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下谷上農村歌舞伎舞台 神戸市北区山田町 [神戸]

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上の写真は今回の記事の主役である国指定重要有形民俗文化財の下谷上農村歌舞伎舞台(しもたにがみ のうそん かぶきぶたい)です。場所は神戸市北区山田町です。私が会社に入社して新入社員として配属となったのが神戸の事業所でした。昨年の12月に関西に行ったときに、その神戸の人たちの神戸駅前で行われた右の写真の飲み会(12月26日 権太)に初めて参加させていただき、懐かしい思いをさせていただきました。その時に年に数回ほどハイキングを行うことを聞いて、私が関西に行ったときにタイミングが合えば参加させていただくことになりました。その後、下記の案内が届いたので初めて2019年4月20日の「神戸市北区の重要文化財巡りハイク」に参加させていただきました。
 第70回 2019年1月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年3月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
 第72回 2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
ルートは次の枠内の通りでした。途中でバスを使っています。神戸市の北区に沢山の重要文化財があるのに驚かされました。関東に引越まで長く神戸(東灘区と須磨区)および神戸周辺に住んでいましたが、六甲山の北東方向の北区山田町に、これほど沢山の国指定の重要文化財があるとは知りませんでした。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六条八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→下谷上農村歌舞伎舞台(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅

ハイクの最初の訪問場所の箱木千年家で撮った、今回のメンバーでの記念写真です。紹介の記念写真は、顔が判らないように人が小さく写った写真にさせていただきました。一番右側が私です。いつもは、もっと多いそうですが、この日は7名でのハイキングとなりました。
こちらの住宅は室町時代か鎌倉時代後期に建てられたとされています。現存する日本最古の民家とされる国指定の重要文化財の箱木千年家に関しては 後日に紹介したいと思っております。
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こちらが集合場所の神戸電鉄の箕谷(みのたに)駅です。
集合時間は9時30分となっていましたが、ある理由により8時32分に箕谷駅に着きました。実はハイキングのルートの案内の中に、時間の関係で下谷上農村歌舞伎舞台には行かないこともありうる旨の説明があったことから、確実に下谷上農村歌舞伎舞台の写真を撮るために、私だけ早く来たのでした。
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駅前の写真のお店で下谷上農村歌舞伎舞台への行き方を訪ねて道順を教えていただきました。山田中学校まで行けば判るとのことなので、歩き始めました。
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途中に大きな道がありました。横断歩道を渡ったところで下谷上農村歌舞伎舞台の道順を聞きましたが、下谷上農村歌舞伎舞台は判らないとのことなので山田中学校の場所を聞くと中学校への道順はすぐに判りました。
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写真には写っていませんが左の方に中学校が見える位置まで来ました。横断歩道を渡って正面の細い道を進むと山田中学校です。押ボタン式の横断歩道ですが、ボタンを押しても信号が変わるまでに信じられないほど時間がかかる信号でした。私のように初めての人は、故障していると思ってしまうほど危険な信号でした。故障していると思って赤信号で渡ってしまう人が出ると思われるためです。私は辛抱強く待って青信号で渡りました。
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横断歩道を渡って道に入ったところに下谷上農村歌舞伎舞台の案内板がありました。山田民俗文化保存会が建てた道標(案内板)です。この道標のおかげで進む方向の確信が持てました。
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最初の目標の山田中学校に着きました。
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右のフェンス沿いの道の奥に下谷上農村歌舞伎舞台があります。道の左側に石碑が立っていました。
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石碑(参道の標石)には天彦根神社とありました。
天彦根神社は「あまつひこねじんじゃ」と呼ぶそうです。天彦根神社に下谷上農村歌舞伎舞台があるようです。
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中学校脇の道を進むと茅葺の建物が見えてきました。この建物が下谷上農村歌舞伎舞台と思いました。
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さらに近づきました。
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下谷上農村歌舞伎舞台の説明板がありました。クリックすると読める大きさに拡大いたします。説明によるとこの歌舞伎舞台は今から179年前の1840年(天保11年)に村芝居の舞台として建てられたものだとわかりました。日本全国には約2000棟の舞台が現存しているそうですが、ここにしかない舞台機構もあるそうです。その、ここだけの舞台機構は、花道の一部が回転して、反り橋が出る機構だそうです。それ以外に花道・太夫座・回り舞台・二重台。大迫り・ぶどう棚などの多種の舞台機構も備えているそうです。
下谷上農村歌舞伎舞台
この舞台は、江戸時代末の天保11年(1840)に建てられた村芝居の舞台である。
江戸時代には、原則として農民が芝居を観たり演じたりすることは禁じられていたが、実際にはこのような歌舞伎舞台が各地に建てられ農民たちは歌舞伎を楽しんでいた。現存する舞台は、全国で約2000棟、兵庫県下で約170棟ばかりある。
この舞台の特色は次のような点にあり、全国屈指の歌舞伎舞台として国指定の重要有形民俗文化財に指定されている。
 1.江戸時代の建立で、舞台建築としては古いこと
 2.規模が雄大であること(間口12メートル、奥行8メートル)
 3.花道・太夫座・回り舞台・二重台・大迫り・ぶどう棚など多種の舞台機構を備えていること
 4.花道の一部が回転して、反り橋が出る特殊機構があること(全国唯一)
 5.神社境内の付属建造物である長床(宮座行事の建物)の利用舞台としての典型であること
なお、この舞台は昭和52年(1977)1月に不審火で焼損したが、同54年(1979)9月に修復された。
神戸市教育委員会
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東側から見た舞台です。間口は12mで、奥行きは8mと歌舞伎舞台として大きなものだそうです。ここから見えているのが間口の12mです。
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奥に神社がありました。おそらく天彦根神社だと思われます。
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正面から見た天彦根神社です。祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと)だそうです。
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斜め横から見た天彦根神社です。
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脇に小さな祠もありました。
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神社の位置から見た歌舞伎舞台です。
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神社側の正面です。建物の右側(西側)に広い敷地があるので、その広い敷地から歌舞伎を見るのだと思います。
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クリックすると拡大広い敷地側から見た歌舞伎舞台です。ネットの写真を確認すると右の写真のように広場側の板壁が取り外されて舞台になっていました。右の写真の撮影者および撮影日は次の通りです。
 撮影者: 小田桐 一良さん
 撮影日: 2016年10月16日
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下谷上農村歌舞伎舞台の動画がYouTubeに登録されていたので紹介します。こちらの舞台機構の一つである「回り舞台」を廻す場面です。


