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小龍海老と大龍海老 ( 小龙虾と大龙虾 ) [中国]

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2019年10月1日20時追記 タイトル:niceが出来なくなった方へ
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2019年10月1日19時掲載 タイトル:小龍海老と大龍海老

写真は小龍海老です。中国のちょっと田舎の訪問先の昼食で出てきました。茹でると驚くほど真赤になる食材のようでした。
小龍海老はザリガニのことです。クリックすると拡大
普通に炒めただけの料理です。ザリガニにはチョット驚いきましたが食べてみました。身が小さいけれど意外とおいしいかったです。
クリックすると拡大この時は「ザリガニ!! 食べれるんだ!」という感じでした。安い食べ物の代名詞のような感じでしたが、最近はザリガニ料理が大ブームとなっていると聞き、古い写真ですが記事として掲載させていただきました。
 では大龍海老は? 
        答えは イセエビです。
              1文字違うだけで大違いです。
食べた場所は江蘇省張家港市塘橋鎮にある江蘇華程集団の右の写真の工場内の食堂でした。この時は内モンゴルの呼和浩特と山東省の済南にもクリックすると拡大次のルートでいきました。上海と張家港の往復は車で後は飛行機(6回)でした。
 6月19日 成田→北京→呼和浩特
 6月21日 呼和浩特→北京→済南
 6月23日 済南→上海→張家港→上海
 6月24日 上海→成田
小龍海老と大龍海老の文字はレストランで使われていました。一般的にはザリガニは小龙虾が使われていて、伊勢海老(ロブスター)は大龙虾または龙虾が使われています。龍の簡体(中国語)が龙で、海老(エビ)の中国語訳が虾(蝦)なのです。つまり龙・虾の単純な日本語訳は龍・海老となることから、小龍海老と大龍海老は日本人を意識して使っていたのかもしれません。

川の物をもう一品紹介します。それがこちらの写真です。
タニシ それも食用の巨大タニシです。
ただしこれでもまともな四川料理店の料理です。結構ピリ辛でおいしかったです。 北京の四川料理なら ⇒ ここ がよかったです。
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中国で大龍海老(伊勢海老)はよく食べました。中国でも伊勢海老だけは昔から刺身で食べられていました。私が初めて中国で伊勢海老の刺身を食べたのは24年前の1995年でした。その頃は上海だけでしたが、2002年頃からは済南や南京や蕪湖など内陸でも高級店では普通に伊勢海老の刺身が食べれるようになりました。2007年頃には年に10回くらい伊勢海老の刺身を食べるペースになりました。実感していただくために見つかった写真を掲載いたします。こちらは2002年9月10日に上海の九龍塘漁村で伊勢海老を食べた時の写真です。残念ながら料理の写真は撮っていませんでしたが、もちろん刺身でいただきました。
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中国では元々、生簀で活かした淡水魚など料理することが多かったことから海鮮類でも活きたものが食べれるようになったのです。こちらは2006年5月30日に上海の海鮮専門店で食べた伊勢海老です。
 店名 東駿燕窩魚翅海鮮酒家
 住所 上海市淮海西路518号
 電話 021-6281-1978
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2017年1月19日に上と同じお店で伊勢海老の刺身をいただきました。この時の伊勢海老の値段は1.385kgで936元(約14100円)でした。12年前はキロ1万円でした。こちらは記事にも書きました。→ポチッ
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お店によっていろんな盛り付けがありました。ワサビもついていますが、日本のものと少し違うので、中国に行く時はいつも日本製のワサビを持って行きました。最近ではどこのお店でも別途、日本製のチューブ入りのワサビが置かれるようになったので持って行く必要はなくなりました。この写真は2007年11月23日に撮りました。
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こちらは伊勢海老の一種の錦海老です。巨大な海老でした。2007年7月28日に食べました。
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2007年7月11日に安徽省蕪湖で食べた伊勢海老です。イセエビ(伊勢海老)とクルマエビ(車海老)とザリガニ(蝲蛄・蜊蛄・躄蟹)の分類を紹介します。イセエビとザリガニはエビ亜目まで同じなのでクルマエビより近い種同士と言えるのかもしれません。イセエビ科には現生種12属60種のイセエビが含まれていて、アメリカザリガニ科には400種以上のザリガニが含まれています。クルマエビ科は現生種25属224種、化石種25属65種で、合わせて49属289種です。我々がよく食べているブラックタイガー(ウシエビ)もクルマエビ科です。
  界 動物界       動物界       動物界
  門 節足動物門     節足動物門     節足動物門
  綱 軟甲綱(or 甲殻綱)   軟甲綱(or 甲殻綱)   軟甲綱(or 甲殻綱)
  目 十脚目(エビ目)   十脚目(エビ目)   十脚目(エビ目)
 亜目 エビ亜目      根鰓亜目      エビ亜目
 下目 イセエビ下目              ザリガニ下目
 上科           クルマエビ上科
  科 イセエビ科     クルマエビ科    アメリカザリガニ科
  属 イセエビ属     クルマエビ属    アジアザリガニ属
  種 イセエビなど    クルマエビ     ニホンザリガニなど
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最初の頃は輸入物でしたが、いつのころからか大連あたりでの養殖物になりました。ヒラメなどの高級魚も急速に養殖物が増えました。全て生簀で行かされているので魚類の刺身も普及してきました。この写真は2008年5月21日に撮りました。
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2009年5月27日に安徽省で食べた伊勢海老です。
いつもだったら平目と伊勢海老を1匹づつですが、沢山食べたいので伊勢海老も平目も2匹づつ注文いたしました。1匹は伊勢海老でもう1匹は錦海老にいたしました。クリックすると拡大いずれも2kg前後の巨大伊勢海老でした。平目の刺身の石の器には氷の彫刻が置かれていました。右の活きクルマエビも頼みました。8人だったので支払いは全て私がいたしました。
 店名 Crowne Plaza Wuhu
 住所 蕪湖市鏡湖区中山北路77号
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伊勢海老を3匹頼んだ時もありました。食べたのは2008年9月25日でした。
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こちらは2012年2月20日に上海で食べた伊勢海老の刺身です。
記事はこちらです。→ポチッ
 店名 東駿燕窩魚翅海鮮酒家
 住所 上海市淮海西路518号
 電話 021‐6281-1978
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1995年以来の友人との2014年の会食で食べた伊勢海老の刺身です。内陸の町ではありますが、かなり洗練されてきました。記事はこちらです。→ポチッ
 店名 海螺国际大酒店皓月厅  海螺國際大酒店皓月廳
 住所 蕪湖市镜湖区文化路39号 蕪湖市鏡湖區文化路39號
 電話 0553-311-3188
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上の写真の伊勢海老を食べた蕪湖市と、ザリガニを食べた張家港市を、Google地図で紹介します。
  蕪湖市  ザリガニを食べた場所  上海浦東国際空港



