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浜宿の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大千葉県香取市佐原で2018年7月13日~15日に行われた「佐原の大祭」の7月14日(土曜日)の18時30分から20時まで、10台の山車(だし)の連続「の字廻し」が行われ、今までに4つの山車の「のの字廻し」を紹介いたしました。今までに紹介した山車は上仲町荒久本川岸八日市場です。八日市場の次は浜宿の山車でした。本記事では5番目の浜宿の山車の「のの字廻し」を紹介いたします。浜宿のあとは寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の順番に行われました。浜宿の山車の上に乗っている飾り物は武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。武甕槌命は日本神話に登場する神で、雷神かつ剣の神とされています。クリックすると拡大右上の図をクリックすると佐原の大祭のパンフレットの中の詳細スケジュールを表示します。上の写真は寺宿通りに並ぶために細い路地から寺宿通りに入ってくるところです。浜宿の山車だけ沢山の紙が貼られていました。紙には寄付した人の名前と金額が書かれていました。

寺宿通りの定位置について「のの字廻し」の準備のために寄付金の紙を外しているところです。18時が近づくと提灯を取り付けて明かりを入れます。
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浜宿の山車の前に鯉の飾りの八日市場の山車が並んでいます。その前に女性の神である天鈿女命の飾りの本川岸の山車が並び、その前に経津主命が飾られた荒久の山車が並び、その前に太田道灌の飾りの上仲町の山車が並んでいます。写真をクリックすると確認出来ると思います。
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八日市場の山車の「のの字廻し」が終わると浜宿の山車が入ってきました。浜宿は周りを取り囲む女性陣が多かったように感じました。
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のの字廻しの位置決めをしているところです。前輪右側に差し込んだ棒を中心に右回転させます。
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のの字廻しは5回転(約3分30秒)行われます。その中の28秒間の動画を紹介します。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。他の地区と、また違った雰囲気を感じてもらえると思います。またお囃子や掛け声も聞くことが出来ると思います。


アニメーションGIFでも紹介します。連写した写真を連続で表示させています。
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上でも紹介した通り応援がすごかったので、その雰囲気を紹介するために何枚か写真を掲載いたします。
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女性陣は扇子で。男性陣は提灯で掛け声をかけながら応援していました。3枚連続で同じ角度の主審を紹介します。
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これは2枚目です。
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こちらは3枚目でする
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左側の方も紹介します。女性陣が多いのが分かってもらえると思います。
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元の角度の写真に戻しました。
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山車を回転させる若連の人達です。一番体力を使う仕事だと思います。
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若連の頑張りをアニメーションGIFでも紹介します。
クリックすると拡大した静止画を表示します。
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63枚を連写で撮りましたが掲載出来るのはファイル容量が2MBまでのために477x318ピクセルの画面では約20枚しか連続表示できないのです。上のGIFは63枚の前半の21枚で、下のGIFは後半の19枚です。したがって63枚の全GIFを小さな画面で右に紹介します。こちらもクリックするとそれぞれ別の拡大した静止画をクリックすると拡大表示します。
それぞのGIFの容量は次の通りです。
 上:1.99MB 21枚 幅:477pixel
 右:0.82MB 63枚 幅:150pixel
 下:1.97MB 19枚 幅:477pixel
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こちらが上のGIFをクリックして出てくる3つの静止画(写真)です。
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廻り終わって交差点から出ていくところです。
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のの字廻しの車輪の後がくっきりと残っています。浜宿の山車が終わって丁度半分(10台中5台)が終わりました。この時、19時10分でした。
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佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :平成09年(1997年)
 ② 飾り物の制作年/作者:昭和12年(1937年)/鼠屋
 ③ 額の文字      :柔和(にゅうわ)
 ④ 一口メモ      :山車彫刻は嘉永元年から四年間かけて制作され
              たもの。
 ⑤ 担当の下座連    :与倉芸座連
 ⑥ 地区        :浜宿(はまじゅく)
 ⑦ 飾り物       :武甕槌命(たけみかづちのみこと) 
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八日市場の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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千葉県香取市佐原で2018年7月13日~15日に行われた「佐原の大祭」の7月14日(土曜日)の18時30分から20時まで、10台の山車(だし)の連続「の字廻し」が行われ、運よく最前列で見ることが出来ました。寺宿通りに並んだ上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の順番に行われ、上仲町と荒久と本川岸の3つの山車の「の字廻し」はすでに紹介いたしました。クリックすると拡大今回は4番目の八日市場(ようかいちば)の山車の「の字廻し」を紹介したいと思います。山車の上に乗っている飾り物はほとんどが江戸の有名な人形師が作った人形なのに対して、八日市場の飾り物は麦わらで作られた鯉(こい)なのです。古文書の記述より最初に麦わらの鯉が作られたのは約200年前の文政年間(1818~1830年)だそうです。驚いたことに鯉の制作方法が伝承続けられていて5年ごとに町内の人達で更新されていることでした。現在の鯉は平成26年(2014年)に作られたものだそうです。右の図をクリックすると佐原の大祭のパンフレットの中の詳細スケジュールを表示します。

その麦わらの鯉のすばらしい出来栄えを見ていただきたくて頭部の写真を掲載いたしました。鯉の口は動くようになっていました。
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17時前までに寺宿通りに山車が並べるためにいろんな方向から10台の山車が集まってきました。八日市場の山車は細い路地から寺宿通りに入ってきました。その路地から曲がって寺宿通りに並ぶ瞬間の動画を紹介します。本動画は頭から2分28秒の最も迫力のある時点からスタートするように設定しています。動画は寺宿通りの北方向から南に向かって路地との曲がり角を撮っています。


18時には灯籠に灯が入り入り、18時30分から上仲町→荒久→本川岸と「の字廻し」が行われ4番目の八日市場の山車が動き始めたのは18時50分でした。
我々が見ていた場所からのGoogleストリートビューも紹介します。→ポチッ
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の字廻しが行われる交差点に近づいてきました。ちなみに八日市場区は約250世帯だそうです。
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さらに近づいてきました。
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上の写真を拡大いたしました。
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さらに拡大いたしました。麦わらの鯉の口が開いているのが分かってもらえると思います。口の中から開閉するための細いひもが出ています。
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位置に着く直前です。こちらでは口は閉じています。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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位置に着くと「の字廻し」が始まりました。
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上仲町と本川岸の記事では始まるところから終わるまでの6分47秒(上仲町)と5分36秒(本川岸)の動画を紹介しましたが本動画は一部だけで2分50秒です。口が開いたり閉まったりするのも判ってもらえると思います。


の字廻し中の麦わらの鯉を紹介します。大鯉と呼ばれる麦わらの鯉は、長さが3.5m前後の山車よりも遥かに長い6.65mで、高さも1.68mあるそうです。内部は竹の骨組みが入っています。
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やはり若連の人達の頑張りを紹介したくなります。3連続の写真で紹介します。
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この角度の写真が一番迫力があると思いませんか。
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我々の目の前を過ぎたところの写真です。
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動画でも若連の人達の頑張りを紹介したいと思います。


写真の中の右側の2本の棒の手前側の棒を中心に廻していました。
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男性陣は提灯で掛け声をかけているのに対して女性陣は日の丸の扇子で掛け声をかけて応援していました。白い浴衣の女性と法被(はっぴ)の女性がおられました。ヘッドホンをつけている人はテレビ局の音声さん(音声収録担当)です。
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女性陣の応援を動画でも紹介します。白い浴衣の女性陣の応援はピッタリと息があっていることが判ってもらえると思います。


のの字廻しが終わった瞬間です。
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西方向に退場して八日市場の「の字廻し」が終わりました。
車輪の回転跡が鮮やかに残っています。
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佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治29年(1896年)
 ② 飾り物の初制作年  :文政年間(1818~1830年) 古文書の記述より
 ③ 額の文字      :龍の彫刻
 ④ 一口メモ      :飾り物の鯉は、麦わらを使い、町内全員の協力で
              5年ごとに制作。今の鯉は平成26年の作。
 ⑤ 担当の下座連    :内野下座連
 ⑥ 地区        :八日市場(ようかいちば)
 ⑦ 飾り物       :鯉(こい) 
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大鯉と呼ばれている八日市場の鯉の飾り物に関する記述を紹介します。本内容は香取市の広報誌(広報かとり)の2014年の記事「大鯉が生まれ変わる/佐原の大祭夏祭り」から転用させていただきました。麦わらだけでなくイネ科マコモ属の真菰(まこも)も一部の装飾(エラや口ひげなど)に使われているようです。
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その記事の中に制作手順の写真が掲載されていたので紹介します。制作期間は約2ケ月だったそうです。この時の作業は町内の役員などや当役・若連が総出で行なわれたそうです。平日は仕事をしているため、都合のつきやすい週末が中心となったそうです。工程は大きく、骨組みの組み立て→麦わらの皮むき→表面の縫い付け→装飾の制作→取り付けの順で進められたそうです。古い図面も残っていますが、各部所の細かな制作や取り付けなどのノウハウは、10回ほど大鯉づくりを経験されている右の写真の玉造忠さんなどの経験者の指導の下の実体験を通して若い世代に伝えられていようです。2014年5月3日の仕事始めでは杉の丸太に板を組ませて骨組みを作り() 、制作の成功を祈念する神事()を行ったそうです。


クリックすると拡大大鯉を作る作業風景の一枚です。全身を覆う表面やうろこに使う麦わらは新潟県から取り寄せ、鯉の見栄えを左右する麦わらは、節毎の表皮を手で剥き、中のきれいな部分を使用するという非常に手間な作業によって出来上がるとのことです。
こちらも右の写真の「広報かとり」のNo.199 平成26年7月1日号から転用させていただきました。右の写真をクリックすると全文一括版(PDF:6,349KB 全12頁)を表示します。


広報誌「広報かとり」に取り上げられた2014年の制作過程記録写真のスライド動画が掲載されていたので紹介します。材料の使用先は次の通りであることが判りました。
 木材     骨格
 竹      表面整形材
 簟(むしろ)   下地
 大麦     表面 鱗
 真菰(まこも)  髭(ひげ) 側線 他 


2007年の大鯉の制作の動画がYouTubeに掲載されていたので紹介します。この時は大鯉の骨組みは前のものが使われたようです。上のスライド動画と一緒に見ると効率的です。

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本川岸の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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千葉県香取市佐原で2018年7月13日~15日に行われた「佐原の大祭」の7月14日(土曜日)の18時30分から20時まで、10台の山車(だし)の連続「の字廻し」が行われ、運よく最前列で見ることが出来ました。寺宿通りに並んだ上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の順番に行われ、上仲町と荒久の「の字廻し」はすでに紹介いたしました。今回は3番目の本川岸(ほんがし)の山車の「の字廻し」を紹介したいと思います。本川岸の山車の「の字廻し」に関しては最初から最後までのフルの動画を撮りました。クリックすると拡大クリックすると拡大フルの動画を撮ったのは10台の内の3台だけなので是非とも見てもらいたいと思います。3台しかフルの動画を撮らなかったのはカメラの電池容量に不安があったからです。右の図をクリックすると佐原の大祭のパンフレットの中の詳細スケジュールを表示します。上仲町の「の字廻し」は回転させる位置に着いたとたんに廻し始めましたが、本川岸は位置に着いてから回転が始まるまで42秒間かかったので少し長めの動画になっております。途中をカットしようかとも思いましたがせっかくのフル動画なのでそのまま掲載させていただきました。

2番目の荒久の「の字廻し」が終わって荒久の人達が退場すると、背中に「天細女命」と書かれた浴衣を着た人たちが入場してきて周りを囲みました。通りの向かいに青色の浴衣の4人の背中にも「天細女命」とかかれています。「天細女命」の浴衣を着ていたのは全員ではなく比較的年配の人だったので、本川岸地区の古役(こやく)あるいは当役(とうやく)の人達のように感じました。当役(とうやく)より若い人が若連(わかれん)です。周囲のあちらこちらから、「天細女命」はなんと読むのだらという声が聞こえました。「天細女命」は「あめのうずめのみこと」と読み、日本神話に登場する神です。「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子だそうです。実は本川岸の山車の飾り物の人形が「天細女命」だったのです。
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寺宿通りに並んだ本川岸地区の山車です。寺宿通りに先頭から上仲町荒久、本川岸、八日市場、浜宿、寺宿、他宿、仁井宿、船戸、下仲町と並び、前から3番目が本川岸の山車でした。
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人形を拡大いたしました。日本書紀(720年)では天鈿女命と書かれていますが、古事記(712年)では天宇受賣命と書かれているそうです。
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人形を下げた時の状態です。低い電線のある道路も行くことが出来るように考えられた工夫です。他の山車にも同じ工夫がされていました。
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本川岸の山車の説明板が置かれていました。パンフレットでは制作は明治15年と書かれていましたが本説明板では明治16年となっていました。重量は4.1トンなので乘っているお囃子の人達の体重や飾り物の重量を入れると5トン近くになると思われます。
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 高さ 十四尺 4.2m
 正面  九尺 2.3m
 奥行 十一尺 3.3m  
 重量 千百貫 4.1トン
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本川岸の山車が入ってくるところです。動画はコンデシを高く掲げで撮っているので同時に写真は撮れないのです。大きな一眼レフのカメラ(Canon 5D)は家内に渡して写真撮影は任せました。それだけでは足らないので動画から加工して写真にいたしました。こちらは動画から加工した写真です。
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徐々に「の字廻し」が行われる交差点に近づいてきました。こちらは家内が一眼レフで撮った写真です。目線が低い写真が家内の撮った写真で、少し高い位置からの写真が動画からの加工写真です。
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山車が交差点に入ってきました。
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回転位置に来て、回転が始まった瞬間です。香取街道方向に沈む太陽が見えます。丁度、太陽が沈む時刻でした。
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若連衆の頑張っている写真を3連連続で紹介します。回す棒が見物客に最も近づく部分ですれすれを廻っていきます。
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我々の方に廻ってきました。
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1回転目なので若連の人達も、まだ余裕は残っているように感じました。
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若連の人達の動画も紹介します。冒頭の動画から切り取りました。


