、ぼかし無しでも皆さんにOKしてもらえる前提で掲載しております。懇親会の進行の予定と実際を紹介いたします。現役の方は予定通りでしたが、OB・OGのスピーチが長くなるのはそれぞれの人が沢山の思い出があるからなのだと思います。とは言え記念写真の時点での遅れは28分で済みました。私のパワーポイント(PP)は20分くらいで説明するように依頼されていた結果です。PPの画面枚数は88枚でした。
 予定  実際  内容
 12:30 12:30 開会、現役紹介
 13:00 13:00 昼食歓談
 14:00 14:00 現役より活動報告(夏合宿、年間報告)
 14:20 14:25 OB・OGよりスピーチ
     16:40 SORIのPPによる報告開始
     17:05 SORIのPP終了(目標20分→実際25分)
 16:30 17:05 質疑応答
 16:45 17:13 記念写真、閉会
     17:18 交流会終了、解散

私は下の表のように2011年から参加させていただいております。海外出張と重なった2012年以外は全て参加させていただきました。そして、2014年からは当時のサイクリング部を紹介するためにパワーポイントで紹介し始めました。今回の空流会では表の中の印の1回生の夏合宿と4回生の夏合宿を紹介しました。ブログで掲載させていただいたのは次の4回で、今回が5回目となります。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 2011年 先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい
 2016年 サイクリング部のOB会に行きました。
 2017年 サイクリング部の現役と卒業生の交流会に行ってきました。
 2018年 2018年もサイクリング部の現役との交流会に参加しました。
 2020年 学生時代のサイクリング部の合宿 4回生の信州合宿
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本記事では4回生の夏合宿を紹介したいと思います。合宿は下記のように3~4つが計画されてその中から自分が行きたい合宿を選ぶのです。この時は北海道と東北と信州でしたが、私は信州合宿を選んだのです。合宿が3つの場合は1つの合宿は平均で10人程度になります。自由に選ぶので偏る場合があるのですが、計画者のコンペという感じでもあるためにそれぞれが趣向を凝らした内容になるわけです。赤い文字が私が4年間で参加した合宿です。
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参加した7つの合宿のルートです。赤色線が合宿で、青色線が合宿に参加するために1人で走ったルートです。最近の人は自走と呼んでいました。
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それでは4回生の時の合宿のルートを紹介します。赤色が合宿で青色が自走です。直接Google地図で見る場合→ポチッ
宝塚(家)→敦賀→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→車坂峠(浅間山)→地蔵峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚
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合宿出発地点の糸魚川駅です。列車で来る人と、自走して来る人の集合場所でもあります。合宿参加者11名全員で記念写真を撮りました。4回生が青いユニホームで、1~3回生が黄色のユニホームです。本来4回生は3年で引退するのですが、我々の世代は4回生も合宿に参加したのです。ちなみに3回生は青色と黄色の2種類のユニホームを持っているので、後の写真では青色のユニホームを着た3回生も出てきます。
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白馬の辺りのドライブインの前です。全員が写っています。お店の方も写真に入っています。
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長野の善光寺の前でも撮りました。
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志賀高原に入ってきました。Googleのストリートビューで確認すると右の丸池の看板は今でも残っていました。この写真では青色のユニホームを着た3回生が写っています。
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我々の時代はフィルムであることから撮影枚数が限られていて、スナップ的な写真はほとんど残っていません。特に食事風景は皆無なので非常に貴重な写真です。
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自転車で越える峠で標高が2000m以上は少ないため渋峠は貴重です。道も良くて気楽に走ることが出来ます。
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スナップ写真と同じく景色もほとんど撮りませんでした。非常に貴重な1枚でもあります。2007年からは日本で噴火警戒レベルが設定されて湯釜も状況により1~3が設定されていることから写真の近づいて見ることは出来ません。Googleのストリートビューで紹介しているように遠くから見ることになります。この時は写真に写っているだけで約80人が火口湖の淵に下りています。
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浅間連峰にも行きました。車坂峠(1968m)と地蔵峠(1733m)です。
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こちらが地蔵峠の写真です。セルフタイマーを使って全員での記念写真です。
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合宿の中で最も気に入っている写真です。奈川渡ダムの少し手前の急こう配をきれいに並んで走っています。この先にある鈴蘭小屋まで並んで走ります。その鈴蘭小屋に重たい荷物を預けて乗鞍岳の約2800mのところにある山小屋まで行き、翌朝に乗鞍岳の山頂の剣ケ峰を目指すのです。
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翌朝の食事前の標高2800mからの景色でした。合宿中に撮った2枚の景色の写真の中の1枚です。もう1枚がすでに紹介した、志賀高原の湯釜の写真でした。この写真は食事の前に近くの小山に登って撮ったのだと思います。
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さっそく全員で乗鞍岳の最高峰3026mを目指して登り始めました。先ずは早く着いた5人で記念写真を撮りました。
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全員が山頂に着いたところで記念の写真を撮りました。11人全員が写った乗鞍岳山頂の写真は記念になりました。
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私が乗鞍岳山頂から下っている写真ですが、この道を登ってきたのです。下に泊まった山小屋が見えます。
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当時は舗装道路と未舗装の道がありました。過酷な未舗装のエコーラインを登りも下り走りました。単なる未舗装では大きな石でデコボコの道なのです。
あまりにも衝撃が大きいことから1年生のE氏の自転車のフレームが真っ二つに折れてしまいました。卒業後3年8ケ月後に偶然にも、スキーに行く途中の乗換駅で、乗鞍岳の下りで自転車のフレームが折れたE氏に出会いました。お互いにスキーが目的でした。
 ・乗鞍スカイライン 舗装道路
 ・エコーライン   未舗装道路 + 大きな石でデコボコ
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上の場所をGoogleストリートビューで探してみました。現在は見ての通りきれいな舗装道路です。ただし現在は環境のために一般車両は乗り入れ禁止です。上の写真もこの写真もハイマツが生えていることが判ってもらえると思います。
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もう少し下がった場所で記念写真を撮りました。この場所はハイマツは生えていないので標高は上の写真より低いことが判ります。
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乗鞍岳の次のビックイベントは野麦峠でした。
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当時はスマホがないので5万分の1の地形図が走るルートを探すツールでした。野麦峠や乗鞍岳の位置関係や高さのイメージが判ると思います。
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この合宿のおかげで信州で越えた峠の数が増えました。
右の写真が懇親会です。交換会は学校の中で行われることからアルコールは禁止なので終わるといつもOBだけで懇親会を行っていましたが、今年は初めて現役の方が3名も参加していただき24名(OB・OG:21名)の参加者となりました。
こちらの右の写真が懇親会の二次会です。二次会(交流会から数えると三次会)は遅い時間なので、いつも数人でしたが、今回は15人も参加されました。さすがサイクリング部が出来て60年目だけのことはあります。懇親会(交流会から数えると二次会)のOB・OGの出席者は21名だったので、比率71.4%(=15÷21)と比率的にも多かったです。
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上の地図はGoogleマップのハードコピーですが、直接に自転車で通った峠を表示させていただきます。越えた峠で標高1000m以上の例を記載します。麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968) 金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784) 武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684) 野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531) 権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503) 柳沢峠(1472) 信州峠(1464 右下の写真) 大門峠(1442) 十石峠(1356) 姥神峠(1280) 杖突峠(1267) 内山峠(1170) 駒止峠(1135) 白布峠(1094) 松本峠(1087)  塩ノ沢峠(1061) 塩尻峠(1055)クリックすると拡大 冠峠(1050) 傘松峠(1020)  小鳥峠(1002)
来年の交流会では3回生の春合宿(信州)を紹介したいと思っています。その3回生の春合宿(信州)では上のリストの赤色文字の6つ峠に和美峠(987)を加えた7つの峠を通りました。


越えた峠をプロットして上のGoogle地図の中の四国の部分にプロットした緑色ラインは3回生の夏に初めて四国を自転車で走った時のルートです。他の地域は峠のプロットで、その地域を走ったことが分かるのですが、この四国のルートは海岸沿いなので名のある峠がないことから、峠をプロットできないことから四国は走っていないように感じられるので、この時のルートをプロットしたわけです。下記はマジックペンで走ったルートを書き込んだ大きな日本地図です。学生時代に四国を走ったのは、これ1回でしたが、北海道以外の本州と九州と四国を走ったことになります。
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こちらの青色ラインが、その時に走ったルートです。赤色ラインが乘ったフェリーの航路です。我々の時代は3回生の夏休みの間に企業研修が行われていて、その企業研修に自転車で行ったのです。帰りは同じルートで帰る方法もありましたが、それまでに四国を1度も自転車で走っていなかったことから四国を走って帰るルートを選択いたしました。元々は夏の東北合宿が終わった後は解散した青森駅から兵庫県の宝塚まで、自転車で帰ってくる予定でした。学生時代は3回ほど1日に350km走りましたが、無理なく毎日連続で走れる距離は1日に280kmでした。
青森から宝塚までは約1000kmなので4日間(280kmx4=1120km)で帰れるのですが、残念ながら企業研修が迫っていたので走って帰る時間が無くて夜行列車で帰りました。もし青森から宝塚まで走って帰っていれば、それまでに走ったルートが全てつながっていました。それが出来なかった代りに初めての四国を走ることが出来たのです。