2019年10月1日23時追記 タイトル:niceが出来なくなった方へ
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新幹線の車内誌で自転車特集 [中国]

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前記事で2017年11月9日に徐州東駅から上海虹橋駅まで新幹線に乗ったことを報告させていただきました。中国の新幹線の座席の前には飛行機のように車内誌が置かれています。偶々ですが、上の10月号が残っていました。他の座席を見ても10月号はありませんでした。その10月号の中に昔の自転車の写真が載っていたので、紹介したいと思います。
今回の記事で使わせていただいている自転車の写真は全て車内誌に載っていたものです。雑誌名は旅伴で、意味は「道連れ」のようです。
クリックすると拡大 誌名 旅伴
 主管 中国鉄路総公司
 主办 中国鉄道出版社
 国内 CN 11-4858/G0
 国際 ISSN 1671-7805
 定价 15元 車内誌として無料

1970年代の広州の大通りの交差点の写真ですが自動車(車)は無くて自転車だけです。大阪で開催された万国博覧会は1970年なので、その頃の中国ということになります。
現在の中国の道路は車で溢れていますが、ひと昔前は自転車が道路に溢れていました。中国と言えは自転車と言われるほどでした。今でも自転車の通行帯と思われる部分が残っていますが、今ではそこも車が通行するほど自転車は車に置き換わりました。東南アジアなどでは自転車からバイクに置き換わり、バイクから車に置き換わったのに対して、中国は自転車から、いきなり車に置き換わりました。それはバイクを規制したことが影響していると思います。その代り免許書のいらない電動スクーター(電動自転車)が流行りました。
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珍しい人力車の写真もありました。1918年前後の写真です。
なぜか人力車に自転車が乗せられています。この時代は人力車より自転車の方が高価だったのだと思います。自転車は、後ろで人力車に乗っている紳士の持ち物ではないでしょうか。
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おそろいの制服姿での記念写真です。1920年代初めの写真です。
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街中では自転車レースも行われたようです。1935年に南京で撮られた写真です。ここまでの3枚は戦前の写真です。
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お洒落して記念写真を撮っているのでしょうか。1952年の写真です。ここからの7枚は中国の戦後の写真です。
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この写真のころは、自転車は貴重な時代だったようでみんな楽しそうです。1956年の写真です。
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最初の広州の写真は、時代順ではこのあたりになります。大衆に自転車が普及し始めたころではないでしようか。
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文化大革命(1966年~1976年)の時代の写真です。この写真は1974年に撮られたものです。
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1982年の写真です。扇風機に自転車が印象的でした。一般にも自転車が広まってきた時代でしょうか。地域によっては自転車が高価だったのかもしれません。
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天安門広場で夕涼みしている光景だと思います。家から自転車で集まったのだと思います。こちらは1983年の写真です。
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不思議な写真も掲載されていました。海南省海口市で1992年に撮られた写真です。新港码头(波止場)という文字もありました。私が初めて中国を訪問したのは1994年9月19日なので、その2年前の写真になります。その時のフライト移動は成田(9/19)→南京→広州→香港→成田(9/24)でした。
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現代に近くなった写真です。子供のためのサイドカー付き自転車です。右上の方に自転車を改造して荷台に小さな女の子が乗った三輪車も写っています。
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その右上の改造三輪車を拡大いたしました。
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海外の写真も掲載されていました。初期のころの自転車を紹介した写真だと思います。1863年にフランスで開発された自転車です。
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これも初期のころの自転車です。同じ写真が2枚並んでいます。
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その初期のころの自転車でレースを行っている写真です。レースに使われているのは1869年にイギリスで作られた自転車のようです。チェーンが発明される前でスピードを出すためにタイヤが大きくなったようです。
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チェーンが発明されて自転車は現代に近いものになりました。
右の写真は1895年7月26日と書かれていました。有名な人のようです。
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この写真の説明はありませんでしたが、新しいタイプの自電車が開発されたころの写真でと思われます。1880年代ごろではないでしょうか。
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着飾った女性たちと自転車の写真です。自転車が貴婦人に乗られていた時代なのだと思います。
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現代に近いタイプの自転車での、トラックレースの初期のころの写真です。
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珍しいレースも行われていたようです。1932年3月の写真です。昭和7年です。
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こちらは1960年代のヨーロッパの写真です。
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現代の写真を2枚紹介します。
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寒い季節ですが、お洒落に感じます。
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参考に車内誌の152ページ(左)と153ページ(右)をそのまま紹介します。このようなページから写真だけを切り取って掲載させていただきました。自転車特集は142ページから161ページまででした。
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新幹線 上海虹橋駅→徐州東駅  [中国]

