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風車とヒマワリ 佐倉ふるさと広場 [千葉]


2023年7月28日再掲載 タイトル:風車とヒマワリ 佐倉ふるさと広場
クリックすると拡大鶴見緑地の記事で右の'風車の丘'を紹介したのを機会に10年前の2013年7月24日に掲載した千葉県佐倉市のオランダ風車の記事を再紹介させていただきます。本風車はオランダの技術で作られた日本初の水くみ用風車で、風で動きます。風車はメカニズム部分をオランダで製造しオランダ人技師により建設されたそうです。風車の名前はリーフデ(De Liefde)です。慶長5年3月16日(1600年4月29日)に豊後国(大分県)の臼杵湾の黒島(or佐伯湾の大入島)に漂着し日蘭交流の幕開けとなったオランダ商船リーフデ号(De Liefde)にちなんで命名されたそうです。De Liefdeの意味は愛です。クリックすると拡大右の写真は10年前の2013年7月に掲載していた記事の写真です。写真をクリックすると、その記事を含めた2013年7月 の記事を表示します。
   2013年7月24日 記事掲載
   2023年7月28日 閲覧数:7,542 nice!:162 CMT:28 再掲載前
   2023年7月29日 閲覧数:7,773 nice!:199 CMT:48 09時50分
   2023年7月30日 閲覧数:7,963 nice!:219 CMT:56 05時53分
   2023年7月31日 閲覧数:8,072 nice!:230 CMT:60 04時50分
   SSブログ内の"佐倉ふるさと広場 & 風車 & ヒマワリ"の記事→ポチッ

2013年7月24日掲載 タイトル:風車とヒマワリ 佐倉ふるさと広場
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千葉県の佐倉市にも約3万本のヒマワリを見ることが出来るところがあります。オランダ風車のある佐倉ふるさと広場です。このひまわり畑は「佐倉ふるさと広場・風車のひまわりガーデン」と呼ばれています。

佐倉ふるさと広場と言えば左側の写真の4月に行われるチューリップ祭り(チューリップフェスタ)が有名ですが、チューリップ祭りが終わった後にヒマワリが植えられて7月にヒマワリ(向日葵)が見ごろを迎えるのです。ヒマワリが終わって、秋には右の写真のコスモスの花を見ることが出来る場所なのです。
  チューリップフェスタ(4月)       コスモスフェスタ(10月)
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つまり4月と7月と10月に花を楽しむことが出来るのです。
    4月 チューリップ 50万本
    7月 ひまわり     3万本
  10月 コスモス   50万本
ヒマワリは見晴らしを考えて、鮮やかな色の少し背の低い種類が植えられているようでした。
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さすが、3万本、見事でした。
ヒマワリ畑と言えば、ウクライナで見たヒマワリ畑も見事でした。→ポチッ
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人間だけでなくミツバチも沢山訪れていました。
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ミツバチとヒマワリの花が写った写真を紹介いたします。3匹のミツバチが写っています。
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7月16日は見事に満開でした。2013年7月10日(水)~23日(火)がイベント期間で7月20日からは、お気に入りのひまわりを摘み取ることができるそうです。
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ひまわりの花は正面ばかりが注目されるようなので花の裏側の景色も紹介いたします。
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昨年(2012年)の「佐倉ふるさと広場・風車のひまわりガーデン」の動画がホームページに掲載されておりましたので紹介いたします。


上の動画は見れなくなったので別の動画を埋め込みました。(2023年7月28日)


佐倉ふるさと広場の場所を紹介します。風車は印旛沼の湖畔の空色マーク( )のところに建てられています。前々記事の「久々に鰻丼を食べに行きました」の鰻屋さん(川ばた園 )もこの画面の中にあります。京成臼井駅と京成佐倉駅の中間に位置し、佐倉市花火大会が行われる場所でもあります。近くにある臼井城は上杉謙信を撃退させたことで有名です。その時に上杉謙信が臼井城を攻めるために築いたのが一夜城です。


オランダの風車を忠実に再現していることが分っていただけるかもしれないので、Googleのストリートビュー(SV1 SV2 SV3 SV4 SV5)で佐倉ふるさと広場のオランダ風車を紹介します。風車の図や内部の写真は城下町佐倉を訪ねるHPから転用させていただきました。クリックすると拡大
クリックすると拡大①翼軸
②羽根
③軸受け
④上部風車歯車
クリックすると拡大⑤翼帆軸
⑥上部水平歯車
⑦ブレーキ
⑧風向回転輪
クリックすると拡大⑨ブレーキレバー
⑩テールビーム
⑪支柱
⑫風向調節ウィンチ
クリックすると拡大⑬主軸
⑭下部水平歯車
⑮水車用歯車
⑯水車