クリックすると拡大企業研修は因島にあるアイメックス(当時:日立造船→分社独立)で、縁があることに私が神戸にある会社に入社して20年以上経ってから私が設計するプロジェクトの中の機器の製造を数えきれないほど発注いたしました。右の写真は社員食堂の食券です。
企業研修の懐かしく思い出されたので、その時の写真をスライドショーにしてみました。最初が泊めていただいた民宿の家族の方と研修生3人の記念写真で、クリックすると拡大次の2枚は研修を受けたいろんな学校の人達との記念写真で、その次の3枚は因島の白滝山五百羅漢で、最後の写真は因島の隣りの生口島にある陽明門そっくりの孝養門です。相当に昔なので、ぼかし無しでもOKしてもらえる前提で掲載させていただいています。造船会社だったので右上の写真の船にも乗せていただきました。
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新居浜の近くの東伊予道路の通行券が残っていました。押されている印から8月31日に通ったことが分かります。2006年3月31日に無料になったので歯今は有料道路ではありません。今は愛媛県道13号壬生川新居浜野田線の一部です。
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高松から神戸へのフェリーのチケットが残っていました。チケットには船内直取券と書かれていました。乗った日付は9月1日で船はクリックすると拡大加藤汽船のこんぴらであることが分かりました。東伊予道路を8月31日に通過して9月1日に船に乗ったので、少なくとも四国で1泊したことになります。どこかに寄り道をしたのかもしれませんが、昔のことなので寄り道をしたかどうかは覚えていないのです。料金は1170円でした。調べてみると、こんぴら丸には初代と2代があります。高松⇔神戸で当時就航していたのは阪神高松ジャンボフェリーで、加藤汽船のりつりんこんぴらと関西汽船の六甲丸生駒丸の4隻が共同運行していました。
・こんぴら りつりん
  1969年竣工 1978年改造
  2834総トン、全長83.5m、幅25.0m、型深8.0m 旅客定員859名
  出力2500馬力x4基、航海速力19.0ノット
  車両積載数:トラック(8t換算)19台
  船型:双胴型
  日本鋼管建造
     1ノットは1.852km/hです。つまり19ノットは35.188km/hになります。
     参考ですが、戦艦大和の最大速力は27.46ノット(50.86km/h)でした。

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高松城の写真が残っていたので、高松市内は廻ったようです。
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戦闘の回廊 Galerie des Batailles [ヴェルサイユ宮殿]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2020年2月07日修正 タイトル:紹介の絵画のタイトルを修正
コメント頂いたじみさんの指摘により掲載した絵画のタイトルが間違えていた(別の絵のタイトルを記載)ことが分かりました。クリックすると拡大修正のために再掲載させていただきます。間違いが出ないように絵画の下に額縁の下の説明板(右の写真)を3枚の絵画の下に追加させていただきました。
1,365/62/14
追伸
2020年2月7日~2月18日まで関西に行きます。ネット事情の関係で皆様の所に訪問出来ないことをお許しください。

2016年9月20日掲載 タイトル:戦闘の回廊 Galerie des Batailles
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この写真は「王子の階段」から小さな入口から入って最初に目に入って来る「戦闘の回廊」です。

今回紹介する「戦闘の回廊」はヴェルサイユ宮殿の中で最も大きな部屋です。この回廊は、下の航空写真でも判るように、南翼の2階全体を占めていて、1837年にルイ=フィリップ王によって作られました。ちなみにルイ=フィリップ王の在位は1830年8月9日から1848年2月24日です。ヴェルサイユ宮殿自体は1624年にルイ13世の狩猟の館として建てられたのが始まりで、その後に増築が行われて1682年にルーブル宮殿から、政府と宮廷が移されて宮殿となり、その後も増改築が行われました。
  ヴェルサイユ宮殿    1682年建設 Château de Versailles 本館
  鏡の回廊  長さ 73m 1687年完成 Galerie des Glaces
  戦闘の回廊 長さ120m 1837年完成 Galerie des Batailles


ヴェルサイユ宮殿で最も大きな部屋の大きさは
 長さ 120 m
 幅   13 m   です。
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壁に掛けられた35点の絵画は、トルビアックの戦い(496年)からワグラムの戦い(1809年)まで、フランス軍の歴史における最も重要な出来事を描いたもので、ウジェーヌ・ドラクロワ作の「タイユブールの戦いの聖王ルイ」、フランソワ・ジェラール作の「アンリ4世のパリ入城」、オラス・ヴェルネ作の「フォントノワの戦い」などがあります。
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上の写真と似ていますが見ている方向が違います。こちらの写真は窓が左にあり、上の写真は右にあります。つまりこの写真は南から北方向を撮った写真なのです。この部屋では600人から800人までのディナーパーティーを開催することができます。
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こちらの写真も窓が左にあるので南から北方向を撮った写真です。「戦闘の回廊」では北端と中央と南端にそれぞれ8本(北端)、32本(中央)、8本(南端)の柱が建てられており、それが回廊のアクセントになっていました。写真に写っているのは中央と北端の柱群です。
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中央の32本の柱群からの「戦闘の回廊」の景観です。ここが回廊の中心部になります。片側が60mで総長さが120mになります。
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天井は天窓になっていました。
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天窓と梁の間の天井の装飾です。
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中央の32本の柱群と天井の飾りです。
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その柱群の部分の天井の装飾を拡大いたしました。
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35点の絵画はいずれも大きかったです。
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絵画をいくつか紹介したいと思います。こちらは1807年6月14日の戦闘を描いたもののようです。額の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。
BATAILLE DE FRIEDLAND
GAGNÉE PAR L'EMPEREUR NAPOLEON.
14 Juin 1807.
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絵画と絵画の間には沢山の石像が飾られていました。
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こちらの絵画は1242年7月21日の戦闘を1837年に描いた作品のようです。こちらも額の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。タイユブールの戦いで1242年7月21日にセントルイスで勝利した瞬間のようです。コメント頂いたじみさんによれば、ウジェーヌ・ドラクロワ(Fedinand Victor Eugene Delacroix 1798年~1863年)の作品だそうです。クリックするときれいな飾りも含めた拡大写真を表示します。(2020年2月6日追記)
BATAILLE DE TAILLEBOURG
GAGNÉE PAR SAINT LOUIS
21 Juillet 1242.
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こちらの絵も大作です。こちらは1214年7月27日の戦いのようです。こちらも額縁の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。
BATAILLE DE BOUVLNES
GAGNÉE PAR PHILIPPE AUGUSTE
27 Juillet 1214.
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回廊の一番北側の部分です。
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その北側の壁の絵がこちらです。
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そして、こちらが南の端です。
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南の端の壁の絵を拡大いたしました。
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回廊の南端に近い場所から見た外の庭園の景色です。
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回廊の南端からは元の場所に戻る細い廊下がありました。その廊下の写真を紹介したいと思います。
  戦闘の回廊
  廊下


戦闘の回廊の南端の出口を出てすぐの通路(廊下 )です。突き当りを左に曲がるとまっすぐな廊下を見ることが出来ます。
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こちらが、その長い廊下です。回廊と呼んでもいいかもしれません。石像が沢山並んでいました。
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途中で窓がなく暗くなる所かせありました。
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暗いところを過ぎるとまた明るくなりました。
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外には煙突が沢山見えました。
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出発地点である「王子の階段」に戻ってきました。
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下から見上げた「王子の階段」です。ここから1階に下りました。
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追伸
今日2016年9月20日から9月27日まで関西に行っています。その間はネット事情の関係で皆様のところに訪問できないことお許しください。


2016年9月20日 14時10分追伸 タイトル:飛行機が欠航になりました。
成田空港11時55分発で関西空港行きのフライトに乗るつもりで成田空港まで行きました。台風16号のために、結局12時20分に欠航との結論になりました。今日の新幹線に乗るつもりで、搭乗口を一番で離れて駅に向かいましたが、念のため航空会社のチェックインカウンターの一部に欠航扱いカウンターが開かれたので、話を聞いてみようと行ってみると、先頭に並ぶことが出来ました。今日のフライトは満席だったので、明日の朝一のフライトを聞くと空いていたので、そちらに変更してもらい、先ほど家に帰ってきました。幸いにも台風16号は9月20日21時ごろに、静岡県沖で温帯低気圧に変わりました。
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木曽馬の馬搬 [思いで]