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2017年11月6日は関空からのフライトが上海浦東空港に着いた後は新幹線を使って目的の場所まで行きました。新幹線の利用区間は上海虹橋駅(上海虹桥站)から徐州東駅(徐州东站)でした。上の写真が上海虹橋駅の2階の待合ロビーです。駅舎の総面積は24万㎡だそうで、その巨大さが実感してもらえると思います。上海虹橋駅は新しい虹橋空港ターミナルビルと並んで建てられています。空港のターミナルビルと新幹線の駅が並んでいるのは珍しいと思います。私の経験の中ではフランスのリヨンがありましたが新幹線(TGV)の駅の線路は2本でホームは一つだけだったのに対して、ここは線路が30本ある大規模な駅と空港のターミナルが隣り合わせなのです。

2階の待合ロビーの下の1階にホームと線路が並んでいます。こちらの写真で手前が1番線になります。改札口は右側に並んでいます。ホームに下りることが出来るのは出発の15分前のため、それまでは待合ロビーで待っているのです。
この建物に入るためには空港と同じような安全検査が必要です。チケットがないとは入れません。この写真の左側に同じ程度の空間があって、その中央付近に、外からの建物への入口があります。
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虹橋空港と上海虹橋駅の位置関係を航空写真にプロットいたしました。
上海虹橋駅( )と虹橋空港・T2( )が並んで建っていることが分かってもらえると思います。虹橋空港・T1( )が昔からの虹橋空港ビルです。
拡大するとさらに分かりやすいと思います。→ポチッ
 上海虹橋駅
 虹橋空港 ターミナル2(T2) 国内線
 虹橋空港 ターミナル1(T1) 国際線+国内線


クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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こちらが新幹線のチケットです。チケットにはパスポート番号と名前が印字されています。パスポート番号は下2桁は**でフル番号は分からないようになっています。例えばTR12345**です。この車両では1号車と16号車に一等座とビジネスクラスがあり、2号車~15号車は二等座でした。
 列車番号  G226
 乗車区間  上海虹橋站(駅) 14:20→626km→17:14 徐州東站(駅)
 車両番号  16号車
 座席番号  06F
 座席クラス 一等座
 ホーム   12番線
 料金    474元(約8100円)


こちらが12番線と13番線のホームに入る改札口です。出発の15分前の14時5分ごろから改札が始まりました。
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ホームに下りるエスカレーターからの写真です。始発駅なので、12番線には私が乗る新幹線は停まっていました。
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真直ぐ進むと我々が乗る先頭車両の16号車があります。15分前しかホームに下りれないので待合ロビーは混んでいますが、ホームはすいています。
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表示版を撮りました。列車は青島行であることが分かってもらえると思います。この時、14時7分でした。
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先頭車両を前から撮りました。
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先頭車両には私が座った一等座以外に写真のビジネスクラス席がクリックすると拡大4席ほどありました。右の写真のようにフルフラットになります。この座席のことを知ったのは2014年11月16日に無錫から上海まで新幹線を利用いた時のことです。今回と同じように先頭車両の一等座に座った時にガラスで仕切られた今回のエリアがありました。
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こちらが私が座った一等座です。
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トイレの写真も撮らせていただきました。
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走り始めると検札が来ます。パスポートとチケットを見せます。パスポートの記載内容とチケットの記載内容を比較していました。その検札の時に水とスナックが入った袋を渡されます。
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袋の中身がこちらです。4種類のスナックが入っていました。車内販売もあるのですが、ビールは売られていませんでした。
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新幹線から別のルートの新幹線を見ることが出来ました。
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途中の南京南駅までの最高速度は303km/h~305km/hでした。最も多く表示されるのが303km/hでしたが305km/hの表示が出た時に、この写真を撮りました。
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こちらが南京南駅です。
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南京南駅を過ぎると最高速度が307km/h~308km/hになりました。
308km/hを表示した時の写真です。
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308km/hで走っている時の動画です。