Googleマップによる上空からの3D画像です。マイナスのアイコン(-)を2回クリックすると周辺の雰囲気が判ると思います。



2013年7月24日追記 タイトル:翌日には刈り取り作業が始まりました。
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佐倉市のフラワーフェスタのイベントの一つとして佐倉ふるさと広場で行われていた「風車のひまわりガーデン」は2013年7月23日(火)で終了いたしました。おそらく翌日の7月24日には次のイベント「コスモス・フェスタ」のために刈り取られるのではないかと思い7月24日の朝に来てみました。予想通りヒマワリの刈り取りが始まっていました。時間は9時55分でした。

トラクターなどを使って一気に刈り取るのかと思っていましたが、4人の方で1本1本抜かれていました。全部で3万本あるので大変な作業です。一人当たり7500本です。
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写真のような機械もありましたが、見ている間では使うところはお目にかかれませんでした。
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花はかなり成熟していました。最初に掲載した写真を撮ったのは7月16日なので、花の見ごろは終了日(今年は23日)から一週間前までと考えた方がよさそうです。来年の参考としてください。


黒い種もしっかりと出来ていました。丁寧に一本一本抜いていたのは、おそらく種を取るためだと思います。ヒマワリは見せるだけが目的ではなくてヒマワリ油の原料となる種を取るのも目的の一つだと思いました。

鶴見緑地 第84回ハイク参加 [大阪]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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新入社員と配属になったのが神戸事業所でそこの仕事仲間の人達の多くとは組織ごと東京に転勤になりました。その後、転勤や退職で神戸に帰った人たちが下記のようにハイキングなどを定期的に行っておられます。クリックすると拡大そのことを知って偶然関西にいる時やハイキングのある日に合わせて関西に行くようにして6回参加させていただいているハイキングに参加させていただいています。そして2023年6月20日に行われた第84回ハイクに参加させていただきました。場所は1990年に開催された国際花と緑の博覧会(花博)会場の跡地の鶴見緑地公園でした。本記事では鶴見緑地公園の歩いた場所を紹介したいと思います。クリックすると拡大上の写真は鶴見緑地公園のシンボル的存在の風車の丘です。
右上の小さな写真は会社のビルからポートタワー方向を撮ったものです。右の下側の写真は会社のビルの近くの別のビルからの夜景をネットから転用させていただきました。会社のビルは我々が東京に転勤してから建てられました。

鶴見緑地の場所()をGoogleマップで紹介します。下記リストはハイクに参加するきっかけとなった2018年12月26日の忘年会以降の記録と予定です。
新型コロナ感染拡大が無ければ、第81回は「青春18きっぷによる敦賀市内散策」で第82回は「明智光秀の居城・福知山城を巡るハイク」でした。(マークのところ)
電車マークはこの時に泊まっていた実家の最寄駅の逆瀬川です。
紫色マーク( )が今までに参加したハイクです。
    2018年12月26日(水) 冬の忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
    2019年12月25日(水) 冬の忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
第81回 2020年03月21日(土) 神戸市立森林植物園の散策
第82回 2022年06月21日(火) 神戸市立森林植物園のアジサイ鑑賞、散策
第83回 2023年05月13日(火) 宝塚花の道~文化芸術芸術センターなど散策
第84回 2023年06月20日(火) 鶴見緑地散策
    2023年07月21日(金) 夏の親睦会 燦(SUN) 16名参加
:参加  :新型コロナを配慮して場所を選択  :予定


こちらが大阪地下鉄(Osaka Metro)長堀鶴見緑地線鶴見緑地駅です。写真の電車に乗ってきました。乘ってきた車両を撮るために、先頭車両の一番前のドアから降りて発車前に撮りました。長堀鶴見緑地線は1990年に開催された国際花と緑の博覧会(花博)会場へのアクセス路線として建設された路線で1990年3月20日に開業しました。花博の開催期間は1990年4月1日~9月30日なので開催初日の12日前に開業したことになります。当然ですが鶴見緑地駅の開業日も1990年3月20日ということになります。長堀鶴見緑地線は常設実用線として日本初の鉄輪式リニアモーター鉄道です。その後、都営地下鉄大江戸線(1991年)、神戸市営地下鉄海岸線(2001年)、福岡市地下鉄七隈線(2005年)、Osaka Metro今里筋線(2006年)、横浜市営地下鉄グリーンライン(2008年)、仙台市地下鉄東西線(2015年)が採用しました。阪急・逆瀬川駅からは阪急・今津線→阪急・本線→地下鉄・御堂筋線→地下鉄・長堀鶴見緑地線と乗り継いでいきました。
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ホームから改札口の階に上がりました。
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クリックすると拡大改札口の前の通路にはタイル画が描かれていました。鶴見緑地駅のデザインテーマのチューリップ(花博のシンボルもチューリップ)や右の写真の花博のマスコットキャラの花ずきんちゃん(チューリップの妖精)が描かれていました。
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こちらが改札口です。改札口の前が広い広場になっているのは花博のためだと思います。もしかしたら花博開催時には、もっと沢山の改札機が設置されていたのかもしれません。
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改札口の前の広い駅前広場です。地上より1階分低い位置になっています。このように地下に沈み込んだ庭(広場)はサンクンガーデン(Sunken Garden)と呼ばれています。サンクン(Sunken)は建築用語でオープン地下道を意味しているそうです。
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集合時間の11時30分よりも48分も早く着いたので周辺を散策して見ることにしました。地上まで上がって駅の改札口の方向を撮った写真です。
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かなりの時間があったので鶴見緑地公園を散策して戻って来るとまだ時間があったのでクリックすると拡大駅の周辺を散策してみました。こちらの建物は駅との連絡のエレベーターです。コンビニがあったのでお茶を買いました。ここにコンビニがあることが分かっていたら前日にお弁当を買う必要はありませんでした。右のコンビニの写真は下の大きな写真から切り取ったものです。
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上の写真にもコンビニは写ってはいるのですが、大きく撮ろうと正面まで行くと、コンビニの前には沢山の人がおられたので写真は遠慮して撮らなかったので、ストリートビュー(SV)を掲載させていただきました。コンビニはローソンの鶴見緑地駅前店でした。


