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中国出発の前日の夕食は、お寿司と京漬物とワラビ餅 [話題]

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中国に出発する前日(2016年10月22日)は土曜日で、家内は遅くまで弓道に行っていたし、私は中国へのお土産用の漬物を買いに行くなど、バタバタしていたので、夕食は買ってきたものにいたしました。翌日から海外なので、日本らしいお寿司にいたしました。中国への漬物として京漬物を31個買ったので、我が家の夕食用に、もう一つ買いました。京漬物は東武デパートまで買いに行ったので、そこでついでに、お気に入りのワラビ餅も買いました。寿司を買ったのは下記のお店です。
  店名 鮮魚・山助 イオンタウン・ユーカリが丘店
  住所 千葉県佐倉市西ユーカリが丘6-12-3 イオンタウン西街区内
  電話 043-463-6885
  定休 無休 (営業時間、イオンタウンと同じ)

こちらが京漬物です。我々用に買ったのは、少し珍しいカボチャの漬物です。お土産にした漬物も、カボチャが一番多かったです。
  店名 土井芝ば漬本舗 東武百貨店船橋店
  住所 千葉県船橋市本町7-1-1 東武百貨店船橋店B1F
  電話 0474-26-3081
  定休 無休 (営業時間、定休日は百貨店食料品売場と同じ)
  本店 京都市左京区八瀬花尻町41  
  創業 1901年(明治34年) 115年前
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もちろんビールを頂きました。


お吸い物も即席の物にいたしました。
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これが買ってきた作り立ての「わらび餅」です。デパートの中のお店ですが店頭で作っているのです。写真のようにきな粉と抹茶の2種類を2個づつ買ってきました。
一度紹介したようにプリプリ感がすばらしいです。→ポチッ
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半分に切って両方を頂きました。お店を紹介します。創業は上で紹介の漬物屋さんと10年違いでいずれも100年を超えていました。もう一つは出発の日の朝にいただきました。
  店名 和菓子 村上 船橋東武店(金沢和音)
  住所 千葉県船橋市本町7-1-1 東武百貨店船橋店B1F
  電話 047-425-2211
  定休 無休 (営業時間、定休日は百貨店食料品売場と同じ)
  本店 石川県金沢市泉本町1-4
  創業 1911年(明治44年) 105年前
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日本からの出国便も紹介します。 [機内 CY]

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上海からの帰国便を前記事で紹介いたしましたので、2016年10月23日の成田空港からの出国便も紹介します。フライトは9時50分発のJL873でした。搭乗時刻は上の搭乗券に書かれているように9時15分でした。

最寄駅を7時21分の電車に乗って成田空港に向かいました。
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中国に赴任している人たちへの、今回の日本からのお土産は、生ラーメンが35袋と漬物が31個でした。31個の漬物の中には、南瓜、長芋、きのこ、玉ねぎ、などの珍しいものも入っています。現在、日本人が31人赴任されていて、奥様が4人と、小さな子供さんと赤ちゃんが計3人が行かれているので、合計38人の日本人が日本から中国に行っています。その方たちのお土産で、スーツケースは預ける重量限界の32kgになりました。
中国で日本人を沢山雇っている会社はあると思いますが、すべての日本人を、日本の本社から、これだけ沢山の日本人の正社員を中国に派遣しているケースは珍しいと思います。
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今回の中国訪問が、2016年は3回目ですが、1994年からの累計では103回目になります。訪問が集中したのは2004年から2007年の4年間でした。4年間だけで45回になりました。1994年からは22年となるため、私にとって中国の関りは一つの歴史でもあります。クリックすると滞在日数のグラフを表示します。
 1994年からの歴史の記事→ポチッ
 初めての中国訪問の記事 ポチッ
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世界全体では1988年から29ケ国を訪問しました。その回数は今回が272回目となりました。こちらもクリックすると滞在日数のグラフを表示します。
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国別回数のグラフを紹介します。右の写真は28年前、初めて海外に行った時の写真です。撮ったのは1988年3月1日で、場所は台湾の羅東です。
 初めての台湾訪問の記事 ポチッ
クリックすると拡大 103回 中国
  37回 台湾
  18回 アメリカ
  16回 ベトナム
  16回 韓国
  13回 インド
  10回 ドイツ
   8回 フランス


私の最寄駅から30分で成田空港に着くので、電車に乗って40分後には空港のラウンジに着きます。最近は名物のビーフカレーが朝から食べれるのでさっそく赤ワインでいただきました。まさに肉料理と言った感じのカレーライスなのです。
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日本酒や白ワインやシャンパンも飲めます。
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エコノミー(Yクラス)の機内ではシャンパンが飲めないことを思い出してシャンパンもいただきました。
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こちらが機内食です。メインは「室蘭やきとり丼」です。鶏肉の中華春雨と、フレッシュサラダがついていました。Yクラスで飲めるアルコールは赤ワインと白ワインとビールなので、ビールにいたしました。ビールの銘柄に関してはFクラスやCクラスと同じなのです。
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機内食ではこの「室蘭やきとり丼」がよかったです。室蘭やきとり丼に使われている肉は鶏ではなく豚肉だそうです。豚肉と玉ねぎを焼き鳥のように焼いた室蘭名物の肉料理だそうです。
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ビールは追加を持ってきていただいたので、遠慮なしにいただきました。
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デザートは六花亭のホワイトチョコレートでした。今回のように「室蘭やきにく」や「六花亭のホワイトチョコレート」の味は確かなので、Yクラスの機内食に取り入れているのは成功だと思います。
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日本茶でチョコレートを頂きました。帰国便は窓側の席で外の景色を撮ることが出来ましたが、出発便は通路側だったので、外の景色は撮れませんでした。
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映画はインデペンデンス・デイのリサージェンスを見ました。席に座ってすぐに見始めたので、さらにジャングル・ブックの実写版を8割方見ることが出来ました。残りの2割は帰国便で見ました。
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タグ:機内食 上海

上海から帰国しました。 [機内 CY]

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昨日2016年10月28日に上海から帰国いたしました。出発したのは10月23日だったので、5泊6日の旅でした。今回はエコノミー(Yクラス)にいたしました。今までは、ずーとビジネス(Cクラス)または時々ですがファースト(Fクラス)でしたが、5月に久しぶりに長距離便(パリ往復)でビジネスクラスに乗ってから、近距離便でビジネスに乗るのはもったいない気になって、前回の7月の中国往復からエコノミーにいたしました。ちなみに今回は103回目の中国訪問でした。
 時々       長距離 Fクラス→ポチッ (計15回)
 2016年03月23日 近距離 Cクラス→ポチッ
 2016年03月27日 近距離 Cクラス→ポチッ
 2016年05月08日 長距離 Cクラス→ポチッ (パリ便)
 2016年05月14日 長距離 Cクラス→ポチッ (パリ便)
クリックすると拡大 2016年07月04日 近距離 Cクラス→ポチッ
 2016年07月09日 近距離 Yクラス→ポチッ
 2016年10月23日 近距離 Yクラス→ポチッ
 2016年10月28日 近距離 Yクラス→ポチッ

上海市内のオークラガーデンホテルを8時30分にタクシーで出発して、空港に到着したのは9時15分でした。以前はすぐにチェックインカウンターに着けましたが、前回の時から空港ビルに入るときに安全検査が追加されたためにチェックインカウンター前に着いたのは9時25分でした。下記にあるようにチェックインが始まるのは9時30分だったので、絶妙のタイミングでした。日によって出発時刻は変わるので、記載している出発までの時間は参考となりますが、受付は概ね60分前に打ち切られるので余裕をもって来ることが必要なことが判ってもらえると思います。
 フライト    受付時刻  出発   出発までの時間 
 JL872 成田 06:30~08:00 08:50 2時間20分前~50分前 
 JL874 成田 09:30~10:50 11:50 2時間20分前~60分前  
 JL894 関空 09:30~12:20 13:25 2時間55分前~65分前 
 JL876 成田 09:30~13:05 14:00 4時間30分前~55分前 
 JL884 中部 15:00~16:40 17:30 2時間30分前~50分前 
 JL898 関空 15:00~17:10 17:50 2時間50分前~40分前 
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ラウンジに着いたのは10時20分でした。チェックインしてから50分でしたが大半が出国審査後の安全検査でした。さっそくお気に入りの西京焼きと味噌汁を頂きました。
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チャーハン(炒飯)とカレーがあったので、さっそくカレー炒飯をしてみました。海外の空港の日本の航空会社のラウンジはカレーライスが定番のように感じます。
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予定時刻に25番搭乗口から飛行機に乗りました。座った席から撮った景色です。
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アニメの「ドラエもん」がラッピングされたJAL気が目の前を通過したので写真を撮りました。「ドラエもん」長い人気です。最近の上海空港は混雑で予定通りに登場しても飛行機が混雑していることから待たされることが常態化しています。この日も40分待たされました。
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やっと飛行機が動き出しました。こちらは第2ターミナルのビルだと思います。我々は左端に写っている第1ターミナルから出発しました。
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上海浦東空港の離陸をどうがに撮りました。動画を見ると飛行機に乗っている気分になっていただけるかもしれません。


安定飛行に入ると機内食と飲み物が出されました。この日のメインは牛丼でした。四角い器の左側に入っていたのが、スモークサーモンと、鴨胸肉のスモークと、ツナサラダでした。右側はフレッシュサラダです。それ以外にクラッカーとデザートがついていました。飲み物は日本のビールを頂きました。
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今回のメインの牛丼は驚くほどの美味しさでした。ただし野菜はいまいちでした。少しカリカリ気味の牛肉が美味しかったのです。スモークサーモンや鴨胸肉やツナサラダはビールのあてになりました。
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後、褒められる味だったのがデザートでした。
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飛行機が高度を下げていくときに雲に突っ込むときの動画を撮りました。雲が2段になっていたので2度雲に突っ込みます。雲に突っ込むときはいつも「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」で飛行船や飛行機が雲に入る場面を思い出します。


10月23日の成田からの出発では新しいインデペンデンス・デイとジャングル・プックを見たのですがジャングル・プックは途中までしか見れなかったので、ジャングル・プックの残りの部分を見た後にX-MEN:アポカリプスを見ました。長い映画でしたが搭乗口に飛行機が停まっている時から映画を見たので最後まで見ることが出来ました。飛行機が40分遅れたおかげで映画も最後まで見れたと言えます。紀元前3600年のエジプトで君臨していたミュータント「アポカリプス」が現在に蘇った話でした。
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成田空港へ着陸して搭乗口に着くまでの動画の中で、機内放送が始まる辺りから紹介します。到着時の3ケ国語の機内放送を聞くことが出来ます。機内放送で到着が午後4時30分であることが判ってもらえると思います。到着予定は15時50分でした。

エジプト考古学博物館 [エジプト]

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ここはカイロ市内にあるエジプト考古学博物館の庭です。ここには外国の沢山の人がこられていました。
有名でかつ貴重な展示品が沢山あり沢山の観光客の人が訪れています。昔はカメラが持ち込めたようですが、この時はカメラの持ち込みが禁止されていました。秘宝を写真で紹介できないのが残念です。私がエジプトに来た時には新しい博物館が作られていたので、今は状況が違うかもしれません。

12万点以上のコレクションがあるのでナルメル王のパレット、メンカウラー王の像、神官カー・アペルの像、書記の像、カフラー王の像、ラヘテプとそのツマネフェルトの像、クフ王の小さな像、ハトシェプスト女王の像など5100年前から4300年前の展示品など有名なものを紹介してもらいました。
ただしツタンカーメンの秘宝や副葬品に関してはすべて見ました。さすがにすごいの一言です。純金のマスクも有名ですが純金製の110kgの内棺はため息がです。あらゆるものが想像を超えていました。この写真は建物の入口の部分です。パピルス紙の原料のパピルスの一種(葉が少し違います)が印象的でした。
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蓮の一種も印象的です。
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これがエジプト考古学博物館のチケットです。


博物館の中にはミイラ室があります。100エジプトポンド(約2000円)の下のチケットを買えば2っのミイラ室に入ることが出来ます。2部屋あわせて24体のミイラを見ることが出来ました。最も有名なのがラムセス2世のミイラです。沢山の王(ファラオ)のミイラが展示されていました。

インドのムンバイは久しぶりでした。 [インド]

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上の写真はインドMumbaiの夜のマリンドライブ(海岸道路)です。インドでもここは別世界の場所です。日本と3時間半の時差です。
Mumbmiの町に初めて来たのは1992年7月20日で2回目が1995年11月15日で、今回は十数年ぶりになります。
車は大都会なみになってきており中国と同様に変わってきています。ただし、きれいな町並みはまだ一部だけです。
今回泊まったホテルは海に面したホテルでジョギングをしている人が多く見受けられ遠くから見ると欧米のようなところです。ただし、歩いているのはインド人です。
小さなホテル(Hotel Marine Plaza)ですが上海の古い町並みのように雰囲気のある場所です。インド人がわざわざこの場所を選んでくれたのは判る気がします。(インドにもこのような場所があるのだと!)
海岸のジョギングロードには椰子の木が並び、海を挟んで立ち並ぶ高層ビルが見えます。景色だけではありません。昔はホテル以外では食事は難しかったけれど今はレストランで食べれます。沢山あります。

今は現地語にもとずくムンバイ(Mumbai)と呼ばれていますが昔はボンベイ(Bombay)が使われていましたが、1995年に公式名称が、現地語(マラーティー語)での名称にもとづくムンバイへと変更されました。ただし今でもムンバイの有名な大学の名前はボンベイ大学('Bombay University)です。
ムンバイで有名なタージマハール・ホテルです。テロがあってさらに世界に名前が知れ渡ったホテルです。
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意外と知られていないかもしれません。エレファンタ島の世界遺産洞窟です。ムンバイから船で1時間の距離にあります。エレファンタ島に関しては後日詳し記事を掲載させてもらうつもりです。タージマハール・ホテルに関しても詳しく掲載する計画です。ムンバイの街の中にある世界遺産の駅に関してはすでに記事で報告済みです。
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タグ:ムンバイ

女子四楽坊? [北京]


    
北京で大きな晩餐会で食事の時に4人の女性が演奏してくれました。
昔、女子十二楽坊が流行ったことがあります。女子十二楽坊ならぬ女子四楽坊でした。
同じ4人の女性が服装を変えてもう一度!
小さい写真ですみません。4人が一緒に写った大きな写真を掲載すると後ろの文字で私の仕事が、わかってしまうかもしれないので小さい写真にさせてもらいました。雰囲気だけはわかってもらえるでしょうか。

一番上の写真の右側と同じ人です。服装で雰囲気が変わりますね。特に琴の演奏は!  この写真はクリックすると拡大します。
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胡弓も立って演奏するとモダンです。 休憩中の会話

ちなみに有名な「女子十二楽坊」の「十二」はメンバーの人数を指しているわけではなく、中国で縁起のいい数字を使用したものだそうです。プロデューサーの王暁京によると、中国の三大奇書の一つである『紅楼夢』に登場する12人の美女(金陵十二釵)と唐代の王宮にあった「教坊」から発案され、命名したと言われているそうです。

このとき私はテレビの取材を受けてNHKの夜のニュースに出ました。
そのこともあり印象的な北京訪問になりました。
でもテレビ画面に出た私の名前の一文字が間違えていました。
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タグ:NHK

紅葉の函館山 [函館]

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函館に行ってきました。函館山は函館の町から延びた岬にあります。高さは334mなので現在の東京タワーより1m高くなります。紅葉の季節でした。
見えている海は函館湾で沢山の船が行き来していました。

葉が色づいてきています
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白樺と紅葉が混ざった景観です。
これも魅力的な景色です。
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海に挟まれた町、函館の町です。左側が函館湾で右側は津軽海峡に面した大森浜です。この展望台には観光バスのための大きな駐車場があるのに、観光バスを見かけませんでした。
乗ってきたタクシーの運転手さんに理由を聞くと、観光ツアーのバスは有名な夜景を見るために夜に上がってくるので昼間は少ないそうです。確かに観光ツアーで2度も登って来ることはしないですね。
そういえば、函館の夜景はすばらしいと聞いたことがありました。函館の夜景は、香港、ナポリと並んで世界三大夜景のひとつといわれているそうです。
夜にクリックしてみてください。⇒ポチッ ←ライブの画像です。
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五稜郭タワーから見た函館山(334m)です。上の写真をクリックして拡大すると下の写真を撮った白い五稜郭タワーが判ると思います。中央より少し左です。


昭和32年4月に作られた、このような石盤がありました。伊能忠敬が北海道の測量の基点にしたのが函館山だそうです。


ネットの衛星写真を拝借しました。中央の海に囲まれた山が函館山です。景色のよさそうなところであることが判ってもらえたと思います。+を数回クリックすると写真を撮った展望台が現れてくるはずです。


