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宝塚聖天からの塩尾寺への山越えの道 [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

クリックすると拡大青色ラインが宝塚聖天(了徳密院)から右の写真の塩尾寺までの山越えルートです。黄色のラインは下の写真を撮った位置からの目標方向の線です。撮影した場所からは宝塚聖天も塩尾寺も手前にある建物や山に隠れていて直接は確認できないため周辺の岩倉山反射板や鉄塔(A~D)の位置や鉄塔と鉄塔の角度の比率から計算で求めて宝塚聖天と塩尾寺の位置をプロットするための線です。

こちらが前記事「宝塚の聖天さん 七宝山 了徳密院」でも紹介した逆瀬川駅近くの高台から撮った写真です。上の航空写真の青色ライン()は左端の聖天と書かれていた場所から、光ガ丘中学校が立つ山の奥の裏側を通って、右端の甲子園大学の近くまで行き、そこから塩尾寺まで行くルートです。先ずは聖天を出発するところから紹介したいと思います。
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宝塚聖天(了徳密院)の裏門(遍照閣の脇の門)を出て、進んでいく方向を撮った写真です。前記事で紹介の通り、見えている建物は兵庫県住宅供給公社の宝梅園団地です。
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宝塚聖天の横を流れている支多々川(したたがわ)です。武庫川の支流の一つです。
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団地を左に見ながら登っていきます。
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団地を抜けたところの景色です。登り切って右から上がってきた道に合流したところで、左に曲がって上がっていきました。
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閑静な住宅が並んでいるところを登りました。左に入る一番手前の道に曲がりました。
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右に曲がると真っ直ぐに急な上り坂でした。突き当りまで登り左に曲がりました。
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上の写真の突き当り近くにあった公園の辺りが景色がよさそうなので写真を撮りました・右端の小山は甲山です。六甲山の東の裾野にある有名な山です。
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この坂道をさらに登っていきました。このような景色は六甲山の山麓の住宅地の特徴です。道の正面に見えている住宅のところを右に曲がりました。
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緑がやっと見えてきました。正面の建物のところが、今回の山越えのルートの中で最も高い場所でした。山越えモートで最も高いところは山の中と思っていたので意外でした。
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ことらか今回の山越えルートで一番高いところにあった建物です。建物は光ガ丘自治会館でした。Google地図での標高は209mでした。ここを右に曲がりました。
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光ガ丘自治会館のところを右に曲がってすぐに撮った写真でする。逆瀬川駅の近くの高台から撮った写真で山の上理建っている見えていた光ケ丘中学校が正面にありました。少し進んで左に曲がりました。
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下っていく形で進むと山の裏側の景色が見えてきました。右にある門は光ケ丘中学校の裏門です。
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光ケ丘中学校の裏門の辺りからは急な下りになり住宅地からも離れて山の中になりました。
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下りの急カーブです。
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右の向こう側から下りてきてUターンする形で左に下りていきます。右側には車止め設置されていて、左側にも車止め兼二輪車止めが設置されていました。つまりこの道は車もバイクも通れない道でした。
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二輪車止めが設置された下り坂を正面から撮りました。
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こちらが甲子園大学方面への下り坂です。
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道の脇には川が流れていました。
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下り坂は続きました。
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車止め兼二輪車止めは何重にも設置されていました。この時は数え忘れましたが5ケ所以上設置されていました。二輪車止めが何度も突破されたことから追加されたのではないかと思えました。完全に担がないと通れない構造です。何度も担がないと通れないので、数で諦めさせる作戦なのでしょう。
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振り返って降りてきた方向を撮りました。
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この場所から塩尾寺に行く道があると思いましたが、フェンスがあるために登ってみることが出来ませんでした。
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フェンスの隙間から撮った塩尾寺に登れるかもしれないと思っていた場所の写真です。
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ここは中学生の通学路なので安全のために山に入れないようにフェンスがつけられているように感じました。
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やっと住宅地に出てきました。
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山を越えてきて右の方(光ガ丘中学へと書かれた方向)から降りてきたのです。毎日通う中学生は体力が付くと思います。自転車で下りてくるとスピートが出るため本人も歩いている人も危険なので二輪車止めを何重にも設置したのかもしれません。
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右の方に行くと塩尾寺と甲子園大学があります。
クリックすると拡大とりあえず山越えの道を歩く目的は果たせたので、塩尾寺には登らずに、以前歩いた道で実家の方に帰りました。山から下りてきた写真の場所の標高は106mです。出発地点の宝塚聖天の標高は127mなの最高点の208mまでは81mの登りですが、逆瀬川駅の標高は47mであることから逆瀬川駅からは181mほど登ることになります。
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宝塚の聖天さん 七宝山 了徳密院 [兵庫県]

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クリックすると拡大以前の記事で右の写真の塩尾寺(えんぺいじ)を紹介しましたが、その時は塩尾寺から写真の右端の甲子園大学まで降りてきた後に住宅地の中を手前の方に帰ってきましたが、記事を書く上でルートを調べていると山の上に建っている宝塚市立光ガ丘中学校の辺りの山越えの道があることを知ったことから、次に宝塚の実家に泊まった時にはそのルートを歩いてみたいと思い2021年6月6日に歩いて見ることにいたしました。今回は手前から山越えして甲子園大学あたりに行くことにいたしました。途中から塩尾寺に登る道がある場合には、塩尾寺にも行くつもりでした。山越えのルートの途中に上の写真の左端に書かれている聖天と書いている通称「宝塚聖天」があります。本記事では、その宝塚聖天、正式名が「七宝山 了徳密院」を紹介したいと思います。我々は「聖天さん」と呼んでいて、宝塚市外の人は「宝塚聖天さん」と呼んでいます。阪急電鉄の岩倉山反射板は、今も使用されているかどうかはわかりませんが、鉄道会社専用の無線通信設備だそうです。

