SSブログ

文化芸術センターのメインガーデン(庭園) [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
上の建物が前記事で紹介した大久保英治展が行われていた宝塚市立文化芸術センターの建物です。本記事では宝塚市立文化芸術センターの敷地内にあるメインガーデン(庭園)を紹介したいと思います。建物の前に広がっているエリアは「みんなの広場」でメインガーデンは写真から右方向に進んだところにあります。
ホームページの沿革によれば宝塚市立文化芸術センターの敷地は古くは1911年 5月に開業した宝塚新温泉の一部であり、1960年 3月に宝塚新温泉から名前を改称した宝塚ファミリーランドの敷地の一部でもありました。さらに2003年 4月に宝塚ファミリーランドが閉園後、宝塚ガーデンフィールズが開園した場所でもあります。宝塚市立文化芸術センターの建設工事が2018年 3月から始まり、今回紹介するメインガーデンも2019年 3月に着工したそうです。メインガーデンは2020年 3月に竣工しましたが、宝塚市立文化芸術センターのグランドオープンは新型コロナの影響で2020年8月まで遅れたそうです。ちなみに宝塚ファミリーランドは子供を連れて実家に行った時にはよく行ったところです。

前記事で紹介した宝塚市立文化芸術センターや以前に紹介した手塚治虫記念館(宝塚市立)やメインガーデンの場所をGoogleマップの航空写真に書き込みました。クリックすると拡大本衛星写真は建物の屋上に庭園がないことから建設途中の写真と思われます。黄色の枠で囲った部分がメインガーデンで緑色ラインが散策ルートです。入口は左側(西側)と右上側(北側)にあり、今回は西側(左側)から入りました。左の建物が手塚治虫記念館です。


メインガーテーンに入っていった手塚治虫記念館の方向から紹介したいと思います。右側の建物が手塚治虫記念館です。
クリックすると拡大

道を進むと庭園らしい景観になってきました。今回の中で人が写った唯一の写真です。
クリックすると拡大

上の写真から人の写っている部分を切り取って追加掲載させていただきました。マスクをされているので「ぼかし」なしで掲載させていただきました。このように小さなお子様を連れた方を数組見かけました。
クリックすると拡大

左側に振り向くと宝塚市立文化芸術センターの建物が見えます。建物の屋上が緑に覆われているのはいいですね。
クリックすると拡大

クリックすると拡大メインガーデンへの入口の写真を撮り忘れたので以前に撮った写真を紹介します。この時は閉園していたので扉は閉まっていました。今回の写真の中から入口の門が小さく写った写真写真を見つけたので切り取って右に追加掲載いたしました。2枚上の写真と同じものです。
クリックすると拡大

庭園内には小さな池と水が流れている小川があります。飛び石が見えます。
クリックすると拡大

散策路の右側にカンゾウ(萱草)に似た花が咲いていました。ヨーロッパで日本や中国の野生のカンゾウを改良を作られたヘメロカリスという名の花であることが、後で分かりました。
クリックすると拡大

そのヘメロカリスの花を拡大いたしました。
クリックすると拡大

棚につる性の植物が巻きついていて白い花を付けていました。
クリックすると拡大

つる性の植物はタイワンソケイ(台湾素馨)でした。
クリックすると拡大

シダも植えられていました。洋風の庭園でシダが使われているのは珍しく感じました。
クリックすると拡大

花が沢山咲いているエリアにあです。
クリックすると拡大

今咲いている主な花の説明板がありました。これでカンゾウ(萱草)に似た花がヘメロカリスであることが判ったわけです。
クリックすると拡大

メインガーデン全体はイングリッシュガーデンのような雰囲気ですが、花が沢山植えられている辺りは幾何学的なデザインになっていました。
クリックすると拡大

円形の中心部分です。
クリックすると拡大

円形部分の最も外周です。
クリックすると拡大

鮮やかなオレンジ色の花がありました。説明板にはなかったので名前が分かりませんでしたが、 sanaさんにコメント欄でアルストロメリアであることを教えていただきました。
 界 植物界       Plantae
   被子植物      Angiosperm
   単子葉類      Monocots
 目 ユリ目       Liliales
 科 ユリズイセン科   Alstroemeriaceae
 属 アルストロメリア属 Alstroemeria
クリックすると拡大

こちらは説明板のハドベキア・プレーソーサンのようです。
クリックすると拡大

ユリも咲いていました。
クリックすると拡大

円形の部分の中心です。
クリックすると拡大

円形の庭園の部分を離れて自然な雰囲気の部分に入りました。
クリックすると拡大

上の方で紹介した飛び石のところも歩きました。
クリックすると拡大

小川のある景色です。紫色の花が咲いていました。
クリックすると拡大

見慣れない大きな植物がありました。大きな植物で背丈より大きくなっているのもありました。
クリックすると拡大

その花を紹介します。
クリックすると拡大

散策路は木々に覆われている部分が多かったです。
クリックすると拡大

小川の流れる景色を別の角度から紹介します。
クリックすると拡大

メインガーデン(庭園)内にある建物の名前はガーデンハウスです。
クリックすると拡大

クリックすると拡大ガーデンハウスに付属した小さな広場にはテーブルと椅子が置かれていて静かにくつろげそうでした。テーブルの上に貼っている紙には右の写真のように「距離をとろうね。KEEP DISTANCE」と書かれていました。テーブルの数も減らしてあるのだと感じました。
クリックすると拡大