クリックすると拡大コンビニが駅の方に下りる階段に来るとハイクのメンバーの一部がすでに着いていました。あとで知ったのですが向こうに歩いている2人はコンビニに行って昼食時に飲む日本酒を買って戻っていくところでした。
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改札口の前にいるのは我々のメンバーだけでした。
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まだ時間があったので駅前広場の写真を撮りました。
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上の写真の真中にあった石像です。
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全員が集まったので出発しました。この日の参加メンバーは私を入れて10人でした。
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これから向かうあたりのGoogle地図の航空写真です。鶴見緑地公園の面積は122ha(112万㎡)です。人口密集地の町の中にありながら第77回ハイクで行った大阪・万博記念公園(264ha)の約半分の広さがあるのに驚かされました。池に向かってまっすぐにのびるメイン通りを歩いて、先ずは'風車の丘'に行くことにしました。


鶴見緑地駅の改札口と鶴見緑地公園の間には大きな道路があります。大阪市の市道・鶴見区第9001号線、通称花博通があります。その道路を渡って花博の跡地の鶴見緑地公園側に渡ります。
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現在は地下鉄の鶴見緑地駅から鶴見緑地に行くためには道路(花博通)を横断する必要がありますが、花博当時は花博通は鶴見緑地駅の南東方向に迂回する形で作られたために道路を横断することなく中央ゲートに行けました。
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こちらが花博通の西方向です。花博当時は駐車場だったようです。
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こちらが東方向です。花博の中央ゲートがあった辺りだと想像されます。
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横断歩道を渡ったところに公園名が書かれていました。公園の名称を鶴見緑地公園と書きましたが正式名は花博記念公園鶴見緑地です。
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Wikipediaから1990年の国際花と緑の博覧会(花博)の写真を転用させていただきました。入場者は2312万6934人だったそうです。ちなみに1970年に行われた日本万国博覧会(大阪万博)は6421万8770人だったそうです。ただし大阪万博の参加国数は76カ国・4国際機関・1政庁・9州市に対して、花博は83カ国・55国際機関でした
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花博記念公園鶴見緑地(鶴見緑地公園)の案内板です。中央口と書かれているところの道路を渡ったところが上の写真です。
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道路を渡った中央口から大池の方向に太い道路が通っていました。大池までの途中にある中央噴水が写っています。花博の時は沢山の人が歩いたのだと思います。今はのんびりと歩けます。
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こちらが中央口方向から見た中央噴水です。
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大池側から見た噴水です。
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中央噴水のそばには売店もありました。ここでもお茶などを調達できそうです。沢山はありませんが、飲み物の自動販売機も各所にありました。
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噴水の横には立派な石碑がありました。
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花博を記念した石碑でした。クリックすると読める大きさに拡大します。スマホの場合はクリックしなくても画面の拡大で文字を読むことが出来ると思います。
花は緑の精、緑は生命の象徴である。
1990年4月1日~9月30日(183日間)ここ鶴見緑地で開催された国際花と緑博覧会は万博史上最多の83カ国 55国際機関 600の諸団体等の傘下の下 2312万人の入場者を迎え盛況のうちに閉幕いたしました。
地球の自然と人間との共生を願った花の万博は近代の万博の転機をなす「いのちの祭典」であり21世紀への人類の新しい道を求めたものであります。枠内に記載内容を転記いたしました。ちようど閉幕10年目に建てられたようです。
2000年9月30日 財団法人 国際花と緑の博覧会記念協会
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石碑の横にタイルで飾られた階段があったので登ってみました。右側にある建物は花博記念ホールです。
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門があり「山のエリア」と書かれていました。私が門の辺りにいる時にスーツケースを引いた外国の女性が入っていきました。
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山のエリアの開園時間は4~10月が9:00~17:00で、11から3月が9:00~16:30でした。ここにはハイクのメンバーで来たのではなく、早く着いたのでし事前の散策で来てみました。
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案内板では門の中は自然体験観察園と書かれていました。確かに自然体験にはピッタリの雰囲気でした。
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石が並べられてエリアもありました。
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事前の散策だったので時間が無いために門を入って少し見ただけで元の道に戻りました。
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次は大池の展望エリアに来てみました。
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ここで園内バスが走っていることを知りました。バス停名は大池東でした。発車時刻表には10:03~16:03までの30分古都の時刻が書かれていました。つまり1日に13本で月曜日は運休(ただし祝日は運行)と書かれていました。定員は13名のため乗れないことがあるようで、65歳以上と障害者が優先と書かれていました。
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こちらが歩いてきた駅の方向です。中央噴水が遠くに見えます。
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門で仕切られたエリアがありました。公園のメインエリアのように感じました。
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公園のシンボル的存在の風車の丘があることから、やはりメインエリアのようでした。案内板を見ると、ここの中にも山のエリアがあるようでした。
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広い道が続いていました。先ずは風車の丘を目指すのですが広すぎて迷いそうなので、何度か聞きながら歩きました。右の写真は門を通ってすぐに撮ったので後ろに門があります。ここはまだ平らですが、少し進んだところで上り坂の方に向かいました。
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上で紹介した大池とは別の角度の景色を見ることが出来ました。
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大池は動画でも紹介します。360度を動画で写しました。


