SSブログ

北海道旅行の2日目の昼食は手打蕎麦 いちむら [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
積丹の赤ばふんうに丼ツアーの2日目の昼食は人気のお店の手打蕎麦にいたしました。下記のリストは2014年の蕎麦の年間生産量にあるように北海道は断トツの1位なのです。認知度は多くはないとは思いますが、蕎麦と言えば北海道と言ってもいいわけです。
私が住んでいる千葉県佐倉市の手打蕎麦屋さんでも北海道産を使っていることが多かったです。
 1位 北海道  13,000 t
 2位 長野県  2,560 t
 3位 茨城県  2,120 t
 4位 山形県  2,100 t
 5位 福島県  1,930 t
 6位 栃木県  1,660 t
 7位 秋田県  1,250 t
 8位 岩手県   934 t
 9位 福井県   911 t
 10位 青森県   684 t
  手打蕎麦 いちむら
  ニセコ髙橋牧場
 ━━ 車のルート
右上の地図にあるように羊蹄山の麓にある手打蕎麦「いちむら」で食べることにいたしました。

こちらがお店の外観です。橋を渡ってお店に入るユニークな構造のお店でした。時間は13時半だったので並ぶことなくすぐに食べれました。
クリックすると拡大

テーブル席もありましたが、2歳児もいることから奥の畳の席にさせてもらいました。
クリックすると拡大

全員、天せいろにいたしましたが、十割蕎麦と二八蕎麦を頼みました。
クリックすると拡大

こちらが十割そばです。天ぷらは揚げたてが順次出てくるので、この時点では海老とカボチャが蕎麦と一緒に出されました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大そばだけを拡大いたしました。香りの高い田舎蕎麦タイプの黒い色の十割蕎麦でした。蕎麦の色は、実のどの部分が多く入っているかで決まります。内層部は白色で、表層部が多く入るほど黒くなるのです。つまり十割蕎麦だから黒いわけではないのです。
殻付きの玄そばは、中心から外側に向かって胚芽、胚乳、種皮、殻という順で構成されています。製粉するとそばの実は、中央から割れて粉になるので最初に出てくる真っ白の粉を1番粉と呼ぶそうです。その後に出てくる順に2番粉・3番粉と呼ぶそうクリックすると拡大です。
2番粉は少し緑がかった色をしていて、3番粉は黒っぽい色をしているのです。
 1番粉 胚乳の中心部が主体
 2番粉 胚乳と胚芽が主体
 3番粉 種皮部分も製粉したそば粉
クリックすると拡大

こちらが蕎麦粉が八割の二八蕎麦です。
クリックすると拡大

こちらも蕎麦を拡大いたしました。十割蕎麦よりも細めに作られていました。のど越し重視の蕎麦でした。
クリックすると拡大

私は二八蕎麦を頼んだので十割蕎麦と一部交換させてもらいました。並べると違いが分かりやすいと思います。こちらのお店では、どちらかと言えば二八蕎麦はのど越し楽しむ蕎麦で、十割蕎麦は香りを楽しむように作られているのだと感じました。
クリックすると拡大

こちらが蕎麦と一緒に出てきた海老の天ぷらです。緑の藻塩でいただきました。
クリックすると拡大

野菜天は後から揚げたてが出されました。これで天麩羅は全てそろいました。
クリックすると拡大

お店を紹介したいと思います。
 店名 手打蕎麦 いちむら
 住所 北海道虻田郡倶知安町字山田68-4
 電話 0136-23-0603
 営業 11:00~15:00
 定休 無休 ただし1月1~3日休業


羊蹄山(えぞ富士)の麓では蕎麦の花が満開でした。
見えている山が羊蹄山です。お店から車で5分の場所にこの蕎麦畑がありました。蕎麦を食べて、すぐに蕎麦の花を見ることが出来て、想定外のラッキーでした。北海道は全国の作付蕎麦の面積の約36%を占めているそうです。収穫量は42%だそうです。
クリックすると拡大

Googleのストリートビューで同じ場所を見つけました。住所は北海道虻田郡倶知安町樺山です。お蕎麦屋さんの住所と北海道虻田郡倶知安町まで同じです。


下記のグラフは北海道の蕎麦の作付面積と生産量の推移です。Wikipediaに掲載されていたデーターからグラフを作ってみました。
さらに2016年の北海道での作付面積と生産量のトップ10の町も調べてみました。驚いたことに北海道の1位の町が長野県全体の生産量に匹敵します。
地域 作付面積 順位 地域 生産量 順位
  ha   t
幌加内町 3,440 1 幌加内町 2,550 1
深川市 2,480 2 深川市 1,380 2
旭川市 1,090 3 音威子府村 766 3
音威子府村 964 4 旭川市 586 4
沼田町 605 5 沼田町 427 5
剣淵町 516 6 共和町 352 6
北竜町 499 7 名寄市 307 7
共和町 462 8 黒松内町 249 8
新十津川町 460 9 剣淵町 248 9
名寄市 445 10 美深町 236 10
北海道全体 21,500   北海道全体 12,100  
クリックすると拡大

お店の周辺の航空写真です。いろんなレストランが集まった場所にありました。北海道は広いのでレストランが集まっているのは長年の知恵ではないでしょうか。
マイナスのアイコン( マイナス)を数回クリックするとて周囲の雰囲気が分かってもらえると思います。

タグ:蕎麦 北海道
nice!(63)  コメント(16) 

昔の板壁の家が沢山残されていました。 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
北海道旅行で、すでに紹介した赤ばふんうに丼を食べた「みさき」の前に板壁で出来た古い建物がありました。2階の窓にバッテンが付けられており使われているように見えますが、1階の2つの窓の部分に沢山の観葉植物が置かれていることから、何らかの形で活用されていると思われました。
今回、積丹から千歳まで車で走った道筋にも板壁の建物があり、車の車内から出来る限り写真を撮ってみました。本記事では、その写真を紹介します。写真が撮れたのは緑のマーク( )の①~⑦の7箇所です。
  積丹郡積丹町日司町59
 ② 古平郡古平町港町27-6
 ③ 古平郡古平町港町17
 ④ 余市郡余市町浜中町150−1
 ⑤ 余市郡仁木町大江2丁目260
 ⑥ 岩内郡共和町小沢105
 ⑦ 虻田郡留寿都村泉川
上の写真が「みさき」の前にあった①の建物です。日司漁港の前のため昔は鰊番屋(にしん番屋)として使われていたのかもしれません。参考にネットで紹介されていた鰊番屋の写真を下に転用させていただきました。
クリックすると拡大

板壁を拡大いたしました。長い間、風雪に耐えてきた板壁だと思います。クリックすると広い範囲を拡大して表示します。
クリックすると拡大

古平郡古平町港町27-6
こちらは生活の痕跡があり今でも使われているようでした。板壁の建物が奥に一軒見えるので写真の中に2軒の板壁の建物があることになります。
クリックすると拡大

古平郡古平町港町17
こちらは②の建物から200mの距離にあります。ここも板壁の建物が2軒ほど見受けられるので上の建物も併せて少なくとも4軒の建物があることになります。郵便ポストがあります。
クリックすると拡大

余市郡余市町浜中町150−1
こちらは旧余市福原漁場と呼ばれる国指定の史跡です。旧余市福原漁場は明治36年まで福原家が経営していた漁場の一部です。その後、小黒家や川内家が経営したそうです。
この旧余市福原漁場は文化庁や道の補助によって修理・復元されたものだそうです。この写真も含めて3枚の写真を紹介いたします。
クリックすると拡大

クリックすると拡大こちらは漁期の食料を蓄えていた米倉のようです。さすがニシン漁のために作られただけあり見事な米倉です。右側には石壁の建物も見受けられます。鰊漁による裕福な時代があったことを感じさせてくれます。1977年に撮られた同じ地区の米倉の写真を紹介します。
クリックすると拡大

クリックすると拡大下の写真の建物は、屋根の上に櫓(やぐら)があることから鰊番屋と呼ばれる建物と思われます。右の写真は古平郡古平町にあった八反田家番屋の屋根の上の櫓です。こちらも1977年に撮られたそうです。鰊番屋とは網元が鰊漁のために作った住居兼漁業施設で、漁夫の外船大工、鍛冶職、屋根職などが暮らし、やん衆(季節労働者)が食事をしたそうクリックすると拡大です。
大きな番屋では200人以上の人たちが寝泊まりしたそうです。鰊御殿とも呼ばれたそうです。右の写真は現存する鰊番屋の中では最大の旧花田家鰊番屋です。
クリックすると拡大

上の鰊番屋はこちらの写真から切り取りました。右に石壁の倉庫らしい建物があるのが分かってもらえると思います。北海道の鰊番屋(鰊御殿)は下記のリストの通り、沢山残されています。      ♡:公開 ♤:非公開
クリックすると拡大 ♡ 田中福松邸  小樽市祝津3丁目
 ♡ 猪俣安之丞邸 小樽市桜1丁目
 ♡ 青山政吉邸  小樽市祝津3丁目
 ♡ 青山家住宅  札幌市厚別区
 ♡ 川村家番屋  古宇郡泊村
クリックすると拡大 ♡ 武井邸客殿  古宇郡泊村
 ♡ 白鳥家住宅  石狩市浜益区
 ♡ 白鳥家番屋  小樽市祝津3丁目
 ♡ 橋本与作邸  寿都郡寿都町
 ♡ 柳谷家番屋  礼文郡礼文町 
 ♡ 余市福原漁場 余市町浜中町      国の史跡
 ♡ 花田家番屋  留萌郡小平町      国の重要文化財
 ♤ 佐藤家    寿都郡寿都町歌棄町有戸 北海道指定有形文化財
 ♤ 佐賀家番屋  留萌市礼受町      国の史跡
 ♤ 関家番屋   留萌市礼受町
クリックすると拡大

ニシン漁が盛んだったころの雰囲気を感じていただきたいので、ネットから写真を転用させていただきました。一番右上の写真はニシンの運搬に使われた木製のモッコが写っています。写真をクリックすると分ると思います。木製のモッコは積丹ブルーの海の記事の中で紹介いたしました。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

余市郡仁木町大江2丁目260
ここからは内陸部の板壁の建物です。
前記事で紹介したきのこ王国仁木店を出発してすぐにありました。距離にして3.6kmです。入口部分や窓の部分と思われるところを新しい板で塞いでいることから、今は倉庫として使っているように思われました。
クリックすると拡大

岩内郡共和町105
こちらの建物は一部だけが板壁です。複雑な建物の形なので板壁の家に普通のタイプの家を増築したように見えます。拝戸商店と思われる文字が見えます。こちらにも郵便ポストが確認出来ます。
クリックすると拡大

虻田郡留寿都村泉川
ルスツリゾート遊園地を通り過ぎてすぐにありました。距離にして1.7kmでした。住宅密集地では防火のため板壁を見ることは少ないと思いますが、広い北海道だからこそ板壁の家を沢山見ることが出来るのだと思います。
クリックすると拡大

私が3歳から10歳(小4年秋)まで、下の写真の板壁の家に住んでいたクリックすると拡大ことがあります。そんなこともあり板壁の家は懐かしいです。当時の住所は分かりませんが、現在の住所は広島市西区井口明神2丁目です。そこには男明神と女明神があり、庭の南側は直接海で右の写真のように男明神が目の前に見えました。その男明神の向こうには薄っすらと宮島が写っています。この後に神戸に引越しました。下はいずれも私が7歳の時の写真です。下の段の3枚の写真は板壁の家の縁側で撮ったものです。写真はクリックいるといずれも大きく拡大いたします。
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
タグ: 建物 板壁
nice!(84)  コメント(20) 

きのこ王国 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
上の写真は車の車内から撮った北海道のJR余市駅です。この日は積丹の宿を出発して念願の朝どりの一日限定15食の赤ばふんうに丼を食べて、積丹岬周辺を散策してた後に余市を通ってニセコ経由で長男家族の住んでいる千歳に向かいました。その時に撮った写真です。
すでに前々記事と前記事で北海道ならではのコーラ「ガラナ」やコンビニ「セイコーマート」を紹介しましたが、もう一つ紹介したいと思います。

余市からニセコに向かう道路て写真の立て看板が沢山置かれていました。そこに書かれていたのが「きのこ大国」と「夏祭り」でした。下の白地のところには「イベント終了後に撤去します。」と書かれていることから、何らかのイベントが行われていると思い、寄ってみることにいたしました。
クリックすると拡大

そのきのこ王国まで来て、広いスペースと規模の大きさに驚かされました。駐車場には沢山の車が停まっていました。雰囲気的には高速道路のサービスエリアや一般道の「道の駅」ですが、北海道だけの施設でした。その地域独自の施設として頭に浮かんだのが山口県の山賊村でした。こちらのお店は2010年4月2日にオープンしたそうです。
クリックすると拡大

日本で一番売れているきのこ汁108円(税込)をキャッチフレーズとした大きな看板が目に入ってきました。Wikipediaで施設のカテゴリーを調べると農産物販売所でしたが、農産物販売所と言うよりは食事や販売の総合施設と言った方がよさそうでした。
クリックすると拡大

きのこ王国だけあって沢山のキノコが売られていました。クリックするとわかりますが沢山の大きな椎茸が入ったパッケージが580円と、かなりお得なようです。きのこ王国は、(株)北海道名販の販売店だそうです。(株)北海道名販の販売以外の業務は、きのこ生産・きのこ加工食品製造だそうです。
クリックすると拡大

こちらがレストランです。きのこ汁だけでなくメニューも豊富でした。
クリックすると拡大

正面から撮りました。屋内で食べている人もおられますが、屋外に持って行って食べる人の方が多かったです。我々も屋外でいただきました。別のお店で昼食を食べるつもりだったので、きのこ汁だけ注文いたしました。
クリックすると拡大

天かすは無料なので、きのこ汁に入れさせてもらいました。
クリックすると拡大

右の写真のように夏祭りのイベントのテントが沢山並んでいました。テントでは金魚すくいなど子供が遊べるものや、いろんな食べ物が売られていました。長男家族はお土産も買っていました。もちろん108円のきのこ汁をいただきました。無料の天かすを沢山入れてしまったのであまり見えませんが、沢山のキノコが入っていました。このきのこ汁は年間60万食ほど売れているそうです。年間60万食は1日に換算すると1644食になります。
クリックすると拡大

きのこ王国は北海道に4ケ所ほどお店を構えているのですが、驚いたことに我々が通った道沿い(━━)およびその近くに4店( )ともにありました。我々が立ち寄ったのが余市とニセコの間にある仁木店でした。
 仁木店  北海道余市郡仁木町大江1丁目930  Open 2010年04月02日
 本店   北海道伊達市大滝区三階滝町637-1 Open   ?
 喜茂別店 北海道虻田郡喜茂別町相川157    Open   ?
 北湯沢店 北海道伊達市大滝区優徳町16-3   Open   ?