川を渡るときの景色です。川の名前は淮河(わいが)で南京と徐州の中間地点になります。淮河は長江や黄河に次ぐ中国第三の大河で、長は1,078 kmになります。ここから42分後に徐州東駅に着きました。
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徐州東駅(徐州东站)に近づきました。電光掲示板には「前方到站:徐州東站」と表示されていました。
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予定通りに17時14分ごろに徐州東に着きました。こちらが徐州東駅のホームです。3時間の旅でしたがいろんなタイプの車両に出会いました。先頭の形が違いますが横のラインの色も変えているようでした。高速で追い抜いて行った車両は赤色ラインでした。いろんなタイプの歴史を記載します。
 CRH1   :Bombardier TransportationのReginaとZefiro250がベース
 CRH2   :川崎重工業 新幹線E2系電車がベース
 CRH3   :シーメンスVelaro (ICE3)がベース
 CRH5   :アルストムペンドリーノがベース
 CRH6   :200km/h以下の中距離用
 CRH380A :CRH2がベース
 CRH380B :CRH3がベース
 CRH380C :CRH3がベース
 CRH380D :Bombardier TransportationのZefiro380がベース
 CRH400AF:中国中車青島四方機車車輛が生産
 CRH400BF:中国中車長春軌道客車が生産
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地下通路を通って出口に向かいます。徐州東駅からホテルまでは車で移動いたしました。今までの新幹線に乗った記事を紹介します。
 2009年 北京⇔秦皇島  → ポチッ
 2014年 無錫⇒上海   → ポチッ
 2015年 合肥南⇒長沙南 → ポチッ
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この日、中国を移動した位置関係を地図にプロットいたしました。
 浦東空港
 上海虹橋駅
 徐州東駅
 泊まったホテル  曼哈頓國際酒店
 ━━ 上海虹橋~徐州東 新幹線ルート 626km

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中華料理 [中国]

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最近は料理の写真をよく撮りますが、ブログを始めるまでは中華料理を撮ったことはありませんでした。そのブログを始める前の中華料理の写真を紹介したいと思います。ここでの写真は全て宴会で人を中心に撮ったものです。その写真から料理を切り取ってみました。したがってピントは人間の方のため料理は鮮明ではありませんが雰囲気は判ってもらえると思います。
ガラスの回転テーブルが丸テーブルの上に乗っていてみんなで取り分けて食べるのが中華料理!!
最近はテレビで中華料理を食べる場面がよく出てくるので雰囲気は判ってもらえるはず!

大きな宴会 写真は食べ終わったところです。

                
北京で!


みんなで!


ちょっと豪華に!


中国は多人数でたべると非常に安価で食べれます。唯一北京を除いて!
特に地方で料理だけだと100人におごったとしても日本で数人程度の値段で済みます。ただし白酒は100円~数千円の値段なので高価な酒だとほとんどが酒代になってしまいますので要注意!!


少人数で!


中華料理と言えば円形テーブルですね。今回の写真はすべて円形テーブルでした。冒頭の写真と、この写真だけはクリックすると拡大するように設定しています。
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辛いものが並んでいます。


ときどきゲテモノも少し!


内モンゴルの羊のシャブシャブです。
内モンゴルは、中国とは思えないほど肉はおいしいですね。特に驚くのは羊の肉です。写真の羊のシャブシャブは絶品です。回転式のテーブルはドーナツ状になっており日本製の電磁調理器が埋め込まれています。このお店はテーブルが百を超えますが全て日本製の電磁調理器が埋め込ませていたのには驚きました。前日は牛のシャブシャブを食べました。こちらでも牛のシャブシャブ(ヒレ、サーロイン)は高級品で牛を頼むと羊のシャブシャブは無料で出してくれます。牛を食べないで単独でたのむともちろん有料ですが牛はその値段は10倍以上です。いずれの肉も新鮮でこちらの人も自慢していました。牛の肉の刺身も有名です。是非食べてほしいと出してくれたので一口だけ刺身で食べて残りはシャブシャブで食べてしまいました。


普通のモンゴル料理も羊料理が中心で串焼き、スペヤリブ等々です。内モンゴルはやっぱり馬乳酒です。
味はまさにカルピスでした。
驚きの味だったので、沢山持ち帰り宴会を行いました。

こちらが馬乳酒です。→

タグ:中華料理

99回目の訪問になります。 [中国]