宝塚聖天は、歩いて初詣に行ける最も近いところなので、長男家族が北海道に転勤になって車がつかえなくなってからの正月にみんなが宝塚に集まった時には初詣に行ってる場所です。その初詣の写真を掲載した記事は下記です。新型コロナのために2021年の正月は実家に集まることを中止したので2021年の初詣の写真はありません。3段目の幅広の写真は2012年元旦に初詣に行った時の写真です。この頃は行列は出来ていませんでしたが、その後行列が出来て年々人が増えたように感じます。下の写真のように初詣は沢山の人が来られていましたが、今回は私一人だけでした。
 2018年 思い出深い初詣になりました。
 2019年 2019年の御節(おせち)は三段重
 2020年 2020年の御節(おせち)は四段重 
    2018年         2019年         2020年
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それでは私一人だけの宝塚聖天さんを紹介したいと思います。こちらが入口の鳥居です。
通称「宝塚の聖天さん」と呼ばれている七宝山・了徳密院は大阪浦江福島聖天了徳院の別院として、大正8年(1919年)に日下義禅大和尚(元真言宗東寺派管長)によって建立されたそうです。寺院としては短い約100年ほどの歴史ではありますが、当時の附近一帯は小石の多い広々とした支多々川の河原だったそうです。現在は住宅地に囲まれ、地域の人に聖天さんと呼ばれる親しみのある寺院になったようです。
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紫色ライン(━━)が宝塚聖天の境内の今回の散策ルートです。出発点の右下の青色ラインの端が上の写真の鳥居です。クリックすると拡大宝塚聖天は零戦(戦闘機)のレプリカが置かれていることことでも有名です。この航空写真の左下コーナー部分に零戦のレプリカが写っています。零戦のレプリカが設置されている公明殿は陸海空戦没者250万の英霊を祀るために1978年8月に建立されたそうです。
クリックすると拡大右上のゼロ戦のレプリカは2019年1月1日の初詣の時に撮りました。黄色のラインは冒頭の写真を撮った場所からの方向です。Ⓐからの青色ラインが山越えで塩尾寺に行くルートです。


最初の鳥居をくぐったところにある広場から本殿に向かう坂道です。上りきったところにも小さな鳥居があります。
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こちらが、その鳥居です。
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その鳥居の場所から本殿が見えます。
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本殿の正面の道に出ました。正面に本殿があります。
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こちらが本堂(聖天堂)です。Wikipediaによれば聖天は歓喜天(かんぎてん)のことで、仏教の守護神である天部の一つだそうです。クリックすると拡大そのほかの呼び方として大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天、天尊、Vināyaka、毘那夜迦、誐那缽底などがあるそうです。聖天さんは日本各地にあるようです。宝塚聖天は判りませんが全国の聖天は右のような象頭人身が多いようです。
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本殿(聖天堂)の左側です。
一般には夫婦和合や子授けの神としても信仰されているそうです。
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こちらが本殿(聖天堂)の右側です。クリックすると拡大
聖天(歓喜天)の由来はヒンドゥー教のガネーシャに起源があるそうです。ガネーシャはヒンズー教最高神の一柱シヴァ神を父に、ヒンドゥー教の女神の一柱パールヴァティーを母に持ち、シヴァの軍勢の総帥を務め、右の写真のように象の頭を持つ神で、鼠に乗り富と繁栄、智恵と学問を司るそうです。北伝仏教では聖天(歓喜天)そのものだそうです。
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本殿の前は緑豊かな庭と池があります。
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こちらがその池です。
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池を回り込んだ場所から撮った本堂(聖天堂)です。
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池には睡蓮が植わっていました。正面の建物は開山堂です。
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開山堂を拡大いたしました。
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参道の横にあった遍照閣です。
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遍照閣の前の参道からは本堂や開山堂が見えます。石碑も立てられていました。
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その石碑は筆塚でした。
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水子地蔵もありました。
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水かけ地蔵もありました。
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立派なお墓のような石塔が3つ並んだ右側に修行大師の銅像が建てられていました。
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最後に本堂を正面に見て、山越えのルートに向かいました。
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この道を進むと山越えのルートです。見えている建物は兵庫県住宅供給公社の宝梅園団地です。
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宝塚聖天さんのホームページ(HP)に掲載されていた境内のMAPを紹介します。紫色ライン(━━)が宝塚聖天さんの境内の今回の散策ルートです。クリックするとHPのオリジナルを表示します。
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冒頭の写真を撮影した場所からは宝塚聖天も塩尾寺も手前にある建物や山に隠れていて直接は確認できないため周辺の岩倉山反射板や鉄塔(A~D)の位置や鉄塔と鉄塔の角度の比率から計算で求めてプロットいたしました。


追伸
2021年6月20日の早朝から関西に行く予定です。帰りは7月14日です。クリックすると拡大その間の25日間は泊まる実家のネット環境のために皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。実家はインターネット回線がないので、スマホのテザリングだけが頼りなのです。下の写真は品川駅で新幹線に乗った時の車内です。右は私が乗った列車の写真です。
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長崎産の巨大な剣先イカを食べました。 [料理]

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2021年6月3日から6月13日は関西に行っていました。その間は宝塚の実家に泊まっていますが、6月9日に、新鮮な魚に出会えるスーパーで、巨大と言えるほど大きくて安いケンサキイカ(剣先烏賊)を見つけたので、迷わず買いました。細長いトレーを2つつないでいることが判っていただけると思います。剣先烏賊の大きさを実感ししてもらいたくて普通のボールペンを一緒に撮りました。
記事の第一報は新大阪から品川までの新幹線の中から入れさせていただきました。追加や修正は家に帰ってから行う予定です。