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学生時代のサイクリング部の現役との交流会が2020年2月8日があることから、我々が現役の頃のサイクリングを紹介するために右下のようなパワーポイント(PP)を作成しています。参考の右下のPPは2018年の時のものです。昔の写真を懐かしく思いながら編集しているのですが、その中で今となっては貴重な写真があったので紹介します。その1枚が上の写真です。木曽馬が木材を運んでいる馬搬(ばはん)の写真です。この写真は会社に入社した年の11月17日に撮った写真ですが、会社が終わった金曜日に大阪駅から夜行で木曽福島駅まで行き旧飛騨街道を走っている時に撮ったものです。
馬搬は林業の発達とともに昔から行われていましたが、林業の機械化により衰退していまいました。私が見た時代もすでに機械化が進んでいてほとんどの場所では馬搬は過去のもので、当時でも珍しく初めて見て感激したのを思い出しました。木曽地方には馬搬が残っていたのです。現在では馬搬振興会などで技術を伝えているのが現状のようです。

上の木曽馬の写真を撮った場所をGoogle地図のストリートビューで探してみました。黒川の支流の西洞川に沿った旧飛騨海道を走っている時に見つけました。黒川は木曽川の支流です。したがって西洞川も木曽川の支流になります。ここに馬搬の道があって奥から馬が歩いてきたのです。
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馬搬(ばはん)を横から撮った写真です。実は道を走っている時に最初にこの光景に出会ったので、道を戻って馬が道路に出てくると思われるところで待ち受けていて、上の写真を撮ったのです。
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最初の写真の時と同様にGoogle地図のストリートビューで探してみました。道の石垣が当時の雰囲気を残しています。2020年2月時点のこの辺りのストリートビューの写真は2014年7月に撮影されたものでクリックすると拡大す。
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もう一枚、趣のある場所があったので紹介します。
上の木曽馬を見た場所から1.8km進んだところです。残念ながらこの写真には私ではありません。写っている彼は同期として神戸事業所の同じ課に配属になり私の影響で自転車を買い、一緒に何度か走りました。東京に組織ごと転勤になった時も一緒で今で親しくしており、同じゴルフ倶楽部の会員で年に何度もゴルフをします。写っている本人も、この写真は気に入っていて部屋に飾ってあるそうです。
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上の写真の建物が現在はどうなったのかが気になったので、Google地図のストリートビューで探してみました。1軒は現在も使われているようでした。航空写真ストリートビューを交互に表示しています。この写真も含めてストリートビューの写真をクリックするとオリジナルを表示するようにしています。
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木曽福島駅から久々野駅(くぐの駅)までのルートを紹介します。木曽馬も含めて全ての景色が偶然出会ったものでした。右下の細長い写真は現在の久々野駅と駅前の道路から見た久々野駅周辺の景観です。
 徒歩ルート図 → 全ルート 地蔵峠(頂上) 長峰峠(頂上)
クリックすると拡大  木曽福島駅
  木曽馬の馬搬の写真撮影場所
  古い建物の写真撮影の場所
  朝日ダム
  久々野駅

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左が木曽福島駅で右が久々野駅の手回り品切符です。
       木曽福島駅          手回り品切符(久々野駅)
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こちらが当日の木曽のサイクリングに関する画面です。2018年までのPP画面は横縦比は4:3でしたが2019年からは16:9にいたしました。
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今までの私の出席状況です。2011年から海外に行っていた2012年を除いて全て出席しています。縮小しているので分かりにくいと思いますが、クリックするとオリジナルサイズ(1920 X 1080)を表示します。
2014年からパワーポイント(PP)での説明を始めました。
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他の写真も紹介します。黒のダウンと赤のウインドブレーカーと雨具を状況に応じて使い分けています。途中の滝の名前は今となっては判りませんが有名な滝だと思います。
クリックすると拡大その途中の滝は岐阜県高山市高根町中之宿にある右の写真の青氷の滝かもしれません。 右は転用させていただいた夏と冬の写真を交互に表示させています。下の写真はクリックすると拡大いたします。着色文字のSVをクリックするとその場所の現在のストリートビューを表示します。
     木曽福島駅 SV           地蔵峠 SV
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       途中の滝             長峰峠 SV
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白樺の林も雨で白が目立っていました。開田高原も近くにありました。ハイキングコースとして地蔵峠コース(約9.5km)と折橋峠コース(約8.8km)が紹介されていました。
        白樺 SV          開田高原の看板 SV
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途中で野麦峠を越える野麦街道と合流いたしました。現在は飛騨ぶり街道(越中東街道)と呼ばれています。そのあたりから雨の中のサイクリングとなりました。朝日ダムに着くころには雨が止んだようです。後半の高根第一ダム(高根乗鞍湖)→高根第二ダム(湖の名称未定)→朝日ダム(朝日貯水池)→秋神ダム(秋神貯水池)・久々野ダム(久々野貯水池)あたりは新しい道が通っていることから昔に通った道はストリートビューでは出ないところが沢山あります。
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      朝日貯水湖 類似の橋        朝日ダム SV
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大晦日は「てっちり」にしました。 [新年]

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実家での大晦日は恒例の「てっちり&てっさ」にいたしました。12月31日の10時に沢山フグが丸々並ぶスーパーに行って大を2匹と中を1匹の計3匹を購入して大1匹の身を、てっさ(ふぐ刺し)に残りをてっちり(ふぐ鍋)にさばい(捌い)てもらいました。他のお客の処理もしていたので、さばき終わるまで約1時間かかりました。その間に他の買い物をいたしました。上の写真は大をてっちりにさばいたものです。本当はさばく前の大きな河豚(ふぐ)の姿をとりたいのですが、残念ながらスパー内は撮影禁止です。右の写真は食事風景です。今回(2019年12月31日)は大が8800円(税抜)で中は6980円(税抜)だったので、合計は27038円(税込)となりました。大晦日の夕食をまとめた下記のリストのように、実家では2001年からの大晦日の夕食はフグとなりました。それまでは、大晦日の夕食と言えばシャブシャブでしたが狂牛病問題が出たことでフグにしたのですが、フグが好評だったことから2017年まではシャブシャブに戻ることはありませんでした。千葉の自宅でも大晦日はフグにしたかったのですが、家の周辺のスーパーでは大晦日と言えばトラフグを手に入れることは出来ませんでした。ただし、大晦日ではありませんが1月2日にデーパートで購入してテッチリを食べたことはあります。は実家にあったクーラーボックスを持ち帰るついでにフグを買って帰り、自宅でフグ食べたことはあります。今回は大みそかには9人が集まったのですが、1人は夕食には間に合わなかったので夕食は8人となりました。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 2000年以前  実家 牛しゃぶしゃぶ    
 2001~2014年 実家 ふぐ(てっちり&てっさ)
 2001~2014年 自宅 通常の夕食(関東ではフグが用意できず)
ただし、関西から持ち帰って「てっちり」食べたことがあります。
 2015年 6人 自宅 ひれステーキ(実家滞中12月29日に購入)
 2016年 6人 自宅 ひれステーキ(実家滞中12月28日に購入)
 2017年 5人 実家 ふぐ(てっちり&てっさ)  2018年元旦はひれステーキ
 2018年 9人 実家 牛しゃぶしゃぶ     2019年元旦はふぐ
 2019年 8人 実家 ふぐ(てっちり&てっさ)  2020年元旦はタラバ蟹
自宅:千葉県佐倉市  実家:兵庫県宝塚市

フグをさばいてもらうと皮が沢山付いてきます。そのまま鍋に入れると溶けてしまうのでフグ皮料理を作ることにいたしました。フグの皮を湯通ししたものを水にさらしているところです。その後に細く切ります。
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細く切ったものにポン酢と、もみじおろしと、ネギを入れました。
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これが完成したフグ皮ポン酢です。
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てっちり用の野菜はあっさりした水菜(京菜)を用意いたしました。
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キノコも用意いたしました。癖のないものがてっちり(ふぐ鍋)に合うと思いシメジとエノキを選びました。
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人数は8人なので鍋は8つ用意いたしました。奥は電気式の鍋て、手前はガスコンロに四角い鍋を乗せました。ガスコンロはみんなが集まるときだけ出してきます。ほぼ一年ぶりです。普段はテフロンの電気式鍋で、鍋物だけでなく焼肉や餃子も焼きながら食卓で食べています。
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テーブルに鍋が2つも乗ると狭く感じられます。
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記念写真も撮りました。ビールも沢山いただいて話も盛りあがりました。
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話しが盛り上がってテッサの写真を撮り忘れてしまったので、別の年の大晦日のテッサの写真を掲載させていただきました。
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全体の写真も紹介します。この時は中のフグをテッサにしましたが、今回は大をテッサにしたので。これよりは刺身の量は多かったです。
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おじやの写真も撮り忘れたので、テッサと同じく以前の写真を掲載させていただきました。この時も私が作ったので同じ感じだとご理解ください。
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今回も塩味は控えめにしたので、好みで醤油を入れてもらいました。
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デザートはイチゴにいたしました。実はイチゴは昼の時点で勝っていなかったのですが、1年前に大粒の苺が好評だったことを母が覚えていて、母の指示でイチゴを買いに行きました。1年前の銘柄はなかったのですが、別の大粒の2種類のイチゴを2パックづつ計4パック買いました。やはり孫(母にとっては曾孫)たちに好評でした。銘柄は佐賀の「いちごさん」と熊本の「ゆうべに」でした。1年前に食べたイチゴは博多の「あまおう」でした。
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2020年の元旦の夕食は恒例の蟹 [新年]