本店は道沿いにあったので車内から写真を撮ることが出来ました。こちらでのキノコ汁の価格は税抜きの100円で表示されていました。運営会社である(株)北海道名販の本社もここと同じ住所でした。
長野県にもきのこ王国いくつかあるようですが、関係はないようです。
クリックすると拡大

あとの2店は通った道の近くですが、道沿いではなかったので写真は撮れませんでした。したがってGoogleのストリートビューで紹介いたします。
 きのこ王国 喜茂別店 こちらも100円表示のようです。


 きのこ王国 北湯沢店 こちらも100円表示のようです。
この店舗にだけ、きのこ狩りの看板があることから、この場所にきのこ王国のキノコの生産工場があるようです。地図の中に大滝地熱きのこ生産組合の表示があり、2kmほどの距離に北湯沢温泉があることから温泉(地熱)がきのこの栽培に活用されていたのかもしれません。今も活動しているかどうかは確認できていません。

nice!(76)  コメント(16) 

北海道のコンビニはセイコーマート(Seicomart) [北海道]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
コンビニと言えばセブイレブン、ローソン、ファミリーマートですが、今回の北海道旅行で初めて知った状況は違っていました。2日間で420kmほど車で走りましたが、ほとんど、この3大コンビニを見ることがありませんでした。その代りに沢山見かけたのが、上の写真の Seicomart (セイコーマート)でした。
今回の写真は積丹で一日15食限定の赤バフンウニ丼を食べて積丹岬周辺散策した後、余市からニセコを通って千歳に戻ってくるまでの道沿で撮りました。

今回は札幌などの大きな町の中を通らなかったために3大コンビニが少なかったのではないかとネット調べてみましたが、実際の印象の通りでした。下の図のように北海道でのコンビニの店舗数が一番多かったのがセイコーマートでした。つまり北海道でコンビニと言えばセイコーマートだったのです。地図で分かるように3大コンビニ以外が、トップになっているのは北海道以外はありませんでした。ファミリーマートにはサークルKとサンクスを含めています。
これは北海道が日本の総面積の22%の面積がありながら、人口は4.2%しかいないことが関係しているのだと感じました。北海道は人口10万人あたりのコンビニの数は54.69店舗と、全国トップなのも面積が広いことと人口密度が低いことが関係しているようです。ちなみに全国平均は44.81店舗です。
 北海道    5,348,102人(4.208%)  83,423.82km²(22.071%)
 日本全体 127,094,745人       377,972.28km²
日本の48都道府県の1位から3位の内訳は次のリスト通りです。3位が47都道府県しかないのは沖縄はファミリーマートとローソンだけで3位のコンビニがないからです。1位を地図に色分けしたのが下の画像です。
コンビニ 1位 2位 3位
セブンイレブン 24 9 14
ファミリーマート 15 27 5
ローソン 8 11 28
セイコーマート 1 0 0
セーブオン 0 1 0
合計 48 48 47
クリックすると拡大

別の場所で撮ったセイコーマートの写真も紹介します。
セイコーマート(Seicomart)は北海道で店舗数でトップで、全国的には6位のコンビニエンスストアーです。北海道以外には茨木県と埼玉県にテンポを展開しています。つまり1道2県のみで全国6位であることから北海道がいかに強いかが分かってもらえると思います。1号店が開店したのは1971年8月10日です。これはセブン-イレブンの1974年5月15日やローソンの1975年6月14日よりも早かったのです。運営会社である(株)セイコーマート Seicomart は2016年4月1日に(株)セコマ Secoma に商号変更されました。店舗数は2017年7月末
クリックすると拡大クリックすると拡大 北海道 1084店
 茨城県   86店
クリックすると拡大 埼玉県   13店
 合計  1183店
クリックすると拡大

広い範囲の写真で雰囲気を紹介します。店名と住所を調べてみました。
 店名 セイコーマート余市浜中店 
 住所 北海道余市郡余市町浜中町106-3
クリックすると拡大

下記のグラフは全国上位9社の北海道での店舗数の比率です。今回走った範囲で見た印象よりはセブンイレブンの比率が多かったのは、札幌などの大きな町では状況が違うのかもしれません。上位9社の内5社は北海道に店舗を展開していないことも判りました。店舗数は2017年5月末ですが、セイコーマートのみ2017年7月末です。ファミリーマートには旧サークルK とサンクスが含まれています。全国的には新規出店を続けている大手3社ですが、最近の北海道への出店は非常に少なくなっているようです。
クリックすると拡大 順位 チェーン      全国   北海道
  1 セブンイレブン  19044店  963店
  2 ファミリーマート 18240店  245店
  3 ローソン     12557店  637店
  4 ミニストップ    2227店   0店
  5 デイリーヤマザキ  1464店   0店
  6 セイコーマート   1183店 1084店
  7 ポプラ        473店   0店
  8 スリーエフ      438店   0店
  9 セーブオン      413店   0店
  - 上位9社の合計  56039店 2929店


セイコーマートの北海道内の店舗数の推移も紹介します。1971年に1号店が開店して以来、伸び続けています。人口密度が小さく、さらに人口当たりの店舗数はすでに日本で一番多くなっている北海道で、店舗を伸ばしてきたのは資本力ではなく、地域に合わせた心と知恵(頭脳)なのかもしれません。


クリックすると拡大気になっていた店内の商品の写真をネットから転用させていただきました。転用記事はこちらです。→ポチッ
総菜など品数が豊富なのが特徴のようです。どうやら値段も安いようなので、広い北海道だからスーパー代りにもなるのではないかと感じました。記事を書いていた人は、右の写真のさえりさんです。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

羊蹄山の近くを走っている時に、ハマナスクラブと言う名のコンビニもありました。元は全国で3000店舗ほど展開していたスパー(SPAR)ですが、北海道以外では姿を消してしまい、唯一SPARの看板が残されていた北海道スパーも2016年8月末に営業を終了したのを機会に、セイコーフレッシュフーズが引き継いでハマナスクラブとして残ったそうです。約50店舗のお店があるそうです。その50店舗の一つの写真を撮ったことになります。
 店名 ハマナスクラブ真狩店
 住所 北海道虻田郡真狩村真狩121-7
クリックすると拡大

今回の写真を撮ったルートです。今回のツアーで通った道沿いの町にあるセイコーマートの位置にオレンジマーク( )をプロットいたしました。
冒頭のセイコーマートは一番左上のマークで、店名と住所は次の通りです。
 店名 セイコーマート美国店
 住所 北海道積丹郡積丹町美国町船澗72
北海道全体にプロットされている方もおられました。→ポチッ
 セイコーマート
 ハマナスクラブ


クリックすると拡大2017年の全国上位9社の出店状況を示した図がネットに提供されていましたので紹介させていただきました。図をクリックするとオリジナルを表示します。北海道は4社で沖縄は2社のみの出店です。ファミリーマートとローソンのみが全県に出店しています。人口当たりの店舗数の偏差値を色分けして表示してるのでそれぞれのコンビニチェーンが重点的に展開している地域が分かると思います。
 セブンイレブン     ファミリーマート    ローソン
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
 ミニストップ      デイリーヤマザキ    セイコーマート
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
 ポプラ         スリーエフ       セーブオン
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

 偏差値の計算式 :
  計算例(店舗数)
  セイコーマート Ti
   北海道 118.3
   茨城県  54.0
   埼玉県  49.2
    N=48  X1=1084 X2=86 X3=13 X4=0 .....X48=0
    μ=24.64583333  σ=155.0178067
nice!(83)  コメント(26) 

北海道でコーラと言えばキリンガラナ [北海道]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事で北海道ならではの道路の景色や設備を紹介しました。北海道に住んでいる人には当たり前のことでも、関東に住んでいると知らないことが多いことを知りました。
今回の記事も、私が今まで知らなかった北海道のことです。私にとってコーラ(飲料)と言えばコカコーラでしたが、北海道では上の写真のキリンガラナなのです。北海道ではコカコーラはあまり見かけなくて、このキリンガラナが大きなシェアーを占めていることを知りました。飲んでみると味は少しコカコーラとは違いますが、まさにコーラでした。ただし、調べてみるとコーラとガラナは別の原料で別の起源を持つ炭酸飲料であることが分かりました。コカコーラは、元々はコーラの種子のエキスを使った炭酸飲料でしたが、現在はパッケージの原材料名を見れば分かるようにコーラの種子は使われておらず、香辛料等で味を作り出しているそうです。ほとんどの人がコーラ特有の風味だと認識するのはバニラやシナモンだそうです。
コカコーラに対してキリンガラナは今でもガラナの種子のエキスが使われていることが大きな違いでした。ガラナ飲料を販売しているメーカーのサイトによれば、ガラナ飲料と位置付けられる世界中のさまざまなブランドを総合計すると、世界で4番目に多く消費されている飲料だそうです。

下記に、それぞれの特徴を記載いたします。原料はパーケージに原材料名として公表されている内容です。内容は一つを除いて同じ記載内容でした。その唯一の違いはキリンガラナにはガラナエキスが書かれいていることでした。それも右の写真のようにガラナエキスは2番目に書かれているということは、主な味はガラナエキスだと思えました。
    コカコーラ           キリンガラナ
 現在 炭酸飲料            ガラナの実を利用した炭酸飲料
 起源 アフリカ コーラの種子     ブラジル ガラナの種子
 発明 アメリカ コカコーラ社     ブラジル アンタルチカ社
 原料 糖類(果糖 ぶどう糖 液糖 砂糖) 糖類(果糖 ぶどう糖 液糖 砂糖)
    -               ガラナエキス
    カラメル色素          カラメル色素
    酸味料             酸味料
    香料              香料
    カフェイン           カフェイン
クリックすると拡大

元々の原料となった植物を紹介いたします。植物の図はWikipediaに掲載されていたものです。
分類 コーラ Cola ガラナ Guarana
植物界 Plantae 植物界 Plantae
被子植物門 Magnoliophyta 被子植物門 Magnoliophyta
双子葉植物綱 Magnoliopsida 双子葉植物綱 Magnoliopsida
亜綱 ビワモドキ亜綱 Dilleniidae
アオイ目 Malvales ムクロジ目 Sapindales
アオイ科 Malvaceae ムクロジ科 Sapindaceae
コラノキ属 Cola ガラナ属 Paullinia
約125種の総称 ガラナ Paullinia cupana
IMG_4146-50.JPGIMG_4146-50.JPG
IMG_4146-50.JPGIMG_4146-50.JPG

Wikipediaに書かれているガラナ飲料とコーラ飲料の内容を転記いたしました。
 ガラナ飲料 - Wikipedia
アマゾン流域に野生する植物ガラナは、先住民のマウエー族やムンズルクー族などのインディオにとって、古くから薬用品・滋養飲料として愛用されていた。これに目をつけたのがアンタルチカ社で、20世紀の初頭にガラナの種実特有の渋味と苦味を取り除くことに成功し、ガラナ飲料の生産に着手した。当初、泡が立つ飲料のために「ガラナ・シャンペーン」と銘打って、1921年に生産を開始した。またライバルのブラーマ社なども同じくガラナ飲料を販売した。以後、ブラジル国民に支持されつづけ、現在では、ブラジルを始めとする世界中の多くの国でガラナ飲料が生産・販売されている。現在、ガラナ飲料は世界で4番目に多く消費されている飲料にランクされている。なお、後にアンタルチカ社はブラーマ社と合併してアンベブ(AmBev)社となり、さらにベルギーのインターブリュー社と合併して、現在はインベブ社となっているが、アンタルチカやブラーマはブラジルのビールやガラナのブランドとして、その名を残している。
日本では1958年、アメリカのコカ・コーラに対抗するため、全国清涼飲料協同組合連合会が開発した。特にコカ・コーラの製造が他の都府県に比べ遅かった北海道では、コーラ飲料より一足先に普及した。全国をコカ・コーラ等大手飲料水メーカーが席巻し都府県の中小飲料メーカーが廃業する中でも、北海道では根強い人気を持ち、その名残として未だに中小メーカーや大手飲料メーカーが北海道限定品として販売している物が多い。
 コーラ飲料 - Wikipedia
コーラ (Cola) という名称は当初コーラの実 (kola nuts) から抽出したほろ苦い味のコーラ・エキスを用いていたことに由来しているが、現在ではコーラの実は含まれていないのが一般的であり、香味料の主成分は砂糖やシトラスオイルクリックすると拡大(オレンジ、ライム、レモン等の皮から)、シナモン、バニラ、その他酸性のものとなっている。複数あるコーラ飲料製造社ではこれらの香味料以外にその会社独自の香味料を加えることで独自の製品として開発している。そうした香味料の中にはナツメグやラベンダー、その他幅広い成分が含まれることがあるが、ほとんどの人がコーラ特有の風味だと認識するのは依然としてバニラやシナモンである。安価なコーラ飲料の中には、このようなバニラやシナモンといった香味料のみで製造されているものもある。
また、酸味の多くはリン酸由来のものであり、商品によってはクエン酸やその他の酸を含む。 コカ・コーラ社の調味法が秘密とされていることが有名であるように、多くのコーラには厳重な保護のもと、その製造社独自の調味法を用いている。
キリンガラナもコカコーラも、気になるカフェインは両方ともに500mlあたり45mgでした。参考ですがコーヒーは60~100mg/180mlで、紅茶は約30mg/180mlです。カフェインの1日あたりの許容摂取量を記載いたします。国などで違いがあるので低い値を採用いたしました。
 健康な大人   300mg
 妊婦      100mg
 子供      2.5mg/kg体重  
 半数致死量   200mg/kg体重 体重60kgの人:12,000mg(12g)
nice!(72)  コメント(18) 

