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山口縣立岩國高等女學校・跡地 川西第一街区公園 [山口県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大クリックすると拡大上の路線ルート情報は2021年3月17日に周防久保に墓参りに行った時の清流新岩国から周防久保までのものです。この墓参りではすでにいくつかの記事で紹介しているように、墓参りの前に錦川清流線に乗ってみました。清流新岩国から錦川清流線に乗って根笠駅で折り返して川西駅に着いたのは10時49分でした。岩徳線の徳山行きの発車時刻11時31分まで42分あったことから、母が通っていた山口縣立岩國高等女學校(山口県立岩国高等女学校)の跡地に出来た川西第一街区公園(Kawanishi Daiichi Gaiku Park/かわにしだいいちがいくこうえん)に行ってみることにいたしました。公園の住所は山口県岩国市川西1丁目21です。
川西駅から川西第一街区公園までの距離は337mと歩いて4分で行ける距離なので、墓参りの往復のルートを決めた時から計画に入れていました。目的は写真や動画を撮って母に見せるためでした。母は岩国市街地にあった家から往復8kmの距離を歩いて通っていたそうです。山口縣立岩國高等女學校の校歌は2番まであって作曲は進藤ユキだそうです。
ネットから転用させていただいた約100年前に撮られた「山口縣立岩國高等女學校」と書かれた門の表札(看板)の写真(左側)と、今回撮った公園の門柱の写真(右側)を並べてみました。同じものかどうかは分かりませんが同じ形式の門柱のようです。公園の門柱のの下側の蝶番の位置を昔の門柱の蝶番の位置を合わせました。つまり公園の門柱は当時よりも深く埋められている可能性があります。

こちらが撮った写真と動画と昔の女学校の写真などで編集して作った動画です。バックで流れているBGMはIndian Walk(2分39秒)です。興味のある方は是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。

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薄赤色に着色したところが川西第一街区公園です。母の記憶などから女学校の敷地は、今の川西第一街区公園よりは広かったようです。岩徳線は走っていましたが川西駅はなかったそうです。川西駅が出来たのは1960年4月16日なので岩日線(現在:錦川清流線)の開業(1960年11月1日)を見越して作られたものと思われます。クリックすると拡大今は建物があって岩徳線は見えませんが、当時は建物が無く校庭から岩徳線や錦川の土手が見えたと母が話してくれました。現在は住宅に囲まれていますが、当時は周辺の住宅はまばらだったようです。右の図は1965年時点の統合後の川西校舎です。この図から校舎と岩徳線の間の敷地は運動場であったことが判りました。航空写真内の想定される「想定される女学校の敷地」は山口県立岩国高等学校に統合後の川西校舎と同じとして薄紫色に着色いたしました。
 ━━ 川西駅→女学校跡地への徒歩ルート 337m
 ━━ 川西駅→錦帯橋への徒歩ルート   1326m


川西駅の最も岩国側のホームの端から女学校跡地方向を撮った写真です。矢印の位置が女学校跡地(川西第一街区公園)の中心位置です。写真をクリックすると矢印のない拡大写真を表示します。ただし、周囲の建物のために川西第一街区公園を確認することは出来ません。上の航空写真の黄色の直線が方向を示すライン(直線距離 248m)です。線路方向に見える山は岩国山(標高277.8m)です。
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ネットから1925年(大正14年)の山口縣立岩國高等女學校の写真を2枚転用させていただきました。クリックすると拡大母が入学する前の体育会の写真のようです。岩徳線が開業する前で、女学校が山口県玖珂郡立から山口県立に変わって2年後の写真です。
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山口県立岩国高等女学校と関連事項の.Wikipediaに書かれていた沿革を紹介します。学校の歴史は1902年から119年続いて、その間に女学校の呼名が使われていたのは1902年から1949年の47年間です。今回の場所が学校として使われたのは1915年から1968年の53年間で、その間に女学校の呼名が使われていたのは1915年から1949年の34年間です。写真は上の写真と同じ1925年(大正14年)に撮られたものです。動画の最初に出てくる山口懸立岩國高等女學校跡地と刻まれた石碑は川西第一街区公園が開設された翌年の2000年(平成12年)に建立されました。4年後の1929年に右半分の小高くなっている部分と住宅の間あたりに岩徳線が建設されました。右の遠くに霞んで見えている山は岩国山と思われます。
 1868年10月23日 明治元年
 1902年04月01日 山口県玖珂郡立実業補修女学校が創立(明治35年)
 1903年04月01日 横山の元・岩国中学校舎に移転
 1907年04月01日 山口県玖珂郡立岩国女学校と改称
 1909年04月01日 山口県玖珂郡立岩国高等女学校と改称
 1914年03月    宇野千代が岩国高等女学校を卒業
 1915年01月13日 岩国町大字川西の新校舎に移転 現:川西第一街区公園
 1918年10月31日 校旗を制定 八稜鏡の絵を背景に「高女」の文字を置く
 1923年04月01日 県立移管 山口県立岩国高等女学校に改称(大正12年)
 1929年04月05日 岩徳線が開業
 1940年04月01日 岩国市発足 岩国町 麻里布町 川下村 愛宕村 灘村が合併
 1941年12月08日 太平洋戦争の開戦
 1944年       光海軍工廠などへ学徒動員が開始
 1945年04月    学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続。
 1945年08月15日 太平洋戦争の終結
 1945年09月    学校での授業を開始
 1946年04月    修業年限が5年となる
 1947年04月01日 学制改革 六・三制の実施
 1949年04月01日 統合により山口県立岩国西高等学校・川西校舎となる
 1950年04月01日 統合により山口県立岩国高等学校に改称
 1960年04月16日 川西駅が開業
 1960年11月01日 岩日線(現:錦川清流線)が開業
 1968年06月01日 全学年を向山の新校舎に移して川西校舎を廃止
 1999年04年01年 川西校舎跡地に川西第一街区公園を開設
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ネットから転用させていただいた1963年の航空写真を紹介します。
クリックすると拡大山口県立岩国高等女学校は上で紹介している沿革のように統合されて名前は山口県立岩国高等学校になっています。母が通っていた時の右の集合写真などから判断して運動場に沿った細長い校舎は母の時代にはなかったと思われます。2枚の集合写真が交互に表示されていますが、1枚は校舎を背景に運動場で撮られたもので、もう1枚はいくつかの校舎の間の庭で撮られたものと思われます。校舎が建てられた場所は運動場よりは高くなっていることが集合写真やネットの右下の写真で分りました。クリックすると拡大もしかしたら錦川の氾濫に備えた対策だったのかもしれません。運動場の手前には岩徳線も写っています。1963年なので川西駅はすでにできていますが、写真より左の方なので写っていません。左上に写っている道路は現在の山口県道112号藤生停車場錦帯橋線ですが、当時はまだ県道にはなっていませんでした。
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校舎内の写真もネットから転用させていただきました。ただしいずれの写真も母の時代より少し後に撮られた写真と思われます。左上から順番に職員室、階段教室、作法室、調理教室(1951年)、廊下です。
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門に「山口縣立岩國高等女學校」の表札がかかった写真もネットの約100年前の玖珂郡からクリックすると拡大転用させていただきました。右の写真は女学校の建物ではありませんが、女学校の校舎の一部を基にして1916年に旧制岩国中学校に建てられた御大典記念武道場で、今は岩国高校記念館として吉香公園に保存されています。白黒写真の女学校の建物の色を想像していただくために役立つと思います。
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川西第一街区公園の入口の写真です。門柱と門柱の間が広いし、女学校の門はもう少し山口県道112号線に近い方(背中方向に進んだ場所)にあったので当時の門柱を移設して建てたのかもしれません。いずれにしても門柱自体は当時の門柱だと思われます。記事の冒頭で紹介した公園の門柱の写真は本写真の右側の門柱です。門柱には扉を取りつける蝶番の金具がついています。下側の金具は地面に近いので門柱は当時よりも深く埋められているように感じます。当時の航空写真から判断すると、この広場は運動場ではなく校舎が建っていたエリアのようです。


以前の記事「岩徳線の川西駅から錦帯橋を経由して岩国城までの景色」の中の女学校に関しての記載内容を転記する形で掲載いたします。

写真の中の右上端にある川西駅から臥龍橋と錦帯橋を渡ってこの写真を撮った岩国城まで来たのです。錦帯橋が写ったこの写真の中に母が通っていた女学校(山口懸立岩國高等女學校)とクリックすると拡大叔父さん(母の弟)が通っていた高等学校(山口懸立岩國高等學校)がありました。それは女学校跡地と岩国高等学校跡地と書いている場所です。現在の女学校跡地は川西第一街公園となり、クリックすると拡大岩国高等学校跡地は吉香公園となっています。右の2枚の写真は現在の川西第一街公園です。母たちは、家のあった岩国の町から毎日片道4km(往復8km)を歩いて通っていました。118年と173年の長い歴史のある女学校と岩国高等学校の2つの学校は統合して、いろんな変遷を経て現在は川西駅のさらに向こう側に山口県立岩国高等学校として存在しています。
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母の女学校時代の錦帯橋をバックにした友達同士の記念写真です。右から2人目が女学校時代の母です。女学校には2年生の時に広島県三原から転入したそうです。父親が一時期三原に転勤していて2年生の時に岩国に戻ってきたとのことでした。3年生からは級長もしていたということなので、すぐに女学校になじんだのだと思います。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。クリックすると拡大多才な小説家で4度結婚(藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫)するなど多くの著名人との恋愛・結婚遍歴も有名で一度は卒業名簿から除名されましたが、世の中の価値観が変わってくるとともに積極的に宇野千代の出身校であることを宣伝されるようになったそうです。小説家だけでなく随筆家、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていました。
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クリックすると拡大母に関わる7枚の写真を切り替えて表示しています。その中の2枚の大人数の集合写真は女学校の構内での写真なので、今は無き女学校の建物が写った貴重な写真なのです。学校は木造瓦葺きの歴史がありそうな建物であったことが判ります。母が判るように黄色の矢印をつけています。4年生の時は梅組と桜組と楓組の3組あり、クリックすると拡大母は梅組だったそうです。右の「4年 梅組」の文字は集合写真の裏に書かれていました。
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かつて山口縣立岩國高等女學校があった川西第一街区公園のストリートビュー(SV)を紹介します。クリックすると拡大個人の井上一雄さんがGoogle地図に登録したSVです。公園の中心から撮った数枚の写真を組み合わせて360°の景色が見えるように作られています。初期画面は山口縣立岩國高等女學校と書かれた石碑がある南東方向です。水平に回転させて西方向にすると女學校の門と思われる2本の石柱が右下の写真のように確認できます。
クリックすると拡大母が写った右上の集合写真に写っている石柱と同じものかはわかりませんが似た石柱です。母の記憶によれば岩徳線に近い方(南東方向)にグランドがあり、遠い方向(北西方向)に校舎が沢山建っていたそうです。