ここは政府苑跡の辺りのようです。
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位置的にはこの上にシンボルの風車があります。
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風車が見える場所に出ました。ここのバス停名は「風の広場」で、風車まで広がっているのは大花壇です。
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風の広場で風車の反対側を見ると立派な長屋門がありました。この長屋門はトイレとしても使われていました。
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風車に向かって歩き始めました。
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途中から大花壇の中の道を歩きました。
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クリックすると拡大大花壇にはいろんな花の苗が植えられていました。これはヒマワリのようでした。私の住んでいる千葉県の佐倉市にもオランダ風車があって、夏には右の写真のようにヒマワリが植えられます。春はチューリップで秋はコスモスが植えられます。
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大花壇の中の道から来た方向を撮りました。
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風車をズームで大きく撮りました。
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風車の丘まで登り切って風車を撮りました。沢山の幼稚園の園児も来ていました。
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風車の横に東屋があったので休憩いたしました。そこで記念写真も撮りました。私は右端です。
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見上げで撮った風車です。
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動画も撮りました。


幼稚園児たちが次のエリアに出発しました。われわれも出発しました。
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風車の次はバラ園に行ってみることにしました。
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こちらがバラ園の入口です。
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東側から見たバラ園の全景です。
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バラ園の一番高いところから東側の景観です。
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このバラ園の特徴が一番出ている写真です。遠くに大阪の街が見えます。ビル群が見えるバラ園は初めてでした。
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記念写真も撮りました。
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日本庭園で持ってきた弁当を食べる計画だったので、日本庭園を目指しました。
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ここはソビエト社会主義共和国連邦の庭園(あるいは展示館)があった場所だと思われます。花博の翌年1991年12月26日に完全に崩壊(各国独立承認)しました。
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いろんな国の展示エリアを歩きました。
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印象的な不思議なエリアがあったので入ってみました。
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ここがアイルランド庭園のようでした。ケルト人による古代アイルランドの庭園を再現したそうです。
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アイルランド庭園の中には岩のトンネルがありました。古墳を再現した出入口のようです。ただし、今は出入口に鉄格子が取り付けられているので中には入れません。
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食事をしようとしていた日本庭園に着きました。左端に茶室むらさき亭の屋根が写っています。
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こちらも日本庭園の一部です。
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茜庵 むらさき亭別館です。
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こちらも日本庭園です。残念ながら日本庭園の中や周辺では10人がお弁当を食べれるエリアはありませんでした。鶴見区は大阪府と神奈川県にありました。
 大阪市鶴見区   8.17k㎡ 111,494人 13,647人/k㎡
 横浜市鶴見区 33.23k㎡ 295,913人   8,905人/k㎡ 
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太い道に出ました。瓦塀で囲まれたエリアがありました。
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瓦塀で囲まれたエリアはブルガリア人民共和国の庭園だった場所でした。このほかにも沢山の国のエリアが残されていました。
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日本庭園までには10人が一緒に食べれるところはありましたが、それ以降は見つからなかったので結局、大池近くで2つのテーブルに別れて食べることにしました。
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クリックすると拡大クリックすると拡大お弁当以外に、みんなに飲んでもらうためにJPS(John Player Special)のスコッチウイスキーを小瓶に移し替えて持ってきました。ウイスキーを入れて来た小瓶は右の写真のトリスの小瓶でした。元のラベルを剥がしてトリスの瓶に貼り付けてきました。白いコップには別の人が持ってきた日本酒が入っています。
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私は宝塚の実家に遅くても16時20分までに帰りたかったので、ハイクの途中で中央噴水あたりで別れました。下は別れる時に見送っていただいた写真です。写真の右端に写っている建物は花博記念ホールです。
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Googleマップの航空写真で歩いたルートを紹介します。鶴見緑地駅中央噴水(自然体験観測園)花博記念石碑大池政府苑跡大花壇風車の丘休憩した東屋バラ園日本庭園ブルガリア人民共和国庭園グレートブリテンおよび北部アイランド連合王国庭園昼食場所中央噴水鶴見緑地駅
 ━━ 鶴見緑地駅→風車の丘(休憩した東屋)
 ━━ 風車の丘 →昼食場所
 ━━ 昼食場所 →鶴見緑地駅

