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2020年の御節(おせち)は四段重 [新年]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大2020年も家族が実家に集まり、右の写真のように9人での正月となりました。自宅ならば御節を作ることができますが、実家のために手作り御節を作る余裕がないことから取寄せの御節を注文することにいたしました。2人目の孫(母からだと曾孫f)も1年3ケ月になり、孫たちもしっかりと食べるようになったことから、下記リストのように初めて四段御節にしました。昨年は初めての三段御節でしたが、今年は初めての四段御節だったわけです。着色文字をクリックすると、写真(2009年~2014年)または記事(2015年以降)を表示します。
 2008年以前は全て手作り       自宅 or 実家
 2009年 取寄せ 特製おせち二段重  自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2010年 取寄せ 和二段重セット   自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2011年 取寄せ 和一段重セット   実家
 2012年 取寄せ 特製和風一段    実家
 2013年 取寄せ 和洋折衷二段重   自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2014年 取寄せ 二段重(名前は不明)  自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2015年 手作り           自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2016年 手作り           自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2017年 手作り           自宅  実家の母は取寄せ一段重
 2018年 手作り+取寄せ一段重    実家
 2019年 取寄せ 宝春三段重セット  実家
 2020年 取寄せ 和洋四段重セット  実家
自宅:千葉県佐倉市  実家:兵庫県宝塚市

去年までは同じお店で御節を注文していましたが、昨年の11月に家内が、家内の実家の千里に帰省していた時に、近くの千里阪急(デパート)で京都の1856年創業の老舗料亭の流れをくむ「わらびの里」の御節を注文いたしました。
 名称 和風・洋風おせち
 数量 販売予定数13 (阪急百貨店の取扱い数と思われる)
 製造 京都・洛東 わらびの里
 住所 京都市山科区大塚高岩2-23
 取扱 阪急百貨店・千里阪急 (送り元:阪急阪神百貨店)
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2019年12月31日に取寄せた御節が宅急便で届きました。実家の冷蔵庫はすでにいっぱいだったので、一番涼しいと思われる場所に保管して翌日の2019年1月1日に食卓に並べました。偶然にも北海道の長男家族に送ってもらった元旦の夕食用の蟹も同じ宅急便の車で届きました。
上の四角い箱が御節で、下の細長い箱が蟹です。       
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12月31日の夕方に御屠蘇は作り始めました。
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御屠蘇はテーパックのような袋に入っていました。日本酒に、その御屠蘇のパックを入れて、甘みをつけるために少しミリンを入れて一晩寝かしました。
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元旦の朝に、倉庫として使っている冷えた部屋から御節をリビングに持ってきました。実は御節(おせち)は五段重が正式なものだそうです。上から順番に一の重、二の重、三の重、与の重、五の重ですが、五の重は空っぽにするのが正式だそうです。空っぽの重がある理由は、一番下になる五の重は、年神様から授かる福を入れるために空っぽにしておくのだそうです。また、来年こそは空っぽの段にもたくさん料理が詰められるようにと繁栄を願う意味もあるそうです。お店で販売しているものは空箱というわけにはいかないので5段目を抜かして最段重は四段重になっているようですが、今回の御節は蓋の部分が厚いのでひっくり返して並べると五の重にも使えるので五段重を意識して企画されているのかもしれません。と言ってもテーブルが狭いので五の重を置くスペースは残っていませんでした。ちなみに中身も正式には、一の重は祝い肴の黒豆・数の子・田作りで、二の重は酢の物や口取りで、三の重は海の幸など焼き物で、与の重には煮しめや煮物を入れるそうですが、今回は和洋折衷なので見栄えを優先しているように感じました。
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こちらが元旦の朝食のために、テーブル並べた御節です。あわせて59種類の料理が入っていました。いくらや煮豆などは別にして一つの料理は2~5品(平均4品)なので約230品ほど入っていることになります。この写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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それぞれを紹介したいと思います。
・一の重/あわびの旨煮、海老艶煮、タラバ蟹酢漬 他9品
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・二の重/かれい味噌柚庵焼、鮭柚庵焼、いくら(金箔) 他13品
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・三の重/柚子かぶら、鰆柚庵焼、合鴨ロース、他11品
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・与の重/鶏そぼろ南瓜テリーヌ、ローストビーフ、サーモンマリネ 他13品
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千枚漬と紅白の蒲鉾も用意いたしました。蒲鉾は山口県の白銀にいたしました。手前の銚子(本来は徳利)が熱燗で、青っぽい銚子(徳利)には冷酒が入っています。
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かずのこは塩抜きと皮むきがされたものを買ってきて、12月31日の夕方に味付けをいたしました。
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鯛とフグの刺身も用意いたしました。千枚漬と蒲鉾とかずのこと刺身は、それぞれ2皿を用意いたしました。1年前は筑前煮を作りましたが、今回は手間がかからないようにしたわけです。
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もちろんお雑煮も作ってもらいました。私は餅を焼く役目でした。使われているお餅は特別のものでした。
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長男のお嫁さんの実家では毎年年末の餅つきが恒例で、そのつきたてのお餅を頂いたのです。つきたての丸餅は格別に美味しかったです。
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先ずは御屠蘇で乾杯をして熱燗の日本酒を飲みながらの朝食となりました。朝からお酒を飲むのは1年の内で元旦の1日のみ(恒例)です。お酒は冷でも美味しく飲めるように純米吟醸にいたしました。お酒の名前は知りませんでしたが、西山酒造の小鼓です。
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こちらが御屠蘇セットです。古いものですが、昨年の正月から活躍しています。
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ある程度朝食が進んできた段階の食卓です。
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恒例の初詣前のデザートとして次男が持ってきてくれた治一郎のバームクーヘンを食べることにいたしました。
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バームクーヘンは人数分の9個に切り分けました。1歳も我々や母も同じサイズです。バームクーヘンが乗っている一枚一枚微妙に形が違うお皿は奈良の赤膚焼です。
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FORTNUM & MASONブラントの紅茶でいただきました。FORTNUM & MASONはロンドンを拠点とする老舗百貨店で、質の高い商品を販売することで知られ、過去150年以上にわたってイギリス王室から王室御用達の店舗として認定されているそうです。
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デザートを食べた後は2018年の初詣から恒例となった初詣です。母は長くお茶とお花の指導をしていたこともあり座ることが多く膝を痛めてしまったようです。クリックすると拡大普段は車椅子を使っていませんが、実家から初詣を行う宝塚聖天(通称:聖天さん)までの距離は900m で高低差が60mのために1月1日だけ車椅子を借りるのです。今回は12月26日に持ってきて1月6日に引き取りに来ました。クリックすると拡大全員9人での記念写真を撮るためにフルサイズカメラにも耐えられる右の写真の小形の三脚を持って行きました。


長い行列が出来ていました。ここで振舞われている甘酒を飲むのを楽しみにもしているのです。
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坂道であることを感じていただきたくて、顔が分からないほど小さく写った写真を掲載させてもらいました。


追伸
年賀状のお年玉切手シートが3枚当たりました。3枚は我家にとって平均値ですが、今年は全て同じ番号67で3枚当たったのです。少しレアなことが起こった気がします。今年はいいこと(HAPPY & LUCKY)があるかもしれません。
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こちらが令和二年(2020年)の「お年玉切手シート」です。切手シートを見ると偶然にもHAPPY ★ LUCKYと書かれていました。

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廃線となった旧・福知山線を歩きました。 [武田尾]

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2020年1月14日追記
タイトル:武田尾温泉周辺にも旧・福知山線のトンネルが残っていました。
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旧福祉山線を走る蒸気機関車の写真をネットで探していたことで武田尾温泉の奥にあった上の写真のトンネルが旧・福知山線のトンネルであることが分かりました。本写真は2014年10月17日に廃線跡を歩く前に武田尾温泉周辺を散策した時に撮った写真ですが、謎のトンネルだったのです。

トンネルの謎が解けるきっかけになった旧・福知山線を走る蒸気機関車の写真です。横の武庫川は手前から奥の方に流れており、川は深い山の間を大きくS字型に流れています。さらに橋が2ヶ所あることが分かります。川の上流から見て左岸に線路があり川が大きくS字型に曲がっている上に橋が2ヶ所も見ることができるところは武田尾温泉周辺が最有力になりまました。列車の進行方向少し前にトンネルの入口があるようでした。
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さらに列車の前に瓦葺の旅館のような立派な建物があることから武田尾温泉の可能性が高いと感じました。立派な建物が1893年創業の紅葉館であれば確定しますが、残念ながら昔の紅葉館の写真は見つかっていません。
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紅葉館の昔の写真は見つかっていませんが、もう一つ武田尾温泉で有名な物があります。それが、この写真の大岩です。この岩は大きいために橋が流されたり家に被害が出るような洪水があっても微動だに動くことなく数十年はここにあると聞きました。この写真は廃線跡(廃線敷)を歩いた2014年10月17日に撮りました。
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左が昔の武田尾温泉の写真です。右が蒸気機関車の写真の一部を切り取ったものです。それぞれの上段の写真の右下に大岩が写っていることが分かっていただけると思います。下段の写真は上段の写真を切り取ったオリジナルの写真です。写真を撮影した位置は違いますが下段の写真の全体の構図も似ている上に課題だった旅館と思われる建物も同じであることから蒸気機関車の写真も武田尾温泉の横を走っている時に撮られたものと確定いたしました。左側の昔の武田尾温泉の写真は廃線となる3年前の1983年に撮られました。1983年の時点では新線は開業していませんでしたが、左の1983年の写真には新武田尾駅の辺りに新線の橋脚らしきものが写っています。右の写真には全く写っていないことから右の写真は1983年より前に撮られたものと思われます。旅館の建物周囲の木の茂り方からも数年以上の差を感じます。
 昔の武田尾温泉の写真(1983年)      蒸気機関車が写った写真
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武田尾温泉に沢山の旅館が建っていた昔にも上で紹介の大岩がありました。この時代には大岩の横にも旅館か建っていました。クリックすると最近まであったマルキ旅館の昔の写真を表示します。マルキ旅館は2015年10月2日に我々が泊まった旅館です。
クリックするとマルキ旅館を表示します。