クリックすると特別に大きく拡大出来るように写真を家に持ち帰ってスキャンいたしました。クリックすると4倍に拡大いたします。つまり面積では16倍に拡大いたします。拡大して見ると石柱の部分は石段になっていることが分かりました。金属製のフェンスも一段高いところに建てられていました。つまり現在の石柱と写真の石柱は違うことから現在の公園の入口とは違う入口の石柱のそばて写真が撮られたと思われます。写真の左上の白い部分は破れて無くなっているのです。
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4年の梅組の時の写真も家でスキャンして4倍に拡大(面積で16倍)に拡大するようにいたしました。拡大写真を見てもらうと当時の校舎がよく分かると思います。
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久しぶりに我家でトンカツを揚げました。 [料理]

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昔はトンカツはよく作りましたが、最近は揚げ物料理が少なくなっています。揚げ物料理の中でも特にトンカツは減った感じがします。そんな中で久々にヒレ肉のトンカツを作ってもらいました。我家では脂を少なめにしたいことから昔からトンカツと言えばヒレカツでした。上の写真が作ってもらったヒレのトンカツです。ゴルフ場での昼食では、比較的多くトンカツを食べていますが、用意されているトンカツはロースカツなので、外食を含めてもヒレカツを食べるのも久しぶりでした。上の写真が我家のヒレカツです。

普段の揚げ物は小型の鋳物製の揚げ物用の鍋を使いますが、トンカツを揚げる時は我家で一番大きな揚げ物用の鉄鍋を出します。その大きな鍋でもヒレ肉が沢山あったので、ヒレカツは2度に分けて揚げます。こちらの写真が1回目に揚げたヒレカツです。上の写真は2度目を揚げている間に少し食べて、2度目を揚げた中の一部を盛り付けたものです。この時の段階でキッチンには揚げ終わったヒレカツが6個ほど残っていました。
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この日はソラマメも用意してもらいました。
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ソラマメは近くの親しい方からいただいた新鮮なものでした。ソラマメの分類を紹介します。ソラマメの原産地は地中海や西南アジアが原産地と推測されていますが、大粒種はアルジェリア周辺で、小粒種はカスピ海南岸とする2源説もあるそうです。イスラエルの新石器時代の遺跡からも出土するほど古くからあり、古代エジプトやギリシア、ローマにおいて食べられていました。紀元前3000年以降に中国に伝播し、日本へは8世紀ごろ渡来したと言われているそうです。右の写真はWikipediaから転用させていただいた花が咲いたソラマメの写真です。
クリックすると拡大  界 植物界    Plantae
    被子植物   angiosperms
    真正双子葉類 eudicots
  目 マメ目    Fabales
  科 マメ科    Fabaceae
  属 ソラマメ属  Vicia
  種 ソラマメ   Vicia faba
 漢字 蚕豆 / 空豆
 英名 Broad bean / Fava bean
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たくさんの量があったので2回に分けていただきました。右側の向いた方が前日に食べたソラマメで、左側がトンカツと一緒に食べたソラマメです。下に引いている新聞の活字の大きさと比べていただくとわかるかもしれませんが、非常に大粒のソラマメでした。
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もちろんビールです。サラダはキュウリと水菜です。偶々、鍋用に買った水菜が残っていたのです。3束が税抜きで99円だったので2度ほど鍋をやってもまだ残っていたのです。サラダはケンコーマヨネーズ製のシーザーソラダドレッシングでいただきました。ソラマメはもちろん塩茹でしてそのままでも美味しいけれど、好みで塩を付けたりつけなかったりでいただきました。
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揚げ具合を紹介したくて拡大写真を掲載いたしました。Wikipediaによるとトンカツの表記は、とんかつ・とんカツ・トンカツ・豚カツなど様々です。単にカツと呼ばれることもあります。カツはカツレツの略ですが、トンカツレツと呼ばれることは、ほとんどないと思います。
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ヒレカツはもちろん、とんかつソースでいただきました。カラシは好みでいただきました。
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食べた雰囲気を感じてもらいたくて少し拡大した写真も掲載いたしました。沢山のトンカツを揚げたので9個も残りました。残ったトンカツは翌日の昼食と夕食でいただきました。それは揚げる前から決めていて買って来たヒレ肉は全てトンカツにいたしました。
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冒頭で紹介した普段用の小型の鋳物製の揚げ物用の鍋と、我家で一番大きな揚げ物用の鉄鍋を紹介します。クリックすると拡大下に敷いている新聞で大きさが判っていただけると思います。以前の記事「ガスコンロを買い替えました。」で紹介させていただいたようにガスコンロを交換して温度調節機能が付いたおかげで、揚げ物が楽になりました。安全装置もしっかりしているので安心感もあります。
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翌日の昼食はカツサンドにいたしました。オーブントースターで温めたヒレカツにソースを付けて野菜に挟みました。サンドイッチ用のパンは買っていなかったので、食パンを縦に切って使いました。食パンは厚いのが好きなので縦に切ってもサンドイッチ用よりは厚い感じでした。その厚みが良かったです。
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飲み物として用意したのは定番のコーンスープです。コーンスープの素をお湯で溶いただけですが、美味しかったです。
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1つを断面が見えるように置きなおして写真を撮りました。パンの厚みも分かっていただけると思います。野菜は家にあったキュウリにいたしました。味付けはケチャップとトンカツソースとタルタルソースを使いました。タルタルソースはキュウリの部分に使っています。
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横から撮った写真です。9個のヒレカツの内、4個をサンドイッチに使いました。残りの5個は、この日の夕食用です。
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夕食はカツカレーにしました。前に紹介した3種相掛けカレー方式です。
名前を付けるとしたら3種相掛けカツカレーとなります。使ったレトルトカレーは下段の写真で、左から「宮崎/黒毛和牛ビーフカレー」「沖縄/しっとり煮込んだ・石垣島ビーフカレー」「熊本/あか牛ビーフカレー」です。
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こちらが3種相掛けカツカレーです。
クリックすると拡大1つだけラッキョを乗せているのは目印です。今回のカレーは色合いが非常に近いので、運ぶときに少し角度が変わると分からなくなってしまうとしまうと思ったから目印にラッキョを乗せました。掛け終わったレトルトカレーの袋をカレーの位置と同じように並べた写真も紹介します。目印のラッキョを置いた左下が熊本のカレーで時計回りに沖縄のカレー→宮崎のカレーです。
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オーブントースターで温めたトンカツはカラッと仕上がったので拡大写真を掲載させていただきました。この写真をクリックすると特別に大きな写真を表示するように設定いたしました。
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前日も食べた水菜のサラダです。やっぱり99円で3束はかなりの量で4回の夕食で活躍いたしました。
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森ヶ原信号場 岩徳線と錦川清流線の合流部分 [錦川清流線]

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上の航空写真は岩徳線と錦川清流線の合流地点(分岐点)である森ヶ原信号場の周辺ですが、空色の文字で書いている動画①~③を紹介いたします。いずれも岩徳線の周防久保駅の近くに墓参りに行った時に撮りました。

クリックすると拡大下の写真の左側の岩徳線の車両の運転席の中央の窓の部分には右のような大きなバックミラが設置されていて前方方向の撮影が難しいのですが幸いにも右側の写真の錦川清流線の車両には展望エリアがあることから合流や分離を先頭から撮ることが出来るのです。
 動画 錦川清流線→岩徳線   岩国行き 合流 先頭展望エリア
 動画 岩徳線→錦川清流線   錦町行き 分離 先頭展望エリア
 動画 岩徳線→合流点→岩徳線 岩国行き 合流 ボックス座席
       JR岩徳線            錦川清流線
クリックすると拡大クリックすると拡大

動画 錦川清流線→岩徳線 2021年3月17日撮影
右側の真直ぐな線路が岩徳線で、錦川清流線から岩徳線に乗り入れる場面の動画です。こちらの動画は記事「錦川清流線 清流新岩国駅 → 川西駅」に掲載した1分48秒の動画から38秒間を切り取った動画のです。