庭園から見た宝塚市立文化芸術センターの建物です。
クリックすると拡大

ホームページのマップを紹介します。
クリックすると拡大

メインガーデン(庭園)内では手塚キャラが探せます。
手塚治虫のアニメのキャラクターの絵が庭園の中に置かれていました。最初に見つけたのが「ふしぎなメルモ」でした今回見つけた手塚キャラを見つけた順番に紹介します。
クリックすると拡大

2番目に見つけたのがヒョウタンツギでした。
クリックすると拡大

3番目のリボンの騎士のサファイア姫もひっそりと置かれていました。
クリックすると拡大

4番目のユニコはメインガーデンの門の外側にありました。門の祖てですがエリア的にはメインガーデンないです。
クリックすると拡大

もう一度門内に戻って5番目を見つけました。ヒョウタンツギは2体あったのです。今回見つけたのは紹介した5体でしたが、探せばもっと見つかるかもしれません。ネットで見ると鉄腕アトムやブラック・ジャックも出てきました。探してみるのも楽しいかもしれません。
クリックすると拡大

メインガーデン入口の宝塚市立手塚治虫記念館前にはジャングル大帝レオの像も置かれていました。後ろの建物が宝塚市立手塚治虫記念館です。こちらを入れると今回見た手塚キャラは6体になりますがメインガーデンから離れているし、探す必要もないほど目立った存在なので数には入れませんでした。
クリックすると拡大


屋上庭園
上で紹介の庭園にはメインガーデンの名が付いていることから分かるように宝塚市立文化芸術センターには名前のついた庭園(ガーデン)が3つあります。その一つが屋上庭園です。ここでは屋上庭園を紹介したいと思います。もう一つはフロントガーデンですが、今回は名前が付いているとは知らなかったので写真は撮りませんでした。こちらの写真が駅方向からの屋上庭園への階段です。右端の建物はエレベーターです。エレベーターでも上がってくることが出来ます。
クリックすると拡大

階段を登り切ったところの景色です。
クリックすると拡大

西方向からの屋上庭園の全景です。
クリックすると拡大

東方向からの全景です。広い芝生の広場でした。
クリックすると拡大

東野エリアには原っぱの丘イメージして植物が植えられたエリアがありました。
クリックすると拡大

原っぱの丘に植えられている植物の説明板です。植えられていたのは、メアザミ、オトコエシ、カワラナデシコ、ワレモコウ、オミナエシ、フジバカマ、オニユリ、カントウヨメナ、キンキズヒキ、ミソハギ、ホタルブクロ、ウツボグサ、ハマナデシコ、キキョウです。
クリックすると拡大

屋上庭園から見たメインガーデンです。
クリックすると拡大

建物の2階からみたメインガーデンです。
クリックすると拡大


オープンして間近の2020年6月にもメインガーデン(庭園)に来たことがありました。ただし閉園日だったので中には入れないので柵の外から撮りました。写真は北側の入口です。この庭園があることを知ったのは2020年の春頃でした。実家から清荒神に行く道筋で見つけて入ってみたいと思っていてその年の6月に来てみた訳です。
クリックすると拡大

紫陽花が咲いていました。
クリックすると拡大

西側の入口です。やはり門は閉まっていました。
クリックすると拡大

水曜日が閉園日をだったのです。
クリックすると拡大

上で紹介した飛び石はや池は外のエリアから見ることが出来ました。
クリックすると拡大

庭園内の池は外のエリアにもつながっていました。右側の建物が宝塚市立文化芸術センターで、左側の建物が宝塚市立手塚治虫記念館です。
クリックすると拡大

宝塚市立手塚治虫記念館を広場から撮った写真です。右端のカラフルな色のドームの下が記念館の入口です。
クリックすると拡大


前回来た時が閉園日だったので2020年10月に来てみました。その時の写真を紹介します。写真のように北側の門が空いていました。
クリックすると拡大

門を入ってすぐの景色です。
クリックすると拡大

タイワンソケイ(台湾素馨)の棚がありました。
クリックすると拡大

ガーデンハウスの前の散策路です。
クリックすると拡大

飛び石のところです。
クリックすると拡大

ハロウィンの時期だったので大きなかぽつゃが置かれていました。
クリックすると拡大

北側の散策路です。手塚キャラ「ふしぎなメルモ」があった辺りです。この時は手塚キャラは気がつきませんでした。
クリックすると拡大

小川のある景色です。
クリックすると拡大

北側の散策路はいろんな景色を見せてくれます。
クリックすると拡大

散策路が広くなっている辺りです。
クリックすると拡大

開園当時に宝塚市が公表したイメージ図を紹介します。手前がメインガーデンで、奥が文化ゲイジュツセンターの建物です。屋上庭園のイメージも実際と同じです。
クリックすると拡大

下記の宝塚ファミリーランドのチラシに、手塚治虫記念館やメインガーデンをクリックすると拡大含めた宝塚市立文化芸術センターのエリアを黒枠で追記しました。ただし昔の航空写真などを参考にして書き込んだの大凡の位置であることはお許しください。宝塚フミリーランドは右の写真のホワイトタイガーが1985年から2003年(閉園)までいたことで有名で、1996年~2001年の間に何度(3回以上)か2~3頭の赤ちゃんも生まれました。
動物園エリアは左上の部分です。
クリックすると拡大

参考にした昔の航空写真です。黄色枠の部分が現在のメインガーデンなどを含んだ宝塚市立文化芸術センターのエリアです。この航空写真は1979年に撮影されました。クリックすると広範囲を表示します。
クリックすると拡大