王の散歩道 L’Allée royale(ロイヤル通り) [ヴェルサイユ宮殿]

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クリックすると拡大ヴェルサイユ宮殿の庭園の中でランチを食べた後は宮殿に戻りました。上の写真は大運河(Grand Canal)の湖畔から宮殿を見た景色です。
一番手前にある噴水は「アポロンの泉水(Bassin d’Apollon)」です。右の写真は宮殿から大運河の方向を見た景色です。この景色の中を歩いて宮殿に戻りました。その景色を順に紹介したいと思います。
大運河から宮殿前のラトナの階段までを「王の散歩道」と呼ばれています。あるいは「ロイヤル通り」とも言われています。「王の散歩道」は中央に緑の芝生が帯状に広がっていることから別名「 緑の絨毯」とも呼ばれ、全長335m、幅40mあります。設計はルイ13世の時代で、後にル・ノートルが大々的な整備を行って拡張し、12体の彫像と12の壷を対称的に配置したそうです。
両側には、それぞれの木立ちが配置され、歩を進めるにしたがって人々が異なった木立ちを発見できる仕組みになっているそうです。

航空写真で歩いたルートを紹介します。航空写真の中の橙色のライン(━━)がランチを食べたレストランから歩いた「王の散歩道」です。
  ━━ 散策ルート
  ━━ ミニ・トレインのルート
   ランチを食べたレストラン La Flottille
   ヴェルサイユ宮殿 


こちらの写真も冒頭の写真と同じ場所から撮ったものです。カメラのレンズのズームの倍率が違うだけなのです。冒頭の写真は拡大されていることが判ってもらえると思います。
この写真はレンズの焦点距離が24mmに対して、冒頭の写真のレンズの焦点距離は105mmなので4.375倍に拡大されていたのです。
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同じ場所から大運河の方向も撮りました。大きな十字架の形をした湖である大運河(Grand Canal)は日本語では大水路とも訳されています。フランス語の Grand Canal は Le Grand Canal とも書かれます。
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大運河の湖畔を歩いて最も右側(南側)まで来たところからの宮殿方向の景色です。木々に隠れて宮殿は見ることは出来ません。
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さらに進んで「アポロンの泉水」の真横まで来て撮った写真です。
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「アポロンの泉水」と反対側の景色です。緑の中の小道がきれいでした。
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庭園の中央まで移動して宮殿を撮りました。撮影は105mm(4.375倍)なのでズームレンズ24-105mmで精一杯拡大した写真です。
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王の散歩道は右側(南側)を進むことにいたしました。焦点距離24mm(1.0倍)での景色です。
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こちらは105mm(4.375倍)で撮ったので、進んでいるように見えますが、上の写真とほぼ同じ場所からの景色です。
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道の脇には素敵な雰囲気の場所がいくつもありました。
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こちらも105mm(4.375倍)で撮った写真です。2枚上の見比べてもらうと少し進んだことが判ると思います。
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このような小道がいくつもありました。上で写っていた女性は右に曲がって、その小道の方に進みました。焦点距離は67mm(2.79倍)です。
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大運河の方向に振り返った景色です。105mm(4.375倍)での景色です。
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同じ場所から24mm(1.0倍)で撮った大運河方向の写真です。
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同じく24mm(1.0倍)で撮った宮殿方向です。まだ宮殿まで距離があります。
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宮殿前のラトナの階段(Escaliers de Latone)下の広場まで来ました。見えている大噴水は「ラトナの泉水(Bassin de Latone)」です。こちらの焦点距離は47mm(1.958倍)です。
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同じ場所から大運河方向を撮りました。焦点距離は105mm(4.375倍)です。
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ラトナの泉水の頂部の女神と思われる彫像です。女神にとまっているカラスが気になりました。
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頂部の彫像以外の彫像は金色に飾られていました。彫像のカエルとカメが大部分を占めていました。こちらが北側です。特にカエル(蛙)の数は多かったです。
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そしてこちらが南側です。
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こちらがラトナの泉水(噴水)の全体です。ラトナの泉水はオヴィデウスの変身物語の中の一場面で、アポロンの母とディアナの伝説を描いたものだそうです。カエルたちは変身させられた農民たちのようです。
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宮殿が建っている高さまで上って王の散歩道の方を振り返った写真です。
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ラトナの伝説を枠内に転記いたしました。
ラトナの伝説
アポロンとディアナの母でジュピターの愛人であるラトナは、ライバルのユーノーから生涯追放の宣告を受けます。ある日、現在のトルコ南部に到着し、喉の渇きを癒そうと沼に近づきます。しかし地元の農民に愚弄され、それに腹を立てたラトナは、農民に呪いの言葉を浴びせ、蛙に変身させてしまいます。ラトナの泉水は、オヴィデウスの『変身物語』の第6巻に語られたエピソードに由来しています。

ラトナとジュピターのライバル関係
ギリシャ神話のレト神と同一視されるラトナ神は、コイオス神とフォイベ神の娘。ジュピターの愛人となり、アポロとディアナの二子をもうけます
ジュピターの妻ユーノーは、ラトナの妊娠を知って激怒します。ユーノーはライバルを国外に追放し、いかなる土地も彼女の出産を受け入れてはいけないという命令を発します。生涯追放の不遇に見舞われたラトナは、東西を放浪し、デロス島に一時的な隠れ場を見つけてアポロンとディアナを出産します。
ラトナは双子を出産するや、ユーノーの憤怒から逃れるために再び逃亡を始めなければなりませんでした。ラトナの旅はリュキア国境まで続き、そこでおきたエピソードがヴェルサイユの庭園の物語の由来となっているのです。

ラトナとリュキアの農民との遭遇
逃走中のある時、ラトナは現在のトルコ南部にあたる小アジアのリュキアに到着します。くたくたで喉もからからの彼女がその地に足を止めると、谷底に池があり、その周りで農民達がイグサや海藻を採っているのを発見します。澄み切った沼の水に引かれ、喉の渇きを潤そうと近づきます。水面に顔を傾けると、農民達がそれをはばみ、水を飲ませてくれません。驚いたラトナは農民達をなだめてこのように答えます。
「どうして私にこの水を拒むのですか? 水は皆のものです。善良で賢い自然は、万人に空気、光、水を与えました。皆に等しく与えられた恵みに私もあずかりたいのです。ですが、私はあえてあなたたちに懇願します。私が望むのは、疲れたはてたこの体を冷やすためではなく、喉の渇きを潤すだけなのです。口の中がカラカラで声を出すのもままなりません。私にとってこの水は美酒に相当します。一生のお願いです。どうかこの水を飲ませて下さい。ああ! この胸にもたれているわが子2人が差しのべるひ弱な腕に、どうか触れてあげてくださいませ。」
こうした哀願にも耳を貸さず、農民達は拒み続けます。命令に従ってこの場を去りなさいととラトナを脅します。ラトナに水を飲ませまいと、農民達は沼に飛び込み、水の底で足踏みをし腕で水をかき混ぜ、水面に厚い泥を浮き上がらせます。

ラトナの怒りと変身
逆上したラトナは、喉の渇きも忘れ手を天に差しのべこう叫びます。「汝らよ、いつまでも池の淵で生きるがよい!」 やがて彼女の願いがかない、農民の体が変身していきます。
狂気に捕らわれた農民達は、たちまち池に飛び込みます。もぐっては浮かび、再びもぐっては水面に顔を出し、最後にはまた水中に消えていきます。潜水を繰りかえしながら、農民らはラトナを罵り続けます。罵倒の声は水中からも聞こえました。やがて農民達の声が変化し、喉が膨れ、口が大きくなり、首が肩に陥没し、背中が緑色にそしてお腹が丸く白くなっていきます。こうしてリュキアの農民の体は蛙となり、ラトナが誓った復讐どおり、蛙となって永遠に池の淵で生きることになったのです。

ヴェルサイユの庭園の逸話の意味
ヴェルサイユの庭園の中心であるラトナの泉水は、こうしたラトナとリュキアの農民の出会いの逸話がもとになっています。
最上段にある集合像は白い大理石で作られました。アポロンとディアナの2人の子供は哀願するように農民に手を差し延べています。レトナは空を見上げ、口を半ば開いて農民達に呪いの声をつぶやきます。壇上にある大理石のまばゆい白さが、下段に設置された鉛の像とのコントラストを印象づけています。
 半人半獸の像は、6人の農民の体が変身しているところです。ほぼ人間のままの者もいれば、手がシュロの葉の形に変わりすっかり蛙に変わっている者もいます。彼らの口から吐き出される水は、ラトナに浴びせるののしりを表しています。

追伸
今日(2016年10月23日)から10月28日まて中国に行ってきます。フライトは下記の通りですが、帰国までの間は、ネット事情から皆さんのところに訪問できないことをお許しください。最寄駅が7時21分の電車に乗る予定なので、7時10分には家を出る予定です。


ヴェルサイユ宮殿の屋外レストランでランチ  [パリのレストラン]

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ヴェルサイユ宮殿の敷地内で食べたランチです。ヴェルサイユ宮殿内でランチを食べたいと思っていた願いを実現出来ました。

宮殿正面の庭園の大運河の湖畔にある屋外レストランです。写真の左側に緑のパラソルが立っているところが我々がランチをした屋外レストランです。
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航空写真でレストランの位置を紹介いたします。黄色のマーク( )がランチを食べたレストラン La Flottille の場所です。小トリアノン宮殿内を見学した後にミニトレインに乗って、レストランの近くまで来ました。
   ランチを食べたレストラン Restaurant La Flotille
   ヴェルサイユ宮殿 
   大トリアノン宮殿
   小トリアノン宮殿


我々が座った席から見たレストランです。雨模様になって来たので緑のパラソルを開きました。でも幸いにもランチの間も、ヴェルサイユ宮殿にいる間も雨が降ることはありませんでした。
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我々は景色のよく見える場所に座らさせてもらいました。店員さんにお願いして右の記念写真も撮ってもらいました。下の写真は座った席から撮った景色です。湖は、上空から見ると十字架の形をした大運河です。この景色を見るとヴェルサイユ宮殿で食事をした実感が湧いてきました。
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水を頼むと大きなボトルで出てきました。もちろん無料の水の方を頼みました。前日(旅行4日目)にパリに長く住んでいる懐かしい人とワインバーに行って無料の水の注文の言い方を教えてもらったお蔭でした。
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やはりフランスです。オリーブオイルやソースがテーブルに並びました。
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もちろん無料のパンも並びました。フランスのフランスパンはやっぱり美味しいです。
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そして注文したピザが出てきました。2人でシェアーして食べました。この日のディナーは旅行中で一番格式のあるフランス料理のレストランを予約してあったので軽めのランチといたしました。飲みたかったワインも我慢いたしました。
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サラダも頼みました。ヨーロッパぽいボリュームのあるサラダが出てきました。ライスも入っていました。料理としては特別なものではありませんでしたが、ヴェルサイユ宮殿の中でランチを食べる思いが叶い、特別なランチとなりました。
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お店の詳細を紹介したいと思います。今回は屋外で食べましたが道路を挟んだところに立派な本館があります。20秒ほどの距離なので料理はそこから運ばれてきます。本格的な料理も食べれるようなのでホームページ(HP)で確認してみてください。手前のテントが屋外レストランで、奥の建物が本館です。
 店名 Restaurant La Flotille
 住所 Parc du Chateau de Versailles,
    1 Boulevard de la Reine, 78000 Versailles
 電話 013-951-4158
 営業 8:00~19:00
 定休 無休
 HP http://laflottille.fr/en/

佐倉で評判の和食店に下見に行きました。 馳走 かく田 [千葉]

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家内が知り合いと計8名で2016年10月18日に食事会をいたしました。幹事が家内だったこともあり場所とメニューを決める目的で家内と2人で事前に下見を行きました。こちらのお店は美味しいと口コミで聞かされていたのですが、家内の知り合いは食通が多いとのことなのでお店選びに迷っていたのです。下見に行ったのは10月5日で、前日に予約をしてから行きました。実は以前(2015年11月1日)にもランチを食べようと、予約なして行ったことがありましたが、満席で諦めて帰ったことがあったのです。その時は帰り道にあった蕎麦屋に行き新蕎麦に出会えました。

今回のお店は、箸にもこだわっていて、国産のヒノキで特注されているそうです。箸の先は細く仕上げられていました。この箸は持ち帰ることが出来ました。材料には普通は廃材となる間伐材や背板を使っているそうです。
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ランチのメニューです。家内たちの会食は、平日で8名となるので候補は旬菜前か彩り弁当に限られます。ただし下見で食べたのは平日5食限定の四季膳(1700円)と、彩り弁当(2800円)でした。料理のコース選びならば、四季膳ではなく旬菜前でしたが、5食限定に四季膳を魅かれて選びました。
 四季膳  1700円 平日のみ 5食限定
 旬菜前  2200円 旬の食材
 彩り弁当 2800円 品数が多い
 茶壺弁当 3600円 土日祝日のみ 10食限定 新メニューの3段弁当 
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最初に彩り弁当の茶碗蒸が出されました。冒頭の写真が茶碗蒸が出されたところの写真でした。
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想像以上にいろんな具が入った茶碗蒸でした。
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最初に家内が頼んだ5食限定の四季膳が出されました。
これにご飯と味噌汁が付きます。
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中央の皿には焼魚に玉子焼に漬物が乗っていました。デザートのワラビ餅に柿と栗も乗せられていました。
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こちらは野菜のお浸しでしょうか。
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これは胡麻豆腐でしょうか。
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野菜の煮びたしもありました。
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サラダの上に乗っているのは、イカとマグロの刺身で、ドレッシングでカルパッチョ風になっていると感じました。
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ゴボウのきんぴらでしょうか。これに茶碗蒸しが乗っていました。ここまでが四季膳の紹介です。5食限定に四季膳(1700円)はお得なコースでした。きっと初めての方への紹介を目的としたサービスコースなのだと感じました。それだけ味に自信があるのだとも感じました。
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こちらが彩り弁当です。
蓋つきの2段重ねで持ってこられて、目の前で並べられました。可愛らしい料理が並べられていました。これに冒頭の茶碗蒸しと、ご飯と、赤だし、漬物が加わって、彩り弁当の料理すべてとなります。
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ご飯は地元の新米です。それも自家栽培のお米だそうです。ご飯はおかわり自由でした。
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赤だしも出されました。
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西京焼きと栗です。
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こちらは雲丹豆腐です。上にイクラとワサビが乗せられていました。
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がんもどきのように固められた料理です。
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揚げ物もありました。
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お造りは鯛とカンパチでした。
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左上の料理も美味しかったです。玉子焼に鴨でしょうか。右の丸いものはデザートの和菓子です。
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こちらの小鉢の料理も良かったです。食べ終わってその場で10月18日の会食の予約をして、料理も今回食べた彩り弁当を予約いたしました。料理は同じでも食材は変えられていて、皆さんが美味しかったと言われていたと聞きました。下見に行った絵画ありました。
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お店を紹介いたします。Google地図の中央のマーク( )の場所です。
 名前 馳走 かく田
 種類 日本料理
 住所 千葉県佐倉市大崎台1-20-5
 電話 043-308-3383
 営業 11:30-14:00 17:00-22:00
 定休 月曜日
 最寄 JR佐倉駅(470m)
 創業 2011年5月2日


お店の外観の写真を撮っていなかったのでGoogleのストリートビューの写真を紹介します。

タグ:和食

旬のカボスと柿を頂きました。 [日々]

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先日、お世話になっている方からカボスと柿を頂きました。カボスは、その方も知り合いの方から頂いたものだそうです。貴重なものを沢山いただきました。カボスを漢字で書くと臭橙あるいは香母酢です。臭橙は橙(だいだい)古名「カブス」からきている説と、皮をいぶして蚊除けに使われた「蚊いぶし」あるいは「蚊附子」が転じた説があります。香母酢は、香りがよい酢(果汁)の意で、「カボス」の音に合わせ作られたそうです。