動画 岩徳線→錦川清流線 2021年3月17日撮影クリックすると拡大
左側の線路が岩徳線で、右側が錦川清流線です。岩徳線から錦川清流線に入っていく動画です。右の白黒の鉄道標識は速度制限解除標識です。右の速度制限解除の標識をクリックすると直前にあった速度制限45km/hの標識を表示します。クリックすると拡大線路を分岐させるポイント(分岐器)は動画から切り取った右の写真のように錦川清流線側(右側)になっていることが判っていただけると思います。
元々考えていたスケジュールでは撮ることが出来ない動画ですが、墓参りのために11時31分発の列車を待っていると、11時20分発の錦川清流線が来たので、急遽予定を変更して錦川清流線に乘り本動画を撮って清流新岩国まで行き、新岩国駅からタクシーに乗って柱野駅まで行き柱野駅11時37分発の列車に乗る綱渡りのようなことをして撮った動画なので是非ともプレーボタン( )をクリックしてほしいです。柱野駅の発車時刻に間合わなければ次の欽明路駅(11時49分発)までタクシーで行くつもりでした。したがって私がホームにあがって列車が来るのを確認して手で〇のサインを出すまではタクシーに持っていてもらいました。でもすぐに列車が来るのを確認出来たので〇のサインを出しました。


動画 岩徳線→合流点→岩徳線 2020年12月23日撮影
こちらは墓参りの後に錦帯橋や岩国城を見るために周防久保から岩徳線で川西駅まで行く時に、錦川清流線が岩徳線と合流するところを撮った動画です。こちらは記事「岩徳線の動画 その2 錦川清流線との合流」で紹介した動画です。


位置関係をGoogleマップで紹介します。新幹線の新岩国駅から柱野駅まではタクシーで2.33kmの距離です。マップ内のマイナスのアイコン(-)を1回クリックすると新岩国駅(新幹線)と清流新岩国駅(錦川清流線)と西岩国駅(岩徳線)が表示され、2回目をクリックすると岩国駅や岩国空港が入る範囲まで表示されます。4回目で周防久保駅( )まで表示され、5回目で私が3歳から10歳まで住んでいた場所( )を表示します。
  SVで撮影された車両
  岩徳線と錦川清流線の合流地点(森ヶ原信号場)
 ━━ 錦川清流線
 ━━ 岩徳線
 ━━ 山口県道1号 岩国大竹線 旧道


合流直前の岩徳線(奥側)と錦川清流線(手前)のストリートビュー(SV)です。それぞれの線路の左方向に森ヶ原信号場(分岐点/合流点)があります。
クリックすると拡大下のSVの中の手前の青色のガード(鉄道橋)は岩徳線から撮った右の写真のガードで、動画③にも写っています。線路をくぐる道路は細い道ではありますが広島県道1号岩国大竹線とつながる山口県道1号岩国大竹線の旧道です。今は別の場所に新道が通るトンネルが出来ています。背中側方面に進むと前記事のSVで列車が写っていて思案橋に行けます。後ろ方向の矢印を約40回クリックすると撮影場所に到達します。


クリックすると拡大奥側の岩徳線のガードをくぐったところのに設置されたカーブミラーに、錦川清流線の列車をSVに撮った撮影車が写っていることを発見しました。撮影の日付も同じ2018年4月(avr.2018)なのでカーブミラーに写った車がSVの列車を撮影した撮影車でした。
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クリックすると拡大右の小さな写真の川西駅(岩徳線/錦川清流線)には錦川清流線の起点を示す表示がありました。
これで今回の錦川清流線に関わる記事は終了いたします。次に乗る機会か、乗らなくても錦川清流線の列車を撮る機会があった時に掲載したいと思います。
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ストリートビューで車両を見つけた場所を同じ列車で通りました。 [錦川清流線]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2020年9月の墓参りの記事で錦川清流線を紹介した時に上のGoogle地図のストリートビュー(SV)に線路上を走る錦川清流線の車両(きらめき号)が撮影されていたことを紹介しました。錦川清流線沿線のSVの画像を調べた範囲ではありますが、クリックすると拡大走っている錦川清流線の車両が撮影されていたのはこの場所だけでした。そんなことから是非ともこの場所を列車に乗って走って見たいと思っていましたが、2021年3月の墓参りで実現させ動画を撮ったのでので紹介したいと思います。SVが更新されると列車は消えてしまうので画面のハードコピーを右に掲載しました。クリックすると大きな画像を表示します。

その動画がこちらです。場所は清流新岩国駅と川西駅の間で、錦川の支流の御庄川(みしょうがわ)に架かる鉄橋のところです。鉄橋の名前は御庄川鉄橋でGoogle地図で計測した範囲において約143mと錦川清流線(川西~錦町)で最も長い鉄橋です。2番目は錦町の手前にある錦川を渡る鉄橋(約110m)です。この動画は前記事(清流新岩国駅 → 川西駅)に掲載した1分48秒の動画から鉄橋を渡るところの20秒を切り取った動画です。トンネルをドル瞬間から始まります。鉄橋の下の道路の橋の名前は思案橋です。この動画で7秒から16秒の間の位置でSV撮影車で撮られた映像の中に写り込んだことが判りました。ただし列車は反対方向に走っていたので16秒→7秒に移動している間に撮影されたと想像してみてください。
短い動画なので是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。


冒頭のSVで車両が走っていた場所を動画から切り取りました。数枚のSV画像を解析した結果、この静止画(写真)の左下に写っている道路を手前から奥側に走るGoogleマップ撮影車から撮影されました。錦川清流線の車両は奥側から手前に走っている時にSVに写り込んだものでした。撮影車が手前から奥側に進みながら撮られたと判断したのはSVの撮影位置が左下の道路の左側の車線だからです。つまり冒頭のSVは走りながら後方を撮ったものでした。撮影車が走った道路は山口県道1号岩国大竹線の旧道です。
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こちらが撮影車が走っている車線が判るSVのハードコピーです。クリックすると撮影車の一部が写った写真を表示するので分かりやすいと思います。撮影車が進んでいく順番のSVです。→SV0 SVa SVb SV1 SV2 SV3 SV4 SV5 SV6 SV7 SV8
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撮影車の移動順にSVを並べました。SV0とSV1の間に撮影車が線路の下を潜ったことになります。冒頭のストリートビュー(SV)はSV4です。着色文字をクリックするとオリジナルのSVを表示します。
     SV0          SV1          SV2
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
     SV4          SV5          SV6
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

SVで撮影された車両の位置を航空写真に橙色マーク( )を付けました。柱野駅は川西駅の一つ徳山方向の岩徳線の駅です。航空写真内の舞内のアイコン()を2度クリックすると清流新岩国駅と川西駅と柱野駅と西岩国駅が表示されます。新幹線の新岩国駅から柱野駅まではタクシーで2.33kmの距離です。
  SVで撮影された車両
  岩徳線との合流地点(森ヶ原信号場)
 ━━ 錦川清流線
 ━━ 岩徳線
 ━━ 山口県道1号 岩国大竹線 旧道


岩徳線から撮った写真に、上の方から順に高架道路と古びた鉄橋と思惑橋(西氏橋)が写っていたので、写真を掲載いたしました。古びた鉄橋は御庄川鉄橋で、右端あたりがSVで車両が写っていたところです。奥の白い高架道路は建設中の山口県道1号岩国大竹線の新道です。思惑橋の昔の呼名は西氏橋でした。この橋を渡って錦帯橋を見学して行くかどうか思案したことから別名として思惑橋が使われるようになりましたが、いつしか思惑橋が正式に使われるようになったそうです。この写真は2020年9月25日の墓参りの時に柱野駅を発車直後に目いっぱいのズームで撮りました。
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Googleの撮影車を紹介します。こちらは2013年5月(mai.2013)のSVに錦町でガラス戸に写ったGoogle撮影車です。一方で錦川清流線で車両が撮影されたのは2018年4月(avr.2018)で5年の差があるため、同じ撮影車かどうかは分かりませんが、クリックすると拡大同じタイプだと想像されます。右の小さな写真はSVのハードコピーです。ガラス戸の中に「もみ山 亥の子 資料館」と書かれた木の看板が置かれています。錦町広瀬商店街の「町ぐるみ博物館」の一つとして写真やパネルを展示している場所だそうです。ネット内に映写機が展示されている記事がありました。


クリックすると拡大上の画像は不鮮明なので、同じと思われる撮影車の写真をネットから転用させていただきました。錦川清流線の列車が撮られた道の先のカーブミラーに撮影車が写っていることを発見しました。撮影の日付も2018年4月(avr.2018)なまでカーブミラーに写った車がSVの列車を撮影した撮影車でした。カーブミラーの場所は錦川清流線のガード(鉄道橋)と岩徳線のガードをくぐってすぐのところで、次の記事の森ヶ原信号場の近くでした。
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以前の記事で掲載したことがありますが、参考にGoogleストリートビューの撮影機材を紹介いたします。機材として撮影車(自動車)、トライク(自転車)、トロリー(押し車)、トレッカー(徒歩など)などがあります。
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錦川清流線で線路を走っている車両のSVは1ケ所だけと書かせていただきましたが、止まっている車両は錦町の車庫で撮られていたので紹介します。こちらのSVにもガラスに映った撮影車が撮られていました。
       3両SV(錦町)           Google撮影車
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左側が清流員岩国駅の時刻表です。1日に錦町方面(下り)は10本で川西方面(上り)は10本であることからSVに列車が写り込むことは一瞬のことなので非常に珍しいことだと思います。すでに上で記載しているように、今回SVに写り込んでいたのは錦町方面(下り)の列車です。右側の写真のSV1の影の位置からみると午後の明るい時間帯なので清流新岩国駅の発車時刻が14時36分か16時19分の列車と思われますが、太陽は西南西で低い位置なので16時19分の方が可能性が高いように感じます。4月の晴れた日に、この時間帯に来れば確定できると思います。
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SVに写っていた黄色の車両は車両番号3004の1両しかないので、今回(2021年3月)の墓参りで乘った黄色の車両と同じ車両だったのです。写真は根笠駅から川西駅まで乗った「きらめき号」です。Wikipediaに掲載されていた4両を紹介します。3段目の数値は車両番号です。上のSVの車両は「きらめき号」であることがわかりました。写真をクリックすると拡大いたします。
  ブルー      ピンク      グリーン     イエロー
  せせらぎ号    ひだまり号    こもれび号    きらめき号
  3001     3002     3003     3004
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とことこトレイン(━━)と錦川鉄道錦川清流線(━━)とJR岩徳線(━━)の全駅をプロットいたしました。赤色ライン(━━)は山陽本線(岩国~徳山)です。山陽本線に関しては岩国~徳山の間の駅をプロットいたしました。岩徳線の中の緑色ライン(━━)は欽明路トンネル(3.149km)です。駅のアイコンが密集しているために路線が見えませんが、地図内のプラスのアイコン(+)をクリックしていただくと路線のラインが判ると思います。
  周防久保駅(墓参り最寄駅)
  車両がSVで撮影された場所(御庄川鉄橋)  今回の記事の場所
  車両がSVで撮影された場所(錦町駅の車庫) 
  岩徳線との合流地点(森ヶ原信号場)
山口県道1号・広島県道1号 岩国大竹線