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前記事の御節(おせち)の記事で紹介の通り2020年元旦は家族9人が実家に集まりました。そして元旦の夕食には、恒例となった北海道から送ってもらった蟹を皆で食べました。クリックすると拡大右の写真が元旦の夕食で蟹を皆で食べているところです。この習慣は2016年の正月からはじまりました。きっかけは長男夫婦が2014年4月に関西から北海道に転勤になったことでした。長男夫婦が年末年始を千葉の私の自宅で過ごすにあたり出発前の年末ぎりぎりに蟹を送ってもらうことになったのです。北海道から我家まで来るだけでも交通費が大変なので、蟹代は我々が支払うという条件でした。これが決まったのは2015年の正月でした。2018年は元旦を過ごした宝塚の実家ではなく5日に千葉の自宅で食べることになったのは長男が正月も仕事で北海道を離れられなくて1月5日から休暇をとったからです。5月には神奈川県に住んでいる子供たちも集まってくれたので実家の母以外のみんなで蟹を食べることが出来ました。2019年は母も含めて全員で食べる予定でしたが北海道から関西までは、関東までよりもさらに1日余分に配達日数がかかることから12月31日に届けられないことがお店に行って注文しようとしたときに分かり断念したのでした。したがって母が今年(2020年)に初めて恒例の「蟹食べ祭り」に参加したことになります。蟹の身の味の美味しさとしては毛蟹が1番だと思っていますが、ボリーム感との兼ね合いで2回目以降は全てタラバガニ(鱈場蟹)になりました。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 2016年 自宅 元旦 6人 タラバ蟹 2肩 + 大型毛蟹 1匹
 2017年 自宅 元旦 6人 タラバ蟹 3肩
 2018年 自宅 5日 7人 タラバ蟹 3肩  実家 元旦 5人 ひれステーキ
 2019年 実家 元旦 9人 12月31日に配達出来ないことが判明して断念
 2020年 実家 元旦 9人 タラバ蟹 4肩
自宅:千葉県佐倉市  実家:兵庫県宝塚市

予定通りに2019年12月31日に蟹が届きました。下の細長い箱が蟹で、上の四角い箱が御節です。偶然にも取寄せた御節と同じ宅急便の車で届きました。タラバ蟹を買ったお店は、北海道旅行の記事の中で一度紹介したことのあるうおはんです。後で写真で紹介しますが巨大な蟹のため冷蔵庫に入らないために、一番涼しいと思われる場所に箱のまま置いて自然解凍いたしました。
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ただし、ボリュームがあるので翌日の朝でも保冷材も全て硬いままだったので箱から出して自然解凍いたしました。出したタイミングは絶妙でちょうどよかったです。遅くなっていたら大変でした。元旦の朝早くに確認したのは正解でした。大きさは実感してもらえないかもしれませんが、近くのスーパーでは見かけないほどの大きさのタラバ蟹でした。特に今回の蟹は大きかったように感じました。北海道でも、大きいのを選んでくれたのだと思います。
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この大きな蟹の足が乗せられる皿が無かったので、送られてきた発砲スチロールの箱の蓋の上に盛り付けました。2番目の孫(1歳児)は大きくなってからアレルギーがないことを確認してから食べさすことになるので、蟹を食べるのは8人です。4肩×4本で計16本のため1人当たり2本になります。本来ならば1人あたり1本でも十分な大きさでしたが、正月なので2本にしたわけです。
クリックすると拡大蟹の足は爪も含んで10本で半分の1肩は5本ではと思っておられる方もおられると思いますが、タラバ蟹は生物学上はカニではなくヤドカリのため足の数が1対(2本)少ないのです。右はWikipediaから転用させていただいた写真で上側がタラバガニ(脚:8本)で下側がズワイガニ(脚:10本)です。
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食卓にタラバ蟹を並べたところです。朝食で食べた4段重の御節は、3重に詰め替えて並べました。これでお正月の雰囲気も出してもらえました。実家の食卓は幸いにも横に延ばせるタイプなので、大人8名が食事が出来るのです。竹製のカニスプーンが沢山並んでいるのが分かっていただけると思います。帰省した時に母とは以前からよくかに道楽にお得なランチコースを食べに行っていたのですが、この日のことは予想していて、竹製の蟹スプーンをもらってきていたのです。金属製の蟹スプーでは足らないことは分かっていたのです。キッチン鋏は2本テーブルに置きました。
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こちらが冒頭の写真です。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリック乃面倒な方のために拡大写真を掲載しました。こちらもクリックすると拡大します。
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やっぱり蟹は大人から子供まで大人気でした。
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私が最初に食べた脚です。コップや皿や端と比べると大きさが分かってもらえるでしょうか。
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クリックすると拡大殻から身を出しました。一番大きな長節の身の大きさが伝えられるでしょうか。お皿は結構大きいのです。市販の高知県馬路村のポン酢も用意しましたが、ほとんどの人が醤油に純米酢を入れたシンプルな味のタレにつけていただきました。私も蟹や松茸などの美味しい食材の時はシンプルな味の純米酢+醤油で食べています。
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蟹の脚の節の名称を紹介したいと思います。この図から一番沢山身が入っているぶぶんが長節と知りました。長節より胴側にも沢山の節があるからこそ滑らかに脚を動かすことが出来るようです。先端から、指節、前節、腕節、長節、座節、基節、底節の7節です。この次に食べるときは確認してみたいと思います。ちなみに節足動物の脚は5節~7節で出来ていて、その中で一番多い7節が蟹や海老などの甲殻類だそうです。面白いことに鋏角類(サソリなど)も7節ですが、呼び方は違います。他の5節や6節の類は鋏角類に近いです。つまり蟹や海老などの甲殻類だけが特別な呼び方でした。
 甲殻類 7節 指節、前節、腕節、長節、座節、基節、底節
 他の類 7節 跗節、蹠節、脛節、膝節、腿節、転節、基節
     6節 跗節、蹠節、脛節、前腿節  、転節、基節
     5節 跗節、蹠節、脛節      、転節、基節
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丁度、半分の8本が残っているところです。食べ終わった殻も手前に置かれていますが、まだ2本目には誰も手をつけていないようです。
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この日のアルコールはビールでした。用意したものだけでなくお土産に持ってきたくれた海外のビールも全て飲み干しました。海外のビールは6種類くらいあったと思います。
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クリックすると拡大1本残ると言うことは、量的には丁度良かったようです。この1本は翌日1月2日の夕食の時に右の写真のお肉のシャブシャブと一緒に頂きました。このお肉は12月30日に1時間並んで買った山垣畜産のお肉です。右の写真もクリックすると拡大いたします。
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日本で多く流通しているタラバ蟹のロシア産の漁場が知りたくて、ネットを参考にしてタラバ蟹の主な漁場のマップを作成してみました。流通しているタラバ蟹のほとんどは輸入物で、その中でもロシア産が大半をしてめています。輸入物であっても北海道はいいものが手に入るのは北海道が昔から蟹の本場であったことと漁場が近いためのように感じます。北半球の寒い地域のイメージがあるのでガラパゴス諸島、チリ、アルゼンチン付近に生息していることはあまり知られていないと思います。マップをクリックすると漁場をプロットしたGoogle地図を表示します。
クリックするとGoogle地図で表示

タラバ蟹の輸入量が気になったのでネットからグラフを転用させていただきました。輸入先はロシア、アメリカ、ノルウェーで、国内で水揚げされるタラバ蟹は貴重であることが分かりました。日本で水揚げされるのは北海道だけだそうです。ノルウェー産タラバ蟹は、ロシア西カムチャッカの蟹を1960年代に旧・ソビエト連邦の科学者がバレンツ海に放流し天敵がいないこともあり繁殖させることに成功し、1980年代後半からノルウェー沖でも生息が観察されるようになり、この個体群がロシア・ノルウェー両国で漁業資源として利用されようになった蟹だそうです。未知の場所への放流は生態系の破壊にもつながることから、現代では新しい地域への放流は難しいのだと思います。
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2020年の御節(おせち)は四段重 [新年]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大2020年も家族が実家に集まり、右の写真のように9人での正月となりました。自宅ならば御節を作ることができますが、実家のために手作り御節を作る余裕がないことから取寄せの御節を注文することにいたしました。2人目の孫(母からだと曾孫f)も1年3ケ月になり、孫たちもしっかりと食べるようになったことから、下記リストのように初めて四段御節にしました。昨年は初めての三段御節でしたが、今年は初めての四段御節だったわけです。着色文字をクリックすると、写真(2009年~2014年)または記事(2015年以降)を表示します。
 2008年以前は全て手作り       自宅 or 実家
 2009年 取寄せ 特製おせち二段重  自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2010年 取寄せ 和二段重セット   自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2011年 取寄せ 和一段重セット   実家
 2012年 取寄せ 特製和風一段    実家
 2013年 取寄せ 和洋折衷二段重   自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2014年 取寄せ 二段重(名前は不明)  自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2015年 手作り           自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2016年 手作り           自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2017年 手作り           自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2018年 手作り+取寄せ一段重    実家
 2019年 取寄せ 宝春三段重セット  実家
 2020年 取寄せ 和洋四段重セット  実家
自宅:千葉県佐倉市  実家:兵庫県宝塚市