クリックすると拡大1994年の航空写真にも宝塚ファミリーランドが写っているので宝塚市立文化芸術センターのエリアを確認してみてください。本航空写真には私が1歳の時に右の写真を撮った東京銀行宝塚クラブハウスが建っていたグラウンドやテニスコートが左下端に写っています。同じ場所にクラブハウスらしいものが傍にありますが、私が1歳の時に建っていた建築家の村野藤吾の設計のクラブハウスとは違うようです。
クリックすると拡大

こちらが建築家・村野藤吾の設計したクラブハウスと思われる建物が写っていた1961年5月13日に撮影された国土地理院の航空写真です。
クリックすると拡大
タグ:宝塚 庭園
nice!(109)  コメント(30) 

宝塚市立文化芸術センター 大久保英治展 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
現在、関西に来ています。千葉に帰る予定は2021年8月17日なので少し長い滞在になっています。そこで、2021年8月7日は実家がある宝塚の宝塚市立文化芸術センター(Takarazuka Arts Center)にやってきました。実は7月12日にも宝塚市立文化芸術センターに来て看板にある大久保英治展を見学したのですが、通り雨が来たために建物の写真が撮れなかったことから、建物を撮る目的で8月17日に訪れました。ポスターの作品の名前は「宝塚・地の層」です。
宝塚市立文化芸術センターは、古くは宝塚ファミリーランドの跡地でもあり2013年に閉園した宝塚ガーデンフィールズの跡地に2020年4月19日にグランドオープンした施設です。

駅方向からの入口です。左側の通路が建物の屋上の緑地(屋上庭園)に上がる道で、右側の通路がメインギャラリーがある建物の2階に行く道です。その左側の階段を下りると1階入口に行けます。
クリックすると拡大

こちらが2階の入口に通じている通路です。
クリックすると拡大

建物への入館は無料ですが、大久保英治展が行われているメインギャラリーは有料(800円)でした。ただし、中学生以下は無料でした。こちらが展示会のチケットです。シンプルなチケットで裏に日付がスタンプされます。上が表で、下が裏です。
クリックすると拡大

入口に飾ってあった大久保英治の写真です。展覧会のタイトルは「山と川のはざま・宝塚の時間を求めて」でした。うれしいことに写真撮影は全てOKでした。
 会期 2021年7月10日~8月22日
 休館 毎週水曜日
 時間 10:00~18:00
クリックすると拡大

最初の展示は床に石を並べたものでした。最初のエリアの真ん中に置かれていたので空間も楽しむのだと思います。今回、展示されていた作品の中で一番新しいものでした。本作品は中国の五行思想を表す5色の石が同心円状に床に並べ、天井から吊るされた石との間にわずかな「はざま」を形作っているそうです。
 作品名 水・宝塚
 制作  2021年
クリックすると拡大

少し上の角度からの写真も紹介します。中央に立っているように見える長い石は天井から黒い糸で吊るされています。
クリックすると拡大

次のエリアです。
クリックすると拡大

部屋の真ん中には長い作品が置かれていました。紙に土が塗られた作品でした。
 作品名 折本 宝塚の山里を歩く
 制作  2020年
 材料  折本 土
クリックすると拡大

作品名「折本 宝塚の山里を歩く」の一部を紹介します。折本の作品には「折本 宝塚の川筋を歩く」がありました。
クリックすると拡大

壁にかかっていた作品です。沢山の棒のように見えるのは土が入った試験官です。
 作品名 宝塚の土
 制作  2020年
 材料  試験官 土 小瓶 木箱
クリックすると拡大

この部屋には、冒頭の写真に写っていたポスターの作品の写真がありました。写真をクリックすると特別に大きく拡大するので土の層がよくわかると思います。
作品名 宝塚・地の層
制作  2020年
材料  土 小鬢 木箱
クリックすると拡大

材料が地図と紙なのが面白いです。
 作品名 宝塚・山と川のはざま2
 制作  2019年
 材料  地図 紙
クリックすると拡大

自然の材料を使った作品でした。
 作品名 宝塚の山里
 制作  2020年
 材料  土 石 枝 写真 他
クリックすると拡大

上と似た作品がもう一つありました。
 作品名 宝塚の川筋に沿って
 制作  2020年
 材料  土 石 写真 他
クリックすると拡大

立体感を感じてもらうために斜めから撮った写真を紹介します。石を糸で止めているのが判っていただけると思います。
クリックすると拡大

不思議な作品もありました。
 作品名 サイト202006 サイト202004 サイト202003 サイト202002
 制作  4作品ともに「2020年」
 材料  4作品ともに「和紙 鉄粉 鉛筆」
クリックすると拡大

大きな作品も紹介します。
 作品名 宝塚の川筋に沿って
 制作  2021年
 材料  ダイヤル鍵 土 瓶 木箱 バナー
クリックすると拡大

上の作品の真ん中に置かれていたのはこちらです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

次のエリアです。床に並べられた大作が印象的でした。
クリックすると拡大

5つの中の一つを紹介します。いろんなデザインが並んでいます。
クリックすると拡大

さらに拡大いたしました。
クリックすると拡大

鏡を使った作品が5つ並んでいました。
 作品名 うつろ・ふ TAKARAZUKA 2019-3
 制作  2019年
 材料  缶 鏡 木
クリックすると拡大

鏡の範囲から飛び出しているのが特徴のようです。
 作品名 うつろ・ふ OSAKA 2020-5
 制作  2020年
 材料  金属片 鏡 木
クリックすると拡大