柿は家で出来たもので、こちらも沢山いただきました。
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柿はすぐにむいていただきました。昨日、すべて食べ切りました。
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カボスも料理ですぐに使わさせていただきました。カボスを切った断面ですが、瑞々しいのが判ってもらえると思います。
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カボスですぐに思いついたのがサンマでした。大根と一人2匹づつサンマを買ってきました。
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カボスをかけた大根おろしと一緒に食べるサンマは最高でした。
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和食だと、やっぱり冷酒(酒純米吟醸)が飲みたくなります。よく冷やした日本酒は最高でした。
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カボスの汁はたっぷりあったので冷奴にもかけてみましたが、これがまた、いつもと違った味わいで美味しかったです。
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ピーマンとナスとハムの炒め物もかけていただきました。
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サンマの次に思いついたのはチリメン(ちりめんじゃこ)です。近くのイオンタウンで兵庫県産のチリメンジャコが売られていたので、さっそく買ってきました。
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左は大根おろしを下にしたチリメンジャコです。右は大根おろしを上にしました。
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カボスを使うと醤油が少なくても美味しいことが判りました。醤油が無くても美味しくいただけるほどでした。
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こちらは大根おろしを上にした方です。
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炊き立てご飯と一緒にいただきました。
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味噌汁にもいれてみましたが、これも相性が良かったです。なんにでも合いそうでした。
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次に、かぼすで思いつくのが松茸でした。国産松茸は手が出ませんが、偶々、スーパーでカナダ産の大きな松茸を見つけたので買ってしまいました。重さを測ればよかったのですが、大きな松茸の数倍のボリュームがある巨大な松茸でした。お店で並んでいる中で一番大きな松茸を選んだお陰でたっぷりと楽しめました。
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巨大な松茸だったので、焼き松茸にするために写真のように切りました。
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カボスは一つあれば十分な量がありました。カボスはユズの近縁種で、多汁で酸味が強いと書かれていました。スダチと似ていますが大きさが違います。カボスの果実がひとつ100~150gに対して、スダチは30~40g程度だそうです。カボスやスダチは黄色くなる前に収穫するのに対して、柚子(ユズ)は黄色くなってから収穫することが多く果皮の表面はでこぼこしているので区別がつきます。ただし分類学的にミカン属まで同じです。右の写真は柚子です。
クリックすると拡大 門:被子植物門 Magnoliophyta
 綱:双子葉植物綱 Magnoliopsida
 目:ムクロジ目 Sapindales
 科:ミカン科 Rutaceae
 属:ミカン属 Citrus
 種:カボス C. sphaerocarpa スダチ C. sudachi ユズ C. junos
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松茸の量が多いので食卓の上にカセットコンロを置いて焼きながらいただきました。これで常に熱々の松茸を食べることが出来ました。これは大正解でした。
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カナダ産でも少し香りがあり、美味しくいただきました。
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この日はビールにいたしました。


刺身と言えばワサビ醤油ですが、かぼす醤油で食べてみたくて、松茸と一緒にヤリイカを買いました。
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写真のように、わさび醤油と、かぼす醤油の両方を用意いたしました。かぼす醤油で食べるイカの刺身は、初めての味わいで美味しかったです。この食べ方はお薦めです。
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ゲソは焼いてカボスをかけていただきました。これも美味しかったです。
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頂いたカボスは水分が多くて瑞々しかったので飲み物を作ってみることにいたしました。
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瑞々しくて美味しそうですが、そのままだと驚くほど、すっぱいのです。
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カボス1個で、これだけ果汁がとれました。水分が多いことが判ってもらえると思います。
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絞ったカスの方を見ても水分がたっぷりあったことが判ってもらえると思います。
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絞った果汁を拡大いたしました。
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濃いので水で薄めて蜂蜜を入れて飲みました。
ネーミングをするならばカボネードでしょうか。
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別の日にも作ってみました。この時は小さなカボスでしたが、1個でも、これだけの果汁がとれました。
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さわやかな飲み物となりました。
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あとカボスの使い方で思いつくのは鍋です。カボスを頂いた前日に鍋をしていまったので、まだやっていません。鍋をしてから記事を掲載するつもりでしたが、2016年10月23日から海外に出るのでとりあえず記事を書きました。帰国は10月28日です。写真はカボスを頂いた前日に食べたタラ鍋の写真です。
参考にネットで検索したカボスぽん酢の作り方を枠内に転記いたします。
■材料
 カボス絞り汁 200cc(大4~5個分)
 しょうゆ   200cc
 板昆布    3~4cm角1枚
 カツオ節   10g
 酒      20cc
 みりん    20cc
■作り方
 1. カボスは絞って種を取り除く。
 2. ボールにしょうゆとカボス絞り汁を入れる。
 3. 板昆布はよく洗い、水気をふきとりボールに加える。
 4. かつお節を加える。
 5. 酒、みりんを加えてさっと混ぜ、瓶に入れて冷蔵庫で寝かせる。
 6. 1週間経ったら、裏ごしに晒しをかぶせて濾す。
 7. 冷蔵庫で保存し、早めに使いきる。
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日本の麻婆豆腐 赤坂四川飯店 [東京]



中国の四川料理の名店である銀杏川菜酒楼を紹介したので、日本の四川料理の名店を紹介いたします。
前日は大井の神戸牛で、この日は赤坂四川飯店に中華料理を食べに行きました。赤坂四川飯店と言えば陳健一!   陳健一と言えば麻婆豆腐でしょう。
最後に白いご飯と一緒に出してもらいました。

拡大しました。味が想像できるでしょうか。
日本人向けの味ではなく本場の味にしてもらいました。山椒が利いていて美味しかった。もちろん麻婆豆腐だけではありません。久しぶりに日本で本当に美味しい中華料理が食べれたと言う感じです。もちろんどこのお店も美味しいのですが日本人向けの味になってしまっているところが多いのです。


赤坂四川飯店の個室の雰囲気です。


一旦は、このように、いろんな料理が並べられました。でもこれらの料理は、特別にお願いして、各自に取り分けて出してもらうことにしたので、一つ一つのお皿の料理は撮れませんでした。


さっそく、お皿に取り分けて出てきました。これはピリからの海老料理です。どうでしょうか。


取り分けた別の料理です。これ以外にもいろんな料理を食べることが出来ました。


おこげの料理も出てきました。これも、おこげにあんかけを行った後個別に取り分けていただきました。


フカひれの姿煮もありました。これが一人分です。


こちらも拡大いたしました。


最後に、御飯と麻婆豆腐をいただきました。 
大皿の大きさがわかってもらえるでしょうか。赤坂四川飯店が公表している麻婆豆腐のレシピはこちらです。→ポチッ
麻婆豆腐は高いコースには入っていないので追加注文となります。
   小盆 : 2,100円  中盆 : 3,150円  大盆 : 4,200円


デザートも美味しかったです。


追伸
上で紹介した食事会ではないのですが、最近、行なわれた食事会には陳健一さんが部屋に来ていただけたそうです。その時の写真をいただきました。残念ながら私は参加しなかったのですが、その写真を掲載させていただきました。


お店を紹介します。中央の緑色マーク( )がお店の場所です。
 店名 赤坂四川飯店
 住所 東京都千代田区平河町2-5-5 全国旅館会館5F・6F
 電話 03-3263-9371
 最寄 永田町駅(有楽町線)
 HP  http://www.sisen.jp/menu/index.html

涼みの間(Le salon Frais)の気圧・温度計 [ヴェルサイユ宮殿]

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先日掲載した大トリアノン宮殿の記事で一つ書き忘れていたものがありました。それが「涼みの間」にあった時計のようなものです。絵画の下の時計のようなものは、なにか判りますか。時計のようなものは?と質問しているので時計ではありません。

その時計のようなものを拡大したのがこちらです。やはり明らかに時計ではありません。下の方は、なんとなくわかります。
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下の部分を拡大したのがこちらです。見て判るように温度計(寒暖計)であることが判ります。温度を示す数字だけでなく記録のような内容が沢山書かれているのが印象的でした。
この時に表示している温度は17.5度どした。どうやら摂氏(℃)を表しているようです。もし17.5℉ならば-8.056℃になってしまうからです。240年前の温度計なのに正確な温度を表示しているように感じました。なんと-30℃から70℃まで測れる温度計でした。
目盛板に最低気温と思われる年が書かれていました。
  1749年:-30.0℃   1788年:-17.5℃   1795年:-17.0℃
  1776年:-16.5℃   1769年:-15.5℃   1740年:-10.5℃
地名と思われる文字も沢山、書かれていました。+50℃のところにはSyrie(フランス語:シリア)の文字が書かれています。-12℃のところにはParis(パリ)の文字が読み取れます。0℃のところにはGLAとCEが書かれていました。
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上の文字盤のようなところには、次のような文字が書かれていました。
 27 28 29
 BAROME TRE Três Sec   Beau Fixe  Beau Tems
 Variable    Pl.on Vent  Gr" Pluye  Tempêle
調べた結果、時計の文字盤のような部分は気圧計であることが判りました。文字盤に書かれているBAROMETREも気圧計を表しています。気圧計は、1769年頃に、小間物商のシモン・フィリップ・ポワリエが世に出したそうです。そして1769年から1770年にかけて流行しましたそうです。書かれている数字は27 / 28 / 29気圧を表していると思いますが単位は分かりません。ただし標準気圧が28の数値に近い単位であることは想像できます。
標準気圧1013.25hPa(ヘクトパスカル)をいろんな単位に換算すると次の通りです。28に近いのは水銀柱インチ(29.9212725inHg)ですが、それでも数値的には離れています。
 ヘクトパスカル           1013.25hPa
 メガパスカル            0.101325MPa
 キロパスカル            101.325kPa
 重量キログラム毎平方センチメートル 1.033515kgf/cm2
 重量ポンド毎平方インチ       146.92125lbf/in2
 気圧                0.999976425atm
 水銀柱メートル           0.760038825mHg
 水銀柱センチメートル        76.0038825cmHg
 水銀柱インチ            29.9212725inHg
 水柱メートル            10.33515mH2O
 水柱フート             33.903345ftH2O
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クリックすると拡大温度計と一体になった気圧計は珍しく残っているのは数点のみだと言われています。つまりこれは貴重な一体となった気圧計・温度計だったのです。一体なので気圧・温度計と呼ばせていただきます。ネットで調べた結果、この気圧・温度計はバイイによって製作されたことが判りました。製作年代の記述は見つかっていませんが、ルーブル美術館で所蔵している右の写真の気圧・温度計は1776年頃に制作されたとのことなので同年代の物と考えられます。つまり16世紀には精巧な気圧計と温度計がフランスには存在したことになります。右の写真はネットから転用させていただきました。今から240年前の1776年と言えば日本では江戸時代です。それも幕末(1868年)の92年前なので江戸中期です。
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クリックすると拡大右の文字盤はフランスのウジューヌ・ブルドンが1849年に発明した小型のブルドン管式の気圧計の文字盤です。数値以外は今回の気圧計の文字盤とそっくりです。数値は73~79が書かれていて中心が76であることから水銀柱センチメートル(76.0038825cmHg)で目盛られた気圧計であることが判りました。
上の気圧計はブルドン管式気圧計が発明されるより73年も前の1776年であることから、気圧の精度が高くないために水銀柱インチで27~29の数値を書いた可能性はあると感じました。
気圧計自体は1643年に「トリチェリの真空」を発見したエヴァンジェリスタ・トリチェリ(Evangelista Torricelli)によって発明されました。それは機械式ではなく水銀気圧計でした。水銀気圧計は原理上非常に精度の高い測定方法です。機械式の主なのはアネロイド型気圧計(1797年)とブルドン管気圧計(1849年)があります。両方ともにフランスで発明されました。アネロイド型気圧計に分類される重錘形気力計が、それ以前にもあったので、それに近いものなのかもしれません。

温度計の形式はガラス棒温度計です。ガラス棒温度計、液体を蓄える球部と毛細管部分の液柱で構成されています。このような毛細管を持つ液柱(アルコール)温度計が発明されたのは1650年頃と言われています。正確な年代ははっきりしていませんが遅くても1654年だそうです。今回の温度計が230年以上前の1776年頃であれば、液体には着色したアルコールか、アルコールと水の溶解液が使われていたと思われます。現在では水銀か着色した灯油が使われています。ただし灯油が使われた温度計でもアルコール温度計と呼ばれています。水の沸点が100℃に修正されたのは1742年で、それ以前は80℃がでした。今回の温度計が作られたのは1776年頃のため水の沸点は100℃で目盛りがつけられていると思われます。
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一番下の液体を蓄える球部が渦巻になっていました。沢山の液体を蓄えて目盛部の液柱を長くするのが目的だと思われます。これほど大きな渦巻きの球部は初めて見ました。
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帰りにもう一軒 [東京]

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先日、老舗のとんかつ屋さんでの飲み会を紹介いたしましたが、話が尽きなくて、つい初対面の若い人2名を誘って計3人で、駅に行く途中で居酒屋に入ってしまいました。おいしそうだったのでおにぎりを頼んでしまいました。

あつあつの玉子焼にポテトフライもいただきました。
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こちらの煮込み料理は美味しかったです。これはたぶん牛すじ煮込みです。
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料理が出そろいました。話が弾んでしまった結果でした。やっぱり私はビールでした。二次会となると漬物もいいですね。
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お店の写真を撮っていなかったのでGoogle地図のストリートビューを転用させていただきました。
 店名 かっぽうぎ 日本橋茅場町店
 住所 東京都中央区日本橋茅場町3-8-8 林ビル
 電話 03-3666-0303
 営業 11:00~14:00 17:00~23:00 土曜は夜のみ
 定休 日曜 祝日
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タグ:居酒屋

マリー・アントワネットが暮らした村里(Le Hameau / ル・アモー) [ヴェルサイユ宮殿]

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マリー・アントワネットが住んでいた北側と東側には自然のままを特徴としたイギリス式庭園が広がっていました。そのイギリス式庭園を発展させて人間の住んでいる村を作り込んだのが、「王妃の村里」の呼ばれる空間です。日本では「王妃の村里」と呼ばれていますがフランスでは単に村里(Le Hameau または Hameau )と呼ばれています。ヴェルサイユ宮殿の中の村里と言えば、ここしかないのでわざわざ「王妃の村里」と呼ぶ必要がないのかもしれません。

その村里あたりの航空写真の建物を着色してマークを入れてみました。黄色のライン( ━━ )は村里の中を歩いたルートです。
離宮の庭園に大きな池を掘り、池のほとりには塔や納屋、はと小屋やニワトリ小屋、風車小屋などを作り、更には番人小屋や小さなわらぶき屋根の家まで作りました。
村落の周りには田園が広がり、住み込みで働く農夫婦、庭師、牛飼いなどもいて、ヤギや羊、うさぎや牛、ニワトリ、はとなども連れてこられたそうです。本物そっくりに作られたこの田舎を、のんびり散歩するのがマリー・アントワネットは好んだそうです。農夫が牛の乳を搾ったり、それでチーズを作ったりするのを見て満足していたそうです。まさに世界に一つしかない、究極のイギリス式庭園だったのです。建物の名前は撮った写真と、ネット上に掲載されている沢山の記事を比べて決めたました。もし間違いがある場合は指摘していただければ嬉しいです。ちなみに掲載している写真は全て私が撮った写真です。
名前の決定の参考にした記事の一例です。→記事1 記事2 記事3J 記事3F
 ① 水車小屋       Le Moulin
 ② 私室         Le Boudoir
 ③ 王妃の家       La maison de la Reine
 ③'  ビリヤードの家    La maison de la Reine
 ④ 料理保温室      Le Réchauffoir
 ⑤ マルボローの塔    La tour de Malborough
 ⑥ 酪農小屋       La Laiterie de propreté
 ⑦ 鳩舎         Le Colombier
 ⑧ 庭師の家       La Maison du Jardinier
  又は 衛兵の家       La Maison du Gardien
 ⑨ 建物跡(酪農仕込小屋) La Laiterie de préparation
 ⑩ 建物跡(納屋)     La Ggrange
 ⑪ 農場         La Ferme