タグ:ハイキング
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久々に鰻丼を食べに行きました 川ばた園 [鰻]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2023年7月5日に久しぶりに鰻屋で鰻丼を食べました。食べたお店は以前の記事「家で美味しい鰻丼を食べる秘策」で紹介した「川ばた園」です。場所は江戸時代は成田詣での人が行きかう成田街道の臼井宿に近い場所です。江戸時代以前は臼井城の城下町でした。以前の記事で紹介しているように、こちらのお店は電話で蒲焼を予約して焼きたてを家に持ち帰って、炊き立てのご飯に乗せて鰻丼を食べるのが、我家の恒例のお店なのです。もちろんですが引越して来た当初は家族で1、2度お店「川ばた園」に食べに行ったことが、その後は持ち帰りの蒲焼で家で熱々の鰻丼をかなりの回数を食べていました。その「川ばた園」に食べに行きました。

ただし家族ではなく、昨年の年末の記事「ちょっと話題の Dining Port 御料鶴 でランチしてきました。」で紹介した時と同じメンバー(友人2人計3人)で食べに行きました。3人は会社も同じでゴルフ仲間でもあります。クリックすると拡大1人は私が神戸の事業所に入社した時に同じ課に配属になった同期で、もう一人は私が初めて海外出張(台湾)した時に某商社の担当者として対応していただいた人で、その後に私と同じ会社に移った親しいメンバーなのです。鰻屋さんでの3人での写真は撮り忘れてい待ったので以前の記事の3人の写真を右に掲載しました。
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こちらは食べた鰻丼です。本記事に掲載した写真のほとんどはクリックすると面積で16倍に拡大するように設定しております。
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鰻丼部分を拡大いたしました。写真を見てたただければ説明は必要ないと思うので省略いたします。
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鰻の味を食感を感じていただきたくて拡大いたしました。もちろん使われる鰻は国産で浜松産か鹿児島産が多いそうです。この日に使われていた鰻は愛知県の三河産でした。創業は80年になるそうです。
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更に拡大いたしました。クリックしていただくと広い範囲で特別に大きな写真(ブログ出掲載可能な2MBに近い1.64MBの写真/2860x1800画素)を表示します。
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半分食べたところで鰻丼の断面を撮りました。今までに掲載した鰻丼の記事鰻の記事を紹介します。着色文字をクリックすると記事を表示します。
クリックすると拡大・2009年 印旛沼の行列の鰻屋さん        い志ばし
・2009年 今度は美味し白焼きが食べれるお店   かどかわ
・2010年 家で美味しい鰻丼を食べる秘策     川ばた園
・2010年 鰻とハーブの生春巻き         ベトナム
クリックすると拡大・2010年 素朴なベトナム料理 鰻のぶつ切り料理 ベトナム
・2011年 Hotel Dastan Aktobe 日本食がブーム カザフスタン
・2012年 今度は白焼きでいただきました     岡野川魚店
・2013年 もう一軒の印旛沼の白焼き専門店    白藤養魚
・2014年 なまず料理     鰻となまず養殖場 旛沼漁協直営水産センター
・2015年 見事な鰻の白焼きをいただきました   白藤養魚
・2016年 関東なのに関西系うなぎ屋さんで飲み会 青葉
・2017年 やっと正月に鰻が食べれました     川ばた園
・2023年 久々に鰻丼を食べに行きました     川ばた園 今回の記事
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こちらがメニューです。我々3人は、松うな重(4750円)にいたしました。鰻の価格の変化は紹介するために蒲焼の値段の推移を記載します。下記リストのように蒲焼価格は2010年の時は1200円でしたが、2017年には2100円になり、クリックすると拡大現在(2023年)は2900円です。2017年の時は価格が急激に上がっていた時なのでメニュー(お献立)の表示のほとんどが「時価」でした。右は2017年の時のメニューの写真です。
 2010年 1200円
 2017年 2100円(メニューの表示は時価)
 2023年 2900円
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周辺のGoogleマップの航空写真を紹介します。中央の臙脂色のマーク( )が川ばた園で、右上の湖が印旛沼で、お店のすぐ南に臼井城跡があます。江戸時代は臼井城の南には成田街道と臼井宿であり、食文化が発展した江戸時代には鰻屋もあったことでしょう。この周辺では江戸時代から続く鰻屋はクリックすると拡大今は残っていないようですが、成田街道沿いの船橋宿には創業が慶応元年(1865年)の美味しい蒲焼が食べれるお店が今も残っているそうです。最強の相撲取り(生涯黒星10個)の雷電が晩年に妻・八重(甘酒茶屋の看板娘)の郷里である臼井宿で過ごしたことは有名です。上でも紹介したように江戸時代以前の臼井宿周辺は臼井城の城下町だったところです。