こちらがGoogleのストリートビューで表示させた同じ構図の現在の姿です。護岸工事が完了後に旅館が再建されるそうです。例の大岩も健在です。大規模な護岸工事が行われていることから過去に何度も洪水の被害を受けたのだと思います。2020年1月に表示されているのは2018年11月に撮影されたストリートビューです。


蒸気機関車の写真に写っている旅館のような建物の場所は、下の写真で足湯と書かれた場所近辺ではないかと思われます。写真に写っている赤色の橋は武田尾橋ですが、竣工は2006年7月であることから上の写真に写っている橋とは違うようです。上の写真の写真の橋は川の中に橋脚が建てられていますが、武田尾橋には橋の中には橋脚は建てられていません。ただし位置的には武田尾橋の場所と思われます。下の写真は2015年10月2日に泊まった旅館から撮りました。
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武田尾橋の少し上流に橋脚が1本残されていました。橋のタイプは蒸気機関車の写真に写っている橋のようです。武田尾温泉には同じタイプの橋が少なくとも2つは架けられていたようです。
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相当に昔には用途は判りませんが写真のような細い木でできた橋のような構造物も武田尾温泉の前を流れる武庫川にはありました。左端の大きな建物はマルキ旅館で、この写真はマルキ旅館の中に飾られていた写真から一部を切り取りました。クリックすると飾られていた写真を表示します。
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クリックすると拡大蒸気機関車が写った写真で奥の方に見えている橋(右の写真)は、温泉橋(1934年築)か下の写真の神戸水道第三水道橋(1917年築)だと思われます。遠くに見えているのが温泉橋ですが、この神戸水道第三水道橋の可能性の方が高いと思われます。
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蒸気機関車の写真で遠くに写っていた橋が温泉橋である可能性は低いけれども、温泉橋の写真も掲載しておきます。
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こちらがWikipediaに掲載されていた旧・武田尾駅の駅舎の写真です。右はホームの写真です。旧・武田尾駅は温泉橋の近くにありました。
1899年1月25日に阪鶴鉄道として開業し1907年8月1日の国有化に伴い国鉄の駅となり1986年の新線に切り替わるまで使われました。国鉄の民営化は1987年なのでJRの駅として運営されたことはないことになります。
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武田尾駅から武田尾温泉に行くと道路の途中にトンネルがありました。赤色の橋は武田尾橋です。
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こちらが、トンネル入口です。すでに下で記事に書いている廃線跡にあったトンネルと同じ形式であることから旧・福知山線の廃止されたトンネルを道路のトンネルとして利用していることはすぐに分かりました。
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文字は読めませんが銘板の形式も同じでした。調べた結果トンネルの名前は草山トンネルでした。
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トンネル内部です。廃線跡のトンネルでよく見られた天井は煉瓦で壁は石造りの形式でした。トンネルの途中が照明とは別の光で明るくなっています。
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明るくなっている部分を拡大いたしました。実はトンネルの途中から左方向に新しいトンネルを掘り武田尾橋の前に出るように改造をしたのでした。Googleのストリートビューで確認することができます。→ポチッ
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草山トンネル内の分かれ道の部分をGoogleのストリートビューでも確認出来ました。右にまっすぐに進む方向が昔の福知山線です。左に曲がる方向が廃線後に新しく作られたトンネルで、そちらに進むと武田尾橋があります。写真をクリックするとストリートビューのオリジナルを表示します。
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こちらが草山トンネルのと途中から武田尾橋の方に出てくるトンネルの出口です。こちらの写真は周辺散策の途中に撮りました。
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そのトンネルを出ると目の前に武田尾橋がありました。
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武庫川沿いを上流方向に進みました。途中にすでに紹介の足湯がありました。
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進んでいくとトンネルがありました。
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これが正面から見たトンネルの入口です。
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観光バス専用道路として使われていました。
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トンネルの銘板も今までのもの同じ形式でした。
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中に入ることは出来ませんが入口から内部の写真を撮りました。今まではさらに上流側に向かうトンネルだと思っていましたが、地図にプロットして見て草山トンネルの出口であることが、今回判りました。
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こちらがGoogle地図にトンネルをプロットした航空写真です。廃線となった武田尾駅~道場駅(1899年1月25日開業 1986年廃止)にあったトンネルは下記の4つです。航空写真内の大茂山トンネルの野田尾トンネルの位置やルートはネット内の記載内容から想像して書き込んだものです。草山トンネルを出たところに鉄橋があり鉄橋を渡ったすぐのところに大茂山トンネルの入口がありました。草山トンネルの長さはGoogle地図から計測したもので、カッコ内はネット内で記載されていた長さです。 
  草山トンネル  302m(241.7m 305m)
  大茂山トンネル 250.5m
  野田尾トンネル 305.6m
  植山トンネル  117.1m



クリックすると拡大Google地図に登録されていた草山トンネルの出口の対岸正面の写真です。対岸のコンクリート構造物は鉄橋の橋脚で、その先の茂みの中に大茂山トンネルの入口があると思われます。ここに架かっていた鉄橋の名前は第三武庫川橋梁です。右はネットに掲載されていた大茂山トンネルの中から草山トンネルを撮った写真です。


第三武庫川橋梁の上を列車が走っている写真を転用させていただきました。見えているトンネルが大茂山トンネルで、鉄橋を渡って草山トンネルに入る貴重な写真です。鉄道ファンの方が撮られたのだと思います。


クリックすると拡大生瀬駅から道場駅までの旧・福知山線のルートを表示します。草山トンネル出口から道場駅までは右の図を参考に入力いたしました。クリックすると拡大旧福知山線の生瀬駅から道場駅の間のトンネル名を順番に記載いたします。鉄橋に関しては武庫川を渡る鉄橋のみ記載し、支流を渡る鉄橋は省略しています。城山トンネルと当田トンネルの位置に関しては右の地図を参考にしています。
生瀬駅→城山トンネル→当田トンネル→北山第1トンネル→北山第2トンネル→(名前不明のトンネル)→溝滝尾トンネル→第2武庫川橋梁→長尾山第1トンネル→長尾山第2トンネル→長尾山第3トンネル→武田尾駅→草山トンネル→第3武庫川橋梁→大茂山トンネル→野田尾トンネル→第4武庫川橋梁橋第5武庫川橋梁→植山トンネル→第6武庫川橋梁道場駅


武田尾駅から道場駅までの旧福知山線が入った昔の5万分の1の地形図を見つけたので、掲載します。赤く着色したラインは学生時代に自転車で通った道ですが、今の武庫川沿いの道は木が生い茂っていて通ることは難しいと思います。黄色のマークを付けたところが武田尾駅と道場駅です。Googleに書き込んだ線路のラインとほぼ一致するのでGoogle地図の修正はしませんでした。
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2020年1月9日再掲載 タイトル:再掲載いたしました。
前記事で紹介した新入社員時代の懐かしい神戸の人達の間で行われているハイキングの会で、第80回ハイク(2020年2月15日土曜日)で丹波篠山周辺のハイキングの案内が2020年1月8日に届きました。幸いにもこの時に関西に行く機会があることからハイキングに参加することにいたしました。
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記事初掲載 2014/10/20 閲覧   0 /nice  0 /コメント  0
新日付掲載 2020/01/09 閲覧 3,823 /nice  95 /コメント 32
2020/01/11 閲覧 4,197 /nice 146 /コメント 46
追記掲載 2020/01/14 閲覧 4,532 /nice 158 /コメント 48
2020/01/15 閲覧 4,723 /nice 163 /コメント 48
2020/01/20 閲覧 5,193 /nice 179 /コメント 52
  第72回ハイク神戸    第76回ハイク洛西    第77回ハイク万博
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2014年10月20日掲載 タイトル:廃線となった旧・福知山線を歩きました。
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実家のある宝塚の北に武田尾温泉があります。昔ながらの都会から離れた静かな場所で、学生時代に何度か自転車で行ったことがあります。2014年10月17日に電車で行ってみることにいたしました。JR宝塚塚駅を9時57分に乗ると10時5分に上の写真の武田尾駅に着きました。