SVが撮影された場所の3D航空写真をを紹介します。SVのようにこの場所に行って写真や動画を撮りたくなります。レンタカーを使わないことを前提にすると、兵庫県の宝塚から日帰りで周防久保の墓参り行く時に、この場所で動画や写真を撮るとすれば墓参りの後と前の2つのルートが考えられます。墓参り後に行く方法が新幹線で徳山まで行き墓参りの帰りに岩徳線で柱野駅まで行き徒歩で思案橋まで行き、写真や動画を撮った後に歩いて新岩国に行って帰ります。墓参りの前の場足は新岩国駅から歩いて(又はタクシーで)思案橋まで行き、写真や動画を撮った後に歩いて柱野駅に行き岩徳線で周防久保まで行き墓参りが終わった後、岩徳線で徳山まで行き帰る方法です。岩徳線の列車本数が少ないのでどちらも待ち時間が多くなりますが、墓参りの前の方が下記のようにロスが少なくなります。クリックすると拡大御荘川沿いや思案橋から撮る列車は右のようないい構図になりそうなので、SVの構図と思惑橋からの構図を写真と動画で獲るとすれば沢山の回数が撮れる墓参りの前の方がよさそうです。
 墓参りで撮影できる列車の通過時刻
  墓参り前 新岩国 8時12分着ひかり 徳山 14時59分発のぞみ
     8:43下り  9:22上り 10:07下り 10:45上り
  墓参り後 徳山 8時25分到着ひかり 新岩国14時39分発こだま
   13:27上り
  墓参り後 徳山 8時25分到着ひかり 新岩国15時39分発こだま
   13:27上り 14:34下り (15:14上り)
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錦川清流線 清流新岩国駅 → 川西駅 [錦川清流線]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

本記事では錦川清流線の清涼新岩国駅から川西駅までの動画と写真を紹介いたします。各駅からの川西駅までの距離は下記のリストの通りです。森ヶ原信号場以外は駅名です。清涼新岩国駅は新幹線の新岩国駅との乗換駅で、川西駅はJR岩徳線の駅です。錦川清流線は森ヶ原信号場で岩徳線に乗り入れて岩国駅まで行きます。私は墓参りのために川西駅でJR岩徳線の徳山方面に乗り換えで周防久保駅まで行きました。右下の写真は乗った列車から撮った錦川です。
着色文字をクリックすると掲載した記事を表示します。
クリックすると拡大 錦町     → 川西 32.7km 始発駅
 根笠     → 川西 23.5km 乗車駅
 清流みはらし → 川西 22.5km 臨時駅
 南桑駅    → 川西 20.8km かじか蛙
 北河内駅   → 川西 13.9km すれ違い駅
 清流新岩国  → 川西   3.9km 新幹線乗換駅 今回紹介区間
 森ヶ原信号場 → 川西   1.9km 岩徳線との合流地点

清流新岩国の記事で紹介した通り新幹線の新岩国駅で錦川清流線に乗り換えて根笠駅まで行き、そこで降りて根笠駅周辺を散策した後に終点の錦町で折り返した列車に乗って川西駅まで行き岩徳線に乗り換えて墓のある周防久保まで行きました。写真は列車の中から撮った清流新岩国駅の写真で駅名標の背景ににあるのは新幹線の新岩国駅です。右側の細長い画像は根笠駅から乘った列車の停車駅一覧で、左側は清流新岩国駅から周防久保までのルートです。
オリジナル表示クリックすると拡大
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クリックすると拡大錦川清流線は錦町駅以外は全て無人駅で、列車はワンマンで運用されています。写真は列車に乗った時に右の整理券の発券機から受け取った整理券です。川西駅を降りる時に整理券と料金の710円を料金箱に入れました。


清流新岩国を出発してすぐの先頭の展望エリアから進行方向を撮った写真です。見えている高架は山陽自動車道(高速道路)です。岩国ICと玖珂PAの間で岩国ICから2.7kmの位置です。
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上の写真に写っている山陽自動車道の高架を過ぎたあたりから岩徳線に合流して最初のトンネル(道祖峠トンネル)に入る寸前までの1分48秒の動画を紹介します。初期画面の鉄橋の下を流れる川は御庄川(みしょうがわ)です。御庄川は錦川の支流になります。動画の最後の画面が道祖峠トンネルの入口です。ただし動画が終わると最初に戻るように設定しているので動画はストップボタンをクリックしない限り永久に繰り返すように設定しています。


岩徳線の道祖峠トンネル(685m)を出たところの景色の写真です。
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川西駅到着寸前の写真です。
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クリックすると拡大川西駅で撮った、根岸駅から川西駅まで乗った車両の写真です。川西駅の近くには山口県立岩国高校があることから沢山の高校生が乘ってきました。そのために川西駅に降りてから先頭側に移動して写真を撮る余裕がありました。ホームには右のように川西駅には錦川清流線の起点を示す表示がありました。
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錦川鉄道錦川清流線の全線で唯一の単線すれ違い駅である北河内(きたごうち)駅の写真を紹介します。クリックすると拡大根笠駅から乘った上り列車(岩国行き列車)の中から撮った写真です。往路の下り列車(錦町行き列車)に乘った時にすれ違った列車と同じブルーの色の「せせらぎ号」だったので、この日の昼間は「せせらぎ号」とイエローの「きらめき号」で運用されていて、朝の通勤時間帯は「きらめき号」とクリックすると拡大ピンクの「ひだまり号」を連結した列車(往路で乘った列車)が使われていたのだと感じました。右の上段は往路の時に撮った写真で、下段が復路で撮った10秒間隔表示の写真です。4両の残りのグリーンの「こもれび号」は見ることが出来ませんでした。写真を撮られている男性は錦町行きの下り列車にも乘られていました。クリックすると拡大右の中段の小さな写真がその時の先頭の展望エリアの写真です。同じ人が写っているのが判っていただけると思います。錦町での滞在時間は短いので列車に乗ることだけを目的とした乗り鉄の方だと思います。他にも乗り鉄と思われる方が何人かおられました。川西と錦町の往復の乗車料金は980円×2=1960円です。
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我家のアマガエルは無事に冬を越しました。 [動物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2021年5月8日追記 
タイトル:我家のアマガエルは無事に冬を越しました。

昨年(2020年)は下で紹介の通り、家の庭と2階のバルコニーにアマガエルが出没していました。そのアマガエルたちが冬を越すことが出来るか心配していましたが、上の動画のように無事に冬を越したことを確認することが出来ました。ピエール・ドゥ・ロンサール(Pierre de Ronsard)の一番バラが2021年5月5日に咲きましたが、その2日後の5月7日にアマガエルが花に潜っているのを確認して動画を撮りました。周辺でアマガエルの鳴き声が聞こえているので、他のアマガエルたちも無事なのだと思います。ただし我家の庭やバルコニーに来てくれるかどうかはまだ判りません。

写真でもアマガエルとバラを紹介します。上の動画は13時47分に撮影したもので、こちらの写真は同じ日の朝の7時41分に撮りました。2021年5月7日以前は周辺から鳴き声は聞こえてきてはいましたが、姿を見たのは5月7日が初めてでした。昨年(2020年)も最初に我家でアマガエルの姿を見たのは5月でした。
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こちらが2021年5月5日に咲いたピエール・ドゥ・ロンサールの一番バラ(最初に咲いたバラ)です。今回掲載した2枚のピエール・ドゥ・ロンサールの写真はクリックすると特別に大きく拡大(面積で16倍に拡大)するように設定いたしました。
我家ではこれまでに3種類のバラが咲いていたので4種類目のバラとなります。これから4種類のばらが順番に咲いてきます。つまり我家では下記の8種類のバラが咲きます。咲き始める順番に記載しています。花の写真を確認したい方はこちらをクリックしてください。→ポチッ
 ヘンリーフォンダ         Henry Fonda
 エドガー・ドガ          Edgar Degas
 キャサリン・モーリー       Kathryn Morley
 ピエール・ドゥ・ロンサール    Pierre de Ronsard
 ホワイトメイディランド      White Meidiland
 キングローズ           King Rose
 キューピッド・イン・ザ・ガーデン Cupid in the Garden
 クニルプス            Knirps
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2021年の2匹目のカエルは5月14日に見つけました。体か小さいので昨年も含めて初めて訪れたアマガエルです。見つけたのはキングローズのところでした。
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2020年10月26日追記
タイトル:バルコニーの3匹のアマガエルを1階の庭に移動させました。
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クリックすると拡大2020年10月26日の早朝には外気温時計の表示は9.8℃と10℃を切っていました。低温に弱い2階のバルコニーの鉢植えを夜だけ室内に入れる準備で、右の写真のように床に置いていた植木鉢を、テラステーブルの上に移動させていると、植木鉢の間から10月17日に紹介した2階のバルコニーで暮らしていた3匹のアマガエルが出てきました。3匹共に元気でよかったです。しかし植木鉢を室内に入れた夜間には2階のバルコニーでは冬眠は出来ないと思い、正しい方法かどうかは分かりませんが、3匹共にそっと捕まえて1階の庭に放しました。クリックすると拡大1階の庭に放したのは2020年10月26日16時頃です。その時に撮ったのが上の写真で、バルコニーに居た時の体色から色が変わりつつある状態です。冬眠して無事に冬を越してくれることを願っています。土に潜ることは以前に右の写真で確認していたので、柔らかな土のところに放しました。10月29の朝は12.6℃でした。11月3日12時55分頃に1階の庭で鳴いているのを確認しました。