北海道ならではの道路の景観 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
北海道らしい道路の景観を紹介します。北海道と言えば寒い場所との印象ですが、日本海ほどの豪雪との印象はありませんが、道路わきに建っている下向きの矢印()を見ると、やはり雪が多い地域であることを実感いたしました。この道路の両脇に立てられている矢印は通称「矢羽根」とよばれていますが、正式名は「固定式視線誘導柱」だそうです。
建築基準法で、積雪荷重として定められている積丹町の垂直積雪量は150cmでした。北海道のなかで数値が一番大きいのは幌加内町(250cm)でした。次に数値の大きい230cmし6町村で代表的なのがニセコ町です。
一番数値が小さいのは60cmで日高地方の、えりも町と門別町と新冠町と新ひだか町と様似町と浦川町と日高町の中の旧門別町の7つの町でした。
離島を除く東京都は30~40cmです。ちなみに東京都の離島は5~20cmです。

この矢羽根は北海道らしさを感じる風景のひとつで、今回は上の写真のような赤白の矢羽根を多く見ました。ところが下の写真のように黄黒の矢羽根も見かけました。何かの意味があって使い分けられているのか、状況を比べてみましたが思い当たることがありませんでした。調べてみると、単に統一されていなだけでメーカーにより異なるようです。夜間でも分かるようにLEDランプで出来た矢羽根がありました。右上の5枚の内、赤白の3枚はLEDが組み込まれていました。
矢羽根は道路の境界を示す標識で、雪のために外側線(白いライン)が見えなくても矢羽根のおかげで路肩を意識して走ることができます。吹雪や霧などの視界不良時にも役に立ちます。
クリックすると拡大

今回、初めて気が付いたのが写真の左側に並んでいる設備です。防風のための設備と感じましたが、調べてみると「防雪柵」と呼ばれるものでした。風を利用して道路上の雪を吹き飛ばす設備だそうです。軽くてさらさらした雪の北海道だから可能な設備なのだと感じました。用途によって「吹きだめ柵」「吹き止め柵」「吹き払い柵」「吹き上げ防止柵」の4タイプがあるそうです。
クリックすると拡大

ここの防雪柵では羽が全て上げられていました。
防雪柵の羽は角度を変えたり、位置を変えたり出来るようです。夏期に収納できるタイプもあるようです。
クリックすると拡大

もう一つ、北海道らしい道路の設備を紹介します。ただし、こちらの写真は今回のツアーで撮ったものではなくて、2010年3月27日に小樽に行った時に撮った写真です。この日に北海道に来て空港でレンタカーを借りて、千歳のホテルに帰るところでしたが、猛吹雪となり、視界が悪くなったのですが、道路の両側に立てられた緑と赤(オレンジ)のランプのおかげで、小樽観光をした後になんとか走ることが出来ました。
クリックすると拡大こちらは視線誘導灯と呼ばれているそうです。
中央分離帯側が赤(オレンジ)のランプでした。時間は16時ごろですがこの後、右の写真のように視界はさらに悪くなりました。下の写真はランプが3つまで見えますが右の写真は、一番近いランプしか見えません。
クリックすると拡大

kyonさんからのコメントをいただいたので竪型の信号の写真を紹介します。赤ばふん生うに丼を食べたお店「みさき」まで2kmの場所の信号です。写真の右下に「みさき」と「中村屋」の看板があるのが分かってもらえると思います。
クリックすると拡大

一枚だけでは実感がわかないと思い信号が写った写真から切り取りました。確かに横型の信号は一枚もなかったです。kyonさんのコメントにあるように積雪面積を減らす工夫だそうです。右側の2枚の写真をクリックすると分ると思いますが、最近の縦型信号機は一番上の赤のツバだけは長めで、下2つのツバは短い工夫もされているそうです。ランプの順番は上から「赤」「黄」「青」です。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

クリックが面倒な方のために、上の4枚の右上の写真の信号の部分を拡大いたしました。一番上の赤のツバだけ長いのが分かってもらえると思います。背景の山は羊蹄山(蝦夷富士)です。この信号機の住所は表示されているように北海道虻田郡倶知安町 南11条東1丁目です。信号の位置→ポチッ
クリックすると拡大
タグ: 道路 北海道
nice!(83)  コメント(24) 

積丹からの帰り道で最初に寄ったのは人気のホームメイドアイスクリーム店 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
すでに報告させていただいた通り、朝早く記帳して一日15食限定の朝どり赤ばふんうに丼を食べた後に積丹岬の近くにある島武意海岸(しまむい海岸)と積丹出岬灯台で積丹ブルーの海を見ました。
積丹出岬灯台からの最初に向かったのが、上の写真のアイスクリームが食べれる積丹で有名なお店でした。

下記の地図で青色ライン(━━)が島武意海岸(丹出岬灯台)から長男家族の住む千歳までの車で走ったルートです。ルートの終着点(B)は、その晩の夕食の食材を買うために寄った北海道の海産物の調達を行った「うおはん」です。積丹出岬灯台の駐車場(A)からアイスクリームのお店までの距離は12.6kmでした。下記の積丹出岬灯台( )から、うおはん( )までのマーク( )の場所に立ち寄りました。
 積丹出岬灯台
 ホームメイドアイスクリーム店
 きのこ王国     きのこ汁
 いちむら      手打蕎麦
 ニセコ髙橋牧場   羊蹄山の景色
 うおはん      夕食用の海産物の調達
 みさき       赤ばふん生うに丼


雷電国道(国道229号線)から見える右側の建物がアイスクリーム店で左側のお店が、レストラン・グリーンホリデーです。
地域にある雷電山、雷電岬、雷電温泉、雷電海岸などの地名から雷電国道の呼び方が通称となったようですが、その元となった雷電の名前の由来は相撲の力士名とは関係なく、アイヌ語のようです。アイヌ語の「ライニ(枯れ木)」や「ラエンルム(低い出崎)」が語源となったとの説が有力ですが、源義経や武蔵坊弁慶にまつわる伝説の中の「来年」が語源との説もあります。
クリックすると拡大同じ敷地にあるのでグリーンホリデーがアイスクリーム店を経営しているのではないかと感じました。レストランでは右の写真の生うに丼が食べれました。道路からの写真は撮っていなかったので、本写真はGoogleのストリートビューを利用させてもらいました。


こちらが私が撮ったホームメイドアイスクリーム店の写真です。
 店名 ホームメイドアイスクリーム(グリーンホリデー)
 住所 北海道積丹郡積丹町婦美町535
 電話 0135-44-2411( グリーンホリデー)
 営業 夏季:9:30~18:30 通常:10:00~17:30
 定休 第1、第3木曜日 ただし夏期は無休
クリックすると拡大

手作りアイスクリームはシングルとダブルがありました。我々はシングルを頼みました。ソフトクリームはジャムをトッピングするようです。
クリックすると拡大

手作りアイスクリームの種類は10種類以上ありました。その中で地元らしいアイスクリームを聞くと、イチゴとカボチャとルバーブとキイチゴ(木いちご)などの名前を教えてもらったのでカボチャとルバーブとキイチゴを注文いたしました。これ以外に、バニラ、あずき、バナナ、コーヒー、チョコマーブル、ラムレーズン、ザバリオーネの名前が記憶に残っています。
クリックすると拡大

こちらがカボチャのアイスクリームです。私が注文したのはキイチゴでしたが、こちらも味見をさせてもらいました。最も特徴のある味で、カボチャがこんなにも美味しいアイスクリームになることを教えてもらい衝撃的でした。もし、人に薦めるとしたら「これだ」と言う感じでした。
クリックすると拡大

クリックすると拡大これがルバーブのアイスクリームで、独特の酸味が美味しかったです。これは果実ではなく茎なのですが、独特の酸味に驚かされるアイスクリームです。右の写真は我家の近くでルバーブをいただいた時に撮ったルバーブの茎の部分です。
クリックすると拡大

クリックすると拡大冒頭の写真を再度掲載いたします。これが私の注文したキイチゴ(木いちご)のアイスクリームです。他ではなかなか味わえないアイスクリームなので値打ちがありました。もちろん見ての通り美味しかったです。右の写真が木イチゴですが、熟すと濃い色になるようです。
クリックすると拡大

近くの牧草地の景色です。北海道の雰囲気が伝わてきました。アイスクリーム店から、この牧草地まで6.5kmの距離です。
クリックすると拡大

お店の航空写真です。マイナスのアイコン( マイナス)を5回クリックすると黄金岬も出てきて周囲の雰囲気が分かってもらえると思います。

nice!(75)  コメント(16) 

醜いアヒルの子が逆転を夢見る(미운오리새끼 반전몽아)  オレンジマーマレード(오렌지 마말레이드) [歌]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
IMG_4020-50.JPG
北海道の積丹の記事を続けたので一休憩です。
先日、BS-TBSで珍しい韓国ドラマが放送されていました。珍しいと思った理由は、ドラマの前半が時代劇で、後半が現代劇であったことでした。前半が時代劇でありながらタイトルにオレンジ・マ-マレード(Orange Mamalade)が使われていたのも珍しいく、不思議に感じました。
 物語タイトル  オレンジ・マーマレード(오렌지 마말레이드)
 第1話~第5話  朝鮮王朝時代  横笛と剣  吸血族と吸血鬼
 第6話~第12話  現代      ギター   バンパイア(吸血族)
ドラマの中の挿入歌を4つ紹介します。1つが朝鮮王朝時代で使われていたもので残りが現代の部分で使われていました。着色のハングル文字をクリックすると主題歌や歌の動画を表示します。
 韓国語 반전몽아 아프다 그랬다면   끌리는여자  너에관한기억 
 日本語 反転夢児 痛い  そうしたなら 惹かれる女  あなたの記憶
 時代  現代   現代  朝鮮王朝時代 現代     現代

ドラマの上の挿入歌で最も大切な意味を持っていた歌が반전몽아でした。반전몽아のネット内で使われている日本語名は「反転夢児」あるいは「反転夢」でしたが、私だけでなく日本人にはピンとこない呼び方でした。読み方は「はんてんむじ」あるいは「はんてんゆめじ」でしようか。今はThe Dreamerと呼ばれていて日本語に訳すとしたら「夢を見る人」になるのかもしれません
この歌の字幕で最も大切なフレーズ「醜いアヒルの子逆転を夢見る」でも分かるように、反転ではなく逆転が日本語に合う言葉なのです。つまり「反転夢児」の意味は「逆転を夢見る若者達」だったのだと思います。私が歌に名前を付けるとしたら「逆転を夢見る」となったのかもしれません。主役の女性は歌が上手だと感じて調べてみたら本物の歌手でした。韓国のアイドルグループであるAOAの一人ソリョン(설현)が主役を演じていたのです。
 歌名  반전몽아 The Dreamer
 日本名 反転夢児 逆転を夢見る
 歌手  AOA(에이오에이)のソリョン(설현)
      ジミン  지민 (JIMIN)
      ユナ   유나 (YUNA)
      ヘジョン 혜정 (HYEJEONG)
      ミナ   민아 (MINA)
      ソリョン 설현 (SEOLHYUN) ドラマ主人公
      チャンミ 찬미 (CHANMI)
 作詞  정예경、 정수근
 作曲  정예경


こちらが日本語字幕の歌詞を書き写したものです。右の写真はテレビ画面から字幕の部分を切り取ったものでクリックするとテレビ画面を表示いたします。
 歌詞(韓国ドラマ:オレンジマーマレードの字幕スーパー)
IMG_4020-50.JPG  毎日 四角い鳥かごに閉じ込められて
  自分の生き方を疑問に思っていた
  ひねくれてやる 意地になってやる
IMG_4020-50.JPG  何か見せてやる 私は変わって見せる
  嫌なことも小言も もうお断り
  私が好きな私の姿が 風変わりで嫌われても
IMG_4020-50.JPG  醜いアヒルの子逆転を夢見る
  翼を広げ 舞い上がる
  言いたいことは言う できるだけカッコよく
  これが私よ 少し違っていてもいい
IMG_4020-50.JPG  私らしく生きるわ ありのままで
  私のどこが悪いの 頑張っているわ
  私は私よ
  周りと違うことがダメだと簡単に言わないで
IMG_4020-50.JPG  醜いアヒルの子逆転を夢見る
  翼を広げ 舞い上がる
  言いたいことは言う できるだけカッコよく
IMG_4020-50.JPG  今から変わるわ 大逆転よ
  これが私なの
IMG_4020-50.JPG

上の動画はドラマの中の歌と同じ時間の2分22秒でしたが、フルの歌は3分17秒のようです。その韓国語の歌詞は次の通りです。
 歌詞(韓国語)
  어제도 오늘도 네모난 새장 속에 갇혀서
  왜 이러고 사는지 참 알쏭달쏭해
  삐뚤어질 거야 삐딱해질 거야
  뭔가 보여줄 거야 난 달라질 거야
  지겨운 건 그만 잔소리도 그만
  내가 좋은 내 모습은 유별나서 미움 받는다 해도
  상관 말고 살아 될 대로 되라지
  오늘 하루가 끝인 것처럼
  마음 놓고 뛰어
  숨이 벅차 올라 죽을 것처럼
  내가 원하는 곳 끝까지 가볼래 난
  시작할래 난 이제부터야
  다른 건 틀린 거라고 쉽게 쉽게 말하지
  초 치고 재를 뿌려도
  내가 중요해 난 남들이 뭐래도
  괜찮아 잘 될 거야
  미운오리새끼 반전을 꿈꾼다
  날개를 펼쳐 날아오른다
  할 말은 할거야 최대한 멋지게
  이런 게 나야
  조금 달라도 돼 조금 틀려도 돼
  난 나대로 살 거야 나 원래 생긴 대로
  내가 뭐 어때서 잘 하고 있어 난
  난 나야
  다른 건 틀린 거라고 쉽게 쉽게 말하지
  미운오리새끼 반전을 꿈꾼다
  날개를 펼쳐 날아오른다
  할 말은 할거야 최대한 멋지게
  이제부턴 다를 거야
  대반전이야
  내 맘이야


