ウィーン名物カツレツ [オーストリア]
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前記事でウィーンからドイツ高速鉄道(ICE)でミュンヘンに行ったことを報告いたしました。そのICEに乗るためにウィーン駅に着いたのは11時50分で、さっそくキップを買いました。ミュンヘンへの直通列車は14時25分でした。乗り換えると早い列車はあるのですが、間違えるのが心配なので、直通の14時25分に乗ることにしました。そのおかげで昼食を食べる時間が、たっぷりと出来ました。昼食は有名なウィーン風カツレツと決めており、駅の近くでウィーン風・カツレツを食べされてくれるレストランを探して入りました。これがウィーン風・子牛のカツレツのWiener Schnitzel(ヴィーナー・シュニッツェル)です。
カツレツを拡大いたしました。お店の人にソースはないのかと聞くと、レモンをかけて、テーブルの上の塩と胡椒で食べるように説明されました。日本のトンカツソースがあると美味しいのにと思いましたが、意外と塩が美味しかったです。
この食べ方はビールに合いました。
Wienerはドイツ語読みでヴィーナーなのです。標準ドイツ語でのWの発音は [v] であり、ヴィーナーとなります。
お店に入ると、窓際の一番景色のいいテーブルに案内されました。
列車の発車時間まで2時間近くあったので、ビールを4杯いただきました。たっぷりの時間のおかげでウィーン名物カツレツと美味しいビールを堪能いたしました。
ウィーンでは特大カツレツで最も有名なお店はフィグルミュラー(Figlmiller)です。もともとは、そちらに行く予定のようでしたが、時間はなくなったためウィーン駅の近くでカツレツ(Wiener Schnitzel)の食べれるお店を探しました。
お店の前に、Original Wiener Schnitzel(オリジナル・ヴィーナー・シュニッツェル)と書かれた右のメニューの看板を見つけて、すぐに入りました。
Wiener Schnitzel(ヴィーナー・シュニッツェル)は北イタリアを起源として、15-16世紀ごろにウィーンに伝わったとされたそうです。他の説によると、1857年にヨーゼフ・ラデツキー元帥により伝えられたもいわれています。一般には「子牛のカツレツ」のこととです。薄く切った肉をさらにステーキハンマーで叩き、小麦粉をたっぷりつけ、溶き卵に潜らせパン粉をつけて、やや多めのバターかラードで炒め揚げしたものです。レモンスライスとポテトサラダなどを添えて食べるそうです。
Original Wiener SchnitzelのOriginalには意味があります。本来はWiener Schnitzelには子牛を使っていましたが、最近では豚肉を使っているところが多いそうです。超人気のフィグルミュラー(Figlmiller)店のWiener Schnitzelも豚肉だそうです。Originalは本来の子牛であることを示してくれているのだと思います。価格は13.9ユーロでした。超人気のフィグルミュラー店に行けなかったおかげで、歴史ある子牛のカツレツが食べれたわけです。
店内の様子です。我々だけではなく皆さんも結構、長居をされていました。
レストランの前には、このような趣のある路面電車が走っていました。写真をクリックすると近づいた路面電車を表示します。
ウィーン駅(Wien Westbahnhof 駅)の方から景色です。中央のクリーム色の建物の中に、レストランがありました。
今回のレストラン Le Backo( )の場所を紹介します。右の小さな写真はお店のホームページから拝借させていただきました。
店名 Le Backo
住所 Mariahilfer Straße, 126
電話 +43-1-523-1291
HP http://www.backo.at/
最寄 Wien Westbahnhof 駅
今までに紹介したレストランやカフェの場所を紹介します。着色文字をクリックすると記事を表示します。この時はTechnische Universität Wien(ウィーン工科大学)を訪問し教授と話をするのが目的でした。
Le Backo ウィーン名物カツレツ
Café Sperl ウィンナーコーヒー
Palmenhaus 温室レストラン
Hotel Beethoven 宿泊したホテル 朝食
ウィーンからミュンヘンへのICE [オーストリア]
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ミュンヘンからウィーンは車で移動しましたが、運転してくれたドイツ人とはウィーンで別れたために列車でミュンヘンまで行くことにしました。ここはドイツの高速鉄道ICEが走っているので日本から時刻表を見ることもできます。→ ポチッ