左側の面が神社側で、右側が広い敷地側です。これが冒頭に使った写真です。
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驚いたことに下谷上農村歌舞伎舞台以外にも神戸市北区山田町には沢山の農村歌舞伎舞台および歌舞伎舞台があります。山田町の農村歌舞伎舞台の場所を紹介します。さらに北区淡河町にもあるそうです。その北区淡河町の北僧尾農村歌舞伎舞台(県・重文)は、現存する日本最古の安政6年(1777年)の農村歌舞伎舞台だそうです。藍那地区には八王子宮と釈迦堂と厳島神社に3つの農村歌舞伎舞台があったそうですが、厳島神社の舞台は廃絶となり、釈迦堂の舞台は1965年の台風23号で被害を受けた状態だそうです。ただし、あいな里山公園に新しい農村歌舞伎舞台が再現されています。のみ淡河町で他は山田町です。
  下谷上農村歌舞伎舞台(天津彦根神社)   北区山田町下谷上字砂川
  上谷上農村歌舞伎舞台(天満神社)     北区山田町上谷上字宮開地
  天津彦根農村歌舞伎舞台(天津彦根神社)  北区山田町原野字八王子
  藍那八王子宮農村歌舞伎舞台(八王子宮)  北区山田町藍那字北ノ谷
  藍那釈迦堂農村歌舞伎舞台(釈迦堂)    北区山田町藍那字下ノ町
  藍那農村歌舞伎舞台(あいな里山公園 再現)北区山田町藍那字田代
  小部農村歌舞伎舞台(大歳神社)      北区山田町小部字松宮山
  小河農村歌舞伎舞台(大歳神社)      北区山田町小河字向山
  坂本農村歌舞伎舞台(厳島神社)      北区山田町坂本字後阪
  六條八幡神社能舞台(六條八幡神社)    北区山田町中字宮ノ方
  北僧尾農村歌舞伎舞台(厳島神社 現存日本最古 北区淡河町北僧尾 


上で紹介の11ケ所の農村歌舞伎舞台の写真を紹介します。11ケ所の内9ケ所はネットから転用させていただきました。つまり2ケ所()は今回のハイキングで撮った写真です。からまで左上から順番に並べています。12枚目(最下段の右端)は11枚を順番に切り替えて表示する方式で表示しています。
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神戸市のホームページを調べてみると神戸市北区では農村歌舞伎が年に1回行われていました。行われる舞台は同じ場所ではなく次のように行われていました。2014年(平成26年)は第23回全国地芝居サミットin神戸が行われた年で2か所で歌舞伎の公演が行われました。2010年の農村歌舞伎が行われた歌舞伎舞台は、国営明石海峡公園の神戸地区(あいな里山公園)内に藍那集落に現存する藍那八王子宮農村歌舞伎舞台を再現した歌舞伎舞台です。
最近は11月の第1日曜日に上演されることが多いようです。今までの順番から言えば2019年は下谷上で2020年は上谷上の番でしょうか。(?)
リストの左端の記号は写真の位置を表しています。例 ②左:2段目の左側
 ①左 2010年04月18日 藍那農村歌舞伎舞台   北区山田町藍那
 ①中 2011年04月17日 小河農村歌舞伎舞台   北区山田町小河
 ①右 2012年04月15日 下谷上農村歌舞伎舞台  北区山田町下谷上
 ②左 2013年04月21日 上谷上農村歌舞伎舞台  北区山田町上谷上
 ②中 2014年04月19日 上谷上農村歌舞伎舞台  北区山田町上谷上
 ②右 2014年04月20日 下谷上農村歌舞伎舞台  北区山田町下谷上
 ③左 2015年11月01日 小河農村歌舞伎舞台   北区山田町小河
 ③中 2016年10月16日 下谷上農村歌舞伎舞台  北区山田町下谷上
 ③右 2017年11月05日 上谷上農村歌舞伎舞台  北区山田町上谷上
 ④左 2018年11月04日 小河農村歌舞伎上演会  北区山田町小河



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クリックすると拡大建物の地下に入口がありました。特殊な舞台機構に関係した入口ではないでしょうか。
右の歌舞伎の上演中の写真を見ると、この地下の通路の上に花道が設置されるようです。その花道には一部に回転して反り橋が出る特殊な仕掛け(裏返し機構)もあるそうです。
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その裏返し機構がYouTubeに掲載されていたので、動画を紹介します。この仕掛けが、全国に約2000ある農村歌舞伎舞台でクリックすると拡大唯一の特殊機構だそうです。上の写真の地下通路はこのためだったのです。動画の中の歌舞伎は2012年04月15日に上演されたものです。