ネット内で日本語も紹介されていました。驚いたことにGoogle翻訳で韓国語から日本語に翻訳してみると全く同じ日本語でした。→ポチッ
大切なフレーズ「미운오리새끼 반전을 꿈꾼다」は「醜いアヒルの子反転を夢見る」となっていました。つまり本来の趣旨の意味の「逆転」ではなく「反転」と訳されていたのでした。さらに字幕スーパーでは「醜いアヒルの子」が主語になって夢を見るのに対して、ここでは「が」→「の」のために違う意味になっているのです。ドラマのタイトルであるオレンジ・マーマレードはみんなで結成した演奏グループの名前です。
 歌詞(日本語Google直訳)
  昨日も今日も四角い檻の中に閉じ込められて
  どうしてこうして生きているのか本当にはっきりして
  デコボコになるんだ斜めになるよ
  何か見せてくれるだろう私は変わるんだ
  退屈なのは止めて小言もつい
  私が良い私の姿は、一風変わって憎まれても
  かまわずに生きて勝手にしろ
  今日一日が最後であるように
  安心してどきどきする
  息がいっぱいになって死ぬように
  私が願う所の末まで行ってみる。私は
  始めてくれる私はこれからだよ
  他のことは間違ってたのと簡単に簡単に言うだろう
  味つけして灰を投げても
  私が大事、私は人が何と言っても
  大丈夫だ、きっとうまくいく
  醜いアヒルの子反転を夢見る
  羽を広げて飛び上がる
  言うべきことはする最大限きれいに
  こんなのが私だよ
  少し違っても、なって違ってもいい
  私は私なりに生きる私、元々生まれつきまま
  私が何どうだよくしていた
  私は私だよ
  他のことは間違ってたのと簡単に簡単に言うだろう
  醜いアヒルの子反転を夢見る
  羽を広げて飛び上がる
  言うべきことはする最大限きれいに
  これからは違うよね
  大反転だよ
  私の勝手だよ


参考のためにドラマ(第1話)をフルで紹介します。
吸血鬼(バンパイヤ)と人間のドラマを描いた物語です。最初と途中にCMが入るので我慢して見てください。
 http://dai.ly/x5hhsuj
 http://dai.ly/x5hkjek


オレンジ・マーマレードは、同じ名前の人気ウェブ漫画を原作にしたファンタジーロマンスドラマです。人間とヴァンパイアが共存する社会で、少数派のヴァンパイアたちが生き残るために奮闘する姿を描いたストーリーです。下記は400年前の朝鮮王朝時代と現在の相関図です。主人公の二人が朝鮮王朝時代と現在の不思議な関係で結ばれていたのです。
IMG_4020-50.JPG

物語での朝鮮王朝時代と現代を結ぶキーワード「あなたの記憶」をテーマにした挿入歌너에관한기억を紹介します。너에관한기억の日本語訳はずばり「あなたの記憶」です。


朝鮮王朝時代(第1話~第5話)の挿入歌「そうしたなら(그랬다면)」です。

nice!(69)  コメント(12) 

積丹出岬灯台 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事で島武意海岸の積丹ブルーの景色を紹介しましたが、その場所から0.3kmで積丹出岬灯台の近くの展望デッキ(展望台)に行けると案内板の地図に書かれていました。その先も遊歩道は続いているのですが0.3kmならば2歳児が歩いて行けると考えて、積丹出岬灯台まで行ってみることにいたしました。その積丹出岬灯台が上の写真です。灯火の海抜は141.0mで地面から灯火までの高さは10.6mであることから出岬の灯台が建てられている地面の標高(海抜)は130.4m(=141m-10.6m)となります。トンネルを抜けた島武意海岸・展望台の標高が70mであることから、そこから60m登ってきたことになります。
 灯台名  :積丹出岬灯台(しゃこたん・でみさき・とうだい)
 所在地  :北海道積丹郡積丹町入舸町 (出岬)  〒046-0327
       Irikacho, Shakotan, Shakotan District, Hokkaid?
 光度   :実効光度9.9万カンデラ
 光達距離 :19.5海里(36.1km) or 21.0海里(38.9km)
 塗色構造 :白赤横線塔形
 灯質   :単閃白光 毎5秒に1閃光
 灯火海抜高:141.0m
 灯火地上高:10.6m
 塔高   :13.0m
 地面標高 :130.4m(=141.0m-10.6m)
 岬ピーク :134m
 点灯年月日:1965年12月22日
 改築年月日:1987年12月

灯火部分を拡大いたしました。クリックすると3倍(面積で9倍)の大きさの拡大写真を表示します。52年間、積丹の海の光となってきた灯火です。こちらは遠くから見ると5秒間隔でひかります。発光間隔は灯台毎に定められていて、その違いからどの灯台であるか判断できるようになっているそうです。したがって近隣にある灯台の光り方(灯質)は全て異なっています。
クリックすると拡大

灯台レンズの部分を拡大いたしました。灯台レンズの等級により分類されているようです。塔頂までの高さとの相関関係からレンズ直径は30cmで、この写真ではレンズは陸方向に向いているため回転灯器と想像されることから中型灯台に分類されるのだと思います。
 大型灯台 第1~3等レンズ     or 90,120cm回転灯器
 中型灯台 第4~5等閃光レンズ   or 30,40,60cm回転灯器/キセノン灯器
 小型灯台 第5~6等不動閃光レンズ or 37.5cm以下の無等不動レンズ
ちなみに現存する第1等灯台(レンズ径184cm)は次の5つです。
 犬吠埼灯台(千葉県)、経ヶ岬灯台(京都府)、出雲日御碕灯台(島根県)、
 室戸岬灯台(高知県)、角島灯台(山口県)
クリックすると拡大

上の写真とは反対側から撮った灯火部分の写真です。
こちら側にもレンズが付いています。この時のレンズは、東北東と西南西の方向で止まった状態でした。
クリックすると拡大

これが灯台の展望デッキ(展望台)か灯台までが0.3kmと書かれていた案内板の地図です。
クリックすると拡大

最初は2歳児も歩いていましたが、すぐにおんぶとなりました。そして実際に歩き始めてすぐに0.3km(300m)ではないことが分かりました。さらに高低差60mの急坂は2歳児は厳しかったのです。さらに抱っこにもなりました。帰りは下り坂なので全部ではないけれども結構歩いていました。この道では単独で来ている何組ものアジア系の外国人の家族に出会いました。



Google航空写真で距離を測ってみました。駐車場から積丹出岬展望台までの距離は627m(━━)で、駐車場からトンネル入り口までが58mのため、トンネル入口から灯台までは569m(=627m-58m)もあったのです。569m進んで60m上るということは平均で10.5%の傾斜なので、幼い子にはきついことが分かってもらえると思います。
灯台から展望台までが43mなのでトンネル入口から灯台までは526m(=627m-58m-43m)となります。0.3kmがどちらの表示だったとしても2倍近い距離でした。しかし0.3kmと書かれていたおかげで、今回の積丹出岬灯台を見ることが出来たのでした。灯台の名前の頭には積丹が付いていますが、岬の名前は積丹出岬ではなく単に出岬です。
  出岬
 積丹出岬灯台
 積丹出岬灯台・展望台 海抜130m
 島武意海岸・展望台  海抜70m
 駐車場
 ━━ 遊歩道 駐車場→積丹出岬・展望台(展望デッキ)
 ━━ 島武意海岸トンネル


2歳児を連れて積丹出岬灯台まで来た証拠写真です。ここでも抱っこでした。展望デッキ側から見た積丹出岬灯台です。
クリックすると拡大

ここから下に見える海岸も島武意海岸(しまむい海岸)でした。この建看板で初めて島武意を「しまむい」と呼ぶことを知りました。
クリックすると拡大

こちらは標高130.4mの展望デッキ(展望台)です。ここからの眺望もすばらしかったので紹介したいと思います。2歳児は柵の外側に行きたがって困りました。
クリックすると拡大

さすがに真下の浜辺は見ることが出来ませんでしたが、海が広がっていて130mの高さからの景色だと実感いたしました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大こちらは東方向の景色です。このあたりには無名の岬が沢山ありますが目の前の岬も無名だと思います。この岬に隠れて見えませんが岬の向こう側に女郎小岩やピリカ峠があります。右の写真が案内板にあった女郎小岩です。
クリックすると拡大

岬の周辺は緑に囲まれていました。遊歩道が続いていて、ここからさらに進むと女郎小岩を見ることが出来るようです。
クリックすると拡大

積丹ブルーを実感してもらうために岩礁のあたりを拡大いたしました。
クリックすると拡大

岬の先をズームすると漁船らしき船が見えました。この岬の先辺りは昔から伝説の地で、アイヌ語ではシケヲシヨラウスと言うそうです。意味は「大きく削られた入江の中に佇むもの」だそうです。
クリックすると拡大

西方向には積丹岬(シャコタン岬)があります。海の向こうに神威岬(カムイ岬)も見えました。神威岬と積丹岬は先日紹介した黄金岬と合わせて積丹三大岬と呼ばれています。積丹岬より上に水平線があるので積丹岬より、この場所の方が高いことが分かります。
クリックすると拡大

上の写真を拡大して見ると、辛うじて神威岬灯台が確認出来ました。
防波堤の灯台を除いて、北海道の灯台は93基あります。それに対して岬が多い積丹半島(積丹郡+古宇郡+古平郡+余市郡)には、不思議なことに神威岬灯台と積丹出岬灯台の2基の灯台だけなのです。下の写真をクリックすると同じ縮尺で広範囲を表示します。この景色も積丹出岬灯台付近から見える景色なのです。積丹出岬灯台から神威岬灯台までの直線距離は11.7km(Google地図)です。右の2枚の小さな写真はWikimediaなどから転用させていただきました。
クリックすると拡大 灯台名  :神威岬灯台(かむいみさき・とうだい)
 所在地  :北海道積丹郡積丹町神岬町草内
 光度   :37万カンデラ(実効光度17万カンデラ)
 光達距離 :21.0海里(38.9km) or 23.0海里(42.6km)
クリックすると拡大 塗色構造 :白地に黒横帯1本塔形
 灯質   :単閃白光 毎15秒に1閃光
 灯火海抜高:82.0m
 灯火地上高:10.2m
 塔高   :11.0m
 地面標高 :71.8m(=82.0m-10.2m)
 岬ピーク :83m
 点灯年月日:1888年8月25日 (明治21年)
クリックすると拡大

帰りは下りだったので2歳児も結構歩きましが、途中で座り込んだので抱っことなりました。でも最後は駐車場まで歩きました。
北海道の93基の灯台を枠内に紹介します。
日方泊岬灯台 檜山石崎灯台 洲根子岬灯台 奮部灯台 上泊埼灯台 香深灯台 金田ノ岬灯台 海驢島灯台 元地灯台 留萌灯台 石埼灯台 鴛泊灯台 仙法志埼灯台 沓形岬灯台 栄浜埼灯台 野付埼灯台 紋別灯台 音稲府岬灯台 サロマ湖口灯台 羅臼灯台 能取岬灯台 幌泉灯台 襟裳岬灯台 えりも港南突堤灯台 葛登支岬灯台 薫別灯台 鴎島灯台 日浦岬灯台 汐首岬灯台 恵山岬灯台 函館港第三防砂堤灯台 アヨロ鼻灯台 静内灯台 ポンモシリ岬灯台 苫前埼灯台 金比羅岬灯台 天売島灯台 赤岩埼灯台 焼尻島灯台 苫小牧灯台 木巻岬灯台 茂津多岬灯台 本目岬灯台 十勝大津灯台 稚内灯台 宗谷岬灯台 増毛灯台 神威岬灯台 積丹出岬灯台 幌灯台 石狩灯台 矢越岬灯台 松前灯台 白神岬灯台 松前小島灯台 ヨシ島灯台 日和山灯台 小樽港島堤灯台 浜鬼志別灯台 弁慶岬灯台 大丸磯灯台 大丸磯灯台 知床岬灯台 宇登呂灯台 チキウ岬灯台 室蘭港新日本製鉄ふとう灯台 北見枝幸港島堤灯台 北見神威岬灯台 日高門別灯台 落石岬灯台 納沙布岬灯台 緩島灯台 花咲灯台 ハボマイモシリ島灯台 ノッカマップ埼灯台 貝殻島灯台 香深港北島堤南灯台 広尾灯台 琵琶瀬港島堤北灯台 湯沸岬灯台 厚岸灯台 後志泊港灯台 釧路埼灯台 昆布森灯台 水垂岬灯台 小歌岬灯台 岩内港北突堤灯台 砂埼灯台 青苗岬灯台 室津島灯台 稲穂岬灯台 浦河灯台 豊浦港南島堤灯台




写真の中に見えているトンネルの先に、赤ばふんうに丼を食べた食事処「みさき」があります。ここの駐車場から、僅か2kmの距離です。
クリックすると拡大

最後に縦長の大きな写真で積丹出岬灯台を紹介します。クリックすると2倍(面積で4倍)に拡大いたしますので、灯台の表面がタイルでてきていることも確認できると思います。
クリックすると拡大
nice!(87)  コメント(26) 