駅に着いたのは12時ごろでした。先ずは昼食の前に切符売場に行きチケットを確保して、食べたかったウィーンカツレツのお店を探しました。たっぷり時間があったので切符売場を探すのにもチケット購入にもウィーンカツレツ専門店を探すのにも余裕がありました。カツレツを食べながらビールもゆっくり楽しめました。
上の14:40発の列車は、我々が乗った列車ではありません。我々の列車は機関車が引くタイプでした。
乗ったのは14時20分発のミュンヘン(München)行きです。有名な観光都市であるザルツブルク(Salzburg)経由と書かれているようです。
出発前に駅を散策してみました。ホームの端まで行ってみました。線路が芸術的でした。5倍ズームで撮っているので近くに見えますが、少し霞んでいるのは、写っている電車まで遠いためです。
これが同じ位置からズームを使わないで撮った写真です。
こちらは同じ位置から駅舎の方も撮りました。ホームがすごく長かったです。この写真でウィーン駅の全体が判ってもらえると思います。
ホームの端に行くまでに職員の人とすれ違ったので写真を撮らせていただきました。
このような貨車も置いてありました。
列車内からの景色は車の時と同様にヨーロッパらしい風景でした。
高速道路の時は少し違う風景でした。建物が多かったような気がします。
しかし不思議なのが200km/hのスピードが出せるのに4時間13分もかかるのか不思議でしたが、200km/hはわずかで、ほとんどが100km/h前後で走っていました。到着駅の時刻表の時間と実際の予定到着時間が表示されているのは便利でした。ミュンヘンには7分遅れの18時40分に着くとのことでした。
さほど急ぐ旅でもないので、日本から持ってきた裂きイカをつまみに社内販売で買ったビールを飲みながら車窓を楽しむことにしました。
まだまたきれいな景色が続きました。是非とも写真をクリックしてみてください。
ミュンヘンに着くまでの間で、見かけた列車を紹介します。
ザルツブルグまでは各座席には満席に近い状態でしたが、観光地として有名なザルツブルグで、ほとんどの人が降りたため、そのあとはこのような状態となりました。
こちらが切符です。2等車です。座席指定はしていないため自由席ですが、実は座席指定も出来ることがわかりました。実際にザルツブルグから乗ってきた3人連れの女性の方に「ここは私たちの席です。」と言われて、移動しました。しかたなく通路を挟んだ横の席に移りました。上のようにガラガラだから、そちらに座ってもらっても、いい気もしましたが気にせずに残りの旅を楽しみました。
地図も表示してくれました。もうすぐミュンヘンです。
画面の一部を拡大しました。
ウィーンにも無人レンタルサイクルがありました。 [オーストリア]
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フランスでよく見かけた無人のレンタルサイクルがウィーンにもありました。フランスで見たのと同じ形の自転車でした。
こちらが操作パネルです。こちらはクレジットカードを使うようです。
公園の中の椰子温室レストランでディナー [オーストリア]
ウィーンのHofburg/王宮の南側に広がるブルクガルテン(Burggarten 王宮庭園)には有名なモーツァルトの像があります。実はディナーで目指したのが、この公園の中にあるレストランなのです。
鉄柵に囲まれた広さ約3.8ヘクタールの公園で、荘厳な王宮を眺めながらくつろげるこの公園は1919年に市民に開放されてからというもの、ウィーン市民の安らぎと憩いの場となっているそうです。
Burggartenの一角にはフリードリヒ・オーマン設計で20世紀初頭(1901年)に建設されたユーゲント・シュティール様式の趣のある.ガラス張りの温室があり、内部にはパルメンハウス(Palmenhaus/)というレストランがあります。Schmetterlinghaus(蝶の家)と呼ばれる熱帯蝶類博物館にもなっています。写真から100年以上歴史のある温室の雰囲気が伝わってきます。
このレストランでディナーをたべました。公園を散策した後にカフェとして利用する人も多いようです。
レストラン(温室)の正面から公園を眺めた景色です。緑の豊かな場所にありました。
公園とレストランの位置関係を紹介しておきます。
温室の中ということもありレストランは天井が高くて開放感が溢れていました。
バーとしても人気があるようです。レストラン・カフェー・バーがそろっていました。ユーロ安のおかげで、お店の雰囲気のわりには安く感じられましたのはうれしかったです。
最初にパテが出てきました。パンにつけて食べました。
ホワイトアスパラです。2人でシェアーしたいと言うと、真ん中に料理が出てきて、お皿を出してもらいました。アスパラは皮をむいてあるけれども、ものすごく太かったです。大きな取り皿を出してくれた理由がわかりました。上に乗っているサラダには花びらも使われていました。なかなか洒落ていました。