広場からも天彦根神社を見ることが出来ました。
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見事な茅葺でした。
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茅葺のコーナー部の写真です。
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屋根の裏側です。日本の木造建築の美しさを感じます。
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建物を作るために寄進した人たちの名前が沢山書かれていました。兵庫県下には約170の農村歌舞伎舞台が残っているそうですが、昔は約330もあったそうです。
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神戸電鉄の箕谷駅と下谷上農村歌舞伎舞台の位置関係が判るGoogleの航空写真を紹介します。下谷上農村歌舞伎舞台がある場所の住所は神戸市北区山田町下谷上砂川あるいは神戸市北区山田町下谷上宮の前6-5です。神戸市立山田小学校の住所は兵庫県神戸市北区山田町下谷上宮前15と出てきます。
  神戸電鉄 箕谷駅
  下谷上農村歌舞伎舞台
  箕谷バスターミナル
 ━━ 箕谷駅() → 下谷上農村歌舞伎舞台()

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ノートルダム寺院の内部を紹介します。 [パリ]

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2016年8月21日掲載 タイトル:ノートルダム寺院の内部を紹介します。
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パリに到着した日はホテルに18時30分に到着したことからに散策を兼ねてノートルダム寺院を見学しに行きましたが、タッチの差で建物内には入ることが出ませんでした。したがって外からの写真を撮って、夕食もすぐ近くで食べてホテルに戻りました。上の写真は初日に撮りました。
その時の記事はこちらです。 → 散策&外観 夕食  さらに以前の記事

ルートルダム寺院の外側は初日(1日目)に見たのでパリ滞在中に内部を見学するつもりでした。丁度、4日目にルーブル美術館を見学した後にノートルダム寺院に行くことにいたしました。ルーブル美術館からノートルダム寺院には地下鉄を利用いたしました。
 1日目 ノートルダム寺院(外側)
 2日目  モンサンミッシェル
 3日目  モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館
 4日目 ノートルダム寺院(内側) 今回報告
 4日目 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目  ベルサイユ宮殿
 6日目  ロワールの城めぐり
 7日目 オルセー美術館
 7日目 サント・シャペル
 7日目 コンシェルジュリー
     泊まったホテル