去年までは同じお店で御節を注文していましたが、昨年の11月に家内が、家内の実家の千里に帰省していた時に、近くの千里阪急(デパート)で京都の1856年創業の老舗料亭の流れをくむ「わらびの里」の御節を注文いたしました。
 名称 和風・洋風おせち
 数量 販売予定数13 (阪急百貨店の取扱い数と思われる)
 製造 京都・洛東 わらびの里
 住所 京都市山科区大塚高岩2-23
 取扱 阪急百貨店・千里阪急 (送り元:阪急阪神百貨店)
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2019年12月31日に取寄せた御節が宅急便で届きました。実家の冷蔵庫はすでにいっぱいだったので、一番涼しいと思われる場所に保管して翌日の2019年1月1日に食卓に並べました。偶然にも北海道の長男家族に送ってもらった元旦の夕食用の蟹も同じ宅急便の車で届きました。
上の四角い箱が御節で、下の細長い箱が蟹です。       
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12月31日の夕方に御屠蘇は作り始めました。
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御屠蘇はテーパックのような袋に入っていました。日本酒に、その御屠蘇のパックを入れて、甘みをつけるために少しミリンを入れて一晩寝かしました。
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元旦の朝に、倉庫として使っている冷えた部屋から御節をリビングに持ってきました。実は御節(おせち)は五段重が正式なものだそうです。上から順番に一の重、二の重、三の重、与の重、五の重ですが、五の重は空っぽにするのが正式だそうです。空っぽの重がある理由は、一番下になる五の重は、年神様から授かる福を入れるために空っぽにしておくのだそうです。また、来年こそは空っぽの段にもたくさん料理が詰められるようにと繁栄を願う意味もあるそうです。お店で販売しているものは空箱というわけにはいかないので5段目を抜かして最段重は四段重になっているようですが、今回の御節は蓋の部分が厚いのでひっくり返して並べると五の重にも使えるので五段重を意識して企画されているのかもしれません。と言ってもテーブルが狭いので五の重を置くスペースは残っていませんでした。ちなみに中身も正式には、一の重は祝い肴の黒豆・数の子・田作りで、二の重は酢の物や口取りで、三の重は海の幸など焼き物で、与の重には煮しめや煮物を入れるそうですが、今回は和洋折衷なので見栄えを優先しているように感じました。
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こちらが元旦の朝食のために、テーブル並べた御節です。あわせて59種類の料理が入っていました。いくらや煮豆などは別にして一つの料理は2~5品(平均4品)なので約230品ほど入っていることになります。この写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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それぞれを紹介したいと思います。
・一の重/あわびの旨煮、海老艶煮、タラバ蟹酢漬 他9品
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・二の重/かれい味噌柚庵焼、鮭柚庵焼、いくら(金箔) 他13品
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・三の重/柚子かぶら、鰆柚庵焼、合鴨ロース、他11品
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・与の重/鶏そぼろ南瓜テリーヌ、ローストビーフ、サーモンマリネ 他13品
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千枚漬と紅白の蒲鉾も用意いたしました。蒲鉾は山口県の白銀にいたしました。手前の銚子(本来は徳利)が熱燗で、青っぽい銚子(徳利)には冷酒が入っています。
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かずのこは塩抜きと皮むきがされたものを買ってきて、12月31日の夕方に味付けをいたしました。
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鯛とフグの刺身も用意いたしました。千枚漬と蒲鉾とかずのこと刺身は、それぞれ2皿を用意いたしました。1年前は筑前煮を作りましたが、今回は手間がかからないようにしたわけです。
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もちろんお雑煮も作ってもらいました。私は餅を焼く役目でした。使われているお餅は特別のものでした。
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長男のお嫁さんの実家では毎年年末の餅つきが恒例で、そのつきたてのお餅を頂いたのです。つきたての丸餅は格別に美味しかったです。
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先ずは御屠蘇で乾杯をして熱燗の日本酒を飲みながらの朝食となりました。朝からお酒を飲むのは1年の内で元旦の1日のみ(恒例)です。お酒は冷でも美味しく飲めるように純米吟醸にいたしました。お酒の名前は知りませんでしたが、西山酒造の小鼓です。
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こちらが御屠蘇セットです。古いものですが、昨年の正月から活躍しています。
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ある程度朝食が進んできた段階の食卓です。
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恒例の初詣前のデザートとして次男が持ってきてくれた治一郎のバームクーヘンを食べることにいたしました。
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バームクーヘンは人数分の9個に切り分けました。1歳も我々や母も同じサイズです。バームクーヘンが乗っている一枚一枚微妙に形が違うお皿は奈良の赤膚焼です。
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FORTNUM & MASONブラントの紅茶でいただきました。FORTNUM & MASONはロンドンを拠点とする老舗百貨店で、質の高い商品を販売することで知られ、過去150年以上にわたってイギリス王室から王室御用達の店舗として認定されているそうです。
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デザートを食べた後は2018年の初詣から恒例となった初詣です。母は長くお茶とお花の指導をしていたこともあり座ることが多く膝を痛めてしまったようです。クリックすると拡大普段は車椅子を使っていませんが、実家から初詣を行う宝塚聖天(通称:聖天さん)までの距離は900m で高低差が60mのために1月1日だけ車椅子を借りるのです。今回は12月26日に持ってきて1月6日に引き取りに来ました。クリックすると拡大全員9人での記念写真を撮るためにフルサイズカメラにも耐えられる右の写真の小形の三脚を持って行きました。


長い行列が出来ていました。ここで振舞われている甘酒を飲むのを楽しみにもしているのです。
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坂道であることを感じていただきたくて、顔が分からないほど小さく写った写真を掲載させてもらいました。


追伸
年賀状のお年玉切手シートが3枚当たりました。3枚は我家にとって平均値ですが、今年は全て同じ番号67で3枚当たったのです。少しレアなことが起こった気がします。今年はいいこと(HAPPY & LUCKY)があるかもしれません。
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こちらが令和二年(2020年)の「お年玉切手シート」です。切手シートを見ると偶然にもHAPPY ★ LUCKYと書かれていました。

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廃線となった旧・福知山線を歩きました。 [武田尾]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2020年1月14日追記
タイトル:武田尾温泉周辺にも旧・福知山線のトンネルが残っていました。
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旧福祉山線を走る蒸気機関車の写真をネットで探していたことで武田尾温泉の奥にあった上の写真のトンネルが旧・福知山線のトンネルであることが分かりました。本写真は2014年10月17日に廃線跡を歩く前に武田尾温泉周辺を散策した時に撮った写真ですが、謎のトンネルだったのです。

トンネルの謎が解けるきっかけになった旧・福知山線を走る蒸気機関車の写真です。横の武庫川は手前から奥の方に流れており、川は深い山の間を大きくS字型に流れています。さらに橋が2ヶ所あることが分かります。川の上流から見て左岸に線路があり川が大きくS字型に曲がっている上に橋が2ヶ所も見ることができるところは武田尾温泉周辺が最有力になりまました。列車の進行方向少し前にトンネルの入口があるようでした。
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さらに列車の前に瓦葺の旅館のような立派な建物があることから武田尾温泉の可能性が高いと感じました。立派な建物が1893年創業の紅葉館であれば確定しますが、残念ながら昔の紅葉館の写真は見つかっていません。
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紅葉館の昔の写真は見つかっていませんが、もう一つ武田尾温泉で有名な物があります。それが、この写真の大岩です。この岩は大きいために橋が流されたり家に被害が出るような洪水があっても微動だに動くことなく数十年はここにあると聞きました。この写真は廃線跡(廃線敷)を歩いた2014年10月17日に撮りました。
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左が昔の武田尾温泉の写真です。右が蒸気機関車の写真の一部を切り取ったものです。それぞれの上段の写真の右下に大岩が写っていることが分かっていただけると思います。下段の写真は上段の写真を切り取ったオリジナルの写真です。写真を撮影した位置は違いますが下段の写真の全体の構図も似ている上に課題だった旅館と思われる建物も同じであることから蒸気機関車の写真も武田尾温泉の横を走っている時に撮られたものと確定いたしました。左側の昔の武田尾温泉の写真は廃線となる3年前の1983年に撮られました。1983年の時点では新線は開業していませんでしたが、左の1983年の写真には新武田尾駅の辺りに新線の橋脚らしきものが写っています。右の写真には全く写っていないことから右の写真は1983年より前に撮られたものと思われます。旅館の建物周囲の木の茂り方からも数年以上の差を感じます。
 昔の武田尾温泉の写真(1983年)      蒸気機関車が写った写真
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武田尾温泉に沢山の旅館が建っていた昔にも上で紹介の大岩がありました。この時代には大岩の横にも旅館か建っていました。クリックすると最近まであったマルキ旅館の昔の写真を表示します。マルキ旅館は2015年10月2日に我々が泊まった旅館です。
クリックするとマルキ旅館を表示します。