クリックすると拡大山車が廻っている最中の天細女命です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に隠れて世界が暗闇になったとき、エロティックな動作の舞を天岩戸の前で踊って、天照大神に戸を少し開けさせたのが天細女命(あめのうずめのみこと)だったのです。この神話を思い出した方も多いと思います。天岩戸の前のエロティックな舞の詳細に関しては、ちょっと書きずらいので古事記の記載を読んでいただきたいと思います。
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大祭では子供たちも主役です。扇子を振って盛り上げてくれています。
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もちろん女性陣も祭の花でした。
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冒頭の動画から女性陣の部分を抜粋した動画を紹介します。


テレビ局の人だけは中での撮影が許されていました。一緒に回りながら撮影されていました。佐原の大祭は夏祭り(7月・本宿祇園祭)と秋祭り(10月・新宿秋祭り)の年2回行われています。それぞれ神社も違い山車(だし)も違いそれを担当する地区も違うのです。佐原(さはら)の中を流れる小野川の東側が夏祭り地区で、西側が秋祭り地区になります。
 夏祭り 八坂神社 山車10台 金曜~日曜日(7月10日以降)
 秋祭り 諏訪神社 山車14台 金曜~日曜日(10月第2土曜日)
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終盤になると若連の人達も全員が力を出すために眼をつぶっている状況でした。上仲町の時と同様に回転時間を調べてみました。倍の数値は1回目に対するかかった時間の比率です。上仲町に比べると1周目は2倍の時間を要していますが安定したスピードで廻っており、5回転合計は232秒(本川岸)≒216秒(上仲町)と上仲町と似た数値となっています。着色文字をクリックするとその回転が始まるところからの動画を表示します。
 1回転目 41秒(360°) 1.00として
 2回転目 48秒(360°) 1.17倍
 3回転目 49秒(360°) 1.20倍
 4回転目 51秒(360°) 1.24倍
 5回転目 43秒(330°) 1.14倍 合計232秒(3分52秒) 平均47.2秒/回転
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終了して西に向かっているところです。沈みかけた太陽がまだ残っていました。
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完全に会場から出たところです。
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佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治15月年(1882年)
 ② 飾り物の制作年/作者:文化元年(1804年)/鼠屋五兵衛(戦後大修復)
 ③ 額の文字      :咲樂(しょうらく)
 ④ 一口メモ      :江戸の人形師鼠屋の銘が御頭内部に確認された。
              通称おかめさんは現存最古の飾り物と判明。
 ⑤ 担当の下座連    :新和下座連
 ⑥ 地区        :本川岸(ほんがし)
 ⑦ 飾り物       :天細女命(あめのうずめのみこと) 
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荒久の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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2018年7月14日の佐原の大祭で18時半から10台の山車(だし)が順番に行こなう「のの字廻し」の1番目の「のの字廻し」はすでに紹介した上仲町の山車で、2番目が今回紹介する荒久(あらく)地区の山車でした。上の写真は10台の山車が並べられていた寺宿通りから、荒久(あらく)の山車が入ってくるところです。

荒久の山車に乗せられている人形は日本神話に登場する経津主命(ふつぬしのみこと)です。日本書紀などでは経津主神の呼名で出てきて、香取さまとも呼ばれ、近くの香取神宮で祀られています。
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のの字廻しが行われる交差点の中心近くに進んできました。
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10台の全ての動画を撮りたかったのですが、1台6分づつ撮るとデジカメがすぐに電池切れになることから荒久の山車の動画は撮りませんでした。
その代り、連写で撮った写真をアニメーションGIFにいたしました。掲載できる写真の制限は2MBなので4~5秒程度の動きしか紹介出来ないのが残念です。このアニメーションは実際のスピードに近いものにしております。のの字廻しで最も回転が速かったのが、この荒久の山車だったと思います。名前の通り10台の山車の中で最も荒いとも言われているそうです。以前のことですが回転が速すぎてお囃子の人が落ちたこともあったそうです。
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1画面を静止画でも紹介します。
地方により山車、曳山、山鉾、山笠、地車、祭車、御車、笠鉾、お笠、屋台、台楽などいろんな呼び方があるのに驚かされます。私が子供の頃に住んでいた神戸の東灘区岡本の祭で曳いていたのは地車(だんじり)でした。
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荒久区の山車は2018年5月に更新されたばかりです。その前の山車は90年走り、佐原の大祭最終日の翌日の2017年7月17日(月曜 海の日)に勝徳寺において地元住民の前で最後の「のの字廻し」を披露したのち、八坂神社で解体安全祈願が行われたそうです。飾りの彫刻の飾りなどは昔からのものが使われているようです。人形は1920年に更新されたそうです。三代目・安本亀八の作だそうです。
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若連の人達です。この人たちが山車を回転させているのです。佐原囃子(さわらばやし)を演奏している下座連(げざれん)は野田芸座連だそうてす。
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さらに加勢して押している人たちも沢山おられました。
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若連の人達の連写も紹介いたします。477x318ピクセルの画面では20枚までなので紹介出来る画面は僅かです。
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クリックすると拡大上の続きはこちらです。こちらも20画面のみですが雰囲気を感じていただければ幸いです。連写した約15秒間を紹介するために右の小さな画面のGIFを作りました。クリックすると下と同じサイズを表示しますが70%の画面を飛ばして20枚のGIFです。
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クリックすると拡大クリックすると拡大寺宿通りに並んだ荒久地区の山車です。16時30分の時点ではすでに寺宿通りに並んでいました。17時頃にはすべての山車が寺宿通りに並ぶと佐原駅でもらったパンフレットに書かれていました。前から2番目なので早めに並んだのだと思います。上の写真に比べて背が高いと思われのせんか。電線の下を潜るために人形は上下に動く仕掛けになっているのです。先頭から上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町と並びます。
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佐原の町の中を曳き廻し中は「のの字廻り」の時よりもさらに人形は低くなっていました。
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佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :平成30年5月(2018年5月)更新
 ② 飾り物の制作年/作者:大正09年(1920年)/三代目・安本亀八
 ③ 額の文字      :威徳(いとく)
 ④ 一口メモ      :飾り物は香取神宮の祭神。彫り物も立派で、
              特に方立(柱隠し)は優れている。
 ⑤ 担当の下座連    :野田芸座連
 ⑥ 地区        :荒久(あらく)
 ⑦ 飾り物       :経津主命(ふつぬしのみこと) 
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上仲町の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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2018年7月14日(土曜日)に千葉県香取市で行われている「佐原の大祭(さわらのたいさい)」を見に行ってきました。今回見て来た佐原の大祭で行われている山車の行事は国の重要無形民俗文化財に指定されているだけでなく、2016年12月1日にはユネスコの無形文化財となった日本全国の「山・鉾・屋台行事」の中に含まれているのです。つまり世界遺産の無形文化財でもあるのです。佐原の大祭は夏祭り(7月・本宿祇園祭)と秋祭り(10月・新宿秋祭り)の年2回行われています。それぞれ神社も違い山車(だし)も違いそれを担当する地区も違うのです。佐原(さはら)の中を流れる小野川の東側が夏祭り地区で、西側が秋祭り地区になります。
 夏祭り 八坂神社 山車10台 金曜~日曜日(7月10日以降)
 秋祭り 諏訪神社 山車14台 金曜~日曜日(10月第2土曜日)
今回は夏祭りを見に行ったわけですが、最大のビックイベントが、同じ場所で10台の山車が順番に「のの字廻し」と呼ばれている迫力の曲曳きを行うことです。この「のの字廻し」を見るために1時間15分前の17時15分に場所取りをいたしました。10の山車の「のの字廻し」の全てを見て動画や写真を撮りました。本記事では最初に「のの字廻し」を行った上仲町の山車を紹介いたします。18時30分から始まり10の山車の「のの字廻し」が終わったのは20時だったので平均で9分ごとに行われたことになります。上の動画は入場してきて終わるまですべてを連続で撮った動画です。6分47秒の動画ですが是非とも見てほしいです。一か所で全ての山車が連続で「のの字廻し」を行うのは夏祭りの特徴のようです。

今回の「のの字廻し」香取街道と寺宿通りの交差点(十字路)で行われます。「のの字廻し」が行われる18時30分の1時間半前までに10台が寺宿通りに勢ぞろいするのです。10台の山車が並んだのを見てから場所取りに香取街道と寺宿通りの交差点に行ったので17時15分だったのです。実は我々が最後で2時間から3時間前から場所取りをしている人が大半だったので、上の動画を撮影できたのは非常にラッキーだったのです。クリックすると3日間の祭りのスケジュールを表示します。連続10台の「のの字廻し」は土曜日だけです。土曜日以外も任意で「のの字廻し」が行われているので見ることが出来ます。その時の方が人が少ないので見やすいかもしれません。
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寺宿通りに並んだ山車です。先頭が今回紹介する上仲町の山車です。との人形も高く立っていますが、移動中は電線に当たらないように上下に移動できるような仕掛けがあるのです。先頭から上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の山車です。
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こちらが「のの字廻し」が行われる1時間15分前の17時15分の写真です。交差点の中心の円形のすじは前日に行われた「のの字廻し」の跡だと思われます。
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交差点から西方向の香取街道です。この時点では、まだ通行は可能でした。
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千葉テレビの撮影スタッフの人達も集まりました。
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水をまき始めました。少しでも廻しやすいようにしているのだと思いますが、最初の3台目以降は乾いてしまっていました。
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15分前になるとかなりの人になってきました。予定表を見ると、丁度このころに10台の山車の前では通し砂切(とおしさんぎり)が演奏されていたのだと思います。
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10分前の18時19分の香取街道の東方向です。我々が見ていた背中側の景色でもあります。この写真で我々がラッキーだったことが分かってもらえると思います。最前列かそれに近くないと、山車の上の方しか見ることが出来ないのです。ユネスコの無形文化財に登録されて2度目の夏祭りです。


交差点から北方向の状態です。


いよいよ「のの字廻し」が始まる雰囲気になってきました。
佐原の大祭は、江戸の祭礼文化の影響で享保年間(1716年~1736年)には山車と囃子を中心とする祭礼が行われるようになったそうです。当初の飾り物は、それぞれの町内で趣向を凝らして製作していましたが、近世末期に関戸区の山車に大人形が乗せられたのをきっかけに、江戸の人形職人に飾り物の製作を依頼するようになったそうです。
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すぐそばの家の人は間近で見れて羨ましかったです。


上仲町の山車が入場する前に鮮やかなオレンジ色の捩り鉢巻に法被(はっぴ)を着た上仲町の沢山の人達が寺宿通りの方から入ってきて、「の」の字の周囲を囲みました。
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その上仲町の法被集の輪の中に、いよいよ上仲町の山車の入場です。提灯にも火が入り雰囲気も祭となってきました。人形は太田道灌で1921年(大正10年)に更新されました。山車は社寺建築の本枡組造りの様式を取り入れられた重厚なもので1901年(明治34年)に更新されたものですが、木彫りなどの飾りは昔からのものを使っているようです。扁額の文字は徳威(とくい)です。
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街の中の山車の曳き廻しでは先頭に2本のロープを結んで地区の人がみんなで曳く(ひく)のですが、この時はロープもなく曳く人はいませんでした。
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どうやら押して入ってくるようでした。
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前輪の部分に2本の木の丸太が差し込まれています。手前側の丸太つまり進行方向に向いて右側の車輪を中心にして右回転させるのです。位置に着いた時点で山車を押してきた屈強な若い男性が右回転する方向に押し始めるのです。他の山車が位置に着いてから少し時間をおいて「せーの」と声をかけてから廻し始めたのに対して、上仲町の人達は、山車が回転位置に来た途端に掛け声を出して回し始めました。これはすごいことだということは何台か見てから分かりました。
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若連(若衆)と呼ばれている男たちが山車から突き出た丸太を手前に押して右回転させているのです。
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この状態で山車を数回転させるのです。時間にすると3分36秒間回し続けていました。山車の重さは3から4トンで高さは高いもので7mだそうです。後輪の右側の車輪は回らず横滑りさせているので信じられないほどの力がいると思います。仮に4トンとしてその横滑りの車輪の垂直荷重が1トンに対して摩擦係数が1.0だとすると1トンの横荷重が必要になるわけです。テコの原理があったとしても1人当たり50~100kgの力を出し続ける必要があるようです。それを3分36分間も続けるわけですから過酷です。
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力尽きるのではないかと心配になるほどの過酷な曲廻しでした。実際に力尽きて回転が止まりそうになったり止まっりする山車もあったほどでした。上仲町の山車は一気に回し切りました。回転が止まった山車もなんとか回し切りました。全力で3分36分間連続で力を出するは厳しいと思います。
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冒頭の動画をここに入れておきます。初期画面は神輿を担いでいるのではなく山車を若連の人達が力いっぱい回転させているところだったのです。動画自体は上仲町地区の人達が「のの字廻し」の場所に入場してくるところから始まります。全部で5回廻しました。1回転するための所要時間は次の通りです。1回転目はかなり速いスピードですが、やはり3回転目に入った辺りから疲れてくるようです。4回転目は1回転目の約3倍(2.95倍)の時間がかかりました。倍の数値は1回目に対するかかった時間の比率です。着色文字をクリックするとその回転が始まるところからの動画を表示します。
 1回転目 20秒(360°) 1.00として
 2回転目 36秒(360°) 1.80倍
 3回転目 50秒(360°) 2.50倍
 4回転目 59秒(360°) 2.95倍
 5回転目 51秒(330°) 2.78倍 合計216秒(3分36秒) 平均43.9秒/回転


回転中の山車の屋根部分です。お囃子(おはやし)に合わせた「わっしょい! わっしょい!」の掛け声とともに何度も廻っていました。
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やっと「のの字廻し」が終わって西方向に向きをかえて退場していくところです。前日の7月13日の上仲町の山車の「のの字廻し」の動画見つけました。人数が少ないためなのか、苦労されていました。その反省をもとに7月14日のすばらしい「のの字廻し」になったのかもしれません。→ポチッ
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クリックすると拡大若連の方々お疲れさまでした。迫力の「のの字廻し」ありがとうございました。ひきつづき9つの山車の「のの字廻し」すべてを見させていただきました。この後、1時間に1本以下のJR成田線・佐原駅20時41分発の列車で帰宅いたしました。20時41分発の後は22時15分発でした。他の山車に関しても近いうちに紹介したいと思います。
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佐原の大祭は、下記の関東三大祭りの一つとしても有名です。
ちなみに江戸三大祭りは神田祭と山王祭と深川祭です。
 佐原の大祭  千葉県 夏祭り(7月) 秋祭り(10月) 詳細は冒頭に記載
 石岡のお祭り 茨城県 9月15日(例祭)を含む3~4日間 最終日は敬老の日
 川越まつり  埼玉県 10月第3日曜日と前土曜日


佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治34年(1901年)
 ② 飾り物の制作年/作者:大正10年(1921年)/大柴徳次郎
 ③ 額の文字      :徳威(とくい)
 ④ 一口メモ      :山車は社寺建築の「本枡組造り」の様式が取り
              入れられた重厚なもの。
 ⑤ 担当の下座連    :東関戸連中
 ⑥ 地区        :上仲町(かみなかちょう)
 ⑦ 飾り物       :太田道灌(おおたどうかん) 
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伊能 忠敬(いのう ただたか) [佐原 潮来]



行ってきた佐原と言えば全国を測量して日本地図を作った伊能忠敬も有名です。幼い時は伊能の姓ではなかったけれども1762年(宝暦12年)、18歳の時に、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の伊能家に婿養子に入り、以来しばらくは商人として活動したそうです。伊能家は、酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいた他、利根水運などにも関っていました。商人としてはかなりの才覚の持ち主であったようで、伊能家を再興したほか、佐原の役職をつとめたなどの記録が残されています。また、このときに、かなりの財産を築いたことから、この佐原に伊能忠敬の原点があるのです。その時代の伊能忠敬旧宅が残っています。平屋造の瓦葺で、母屋、店舗、土蔵などがあります。上の写真は忠敬が設計したと伝えられている書院か母屋だと思いますが、東日本大震災で被害を受けました。2回目に行ったときは修復中で見ることが出来なかったので、現在は修復が終わっていると思います。

こちらは店舖部分で小野川に面しています。こちらも地震で被害を受けてけて修理中でした。伊能忠敬は1795年(寛政7年)50歳で江戸に出るまでこの旧宅に住んでいたそうです。 1930年(昭和5年)4月25日、国の史跡に指定された。


以前は旧宅の敷地内に伊能忠敬記念館がありましたが、現在は旧宅前の小野川を挟んで向かいに建っている。また、旧宅の敷地内には旧宅前のジャージャー橋の愛称で呼ばれている樋橋により対岸に水を渡していた水路が残っています。この橋の道の奥に伊能忠敬記念館がありました。


こちらが伊能忠敬記念館の入口です。中に入りましたが写真撮影は出来ないので今回は紹介出来ませんでした。


昔の町並みのように見えますが、伊能忠敬記念館です。4つの民家のように見えますが一つの鉄筋コンクリートの建物なのです。入口と反対側から見た記念館の景観です。


伊能忠敬の年表を紹介します。これを見ると彼の偉業がわかります。
 西暦 年齢        内容
1745年  0 1月11日上総国山辺郡小関村の名主の家で生まれる。延享2年
1751年  6 母が亡くなり、武射郡小堤村の神保家に戻る。
1755年 10 実家の神保家に戻っていた父の元に引き取られる。
1762年 18 下総国香取郡佐原村の伊能家に婿養子に入る。
1781年 36 佐原村本宿組名主となる。
1794年 50 隠居し家督を長男景敬に譲る。
1795年 51 江戸に出て幕府天文方高橋至時に暦学・天文学を学ぶ
1800年 56 第1次測量 奥州街道~蝦夷地太平洋岸     180日間
1801年 57 第2次測量 三浦半島~津軽半島         230日間
1802年 58 第3次測量 奥州街道~津軽半島         132日間 
1803年 59 第4次測量 東海道~北陸沿岸 佐渡       219日間
1805年 61 第5次測量 幕府直轄事業となる。東海道~山陰 
1808年 64 第6次測量 東海道~四国
1809年 65 第7次測量 中山道~九州鹿児島
1811年 67 第8次測量 甲府~九州鹿児島 壱岐 対馬 五島 913日間
1815年 71 第9次測量 東海道 忠敬は参加せず。
1816年 72 第10次測量 江戸府内 
1818年 74 4月13日死去、喪を秘して地図製作を続行。
1821年 没後 大日本沿海輿地全図が完成 文政4年
1883年 没後 贈正四位 明治16年
以前に函館に行ったときに函館山で、このような石碑を見つけました。伊能忠敬が北海道の測量の基点にしたのが函館山だそうです。寛政12年(1800年)と書かれていることから第1次測量の時であることがわかりました。

テレビでも紹介されたことがある創業350年の胡麻油屋さん [佐原 潮来]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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趣のある胡麻油屋さんがあったので、お土産に胡麻油を2種類とラー油を買ってきました。お店の名前は油茂製油(あぶもせいゆ)で江戸初期の創業で製油業として、350余年の歴史を有する老舗だそうです。

建物は大火のあった明治25年(1982年)とのことなので火事で焼けて建て替えたのではないかと思います。それでも134年前の建物ということになります。趣があるのは当然ですね。


戦前までは菜種油を搾油していましたが、現22代当主に至るまで「玉絞め」と称する古式搾油法が続けられているそうです。現在は「玉絞めごま油」を中心に生産しているとのことでした。機械も大正年間から稼動しているものだそうです。この中から、お土産を選びました。


買ったのは「玉絞めごま油」と「生絞りごま油」と「ラー油」でした。ラー油は読売テレビの「どっちの料理シュー」で紹介されたことがあるそうです。


これが中身です。「生絞りごま油」は透明の胡麻油でサラダに使うつもりで買いました。
  店名 油茂製油(あぶもせいゆ) 
  住所 千葉県香取市佐原イ-3398
  電話 0478-54-3438
  創業 江戸時代初期 350余年前
  HP http://homepage2.nifty.com/abumo/index.htm
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タグ:ゴマ油 佐原

佐原の丸い郵便ポスト [佐原 潮来]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

千葉県の香取市の佐原の町並みを紹介いたしましたが、その佐原には丸い郵便ポストが現役で活躍していました。それも一つだけではなく沢山の郵便ポストがありました。町並みから離れると四角いポストになってしまうので街並みを意識して丸いポストを残しているのだと思います。黒きり蕎麦で有名な小堀屋本店のすぐ横で、耳かき手工芸と書かれた右側のお店で団子を食べました。一番下の郵便ポストの地図のの場所の郵便ポストです。Google地図に登録されている写真も出てきました。→ポチッ

気がついた丸いポストをすべて紹介いたします。上のポストも下のポストも香取街道沿いにありました。こちらはの位置にありました。
この郵便ポストは鎌倉でも一つ見つけましたが、正式には郵便差出箱1号丸型と呼びます。この郵便差出箱1号丸型は、今から63年前の1949年から使われ始めたそうです。


こちらのポストも香取街道沿いにありました。ここは300年以上の歴史のある馬場本店酒造の前です。


クリックすると拡大こちらは小野川沿いにあったポストです。門の横にポストがあるのも便利でしょうね。
右の小さな写真の平屋の建物の門の横に赤い丸いポストがありました。
こちらはです。こちらもGoogle地図に登録されている写真がありました。→ポチッ


こちらも小野川沿いにありました。 です。ここで紹介した5つのポストはいずれも使われていました。見つけたのが5なので、見逃しているポストあると思うので、数ははっきりわかりませんが、少なくとも5つ以上の使われている丸いポストが狭いエリアにあることになります。珍しいのではないでしょうか。


これ以外にも小野川沿いで1つ見つけましたが、そのポストは使われていませんでした。口の部分にガムテープが貼られて投函出来ないようにされていました。今は使われていませんでしたが将来は使えるように準備している可能性も感じました。
こちらの郵便ポストもGoogle地図に登録されていました。→ポチッ
不思議なことに香取街道沿いの郵便局の前のポストは四角いポストでした。


ポストの大凡の位置を地図にマークしました。赤いマークが現在使われている丸い郵便ポストで、空色が現時点で使われていない丸い郵便ポストです。緑色のマークが郵便局の前の四角い郵便ポストです。赤いマークはクリックするとの番号を表示します。


香取神宮 [佐原 潮来]



初めて来た香取市の佐原(さわら)では佐原水郷植物園加藤洲十二橋舟めぐり佐原の町並みを見てカフェで一休みした後、最後に香取神宮に行ってみました。今まで香取神宮のことは名前程度しか知りませんでしたが、実際に見て、思っていた以上に立派で、歴史があったので紹介いたします。上の写真が参道入り口です。遠くに見える赤い鳥居までの参道の両側には沢山のお土産屋さんと食事処がありました。 

鳥居までの道の中間で撮った写真です。参道正面にある第二の鳥居で、鳥居の朱色と周囲の老杉の緑とが良く調和して、神域の入口にふさわしい美観を呈しており、桜の時期は見事です。


鳥居をくぐると、このような緑が豊かで道の両脇に石灯籠がある参道が続きました。木々鬱蒼とした玉砂利の参道の両側には、桜や楓が植えられており、春の桜花・秋の紅葉は見事で、多くの参拝者が訪れ目を和ませています。


緑の長い参道を歩くと総門が現れます。


総門の次に現れるのは桜門です。

正面から見た桜門です。


桜門をくぐると拝殿が見えるはずでしたが、工事用の足場にに覆われていました。拝殿の前にはワラで出来た輪が置かれていました。これは大祓と呼ばれる行事のための輪でした。


大祓(おおはらえ)は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事です。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)というそうです。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼ばれています。なお、今回の「夏越」は「名越」とも標記する。輪くぐり祭とも呼ばれています。


境内側からみた桜門です。大祓のための藁の輪の位置がよくわかると思います。


こちらが拝殿の中です。真中に鏡が配置されていました。


拝殿の後ろの御本殿です。


こちらは祈祷殿です。


こちらは校倉造(あぜくらづくり)の宝庫です。正倉院と同じような作りの建物でした。


境内には小さな神社だいくつかありました。その中のいくつかを紹介いたします。こちらは摂社匝瑳神社です。


こちらは末社櫻大刀自神社です。


工事用の仮の建物に覆われていた拝殿を見ると屋根の葺き替えを行っているところでした。香取市の香取神宮(高橋昭二宮司)は2014年4月17日から行われる、12年に1度の「式年神幸祭」に向けて、傷んだ拝殿や本殿の屋根で檜皮葺(ひわだぶき)と呼ばれるふき替え工事を行っていました。秋ごろ終える拝殿の工事終了後、本殿などの工事に入る予定で、工期は約1年間だそうです。
檜皮葺とは、ひのきの樹皮を用いる施工法で、日本古来から伝わる手法です。紀元前643年創建とされる香取神宮は、約12万2100平方メートルの敷地内に本殿や拝殿などを構えています。1700(元禄13)年に5代将軍徳川綱吉により造営された本殿は、国の重要文化財にも指定されています。


香取神宮を空の上から見た写真を紹介いたします。拝殿が工事中であることから新しい写真であることがわかります。地図上のアイコンマイナスを数回クリックすると周辺の雰囲気がわかってくると思います。利根川も近いです。利根川の向こう側には鹿島神宮があります。
神社の中で特別の由緒を持つものに限り神宮が使われています。日本の神宮は下記のとおりです。青色は皇室祖先神で、緑色は各時代の天皇を祀った神社で、橙色はその他です。
伊勢神宮、伊弉諾神宮、霧島神宮、鹿児島神宮、鵜戸神宮、英彦山神宮、
橿原神宮、宮崎神宮、気比神宮、宇佐神宮、近江神宮、白峯神宮、平安神宮、赤間神宮、水無瀬神宮、新日吉神宮、吉野神宮、北海道神宮、明治神宮、
熱田神宮、石上神宮、國懸神宮、日前神宮、鹿島神宮、香取神宮
以上の25のみが神宮です。ただし伊勢神宮の祭神天照大神を分霊し「大神宮」「皇大神宮」の名がつけられた神社は全国に沢山あります。したがって本来の神宮とは違うものとされているのが一般的だそうです。海外にも3つ(台湾1901年、朝鮮1925年、満州1944年)の神宮がありましたが、敗戦の1945年にすべて廃社となっています。


佐原の町並み 香取街道沿い [佐原 潮来]



佐原の道には江戸時代から大正にかけての古い建物の街並みがあるとのことなので水郷佐原水生植物園加藤洲十二橋に行った後に小江戸と言われている佐原(さわら)の街並みを見に行きました。
こちらの建物は安政2年(1855年)に建てられた中村屋商店で千葉県有形文化財にも指定されています。明治7年頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきたお店で、和物の土産なども扱っている有名な建物です。

佐原の古い建物の街並みは南北に走る小野川沿いと東西に走る香取街道沿いに集中してあります。佐原には重要伝統的建造物群保存地区になっており沢山の古い建物が軒をつられております。その中には伊能忠敬旧宅(寛政5年(1793)建築・国指定史跡)のほか県指定文化財も8件(13棟)があります。今回は香取街道沿いの街並みを紹介いたします。クリックすると大きな地図を表示します。
クリックすると大きな地図を表示

油茂製油店で、こちらも歴史があります創業は江戸初期で建物は明治25年(1892年)築です。こちらの胡麻油は有名です。


こちらは植田屋荒物店創業宝暦九年(1760年)竹細工他、手作り用品を販売しているお店です。


クリックすると拡大こちらは蕎麦屋をやっている小堀屋本店の隣の福新呉服店です。見ての通り震災の被害を修理中でした。店舗は明治28年(1895年)地区で土蔵は明治初年築だそうです。お店の創業は209年前の文化元年(1804年)だそうです。今は修理が終わって右の写真のように見事な姿を見せてくれました。


こちらが小堀屋本店の別館です。元は千葉銀行の建物ですが昭和4年(1929年)築の趣のある建物です。偶然に本館の先隣にあったので利用できたのでしょうね。小堀屋本店は地震の影響か修理中で左先隣の別館で営業をしていました。こちらの名物は江戸時代より伝わる日高昆布を使った「黒切りそば」ですが、残念ながら我々が初めて佐原に来た水曜日(2012年6月27日)は定休日で食べることが出来ませんでした。本館の木造の建物は明治25年(1892年)に建てられました。創業は天明2年(1782年)だそうです。でも今年(2013年6月21日)には本館で食べることが出来ました。