入口を入って最初に見る景観です。さすが全長が127.50m教会のです。左右の柱の間の中央の空間が身廊です。ノートルダム大聖堂とも呼ばれているローマ・カトリック教会に属する大聖堂です。フランス語ではCathédrale Notre-Dame de Parisです。
 教会全長 127.5m
 教会全幅 48.0m
 尖塔高さ 96.0m
 双塔高さ 69.0m
 身廊高さ 32.5m
 身廊幅  12.5m
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正面に主祭壇があります。
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石で出来た水盤のようなものがありました。その石には「YO SOY EL CAMINO QUE BUSCA VIAJEROS」と書かれていました。
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見上げると建物の大きさが伝わってきました。託さなの窓は見事なステンドグラスで飾られていました。
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教会内は厳かな雰囲気が伝わってきました。
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天井も見事な芸術品でした。
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吊り下げられたシャンデリアも見事でした。
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静かな雰囲気の中に沢山のシャンデリアが吊り下がっていました。
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見事な彫刻もありました。
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赤とオレンジのローソクも雰囲気がありました。
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主祭殿以外にマリア像や小さな祭壇が沢山ありました。
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主祭壇の前です。
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こちらが主祭壇です。
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主祭壇上のステンドグラスです。
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地上に近い部分には大きなスタンドグラスが並んでおり、全て違うデザインでした。
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上のステンドグラスと形は似ていますが、デザインが違うことが判ってもらえると思います。
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出来る限り沢山のステンドグラスを紹介したいと思います。
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こちらのステンドグラスも見事です。
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ステンドグラスの前には小さな祭壇画が置かれており、石像も設置されたところが多かったです。
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こちらもステンドグラスの横の石像です。
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別のせてんどグラスを紹介します。
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柱の内側から見たステンドグラスもきれいです。
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こちらのステンドグラスの前にも祭壇が設けられていました。
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こちらにも祭壇が設けられていました。
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デザインが違うことが判ってもらえると思います。
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こちらのステンドグラスも見事です。
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上と似ていますが、約見ると違います。
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柱の陰に見えるステンドグラスです。
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南側と北側には直径13mの巨大なステンドグラスがあります。こちらの写真は北側の窓(北窓)です。
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北窓を正面から撮りました。北窓には聖母子が描かれているそうです。
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北側の直径13mの巨大ステンドグラスを拡大いたしました。
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直径13mの南窓を下から見上げました。
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こちらは南側の直径13mの巨大ステンドグスです。
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南側の南窓を拡大いたしました。クリックして拡大して南窓と北窓を比べると形が似ているようですが、微妙に違うとともに、ステンドグラスに使われている絵も違うことが判ってもらえると思います。
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北窓と南窓のデザインが違うことを一目で判ってもらうために巨大ステンドグラスの中心部分を並べてみました。
北窓の中心部            南窓の中心部
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尖塔が立っている天井部分です。見えているステンドグラスは南窓です。主祭殿は左側で、入口となっている双塔(南塔と北塔)は右側です。
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北窓を見上げた写真です。
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方向を変えて見上げた北窓です。
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引き続き地上近くのステンドグラスを紹介していきます。
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こちらにも石像が置かれていました。大きな絵も飾られていました。
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こちらにも祭壇があり、絵も飾られていました。
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パイプオルガンの裏にもステンドグラスがありました。このステンドグラスが双塔(南塔 & 北塔)の間のステンドグラスだとしたら1210年に作られて、この教会で最も古いステンドグラスで、預言者達が描かれているはずです。直径も9.6mの大きさとなります。
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こちらの祭壇には沢山のローソクや飾り付けが行われていました。
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こちらは石像と絵画でした。
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こちらも石像と絵画です。
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正面に石像が置かれて左右に絵画が飾られていました。
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一枚を拡大してみました。
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少しデザインが違うステンドグラスもありました。高い位置のステンドグラスまでは比較できませんでしたが、少なくとも地上近くのステンドグラスは全て違っていました。このことから全ての窓のステンドグラスが違っている可能性を感じました。
余談ですが本記事が2000掲載目となりました。
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館内にはノートルダム寺院の建設の歴史も展示されていました。
こちらが1163年のルートルダム寺院です。この年である1163年に内陣の建設が始まりました。建てられた位置が判るように書かれていました。
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こちらが1245年の姿です。1240年に北塔が完成して1250年に南塔が完成しました。1265年には中央の尖塔も完成していて今に近い姿になっていました。
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こちらが1265年の姿です。尖塔だけは現在よりも低い感じがします。
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こちらが冒頭の写真の2016年の姿です。
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2019年4月16日19時追記 タイトル:ノートルダム寺院で火災
世界中の人が悲しむことが2019年4月15日にノートルダム寺院に発生いたしました。驚いたことに石造りで火災とは無縁と思っていたノートルダム寺院で大きな火災があり、屋根や尖塔が焼け落ちるなどクリックすると拡大大きな被害が出たことから、ネット上の記事の内容を枠内に転記する形で追加掲載いたしました。右の写真を見ると貴重なステンドグラスも被害を受けたみたいで、ほんと心配です。日本でも注目されているようで追加掲載する前の私のオリジナルの本記事へのアクセス数も急に約800倍に増えました。
 2019年4月01日~15日平均 2件/日(=29÷15 全アクセスの0.0672043%)
 2019年4月16日0時~19時 1361件(全アクセスの41.0%)
 2019年4月16日      1612件(全アクセスの37.3%) 訪問:1463人
 2019年4月        2246件(全アクセスの2.70%) 訪問:1811人
ノートルダム寺院で大規模な火災、尖塔焼け落ちる
[2019年4月16日11時47分 日刊
クリックすると拡大パリ中心部の観光名所で世界遺産のノートルダム寺院(大聖堂)で15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)ごろ、高層部から出火、屋根が炎上する大火災となり、高さ約90メートルの尖塔(せんとう)が焼け落ちた。消防当局の懸命の消火活動で16日未明、鎮火に向かい、建物の大規模な崩壊は防がれた。検察当局は失火の疑いがあるとみて捜査を始めた。
フランスのテレビは消防士1人が重傷を負ったと伝えた。寺院関係者や観光客の死傷の情報は入っていない。パリ市当局者は寺院が保有する宗教芸術など多数の貴重な文化財は運び出されるなどして焼失を免れたと述べた。マクロン大統領は寺院再建を誓った。
寺院は一部が改修工事中だった。屋根の上に組まれていた工事用の足場周辺から出火した可能性が指摘され、工事関係者が事情を聴かれているとの報道もある。建物の屋根や尖塔は木材が使われており、これが激しく燃えた一因とみられる。
ノートルダム寺院は付近のセーヌ川一帯がユネスコの世界文化遺産に登録されている。フランスやパリの象徴とも見なされ、世界中から年間約1300万人が訪問する寺院の火災は、国内外に大きな衝撃を広げた。
火災を受け、マクロン氏は15日夜に予定していたテレビ演説を延期して現場入り。「ひどい悲劇」に見舞われたが「最悪の事態は免れた」と述べた。寺院再建のため国際的な募金活動も始めたいと語った。
グッチやイブ・サンローランなど有名ブランドを手がける企業のトップは1億ユーロ(約127億円)を寄付する意向をフランスメディアに伝えた。
ローマ法王庁(バチカン)は「世界とフランスのキリスト教の象徴が壊れたことに衝撃を受け悲しんでいる」との声明を出し、パリ市民への連帯を表明した。
セーヌ川のシテ島にあるノートルダム寺院は12世紀に工事が始まり、14世紀に完成。ゴシック様式の建築はフランスの美術史上極めて重要な位置を占める。 (共同)