より判りやすくするために配置図でも建物の位置を紹介します。
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小トリアノンの方から歩いて来て最初に目に入って来た景色です。この村里が作られたのはマリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿の生活から遠ざかりたいと思い始めたことが発端でした。親しい宮廷の女性たちに囲まれながら田園生活のひと時を求めて1783年に今回のような村里を欲したことから作られました。村里はノルマンディー地方の本当の村を真似て作られていて、大きな湖の周りに11軒の家が建てられて上の航空写真のように今でも残っています。
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大きな湖の畔に建っているのはマルルボローの塔(⑤)で、ボート遊びや釣り遊びに出かける時の出発点となっていたそうです。
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遠くには農場(⑪)が見えます。
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花が咲いた木のあたりには人が集まっていました。おそらくここが村里のベスト撮影ポイントなのだと思います。
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ベスト撮影ポイントに近い場所から撮った村里です。左端が上の花の咲いていた木が立っている場所です。この写真は、クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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それでは①の水車小屋から⑪の農場までを順番に紹介したいと思います。ネットから転用させていただいた、この航空写真には建物跡も含めた①~⑩の建物が写っています。写真クリックすると沢山の畑も確認できると思います。
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水車小屋(Le Moulin)
こちらが歩いて来た方向から最初に間近で見た水車小屋です。
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水車小屋は湖のほとりから流れる川岸に建てられていて、その水車によって、実際に穀物が挽かれたそうです。この小屋には共同洗濯場もあり、村里での生活に利用されたそうです。
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裏側から見た水車小屋です。
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私室(Le Boudoir)
ここは王妃の私室として利用されました。ブドワール(Boudoir)と呼ばれた王妃の小さい家は、広間と衣装部屋から構成され、周りを囲む庭は密閉されたものだったそうです。その建物は、葦葺きの屋根、屋根窓、庇、石階段などが特徴的です。
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別の角度から撮った私室(Le Boudoir)で広い畑に囲まれていました。
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Le Boudoirと書かれた案内板と一緒に撮った写真です。クリックすると判ると思いますが1783年と書かれています。広い畑の中に建っていることが判ってもらえると思います。
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王妃の家(La Maison de la Reine)
③'  ビリヤードの家(La maison de la Reine)
王妃の家は補修工事中でした。
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補修中の建物の横に写真が貼られていました。その写真がこちらです。
王妃の家は村里にある建物の中で最も大きな建造物で、2つの建物から構成されています。2つの建物はマリー・アントワネットのモノグラムが入った青や白の陶製植木鉢で飾られた木の回廊でつながれています。厳密に言えば右側奥に位置するのが王妃の家(La Maison de la Reine)で、その1階には食堂と遊戯の間、2階には大広間、小広間、中国様式小部屋があります。左側手前に位置するのがビリヤードの家(La Maison du billard)で、その1階にはビリヤード室、2階には小居室があります。
小トリアノンの女主人であるマリー・アントワネットは、麦藁帽子と質素な白モスリンのドレスに身を包み、回廊の上から畑仕事の模様を見晴らしていた想像されています。
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湖の対岸から撮った「王妃の家」です。シルエットのように建物の形が確認できると思います。
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料理保温室(Le Réchauffoir)
奥まった場所にあったので写真は遠くから撮ったこの一枚だけでした。
建物の中には大きな調理場、食料戸棚、小さな配膳室があるそうです。
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マルボローの塔(La tour de Malborough)
酪農小屋(La Laiterie de propreté)
マルボローの塔と呼ばれた漁場監視塔は、小舟で行く池の散歩コースの出発点であり、川カマスやコイなどの魚を捕らえるための釣り具も収容されていたそうです。上階は展望所の役割を果たし、そこからヴェルサイユ宮殿と信号の交信を行うこともできたそうです。塔の名前は、その当時流行した「英国びいき」を反映したもので、1722年のマールバラ公(フランス語の発音でマルボロー公)の死を悲しんで作られた曲からきているそうです。
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右の建物が酪農小屋(La Laiterie de propreté)と思われます。ただし100%の確証はありませんが、本建物を酪農小屋(La Laiterie de propreté)と書かれているネットでの記載がもっとも多かったのです。
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写真の一部から⑥の酪農小屋(La Laiterie de propreté)を切り取って拡大いたしました。この建物の向かいにあった酪農仕込小屋で作られて乳製品を、マリー・アントワネット王妃が、この酪農小屋で試食されていたそうです。そのために、この酪農小屋には大理石のテーブルや磁器食器類が備えられていたそうです。
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湖の対岸から見たマルボローの塔(La tour de Malborough)と酪農小屋(La Laiterie de propreté)です。絵になる景色でした。
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鳩舎(Le Colombier)
この小屋が鳩舎(Le Colombier)にはとても見えないので、これが鳩小屋であることは一番自信がなかったのですが、この建物をLe Colombierと記載した記事が沢山掲載されていました。さらにネットので鳩舎(Le Colombier)に対するHPの公式の記載内容の中の石橋や川の記述から、これが鳩小屋(鳩舎)である確証を得たのでした。そのネットでの記載内容を枠内に転記いたしました。
今ではなくなってしまった舞踏室、納屋、鶏小屋の横には、風情のある鳩舎が現在でも残っています。その傍らに流れる川にはコイが溢れ、石橋がかかっています。
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上の写真の裏側から撮った鳩舎(Le Colombier)です。確かに鳩(はと)が出入する穴とも思われる穴が9つ見えます。近くにあった酪農仕込小屋の跡地の⑨ の近くには⑥ と⑦ しかないので、この⑦が鳩舎であればれぱ、自信がなかった⑥も酪農小屋であるとの確信が持てたのでした。
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鳩の出入口と思われる穴がある部分を拡大いたしました。上に3つ、下に6つの穴を確認してもらえると思います。間違いなく鳩小屋/鳩舎(Le Colombier)でした。
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別の角度から見た鳩舎 / 鳩小屋です。
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庭師の家(La Maison du Jardinier) 又は、
    衛兵の家(La Maison du Gardien)
ネットで見るとこの建物のことを衛兵の家(La maison du Gardien)と書かれていましたが、小屋の前に建てられていた案内板にはLa Maison du Jardinierと書かれていたのです。La Maison du Jardinierを翻訳すると庭師の家だったのです。    
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こちらがLa Maison du Jardinierと書かれていた案内板です。1784年と書かれています。
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庭師の家(衛兵の家)にはかつてスイス人ジャン・ベルシーが住んでいたそうです。その囲いの一部は格子細工のアーチで覆われた小道に隣接し、そこでは球遊びが楽しまれました。正面に見えているのは鳩舎(Le Colombier)で、今は補修中ですが王妃の家も望めました。
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建物の中に入ることが出来ました。中は展示室になっていました。
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トイレもありました。トイレが少なかったので貴重な存在でした。
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建物跡(La Laiterie de préparation)
酪農小屋の向かいにあった酪農仕込小屋の跡です。第一帝政時代に壊されたそうです。
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案内板に書かれていたLa Laiterie de préparationから酪農仕込小屋の跡であることが判りました。ここではクリームやチーズが製造されていたそうです。牛乳からクリームを分離する作業やバターを作るための攪拌作業なども行われていたそうです。そこで仕込まれた乳製品は、すでに紹介した酪農小屋(La Laiterie de propreté)で王妃によって試食されていたそうです。案内板には1783年と書かれています。
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建物跡(納屋 La Ggrange)
酪農仕込小屋跡の横にも建物跡がありました。こちらは納屋(La Ggrange)の跡地です。奥の建物は⑧の庭師の家です。
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農場(La Ferme)
湖のエリアから離れた場所にも村がありました。それが農場でした。。
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農場は沢山の建物と広い敷地で構成されていました。
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突然に足元に座ったニワトリ(鶏)を見つけました。
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よく見ると沢山の鶏が放し飼いにされていました。
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建物の一部です。
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農場の建物も趣がありました。本格的な農場でした。
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少し離れた位置からの写真です。
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農場の門です。入口の門(ポーチ)は二つの石球で装飾されていました。
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門の辺りも、離れた位置からの写真を紹介します。
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豚さんも放し飼いになっていました。
農場では、王妃の要望に応えてスイスから持ち込まれた動物たちが飼育されていたそうです。その動物の中には雌牛、雄牛、子牛、雌山羊、ヤギ、ヒツジ、強暴でない白雄山羊 なども含まれていたそうです。
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離れると農場の広さが判ってもらえると思います。
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羊(ひつじ)や山羊(やぎ)達も幸せに暮らしているようでした。
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羊をアップいたしました。
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山羊は人なつっこくて手から草を食べてくれました。
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さらに遠くから撮りました。王宮の敷地の中にこのような場所があったのです。
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何度も紹介した地図ですが、王妃の村里( )の位置を紹介したくて地図を掲載いたしました。
   王妃の村里 マリー・アントワネットが暮らした村里
   ヴェルサイユ宮殿(Le Château de Versailles)
   大トリアノン宮殿(Le Grand Trianon)
   小トリアノン宮殿(Le Petit Trianon)
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ 庭園内で乗ったミニ・トレインのルート
  ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
  ━━ ヴェルサイユ宮殿敷地境界

苦楽を共にした人たちと、神戸で飲み会 花隈 鈴江 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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東京八丁堀の老舗の料亭のようなとんかつ屋さんでの飲み会を紹介したので、神戸の料亭での飲み会を紹介いたします。上の写真が我々5人が飲み会を行った部屋です。こちらは花隈鈴江というお店で、1階はカウンターやテーブル席で構成されていて、2階は2名からの掘込座敷から30人が食事ができる広間まであるようです。創業(1946年)から70年が経っており老舗の料亭と呼んでもいいのではないかと思います。食材にこだわっており特に魚に関しては、瀬戸内前取りの天然魚を食べることが出来るとのことでした。

この日の5名は久しぶりに集まりました。私と同期ならびに1年違いの2名と、同じ職場で長く仕事をした若い2名の計4名と私です。私以外の4名は最近、東京から神戸に転勤になった懐かしい仲間の人達でした。同年代の3名は神戸の事業所に入社して組織ごと東京に転勤した長い仲間でした。若い2人は東京入社ですが海外赴任も経験し、一緒に仕事をした人たちなのです。つまり苦楽を共にしてきた人たちなのです。先ずはビールで乾杯をいたしました。
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話が盛り上がりはじめたところで料理が出されました。
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先ずは可愛らしい4品が乗った前菜です。
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その4品をひとつづつ紹介したいと思います。先ずは茗荷の乗った「ぬた」です。いろんな具材が入った「ぬた」は料亭ならではの一品でした。
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こちらはブロッコリーの使われた和え物です。
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はまぐりの殻に盛られているのは、はまぐり飯です。
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可愛らしい盛り付け間の季節の野菜のお浸しです。
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いきなり2種類の冷酒(日本酒)を頼みました。この日は冷酒の味比べの飲み会となりました。
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最初は兵庫県朝来市山東町矢名瀬町の此の友酒造の但馬「骨まで愛して」でした。
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こちらの名前は忘れましたが、美味しいお酒でした。一升瓶から冷酒用の器に入れられて出てきました。
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こちらがお造りです。ハマグリの殻が2枚重ねられたデザインの器が使われていました。どの器も見事でした。サヨリ、鯛、平目など6品が盛られていました。
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上の写真はクリックすると拡大するのですが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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次の料理は蓋つきの器で出されてきました。
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蓋を開けると、鯛や筍や蕨が入った汁ものでした。
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次は魚の焼き物でした。鮮やかな青色の皿と、黄色の料理の色のバランスも見事でした。
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こちらが3種類目の冷酒(日本酒)です。とっておきがあると出してもらったのがこちらです。大きく日下無双(ひのしたむそう)と書かれた赤い一升瓶が印象的でした。精米度45%の純米大吟醸でした。しかも、しぼりたての生酒とのことでした。山口県岩国の地酒です。岩国と言えば、私の母方の実家です。
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きれいなガラスのお猪口でいただきました。
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次の料理も見事でした。やはり器にこだわりが感じられました。
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次は鍋でした。一人一人の前に、こちらの鍋が置かれました。
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やっぱり鍋はいいですね。さらにお酒が飲みたくなります。
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3種類目で飲んだ日下無双(ひのしたむそう)が無くなってしまったので、代わりに獺祭(だっさい)が出されました。こちらも山口県岩国のお酒です。
こちらの獺祭が4種類目のお酒となりました。
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さらに料理が出されて、冷酒もさらに進みました。
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料理の〆は、土鍋で炊いた炊き込みご飯でした。
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やっぱりご飯は美味しかったです。
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デザートは、神戸らしく、有馬温泉の炭酸せんべいの上に盛り付けられていました。美味しい日本茶でいただきました。有馬温泉は旧摂津国、現在の神戸市北区有馬町(裏六甲)にある温泉で、日本三古湯の一つです。舒明天皇が631年に約 3か月間滞在したことが日本書紀に書かれていて日本最古泉の可能性の根拠になっています。
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お店を紹介いたします。Google地図の中央のマーク( )の場所です。1946年に創業した当初は神戸市中央区花隈町であったことから花隈の名前が使われているようです。現在の場所の三宮移転したのは2005年だそうです。
下側のマーク( )は昔紹介した、しゃぶしゃぶで有名なとけいやです。
 名前 花隈 鈴江
 種類 日本料理
 住所 神戸市中央区加納町4丁目8-17
 電話 078-393-1411
 営業 11:30〜14:00 17:00〜23:00
 定休 日・祝日 ただし10名様以上のご予約で日・祝日営業可
 最寄 阪急三宮駅 JR三ノ宮駅 阪神三宮駅 地下鉄三宮駅など  
 創業 昭和21年(1946年) 終戦の翌年


飲み会が終って、実家の宝塚に向かうために阪急電車のホームに上るとカラフルなボディーの電車が停まっていました。私が乗った特急電車の横に停まっていた普通電車でした。ラッピングされた阪急電車を見たのは2014年の宝塚歌劇100周年の時以来でした。その時の記事がこちらです。→ポチックリックすると拡大

書かれている文字から、三宮駅から2駅目の王子公園駅にある神戸市立王子動物園(KOBE OJI ZOO)のPRのラッピングだったようです。王子動物園は、私が結婚して神戸の須磨区に住んでいたころに子供を連れてよく行きました。ラッピンクの絵は、神戸市生まれのイラストレーターである「わたせ せいぞう(本名:渡瀬 政造 1945年2月15日生)」さんの作品でした。現在72歳ですが若々しい絵を描かれているのに驚きました。調べてみると今までにも「わたせ せいぞう」さんのラッピング電車が走っていました。→ポチッ
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タグ:和食 三宮 神戸

ヴェルサイユ宮殿の緑の中を散策 [ヴェルサイユ宮殿]

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ヴェルサイユ宮殿の庭園は幾何学的なフランス式庭園ばかりとだと思いましたが、自然な森のような庭園や自然豊かなイギリス式庭園が広がっていました。本記事では大トリアノン宮殿から出発して、小トリアノン宮殿や、王妃の村里(Hameau)を散策した景観を紹介したいと思います。王妃の村里(Hameau)内に関しては、特別にとりあげる値打ちがあると思いましたので、別途掲載したいと思います。

下記のGoogle地図で、散策したルート(━━)を紹介したいと思います。建物の部分はマークと同じ色で着色をいたしました。  
   大トリアノン宮殿 (Grand Trianon)
   小トリアノン宮殿 (Petit Trianon)
   フランス式あずま屋 (Pavillon Français)
   フランス式あずま屋 涼みの館 (Pavillon Frais)
   愛の殿堂(Temple del Amour) 
  ━━━━ 徒歩で歩いた散策ルート


大トリアノン宮殿を出発してすぐの景色です。広い道が真っすぐに北西方向に延びでいました。
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歩いている女の子たちがダンスしたくなるような雰囲気でした。道の突き当りに見えるのはBuffet d'eauと呼ばれている噴水です。ただし、時間の関係で途中で引き返したので噴水までは行きませんでした。
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途中にはこのような噴水もありました。
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この道は橋なのです。
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その橋の下には石畳の小道が通っていました。
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庭園の中に小さな建物が見えました。これが小トリアノン宮殿ではないかと思いましたが、庭園の中のフランス式あずま屋でした。
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そのフランス式あずま屋を拡大いたしました。このあずま屋は、当時流行し始めていたイギリス式庭園に対して、フランス式と呼ばれ始めた左右対称の庭園の中に位置しているために「フランス式あずま屋」と呼ばれています。1750年にガブリエルによって築かれたもので、トリアノンにおけるルイ15世の最初の建造物の一つだそうです。ルイ15世は幼少の頃からこの地所に強く惹かれていたそうです。ポンパドゥール侯爵夫人を連れたルイ15世は、植物庭園を散歩したり、あるいは隣の「涼みの間」で軽食を取った後にここで休息を取ったり音楽を鑑賞したりしたそうです。
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航空写真で上から見るとこのような四方向点対称の建物でした。
円形の大きな広間が中心にあり、周囲に私室、料理保温室、厨房、衣装部屋の4つの小さな部屋を配した構造です。


あずま屋の北側の庭園です。
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あずま屋の南側にも趣のある建物がありました。この建物は「涼みの館(Ppavillon Frais)
」です。これはフランス式あずま屋の第2の別館として建てられて、酪農小屋と菜園の産物を味わうための食堂として使われたそうです。
この建物を修復した時の動画があったので紹介します。→ポチッ
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小トリアノン宮殿から東側には広いイギリス式の庭園が広がっていました。遠くに見える丸い建物は「愛の殿堂(Temple del Amour)」と呼ばれています。マリー・アントワネットの自室(2階)から見えた景色でもあります。ただし写真は1階から撮った景色です。
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こちらが近くで撮った「愛の殿堂(Temple del Amour)」です。
この愛の殿堂は1778年にリシャール・ ミックにより建設されました。この建物には新古典主義様式が採用されています。全体が大理石で出来ていて、コリント式柱頭、 浮彫装飾、そして内部にデシャンの彫刻が彫られた円屋根を特徴としています。中央にはフランスの彫刻の傑作として知られるブーシャルドンの作品「ヘラクレスの棍棒で弓を作るキューピッド」が飾られています。ただし現在はレプリカで、オリジナルの彫像はルーブル美術館にあります。レプリカと言えども18世紀のもう一人の偉大な彫刻家、ムシーによって作られたレプリカです。
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広い庭園には細い道が沢山あり、迷ってしまうほどでした。
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鳥さえも庭園の一部の景色になっていました。
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庭園の散策をした小トリアノン宮殿に戻ってきました。
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老舗とんかつ屋さんで飲み会 山城屋 [東京]