2020年10月17日掲載 タイトル:その後のバルコニーのアマガエル

8月に我家のアマガエルの記事を掲載させていただきました。その時はアマガエルは庭に3匹と2階のバルコニーに3匹ほど見かけました。庭のアマガエルは鉢植えのヒマワリを中心に生活している様子でした。ヒマワリが刈れてしまうと周辺に家の庭に移動してしまったようで、いつの間にか見かけなくなりました。一度1匹庭で見かけましたが隣りの家の庭の方に逃げていたので周辺の家の庭に移動したと感じたのです。その頃から周辺で鳴き声が聞こえ始めたので、おそらく我家の庭にいたアマガエルなのだと思っていました。一方、2階のバルコニーのカエルは今でも3匹いて、近くでアマガエルが鳴くとこたえるように鳴くことがありました。その鳴く姿を動画にとらえようと古いビデオカメラを出してきて撮ったのが上の動画です。残念ながら鳴いているところはとれませんでしたが、喉を膨らませているところはとれました。周辺で鳴くアマガエルの声も入りました。鳴く時は動画のようにバルコニーの板の隙間から顔を出して鳴きます。鳴きはじめる前はバルコニーの板の隙間から覗くことはありませんでした。鳴き声が聞こえない時も庭をじっと見ていることもありました。

喉を膨らませてバルコニーの板の隙間から覗いているアマガエルです。離れた場所からのビデオカメラの静止画なので画像は良くありませんが、貴重な瞬間です。判りにくいけれでも上の動画で頭から5秒~8秒の部分で遠くで鳴くアマガエルの鳴き声が入っています。30秒~33秒のところは大きな鳴き声が聞こえます。本写真をクリックすると別画面で29秒から動画を表示するので聞き分けられるかもしれません。ただし、カエルは後ろ向きです。
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この時はバルコニーの板の隙間に2匹がいました。上の動画は右下の方のアマガエルです。左上のアマガエルは緑色でした。クリックして拡大すると左上のアマガエルが緑色であることが分かってもらえると思います。
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バルコニーの内側から緑色の方のアマガエルの写真を撮りました。体に土がついています。土は植木鉢に使っている少し荒いくて軽い土のようなので植木鉢の土の中に潜っていたのだと思います。
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灰褐色の方のアマガエルです。アマガエルの色はいろんな色に変わりますが、バルコニーの隙間に出てくる前の居場所で変わります。喉を膨らませて今にも鳴きそうですが、見ている間は残念ながら鳴いてくれませんでした。
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ガーデンパラソルを差し込む黒い台座の近くに隠れていると灰褐色になります。最初見た時は上に乗っていましたが写真を撮ろうとカメラを持ってきた時には穴の中に入っていました。皮膚の色の変化は、周りの環境、温度、湿度、明るさなどに応じてホルモンを分泌し、皮膚の色素細胞を拡張・伸縮させることによって出来るそうです。
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穴に隠れてすぐと思われる緑色のアマガエルです。この中であれば鳥などの天敵から身を隠すことが出来ると思いますが、冬の寒さは防げないので冬眠は別の場所にする必要がありそうです。
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クリックすると拡大ガーデンパラソルとバルコニーの写真です。ここのうえに3匹のアマガエルが暮らしいてますが、冬には冬眠が必要です。植木鉢程度では寒さはしのげないと思うので心配です。でも我々が思っているよりもたくましいので、何とか乗り切ってくれると思います。


クリックすると拡大バルコニーに居る3匹目のカエルはこちらです。上で紹介の2匹のカエルより体が小さいのですぐに区別がつきます。こちらのカエルはいつも右の写真の植木鉢群の中にいます。
上の2匹の大きさは同じくらいなのでどちらのカエルなのかまでは分かりません。
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灰褐色の時の上の写真と同じカエルです。体の大きさから分かります。
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追伸
2020年10月18日から関西に行きます。帰宅は10月25日になる予定です。その間はネット環境のために皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。

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いよいよ九寨溝に向かいます。 四川九寨黄龍空港 [九寨溝 黄龍]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2021年05月07日更新
タイトル:写真を拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大前記事の「かじかの滝 & 清流の滝」の中で右の上段の錦川の水の色が右の下段の中国・四川省にある九塞溝(きゅうさいこう/གཟི་རྩ་སྡེ་དགུ།;)のように美しいことを記載したことを機会に、クリックすると拡大2012年06月02日に掲載した九塞溝に行く旅行のために成都空港から九塞黄龍空港へのフライトの記事を更新して再掲載いたしました。オリジナルの記事は写真をクリックしても拡大しませんでしたが、写真は全て拡大できるようにいたしました。

飛行機に搭乗前の写真を2枚追加で紹介します。こちらが成都双流国際空港(中国語:成都双流国际机场)で、大変に混雑していました。
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こちらでチェックインいたしました。
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2012年06月02日掲載
タイトル:いよいよ九寨溝に向かいます。四川九寨黄龍空港
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成都空港で九寨溝行きの飛行機に乗るところです。

フライトはEU2707で私の席は1Aと一番前の席の窓側でした。フライトは30分程度遅れましたが無事に出発いたしました。クリックすると半券の部分も含めて拡大した搭乗券を表示します。
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九寨溝(きゅうさいこう)の場所をGoogleマップで紹介しておきます。下記の地図で緑色マーク( )のところが九塞溝です。中国の中心あたりでタイの北に位置します。中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州でチベット族地区の村が点在した場所でした。チベット族地区としては東の端に位置しています。次の写真に小さく写っている大雪山脈の最高峰のミニヤコンカ(貢嘎山/མི་ཉག་གངས་དཀར་རི་བོ་)の位置を追加しました。

より大きな地図で九寨溝を表示

窓側の席に座れたので窓の景色を時間を追って紹介いたします。離陸は丁度11時20分で着陸は、こちらも丁度12時00分でした。離陸して写真撮影の許可がおりた直後に撮った写真です。下は雲に覆われていますが、遠くに高い山を見ることが出来ます。離陸後9分後の景色です。
クリックすると拡大四川省成都市の西南交通大学で教鞭をとられているkm45さんがコメントで高い山の名前を教えていただきました。右のWikipediaの写真の四川省の最高峰のミニヤコンカ(貢嘎山・7556m)だそうです。なんと7500mを越える山でした。(2013年6月25日追伸)
 11時29分 離陸9分後 着陸31分前
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この辺りから雲が切れてきました。山の上には残雪が確認できます。
 11時34分
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短い時間の間に景色が変わっていきます。
 11時41分
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いきなり迫力のある山が目の前に現れました。
 11時43分
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山と山の間の谷が深いです。谷の部分に九寨溝が出来たのです。飛行機の後方向の写真です。
 11時44分
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高い山ですが頂上付近を除き森林に覆われていました。
 11時45分
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目の前に険しい山肌が迫ってきました。もっとも迫力のある景色です。
 11時46分
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雪が多くなってきたのがわかりました。
 11時48分
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空港に近づくとさらに山が横に迫ってくるので迫力がありました。ただし上の11時48分の写真を撮ったところで電子機器のスイチを切ってくださいとの機内放送が流れたために、そのきれいな迫力のある写真を残すことはできませんでした。40分間のフライトで写真が撮れるのは19分間でした。
以前に説明したグラフです。上の写真を撮った11時29分~11時48分の景色とグラフと照らし合わせてみてください。


こちらが空港の景色です。ここは3448mの高さですが、周りはさらに高い山々がありました。
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上の写真を拡大しました。遠い山々ですがきれいに見ることが出来ました。空気がきれいな証拠でした。
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ボーディングブリッジについている飛行機に乗ってきました。
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このとき、5月26日(土曜日) 12時11分でした。
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荷物のピックアップ風景です。
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空港から出たところです。省略文字ですが九寨溝黄龍が読み取れました。カラフルな色はチベット族の人たちが家の周りに立てる旗(のぼり)をイーメイジしたものだと思います。
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同じ場所から反対方向を撮りました。空気が薄いこと空気がきれいなことが実感されました。
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クリックすると拡大下の写真は空港の航空写真です。この四川九寨黄龍空港(しせんきゅうさいこうりゅうくうこう)は四川省アバ・チベット族チャン族自治州松潘県川主寺鎮に位置する九寨溝と黄龍への玄関口の空港です。この空港の特徴は標高が高いことです。
ネットによると空港の海抜3447.65mだそうです。持って行った気圧式の高度計では3310mを指していました。
これは中国ではチャムド・バンダ空港(4334m、世界第1位)、ダルツェムド空港(4280m、世界第2位)、ガリ空港(4,274m)、ラサ・クンガ空港(3570m)に次いで5番目に高いそうです。このため空気が薄く、離陸に必要な揚力が得にくいため、下記の航空写真のように空港の規模に不釣合いな3,200mの長大な滑走路が設けられています。2002年6月7日に工事が開始されて、2003年9月28日に開港したそうです。開港以前の九寨溝は最寄の成都から長距離バスで10~12時間を要する秘境でしたが、空港の完成により中国各地からのアクセスが劇的な改善に貢献した空港でもあります。