こちらも有名な建物です。大正3年(1914年)建築の三菱館(旧三菱銀行佐原支店)です。イギリスより輸入したレンガを使った2階建ての洋館で、内部は吹き抜けになっており、現在は市に寄贈されて観光案内を行っているそうです。こちらも千葉県指定文化財です。


遠くに見えるのが上で紹介の三菱館です。一番手前の建物もよくネットで掲載されている中村屋乾物店です。中村屋乾物店は、明治25年(1892年)に佐原を襲った大火直後の明治26年に建築されたものです。当時最高の防火構造で、壁の厚さが1尺5寸(約45cm)にもなる建物です。1階と2階は明治18年(1885年)の建「築で3階は店舗とともに明治26年(1893年)に再建されたそうです。
震災被害の修復中の建物も見受けられます。2012年5月25日の読売新聞(ネット)には佐原の町並み修復に、米財団World Monuments Fundが助成するとの記事も出ていました。一年以上たっていますが忘れられていないのがうれしいです。今は完全に修理が終わった街並みを見せてくれます。


左のお店は向後酒店です。どちらも古い建物でした。


右は中寅商店です。左も名のあるお店と感じさせてくれます。中村屋乾物店と同様に耐火構造の建物です。調べてみると「ふじ蔵」という鳥料理のお店のようで、昔は澤田商店という薬屋だったそうです。
他にもこのような耐火構造の建物を沢山見ることができました。佐原は北総の小江戸と呼ばれていますが、同じように小江戸と呼ばれているのが川越です。こちらも耐火構造の建物が多く、それは明治26年の大火がきっかけだとのことですが、佐原でも明治25年の大火がきっかけになったそうで、一年違いの偶然に驚きました。


蜷川家具店と書かれています。こちらも歴史がありそうな建物でした。大正時代か昭和の初期に道路に面した部分を改築した感じでした。ネットで調べて昭和8年(1933年)築との記載を見つけました。


雑貨を売っている素顔屋さんの建物も古いです。


路地も古さを感じました。


うれしいことに無料の駐車場がいろんな場所にありました。ここは私が車をとめた駐車場です。きれいなトイレも完備されていました。ただし16時半になると扉が閉められてしまうので注意が必要です。写真をクリックすると駐車場を表示します。町の中の駐車場が満車の場合は利根川の河川敷の駐車場が使えるかもしれません。(河川敷の駐車場は見ていないので想像です。)
我々が来たのは平日だったので佐原の町並みの中心にある忠敬橋に近い無料駐車場に、とめることが出来ました。
クリックすると駐車場の地図を表示
タグ:佐原

素朴な手焼き煎餅 [佐原 潮来]



香取市の佐原(さわら)で素朴な手焼きの煎餅に出会いました。なんの味もついていない炭火焼きの煎餅「かきもち」でした。お米の味と香りを楽しむことが出来ました。

煎餅の味わいを感じてもらうために拡大いたしました。


こちらのお店です。佐原の古い町並みを散策しているときに見つけました。味をつけた揚げ煎餅もありました。場所は小野川沿いで伊能忠敬の記念館に近い場所です。お店の名前は「まぎの屋菓子店 」です。
地元産のサツマイモである「ベニアズマ」をたっぷり使った「芋アイス」も有名だそうです。

タグ:佐原 煎餅

高級亀の子たわし [佐原 潮来]



亀の子タワシを買ってきました。買ったのは千葉県香取市の佐原地区の古い建物が残る町並みの中にあるお店です。タイトルに高級と書かせていただきましたが、その理由は素材にシュロを使っているからです。普通は椰子の皮の繊維を使うそうです。椰子の皮の繊維の亀の子束子の場合は、このパッケージの緑色のところが赤色でした。値段も3割くらいの差がありました。

たわし(束子)を拡大いたしました。
右の写真のシュロの皮の繊維を使っているので細くてソフトな感じです。シュロは5種以上あるが我々の身近にあるのがワジュロで、これを単にシュロと呼ぶことが多いそうです。シュロ皮を煮沸し、亜硫酸ガスで燻蒸した後、天日で干したものが「晒葉」で、タワシやホウキなどに使われています。ワシュロは中国湖北省からミャンマー北部まで分布します。クリックすると拡大日本では九州地方南部に自生しています。日本に産するヤシ科の植物の中ではもっとも耐寒性が強いため、東北地方まで栽培されているそうです。右の写真はWikimediaから転用させていただきました。
  目 : ヤシ目 Arecales
  科 : ヤシ科 Arecaceae
  属 : シュロ属 Trachycarpus
  種 : ワジュロ T. fortunei


佐原の町並みの中の雑貨屋さんです。宝暦九年(1760年)に創業した植田屋荒物店で竹細工や手作り用品を販売しているお店です。佐原のの特産ではないけれども、置いている品のセンスの良さで人気のお店の一つのようです。


昔ながらの蔵があり、その蔵の中でも、いろんなものが売られていました。こちらが蔵の中の1階です。


こちらが2階になります。広い蔵なのに驚きました。蔵の中を散策するのも楽しいものですね。子供のころ元旅館の大きな木造の建物が親父の勤めている会社の社宅だったことがあり、友達同士で屋根裏を探検したことを思い出しました。


小野川沿いからみた植田屋荒物店の蔵です。やはり大きいです。震災で被害を受けたところを補修しているところだと思います。


中華ちまきを作るために竹の皮も買ってきました。近所では、なかなか売っていないのではないでしょうか。竹の皮を売っているところが、さすがだと思いました。2回目に行ったときですが、これ以外に2種類の料理用の竹ベラに孫の手にウチワに麦わら帽子を買いました。いずれもちょっと洒落たデザインの物ばかりでした。


タグ:佐原 たわし

昔活躍した水郷地帯の水車(みずぐるま) [佐原 潮来]



水生植物園では水車(みずぐるま)が似合っていました。この水車は水路などから人間の足の力で水田に水を導きいれる道具で昔の水郷地帯の風物です。その足踏み水車を復元したものだと思います。踏車とも言われています。

上の「みずぐるま」はこの写真に写っていたものでした。周りの風景とマッチしたきれいな姿を見せてくれていました。写真をクリックすると園内の舟めぐりコースを表示します。あやめ祭りなどお客さんの多い時期は半分の距離になるようです。


植物園内には沢山の水車があり花菖蒲のある風景に色取を添えてくれていました。水車は、別名「踏車(ふみぐるま)」とも言うそうです。


これが水車の全景でクロスした竹竿が印象的でした。「すいしゃ」ではなく「みずぐるま」というのが新鮮な呼び方でした。


右の写真はネットから拝借したものです。2012年の潮来のアヤメ祭りの時の写真だそうです。写真をクリックするとオリジナルの記事を表示します。水田と反対側に立って歩くようにして水をかきいれるようです。大変な重労働だったと思います。昭和40年代以降、水車(みずぐるま)はポンプに、サッパ舟は軽トラックに代わったと言われています。観光用ではあるけれども昔の景観が残されているのはいいですね。


それでは「みずぐるま」のある景観をいくつか紹介いたします。


この中には2つの水車が写っています。小さくてわかりにくいと思いますが手前の水車の少し奥です。


上の写真と同じ場所から撮ったものです。つまり同じ場所から3つの水車を見ることが出来るのです。


どのような原理で水を汲みいれるのか不思議でした。


地上に展示されている水車を見て、やっと水を汲み上げる原理がわかりました。


右の写真はパンフレットから拝借した実際に足踏み水車(みずぐるま)を使って水田に水を入れているところの昔の写真です。水の流れる力を利用した揚水用の水車が絵として登場したのは室町時代の「石山寺縁起絵巻」です。足踏み水車(踏車)が発明されたのは江戸時代初期だそうです。踏車がはっきり文章に現れるのは江戸中期1680年の東海地方の農書「百姓伝記」だそうです。
下の構造図のように足踏みで水を田んぼに汲み上げる構造の水車です。
クリックすると拡大
江戸時代に踏車が使われていた絵のようです。


実際に使われていた時代の写真を探してみました。重労働のようで男性の写真が多いです。古い写真を見ると、大型の足踏み水車もあるようです。これらの写真はクリックすると拡大します。
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タグ:水車 佐原

珍しいハス(蓮)たち [佐原 潮来]

鶏鳴寺
ハス祭り(7月7日~8月12日)を開催している水郷佐原水生植物園(千葉県香取市)に、7月19日に行ってきました。この植物園には花菖蒲を見るために6月27日に一度来ましたが、その時にハス祭りのことを知りました。今回が2度目の訪問になったわけです。ハスに関しては先日(7月15日)に万博公園に見に行きましたが、水郷佐原水生植物園はハス池としての規模は大きくありませんがハスの種類に関しては300種と日本一の植物園なのでいろんなハスの花を見るために来たわけです。上の写真のハスは鶏鳴寺(けいめいじ)という種類で、こちらの植物園で作りだされたようです。

ハス祭りの間は土曜日、日曜日は6時から開園していますが、平日8時ということなので7時57分に植物園に到着いたしました。今回は一度来ていることもあり家から約1時間で着きました。


門を入ったとたんに、150万本の花菖蒲に埋め尽くされた前回の景観とは全く違う景色を見せてくれました。こちらの品種は与田浦です。


花菖蒲は全くなくハスが池の中で沢山咲いていました。こちらは舞妃という品種です。


こちらの植物園は300種類ものハスがあるために普段見慣れない花が沢山ありました。こちらの花が珍しいかどうかわかりませんが、一際鮮やかな紅色のハスでした。名前は大紅袍(だいこうほう)といいます。
大紅袍

こちらの植物園は近い場所から花を見ることが出来るのも特徴です。したがってハスの花の真上からの写真も紹介出来ます。


沢山の種類の花が咲いているので撮った花の名前がわかるように花を撮った後に必ず右のように名札を撮るようにいたしました。名札には「品種名」「分類」「品種」「起源」が書かれているので非常に参考になりました。名札からこちらの品種名は紅蓮で南京市園林科学研究所から来たハスであることがわかりました。
紅蓮

それではハスの花を紹介いたします。
こちらには300種類のハスが植わっていますが、一つの品種の株数は少ないことと花の咲いている期間が短いことから、必ず花が見れるとは限らないことがわかりました。1回の訪問で花が見れる割合は1/3~1/4程度でした。蓮の花の 寿命は3~4日程度で早朝に花弁が開き、午後には花弁を閉じてしまうそうです。名札が付いたハスで開いた花が撮れた写真は82種類(27%=82÷300)でした。その82種類の花をすべて紹介いたします。タイミングの問題で見ることが出来なかった種類が、まだ約220種類もあると思うと300種類のすごさがわかってきました。これらの中には数千枚の花弁を持つ千弁蓮(多頭蓮)や、花の中にもう一つ花を咲かせたように見える重台蓮や八重絞りの大洒錦といった日本では数少ない貴重な品種を見つけることが出来ると思います。カーソルを写真の上に持っていくと品種名を表示します。
1~10 巨椋池系のハス(2,3,4,5,6,9,10番目)
 玄武紅蓮 げんぶこうれん        巨椋の瑞光 おぐらのずいこう
玄武紅蓮巨椋の瑞光
 巨椋の桃花 おぐらのももばな       輪王蓮 りんのうれん
巨椋の桃花輪王蓮
 巨椋大島先 おぐらおおしまざき      請所 うけしょ
巨椋大島先請所
 巨椋の白鳥 おぐらのはくちょう     小三色蓮 しょうさんしきれん
巨椋の白鳥小三色蓮
 東観世紅 ひがしかんよべに        巨椋大黒 おぐらだいこく
東観世紅巨椋大黒
これが1~10の名札です。

11~20
 衣通姫 そとおりひめ          利根春暁 とねしゅんぎょう
衣通姫利根春暁
 満江紅Self まんこうこうセルフ       鶏鳴寺 けいめいじ
満江紅Self鶏鳴寺
 醉雲 すいうん                 蓉嬌 ようきょう
醉雲蓉嬌
 西湖春色 せいこしゅんしょく     中山白蓮 ちゅうざんびゃくれん
西湖春色中山白蓮
 普者黒白荷 ふじゃこくびゃっか      紅蓮 こうれん
普者黒白荷紅蓮
これが11~20の名札です。

21~30
 大紅袍 だいこうほう        中日友誼蓮 ちゅうにちゆうぎれん
大紅袍中日友誼蓮
 無錫白 むしゃくしろ              白海蓮 はっかいれん
無錫白白海蓮
 青菱紅蓮 あおひしこうれん       紹興紅蓮 しょうこうこうれん
青菱紅蓮紹興紅蓮
 大碧蓮 だいへきれん             大灑錦 だいさいきん
大碧蓮大灑錦
 剣舞                    東湖紅蓮 とうここうれん
剣舞東湖紅蓮
これが21~30の名札です。

31~40
 艶陽天 えんようてん           建郷壮士 けんきょうそうし
艶陽天建郷壮士
 敖漢蓮 あおはんれん           解放紅蓮 かいほうこうれん
敖漢蓮解放紅蓮
 友誼牡丹 ゆうぎぼたん           粉娃蓮 ふんあいれん
友誼牡丹粉娃蓮
 友誼紅2号 ゆうぎこう2ごう        淨台蓮 じょうだいれん
友誼紅2号淨台蓮
 小金鳳 しょうきんぽう            龍飛 りゅうひ
小金鳳龍飛
これが31~40の名札です。

41~50
 冰嬌 ひょうきょう               翠華 すいか
冰嬌翠華
 A913                     金糸蓮 きんしれん
A913金糸蓮
 精華 せいか                友誼牡丹 ゆうぎぼたん
精華友誼牡丹
 紅孔雀 べにくじゃく          紅重台蓮 こうちょうたいれん
紅孔雀紅重台蓮
 株洲紅蓮 しゅすこうれん   淀姫 淀城蓮 よどひめ よどじょうれん
株洲紅蓮淀姫 淀城蓮
これが41~50の名札です。