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今日、2015年7月27日から8月1日まで中国に行って来ます。フライトは9時40分成田発の上海行きのJL873です。実は今回の訪中は99回目になるのでです。中国訪問100回まであと1回となりました。訪問回数には99回には香港(6回)とマカオ(3回)は含まれていません。今日の日本時間13時(中国時間12時)には99回目の訪問が実現していると思います。
初めて中国に訪問したのは、今から21年前の1994年9月19月で、成田から北京に入り2泊した後に南京に飛んで、車で、今回と同じ訪問地である安徽省に行きました。その時のフライトは次の通りですが、その後、上のグラフのように中国に訪問することになりました。しかし、この時に99回も中国に訪問することになるとは想像すら出来ませんでした。
右の写真は21年前に南京と安徽省を往復したSタイプ6000ccクリックすると拡大のベンツですが、この時代はSタイプのベンツは6676万人の安徽省で写真の2台しか存在しませんでした。
  1994年9月19日 成田→北京
  1994年9日21日 北京→南京
  1994年9日23日 南京→広州
  1994年9月24日 広州→香港
  1994年9日24日 香港→成田

これまで訪問ごとに「レトルトカレー」、「生ラーメン」、「納豆」、「佃煮」、「京漬物」、「ソーセージ」、「ふりかけ」、「ビール」と、いろんなお土産を持って行きましたが、毎回、入れているのがレトルトカレーと生ラーメンです。今回も生ラーメンを入れましたが、真夏の訪問なので初めて冷麺を持って行くことにいたしました。少し少ないのではないかと思い、当日に7時開店の近所のスーパーで、写真以外に生ラーメンを8個購入して持って行きました。
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出発当日に追加した生ラーメンです。菊水のラーメンを中心にして、とみ田のつけ麺も入れました。
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こちらか今回持って行くレトルトカレーの中の高級の方のカレーです。こちらのカレーの中の目玉は「佐賀牛カレー」です。佐賀牛カレーは、以前に何種類か高級なカレーを試食をして決めたカレーなのです。
この写真の中のカレーは、佐賀牛カレー、道産牛の牛すじカレー、神戸牛カレー、ふらんす亭・伝説のカレー、富山ブラックカレー、欧風ビーフカレー、ビーフマサラカレー、人形町今半すじカレー、浅草ハヤシビーフ、神戸はいから食堂・牛すじカレーです。
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こちが少しお得な方のカレーです。上のカレーと合わせて47個ほど持って行きます。キーマカレーを沢山入れているのは試食した結果、価格のわりに美味しかったからです。ただしキーマカレーの中で試食したの銀座キーマだけです。
この写真の中のカレーは、LEE辛さ×20倍、LEE辛さ×10倍、LEE辛さ×10倍ブラックカレー、LEE辛さ×30倍レッドカレー、軽井沢欧風カレー、タイ風グリーンカレー、ドライキーマカレー、エチオピア・ビーフカリー、銀座キーマ、スリランカ風キーマカレー、南インド風マサラカレー、ガヴィアル・欧風ビーフカレー、バターチキンカレー、東京神田・バターチキンカレーです。
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レトルトカレーの中でもう一つの目玉こちらのカレーです。 この「辛さ×10倍」、「辛さ×20倍」、「辛さ×30倍」のカレーを入れてみました。
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さすがに辛さが心配なので「辛さ×20倍」カレーを試食してみることにいたしました。家内はマサラカレーにしてもらい味見だけさせてもらいました。
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こちらが「辛さ×20倍」カレーです。見た目は普通のカレーです。最初の一口、二口までは少し辛いと感じる程度でしたが、確かに徐々に辛さを感じてきました。いつもはカレーを食べる時に水は無くてもたべれるのですが、こちらのカレーは水か必須でした。さらに食べ終わった後も、辛さが口の中で続くので、食べ終わった後にも水を何杯も飲む必要があるカレーであることが判りました。お土産で持って行くと話題になりそうなので3個、持って行くことにいたしました。
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こちらが南インド風マサラカレーです。骨付きチキンが入って本格的でした。中辛と書かれていましたが「辛さ×20倍」を食べながら試食したので甘く感じました。
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「辛さ×30倍」カレーも試食いたしました。家内は佐賀牛カレーを食べました。
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こちらが「辛さ×30倍」カレーライスです。名前の通り真っ赤な色で見るからに辛そうでした。「辛さ×20倍」カレーは見ただけでは普通のカレーのようで辛さは食べてみて初めて辛いことが判るカレーでしたが、こちらは見た目も匂いからも食べる前から、辛いことが判るカレーでした。辛さの感じ方は「辛さ×20倍」カレーと同じでした。「辛さ×20倍」カレーは辛さにコクがありましたが、「辛さ×30倍」カレーはストレートな辛さでした。ルーの中の具も少なかったです。
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こちらが佐賀牛カレーで、やはり美味しかったです。以前よりも、さらに味がよくなっているように感じました。日々研究しているのかもしれません。今回はカレーを47個持って行くわけですが、試食用も含めて計53個買いました。
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今回は初めて日本茶も持って行くことにいたしました。これは中国の人のお土産にしようかと思っています。なお、中国訪問中はネット事情の関係から皆様のところへの訪問が滞ることお許しください。
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到着したので99回目訪問の記念の搭乗券の写真を追加掲載させてもらいました。
上海の空港に12時少し前について、車で400km走って安徽省のホテルに到着いたしました。ホテルの部屋に入ったのは16時30分頃でした。

