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洛西の竹林公園(BAMBOO PARK) [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で竹の径(たけのみち)の全工程を紹介いたしましたが、その途中で寄ったのが今回紹介する竹林公園です。クリックすると拡大ここが竹林公園の正門(北入口)です。すでに紹介の通り入社当時の神戸事業所での仲間を知友審の9名での第76回ハイク「京都洛西の竹林と古墳巡りハイク」で訪れた場所の一つが今回の竹林公園でした。右の写真が竹の径です。

こちらが門の前にあった竹林公園案内図です。ここでは洛西竹林公園(RAKUSAI BAMBOO PARK)と書かれています。公園内の竹の資料館で頂いたパンフレットでは京都市洛西竹林公園と書かれていました。当初の予定では現在地と書かれている北入口から入り「竹の資料館」で昼食をとった後にクリックすると拡大公園内を散策して約350体ある石仏や生態園や東屋や百々橋などを見て南入口から出で竹の径の散策を続けるつもりでした。竹の資料館に着いて確認したところ竹の資料館の館内も含めて竹林公園の園内では飲食が出来ないことが分かりました。さらに昼食は公園に隣接した子供の広場で食べることを薦められたので、竹林公園内を散策した後に南入口を出て子供の広場に行くことにいたしました。
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竹林公園の注意書きがあったので紹介したいと思います。
 開園時間 9:00~17:00(入園は16:00)
 休園日  毎週水曜日 12月29日~1月3日
 料金   無料
 目的   竹・笹の知識の普及 学術研究
 遵守事項 ペット同伴不可 小学生以下は保護者必要
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いよいよ中に入ります。右の門柱に墨で文字が書かれた看板(表札)が取り付けられています。
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看板の文字が読みにくいので拡大して看板だけ露出調整いたしました。看板には竹林公園と書かれていました。
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門を入ってすぐの景色です。この道を下っていきますが、いろんな種類の竹を見ることが出来ました。園内には110種以上の竹が植わっているそうです。
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京都市はウクライナのキエフ市と1971年9月7日から姉妹都市のようで、1982年10月25日にキエフ市長の入洛記念に植竹が行われていました。竹林公園は1984年6月に開園したので、公園が造られている時に植竹が行われたことになります。キエフ市側はワレンチン・アルセンティェビッチ・スグールズキー市長で京都市側は今川正彦市長でした。入洛の洛は京都を意味しているので入洛は「京都に入る」を意味しているのですが、時代劇などで大名などが京都に入ることを意味している上洛の方が効き馴れています。ただし、上洛は上下関係を感じるのに対して、入洛(じゅらく、にゅうらく)は対等感があります。
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最初に沢山植えられていたのはスホウチク(蘇枋竹)でした。
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クリックすると拡大スホウチク(蘇枋竹)には黄色の幹(稈)に緑の筋が入ていました。名札の説明には「熱帯性の株立ち。稈は黄色で緑条がある。庭園の竹として、また生け花など監視用用に適する。」と書かれていました。
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スホウチクの右側には同じような色合いの太い竹が植わっていました。
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その太い黄色の竹はキンメイモウソウ(金明孟宗竹)でした。
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キンメイモウソウ(金明孟宗竹)の名札の説明には「モウソウチクの園芸品種。黄金色の稈に緑色の縦縞が交互に発現したもの。宮崎県と福岡県で天然記念物に指定。観賞用。」
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キッコウチク(亀甲竹)の名札です。説明には「モウソウチクの園芸品種。竹稈下方部の節間が亀の甲羅のように膨れるのが特徴。竹材は京都府指定伝統工芸品の一つ。」と書かれていました。竹稈は「チクカン」と読みます。稈は「カン」と読み、両方共に竹の幹を意味しています。
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竹の資料館に近づいてくると、こちらの竹が植わっていました。名前はカンザンチク(寒山竹)でした。
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カンザンチク(寒山竹)は別名ダイミョウチクと呼ばれているそうです。名札には「中国南部産。九州で広く植栽されている。稈は3~8mで直立性。タケノコは美味。防風用。」説明の中の「タケノコは美味」が気になります。
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竹の資料館の入口前には2種類の笹(ササ)が植えられていました。こちらはヒメシノ(姫篠)です。
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ヒメシノ(姫篠)にも名札が立てられていました。名札の説明には「通称コグマザサの名称で流通しているコガシアズマザサの矮性変種。鑑賞用や地被用として広く栽培されている。」とかかれていました。
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もう一つの植わっている笹はオカメザサ(阿亀笹)でした。
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オカメザサ(阿亀笹)の別名はブンゴザサです。説明には「稈の高さ1~1.5m。枝は短く、各節から3~6本束生。葉は丸形で2~3枚。全国で広く植栽。園芸用、地被用。」とありました。
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類似した名前の竹が3種類まとまって植えられていました。
こちらはギンメイチク(銀明竹)です。説明にば「マダケの園芸品種。緑色の稈の節間芽溝が淡黄色になる。稈麺の配色が珍しく、観賞用に植栽される。」と書かれていました。
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上がギンメイチクに対して、こちらはキンメイチク(金明竹)です。名札の説明には「マダケの変種。稈が黄金色で、節間の芽溝部に緑条が入る。葉には時に黄色の縦縞が入る。観賞用。」と書かれていました。
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金明竹(キンメイチク)に対して黄金竹(オウゴンチク)もありました。こちらもマダケの変種で、説明には「稈は見事な黄金色で、葉にも少数の白い条がある。庭園・公園等に観賞用に植栽される。」と書かれていました。クリックすると拡大中国の西安市とも姉妹都市で記念植竹でオウゴンチクが植えられたようです。友好都市(姉妹都市)が提携されたのは1974年5月10日です。入洛記念植竹は1982年11月15日に行われました。西安市側は張鉄民市長で京都市側は今川正彦市長でした。
中国との友好関係に私が接することが出来た経験としては河南省の開封市にある大相国寺でした。右の写真のように開封市の大相国寺と京都市の相国寺と友好関係にありました。
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もう1種類。マダケの園芸品種を紹介します。縦縞のあるシボチク(絞竹)です。説明には「稈面に深い縦じわが現れる珍種。竹材はかなり肉厚。花器。茶器などの工芸品に利用される。」と書かれていました。竹林公園に植わっていた竹や笹の紹介はこれで終わりといたします。110種類以上(資料館の方の説明では120種)植わっているほんの一部を紹介させていただきました。下からは竹の資料館の周辺を紹介します。
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竹の資料館の中から見た前の庭です。石の橋を渡って坂を登っていくと約350体の石仏が設置されているそうです。驚いたことに織田信長が築いた旧二条城の石垣に使われていた石仏だったそうです。坂の上には、あずまや(四阿 or 東屋)があります。散策しようと外に出たところ雨が強くなってきたので、橋のところまで行って資料館に戻ってきてしまいました。雨が弱まるのを待っていましたが、強くなるばかりなので、石仏などの散策は断念いたしました。
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強い雨のためにほとんど散策が出来なかったので、竹の資料館で頂いた案内図を掲載いたします。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。
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上の案内図の範囲が分かるGoogleの航空写真を紹介します。上の案内図には北方向を書き込みましたので頭の中で右に回転して北を上方向にすると本航空写真とイメージが合うと思います。


案内図の裏面も掲載いたしました。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。京都市洛西竹林公園と書かれています。竹の径の竹林のほとんどが向日市物集女町なので竹林公園は向日市だ思い込んでいました。前記事の中で②~③の竹の径は京都市と向日市の市境で、沈淪公園は京都市側でした。
 名前 京都市洛西竹林公園
 住所 京都市西京区大枝北福西町2-300-3
 電話 075-331-3821
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強い雨のために石仏群を見ることも写真を撮ることも出来なかったので、上の竹林公園のパンフレットから石仏群の写真を切り取らせていただきました。パンフレットの一番左下の写真です。
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クリックすると拡大竹林公園に入る前に竹の径から東屋を撮った右の写真の東屋(あずまや)の屋根の上の竹林の隙間から資料館が見えていたのです。歩いている時は気が付きませんでした。
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1467年5月の応仁の乱ゆかりの石橋です。橋の名前は百々橋(どどばし)で、架かっていた小川が埋められたのを機会に、1963年に竹林公園に移築したそうです。橋脚を支える4基の礎石(そせき)の内2つが竹林公園に橋と共に移され、クリックすると拡大残りの2つの内の1つは架かっていた場所(百々橋ひろば/百々橋跡:京都市上京区大猪熊町)に、もう一つが京都市立室町小学校(京都市上京区室町通上立売上ル室町頭町261)に保存されているそうです。説明板の手前の四角い石が当時の橋の礎石だそうです。
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礎石を比較するためにたの2ヶ所の礎石の写真をネットから転用させていただきました。クリックすると転用させていただいたサイトを表示します。応仁の乱の時代は板橋だったようで、その後に石橋に改築されたそうです。航空写真の中の茶色と黄色のマークが礎石の位置です。
      百々橋ひろば          京都市立室町小学校
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百々橋(どどばし)の説明を枠内に転記いたします。ここに来た時は、かなりの雨だったので、すぐに資料館に戻りました。ちなみに説明文の中の小川は「おがわ」ではなく「こかわ」で、れっきとした川の名前(固有名詞)です。
百々橋の由来
宝鏡寺門前の東西の通りを百々の辻と呼ぶのは平安時代からであるが、小川にかかるこの小橋が、いちやく有名となったのは、戦国時代この橋をはさんで合戦が行われたからである。
応仁元年(一四六七)五月、応仁の乱最初の大合戦にさいし、この橋には、細川勝元配下の三宅、吹田、茨木、茶川氏など攝津の武将が布陣し山名方の平賀氏と激しく戦った。ここから、南の方一条戻り橋付近までが、その時の主戦場となり、付近一帯が戦火で焼失いた。
それから四十年後、細川勝元の子、政元の後嗣をめぐって、養子の澄元と澄之が対立、永正四年(一五〇七)六月二十三日澄之が、香西元長(嵐山城主)薬師寺長忠らと謀って養父政元を殺し翌二十四日澄元を攻めて、この橋で激しく戦った。澄元は近江へ敗走したが、八月一日には京都に還り、澄之、元長、長忠攻め亡ぼした。
この小さな橋には、かくて戦国乱世の歴史のひとこまが刻まれている。
なお、明治四十年(一九〇七)に改築したもので小川が昭和三十八年(一九六三)に埋められ、石橋の貴重な遺構として現地に礎石を遺しここに移築したものである。
京都市
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江戸時代以降の絵図と地図から推定された小川(こかわ)と百々橋(どとばし)です。地図と航空写真が切り替わるようにしました。百々橋の礎石の置かれている場所が分かると思います。→ストリートビュー 航空写真
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クリックすると拡大こちらは狩野永徳23歳(桃山時代・16世紀)の作品である上杉本洛中洛外図屏風に描かれた小川(こかわ)と、小川に架かる橋です。下の絵も上の絵も百々橋ひろばに立てられている右の案内板から切り取ったものです。案内板の写真はネットから転用させていただきました。
この絵からだけでは百々橋がどれかは判りませんが、当時は石橋ではなくこの図のように木造の板橋だったようです。クリックすると拡大江戸時代に石橋に改築されたそうです。上の推定図に描かれているのは石橋です。下記の絵は右の上杉本洛中洛外図屏風の黄色の枠で囲った部分です。
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建物全体の写真を撮っていなかったので本写真を掲載します。本写真は右の写真から人物を消す加工をしたものです。クリックすると拡大
 資料館面積 約450㎡
 公園の面積 35,068㎡
 生態園面積 約5,000㎡
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雨の中で庭の手入れをされている方がおられました。
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和の空間が溢れていました。細い竹が敷き詰められた桟敷(さじき)です。後ろの竹垣は建仁寺垣です。
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小さな庭園も建物の敷地にありました。こちらの後ろの竹垣も建仁寺垣です。本写真には写っていませんが光悦寺垣もありました。
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建物に戻って雨が止むのを待ちました。
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資料館の方に竹に関する説明をしていただきました。外人の方には英語で説明されていました。一番手前はモウソウチク(孟宗竹)です。モウソウチクは日本のタケ類の中で最大種です。学説によって異なりますが、世界で600種または1,200種、日本では150種あるいは600種があると言われているそうです。その中の一つのモウソウチクの分類を紹介します。一般的にタケ類と言われているのはタケ亜科あるいはタケ連になるそうです。タケ亜科はタケ連(Bambuseae連)とOlyreae連の2つに分類されますが、右下のようにArundinarieae連を加えた3つへの分類も提案されているそうです。クリックすると拡大
  界 植物界    Plantae
  門 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 単子葉植物綱 Magnoliophyta
  目 イネ目    Poales
  科 イネ科    Poaceae
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 (連 タケ連    Bambuseae )
  属 マダケ属   Phyllostachys
  種 モウソウチク Phyllostachys heterocycla
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竹のサンプル部分を拡大しました。手前の方が乾燥した竹そのものですが、奥の方は加工した竹が並んでいます。表面に薬品で模様をつけたり、四角い枠を付けて四角い竹を作ったりして竹材を作ることが分かりました。竹林の中に積まれているのも表面の色を変えるためであることを知りました。クリックすると特別に大きく拡大いたします。一番手前がモウソウチク(孟宗竹)ですが、今までに見たことが無いほど太い孟宗竹が展示されていました。クリックすると拡大
上で紹介したキッコウチク(亀甲竹)のサンプルも写っています。
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資料館の中にはいろんな説明がありました。
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復元されたものですがエジソンの電球も展示されていました。
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6000種類の植物繊維を実験して選ばれたのが、京都の八幡の真竹(マダケ)が使われたそうで宇。1882年のことでした。