51~60
 美中紅 びちゅうこう              素牡丹 そぼたん
美中紅素牡丹
 紅辺玉蝶 こうへんぎょくちょう      天高雲淡 てんこううんたん
紅辺玉蝶天高雲淡
 夜明珠 いえみんじゅ           一点紅藕 いってんこうぐう
夜明珠一点紅藕
 東暁 とうぎょう              海南洲藕 かいなんすぐう
東暁海南洲藕
 崖城藕 がいじょうぐう            麻×三一
崖城藕麻×三一
これが51~60の名札です。

61~70
 大毛節 だいもうせつ             大青楷 だいせいかい
大毛節大青楷
 津軽和蓮 つがるわれん           暁霞 ぎょか
津軽和蓮暁霞
 矮寸三蓮 わいすんさんれん        鐘山 しょうざん
矮寸三蓮鐘山
 徳島紅 とくしまべに              紅地蓮 べにぢはす
徳島紅紅地蓮
 日本古代蓮 にほんこだいはす       黔霊白荷 けんれいびゃくか
日本古代蓮黔霊白荷
これが61~70の名札です。

71~82
 西福寺観世 せいふくじかんぜ    華台寺白蓮 けたいじびゃくれん
西福寺観世華台寺白蓮
 仲哀陵蓮 ちゅうあいりょうれん        粉黛 ふんたい
仲哀陵蓮粉黛
 利根の蓮 とねのはす              敖漢蓮 あおはんれん
利根の蓮敖漢蓮
 Caspicum                 玄武紅蓮 げんぶこうれん
Caspicum玄武紅蓮
 紅万万 こうまんまん               藤壺蓮 とうこれん
紅万万藤壺蓮
 原始蓮 げんしはす               明光蓮 めいこうれん
原始蓮明光蓮
これが71~82の名札です。

池の中に咲いていたハスの花 名札がないので名前は判りません。



この時期は、花の終わった花菖蒲の植え替えなどの手入れの作業が行われていました。皆さん潮来傘などの昔のスタイルで仕事をされていました。


パンフレットから拝借した昔の写真です。上のスタイルと比較してみてください。
この右の写真は水車(みずぐるま)を使って水田に水を入れているところです。こちらの植物園でも佐原の水郷地帯の風物であった水車が沢山ありました。昔は水郷地帯の農家にとって「みずぐるま」は大切なものだったようです。
水車を紹介した記事→ポチッ

最初に紹介した1~10の中の2,3,4,5,6,9,10番目は花蓮(はなはす)の名所として知られた京都の巨椋池(おぐらいけ/小椋池)のハスですが、巨椋池は1941年に干拓されてなくなってしまいました。ハスの愛好家たちに残念がられていましたが田植え時期などに幼苗がいくつも見つかり、保存が行なわれたそうです。その歴史的名花を、保存している植物園から分けていただいたとのことです。
クリックすると巨椋系の名札を表示

赤色マークの付いた場所が旧巨椋池の中心です。干拓前の巨椋池は周囲約16キロメートル、水域面積約8平方キロメートルで、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖だったそうです。赤色枠は上の地図の範囲を示しています。巨椋池が大きな池であったことが判ってもらえると思います。+のアイコンを2回クリックしていただくと画面いっぱいに上の古い地図の範囲を表示します。

より大きな地図で 巨椋池 を表示
少し遠目から見た花の景色も紹介いたします。花だけがポツンと咲いた不思議な光景でした。周りには水面に葉を浮かべるスイレンばかりで水面より上に出すハスの葉はありませんでした。これは地名にちなんで名づけられた与田浦という品種かもしれません。


沢山の白い花の咲いている景観です。ハス(蓮)は、インド原産のハス科多年性水生植物です。ハスの花を指して蓮華(れんげ)といい、仏教とともに伝来し古くから使われた名だそうです。一方、地下茎は蓮根(れんこん)といい、食用名として蓮根が使われます。これは舞妃です。


淡い色合いの花たちです。ここまではEOS 5Dで知った写真です。


家内がG10で撮った写真も2枚を紹介いたします。 実はデジカメで初めて写真を撮ったとのことです。トリミングしない、そのままの構図の写真を紹介します。こちらの花は紅万万(こうまんまん)のようです。 


こちらの花は花びらの感じから東暁(とうぎょう)か藤壺蓮(とうこれん)のようです。
上の82枚の写真と、もう少しじっくりと比べるとわかると思います。


上の写真をトリミングいたしました。


300種類の内、訪れた時に花が咲いていた30%程度しか紹介できませんでしたが、沢山の種類のハスがあることを伝えることが出来たでしょうか。
植物園を紹介いたします。赤色マークのところが水郷佐原水生植物園です。
 名前 水郷佐原水生植物園 すいごうさわらすいせいしょくぶつえん
 電話 0478-56-0411
 住所 千葉県香取市扇島1837-2
 営業 あやめ祭り期間 8:00~18:30
    はす祭り期間  6:00~16:00(土日祝) 8:00~16:00(平日)
    その他     9:00~16:30
 休園 5~8月    無休
    その他      月曜日 年末年始 
 植物 花菖蒲     400品種 150万本
    はす      300品種以上(日本一)
 敷地 6万㎡ (6ヘクタール)

より大きな地図で 水郷佐原水生植物園 を表示

佐原の町並み 小野川沿い [佐原 潮来]



すでに佐原の香取街道沿いの町並みの景観を紹介いたしましたが、やはり佐原の町並みは川沿いに残った古い建物の町並みが一番だと思います。不思議と水のある風景には惹かれるものがあります。そこで今回、小野川沿いの町並みを紹介したいと思います。寛政5年(1793)に建てられた伊能忠敬旧宅も川沿いにあります。
この写真のように小野川の両岸は道路になっておりその道路沿いに古い建物が並んでいるため見晴らしのよい景色になっています。
佐原は江戸徳川幕府の利根川の流れを東京湾から銚子へと変えた利根川東遷事業を契機に江戸への物資輸送の利根川舟運が発達し、一大物流拠点・河港商業都市として繁栄たそうです。市街地を流れる小野川沿いには水運で栄えた商家の町並みが今も残されており、平成8年12月に関東地方で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたそうです。

柳の木のために建物が遮られている面はありますが、それも佐原の町並みの趣でもあります。


川沿いは景色もよく荷物の便もよかったので昔から人気の場所ではなかったでしょうか。高級商業地兼住宅地ではなかったかと想像してしまいます。


川には船着き場があります。昔はここから荷物を運びいれたのだと思います。


川と家は舟のある景色は趣があります。伊能忠敬旧宅辺りからは舟めぐりが行われていました。


平日でしたがお客さんが結構乗られていました。やっぱりお客さんが乗った船は絵になります。


昔はこちらの手漕ぎの舟が使われたのだと思います。この船着き場から荷物の出し入れを行ったのだと思います。
こちらの建物は正上と呼ばれるお店で、江戸時代より醤油の醸造をしていた老舗です。創業は寛政12年(1800年)5月で現在は10代目だそうです。戦後は佃煮の製造販売が主となり蔵の左の建物で今でも売られています。正面の土蔵は明治初期の建築で、江戸時代の店構が残る数少ない建築物であるそうです。当時の戸締りの方法である「よろい戸」方式が残っていて、店の奥には千本格子の障子戸が残り趣があるそうです。


趣のある舟の拡大写真を掲載させてもらいます。


昔、醤油を入れた陶器の壺が建物の前の川沿いに並べられていました。


かっこいい女性の方も写真を撮りに来られていました。 船着き場に降りたり、いろんな角度から写真を撮られておられたので、センスのいい写真を撮られている印象を受けました。


こちが正上の店舗の建物です。名物はワカサギの「いかだ焼」です。


川は橋のある景色も趣があります。橋は古いものではありませんが、車が通る橋以外は全て景観にやさしい木製の橋でした。この橋の両欄干から水が小野川に落ちているのがわかりますか。


水が落ちていている、この橋の名前は写真でもわかるように樋橋(とよはし)といいます。江戸時代に、この場所に小野川をまたいで農業用水を通すために大きな樋(とよ)が造られました。その樋の上に板を渡して人が渡るようになったのが始まりだそうです。昭和時代に一度コンクリート製になったそうですが、20年前の平成4年(1992年)に現在の木製の橋に建て替えたとのことです。その時に、かつての樋橋のイメージを再現するために現在の橋となりました。
樋橋の両側からあふれた水が川に落ちる「じゃーじゃー」という音から「ジャージャー橋」の愛称で呼ばれているそうです。このジャージャー橋は午前9時から午後5時まで30分間隔で水音を聞かせてくれるそうです。小江戸の町並みに映える風情ある水音は、環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれていました。


やはり木製の橋と古い建物は似合います。


二階建ての高い建物が多い中で珍しい景観の建物でした。調べ見ると与倉屋で、この建物は明治初期のものだそうです。 明治初期に酒醸造業を営み、その後醤油醸造業を戦前までつづけ、昭和30年頃まで製粉業を営み、現在倉庫業をしているそうです。裏手にある与倉屋所有の大土蔵(1889年築)が有名で若手たちが佐原囃子の訓練に励んでおり、夜はお囃子の笛の音を伝建地区に響かせているそうです。
 追伸 こちらは与倉屋さんではありませんでした。 後日調べて掲載します。
  与倉屋の記事はこちらです。→ポチッ 



こちらも白い漆喰壁の趣のある建物がありました。


この写真は上の白い壁の建物を川を挟んで正面から撮ったものです。実はこちらは古い民家を改装したフランス料理店だったのです。建物の外観は昔のままなのがいいですね。


写真の中の看板を拡大してフランス料理店(仏蘭西料理店)であることがわかりました。お店の名前は夢時庵(ムージャン MOUGINS)です。調べてみると人気のお店のようです。次に佐原を訪れた時のランチを食べるお店の候補の一つになりました。


香取街道と小野川が交差する絶好の場所にある植田屋荒物店の小野川沿いの景観です。明治26年(1893年)築の古い建物です。佐原では明治26年築の建物が沢山ありました。実は明治25年に大火があったために翌年に建て替えられた建物が沢山あったようです。


すでに香取街道沿いの記事で紹介した中村屋商店ですが、こちらも香取街道と小野川が交差するの場所にあります。こちらの建物は安政2年(1855年)に建てられた有名な建物です。


和紙のお店の格子もきれいでした。並木仲之助商店の看板がと和紙の提灯も印象的でした。建物は明治25年(1892年)の建築で商店の創業は明治34年(1901年)で日用品雑貨荒物卸業を営み、平成10年より和紙とお香の商いをはじめたそうです。


木の下旅館です。こちらは建設の創業も明治34年(1901年)と書かれていました。映画やドラマの撮影に何度も使われたことがある有名な旅館です。


佐原の町並みの地図です。南北に流れているのが小野川です。地図をクリックすると大きな地図を表示いたします。
クリックすると大きな地図を表示
タグ:佐原 町並み

与倉屋 [佐原 潮来]



千葉県の佐原地区にある昔ながらの町並みで二階建ての高い建物が多い中で珍しい景観だったので、小野川沿いの平屋建物を倉庫業を営んでいる与倉屋さんだと勘違いをして記事に書いてしまいましたが、こちらの写真が本物の与倉屋さんです。調べ見ると与倉屋で、この建物は明治初期のものだそうです。 明治初期に酒醸造業を営み、その後醤油醸造業を戦前までつづけ、昭和30年頃まで製粉業を営み、現在倉庫業をしているそうです。
クリックすると拡大右の写真が小野川沿いの間違えた建物です。クリックすると拡大するので比べてみてください。佐原の古い町並みは香取街道沿いと小野川沿いにだけではないことを、2度目の訪問で実感いたしました。小野川沿いの建物を与倉屋さんと間違えたのは2012年6月27日の1度目の訪問の時でした。今回の2度目の訪問で、こちらを見つけて間違いであることが分かったのです。

確かにネットで説明されていたように裏手には124年前の1889年に建てられた与倉屋所有の大土蔵がありました。これで与倉屋さんであることを完全に確信いたしました。1200棟の家屋を焼失させた1892年(明治25年)の佐原の大火以前の貴重な建物です。


こちらは上の写真の奥の方から撮った大土蔵の写真です。明治期には醤油醸造業に用いられていたそうです。戦時中は武器庫にもつかわれ、戦後は余剰米の倉庫として使われた時代もあったようです。


大きな倉庫で精いっぱい遠くから広角の24mmで撮っても全景を撮ることが出来ませんでした。現在はイベントスペースとしても用いられておりコンサートなどに使われています。夜は若手たちが佐原囃子(さわらばやし)の訓練に励んでおり、お囃子の笛の音を伝建地区に響かせているそうです。佐原囃子は江戸時代から続いているお囃子で、演奏する団体を「下座連」と呼んでいます。現在約70を超える下座連が活動しているそうです。国の重要無形民俗文化財指定されている佐原の山車行事で演奏されます。


倉庫の壁には赴くのある裸電線が張られているのが印象的でした。今時珍しい白熱電球の外灯(街灯)も印象的でした。


冒頭の与倉屋さんの写真の向かいにも趣のある建物がありました。こちらも与倉屋さんの所有の建物でした。


その建物の横の建物も与倉屋さんの所有の建物でした。この辺り一帯が与倉屋さんだったのです。


倉庫の大きさを実感してもらうために航空写真を紹介します。瓦葺の素晴らしい建物であることがわかりました。屋根の上にブルーシートが見受けられます。震災後の航空写真ですね。この地域の地震はひどかったようですが、大土蔵は大きな被害になっていないようでした。作業場を確保するため柱は最小限にする工夫が施されていて、そんな土蔵を支えるのは「小屋組み」という手法で何層にも張り巡らされた梁にあるそうです。大きな地震にも耐えられる構造だったようです。

佐原の町の地図です。赤い丸印のところが与倉屋さんです。この地図をクリックするとネットのオリジナルの地図を表示します。
クリックするとオリジナルの地図を表示します。
タグ:佐原 町並み

佐原の佃煮屋さん [佐原 潮来]