現金の束 1994年の出来事 [中国]


初めて中国に来たときのことを紹介いたします。現地通貨(中国元)に両替したところ札束になりました。あのころは中国の田舎のホテルではカードは使えないし現地通貨への交換も簡単ではなかったのでちょっと多い目にした結果です。
ちょっと、うれしくて写真を! 1994年9月の出来事です。
でも、北京での値打ちは数日間のホテル代程度です。
この時は1994年9月19日に北京に入り9月24日に広州から香港経由で帰国いたしました。

21年後の2015年11月11日に100回目の中国訪問を達成するとは夢にも思ってもいませんでした。
たった21年前ですが、今とは大違い。特に物価は違いました。あのころは北京でも信じられないくらい安く、美味しいものが食べれました。そして地方にいくとレストラン、トイレとすべてが悩みの種でもありました。


北京を離れて地方に行くときには「ホテルのパンを持って行ったらいいよ!」とか、中国の人も含めて北京に住んでいる人たち皆から沢山のアドバイス!
だけど地方の某空港に着いてビックリ!6000ccのSタイプのベンツ(S600)が迎えに来てくれ、そこからパトカー先導で5時間の車の旅でした。結局、立派なレストランに入って、持っていったパンはゴミ箱へ!
バスなどであれば10時間以上はかかるところを、沢山の車を抜きながら走りました。この時代、中国には長距離の高速道路は、北京と石家荘を結ぶ高速道路以外は無かったのです。
今の中国は高級車であふれていますが、この時代Sクラスのベンツは、この省全体(人口6000万人)で、この2台だけと後から聞かされ、またビックリ!

        
と言うことで地方と言えども場所にもよることを知ると同時に貴重な経験をさせていただきました。この後の4年間は、こちらの同じ車に何度も乗ることになり、さらに10年後にも乗りました。そのあとは新型Sタイプにも乗らせていただきました。
1994年9月21日の午後に、会社の宿舎に2台Sタイプのベンツで到着した時の写真です。この時でも、この省で2台しかないSタイプのベンツを持っている立派な会社でしたが、当時に比べると現在は生産規模が約150倍になった上に、今でも、その会社と一番親しく付き合っているのです。


同じ場所を遠くから撮った写真です。1994年9月21日の日付が判ると思います。2台のベンツが確認できると思います。


翌日の1994年9月22日の会議の風景です。


追伸
 パトカーの先導の理由は聞かないでください。

パトカー先導でノンストップ [中国]

以前に初めて中国を訪問した時の記事を掲載させてもらいました。その時、パトカーに先導してもらいました。その後の記事でも、やはりパトカー先導してもらった記事を書きました。興味深いと思うので再掲載させていただきました。

パトカー先導と組織的な交通規制のなかを走る機会がありました。ちょっと驚くほどの対応だったのでご紹介させていただきます。先導してくれたのはこのパトカーです。

ホテルを出発ところです。今回、先導するパトカーはこの街で最も新しいもののようです。出発から到着までを時間を順番に紹介いたしますので、車に乗っている気分で見てください。


今回は、この写真のように我々のために沢山の警察官の方が組織的に交通規制(交通整理)を行ってくれました。交通規制は目的地までノンストップで走らせるのが目的でした。どのようにノンストップで走らせたかを紹介いたします。
下から2枚目の写真をクリックすると動画を表示します。


いきなり反対車線を走り始めましたが、車が込んでいるはずなのに反対車線には車がいません。


交差点まで進むとわかりました。警官の方が反対車線の車を止めていたのです。この交差点で左に曲がります。


こちらでも左折車線を空けてありここまでノンストップでした。いつもは大渋滞の場所ですが、ノンストップにするために沢山の警官の方が交通整理をしてくれたのに大感激でした。赤信号でも廻りの車を止めて我々の車はノンストップでした。


警官の方が横から入ってくる車を止めて、走行するエリアを確保してくれています。


こちらでも警官のおかげで赤信号も進ませてくれます。完全に交通規制をするのではなく我々の車が通過する寸前に交通規制を行う、神業のような交通規制でした。なるべく一般車に影響が出ないような方法のようでした。


道路の中央に警官の方が立っています。


ここでも反対車線を走っています。反対車線にはまったく車がありませんでした。


遠くに沢山の警官の人が交差点に立っています。そこで反対車線の車を止めているようです。


反対車線の止められていた車の方、ごめんなさい。このの交差点で元の車線に戻ります。


ロータリーにも警官の方がロータリーの車を止めてスムーズに走らせてくれました。


郊外まで来たので道が空いて来ました。それでも横断歩道と交差点には警官の方がついてくれていました。


こちらでも警官の方が見張ってくれていました。


我々が近づくと交差点の車を止めて赤信号でも渡してくれました。


横断歩道では歩行者の人を止めてくれていました。


走行中の動画です。プレーボタンをクリックして是非、見てください。
同じものですがYouTubeでも動画を掲載いたしました。


目的地に到着です。
実は21年前にもパトカー先導で5時間ほど走った経験がありました。→ポチッ

2列積載のキャリアカー [中国]