積丹ブルーに出会えました。 島武意海岸(しまむい海岸) [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
私が北海道に行く前から雨模様で、積丹に泊まった2017年7月21日も夕刻から雨が降り始めて朝方まで強い雨が降っていました。赤ばうんうに丼を食べに行く7月22日の早朝も厚い雲に覆われていましたが、うれしいことにウニ丼のお店がある日司漁港に着いた頃には晴れてきました。赤ばふんうに丼を食べた後に向かった積丹岬の島武意海岸(しまむい海岸)で出会ったのが、まさに積丹ブルー(しゃこたんブルー)の景色でした。

島武意海岸は積丹岬(P)の突端から東側に1.3kmほどの位置にあり、断崖絶壁に囲まれながらわずかな浜辺があるところです。マイナスのアイコンをクリックすると右側(東側)に女郎小岩( )やピリカ峠( )も出てきます。
  ルシ岬
  積丹岬
  出岬
 島武意海岸・展望台 海抜70m
 積丹出岬灯台
 積丹出岬灯台・展望台
 駐車場
 ━━ トンネル
 ━━ 遊歩道 駐車場→積丹出岬・展望台(展望デッキ)



うに丼のお店「みさき」から2kmの距離にありますが、少し遠回りをして積丹岬の駐車場に着きました。この時10時10分でした。
下の写真の中央少し右あたりに展望台に抜けるトンネルがありました。
クリックすると拡大

トンネルの近くにあった案内図です。現在地と書かれている近くに展望台に抜けるトンネルがありました。緑のラインが積丹岬自然遊歩道で、赤いラインが車が走る道です。
クリックすると拡大

クリックすると拡大こちらが島武意海岸が見れる展望台に抜ける島武意海岸トンネルです。このトンネルのおかげで島武意海岸を絶好の場所から見ることが出来るのです。展望台からは海岸に歩いて下りることが出来ます。ただし70mの高低差があります。
クリックすると拡大この島武意海岸トンネルは1895年4月に手掘り(素掘り)で作られたそうです。当時は観光用ではなく、もっこ(畚)に入れたニシンを背って干場に搬送するためのトンネルだったそうです。その後、1972年に現在のトンネルが建設され、さらに2015年10月~2016年3月に改修工事が行われて現在の状態になったようです。転用させていただいた1979年撮影の右の写真は昔に積丹で鰊(にしん)の運搬に使われていた木製のモッコです。最近まで日常品の運搬に使われていたそうです。
ネット内でのトンネルの長さの記載のほとんどが30mと書かれていましたがGoogle航空写真で確認した長さは67m(━━) or 70mでした。駐車場側から見るとトンネル内で左に曲がっていて、歩いた感覚でも60m程度で30mということはありませんでした。私が想定したトンネル長さに67m or 70mと3mの差があるのは展望台の黒い部分が単に影なのか、そこにもトンネルがあるのか判らないためでした。珍しいのですが約70m約60mと記載した記事もありました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

実際にニシン漁が行われていた時代にニシンの運搬に使われていた木製のモッコの写真があったので転用させていただきました。


これがトンネルを抜けて最初に目にした景色です。
クリックすると拡大

島武意海岸(しまむい海岸)の呼名ははアイヌ語の「シュマ・ムイ(岩の入り江)」に由来するそうです。ここにはウミネコ(あるいはカモメ)やオオワシなどの鳥類のほか、冬季にはアザラシも観察できるそうです。多くの奇岩と海の透明度の高さで知られ、日本の渚百選にも選出されています。
クリックすると拡大

展望台から見て右側の景色です。
クリックすると拡大

こちらが左側の景色です。
クリックすると拡大

そして正面の景色です。まさに積丹ブルーの世界でした。
クリックすると拡大

目の前の岩の写真です。離れた場所からの写真ですが、水が透き通っているのが分かってもらえると思います。いいときの透明度は25m以上だそうです。透明度の記載に関しては30m以上も多いです。
クリックすると拡大

展望台の真下には浜があり、人が見えます。歩いて行くには展望台からしかルートがないそうなので、全て展望台からの山道を下りた人たちと思われます。帰るためには同じ道を登る必要があるので我々は浜に下りるのは断念いたしました。
クリックすると拡大

目の前の大きな岩です。後で紹介する写真と見比べてもらうために大岩の先端が水平線より上に出ていることを覚えておいてください。海抜70mの位置から撮った写真で水平線より上に出ていることから大岩は70mより高いことになります。目測では大岩は75mの高さでしょうか。
クリックすると拡大

展望台の最も右端から、左側を撮った写真です。展望台の中央からでは見えなかった大きな岩を見ることが出来ました。
クリックすると拡大

展望台の右端から見えなかった2つの大きな岩が写った写真です。
クリックすると拡大

冒頭で紹介した写真です。海岸に下りていく道が写っています。
クリックすると拡大

前の海では漁も行われているいるようで船が見えました。
クリックすると拡大

透き通った水も紹介します。
クリックすると拡大

同じトンネルを通って駐車場の方に戻ってきました。
クリックすると拡大右の写真の長男家族(夫婦+2歳児)も満足した様子でした。ここにある下の写真の食事処・鱗晃(鱗晃・ 積丹本店)でも生うに丼が食べれました。値段は2300円で大盛りが3300円でした。こちらの鱗晃も積丹の生うに丼のTOP20の12位にランクされていました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

次の3枚はトンネルの上の遊歩道からの景色です。上の写真より、かなり高い位置からの写真になります。上で紹介した写真よりも右側が開けていることからも高い位置からの写真であることが分かってもらえると思います。
島武意海岸トンネルの改修工事中の2015年10月~2016年3月は展望台から島武意海岸を見ることが出来なかったために、島武意海岸はこの位置からしか見れなかったと思われます。
クリックすると拡大

大きな岩も見下ろす感じでした。前半の写真では大きな岩は水平線より上に出ていましたが、ここでは水平線より下なので写真を撮った位置の高さがかなり違うことが分かってもらえると思います。大岩の高さが75mとすれば写真を撮った高さは目測で約95mとなります。
クリックすると拡大

クリックすると拡大水平線に近いところを拡大すると沢山の船が見えました。中央の漁船と思われる船には黒い大きな三角の旗が掲げられていました。調べてみると、旗ではなく三角帆(スパンカー)のようです。クリックすると横長の大きな写真を表示します。
クリックすると拡大
タグ: 積丹
nice!(97)  コメント(22) 

泊まった宿の朝食 海浜館 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前々記事で宿の夕食を紹介したので翌朝2017年7月22日の朝食も紹介したいと思います。上の写真が大人3名の朝食です。2歳児のためのお茶碗がちゃんと用意されていました。
出発できる準備を終えてから朝食が用意されている部屋に向かうと夕食と同じ位置に朝食がセッテングされていましたが、品が数が多かったクリックすると拡大夕食に比べるとテーブルは少し短めになっていました。私と長男は朝食の前に17.3km離れたウニ丼のお店まで行き順番を書く用紙に名前を書いてきました。朝早く行ったのですでに紹介した通り2番目に名前を書くことが出来たので、安心して朝食を食べることが出来ました。

みんなが席につくと、こちらの膳に加えてみそ汁とイカ刺しが持ってこられました。素朴な朝食のように見えますが北海道ならではの食材を使った料理も見受けられました。目玉焼きやソーセージは宿の食事では珍しいけれども我々のように小さな子供がいる人には助かります。
クリックすると拡大

こちらが味噌汁です。
クリックすると拡大

地元の北海道らしい食材を紹介します。こちらは我々が席についてから出されたイカの刺身です。今年のイカ漁は壊滅的な不漁ですが、それでも新鮮なイカの刺身が朝から出してもらえるのは北海道だからだと思います。
クリックすると拡大

イクラの醤油漬け北海道を感じさせてくれました。ご飯に乗せるとイクラ丼になりました。
クリックすると拡大

こちらの3品も北海道ならではものでした。
一番上のものは素材も名前も判りませんでした。魚の麹漬けのような感じでした。魚の種類は分かりませんが、この辺りは、かつては鰊(にしん)の千石場所だったことから鰊のように感じました。
クリックすると拡大

鮭は日本全国どこでも食べれますが、北海道で食べる塩鮭は格別のような気がしました。目玉焼きの卵や豆腐や野菜も北海道のものだと思います。
クリックすると拡大

食事の後は赤バフンウニを食べるお店に向けて出発するのですが、朝食前に順番待ちの紙に記帳して来たために8時に出発すれば十分なので、ゆっくりとコーヒーが飲めました。
クリックすると拡大

食事のあとに下記のルートで次の目的地のウニ丼のお店に向かいました。今まで紹介して来た地図とは別の形式の地図で紹介します。今までの記事では宿からお店までの距離は17.3kmと記載してきましたが、こちらの地図では17.2kmと表示されています。このルートを1.5往復することで一日限定15食の朝獲り赤ばふんうに丼を食べることが出来たわけです。その時間の経過を紹介します。ただし、順番待ちの行列がエスカレートしないように、一部の時間は未公開とさせていただいております。すでに名前を書いていて開店時間は9時15分~30分と事前に通知されていたので着く時間は9時でも十分なのですが、9時だと駐車場のスペースがなくなってしまう恐れがあったので早く宿を出発したわけです。開店から22分後の9時37分の時点で75組(約200名)が記帳されていたので駐車場が混むのも仕方ないのかもしれません。
 4時00分 起床
 4時02分 部屋の窓から海の景色を撮影 → ポチッ
 4時48分 黄金岬を散策        → ポチッ
クリックすると拡大 未公開  順番用紙に記帳のために宿を出発
 未公開  うに丼のお店「みさき」に到着
 未公開  宿に戻る
 未公開  宿で朝食を食べる
 8時00分 4人全員で宿を出発
 8時20分 うに丼のお店「みさき」に到着
 9時19分 赤ばふんうに丼を食べる → ポチッ

nice!(79)  コメント(24) 

黄金岬からの景色 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
積丹で泊まった宿の部屋から積丹半島の三大岬の一つである黄金岬を間近で見ることが出来ました。上の写真で緑の矢印()のところが黄金岬の展望台です。積丹半島の三大岬は次の3つの岬です。一般的に積丹三大岬と言われています。
クリックすると拡大上の写真をクリックすると露出の違う3枚の拡大写真を右のように1秒・1秒・2秒で表示します。
 K 黄金岬(オウゴン岬)
 P 積丹岬(シャコタン岬)
 T 神威岬(カムイ岬)

積丹半島には沢山の岬があります。Google地図に名前が書かれているだけで下記の28の岬があります。その中で神威岬と積丹岬は規模の大きな岬ですが、黄金岬は28の岬の中でも小規模な岬なのです。それにも関わらずに三大岬と言われているのは、黄金岬から見える景色に由来しているのではないかと感じました。28の岬の名前は余市郡余市町から左廻りの順(A~Z~b)に岩内郡共和町までを記載しました。マイナスをクリックすると周辺の岬も表示します。
 A.モイレ岬 B.シリバ岬 C.オトドマリ岬 D.鳥帽子岬 E.ワッカケ岬
 F.滝ノ潤ノ岬 G.蛸穴ノ岬 H.チャラツナイ岬 I.丸山岬 J.厚苫岬
 K.黄金岬 L.ビヤノ岬 (無名の岬) (無名の岬) M.マッカ岬 N.ピリカ岬
 O.出岬 P.積丹岬 Q.ルシ岬 R.武威岬 S.ワリシリ岬 T.神威岬
 U.沼前岬 V.ジュウボウ岬 W.川白岬 X.ノーラン岬 Y.マッカ岬
 Z.キナウシ岬 a.竜神岬 b.兜岬 


黄金岬は小さな岬にも関わらず積丹三大岬と言われている理由は、この景色ではないかと思いました。早朝でまだ太陽の光が当たっておらず解像度は低いのですが見事な景色でした。4つの岬が連なっています。一番手前の岬がビヤノ岬で一番遠くの岬がマッカ岬です。その間の岬の名前はGoogle地図にはなく現時点では不明ですが2つともに大きな岬です。とりあえずは「無名の岬」といたしましたが名前を御存じの方がおられたら教えてほしいです。
通常クリックすると2倍(面積で4倍)に拡大しますが、本写真はクリックすると4倍(面積で16倍)に大きく拡大します。
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると特別に大きく拡大いたしますがクリックの面倒な方のために4つの岬の範囲の拡大写真を掲載いたしました。ビヤノ岬とマッカ岬はアイヌ語です。マッカの意味は「ルートがある」と言う記述がネットでありました。ビヤノのビヤがpi-yaの転訛したものとすればpi-ya-notは 岩と岸の岬と解釈できそうだとの記述もありました。アイヌ語の話者数は1996年の調査で僅か15人でした。2007年の調査ではさらに少なくなり10人とのことです。だんだん調べるの難しくなってきそうです。
クリックすると拡大

黄金岬から4つの岬を直線で結んでみました。上の写真の見えている角度と一致していると確認出来ました。距離の数値は黄金岬から直線距離です。拡大した航空写真によってこの場所には、黄金岬から見えていた岬以外にも沢山の岬があることが分かりました。ただしラインより内側の岬は近い側の岬に隠れて見えないのです。余談ですがマッカ岬は北海道で3つ見つけました。一部を見た範囲なので最低3つと言うことになります。→積丹1 積丹2 増毛町  
  K 黄金岬  0.00km 
  L ビヤノ岬 1.05km
  ・ 不明   3.41km
  ・ 不明   5.80km
  M マッカ岬 8.60km


少し広い範囲の写真にすると左下にゴメ島が入ってきます。この構図の写真も絵になります。本写真もクリックすると4倍(面積で16倍)に大きく拡大します。
クリックすると拡大