2013年7月4日追伸 タイトル: 佐原の佃煮屋さん
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クリックすると拡大2013年6月21日に千葉県の佐原にいきました。昨年の6月に「いかだ焼」などを買った佐原の佃煮屋さんを見てびっくり、正面が改築されているのです。昨年掲載した写真と比べてみてください。昨年は小さな入口だけでしたが、今年は広い間口に改築されていました。今は真新しい木の色をしていますが数年経てば、周りの色と溶け込んでくると思います。景観を大切にした改築に感心いたしました。

お店の右側の倉やさらに右側の建物も正上です。今回の改築を見て213年間、老舗を続けてきた商魂の底力のようなものを感じました。
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2012年7月12日掲載 タイトル: いかだ焼

こちらの正上と呼ばれるお店の販売を行っている建物です。ここで、お土産として名物の「いかだ焼」を買いました。こちらのお店は江戸時代より醤油の醸造をしていた老舗です。創業は寛政12年(1800年)5月で現在は10代目だそうです。戦後は佃煮の製造販売が主となったそうです。

これが「いかだ焼」で、ワカサギなどの小魚を数尾横に並べて串を打ち、いかだ状にして焼いたものです。醤油を主に甘辛く味付けしたものです。甘さは控え目なのでビールのつまみに合いました。お酒にも合うと思います。


いかだ焼以外にシジミの佃煮も買いました。


モロミも買いました。


さっそくキュウリに付けていただきました。


正上はいくつかの建物で構成されていました。冒頭で紹介し建物の一部が左端に写っていますがこちらに写っている建物もすべて正上です。川とのかかわりを感じさせてくれる景観でした。
天保3年(1832年)建築でだそうで当時の建築様式がそのまま残っているそうです。

タグ:佐原 佃煮

おまけしてもらえました。 加藤洲十二橋 [佐原 潮来]



佐原の加藤洲十二橋舟めぐりのサッパ舟で十二橋→与田浦→十二橋と回って来てところで、うれしいおまけがありました。
利根川(常陸利根川)に出てもらえることになったのです。

利根川に出ると言っても実は簡単ではないのです。加藤洲の水路と利根川とは水位が違うために水門で仕切られているのです。前記事で説明した通り2つの水門で構成された閘門(こうもん)を通る必要があるのです。幸いに水路側の水門は開いていたためにすぐに閘門の中に入ることが出来ました。
水門の前の橋が加藤洲十二橋の一つ「行々子橋」ですが、それまで反対側が見れなかったので読み方は想像の範囲でしか判りませんでした。さらに、くぐっている最中も暗くて読めませんでした。


こちらが利根川側の水門です。
当然、閉まっています。2枚の水門の内、少なくとも1枚は必ず閉まっているために水位の差が維持できるのです。緑の輪が開閉スイッチです。


下の写真が加藤洲の水路側の水門です。
紫の旗が立っている方が利根川側で無い方が水路側なのです。螺旋階段のクリックすると拡大位置でもどちらの水門なのかがわかってもらえると思います。
入ったばかりなので水門が開いています。下の写真を拡大して水門の前の「行々子橋」が「よしきり橋」と読むことを確定することが出来たわけです。
クリックすると拡大

水路側の水門が閉まってきました。水門の黒い部分がここの水の深さです。結構深いことがわかってもらえると思います。


水路側の水門が完全に閉まったところで利根川側の水門が微開して水が入ってきます。数分かかって水位が上がってきます。上の写真の壁の黒い部分まで水位が上がってきたことがわかってもらえると思います。


水位が上がりきったところで利根川側の水門が上がり始めます。


利根川(常陸利根川)の景色が見えてきました。


利根川に出ました。正面に見えるのは前川水門と前川水門橋です。前川水門橋は前川十二橋の一つで、ここから前川を遡ると見ることが出来ます。こちらは加藤洲十二橋と違い大きな橋で、趣は全く違うものです。


前川水門橋の近くまで行って利根川の上流側にUターンしました。利根川の上流の写真です。この方向に霞ヶ浦があります。


こんなルートのおまけでした。Uターンして出てきた水門を目指します。

より大きな地図で 佐原 を表示
加藤洲閘門の方に戻ってきました。幸いにも利根川側の水門が開いていました。我々より前に別の舟が利根川から加藤洲の水路側に入ると利根川側の水門が閉まってしまうのです。


先ほどと同じ手順で水路側に入るのですが閘門の操作のスイッチは船頭さんが入れて自動で行われます。このように水のエレベーターはドイツのネッカー川で一度経験しました。久しぶりに楽しかったです。


水門を一回通過するだけ7分程度かかるので、合計で20分ほどの貴重な体験をさせてもらいました。お世話になりました。お疲れ様でした。
 店名 大友酒店‎
 住所 千葉県香取市加藤洲553
 電話 0478-56-0626

加藤洲十二橋舟めぐり [佐原 潮来]


水郷地帯の名所・加藤洲十二橋と呼ばれる場所に行きました。この水門の向こう側が加藤洲(かとうず)と呼ばれる集落があります。その集落の中を通っている水路に、それぞれの家の人が水路を渡るために庭先から橋を架けたそうです。その数が12個あるので加藤洲十二橋と呼ばれています。そこをサッパ舟でめぐる観光を「十二橋めぐり」と呼ぶわけです。昭和30年(1955年)に、ここ加藤洲を舞台とした美空ひばり主演の映画「娘船頭」が上映されて以後、爆発的に観光客が増加したと言われています。そして加藤洲十二橋を含む北総地域から茨城県南部一帯は、1960年(昭和35年)に水郷筑波国定公園の指定を受けました。
不思議なことに十二橋めぐりには香取市佐原の「加藤洲十二橋めぐり」と潮来市前川の「前川十二橋めぐり」の2つがあります。前川十二橋の名前は前川水門橋、あやめ橋、雨情橋、思案橋、水雲橋、潮音橋、天王橋、出島橋、まこも橋、千石橋、上米橋、前川橋です。今回は映画「娘船頭」の舞台となった「加藤洲十二橋めぐり」を体験するために上の写真の水門のところまで車でやってきました。水門の横の大友酒店にお願いして舟を出してもらうことにしました。水門と書きましたが正確には閘門(こうもん)だそうです。利根川と水路の水位が違うために、船が行き来するために水門が2重になっており、常に一枚の扉は閉まっているのです。閘門は聞きなれない言葉なので、以降は水門と記載させてください。
ネットで「加藤洲十二橋」を検索すると→ Yahoo Google

オレンジのラインが加藤洲十二橋舟めぐりでサッパ船が通ったコースです。人数が多い場合は乗船料金は1300円/人ですが、我々2名だけだったので貸切となることから6500円/舟でした。混んでいる時期は待っているお客さんが居るので貸切は断っていると教えてもらいました。すいていたからこそ貸切の贅沢が出来たわけです。
全行程7.2kmであったことから十二橋の細い水路以外はエンジンで走りました。右上の緑の太いラインが十二橋があるあたりで左の緑のマークはすでに紹介した水郷佐原水生植物園です。右上の黄色いマークは今回は行きませんでしたが潮来市営あやめ園の場所です。赤のラインは車で走ったコースです。

より大きな地図で 佐原 を表示
水門近くの十六夜橋からサッパ舟に乗ります。舟の上の橋が十六夜橋です。


水門に近い北側から順番に橋の名前を紹介します。
  1   よしきり橋        行々子橋
  2   いざよい橋       十六夜橋
  3   おもいで橋       想い出橋
  4   こそだての橋      子育ての橋
  5   すいせん橋       水仙橋
  6   みかえり橋       見返り橋
  7   ふじみの橋       藤見の橋
  8   きんぽうじゅの橋    金宝樹の橋
  9   しのぶ橋         偲ぶ橋
 10   いこいの橋       憩いの橋
 11   こうもん橋        黄門橋
 12   しあん橋         思案橋
 13   あじさい橋        紫陽花橋
一つの橋以外は、橋の北側にはひらがなで名前が書いてあり南側には漢字で名前が書かれていました。紫陽花橋(あじさい橋)だけは反対でした。
あれ十二橋のはずなのに橋が13ありました。一番南にあるコンクリート製の紫陽花橋(あじさい橋)か一番北にある水門のそばの行々子橋(よしきり橋)が加藤洲十二橋から外れるのかもしれません。
この中で十六夜橋のひらがな側の表示は確認できませんでした。
下の写真は十六夜橋を出発してすぐの景色です。一番手前の趣のある細い橋の名前は水門から3つ目のおもいで橋です。こそだての橋すいせん橋も写真に写っています。


こちらは、みかえり橋、ふじみの橋、きんぽうじゅの橋、しのぶ橋、いこいの橋と5つの橋を一度に見ることが出来るスポットです。


クリックするとオリジナルの写真を表示6月末までのアヤメ祭りの期間はネットから拝借した右の写真のようにお団子屋さんも出ていたそうです。そこと同じ場所が下の写真です。見えている橋はこうもん橋と、しあん橋です。すべての橋を紹介したいと思いますが太陽の位置の関係から南から撮った写真の方がきれいなので与田浦から加藤洲十二橋に戻ってきたときの写真を後で紹介いたします。


こちらが我々を案内してくれた娘船頭さんでこの地域の昔のことを沢山教えてもらいました。この辺りに住んでいる方で、ほんとうにサッパ舟で嫁入りをされたそうです。ここでは水路が道代わりだったので舟の扱いを覚えて今は船頭をされているとのことでした。先般の地震では電気や水が長期間止まって苦労されたそうです。


加藤洲十二橋を見た後はエンジンを回して与田浦の水郷地帯の景色を楽しんだ後に加藤洲十二橋に戻ります。


何隻ものサッパ舟とすれ違いました。観光の歴史も古く、今から88年前の大正14年(1925年)には水郷遊覧船株式会社が設立されとの記載もありました。


この辺りの水郷地帯は、今は道路や鉄道も走っていますが、昔は道路がなくすべて船を使った交通だったそうです。写真はJR東日本の鹿島線で丁度、貨物列車が通ったので写真を撮りました。この写真の左方向には無人の十二橋駅があります。十二橋駅の時刻表を見ると昼間は1時間に1本以下(朝夕でも2本)の列車本数なので貨物列車とは言え珍し光景に出会えたことになります。


与田浦の最も広い場所で正面が花菖蒲を見てきた水郷佐原水生植物園です。この場所から大割水門を通って利根川の方に抜ける水路もあるので、東日本大震災の前は、そこを通ってもどる一周コースもあったそうですが、地震の影響で今は通れないと言われていました。
加藤洲十二橋舟めぐりのサッパ舟に乗る方法は我々のように十二橋がある加藤洲まで行って乗る方法と、この水郷佐原水生植物園の近くから乗る方法があります。コースはどちらも同じで料金も同じだと思います。我々のように十二橋がある加藤洲から乗ると十二橋を2回楽しんだ気分になれる気がします。与田浦まで行かないで十二橋だけを楽しむ短いコースもあります。さらに運がよければ、おまけの楽しみもあります。おまけは次の記事で紹介いたします。
ネット内で加藤洲十二橋舟めぐりの記事を見ると、ほとんどが与田浦の水生植物園の脇から乗って十二橋までを往復する内容でした。我々のように十二橋から乗る内容の記事は貴重かもしれません。


十二橋は加藤洲の人家がある400mの間にあります。それでは南側から順番に13つの橋をすべて紹介いたします。これが紫陽花橋(あじさい橋 13)です。これが十二橋に入るかどうかわかりませんが、念のために掲載いたします。この橋以外は全て木造の橋でした。十二橋のあたりだけはエンジンを止めて竹竿で進みます。


これは思案橋(しあん橋 12)です。赤字で「エンジン停止」と書かれていました。
おそらくここからが十二橋だと思います。この場所は直線の水路に6つの橋が架かっているために最も沢山の橋が見れる場所でもあります。ただし5番目と6番目は遠くて判別は難しいです。橋の欄干には思案している日本髪の女性が描かれています。
全ての橋ではありませんが、それぞれの橋には名前にちなんだ絵が飾られていました。        


こちらが黄門橋(こうもん橋 11)です。この加藤洲は寛永三年(1626)に整地されたそうです。ここでは一島二戸の生活が営まれ、そのために水路を挟んだ隣家との往復のために簡単な橋が作られたのが十二橋の始まりだそうです。黄門様で有名な水戸光圀公もよく訪れたそうです。そのこともあり黄門橋の名前が、つけられたのかもしれません。黄門様が梅と係わりがあるからでしょうか、飾られている絵は梅のようです。
ここからは黄門橋、憩いの橋、偲ぶ橋、金宝樹の橋、藤見の橋と5つの橋が見えます。     


黄門橋の次は憩いの橋(いこいの橋 10)です。ここからは4つの橋を見ることが出来ます。いつか陸からも見てみたいものです。


こちらは偲ぶ橋(しのぶ橋 9)です。欄干が片側だけの細い橋です。
あやめ祭りの時期には偲ぶ橋から黄門橋の間で上で紹介したように団子などが売られるそうです。        


こちらが金宝樹の橋(きんぽうじゅの橋 8)です。ひらがなで、一番長い名前の橋がこちらの橋でした。


こちらの藤見の橋(ふじみの橋 7)の橋も立派でした。こちらの欄干には紫色の藤の絵が飾られていました。       


この見返り橋(みかえり橋 6)もなかなか魅力がありました。見返り橋には珍しく絵が飾られていませんでした。       


水仙橋(すいせん橋 5)ではサッパ舟とすれ違う風景に出合いました。趣がありました。       


こちらが子育ての橋(こそだての橋 4)です。生活の中から橋に名前をつけたのだと思います。     


この辺りは、かつて家と家、あるいは田んぼの間を、縦横に張り巡らされた水路(江間・えんま)を舟で行き来していました。加藤洲の水路には、家と家を結ぶ一枚板の簡単な橋が12架っていたので十二橋と呼ばれたようです。今は使われていないとのことでした。こちらも欄干が片方だけの細い橋でした。
想い出橋(おもいで橋 3)は家がなくなったことから、今は使われなくなったとのことでした。
この想い出橋は十二橋が作られた当初の形に近い橋で、他の橋も、このような簡単な橋だったのかもしれません。       


十六夜橋(いざよい橋 2)です。この場所から船が出発いたしました。そして最後にこの場所に帰ってきました。
十六夜橋の奥に見えるのが行々子橋(よしきり橋 1)です。