こちらがGoogleのストリートビューで表示させた同じ構図の現在の姿です。護岸工事が完了後に旅館が再建されるそうです。例の大岩も健在です。大規模な護岸工事が行われていることから過去に何度も洪水の被害を受けたのだと思います。2020年1月に表示されているのは2018年11月に撮影されたストリートビューです。


蒸気機関車の写真に写っている旅館のような建物の場所は、下の写真で足湯と書かれた場所近辺ではないかと思われます。写真に写っている赤色の橋は武田尾橋ですが、竣工は2006年7月であることから上の写真に写っている橋とは違うようです。上の写真の写真の橋は川の中に橋脚が建てられていますが、武田尾橋には橋の中には橋脚は建てられていません。ただし位置的には武田尾橋の場所と思われます。下の写真は2015年10月2日に泊まった旅館から撮りました。
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武田尾橋の少し上流に橋脚が1本残されていました。橋のタイプは蒸気機関車の写真に写っている橋のようです。武田尾温泉には同じタイプの橋が少なくとも2つは架けられていたようです。
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相当に昔には用途は判りませんが写真のような細い木でできた橋のような構造物も武田尾温泉の前を流れる武庫川にはありました。左端の大きな建物はマルキ旅館で、この写真はマルキ旅館の中に飾られていた写真から一部を切り取りました。クリックすると飾られていた写真を表示します。
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クリックすると拡大蒸気機関車が写った写真で奥の方に見えている橋(右の写真)は、温泉橋(1934年築)か下の写真の神戸水道第三水道橋(1917年築)だと思われます。遠くに見えているのが温泉橋ですが、この神戸水道第三水道橋の可能性の方が高いと思われます。
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蒸気機関車の写真で遠くに写っていた橋が温泉橋である可能性は低いけれども、温泉橋の写真も掲載しておきます。
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こちらがWikipediaに掲載されていた旧・武田尾駅の駅舎の写真です。右はホームの写真です。旧・武田尾駅は温泉橋の近くにありました。
1899年1月25日に阪鶴鉄道として開業し1907年8月1日の国有化に伴い国鉄の駅となり1986年の新線に切り替わるまで使われました。国鉄の民営化は1987年なのでJRの駅として運営されたことはないことになります。
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武田尾駅から武田尾温泉に行くと道路の途中にトンネルがありました。赤色の橋は武田尾橋です。
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こちらが、トンネル入口です。すでに下で記事に書いている廃線跡にあったトンネルと同じ形式であることから旧・福知山線の廃止されたトンネルを道路のトンネルとして利用していることはすぐに分かりました。
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文字は読めませんが銘板の形式も同じでした。調べた結果トンネルの名前は草山トンネルでした。
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トンネル内部です。廃線跡のトンネルでよく見られた天井は煉瓦で壁は石造りの形式でした。トンネルの途中が照明とは別の光で明るくなっています。
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明るくなっている部分を拡大いたしました。実はトンネルの途中から左方向に新しいトンネルを掘り武田尾橋の前に出るように改造をしたのでした。Googleのストリートビューで確認することができます。→ポチッ
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草山トンネル内の分かれ道の部分をGoogleのストリートビューでも確認出来ました。右にまっすぐに進む方向が昔の福知山線です。左に曲がる方向が廃線後に新しく作られたトンネルで、そちらに進むと武田尾橋があります。写真をクリックするとストリートビューのオリジナルを表示します。
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こちらが草山トンネルのと途中から武田尾橋の方に出てくるトンネルの出口です。こちらの写真は周辺散策の途中に撮りました。
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そのトンネルを出ると目の前に武田尾橋がありました。
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武庫川沿いを上流方向に進みました。途中にすでに紹介の足湯がありました。
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進んでいくとトンネルがありました。
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これが正面から見たトンネルの入口です。
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観光バス専用道路として使われていました。
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トンネルの銘板も今までのもの同じ形式でした。
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中に入ることは出来ませんが入口から内部の写真を撮りました。今まではさらに上流側に向かうトンネルだと思っていましたが、地図にプロットして見て草山トンネルの出口であることが、今回判りました。
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こちらがGoogle地図にトンネルをプロットした航空写真です。廃線となった武田尾駅~道場駅(1899年1月25日開業 1986年廃止)にあったトンネルは下記の4つです。航空写真内の大茂山トンネルの野田尾トンネルの位置やルートはネット内の記載内容から想像して書き込んだものです。草山トンネルを出たところに鉄橋があり鉄橋を渡ったすぐのところに大茂山トンネルの入口がありました。草山トンネルの長さはGoogle地図から計測したもので、カッコ内はネット内で記載されていた長さです。 
  草山トンネル  302m(241.7m 305m)
  大茂山トンネル 250.5m
  野田尾トンネル 305.6m
  植山トンネル  117.1m



クリックすると拡大Google地図に登録されていた草山トンネルの出口の対岸正面の写真です。対岸のコンクリート構造物は鉄橋の橋脚で、その先の茂みの中に大茂山トンネルの入口があると思われます。ここに架かっていた鉄橋の名前は第三武庫川橋梁です。右はネットに掲載されていた大茂山トンネルの中から草山トンネルを撮った写真です。


第三武庫川橋梁の上を列車が走っている写真を転用させていただきました。見えているトンネルが大茂山トンネルで、鉄橋を渡って草山トンネルに入る貴重な写真です。鉄道ファンの方が撮られたのだと思います。


クリックすると拡大生瀬駅から道場駅までの旧・福知山線のルートを表示します。草山トンネル出口から道場駅までは右の図を参考に入力いたしました。クリックすると拡大旧福知山線の生瀬駅から道場駅の間のトンネル名を順番に記載いたします。鉄橋に関しては武庫川を渡る鉄橋のみ記載し、支流を渡る鉄橋は省略しています。城山トンネルと当田トンネルの位置に関しては右の地図を参考にしています。
生瀬駅→城山トンネル→当田トンネル→北山第1トンネル→北山第2トンネル→(名前不明のトンネル)→溝滝尾トンネル→第2武庫川橋梁→長尾山第1トンネル→長尾山第2トンネル→長尾山第3トンネル→武田尾駅→草山トンネル→第3武庫川橋梁→大茂山トンネル→野田尾トンネル→第4武庫川橋梁橋第5武庫川橋梁→植山トンネル→第6武庫川橋梁道場駅


武田尾駅から道場駅までの旧福知山線が入った昔の5万分の1の地形図を見つけたので、掲載します。赤く着色したラインは学生時代に自転車で通った道ですが、今の武庫川沿いの道は木が生い茂っていて通ることは難しいと思います。黄色のマークを付けたところが武田尾駅と道場駅です。Googleに書き込んだ線路のラインとほぼ一致するのでGoogle地図の修正はしませんでした。
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2020年1月9日再掲載 タイトル:再掲載いたしました。
前記事で紹介した新入社員時代の懐かしい神戸の人達の間で行われているハイキングの会で、第80回ハイク(2020年2月15日土曜日)で丹波篠山周辺のハイキングの案内が2020年1月8日に届きました。幸いにもこの時に関西に行く機会があることからハイキングに参加することにいたしました。
クリックすると拡大散策場所は篠山城址(右の写真)、篠山城大書院、各種歴史館、武家屋敷などですが、実家のある宝塚から福知山線で篠山口まで行くことから福知山線の廃線を歩いたことを思い出したので、本記事を再掲載いたしまた。右の篠山城址の写真はWikipediaから転用させていただきました。
記事初掲載 2014/10/20 閲覧   0 /nice  0 /コメント  0
新日付掲載 2020/01/09 閲覧 3,823 /nice  95 /コメント 32
2020/01/11 閲覧 4,197 /nice 146 /コメント 46
追記掲載 2020/01/14 閲覧 4,532 /nice 158 /コメント 48
2020/01/15 閲覧 4,723 /nice 163 /コメント 48
2020/01/20 閲覧 5,193 /nice 179 /コメント 52
  第72回ハイク神戸    第76回ハイク洛西    第77回ハイク万博
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大