駅に着いた時は廃線跡のことは知りませんでした。武田尾温泉を散策するのが目的だったので、武田尾駅( )から緑のライン(━━)を歩きました。

より大きな地図で 武田尾温泉散策 を表示
散策が終わったら電車に乗って帰るつもりでした。
1時間程度歩いて温泉橋の辺りで、この案内を見つけました。この中のJR廃線敷に興味を感じたので行ってみることにいたしました。
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ここが入口です。本来の入口は工事中のため仮設のルートからJR廃線敷きに入りました。ハイキングコースになっていたのです。


廃線敷は枕木の残った小道でした。おそらく数百m歩いて戻ってくるものだと思い歩き始めましたが、いくら歩いても行き止まりにならなかったのです。この路線は武庫川沿いに走ったいた単線の福知山線でしたが、スピートアップと複線化のために長いトンネルで直線的な新線が出来たために1986年に廃線になったものでした。線路からの景色がすばらしかったことから廃線敷とし整備保存されたようでした。
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下記の航空写真の赤いライン(━━)が廃線敷です。数百mで行き止まりになるどころか4.8km(Google地図での計測では4.73km)もあり、次の駅近くまで歩けるハイキングコースでした。コースには7つのトンネルがあり一番長いトンネルは414mもありました。途中には武庫川(渓谷)を渡る鉄橋もある変化豊かなすばらしいハイキングコース(ウォーキングコース)だったので全コースを紹介することにいたします。紫色のライン(━━)が現在の福知山線です。
トンネルの長さはGoogle地図で読み取った長さなので公式の数値とは若干違うかもしれません。トンネルは7つすべて紹介します。廃線跡の長さはGoogle地図で4.73kmですが、武田尾駅から廃線跡を歩いて西宮名塩駅までの総距離は6.72km(=0.67km+4.73km+1.32km)になります。
 0.67km 武田尾駅→廃線始点
 4.73km 廃線跡(━━) → Googleルート図
 1.32km 廃線終点→西宮名塩駅
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旧・福知山線は片側が川で反対側が急な崖となったところを走っていました。ここは川幅が広いけれども途中では渓谷のような景観となります。
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崖には鉄製の梯子が取り付けられていました。福知山線として使われていたころの名残の遺物です。
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上の写真の猿梯子は、この写真の左端に写っています。
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全行程の4.8㎞の間は人家は無く道路もない自然豊かな場所でした。
 1899年1月25日 本線部分が出来て武田尾駅・道場駅・三田駅が開業
 1986年8月01日 宝塚駅~三田駅間が新線になり旧・福知山線は廃線
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上の写真を撮った場所は橋の上で、その橋の下には地元で滝ヶ平井川と呼ばれている新田川が流れていました。この川の上流に立合新田と呼ばれている小さな集落があり、そこの住所は宝塚市切畑滝ケ平井なのです。
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この場所は長尾淵と名付けられていました。


廃線(1986年8月1日)になる前の写真をネットから転用させていただきました。今から35年前の1985年8月(廃線1年前)に撮られた貴重な写真です。この場所を歩いたのです。
特急まつかぜ(キハ181系)と急行丹波(キハ55系)を交互に表示しています。2枚の写真は上流側と下流側から撮られた写真ですが、川の護岸の石垣に生えている草の形から同じ場所を撮った写真と思われます。2枚の写真の内1枚(急行丹波)は、コンクリートの壁の感じからトンネル①(長尾山第3トンネル)の上から撮られた可能性があるように感じます。L形鋼(アングル)で作られた手摺もそのあたりは多かったです。機会があれば確認してみたいと思います。

撮影:泉谷 純
昔のままのL形鋼で出来た手すりが印象的でした。この辺りが列車が通っている上の写真の可能性があると感じた場所です。
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しばらく歩くとトンネル①(87m)が見えてきました。石とレンガで出来たトンネルです。トンネルの名前をネットで調べると長尾山第3トンネルでした。
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トンネルのすぐ横辺りは川の流れが急になっていました。崖が川に迫っているために水路が狭くなっているのだと思われました。
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煉瓦の並びが美しいのでトンネルの入口の部分を拡大しました。
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トンネルの内部です。壁は石垣で出来ており天井は煉瓦(レンガ)でした。枕木が鉄道のトンネルであることを感じさせてくれました。
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入口方向(武田尾方向)を振り返った景色です。
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出口方向(生瀬・宝塚方向)です。レンガの天井が見事です。ただし出口近くの天井はコンクリートになっていました。
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出口近くにはトンネルを横断する形で水路がありました。
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こちらが外から見た出口です。
結構、整備されていることが判ってもらえると思います。土砂崩れ防止のためにコンクリートのトンネルが追加された形でした。
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ここまで武田尾駅から1000mの距離です。案内板も整備されていました。桜ふれあい広場の表示もありました。


こちらが桜ふれあい広場です。桜の咲く季節が想像されます。
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廃線敷沿いには桜の並木が続いていました。次のトンネルが見えてきました。
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トンネル②(143m)は直線のトンネルでした。トンネルの名前は長尾山第2トンネルです。
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トンネル内部を低いアングルで撮ってみました。
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入口の方を振り返った景色です。すれ違った人が私が入ってきた入口の方に向かっています。


トンネルの出口です。両サイドの石垣が印象的でした。
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両サイドの石垣は長く続きました。ここは低かったのでトンネルにしなくても列車が通るところだけを削り取るだけで線路を敷くことができたのだと思います。
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上の写真の石垣にはびっしりとマメヅタが付いていました。
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対岸には小さな橋がありました。この橋を見てもらったら判るように橋は道路より高くなっており階段を登って渡る形式であることから徒歩専用の道であることが推察できました。
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ここは桜の名所でもありました。この辺りは親水広場と呼ばれています。写真に写っている階段を上ると桜の園(亦楽山荘)に行けるようです。ここからさらに廃線敷を350m進むと展望広場があると書かれています。


親水広場の前は川辺りまで下りることができました。これから進んでいく下流方向を撮りました。
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おそらく桜の木だと思います。
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枕木がはっきりと表れていると、ここが廃線跡だったことがより強く実感されます。
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山からの土砂くずれで道が途切れています。
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気にせずに土砂崩れの上を歩いて前に進みます。
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案内板をみると、トンネル③までには沢山の広場が作られていました。上の土砂崩れを越えると展望広場でした。この案内板は武田尾駅にあったものです。
 エントランス広場 → 休憩広場 → 桜ふれあい広場 → 親水広場 → 展望広場
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静かな雰囲気になってきました。大きな石がベンチ代わりに置かれています。展望広場と名前が付けられている場所です。こんなところでお弁当を食べるのもいいですね。この配線跡を蒸気機関車が通っていたころ(無煙化以前)の写真をネットから右下に転用させていただきました。この蒸気機関車はC11で1946年に作られて写真が撮られた1968年まで走っていたそうです。福知山線で最後に蒸気機関車が走ったのは1969年9月だそうです。周囲の雰囲気から蒸気機関車が撮られたのは下の大きな写真に近い場所の可能性があります。川沿いの崖の両側から煙が出ているトンネルは長尾山第1トンネルまたは長尾山第2トンネルかもしれません。下の写真の中に写っている水色の橋は神戸市水道局の水道橋です。右下のC11形蒸気機関車の写真にも似た橋が写っているけれども小さいので同じ橋かどうかは確定できません。
 福知山線で使われていた蒸気機関車
  8800形蒸気機関車
  C50形蒸気機関車
  C54形蒸気機関車
  C55形蒸気機関車
  C57形蒸気機関車
  D51形蒸気機関車
  C11形蒸気機関車
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Google地図に登録されていた水道橋を上から撮った写真を紹介します。


上流(武田尾)側の景色です。こちらの方向から歩いてきました。
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下流(宝塚)側の景色です、
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三つ目のトンネルが見えてきました。川を渡っている橋は水道橋です。この辺りまでの廃線敷は土砂崩れのところ以外は整備されていました。大きな案内板がトンネルの手前に建てられていました。水道橋も大きく見えてきました。水道橋の正式名は神戸水道第二水道橋で住所は宝塚市切畑長尾山です。1921年にこのライン(千苅貯水池~神戸市街地)の水道が完成したので水道橋はそれ以前に完成したことになり、上で紹介の1968年の蒸気機関車の写真に水道橋が写っていても不思議ではありません。
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此の先は自己責任で歩いてくれとの説明でした。1986年8月に廃線となったことも書かれていました。