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クリックすると拡大東京都中央区八丁堀にある昭和5年(1930年)創業の老舗とんかつ屋さんで飲み会がありました。周囲は右の写真のようにビル街ですが、木造2階建てのお店でした。どちらかと言えば珍しい存在のお店です。お店の名前は山城屋です。

こちらがお店の入口です。山城屋と書かれた暖簾(のれん)が雰囲気を感じさせてくれました。
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入口の前にメニューが置かれていました。メニューの中でお薦めの手書きの方を紹介いたします。
これとは別のメニューに書かれていた料理の一例を記載いたします。
一口カツ(ポン酢添え)、豚シャブサラダ、アミヤキ、生姜焼、ぎんだら西京焼、穴子白焼、やりいか焼、いかわた焼、肉じゃが煮、なす田楽、里芋煮、アスパラ塩ゆで、アスパラベーコン、おさしみ(三点盛)
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こちらが食事をしたお部屋です。とんかつ屋ではありますが、料亭という雰囲気のお店でした。冒頭のお店の写真で2階の道路に面した座敷での7名での飲み会でした。7名の内3名が初対面の方でしたが、4名は頻繁に飲みに行っている人たちでした。
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料理も日本料理の料亭という感じでした。ゆったりとした雰囲気の中で最初の料理が出されました。
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タコのぶつ切りの小皿と、コハダの酢味噌あえです。
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お造りは鮪と鯛と平目で、真ん中にワカメとシラスが乗せられていました。
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こちらのお店の名物が、キャベツのぶつ切りでした。これには驚かされましたが、キャベツのこんな食べ方も美味しいキャベツを食べる斬新さがよかったです。確かに、とんかつと言えばキャベツですね。
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この日はビーと焼酎と冷酒(日本酒)をいただきました。
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話が盛り上がった中での、イカの塩辛も美味しかったです。ほとんど初対面の方と話をさせていただき盛り上がりました。
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大好きな焼きなすも出てきました。我が家では生姜醤油で食べますが、こちらでは、ねりカラシでした。カラシで食べる焼きなすも、新鮮でした。
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こちらはオコゼの唐揚げです。やっぱの美味しいかったです。
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立派な鮎の塩焼きも出てきました。
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こちらはとんかつ屋さんですから、〆として、とんかつがドーンと出されました。単品メニューの中に「450gのジャンボロース」という名の看板メニューがあったので、これのことではないかと感じました。そこには「二人・三人様で召し上がれます。」と書かれていました。
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やっぱり、老舗のとんかつは格別の美味しさでした。
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これから、さらに話が盛り上がりました。
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こちらが、料理を作ってくれた板前さんです。挨拶に来てもらえました。
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それでは、お店を紹介いたします。Google地図の中央の の場所です。
左側の 以前に紹介した四川食洞です。
 名前 名代とんかつ 山城屋
 種類 とんかつ
 住所 東京都中央区八丁堀2-15-8
 電話 03-3551-5079
 営業 11:30〜13:30 17:00〜21:15
 定休 土・日・祝日
 最寄 八丁堀駅(320m) 茅場町(520m)
 創業 昭和5年(1930年)

小トリアノン宮殿(Petit Trianon) マリー・アントワネットが住んだ家 [ヴェルサイユ宮殿]

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前々記事でヴェルサイユ宮殿の敷地内の離宮である大トリアノン宮殿(Grand Trianon)を紹介いたしましたので、ここでは、同じくヴェルサイユ宮殿敷地内にある小トリアノン宮殿(Petit Trianon)を紹介いたします。フランス語ではLe Petit Trianonと書かれていますが、日本語ではは小トリアノン宮殿あるいは単に小トリアノンあるいはプティ・トリアノン離宮と訳されています。その小トリアノン宮殿は新古典主義建築で、建物は2階建ての正方形です。内装はロココ様式の最高峰とも評されるそうです。1762年から1768年に、ルイ15世の公妾のポンパドゥール夫人のために建てられたものでアンジュ=ジャック・ガブリエル(Ange-Jacques Gabriel)の設計によるものです。しかしながら、本宮殿が完成した時には、ポンパドゥール夫人はすでに亡くなっていました。その後1774年に、国王のルイ16世により彼の王妃であるマリー・アントワネットに与えられることで、マリー・アントワネットの専用の住居となりました。そのためにマリー・アントワネットと言えば「小トリアノン宮殿」と、周辺のイギリス式庭園である「王妃の村里」と連想されるようになったのです。

小トリアノン宮殿(Petit Trianon / プティ・トリアノン)はヴェルサイユ宮殿の北西方向の直線距離で1.4kmの位置にあります。
下記の地図のが小トリアノン宮殿です。
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   小トリアノン宮殿 臙脂で囲った部分
   大トリアノン宮殿 緑色で囲った部分
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ ヴェルサイユ宮殿の敷地境界
  ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
  ━━ 乗ったミニ・トレイン


周辺のフランス式庭園とイギリス庭園を散策した後、イギリス式庭園方向から小トリアノン宮殿が見えてきました。
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西に広がるフランス式庭園の方向から見た小トリアノン宮殿です。
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南方向から見た小トリアノン宮殿です。右奥に小さく見える小さな丸い建物はイギリス式庭園の中にある「愛の殿堂」と呼ばれているあずま屋です。
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小トリアノン宮殿から南側の石畳の広場を見た写真です。
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こちらは小トリアノン宮殿から西方向のフランス庭園の景観です。見えている建物はフランス式あずま屋です。
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そして、こちらが北方向の自然豊かな庭園の景観です。
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小トリアノン宮殿脇から見た東方向の景観です。左の建物が小トリアノン宮殿です。見えている丸い建物は「愛の殿堂」と呼ばれています。
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建物に入ると、最初に階段が目に飛び込んできました。豪華なヴェルサイユ宮殿や大トリアノン宮殿に対して、小トリアノン宮殿の内装は簡素さに特徴がありました。簡素さの中にも整然とした豪華さ、秩序、完璧さにあると書かれていました。
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見事な食器が飾られている部屋がありました。壁はシンプルで知らないで来ると王妃が住んでいたとは思えない内装でした。
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建物の石材がそのままの部屋もありました。
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通路も石材が直接見えました。ただし滑らかに仕上げられていました。
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一番印象に残ったのはこちらの部屋でした。装飾はありませんが壁の曲線と暖炉の曲線が美しかったです。
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右の壁際のレンガのテーブル状のように見える物は竈(かまど)で6つの焚口がありました。それぞれの火力を調整できたのだと思います。現代で言えばコンロである竈(かまど)の後ろの壁には鍋やフライパンが並べられていました。つまりここは小トリアノンの厨房だったのです。
お陰で16世紀のコンロである竈(かまど)の構造を勉強することが出来ました。写真をクリックすると拡大するので竈(かまど)の構造がわかると思います。
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次に2階を見学するために階段を登りました。
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2階に上がりました。
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クリックすると拡大階段や窓のの手摺は、錠前職人フランソワ・ブロショワによって作られたマリー・アントワネットの頭文字「MA」と王家のユリの紋章で装飾されていました。右の写真は玄関ホールから見た階段の写真です。このことからも小トリアノンがマリー・アントワネット王妃のための宮殿であったことが覗えました。
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階段ホールも石材がそのままの壁でしたが、見事な彫刻が施されていました。
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こちらの壁の彫刻は髪の毛が蛇で有名なメドゥーサです。直接に見ると石になってしまうことで有名です。メドゥーサ(Μέδουσα / Medoūsa)はギリシア神話に登場する怪物で、ゴルゴーン3姉妹の一番下の三女でした。姉はステンノー(強い女)とエウリュアレー(広く彷徨う)です。メドゥーサ(Medousa)の語源は女支配者、王妃、女王だそうです。
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クリックすると拡大2階に上がると金色の装飾がが使われていて、王妃の宮殿であったことが実感されてきました。最初の部屋に入ると、マリー・アントワネットの肖像画の中でもネット上で最もよく使われている1枚が飾られていました。この肖像画は、マリー・アントワネットが最もお気に入りだった女流画家ヴィジェ・ブランによる作品で、1783年に描かれたそうです。右の肖像画はWikimediaから転用させていただきました。
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次の居間も見事でした。大きなシャンデリアがありました。
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次の部屋は、また違った雰囲気でした。部屋の中央が見学通路になっていて、こちらの写真は通路の右側です。
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こちらの写真は通路の左側です。
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次の小部屋も女性の部屋らしい華麗さがありました。徐々にプライベートの空間に入ってきたように関しました。
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次の部屋がマリー・アントワネット王妃の寝室でした。見事なベット(寝台)が印象的でした。
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不思議な椅子状の物もありました。写っている説明書きには「Garde-robe à chaise Salle de bainsl」と書かれていました。Garde-robeはロードローブ(クロゼット/衣装ダンス)です。Garde-robeの部分は不鮮明で読み間違いがあるかもしれません。à chaiseは椅子で、Salle de bainslはバスルームです。全体的な意味は分かりません。ロードローブの意味がカギになって来るようです。今回の場合は収納箱的な意味の可能性が高いです。
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2階の見学が終り、階段を降りました。
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最初に見ていない1階の空間を見学いたしました。石の廊下です。
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芸術的に曲がった廊下も印象的でした。ここでフランス最高権力者の王妃(マリー・アントワネット)が住んでいたと思うと、感慨深いものがありました。
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天津の結婚式 [天津]


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真赤な車が勢ぞろいです。これだけの数の赤い車が並んでいるのは初めて見ました。天津での結婚式の光景でした。先頭の真赤なオープンカーに新郎新婦が乗って出発するところです。いかがですかこんな結婚式は?

出発までの間、新郎新婦や親戚の人が出てくるのを持っているところです。出発の9時半まであと9分です。想像するに、この旅館街で中国の風習である嫁とりの儀式が行われ、これから披露宴会場(おそらく高級ホテル)に全員で移動するところだと思います。披露宴では本人以外は普段着で参加するのが中国流です。より本人達が際立つためかどうかはわかりません。


北京の人もわざわざ離れた天津で結婚式をする人が沢山いると聞きました。北京に比べて天津での結婚式は格安なためだそうです。そのため、こんな派手なことも行えるのかもしれません。北京から天津は高速鉄道で30分の距離です。北京からの、みんなの車代を出しても十分に安く出来るそうです。
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ここは大人気の揚げパン屋で紹介した南市食品街の隣の南市旅館街です。ここは天津市の観光スポットになっている場所でもあります。

大トリアノン宮殿(Grand Trianon) [ヴェルサイユ宮殿]

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ヴェルサイユ宮殿から循環トレイン(ミニトレイン)に乗って最初に向かったのがヴェルサイユ宮殿敷地内にある大トリアノン宮殿(Grand Trianon)です。大トリアノン宮殿は1670年にルイ14世が宮廷の目を逃れモンテスパン夫人と会う隠れ家として中国風の小宮殿「磁器のトリアノン 」を建造し、1687年ジュール・アルドゥアン=マンサールの設計により改築したものだそうです。大トリアノン宮殿はリンダーホーフ城のデザインにも影響を与えたそうです。ここでは戦勝国によるハンガリー分割を行うトリアノン条約の調印が行われました。1963年から1966年に改修が行われ、その後は迎賓館として用いられました。上はGoogle航空写真の3D機能で表示させた大トリアノン宮殿です。

ルイ14世の時代の大トリアノン宮殿には義妹の パラティーヌ王女、娘婿のシャルトル公爵、娘のブルボン公爵夫人が居住し、またマリー・レクザンスカもこの宮殿を好み、気候が良い時期に滞在していたそうです。マリー・アントワネットは、この宮殿で時々芝居を上演していましたが、住まいとしては、ルイ16世から贈られた小トリアノン宮殿(Petit Trianon)のほうを好んでいました。
ナポレオン・ボナパルトは、この宮殿の修復を命じ、その後は妻のマリー・ルイーズ皇后とともに何度も滞在したそうです。
ド・ゴール将軍は1963年に大トリアノンの改築を指示して共和国の迎賓館として利用できるようにするとともに、森のトリアノンと呼ばれる北翼に大統領の邸宅を設置させたそうです。
下記の地図のが大トリアノン宮殿です。
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   大トリアノン宮殿 緑色で囲った部分
   小トリアノン宮殿 臙脂で囲った部分
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ ヴェルサイユ宮殿の敷地境界


東方向から見た大トリアノン宮殿です。この宮殿の奥に大トリアノン宮殿のための広い庭園が広がっています。
大トリアノン宮殿は薔薇色の大理石と斑岩でできた小さな宮殿はイタリアの建築様式の影響を受けた1階建ての建物です。
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こちらが南側です。
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こちらが北側です。
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南側の奥に入口がありました。ここから入りました。
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我々も入口に向かいました。
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入口を入ると中庭になっていました。列から離れて写真を撮らせてもらいました。
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その中庭の写真です。
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薔薇色の大理石が使われていることが判ってもらえると思います。
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中庭から建物の中へ入りました。
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緑色で囲った部分()が大トリアノン宮殿です。建物の中には沢山の部屋がありましたので紹介したいと思います。
 ① 居間-1(名前は不明)
 ② 居間-2(名前は不明)
 ③ 鏡の間(Le salon des Glaces)
 ④ 皇后の寝室(La chambre de l’Impératrice)
 ⑤ 礼拝堂の間(Le salon de la Chapelle)
 ⑥ 柱廊(Le Péristyle)
 ⑦ 円形の間( Le salon Rond)
 ⑧ 控えの間(L’Antichambre)
 ⑨ 音楽の間(Le salon de Musique)
 ⑩ ルイ・フィリップの家族の間(Le salon de famille de Louis-Philippe)
 ⑪ 孔雀石の間(Le salon des Malachites)
 ⑫ 皇帝の地図の間(Le cabinet topographique de l’Empereur)
 ⑬ 涼みの間(Le salon Frais)
 ⑭ コテルの回廊(La galerie des Cotelle)
 ⑮ 森のトリアノン翼棟(L'aile de Trianon-sous-bois)
 ⑯ トリアノンの庭園(Les jardins de Trianon)