ウィーンの生活市場 [オーストリア]
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ウィーンのホテルの近くを朝早く散歩していると市場を見つました。お店の人たちは準備中でした。こちらは野菜屋さんです。
ホワイトアスパラが出始めた時期のため、沢山大きなホワイトアスパラが並んでいました。値段は1kgが9.4ユーロでした。太いホワイトアスパラです。
歩いているうちに、すごく大きな市場であることが判ってきました。歩いても歩いても市場が続いているのでした。
あとでネットの地図を調べて、その大きさに驚きました。この地図を見てもらうと市場のエリアが大きいことが判ってもらえると思います。この大きさと活気を見るとコンビニにドップリと浸かった日本人とは考え方も習慣も違うような気がします。ウィンナーコーヒーの有名なCafé Sperlや泊まったホテルからも近かったです。
ウィーンの朝食 [オーストリア]
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すでに記事で紹介したウィーンのHOTEL BEETHOVENの朝食です。品数は少ないけれどもパンとチーズとハムが充実しているのがヨーロッパですが、こちらのホテルも美味しいチーズとハムとパンがあったので紹介いたします。このホテルでは、上の写真のモッツァレラチーズとトマトが特に輝いていました。もちろんすぐにいただきました。
パンです。どれを食べるか悩んでしまいましたが右上の中から表面が硬いパンを選びました。トースターも趣があります。ジャムやバターも充実していました。
チーズの上にクルミなどのナッツ類が飾られているのが印象的でした。オシャレです。
ハムも悩みますが、こちらはすこしづついただきました。こちらは暖かい玉子料理が評判とネットで書かれていました。確かに「オムレツなどの玉子料理が要りませんか」とホテルの方が聞きにこられました。もちろんいただきました。
ウィーンで泊まったホテル [オーストリア]
これが、我々の泊まったウィーンのホテルです。このホテルはウィーンの某工科大学教授が予約してくれたホテルです。さすが教授の紹介だけのことはありチェックインでのクレジットカードのデポジットは取られませんでした。実は、このホテルは今回同行した日本人の因縁のホテルだったので紹介いたします。
偶然ですが、その人が随分と前に奥さんと一緒に休暇でウィーンに旅行に来たときに泊まったホテルだったのです。名前は同じなのにちょっと違うので確認すると、数年前に内部を全面的に改装したとのことで納得すると同時に、喜ばれていました。ホテルの名前はHOTEL BEETHOVENです。その時は気に入らなくて、すぐに高額のホテルに変わったそうでなので、そのために良く覚えていたそうです。今は、すごくよくなったと話していました。思い出深いホテルだったようです。
1階のチェックインカウンターです。豪華ではありませんがヨーロッパ風の感じです。
アップグレードの部屋に泊めてもらいました。真ん中のかごのようなものはベビーベット兼サークルです。冒頭の写真の入口のコーナー部の4階(ヨーロッパでの表現は3階になります。)のため窓が沢山あり広い部屋でした。出窓の部分に机が置かれていました。
窓からの景色です。窓枠は木製で趣がありました。
2階の食堂は広くてきれいになったと、以前に泊まった人が感激していました。
HOTEL BEETHOVENで検索した地図で、記号のA~Cのマークの位置が泊まったホテルです。CのマークはBのマークの下に隠れています。
本場のウィンナーコーヒーを飲むことが出来ました。 [オーストリア]
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今はドイツの田舎町にいます。5月18日、オーストリアのウィーン(Wien)に行ったときに本場のウィンナーコーヒーを飲むことが出来ました。上の写真が普段、我々がウィンナーコーヒーと呼んでいるものです。もちろんこちらの人の呼び方は違います。ガラスの器ですが暖かいコーヒーです。アイスもありますが、器の形が少し違っていました。
このような由緒あるお店でいただきました。ウィーンの人に紹介してもらったお店ですが、有名なお店のようです。ネットでも沢山出てきました。お店の名前はCafé Sperlです。今から133年前の1880年に開業された老舗のカフェだそうです。
店内の雰囲気もすばらしかったです。窓のそばの席と壁際の席が人気のようです。我々は窓側の席にしてもらいました。
入口に近いところです。
2人で頼むと、こんな感じで出来ます。コーヒーを頼むと水が付いてくるのが、こちら流のようです。