クリックすると拡大鏡を使った5作品の残りの3作品を紹介します。正面から撮ると鏡に自分の姿が写りこんでしまうので、すべて斜めから撮っています。右の小さな写真が5作品の説明カードです。クリックすると拡大します。
 作品名 うつろ・ふ
     OSAKA 2019-2/OSAKA 2020-4/OSAKA 2020-6
 制作  2019年/2020年/2020年
 材料  缶 鏡 木
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大

こちらも存在感のある作品でした。
 作品名 水の記憶
 制作  2011年
 材料  ライター アクリル
クリックすると拡大

クリックすると拡大カラフルの色は使い捨てライターでした。
日本海沿岸を歩き、拾い集めたライター約45,000個を積層させた時間の彫刻との説明板が設置されていました。ライターを封じ込めたアクリルケースの高さは大久保氏の身長と同じ172cmなのもこだわりが感じられます。海岸で45,000個の捨てられたライターを一人で拾うのにどれ程の歳月を要したのだろうと思いが募ります。作品名の「水の記憶」に思いが込められているのかもしれません。
クリックすると拡大

木の葉を使った作品も5つありました。
 作品名 カーデン 2
 制作  2020年
 材料  葉 アクリル
クリックすると拡大

もう一つ木の葉を使った作品を紹介します。
 作品名 カーデン 3
 制作  2020年
 材料  葉 アクリル
クリックすると拡大

こちらが建物の配置図です。2階(2F)のメインギャラリーで展示会が行われていました。円弧状のモダンな建物です。
クリックすると拡大

上の配置図の1階(1F)の現在地と書かれているところからライブラリー方向(上方向)を撮った写真です。
クリックすると拡大

ランチボックスがあったので昼食で食べてみることにいたしました。上の写真で女性が2人いるところがお店です。
 店名 MEL MILHI(メルミルヒ)
 営業 10:00~18:00
 定休 水曜日
クリックすると拡大

珍しい国の料理でした。ジャマイカ料理だったように思います。
クリックすると拡大

ライブラリー(読書エリア)から撮った写真です。
クリックすると拡大

クリックすると拡大サブキャラリーではギャー旅展が行われていました。こちらは無料でした。次の4人のアーティストのコラボ展でした。右の写真はいただいたギャー旅展のパンフレットです。クリックすると裏面の説明も含めて大きく拡大いたします。
 SASAMARU (笹埜能史)
 ZUVALANGA (ズワランガ)
 KUROKITEC (黒木テック)
 YOSHIDA ICHIRO (吉田一郎)
クリックすると拡大

写真の中の赤色の球体型ベンチテーブルはKUROKITEC (黒木テック)氏の作品です。
クリックすると拡大

面白いものが沢山ありました。
クリックすると拡大

宝塚市立文化芸術センターの建物の写真を紹介します。こちらの写真は2021年8月7日に撮りました。屋上に緑があるのが判っていただけると思います。屋上が庭園になっています。この写真は宝塚市立手塚治虫記念館の前から撮った写真です。
クリックすると拡大

屋上の庭園を紹介します。
クリックすると拡大

紹介されていた大久保英治作家の経歴を紹介します。クリックすると読める大きさに拡大(面積で16倍)いたします。
 1944年 兵庫県西宮市生まれ 岡山県小田郡矢掛町育ち
 1967年 日本体育大学教育学部卒業
 1970年 勤め先の学校の美術格子の影響で絵をえがきはじめる
 1985年 兵庫県宝塚市山本に住む(~1988年)
  主な個展    1980年から 28回以上
  主なグループ展 1978年から 27回以上 
クリックすると拡大

宝塚市立文化芸術センターの場所の航空写真を紹介します。以前に紹介した宝塚市立手塚治虫記念館やメインガーデンの場所も分かると思います。メインガーデンに関しては近いうちに紹介したいと思っています。宝塚歌劇の大劇場もすぐ近くにあります。最寄駅は阪急の宝塚南口駅ですが、宝塚駅からも近いです。


ラジオ関西トピックスの記事の中に宝塚市立文化芸術センターの開館記念展の動画があったので転用する形で紹介します。この動画は左端になる上下左右の矢印をクリックすると見る方向を変えられます。天井や床方向も見ることが出来ます。

タグ:宝塚
nice!(100)  コメント(32) 

宝塚神社 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前々記事で紹介した平林寺を見た後に宝塚神社を訪れました。宝塚神社は平林寺に隣接しています。創立年は現在においては不明ですが隣接する平林寺の記録によれば、承和四年(837年)作の仏像安置から、聖徳太子開基とされる平林寺が創建されたとされる飛鳥時代頃には神社が存立していたものと思われているそうです。宝塚神社には平林寺の敷地からから入る裏参道から入りましたが、本記事では表参道から順に紹介したいと思います。つまり実際に歩いた順とは逆に紹介いたします。こちらが表参道入口です。

参道入口に近くに良元村道路元標と書かれた石碑が残されていました。昔は武庫川の西側の辺りは良元村で、今でも良元街道の名前が残されていました。
クリックすると拡大

こちらが宝塚神社の一の鳥居です。
クリックすると拡大

表参道は途中で阪急電鉄の今津線の線路を渡ります。こちらが線路を横切る踏切でする。名前は平林寺踏切道と書かれていました。平林寺の表参道はこの踏切ではなく線路を潜るガードですが、不思議なことに平林寺踏切道と名前が付けられていたのです。
クリックすると拡大

