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明石城の花見 第88回ハイク参加 [神戸]

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今までに何度か紹介したように新入社員で配属になったのがクリックすると拡大神戸事業所でそこの仕事仲間の人達の多くとは組織ごと東京に転勤になりました。その後、転勤や退職で神戸に帰った人たちが定期的に行っておられました。そのことを偶然知ったのが2018年12月26日でした。私は千葉県に住んでいますが、2018年の年末に関西に行ったときに、その人たちの神戸駅前で行われた忘年会に初めて参加させていただき、その時に年に数回ほどハイキングを行うことを聞いて、私が関西に行ったときにタイミングが合えば参加させていただくことになりました。今までに参加させていただいたのは第72回から7回で、今回が8回目参加の第88回ハイク(2024年3月29日)で、明石公園(明石城)での花見でした。明石は隣接はしていますが神戸ではありませんが、神戸の仲間の集まりで隣の市なので、カテゴリーは神戸にしました。

今までに参加したハイキングの場所の地図も掲載しておきます。紫色マーク( )が今までに参加したハイキングです。
    2018年12月26日(水) 冬の忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    2019年12月25日(水) 冬の忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花のみち~文化芸術芸術センターなど散策
第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
    2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN) 16名参加
第85回 2023年10月13日(火) 兵庫大仏/清盛塚など散策
 第86回 2023年11月14日(火) 有馬温泉(瑞宝寺公園 路地裏散策 金の湯)散策
     2023年12月22日(金) 冬の忘年会 燦(SUN)
 第87回 2024年02月20日(火) 須磨離宮公園での観梅
第88回 2024年03月29日(金) 明石公園での花見
第89回 2024年05月10日(金) 五月山公園の新緑散策&ラーメンミュージアム
:参加  :予定  :新型コロナを配慮して場所を選択


今までは関西に来ている時に参加したため、泊まっている実家の最寄の逆瀬川駅が出発地でしたが、今回は千葉県の自宅からクリックすると拡大直接集合場所の明石駅に行きました。自宅を5時35分に出発し、品川から新幹線に乘り新大阪で新快速に乗り換えて明石駅に向かいました。時間帯によっては'こだま'に乗り換えて西明石経由の方が早い着く場合があります。写真は新大阪駅の神戸方面に行くホームです。
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花見の差し入れに新大阪駅で赤福を買いました。関西に実家があり神戸にも行く機会が多いのに、不思議と新大阪から神戸や明石まで快速や新快速に乗ったは数十年ぶりなので窓からの景色を沢山撮りました。会社の神戸事業所に行く場合は新幹線で新神戸まで行くのが便利だし、会社の明石事業所(西明石)に行く場合は新幹線で西明石まで行くのが便利だからです。
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こちらは、私が中学生時代に通っていた神戸市立本山中学校です。この地区に小学校4年から高校2年まで住んでいて小学校は神戸市立本山第一小学校に通っていました。思い出すと懐かしいです。
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明石駅に着きました。明石駅のホームから明石城よく見えるので明石城のクリックすると拡大写真を何枚か撮りました。城のような建物が2つ見えていますが左(南西)が坤櫓(ひつじさるやぐら)で右(南東)が巽櫓(たつみやぐら)です。2つの櫓が本丸の左右の櫓になります。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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クリックすると拡大本丸部分を拡大いたしました。
明石公園の右のシンボルマークのような構図です。
坤櫓と巽櫓は復元されたものではなく江戸時代の本物で国の重要文化財です。本丸には天守台は残っていますが、天守閣は建設されなかったそうです。明石城は第2代将軍の徳川秀忠の築城命令(1617年)により建設が始まり、江戸時代(1603年~1868年)の15年目の1618年(元和4年)に完成したそうです。一国一城令で廃城になった三木城、高砂城、枝吉城、船上城、伏見城などの材料が利用されたようで、坤櫓は伏見城から、巽櫓は船上城から移築されたとされています。
本丸の北東隅には艮櫓(うしとらやぐら)が、北西隅には乾櫓(いぬいやぐら)があり、本丸は四隅に櫓がある姿でしたが、残念ながら艮櫓は1881年(明治14年)に、乾櫓は1901年(明治34年)に解体されてしまったそうです。
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こちらが伏見城からの移築されたとされている坤櫓(ひつじさるやぐら)です。
クリックすると拡大天守閣が作られなかったことから、この坤櫓が天守の役割をしていたようです。位置的にも坤櫓のすこし奥に天守台があります。坤櫓は1631年(寛永8年)の寛永の大火の際に焼け落ち、現存櫓は再建したものと考えられているそうです。右の櫓内部の写真は明石公園のHPから転用させていただきました。
寛永の大火とは、築城12年後の寛永8年(1631年)の正月、本丸の高い崖下にある三の丸の台所からの出火により本丸が全焼した火災のことです。もし天守台の上に天守閣を築いていたら天守閣も全焼していた可能性が高い気がします。本丸の御殿が全焼したことで城崖の南側全体にあたる三ノ丸西部の内堀で囲まれた一郭の居屋敷曲輪が藩主の居館となったそうです。
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こちらが船上城からの移築とされたとされている巽櫓(たつみやぐら)です。
クリックすると拡大船上城は一国一城令により取り壊さることとなったことから利用されたようです。巽櫓も寛永の大火(1631年)により焼失して再建されたようです。柱や垂木(たるき)や梁(はり)の木材は規格品により統一されていたことから、寛永時代の最新技術で築かれ、廃材は一切使われていないことも分かっているそうです。
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こちらが明石駅のホームです。明石城の写真を撮っていたので人がいなくなりました。
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本来の集合時間は10時45分ですが、遠方の2人(鳥取と千葉)は11時30分に設定されていました。10時45分に集合した人は明石の魚棚に花見用の食料と飲物を買いに行っていただいていました。私と鳥取からの人が集まったところで明石城に向かって歩き始めました。
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明石駅から明石城の堀までの写真です。駅出口から堀まで40mの距離なのです。