メニューの上から三番目のMelange(メランジェ)が頼んだコーヒーです。値段は3.7ユーロでした。ネットで調べると上から8番目のEinspänner(アインシュペンナー)が、日本のウインナーコーヒーに最も近いとも書かれていました。ウィーンで最もよく飲まれているのは、今回飲んだMelange(メランジェ)だそうです。
お店の前にはSALZBURGERと書かれた、こんな石碑もありました。1982年とECKの文字も読み取れます。
シェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn) [オーストリア]
ミュンヘンからウィーンに車で入って立派な建物がありました。すぐに車内から写真を撮りました。家に帰ってからネットで調べると世界遺産のシェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn)であることが判りました。ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用したそうです。クリックすると横長の拡大写真を表示しますので是非ともみてください。
シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂から西に直線で約5kmの位置にあるます。市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅を下車するとすぐだそうです。庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779年頃から公開されたそうです。建物は、合計1,441室あり、両翼の端から端まで180mあります。正面右側翼には宮廷劇場があります。また、広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという見晴台のような建物があり、ここからは周囲が一望できます。オーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人で、更に公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には670万人が訪れます。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にしました。これをテレジア・イエローと云われています。
でもウィーンには夕方に到着して一泊だけで翌日にはドイツに戻るために、昼には出発したので、残念ながら宮殿の中に入って見ることは出来ませんでした。
大きさを実感するためにGoogleの航空写真(衛星写真)を掲載いたしました。
広い敷地でした。
自転車のマークを探してみました。 [オーストリア]
これらの写真は自転車のマークを意識して撮ったのではありません。ウィーンの街の風景を撮った写真の中から探し出して切り取ったものです。
上の写真は車の進入禁止の標識の下の自転車のマークです。言葉の意味が判りませんが自転車は進入してもいいのかもしれません。写真をクリックすると切り取る前のオリジナルの写真を表示するので見て考えてみてください。 ヒントは地面の矢印です。
このビックリマークはなんでしょう。「歩道の上を走る自転車に注意しましょう。」でしょうか。こちらの写真もクリックするとオリジナルを表示します。
これは判ります。自転車の駐輪場所です。町のあらゆるところに駐輪場所が設置されていました。
この横断歩道は人も自転車も通れるという標識でしょうね。こちらの写真もクリックするとオリジナルを表示します。この写真は是非ともクリックしてみてください。地面に3つ、標識で3つと計6つの自転車のマークを見つけることができると思います。
ウィーン駅の前です。自転車のマークが4つ写っていました。クリックしてオリジナルの写真を表示させると5つの自転車のクークを見ることができます。
こちらもクリックするとオリジナルの写真を表示しますが、簡単にはわからないかもしれません。挑戦してみてください。
こちらの写真だけは自転車のマークを意識して撮りました。街の中を意識して自転車のマークを探すと、もっともっと不思議な表示があるでしょうね。
何でもOKではありません。自転車通行止めの標識もありました。場所はシェーンブルン宮殿の入口でした。
自転車と一緒に旅行 [オーストリア]
ミュンヘンからウィーンに行く高速道路です。自転車を積んだ車が合流してきました。フランスのアヌシーで出会った自転車野郎を思い出しました。→ポチッ
その車が我々の車の前に入りました。
我々の車が追い抜く時に撮りました。車はBMWでした。この写真はクリックすると拡大します。どうやら、ご夫婦のようです。