踏切のところには水が湧き出る部分に石造の祠が建てられていました。その脇に五角天神(勤学の神)と天満神社(学問の守護神)の看板が立てられていました。
クリックすると拡大

丁度、阪急電車が通ったので写真を撮りました。
クリックすると拡大

写真を撮った背中側に宝塚神社があります。この登り坂は正直坂と名前が付けられています。
クリックすると拡大

正直坂は続いていました。
クリックすると拡大

ここでU字に曲がって登ります。右側が正直坂で、左側の清明坂を登り切ると宝塚神社に着きます。
クリックすると拡大

もう少しで宝塚神社です。左の階段を登ると二の鳥居です。
クリックすると拡大

二の鳥居と拝殿方向に上がる部分に狛犬がありました。
クリックすると拡大

こちらが左側の狛犬です。前掛けには「子年 男 八十六才」と書かれています。
クリックすると拡大

こちらが右側の狛犬です。前掛けには「巳年 男 五十一才」と書かれています。
クリックすると拡大

こちらが二の鳥居です。宝塚神社の拝殿が見えます。
クリックすると拡大

二の鳥居をくぐったところに手水舎があります。
クリックすると拡大

拝殿の正面に百度石がありました。
クリックすると拡大

こちらが宝塚神社の拝殿です。
クリックすると拡大

拝殿の建物を拡大いたしました。例祭は10月18日前の土日に、だんじり祭が行われるそうです。住吉型地車1基があるそうです。
 名前  宝塚神社
 住所  兵庫県宝塚市社町4-8
 主祭神 素盞嗚尊 大山咋命
 社格等 旧村社
 創建  不詳  飛鳥時代と推定されている。
 例祭  10月18日前の土日
クリックすると拡大

右側の狛犬です。前掛けがかわいらしいです。
クリックすると拡大

左側の狛犬も紹介します。
クリックすると拡大

拝殿の扁額です。宝塚神社は行者山などが連なる山脈の端にあり、山岳修験道から当地に白山権現を祀り、白山権現社と号していたそうです。さらに武庫郡小林村の村社であった牛頭天王社の東氏神に対して、西氏神と呼ばれていたさうです。明治初期の廃仏毀釈により日吉神社へ改称し、(1908年(明治41年)には天神社・愛宕社を神社合祀したそうです。1965年あるいは1966年に東氏神の素盞嗚神社(旧牛頭天王社)を合祀して宝塚神社へ改称したそうです。
 名前の変遷 白山権現社 → 日吉神社 → 宝塚神社
クリックすると拡大

拝殿を右斜めから撮りました。
クリックすると拡大

境内側から見た境内の景色です。
クリックすると拡大

宝塚神社の本殿です。
クリックすると拡大

宝塚神社の御朱印です。この写真はサンプルの御朱印で「奉拝 寶之神 令和三年一月一日」と書かれていました。


境内には恵比寿社(宝塚えびす)があります。本建物は清荒神清澄寺より天保年間に本殿を移築したものだそうです。行事としては1月9日と10日と11日に、えびす大祭が行われるそうです。
クリックすると拡大

宝塚恵比寿社の説明板版です。クリックすると読みやすい大きさに拡大いたします。
クリックすると拡大

宝塚恵比寿の扁額も紹介します。
クリックすると拡大

本殿の階段に小さなお人形が並べられていました。
クリックすると拡大

お人形を拡大いたしました。
クリックすると拡大

摂末社としては宝塚えびす社が大きいのですが、それ以外にも4つの祠がありました。こちらの左が大神社で右が愛宕社です。大神社は天照大神(五穀豊穣)が祀られていて、愛宕社には火迦具土神(鎮火)が祀られています。
クリックすると拡大

石で造られた祠ねありました。こちらは三社で、伊勢神宮と住吉神社と春日神社が祭神です。
クリックすると拡大

普段の日は訪れる人が少ないようで社務所はしまっていました。
クリックすると拡大

逆瀬川駅から平林寺経由の裏参道の入口です。右側の祠は天満神社で菅原道真公(学問勧学)が祀られています。
クリックすると拡大

平林寺側から見た入口の鳥居です。実際にはこちらから入りました。こちらにも狛犬が置かれていました。
クリックすると拡大

左側の狛犬です。
クリックすると拡大

右側の狛犬はマスクをしていました。
クリックすると拡大

可愛らしいので拡大いたしました。こちらの狛犬の前掛けには「奉納 午年 女 二十歳」と書かれていました。左の狛犬の前掛けには「奉納 実年 女 二十四歳」と書かれていました。
クリックすると拡大

宝塚神社の敷地と参道を紹介します。橙色に着色した部分が宝塚神社の敷地で、緑色に着色した部分が平林寺です。ただし、前記事でも書いているように平林寺と宝塚神社の間は実際に境界を示すものはなかったので仮に境界を決めさせていただきました。青色ライン(━━)が宝塚神社の表参道で、逆瀬川駅から平林寺を経由した裏参道が鶯色ライン(━━)です。

nice!(85)  コメント(26) 