居間-1(名前は不明)
宮殿の中に入って最初に入った部屋です。赤色の椅子と黄金色の脚のテーブルが印象的でした。
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シャンデリアが宮殿の部屋であることを感じさせてくれました。
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長い廊下を通って次の部屋に向かいました。
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居間-2(名前は不明)
2番目に入った部屋がこちらです。こちらも調べてみましたが部屋の名前は分かりませんでした。窓からの光は制限されていて暗かったけれども、やはり宮殿部屋だと感じられました。
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部屋ごとにソファーや椅子の色が違うのが印象的でした。部屋の中では色は統一されていました。
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鏡の間(Le salon des Glaces)
こちらの部屋が沢山の部屋の中で最も美しい部屋であったと思います。ネットで検索しても南棟で最も美しい部屋と書かれていました。こちらの部屋も窓からの光を制限されていました。目で見ると写真ほどは暗く感じませんでした。
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少し露出調整して明るくしてみました。美しい部屋だと実感してもらえるのではないでしょうか。
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角度を変えて撮った写真です。この部屋は1691年から1703年までルイ14世が使用し、閣議もここで行われたそうです。トリアノン宮殿のほとんどの部屋と同じく、装飾は元のままに保存されていますが、家具調度品は革命時に売却され、ナポレオンによって他の家具と入れ替えらたそうです。
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シャンデリアも見事でした。1810年から1814年までは、マリー=アントワネーットの姪の娘にあたるマリー=ルイーゼ皇女が大客間として使用していたそうです。
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鏡の間の窓からの庭の景色です。
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皇后の寝室(La chambre de l’Impératrice)
帝政期には皇后マリー=ルイーズが使用し現在の状態に家具調度品が整えられました。
元はルイ14世の寝室で、部屋を区分しているコリント式の柱と、モザイク式に彫刻された素晴らしい木工細工の装飾が特徴的です。
調度品のほとんどは皇后が使用して時代のものですが、ベッドだけは、ナポレオンがチュイルリーで使用していたものだそうです。ルイ16世の兄弟のルイ18世が1824年に亡くなった時のベッドでもあります。
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こちらの部屋の椅子やソファーはシックな赤色に統一されていました。
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ベッドを正面から撮りました。
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ベッド部分を拡大いたしました。さすが王室の人達が使ったベッドです。
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柱で仕切られた小部屋も紹介します。
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小部屋の方から見た寝室です。
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礼拝堂の間(Le salon de la Chapelle)
こちらが南棟で最後に紹介する部屋です。元々、この部屋は礼拝堂でした。
1691年にルイ14世が、ここに居を構えた時に、控えの間に改造されましたが、当初の目的を維持していたそうです。奥の扉から祭壇の奥まった部分に通じており、ミサが終了すると扉を閉めて部屋として使ったようです。
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絵画は福音の伝道師である聖マルコと聖ルカが描かれています。
ジャン=バティスト・ヴァン・ローの描いたルイ15世とマリー・レクザンスカの肖像画が、トリアノンの王妃の滞在を象徴しているそうです。
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礼拝堂の間にふさわしく十字架も部屋に飾られていました。
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柱廊(Le Péristyle)
柱廊は部屋ではなく南棟と北棟の間の屋根のある屋外の空間です。
ただし1810年にナポレオンは、自分の居室と皇后の居室の行き来を容易にするために、ペリスタイルの両側をガラス張りにさせて部屋の回廊になったそうです。ただし、1910年にガラス張りは取り払われて現在形になったそうです。この柱回廊が大トリアノン宮殿の特徴になったと言えます。南棟側から北棟方向を見た景観です。
東側が四角い太い柱で、西側が丸い柱です。
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こちらが東側の四角い太い柱です。薔薇色の大理石がふんだんに使われています。
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こちらが北棟から南棟方向を撮った景観です。丸い柱にも薔薇色の大理石が使われていました。
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庭園から見た大トリアノン宮殿です。中央の柱が並んだ部分が柱廊です。
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東の石畳の広場から見た大トリアノン宮殿です。中央が柱廊です。この写真はクリックすると特別に大きく拡大します。是非とも宮殿の雰囲気を感じてください。
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円形の間( Le salon Rond)
柱廊から北棟に入ったところが円形の間です。円形の間というよりはホールと言った感じです。このホールから1688年から1691年までルイ14世が3年間だけ使用した最初の居室に入ることができます。
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こちらがルイ14世が3年間だけ使用した居室ではないかと思います。
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比較的広い部屋でした。
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控えの間(L’Antichambre)
元々はルヴァンの書斎でしたが、マントノン夫人の大客間になったそうです。1812年、中二階へ通ずる階段を作ったために奥行きが浅くなり、皇帝の秘書の書斎になったそうです。
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音楽の間(Le salon de Musique)
この部屋に入って最初に目に入ってきたのはビリヤードの台です。今のビリヤードの台のような穴はありませんでした。ナポレオン時代に入れられたために、その時代のビリヤードの台のようです。
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見事な装飾品でした。ルイ14世の最初の居室の控えの間で、王の夕食が出された部屋だったそうです。王の食事中に演奏家が音楽を奏でたことから音楽の間と呼ばれているようです。
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ビリヤードの台をアップいたしました。穴が無いように見えましたが、コーナーには穴があるようです。クリックすると判ると思います。
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ルイ・フィリップの家族の間(Le salon de famille de Louis-Philippe)
広い部屋でした。この広い部屋はルイ・フィリップが、2つの部屋を合わせて作らせたそうです。黄色を基調にした椅子が印象的な部屋でした。
トリアノンに滞在することを好んだ王と家族は、夜になると、この広間でまれてひと時を過ごしたそうです。
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椅子やソファーだけでなく壁も黄色にそろえられていました。
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黄色基調の家具は当時流行した家具だったそうです。
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見事なな部屋で南棟の鏡の間と美しさを争う部屋だと思います。
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孔雀石の間(Le salon des Malachites)
ロシア皇帝アレクサンドル1世がナポレオンに贈った孔雀石の台が、この部屋の名前になっているそうです。
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宝石で出来た台と言えるのかもしれません。
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孔雀石は存在感がありました。
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皇帝の地図の間(Le cabinet topographique de l’Empereur)
元々は書斎で、泉の木立ちに向かって開かれた部屋でした。ル・ノートルの最後の設計で、小川が小さい森を縫って流れていたこの木立ちは、ルイ16世の時に取り払われたそうです。この部屋はマントノン夫人の居室に通じ、木工細工の装飾は1713年の製作でその中にヴェルサイユの庭園の眺めがはめ込まれていました。
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1810年にナポレオンはこの部屋を地図の間にし、隣の部屋を小居室にしたそうです。
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涼みの間(Le salon Frais)
この部屋が北棟の北に端にあることから、涼みの間の名前がつけられたようです。この部屋はナポレオンの閣議の間として使用され、シャルル10世がここで1830年7月31日、大臣たちに別れを告げた場所でもあるそうです。
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時計のように見えるのは気圧・温度計でバイイの作品だそうです。
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コテルの回廊(La galerie des Cotelle)
この回廊はトリアノンの花壇を冬の寒さから保護するために建造されたそうです。この回廊は南側(左側)には12の両開きのフランス窓があるのに対して、北側(左側)には5つしかありません。
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この回廊は24の絵画で飾られています。そのうちの21枚がジャン・コテルの作品です。これらの絵画には1687年の造園当時のヴェルサイユとトリアノンの木立ちが描かれており、17世紀の庭園の貴重な資料にもなっているそうです。
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第一次世界大戦の ハンガリーとの講和条約が1920年6月4日に調印されたのもこの回廊だったそうです。
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長椅子が置かれている部分にはルイ=フィリップが、ルイ15世のラングドック産大理石の氷入れが入った食器戸棚が置かれていました。
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正面の建物の中がコテルの回廊です。
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森のトリアノン翼棟(L'aile de Trianon-sous-bois)
単にトリアノン・スー・ボワとも呼ばれている棟です。
宮殿建設から20年が経過してルイ14世の家族全員が住むには狭すぎるものになりました。王の願いを満足させるために、ジュール・アルドゥアン=マンサールが、この「森のトリアノン翼棟」を建設したそうです。今までの建物が1階建なのにたいして、こちらは2階建でした。最初は王の義妹パラティーヌ夫人が、その後はその子供たちが住んだそうです。
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トリアノンの庭園(Les jardins de Trianon)
庭に面したすべての部屋から多くの種類の花を見ることが出来るそうです。特に宮殿中央の柱廊からの庭園は圧巻でした。こちらは柱廊から見たその庭園です。
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こちらは柱廊の中央からの庭園の景色です。
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コテルの回廊のある建物から南方向を見た景色です。
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次の小トリアノン宮殿方向に歩いていくときの景観です。建物の中はコテルの回廊です。北側は窓が少ないことが判ってもらえると思います。
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緑の中に白い小さな花が咲いていました。
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ピンクの花も咲いていました。
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朝早いワンコの散歩で水星を見つけました。 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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シャッタースピード : 1/5s  Fナンバー : F4.9
少し前のことですが朝のワンコの散歩の時に水星 を見ることが出来ました。写真の中央より少し上あたりの小さな点が水星です。この時期は天気がよければ毎日見えるはずでしたが意識していないと気がつかないのが水星です。金星は比較的よくみかけますが、水星は太陽の近い位置にあるため日の出前(時期によっては日没直後)の短い時間しか見えません。早いと水平線の下にあるし遅いと明るくなって見えなくなってしまうのが水星です。その水星を見ることが出来ました。上の写真は大きな写真の水星あたりを切り取って拡大したものです。コンパクトカメラで精いっぱいの拡大写真です。

月と金星は写真を撮る機会は結構ありましたが水星の写真は初めてでした。
この日は月と金星も、くっきりと見ることが出来ました。小さい写真だと区別が付かないと思いますので矢印をつけました。写真をクリックすると拡大するので水星と金星がわかると思います。拡大しても小さな点です。下記の写真はシャッタースピード1/13sでFナンバーがF2.8で撮りましたが、1/4sのF3.5で撮った写真では水星は写っていませんでした。結構、微妙でした。
2012年6月6日は金星の太陽面通過がありました。→ポチッ
ネットでいろいろ調べいると水星の日面通過 と言う現象もあるそうです。一度は見てみたいものですが、次に地球上で見れるのは2016年5月9日と2019年11月11日ですが、日本で見れるのは2032年11月13日だそうです。
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シャッタースピード : 1/13s  Fナンバー : F2.8

水星と金星と地球と火星を比較してみました。地球と水星と金星を比較して見ました。 比較のための火星のデーターも記載しました。下の写真は左から水星、金星、地球ですが、クリックするとWikimediaから拝借した火星も入った写真を表示します。
水星 金星 地球 火星
質量(対地球) 5.53% 81.50% 100% 10.75%
赤道直径(対地球) 38.30% 94.90% 100% 53.30%
公転半径(対地球) 38.70% 72.30% ※A 100% 152%
表面温度 最低 -183℃ -45℃ -89℃ -140℃
       平均 167℃ 464℃ 15℃ -63℃
       最高 427℃ 500℃ 60℃ 20℃
自転周期(対地球) 58日 243日 1日 1.026日
公転周期 87日 225日 365日 687日
大気の主成分 O2(42%) CO2(96.5%) N2(78.084%) CO2(95.3%)
Na(29%) O2(20.848%)
H2(22%) ※B
大気圧力(対地球) ※C 9200% 100% 約0.8%
  ※A 地球の平均公転半径 149,597,870.7km 太陽半径 696,000km
  ※B Ar : 0.934%  CO2 : 0.032%   %=Vol%
  ※C 水星の大気圧は地球の0.0000000000001%~0.0000000001%
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神話の戦いの大舞台 戦場ヶ原 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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中禅寺湖から北に行くと戦場ヶ原が広がっています。戦場ヶ原の標高は1394mで中禅寺湖より更に120m高い場所にあります。この日は夕刻に行ったために西に広がる原野は逆光できれいに撮るのは難しく、上の写真の通りですが、戦場ヶ原の広さは実感してもらえると思います。一番広く見える方向にカメラを向けると太陽が真正面の状況でした。上の写真より、もう少しカメラを左に廻すと太陽の光がカメラに入ってくるくらいぎりぎりで撮りました。

逆に男体山(なんたいさん)は戦場ヶ原から東側にあるので、きれいに見えました。戦場ヶ原(せんじょうがはら)は日光国立公園内にある湿原で、湯川(湯滝の下流)が男体山の噴火で堰き止められた堰止湖であったのが、堆積によって湿原化したものだそうです。
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木のシルエットと男体山がマッチしていました。戦国時代に、この高い高原で戦いが行われたと到底思えないので戦場ヶ原の名前が気になっていました。調べてみると神話の世界の戦いでした。
戦場ヶ原の名前はアカギの神(赤城山 1827.6m)とニッコウの神(二荒山:男体山 2,486m)がそれぞれ大ムカデ(赤城山)と大蛇(男体山)に化けて戦った戦場であるという神話伝説に基づくものだそうです。スケールの大きな戦いにふさわしい広さが戦場ヶ原にはありました。ちなみに、この伝説で勝ったのはニッコウの神(男体山)だそうです。
男体山(なんたいさん)は標高2,486mの山で、古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮があります。
男体山噴火により中禅寺湖、戦場ヶ原、小田代原、華厳滝、竜頭滝が出来たことは有名です。
男体山という山名を調べると、東北側の山続きの女峰山(2483m)との対で付けられたものと考えられています。男体山と女峰山は、間に大真名子山(2375m)、小真名子山(2323m)という二つの「愛子(まなご)」を抱え、また男体山の北西側には太郎山(2367m)を擁し、火山一家を成しているところが特徴的だそうです。
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遊歩道を歩くのもいいですね。今回は枯れ草の状態でしたが初夏はすばらしい湿原の景色になるそうです。戦場ケ原を湯川と国道120号線が縦断しています。湯川沿いはカラマツ、ミズナラ、ハルニレ、シラカンバ、ズミなどの樹木が生い茂る。高山植物の宝庫で、野生の鹿や兎が棲息しているそうです。2005年に湯ノ湖、湯川、小田代原と共に「奥日光の湿原」としてラムサール条約湿地に登録されました。
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落葉した木も美しいものです。高山植物の花を楽しめるのは、だいたい6~8月だそうです。クロミノウグイスカグラから始まって、ワタスゲ、ズミ、レ ンゲツツジ、イブキトラノオ、カラマツソウ、ノハナショウブ、ホザキシモツケと続くそうです。この時期に是非、行ってみたいと思っています。
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完全に葉は落ちて細かい枝が規則正しく並んでいることがわかります。
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この山は男体山ではなくて隣の太郎山(標高 2367m)です。これもきれいな景色だと思います。
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上の写真は全て三本松茶屋の近くを歩いて撮りました。
この日は東京をバスで出発して華厳の滝を見た後に来ました。この後、宿泊する中禅寺湖の湖畔のホテルに泊まりました。三本松茶屋の現在の天気や気温をライブで表示しているサイトがありました。 → ポチッ
ライブと言っても1時間くらい前なので、そのつもりで見てください。 ライブの観測地点です。
  三本松茶屋
    住所 栃木県日光市戦場ヶ原三本松
    電話 0288-55-0287 FAX 0288-55-0525
    営業 A.M7:00 ~ P.M7:00
    北緯 36度46分  東経 139度27分
    高度 1394m
    URL  http://www.sanbonmatsu.com/
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上のポチッをクリックして出てくる画面と類似の構図の写真を撮っていたので掲載いたします。比べてみてください。ライブ(2008年11月22日)を見るとすでに雪らしきものが写っています。一週間前(下の写真)は雪の気配もありませんでした。一週間で大きく変わりますね。
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戦場ヶ原の呼び方以外に戦場ガ原と戦場ケ原があります。どれが一番一般的かYahoo検索で数を比べてみました。どうやら戦場ヶ原が最も使われているようです。ところが2018年5月に検索すると同じ数値になりました。
  戦場ヶ原 約2,280,000件
  戦場ガ原  約125,000件
  戦場ケ原   約83,100件

戦場ケ原の名前の由来に関する詳しい説明 があったので枠内に転記いる形で紹介 します。
神戦伝説「戦場ヶ原神戦譚」と呼ばれる伝説からきています。
事の起こりは中禅寺湖だった。これがどこの領土に属するか、下野(栃木県)の二荒山(いまの男体山)の神と、上野(群馬県)の赤城山の神の間で争いが起こった。そこで両神による神戦で雌雄を決することになったが、どうも二荒山の旗色がよくない。二荒山が鹿島大明神に相談すると、奥州にいる小野の猿丸という弓矢の名人を教えてくれた。猿丸は、二荒山の神の孫にあたった。
二荒山の神は見事な白鹿に化身して奥州の阿津加志山に現れ、この鹿を追う猿丸を二荒山まで誘い出した。事情を知って助勢を承知した猿丸は、戦地となっている戦場ガ原に赴いた。なるほど、赤城山の化身ムカデの大群と、二荒山の化身ヘビの大群が、刺したりかんだり、絡み合って戦っていた。
ムカデ軍に目をこらすと、2本の角を持つ大ムカデが戦の指揮をとっていた。これぞ敵の大将とばかり、猿丸はその左の目を狙って矢を放つと、見事に的中。敵は見る間に撤退を始め、二荒山の勝利に終わった。この戦いがあったところが、戦場ヶ原。大百足の流した血がたまったのが、赤沼。勝負が付いたのが菖蒲ヶ浜。勝利を祝ったのが歌ヶ浜と呼ばれるようになったと言われています。

高校の同窓会に行ってきました。 [思いで]

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先日、2016年9月21日~27日に関西に行っている時に、ホテル竹園芦屋で高校の同窓会がありました。結婚式のような雰囲気ですがテーブルごとにクラスが分かれて座ります。テーブルの上にアルファベットの札が立てられているのが判ってもらえると思いますが、クラスの名前です。A組からJ組まで10テーブルありました。私はJ組だったので写真の一番右手前のテーブルに座りました。二次会も同じホテル内の別の部屋で行われました。
右の写真の校章は1947年に職員生徒に募集し、ある生徒の図案が採用され、某芸大に依頼して作られたそうです。
 15時~18時 同窓会 115名 8000円
 18時~20時 二次会  65名 2000円

こちらが全員での記念写真で黄色の丸印(〇)が私です。今回が第2回同窓会です。第1回の同窓会が1999年なので、17年ぶりの同窓会ということになります。私は初めとの参加でした。


クラスごとの記念写真です。AからJの10クラスでした。私はJクラスでした。他のテーブルに遠征している人もおられたので全員ではないようです。例えばJ組は15名のはずですが、写真は14名です。



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      卒業生   参加者   Jクラス参加
 男子   300名    90名    14名
 女子   194名    25名     1名
 合計   494名   115名    15名

当時の私の3年のクラスであるJクラスの記念写真です。この中から15名が参加していました。Jクラスは元々女子は5名しかいないので参加が1名なのは仕方ないかもしれません。
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当時は限られた範囲の中学校からしか入学していなかったので約20%は私と同じ本山中学校(神戸市立)でした。今回も卒業時の中学3年6組には私を含めて少なくとも3名が同窓会に参加していました。丸印(〇)がその参加者です。クラスは13組までありました。
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その本山中学校には、本山第一小学校と、本山第二小学校と、本山第三小学校の3つの小学校から入学するため、私の通っていた本山第一小学校(神戸市立)からも同窓会に参加されていました。つまり高校の同窓会ではありますが、中学校や小学校の同窓会でもあるのです。下の写真は小学校6年2組の写真です。
今回の同窓会では小学校の時の6年3組と6年6組の2名(右の写真)の方から声をかけられました。そのお2人は中学校では3年2組と3年10組で、高校では3年C組と3年A組した。私は小学校4年の時に広島から神戸に転校してきたのですが、同じクラスがあったかもしれません。
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雰囲気をお伝えしたいので小さい写真ですが同窓会の写真を掲載いたします。左上の写真が受付しているところで、右上の写真が乾杯の瞬間です。