これがトンネル③(310m)です。このトンネルに入って、すぐに「告」の案内板の意味が解りました。トンネルの名前は長尾山第1トンネルです。
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トンネルは曲がっており310mの長さのために真っ暗闇になるのです。ここに来る人は懐中電灯を持ってくることが常識だったのです。光が無いと一歩も歩けなくなります。さらにここは足場も悪いのです。私は廃線敷があることを知らなかったので、当然ですが懐中電灯は持っていませんでした。携帯電話の照明機能でなんとか歩くことが出来ました。
クリックすると拡大昔に中国の黄山で日の出を見るために御来光スポット(清凉台)に朝早く行く時にガイドの方が携帯電話の液晶画面を懐中電灯代り使っていたので、すぐに携帯電話を使うことを思いついたのでした。雲が多くて御来光は見ることは出来ませんでしたが右の写真の幻想的な景色に出会えることができました。
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こちらがトンネルの出口です。
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トンネルの出口の正面に鉄橋がありました。ここで行き止まりかと思いました。鉄橋の名前は武庫川第2橋梁だそうです。
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クリックすると拡大私が撮った下の大きな写真のように鉄橋の右側に人間が歩ける通路があったことから前に進めました。
現在は右の写真のように鉄橋の中央に歩道が作られています。右の写真はネットから転用させていただきました。上り側から撮った写真と下り側から撮った写真を5秒間隔で表示します。
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手をいっぱいに伸ばして進行方向を撮りました。進行方向に4つ目のトンネルが見えます。すばらしい景色に出会いました。枕木の上に線路のように山形鋼(アングル)が取り付けられています。もしかしたらこの時から歩道を取りつける計画が進められていたのかもしれません。
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私が歩いてきた方向です。つまり写っている人と橋の上ですれ違ったわけです。
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鉄橋を渡り切って鉄橋を正面から撮りました。
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川幅も狭くなり、川の景色も渓谷のようになってきました。
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トンネル④(145m)の入口です。こちらのトンネルの名前は溝滝尾トンネルです。溝尾滝トンネルと記載しているサイトもありますが、数は0.7%(9÷1350)なので溝滝尾トンネルが正解と思われます。
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ここのトンネルも壁は石で天井はレンガでした。
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トンネルから振り返ると、先ほどの鉄橋を見ました。
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トンネルの出口でハイキングの人が休まれていました。
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川の景色も、さらに岩肌が美しい渓谷となってきました。
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その渓谷の脇を列車が走っていたのです。
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水が多い時は岩肌の上面まで水位が上がるのだと思います。
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さらに進みます。
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さらに急流になってきました。
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滝のような落差で水が流れていました。
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かなりの川幅で勢いよく水が落ちるように流れていました。
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拡大いたしました。この急流の部分は溝滝と呼ばれているそうです。他に雄滝と雌滝があるそうですが、普段は滝と分からない程度の勢いだそうです。
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動画で見てもらうと迫力が判ってもらえると思います。


木が生い茂亭るところもありました。
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これがトンネル⑤(8m)です。自然のトンネルではなく落石防止のために人工的に作られたようなトンネルでした。ネットで調べた範囲では名前は見つかりませんでした。
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6つ目のトンネルです。今回の中で最も長いトンネルでした。
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これが最も長いトンネル⑥(414m)です。このトンネルも懐中電灯が無いと通り抜けることが出来ません。こちらのトンネルの名前は北山第2トンネルです。
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トンネルの入口に北山第二の文字が読み取れる鉄製の銘板が取り付けられていました。錆びていて読み取りにくいけれどもクリックして拡大すると判りやすいと思います。
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携帯電話の照明機能でゆっくりと進みました。この中を昔は列車が走っていたのです。
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枕木が壁に立掛けられていました。
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トンネル⑥の出口です。皆さんお弁当タイムでした。
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私はそのまま進みました。
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川幅が広くなり、川の景観も変わってきました。
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川の景色をもう一枚紹介します。
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右側の石垣が印象的でした。ここに線路を作るのは大変な工事だったと思います。
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退避場所は川に突き出ていました。保安員の人が列車をやり過ごした場所なのだと思います。
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川の水の流れも静かになってきました。
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ここでもお弁当タイムでした。
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最後のトンネルとなるトンネル⑦(317m)の入口です。この最後のトンネルの名前は北山第1トンネルです。
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トンネルの入口にも鉄製の銘板が取り付けられていましたが、錆びていて北山第一の文字は読み取れませんでした。クリックするとトンネル全体を特別に大きく拡大いたします。
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ここの内面はコンクリートでした。
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出口の景色は開けていました。
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クリックすると拡大トンネルの出口です。こちらのトンネルには出口側にも鉄製の銘板が取り付けられていました。木の葉があって分かりにくいと思いますがトンネルの左側です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大他のトンネルにも鉄製銘板があるかどうか気になって撮った写真を確認するとトンネル①②③で銘板を確認いたしました。残念ながらトンネル①②の文字は読み取れませんでしたが、トンネル③の銘板では長尾山の文字と数字が読み取れました。トンネル④⑤は、撮った写真内では確認出来なかったので、次に行く機会があれば探してみたいと思います。この次は100円ショップでLED懐中電灯を買って、今回と反対方向の下流側から歩いてみたいと思います。武田尾に着いたら足湯に浸かってから帰るつもりです。
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遠くからトンネルの出口を撮りました。7つのトンネルをリストで紹介します。トンネルの全長はGoogle地図の航空写真で計測した長さで、括弧内(  )はネット内で出てくる長さです。括弧内の最初の数値は西宮観光協会が発行している廃線敷マップに書かれている数値です。-
 トンネル① 長尾山第3トンネル  87m (91m、87m、59.1m)
 トンネル② 長尾山第2トンネル 143m (147m、143m)
 トンネル③ 長尾山第1トンネル 310m (306m、310m、307m)
 トンネル④ 溝滝尾トンネル   145m (149m、138.6m)
 トンネル⑤ 不明          8m (未記入、不明)
 トンネル⑥ 北山第2トンネル  414m (413m、412m、397m)
 トンネル⑦ 北山第1トンネル  317m (319m、318m)
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上流から流されてきた石が沢山ありました。大きな石を見ると増水した時の水の勢いが感じられました。
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開けてきましたが人家はありません。
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私が歩いてきた上流側の写真です。
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こんなに大きな石も流れる急流になることもあるのです。この大きな石は高座岩と呼ばれているそうです。
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小さな鉄橋の上にぶ厚い鉄板が魅かれて人が歩けるようになっていました。「橋りょう上歩行禁止!」の表示は列車が運行していた時代の表示だと思われます。右側には人が渡れるように作られていましたが今は板がないので渡れません。鉄橋の名前は姥ケ懐川橋梁です。下を流れる川の名前は姥ケ懐川(うばがふところがわ)と推測されますが、確定できていません。上流の名塩北公園内の案内板では「どんじり川」と記載されています。姥ケ懐川橋梁の下を流れる川の名前を「どんじり川」と記載しているサイトもありました。
兵庫県のホームページWikipediaに武庫川の支流として登録されている名前は「どん尻川」でした。中には鉄橋の名前に「どん尻川橋梁」を使っている説明PDFもありました。
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鉄板の下には枕木があるので、昔は鉄橋だったことが判ってもらえると思います。
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ここの川の景色も紹介します。
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面白いものも残されていたので登ってみました。見張り岩と呼ばれているものかもしれません。
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最後の鉄橋です。鉄橋の名前は名塩川橋梁です。この鉄橋の上を蒸気機関車やディーゼル機関車などが走っていたのです。鉄橋の下には武庫川に流れ込む名塩川(なじおがわ)が流れています。名塩川は赤坂峠付近を水源として、猪切谷川を支流に持つ6.1kmの長さの川だそうです。
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ここにも廃線敷を歩くのは自己責任であることの「告」の表示があり少し進むと廃線敷は終わりました。
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愛戦跡(廃線敷)入口から駅までの道が分かりにくいので西宮観光協会が発行している廃線敷マップから切り取った地図を紹介します。
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赤色ラインが今回紹介した旧・福知山線のハイキングコース(ウォーキングコース)でした。この後は電車に乗らないで青色ラインを歩いて逆瀬川の実家まで行きました。実家の場所が特定されないように青色ラインは実家の近くで止めています。紫色のラインが現在の福知山線です。 のマークがJR武田尾駅です。 この日は武田尾温泉の散策も含めて15kmほど歩くことになりました。のマークは無料の足湯です。武田尾駅から西宮名塩駅までの歩く距離は6.72kmで、ほぼ平坦なので7km歩ける人ならばチャレンジできると思います。ただし途中で長い鉄橋脇の細い保線橋を渡るので吊橋や高いところが苦手な方は難しいかもしれません。(現在は鉄橋の真中に幅の広い歩道が作られているので問題はありません。)

より大きな地図で 廃線 を表示
追伸
2014年10月20日から蓼科と上高地に2泊3日の旅行に行って来ます。その間は皆さまところへの訪問が出来なくなることお許しください。今回もワンコ(ムサシ)を連れて車で行きます。上高地には連れていけないので蓼科の友達の家で留守番してもらうつもりです。

新年あけましておめでとうございます。2020年 元旦 [新年]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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新年あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
幸多き一年となりますよう心からお祈りいたします。
2009年5月5日に最初の記事を掲載して、今回が11回目の正月となります。 昨年中も沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。
2020年元旦