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2017年1月15日掲載記事 タイトル:やっと正月に鰻が食べれました。
  オリジナル記事 2017年→ポチッ
  以前掲載の記事 2010年→ポチッ
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今まで正月に本館的に鰻を食べたことはあれませんでしたが、今年(2017年)の正月にの写真の鰻丼を食べることが実現いたしました。最初に鰻丼/鰻重を食べようと試みたのか2014年の正月でした。実は長男が2013年5月25日に結婚したのですが、夫婦ともに鰻が好きなのですが、2014年に成田の新勝寺に初詣に行った時に鰻屋さんが沢山ありながら昼食はお寿司にしたしまいました。家の近くで美味しい鰻屋さんがあって、以前にタイトル「家で美味しい鰻丼を食べる秘策」で紹介した方法で鰻丼が食べれると思ったからでした。ところが家に帰ってから何度も電話しましたが少なくとも1月1日~3日はお休みだったのです。また長男夫婦も1月3日に帰るので今まで正月に鰻を食べることが実現しませんでした。今年(2017年)は1月4日16時のフライトであったことから4日に開店すれば昼食で食べれるのですが、電話はつながらないのでお店の入口には新年の開店日が書かれているであろうと車で行ってみると幸いなことに1月4日が開店日でした。

2017年1月4日の10時半に電話をして予約いたしました。開店時間は11時30分なので取りに行く予約時間は11時45分にいたしました。10時にかけた時は電話はつながりませんでした。焼きたてを持って帰りたかったので、少し早い11時35分にお店に行きました。11時40分に出来上がっり、家に持ち帰ったのが下の写真の蒲焼です。時間は11時50分で、まだ熱々でした。
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上の写真はクリックすると拡大しますがクリックの面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
本写真をクリックすると同じ縮尺で広範囲を表示します。
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出来上がった鰻丼です。鰻屋さんなら肝吸いですが、家なのでお吸い物も用意してもらいました。
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鰻丼を拡大いたしました。家でみんなで鰻丼を食べることが出来ました。鰻で隠れてご飯が見えません。1匹分をすべて上に乗せているので仕方ないことかもしれません。
ごはんのお米は何度が美味しいと紹介させてもらった熊本の益城町に住んでいる叔父さんから送ってもらった「まきしの米」です。益城町は熊本地震で震度7を2回経験して有名になった町です。たれは追加でもらいましたが、受け取ったケースの中にかかっていたタレで十分でした。
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さらに拡大いたしました。以前にも紹介しましたが美味しい鰻丼が出来るまでの手順を枠内に紹介いたします。
先ずは鰻屋さんに電話して、蒲焼の予約を入れます。
ご飯は、蒲焼が家に到着予想時刻より5分前に炊き上がるようにセットします。
焼きたてを持って帰るために、お願いした時間より、少し早めに受け取りに行きます。少し待つくらいがベストです。
受け取るとすぐに安全運転で家に帰ります。つい急いで帰りたくなりますが、そんな時は、意識して、いつもより、ゆっくりと走ることをお薦めします。
家では、お吸い物など鰻丼以外を準備してテーブルの上に並べておきます。
家に到着すると、ご飯を器によそって蒲焼を乗せ、タレをかけて出来上がりです。
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やっぱり山椒ですね。ちらっとごはんが写っています。長男家族も大満足で北海道に16時のフライトで帰れたと思います。
正月はいつまでなのか気になります。調べても、はっきりとした決まりはありませんが、近年は意識の変化により短縮される傾向にあることから正月の期間は1月1日~1月7日が平均的なところのようです。意識的には田舎ほど長く、都会ほど短い傾向と思われます。松の内は「門松を飾ってある期間」という意味です。どんど焼が1月14日に行われるのも、松の内に由来しています。
 1月31日まで  1月を示す 本来は旧暦1月の別名
 1月20日まで  一部地域の二十日正月
 1月15日まで  松の内
 1月07日まで  松の内(一部の地域) 江戸幕府指示→関東習慣
 1月03日まで  三が日
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こちらはお店の「お献立」です。最近は鰻の値段の変動が激しいのですべて「時価」で表示されていました。この時、蒲焼(1枚/1匹)は1900円でした。捌きたて焼きたての鰻屋さんの蒲焼が1900円はお得だと思います。
  店名  川ばた園
  住所  千葉県佐倉市臼井田2712-3 (印旛沼 船戸大橋 際)
  電話  043-461-8989
  営業  11:30~LO 14:30
      17:30~LO 19:30(7~9月 ~LO 20:00)
  休日  火曜日 月1回不定休
  新年  1月4日から営業(2017年)
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地図で場所を紹介いたします。地図の中の黄色マーク( )の場所が川ばた園です。お店の名前をクリックすると掲載したクリックすると拡大記事を表示します。
   川ばた園
   岡野川魚店 白焼き持ち帰り専門店
   白藤養魚  白焼き持ち帰り専門店
  ━━ 印旛沼サイクリングロード