空港を出発した後は岷江源国際大酒店で昼食を食べて黄龍に向かいました。地図内の黄色ラインの黄龍を散策した後は翌日の九塞溝ツアーにそなえて宿のインターコンチネンタル九寨パラダイス( )に向かいました。


九塞溝&黄龍の旅行では56の記事を書くことが出来ました。
それらを順番に紹介したいと思います。合計57の記事の内で九塞溝の有料エリアの記事は34になります。記事は概ね時系列的に並べています。
 写真    記事のタイトル
羽田→上海のフライト
飛行機の機内圧の変化
成都 錦里古街
成都の高級四川料理店
いよいよ九寨溝に向かいます。 今回の記事
いきなりヤクに出会えました。
九寨溝での初めての昼食
昼食を食べたら黄龍に出発、その前の準備は?
チベットのワンちゃんたち
黄龍までの車窓からの景色
雪山梁峠 4007m
黄龍 迎賓池
黄龍 飛瀑流輝
黄龍の純白の石楠花と草花たち
黄龍のチケットも絵葉書でした。
バスの窓から見えるチベット族の村々
トラクターが大活躍でした。
甘海子村
これが我々が泊まった九寨溝のホテル
これがインターコンチネンタル九寨溝の中華料理
朝の散歩

九塞溝の有料エリア
九寨溝へ
日則溝/樹正溝 諾日朗瀑布(だくにちろうばくふ)
日則溝/樹正溝 滝の近くの遊歩道
則査窪溝 一気に3100mの長海まで上りました。
則査窪溝 長海
則査窪溝 チベットの旗
則査窪溝 記念撮影のポーズ
則査窪溝 五彩池
則査窪溝 時期が来れば現れる上季節海と下季節海
則査窪溝 九寨溝(Jiuzhaigou Valley)での食事と喫煙事
則査窪溝 九寨溝のチベット族の村
則査窪溝 これぞニワトリの中のニワトリ
則査窪溝 九寨溝でのチベットの踊り
日則溝 日則溝群海 と 鏡海
日則溝 箭竹海(せんちくかい) 鴨のいる景色でした。
日則溝 熊猫海(パンダ湖) と 熊猫海瀑布(パンダ滝)
日則溝 五花海 第一弾
日則溝 五花海 第二弾「孔雀河道 編」
日則溝 珍珠灘(ちんじゅたん)
日則溝 珍珠灘瀑布(ちんじゅたんばくふ)
日則溝 金玲海
日則溝 九寨溝の魚は一種のみ 嘉陵裸裂尻魚
日則溝 九寨溝で結婚写真
樹正溝 犀牛海(さいぎゅうかい)
樹正溝 老虎海(ろうこかい)
樹正溝 樹正瀑布(じゅせいばくふ)
樹正溝 樹正群海(じゅせいぐんかい)
樹正溝 九寨溝の水車小屋 樹正磨房
樹正溝 臥龍海(がりゅうかい)
樹正溝 火花海と火花瀑布
樹正溝 双龍海(そうりゅうかい)
樹正溝 蘆葦海(ろいかい)
樹正溝 盆景灘(ぼんけいたん)
九寨溝のチケットは絵葉書でした。

九塞溝の有料エリアを出た後
初めてバター茶を飲みました。
成都→上海便は国際線なみでした。
上海で寿司会席
今日、帰国します。上海→羽田のフライトの写真を追加

塩尾寺(えんぺいじ) 宝塚市 [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2021年4月25日の早朝の新幹線の切符を事前にJR宝塚駅に買いに行きました。乗り換え時間に余裕があれば当日にキップを買っていましたが、早朝で電車の本数も少なく購入に手間取ると目的の新幹線に乗れなくなるので事前に買うことにしたわけです。少し遠いけれども宝塚駅まで実家から歩いて行くことにした時に、六甲全山縦走大会に参加したことを思い出しました。私が新入社員として神戸の事業所に配属になってすぐに会社の親しい人たちと参加したのです。早朝5時出発のため実家の宝塚からでは間に合わないので塩屋にあった会社の独身寮の同僚の部屋に泊めてもらいました。それもいい思い出です。上の地図のように神戸市須磨区の塩屋駅から阪急宝塚駅までの56kmのコースで少なくとも25( )の山があります。名の知られている山だけで16もありました。チェックポイントには入っていませんが、最後の通過点が塩尾寺で、上の地図の緑の卍マーク( )のところです。そこで懐かしくなり、運動不足解消にもなると思い右下の写真の塩尾寺まで登ってみることにいたしました。
クリックすると拡大宝塚に住んでいたにも関わらず塩尾寺を訪問するのは六甲山縦走と今回の2度だけです。塩尾寺を「えんぺいじ」と呼ぶことも知りませんでした。
  六甲山縦走路の山々
  私が通った学校(小・中・高)
  神戸市北区山田町の重要文化財
 塩尾寺

宝塚駅から塩尾寺までの範囲を拡大したのがこちらの地図です。ネット内では塩尾寺は六甲全山縦走路の東の起点とも呼ばれています。クリックすると拡大ここから下で宝塚駅から塩尾寺までを順番に紹介したいと思います。六甲山縦走の時とほぼ同じですが、武庫川を渡る大きな橋は当時はなく右のような人や自転車だけが渡れる歩道橋があるだけでした。地図の中の赤色ライン(━━)が昔の歩道橋の位置です。右の写真の後ろの列の一番左が私です。
昔の歩道橋(人道橋)も現在のS字の橋も名前は宝来橋で、初代の宝来橋は1902年に完成したそうです。クリックすると拡大宝来橋の歴史の記事を見ると、洪水で何度も流され最後の人道橋が完成したのは1955年で、今の頑丈な宝来橋に切り替わったのは1994年だそうです。右の白黒の写真は初代の宝来橋です。初代の宝来橋は写真のように1本の橋杭の構造だったそうです。


阪急宝塚駅とJR宝塚駅をつなぐ連絡橋の上から見た景色です。左側のビルが阪急宝塚駅出右側のビルがJR宝塚駅です。道路は三田方面につながっている国道176号線です。
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宝塚駅からは武庫川にかかる宝来橋を渡ります。下の写真は宝来橋から上流側を撮った写真です。クリックすると拡大下流側の歩道からは宝塚歌劇や新しくなった宝塚ホテルが見えます。いつも下流側の歩道を歩いているので上流側の景色を見るのは久しぶりでした。右の写真はネットから転用させていただいた川沿いの昔の建物の写真です。
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武庫川に架かっている宝来橋はS字に曲がっていて、その橋の上からこれから登っていく方向を撮った写真です。
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最初は武庫川に流れ込む、この小川に沿って登っていきます。武庫川の支流になります。yokomiさんがこの写真の中から目と摩耶が描かれた建物を見つけていただきました。ありがとうございます。拡大したした写真を下に追加掲載させていただきました。
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こちらがyokomiさんに目と眉が描かれた建物を見つけたいただいたので追加掲載させていただいた拡大写真です。この建物はナンとカリーのレストランです。クリックするとさらに大きく拡大するので建物の入口に「本格タンドールで焼き上げたナンとカリーのお店 PUJA」と書かれているのを読み取っていただけると思います。カトマンドゥ カリー PUJAと書かれた看板があったので、次の写真の登山道入口のインド料理店(Chalte)とは別のお店です。カトマンドゥ(काठमाडौं/kɑʈʰmɑɳɖu)はネパールの首都カトマンズのことです。
クリックすると拡大ネパール旅行に行かれたテリーさんにコメント欄でネパールのStupa(仏塔)に描かれている「世界を見渡すブッダの智慧の目」であることを教えていただきました。右の写真はWikipediaから転用させていただいたネパール最古の仏教寺院スワヤンブナートの仏塔のブッタの目(Buddha's eyes)です。
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橋を渡りきったところにある交差点です。真ん中あたりの伝習の右側の細い道に入っていきます。インド料理店(Chalte/チャルテ)が目印になると思います。
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その小道の入口です。
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道に入ってすぐのところに石碑がありました。右の石碑には「左 塩尾寺 是ヨリ十五丁」と書かれていて左の石碑は下の方は隠れて判りませんが「六甲山 塩尾寺 十一面観世音」と書かれているのだと思われます。十一面観世音の石碑の側面には厄神明王と書かれていました。写真をクリックすると石碑の側面と正面を特別に大きく寛大して表示するように設定いたしました。
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道は住宅地の中を進んで行きます。
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すぐに小川に出ました。川の名前は塩谷川です。
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さらに住宅地が続いていました。
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川沿いに沢山の犬の置物が並べられていました。数えると8匹で首にはマフラーが巻かれ、クリックすると記事を表示帽子をかぶったワンちゃんもいるので大切にされているようでした。ネット内で探すと5年前の2016年5月10日に掲載されたブログで右の写真を見つけました。並び方が違う上に7匹なので今回は下の写真の右から2場目の1匹が増えたことになります。
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犬の置物が置かれていたあたりから下流側を撮った写真です。
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川沿いの道が続きます。
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山に近づいてきた雰囲気になりました。この場所の住所は電柱に書かれている通り兵庫県宝塚市紅葉ガ丘紅葉ガ丘3番です。
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住宅地から離れて山道になってきました。塩尾寺までは車でも行けるので車の通れる広さはありました。
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道路の両側に灯籠が起これた場所に到着しました。広場になっているので、ここが塩尾寺かなと思える雰囲気でしたが、すこし近すぎるとも感じました。
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鳥居の扁額には白鳥大神と書かれていました。
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いくつか祠もありましたが塩尾寺ではなさそうでした。
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このように広い広場になっていました。
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広場から見た景色です。
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広場の周りにはツツジも咲いていました。六甲山に沢山咲いているコバノミツバツツジのようです。写真だけでコバノミツバツツジであると特定はできませんが、ミツバツツジ類には間違いなさそうです。
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ツツジの花を拡大しました。
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ツツジともう一つ沢山咲いていたのが、この白い花です。
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白い花を拡大いたしました。
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この広場は「えんぺい寺休憩所」でした。塩尾寺は思っていた「しおお寺」か「しおび寺」ではなく「えんぺい寺」と読むことを、この時に初めて知りました。ただし、「えんぺいでら」か「えんぺいじ」かはまだ判りませんでした。
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この航空写真で休憩所と書かれているところが広場の場所です。右下の方に飲み゛ている青色ラインは実家のある逆瀬川駅までのルートです。宝塚駅からの距離は休憩所までが1.7kmで展望台までが2.1kmで塩尾寺までが2.8kmです。
  宝塚駅        潮泉山 塩尾寺
  えんぺい寺休憩所   展望台