私にとって昨年の思い出深い出来事は会社に入社して最初に配属になった神戸事業所の人達との定期的なハイキングの会に参加させていただけるようになったことでした。その会を知ったのは一昨年の2018年12月26日の神戸で行われた忘年会でした。2019年に行われた8回のハイキングの会の内、下記の3回に参加させていただきました。
 第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
 第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学と周辺散策ハイク
神戸事業所に配属になった後、組織ごと大阪事業所、東京事業所(3ケ所)と数百人から千人単位での転勤でした。私は子供も小さく家族での移動でしたが、関西から関東への転勤では多くの人が単身赴任であったことから神戸に戻る人も多くなり、会う機会も減ってきていたのですが、このハイキングの会やその仲間の人達との飲み会のおかげで懐かしい人たちと頻繁に会えるようになったのが2019年でした。下記の大きな写真は太陽の塔の内部にある生命の樹や第四の顔(太古の顔)や構想中の太陽の塔のイラストです。ここから人間の誕生までが表現されているのが生命の樹でした。
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  神戸市山田町の日本最古の民家       京都洛西の竹の径
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太陽の塔の内部見学 第77回ハイク [大阪]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で大阪モノレールの万博記念公園駅から太陽の塔の内部への入口までの景観を紹介しましたが、いよいよ太陽の塔の内部を紹介したいと思います。右の入口は地下にあるのですが、本記事の説明上は統一するために1階と表現させていただきます。1階(実際には地下)あるいは1階(地下)と表現している場合もありますが、すべて同じ最下部の階です。

太陽の塔の内部見学を予約していただいた方が手に持っているのか予約確認のQRコードをプリントした紙です。もちろんQRコードをスマホ画面で出して入館券と交換もできます。受付を行うのは代表者1名のみで他の人は待っています。


これが入館予約QRコードです。もちろん個人情報の保護のためにコード模様は変更しております。
建築基準法による安全確保のため入館できる人数は30分で80人(16人 X 5回)としていることから、10時~17時で1120人(1日)になります。貴重な体験だと言えると思います。


そしてこちらが我々の入館券で、人数分の11枚をもらい各自が持ちます。入館時間は「10時30分から11時00分」と書かれています。裏面に入館開始時刻の20分前には太陽の塔受付窓口に来るように書かれています。入館開始時刻は10時30分なので、10時10分までに受付をする必要があります。したがって、余裕を見て10時に受付に来れるように駅での待ち合わせ時間を9時45分にしたのでした。入館すると記念のスタンプを裏面に押してもらいました。
太陽の塔の英文はWikipedia にも書かれていませんでしたがTOWER OF THE SUN MUSEUMであることが判りました。
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皆で改札を通るところです。この時、10時13分でした。


入ってすぐに岡本太郎の直筆の太陽の塔の構想図が展示されていました。
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クリックすると拡大その構想図を紹介します。1967年06月01日の時点では現在の太陽の塔とは違うイメージですが、徐々に似てきて来るが判ります。7月17日で初めて近いものになり9月09日の構想図は現在の太陽の塔に近くなったことが判りました。6枚の内5枚はクリックすると拡大いたします。
 1967年06月01日    1967年06月20日    1967年06月26日
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
 1967年07月17日    1967年08月08日    1967年09月09日
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1967年09月09日の額付きの構想図を紹介します。クリックすると面積で16倍に拡大するように設定しました。拡大してみると沢山の落書きが書かれているのが判ると思います。
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構想図が展示されていたトンネルを過ぎると第4の顔が展示してある部屋に出ました。地上には現在、未来、過去を表した顔(太陽)が表現されていますが、内部の1階(実際には地下)に第4の顔がありましたが、万博終了後は閉鎖され行方不明となったそうです。解体業者の証言により1977年頃に神戸市立王子動物園内の施設に移設され、その施設が解体された1984年に夢洲に埋め立てられた説が有力だそうですが、それ以上は判っていないそうです。元の図面は残っていないので、写真や関係者の聞き込みを元に
 第1の顔 正面の白い顔 現在の顔
 第2の顔 金色の顔 太陽の顔 未来の顔
 第3の顔 黒い太陽 過去の顔
 第4の顔 地底の顔 地底の太陽 太古の太陽
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残念ながら第4の顔は、元の図面は残っていないため、写真や関係者の聞き込みを元に復元されたそうです。この場所には万博開催時には世界中から集められた神像や仮面が展示されていていました。現在はその一部が展示されていて残りは国立民族学博物館に展示されています。
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この場所は生命の樹のある中央の吹き抜けエリアに入る待機場所でもあるのです。中央のエリアには16名単位で入ります。中に入ると各階におられる方から説明がありその説明が終わると、上の階に上がっていくのです。我々より先の16名の人が説明を受けて上の階に上がるまではここのエリアで待機するのです。単に待機するだけではなく自由に写真撮影や動画撮影が出来ます。列から離れて作品と列の間のスペースを自由に使って撮影することも許されています。ただし、フラッシュと三脚は禁止です。先ずは、ここで撮った写真を紹介したいと思います。
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ここの展示物のことを説明していただいた方から自由に撮影してよいことを聞いて私も含めて皆さん撮影されていました。
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暗いので露出調整してみました。
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左右のコロナが写った写真です。人が沢山いるので難しいのですが、やっと取れました。
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万博開催中の第四の顔の写真を見たい方も多いと思いますので写真をネットから転用させていただきました。女性のユニホームで昔の写真であることが判っていただけると思います。色は金色のように見えます。復元された第四の顔の形はコロナも含めて正確に再現されているようです。


顔の部分と背景の部分は色んな模様と色に変わります。左右のコロナの部分には背景のプロジェクトの色が映し出されないので、顔の部分と背景は別のプロジェクターが使われているようでした。背景はコロナの下に置かれている装置から映されているものと推測されます。
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色んな模様に変わりました。
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顔の部分を拡大いたしました。
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動画でも紹介します。


自由に撮れるので左側からも撮れます。
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展示されていた像や仮面の写真も沢山撮りました。
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こちらは大きな像でした。
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世界中から集められたそうです。
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こちらも不思議な像です。
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鮮やかに色付けされた仮面もありました。
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集められた数は650点にもなるそうです。その一部が万博開催中も太陽の塔の内部に置かれたそうです。
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我々の前の16人が階段を登り始めましたので、我々も中央のエリアに入る順となりました。我々のグループは11人でタイミングが悪ければ2つのグループになってしまうのですが、幸いにも1つのグループになることが出来ました。他に5名の人が16名の中に入ったわけです。手ぶれもありますが、人が動いているので、ぶれたようです。


これが生命の樹です。現在は太古からの生命の模型が183体ついています。生命の樹の高さは45mです。左側には40mまで上がる階段が沢山見えます。
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木の根元にはポリプやアメーバーや海ユリが配置されていて、幹の最下段には三葉虫が取り付けられていました。
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内側の壁が赤いろであり照明も赤色のようでした。
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写真が撮れるのは1階(地下)のみのためか、皆さん写真を熱心に撮られていました。1階以外が写真禁止なのは安全のためです。吹き抜けの部分を高さ40mまで階段を歩いて昇るので、写真撮影に気をとられて転倒や転落をすると怪我だけでなく命にかかわるからです。


動画で太陽の樹を紹介します。


1階の景色を紹介します。
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中央の白いものはアメーバーを表しているようです。入館前にエレベーターを使うことを伝えるとシールを服に貼ってくれます。シールが貼ってあると説明が終わると係りの人がエレベータに案内してくれます。高さ40mを上る自信がない方は事前に申し出て、シールを貼ってもらうことも忘れないようにしてください。エレベーターを使用する場合は、すべての説明が聞けません。エレベーターの止まらない階でも説明があるからです。説明が抜けるのは1回か2回だったと思います。
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耐震強度を上げるために壁は200m厚くしたそうです。内側の音響効果のための凸凹のパネルは当時の最新のものが、使われているそうです。いろんな場所で使い分けられているとの説明もありました。
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こちらが三葉虫です。
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右の説明板はネットから転用させていただいた当時のものです。
クリックすると拡大 三葉虫時代
  三葉虫 サソリ オーム貝 巻貝
  アンモナイト
  オルトセラス・ペルキドウム
  キルトセラス・デクリオ
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三葉虫時代より上の部分でクラゲや魚類があります。うえ
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当時は292体(33種)の生物模型があったそうです。安全性を考えて現在は183体にしたそうです。29体を修復し、153体を新規に制作したそうです。合計すると182体(=29体+153体)ですが、1体は長い年月を感じてもらうために修復しないでそのまま取り付けたそうです。是非とも探してみてください。自分で見つけることは難しいと思いますが、心配いりません。ちゃんと説明してもらえます。当時の生命体の模型は電動で動くものが多かったそうです。292体のうちの約40体が動いていたそうです。現在は動く模型はありませんが、当時よりもリアルに作られているそうです。
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より上も入れて撮った写真です。
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上の写真と同じ場所を撮った写真でも壁の色が違うので、照明が変化しているのだと思います。
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写真撮影が許されている1階(実際には地下)から精一杯のズームで首長竜(水生爬虫類)や恐竜時代を撮った写真です。これより上にはブロントザウルスなどの大型恐竜や哺乳類や類人猿や人などが展示されていたのですが、さすがに1階からは撮ることが出来ませんでした。
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最も大きな恐竜ブロントザウルスの写真をネットから転用させていただきました。これは現在ではなく修復前の写真ですが、この模型の重さは1トンにもなり、口もパクパクと動いていたそうです。今のブロントザウルスの口は動きませんでしたが、大きなブロントザウルスは他の模型と比べても抜きんでた存在感がありました。