一般的に鰻と言えばウナギ属の18種をさします。その中でも我々が鰻として口にするのが主にニホンウナギ(Japonica種)やヨーロッパウナギ、アメリカウナギ、ビカーラウナギ(インドネシア)です。
ニホンウナギ以外は主に中国で養殖されて日本に入ってきているようです。
2005年までの古い資料ですが、右は天然ウナギの漁獲量の推移のグラフです。この後、ヨーロッパウナギは稚魚(シラス)の獲りすぎのために劇的に下がってしまいシラスの輸出禁止になりました。
ニホンウナギはEN(絶滅危惧)ランクの絶滅危惧種ですが、且つてヨーロッパで捕獲されたシラスが多量に中国で養殖されて日本に入って来たヨーロッパウナギも、さらに厳しいCR(絶滅寸前)ランクの絶滅危惧種になってしまいました。ヨーロッパウナギやアメリカウナギの外見はニホンウナギとほぼ同じです。味の違いは、種類よりも鰻職人(板前)さんの捌き方や焼き方が大きいようです。
  界 動物界    Animalia
  門 脊索動物門  Chordata
 亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata
  綱 条鰭綱    Actinopterygii
  目 ウナギ目   Anguilliformes
 亜目 ウナギ亜目  Anguilloidei
  科 ウナギ科   Anguillidae
  属 ウナギ属   Anguilla
  種 ニホンウナギ Anguilla japonica ヨーロッパウナギ Anguilla anguilla
 産卵 マリアナ海嶺          サルガッソ海

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ニホンウナギとヨーロッパウナギの世界の漁獲量(天然うなぎ)と養殖量の推移のグラフを紹介します。圧倒的にニホンウナギの養殖量が多いことが判ります。ここからも日本人の鰻好きが伝わってきます。
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小さな数値が判りにくいので対数目盛のグラフも掲載しました。本グラフから、日本において養殖ウナギが天然ウナギを逆転したのが1971年で、世界において養殖ウナギが天然ウナギを上回ったのは1976年であることが判ります。


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沙羅双樹(正式種名:ナツツバキ) [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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兵庫県宝塚市にある実家の花の中で母が最も気に入っているのが、上の写真の沙羅双樹(シャラソウジュ、サラソウジュ)です。沙羅木(シャラノキ、サラノキ)、沙羅(シャラ、サラ)などとも呼ばれています。その沙羅双樹が2023年は6月14日に最初の花が咲きました。6月14日に咲いた花の数は3つでした。その中の1つが上の写真です。本記事に掲載している写真のほとんどはクリックすると、面積で16倍(長さで4倍)に拡大するように設定いたしました。

6月14日の2つ目がこちらの花です。沙羅双樹(サラソウジュ)は仏教の三大聖樹(三大聖木)の1つと言われています。仏教の三大聖樹は、①無憂樹(ムユウジュ)、②菩提樹(ボダイジュ)、③沙羅双樹(サラソウジュ)なのです。江戸時代中期にインド北部に生えるフタバガキ科のサラソウジュ(Shorea)に似ているとされ、仏教の聖樹である沙羅双樹(サラソウジュ)をナツツバキにあてるようにり、今も仏教の聖樹とされているようです。クリックすると拡大クリックすると拡大右の2枚の写真の左側が無憂樹で、右側が菩提樹です。
 ①無憂樹 :釈迦が生まれた所にあった木
 ②菩提樹 :釈迦が悟りを開いた所にあった木
 ③沙羅双樹:釈迦が亡くなった所にあった樹木
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6月14日の3つ目は花として撮らなかったので、木を撮った写真から3つ目の花が写った部分を切り取りました。写真の中の右上の黄色の〇が点滅している部分です。沙羅双樹の花は午前中に開花し、翌朝までには落花する一日花であるのも特徴なのです。つまり、前日に咲いた花が確実に全て落ちてしまっているお昼すぎに咲いている花を数えると、その日に咲いた花の数になるので、毎日咲く花の数を確実に数えることが出来のです。
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そこで毎日咲く花の数を数えてグラフにしてみました。6月14日(水)に3つの花が咲いて徐々に増えていき6月19日(月)には38つの花が付きました。6月19日がピークでされから徐々に少なくなっていって最後に花を咲かせたのが6月25日(日)でした。開花数がスムーズに変化しなかった日が2ケ所あるのは気温の変化が大きかった日と雨が降った日があることが関係していると思われます。2023年の開花総数は168でした。