2014年10月20日掲載 タイトル:廃線となった旧・福知山線を歩きました。
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実家のある宝塚の北に武田尾温泉があります。昔ながらの都会から離れた静かな場所で、学生時代に何度か自転車で行ったことがあります。2014年10月17日に電車で行ってみることにいたしました。JR宝塚塚駅を9時57分に乗ると10時5分に上の写真の武田尾駅に着きました。

駅に着いた時は廃線跡のことは知りませんでした。武田尾温泉を散策するのが目的だったので、武田尾駅( )から緑のライン(━━)を歩きました。

より大きな地図で 武田尾温泉散策 を表示
散策が終わったら電車に乗って帰るつもりでした。
1時間程度歩いて温泉橋の辺りで、この案内を見つけました。この中のJR廃線敷に興味を感じたので行ってみることにいたしました。
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ここが入口です。本来の入口は工事中のため仮設のルートからJR廃線敷きに入りました。ハイキングコースになっていたのです。


廃線敷は枕木の残った小道でした。おそらく数百m歩いて戻ってくるものだと思い歩き始めましたが、いくら歩いても行き止まりにならなかったのです。この路線は武庫川沿いに走ったいた単線の福知山線でしたが、スピートアップと複線化のために長いトンネルで直線的な新線が出来たために1986年に廃線になったものでした。線路からの景色がすばらしかったことから廃線敷とし整備保存されたようでした。
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下記の航空写真の赤いライン(━━)が廃線敷です。数百mで行き止まりになるどころか4.8km(Google地図での計測では4.73km)もあり、次の駅近くまで歩けるハイキングコースでした。コースには7つのトンネルがあり一番長いトンネルは414mもありました。途中には武庫川(渓谷)を渡る鉄橋もある変化豊かなすばらしいハイキングコース(ウォーキングコース)だったので全コースを紹介することにいたします。紫色のライン(━━)が現在の福知山線です。
トンネルの長さはGoogle地図で読み取った長さなので公式の数値とは若干違うかもしれません。トンネルは7つすべて紹介します。廃線跡の長さはGoogle地図で4.73kmですが、武田尾駅から廃線跡を歩いて西宮名塩駅までの総距離は6.72km(=0.67km+4.73km+1.32km)になります。
 0.67km 武田尾駅→廃線始点
 4.73km 廃線跡(━━) → Googleルート図
 1.32km 廃線終点→西宮名塩駅
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旧・福知山線は片側が川で反対側が急な崖となったところを走っていました。ここは川幅が広いけれども途中では渓谷のような景観となります。
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崖には鉄製の梯子が取り付けられていました。福知山線として使われていたころの名残の遺物です。
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上の写真の猿梯子は、この写真の左端に写っています。
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全行程の4.8㎞の間は人家は無く道路もない自然豊かな場所でした。
 1899年1月25日 本線部分が出来て武田尾駅・道場駅・三田駅が開業
 1986年8月01日 宝塚駅~三田駅間が新線になり旧・福知山線は廃線
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上の写真を撮った場所は橋の上で、その橋の下には地元で滝ヶ平井川と呼ばれている新田川が流れていました。この川の上流に立合新田と呼ばれている小さな集落があり、そこの住所は宝塚市切畑滝ケ平井なのです。
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この場所は長尾淵と名付けられていました。


廃線(1986年8月1日)になる前の写真をネットから転用させていただきました。今から35年前の1985年8月(廃線1年前)に撮られた貴重な写真です。この場所を歩いたのです。
特急まつかぜ(キハ181系)と急行丹波(キハ55系)を交互に表示しています。2枚の写真は上流側と下流側から撮られた写真ですが、川の護岸の石垣に生えている草の形から同じ場所を撮った写真と思われます。2枚の写真の内1枚(急行丹波)は、コンクリートの壁の感じからトンネル①(長尾山第3トンネル)の上から撮られた可能性があるように感じます。L形鋼(アングル)で作られた手摺もそのあたりは多かったです。機会があれば確認してみたいと思います。

撮影:泉谷 純
昔のままのL形鋼で出来た手すりが印象的でした。この辺りが列車が通っている上の写真の可能性があると感じた場所です。
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しばらく歩くとトンネル①(87m)が見えてきました。石とレンガで出来たトンネルです。トンネルの名前をネットで調べると長尾山第3トンネルでした。
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トンネルのすぐ横辺りは川の流れが急になっていました。崖が川に迫っているために水路が狭くなっているのだと思われました。
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煉瓦の並びが美しいのでトンネルの入口の部分を拡大しました。
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トンネルの内部です。壁は石垣で出来ており天井は煉瓦(レンガ)でした。枕木が鉄道のトンネルであることを感じさせてくれました。
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入口方向(武田尾方向)を振り返った景色です。
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出口方向(生瀬・宝塚方向)です。レンガの天井が見事です。ただし出口近くの天井はコンクリートになっていました。
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出口近くにはトンネルを横断する形で水路がありました。
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こちらが外から見た出口です。
結構、整備されていることが判ってもらえると思います。土砂崩れ防止のためにコンクリートのトンネルが追加された形でした。
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ここまで武田尾駅から1000mの距離です。案内板も整備されていました。桜ふれあい広場の表示もありました。


こちらが桜ふれあい広場です。桜の咲く季節が想像されます。
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廃線敷沿いには桜の並木が続いていました。次のトンネルが見えてきました。
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トンネル②(143m)は直線のトンネルでした。トンネルの名前は長尾山第2トンネルです。
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トンネル内部を低いアングルで撮ってみました。
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入口の方を振り返った景色です。すれ違った人が私が入ってきた入口の方に向かっています。


トンネルの出口です。両サイドの石垣が印象的でした。
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両サイドの石垣は長く続きました。ここは低かったのでトンネルにしなくても列車が通るところだけを削り取るだけで線路を敷くことができたのだと思います。
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上の写真の石垣にはびっしりとマメヅタが付いていました。
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対岸には小さな橋がありました。この橋を見てもらったら判るように橋は道路より高くなっており階段を登って渡る形式であることから徒歩専用の道であることが推察できました。
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ここは桜の名所でもありました。この辺りは親水広場と呼ばれています。写真に写っている階段を上ると桜の園(亦楽山荘)に行けるようです。ここからさらに廃線敷を350m進むと展望広場があると書かれています。


親水広場の前は川辺りまで下りることができました。これから進んでいく下流方向を撮りました。
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おそらく桜の木だと思います。
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枕木がはっきりと表れていると、ここが廃線跡だったことがより強く実感されます。
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山からの土砂くずれで道が途切れています。
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気にせずに土砂崩れの上を歩いて前に進みます。
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案内板をみると、トンネル③までには沢山の広場が作られていました。上の土砂崩れを越えると展望広場でした。この案内板は武田尾駅にあったものです。
 エントランス広場 → 休憩広場 → 桜ふれあい広場 → 親水広場 → 展望広場
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静かな雰囲気になってきました。大きな石がベンチ代わりに置かれています。展望広場と名前が付けられている場所です。こんなところでお弁当を食べるのもいいですね。この配線跡を蒸気機関車が通っていたころ(無煙化以前)の写真をネットから右下に転用させていただきました。この蒸気機関車はC11で1946年に作られて写真が撮られた1968年まで走っていたそうです。福知山線で最後に蒸気機関車が走ったのは1969年9月だそうです。周囲の雰囲気から蒸気機関車が撮られたのは下の大きな写真に近い場所の可能性があります。川沿いの崖の両側から煙が出ているトンネルは長尾山第1トンネルまたは長尾山第2トンネルかもしれません。下の写真の中に写っている水色の橋は神戸市水道局の水道橋です。右下のC11形蒸気機関車の写真にも似た橋が写っているけれども小さいので同じ橋かどうかは確定できません。
 福知山線で使われていた蒸気機関車
  8800形蒸気機関車
  C50形蒸気機関車
  C54形蒸気機関車
  C55形蒸気機関車
  C57形蒸気機関車
  D51形蒸気機関車
  C11形蒸気機関車
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Google地図に登録されていた水道橋を上から撮った写真を紹介します。


上流(武田尾)側の景色です。こちらの方向から歩いてきました。
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下流(宝塚)側の景色です、
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三つ目のトンネルが見えてきました。川を渡っている橋は水道橋です。この辺りまでの廃線敷は土砂崩れのところ以外は整備されていました。大きな案内板がトンネルの手前に建てられていました。水道橋も大きく見えてきました。水道橋の正式名は神戸水道第二水道橋で住所は宝塚市切畑長尾山です。1921年にこのライン(千苅貯水池~神戸市街地)の水道が完成したので水道橋はそれ以前に完成したことになり、上で紹介の1968年の蒸気機関車の写真に水道橋が写っていても不思議ではありません。
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此の先は自己責任で歩いてくれとの説明でした。1986年8月に廃線となったことも書かれていました。