竹の地下部分も展示されていました。根のように見えるのは地下茎で、根はそこから出ている細い短い毛のようなものです。
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竹の地下部分は2019年4月10日に放送されたNHK{ガッテン」の収録後に寄贈されたものだそうです。
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クリックすると拡大竹の資料館でお土産として竹の刷毛を買いました。薬味おろしでおろした薬味を集めるのに使うつもりです。竹材の産地なだけに竹細工をする人も多いと思います。皆さんいろんな竹細工を買われていました。
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薬味おろしと竹のハケの写真を撮りました。
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いくら待っても雨が止まないので、雨の中ですが昼食のために子供の広場に移動いたしました。
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こちらの子供の広場の東屋(あずまや)で昼食にいたしました。食事の後は時間がたっぷりあったので、皆さんで持ち寄ったスイーツや日本酒を飲んで時間を過ごして雨が止んでから出発いたしました。私はお酒を2合ほど飲んでしまいました。
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四阿(あずまや)から見た子供の広場です。広場の周囲にも竹が沢山植わっていました。園芸種ではなくWikipediawで掲載されていた分類学的な種の日本の代表的なものを紹介します。キッコウチクは形は大きく違いますが、種としてはモウソウチクで、亜種的存在です。
 モウソウチク Phyllostachys heterocycla f. pubescence
(キッコウチク Phyllostachys heterocycla f. heterocycla)
 マダケ    Phyllostachys bambusoides
 ハチク    Phyllostachys nigra
 ホテイチク  Phyllostachys aurea
 ホウライチク Bambusa multiplex
 ナリヒラダケ Semiarundinaria fastuosa
 チシマザサ  Sasa kurilensis(ネマガリダケ)
 トウチク   Sinobambusa tootsik
 シホウチク  Chimonobambusa quadrangularis
 カンチク   Chimonobambusa marmorea
 ヤダケ    Pseudosasa japonica
 メダケ    Pleioblastus simonii
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子供の広場からは、この坂をのぼって竹の径の四辻に戻りました。
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こちらが四叉路(四辻)です。写真は竹林公園に向かっている時に撮った四辻なので向いている方向は反対で、実際には右奥方向(東向日駅方向)に歩いて行きました。
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こちらが四叉路から東向日駅方向の最初の竹の径の景色でした。
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竹林公園の範囲をGoogle航空写真で紹介します。緑色ライン(━━)の竹の径(たけのみち)より左側の緑の部分が全て竹林公園です。駐車場の場所が北入口(正門)で、そこから橙色ライン(━━)のように入りました。真ん中の建物が「竹の資料館」でそこに着くころには雨が本降りとなっていました。そのため竹林公園内の散策は資料館の北東側を少し歩いただけで資料館内の見学が主になりました。竹の径(━━)の右上側が向日市で左下側が京都市です。向日市が京都市側に食い込んでいる(向日市の西と北と東が京都市)ためにイメージと反対のことが起こるのです。
 緑色ライン(━━) 竹の径(たけのみち)
 橙色ライン(━━) 歩いたルート


洛西竹林公園(Rakusai Bamboo Park)の英語のPRサイトにあった竹の魅力を表現した動画を紹介します。音楽だけでナレーションはありません。
10秒間だけですが、頭から3分33秒から竹の径の映像も出てきます。

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竹の径(たけのみち) 洛西 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大上の写真が前記事および前々記事(物集女車塚古墳)で掲載予告をしていた竹の径(Takenomichi)です。2019年10月19日に参加した第76回ハイク「京都洛西の竹林と古墳巡りハイク」のメインイベントである「竹の径」を紹介いたします。名の通り竹林の中に作られた道です。

本写真は竹の径の入口近くあった案内板です。赤い字で現在地と書かれているのが次のGoogle地図のと書かれているところです。道の形が違うように見えるかもしれませんが案内板は右方向が北なので、左に90度回転してもらうと、次の地図の竹の径の形に似てくると思います。
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下記の地図のように竹の径への主な入口は4ケ所( )あります。今回は竹の径の入口から竹の径の入口に歩きました。竹林公園から竹の径の入口は雨も降っており時間を短縮するために残念ながら歩きませんでしたが、十分に満足できる景観に出会えました。②~③の道には西ノ岡竹林通という名もついています。本記事では竹の径の入口から竹の径の入口までを順に紹介したいと思います。
 緑色ライン(━━) 竹の径(たけのみち)
 青色ライン(━━) 竹林道
 橙色ライン(━━) 歩いたルート


こちらが竹の径の出発地点です。上の地図の竹の径の入口です。この幹線道路は御所海道です。
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入口から見た竹の径方向です。この辺りは右側だけが竹林ですが、進んでいくと冒頭の写真のように左右ともに竹林になります。画面では分かりにくいけれども上り坂です。竹で作られた垣根である竹垣が見事です。この竹垣の名前は竹穂垣(たけほがき)です。
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竹林の中を撮りました。立派な竹でした。濃い緑の竹でなく黄色の肌の竹も沢山ありました。
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上り坂なのが分かってもらえると思います。この写真の左側は竹林の中に作られた向日回生病院です。カーブミラーのポールに竹の径の表示があります。参考ですが向日回生病院の住所は京都府向日市物集女町中海道92-12です。
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本格的な竹の径に出ました。竹垣のタイプも変わりました。2種類の竹垣が使われていました。この2種類を組み合わせた竹垣が「来迎寺垣(らいこうじがき)」なのです。物集女町にある紫雲山来迎寺にちなんで名づけられたそうです。長めに切り揃えられた竹穂垣と扉の配置が特徴的だそうです。
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道の両側に竹垣がある景観は見事です。ここのエリアは左側が竹林です。道の両脇に立つ竹垣には、竹の枝を約1.5メートルの高さで束ねて並べた「竹穂垣」を始め、「来迎寺垣」「かぐや垣」「物集女垣」「寺戸垣」「古墳垣」「深田垣」「海道垣」の8種類で構成されているそうです。
ここの竹垣も上の写真と同じ「来迎寺垣」です。
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竹林の方を撮りました。平安京を「洛」と表現した区分が今でも使われています。今回の場所は洛西(らくさい)になります。洛東と洛北と洛西と洛南をまとめて洛外(らくがい)と言います。京都だけで使われる「洛」は「都」を意味しており、由来は中国の洛陽が唐の副都であった時代に遡るそうです。洛陽と言えば龍門石窟に行ったことを思い出します。
 洛中(らくちゅう) 上京、中京、下京の各区の辺りの呼び方
 洛東(らくとう)  左京区銀閣寺辺りから東山区まで
 洛北(らくほく)  北区上賀茂から北大路通辺りまで
 洛西(らくさい)  右京区南部から西京区、乙訓辺り
 洛南(らくなん)  九条通り以南、伏見辺りまで
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見事に手入れされた竹林でした。
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竹の径は向日丘陵の中にあります。竹林と言えば竹の子(筍)です。筍は向日市の特産品でもありますが、向日丘陵の竹林では工芸や建築用の竹の生産が本業であることを竹林公園で教えていただきました。だからこそ竹垣で竹の径を整備しいてるのだと感じました。
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こちらは脇道です。竹林を管理している人が使うのだと思います。私有地になるので我々は入ることは出来ません。切った竹が置かれています。これも意味があることを後で知りました。
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ここの竹林の竹も見事でした。
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竹の葉の写真です。風を感じます。
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竹垣のタイプが変わりました。
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この竹垣のの名前は「かぐや垣」でした。説明によれば竹筒と竹穂を組み合わせた珍しい竹垣で、竹筒の長短によりかぐや姫の着る十二単衣の袖元をイメージして命名されたようです。
竹垣の名前の「かぐや垣」の文字が一瞬「かぐや姫」に見えてしまいました。
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また違った竹垣が現れました。こちらの竹垣は「海道垣」だそうです。
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海道垣が続く景観は見事でした。
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分かれ道(T字路)に出ました。右方向に竹の径が続いています。
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右に曲がってすぐに撮った景観です。
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真直ぐに続いていました。見事なので少し進んだところで全員で記念写真を撮ることにしました。全員で撮るために少し重いけれども小形の三脚を持ってきたのです。
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右の写真の三脚を使って全員で撮った記念写真です。大きな一眼レフでも使える頑丈な小形の三脚です。クリックすると拡大重い一眼レフは持ってこなかったのでコンデジで撮りました。三脚は縮めると188mmですが写すときは477mmになるので地面から約500mmの高さの写真です。一番左側が私です。竹穂垣が途切れているところは竹林への出入口です。関係者以外は入れないように竹で編んだ門扉が付けられています。
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ここの「竹穂垣」は長く続きました。
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竹林に入るためのところは開けてありました。
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竹の子販売店の看板がありました。ほんまもん 物集女特産たけのこ 和田農園と書かれていました。期間は4月上旬~5月上旬と書かれていました。
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四叉路に出ました。金属製の柵の内側は竹林公園でした。昼食場所の竹林公園の近くまで来たのです。
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竹林公園の正門方向に行く道です。左の金属製の柵内が竹林公園です。
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上の写真のカーブミラーの部分を拡大いたしました。右方向(実際は左方向)から歩いてきました。左方向(実際は右方向)の道は昼食の後に歩く竹の径です。左端(実際は右端)に立っているのが写真を撮っている私です。括弧内に「実際は」と書いたのは鏡だから左右反対に写っているからです。
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四叉路の4方向の道が写った写真を紹介します。左の道から歩いてきて、手前の竹林公園の正門に向かっています。向こう側の道が昼食後に歩く竹の径で東向日駅の方向です。右の道に進むと竹林公園の南入口と子供の広場に行けます。朝食後はこの右の道からこの四叉路に戻ってきました。
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竹林公園内のあずまや(四阿 or 東屋)です。由緒ある石仏も沢山見えました。
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竹林公園の正門(北入口)です。正式名は京都市洛西竹林公園です。ここから園内に入って先ずは昼食予定場所の竹の資料館に行きました。竹林公園内は本記事では割愛したいと思います。次の記事で紹介します。
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クリックすると拡大竹の資料館および竹林公園園内は飲食が禁止されていたために竹林公園に隣接した子供の広場のあずまや(四阿 or 東屋)で昼食にいたしました。右のように「飲食は子供の広場でお願いします」と書かれていました。下の写真が昼食を食べたあずまやです。竹の資料館からこの子供の広場に来るまでは雨が土砂降りでした。雨が止んでから出発いたしました。
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子供の広場で昼食を食べて、すでに紹介した四叉路に戻ってきて東向日駅の方向の竹の径に入った最初の景観です。初めて見る竹垣が続いていました。
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竹垣ま名前は物集女垣でした。名前は地元の物集女町に由来していて、前記事で紹介した中世の物集女城の城壁をイメージして考案されたそうです。竹の表面を縦横に配して竹の表面の美しさを強調したそうです。
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竹の子が出た時の皮が竹の根元に残っていました。今年に出た竹なのだと判ります。竹の子が出てから半年近くたっているにも関わらず竹も川も生き生きとした色合いでした。
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こちらでは左右が違う竹垣になっていました。右が「竹穂垣」で左が「深田垣」です。
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赤色の案内板は119番通報ポイントです。119番に電話した時に「向-01」と伝えればこちらの位置がすぐに分かるのだと思います。救急車や消防車をイメージしているのだと思います。他にも案内板がありました。
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農家組合からは「たけのこは大切な親竹です。みんなで大切にしましょう。」との案内でした。下は各場所への所要時間が書かれていました。「寺戸大塚古墳 徒歩1分」の表示をこの時に読んでいたら、寺戸大塚古墳を見落とすことはありませんでした。
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竹の径はまだまだ続いていました。
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右側明るく開けたところに出てきました。また左右違う竹垣になりました。左側は「竹穂垣」です。右側の竹垣の名前は後で調べて分かったことですが「古墳垣」でした。つまり「古墳垣」の右側の丘が寺戸大塚古墳だったのです。クリックして拡大すると小さな石柱があるのが分かると思いますが、その小さな石柱にが、ここが寺戸大塚古墳であることを示していたのです。
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上の写真を目いっぱい拡大したのがこちらの写真です。実は「古墳垣」の範囲にはもう一つ石柱が建っていたのです。この写真よりも大きな石柱です。
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大きい方の石柱も撮った写真の中に写っていました。竹の径を振り返って皆を撮った写真の中に写っていたのです。
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クリックすると拡大角度の関係から私の写真に写った大小の石柱の文字を読むことが出来ないので、ネットから2つの石柱の写真を転用させていただきました。背景に寺戸大塚古墳が写っています。寺戸大塚古墳を紹介します。
 全長  98m
 後円部 直径54m 高さ10m 三段築成
 前方部 幅45m        二段築成
 くびれ 幅35m
 史跡  国の史跡
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古墳の大きさのイメーシジを感じるために古墳の配置図とGoogle航空写真の縮尺を合わせてみました。Google地図に書かれていた緑色文字の寺戸大塚古墳のマーク(私が書いたマークの下に隠れている)が円方部の中心であると仮定しているので、位置に関しては若干(数m)のズレはあるかもしれません。
航空写真の中に引いている2本のクロスの黄色の線は98mと54mです。