美味しそうな赤い模様でした。体長が40cm以上の個体は、別名で弁慶イカとも呼ばれているそうです。計測結果を次の写真の説明で紹介しますが、正に、弁慶イカでした。日本各地と東シナ海にかけて漁獲されているそうで、アカイカ、シロイカ、マルイカ等の地方名があるそうです。ケンサキイカには遺伝的には同じですが形はゴトウイカ型とブドウイカ型とメヒカリイカ型があります。以前はヤリイカ属でしたが、ケンサキイカ属(12種)とヤリイカ属(1種)に別れたそうです。上位のヤリイカ科には11属45種がいます。
スルメの材料としも有名で、最も上等のスルメとされています。
クリックすると拡大  界 動物界     Animalia
  門 軟体動物門   Mollusca
  綱 頭足綱     Cephalopoda
  目 閉眼目     Myopsida
  科 ヤリイカ科   Loliginidae
  属 ケンサキイカ属 Uroteuthis
  種 ケンサキイカ  Uroteuthis edulis
 漢字 剣先烏賊
 英名 Swordtip squid
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表面の模様を拡大してみました。イカは水揚げしてから時間と共に、透明→赤色→白色と変化していきます。透明なのは僅かな時間なので今回の剣先イカは九州から運んできたにも関わらず鮮度が保たれていると言えると思い。18秒待っていただくと、別の部位の表面の模様を表示します。
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長崎県産のケンサキイカでした。普通のサイズの剣先イカでも1280円は安いと思いますが、これほどの大きな剣先イカが1280円なのに驚きました。買ったスーパーは光洋(コーヨー/KOHYO)逆瀬川店でした。
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これが足を延ばした姿です。全長は550mmでした。クリックすると拡大足の下に触腕が隠れていてそれを延ばした全長は790mmでした。胴の中にあるイカの骨と呼ばれている軟甲(gladius)は415mmもありました。イカは右の図のように8本の足(腕)に2本の触腕の計10本の腕があります。
 全長 550mm(下の写真) 790mm(触腕含む)
 軟甲 415mm(胴長に相当 下段の写真)
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捌いて3つの部位に分けました。刺身の上に乗せている透明なものは長さ415mmの軟甲(イカの骨)です。それぞれの寸法はお皿の直径です。右側の皿は大きさが違うように見えますが、広角で撮っているためで実際は同じ寸法の皿です。刺身は山葵醤油と生姜醤油の2種類で食べました。
 左側の皿 240mm 胴部の刺身
 右上の皿 190mm 下足
 右下の皿 190mm 耳部(ひれ/鰭)の刺身
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胴の刺身です。見事な量です。これほどの量のケンサキイカの刺身を食べるのは初めてです。
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胴の刺身の手前の2つを拡大いたしました。
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独特の食感のある鰭(ひれ)の部分の刺身です。機能的にはヒレですが、我々は耳と呼んでいます。これだけでもかなりの量の刺し身がとれました。さすが弁慶イカです。
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こちらがゲソ(下足)の部分です。丸い部分はカラストンビ(烏鳶)で、くちばし(上顎板と下顎板)は取り除いています。大きいので処理しやすかったです。
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下足は塩をふりかけてオーブントースターで焼きました。刺身を食べながらゲソが焼けるのを待ちました。
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焼きあがったゲソの塩焼きです。
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沢山の剣先イカはビールでいただきました。
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母はビールは小さなコップに半杯程度しか飲まないので、母のためにイカ丼を作りました。ご飯の量はご飯茶碗に1杯分ですが、おいしそうに見せるためにラーメン用の大きな器でイカ丼を作りました。母と2人で巨大な剣先イカを6月9日の夕食だけで、すべて食べることが出来ました。さすがに満腹と言う感じでした。
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参考にネットから転用させていただいた図でイカの体の名称を紹介します。図の中の墨汁嚢(ぼくじゅうのう)が、俗に言う墨袋(すみぶくろ)で料理に使うイカ墨(イカスミ)が詰まっています。

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我家の たこ焼き [料理]

<span style="color:#009800;">写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2歳から10歳まで広島に住んでいたことがありますが、長く関西に住んでいたことから、今でもよく、たこ焼きを家で作ります。不思議なことに、沢山たこ焼きを作っていながら我家のたこ焼きをタイトルにして記事を書いたことがなかったので、今回我家のたこ焼きを紹介したいと思います。ちなみにお好み焼きもよく作るのですが記事にしたのは一回のみです。