生命の樹上部のゴリラのみは経年を表すため頭がもげ、内部機構が出た状態で展示されています。本写真は内部が改装前に撮られたものですが、この状態で展示されています。こちらの写真もネットから転用させていただきました。
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太陽の塔の内側の一番頂部の写真をネットから転用させていただきました。


クリックすると拡大当時は階段ではなくエスカレーターでした。耐震性を上げるために重量のあるエスカレーターは階段に付け替えられました。エレベーターは当時と同じように設置されているので足の不自由な人や車椅子の人でも見学は出来ます。エスカレーの写真はネットから転用させていただきました。当時のエレベーターは国賓専用でした。
 当時 エスカレーター+エレベーター   見学後は大屋根展示室へ
 現在 上り階段+エレベーター+下り階段 見学後は下り階段で下りる
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当時の国賓用のエレベーターの写真もネットから転用させていただきました。エレベーターはB1、1F、2F、3F、4F、5F、6Fの7ケ所に止まりました。当時の1F(地下)が今回の記事で1階(地下)と表現している場所と同じ階です。写真の右の図は当時の太陽の塔の内部を表しています。ネット内の昔の写真を見ていると1Fから2Fへは現在と同じようなカーブした階段で上がり2Fから6Fに4本のエスカレーターを乗り継いで昇っていたように感じます。
現在、第四の顔(地底の太陽)は1階(地下)に展示されていますが、当時はさらに下の階のB1にあった地下展示室にありました。
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クリックすると拡大右の図のように当時は太陽の塔の右腕の内部にはエスカレータが設置されていて大屋根に作られた空中展示室に移動するのが見学ルートでした。現在は右腕のエスカレータは撤去されていて見ることが出来ませんが、左腕に設置されていた非常階段は現在も残されているので腕の内部構造も含めて見学中に見ることが出来ます。ただし、1階(地下)しか写真を撮ることが出来ないので、下のエスカレーターと非常階段の2枚の写真はネットから転用させていただきました。
  右腕のエスカレーター        左腕の非常階段
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現在の太陽の塔の内部の図です。左腕部の非常階段は描かれていますが、右腕部のエスカレーターはありません。クリックすると万博開催中の内部の図を別画面で表示するので比較してみてください。面倒ですが内部見学には事前予約が必要ですが、その予約の前にユーザー登録が必要です。尚、予約に空きがある場合に限って当日券の販売も行っているそうですが、休日は予約の空きはないようです。平日の朝早くにぶらっと行ってみるのはいいかもしれません。
 予約方法説明 → ポチッ
 ユーザー登録 → ポチッ
 内部見学予約 → ポチッ (クレジットカード必要 支払完了で予約成立)
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見学が終わって下り専用階段で1階(地下)に下りてきました。1階の展示室が下のように、ちらりと見えました。写真を撮っている場所の左側にお土産などを売っている売店があります。入館券が無くても売店には入れたと思います。
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入った入口と同じところから外に出ます。ガラス戸に地上までの階段が写っています。
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入口ドアから階段側を撮った写真も紹介します。ここを下りてきて内部見学の後に上がっていきました。QRコードで受付を行ったのが10時07分で、受け取った入館券で内部に入ったのが10時13分で、見学後にこの場所に出てきたのが11時00分でした。したがって47分間の内部見学ツアーであったことになります。
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地上に出て太陽の塔を見上げた景色です。
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世界遺産 2200年前の治水設備 都江堰 [四川省]

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安倍首相が2019年12月25日に都江堰を視察するとの話があるので記事を新しい日付で再掲載いたしました。

2009年8月4日掲載 タイトル:世界遺産 2200年前の治水設備 都江堰

四川省の世界遺産の一つである都江堰(とこうえん 中国読み:デゥジャンイェン)に行ってきました。都江堰はすごい建物があるわけでもないし自然のすばらしい景観があるわけでもありません。それでも世界遺産になったのは、2200年前に造られた大規模な治水施設が今でも洪水を防止しているからです。

水量も半端な量ではないし治水設備も規模が大きすぎて写真では判りにくいので衛星写真で説明いたします。川の名前は岷江で長江(揚子江)の支流です。先ずの部分で水を分流します。増水すると左の方に流れます。の部分で川が絞られており都江堰市内や成都市に流れていく川の水を一定量にして、それらの市街地が洪水になるのを防いでいます。そのために前記事で紹介した通り365日、濁流が流れながら洪水にならないのです。さらに増水するとから水が逃げます。クリックすると拡大さらに増水するとカラ川のに水が逃げるシステムのようです。南橋水門橋はすでに紹介したものです。治水の水は成都平原一帯の灌漑用水となっています。つまり、治水システムは水の分流と制限と放流を巧みに利用しているのです。
Google航空写真→ポチッ(位置を で表現)


都江堰市内を流れる水の動画です。
これは前記事でも紹介した動画ですがで365日一定量に制限された水だったのです。是非ともプレイボタン( )をクリックして見て下さい。


都江堰市は、もとは灌県(かんけん)と呼ばれていましたが、世界遺産にも登録された秦漢時代の治水施設・都江堰にちなんで改名されたそうです。都江堰は成都平原一帯の灌漑用水を取り入れる施設で、2000年間にわたり四川省の広大な範囲を潤しています。都江堰市は成都平原一帯端にあたり北西部は険しい山岳地帯になります。そこからの水です。都江堰市は成都平原の西北の縁に位置し、北西部は四川盆地の西部に聳える龍門山脈という高山地帯になっています。市域は成都平原と龍門山脈にまたがり、地勢は西北が高く、東南が低く、山地と丘陵が面積の65.79%を占め、平地や水面は34.21%であります。平野部の最も低い場所は海抜592mですが、山岳部の最高地点は海抜4,582mにも達し、標高差は4,000m弱と高低差が非常に激しいことが衛星写真からもわかってもらえると思います。。


最初の(魚嘴)の水を分量する部分の写真です。手前の本流の広さが150mで、奥の灌江の幅は130mです。


ここが正に水流を2つに分流する魚嘴()の部分です。
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上の写真のの部分は判りにくいと思うので看板の写真を掲載いたします。四川大地震で塔が崩れたのでこの写真は直には撮れませんでした。鉄製の水門はもちろん現代のもので1992年製と書かれていました。設備は近代化されましたが、基本的な治水の構造は昔のままだそうです。
都江堰の管理と修繕は歴代王朝において重要な職務で、当時の最新技術によって補強工事が行われ、洪水や地震が襲った後には修繕が繰り返されたそうです。蜀漢の諸葛亮は、蜀の穀倉地帯の要である都江堰を重視して1200人の兵を常駐させていたほどです。


こちらがの部分です。ここから街に水が流れていきます。狭くなっているのがわかると思います。こんなに狭くても南橋のところは激流でした。街に流れる水の量を制限しているは両岸も川底も岩盤で出来ているために勢いのある水が流れても広がることは無くいつまでも一定量の水を流し続けているのです。右の岩には「離堆」と書かれています。その岩山の上の建物は老王廟です。この水の流れ出る部分は「宝瓶口」で、玉壘山の断崖に切り抜いて作られたそうです。宝瓶口は頂上部の幅が28.9mで、底部の幅は14.3mだそうです。
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こちらの写真はの部分を下流側から撮ったものです。すごい流れであることがわかってもらえると思います。
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2枚上の写真を遠くから撮ったものです。このカラ川がに相当します。いざと言う時には大部分の水は右のカラの川に流れていきます。この放流するシステムを「飛沙堰」と呼びます。飛沙堰( ③ ④ )はそれぞれ約200mの幅があります。この辺りは(水量を制限)も含めて岩盤で出来ていることが判ってもらえると思います。


昔は水の流れを変えるために写真の「榪槎」と呼ばれるものを川に沈められたそうです。外を竹に覆われもので、中に土砂がたまる仕組みだったそうです。


怖い吊り橋もかかっていました。名前は安瀾橋です。


動画でつり橋の揺れを体感してみてください。これだけの流れですから落ちたら命の保障は無いと思います。YouTubeが見れない方(中国国内や一部の企業の社内LAN)のためにSo-netにも動画を登録いたしました。