水門の脇にある行々子橋(よしきり橋)です。
ひらがなで「よしきり」と書いてあるかどうか、写真を確認した結果「よしきり橋」であることが、わかりました。
どのような写真で確認したのかは次の記事で紹介します。


十二橋が確認できるほどのサイズの航空写真を掲載いたします。12+1の橋が確認できると思います。航空写真ではなく地図が表示されている場合は地図の中のアイコン「写真」をクリックすると表示が航空写真(衛星写真)に変わります。緑のラインが十二橋のあるところです。加藤洲十二橋舟めぐりの受付窓口の大友酒店‎さんが航空写真の中にありました。
    店名 大友酒店‎
    住所 千葉県香取市加藤洲553
    電話 0478-56-0626

より大きな地図で 佐原 を表示


追伸 タイトル: 陸からの加藤洲十二橋を見に行きました。

陸からの加藤洲十二橋(かとう ずじゅうにきょう)を紹介いたしました。上の写真は陸から撮った水仙橋(すいせん橋)です。十二橋は水路を挟んだ個人の家を結ぶ橋のために個人の敷地内に作られていることから橋の上には行けないので、家と家の間の道から橋を撮りました。

個人宅の門のあたりから撮った見返り橋(みかえり橋)です。
この写真で個人の家の橋であることがわかってもらえると思います。


舟めぐりの時に家がなくなって使われなくなった橋をあることを思い出して、その橋を探してみました。行ってみると、水路の手前側は家はなく空き地になっていました。この写真で個人の敷地にあった橋あることがよくわかってもらえると思います。こちらは子育ての橋(こそだての橋)です。


隣の想い出橋(おもいで橋)から見た子育ての橋(こそだての橋)です。こちらも家がないことから橋を渡ることが出来ました。


この手すりが片側の細い橋が想い出橋(おもいで橋)です。その向こうに見えるのが十六夜橋(いざよい橋)です。サッパ舟が見えますが、ここが舟乗場になっているところです。その奥の紫色の建造物が水門です。
驚いたことに大友酒店の前で、前回お世話になった女船頭さんに出会えました。


想い出橋は一枚板の橋です。江戸時代に作られた十二橋に最も近い橋ではないかと思います。

散策の後のデザート [佐原 潮来]



2013年6月28日追伸 タイトル:散策の後のデザート
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佐原の町に来て黒切蕎麦と団子を食べた後に買い物をしながら町並みを散策しました。散策の後なので冷たくて甘いものが食べたくなったので以前に入ったカフェに来てみました。これは抹茶白玉パフェです。

こちらは和風アイスパフェです。名前は控えていなかったので、記憶と想像で書いたのでいずれも正確ではありません。
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こちらはキャラメルアイスパフェです。私が食べたのはこちらです。
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2012年9月6日掲載 タイトル:散策の後はアフタヌーンティー

佐原の町並みや小野川沿いの景観を見た後に、一休みのために香取街道沿いにある写真のカフェに入りました。お店は2011年10月17日にオープンしたライスフォレスト (Rice Forest)でした。

飲み物だけのつもりでしたが、お得なセットがあったので、ついセットにしていまいました。頼んだのはケーキ3種とアイスクリー+好きな飲み物が900円のアフタヌーンティーセットです。飲み物はお酒以外ならばメニューにあるものは何でもOKでした。



私が頼んだ飲み物はカプチーノでした。


これがスイーツで結構沢山ある上に好きな飲み物を飲んで900円とはお得でした。この日の3種のケーキはシフォンケーキとチーズケーキにタルトです。


食事もありました。昼食を食べることも考えたのですが、満席だったことから昼食は別のお店にいたしました。人気のようです。その代りに、一通り佐原の町並みを散策した後の14:30~15:00に休憩として利用させてもらいました。この後は香取神宮に向かいました。手作りパンやケーキなども売っていたので食パン(250円)を買って帰りました。ライスフォレスの名前の由来はネットで偶然に知りました。飯森さんって方がやられているので「飯」と「森」で「Rice」と「Forest」だそうです。その記事によると前は雑貨屋さんだったそうです。
  店名 ライスフォレスト Rice Forest Café&Bakery
  住所 千葉県香取市佐原イ1902-7
  電話  0478-54-2260
  営業 10:00~18:00 
  休業 月曜日 


クリックすると買物犬の記事を表示します。この買い物犬を実際に見たわけではありません。
佐原を検索していて偶然見つけて可愛かったので写真を拝借して追記買物犬 さらに25をクリックさせていただきました。
朝夕に小野川沿いで見かけるそうです。その正体は謎で、買物カゴを銜えて主人を手伝っているとのことです。
右の写真をクリックするとオリジナルの記事が表示されます。ランタンを咥えて歩くこともあるそうです。

はす祭りは7月6日~8月11日 水郷佐原水生植物園 [佐原 潮来]



すでに紹介した通り、花菖蒲を見に水郷佐原水生植物園に行きました。この植物園は400種類の花菖蒲が150万株も咲いており日本で有数な花菖蒲園でもあります。水生植物園だけのことはあり、花菖蒲以外でも沢山の水生植物を見ることが出来ます。特筆すべきなのが蓮(はす)で、日本で最も沢山の種類を見ることが出来るそうです。その数は300種類以上だそうです。本家中国でも300種という品種を保有している施設はないそうです。花数ではもっと迫力がある場所があるとは思いますが種類に関してはネットで見ている限りでもダントツです。

ハスの見頃は7月中旬以降ですが、ポツポツと花が咲いていました。上の写真でも右端に見ることが出来ます。


こちらでは7月初旬から8月中旬まで「はす祭り」が開催されます。花菖蒲ほど有名ではないようで、料金は普段通りです。「あやめ祭り」の時は200円高く設定されていました。咲いていたハスの花を紹介いたします。横からみたハスの花です。蕾もしっかりと膨らんできていました。


斜め上から見るとハスの花の特徴であるめしべが見えました。ハスの花を指して「蓮華」(れんげ)といい、仏教とともに伝来し古くから使われた名です。


赤い花のハスも咲いていました。泥の中の地下茎は、よく知られた食べ物の蓮根(れんこん)であることはよく知られています。


上の花を拡大表示いたしました。見れば見るほど不思議な花です。400mmの望遠レンズで撮ると新しい発見がありました。


こちらも焦点距離400mmで撮りました。上の赤いハスの蕾です。大きく膨らんでいました。一か月後には立派な花が開いていると思います。


違う種類の赤い花も咲いていました。


こちらの下の写真はハス(蓮)ではなくスイレン(睡蓮)です。スイレンとハスの違いを説明しますとスイレンの葉は水に浮いているのに対してハスの葉は水上に出ています。これで区別がつくと思います。
この植物園では30種5000株のスイレンを見ることが出来ます。色とりどりのスイレンがすでに咲いていました。
     スイレン              ハス
 目: スイレン目 Nymphaeales   スイレン目 Nymphaeales
 科: スイレン科 Nymphaeaceae ハス科 Nelumbonaceae
 属: スイレン属 Nymphaea     ハス属 Nelumbo


咲いていたスイレンの花の一部を紹介いたします。ただし小さな黄色い花がスイレンかどうかはわかりません。これらの写真もほとんどを400mmのレンズで撮りました。




はす祭りに向けて準備中でした。


南京から贈られた中国種がたくさんありました。大賀はす、数千枚の花弁を持つ千弁蓮(多頭蓮)など沢山の珍しいハスを見ることが出来ます。いろんな種類を見たい方にはお薦めの場所です。


ここではハスの花を目の前で見ることが出来ると思います。花の写真を撮られる方は、この植物園がお薦めかもしれません。昨年(2012年)のハス祭りは7月7日(土)~8月12日(日)でした。はすの花は、夜明けとともに咲き始め、昼前には閉じるそうです。そのために下記のように普段より早い開園が設定されています。今年(2013年)のハス祭りは7月6日(土)~8月11日(日)です。
 名前 水郷佐原水生植物園 すいごうさわらすいせいしょくぶつえん
 電話 0478-56-0411
 住所 千葉県香取市扇島1837-2
 営業 あやめ祭り期間 8:00~18:30
     はす祭り期間  6:00~16:00(土日祝) 8:00~16:00(平日)
     その他      9:00~16:30
 休園 5~8月 無休
     その他  月曜日 年末年始 
 敷地 6万㎡ (6ヘクタール)


巨椋池系と呼ばれているものが多数ありました。これは、花蓮(はなはす)の名所として知られた京都の巨椋池(おぐらいけ)のハスですが、巨椋池は花蓮(はなはす)の名所としていたにも関わらず1941年に干拓されてなくなってしまいました。残念がられていましたが田植え時期などに幼苗がいくつも見つかり、保存が行なわれているそうです。その歴史的名花を、保存している植物園から分けていただいたとのことです。干拓前の巨椋池は周囲約16キロメートル、水域面積約8平方キロメートルで、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖だったそうです。写真をクリックすると旧巨椋池の位置に青マークの付いた地図表を示します。
地図を表示

一方、南京市とは1991年以降、相互に交流を重ねて珍しい種苗も贈られたそうです。それらのハスの花もハス祭りのころには見ることが出来ると思います。


緑のBのマークのところが水郷佐原水生植物園です。蓮根(れんこん)の日本一生産量の茨城県です。特に生産量の多い土浦市、かすみがうら市、小美玉市、稲敷市は目と鼻の先の位置です。ちなみに市の中で日本一なのが土浦市です。


あやめ祭り 水郷佐原水生植物園 [佐原 潮来]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2013年6月27日追伸 タイトル: あやめ祭り 水郷佐原水生植物園

昨年に引き続き今年も水郷佐原水生植物園に花菖蒲を見にやってきました。昨年はアヤメ祭りは終了した後でしたが今年の訪問は2013年6月21日のため、初めてあやめ祭りの期間中(2013年6月1日~6月30日)の訪問となりました。平日であったとは言えに入口付近から、にぎやかな雰囲気でした。

広い庭園には昨年と同様に沢山の花が咲いていました。
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さっぱ船も雰囲気を盛り上げていました。
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池の周りにはいろんな背景で花を見ることが出来ました。
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ほんとうに沢山の花で埋め尽くされていました。
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紫の地に白の文様が入った花菖蒲です。
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白地に紫の模様の入った花菖蒲です。
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アヤメとカキツバタと花菖蒲の違いを説明した看板あったので紹介します。
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植物園に植わっているのは花菖蒲でアヤメではないけれども「あやめ祭り」と呼んでいます。その方が呼び方としては受け入れやすいのだと思います。花菖蒲もアヤメ科アヤメ属なので間違いではないですね。ノハナショウブ(野花菖蒲)は園芸種のハナショウブ(花菖蒲)の原種となります。Wikimediato拝借した写真で左から野花菖蒲(ノハナショウブ)、アヤメ、カキツバタです。
      花菖蒲        あやめ        かきつばた
 目   キジカクシ目     キジカクシ目     キジカクシ目
 科   アヤメ科       アヤメ科       アヤメ科
 属   アヤメ属       アヤメ属       アヤメ属
 原種  ノハナショウブ    アヤメ        カキツバタ
 園芸種 ハナショウブ
野花菖蒲あやめかきつばた
    野花菖蒲              あやめ              かきつばた

2012年6月28日掲載 タイトル: あやめ祭りは終わっていました。

今は花菖蒲(はなしょうぶ)の季節ということで、家内の誕生日祝いを兼ねて2012年6月27日は休暇をとって水郷佐原水生植物園に行ってきました。残念ながらイベントのアヤメ祭りは6月24日(日曜日)に終了していました。そのおかげで静かに花ショウブを見ることが出来ました。こちらの植物園ではいろんな水生植物が植えられていますが、花菖蒲は特に多く、その数である400種150万本は日本有数の規模だそうです。

IMG_7561-120.jpgネットで規模を調べた範囲では、結婚したころに家内と行った右の写真の兵庫県三田の永沢寺の650種300万本が一番多かったのですが、それ以外で水郷佐原水生植物園の400種150万本を超えるものは見つけられませんでした。数万本、数十万本は結構ありますが100万本を超えるのはすごい規模であることがネットでも実感できました。敷地的には永沢寺が3万3千㎡に対して水郷佐原水生植物園は6万㎡(6ヘクタール)と池があったりサップ船から観賞したりと変化にとんだ花菖蒲園と言えます。
高速道路を使って家から1時間ほどの距離なので前から行きたいと思っていたのですが、結局、今回が初めての訪問となりました。
ネットで検索した各花菖蒲園の表現を参考に記載します。
 千葉県 水郷佐原水生植物園   60000㎡  400種  150万本
 茨城県 前川あやめ園        13000㎡  500種  100万本
 静岡県 浜松市フラワーパーク          720種  100万本
 静岡県 加茂花菖蒲園        10000㎡ 1500種 100万株
 山形県 長井あやめ公園      33000㎡  500種  100万本
 大阪府 高槻花しょうぶ園      45000㎡  500種  100万本
 兵庫県 播州山崎花菖蒲園     90000㎡ 1000種  100万本
 兵庫県 永沢寺花菖蒲園      33000㎡  650種  300万本
 奈良県 花の郷滝谷花しょうぶ園 25000㎡  600種  100万本

少し、最盛期を過ぎていましたが、まだまた沢山の蕾がありました。


それらの中にも、きれいに咲いた花も沢山ありました。


こちらの花もきれいに咲いていました。こちらの花菖蒲は江戸古種の「酒中花」という種類です。水郷佐原水生植物園では400種もあると聞いて驚きました。ハスも300種あるそうです。ハナショウブ(花菖蒲)はアヤメ科アヤメ属の多年草で花の色は、白、ピンク、紫、青、黄など多数あって、絞りや覆輪などとの組み合わせを含めると5,000種類あるそうです。大別すると、江戸系、伊勢系、肥後系の3系統に分類できるそうで日本を代表する花ではないでしょうか。


花の中の最もピントが合っている部分を拡大いたしました。


こちらの少し紫の入った白いハナショウブもきれいでした。


水郷佐原水生植物園は今から43年前の1969年(昭和44年)に開園した千葉県香取市にある市営の植物園で水郷地帯をイメージして作られています。大きな池(鯉の浦)の中に沢山(5つ)の中島が配置されたデザインになっていました。