これが駅前の中堀です。
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堀沿いに入口まで歩きます。


掘り沿いに歩くと入口に近づいてきました。
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さらに近づきました。明石城は姫路城(1346年築)を意識して造られたためか、敷地的には姫路城より広い城でした。
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明石城(明石公園)への入口です。石垣が見えているところが太鼓門の跡です。
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広い広場に出ました。明石城は本丸を中心に東側に二の丸、その東に東の丸が配され、南側に三の丸、西側には稲荷郭が設けられたことから、この広場は三の丸になるのだと思います。櫓は合計20基で門は合計27棟だったそうです。
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花見の宴会場所を探しているところです。ちなみに桜の花は全く咲いていませんでした。花が咲いていないことを気にする人はいませんでした。


宴会場所に目星をつけて進んでいるところです。駅前あたりに建っている高層ビルは高層マンションのプラウドタワー明石です。
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花見宴会の準備をしているところです。



明石の魚棚で買ってきた食べ物や飲み物が並びました。
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大きな焼き鯖寿司が印象的でした。
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宴会の雰囲気をお伝えします。
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鳥取から参加された方(真ん中の写真の右端の人)とは、入社3年目に低発熱量の多量の排ガスをプラチナの触媒で酸化処理して熱をエネルギーとして回収する方式のプラントを指導されながら設計して納入させていただきました。入社1~2年目に横浜の化学会社にプラントを設計して納入した案件で指導いただいた方(右の写真の右端の人)は、ハイキングを企画してしている方です。また入社した岡山県水島に納めたプラントのお手伝いをさせて抱きましたが、そのプラントの設計納入責任者/プロマネ (真ん中の写真の左端の人)の方も参加されていました。そのほかの方も私が入社してから一緒に仕事をさせていただいた方ばかりなので話が弾みました。


記事を書いていて懐かしくなったので神戸時代に私が設計を担当したプラントの写真を4枚掲載いたしました。
こちらが入社3年目に設計担当したプラントの写真です。左側は製作した神戸事業所から出荷するときの主反応器で、この中にハニカムタイプのプラチナの触媒が2段と熱交換器が納まっています。右の写真はプラント全体の写真で鉄骨の中に左の主反応器が設置されています。こちらは世界初のシステムでした。このプラントは関西に納められました。このプラントの設計を指導してくださったのが鳥取から参加してくださった方です。
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こちらが入社1~2年目で初めて全体を設計担当して、横浜に納めたプラントの写真です。クリックすると拡大このプラントを設計した時に指導してくださった先輩が上で紹介したハイキングを企画されている方です。右の写真は、そのプラントで使われるバーナー(燃焼器)の前で撮った記念写真です。このプラントを担当するまでは、製品開発のための実験をしたり、プラントの一部を設計していました。こんな話をしながら盛り上がったのです。
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別の角度からの写真です。他にも沢山のグループが来られていました。
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片付けの写真も紹介します。



坤櫓(ひつじさるやぐら)を背景に記念写真を撮りました。
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クリックすると拡大右の写真(Wikipediaから転用)の天守台まで築かれながら天守閣が建てられなかった明石城にとっては、本丸未申の角(南西端)に築かれた坤櫓(ひつじさるやぐら)は天守の役割を持っていたようです。太平洋戦争で7つの城(水戸城 大垣城 名古屋城 和歌山城 岡山城 福山城 広島城)の天守を失いましたが、明石城の坤櫓は焼けなかったのは良かったです。
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 城郭構造 連郭梯郭混合式平山城
 天守   建築されず(天守台はあり)
 築城主  小笠原忠真
 築城年  1618年(元和4年)
 廃城年  1874年(明治7年) 256年間
 主な城主 松平氏(越前系)
 主改修者 松平直常
 遺構   櫓、石垣、堀、移築門
 再建造物 巽櫓と坤櫓を繋ぐ塀(1999年)
 名城度  日本100名城
 文化財  国の重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国の史跡
 別名   喜春城(きはるじょう、きしゅんじょう)、錦江城(きんこうじょう)
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帰りながら二次会の場所を相談しました。明石での二次会はやっぱり明石焼(玉子焼)という結論になりました。


明石焼が美味しいお店で、お酒が飲めて長居が出来る条件のお店は難しいと思っていましたが、やっぱり地元の人がいると迷わず のお店に行きました。超人気の"たこ磯"の前を通ると大行列でした。"たこ磯"は神戸市須磨区に住んでいる頃に1度行ったことがあったので懐かしく魚棚を歩かせていただきました。
 明石焼 いづも  明石焼 他店  ━━ 明石魚棚商店街


こちらが明石焼いづもです。この写真はGoogle地図に登録されていた写真を転用させていただきました。お店の外の写真を撮り忘れてしまったのです。
 名前 いづも
 住所 兵庫県明石市本町1-2-19
 電話 078-912-8120 予約不可
 営業 平日 11:00~17:30  土日祝 10:00~17:30 
 定休 水曜日
 席数 44席
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これが明石焼(玉子焼)です。
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別の角度の写真です。もちろんビールもいただきました。
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ふわふわの明石焼をつゆで食べるのが、明石焼の特徴です。
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やっぱり本場の明石焼と一緒に飲むビールは最高でした。
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沢山並んだ写真も紹介します。
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こちらは女性陣の方のテーブルです。
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タグ:花見 明石
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