平林寺 三十三番 観音菩薩順礼道 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事「伊和志津神社」の中でこの日は平林寺と宝塚神社と伊和志津神社を廻りましたが、最初に行ったのは本記事で紹介する平林寺(へいりんじ)です。平林寺は聖徳太子の時代につくられた摂津国武庫七大寺の一つで、歴史のあるお寺だったのです。寺伝によれば飛鳥時代に用明天皇の命で聖徳太子が創建し、平安時代に如一尼が再興されたそうです。1578年(天正6年)に 荒木村重の反乱に巻き込まれて焼失しましたが、江戸時代に再興されたそうです。
 所在地 兵庫県宝塚市社町4-7
 山号  武庫山
 宗派  単立
 本尊  釈迦如来
 創建年 伝・飛鳥時代
 開基  伝・聖徳太子、用明天皇(勅願)
 札所等 摂津国三十三箇所第2番
     摂津国八十八箇所第73番

写真の逆瀬川駅の西側から平林寺に向かいました。
クリックすると拡大

こちらが多逆瀬川駅からの参道になります。阪急電車の線路と住宅地の間の道を登ります。
クリックすると拡大

阪急今津線がよく見えました。
クリックすると拡大

登り切ったところに平林寺の墓地と石碑がありました。石碑には忠魂碑と書かれていました。日露戦争(1904年2月6日~1905年9月5日)で戦死した人の慰霊碑でした。
クリックすると拡大

上の忠魂碑の左側に58名の名前が刻まれた石碑がありました。日露戦争でのこの地域の戦没者なのかもしれません。
クリックすると拡大

忠魂碑からは下ります。右に見える屋根は平林寺の観音堂です。
クリックすると拡大

石像は大切にされているようでした。
クリックすると拡大

こちらは御地蔵さんでしようか。
クリックすると拡大

急坂を下りるとお堂が見えてきました。
クリックすると拡大

坂道を下りてくると2つのお堂が建っていました。2つ共に平林寺の中の建物で手前が薬師堂で奥が観音堂です。
クリックすると拡大

薬師堂を正面から見た写真です。
クリックすると拡大

鬼瓦が沢山置かれていました。
クリックすると拡大

鬼瓦の正面からの写真も紹介します。
クリックすると拡大

宝塚市指定の文化財である石造露盤があったので、とりあえず説明板の写真を撮りました。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
クリックすると拡大

石造露盤の写真は単独では撮らなかったので2021年8月1日に取り直して写真を差し替えました。確かに文化財に値するものでした。
クリックすると拡大

こちらが観音堂で摂津国三十三ヶ所第2番札所となっています。
クリックすると拡大

観音堂の横に建っていた祠です。
クリックすると拡大

趣きのある大きな石塔が建っていたので写真を撮りました。
クリックすると拡大

平林寺の本堂が見えてきました。
クリックすると拡大

こちらが平林寺の本堂です。本堂は摂津国八十八箇所第73番になっています。中に安置されている釈迦如来坐像は室町時代初期のもので、宝塚市指定文化財になっています。
クリックすると拡大

扁額に平林寺の文字がありました。聖徳太子が四天王寺を開創した後につくられた摂津国武庫七大寺の7寺の内で分かっている6寺は平林寺、中山寺、小林寺(廃寺)、塩尾寺、塩尾寺、円国寺(廃寺)、金龍寺だそうです。塩尾寺(えんぺいじ)は以前に記事に書かせていただきました。
クリックすると拡大

平林寺の本殿に置かれていた像です。
クリックすると拡大

不動明王と思われる像もありました。鉄柱は後ろの木の枝を支えているもので不動明王とは関係はありません。
クリックすると拡大

手水も写真を撮っておきました。
クリックすると拡大

最も離れた場所から撮った平林寺の本堂です。
クリックすると拡大

こちらが表参道参道です。つまり逆瀬川駅からの道は裏参道的な存在ですが、こちらから来ると遠回りになってしまいます。少し表参道を下りてみることにしました。阪急電車のガード下をくぐります。
クリックすると拡大

参道のと途中に四国八十八ケ所巡拝の記念の像が立てられていました。お砂踏み所と書かれていました。
クリックすると拡大

阪急電車のガード下あたりから平林寺をふり返って撮った写真です。本動画小さく見えます。
クリックすると拡大

阪急が通ったのですこし高いところに急いで上がって撮りました。
クリックすると拡大

ガードをくぐって表参道を下って平林寺川を撮りました。沢山の尾寺が建っていました。
クリックすると拡大

もっと遠くに離れて撮りました。月極駐車場の看板には平林寺と書かれているので沢山のお寺は平林寺と関係があるようです。
クリックすると拡大

よく見える位置からお寺群を撮りました。Wikipediaには次の4寺が塔頭と書かれていました。正面に見えているのは宝寿院で他の3寺は参道沿いにあります。いずれも平林寺の本堂に向かって右側で遠い方から成福院、西光院、成就院です。
クリックすると拡大 成就院 東寺真言宗
 西光院 高野山真言宗
 成福院 真言宗大覚寺派
 宝寿院 真言宗大覚寺派
クリックすると拡大

参道と成福院と西光院と成就院の4枚の写真をスライドショーで表示いたします。
クリックすると拡大

表参道を本堂まで戻ってきました。
クリックすると拡大

本堂の右側に道が続いていたので進んで見ることにしました。
クリックすると拡大

最初に目に入ったのがこちらの石像でした。台座には第丗三番と書かれていました。
クリックすると拡大

古い石碑が沢山ありました。
クリックすると拡大

古い石碑が沢山並べられていました。長い歴史の中で作られた石碑や墓石類だと思われました。
クリックすると拡大

第丗一番と書かれた石像には第31番と書かれていました。妻に最初の目に入った第丗三番と台座に書かれていた石像は第33番目の石像だったのです。寺の裏には第28番~第33番があったことからどこかに第1番~第27番もあると想像され、さらに第34倍いじようもあるかもしれないと思いさらに散策して見ることにいたしました。
クリックすると拡大