クリックすると拡大同窓会が終ったらテーブルを移動させての全員での記念の集合撮影をとりました。先ずは下の写真のように先生と女性陣が座り、その後に全員が並んで撮ったのが冒頭から2枚目の写真です。
今回はいい思い出となりました。


こちらが二次会の写真です。



当時の校門からの高校の写真です。
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こちらは現在の高校の写真です。
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グランド側から見た当時の写真です。
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こちらは現在の写真です。建物はかなり変わったようです。関東に引越してしまったので20年以上見ることは無かったので懐かしいです。
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私が所属していた生物部の写真です。
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中庭には池がありましたが、現在はありませんでした。
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1年生の7月13日の野外活動の写真です。兵庫県のスキー場として有名な鉢伏山(1221m)に行ったときの写真です。
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1年生の時に多くの人が集まった写真です。
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2年生の10月1日の体育祭です。PGと書かれているのが私のクラスである2年C組です。担任の数学の先生のあだ名がベクトルPGだったので「→とPG」が書かれているのです。体育祭は9月25日~10月1日に行われた記念祭(文化祭+体育祭)の中の一つのイベントです。
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2年生時の記念祭(9月25日~10月1日)の中で所属していた生物部の発表エリアで撮った記念写真です。白いワイシャツ姿で座っているのが私です。
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修学旅行は北九州でした。修学旅行も2年生の時でした。写真は長崎の平和祈念像の前です。右側の背広姿との二人は先生で、その中の右側の先生が今回の同窓会に参加いただきました。
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修学旅行では熊本城にも行きました。修学旅行は10月26日~10月31日にありました。
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2年生の時の授業風景です。
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3年生の10月5日に行われた体育祭の写真です。この日には記念祭の終幕祭も行われます。記念祭の前夜際は10月2日に行われました。
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修学旅行など思い出が一番多いのが2年生の時なので、2年生の時の集合写真を紹介します。クラスは2年C組です。クリックすると大きく表示します。こちらからも数人ほど同窓会に参加されていました。
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2年生の集合写真を紹介したので、1年生の時の集合写真も紹介します。こちらから少なくとも女性は3名ほど同窓会に参加されていました。男性も何人か参加されていました。
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タグ:同窓会 高校

循環トレインに乗りました。 Le Château de Versailles en Petit Train [ヴェルサイユ宮殿]

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すでに紹介している通りヴェルサイユ宮殿の敷地は非常に広いので、効率的に見学するために敷地内を走っている上の循環トレイン(ミニトレイン)に乗ることにいたしました。目的としている行先は下記の地図で位置を紹介している次の場所です。
  庭園
  大トリアノン宮殿
  プティ・トリアノン離宮
  マリー・アントワネットが暮らした村里

先ずは動画を見てください。
写真を撮りながら動画を撮りました。その飛び飛びの動画をつなぎ合わせました。是非ともプレーボタン( )をクリックして、ヴェルサイユ宮殿の前の乗場から最初に降りた大トリアノン宮殿までの動画を見ていただきたいです。
約2kmの走行でした。写真を撮りながら動画も撮ったので忙しかったです。動画を見ていただくと乗った気分になってただけると思います。また、この後に合間に撮った写真を掲載していますので比較していただくと、より分かりやすいと思います。


左端がチケット売り場とトレイン乗場で、右端にミニトレインが写っています。バックはヴェルサイユ宮殿です。
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こちらは上の写真に写っていた庭園内を周回するミニトレインの部分を拡大したものです。
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周回したルートを紹介します。空色ライン(━━)が乗ったミニトレインのルートです。
  公式面積 10.7k㎡(1070ha)
  着色面積 10.8k㎡
  緩衝地域 94.7k㎡(9467ha) 
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   大トリアノン宮殿(Grand Trianon)
   プティ・トリアノン離宮(小トリアノン宮殿 / Petit Trianon)
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ 庭園内で乗ったミニ・トレインのルート
  ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
  ━━ ヴェルサイユ宮殿敷地境界


チケット売り場の写真です。
フランス語ではPetit Trainと書かれており、英語では Mini Trainです。
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こちらが買ったチケットで途中の乗降場で自由に乗り降りできる上、途中では何度でも乗ることが出来ます。チケットにはLe Château de Versailles en Petit Trainと書かれていました。値段は7.5€でした。


車内から前を撮りました。
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すぐに満席になりました。
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ただし隣の席が空いていたおかげで左側の景色も撮れました。
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建物の横を通りました。
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ヴェルサイユ宮殿の北翼の部分の横を抜けていきました。
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建物を過ぎたあたりの景色です。
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ここから左にカーブして白い車が走っているところを抜けていきます。
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上の写真で白い車が走っていたあたりです。大きな池がありました。
池はネプチューンの泉水(Le bassin de Neptune)だと思われます。
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有料範囲と無料範囲を仕切っている門を出ます。
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緑豊かな並木道を走りました。
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見事な並木道でした。
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本当に、緑豊かでした。
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ルイ16世により王妃マリー・アントワネットに与えられた小トリアノン宮殿(Petit Trianon)の入口前を通りました。
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ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮の一つである大トリアノン宮殿(Grand Trianon)に到着いたしました。
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大トリアノン宮殿を見た後、マリー・アントワネットが暮らした村里を見て、小トリアノン宮殿を見た後に、又ミニトレインに乗りました。写真は小トリアノン宮殿前の乗場です。
大トリアノン宮殿などを見学するためには、ヴェルサイユ宮殿に入った時のチケットが必要なので捨ててしまわないようにしてください。ここから空から見ると大きな十字架の形をした大運河と呼ばれている池のほとりに向かいました。
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また並木道が続きました。
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もうすぐ到着です。歩いている人も多かったです。
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こちらで降りて池のほとりのレストランで昼食にいたしました。レストランからヴェルサイユ宮殿まではミニトレインには乗らないで、王の散歩道を歩いて戻りました。
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関東なのに関西系うなぎ屋さんで飲み会 青葉 [鰻]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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久しぶりの仲間と東京の八丁堀の近くで飲み会をすることになりました。最近の品薄でちょっと贅沢になったのが、うなぎ屋さんでの飲み会ですが、鰻の美味しさの魅力には勝てませんでした。上の写真は〆の、うな重です。

驚いたことに、こちらのお店は、本店が神戸にあるうなぎ屋さんだったのです。つまり関西風のうなぎの蒲焼が食べれるお店でした。
 本店  神戸市中央区元町通3-8-10
 三宮店 神戸市中央区北長挟通2-8-5
 東京店 東京都中央区新富町1-5-5-105


鰻の蒲焼には関東風と関西風があると言われています。それには諸説あり真偽は分かりませんが、最も標準的な説明が書かれていたネット内の記載内容を枠内に転記いたしました。
関東風と関西風の違い
関西風のうなぎは、腹開きにして、蒸さずに焼きます。パリッとしていて香ばしいのが特徴です。 関東風は背開きにして、一度白焼きしたものを、蒸してから再び焼きます。淡白で柔らかいのが特徴です。
関西風は腹開き、関東風は背開きの理由
もともとうなぎは丸のまま塩焼きにして食べるか、ご飯の間にはさんだ「まぶし重」という食べ方が一般的でした。 江戸中期になって開く調理法が生まれました。 関西では商人の町なので腹開きでしたが、関東(特に江戸の街)では武士の切腹に繋がると、背開きなったと言われています。
そのほか関東が背開きとなった説としては「普通の魚と違い鰻に関しては背開きの方が裂きやすく、開く効率が高かった。」があります。
関西は蒸さないのに、関東では蒸してから焼く理由
一説には蒸すことで形を大きく見せたいという「見得をはる」「武士は食わねど高楊枝」に繋がる心理ではないかと言われています。


お通しは鰻の肝焼きでした。
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甘辛いタレで焼いた鰻肝は最高でした。
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先ずはビールで乾杯となりました。
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こちらのメニューにあるように、うなぎを注文すると13種類の一品料理の中から3品が2500円で食べれるサービスがありました。
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私か選んだ三品を紹介します。
先ずは関西らしく鱧(はも)を選びました。梅肉でいただきました。
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次がメニュー値段を見て鮪(まぐろ)を頼んでしまいしました。中トロと赤身だと思います。
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もう一品が赤貝(あかがい)です。3品合計だと3800円ですが、それが2500円なのです。
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こちらは別の人が頼んだ鱚(キス)の昆布〆です。キスも関西で食べます。鱚の上には海ぶどうと生姜とレンコナの酢漬けが乗った、なかなかの一品でした。
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サービス3品以外にうなぎ屋さんらしく「うまき」も頼みました。
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そして外せないのが、鰻の白焼きです。最近はこれにはまっています。
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やっぱり拡大写真を掲載したくなります。ワサビ醤油でいただきました。
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もちろん蒲焼も頼みました。上かば焼なので一匹半です。上の写真の白焼きも一匹半です。
こちらのお店で使われている鰻は、すべて三河一色産です。つまり国産うなぎです。久々に国産の鰻を食べました。
今回の鰻の産地である愛知県西尾市一色町(旧:愛知県幡豆郡一色町)は、おだやかな三河湾に面した温暖な気候と自然に恵まれたところで、30年以上にわたって市町村別うなぎ生産量で日本一を誇る「うなぎの町」だそうです。一色町では1904年ころから本格的にうなぎの養殖が始まり、100年を超す歴史と伝統があるそうです。最適な水温、給餌内容など、長年の研究の中で築き上げられたノウハウが、全国の業者も認める良質な一色産ブランドのうなぎを育て上げているそうです。全国で唯一、川(矢作川)の清流水を利用してうなぎを育てていることも味に関係しているそうです。
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拡大した、うなぎの蒲焼はいかがですか。
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こちらが〆として頼んだ冒頭の写真のうな重です。鰻は一匹半で味噌汁か肝吸いと香り物とデザートの果物がついています。
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こちらも拡大写真を堪能してください。
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こちらかデザートのメロンでした。
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お店を紹介いたします。下のGoogle地図の中央の の場所です。赤ちゃん(0歳)がおられる元タカラジェンヌの若いおかみさんも素敵な方でした。私も宝塚(実家)で育ったので、つい話をしてしまいました。赤ちゃんにも会いました。また、嬉しいことに私の家の最寄駅から乗り換えなしで1本で宝町駅まで行けるのです。宝町駅から360mです。2019年にも飲み会がある予定です。
 名前 うなぎ 青葉
 種類 うなぎ料理
 住所 東京都中央区新富町1-5-5-105
 電話 03-5541-3633
 営業 11:00~15:00 17:00~21:00
 定休 日曜、祝日  土曜日不定休
 最寄 宝町駅(360m) 八丁堀駅(510m) 新富町駅(270m)
 創業 本店:1935年  東京店:2005年


フジテレビ系列の「有吉くんの正直さんぽ」で今回紹介の「うなぎ青葉」が2016年10月1日(土曜日)に放送されたそうです。→ポチッ
下記の枠内に記載内容を転記いたします。内容を見ると本店が関西のお店なのに関東風のうなぎだそうです。
10月1日のぶらぶらサンデー 有吉くんの正直さんぽで、SHELLY・博多大吉と八丁堀・新富町を散歩して訪れたお店を紹介しましたのでメモしておきます。
うなぎ青葉
所在地:〒104-0041 東京都中央区新富1丁目5-5トーア新富マンション 1F
電話:03-5441-3633
営業時間:11時~15時(L.O.14時), 17時~21時(L.O.20時)
神戸の青葉元町を本店に構えている創業80年以上の名店。
この東京の店舗は開業して11年目。
一流企業の社長など舌が肥えている人たちが来る。
女将さんは元タカラジェンヌだそうです。
だから、タカラジェンヌのお客さんもいるとか。
クリックすると拡大 いいなあ。昼間からうなぎ...。
うなぎにビール・辛口の日本酒...
会わないわけがない。笑
使用しているのは皮が柔らかく脂がのっている愛知県三河産のうなぎ。
調理方法は蒸してから炭火で焼く関東風。
創業81年以来継ぎ足しているタレをつける。
ほのかな甘みを活かしつつ香ばしさを出した鰻の骨をプラス。
感動すること間違いなし。
<TVを見ていた別の人の記事>
2016/10/01(土)有吉くんの正直さんぽ
有吉弘行さんと生野アナ
ゲスト SHELLYさん
途中からゲストの… 博多華丸・大吉の大吉さんが…
雨の八丁堀を正直さんぽ!
4人が食べてた… 八丁堀ランチとあきらめ~店をφ(..)メモメモ~!
うなぎ 青葉
東京都中央区新富町1-5-5
月~金曜日
11:00~15:00(L.O.14:00)
17:00~21:00(L.O.20:00)
定休日:日祝、土曜日不定休
神戸の名店が東京に進出したうなぎ屋さん
女将さんは… 元タカラジェンヌ!だそうです~!!
食べていたのは…             :ハモ梅肉
生野アナ、SHELLYさん、博多大吉さんは…  :うな丼
有吉弘行さんは…             :うな重
有吉弘行さんと博多大吉さん、生ビールと冷酒も飲んでました~ ^m^

Googleのストリートビューでお店を紹介します。

タグ: 東京

宮殿正面からの庭園  [ヴェルサイユ宮殿]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真がヴェルサイユ宮殿の正面の庭園です。この庭園の景色を見るために、宮殿内を見学した後に外に出て庭園を見ました。

航空写真で紫色に着色したヴェルサイユ宮殿の西側(左側)に庭園が広がっています。航空写真上のアイコンマイナスをクリックするとヴェルサイユ宮殿の敷地(領地)全体に庭園が広がっていることが判ってもらえると思います。巨大な十字架の形をした池が敷地全体に広がっています。ちなみに東京ドーム敷地面積は0.046755k㎡(4.6755ha)なので何個分となるか計算してみてください。
  敷地面積 10.7k㎡(1070ha)  323万坪 答:東京ドーム229個分
  緩衝地域 94.7k㎡(9467ha) 2864万坪


建物から出て最初に目にする景色です。
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空から見るために作られているような庭園でした。


フランスらしい庭園でした。
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宮殿の正面に大きな池が2つありました。その1つです。
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池の周囲には沢山の銅像が飾られていました。どれも見事な芸術作品に思われました。
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広い庭園が見渡せる撮影スポットです。真っすぐに池が延びています。冒頭の航空写真で紹介しているように池は十字架の形をしています。
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拡大すると大きさが伝わってきます。噴水は「ラトナの泉水」とよばれているようです。ラトナの泉水,王の散歩道,大運河へと至る庭園の主軸となっています。庭園内には「ラトナの泉水」以外に「バッカスの泉水」「ケレースの泉水」「アポロンの泉水」「ドラゴンの泉水」「フローラの泉水」「サトゥルヌスの泉水」「エンケラドス泉水」「鏡の泉水」などの沢山の泉水(Les Bassins)があります。遠くに「アポロンの泉水」を見ることが出来ます。
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さらに拡大してみました。クリックするとさらに拡大いたします。
ヴェルサイユの庭園は宮殿と同じほど重要であると考えていたルイ14世は、1661年、その設計と整備をアンドレ・ル・ノートルに命じたそうです。庭園の工事は宮殿の建設と同時期に進められ、完成までに40年ほどかかるほどの大規模なものだったことが写真からも伝わってきます。
造園に携わったのはアンドレ・ル・ノートルだけではなく1664年~1683年は王室建築物監督官のジャン=バティスト・コルベールが指揮したそうです。それだけではなく国王の主席画家のシャルル・ル・ブランは彫刻と噴水に関わったそうです。建築家のジュール・アルドゥアン=マンサールも庭園の設計に関わりました。
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ここは記念撮影の場所でもありました。
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我々も記念写真を撮りました。我々の記念写真を撮っている時に興味深く見ている人もおられました。

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中央が上の写真に写っている噴水(ラトナの泉水)です。Googleの航空写真の中でEscaliers de Latone(ラトナの階段)と書かれているところが記念写真の撮影スポットです。左方向に庭園が広がっています。西北西方向になります。