たこ焼きを作るのはこちらのホットプレートで作ります。ホットプレートの特徴は市販のたこ焼きよりもかなり大きなたこ焼きを1度に30個作れることです。
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たこ焼きが作れる左側のホットプレートは我家では3代目となり2010年11月に買え換えたので、10年7ケ月ほど活躍してきてことになります。その3代目のホットプレートは3種類のプレートが付属していてその中の1枚がタコ焼きプレートだったのです。右側が2代目のホットプレートです。2代目は普通のプレートと鋳物製の焼肉用のプレートの2種類のプレートが付属していました。ちなみに1代目のホットプレートは結婚した時に友人から贈られたものでプレートは1種類でした。下の写真はホットプレートの世代交代を記念して撮りました。
今回のタコ焼きを作ることが出来る3代目のホットプレートはタイガー魔法瓶株式会社のCPV-G130です。このホットプレートは人気商品だったようです。新製品が常に出てくる家電業界の世界の中て、ホットプレートの売場に行くと今回の型番の製品は長く売られていました。私が買ってから約11年経っていますが、キーワード「タイガー CPV-G130」で検索すると、クリックすると拡大今でもネットに出てきて買うことが出来るのも驚きました。ロングセラー商品です。きっとヒット商品だったのだと思います。ちなみに我家のホットプレートの製造ロット番号は08016なので、手に入る現在の同じ型番のCPV-G130の製造ロット番号を知りたくなりました。
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調べてみると販売開始日は2008年8月22日で現在は店頭での販は終了しているそうですが、クリックすると拡大若干の改良を加えたCRV-G300が2017年8月21日に販売されてましたが3枚のプレートのアイデアは同じなので、型番は違いますが製品基本思想は続いているのだと思います。改善されている点は右の写真のスタンドを引き出すことで、より安定的に縦置き出来るようになったことです。前は固定式のスタンドだけでした。
  CPV-G130 2008年8月22日発売   CRV-G30 2017年8月21日発売
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こちらが3種類のプレーとです。上段の左が普通のプレーで、右がたこ焼きプレートです。下段の左側が焼肉用のプレートで、脂を下に落とせるのが特徴でした。落ちた脂はヒーターには当たらず下段の右のように水の受け皿に脂が落ちる仕組みになっていました。このホットプレートを買うまではカセットコンロの上にタコ焼き器を乗せて焼いていました。
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我家のたこ焼きの具は、大きく切ったタコと小ネギと天かすと紅生姜が定番です。いろんな具を入れる家庭があるようですが、我家はこれ一筋です。タコを最初に入れてしまったので、大きなタコなのに下に沈んでいるので見えません。ここから下の15枚の写真はクリックすると特別に大きな写真(面積で16倍)が表示するように設定しておりますので、気になったし野心があれば是非ともクリックしてみてください。
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今回は170gのタコを用意したので、さらに追加でタコを乗せました。この大きさのタコが1個に2つあるいは3つ入っています。今までの歴史の中でこれほど入れた記憶がなかったので、記事に掲載する気にもなったわけです。上に2つタコが乘っているたこ焼きにはタコが3つ入っています。
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たこ焼きのソースはこちらです。昔は自分でソースを調合していましたが、いつしか市販のたこ焼きソースを使うようになりました。
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順番にひっくり返していきます。今ではタコ焼き器にテフロンのコーティングをされているのは当たり前になりましたが、11年前は画期的なことで簡単にひっくり返すことが出来のに喜んだことを思い出しました。
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今回はタコが結構多いので、表面にタコが見えているのが沢山あって美味しそうに見えます。
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別の角度からの写真も紹介します。すぐにでも食べたくなりますが、ここからが辛抱なのです。焦げ目がしっかりつくまで待ちます。
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柔らかめの生地を、表面がカリカリになるまで焼くのが我家のたこ焼きです。早く食べたくなりますが、じっと我慢のたこ焼きなのです。砥部焼の皿に5個乗せてソースをかけたところです。直径14cmの皿なのでたこ焼きの大きさが判っていただけると思います。丁度5個乗せるとピッタリなのです。
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ソースの後に海苔と鰹節を乗せて完成です。
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たこ焼きの美味しさを感じてもらいたくて特別に拡大いたしました。
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最初に中央の10個(=5個×2人)を食べた後、残りの20個は中央に寄せて、さらに表面がカリカリになるまで焼いてみました。
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たこ(蛸)たっぷりで表面カリカリのたこ焼きを紹介します。記事は柔らかいので中はふわふわです。タコを沢山入れたので表面からもタコが入っていることが判ります。使ったタコはモーリタニア産のマダコ(真蛸)です。長く日本を含む東アジアのマダコと大西洋や地中海のマダコは同じと考えられていましたが、2016年から別種であることが認定されました。ただし、日本での呼び名は両種共にマダコ(真蛸)です。
2017年2月16日に書いた記事や、その時に参考にしたWikipediaでは日本のマダコの学名をOctopus vulgarisと書いていました。→ポチッ
   大西洋・地中海のマダコ Octopus vulgaris
   東アジアのマダコ    Octopus sinensis
   ミズダコ        Octopus dofleini 北海道など寒海性のタコ
クリックすると拡大  界 : 動物界    Animalia
  門 軟体動物門  Mollusca
  綱 頭足綱    Cephalopoda
 上目 八腕形上目  Octopodiformes
  目 タコ目(八腕目) Octopoda
 亜目 マダコ亜目  Incirrina
  科 マダコ科   Octopodidae
 亜科 マダコ亜科  Octopodinae
  属 マダコ属   Octopus
  亜 マダコ亜属  Octopus
  種 マダコ    Octopus vulgaris 今回(モーリタニア産)
           Octopus sinensis 国産マダコ
 英名 Common octopus
 漢字 真蛸
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上の写真の中央のたこ焼きを特別に拡大いたしました。これは冒頭の写真です。
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5個を皿にとりました。
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ソースをかけて海苔と鰹節を振りかけた写真です。
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クリックして拡大写真を出すのが面倒な方のために、拡大写真を掲載いたしました。拡大すると分かることですが、ピントが合っているのは左側のタコ焼き1個のみです。
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たこ焼きは市販のものよりも少し大きいように感じたので、ニッキーさんへのコメントで予告したように穴の大きさを計測してみました。クリックすると拡大その結果は、たこ焼き器の穴の直径は45mmでした。穴の縁が少し滑らかに仕上げられているので穴が始まる部分の直径は46.5mmでした。
買ってから約11年経っていますが表面のコーティングは健在です。タコ焼きをひっくり返す時は金属は使わないで、必ず竹串を使ったのが良かったみたいです。
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追伸
2021年6月3日の早朝から関西に行きます。帰ってくるのは6月13日です。その間はネット環境の関係で皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
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山口縣立岩國高等女學校・跡地 川西第一街区公園 [山口県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大クリックすると拡大上の路線ルート情報は2021年3月17日に周防久保に墓参りに行った時の清流新岩国から周防久保までのものです。この墓参りではすでにいくつかの記事で紹介しているように、墓参りの前に錦川清流線に乗ってみました。清流新岩国から錦川清流線に乗って根笠駅で折り返して川西駅に着いたのは10時49分でした。岩徳線の徳山行きの発車時刻11時31分まで42分あったことから、母が通っていた山口縣立岩國高等女學校(山口県立岩国高等女学校)の跡地に出来た川西第一街区公園(Kawanishi Daiichi Gaiku Park/かわにしだいいちがいくこうえん)に行ってみることにいたしました。公園の住所は山口県岩国市川西1丁目21です。
川西駅から川西第一街区公園までの距離は337mと歩いて4分で行ける距離なので、墓参りの往復のルートを決めた時から計画に入れていました。目的は写真や動画を撮って母に見せるためでした。母は岩国市街地にあった家から往復8kmの距離を歩いて通っていたそうです。山口縣立岩國高等女學校の校歌は2番まであって作曲は進藤ユキだそうです。
ネットから転用させていただいた約100年前に撮られた「山口縣立岩國高等女學校」と書かれた門の表札(看板)の写真(左側)と、今回撮った公園の門柱の写真(右側)を並べてみました。同じものかどうかは分かりませんが同じ形式の門柱のようです。公園の門柱のの下側の蝶番の位置を昔の門柱の蝶番の位置を合わせました。つまり公園の門柱は当時よりも深く埋められている可能性があります。