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 全長    98m
 後円部直径 54m 

この写真のすぐ右側に小さい方の石柱が立っているはずです。私の建っている右・真横が古墳の後円部の丘です。「古墳垣」は前方後円墳の丸みを帯びたイメージで考案したそうです。職人の技で生かされた竹垣です。
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クリックすると拡大寺戸大塚古墳の写真を撮っていなかったのでGoogle地図ストリートビューを掲載させていただきました。丘の頂上が後円部の頂上です。左右に回転させると上で紹介の2つの石柱が確認できます。


ここの竹の多くは建築材料や竹細工の材料なるものです。長期間、ここにあるように置いておくことで風合いを出しているそうです。沢山並べられています。
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また「竹穂垣」になりました。そしてさらに奥が「寺戸垣」となっています。Googleのストリートビューで探すと④に抜ける竹林道にも「寺戸垣」がありました。
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上の写真の「寺戸垣」の部分を拡大いたしました。これで8種類の竹垣全て紹介したことになります。寺戸垣は地元寺戸町に由来して、つけられた名前で、格子の間から見える景色が趣があるそうです。結び目の位置や格子の間隔に職人の技生かされているそうです。
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また「竹穂垣」になりました。竹の径で最も多く使われている竹垣だそうです。竹の枝のボリュームを十分に生かした作りです。この記事の最初に使わさせてもらった写真です。竹垣もきれいな上にまっすぐに上に伸びた太い沢山の竹も美しいです。この竹の径は京都においては「京都府景観資産」や「京都府文化的景観」に選定され、全国レベルでも 「全国遊歩百選」や「歩きたくなるみち500選」に認定されているそうです。
竹林浴の地としても人気のようです。
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カーブした竹の径もきれいです。
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8種類の竹垣をバラバラに紹介したのでここでまとめて紹介したいと思います。編集が間に合わなかったので、とりあえずこの8枚の写真はネットの写真を使わさせていただいています。 追伸:自分の写真を下に並べてみました。
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竹穂垣      来迎寺垣     かぐや垣     物集女垣
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寺戸垣      古墳垣      深田垣      海道垣
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竹垣の最後の写真から少し進むと、平安時代の第50代天皇である桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏(天之高藤広宗照姫之尊)の御陵である高畠陵か゜ありました。藤原乙牟漏は平城天皇(第51代)と嵯峨天皇(第52代)の生母です。ここに来ると竹の径もほぼ終了です。
 氏族 藤原氏(式家)
 父親 藤原良継
 母親 阿倍古美奈
 夫  桓武天皇
 子女 平城天皇 嵯峨天皇 高志内親王
 諡号 天之高藤廣宗照姫之尊
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高畠陵に対する宮内庁の注意書きありました。
 1.みだりに域内に立ち入らぬこと
 1.魚鳥等わ撮らぬこと
 1.竹木等を切らぬこと
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ここでもみんなで記念写真を撮りました。私は右から3人目です。
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高畠陵は航空写真のように竹は生えていないので、円墳の形がよく分かります。直径約65メートル、高さ約7メートルの円形をしています。もとは古墳時代前期の円墳であったとされています。
古墳としての名前は伝高畠陵古墳です。
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伝高畠陵古墳の位置と共に今回の第76回ハイクに関連した物集女車塚古墳と寺戸大塚古墳と五塚原古墳の位置と大きさの規模を示した地図をネットから転用させていただきました。
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クリックすると拡大右の写真の標識の位置である竹の径の入口③から住宅地に入ります。したがって、今回の「竹の径」の記事は、ここで終了したいと思います。元の計画では、この後は五塚原古墳と文化資料館に寄ってから阪急・東向日駅に行く計画で下が、雨も降ったり止んだりが続いていたことから東向日駅に直行することにいたしました。つまり皆さんの気持ちは打ち上げ飲み会ムードになっていたのです。


朝一に洛西口駅に到着した人から頂いた阪急電車発行のパンフレットの中の悠遊一日機構マップ(洛日口コース)では洛西口駅を出発して洛西口に戻る竹の径の入口から竹の径の入口に抜けるルートが書かれていてのでマップを紹介します。小さなリュックに入れていたので、しわくちゃになってしまいました。クリックすると拡大するので文字が読めるようにはなりますが、しわも確認出来ると思います。歩いていない竹の径や竹林道をGoogleストリートビューで確認したところ美しい景観が多いという意味において、お薦めは我々が歩いたのコースだと確信いたしました。
本案内図にも入口の①②③④を書き込みました。ただしの辺りには道が書かれていないので大凡の位置に書き込みました。
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京都府の向日市観光協会サイトに掲載されている竹の径イメージビデオを紹介します。先ずは竹の径を見てもらいたくて、LoopとStart機能を使い、竹の径の動画が始まる1分41秒からビデオが始まり終了した後に、頭から繰返し見れるように設定しています。竹の径の動画は走っている車から撮られています。前半は竹林の映像です。かなり前に撮られたビデオのようで画質は良くありませんが雰囲気は伝わるかもしれません。


京都中心から方向が分かる地図を掲載いたします。

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次は「竹の径」を目指しました。 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で紹介した右の写真の物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん)をクリックすると拡大見た後は竹の径(竹の道)を目指しました。竹の径が今回のハイキングのメインイベントなので外せません。本記事では物集女車塚古墳から竹の径の入口までの景色を紹介したいと思います。下記のルートの緑の文字のところが今回の記事で紹介の部分です。
洛西口駅→物集女車塚古墳→旭米顕彰碑→竹の径→竹林公園→竹の資料館→子供の広場(昼食)→竹の径→高畠陵→桓武天皇皇后御陵→五塚原古墳→東向日駅

今回紹介のルートは次のGoogle航空写真内のからです。
歩いたルートはほぼ計画と同じでした。太い橙色ライン(━━)が歩いたルートです。緑色ライン(━━)が今回のハイクのメインイベントである竹の径(みち)です。