ノートルダム寺院の内部の火災中および消火後の写真です。実際の写真で見ると無残です。6枚の写真は「Notre-Dame en feu À l'intérieur」で検索して転用させていただきました。
写真を見る限りですが、どうやら2016年に紹介した直径13mの巨大ステンドグラスを含みステンドグラスの多くが致命的な破壊は免れたようです。おそらく地表に落ちてくる火のついた多量の木材の消化を決死て行って、椅子などへの延焼を防いだために被害は最小限に抑えられたのだと思います。さらに石で出来た天井に穴が開いたのは一部だけで、火のついた木材の落ちてくる場所が限られていたことも被害が致命的にならなかった理由でもあるようです。
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航空機あるいはヘリコプターから撮られた火災中のノートルダム寺院です。屋根が焼け落ちて、正に炎の十字架です。ノートルダム寺院全体が炎に包まれているように見えますが、上の写真を紹介した時に記載している通り、屋根が焼け落ちても、右下の小さな写真の石造りの頑丈な天井(一部は崩壊)によって下の空間が守られていたのです。
クリックすると拡大つまり石の天井の上が全面的に燃えている写真なのです。この頑丈な石の天井のおかげで内部の壊滅的な被害を免れたと思われます。もしこの状態で空中消火機を投入していたならば、守っていた石造の天井が抜け落ちて壊滅的な被害となった可能性が高いように思われます。
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参考にGoogleマップの航空写真を紹介します。上の写真の炎の形が屋根の形であることが分かっていただけると思います。左方向が東南東方向です。
地図内に赤い文字でIncendie de la cathédrale Notre-Dame de Parisと書かれているのが印象的でしたが、2019年4月18日の6時の時点では表示が無くなりました。
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2019年4月17日 7時24分時点でネットで公表されていた被害状況です。
実際に見ていないので状況は判らないために、記載されていた内容を枠内に、そのまま転記させていただきました。
2019年4月17日 7時24分までに判明している被害状況
■聖遺物
イエス・キリスト(Jesus Christ)が十字架刑に処される際にかぶっていたとされる聖遺物「いばらの冠(Holy Crown of Thorns)」は無事運び出され、現在はパリ市庁舎で保管されている。消防隊はさらに、後に聖人となった13世紀の国王ルイ9世(Louis IX)が着用していたとされるチュニックも救い出した。
15日の火災で崩落した尖塔には、いばらの冠の一部と、パリ市民の間で広く尊ばれている聖人2人、聖ドニ(Saint Denis)と聖ジュヌビエーブ(Saint Genevieve)の遺物があった。
■パイプオルガン
15世紀に製造されたオルガンは数世紀かけて拡張され、現在では8000本近いパイプを有するフランス最大級のオルガンとなった。ノートルダム寺院に3人いるオルガン奏者の一人で、同寺院で35年にわたり演奏してきたフィリップ・ルフェーブル(Philippe Lefebvre)氏は、オルガンに火の手は及ばなかったものの、オルガンの構造が損傷を受けた恐れがあると説明。オルガンの一部ががれきやほこり、水に覆われたと話している。
■ステンドグラス
同寺院が誇る「ばら窓」3つは、ステンドグラスで作られた円形の窓で、13世紀の建造以来、数回にわたり修復されてきた。16日時点で、南側の窓と、西側正面の2つの鐘楼の間に位置する窓の計2つが無事となっている。フランク・リーステール(Franck Riester)文化相は、ばら窓は「破滅的な損害を受けなかったようだ」と語った。
■聖母マリア像37体
寺院内には37体の聖母マリア像が設置されている。リーステール氏は、寺院内の文化財については安全が確保され全面的な調査が可能になった際により詳しい状態が分かると述べている。
■絵画作品
パリの金細工師組合は1630年から1707年の間、毎年5月1日に絵画作品1点をノートルダム寺院に贈呈した。76ある作品のうち、13点が寺院内の複数ある礼拝堂に展示されていた。 リーステール氏によれば、絵画は炎による被害は受けなかったものの、煙と水で損傷。19日にルーブル美術館(Louvre Museum)に運ばれ湿気の除去と修復作業が行われる予定だ。
■13トンの鐘
同寺院で最も古い約300年前に鋳造された鐘は「エマニュエル」の名前で知られ、重さは13トンにも上る。寺院には2013年、9つの鐘が追加された。これらの鐘は火災を逃れたとみられている。
火災の炎の温度は1200℃以下のため、屋根や尖塔に使われている約300トンの鉛は炎では気化することはありませんが、炎で溶解した鉛は煙の一部に含まれ空中で個体となり飛散したものも多少はあると思われます。
   鉛の気化温度は1749°C 鉛の融点は327.5°C

チャルメラ あんかけラーメン ニャ [料理]

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先日、すずネコちゃんが目にとまって写真の即席乾麺の5食パック袋めんを買いました。クリックすると拡大すずネコちゃん以外に黒ネコちゃんがパッケージに描かれていました。右のフライパンをかぶった黒ネコちゃんも描かれているので探してみてください。
乾麺の袋めんは蕎麦に関してはよく買いますが、ラーメンに関してはチキンラーメン以外は、ここ数年間はほとんど買いませんでした。ラーメンに関しては生めんタイプばかりを買っているからです。クリックすると拡大スーパーの即席めん売り場を歩いている時に、上の写真の「あんかけラーメン」が目にとまって試しに買ってみることにいたしました。キャッチフレーズは「フライパンひとつで 具を入れて手軽に調理」です。右の写真はネットから転用させていただいた昔のパッケージです。すずネコもネコもいません。