2日目(6月15日 7つ開花)はまだまだ蕾が多い状態でした。
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3日目(6月16日 14つ開花)は印象的に花が多くなってきた感じでした。ただしまだ部分的に花が咲いている感じでした。
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4日目(6月17日 23つ開花)はさらに多くなってきた感じでした。
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こちらが最も沢山の花が開花した6月19日(6日目)の沙羅双樹です。開花した数は2023年で一番多い38の開花でした。
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タイトルに記載したように植物学的な正式種名はナツツバキですが、一般に流通して呼び方は沙羅双樹(サラソウジュ)なのです。沙羅双樹でYahooGoogleで画像検索すると大半が、クリックすると拡大本種が表示されることからも一般に流通して呼び方であると言えと思われます。原産地は日本と朝鮮半島です。ちなみに我々がよく知っているツバキ(種名:ヤブツバキ 右の写真)はツバキ科ツバキ属です。右の写真のツバキの品種は実家に咲いていた正義です。Wkipediaから種の写真を転用させていただきました。
クリックすると拡大  界 植物界      Plantae
    被子植物     angiosperms
    真正双子葉類   eudicots
    コア真正双子葉類 core eudicots
    キク上群     superasterids
    キク類      asterids
  目 ツツジ目     Ericales
  科 ツバキ科     Theaceae 山茶科(中国語)
  属 ナツツバキ属   Stewartia 紫茎属(中国語)
  種 ナツツバキ    Stewartia pseudocamellia
 別名 沙羅双樹 沙羅木 沙羅 
 韓名 노각나무
 英名 Japanese stewartia Korean stewartia 
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雄しべと雌しべを拡大しました。
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上で紹介したように沙羅双樹の花は午前中に開花し、翌朝までには落花する一日花ですが、写真のように花全体が落ちます。
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地面に落ちた花の写真です。雄しべが付いたまま地面に落ちていました。
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木に残った部分です。雌しべと子房が残されています。
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開花の最後の日であるの12日目(6月25日)に咲いた花も紹介します。最後に開花した3つの内の2つです。
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こちらが6月25日に咲いたもう一つの花です。上の写真と合わせて最後の日は3つの花が咲きました。ナツツバキ属の日本の種としては沙羅双樹(ナツツバキ)以外にヒメシャラ(姫沙羅)とヒコサンヒメシャラ(英彦山姫沙羅)があるそうです。さらにヒメシャラの亜種としてトチュウシャラノキ(戸中沙羅の木)、ヒコサンヒメシャラの亜種としてトウゴクヒメシャラ(東国姫沙羅)もあるようです。英語版Wikipediaには、世界全体で22種が書かれていることから少なくとも22種があることになります。着色文字をクリックすると単独で登録されたWikipediaを表示します。下記のリストで北米と書かれている2種以外のほとんどは東アジア(日本,朝鮮半島,中国,ラオス,ミャンマ,タイ,ベトナム)が自生地だそうです。
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日本では上で紹介している木を多くの人がサラソウジュ(沙羅双樹)と呼んでいますが、植物学上の種名がサラソウジュ(沙羅双樹 英名:Sal tree)と呼ばれている木があります。それがWikipediaから転用させていただいた下の写真の木です。分類を比べていただければわかるように上の沙羅双樹はツツジ目に対して、本種はアオイ目であることから全く違う木です。インドから東南アジアにかけて広く分布していますが、日本の気候では育たないため、日本各地の仏教寺院の多くは、仏教聖樹(仏教聖木)として上の写真の沙羅双樹が植えられているそうです。下記の古代語とは古代インド・アーリア語に属するサンスクリット(梵: संस्कृतम् saṃskṛtam、英: Sanskrit)です。
クリックすると拡大     界 植物界    Plantae
       被子植物   angiosperms
       真正双子葉類 eudicots
     目 アオイ目   Malvales
     科 フタバガキ科 Dipterocarpaceae
     属 サラノキ属  Shorea
     種 サラソウジュ Shorea robusta
    英名 Sal tree
インド古代語 शाल(シャーラ, śāla) 又は साल(サーラ, sāla)
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