物集女車塚古墳を出発して最初反対方向に進みそうになりました。最初の出だしで間違えると大変なので地元の人に確認して反対方向であると判ったわけです。写真は反対方向を撮った写真です。
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クリックすると拡大最初は物集女街道(西国街道 および 新西国街道)を歩きます。出発してすぐに洒落た交番がありました。物集女交番です。右の図のように阪急電車発行のパンフレットの中の悠遊一日機構マップ(洛日口コース)にも交番の絵が入っていました。クリックすると悠遊一日機構マップ全体を表示します。
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物集女街道の進行方向右側は畑や田んぼが続いていました。左側は住宅が続きます。こちらの田んぼの稲は刈り取られていました。冒頭の写真がこちらです。このように稲わらを干している景色は最近見なくなったように感じます。
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野菜の無人販売もありました。農地と住宅地が混在した地域なのだと感じました。
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色づいた柿も撮りました。井戸も懐かしいです。
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方向から判断して、遠くに見える山は比叡山だと思われます。つまり山の手前に京都の町の中心である京都御所があります。上で紹介のGoogle地図の中の細い水色の線が写真を撮った位置から比叡山を結んだラインです。
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物集女街道に石碑がありました。
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つい立ち止まった読みたくなります。
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石碑の名前は旭米顕彰碑です。石碑を拡大いたしました。最初に山本新五郎の名前が出てきました。
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石碑の横に立てられていた説明板です。明治時代の終わりに稲の新品種「旭」を発見した山本新五郎の功績をたたえて建立されたものでした。当時広く栽培されていた「日の出」と「神力」の間から悪天候でも倒れない新品種を作り出して「日の出」より優れている意味を込めて「朝日」と名付けたそうです。同名の品種があったことから、のちに「旭」に改められたそうです。現在よく作られているコシヒカリは「旭」が遠い祖先にあたるそうです。
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洛西口駅が見えました。実は洛西口駅付近を東西に走る幹線道路に先ずは出ることを目指していたのです。
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標識はありましたが竹の径へ行く方向が分かりませんでした。同じように歩いている方に竹の径へのルートを確認して迷わず幹線道路に向かって真直ぐに物集女街道を進みました。あとで地図で確認すると、ここから近い場所に物集女城跡がありました。物集女城跡も見どころの多い遺跡のようでした。
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ネットにあった物集女城主郭の想像復元図を転用させていただきました。中世の城の多くは天守郭はありません。クリックすると拡大城内の構造が分からないようにするのが中世の城の特徴です。物集女城は、中世に乙訓の土豪のリーダーとして活躍た物集女氏の居城でした。1575年に織田信長の支配下の細川藤孝の居城(勝龍寺城)で当主の物集女忠重が謀殺され、物集女城も廃城となったそうです。右の地図で橙色に着色したところが今回歩いた物集女街道(もずめかいどう)です。廃城になったあと周辺に沢山の住宅が出来てるのにも関わらず堀や土塁などの地形が444年間も残されているのには驚かされました。
 水がある堀の部分は今でも地図では水色です →ポチッ
 堀から水が流れ出た辺りのストリートビュー →ポチッ
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駅から伸びている幹線道路に出ました。上り坂です。幹線道路の名前は御所海道でした。街道ではなく海道が使われている理由が知りたくなりました。調べ切れていませんが、海道は「しらなみ海道」や「東海道」と比較的使われています。
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新しい家が多い中で、純日本家屋も見ることが出来ました。
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竹の径の入口に到着いたしました。竹の径への入口は3ケ所ありましたが、ここは御所海道沿いの入口です。冒頭のGoogle地図内で「竹の径の入口①」と書いているところです。
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クリックすると拡大竹の径の案内板も設置されていました。案内板の中で現在地と書かれているところが、今回の竹の径の入口です。
次の記事で右の写真の竹の径を紹介したいと思います。
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物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん) 第76回ハイクの最初の目的地 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私が会社に入社して最初に配属になったのが神戸事業所でした。その時の先輩の方々が数年前からハイキングを年に7~8回行っていることを昨年(2018年)の年末に知って初めて参加させていただいたのが2019年4月20日で第72回でした。毎回散策したいところですがタイミングよく関西に行く時に限られるので第73回~第75回は参加できませんでしたが、私としては2回目の参加の第76回ハイクを紹介したいと思います。現時点で第78回まで案内が来ています。第78回は都合が付きませんが第77回は参加予定です。ここでは第76回ハイクを紹介したいと思います。上の写真は待ち合わせ場所の阪急・洛西口(らくさいぐち)駅のホームです。☆マークが参加あるいは参加予定のハイクです。
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
☆第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
☆第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
☆第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
☆第79回 2020年02月16日(土) 丹波篠山???ハイク

クリックすると拡大車内の阪急・京都線の案内図です。実家のある宝塚の阪急・今津線・逆瀬川駅を8時33分に乘り、西宮北口駅で神戸線の特急に乗り換えて、さらに十三駅で京都線の準急に乗って洛西口駅で降りました。桂駅の一つ手前の駅です。ネットの路線検索では十三駅で特急に乗り高槻市駅に同じ準急に乘るルートが出ていましたが、右図のように十三駅でぎりぎり準急に乘れたので十三駅から座っていくことが出来ました。クリックすると京都線全線を表示します。
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ルートの計画では緑色でしたが、この日は雨が降っていたことと、竹の資料館内は飲食不可であったことから赤色となりました。歩いたルートはほぼ計画と同じでした。太い橙色ライン(━━)が歩いたルートです。緑色ライン(━━)が今回のハイクのメインイベントである竹の径(みち)です。本記事では洛西口駅から物集女車塚古墳までの道の景色と物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん)を紹介したいと思います。徒歩で歩いた時のGoogleルート図→ポチッ
洛西口駅→物集女車塚古墳→竹の径→竹林公園→竹の資料館(昼食)→竹の径→寺戸大塚古墳→桓武天皇皇后御陵→五塚原古墳→文化資料館→東向日駅
(実際)
洛西口駅→物集女車塚古墳→竹の径→竹林公園→竹の資料館→子供の広場(昼食)→竹の径→高畠陵→桓武天皇皇后御陵→五塚原古墳→東向日駅


洛西口駅の改札口です。今回が私にとって2回目の参加ですが、2019年04月20日に初参加した第72回の神戸市北区の重要文化財巡りハイクで記載した8つの記事を紹介します。着色タイトルをクリックすると記事を表示します。
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
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洛西口駅(らくさいぐちえき)の外観です。新しい駅なので調べてみると現在の高架ホームになったのが上り線が2013年10月26日で、下り腺は2016年3月5日でした。地上駅として開業したのも比較的新しく2003年3月16日でした。ただし、1946年2月1日~1948年3月1日には物集女(もずめ)駅がこの場所にあったそうです。つまり今回訪れた物集女車塚古墳の名前がついた駅が73年前~71年前の間に存在したのです。
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駅の時刻表です。待ち合わせ時間は10時だったので9時41分の電車でここに来ました。同じ電車で私以外に3名が乘られていました。それより前に1名が来られていて、次の9時51分の電車で全員が集まりました。
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駅からは少し幹線道路を歩きました。後ろに見えているのが洛西口駅の高架です。


幹線道路を少し歩いたところで左(南)に曲がって、こちらの道に入りました。正面方向が南です。
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水田で広がっていて、写真のような刈り取り前と刈り取り後が半々程度に広がっていました。
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田園風景の中を進みました。


今回のハイクの最初の目的地の物集女車塚古墳(もずめくるまづかこふん) に着きました。
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物集女車塚古墳(もずめ・くるまづか・こふん)は史跡・乙訓古墳群に分類されます。乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)は桂川西岸の長岡丘陵周辺である乙訓地域(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市の一部)に所在する古墳時代(3世紀~7世紀)の首長の古墳だそうです。 向日市の乙訓古墳群としては五塚原古墳・元稲荷古墳・寺戸大塚古墳・南条古墳・物集女車塚古墳 が知られていてその中の一つが本記事で紹介する物集女車塚古墳です。向日市以外では天皇の杜古墳(西京区)・寺戸大塚古墳(西京区)・恵解山古墳(長岡京市)・井ノ内車塚古墳(長岡京市)・井ノ内稲荷塚古墳(長岡京市)・今里大塚古墳(長岡京市)・鳥居前古墳(大山崎町)があります。
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物集女車塚古墳の形が分かりやすい角度から撮った写真です。この古墳は6世紀中頃(古墳時代後期)に造られた前方後円墳(全長約46m・高さ9m)のです。車塚が名前の中にある古墳は全国に沢山あり、前方後円墳を横から見た形から車塚と呼ばれるのが一般的ですが、淳和天皇(840年没)の棺を運んだ車を納めた地という伝承が「車塚」の名の由来とも言われています。埋葬されているのは継体天皇(大王)にゆかりの深い人と考えられていますが、名前は特定されていません。継体天皇は第26代天皇で、在位は明確ではありませんが、通説では507年3月3日?~531年3月10日?となっています。日本書紀によると継体天皇と言えば、511年に樟葉宮(現:大阪府枚方市楠葉丘)から筒城宮(現:京都府京田辺市)に遷都し、さらに518年に筒城宮から弟国宮(現:京都府長岡京市今里)に遷都したことが有名です。長岡京市は比較的この古墳から近い場所です。
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地上からだと形が分かりにくいのでGoogleの航空写真を紹介します。上の写真は本写真の右下から撮りました。上から見ると前方後円墳であることがよく分かります。一部が道路で削られたことが分かります。向日丘陵の前期の古墳は南北方向に規則的に築かれているのに対して、物集女車塚古墳は丘陵から伸びる尾根を利用してほぼ東西方向に築かれているそうです。
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道路に接する部分は石垣になっていました。上の航空写真では右上の道路(物集女街道)に接する部分です。開発などで昔の文化財が壊されてしまうと元に戻すことが出来ないことを実感いたしました。でも調べているうちに、大部分は保管されているすばらしい古墳であることが分かってきました。
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北方向から南西方向を撮った写真です。毎年5月末頃に横穴式石室の内部が公開されるそうです。出土遺物には、埴輪、須恵器、土師器、馬具、刀剣類、装身具などが多くあるそうです。1984年に京都府の指定文化財となりました。
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物集女車塚古墳があるこのエリアは車塚緑地と言われていて周辺地域の人達の憩いの場所でもあるようです。
クリックすると拡大正面から見た物集女車塚古墳です。全員で記念写真を撮りました。左端が私です。
 全長  46m(二段築成)
 後円部 直径24~32m 高さ9m
 前方部 長さ18~23m 幅39m 高さ8m
 くびれ 幅36m
 史跡  京都府の史跡
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大きな説明板が設置されていました。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。
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こちらの写真で説明板の大きさが分かってもらえると思います。


クリックすると拡大物集女車塚古墳の右の写真の石室から2,000点以上の埋葬品などの遺物が出土し、それらの全てが2018年3月23日に京都府指定等文化財に指定されたそうです。ネットからそれらの一部を転用する形で紹介したいと思います。これらの写真は向日市教育委員会より1995年3月31日に発行された「向日市埋蔵文化財調査報告書第40集別冊」に掲載されていたものだそうです。右の石室の写真もネットから転用させていただきました。左上から「ガラス小玉・なつめ玉・トンボ玉」「広帯金銅製冠」「馬具(鞍金具・杏葉・雲珠・辻金具・鉸具・鋲)」「土器(高杯)」「各種副葬品」「武器(鉄鏃)」です。
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周囲には周濠が残っている部分もありました。
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石室と石棺の詳しい説明もありました。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。右側の2枚の写真は上が玄室と家形石棺で下が玄室から外方向を見た写真です。
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石室への入口の写真を撮り忘れたのでGoogleのストリートビューで紹介します。中央のステンレス製のドアが石室(玄室)入口です。


キケン!! のぼらないでください。」の注意看板が立てられていました。


古墳の側面には上に登るった跡がが残されていました。登りたくなりますが看板が立てられていたので断念いたしました。
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正面側にも上に登った跡が残されていました。
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石室の断面図もあったので掲載いたしました。
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古墳の側面に排水溝の出口がありました。上の図の左の端に人が立っているところの赤丸()部分の写真で、石室内の水が排水溝を流れてきて外部に出るところです。
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排水溝の説明板です。中央の下側の排水溝の出口は写真ではなく本物なのです。説明板がくり抜かれていて本物が見えるように工夫されているのです。上の写真は、ここを撮った写真です。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。2枚上の石室の断面図は本説明板の写真から切り取って掲載いたしました。
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古墳の周囲を歩いたルートを紹介します。