さらにカメラを引くと右に宝島が入ってきます。本写真はクリックすると横長画面で特別に大きく拡大します。
クリックすると拡大

それでは宿から黄金岬展望台に行くまでを紹介したいと思います。
黄金岬は航空写真のように美国港と茶津港を隔てる形で突き出していました。黄金岬への入口は少なくとも3つありました。泊まった宿の近くに入口3( )がありましたが、気が付かずに入口1( )から登りました。遊歩道の総延長は約770mです。
黄金岬の標高は52.9m(四等三角点)です。
          黄金岬まで 千春の碑まで 入口エリア
 黄金岬入口1   415m   200m   美国港
 黄金岬入口2   560m   345m   美国バス停
 黄金岬入口3   435m   220m   茶津港
 黄金岬展望台   標高は52.9m
 松山千春ロマンの碑
 泊まった宿    汐さいの宿・海浜館
 ━━ 黄金岬遊歩道
 ━━ 茶津トンネル   105m
 ━━ 水中展望船の航路


これが我々が泊まった宿の前の展望台登り口(入口3)です。ここから登れば一番近かったのですが、戻ってくるまで気が付きませんでした。
クリックすると拡大

ここから遊歩道が始まります。
クリックすると拡大

実際に登ったのは美国港の近くにある登り口(入口1)でした。そのために茶津トンネル(105m)を歩いて美国港側に行きました。このトンネルは行き止まりなっている米津地区だけのためのトンネルのため車は滅多に通らないことから安心して歩けました。トンネルの中にケーブルが通っています。茶津地区に必要な電線や電話線もトンネルの中を通している珍しいトンネルです。
クリックすると拡大

美国港側の登り口(入口1)です。トンネル横の、この階段を登ります。
朝起きてから17.3km離れたお店で一日限定15食の朝獲り赤ばふんうに丼を食べるまでを紹介します。日にちは2017年7月22日でした。
暗い早朝の撮影になったことが理解してもらえると思います。
 4時00分 起床
 4時02分 部屋の窓から海の景色を撮影
 4時48分 黄金岬を散策
クリックすると拡大 極秘   順番待ちの紙に記帳しに宿を出発
 極秘   うに丼のお店「みさき」に到着
 極秘   宿に戻る
 極秘   宿で朝食を食べる
 8時00分 4人全員で宿を出発
 8時20分 うに丼のお店「みさき」に到着
 9時19分 赤ばふんうに丼を食べる
クリックすると拡大

展望台までの距離は0.4kmと書かれていますが他の標識などとの整合性から、ここから展望台までの距離は415mと推測いたしました。その推測の助けになったのが松山千春ロマンの碑までの距離の標識です。
クリックすると拡大

入口2からの遊歩道の合流地点近くまで階段が続きました。
クリックすると拡大

バス停からの入口2との合流点の標識です。230mが入口2までの距離です。つまり入口2から展望台まで560m(=230m+330m)になります。
クリックすると拡大

合流地点からは緩やかな登りになりました。
クリックすると拡大

茶津港の入口3からの道との合流地点に近いあたりに建てられていた案内板です。入口300mと書かれているのは入口2までの距離で、いろんな標識から逆算すると入口3までは175mと思われます。この案内板でも入口2から展望台までは560m(=300m+260m)になります。
クリックすると拡大

クリックすると拡大次に「松山千春ロマンの碑」がありました。松山千春が、28歳で亡くなった北辰一刀流の曽祖父(そうそふ)つまり、 ひいおじいさんに捧げた詩です。碑の説明として「この碑は、かつて鰊の千石場所として繁栄した美国と、そこに漂泊し、漁場の抗争の渦中に、若くして壮然に散って逝った剣客(曽祖父、故砂山重太郎)の限りない情熱とロマンを詩った松山千春氏の詩を刻み建立したものである。」と書かれていました。右の写真は史実などの説明書きの部分です。クリックすると読むことが出来ると思います。ロマンの碑の詩文は次のとおりです。
クリックすると拡大  砂山重太郎殿
 空を求め 海を求め
 美国の里に眠りつく
 愛を忘れるな 夢を忘れるな

             松山千春 作

クリックすると拡大

展望台の方向の道です。ここまでは木に覆われていて遠くの景色はほとんど見ることが出来ませんでしたが、ところどころに隙間がありました。
クリックすると拡大

歩きながら見えたビヤノ岬です。
クリックすると拡大

反対側には美国港側の町を見ることが出来ました。
クリックすると拡大

さらに進むと美国港が見えてきました。
クリックすると拡大

展望台が見えてきました。
クリックすると拡大

黄金岬の表示板もありました。
クリックすると拡大

さっそく展望台の上に登りました。
クリックすると拡大

最初に目に入ってきたのが上で紹介したこの景色でした。
クリックすると拡大

中央の無名の2つの岬の部分を拡大すると無名の岬は2つではなく3つのようです。朝早くて暗かったので解像度が低いのが残念です。写真では明るく写っていますが実際にはかなり暗らかったのです。晴れた昼間であれば、積丹ブルーの海とともに鮮明な連なった岬が見えたと思います。
クリックすると拡大

左端に泊まった宿「海浜館」が写った写真です。
クリックすると拡大

展望台が建っている黄金岬の地面の上から撮った写真です。周囲の木に邪魔されて視野が狭くなってしまうことが分かってもらえると思います。
クリックすると拡大

実は上の写真も周囲をトリミングしたものです。オリジナルはこのような写真でした。高い展望台があるおかげで広い視野の写真や下で掲載しているような動画を撮ることが出来ました。
クリックすると拡大

本動画を見ていただくと、より雰囲気が分かってもらえると思います。是非ともプレーボタン( )をクリックして動画を見てほしいです。本動画は撮った2つの動画を編集いたしました。オリジナルはこちらです。→ 動画1 動画2


動画の最初に写っていたのが、こちらの宝島です。本写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。クリックしてもらうとウミネコやカモメが岩山に沢山とまっているのが分かってもらえると思います。本写真もクリックすると4倍(面積で16倍)に大きく拡大します。
クリックすると拡大

実はその岩山は本写真のように宝島とは離れているのです。本写真は展望台の脇に立てられていた宝島の説明板の写真です。ここに書かれていた内容を転記する形で紹介します。右の写真をクリックすると説明文が読めると思います。
開運の島:宝島(たからじま)
クリックすると拡大積丹ブルーの海に浮かぶ宝島は、上空からモルトハート形に見えます。かつてニシンの大群が押し寄せたことからその名が付いたとされています。黄金岬からこの[黒ハート]型の宝島を眺めながら手を合わせて、恋愛成就・良縁・開運を願ってみてはいかがでしょうか。
クリックすると拡大

鳥がとまっている岩山を拡大いたしました。
クリックすると拡大

さらに岩山の上部を拡大いたしました。
クリックすると拡大

積丹の岬群と宝島とゴメ島(意味:カモメ島)です。
クリックすると拡大

ゴメ島を中心にした写真も紹介します。
クリックすると拡大

そのゴメ島を拡大いたしました。このゴメ島の近くにも、わざわざ観光船(水中展望船)がやってくる有名な岩礁のようです。
クリックすると拡大
nice!(88)  コメント(14) 

泊まった宿の夕食 海浜館 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事で北海道の積丹の泊まった宿からの景色を紹介しました。本記事では宿の夕食を紹介したいと思います。
この日、成田空港を8時10分発のフライトで出発して千歳で長男家族(夫婦+2歳1ケ月児)と合流して千歳で味噌ラーメンを食べて、途中でサクランボ狩りをしてニッカウヰスキー余市蒸溜所に寄って夕刻(16時30分)には積丹の宿「汐さいの宿 海浜館」に着きました。上の動画の初期画面が宿「海浜館」のある米津地区で、クリックすると拡大中央の大きな建物が海浜館です。近くの黄金岬に登って撮った動画です。プレーボタン( )をクリックすると宿の前の景色の雰囲気が分かってもらえると思います。右の写真は大広間での食事風景で、窓の外に写っているのが黄金岬です。

こちらが宿の夕食です。特別に頼んだ料理ではなく宿泊とセットとなった食事ですが沢山の料理に圧倒されました。15品とデザートのスイカでした。
クリックすると拡大

こちらが前菜の6品です。奥に見えているのは魚の煮付けと積丹の生のキタムラサキウニです。
クリックすると拡大

北海度に来るとやっぱりサッポロビールです。生ビールもありましたが瓶ビールにいたしました。
クリックすると拡大

食事が始まると活きアワビが出されました。
クリックすると拡大

うれしいことに、もう一品、アワビ料理がありました。
クリックすると拡大

そして積丹で獲れた生ウニです。積丹ではエゾバウンウニとキタムラサキウニが獲れますが、色から判断してキタムラサキウニと思われます。寒い地域に生息するキタムナサキウニは暖かい地域のムラサキウニとは別種で、ムラサキウニよりはエゾバフンウニに近い種類です。キタムラサキウニはムラサキウニより、味は良いと言われています。この時はウニの種類までは分かりませんでしたが、翌日にウニ丼を食べに行ってウニの種類が分かりました。
   ムラサキウニ ナガウニ科    ムラサキウニ属  温暖な地域生息
 キタムナサキウニ オオバフンウニ科 オオバフンウニ属 寒冷地生息
  エゾバフンウニ オオバフンウニ科 オオバフンウニ属 寒冷地生息
    バフンウニ オオバフンウニ科 バフンウニ属   温暖な地域生息 
クリックすると拡大

茶碗蒸しにもウニが入っていました。つまりウニ料理が2品、アワビ料理が2品あったわけです。北海道積丹だからこその贅沢でした。
クリックすると拡大

お造りも一皿ありました。もちろん、これて一人分です。今年は壊滅的な不漁のイカの新鮮な刺身も入っていました。
クリックすると拡大

北寄貝を使った洋風の料理もありました。
クリックすると拡大

こちらが煮付けです。
クリックすると拡大

焼きアワビが食べごろになりました。柔らかくて美味しかったです。塩味が付いているのでそのまま食べれました。
クリックすると拡大

やっぱり北海道積丹の日本酒(冷酒)が飲みたくなります。積丹岳の麓に湧き出る伏流水を使用して作った、積丹の地酒です。名前は純米原酒・丹水(たんすい)です。丹水には日本酒度+1(甘口)の純米吟醸原酒も販売されているそうです。
 銘柄      純米原酒 丹水
 日本酒度    +3(やや辛口)
 精米歩合    60%(吟醸酒相当)
 アルコール   17~18度
クリックすると拡大

イカと貝と海老の一皿もありました。
クリックすると拡大

最後は海鮮鍋に火をつけていただきました。
最終的に夕食で飲んだお酒は次の通りでした。
 サッポロビール 5本(中瓶)
 冷酒      1本(300ml)
 丹水      1本(300ml)
クリックすると拡大

宿の近くの航空写真です。写真の右下の部分が美国漁港で、宿があったのは小さな鄙びた米津漁港のある米津地区です。宿からは観光名所である黄金岬や宝島やビヤノ岬を見ることが出来ました。最寄の550mをクリックすると海浜館からバス停までの徒歩ルートを表示します。
右下の写真は高速バスしゃこたん号てす。
クリックすると拡大 名前 汐さいの宿 海浜館 HP
 住所 北海道積丹郡積丹町大字美国町字船澗366-4
 電話 0135-44-2131
 営業 5月~10月
 最寄 美国バス停から550m 北海道中央バス 

nice!(75)  コメント(24) 

泊まった宿(汐さいの宿 海浜館)からの景色 黄金岬 宝島 ゴメ島 ビヤノ岬 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

北海道積丹の赤ばふんうにツアーで初日に泊まった宿を紹介します。
上の動画は積丹の宿の部屋から2017年7月22日4時30分ごろに撮ったものです。前日の7月21日の夕刻から雨が降り始め、夜にはかなりの雨でしたが、7月22日の早朝には雨は止み、昼には快晴となりました。早朝に動画を撮った時点は、まだ厚い雲に覆われていました。
クリックすると拡大右の写真が宿から17.3kmの場所にある「みさき」で食べた赤ばふんうに丼です。
泊まった宿は小さな入江に経っていて右に黄金岬があり左にビヤノ岬があり、沖には宝島がありました。入江の中にはゴメ島と名付けられた小さな岩礁があるような環境でした。動画は鄙びた(ひなびた)漁村から始まり黄金岬を見て、次に宝島が出てきます。小さな岩礁がゴメ島で、最後はビヤノ岬方向の景色です。鄙びた漁村とは「いかにも田舎という感じがする漁村」のことです。

この写真は早朝に黄金岬に登って宿の前の入江を撮ったものです。実はこの写真に写っているエリアは美国港から出港する水中展望船・ニューしゃこたん号の航路になっています。
左端に宝島が写っています。岬がいくつか写っていますが一番手前がビヤノ岬で一番遠くに見えるのはマッカ岬と思われます。左端の岩礁がゴメ島です。この写真は朝の散歩で黄金岬に登って撮ったものです。本写真はクリックすると横長画面で特別に大きく拡大します。
クリックすると拡大

我々が泊まった「汐さいの宿 海浜館」の周辺の航空写真です。目の前の海は水中展望船のルート(━━)がありました。宝島は空から見るとハート形です。そんなことから開運の島と言われています。2回ほどプラスをクリックすると形がはっきりすると思います。
  汐さいの宿 海浜館 我々が宿泊した宿
  他の候補の宿
 ━━ 水中展望船 ニューしゃこたん号の航路
 ━━ 茶津トンネル
 ━━ 黄金岬の方向 と ビヤン岬の方向


こちらが泊まった宿「汐さいの宿 海浜館」です。道路を挟んだ駐車場から撮りました。宿の裏がすぐ海です。右の写真が泊まった部屋です。こちらの部屋の窓からの景色を主体に紹介していきたいと思います。冒頭の動画もこちらの部屋から撮りました。
 名前 汐さいの宿 海浜館
 住所 北海道積丹郡積丹町大字美国町字船澗366-4
 電話 0135-44-2131
 営業 5月~10月
 HP http://www.big-hokkaido.com/kaihinkan/
クリックすると拡大