こちらが撮った写真と動画と昔の女学校の写真などで編集して作った動画です。バックで流れているBGMはIndian Walk(2分39秒)です。興味のある方は是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。

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薄赤色に着色したところが川西第一街区公園です。母の記憶などから女学校の敷地は、今の川西第一街区公園よりは広かったようです。岩徳線は走っていましたが川西駅はなかったそうです。川西駅が出来たのは1960年4月16日なので岩日線(現在:錦川清流線)の開業(1960年11月1日)を見越して作られたものと思われます。クリックすると拡大今は建物があって岩徳線は見えませんが、当時は建物が無く校庭から岩徳線や錦川の土手が見えたと母が話してくれました。現在は住宅に囲まれていますが、当時は周辺の住宅はまばらだったようです。右の図は1965年時点の統合後の川西校舎です。この図から校舎と岩徳線の間の敷地は運動場であったことが判りました。航空写真内の想定される「想定される女学校の敷地」は山口県立岩国高等学校に統合後の川西校舎と同じとして薄紫色に着色いたしました。
 ━━ 川西駅→女学校跡地への徒歩ルート 337m
 ━━ 川西駅→錦帯橋への徒歩ルート   1326m


川西駅の最も岩国側のホームの端から女学校跡地方向を撮った写真です。矢印の位置が女学校跡地(川西第一街区公園)の中心位置です。写真をクリックすると矢印のない拡大写真を表示します。ただし、周囲の建物のために川西第一街区公園を確認することは出来ません。上の航空写真の黄色の直線が方向を示すライン(直線距離 248m)です。線路方向に見える山は岩国山(標高277.8m)です。
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ネットから1925年(大正14年)の山口縣立岩國高等女學校の写真を2枚転用させていただきました。クリックすると拡大母が入学する前の体育会の写真のようです。岩徳線が開業する前で、女学校が山口県玖珂郡立から山口県立に変わって2年後の写真です。
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山口県立岩国高等女学校と関連事項の.Wikipediaに書かれていた沿革を紹介します。学校の歴史は1902年から119年続いて、その間に女学校の呼名が使われていたのは1902年から1949年の47年間です。今回の場所が学校として使われたのは1915年から1968年の53年間で、その間に女学校の呼名が使われていたのは1915年から1949年の34年間です。写真は上の写真と同じ1925年(大正14年)に撮られたものです。動画の最初に出てくる山口懸立岩國高等女學校跡地と刻まれた石碑は川西第一街区公園が開設された翌年の2000年(平成12年)に建立されました。4年後の1929年に右半分の小高くなっている部分と住宅の間あたりに岩徳線が建設されました。右の遠くに霞んで見えている山は岩国山と思われます。
 1868年10月23日 明治元年
 1902年04月01日 山口県玖珂郡立実業補修女学校が創立(明治35年)
 1903年04月01日 横山の元・岩国中学校舎に移転
 1907年04月01日 山口県玖珂郡立岩国女学校と改称
 1909年04月01日 山口県玖珂郡立岩国高等女学校と改称
 1914年03月    宇野千代が岩国高等女学校を卒業
 1915年01月13日 岩国町大字川西の新校舎に移転 現:川西第一街区公園
 1918年10月31日 校旗を制定 八稜鏡の絵を背景に「高女」の文字を置く
 1923年04月01日 県立移管 山口県立岩国高等女学校に改称(大正12年)
 1929年04月05日 岩徳線が開業
 1940年04月01日 岩国市発足 岩国町 麻里布町 川下村 愛宕村 灘村が合併
 1941年12月08日 太平洋戦争の開戦
 1944年       光海軍工廠などへ学徒動員が開始
 1945年04月    学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続。
 1945年08月15日 太平洋戦争の終結
 1945年09月    学校での授業を開始
 1946年04月    修業年限が5年となる
 1947年04月01日 学制改革 六・三制の実施
 1949年04月01日 統合により山口県立岩国西高等学校・川西校舎となる
 1950年04月01日 統合により山口県立岩国高等学校に改称
 1960年04月16日 川西駅が開業
 1960年11月01日 岩日線(現:錦川清流線)が開業
 1968年06月01日 全学年を向山の新校舎に移して川西校舎を廃止
 1999年04年01年 川西校舎跡地に川西第一街区公園を開設
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ネットから転用させていただいた1963年の航空写真を紹介します。
クリックすると拡大山口県立岩国高等女学校は上で紹介している沿革のように統合されて名前は山口県立岩国高等学校になっています。母が通っていた時の右の集合写真などから判断して運動場に沿った細長い校舎は母の時代にはなかったと思われます。2枚の集合写真が交互に表示されていますが、1枚は校舎を背景に運動場で撮られたもので、もう1枚はいくつかの校舎の間の庭で撮られたものと思われます。校舎が建てられた場所は運動場よりは高くなっていることが集合写真やネットの右下の写真で分りました。クリックすると拡大もしかしたら錦川の氾濫に備えた対策だったのかもしれません。運動場の手前には岩徳線も写っています。1963年なので川西駅はすでにできていますが、写真より左の方なので写っていません。左上に写っている道路は現在の山口県道112号藤生停車場錦帯橋線ですが、当時はまだ県道にはなっていませんでした。
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校舎内の写真もネットから転用させていただきました。ただしいずれの写真も母の時代より少し後に撮られた写真と思われます。左上から順番に職員室、階段教室、作法室、調理教室(1951年)、廊下です。
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門に「山口縣立岩國高等女學校」の表札がかかった写真もネットの約100年前の玖珂郡からクリックすると拡大転用させていただきました。右の写真は女学校の建物ではありませんが、女学校の校舎の一部を基にして1916年に旧制岩国中学校に建てられた御大典記念武道場で、今は岩国高校記念館として吉香公園に保存されています。白黒写真の女学校の建物の色を想像していただくために役立つと思います。
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川西第一街区公園の入口の写真です。門柱と門柱の間が広いし、女学校の門はもう少し山口県道112号線に近い方(背中方向に進んだ場所)にあったので当時の門柱を移設して建てたのかもしれません。いずれにしても門柱自体は当時の門柱だと思われます。記事の冒頭で紹介した公園の門柱の写真は本写真の右側の門柱です。門柱には扉を取りつける蝶番の金具がついています。下側の金具は地面に近いので門柱は当時よりも深く埋められているように感じます。当時の航空写真から判断すると、この広場は運動場ではなく校舎が建っていたエリアのようです。