赤線の内側が京都府向日市物集女町です。8世紀~江戸時代までは山城国・乙訓郡・物集女村(荘)で、7世紀は乙訓郡の部分は弟国評であったようです。
物集女車塚古墳は物集女町の中の最も右下(東南)にあります。のアイコンのすぐ左の真横で、病院のマーク(⛨)の真下です。周辺との位置関係を知りたい方は、最右下ののアイコンを数回クリックしてみてください。

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るり渓温泉 [京都]

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お盆の連休中のゴルフのために2014年8月11日に1泊したのが、るり渓温泉です。るり渓温泉は2002年4月にオープンした公共リゾート施設「心と身体の癒しの森 るり渓温泉」です。お盆休みで夏休みということもあり満席で、この時期は早くから予約しないと泊まれないそうです。
ただし、瑠璃渓は都市圏から近くにあり、子供連れの日帰り客の人が沢山来られていました。大きな駐車場が、ほぼ満車状態でしたが、朝には空の状態であったことからも日帰りでレジャーを楽しみに来られている方が多いことを実感しました。

子供づれの家族の方も多いことから子供さんが喜ぶようなバーベキューなどの施設も充実しているようでした。
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やはり泊りでは夕食が楽しみです。この日の夕食は和会席でした。食前酒として梅酒が添えられていました。


こちらが前菜です。


記念写真を右に紹介します。左側の写真の左端が私です。いつもであれば料理の写真を撮るのですが、神戸に入社した同期の懐かしいメンバー計6名との初めて宿泊しての食事だったので、話に夢中で写真を撮り忘れていました。
料理の写真を撮っていないことに気が付いたのが最後の鍋料理です。下の写真の鍋が3人前です。つまり6名で2つの鍋が並びました。
鍋と前菜以外の写真が無いのでネットのホームページの10月平日の夕食の写真を右に紹介いたします。料理の内容は10月平日の方が少し豪華で今回とは違いますが、雰囲気は判ってもらえると思います。
写真はクリックすると拡大します。
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鶏肉のつみれです。鍋のダシが美味しかったです。
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最後の締めの「おじや」です。地場の自慢の卵でおじやを作ります。
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「おじや」以外に「ちりめん山椒ごはん」も選ぶことが出来ます。4人が「おじや」で、2人が「ちりめん山椒ごはん」を選びました。
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私は「ちりめん山椒ごはん」を選択いたしました。たっぷりと乗ったチリメン山椒は美味しかったです。もちろん鍋には沢山の「おじや」が出来るので「おじや」もいただきました。
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こちらのレストランの昼食のお薦めは大きな器に入った「うどん」のようです。「うどん」以外の料理の器は普通の大きさなので、「うどん」用の器が、いかに巨大であるかが判ってもらえると思います。器からも「うどん」に力が入っていると感じました。
右下の5つがうどんです。クリックすると「うどん」の部分を拡大するように設定いたしました。「うどん」を「おうどん」と呼ぶところが京都らしい気がしました。
クリックすると拡大  680円 きつねのおうどん
  980円 博多明太子のおうどん
 1000円 天ぷらのおうどん
  780円 京たぬき餡かけのおうどん
  980円 カレーのおうどん
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総合リゾート施設のようなところでした。大浴場以外のバーデゾーン、露天風呂、温泉プールは水着着用エリアのため水着が必要ですが、無料で貸してくれます。
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サウナや岩盤浴もありました。この案内の写真のフィッシュテラピーに気が付いたのは朝でしたが、残念ながらゴルフがあるので宿舎の出発が7時30分のためフィッシュテラピーは体験は出来ませんでした。フィッシュテラピーは8:00~20:00でした。その他の時間はお魚の休憩時間でした。


こちらが温泉エリアでこの中に大浴場やフィッシュテラピーなどがありました。るり渓温泉の源泉は「るり渓高原温泉」と「るり渓フラワー温泉」の2つがあり、その両方から送られてきています。源泉温度は低いために加熱して使われているようです。基本的に両方ともにラドンを含む放射能泉で、浴場には2つの源泉から導入された浴槽が隣接しており、片足ずつまたがることができるそうです。 温度の差は小さいけれども成分総計の数値に表れているように成分の差で皮膚に受ける感触の違いは大きいそうです。
  源泉名    るり渓高原温泉    るり渓フラワー温泉
  泉質     単純弱放射線温泉  単純弱放射線冷鉱泉
  分類     低温泉         冷鉱泉
  源泉温度  26.6度         15度
  PH      7.90          6.92
  湧出量    159L/分        116L/分
  成分総計  3130mg/kg     72mg/kg


2段のお重に入った朝食もなかなかのものでした。
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サバの塩焼きは、もう一度網の上で焼くので熱々を食べることが出来ました。
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サバを焼いている写真です。
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土鍋で炊いたご飯でした。地場でとれた玉子の、卵かけご飯は最高でした。
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空色マークが、るり渓温泉で赤色マークが通天湖です。るり渓を紹介いたします。るり渓(瑠璃渓または瑠璃渓谷)は、京都府南丹市園部町大河内にある大堰川支流の園部川が流れる全長4kmの渓谷です。赤色ラインが瑠璃渓の遊歩道1.5kmです。瑠璃渓は1932年に国の名勝に指定され、府立自然公園にも指定されています。そして日本の音風景100選にも選定されています。
名前の由来は渓谷上部にある通天湖から流れ出る清流が、光の反射によって瑠璃色の輝石のように見えることによるそうです。地質は流紋岩で、浸蝕による奇岩が多く見られ、瀑布が点在します。錦繍巌、双龍渕、渇蚪澗、座禅石、水晶簾などの12の名所があり、紅葉の名所としても知られています。
  名称 るり渓温泉
  住所 京都府南丹市園部町大河内広谷1-14
  電話 0771-65-5001

より広い範囲の地図で 瑠璃渓 の位置を表示

今回のゴルフ場でのランチ [京都]

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関西に帰省中の2014年8月12日に京都府南丹市にあるるり渓流ゴルフクラブでゴルフをしたことは昨日の記事で紹介いたしました。
クリックすると拡大そのゴルフ場では驚いたことに右の写真のように野生の鹿に沢山出会いました。恒例の食べたランチを紹介いたします。私が食べたのは冷やし坦々麺でした。ここをよく知る人も坦々麺(担々麺)が美味しいと話していましたが確かに美味しくいただきました。私は単品を頼みましたがセットだと炒飯が付いています。美味しいと話していた人は温かい坦々麺を頼まれていました。

クリックすると拡大山盛りに乗せられた肉味噌が食欲をそそりました。普通の冷やし中華のタレや具は家でも簡単に作れますが、坦々麺のタレは手間がかかるので値打ちがあります。肉味噌も家で作ろうと思うと沢山の種類の具が必要です。ネットで調べてみると、ひき肉、にんにく、しょうが、長ネギ、サラダ油、豆板醤、酒 、八丁味噌、醤油、練りゴマ、塩、胡椒でした。
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半熟卵も麺に絡まって美味しかったです。
るり渓ゴルフコースのグリーンのスピードは感覚から10.2~10.5フィートと比較的早く、コースも難しく設定された、いいゴルフ場でした。
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いつものは車を運転するので、ノンアルコールのビールにしていますが、この日は車に乗せてもらったいるので、大好きなビールも飲むことが出来ました。


本当は8月11日も、るり渓ゴルフクラブでプレーする予定でしたが、前日の8月10日に近くを台風11号が通り沢山の木が倒れて、沢山の枝が散乱していたために8月11日は整備のためにクローズするとの連絡が入ったために兵庫県加東市にあるグランドオークゴルフクラブを幹事の方が遁走して予約してくれたのでした。
8月11日のランチは、お薦めと書かれていたカレーセットを頼みました。3種類のカレーをナンとご飯で楽しむランチでした。夏にピッタリのランチでした。
私は会社に入社した時は、神戸に配属になりましたが、数百人単位の組織で、勤務場所を神戸→大阪→東京①→東京②→東京③と移転しました。
結局、会社に入ってからは関東住まいが一番長くなりました。何度も移転となりましたが、組織での移動なので扱っている製品は同じである上に、関東に関西村と噂されるほどの関西弁が飛び交う組織でした。今回は6名2チームでプレーしましたが、内訳は移転組2名と神戸組4名でした。つまり懐かしい人たちとのゴルフだったのです。
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こちらが3種類のカレーです。
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こちらがナンとご飯です。お薦めランチを注文すると650円のビールが460円に割引になることもありカレーセットを頼みました。グランドオークゴルフクラブと記載しましたが、急遽、予約が出来てプレーが出来たのはグランドオークプレイヤーズコースです。ここは法人会員専用で運営していた36ホールのうち18ホールをパブリックコースとして価格優先でオールセルフプレーで開放したコースなのです。こちらのコースのグリーンのスピードは感覚から8フィート程度と比較的遅かったので翌日の、るり渓ゴルウクラブのグリーンスピード(10.2~10.5フィート)とは差があったために、よけいに翌日が難しくなりました。
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グリーンスピードは長さ36インチのスティンプメーター(Stimpmeter)で下記の図のようにゴルフボールを転がして、転がった距離をフィート(ft)で表現します。最近はグリーンの硬さも表示しているゴルフ場も見かけるようになりました。
図の中の青色の棒がスティンプメーターです。スティンプメーターによって与えられるボールの初速は6.003937ft/s(1.83m/s)だそうです。
グリーンスピード7.5 ft (2.29m)以下なら 遅いグリーンで9.5ft (2.89m)以上であれば速いグリーンです。プロのトーナメントでは 11~12ftあるいは、それ以上のスピードにまで 引き上げられます。ただし、芝を短く刈って速いグリーンを長期間保つことは 芝の健康には 良くないので通常我々がプレーするコースでは 11ft (3.35m)未満のようです。プロトナメント並みスピードを体験したい場合はプロ競技の翌日を予約すれば、お目にかかれるかもしれません。  単位換算 1ft = 30.48cm = 12in


赤色ラインがグランドオークゴルフクラブでプレーした後に、るり渓温泉に移動したルートです。昔に自転車で通った懐かしい道もいくつか通りました。

より大きな地図で 移動コースを表示 を表示

野生の鹿に出会えるゴルフ場 [京都]

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2014年8月8日~8月14日まで関西に帰省していました。帰省中の主な予定としては、8月10日は帰省先の宝塚から日帰りで山口県に墓参りに行き、8月11日~12日は神戸に同期で入社した仲間の計6人と、るり渓温泉に泊まって、るり渓ゴルフクラブで2日間、ゴルフをすることでした。ところが台風11号が8月10日に兵庫県に上陸したことから8月10日の墓参りは中止しました。8月10日の午後には天候が回復したので、8日11日と12日には予定通りにゴルフが出来る元の思っていましたが、幹事の方から電話がかかってきて台風の被害のために、るり渓ゴルフクラブ8日11日はクローズするとの連絡をもらいました。急遽、8月11日に関しては代替えのゴルフ場を探してもらいましたが、8月12日は予定通りに、るり渓ゴルフクラブでプレーをす藻琴が出来ました。そこで写真の野生のシカ(鹿)に出会えました。