記念撮影の場所から振り返るとヴェルサイユ宮殿の建物でが、このように見えました。
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ふぐづくし [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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神戸市立博物館で行われている松方コレクション展を見た後は、知り合いと待ち合わせて「ふぐづくし」を食べに行きました。
クリックすると拡大クリックすると拡大ところがお店に入って持ってきたカメラで写真を撮ったところ電池切れとなってしまいました。せっかくのふぐ料理なので知り合いのスマホで写真を撮ってもらいました。つまり私はスマホではないのです。携帯ではさすがに画像は良くないので迷惑だとは思いましたがお願いしたわけです。しかし、ついつい写真を撮り忘れそうになるのでその都度、お願いして料理を撮ってもらいました。上の写真は食事をした部屋ですが、こちらもスマホで撮ってもらいました。やっぱり最初はビールでした。

活とらふぐ専門店なので箸置きも、ふぐの箸置きでした。
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最初に出されたのが、とらふぐの皮湯引でした。沢山のねぎとモミジオロシと一緒にタレがかけられた美味しい料理でした。
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ふぐ料理と言えば、やっぱりヒレ酒が飲みたくなります。


今回、飲み放題を設定してもらったのですが、このメニューの通りヒレ酒も飲み放題の中に入っているのです。冒頭で説明した私のカメラで撮った唯一の写真がこのメニューだったのです。
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こちらが「てっさ」です。各自の前に出されるのでゆっくりと自分のペースで食べることが出来ました。一人前ですが、結構沢山食べることが出ました。真中の右側の白いものが身皮です。
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その身皮の部分を拡大いたしました。これを刺身で食べたと思いますが、これが美味しかったのです。
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こちらも、今まで聞いたことのない部位の料理でした。さすがフグ専門店でした。その部位の名前は説明を受けましたが聞きなれない部位のため忘れてしまいました。書き留めておけばよかったです。
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これも活とらふぐの唐揚げです。ちょっと贅沢な唐揚げでした。
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ふぐ料理と言えば「てっちり」です。これで3人前です。関東では「てっちり」の呼び名は少ないかもしれませんがフグ鍋のことです。
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ふぐ料理と言えば、刺身の「てっさ」と、鍋の「てっちり」です。私はいろんな鍋の中で一番と言えるほど「てっちり」が好きなので大満足の夕食となりました。
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〆はやっぱり雑炊です。記念写真も撮っていただきました。
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最後のデザートはこちらのシャーベットでした。
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お店を紹介いたします。左上方向に伸びている道が異人館がある北野通りです。下のGoogle地図の中央のの場所のレストランです。地図上のマイナスを数回クリックすると阪急・三宮駅あるいはJR・三ノ宮駅からのルートが判ると思います。
 名前 鶴翔(つるしょう)
 種類 活とらふぐ料理 はも料理
 住所 兵庫県神戸市中央区中山手通1-22-25
 電話 078-232-1129
 営業 17:00~23:00
 定休 不定休

タグ:ふぐ 河豚

松方コレクション展に行ってきました。 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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関西に2016年9月21日から9月27日まで行っていましたが、上の写真の松方コレクション展の無料観覧券をいただいたので、祝日(秋分の日)である9月22日に神戸で行われている松方コレクション展に行ってみました。
松方コレクションは、第4代・第6代内閣総理大臣の松方正義を父に持つ、実業家の松方幸次郎(まつかた こうじろう)が1916年ごろから1927年までの約10年間に収集した約1万点の美術コレクション(美術作品)のことです。その規模からロシアのシチューキン、アメリカのバーンズとならぶ世界3大コレクションの1つだったと言われているそうです。松方幸次郎は、現在の川崎重工業の前進である川崎造船所(創設者:川崎正蔵)の初代社長をを務めるなど多くの会社の社長をしていました。
 洋画など   約2650点
 日本の浮世絵 約8200点 現在は国立西洋美術館に保管
洋画などの約2650点の内訳は海外保管が約1350点で、日本へ持ち込んだのが約1300点です。フランス保管は420点との説もあります。約400点のフランス保管の作品は第二次世界大戦の敵国資産として、フランス政府に接収されましたが、戦後に交渉の結果、文化遺産の価値が高い19点(or 18点)を除いて日本に寄贈返還されました。世界恐慌の波にもまれ、日本にあった約1300点の西洋美術コレクションは散逸し、コレクションの全容については現在も研究が進められているそうです。結果的にフランスに敵国資産となった作品群が散逸から免れ、国立西洋美術館に保管されているのです。
ロンドンで保管されていた作品点数については、約300点と考えられていましたが、2016年9月に発表された研究成果で953点と判明しました。
 日本持ち込み 約1300点 世界恐慌により散逸(さんいつ)
 フランス保管 約 400点 19点を除き370点が日本に返還される
 イギリス保管 約 953点 1939年にロンドンでの火災で焼失

松方コレクション展が開かれていたのは下の写真の神戸市立博物館です。この建物は1935年に建てられた新古典主義様式の建物で、国の登録有形文化財でもあります。この建物は神戸市が所有する前は某会社の神戸支店として使われていて、偶然ですが、私が生まれた時に、私の親父が、この建物の中で働いていたと、見学当日にお袋から聞かされて驚きました。
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実家は宝塚の逆瀬川なので、その逆瀬川駅から阪急電車に乗って三宮駅で降りて徒歩で向かいました。


道路を渡って神戸市立博物館を撮りました。入口があります。
松方コレクション展は27年前の1989年にも、神戸市制100周年記念展として神戸市立博物館で開催されたことがあります。その時は約19万人の来館者があったそうです。
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屋根が突き出た部分が入口です。
松方幸次郎は作品購入のため1921年に印象派の巨匠・モネの自宅アトリエも訪問していて 「あなたの素晴らしい絵を、日本の貧しい画学生に見せたい」と社会的使命を口にする松方幸次郎に対してモネは手元に残していた作品を手放したと言ったそうです。
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1階のロビーにロートレックが描いた目玉となっているオルセー美術館所蔵の「庭に座る女」のパネルが置かれており、その前で皆さんが記念写真を撮られていました。松方コレクションは2階と3階で行われていました。
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チラシにもロートレックの「庭に座る女」が使われていました。フランスから返還されなかった作品は下記ですが、今回、この中から5点が展示されていました。下記は19点ですが、返還されなかった作品は18点と書かれた記述が多いです。つまり18点or19点です。
 オルセー美術館所蔵
  ボンヴァン  チーズのある静物
  ボンヴァン  鴨のある静物
  ボンヴァン  野兎のある静物
  クールベ   フラジェの農夫たち
  マネ     ビール・ジョッキを持つ女
  ゴーギャン  シュフネッケルの家族
  ゴーギャン  扇のある静物
  ゴーギャン  ブルターニュの風景
  ゴーギャン  ヴァイルマティ記事
  ゴッホ    アルルの寝室
  ロートレック ジュスティーヌ・デュールの肖像
 ルーヴル美術館所蔵
  セザンヌ   ジョルジョーネの《田舎の合奏》より(水彩)
  セザンヌ   サント・ヴィクトワール山(水彩)
  セザンヌ   調理台の上の瓶とポット(水彩)
  モロー    ジョット(水彩)
 ポンピドゥ・センター国立近代美術館所蔵
  マルケ    サン・ミシェル橋
  スーティン  吊るされた鶏
  スーティン  ページ・ボーイ
  ピカソ    読書する婦人
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展示されている140点の内、浮世絵だけは何度か入れ替わります。
今回の140点の作品の作家は次の通りです。人数は80名です。140点の作品で80名ですから、約2000点の作品は、どれだけの作家だったのか知りたくなります。
喜多川歌麿 葛飾北斎 石橋和訓 ポール・ゴーギャン カミーユ・ピサロ ポール・セザンヌ クロード・モネ アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック パブロ・ピカソ エドヴァルド・ムンク オーギュスト・ロダン フランク・ブラングィン G.モリナーリ フランク・ブランクィン アレッサンドロ・ベドリ? アントニオ・ベルッチ ヤン・ファン・ホイエン サロモン・デ・ブラーイ ゴッドフリー・ネラー リチャード・ウイルスン トマス・ゲインズバラ ジュージ・ロムニー カミーユ・コロー コンスタン・トロワイヨン ジュール・デュプレ シャルル・フランソワー・ドービニー ギュスターヴ・クールベ ギュスターヴ・モロー ジャン・ジャック・エンネル アンリ・ファンタン・ラトゥール レオン・レールミット マリー・カザン ジュールメバスチアンメルパージュ ジャン・フランソワ・ラファエリ ルイ・ジョセフ・ラファエル・コラン エドモン・フランソワ・アマン・ジャン エルネスト・ローラン アンリ・ジャン・ギヨーム・マルタン リュシアン・シモン モーリス・シャバ シヤルル・コッテ ポール・シニャック アンリ・ルバスク モーリス・ドニ ピエール・アルベール・マルケ アンリ・オットマン エミール・アントワーヌ・ブルーデン デイヴィッド・コックス ウイリアム・キラー・オーチャードスン ジョージ・フレデリック・ワッツ エドワード・コーリー・バーン・ジョーンズ フランク・スキップワース ウォルター・リチャード・シッカート ジョン・アルフレッドアーンズビー・ブラウン ブラングィン ダッドリー・ハーデディー チャールズ・シムズ アルフレッド・ジェイムズ・マニングズ グリン・ウォレン・フィルポット コンスタンタン・ギース ヨセフ・イスラエルス フランス・ピーテル・テル・ムーレン ジョヴァンニ・セガンティーニ テオフィル・アレクサンドル・スタンラン ウジェーヌ・ユゼフ・フェルボックホーフェン アルフレッド・ステヴァンス フゴー・ヴイルヘルム・カウフマン マックス・ペヒシュタイン シャイムズ・クイン カミーユ・コロー ジュール・デュプレ シェルル・ジャック シャルル・フランソワ・ドービニー アドルフ・モンティセリ ジャン・ジャック・エンネル カロリュス・デュラン ジュール・バスチアン・ルパージュ ウジェーヌ・カリエール ジャン・ランソワ・ラファエリ シャルル・コッテ

今回の展示会のために日本国内をはじめ、オルセー美術館、ルーヴル美術館、ポンピドゥ・センター国立近代美術館などのフランスの美術館からも絵画などの美術品が140点ほど集められました。
残念ながら松方コレクション展は写真撮影が出来なかったのでホームページの写真を転用させていただきました。こちらが最大の目玉と思われる作品です。文化遺産的価値が高いことから日本に返還されなかった19点の中の一つです。
 題名 庭に座る女 ジュスティーヌ・デュールの肖像
 製作 1891年
 作家 トゥールーズ ロートレック
 所蔵 オルセー美術館
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この2枚もフランスに残された19枚の絵画です。「吊るされた鶏」は最後に購入したコレクションでもあります。
 題名 読書する婦人       吊るされた鶏
 製作 1920年          1925年
 作家 パブロ ピカソ      シャイム スーティン
 所蔵 パリ国立近代美術館    ポンピドゥーセンター
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モローの「ジオット」もフランスに残された19枚の中の1枚です。
 題名 ヴェトゥイユ         ジオット
 製作 1902年            1882年頃
 作家 クロード モネ        ギュスターヴ モロー
 所蔵 国立西洋美術館        ルーブル美術館
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 題名 収穫
 製作 1882年
 作家 カミーユ ピサロ
 所蔵 国立西洋美術館
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 題名 イゼール川の谷の水門
 製作 1855年
 作家 シャルル ドービニー
 所蔵 ルーアン美術館
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 題名 永遠の青春         老人
 製作 1881~84年        
 作家 オーギュスト ロダン    ジャン フランソワ ラファエリ
 所蔵 国立西洋美術館       ㈱サカタのタネ
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 題名 共楽美術館構想図     ささやき
 製作         
 作家 フランク ブラングィン  ウィリアム キラーオーチャードスン
 所蔵 国立西洋美術館      ジールハウス
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 題名 松方幸次郎肖像      水飼い場
 製作 1916年          1886年
 作家 フランク ブラングィン  ポール ゴーギャン
 所蔵 松方家          島根県立美術館
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ほとんどの浮世絵が海外に流失してし待った中で、1918年にフランスの宝石商アンリ・ヴェヴェールが持っていた浮世絵約8200点を一括購入したことは、その後の浮世絵の研究においても価値があることでした。
 題名 おしゃべり女        青楼三美人
 製作               1793年
 作家 フランク スキップワース  喜多川歌麿
 所蔵 加西市           東京国立博物館
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浮世絵のもう一人の巨匠である葛飾北斎の浮世絵です。浮世絵は5期に渡って入れ替わるので、こちらの作品は10月10日までしか見ることが出来ません。入れ替わりますが、葛飾北斎の作品も、喜多川歌麿の作品も、常にそれぞれ数枚が展示されています。
 題名 千絵の海 蚊鉢流 
 製作 1832年頃
 作家 葛飾北斎
 所蔵 東京国立博物館
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今回の140点の作品は下記の41ケ所の所蔵場所と、20点の個人所蔵が集められました。フランスから返還された作品は国立西洋美術館に保管され、8200点の浮世絵は東京国立博物に保管されています。写真をクリックすると今回の展示作品リストが大きく表示されます。
オルセー美術館 ルーブル美術館 ポンピドゥーセンター ランス美術館 リヨン美術館 ルイ・サンレック美術館 ドゥノン美術館 ルーアン美術館 グロベ・ラバディエ美術館 ジャン・ジャック・エンネル美術館 リール美術館 ヴェルノン美術館 クレルモン・フェラン美術館 ストラスブール近現代美術館 マルモッタン美術館 カンベール美術館 国立西洋美術館 東京国立博物館 ブリジストン美術館 鹿児島市立美術館 横浜美術館 島根県立美術館 姫路市立美術館 栃木県立美術館 郡山市立美術館 大原美術館 西宮市大谷記念美術館 山梨県立美術館 パリ装飾美術館 BBプラザ美術館 航空宇宙博物館 兵庫県公館 加西市 ジールハウス 川崎重工業 日本生命 共立女子大学 アサヒビール サカタのタネ 帝人 松方家
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会場内の雰囲気を紹介したいのでネットから展示室の写真を転用させていただきました。
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音声ガイトを借りて28点が登録されていました。番号が付けられた作品があると番号をキーインすると絵画の説明を聞くことが出来ました。
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常設展示は写真撮影が許されていたので紹介したいと思います。銅剣や銅鐸が多数展示されていました。
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瓦などの発掘品もありました。
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古代の陶器も沢山展示されていました。
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こちらは遠眼鏡です。
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貴重な資料も沢山ありました。
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神戸と言えば異人館でが、その異人館の一部も館内に展示されていました。こちらは玄関の部分だと思われます。
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こちらは異人館の居間だと思われます。
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博物館だけあって沢山の展示品がありました。
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こちらが出口です。入口が建物の東側にあるのに対して、出口は建物の西側にありました。松方コレクション展へ行ったのが9月22日だったので始まって5日目だったことになります。
 名称   松方コレクション展 松方幸次郎 夢の軌跡
 展示数  140点(美術作品) 19点(関連資料)
 期間   2016年9月17日~11月27日
 開館時間 9時30分~17時30分(土曜日は19時まで)
 主催   神戸市立博物館 神戸新聞社 日本経済新聞社 NHK神戸
 特別協賛 川崎重工業
 協賛   野崎印刷紙業 ヤマトロジステック エールフランス KLM
 後援   サンテレビジョン ラジオ関西
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食とアートのコラボのイベントも行われていました。松方コレクション展の半券提示で10%引きになるのが下記のレストランやCafやスイーツのお店です。
 YURT 神戸店              
 黒十                  
 PATISSERIE TOOTH TOOTH       
 洋食屋 神戸デュシャン          
 TOOTH TOOTH maison 15th       
 cafe Fish!                
 TOOTH TOOTH GARDEN RESTAURANT 
 ROUGH RARE             
 Bar & Bistro 64              
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松方コレクション展が行われている神戸市立博物館の場所を地図で紹介します。青色のラインは阪急の三宮駅西口から神戸市立博物館までのルートです。
  阪急・三宮駅
  神戸市立博物館入口  三宮駅から699m 
  神戸市立博物館 兵庫県神戸市中央区京町24

タグ:絵画

宮殿の歴史回廊と3D画像 [ヴェルサイユ宮殿]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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1階の「王女たちの部屋」や「大階段」を見た後に来たのがこちらの部屋でした。こちらの部屋の名前は分かりませんが展示物が多くあったことから歴史回廊と呼ばれて場所近くの一室だと思います。

部屋の中央にはヴェルサイユ宮殿の模型が置かれていました。壁の天井近くには歴史的訪問者を描いた絵が飾られていました。また大きな絵もすべてヴェルサイユ宮殿内を描いている絵と思われました。
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これがその模型です。こちらの部屋を見た後は、庭園を目指しました。
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ヴェルサイユ宮殿の公式の歴史回廊ページに3Dの画像動画が公開されていましたので紹介します。


こちらは3D動画を作る作業や撮影現場などが入った動画です。それ以外にも3つの動画が登録されていました。タイトルをクリックすると表示します。
 Chaos to perfection
 From Louis XIII to the French Revolution
 From gardens to Trianon palaces