近くからでは全体が分かりにくいので翌日の早朝に登った黄金岬から撮った宿の写真を紹介します。
クリックすると拡大

こちらは海辺に出て撮った宿の写真です。
クリックすると拡大

宿専用のプライベートビーチです。
クリックすると拡大

さっそく長男家族も海辺に出ました。この日泊まっていたのは3組でした。


私も海辺に下りると丁度、水中展望船・ニューしゃこたん号が、小さな岩礁のゴメ島の近くまで来ていました。
クリックすると拡大

防波堤のテトラポットで見にくいけれども拡大するとニューしゃこたん号であることが分かります。宿の2階から写真を撮るとよく見えると思い、急いで部屋に戻りました。
クリックすると拡大

こちらが部屋に戻った写真ですが、すでにゴメ島から離れて宝島の方に行っていました。
クリックすると拡大

拡大した写真を掲載します。クリックすると同じ縮尺で広範囲を表示するのでウミネコやカモメたちを確認できると思います。
クリックすると拡大

こちらはホームページから転用させていただいたニューしゃこたん号と宝島の写真です。
 運行期間 4月下旬〜10月下旬の毎日 荒天時運行
 コース  美国港→宝島→ゴメ島→宝島→ビヤノ岬→キト浜→宝島→美国港
 営業時間 8:30〜16:30
 出航時間 50~60分間隔で随時出航
 所要時間 約40分
 定員   10名〜78名 予約は15名以上
 料金   大人1,400円 小人700円 
 問合せ先 積丹観光振興公社 0135-44-2455 HP
クリックすると拡大

7月22日の4時3分の部屋の窓からの写真です。東は右の方向になります。厚い雲に覆われていたのでまだ暗かったです。右が黄金岬で左が宝島です。黄金岬は積丹三大岬の一つです。ちなみに積丹三大岬は神威岬、積丹岬、黄金岬です。積丹の黄金岬の名前の由来はまだ調べ切れていません。北海道には黄金岬と名のついた岬が、積丹(しゃこたん)と留萌(るもい)にあります。留萌の方の黄金岬はニシンの見張り台だったそうです。そこから夕陽に照らされたニシンの群れが黄金色に輝きながら押し寄せたことから留萌の岬は黄金岬と呼ばれるようになったそうです。積丹の黄金岬の由来も似ているのかもしれません。 明治から大正にかけて北海道西海岸のニシン漁は全盛を極めており海の色も変わるほどだったようです。
クリックすると拡大

宝島とゴメ島の写真です。このあたりに鰊(にしん)の大群が押し寄せて大きな富をもたらしたことから宝島の名前が付けられたと言われています。ゴメ島の名前は、ゴメとも呼ばれるカモメが羽を休めている姿に似ていることから名付けられたそうです。つまりカモメ島と言う意味のようです。
クリックすると拡大

こちらがビヤノ岬です。晴れていると太陽があたって輝いているはずです。実は宿を出発する時間帯には晴れたので後半で紹介いたします。
クリックすると拡大

小さな漁村も趣がありました。ここの漁港は茶津港(茶津漁港)だそうです。地名にはありませんが、ここの集落は茶津地区と言われているようです。
クリックすると拡大

朝から宝島でウミネコ(またはカモメ)が泣いていたので、動画を撮りました。是非ともプレーボタン( )をクリックして鳴き声を聞いてほしいです。


こちらの写真は宝島などの周辺を廻っている水中展望船ニューしゃこたん号から撮られたもので、ネットから転用させていただきました。
上でウミネコ(またはカモメ)と書きましたが、下の写真からこの場所ではカモメとウミネコの両方がいることが分かりました。ただしカモメは渡り鳥(冬鳥)で、ウミネコは留鳥(移動しない)なので、夏の今の時期はほとんどがウミネコだと思った方がクリックすると拡大よさそうです。
くちばしの先の下側が赤いのがカモメで、くちばしの先端が上も下も黒い(少し赤が混じっています。)のがウミネコです。足の色でも違いが分かります。クリックすると拡大するのでさらに分かりやすいと思います。
クリックすると拡大

今回の宿は小さな集落の海辺にありました。実はこの集落の奥は行き止まりになっているのです。この集落は1本のトンネルで美国港のある美国町の中心部とつながっていてそのトンネルが唯一の外部へのルートなのです。
クリックすると拡大

集落の一番奥まで行って、行き止まりの部分を確認してきました。確かに車で行けるのはここまででした。
クリックすると拡大

集落の方に散策に行った時にソーラン節の碑を見つけました。積丹がソーラン節の故郷だったのです。
ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ
 鰊来たかと鴎に訊けば わたしゃ発つ鳥 波に聞け チョイ
ヤサエンエンヤーーーァサーァノ ドッコイショ ハードッコイショドッコイショ
(以下、緑色の囃し言葉省略)
 漁場の姉コは白粉いらぬ 銀の鱗で肌光る
 今宵一夜は緞子の枕 明日は出船の波枕
 沖で鴎の鳴く声聞けば 漁師稼業はやめられね
クリックすると拡大

さらに驚いたことにソーラン節は鰊場音頭(にしんば・おんど)の四つの作業歌の一つだったのです。四つの作業歌は下記の枠内の通りです。鰊場音頭は鰊場作業唄とも言われています。鰊場音頭は江戸時代後期から昭和時代中期まで隆盛を極めたニシン漁に従事する出稼ぎの漁師たちが、仲間の結束を固め作業の憂さを晴らすなかで自然に生まれた民謡だそうです。北前船の乗組員や、東北地方からの出稼ぎ漁師が持ち込んだ東北民謡を基にした作業唄で、漁の流れに沿って四部構成になったそうです。
鰊場音頭とは、ソーラン節を含めた代表的な四つの作業歌からなっております。
 一.船漕ぎ音頭
 二.網起し音頭
 三.沖揚げ音頭(ソーラン節)
 四.子たたき音頭(イヤサカ節)
この作業歌を伝授している積丹町鰊場音頭保存会は、昭和五十六年度北海道文化財保護協会から表彰されております。


朝食が終わると晴れてきました。こちらがビヤノ岬です。
クリックすると拡大

こちらは左からゴメ島、宝島、黄金岬です。晴れていますが太陽は右からさしているので島や岬は黒く写っています。
クリックすると拡大

ゴメ島を拡大いたしました。うに獲り船と思われる船が写っています。きっと沢山のウニが獲れるのだと思います。ゴメ島は小さく見えますが岩に留まっているカモメやウミネコの大きさから意外と大きいことが分かりました。
クリックすると拡大

それだけに密漁には悩まされているようです。
クリックすると拡大

宿の前からの写真ですが、このトンネルの向こう側が美国港で、このあたりで一番大きな町です。その美国港から水中展望船ニューしゃこたん号が出発します。この茶津トンネルは1977年11月竣工です。写真でも分かるように大きなトンネルの左側の奥に小さなトンネルがありました。
クリックすると拡大

これがその小さなトンネルです。隧道の文字が読み取れます。文字は右から書かれていることから随分と古いトンネルだと思われました。調べてみると1928年10月8日着手し1929年2月1日竣工したそうです。この隧道は御大典記念事業だそうで、昭和天皇が即位したのを記念して掘られた隧道のようでした。大きなトンネルが出来るまではこの隧道が使われていて、その前は歩いての山越えするか船を利用したのだと思います。まさに陸の孤島的存在の集落だったのだと思います。
クリックすると拡大

こちらが美国港側から見たトンネルです。トンネルを抜けると宿のある集落です。トンネルの中に宿の建物の一部を見ることが出来ます。トンネルの名前は茶津トンネルです。左の階段を登ると黄金岬に行くことが出来ます。上の小さな隧道は写っていませんが右側にあります。小さな隧道には茶津隧道と言う名が付いていたのかもしれません。
クリックすると拡大

黄金岬から見た美国港の写真も紹介します。
クリックすると拡大

こちらが美国港(びくにこう)です。
クリックすると拡大

遠くに見える中央の船がニューしゃこたん号です。
クリックすると拡大

広い範囲の地図で「汐さいの宿・海浜館」の位置を紹介します。宿の候補は今回の海浜館も入れて5ケ所でした。その中で宿から海が見えるのは「海浜館」と「みはらし荘」の2ケ所でしたが、「みはらし荘」は小さい子供が泊まれないとのことだったので、今回の「海浜館」に決めた経緯があります。
鱗晃荘はウニ丼のお店「みさき」まで1.67kmの距離で、且つウニ料理も美味しそうだったので候補でしたが、海が見える方を優先いたしました。
 みさき         赤ばふん生うに丼
 汐さいの宿・海浜館   泊まった宿
 他の積丹の宿の候補   みはらし荘 海のや 美国観光ハウス 鱗晃荘
 味の一平        味噌ラーメン
 山本観光果樹園     さくらんぼ狩り
 ニッカウヰスキー余市蒸溜所

タグ:宿 宝島 積丹
nice!(80)  コメント(26) 

北海道で味噌ラーメンを食べました。 味の一平  [北海道]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
赤ばふんうに丼を食べるために北海道に行きました。2017年7月21日~23日の2泊3日で新千歳空港に着いたのは予定(9時50分)でしたが少し遅れて10時ごろでした。車で迎えに来てくれた長男と一旦家まで行き、少し休んだ後に、長男家族全員(夫婦+2歳児)と赤ばふんうにツアーに出発いたしました。出発は11時頃だったことから近くでランチ食べてから本格的に積丹に向かうことにいたしました。ランチで選んでくれたお店が味噌ラーメンが評判のラーメン店でした。空港から7.9km、長男の住んでいる社宅から2.3kmの距離にあるお店でした。人気なようで11時でしたが行列が出来ていました。店内にも8人ほど並んでいました。4人席空くまで15分ほど店内で待ちました。
広い北海道で繁華街でもないお店に行列が出来ているのに驚きました。

こちらが長男が食べた大盛りの味噌ラーメンです。
本写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

こちらが私が食べた普通のサイズの味噌ラーメンです。驚いたことにスープはが全く味噌ぽくなかったのです。透明とまでは言いませんが、どちらかと言えば澄んだスープだったのです。独特の辛みが癖になる味で、人気になることに納得いたしました。スープは火傷するほどの熱さですがそれも美味しさの一つだと感じました。表面の油がいつまでも熱さを閉じ込めているようでした。
クリックすると拡大

北海道の味噌ラーメンと言えば縮れ麺をイメージしていましたが、ストレートに近い麺でした。この麺を食べた時の食感も美味しさの一つになっていました。
クリックすると拡大

たっぷりの野菜と焼き豚の組み合わせもよかったので拡大いたしました。野菜の塊はモヤシとネギが主体ですがメンマとタマネギとレタス(またはキャベツ)が入っているようでした。
クリックすると拡大

食べ終わって帰るときにはさらに行列が増えていました。時間はまだ12時にはなっておらず11時半ごろでした。この日は土曜日(2017年7月21日)でしたが、客層から見て平日の12時を過ぎると、さらに混むのではないかと感じました。こちらのお店は女性だけで切り盛りしているのも特徴でした。店長も、作る人も、運ぶ人も、全て女性でした。


お店の場所を紹介します。地図の中の中央あたりの臙脂色マーク( )が今回のお店の場所です。右下のマークは7年前の北海道旅行で2010年3月27日に行ったお店「おばんざい亭」です。右端にJR千歳駅があります。
 名前 味の一平
 住所 北海道千歳市北斗3-1-16
 電話 0123-27-2391
 営業 10:30~15:00
 定休 日曜日
 最寄 JR千歳駅 駅から2.2km


広い範囲の地図で「味の一平」の位置を紹介します。右下の飛行場のマークの近くの深緑色のマーク( )が「味の一平」です。他のマークは今回の旅で訪問した場所です。
 味の一平      味噌ラーメン
 みさき       赤ばふん生うに丼
 汐さいの宿・海浜館 泊まった宿
 山本観光果樹園   さくらんぼ狩り
 きのこ王国     きのこ汁
 いちむら      手打蕎麦
 ホームメイドアイスクリーム
 積丹出岬灯台
 ニッカウヰスキー余市蒸溜所
 ニセコ 髙橋牧場


追伸
 現在、コメントが表示されない状態が続いています。
 現在確認中です。 → ポチッ
 問い合わせ入力画面→ ポチッ
 2017年8月4日16時15分からコメントが表示されるようになりました。
 少なくとも7時間41分ほどコメントが表示されない状態が続いたことに
 なります。

nice!(76)  コメント(23) 

コメントが表示されません。 本記事はテストです。 [SNS]

コメントを書いても表示されたいため、本時事を掲載して確認しています。
現在確認中です。問い合わせ入力画面→ポチッ

追伸
2017年8月4日16時15分から表示されるようになりました。
少なくとも7時間41分ほどコメントが表示されない状態が続いたことになります。
nice!(16)  コメント(5) 

ニッカウヰスキー余市蒸溜所 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2017年7月21日は9時50分着のフライトで新千歳空港に着いて長男家族と昼食を食べた後に積丹の宿に向かいました。途中で2ケ所に寄りました。1つが前記事で紹介したサクランボ狩りで、もう一か所が今回紹介するニッカウヰスキー余市蒸溜所です。上の写真が余市蒸溜所の正門です。
ここはNHKの朝ドラのマッサンの主人公で会った竹鶴政孝がウイスキーづくりの理想の地を求めて1934年にスコットランドに似た気候風土を備えていたこの場所に蒸溜所を建設したのです。つまりニッカウヰスキーの創業地なのです。建設当初の名前は大日本果汁株式会社でした。ウイスキーは熟成するには長い年月を必要とするため、先ずはリンゴジュースを作ってウイスキーづくりを支えようと考えて会社の名前を決めたそうです。敷地内には沢山の登録有形文化財や近代化産業遺産があることから訪問者を無料で受け入れる施設が整っていてウイスキーの無料試飲も出来るのです。