ヨーロッパは自転車大国です。高速道路を走っていても、この車だけでなく自転車を積んだ車を頻繁に見かけました。
対向車線の写真を撮っていると自転車を乗せた車が写っていました。こちらの車もBMWでした。なぜか自転車を乗せた車はBMWが多かったです。
自転車を積んだキャンピングカーも多かったです。ウィーンに着くまでの間に自転車を積んだ車を10台以上見かけました。日本でも自転車を屋根に積んだ車を時々見かけますが一日に10台以上も見れるのはヨーロッパならではでしょうね。
ウィーンの街中の風景です。こんなスタイルで走っている人を沢山見かけました。
1800年代の地下鉄の駅舎 [オーストリア]
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高速道路でドイツのミュンヘンからオーストリアのウィーンに車で入って最初に目についたのが、今回報告の地下鉄の駅舎です。ウィーンの町に入って古めかしい駅舎らしいものがいくつもありました。これはその一つを車の中から撮ったものです。拡大してよく見ると「OBER ST. VEIT」と言う文字が読み取れました。ネットで調べてみるとOtto Wagner(オットー・ヴァーグナー)の1897-1898年作だそうです。地下鉄U4の駅舎の一つOBER ST. VEIT駅です。つまり1898年に歴史的な開業となったシュタットバーン(都市鉄道)の駅である上に、開業当初のままの駅舎なのです。シュタットバーンは高架と掘割走る都市鉄道のことです。その1898年開業したシュタットバーンは1976年に一部を地下鉄化してU4線となりましたが駅舎に関しては開業当初のままなのです。つまり115年前の駅舎なのです。
これは別の駅で翌日の朝の散歩の時に撮りました。地下鉄と言っても、この場所は写真のように駅の上はオープンの状態でした。駅名はわかりませんが、こちらの駅も古いものであることはわかりました。
地図で調べてみるとKettenbrückengasse駅(ケッテンブリュッセンガッセ駅)で設計者は同じOtto Wagner(オットー・ヴァーグナー)で、竣工は1899年と考えられています。
そのケッテンブリュッセンガッセ駅を拡大いたしました。100年以上経つ駅を大切に使い続けるのがヨーロッパなのです。右の写真はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikimedia)から拝借したケッテンブリュッセンガッセ駅舎の入口側の写真です。
Googleの航空写真です。右よりの緑の屋根の四角い建物がKettenbrückengasse駅舎です。細長いホームの上の緑の屋根も印象的です。右の写真はWikimediaに掲載されていた1977年のホームの写真です。このころは屋根の色は緑色ではなかったようです。航空写真上のマイナスアイコンを数回クリックするとウィーンの町の中の、この駅の位置が特定できると思います。
道路の左側に沿って地下鉄が走っていましたが、それを跨ぐ別の路線の鉄橋も趣がありました。宣伝と思われるHENKELL TROCKENの文字も古そうです。
地下鉄が世界で最初に開業したのはロンドン(パディントン駅~ファリンドン駅)の1863年1月10日です。その他の国での地下鉄開業はトルコ1875年(2番目)、ハンガリー1875年(3番目)、フランス1900年、ドイツ1902年、アメリカ1904年、アルゼンチン1913年、スペイン1919年、ロシア1935年、カナダ1954年、メキシコ1969年、中国1969年、北朝鮮1973年、韓国1974年、ブラジル1974年、オーストリア1976年、ベルギー1976年、オランダ1977年、インド1984年、シンガポール1987年、エジプト1987年、台湾1996年、タイ2004年、ドミニカ2009年、アルジェリア2011年、などです。
ちなみに日本の地下鉄は東京(上野~浅草)が1927年12月30日に開業し、大阪(梅田~心斎橋)が1933年5月30日に開業しました。
国境のサービスエリアからの風景 [オーストリア]
ミュンヘンからウィーンまでの450kmを車で走りました。すでに車窓からの写真を紹介しています。ドイツとオーストリアの国境に近い高速道路のサービスエリアに休憩のため停車しました。そのサービスエリアからの写真もを紹介いたします。南東方向のベルンハウプテン(Bemhaupten)と言う村の景色です。
上の写真の左側の教会を中心に拡大しました。移動中は車の振動などでクリアーな写真は難しいため貴重な停車中の写真です。
サービスエリアから南西の方向には雪の残った高い山がありました。
上の写真で遠くに写っている山は形から有名な山だと思うので拡大して掲載いたします。後で名前を調べます。
サービスエリアのレストランはきれいな景色が見れる展望レストランでした。その中でも景色の最もきれいなテーブルで若い女の子達が景色を楽しんでいました。