以前の記事「岩徳線の川西駅から錦帯橋を経由して岩国城までの景色」の中の女学校に関しての記載内容を転記する形で掲載いたします。

写真の中の右上端にある川西駅から臥龍橋と錦帯橋を渡ってこの写真を撮った岩国城まで来たのです。錦帯橋が写ったこの写真の中に母が通っていた女学校(山口懸立岩國高等女學校)とクリックすると拡大叔父さん(母の弟)が通っていた高等学校(山口懸立岩國高等學校)がありました。それは女学校跡地と岩国高等学校跡地と書いている場所です。現在の女学校跡地は川西第一街公園となり、クリックすると拡大岩国高等学校跡地は吉香公園となっています。右の2枚の写真は現在の川西第一街公園です。母たちは、家のあった岩国の町から毎日片道4km(往復8km)を歩いて通っていました。118年と173年の長い歴史のある女学校と岩国高等学校の2つの学校は統合して、いろんな変遷を経て現在は川西駅のさらに向こう側に山口県立岩国高等学校として存在しています。
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母の女学校時代の錦帯橋をバックにした友達同士の記念写真です。右から2人目が女学校時代の母です。女学校には2年生の時に広島県三原から転入したそうです。父親が一時期三原に転勤していて2年生の時に岩国に戻ってきたとのことでした。3年生からは級長もしていたということなので、すぐに女学校になじんだのだと思います。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。クリックすると拡大多才な小説家で4度結婚(藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫)するなど多くの著名人との恋愛・結婚遍歴も有名で一度は卒業名簿から除名されましたが、世の中の価値観が変わってくるとともに積極的に宇野千代の出身校であることを宣伝されるようになったそうです。小説家だけでなく随筆家、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていました。
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クリックすると拡大母に関わる7枚の写真を切り替えて表示しています。その中の2枚の大人数の集合写真は女学校の構内での写真なので、今は無き女学校の建物が写った貴重な写真なのです。学校は木造瓦葺きの歴史がありそうな建物であったことが判ります。母が判るように黄色の矢印をつけています。4年生の時は梅組と桜組と楓組の3組あり、クリックすると拡大母は梅組だったそうです。右の「4年 梅組」の文字は集合写真の裏に書かれていました。
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かつて山口縣立岩國高等女學校があった川西第一街区公園のストリートビュー(SV)を紹介します。クリックすると拡大個人の井上一雄さんがGoogle地図に登録したSVです。公園の中心から撮った数枚の写真を組み合わせて360°の景色が見えるように作られています。初期画面は山口縣立岩國高等女學校と書かれた石碑がある南東方向です。水平に回転させて西方向にすると女學校の門と思われる2本の石柱が右下の写真のように確認できます。
クリックすると拡大母が写った右上の集合写真に写っている石柱と同じものかはわかりませんが似た石柱です。母の記憶によれば岩徳線に近い方(南東方向)にグランドがあり、遠い方向(北西方向)に校舎が沢山建っていたそうです。