こちらが広場から見た塩尾寺(えんぺい寺)の方向です。石碑には「此より七百米」と書かれていました。もう1kmはない距離です。
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上の写真の右側の本来の道以外に、階段があったので登ってみることにしました。
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階段を上ると細い道が続いていました。
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細い道の先にあったのはコンクリート製の配水池(配水塔)でした。ここで行き止りのような雰囲気で階段を上ったのは、もしかしたら間違いであったのかもしれないと思いました。
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幸いにも配水池を回り込むように道が続いていました。
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そして本来の道に出ました。休憩所から広い道を進むと、この道を登ってくることになったのです。距離的にはかなり短くなりましたが、道は急な階段が多かったです。
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塩尾寺の方向の道です。
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細い道と本来の道との合流地点は上で紹介した航空写真の展望台( )と書かれている場所でした。コンクリート製の配水池(配水塔)の上部も良く見えました。見えている川は武庫川です。
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川の向こう側の3つの高いビルの少し手前の赤いビルの建物が宝塚歌劇です。
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登っていく道沿いには石積みの上に小さな祠が乘った趣のあるものもありました。
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このような道が続きました。
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クリックすると拡大田池と書かれた不思議な石が2つ置かれていました。2つの石の上面には右の写真のように鉄クギのようなものが打ち込まれていました。後ろは険しい谷で、のぞき込んでも貯水池や田んぼが作れるような地形ではありませんでした。鉄クギの頭は六角形でした。
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田池の文字の下には人の名前が縦に10人書かれていました。泥が付いていてこの写真では苗字の一部しか読めませんでした。この石は興味深いものでした。
クリックすると拡大6月には関西に行く予定があるので時間があれば、もう一度行ってみたいと思っています。その時は、宝塚聖天から宝塚市立光ガ丘中学校を経由して塩尾寺へ登ってみたいと思っています。右の小さな写真は正月にみんなが実家に集まった時に初詣に行く宝塚聖天さんです。
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不思議な石から少し進むと塩尾寺エリアに入ったことを示す塩尾寺境内地と書かれた石碑がありました。
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白色の花のスミレが咲いていました。
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珍しいので花を拡大いたしました。スミレの種類は判りませんが、葉や花の雰囲気はツボスミレ(坪菫)に似ているように感じます。ツボスミレはニョイスミレとも呼ばれています。ツボスミレの分類を紹介します。右の写真はWikipediaの写真なので比較してみてください。クリックすると拡大
  界 植物界    Plantae
  門 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
  目 スミレ目   Violales
  科 スミレ科   Violaceae
  属 スミレ属   Viola
  種 ツボスミレ  Viola verecunda
 別名 ニョイスミレ 如意菫
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寺が建っていると思われるあたりの入口が見えてきました。
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近づいてきました。
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塩尾寺の入口に到着しました。
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入口の石碑には「潮泉山 塩尾寺」と書かれていました。塩尾寺の文字の右側に「えんぺいじ」のふりがなが掘られていました。塩尾寺が「えんぺいじ」と読むことが初めてはっきりいたしました。おそらく正確に呼んでもらえることが少なかったので、「えんぺい寺」と書いたり「えんぺいじ」のふりがなが付けられたのだと思います。
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上の写真の石碑の前から六甲最高峰に上る道がありました。ここから完全な登山道で、六甲山縦走路でもあります。昼食までに実家に戻りたかったので、今回はこちらには登りませんでした。
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入口から撮った塩尾寺の境内の写真です。本堂の奥に住職のお住まいがあり車も置かれていました。伝承によれば、塩尾寺の建立は皇紀1264年(西暦586年)にさかのぼるそうです。聖徳太子が四天王寺を開創した後につくられた摂津国武庫七大寺の中に塩尾寺が含まれていたそうです。その7寺の内で分かっている6寺は塩尾寺、中山寺、小林寺(廃寺)、平林寺、円国寺(廃寺)、金龍寺だそうです。時代と共に人々は信仰心の変化により塩尾寺は廃れた寺院となりましたが、室町幕府第十二代の将軍・足利義晴の時代(1521年~1543年)に近くで湧き出た「塩からい水」が吹き出物を治す湯として広まり、潮泉山(ちょうせんざん)の山号をいただき、潮泉山・塩尾寺として再興されたそうです。「塩からい水」は宝塚温泉の元湯となったそうです。この時に伝承に残っていた十一面観音像も整えられたそうです。
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塩尾寺と縁のある聖徳太子に纏わる石碑がありました。クリックすると書かれている内容が読める大きさに拡大いたしました。若干ではありますが、伝承につながる文面も見受けられます。
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立派な鐘楼がありました。もしかしたら実家から聞こえていた除夜の鐘の音の中に、この鐘の音も聞こえていたのかもしれません。
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本堂以外に沢山の祠がありました。
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本殿以外で一番大きな建物は清照大明神の社殿です。
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ネットによれば、こちらの鐘には塩寺晨鐘が有名です。勤行(ごんぎょう)の開始を知らせる晨朝の鐘(じんじょうのかね)は塩寺晨鐘と呼ばれて、昭和の始め頃は観光名所としての記録もあるほどです。大晦日には除夜の鐘をつくために大勢の人も並んでいたそうです。
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こちらも趣きのあるものでした。
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こちらが塩尾寺本殿です。
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奥側(住居側)から撮った本殿の写真です。
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塩尾寺の昔の写真をネットから転用させていただきました。
クリックすると拡大塩尾寺縁起に書かれている室町時代の宝塚温泉に関わる由来を下の枠内に紹介します。明治時代になってからも、武庫川右岸の川下に酸っぱい水と辛い水が湧いていたことが、付近の人々に知られていて、明治17年に小佐治豊三郎(後の旅館分銅屋の創業者)が温泉水を医師に試飲してもらい飲料・浴用に適する最上の鉱泉であることが分かり明治20年5月5日に宝塚温泉を開湯したそうです。
そのことからも非常に宝塚温泉に縁のあるお寺のようです。
室町時代に貧しくひっそりと暮らす女性がいたそうです。年老いて体をわずらい身も心も苦しみながらも、毎月、中山寺への参拝を怠ることがありませんでした。そんなある夜、僧の姿をした人が夢枕に立ち、「武庫川の岸辺に噴出している冷泉に入浴すれば病気が治る」と告げたそうです。さっそくその教えどおりにからだを洗うと、病気が治ったと伝えられています。
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午前中に実家に開りたかったので山を下り始めました。境内の入口から見た帰り道の写真です。
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住宅地の辺りまでは基本的に同じ道を帰りました。
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ただし、上がってくる時は階段のあった細い道を上がりましたがそこだけは、太い道を下りました。つまり展望台から休憩所までの太い道で撮った写真を下りていく順番に3枚紹介します。
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こちらが2枚目です。この写真の真中あたりをよく見てから次の写真を見てください。青色の丸印が点滅しているところです。石垣が濡れているのが関係があります。
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水が湧き出しているところが2ケ所あり、その水を貯めるためのバケツが置かれていました。上の写真の石垣のところにこのバケツが置かれていました。ストリートビュー(SV)でもこの場所が確認出来ました。
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住宅地近くに戻ってきました。見えている大きな建物は甲子園大学です。1967年に設置されていたので、私が宝塚に住んでいたころには、すでにあったことになります。六甲全山縦走大会では、この道を歩いたはずですが、宝塚駅の近くに大学があるとは知りませんでした。
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住宅地に入ってからはスマホで位置を確認し名が出来るだけ最短で実家のある逆瀬川方面に向かいました。最初の頃は住宅地の一番標高の高いところを歩くことになりました。
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この辺りには父が勤めていた会社のクラブハウスがありました。下の写真は、そのクラブハウスで撮った家族の記念写真です。私は1月生まれなので私は6~7ケ月目ぐらいだと思います。背景の建物が有名な建築家の村野藤吾が設計の東京銀行宝塚クラブハウスだと思います。建物の写真は村野藤吾作品集第1巻(1928-1963)に掲載されているようなので、いつか確認したいと思っています。
IMG_2430-400.jpg

このような景色が続きました。
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実家方面の往路のルートも入れた航空写真です。ただしルートの終点は逆瀬川駅にさせていただいています。
 名前 潮泉山 塩尾寺(ちょうせんざん えんぺいじ)
 標高 352m
 住所 兵庫県宝塚市伊孑志字武庫山756
 地図 yNEJaJh4wuP1qtfv7