この車でミュンヘンからウィーンまで走りました。
サービスエリアから出発します。このあと15分ほど走ると、1965年の映画サウンド・オブ・ミュージックの舞台となったザルツブルク(Salzburg)です。ザルツブルクは、モーツァルトが1756年に誕生してから25歳まで住んだことでも有名なきれいな町です。
ネットで場所を探し当てました。その航空写真を掲載いたします。ベルンハウプテン(Bemhaupten)と言う村の近くのSAでした。
オーバーサイズ [オーストリア]
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日本では規制が厳しくなって大きなサイズの荷物を運ぶのが難しくなってきましたが、ヨーロッパは高速道路の幅が広いので大きなサイズの荷物を高速道路で運んでいるところをよく見ました。ミュンヘンとウィーンの間の高速道路を走ったときに撮りました。
写真で確認すると貨物の幅はちょうど荷台の2倍でした。トラックの荷台の幅が日本並みとすると貨物は5m幅なので、5m以上の幅の貨物だと思われます。
前にに1台、後ろに2台の車が付いて運んでいました。クリックすると上を走っている先導車がわかると思います。貨物の左端が追越し車線に出っ張らないような位置を走行しているのが印象的でした。
こちらは重量物のようです。やはり車が付いて運んでいました。このように先導車が付いて運んでいるところを4時間程度のドライブの間に見たということは、大型のものを高速道路で頻繁に運んでいるのだと感じました。
オーストリアにも沢山の風力発電 [オーストリア]
ヨーロッパは風車発電が盛んです。特にドイツとスペインは多いです。オーストリアにもありました。どの程度設置しているか調べてみないと判りませんが、積極的であると書かれていました。高速道路を走っている時にウィーン近くに沢山見かけました。丘の上で風が強くて勢いよく回っていました。上の写真はその時の写真です。
動画でも撮ったのでYouTubeに登録いたしました。車で走りながらの映像です。
YouTubeでが見れないLAN環境や国の方のためにSo-netにも登録いたしました。
ダウンロードは🎥こちら
動画に写っていた風車の写真です。小さく見えますが、かなり大型のもののようです。遠近感が判らないけれども左の写真のタワーの根元のトラックや右の写真のタワーの根元の木の高さと比べもかなりの大きさの風車のようです。出力7580kWで羽の直径が126mクラスのもの、あるいは羽の直径が112mクラスの可能性が高そうです。下の写真をクリックすると2枚の写真を切り取った、元の写真(3基が写っている)
を表示します。
ネット(You Tube)上で126mの直径の羽の風車の動画があったので掲載しておきます。今回、見た風車と類似しています。少なくとも同じドイツのメーカーの風力発電のようです。
ヨーロッパは昼間でもライトをつけて走ります。 [オーストリア]
ヨーロッパでは常時ライトを点灯することを義務付けている国がいくつかあります。どの国が義務付けているのか調べきれていませんが、義務づけられていない国でも、ほとんどの車が昼間でも点灯して走っていました。
これらの写真はミュンヘンからウィーンに高速道路で移動したときのものです。
点灯していない車も時々見かけますが、義務付けている国ではエンジンをかけると日本のバイクのように連動してランプが点灯するために消灯できない車も沢山あると聞きました。本題とは関係ありませんが風力発電用風車が写っています。
もちろん街中でも点灯した車がほとんどでした。ここはウィーンの街中です。
馬と一緒に旅行 [オーストリア]
ミュンヘンからウィーンまでの高速道路で自転車を乗せた車を沢山見たことを報告させていただきましたが、馬を乗せた車も見かけました。写真をクリックすると拡大するのでわかりやすいと思います。乗用車で牽引しているので個人で乗るための馬だと思います。気がついただけで、ウィーン着くまでに同じ方向だけで2台見かけました。反対車線の車は、すれ違って後ろを見ないとわからないので、実際にはかなりの人が馬と一緒に旅行をしていると感じられました。自転車だけなく馬も一緒に旅をする人が沢山いることには驚かされました。
後ろの扉に、さりげなく馬のシルエットが描かれているのが洒落ています。
防音壁は木製 [オーストリア]
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ドイツのミュンヘンからオーストリアのウィーンに高速道路を使って行きました。オーストリアに入ってからは高速道路の両側に防音壁が取りつけられていました。驚いたことにほとんどの防音壁が木製でした。いろんな形状の防音壁が使われていました。上の防音壁は竹かごのように木を編んだ防音壁と別のデザインの防音壁の組み合わせです。上の写真はクリックすると編んだ木が実感できると思います。