これがトンネル③(310m)です。このトンネルに入って、すぐに「告」の案内板の意味が解りました。トンネルの名前は長尾山第1トンネルです。
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トンネルは曲がっており310mの長さのために真っ暗闇になるのです。ここに来る人は懐中電灯を持ってくることが常識だったのです。光が無いと一歩も歩けなくなります。さらにここは足場も悪いのです。私は廃線敷があることを知らなかったので、当然ですが懐中電灯は持っていませんでした。携帯電話の照明機能でなんとか歩くことが出来ました。
クリックすると拡大昔に中国の黄山で日の出を見るために御来光スポット(清凉台)に朝早く行く時にガイドの方が携帯電話の液晶画面を懐中電灯代り使っていたので、すぐに携帯電話を使うことを思いついたのでした。雲が多くて御来光は見ることは出来ませんでしたが右の写真の幻想的な景色に出会えることができました。
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こちらがトンネルの出口です。
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トンネルの出口の正面に鉄橋がありました。ここで行き止まりかと思いました。鉄橋の名前は武庫川第2橋梁だそうです。
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クリックすると拡大私が撮った下の大きな写真のように鉄橋の右側に人間が歩ける通路があったことから前に進めました。
現在は右の写真のように鉄橋の中央に歩道が作られています。右の写真はネットから転用させていただきました。上り側から撮った写真と下り側から撮った写真を5秒間隔で表示します。
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手をいっぱいに伸ばして進行方向を撮りました。進行方向に4つ目のトンネルが見えます。すばらしい景色に出会いました。枕木の上に線路のように山形鋼(アングル)が取り付けられています。もしかしたらこの時から歩道を取りつける計画が進められていたのかもしれません。
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私が歩いてきた方向です。つまり写っている人と橋の上ですれ違ったわけです。
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鉄橋を渡り切って鉄橋を正面から撮りました。
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川幅も狭くなり、川の景色も渓谷のようになってきました。
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トンネル④(145m)の入口です。こちらのトンネルの名前は溝滝尾トンネルです。溝尾滝トンネルと記載しているサイトもありますが、数は0.7%(9÷1350)なので溝滝尾トンネルが正解と思われます。
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ここのトンネルも壁は石で天井はレンガでした。
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トンネルから振り返ると、先ほどの鉄橋を見ました。
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トンネルの出口でハイキングの人が休まれていました。
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川の景色も、さらに岩肌が美しい渓谷となってきました。
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その渓谷の脇を列車が走っていたのです。
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水が多い時は岩肌の上面まで水位が上がるのだと思います。
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さらに進みます。
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さらに急流になってきました。
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滝のような落差で水が流れていました。
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かなりの川幅で勢いよく水が落ちるように流れていました。
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拡大いたしました。この急流の部分は溝滝と呼ばれているそうです。他に雄滝と雌滝があるそうですが、普段は滝と分からない程度の勢いだそうです。
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動画で見てもらうと迫力が判ってもらえると思います。


木が生い茂亭るところもありました。
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これがトンネル⑤(8m)です。自然のトンネルではなく落石防止のために人工的に作られたようなトンネルでした。ネットで調べた範囲では名前は見つかりませんでした。
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6つ目のトンネルです。今回の中で最も長いトンネルでした。
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これが最も長いトンネル⑥(414m)です。このトンネルも懐中電灯が無いと通り抜けることが出来ません。こちらのトンネルの名前は北山第2トンネルです。
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トンネルの入口に北山第二の文字が読み取れる鉄製の銘板が取り付けられていました。錆びていて読み取りにくいけれどもクリックして拡大すると判りやすいと思います。
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携帯電話の照明機能でゆっくりと進みました。この中を昔は列車が走っていたのです。
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枕木が壁に立掛けられていました。
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トンネル⑥の出口です。皆さんお弁当タイムでした。
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私はそのまま進みました。
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川幅が広くなり、川の景観も変わってきました。
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川の景色をもう一枚紹介します。
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右側の石垣が印象的でした。ここに線路を作るのは大変な工事だったと思います。
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退避場所は川に突き出ていました。保安員の人が列車をやり過ごした場所なのだと思います。
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川の水の流れも静かになってきました。
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ここでもお弁当タイムでした。
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最後のトンネルとなるトンネル⑦(317m)の入口です。この最後のトンネルの名前は北山第1トンネルです。
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トンネルの入口にも鉄製の銘板が取り付けられていましたが、錆びていて北山第一の文字は読み取れませんでした。クリックするとトンネル全体を特別に大きく拡大いたします。
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ここの内面はコンクリートでした。
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出口の景色は開けていました。
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クリックすると拡大トンネルの出口です。こちらのトンネルには出口側にも鉄製の銘板が取り付けられていました。木の葉があって分かりにくいと思いますがトンネルの左側です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大他のトンネルにも鉄製銘板があるかどうか気になって撮った写真を確認するとトンネル①②③で銘板を確認いたしました。残念ながらトンネル①②の文字は読み取れませんでしたが、トンネル③の銘板では長尾山の文字と数字が読み取れました。トンネル④⑤は、撮った写真内では確認出来なかったので、次に行く機会があれば探してみたいと思います。この次は100円ショップでLED懐中電灯を買って、今回と反対方向の下流側から歩いてみたいと思います。武田尾に着いたら足湯に浸かってから帰るつもりです。
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遠くからトンネルの出口を撮りました。7つのトンネルをリストで紹介します。トンネルの全長はGoogle地図の航空写真で計測した長さで、括弧内(  )はネット内で出てくる長さです。括弧内の最初の数値は西宮観光協会が発行している廃線敷マップに書かれている数値です。-
 トンネル① 長尾山第3トンネル  87m (91m、87m、59.1m)
 トンネル② 長尾山第2トンネル 143m (147m、143m)
 トンネル③ 長尾山第1トンネル 310m (306m、310m、307m)
 トンネル④ 溝滝尾トンネル   145m (149m、138.6m)
 トンネル⑤ 不明          8m (未記入、不明)
 トンネル⑥ 北山第2トンネル  414m (413m、412m、397m)
 トンネル⑦ 北山第1トンネル  317m (319m、318m)
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上流から流されてきた石が沢山ありました。大きな石を見ると増水した時の水の勢いが感じられました。
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開けてきましたが人家はありません。
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私が歩いてきた上流側の写真です。
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こんなに大きな石も流れる急流になることもあるのです。この大きな石は高座岩と呼ばれているそうです。
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小さな鉄橋の上にぶ厚い鉄板が魅かれて人が歩けるようになっていました。「橋りょう上歩行禁止!」の表示は列車が運行していた時代の表示だと思われます。右側には人が渡れるように作られていましたが今は板がないので渡れません。鉄橋の名前は姥ケ懐川橋梁です。下を流れる川の名前は姥ケ懐川(うばがふところがわ)と推測されますが、確定できていません。上流の名塩北公園内の案内板では「どんじり川」と記載されています。姥ケ懐川橋梁の下を流れる川の名前を「どんじり川」と記載しているサイトもありました。
兵庫県のホームページWikipediaに武庫川の支流として登録されている名前は「どん尻川」でした。中には鉄橋の名前に「どん尻川橋梁」を使っている説明PDFもありました。
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鉄板の下には枕木があるので、昔は鉄橋だったことが判ってもらえると思います。
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ここの川の景色も紹介します。
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面白いものも残されていたので登ってみました。見張り岩と呼ばれているものかもしれません。
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最後の鉄橋です。鉄橋の名前は名塩川橋梁です。この鉄橋の上を蒸気機関車やディーゼル機関車などが走っていたのです。鉄橋の下には武庫川に流れ込む名塩川(なじおがわ)が流れています。名塩川は赤坂峠付近を水源として、猪切谷川を支流に持つ6.1kmの長さの川だそうです。
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ここにも廃線敷を歩くのは自己責任であることの「告」の表示があり少し進むと廃線敷は終わりました。
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愛戦跡(廃線敷)入口から駅までの道が分かりにくいので西宮観光協会が発行している廃線敷マップから切り取った地図を紹介します。
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赤色ラインが今回紹介した旧・福知山線のハイキングコース(ウォーキングコース)でした。この後は電車に乗らないで青色ラインを歩いて逆瀬川の実家まで行きました。実家の場所が特定されないように青色ラインは実家の近くで止めています。紫色のラインが現在の福知山線です。 のマークがJR武田尾駅です。 この日は武田尾温泉の散策も含めて15kmほど歩くことになりました。のマークは無料の足湯です。武田尾駅から西宮名塩駅までの歩く距離は6.72kmで、ほぼ平坦なので7km歩ける人ならばチャレンジできると思います。ただし途中で長い鉄橋脇の細い保線橋を渡るので吊橋や高いところが苦手な方は難しいかもしれません。(現在は鉄橋の真中に幅の広い歩道が作られているので問題はありません。)

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追伸
2014年10月20日から蓼科と上高地に2泊3日の旅行に行って来ます。その間は皆さまところへの訪問が出来なくなることお許しください。今回もワンコ(ムサシ)を連れて車で行きます。上高地には連れていけないので蓼科の友達の家で留守番してもらうつもりです。
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