下記の地図で緑色マークが今回紹介の「るり渓ゴルフクラブ」です。数値は標高を示しています。黄色マークが代替えでプレーをしたのグランドオークゴルフクラブです。るり渓ゴルフクラブが8月11日にクローズしたのはグルフ場内に倒れた木や枝が散乱しており、取り除くためにクローズしたことが判りました。取り除いた木屋枝の量は軽トラック35杯だったそうです。8月11日11時からプレー出来るとの連絡が8月11日の朝に貰いましたが代替えをすでに予約していたので8月11日はグランドオークゴルフクラブでプレーをしてプレーが終わった後に、皆でるり渓温泉に移動しました。
青色マークは以前に記事で紹介した六甲国際ゴルフ倶楽部です。
地図内のアイコンプラスを数回クリックすると近くの雰囲気が判ると思います。右の写真は初日2014年8月11日に撮った記念写真です。私が撮ったのでこの写真には写っていません
  緑色 るり渓ゴルフクラブ
  黄色 グランドオークゴルフクラブ
  青色 六甲国際ゴルフ倶楽部


クラブハウスからの景色です。るり渓ゴルフクラブは27ホールのゴルフ場で東コース、中コース、西コースがあり、我々は午前中は東コースで、午後からは中コースでプレーをいたしました。
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標高が600mで緑豊かな場所にあることから、この日の朝の気温は23℃で終日涼しくプレーが出来ました。
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この写真は東コースのNO.2ホールです。
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ふと、NO.2ホールのティーグラウンド近くの右側の木々の奥を見ると親子の鹿が歩いていました。実はこの写真の中央に写っているのです。


同じ場所をズームで撮ったのが、こちらの写真です。小鹿の方は気に隠れて写っていませんが、親鹿が写っています。
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その後のホールでも何度も野生の鹿を見かけました。冒頭の写真はこちらの鹿を拡大したものです。
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カート道を渡ってフェアウエーにも入ってきます。
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こちらを見ていますが、特に逃げる様子はありませんでした。5~6頭の群れも見かけました。
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我々の前の組の前を、2頭の鹿が堂々と歩いているのが判ると思います。クリックしてもらうとよくわかると思います。バンカーが荒れているのは台風11号の大雨のためで、さすがにバンカーの補修には時間がかかるようです。
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鹿の写真は静止画と動画を同時に撮るモードで撮影しました。その動画を紹介します。静止画を撮った瞬間だけ画面が4:3で表示されます。静止画の部分を削除したのがこちらです。→ポチッ

るり渓ゴルフクラブを紹介いたします。
  名称 るり渓ゴルフクラブ
  住所 京都府南丹市園部町大河内深田1番地
      るり渓温泉から車で3分
  電話 0771-65-0221
  創設 1975年
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航空写真で見ると、確かに野生動物が出てきそうな緑豊かな場所のゴルフ場でした。

より広範囲の航空写真で るり渓ゴルフ倶楽部周辺 を表示
関東以外で最近プレーしたゴルフ場です。着色されたゴルフ場をクリックすると関連記事を表示します。地図内のアイコンマイナスを2回クリックすると*表示外のゴルフ場の位置が判ります。
  緑色 るり渓ゴルフクラブ         600m *関西
  黄色 グランドオークゴルフクラブ   150m *関西
  青色 六甲国際ゴルフ倶楽部      250m *関西
  赤色 フォレストカントリークラブ   1500m
  空色 丘の公園 清里ゴルフコース  1160m
  緑色 水上高原ゴルフコース     1000m
  黄色 ボナリ高原ゴルフクラブ     850m
  臙脂 西那須野カントリー倶楽部   480m
  赤色 函館パークカントリークラブ   140m
  紫色 冨里グルフ倶楽部          50m

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台風11号のゴルフ場への接近時の位置です。クリックしてみてください。
クリックすると動画クリックすると動画

鞍馬寺 奥の院 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真が鞍馬寺の「奥の院」です。2013年12月25日の鞍馬寺と貴船神社に行き、正月の記事で貴船神社を紹介し、2014年1月14日の記事で鞍馬寺を紹介いたしました。1月14日の鞍馬寺の記事では叡山電鉄の鞍馬駅から鞍馬寺本殿金堂までを紹介したので、本記事では鞍馬寺の奥の院の領域を紹介いたします。

下記の地形図で赤色ラインが今回歩いた鞍馬駅から貴船に抜ける道です。本記事では紫色マークの鞍馬寺本殿金堂から緑色マークの貴船神社までを歩いた順番に紹介いたします。途中の青色マークが僧正ガ谷不動堂と義経堂の位置で臙脂色マークが鞍馬寺・奥の院(魔王殿)の場所を示しています。

より大きな地図で 鞍馬寺 を表示
前記事の最後の写真です。ここをくぐると奥の院への参道です。
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奥の院への参道のの入口です。ここから山の中に入っていきます。
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奥の院への参道を登り始めて最初に鐘楼(しょうろう)がありました。参道から少し登ったところにありました。
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鐘楼に下がっている梵鐘は寛文10年(1670年)の銘文を持った古いもので、「扶桑鐘銘集」にも紹介される名梵鐘だそうです。毎年、除夜の鐘を撞くしとが列を作るそうです。横の説明に軽く撞く(つく)ときれいな音が響くと書かれていたので、軽く撞いてみました。確かに素晴らしい音が響きました。これは是非とも撞いてみてください。お勧めです。軽くです。音が広がっていきます。
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梵鐘の撞き方のコツの説明を紹介いたします。「一呼吸して心を鎮め、やさしく静かに撞いてください。やさしく撞くと良い音が出ます。」と書かれていました。
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IMG_8129-50.jpgこれは与謝野鉄幹と与謝野晶子歌碑です。鞍馬弘教を開宗した信楽香雲管長は与謝野晶子の直弟子で、大正時代から交流があったそうです。縁が深かったようです。霊宝館には与謝野鉄幹・与謝野晶子の遺品等を展示されているそうです。右の写真はケーブルカーの山門駅の待合室に飾られていた与謝野鉄幹と与謝野晶子の写真です。


「ここより奥の院へ」と書かれているようにこの門より奥が、奥の院の領域というようです。左の建物は東京から移設された与謝野晶子の書斎「冬柏亭」です。門の名前は「御山の門」です。
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奥の院への御山の門をくぐって上から撮りました。
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御山の門から少し進むと水飲み場がありました。牛若丸が東光坊から、毎夜、奥の院への兵法の修行に通う途中、ここの清水を汲んで喉の乾きをうるおしたと伝えられている「息つぎの水」です。八百余年を越えた現在も水が湧き続けているのです。
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こちらは「屏風坂の地蔵堂」です。別名を「革堂の地蔵堂」とも呼ばれています。
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参道脇には「ここから奥には入らないでください。 クマやマムシや毒虫がいます。」の表示がありました。


その入ってはいけない道の方向です。
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山道を上り詰めた峠には「背比べ石」がありました。奥洲へ下る牛若丸が、鞍馬山と名残りを惜しんで、この石と背比べをしたと言われています。右の奥へ行く道は鞍馬山の山頂方向ですが、こちらも進入禁止のロープが張られていました。
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「背比べ石」からは大杉権現社と奥の院に道が分かれていたことから奥の院へ進みました。この時は奥の院から帰りに寄るつもりでしたが、奥の院から貴船の方に下りて行ったことから木の根道や大杉権現社には行けませんでした。ここを訪れられたら大杉権現社によって~奥の院に行くことをお勧めします。別のルートがあり「背比べ石」に戻ってくることなく奥の院に行けることが、この石柱で判りました。
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背比べ石からは下りとなります。少し降りたところに「僧正ガ谷不動堂」がありました。不動堂はその昔、伝教大師が天台宗開宗の悲願に燃え、一刀三礼の札を尽くして刻んだと伝えられる、不動明王が奉安されています。
ここは鞍馬天狗が牛若丸と出合ったと伝えられる場所でもあります。
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僧正ガ谷不動堂の前には義経堂がありました。義経堂は、奥洲衣川で若い命を散らした源義経公の御魂は、幼少時代を過ごしたなつかしい鞍馬山に戻って来たと信じられ、遮那王尊としてお祀りされているそうです。
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義経堂および僧正ガ谷不動堂は本殿金堂から711mの位置で、奥の院までの距離は241mでした。この表示を見て奥の院に行った後は、鞍馬駅に戻るのではなく貴船に向かうことを決めました。


奥の院への山道です。


木の根が見事な景観を見せてくれました。
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奥の院(魔王殿)が見えてきました。
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奥の院(魔王殿)は、磐座・磐境とも称され神々が降臨された場所として崇拝され、太古より宇宙の力が満ち溢れ、その波動がご開山・鑑禎上人を初め多くの修行者を鞍馬山へと導き、宇宙の真理に目ざめさせたといわれています。
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奥の院(魔王殿)の正面の大きな灯籠が印象的でした。中心位置より少し右側に設置されているのが不思議でした。
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中に入って見ると、さらに奥に建物がありました。これが奥の院魔王殿の本殿(小堂)だと思われます。つまり大きな建物は拝殿ということになります。鞍馬寺は寺ですが神社のような配置です。拝殿の中から拝めるのはいいですね。
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その小堂の中に650万年前に金星から地球に降り立ったと言い伝えられている護法魔王尊を祀っているそうです。
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建物(拝殿)の中には長椅子が置かれておりゆっくりと休むことも出来ました。独特の不思議な雰囲気でした。
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ここから貴船神社までは647mです。ここまで来たら仁王門まで戻ることは考えられません。


貴船側への道からみた奥の院(魔王殿)です。
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貴船への道はジグザクの急坂でした。逆のルートは大変だと思いました。
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奥深い場所でした。少し進むと貴船の辺りを流れる川の水の音が聞こえてきました。
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途中には石の社があり尊天と刻まれた石柱が立てられていました。鞍馬寺の本尊は毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体で、寺では本尊を「尊天」と称しています。それと関連があるのかもしれません。
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見事な倒木も見ることが出来ました。
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石の上の苔も見事でした。
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鞍馬寺への西門です。ここから入る場合も愛山費200円を払います。
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西門の前には清流・貴船川が流れており、清流に架かる橋を渡ると貴船です。貴船川は鞍馬川に道隆してやがて鴨川となっていきます。
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西門から川上に少し登ると貴船神社の入口です。赤い鳥居をくぐって石段を上ると貴船神社の本宮(本殿)があります。
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鞍馬寺 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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昨年の暮れ(2013年12月25日)に鞍馬寺と貴船神社に行きました。貴船神社は正月の挨拶の記事につかわさせていただきました。クリックすると拡大そこで、ここでは鞍馬寺を紹介させていただきます。上の写真は叡山電鉄の鞍馬駅の広場です。遠くに見える建物が鞍馬駅の駅舎です。鞍馬と言えは鞍馬天狗が有名です。大きな天狗のお面が鞍馬天狗の里に来たことを感じさせてくれました。鞍馬天狗は、鞍馬山の奥の僧正が谷に住むと伝えられる大天狗で、牛若丸に剣術を教えたという伝説で知られています。鬼一法眼と同一視されることがあり、別名が鞍馬山僧正坊です。なんといっても鞍馬天狗は映画が有名です。有名になったのは、鞍馬天狗が1924年に第1作の小説が発表されて有名になり沢山の小説や映画が作られたためだと思います。