三十三所發起者と書かれた石碑がありました。
クリックすると拡大

更に三十三番観音菩薩順礼道と書かれた看板がありました。つまり第1番から第33番の観音菩薩が設置られていることが判りました。
クリックすると拡大

それでは第1番から順番に初会したいと思います。赤色ライン(━━)が順礼道です。右回り(時計回り)に歩きました。


鐘楼のまでの間の道の左側に第1番と第2番があります。
クリックすると拡大

こちらは鐘楼です。1つき20円と書かれていたので、20円を入れて鐘をつかせていただきました。
クリックすると拡大

全ての観音菩薩像の写真を紹介します。写真をクリックすると拡大写真を表示するように設定いたしました。
     第一番         第二番         第三番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
     第四番         第五番         第六番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
     第七番         第八番         第九番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

途中に次の訪問場所の宝塚神社の境内に入る入口がありました。
クリックすると拡大

観音菩薩順礼道の小道です。
クリックすると拡大

     第十番         第十一番         第十二番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
    第十三番        第十四番        第十五番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
    第十六番        第十七番        第十八番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

観音菩薩が並んだ小道は雰囲気がありました。ここは蚊が多いために、蚊が群がって襲ってきたので第十八番第廿二番第廿三番第廿六番はピントが甘くなってしまいました。そのために2021年8月1日に取り直して差し替えました。着色文字をクリックするとピントが甘かった写真を表示します。
クリックすると拡大

    第十九番        第二十番        第廿一番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
    第廿二番        第廿三番        第廿四番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
    第廿五番        第廿六番        第廿七番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

第三十番(第30番)だけは池の真中に設置されていて特別の存在のように感じました。
クリックすると拡大

    第廿八番        第廿九番        第三十番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
    第丗一番        第丗二番        第丗三番
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

平林寺の観音菩薩順礼道のストリートビューが登録されていたので紹介します。


平林寺の敷地を紹介します。緑色に着色した部分が平林寺で橙色の部分が宝塚人者の敷地です。ただし、平林寺と宝塚神社の間は実際に境界を示すものはなかったので仮に境界を決めさせていただきました。阪急電車の東側(右側)の敷地には塔頭4寺である成就院と西光院と成福院と宝寿院などがあることが判ります。宝塚神社の創建は平林寺と同時期と言われています。赤色ライン(━━)が三十三番所・観音菩薩順礼道です。紫色ライン(━━)が平林寺の表参道で、逆瀬川駅からの裏参道が臙脂色ライン(━━)です。マイナス(-)のアイコンを2回クリックすると逆瀬川駅との位置関係が判ると思います。

nice!(90)  コメント(18) 

夏越大祓の「茅の輪くぐり」 伊和志津神社 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大                    クリックすると拡大以前に宝塚の逆瀬川駅の近くの宝塚聖天さんを紹介させていただきました。逆瀬川駅の近くには宝塚聖天さん以外にも寺院や神社がいくつかあるので写真を撮りに行ってみることにいたしました。この日に廻ったのは順に平林寺と宝塚神社と伊和志津神社(いわしづじんじゃ)です。その中で本記事では伊和志津神社を紹介したいと思います。実家に住んでいたころにはしらなかったのですが、平林寺は以前の記事「塩尾寺(えんぺいじ)」の中で、聖徳太子の時代につくられた摂津国武庫七大寺の一つであると記載されていただいたように、意外にも由緒ある寺院や神社が身近なところにあったことを知りました。上の写真が逆瀬川駅から歩いて5分のところにある入口の鳥居です。

鳥居の右側の柱の近くの木の幹にピンクのしめ縄が巻かれているのが印象的でした。
クリックすると拡大

鳥居から真っ直ぐに伸びる参道です。この参道を進むと左に曲がります。そこに2つ目の鳥居があります。周辺は住宅ですが、神社の境内だけは緑豊かな環境になっています。
クリックすると拡大

これが2つ目の鳥居です。真っ直ぐに進むと本殿正面に出ます。突き当りまで行くと左に本殿が見えます。
クリックすると拡大

上の写真の参道を真っ直ぐに来ると左正面に本殿が見えます。驚いたことに本殿正面に「茅の輪(ちのわ)くぐり」が設置されていました。訪れた日は夏越大祓(なごし・おおはらえ)だったのです。Wikipediaによれば主祭神の須佐之男命は摂津国武庫郡伊孑志村(いそしむら)の産土神で、もとは伊蘇志臣の祖神が祀られていたと考えられているそうです。
 所在地  兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3
 主祭神  須佐之男命
 社格等  式内社(大)論社 旧村社
 創建   9世紀以前
 創建者  不明であるが伊蘇志臣の可能性あり
 本殿様式 一間社春日造、?葺 江戸時代中期の建築
 別名   伊和志豆神社
クリックすると拡大

実は平林寺と宝塚神社の後は宝塚南口駅の近くにある宝塚市立文化芸術センターに行き、その後に伊和志津神社に来ました。つまり冒頭の逆瀬川駅近くの鳥居は最後に撮った写真で、最初に撮ったのはこちらです。背中側が宝塚南口駅方向で、左の道を真っ直ぐ進むと仁川駅の近くを通ります。
クリックすると拡大