沢山のハナショウブには圧倒されました。


ハナショウブは紫が似合います。


風情のある笠をかぶって園内の手入れをされていました。


植物園の池ではサッパ船を使った「舟めぐり」も行われていました。


両岸に花菖蒲が咲いている船の中からの景色は素晴らしいのではないでしょうか。写真をクリックすると園内の舟めぐりコースを表示します。あやめ祭りなどお客さんの多い時期は半分の距離になるようです。


こちらが入場券の表と裏です。あやめ祭が終わっていたので入場料は500円でしたがJAFの会員だと100円引きだったので400円/人で入ることが出来ました。植物園を紹介いたします。
 名前 水郷佐原水生植物園 すいごうさわらすいせいしょくぶつえん
 電話 0478-56-0411
 住所 千葉県香取市扇島1837-2
 営業 あやめ祭り期間 8:00~18:30
     はす祭り期間  6:00~16:00(土日祝) 8:00~16:00(平日)
     その他      9:00~16:30
 休園 5~8月 無休
     その他  月曜日 年末年始 
 敷地 6万㎡ (6ヘクタール)


Bのマークのところが水郷佐原水生植物園です。


写真を追加いたしました。さすが植物園です。沢山の名札が付けられていました。名札を意識して撮らなかったので名札が沢山写った写真を探すのに苦労いたしました。名札を裏から撮った右のような写真は沢山ありました。この次はじっくりと名前を見たいと思います。


上で紹介した兵庫県の永沢寺の花菖蒲園の入場券が保管されていたので掲載いたします。関西に住んでいたころに車で行きました。


裏面に説明書きがありました。この当時でも300万本の花菖蒲が植わっていたとはすごいです。

お団子 茶房さかした [佐原 潮来]

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黒いお蕎麦を食べた小堀屋本店の隣が、お団子屋さんでした。蕎麦を食べた後ですが、焼かれていたお団子が美味しそうなのでお店に入ってみることにしました。
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こちらがお団子屋さん「和菓子処さかした」です。「茶房さかした」の呼び名も使われています。丸いポストが目印の上に手作りの耳かきを売っているのですぐに判ると思います。こちらのお店の左側が小堀屋本店です。
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クリックすると拡大団子は佐原産の「こしひかり」で作ったもののようです。団子は白と草餅の2種類で「みたらし」と「あん」と「いもあん」がありました。いずれも一本100円で抹茶(or煎茶)とのセットが400円で饅頭を一個追加すると480円でした。
店の前の幟(のぼり)の文字が気になったので左右を反転させたのが右の写真です。そこには「みたらし団子」と書かれていました。クリックすると拡大するので字が読みやすくなると思います。


人気で座って食べているとお客さんがよく買われていました。


こちらが耳かきを作っておられる八木昇さんです。毎週土曜21時からテレビ東京テレビで放送されているアド街ック天国で紹介されたことがあるそうです。右側の赤い布がかけられた椅子に座って団子をいただきました。
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こちらが私が食べた団子です。少し待ちますが焼きたての団子が出てきました。


一つ食べて焼きたての団子の美味しさに驚きました。香ばしく焼かれた団子を紹介したくて団子の裏側を撮りました。冒頭の写真で団子を斜め並べて焼いていた理由が判りました。きれいな焼き目をつけるためだったのです。


こちらがみたらし団子です。写真を撮ろうとしたときには一個食べられてしまっていました。こちらは食べていないのですが、焼き目から美味しさが想像できました。

タグ:佐原 だんご

黒切りそば 小堀屋本店 [佐原 潮来]

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クリックすると拡大昨年にアヤメ祭の季節(2012年6月27日)とハス祭の季節(2012年7月19日)に計2回ほど江戸の町並みが残る千葉県香取市佐原の町に行きましたが、今年も2013年6月21日に佐原にやってきました。この佐原の食べ物屋さんで一番有名なお店が、日高昆布を練りこんで真黒の色の蕎麦を出す小堀屋本店だと思います。黒い蕎麦の名前は「黒切りそば」で昨年も当然、黒切りそばを食べようと思って来たわけですが、残念ながら震災復興中の影響か2回ともにお店が休みであったことから食べることは出来ませんでした。今回、3回目にして初めて念願の黒切りそばを食べることが出来ました。

黒切りそばは江戸時代から伝わる変わり蕎麦で、小江戸・佐原にふさわしいものだと思います。昨年は補修中の建物が沢山残っていましたが、ほんとどの建物の補修が感利用したことから昔の町並みが復活していました。白い暖簾(のれん)が下がっているお店が小堀屋本店です。
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正面から見た小堀屋本店です。沢山の人が外で待っていました。暖簾が下がっているところが入口で、入口の左側に順番待ちの名前を書くテーブルが置かれていました。我々も名前を書いて待つことにいたしました。3人で来たのですが私がお店の前で待っていて、2人が買い物に出かけました。次の順番になった時に携帯で連絡を撮ったので効率よく買い物が出来ました。
クリックすると拡大 店名 小堀屋本店
      別館あり 右の写真
 住所 千葉県香取市佐原イ505
 電話 0478-52-4128
 営業 11:00~16:30
 定休 水曜日
 HP  http://koboriya.jp/
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創業天明弐年の看板が印象的でした。天明2年は1782年なので今から231年前に創業したことになります。
小堀屋はもともと醤油醸造を生業としていましたが、天明年間の火事をきっかけに、同2年(1782)に蕎麦屋に転業、以来今日にいたっています。


人が待っているすぐ上の軒下にはツバメの巣がありヒナたちが大きく育っていました。


建物の説明書きには建物は明治33年で土蔵は明治23年に建てられたことが書かれていました。東日本大震災で被害を受けで沢山の団体や人々の支援によって建物の修理が行われたそうです。上の写真で真新しい白木の部分は今回、補修されたものと思われます。屋根瓦は完全に新しくなっていることも気がつきました。
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木造の小堀屋本店の左先隣りに石造りの建物がありますが、こちらは小堀屋本店(別館)でお客さんが多い時はこちらでも営業をしておられるようです。震災後、木造の建物が復旧するまでは、こちらの別館だけで営業されていました。


約30分ほど待ってお店に入ることが出来ました。待った甲斐がありました。急こう配の階段や蔀戸(しとみど)など江戸や明治の特徴が残る建物で昔の雰囲気で江戸時代から伝わる蕎麦を味わうことが出来ました。
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下の写真が冷たいお蕎麦のメニューです。名物の黒切蕎麦は4つです。黒切りそばを2つに黒天もりを1つ頼みました。クリックすると温かい蕎麦のメニューを表示します。温かい蕎麦には黒切りそばはありませんでした。12月限定で柚子皮を練りこんだ柚子切蕎麦もあるそうです。
クリックすると温かい蕎麦のメニュー 黒切りそば  900円
 黒天もり   1500円
 上黒天もり  1700円
 黒切セット  1330円
クリックすると温かい蕎麦のメニュー

こちらが「黒切りそば」です。確かに真黒のお蕎麦でした。のどごしも良くおいしいお蕎麦でした。こちらの写真はフラッシュを使いました。冒頭の写真はフラッシュなしで撮影いたしました。
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麺を拡大いたしました。黒さが判ってもらえると思います。小堀屋本店さんにはうどん、素麺などを含む57種類の麺の製法を伝える享和期に記された麺等の製法の秘伝書や、およそ300年前の鹿革の半纏などのお宝が代々伝わっているそうです。


クリックすると拡大こちらが「黒天もり」です。フラッシュなしの方が黒さが実感出来るので右にフラッシュなしの写真を掲載いたしました。
上の「黒切りそば」と比べて天婦羅が付いているだけではなく蕎麦の量も多いのでお得です。量はかなり少なかったので女性の方でも、単品の「黒切りそば」は量が足らないとおもいます。すこし高いけれども「黒天もり」か「黒切セット」を注文することをお勧めするのが正直な印象でした。大盛りがあれば大盛りを頼むのもよい方法だと思います。「黒天もり」の天婦羅は海老、カボチャ、ナス、シシトウでした。写真を撮るために注文した単品の「黒切りそば」は量が少なかったので、天婦羅は三人で分けていただきました。
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佐原でフランス料理を食べてきました。 [佐原 潮来]



水郷佐原水生植物園ハスを見るために2012年7月19日(木曜日)に佐原に来ました。花菖蒲の時期(2012年6月27日)に来たときに気になったフランス料理店がありました。今回は、そちらのお店で昼食(ランチ)をいただくことにいたしました。7月14日から7月22日まで会社が電力節電休暇のため家内と2人で平日の佐原を楽しに来たわけです。

この和風の建物がフランス料理店なのです。小野川沿いの和風の白い漆喰壁の趣のある建物で洋風のフランス料理が食べれるということで興味が湧きました。ネットで調べてみるとなかなかの評判のお店のようでありました。


川を挟んで正面からの写真も紹介いたします。こちらは古い民家を改装したお店で建物の外観は昔のままなのだと思います。町並みを大切にするレストランでした。建物の外観の写真はいずれも前回の時の写真です。


各テーブルはきれいに花が飾られていました。夜はテーブルクロスがかけられるので一段とフランス料理の雰囲気が出てくると思います。


家内は「ランチコース(2200円)」を頼み、私は「国産牛ほほ肉の赤ワイン煮込み(1900円)」+「本日のスープ(500円)」を頼みました。他の皆さんは同じメニューを頼まれていましたが、料理を紹介したかったので別の料理にいたしました。先ずは、ほほ肉の赤ワイン煮込みを紹介いたします。最初にサラダが出てきました。


本日のスープは2種類ありました。カボチャの冷製スープとこちらのトマト系のスープです。珍しい名前のスープだったのでこちらのスープにいたしました。


こちらがメインディッシュの「ほほ肉の赤ワイン煮込み」です。


たっぷりの時間をかけて煮込まれているようでナイフは全く必要ないほど柔らかでした。実際フォークだけでいただきました。ナイフは野菜を切るだけに使いました。メインにふさわしい味の一品でした。


ふんわりと焼き上げた天然酵母の自家製パンもなかなか良かったです。結局4個いただいてしまいました。


コーヒーと紅茶が選択できますが、いつも通り紅茶をお願いいたしました。デザートはストロベリーのシャーベットとフルーツでした。


和風の建物でフランス料理というのも、確かに洒落ていていいですね。


ランチコースの方も紹介いたします。サラダは私のと違いボリュームのあるものでいろんなな貝も沢山入っていました。サラダというよりは前菜でした。ネーミングも「シェフ特製前菜盛り合わせ たっぷりサラダ」でした。


スープは私の頼んだスープと同じでしたが、少し少な目でした。


メインディッシュは3種類から選べます。頼んだのは「銚子港から水揚げされた鮮魚のお料理」でした。残りの2つは「国産牛サーロインのグリル 温野菜添え」か「幻霧ポークのグリル 粒マスタードソース」です。魚の種類は確認し忘れましたが新鮮な白身の魚なのでスズキではないかと思います。


家内も紅茶を選択しました。デザートは「マンゴーゼリートとマンゴーシャーベット フルーツ添え」でした。


11時33分にお店に入った時は席が空いていましたが、帰る時の12時39分は1階の10~11ある席は完全に満席になっていました。2階にも沢山の人が上がって行かれたので平日にも関わらず沢山の方が来られているのに驚きました。

帰りに店内を撮るつもりでしたがお客さんが写ってしまうので2階に上がる階段を撮らせてもらいました。お店に来たときに撮ればよかったと後悔いたしました。この写真と上で紹介したテーブルの写真で店内の雰囲気を想像願います。


お店を紹介いたします。
  店名 夢時庵 ( ムージャン MOUGINS )
  住所 千葉県香取市佐原イ3403-2
  電話 050-5798-6665
  種類 フランス料理店(仏蘭西料理店)
  営業 11:30~14:00(L.O.) 17:30~21:00(L.O.)
  休み 火曜日


夢時庵には平日なので予約せずに行きましたが11時33分だったので入れたのかもしれません。日によって違うのかもしれませんが満席に近い状態になることがありうることがわかりましたので予約することをお勧めします。
夢時庵だけが人気なのかと思いましたが、佐原の古い町並み辺りのレストランは観光シーズンとは関係なく人気のようです。こちらは別の和食の料亭の入口のメニューです。結構、高級な料理コースが並んでいますが満席との紙が貼られていました。このときが13時29分でした。食べたことがあり美味しいと思ったお店しか紹介しないのですが、佐原全体がランチの穴場的存在のような気がしたので、こちらのお店では料理を食べていないのですが、特別に紹介いたします。
  店名 佐原 千与福 (千よ福)
  住所 千葉県香取市佐原イ1720-1
  電話 0478-52-1611
  種類 和食 懐石・会席料理
  営業 11:30~14:00(L.O.)
      17:30~21:00(L.O.)
  休み 月曜日(祝日の場合は翌日)


このような、ちょっと入ってみたくなるイタリアレストランもありました。お値段は夢時庵よりも少し高めのような気がしました。こちらは中村屋商店の隠居所として使われていた建物ださうです。全てを見たわけではないけれでも古民家を利用して一流レストランが沢山ある町が佐原の特徴になってきているような気がします。
こちらのお店も料理を食べていないのですが、紹介いたします。
  店名 リストランテ カーザ・アルべラータ (Ristorante Casa Alberata)
IMG_8267-160.jpg  住所 千葉県香取市佐原イ1727
  電話 0478-79-9422
  種類 イタリア料理
  営業 11:30~14:00(L.O.) 
      18:00~20:30(L.O.)
  休み 月曜日 火曜日不定休 9月4日~9月13日


3軒のレストランの場所を地図に青色のマークで示しました。いずれも小野川沿いにあります。マークをクリックするとレストランの名前を表示しますが、上から順番に夢時庵、千与福、カーザ・アルべラータです。
緑のマークは古い街並みの中心に位置する忠孝橋です。

より大きな地図で 佐原 を表示
フランス料理夢時庵の小野川を挟んで向かいにはこのようなスパゲッティー屋さんと思われるお店もありました。前回来たときは工事中だったので出来たばかりだと思います。でも結構、お店の中には人が入っていました。お店の名前は洋麺店ワーズ・ワースです。町並みを大切にしてくれているのがうれしいです。

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