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かじかの滝 & 清流の滝 錦川清流線の上り(岩国行き) [錦川清流線]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事で紹介した南桑駅を出発すると下に書いている2つの滝を見ることが出来ることを往路(錦町行き)に乘った時に知ったので、復路(岩国行き)で動画を撮ることにいたしました。本記事
で次の3さの動画を掲載しています。
 ① かじかの滝 南桑(なぐわ)駅と椋野(むくの)駅の間
 ② 清流の滝  椋野(むくの)駅と北河内(きたごうち)駅の間
 ③ ━━━━  錦川の清流の撮影範囲

復路(岩国行き)では錦川は左側に見えて、すべての滝は右側に見えることから滝に近づいてきた車内放送があると右側の席に座りました。車内の右側の出っ張りの部分はトイレです。トイレの向こう側に先頭の展望エリアがあります。
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かじかの滝の動画
クリックすると拡大こちらが最初に撮った「かじかの滝」の動画です。滝が見えるのは一瞬なのでスローに編集した3つの動画を続けて見えるように編集いたしました。つまり1倍と0.5倍と0.25倍と0.125倍の4種類の動画を連続で見ることが出来ます。オリジナルの15(=1+2+4+8)倍の長さの動画になっています。右は往路(錦町行き)の時に撮った写真です。


対岸の国道187号線からの「かじかの滝」のストリートビュー(SV)の画像です。看板も写っています。画面内のGoogleマップで見る。をクリックして出てくる拡大画面で見るとわかりやすいと思います。滝は鉄橋の左端に見えます。鉄橋の真中あたりになる角度から見た場合は遠くなってしまい、丁度よいあたりからは偶然にもカーブミラーが邪魔して滝が見えませんでした。


清流の滝の動画
クリックすると拡大次の動画は椋野(むくの)駅と北河内(きたごうち)駅の間にある「清流の滝」です。こちらの動画も標準スピードと3種類(0.5倍と0.25倍と0.125倍)のスローの動画を紹介しています。右の写真はかじかの滝と同様に往路(錦町行き)の時に撮った清流の滝です。


「かじかの滝」と同じように対岸の国道187号線からSVで清流の滝を探してみました。ここは道路沿いの木が多くてかなり角度のある位置から見つけることが出来ました。角度的に滝自体は見えませんが、看板は写っています。滝の位置の少し右上の茶色い看板です。こちらも画面内のGoogleマップで見る。をクリックして出てくる拡大画面で見ると判ると思います。


錦川の清流の動画
左側の席に移動して錦川の動画も撮りました。この動画は清流の滝の動画を撮ってすぐに川のある左側の座席に移動して撮りました。つまり清流の滝のあるあたりの景色です。錦川清流線車内で撮った動画のほとんどは先頭の展望エリアから撮りましたが、本記事で紹介した滝の動画と本動画の3本の動画のみ車内の席に座って撮りました。3つの動画は終了すると、また先頭から流れて永遠に繰り返すように設定した居ます。パソコンなどのOSによっては1回のみで繰り返さない場合もあります。


クリックすると拡大ミケシマさんのコメントを見て、動画から静止画(写真)を切り取って掲載させていただくことにいたしました。左方向が上流で右方向が下流になります。この辺りは水深が少し深くなっているようです。錦川の水の色はこちらのように見事な色でした。水の色と川底の色と背景の水面での反射で実現しているのだと思います。この色を見ていると右上の写真の九塞溝の水の色をクリックすると拡大思い出します。下の写真をクリックすると右の小さな写真のように動画の全幅の写真を表示するように設定いたしました。
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上の錦川の清流の動画を撮影した位置の航空写真です。画面内のマイナス()のアイコンをクリックすると前後の範囲が判ると思います。動画と同様に、こちらも左方向が上流で右方向が下流になります。

タグ:錦川 鐡道
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南桑駅の動画 錦川清流線の上り(岩国行き) [錦川清流線]

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前々記事で錦川清流線の清流みはらし駅の動画を紹介したので、次の駅の南桑(なぐわ)駅の動画を紹介いたします。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。下り(錦町行き)の動画はすでに清流新岩国→根笠の記事で紹介したので、今回の動画で往復共に紹介したことになります。乗った列車は根笠駅10時09分発南桑駅10時13分着でした。

本記事でも動画から切り取った静止画(写真)を3枚紹介いたします。遠くに錦川と反対側(右側)に南桑駅のホームが見えます。国鉄岩日線の開業と同時に南桑駅も開業いたしました。
 開業 1960年11月01日 国鉄岩日線の開業と同じ
 住所 山口県岩国市美川町南桑字南桑 現在(2006年3月20日以降)
    山口県玖珂郡美川町大字南桑  開業時(1960年11月1日)
 路線 錦川清流線(錦川鉄道)     現在(1987年7月25日以降)
    岩日線(国鉄)         開業時(1960年11月1日)
    岩日線(JR西日本)      1987年4月1日~7月25日
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駅のホームに上がってくる階段が見えます。人家は対岸側にあるので斜張橋の歩道橋を渡って乗り降りします。カジカガエル生息地が国の天然記念物に指定されているのは2ケ所で、その中の一つが今回の南桑駅周辺でした。もう1ケ所は岡山県の湯原温泉です。湯原温泉は会社に入社当時に仲間と行って川原の露天風呂に入った思い出深い場所です。
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これが南桑駅のホームです。趣のある駅のため、降りてみたくなりますが、列車から降りてしまうと次の列車は2時間40分後の12時53分発になってしまうので周防久保での墓参りが厳しくなってしまうことから下りることはできませんでした。右下の写真はwikipediaから転用させていただいたカジカガエルで、体長はオス3.5~4.4cmでメス4.9~8.5cmです。錦川の本流や支流には、日本固有種で美声で鳴くカジカガエル(河鹿蛙)が生息しています。特に、南桑付近に多く生息しており、南桑駅の上流約1.9kmから下流約9.4kmの範囲は国指定の天然記念物南桑カジカガエル生息地となっています。→ 鳴き声
クリックすると拡大  界 動物界     Animalia
  門 脊索動物門   Chordata
 亜門 脊椎動物亜門  Vertebrata
  綱 両生綱     Amphibia
  目 無尾目     Anura
 亜目 ナミガエル亜目 Neobatrachia
  科 アオガエル科  Rhacophoridae
  属 カジカガエル属 Buergeria
  種 カジカガエル  Buergeria buergeri
 英名 Kajika frog
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既に紹介した下り(錦町行き)の動画ですが、まだ見ておられない方のために掲載させていただきました。初期画面で見えている橋が南桑駅と対岸を結んでいる斜張橋の南桑橋です。


錦川清流線の前身の国鉄岩日線が開業した1960年には今のような新しいタイプの斜張橋ではなかったと思われることから、昔はどのような橋が架かっていたのか気になって調べてみると左側の写真の吊り橋でした。ちなみに昔の南桑橋が完成したのは1960年で、現在の南桑橋が完成したのは1996年です。今は右側の写真のように吊り橋の橋脚(主塔)だけが残されているようです。左側はレイルラボ(RailLab)にナカジマさんが錦川・キハ45系 - 鉄道フォトのタイトルで掲載した1987年5月2日に撮影された写真です。右側はホームページ「鉄路の響きを追って」の錦川清流線ふたたび II ~南桑駅~に掲載されていた写真です。大きな写真を見たい方は写真をクリックすると各サイトが表示されるのでオリジナルの写真を見ることが出来ます。昔の吊り橋の橋脚(主塔)をストリートビューでも探してみました。→SV1 SV2
  昔の南桑橋(1960年~1996年)      残されている橋脚(主塔)
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南桑駅周辺の航空写真を紹介します。この航空写真からも駅側に人家がないことが判っていただけると思います。ただし、国鉄岩日線が開業する以前には25分ほど山に入ったところに高左手集落があったそうですが、南桑駅と南桑橋が出来た1960年より前に人が住まなくなったそうです。高左手集落に人が住んでいたころには川を船で渡り南桑小学校(現在:美川小学校)に通っていたそうです。緑色ライン(━━ 2.844km)の部分(南桑駅の上流約1.9kmから下流約9.4kmの範囲)が天然記念物指定域なので南桑駅を中心とした地域だと判っていただけると思います。下流(右下方向)の薄緑色マーク( )のところに「かじかの滝」があります。
 青色ライン(━━) 23.5km 錦川清流線(川西駅~根笠駅) 乗車区間
 紫色ライン(━━) 9.2km 錦川清流線(根笠駅~錦町駅) 未乗車区間
 緑色ライン(━━) 2.84km カジカガエル天然記念物指定域 
 橙色ライン(━━) 1.63km 根笠駅周辺散策ルート

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カジカガエル生息地が国の天然記念物に指定されているのは2ケ所で、クリックすると拡大その中の1つが今回の南桑駅周辺(1936年指定)でした。もう1ケ所は岡山県の湯原温泉(1944年指定)です。湯原温泉は会社に入社当時に右の写真の3人で泊まって夜に川原に下りて露天風呂に入った思い出深い場所です。下の写真が泊まった時に撮った湯原温泉の写真です。右は大山の鬼女台で撮った写真で私は一番右です。
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日本固有種のカジカガエルは全国に生息していると思いますが、国が生息地を天然記念物にしているのは2ケ所だけです。その2ケ所の位置を広い範囲の地図で紹介します。
 南桑カジカガエル生息地 南桑駅周辺 1936年09月03日指定
 湯原カジカガエル生息地 湯原温泉  1944年06月26日指定
南桑の詳細解説
かじかがへるノ棲息地トシテ有數ノモノナリ かじかがへるハ本邦固有ニシテ主トシテ溪流ニ棲ミ七、八月頃玲瓏タル聲音ヲ發ス
湯原の詳細解説
カジカガエルの棲息地として有数のものなり。カジカガエルは本邦固有にして溪流に棲み5月より7月に亙り玲瓏たる声音を発す

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