上の吊橋とは違う、もう一方の吊り橋の写真を掲載します。の街側ではない方の流れにかかった吊り橋で、こちらも向こう岸まで渡りました。

最初に目指したのは太陽の塔 第77回ハイク [大阪]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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9時45分に万博記念公園駅に右の奢侈をの11名が集合して最初に目指したのは太陽の塔でした。今回の第77回ハイクのメインイベンとは太陽の塔の内部の見学でした。事前予約の結果は入館受付は10時で内部見学は10時30分から約30分間と設定されていたのです。そのために太陽の塔に直行したのでした。ちなみに太陽の塔の内部の入館料は700円でした。これは予約した時に11人分をまとめて払っていただいたので、その人に700円をアドで渡しました。
クリックすると拡大万博記念公園(自然文化公園 兼 日本庭園)の入園料は260円なので合わせると960円が必要となる予定でした。

本記事では万博記念公園駅から太陽の塔()までの航空写真に書き込んだ薄紫色ラインを紹介したいと思います。昔の大屋根(108m X 290m)があった場所を薄緑色に着色いたしました。大屋根の位置は右の昔の航空写真から判断いたしました。


万博記念公園駅から地上に降りるスロープを進みました。
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スロープからはモノレールの車両や軌道を見ることができました。真っすぐが南茨木駅方向で、左に曲がっていくラインは阪大病院前方向です。
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地上に近づいたあたりから撮った太陽の塔です。
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地上まで下りると万博記念公園の案内図があったので撮りました。その案内図から今回の記事の範囲を切り取って掲載いたしました。現在地と書かれた場所から中央橋を通って、先ずは公園の中央口に向かいます。
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案内板の近くから見える観覧車REDHORSE OSAKA WHEEL(レッドホース・オオサカホイール)です。
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こちらが中央橋の入口です。自然文化園と書か菊書かれていました。その奥に万博記念公園中央口と書かれた看板もありました。
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中央橋の上からの景色です。左側は帰る人のためのスペースです。皆さんきちっとマナーを守っておられました。
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公園の中央口です。自然文化園中央口と書かれていました。
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改札機の間を通って入ります。
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この日はラッキーなことに無料デーで260円は必要ありませんでした。調べてみると毎年3回(3月、9月、11月 計4日)行われているそうです。偶々、その日に当たったわけです。今後の参考に2019年の無料開放デーを紹介します。
 2019年03月10日(日)
 2019日09月14日(土)
 2019日11月16日(土)と17日(日)
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中央口を入ると太陽の広場で、正面に太陽の塔が建って(立って)いました。正面の白い顔は現代を表し、金色の顔は未来を表しています。
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さっそくみんなで記念写真を撮りました。
クリックすると拡大第76回に引き続き小形の三脚を持ってきたので11名全員の記念写真を撮ることができました。私は右端です。今まではコンパクトカメラ(コンデジ)で撮っていましたが、正月に9名が実家に集まるので今回と兼ねて、重たいけれでも一眼レフのカメラを実家に持ってきたのでハイキングにも持参いたしました。
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入場した時は沢山の人だったので写真に人が入ってしまうので、帰るときに撮った太陽の塔の写真も紹介します。
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少し角度が違う写真も紹介します。今は太陽の塔は単独で立っていますが、万博開催当時は大屋根がありました。赤い稲妻はガラスモザイク製だそうです。
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大屋根があったころの写真をネットから転用させていただきました。太陽の塔と大屋根の諸元を紹介します。大屋根は太陽の塔の左腕とはエスカレータで結ばれ展示室(空中テーマ館)が設けられたそうです。その空中テーマ館は世界的な建築家である黒川紀章が担当いたしました。大屋根は1979年に解体されました。大屋根の一部が右下の写真のように保管されていました。
 太陽の塔
  設計者  岡本太郎
  構造設計 坪井善勝、吉川健、植田昌吾などのプロジェクトチーム
  構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造、鋼管シェル構造
  施工   大林組、竹中工務店、藤田組
  階数   2階
  高さ   70m
  着工   1968年12月
  竣工   1970年2月
 大屋根
  設計者  丹下健三
  構造   鋳鉄のボールジョイントでパイプをつないだトラス構造
  構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造、鋼管シェル構造
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  高さ   30m
  幅    108m(東西)
  長さ   290m(南北)
  重量   約4200t
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金色の顔(未来)の部分を拡大いたしました。
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記念写真を撮り終わると太陽の塔に向かいました。
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太陽の塔も少しづつ横向きになってきました。
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斜め横から見た太陽の塔です。
万博開催25周年記念の目玉として1994年に表面の汚れを落とすなどの大規模改修が行われたそうです。その際は取り外された赤色の稲妻と緑色のコロナのタイルは、2006年7月に大阪城公園で2007年10月に万博公園でそれぞれ開催されたイベントで、ストラップとして限定販売されたそうです。2007年からも再び内部・外部の改修・補強が行われ外面は現在の姿になったそうです。
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真下近くまで来たので見上げた写真も紹介します。
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金色の顔を拡大いたしました。太陽の顔と名付けられていて軽量化のためにガラス繊維強化プラスチックで作られているそうですが、今でも金色に輝いています。
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太陽の塔の裏側にも顔が描かれていています。この顔は黒い太陽と名付けられ過去を表しています。そのため過去の顔とも呼ばれています。この黒い太陽の顔は信楽焼の陶板製だそうです。周囲のコロナは表の赤いコロナとおなじくガラスモザイク製だそうです。
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遠くから撮った過去の顔(黒い太陽)の写真も紹介します。
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裏側にある黒い太陽に興味を持たれた方が多いので、顔の部分を拡大してみました。クリックするとさらに特別に大きく拡大するようにいたしました。
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内部に入る入口まで来ました。階段とスロープがありますが、こちらの写真はスロープです。
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こちらが階段ですが、到着した10時の時点で「本日の当日券は完売いたしました。(Today's tickets are all sold out.)」と張り出されていました。
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階段を下りていくと建物の入口ドアに着きました。太陽の塔の内部に関しては次の記事で紹介したいと思います。
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立てようの塔をいろんな角度から紹介したので真横からの写真も紹介します。
太陽の塔は万博終了後に取り壊される予定でしたが、撤去反対の署名運動などもあり、5年後の1975年1月23日に永久保存が決めたそうです。その後は老朽化の進行と、その維持費が増加し維持費の確保も難しくなっていましたが、懸命の努力が払われてきたそうです。そんな中で内部の再公開のために2016年10月から耐震補強・内部復元工事が実施され、2018年3月19日より再公開が実現して有料化も行われました。有料化により太陽の塔の維持に少しでも助けになることを期待しています。
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上の写真は遠見の丘にある展望タワーから撮った写真です。こちらは遠見の丘展望タワーから肉眼で見た時のイメージの写真(焦点距離:24mm)です。上の写真は105mmで撮った写真を切り取って拡大した写真だったのです。400mmのレンズだと上の写真はもっと鮮明に撮れたと思うのですが、重たいので今回は実家には持ってきていませんでした。
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追伸
2019年12月20日~2020年1月8日まで関西に行ってきます。12月22日には母と山口県に墓参りに行き、12月26日には神戸の人達との忘年会が神戸駅の近くの居酒屋であり、年末年始は子供や孫たちが実家に集まることから長い期間の関西滞在になります。その間は皆様のところへの訪問が難しくなると思います。
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万博記念公園まで山田駅から歩きました。 第77回ハイク [大阪]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日、私にとっては2回目の参加となる第76回ハイクの記事を掲載させていただきましたが、その1ケ月後に第77回ハイクがあり、私にとっては3回目の参加となりました。第77回ハイクのメインイベントは大阪の万博記念公園の中にある太陽の塔の内部に入ることでした。太陽の塔の塔の内部に確実に入るためには事前にネット予約をしておく必要があるので、7月に神戸三宮で行われた飲み会で参加者を募って、11名が参加いたしました。代表の人に11名の予約をしていただいて実現したわけです。下記は第70回からのリストです。私は第72回に初めて参加させていただきました。
先頭の☆マークが参加あるいは参加予定のハイクです。ハイキングに参加するきっかけは2018年12月26日の忘年会への参加でした。
    ☆2018年12月26日(水) 忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
☆第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
    ☆2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
☆第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
☆第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    ☆2019年12月25日(水) 忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
☆第80回 2020年02月16日(土) 丹波篠山???ハイク

このハイキングに参加できるのは、関西に来ていて実家の宝塚に泊まるときですが、7月にこのハイキングが決まっていたので、関西に来る日を調整してあわせました。待ち合わせは大阪モノレールの万博記念公園駅で9時45分でした。実家のある逆瀬川から万博記念公園駅に行くのは蛍池駅(阪急・宝塚線)で大阪モノレールてに乗り換えていくのが唯一の方法と考えていましたが、今回のまとめ役の方から南茨木駅(阪急・京都線)で乗り換える方法もあるとの連絡が来たのでさらに調べてみると山田駅(阪急・千里線)で乗り換える方法もあることを知りました。9時30分着でまとめてみたところ出発を5分早めれば130円安く行けることが分かったので、一旦は山田駅で大阪モノレールに乗り換えて万博記念公園駅に行くつもりでしたが、山田駅から万博記念公園駅は1駅だけなので山田駅から下記の橙色のライン(━━)を歩いて行くことにいたしました。歩くことで、さらに200円節約できて蛍池駅経由と比べると合計で330円節約となりました。歩く距離は1.66kmのみでした。逆瀬川を8時13分に乘ると山田駅に9時6分に着くので万博記念公園駅には9時30分には着けますが、余裕を見て10分早く実家を出ました。紫色のアイコンは万博開催時の臨時駅(万国博西口駅、万国博中央口駅)があった場所を示しています。
          逆瀬川から       神戸三宮から
 蛍池駅・経由  650円(8:38発 乗換2回) 760円(8:30発 乗換2回)
 南茨木駅・経由 570円(8:33発 乗換3回) 650円(8:30発 乗換2回)
 山田駅・経由  520円(8:33発 乗換4回) 600円(8:30発 乗換3回)
 山田駅から徒歩 320円(8:13発 乗換3回) 400円(8:10発 乗換2回)