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中国・寧夏回族自治区の銀川から中衛に向かう高速道路で、車を運ぶキャリアカーの写真を撮りました。ガソリンスタンドでガソリンを入れるために乗っていたタクシーが停止しているときに撮ったものです。上段の車が2列並んでいるのが判ってもらえると思います。最近は、このタイプの長~い2列積載のキャリアカーをよく見かけるようになったので写真を撮る機会を狙っていたのです。

クリックすると拡大右の写真が我々が乗っていた天然ガスでもガソリンでも走れるタクシーです。下の写真はガソリンを入れ終わって同じ車に追いついて追い抜く時に撮ったものです。後ろからの写真なので2列であることがはっきりと判ると思います。2階に乗っている車は小さい車ではないです。仮に乗せている車の車幅が1.8mで隙間が0.5mとすると少なくとも全体の車幅は4.1mになります。日本は制限外積載許可なしで走れるのは2.5mなので4.1mは、かなりの車幅です。もちろん日本にも3.2m幅のトレーラーはありますが、制限外積載許可を毎回事前に取る必要があるのです。
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追い抜いているときに撮ったものです。この車は迫力がありましたが、何か違和感を感じませんか。
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実はタイヤの一つがバーストしたまま走っていたのです。停まっているのではなく走っている写真です。タイヤが二重に付いているので後輪だけで12個のタイヤが付いているので1個くらいバーストしても気がつかないのかもしれません。今回のようにバースト(パンク)したまま走っているのは初めて見ました。ここでも珍しいケースに遭遇したわけです。
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車全体の写真が撮れなかったのでネットから写真を拝借いたしました。上の写真のキャリアカーはこれと同じタイプです。すごく長いことが判ってもらえると思います。だから全体を撮ることが出来なかったのです。運転席から後輪までの距離があるので、確かにタイヤが1個くらいバーストしてもわからない気がします。20台(14+6台)の車が乗っているので1台1.4トンだと積載重量だけで28トンになります。
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今回の高速道路の重量制限は55トンでした。この標識はよく見かけました。1軸あたりでは14トンの制限もありました。キャリアカーの後輪は3軸なので14トン×3=42トンとなります。つまり3軸が合理的なのかもしれません。日本の一般的道路の制限では車軸あたり10トンで、隣接する車軸の合計荷重は20トンなので中国の重量制限値は大きいと言えます。日本では一般的に3軸を見かけないのも、3軸にすると20トンを超えてしまうためなのでしょうね。


クリックすると拡大2014年8月28日に寧夏回族自治区の首都の銀川河東空港から同じ寧夏回族自治区の町である中衛市のホテルまでタクシーを使って赤色ラインを走っている時に今回の写真を撮りました。
右の写真が、その高速道路の写真です。

より大きな地図で 銀川河東空港→中衛 を表示

巨大な運搬物 [中国]

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前記事で中国の高速道路では大きなものを無造作に運んでいる報告をさせていただきました。→ポチッ
今回は第二弾で、さらに大きなものです。
上の写真のような数十mの長さの巨大なものを高速道路で運んでいるのに遭遇しました。遠くから撮っているけれど全体が写せないほど長いものでした。

こんなものを1日間で何十台と見ることが出来ました。完成したものは見たことがありますが、運搬中の姿を見るのは初めてでした。ちょっと感激してしまいました。


対向車線を次から次へと運んでいました。場所は中国の天津と唐山を結んでいる唐津高速道路でした。


少し小型のものを3っ運んでいる車もありました。そろそろ、お気づきの方が、おられると思いますが風力発電の風車の羽(ブレード)です。飛行機の上から見ることが出来るほど巨大なものであることを再認識してしまいました。

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大丈夫かな~~?? [中国]

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ここは杭州から南京に向かう中国の高速道路です。 結構、大胆に大型構造物を運んでいました。

別のタイプの鉄骨もありました。よく見かける光景です。建設はまだ続いています。このあと南京空港から天津空港に行きました。天津近くの報告いくつか報告させていただきますので待っててださい。こちらの写真はクリックすると拡大します。
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これが北京⇔秦皇島の新幹線 [中国]

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中国の秦皇島(秦皇岛)に行ったとき北京から秦皇島まで新幹線に乗る機会があったので紹介いたします。これが車体です。北京~瀋陽北の列車で秦皇島は中間くらいの距離で北京~秦皇島は280kmくらいです。China Railway High-speed (CRH)「和諧号」と呼ばれています。日本型のCRH2型ではなくCRH5型のようでした。