クリックすると拡大こちらがパーケージを開いてスキャンしたものです。広瀬すずさん演じる「すずネコ」のパッケージが印象的でした。鍋ではなくフライパンで作るのも特徴です。この「すずネコ」パッケージのおかげで売り上げも伸びたのではないかと想像しています。
クリックすると拡大写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。フライパンをかぶった黒ネコは袋の右サイドの上の部分に隠れるように描かれていたのです。右の写真は「すずネコ」の胸元を飾っている大きな金色の鈴(すず)です。
明星食品のラーメンのパッケージで最初に「すずネコ」が登場したのは2017年4月だそうです。今回のフライパンを持ったデザインのパッケージが登場したのはクリックすると拡大2018年8月27日のようです。右の写真のパッケージもネットで見つけました。こん回のパッケージの前(少なくとも2017年9月20日に存在)の、すずネコパッケージの「あんかけラーメン」だと思われます。
右の写真をクリックすると判ると思いますが、2017年12月31日締め切りで3000名に、すずネコのりかちゃん人形プレゼントもあったようです。
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この5つの袋が入っていました。この小さな袋の方には「すずネコ」は書かれていませんでした。
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クリックすると拡大小さい方のパーケージもスキャンいたしました。
1食分のカロリーは追加で入れる具を除いて422kcal(=麺381kcal+スープ41kcal)です。すずネコはいませんが、黒ネコはいます。
 販売者 明星食品
 内容量 94g(めん85g)
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袋の中には麺と赤色の袋の粉末スープと青紫色の袋の液体スープ(調味油)が入っていました。
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こちらがレシピです。具としては袋に書かれている「おすすめの具」を用意いたしました。作る上で準備しておく必要があるのは1食あたり500ccのお湯です。2食作ったので、具材を炒め始める前に1000ccのお湯を用意しておく必要がありました。
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この時は家内に作ってもらいました。
フライパンではなく中華鍋で作りました。2人分なのでフライパンだと厳しいかもしれないと思い中華鍋にいたしました。
野菜と豚肉を炒め終わったところで、1000ccのお湯を入れて粉末スープを入れて混ぜたところです。とろみが強いのを好まれる方はカタクリの溶き汁を追加で入れると良いと思います。
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沸騰したところで麺を入れました。
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3分間ほど茹でたところで青紫色の袋(秘伝の小袋)に入った液体スープ(調味油)を入れると完成です。
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器に入れました。野菜がたっぷりと入ったラーメンでした。
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具がたっぷりなのを実感していただきたいので拡大いたしました。具の種類は袋に書かれていたレシピ通りですが、具の量は、かなり多めです。
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CMの動画があったので紹介します。すずネコパッケージが始まったのは冒頭で2017年4月と書きましたがWikipediaの沿革に書かれていた詳細を枠内に転記いたしました。ちなみに1948年創業の日清食品(朝ドラ:まんぷく食品)がチキンラーメン(朝ドラ:まんぷくラーメン)を発売したのが1958年8月25日です。
沿革
1949年 奥井清澄ら有志が準備会社「協和商会」を設立。
1950年 3月28日 明星食品として創業。食糧庁委託の乾麺製造を開始。
1959年 即席麺の製造を開始。
1960年 明星味付ラーメン発売。
 ~  ~~~~
2017年 4月 「チャルメラ」広瀬すず出演新CM開始、「すずネコパッケージ」版発売開始 。5月「チャルメラ」クリックすると拡大「リカちゃん」とのコラボレーションパッケージ版商品を発売 。7月「チャルメラ」すずネココスチュームのリカちゃん(すずネコリカちゃん)のプレゼントキャンペーン開始(〜12月) 。


1人の時にも一人前を作ってみました。その時はフライパンを使いました。豚肉がなかったので竹輪を入れました。野菜はモヤシとキャベツだけですが、量は2人分ほどの量でした。我家はシンプルな鉄製のフライパンを採用しています。
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500ccのお湯と粉末スープを入れたところです。耐熱計量カップを使って沸騰させたヤカンのお湯を500cc入れました。我家には1000ccと500ccと250ccのPyrex(パイレックス)があり、1000ccと500ccは取っ手付なのでお湯を入れるのが楽でした。その3つ以外に4つの耐熱ガラス計量カップがあります。メーカーはHARIO(ハリオ)とiwaki(イワキ)です。
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麺を茹で始めました。1人分ですが沢山の具が入っていることが分かってもらえると思います。
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器に入れて小ねぎを沢山入れて完成です。
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麺を拡大いたしました。
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newtonさんからのコメントを見て、検索して見つけたカップメンの「あんかけラーメン」の写真を、ネットから転用させていただきました。クリックすると拡大こちらが発売されたのは2018年8月20日だそうです。ただし、スーパーに確認に行と、売られていたのは右の写真のパッケージでした。カップ麺のキャッチフレーズは「炒め風味の とろみスープ」でした。さすがに野菜た~~っぷりの「あんかけラーメン」は自分で作る必要がありそうです。
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2006年12月24日に購入したCanon IXY 1000を分解してみました。 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事「カリチーを作ってみました。」で、現在使っているコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)のフラッシュ部が故障して修理したことを紹介しました。2002年から今までにコンデジは7台購入いたしました。久しぶりに、2006年12月に購入した2台目のコンデシを使ってみようとすると長く使っていなかったためかオートフォーカス(AF)が正常に動いてくれなかったことから、廃棄する決心がつきました。クリックすると拡大廃棄する前にカメラを分解して内部を確認してみることにいたしました。
 名前 Canon IXY 1000
 寸法 91.2mm × 59.6mm × 28.2mm
 重量 165g
 仕様→ポチッ

IXY 1000を購入して一番最初に撮った写真(IMG_0001.jpg)です。JR神戸駅の前のビルの31階から西方向を撮りました。紅白鉄塔の方向の山は須磨の鉢伏山と思われます。直線距離は約9kmです。神戸の街の景色の写真は、クリックすると4倍(面積:16倍)に拡大するように設定いたしました。
この場所で食事をした記事を紹介します。→ ランチ ディナー
初撮影の2006年12月25日の夕食は三宮の「とけいや」で、しゃぶしやぶを食べましたが、そのしゃぶしゃぶの記事と、翌日の12月26日クリックすると拡大ステーキの記事の写真を撮ったのもIXY1000でした。
右の肉の写真は40枚目と99枚目でした。
クリックすると拡大 発売日 2006年10月05日
 購入日 2006年12月24日
 初撮影 2006年12月25日 8時23分
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今まで購入した7台のコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)と購入年を紹介します。頭にと書いているのは修理したことがあるカメラです。S120は画質が良くてコンパクトで気に入っていたのですが、2015年4月10日に海外のタクシーの中でポケットから落ちて失くしました。日本に帰ってきてすぐにG7Xを買ったのです。G7Xが現在一番よく使っているカメラです。最後のNikonのCoolpixは、海外出張の時にカメラを家に忘れて成田空港で買ったものです。今回分解したIXY 1000は2010年4月20日故障して撮像素子(CCD)の交換修理をしています。右の少し大きな写真がG7Xです。G10は故障したのではなくメーカーからリコールが届いて修理してもらったのです。 :日本製  :中国製
これ以外のデジタルカメラは一眼レフのCanon EOS 5Dがあるだけです。
   2002年07月 PENTAX Optio430RS
  2006年12月 Canon IXY 1000
  2008年11月 Canon Power Shot G10
   2010年05月 Canon IXY 200F
   2014年02月 Canon Power Shot S120
  2015年04月 Canon Power Shot G7X
   2015年07月 Nikon Coolpix S2900
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