車から正門を見た後に観光施設の駐車場に向かいました。こちらはその駐車場の入口の道路です。さくらんぼ狩りをした山本観光果樹園からわずか4kmの距離でした。ここを見た後は、この日の宿に直行いたしました。
クリックすると拡大

駐車場エリアに入りました。正面の建物にレストラン樽と無料試飲ラウンジであるニッカ会館あります。
クリックすると拡大

単式蒸溜器(ポットスチル)のモニュメント(オブジェ)が広場の中央に置かれていました。表面が緑青(ろくしょう)色に酸化していることから本物の銅製の単式蒸溜器がオブジェに使われているように感じました。
クリックすると拡大

駐車場から先ずは散策ルートを歩いて正門に向かいました。正門の横にある受付で無料の試飲のための用紙をもらうのが目的でした。その後、来た道を戻りながら建物を見学いたしました。敷地エリアの中のお大きな建物のほとんどがウイスキーを熟成するための貯蔵建物です。ウイスキーの熟成には長い年月が必要なことから熟成樽の置場が沢山必要なのだと思います。右上の四角をクリックすると別画面で地図を表示するので、その地図を見ながら記事を読むと判りやすいと思います。
 ━━ 7月21日の車での移動ルート  空港→果樹園→余市蒸溜所→積丹の宿
 ━━ ニッカウヰスキー余市蒸溜所エリア
 ━━ 散策ルート 400m 往復:800m
  正門
  乾燥棟(キルン塔)
  蒸留棟
  混和棟
  粉砕・糖化棟
  醗酵棟
  旧事務所
  リタハウス
  旧竹鶴邸
  1号貯蔵庫
  ウイスキー博物館
  無料試飲ラウンジ(1階) レストラン樽(2階)
  ショップ ノースランド


こちらが余市蒸溜所に立てられていた案内図です。無料のガイド付き見学が9時から30分ごとに行われていることが書かれていました。所要時間は60分で正門横の見学者待合室で申し込むようです。
クリックすると拡大

正門から散策ルートに沿って順番に紹介いたします。冒頭の写真が、外側から見た余市蒸溜所のせいもんですが、こちらの写真は内側から見た正門です。余市蒸溜所を紹介します。
 名前 ニッカウヰスキー余市蒸溜所
 住所 北海道余市郡余市町黒川町7-6
 電話 0135-23-3131
 料金 無料
 操業 1934年(昭和9年) 83年前
クリックすると拡大

こちらが乾燥棟(キルン塔)です。
第一乾燥棟と第二乾燥棟は登録有形文化財&近代化産業遺産だそうです。
クリックすると拡大

乾燥棟では原料の乾燥が行われる建物です。説明板にはウイスキーの出来るまでの手順が書かれており乾燥は最も最初の段階の作業のようです。手順は、乾燥→粉砕→糖化→醗酵→蒸留→熟成→ビン詰め、と書かれていました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

上の写真が第一乾燥棟で、こちらの写真が第二乾燥棟だと思われます。余市蒸溜所の特徴に石造りがあります。これは火災保険が安くなることもあったようです。
クリックすると拡大

クリックすると拡大こちらが蒸留棟( )です。
次の石炭直火焚き製法によるウイスキー製造は9月中旬に行われると書かれていました。
2017年7月6日付の「蒸溜所だより」によると7月1日~9月10日まで各製造工程の設備の整備工事を行っているとのことでした。どうやら整備期間を過ぎると建物の中に入れるようです。
これにより長期間ご覧いただけない製造設備が多くなっております。
クリックすると拡大

単式蒸溜器(ポットスチル)が並んでいる。こちらの建物も登録有形文化財&近代化産業遺産です。工事用シートの奥にもポットスチルがあるようです。ポットスチルの下には燃料の焚口があるように石炭直火蒸留が行われたそうです。会社を設立して2年目の1936年に蒸留を開始したそうです。余市蒸溜所のポットスチルは、スペイサイド地区の重厚な味わいの原酒を作っていたポットスチルを参考に作られたそうです。そこの代表的なウイスキーがLongmorn glenlivetだそうです。スペイサイド(Speyside)はスコットランド全土の約半数にあたる約50の蒸留所が存在するそうです。
クリックすると拡大

釜の上部に注連縄が施されているのは、竹鶴政孝の生家である竹鶴家が日本酒の蔵元(竹鶴酒造)であったことに由来しているそうです。
竹鶴家は古来から広島県竹原の三大塩田地主のひとつで、冬場に余剰の労働力を流用して1733年(享保18年)から酒造業も手がけて、現在も続いている竹鶴酒造となったそうです。姓の竹鶴も酒造業に由来しているようです。
クリックすると拡大

混和棟( )の内部では樽の製造工程やウイスキーの貯蔵や混和作業の様子が展示されていました。ここは昔はリキュール工場でもありました。2005年に国の登録有形文化財に認定されました。モルト原酒同士を混和することをヴァッティング(Vatting)と呼ぶそうです。ヴァッティングの目的により2種類に分類されます。樽ことに微妙に味が違うものを大樽に入れて均一化することと、もう一つが違う蒸留所のモルトをブレンドすることだそうです。前者はシングルモルトウスイキーとなり、後者はヴァッティングモルトウイスキー(ブレンデッドモルトウイスキー)と呼ばれます。ブレンデッド(Blended)とは使い分けられているようです。
クリックすると拡大

ヴァッティング(Vatting)とブレンデッド(Blended)に関してネット上の資料を元にして紹介します。大切なモルト原酒からウイスキーの味を決める大切な作業のようです。
クリックすると拡大

こちらが散策道路です。沢山の人が訪れていました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大こちらが旧事務所( )です。
竹鶴政孝の事務所として1934年7月に建設されました。余市町の「指定文化財」です。企業内の建物としては北海道内で初めて文化財に指定されたそうです。こちらの沢山の人たちが30分ごとの無料のガイド付き見学だと思われます。
右の細長い写真は建物に横に建てられていた説明の木柱です。その柱には「余市町指定文化財 大日本果汁株式会社(ニッカウヰスキー㈱) 工場創立当時の事務所」と書かれていました。右の写真も下の写真もクリックすると拡大いたします。 
クリックすると拡大

歴史のある旧事務所の説明板です。工場創立当初に建てられたことが詳しく書かれていました。クリックすると読みやすい大きさに拡大いたします。
クリックすると拡大

沢山の見学者が去ってから撮った旧事務所です。ゆっくりと見学出来ました。今から83年前に小さな事務所から始めたことが実感されました。
クリックすると拡大

ガラス越しですが旧事務所の室内を見ることが出来ました。建物の外観は小さく見えましたが室内は気品がありきれいでした。
クリックすると拡大

こちらはRITA HOSUE リタハウス( 旧研究室)です。
工場建設前の1931年に建てられた元の地主であった但馬八十次の邸宅でしたが、1934年の蒸溜所開設時に事務所およびウイスキー製造の研究室として使用されたそうです。建物は登録有形文化財&近代化産業遺産です。建物名前のリタ(RITA)は竹鶴政孝がスコットランドに滞在中に親交深めて1920年1月8日に結婚した奥さんの名前(竹鶴リタ)からつけられたと思われます。結婚前も通称はリタでしたが正式名はジェシー・ロバータ・カウン(Jessie Roberta “Rita” Cowan)でした。リタハウス以外のリタに由来する施設や商品として、リタ幼稚園、リタロード、ニッカバー リタ、ニッカ アップルブランデー リタ 30年、リタハイボールがあります。
クリックすると拡大

旧事務所の近くでは熟成樽を運ぶフォークリフトにも出会えます。写真を撮ると運転している方が挨拶してくれました。散策路を横断するのでガードマンの人が交通整理をされていました。リタハウスも近くにあります。
クリックすると拡大

リタハウスと旧事務所とフォークリフトが写った写真があったので紹介します。
クリックすると拡大

こちらは旧竹鶴邸( )です。
1935年に竹鶴政孝・リタ夫妻の住居として工場内に建てられました。その後に余市町の郊外山田町に移設されましたが2002年に再び工場内に移築・復元されたそうです。玄関ホールと庭園が一般公開していました。こちらも登録有形文化財&近代化産業遺産でした。
クリックすると拡大

クリックすると拡大こちらが竹鶴邸の玄関ホールです。
ニッカウヰスキーの創業者の竹鶴政孝は広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)で酒造業・製塩業(現在の竹鶴酒造)を営む竹鶴敬次郎の四男五女の三男として1894年6月20日に生まれたそうです。酒造りの第一歩は兄二人が酒づくりを敬遠していたこともあり、大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)の醸造科に進学したことでした。1916年3月に卒業を待たずに大阪市の摂津酒造に入社し頭角を伸ばしてきて社長の阿部喜兵衛と常務の岩井喜一郎の命を受けて単身スコットランドに赴き、グラスゴー大学で有機化学と応用化学を学ぶことになり積極的にウイスキー蒸留場で実習を行ったそうです。竹鶴政孝のこの現地修行が成功していなければ、現在の日本のウイスキーは実現していなかったといわれるほどでした。クリックすると拡大
1920年1月8日にリタと結婚し、同年1920年11月に帰国しました。その後、世界恐慌などにより摂津酒造を1922年に退職し、現在の桃山学院高等学校で教鞭をとっていました。そこに寿屋(現在のサントリー)の社長の鳥井信治郎から声がかかり、竹鶴の技術によって1924年11月11日に山崎蒸溜所を竣工させ、竹鶴はその初代所長となったそうです。それから約束の10年経ち1934年3月1日に退職して、自分がウイスキー造りの理想の場所とした余市に大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を設立するに至ったそうです。
クリックすると拡大

部屋の奥から見た玄関側の写真です。左に竹鶴政孝と妻の竹鶴リタの写真が飾られていました。
クリックすると拡大

玄関ホールに竹鶴邸の模型がありました。右の建物が玄関ホールで左の建物が住居部分です。
クリックすると拡大

玄関ホールから見た玄関部分です。洋風な雰囲気がありました。
クリックすると拡大

ウイスキーの熟成樽の貯蔵庫群だと思われます。
クリックすると拡大

こちらも貯蔵庫だと思われました。
クリックすると拡大

散策路沿いに創業時に建てられた1号貯蔵庫( )がありました。見学用に開放しているため、空樽を設置しているそうです。こちらも登録有形文化財&近代化産業遺産です。
クリックすると拡大

1934年当時の貯蔵庫と思うとロマンを感じます。このような熟成樽の貯蔵庫を見たのは2度目となりました。クリックすると拡大初めて見たのがアメリカのケンタッキーのバーボン工場でした。そこにも巨大な貯蔵庫群がありました。その時に知ったのがスモールバッチ(Small Batch 少量生産)のバーボン(Bourbon)でした。その時の記事はこちらです。→ポチッ
クリックすると拡大

こちらがウイスキー博物館( )の入口です。
クリックすると拡大

ニッカウヰスキー余市蒸溜所のパンフレットの中にウイスキー博物館の配置図(館内図)があったので紹介します。上の写真はINと書かれた部分から入ったところです。


ここの一番奥で有料ではありますが貴重な余市モルトの試飲が出来ます。
クリックすると拡大

クリックすると拡大最後に訪れたのがニッカ館の2階にある無料試飲ラウンジ( )です。案内板には試飲会場と書かれていましたが、会場と呼ぶよりはラウンジと呼ぶ方がふさわしい雰囲気なので試飲ラウンジと書かせていただきました。下の写真で右の方が入口で、そこの入口の方に名前を書いた用紙を渡して3種類の無料のウイスキー等を受け取りました。つまみは自動販売機でビーフジャーキーを買いました。建物の1階はレストランになっていました。
左の方に水や氷や炭酸水が置かれていました。さらに飲み放題のジュースも置かれていたので子供も大満足でした。ここで有料なのは自動販売機のつまみだけでした。
クリックすると拡大

こちらが3種類の無料ウイスキー等です。アップルワインは普通のワインではなくウイスキーのようにきついものなので調べてみるとアルコール度数が22%でした。どうやらアップルワインにアップルブランディーをブレンドしているようでした。
 左側 竹鶴
 中央 スーパーニッカ
 右側 アップルワイン
クリックすると拡大

我々のテーブルです。私と息子が試飲のウイスキーを飲んだのでここからは息子の奥さんが運転いたしました。
クリックすると拡大

2階の試飲ラウンジからの余市蒸溜所の景色です。遠くに見える建物は貯蔵庫のように思われました。
ニッカウヰスキーの「ヰ」が気になって調べてみました。「ヰ」自体は日本語の「わ行」の2番目の音節で片仮名(カタカナ)の一つです。平仮名(ひらがな)では「ゐ」で、発音は「イ」と同じです。WHISKYは元々は「ウヰスキー」と書かれる事が多かったそうです。竹鶴政孝は会社登録するとき、水が命なので「ヰ」ではなく井戸の「井」を使った「ニッカウ井スキー」にしたかったそうですが、形が似ていたことから、役所がその頃の一般的な書き方のウヰスキーだと思い会社名は「ニッカウヰスキー」になってしまったそうです。ただしニッカの第一号ウイスキーの商品名「NIKKA WHISKY」は日本語表記が「ニッカウ井スキー」となっているそうです。
  わ行:わ (う) ゑ を   ワ行:ワ (ウ) ヱ ヲ


ニッカウヰスキー余市蒸溜所で長男家族と楽しく過ごした写真を紹介します。私は5枚目と8枚目の写真に写っています。4枚目と5枚目は同じ場面で4枚目は私が撮って、5枚目は息子の奥さんが撮った写真です。
クリックすると拡大



ニッカウヰスキー余市蒸溜所の場所をGoogle地図で紹介します。
  ニッカウヰスキー余市蒸溜所      7月21日
  山本観光果樹園   さくらんぼ狩り  7月21日
  みさき       赤ばふん生うに丼 7月22日
  汐さいの宿・海浜館 泊まった宿    7月21日~22日
  新千歳空港              7月21日 7月23日
 ━━ 新千歳空港 A B 汐さいの宿・海浜館  7月21日移動ルート