偶然ですが駅員さんの影で我々の乗る列車は見えませんが秦皇島の駅で新幹線がすれ違いました。冒頭の写真は11時13分24秒で、これは11時13分7秒ですので、非常に微妙なタイミングであることがわかってもらえると思います。
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こちらは11時13分18秒の写真で2台の新幹線が撮れました。丁度、すれ違っているところです。左の列車は「瀋陽北」行きで右が我々が乗る「北京」行きです。


これが行きと帰りのキップです。2009年11月2日に成田から北京に飛んで夕方(18:29発)の新幹線に乗りました。帰りは11月4日午前(11:14発)の列車に乗りました。行きは唐山と言う場所で停車しましたが、帰りは北京までノンストップでした。
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日本のようにホームには自由に入れず20分前に入れてもらえます。それまでは待合室で待つことになります。10時39分58秒の待合室の風景です。すでに並んでいます。待合室にいる人のほとんどが我々と同じ新幹線に乗る人たちです。
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列車は時刻通りに来ました。ドアの横には乗客が開閉できるようにボタンがついているのはヨーロッパ仕様ですが、扉自体は自動で開閉するところは日本的でした。ホームと車体の間の隙間が約30cmと大きいところがあるので、車体から黄色の踏み板が停車すると延びてきます。これは中国の特別仕様でしょうね。
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車内の風景です。これは一般の座席である二等座(硬座)で日本の新幹線と同じく 2+3 の座席です。日本の新幹線と一番違うのは荷物棚が大きくて深いことだと感じました。一等席(軟座)は日本のグリーン車と同様に 2+2 でした。
北京~秦皇島は行きも帰りも満席状態でした。秦皇島では大部分の人が乗り降りするので秦皇島~瀋陽北はすいていると思います。
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電光掲示板では現在のスピードと室内温度と外気温度が表示されます。この日の秦皇島→北京での最高スピードは201km/hでした。ただし200km/hを出したのはほんの一部で通常は157km/hで走っていたため北京~秦皇島280kmの所要時間は2時間でした。線路が真っ直ぐになってくるためか秦皇島~瀋陽北は早いスピードで走り続けると聞きました。今度出来る日本の技術の北京⇔上海は350km/hだそうです。


秦皇島駅に止まっていた一般列車も紹介しておきます。中国にも2階建の客車があることを知りました。
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ホームに上がった時にはまだ一般車両が停まっていました。左側は寝台車です。2台の列車が出た後に新幹線が入ってきました。
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こちらは貨物列車を引いている電気機関車です。


北京と秦皇島の位置がわかる地図を掲載いたします。

CRH2の関するネットでの説明
CRH2型電車とは、中華人民共和国鉄道部が第6次在来線スピードアップのために日本の川崎重工業から購入した高速鉄道車両である。愛称は子弾頭(子弾=弾丸の意)。なお、全てのCRH車両は「和諧号」(和諧=調和の意)と呼ばれている。
CRH2型電車は日本のE2系1000番台新幹線電車がベースになっている。新幹線車両の日本国外への輸出は台湾高速鉄道の700T型に次ぐものである。CRH2A型のモーターはE2系1000番台と同一であるが、電動車 (M) と付随車 (T) の構成(MT比)は4M4Tであることから、営業運転での最高速度はE2系1000番台 (8M2T) の最高速度275km/h(設計最高速度315km/h)より低い250km/hとなっていた。その後北京・天津高速鉄道の開通に合わせて投入されたCRH2C型は、6M2TにMT比を変更し、シーメンスICE3ベースのCRH3型電車とともに2008年8月1日より世界最速の350km/h営業運転を開始した。
 CRH1 - Bombardier's Regina C2008がベース
 CRH2 - 川崎重工業 新幹線E2系電車がベース
 CRH3 - シーメンスVelaro (ICE3)がベース
 CRH5 - アルストムペンドリーノがベース


北京-上海の記述
日本の「新幹線」技術を使った高速列車が2011年にも北京―上海間で走行する。川崎重工業が技術供与する南車青島四方機車車両が、中国鉄道省から高速鉄道の車両140編成を受注した。受注額は450億元(約6000億円)。鉄道省は今後4年間、毎年10兆円規模を投じて高速鉄道などのインフラ整備を進める方針で、日本の鉄道関連部品メーカーなどにも商機が広がりそうだ。
鉄道省が高速鉄道車両の入札を実施し、南車青島四方などが受注した。関係者によれば北京―上海、北京―広州間の車両が対象という。川重が供与した東北新幹線「はやて」の技術をベースに車両を生産、10年から納入する。時速350キロの走行が可能だという。

日食 [中国]

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空の上からの日食を紹介いたしましたが、この写真は成都で会った知り合いが7月22日に成都に来るために南京空港に向かっているときに撮ったそうです。
以前に中国は大気の汚染のためにいつも空が霞んでいることを書いたことがあります。空が霞んでいるおかげで日食メガネがなしで直に太陽が見れます。したがってこのような写真が直接に撮れたようです。