こちらは編んだ防音壁で統一されていました。沢山の木も高速道路の両脇に植えられていました。おかげで景色を撮れるチャンスが圧倒的に減ってしまったのは残念でした。
これも、また別のタイプの木の防音壁ですが吸音効果を高めるために、でこぼこになっているのでしょうね。
これだけ、木の防音壁が並ぶと壮観です。ここでは中央分離帯部分にも防音壁が設置されていました。少しでも音を吸収する配慮ですね。
ミュンヘンからウィーンへの高速道路の風景 [オーストリア]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ドイツのミュンヘンから高速道路を車で走ってオーストリアのウィーンへ入りました。ミュンヘンから東に450kmの距離で約4時間のドライブでしたが、素晴らしい景色が続くので車からの景色を順番に紹介いたします。ミュンヘンの町を出て30分程度、走ると緑豊な景色に変わってきます。この後の写真は家が写ったものが多いと思いますが家がある方が珍しいのです。つまり、このような景色が続くわけです。
牧草地帯でところどころに趣のある家が点在しています。
この地図の赤い線が今回走った高速道路です。クリックすると拡大するので地名が読みやすいと思います。ウィーンがミュンヘンの真東にあることも判ってもらえたと思います。
この時期は沢山の花が咲いていました。大きな村の近くも通ります。
牧場の家は大きいです。
この車でミュンヘンからウィーンまで走りました。
このあたりでミュンヘンから40分くらいの距離です。
教会も沢山ありました。この形のオーストリアでは沢山見かけました。クリックして拡大した美しい教会を是非とも見てください。
牛のいる景色も絵になります。小さな村には教会が建っています。この近隣を舞台にミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)が作られ1965年に公開されました。サウンド・オブ・ミュージックは1938年のナチス党政権下のドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦の前夜から始まる物語です。
主人公のマリアは修道女見習で、おてんばで、いつもまわりの修道女にたしなめられていました。
ある日、院長に、オーストリア・ハンガリー帝国海軍の退役軍人であるトラップ大佐の7人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、大佐宅へ向かう《I Have Confidence in Me「自信を持って」》ところからはじまります。
標高は500m程度でゆっくりと登り下りが続きます。
牧草地帯ですが、少しづつ山の景色が増えてきます。徐々に映画サウンド・オブ・ミュージックの世界に入ってきました。
独特の家々が建っていました。
丘の斜面にに家が建っていました。
木材がたくさん置かれています。
同じような風景が続きます。このあたりがザルツブルク(Salzburg)です。残念ながらザルツブルクの近くでは高速道路の両脇に防音壁が建てられているために写真を撮ることができませんでした。ザルツブルクの都市名の語源はザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意だそうです。15キロほど南のバート・デュルンベルクで産出される岩塩をハライン (Hallein) 市において製塩し、大司教から特権を与えられたラウフェン(Laufen)の船乗りたちがハラインからザルツァッハ川(Salzach)を通じてヨーロッパ各地に送っていたそうです。塩の積載量に応じた通行税をこの地の大司教が財源にしていた。このためデュルンベルクの塩が地名の語源と誤解されています。しかしドイツ語のザルツブルクの名が史料に初めて登場するのは755年頃成立した『聖ボニファティウス伝』においてである。当時のサルツブルクの司教はバイエルン公よりライヒェンハル(現ドイツ領)の塩泉および塩釜の利益の一部を与えられ、それを布教の財源としていたそうです。よって地名の直接の由来となったのはライヒェンハルの塩であると考えられていまする。
大きな高い山が現れてきました。オーストリア領に入りました。このあたりからウィーンまだ300kmあります。ザルツブルクからウィーンまでの間も、人の住んでいるところでは防音壁が立ち並んでいたために写真はあまり撮れませんでした。
オーストリアの田舎の風景です。
高い山が、次から次へと現れました。
前方にもきれいな景色が現れてきました。
ウィーンに近づくと起伏がが少なくなってきます。
なだらかな丘が続きました。
城のような建物も時々見受けられました。