ここから順番に紹介していきたいと思います。駅前広場の出口のお店です。店名は「かどや」さんで名前の通り角にあります。右の奥に鞍馬駅があります。


「かどや」さんの向かいが多聞堂です。看板には神虎餅多聞堂と書かれています。神虎餅と牛若餅が有名な甘味処のようです。
左の写真はネットから拝借したものですが左側のヨモギ餅のが神虎餅で右側が牛若餅です。左方向に鞍馬駅があり右の道路を進むと鞍馬寺です。
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鞍馬寺の仁王門が正面に見える参道です。左端のお店が上で紹介した多聞堂です。
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鞍馬寺の正面玄関にあたる仁王門(鞍馬山門)の正面の石段前に来ました。仁王門に向かって左側に見える建物は修養道場だそうです。
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石段を半分程度進んだ場所から見た仁王門です。
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最後の石段前から見上げた仁王門です。仁王門はクリックすると拡大寿永年間(1182~1184)に建立されたが明治24年に火災で焼失し、明治44年に再建されたものです。昭和35年に移築修理が加えられたそうです。クリックするとオリジナル記事向かって右側の扉一枚は寿永の頃のものだそうです。右側の柱には「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」と書かれていました。この「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」の書は、とりのさとZさんのご友人の書道家である田中心外さんが書かれたものだそうです。右上の田中心外さんの2枚の写真はネットから拝借させていただきました。
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大きな鞍馬寺の文字を見て初めて鞍馬寺に来た実感がわいてきました。


仁王門の名になっている仁王像が左右に2体あります。仁王像は運慶の長男である湛慶(たんけい)作と伝えられています。


仁王像は近づいて見ると迫力があります。
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仁王門をくぐるり愛山費200円を払って鞍馬山に入山します。浄域の看板が印象的でした。


鞍馬寺境内には無料の小さなケーブルカーがあります。歩いて登る道は倒木の危険があることから通行止めになっている為、本堂に行くためには、このケーブルカーを使う必要があります。始発は8時25分で毎時10、25、40、55分に運転されていました。歩いて降りることが出来ないため下りの最終時間は確認しておく必要があります。この時は16時50分でした。ここが山門駅でケーブルカーは牛若号です。
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ケーブルカーの正式名は鞍馬山鋼索鉄道で宗教法人鞍馬寺が運航しています。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては唯一の、宗教法人が運営しているケーブルカーであり、日本一短い鉄道でもあります。単線で行き違い設備のない巻き上げ式のケーブルカーです。


上の多宝塔駅が大きく見えてきました。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては、現在唯一の運賃が無料の鉄道でもあります。愛山費200円の一部が運賃と言えるかもしれません。
  路線距離 : 191m
  軌間    : 800mm
  高低差  : 89m
  開業    : 1957年   1975年: 2代目車両  1996年: 3代目車両
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多宝塔駅の脇には羅生門天が祀られていました。この羅生門天は多宝塔建立のときに草むらから出現した石仏で、開運の羅生門天と言われています。
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こちらが多宝塔です。多宝塔はもともと本殿本殿東側にあったとされていますが、江戸時代に焼失して、現在の塔はケーブル開通後に現在の場所に再建されたそうです。
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別の角度から見た多宝塔です。枝垂桜でしょうか。桜の季節にはきれいな景色を見せてくれるのだと思います。
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多宝塔駅から本堂への参道です。


途中に鞍馬山七福神の一つである弥勤布袋尊がありました。鞍馬寺は、寺とはいえ神仏習合(混合)の様式が見られました。
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弥勤布袋尊から参道が続きます。


途中に「急告!」文がありました。ケーブルカーのところで説明させていただいた通り「倒木の危険があるため徒歩での参拝は出来ません。」とありました。


こちらが今は通れない徒歩で昇り降りする参道です。
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多宝塔駅からの参道での最初の石段です。


石段脇には「巽の弁財天」がありました。本殿の南東(巽)の方向にあるので「巽の弁財天」と呼ばれています。福徳・知恵・財宝・技芸を授かる神として信仰されています。
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階段を少し登った左側には寝殿と呼ばれる場所がありました。大正13年に基礎の御料林の檜材の払い下げにより、平安時代の寝殿造を忠実に再現したものだそうです。作られた年に皇后が休息されたそうです。
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寝殿の向かいにある手水舎です。後ろの建物は転法輪堂という道場です。ここからさらに石段を上ります。
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石段を見上げた景色です。
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石段にはもみじの落葉が沢山落ちていました。


登ってきた石段の方向です。
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やっと本殿金堂にたどり着きました。鞍馬寺は鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりと伝えられています。山号は鞍馬山で、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体を本尊としています。寺では本尊を「尊天」と称しています。
鞍馬寺と言えば源義経の幼名である牛若丸が修業をした場所とし有名です。鞍馬寺に預けられた牛若丸は遮那王と呼ばれていたそうで、鞍馬寺ではその後、衣川で亡くなった義経の魂は鞍馬寺に戻ったとされ、神格化され、護法魔王尊の脇侍となり、遮那王尊として奥の院の義経堂に祀られているそうです。
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翔雲臺と呼ばれる板石です。ここが平安京の擁護授福のため本尊が降臨した場所とされています。この板石は本殿後方より出土したもので平安時代より鞍馬寺に伝えられた妙法写教会の経巻を埋納した経塚の蓋石です。板石の下から発掘された経塚遺物二百余点がことごとく国宝に指定されたそうです。今は板石は本殿の正面に置かれています。つまり写真を撮っている私の背中側に本殿正面があります。


鞍馬寺は狛犬ではなく虎なのです。本殿の左右に置かれていました。阿吽の虎というそうです。右側の虎が大きく口を開けていました。左の虎は口を閉じていました。虎は御本尊の一尊でもある毘沙門天のお使いであるといわれる神獣で、毘沙門天ご出現が、虎の月・虎の日・虎の刻であったことから、鞍馬山では特に大切にされているそうです。
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本殿金堂の標高は410mで、鞍馬山山頂は570mとの表示がされていました。


本堂前には雪が残っていました。丸く石が並べられたところは金剛床(こんごうしょう)です。内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化するという鞍馬山の教えの理想を表現しているそうです。
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本殿の左側にあるのが光明心殿です。光明心殿は護法魔王尊が祀られており、護摩供を修する道場です。
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本坊金剛寿命院の横に本坊と渡り廊下でつながった舞台がありました。舞台の脇には奥の院参道の表示がありました。
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ここをくぐると奥の院への参道です。奥の院への続きは別途記載いたします。
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鞍馬天狗の映画を動画で紹介いたします。
1951年作の「鞍馬天狗 角兵衛獅子」です。

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日本の世界遺産 古都京都 [京都]

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今までにインドの世界遺産など世界の世界遺産を紹介してきました。日本にも沢山世界遺産があります。12月に世界遺産の一つである京都に行く機会がありましたので紹介いたします。京都観光は、おそらく小学校の遠足以来だと思います。関西に住んでいたにも関わらず、あまりにも身近なためか長く訪れたことがありませんでしたが、外国人を案内することで経験することが出来ました。あらためて来てみるとすばらしいところであることを実感させられました。
世界遺産としての京都は紹介しきれないほど沢山の見どころがあります。今回は外国人の案内なので有名なところだけとなりました。これは清水寺(きよみずでら)の本堂で一般的に清水の舞台(きよみずのぶたい)と呼ばれています。

清水寺は奈良時代末の778(宝亀9)年に立てられました。清水の舞台からの景色も良いですね。京都市内が見渡せます。
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清水の舞台を下から見上げてみました。
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清水寺の入口の仁王門(室町後期再建)と西門(江戸初期再建)と三重の塔(江戸初期再建)です。いずれも重要文化財に指定されています。
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境内には沢山の建物がありました。三重の塔から本堂までの間にも経堂、開山堂(田村堂)、轟門、朝倉堂などの重要文化財の建物が数多くありました。ここからが拝観料を払って入る場所です。
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縁結びの神社である地主神社(じしゅ神社)です。階段の上には「恋占いの石(LOVE STONE)」と「恋の願かけの絵馬」があります。
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「恋占いの石(LOVE STONE)」と「恋の願かけの絵馬」の写真も掲載させていただきます。恋占いの石の説明文(写真をクリックして拡大すると読めると思います。)には
ご本殿前の左右にある守護石で両目をとじて反対側の石にたどりつくことができれば恋の願いがかなうという。 一度でできれば願いも早くかない、できなければ願いがかなうのも遅れるという。また友人などのアドバイスをうけると願いを成就するにも人の助けがいるという。
と書かれています。お試しあれ。
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地主神社(じしゅ神社)の恋占いおみくじは女の子に人気があるようです。清水寺に行ったときは是非、清水寺境内にある地主神社によって見てください。
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地図を拝借いたしました。

参道は沢山の人が行き交っており土産物屋さんも沢山ありました。

ネットの地図です。→マップ

地図に載っているよりもっと沢山のお店がありました。

お店の皆さん、趣向を凝らしており、一軒一軒見て回るのも楽しかったです。


お土産も七味唐辛子、京漬物、黒胡麻生八橋など沢山買ってしまいました。
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京都では人力車が流行っています。清水寺の参道でもきれいな人力車が活躍していました。近くにお住まいのakimineさんはこのお兄さんをよくご存知だそうです。
以前に行った湯豆腐を食べた嵯峨野にも人力車が走っていました。


清水寺から金閣寺に移動しました。
金閣寺【正式名称:鹿苑寺(ろくおんじ)】です。広い境内に金閣(舎利殿)があるために金閣寺と呼ばれていますが、実際に見て、その美しさに驚かされます。
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裏側からの舎利殿(金閣)です。
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沢山の観光客の人が来ていました。特に外人の方が多く見にこられていました。こちらの建物は金閣寺(鹿苑寺)境内の不動堂です。
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広い金閣寺(鹿苑寺)境内ではお茶が飲める趣のある場所が用意されていました。

女人禁制の湯豆腐屋さん ???? ? [京都]

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冬は湯豆腐の季節です。上の写真は「嵯峨野の湯どうふ」です。
中国の豆腐料理の代表格は麻婆豆腐ですね。 一方、日本の豆腐料理の代表格は湯豆腐だと思います。
湯豆腐で有名なのが京都ですがその中でも特に嵯峨野が有名ですね。そこにずばり湯豆腐嵯峨野と言う名の湯豆腐では超有名なお店があります。是非、一度は経験してみたいと前々から思っていました。

これが湯豆腐嵯峨野の表構えです。廻りの雰囲気もいいところにあります。


お店の中を通って奥に行くと中庭にさらに門があります。
下の写真の右側の方にある石碑に「女人牛馬結界」の文字が読めます。その石碑を拡大したのが右の写真です。しかしこのお店の最大のお客さんは女性のはずです。このときも女性のお客さんが圧倒的に多かったです。
それなのに「女人禁制」のような石碑は不思議ですね。女性の方、怒らないでください。差別的な意味よりも寺院の修業の観点から肉類や刺激の強い俗界と寺の境内を区切る役割を持っていたようです。この石碑(石柱)を見ると、若いお坊さんも多かったと想像してしまいます。ここに食べに来られて「女人牛馬結界」の石柱に気が付かれた方はおられるでしょうか。 ? 
中庭の景色に目を奪われて、たぶん気が付かれた人は少ないと思います。私も自分で撮った写真を後から見て初めて気が付きました。
この石碑はもしかしたらめったに手に入らない古くて価値があるものかもしれません。この石碑以外にも小さな石像などが置かれていました。
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結界石の門をくぐって日本庭園を通っていくと