IXY 1000が2010年4月20日に故障した時の写真です。購入して3年4ケ月のことでした。一見は露出が異常のように感じますが、クリックして拡大すると単なる露出異常ではないことが判ると思います。この時は本カメラ(IXY 1000)とG10を持って行ったので、一部の写真だけの被害に留まりました。
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クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。この縮尺であれば、拡大しなくても、単なる露出異常ではないことが判ると思います。すでに説明の通り、この時はG10を持っていたのですが、G10はコンデジですが大きいのでズボンのポケットには入らないために、すぐにコンパクトなIXY 200Fを買いました。しかしながら画質は4年前のIXY 1000の方が良かったことから2010年9月にIXY 1000を修理して、状況に応じてG10(大きい)とIXY 1000(手振れ防止無し)とIXY 200F(手軽)と一眼レフを使い分けていました。コンデジ3台体制はS120を買った2014年4月まで約3年半ほど続きました。
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2010年9月の修理後すぐの2010年9月7日~9月10日にベトナムのホーチミンに行って撮った写真です。修理(CCD交換)費用は1万円でした。
この写真を使って書いた記事はこちらです。→ポチッ
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2010年4月にコンデジも故障する可能性があることが分かってからは、海外に行く時や日本でも宿泊で出かけるときは、常にコンデジ2台を持って行くようになりました。括弧内( )内は故障した時の予備(故障予備)です。昨年のハワイ旅行でも一眼レフ1台+400mmレンズとコンデジ2台を持って行きましたが、コンデジ1台は故障予備なので一切使いませんでした。飲み会の中で特に沢山お酒を飲むことが予想される場合は、念のため故障予備の方を持って行くことがありますが、飲み会でカメラを失くしたことはありません。
クリックすると拡大下の写真は左からIXY 1000→G10→EOS 5Dです。2012年5月22日~5月29日に中国の九寨溝に行った時は、下の写真のカメラの組み合わせでした。
 コンデジの併用(使い分け)と故障予備
  2002年07月~2006年12月 Optio430RS
  2006年12月~2008年11月 IXY 1000
  2008年11月~2010年04月 G10    IXY 1000
  2010年04月~2010年05月 G10
  2010年05月~2010年09月 G10    IXY 200F
  2010年09月~2014年02月 G10    IXY 1000  IXY 200F
  2014年02月~2015年04月 S120    (G10)
  2014年04月~2015年07月 G7X    (G10)
  2015年07月~2019年03月 G7X    (S2900)
  2019月03月4日~3月30日  S2900   (G10)
  2019月03月31日~     G7X    (S2900) 
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ここからコンデジ(IXY 1000)の分解写真を紹介します。
これが分解した全部品です。全てネジで取り付けられているので、この状態ならば組み立てることが出来ます。12年以上前のカメラです。ケースの材料はチタン(Titanium)です。1万円でCCDを交換してもらいましたが、意外と大変な作業だと感じました。
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分解のために外したネジは45個でした。さらに6個程度付いていたので使われていたネジは50個以上でした。時計用のドライバー1本(1種類)で全て外せました。上では組み立て可能と書きましたが、沢山の種類のネジがあるため、素人では実質組み立ては不可能でした。
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レンズユニット(オプチカルユニット)です。
 焦点距離 7.7~23.1mm (35mmフィルム換算:37~111mm)
 F値   F2.8~F4.9
 構成枚数 5群7枚 (非球面レンズ2枚)
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レンズユニットも分解してみました。
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レンズユニットの中に一体化された絞り機構のユニットがありました。その裏と表を紹介します。
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カメラの心臓部の撮像素子(映像素子)です。購入時の2006年12月の撮像素子(CCD)ではなく、2010年9月に取り換えた撮像素子(CCD)です。
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撮像素子(さつぞうそし)がきれいなので拡大して見ました。
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撮像素子(映像素子)だけ取り外しました。
この撮像素子は1/1.8型CCD(7.1mm x 5.4mm)で総画素数は1040万画素です。2006年の時点においてはハイレベルです。
写真サイズは3648x2736ピクセルです。ちなみに最近使っているコンデシG7Xの撮像素子は1.0型CMOS(13.2mm × 8.8mm)で、使っている一眼レフ5Dの撮像素子はフルサイズCMOS(35mm × 24mm)です。撮像素子の大きさがカメラやレンズの大きさに比例するのです。
参考ですがスマホ(iPhone)用は1/3.2型CMOS(4.4mm × 3.3mm)です。撮像素子にはCCDCMOSとMOSの3種類が昔からありましたが2006年頃はCCDが主流でした。最近ではCMOSが主流になっています。
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CCDは光が当たると美しい色を反射させていました。左右の写真の光の当たる方向は正反対です。左の写真は下方向からで、右の写真は上方向からです。
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カメラの中に入っていた電子基板です。右の基盤はフラッシュ+基盤です。
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こちらがメインコントロール部分でしょうか。沢山の集積回路(IC)が付いています。大きい順に番号を読み取ってみました。
 CK4-M00 SEC 634 D775 K5Y6313L TM ECF166P4
 NN12098A 634A7017
 D3539GF 0632FOK
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こちらも重要な電子基盤のようです。次の2つの集積回路(IC)が付いています。
 MB39C303A 0634 M73 E1
 M63064 HP 6J 005
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フラッシュ基盤は表と裏を紹介します。裏側(左側)には電気を貯めるコンデンサーと思われる円筒形のものがあり電圧の330Vと静電容量の170μFが書かれています。型番は380677Nです。
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フラッシュ(ストロボ)の光が出る部分を分解してみました。直管タイプの発光管と反射板が分かっていただけると思います。このエレクトロニックフラッシュは1939年にマサチューセッツ工科大学教授であったアメリカ人、ハロルド・エジャートン博士によって実用化されました。このフラッシュは、キセノンガスが封入されたガラス管の内部電極にコンデンサー充電された高電圧を印加することで管内のガスをイオン化させた上で急激にインピーダンスを低下させて放電させると、瞬間的にキセノンガスが発光する原理を利用しています。
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動きに関係する小さな部品も紹介します。歯車とバネとモーターです。参考に1円硬貨も横に置きました。
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部品の大きさを知ってもらいたくて大きい方のモーターを1円玉に乗せてみました。右側が小さい方のモーターです。上の写真の歯車やバネがいかに小さいかが分かっていただけるのではないでしょうか。
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裏面の液晶です。この時代のカメラの液晶にはタッチパネル機能はありませんでした。仕様は高輝度・広視野角2.5型低温ポリシリコンTFT液晶カラーモニターです。2.5型ということは対角の長さが63.5mm(=2.5in x 25.4mm/in)の液晶です。
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これがチタン(Titanium / チタニューム)のケースです。
本記事は、長い間愛用させてもらった感謝と記念の意味もあります。
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カリチーを作ってみました。 [料理]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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カリチーなるものを雑誌オレンジページの2019年3月2日号で知って作ってみることにいたしました。カリチーつまりカリカリチーズを略してカリチーなのだと思います。