クリックすると特別に大きく拡大出来るように写真を家に持ち帰ってスキャンいたしました。クリックすると4倍に拡大いたします。つまり面積では16倍に拡大いたします。拡大して見ると石柱の部分は石段になっていることが分かりました。金属製のフェンスも一段高いところに建てられていました。つまり現在の石柱と写真の石柱は違うことから現在の公園の入口とは違う入口の石柱のそばて写真が撮られたと思われます。写真の左上の白い部分は破れて無くなっているのです。
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4年の梅組の時の写真も家でスキャンして4倍に拡大(面積で16倍)に拡大するようにいたしました。拡大写真を見てもらうと当時の校舎がよく分かると思います。
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久しぶりに我家でトンカツを揚げました。 [料理]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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昔はトンカツはよく作りましたが、最近は揚げ物料理が少なくなっています。揚げ物料理の中でも特にトンカツは減った感じがします。そんな中で久々にヒレ肉のトンカツを作ってもらいました。我家では脂を少なめにしたいことから昔からトンカツと言えばヒレカツでした。上の写真が作ってもらったヒレのトンカツです。ゴルフ場での昼食では、比較的多くトンカツを食べていますが、用意されているトンカツはロースカツなので、外食を含めてもヒレカツを食べるのも久しぶりでした。上の写真が我家のヒレカツです。

普段の揚げ物は小型の鋳物製の揚げ物用の鍋を使いますが、トンカツを揚げる時は我家で一番大きな揚げ物用の鉄鍋を出します。その大きな鍋でもヒレ肉が沢山あったので、ヒレカツは2度に分けて揚げます。こちらの写真が1回目に揚げたヒレカツです。上の写真は2度目を揚げている間に少し食べて、2度目を揚げた中の一部を盛り付けたものです。この時の段階でキッチンには揚げ終わったヒレカツが6個ほど残っていました。
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この日はソラマメも用意してもらいました。
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ソラマメは近くの親しい方からいただいた新鮮なものでした。ソラマメの分類を紹介します。ソラマメの原産地は地中海や西南アジアが原産地と推測されていますが、大粒種はアルジェリア周辺で、小粒種はカスピ海南岸とする2源説もあるそうです。イスラエルの新石器時代の遺跡からも出土するほど古くからあり、古代エジプトやギリシア、ローマにおいて食べられていました。紀元前3000年以降に中国に伝播し、日本へは8世紀ごろ渡来したと言われているそうです。右の写真はWikipediaから転用させていただいた花が咲いたソラマメの写真です。
クリックすると拡大  界 植物界    Plantae
    被子植物   angiosperms
    真正双子葉類 eudicots
  目 マメ目    Fabales
  科 マメ科    Fabaceae
  属 ソラマメ属  Vicia
  種 ソラマメ   Vicia faba
 漢字 蚕豆 / 空豆
 英名 Broad bean / Fava bean
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たくさんの量があったので2回に分けていただきました。右側の向いた方が前日に食べたソラマメで、左側がトンカツと一緒に食べたソラマメです。下に引いている新聞の活字の大きさと比べていただくとわかるかもしれませんが、非常に大粒のソラマメでした。
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もちろんビールです。サラダはキュウリと水菜です。偶々、鍋用に買った水菜が残っていたのです。3束が税抜きで99円だったので2度ほど鍋をやってもまだ残っていたのです。サラダはケンコーマヨネーズ製のシーザーソラダドレッシングでいただきました。ソラマメはもちろん塩茹でしてそのままでも美味しいけれど、好みで塩を付けたりつけなかったりでいただきました。
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揚げ具合を紹介したくて拡大写真を掲載いたしました。Wikipediaによるとトンカツの表記は、とんかつ・とんカツ・トンカツ・豚カツなど様々です。単にカツと呼ばれることもあります。カツはカツレツの略ですが、トンカツレツと呼ばれることは、ほとんどないと思います。
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ヒレカツはもちろん、とんかつソースでいただきました。カラシは好みでいただきました。
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食べた雰囲気を感じてもらいたくて少し拡大した写真も掲載いたしました。沢山のトンカツを揚げたので9個も残りました。残ったトンカツは翌日の昼食と夕食でいただきました。それは揚げる前から決めていて買って来たヒレ肉は全てトンカツにいたしました。
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冒頭で紹介した普段用の小型の鋳物製の揚げ物用の鍋と、我家で一番大きな揚げ物用の鉄鍋を紹介します。クリックすると拡大下に敷いている新聞で大きさが判っていただけると思います。以前の記事「ガスコンロを買い替えました。」で紹介させていただいたようにガスコンロを交換して温度調節機能が付いたおかげで、揚げ物が楽になりました。安全装置もしっかりしているので安心感もあります。
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翌日の昼食はカツサンドにいたしました。オーブントースターで温めたヒレカツにソースを付けて野菜に挟みました。サンドイッチ用のパンは買っていなかったので、食パンを縦に切って使いました。食パンは厚いのが好きなので縦に切ってもサンドイッチ用よりは厚い感じでした。その厚みが良かったです。
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飲み物として用意したのは定番のコーンスープです。コーンスープの素をお湯で溶いただけですが、美味しかったです。
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1つを断面が見えるように置きなおして写真を撮りました。パンの厚みも分かっていただけると思います。野菜は家にあったキュウリにいたしました。味付けはケチャップとトンカツソースとタルタルソースを使いました。タルタルソースはキュウリの部分に使っています。
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横から撮った写真です。9個のヒレカツの内、4個をサンドイッチに使いました。残りの5個は、この日の夕食用です。
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夕食はカツカレーにしました。前に紹介した3種相掛けカレー方式です。
名前を付けるとしたら3種相掛けカツカレーとなります。使ったレトルトカレーは下段の写真で、左から「宮崎/黒毛和牛ビーフカレー」「沖縄/しっとり煮込んだ・石垣島ビーフカレー」「熊本/あか牛ビーフカレー」です。
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こちらが3種相掛けカツカレーです。
クリックすると拡大1つだけラッキョを乗せているのは目印です。今回のカレーは色合いが非常に近いので、運ぶときに少し角度が変わると分からなくなってしまうとしまうと思ったから目印にラッキョを乗せました。掛け終わったレトルトカレーの袋をカレーの位置と同じように並べた写真も紹介します。目印のラッキョを置いた左下が熊本のカレーで時計回りに沖縄のカレー→宮崎のカレーです。
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オーブントースターで温めたトンカツはカラッと仕上がったので拡大写真を掲載させていただきました。この写真をクリックすると特別に大きな写真を表示するように設定いたしました。
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前日も食べた水菜のサラダです。やっぱり99円で3束はかなりの量で4回の夕食で活躍いたしました。
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森ヶ原信号場 岩徳線と錦川清流線の合流部分 [錦川清流線]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の航空写真は岩徳線と錦川清流線の合流地点(分岐点)である森ヶ原信号場の周辺ですが、空色の文字で書いている動画①~③を紹介いたします。いずれも岩徳線の周防久保駅の近くに墓参りに行った時に撮りました。