奥に建物があり、その座敷から庭園を見ながら食事をしました。 ここで食べるには当然予約しておく必要があります。奥の離れ屋の中は雰囲気がある上に楽器の琵琶(ビワ)が沢山飾られていました。庭園の苔が印象的でした。中庭には毛氈を引いた床机席があり季節の良いときは屋外の席も利用が出来そうです。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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庭の苔は印象的でした。温かくなると緑の絨毯のようになるのだと思います。
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湯豆腐以外にも精進揚げも含めて10品ぐらいがついていました。なんといっても湯豆腐がメインなので料理そのものは質素にまとめられています。


でもやっぱり湯豆腐ですね。嵯峨豆腐で一番有名な「森嘉」の豆腐を使用していると書かれていました。湯豆腐は豆腐とタレしだいと実感いたしました。外国人の方は雰囲気を味わうことが出来ても味が判る人は少ないでしょう。


楽器の琵琶(ビワ)も飾られていました。部屋の雰囲気も紹介いたします。
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湯豆腐嵯峨野は雰囲気のあるところにあります。結構遠くにもお店の奉納の石碑がありました。地域にかなり貢献している感じがしました。 
車の中からこんな風景も見れました。


航空写真で見てもお店の立派な日本庭園がわかります。
湯豆腐嵯峨野の住所は「京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町45」です。マイナスのアイコンを数回クリックすると場所がわかります。


叡山電鉄の車両は個性的でした。 [京都]

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鞍馬寺に行くために初めて叡山電鉄(えいざんでんてつ)に乗りました。乗ったのは行きが出町柳→鞍馬で、帰りが貴船口→一乗寺です。乗った範囲では出町柳~宝ケ池までが叡山本線で宝ケ池~鞍馬までが鞍馬線でした。宝ケ池~八瀬比叡山口も叡山本線です。
二軒茶屋~鞍馬の間は単線(緑色)です。
上の写真は出町柳駅の改札口です。
叡山電鉄の正式名は叡山電鉄株式会社(Eizan Electric Railway Co., Ltd.)で略称は叡電(えいでん)です。
これらの路線は京都電燈により1925年9月27日に出町柳⇔八瀬(現在の八瀬比叡山口)が開業し、1928年12月1日に鞍馬電気鉄道により山端(現在の宝ヶ池)⇔市原間が開業し、1929年12月20日に鞍馬まで 鞍馬電気鉄道が全線開通して、京都電燈および鞍馬電気鉄道により運営されていました。電力事業の戦時統制による再編後は1942年3月2日から京福電気鉄道が運営していましたが、沿線の交通事情の変化に伴い1985年に京福電気鉄道の完全子会社として現在の叡山電鉄㈱が設立(分社独立)されて、さらに1991年11月に京阪電気鉄道が筆頭株主となったのちに、2002年3月からは京阪の完全子会社となりました。
1989年10月5日に京阪鴨東線が開業し出町柳駅で連絡するようになり、11年ぶりに他の鉄道路線との連絡運輸が復活した結果、大阪方面からの利便性が向上し、利用者も一気に増え再び活気を呈するようになったそうです。

こちらの2両編成の電車に乗って鞍馬まで行きました。
競合する地下鉄やバス路線が充実してきたことから2004年1月からは全路線で一部列車を除いて終日ワンマン運転行うなどの経費削減策が行われているようでした。
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こちらが出町柳→鞍馬(410円)までの切符です


こちらの電車は我々の鞍馬行きの電車の前に発車した修学院行きの電車です。こちらは一両の車両でした。PATRAINの文字が印象的でした。青色を基調にした車両です。732と書かれていることからデオ700系のデオ732形(1988年)だと思われます。いくつか紹介する車両の色に注目してください。
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出発前に1両編成の電車が入ってきました。ひらがなで「えいでん」と書かれています。色はクリーム色にグリーンのラインが入っています。ミラーに映っているのが私と乗った電車です。車体形式はデオ700系だそうです。
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ワンマンカー用の設備で降りる人は先頭の扉から出ます。クリックすると拡大いたします。
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クリックすると拡大出発して最初にすれ違った電車です。後でわかったことですが、この車両は新型のデオ901形-デオ902形で愛称が「きらら」です。色違いのデオ903形-デオ904形と合わせてデオ900形は2編成が在籍しているそうです。右の写真はWikimediaから転用させてもらった「きらら」の車内の写真です。
景色を楽しむための車両であることが判ります。
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次にすれ違った車両はクリーム色に赤色ラインでEIDENの緑の文字が印象的でした。
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修学院駅の横には車庫がありました。今まで紹介した車両とは、また違ったデザインの車両です。オリジナル写真で確認すると801と書かれていることからデオ801形-デオ802形の2両編成のようです。
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ここで鞍馬方面と八瀬比叡山口方面に分かれます。真っ直ぐが八瀬比叡山口方面で、左側が鞍馬方面です。見えている駅は宝ケ池です。
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鞍馬線側の宝ケ池には、また違ったデザインの電車が停まっていました。本線側の宝ケ池駅は1925年に出来たそうです。電車は色合いからデオ815形-デオ816形の2両編成のようです。愛称は「ギャラリートレイン・こもれび」だと思われます。
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ワンマンカーで運転されており、2つの駅を除いて無人駅でした。一つが写真の「二軒茶屋」と一つ手前の「京都精華大前」です。京都精華大前駅は新しく1989年に出来たそうです。二軒茶屋駅の方は1928年です。「二軒茶屋」にも京都産業大学があるために通学時間帯の朝だけ自動改札機が稼働するようです。二軒茶屋の先から単線になります。左側の線路は行き止まりで、右側の線路のみ先に伸びていきます。
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カーブを曲がると単線になりました。


急カーブの急勾配になってきました。
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叡山電鉄は全国登山鉄道‰会に加盟しています。線路脇に勾配50‰の表示がありました。通常の方式(粘着式)で日本で一番の急こう配の箱根登山鉄道のは最大勾配80‰なので叡山電鉄も、かなりの急勾配であることが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大50‰とは1000m進むと50m登る勾配のことです。
 全国登山鉄道‰会
  南海電気鉄道   50‰(高野線)
  神戸電鉄     50‰
クリックすると拡大  富士急行     40‰
  大井川鐵道    90‰(アプト式 右の写真)
  叡山電鉄     50‰
  箱根登山鉄道   80‰


単線の、すれ違いの駅は二ノ瀬でした。すれ違った電車には811の数値が確認できることからデオ811形-デオ812形のようです。クリックすると811が確認できます。
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貴船口を過ぎると鞍馬線で唯一のトンネルをくぐりました。


トンネルを出ると鞍馬駅が見えてきました。
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私が乗ってきた電車です。車体形式はデオ800系だそうです。拡大すると814の数値が読み取れます。おそらくデオ813形-デオ814形の2両編成だと思われます。
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こちらが鞍馬駅の駅舎です。鞍馬駅は1929年に出来たそうです。
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終点の鞍馬駅も無人駅でした。駅舎の待合室です。


二ノ瀬→貴船口の動画も撮ったので紹介いたします。車内放送を聞いていただくとワンマンカーのシステムが判ってもらえると思います。電車のゆれが大きいでガラスにカメラが何度か当たりました。


帰りは貴船口から乗りました。こちらが貴船口→一乗寺410円のキップです。


先頭車両です。やはり運賃箱が置かれていました。


こちらが一乗寺駅です。電車は私が乗ってきた電車です。見ての通り改札口はありません。電車には811の数値が書かれていることから朝に二ノ瀬で、すれ違ったデオ811形-デオ812形のようです。


クリックすると拡大一乗寺駅で反対から来た電車です。こちらのデザインも初めて見るものでした。個性的な電車が沢山ある叡山電鉄でした。852と書かれていることからデオ851形-デオ852形の2両編成の電車だと思われます。
車体のデザインは沢山ありますが、車体の形は大別してデオ700系(1987年~1988年)、デオ800系(1990年~1995年)、クリックすると拡大デオ900系(きらら 1997年~1998年)の3種だそうです。これは89年前の1925年からデナ1形、デナ11形、デナ21形、デオ200形、デオ300形、デナ500形、デオ600形が引き継がれてきた結果です。右上の写真がWikimediaから転用させていただいた1925年製のデナ1形の車両で、右下が1929年製のデナ21形の写真です。

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特殊乗車証で京都に行ってきました。 [京都]



実家のある兵庫県宝塚市の逆瀬川駅の近くのビル(アピア)のチケット売場で前々から気になる表示がありました。それは「阪急電車 京都まで510円→400円」でした。2013年12月25日に京都に行くつもりだったので前日に、その売場で聞いてみると阪急電車のどの区間でも1回乗れるチケットのことでした。当日出発は営業時間(10:00~20:00)より前なので即、往復分の2枚を買いました。ネットで調べた結果、一般では売られているものではなく阪急電鉄の株主優待乗車証の一種の特殊乗車証のようです。阪急電車全線に1回限り有効の乗車券なのでした。逆瀬川から京都では110円(=510円-400円 往復220円)ほど得となりますが、神戸三宮からだと200円(=600円-400円)も得することになります。

逆瀬川を7時1分の電車に乗るために朝早く実家を出発しました。この時6時49分でした。曇り空のため暗かったです。


逆瀬川駅です。まだ12月25日でしたが、すでに初詣の幟が立てられていました。幟は伊和志津神社のものですが、逆瀬川駅近くには宝塚神社と平林寺もあります。


自動改札機に特殊乗車証を通すと印字されました。今回は鞍馬あたりを散策するつもりで右のルートの通り阪急今津線→阪急神戸線→阪急京都線→京阪本線→叡山電鉄を利用して鞍馬に9時10分に着きました。


阪急電車です。これは今回の写真ではなく2013年9月18日に撮った写真です。
新型1000系も昨年末から投入されました。→ポチッ
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阪急京都線に乗るのは久しぶりでした。おそらく学生時代以来だと思います。阪急京都線の電車の窓からの景色です。
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阪急・河原町駅から京阪・祇園四条までは歩きます。


予定通り8時25分発の「出町柳」行きに乗れました。


京阪電鉄は関東のICカードのPASMOも使えるのですが、叡山鉄道との接続があるかもしれないのでキップを購入いたしました。実際には出町柳では一旦京阪の改札を出るのでICでも問題はありませんでした。


クリックすると拡大京阪電鉄の改札口のところに叡山鉄道の電車の出発表示がありました。すごく親切な心遣いです。出町柳でも余裕で予定通りに8時40分発の「鞍馬」行に乗ることが出来ました。8時45分には八瀬比叡山口への電車あります。終点からケーブルカーとロープウェイで比叡山山頂に行けます。次の機会には比叡山に行ってみたいと思います。


こちらが叡山鉄道の出町柳駅です。不思議と2013年9月18日に乗った能勢電鉄と似ているところがありました。
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こちらの電車に乗って鞍馬まで行きました。
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叡山鉄道はワンマンカーで関東のICカードは使えないようなのでキップを購入いたしました。叡山鉄道には1日フリー乗車券があるので何度も乗る人はお得です。私の場合は「出町柳→鞍馬 410円」と「貴船口→一乗寺410円」の2度の乗車だったので結果的には個別にキップを買った方が、お得でした。いろんなところで降りる時は利用させていただきます。

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