これが雑誌に載っていたカリチーです。ラーメンの上にカリチーを乗せたカリチーラーメンです。ラーメンの名前は「プルコギ風カリチーしょうゆラーメン」です。袋めんのサッポロ一番のメーカーであるサンヨー食品の協力で作られた記事でした。クリックするとページ全体とレシピを表示します。
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こちらがカリチーのレシピです。
①耐熱皿にオーブン用シートを敷き、ピザ用チーズ(溶けるチーズ)20gを薄く広げる。
②ラップをかけずに、電子レンジ(500W)で約2分加熱して取り出し(熱いので注意して)、カリカリになるまで2~3分おく。
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レシピ通りに20gをクッキングペーバーに乗せました。ペーパーを、はかりに乗せて0点調整をしているのでチーズがピッタリ20g(誤差1g)です。
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電子レンジに入れたところどす。
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500Wで2分にセットしてスイッチを押しました。


こちらが2分加熱直後です。まだ柔らかい状態です。取り出して外で冷やすとカリカリになりました。
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こちらが完成したカリチーです。2枚作りました。確かに美味しくてオヤツとしても簡単に作れるので、いいものを一つ知った気持ちになり掲載させてもらったわけです。
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この後、すぐにフラッシュ光量コントローが上手くできなくなってしまったのです。


撮った写真を紹介します。同じ条件で撮っても光量不足になったり、光量過多になってしまう現象でした。私は料理を撮る機会が多く、その点でG7Xは20cmほどの距離で料理を撮るときにAF(オートフォーカス)が早いことから、一番良く使っているカメラなので修理に出すことにいたしました。実はこのカメラを買うときに料理を撮る機会が多いことから、同クラスのCanon機(G7X)とSONY機で1時間近く接写を何度も繰り返してAF時間を比べて買ったのです。早さにこだわったのは食べるときに皆を待たせないためです。3月29日の飲み会には修理が間に合いませんでしたが、3月31日と4月5日と4月9日の飲み会には間に合いました。4月11日にも使う予定です。
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保証期間が過ぎていて有料修理になるのですが、驚いたことに私の機種(G7X)は修理費が固定なのです。修理費は税込み27000円でした。中古だったら27000円で買えるのだろうなと、思いながら修理依頼しました。
原因はフラッシュ部の汚れでした。レンズユニット(オプチカルユニット)も交換してもらえました。実はレンズの蓋の部分がスムーズ動かないことが何度かあったのですが、それを見逃さずに発見してもらえたということでした。しっかりチェックして調整してもらえたようでした。現象の確認の電話も2度ありました。3月4日に修理に出して3月30日に受け取りに行きました。3月31日に上野で12時30分から飲み会があるのですが間に合いました。上野公園の桜の写真も撮るつもりです。
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フレッシュとオプチカルユニットがどのような部品なのかネットで検索してみました。意外と高い部品であることが判りました。部品の写真はネットから転用させていただきました。
フラッシュ(52.99ドル)    オプチカルユニット(72.99ドル)


2019年3月31日の上野公園の桜を修理が終わった右の写真のG7Xで撮りました。桜の季節に何度も上野公園に来ていますが、今までで最も満開の状態で、人出も一番多かったです。雰囲気を感じていただけるようにクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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簡単なのでスライスチーズでもカリチーを作ってみました。修理が終わったカメラで撮りました。
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作り方は同じで、電子レンジでチンするだけです。
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ただし、スライスチースの重さは15gなので500Wで1分30秒に設定いたしました。1分30秒 = 2分 × 15g ÷ 20g


これが出来上がりです。今回の方が色が濃いので、もう少し時間を短くした方がよさそうです。
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裏面も紹介します。ピザ用の細かく切ったチーズの方が見た目はいいようです。味はどちらも美味しかったです。
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割った断面です。
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断面を拡大いたしました。
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