クリックすると拡大下の写真の左側の岩徳線の車両の運転席の中央の窓の部分には右のような大きなバックミラが設置されていて前方方向の撮影が難しいのですが幸いにも右側の写真の錦川清流線の車両には展望エリアがあることから合流や分離を先頭から撮ることが出来るのです。
 動画 錦川清流線→岩徳線   岩国行き 合流 先頭展望エリア
 動画 岩徳線→錦川清流線   錦町行き 分離 先頭展望エリア
 動画 岩徳線→合流点→岩徳線 岩国行き 合流 ボックス座席
       JR岩徳線            錦川清流線
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動画 錦川清流線→岩徳線 2021年3月17日撮影
右側の真直ぐな線路が岩徳線で、錦川清流線から岩徳線に乗り入れる場面の動画です。こちらの動画は記事「錦川清流線 清流新岩国駅 → 川西駅」に掲載した1分48秒の動画から38秒間を切り取った動画のです。


動画 岩徳線→錦川清流線 2021年3月17日撮影クリックすると拡大
左側の線路が岩徳線で、右側が錦川清流線です。岩徳線から錦川清流線に入っていく動画です。右の白黒の鉄道標識は速度制限解除標識です。右の速度制限解除の標識をクリックすると直前にあった速度制限45km/hの標識を表示します。クリックすると拡大線路を分岐させるポイント(分岐器)は動画から切り取った右の写真のように錦川清流線側(右側)になっていることが判っていただけると思います。
元々考えていたスケジュールでは撮ることが出来ない動画ですが、墓参りのために11時31分発の列車を待っていると、11時20分発の錦川清流線が来たので、急遽予定を変更して錦川清流線に乘り本動画を撮って清流新岩国まで行き、新岩国駅からタクシーに乗って柱野駅まで行き柱野駅11時37分発の列車に乗る綱渡りのようなことをして撮った動画なので是非ともプレーボタン( )をクリックしてほしいです。柱野駅の発車時刻に間合わなければ次の欽明路駅(11時49分発)までタクシーで行くつもりでした。したがって私がホームにあがって列車が来るのを確認して手で〇のサインを出すまではタクシーに持っていてもらいました。でもすぐに列車が来るのを確認出来たので〇のサインを出しました。


動画 岩徳線→合流点→岩徳線 2020年12月23日撮影
こちらは墓参りの後に錦帯橋や岩国城を見るために周防久保から岩徳線で川西駅まで行く時に、錦川清流線が岩徳線と合流するところを撮った動画です。こちらは記事「岩徳線の動画 その2 錦川清流線との合流」で紹介した動画です。


位置関係をGoogleマップで紹介します。新幹線の新岩国駅から柱野駅まではタクシーで2.33kmの距離です。マップ内のマイナスのアイコン(-)を1回クリックすると新岩国駅(新幹線)と清流新岩国駅(錦川清流線)と西岩国駅(岩徳線)が表示され、2回目をクリックすると岩国駅や岩国空港が入る範囲まで表示されます。4回目で周防久保駅( )まで表示され、5回目で私が3歳から10歳まで住んでいた場所( )を表示します。
  SVで撮影された車両
  岩徳線と錦川清流線の合流地点(森ヶ原信号場)
 ━━ 錦川清流線
 ━━ 岩徳線
 ━━ 山口県道1号 岩国大竹線 旧道


合流直前の岩徳線(奥側)と錦川清流線(手前)のストリートビュー(SV)です。それぞれの線路の左方向に森ヶ原信号場(分岐点/合流点)があります。
クリックすると拡大下のSVの中の手前の青色のガード(鉄道橋)は岩徳線から撮った右の写真のガードで、動画③にも写っています。線路をくぐる道路は細い道ではありますが広島県道1号岩国大竹線とつながる山口県道1号岩国大竹線の旧道です。今は別の場所に新道が通るトンネルが出来ています。背中側方面に進むと前記事のSVで列車が写っていて思案橋に行けます。後ろ方向の矢印を約40回クリックすると撮影場所に到達します。


クリックすると拡大奥側の岩徳線のガードをくぐったところのに設置されたカーブミラーに、錦川清流線の列車をSVに撮った撮影車が写っていることを発見しました。撮影の日付も同じ2018年4月(avr.2018)なのでカーブミラーに写った車がSVの列車を撮影した撮影車でした。
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クリックすると拡大右の小さな写真の川西駅(岩徳線/錦川清流線)には錦川清流線の起点を示す表示がありました。
これで今回の錦川清流線に関わる記事は終了いたします。次に乗る機会か、乗らなくても錦川清流線の列車を撮る機会があった時に掲載したいと思います。
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