実家の家から逆瀬川駅まで行く時の宝塚駅方向(北方向)を撮った写真です。この日が快晴だったことが分かっていただけると思います。
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こちらが逆瀬川駅です。左に逆瀬川が流れています。
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逆瀬川の上流方向の景色です。
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逆瀬川駅を8時3分の電車に乗って4つの路線を使って山田駅に行きました。
 逆瀬川→(阪急今津線)→西宮北口→(阪急神戸本線)→十三→(阪急京都本線)
 →淡路→(阪急千里線)→山田
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今津線から神戸本線への乗換駅である西宮北口駅に隣接してある阪急の車両基地です。
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武庫川を渡っている時の写真です。左端に見えている山は六甲山の東の端にあたります。山が途切れている辺りを武庫川が流れてきます。
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十三駅の京都本線です。
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淡路駅です。この電車で十三から淡路にに来ました。
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淡路駅は大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)と相互乗り入れを行っている起点の駅です。写真の右の方向が阪急京都本線で、左に別れているのが大阪メトロ堺筋線です。大阪メトロの正式名は大阪市高速電気軌道です。つまり大阪メトロ堺筋線の正式名は大阪市高速電気軌道堺筋線になるわけです。市営からの民営化は2018年4月1日に行われました。大阪市高速電気軌道株式会社の株は大阪市が100%所有(資本金:2500億円)しています。
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5分待っていると大阪地下鉄(大阪メトロ)の堺筋線からの電車が来ました。この大阪メトロの車両に乗りました。千里線には阪急の車両と大阪メトロの車両が走っているのです。
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堺筋線の阪急乗り入れ部分の路線図です。大阪メトロの電車は千里線全線(淡路~北千里)と京都線の一部(淡路~高槻市)に乗り入れています。クリックすると堺筋線を含めた全線の路線図を表示します。
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山田駅に8時54分に着きました。地下通路を使って反対ホームにある東改札口に向かいました。1970年3月15日~1970年09月13日に開催された大阪万博(日本万国博覧会)のために今の山田駅の北720mの場所に臨時で万国博西口駅が作られ、大阪万博が終わった翌日(1970年09月14日)に廃止されましたが3年後に現在の山田駅ができた経緯があります。
 1969年11月10日~1970年09月14日 万国博西口駅(309日間)
 1970年03月15日~1970年09月13日 大阪万博開催(183日間)
 1973年11月23日~現在        山田駅(46年以上)
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万博開催中の臨時駅であった万国博西口駅が気になったのでネットから写真を転用させていただきました。この駅が現在の山田駅の北にあったわけです。
クリックすると拡大49年前の当時の電車や服装も興味深いです。私の伯父さんが宝塚の家に長く泊まって何度も万博を見に行ったと母が今でも話してくれますが、逆瀬川から阪急だけで行けるので、この駅を利用していたのだと思います。
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道路まで出て山田駅の東口を撮った写真です。券売機の左側に「阪急のりば(東口)」と書かれています。
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駅の前の道路から大阪モノレール方向を撮りました。大阪モノレールの山田駅が写っています。
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こちらが大阪モノレールの山田駅です。
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大阪モノレールの山田駅の方に行くと少し遠回りなってしまうので検索して出てきた最短ルートを歩きました。
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モノレールの下が遊歩道になっていました。
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こちらがモノレールの下の遊歩道です。
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最初は殺風景でしたが紅葉したイチヨウがあると癒されます。
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太い道路を横切りました。
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竹林もありました。千里は沢山の竹林があることで有名です。竹林を見ると一か月前に歩いた洛西の竹の径を思い出します。
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ここから先のモノレールの下には歩道が無くなるので横断歩道を渡ったところを右に曲がりました。
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横断歩道を渡ったところで進行方向を撮りました。大阪モノレールの車両基地の上に架かる橋を渡りました。
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大阪モノレールの車両基地の上に架かる橋の上から太陽の塔の方向を撮りました。写真が少し霞んでいるのは橋に取り付けられた安全柵の金網です。
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橋を渡り切って大阪モノレールの車両基地を撮りました。左端に写っているのが渡った橋です。
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少し歩くと高さ日本一の大観覧車REDHORSE OSAKA WHEEL(レッドホース・オオサカホイール)が見えてきました。 観覧車の仕様等を紹介します。
クリックすると拡大 高さ 123.0m
 直径 114.7m
 重量 2130トン
 乗員 424名
 耐震 免震構造(観覧車としては世界初)
 施工 阪和興業
 開業 2016年7月1日
左に見えている建物は大阪モノレールの車両基地内に建てられている本社ビルです。大阪モノレールを運営している会社は大阪高速鉄道(株)です。資本金は約145億円で、株主は大阪府(65.1%)、阪急(2.7%)、京阪(2.7%)、近鉄(2.7%)、他自治体(豊中市、茨木市、吹田市、摂津市、守口市、門真市)、他17社(銀行3、関電、大阪ガス、他鉄道会社4、商社2、家電3、三井住友海上、日立、川重)です。日立と川重は車両を納入しています。
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万博記念公園駅の前にある駐車場まで来ました。
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待ち合せている駅が見えてきました。
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クリックすると拡大万博記念公園駅に到着いたしました。
到着時間は9時20分で、集合時間の25分前でした。
万博記念公園の正式名は日本万国博覧会記念公園ですが、我々は短く万博公園と呼んでいるので記念の文字が入った万博記念公園の呼び方には少し違和感を感じます。日本万国博覧会記念公園と呼ぶ人はさすがに少ないと思います。
右の図は日本万国博覧会のシンボルマークです。
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階段を上って改札口のフロアーから歩いてきた方向を撮った写真です。陸橋の下を抜けてきました。そこに駐車場の入口があったのです。
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こちらが改札口です。時計が9時20分を指しているのが分かっていただけると思います。
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待ち合わせ時間の9時45分までは時間があったので駅から公園に向かうスロープから太陽の塔を撮りました。
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ズームを最も引いた形で撮った写真です。直接目で見た時のイメージに近い写真です。公園と駅の間には遠い方から大阪中央環状線上り(道路)、クリックすると拡大中国自動車道、大阪モノレール3線があります。写真に写っていませんが大阪モノレール3線の真下に大阪中央環状線下り(道路)があります。大阪万博が行われた49年前の1970年の時は右の写真のように大屋根から太陽の塔の首より上が突き出している景観でした。当時を思い出しました。
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驚いたことに万博開催中は北大阪急行電鉄(北急)によって千里中央駅から臨時線(1970年2月24日~9月14日)が引かれて、この場所に万国博中央口駅が作られていたのです。臨時線は中国自動車道上り線の敷地を一時的に借りて作られたそうです。最も間隔の狭いときは2分半間隔で運転されていたそうです。本写真はネットから転用させていただきました。
万博会場へのアクセスは万国博中央口駅に加えて、すでに紹介した阪急千里線(当時は千里山線)の万国博西口駅(臨時駅)と阪急京都線の南茨木駅(当時は臨時駅)からのシャトルバスの計3ケ所があったそうです。3ケ所だと思っていましたが、かずのこさんのコメントで4ケ所であることが分かりました。万博開催中は国鉄茨木駅に万博東口駅の副称が付けられ、会場までバス連絡をしたそうです。万博前は茨木駅には快速電車は停まりませんでしたが、開催中は臨時に快速列車を停車させ、万博終了後に正式な快速停車駅に格上げされたそうです。3年後に作られた山田駅の場所は万国博西口駅跡から南720mです。
 北急 万国博中央口駅 臨時駅    直結・徒歩 万博終了翌日に廃駅
 阪急 万国博西口駅  臨時駅    直結・徒歩 3年後に山田駅新設
 阪急 南茨木駅    新設駅    連絡バス  現在も南茨木駅
 国鉄 万博東口駅   茨木駅の副称 連絡バス  現在は茨木駅
写真の中のモノレールは会場内を環状に走っていた万博モノレールで現在の大阪モノレールではありません。電車が停まっている場所が現在の中国自動車道の上り線ということになります。上の写真と位置を比較してみてください。
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太陽の塔を拡大いたしました。是非とも大屋根を想像してみてください。
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太陽の塔を撮ったスロープです。
私を除く10名の内9名は9時30分の電車で来られました。残りの1名が9時40分の電車で到着して全員がそろった時の写真が右です。
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