真っ直ぐに進むと車道も歩道もトンネルになっていました。我々が宝塚に住み始めた時には、この車道も歩道も無かったことから、道路をつくるにあたり、盛り土をして境内の下に道路を通したのだと思います。トンネルの入口まで来ましたが、境内に入る入口が見つからなかったことから、道路の向かいある駐車場の入口から入ることにいたしました。後でわかったことですが、歩道のトンネルの中に境内への入口がありました。
クリックすると拡大

こちらが道路の向かいにあった駐車場の入口です。ここから入ってトンネルの上を行けば本殿まで行けるはずです。伊和志津神社の境内の広さを実感いたしました。
クリックすると拡大

駐車場側の境内にも鳥居から始まる参道がありました。本殿から見ると東側になります。駐車場は写真の右奥の方にあります。つまり一旦、外に出て本写真を撮りました。
クリックすると拡大

鳥居をくぐって撮った参道の写真です。本記事の最後に掲載した航空写真の説明で書いているように伊和志津神社の表参道です。つまり上の写真の鳥居が表参道の入口の鳥居なのです。
クリックすると拡大

後から作られた道路のトンネルの部分です。階段を上がると道路の上の境内を進むと本殿側に同じような階段がありました。
クリックすると拡大

上の写真の階段の左側に歩道のトンネルからも境内に入れることが出来る入口があることを知りました。
クリックすると拡大

歩道のトンネル内の写真です。車道のトンネルの両側にある歩道のトンネルはどちらからも境内に入れました。
クリックすると拡大

道路を越える高い部分に上がると本殿が見えました。右側の一番手前にあるのが手水舎(てみずや or ちょうずや)です。真新しい夏詣の幟が目を引きました。
クリックすると拡大

こちらが正面から撮った手水舎です。水盤舎(すいばんしゃ)とも言われています。よく見ると水盤の部分に花が浮かべられていました。花手水(はなちょうず)と呼ばれています。
クリックすると拡大

花手水(はなちょうず)の写真を紹介いたします。
クリックすると拡大

花の部分を拡大いたしました。
クリックすると拡大

斜めから花手水を撮った写真です。
クリックすると拡大

こちらも拡大いたしました。
クリックすると拡大

後ろ側からも撮りました。写真を撮られている方が多かったです。
クリックすると拡大

屋根の部分も飾られていました。ガラスの風鈴と小さな笠です。
クリックすると拡大

折り紙で作られた風車も飾られていました。これにはLEDと思われる照明がつけられていました。
クリックすると拡大

上のLEDからは太陽光蓄電池と思われるものに配線されていたので暗くなるときれいに光るのだと思います。
クリックすると拡大

女性の方が沢山来られていました。男性は私以外に1人見ただけでした。
クリックすると拡大

本殿と「茅の輪くぐり」です。極力、人が写らない角度でタイミングで撮りました。写真の印象よりは沢山の女性の方が訪れていたのです。
クリックすると拡大

「茅の輪くぐり」を正面から撮りました。
クリックすると拡大

横の「茅の輪くぐり」の説明板です。写真をクリックすると説明分が読める大きさに拡大いたします。
クリックが面倒な方のために内容を枠内に記載いたします。
クリックすると拡大夏越大祓(6月30日)
茅の輪くぐり
①正面から茅の輪を左回りにくぐり正面に戻ります。
②右回りにくぐり、正面に戻りもう一度くぐって、神前に進み御参拝下さい。
大祓とは古来らり人々が、日々生活の中で知らず知らずのうちに、犯した過ちや罪・穢れを祓い清める日本古来よりの伝統的な神事です。茅の輪くぐり、清らかな心身に返り、この夏を健康で無事に過ごせるよう願いましょう。
クリックすると拡大

さっそく茅の輪くぐりを潜って本殿を正面から撮りました。伊和志津神社の祭事は次の通りです。この中の大祓の日に偶然にも訪れることが出来たのです。右の小さな写真はネットから転用させていただいた春祭と秋季大祭と大祓です。
クリックすると拡大クリックすると拡大 春祭     4月23日24日
 大祓     6月30日
 夏祭     7月27日28日
クリックすると拡大 愛宕祭    8月24日
 秋季大祭 10月23日24日
 御火焚祭 12月15日
クリックすると拡大

本殿の扁額です。
クリックすると拡大

車椅子でもお参りできるようにもなっていました。江戸時代の中期の建物ですが、きれいに手入れされていました。
クリックすると拡大

少し離れて撮った本殿です。ここにも花で飾られた手水が写っています。
クリックすると拡大

上の写真の中の手水です。
クリックすると拡大

5つの石碑が納められた遥拝所がありました。
クリックすると拡大

上の写真の右側のお堂の中にも沢山の石碑が納められていました。
クリックすると拡大

その石碑です。
クリックすると拡大

境内の遠い場所から本殿方向を撮った写真です。右側の東屋で休んでいる人が、私以外の唯一の男性だった人です。灯篭が並んだ参道を左方向に行くと冒頭の写真の逆瀬川駅に近い鳥居のある入口に行けます。加藤清正が文禄・慶長の役で朝鮮から持ち帰った虎を境内で飼育したと伝えられているそうです。
クリックすると拡大

クリックすると拡大クリックすると拡大右上の緑色マークが伊和志津神社で左下の橙色マークが逆瀬川駅です。臙脂色マークは以前に紹介した塩尾寺の方向を示す道標があった場所です。逆瀬川駅と宝塚南口を結ぶ古い街道(良元街道)沿いにありました。


伊和志津神社の境内の範囲を表示します。道路が境内の下を走っていることが判ると思います。このトンネルによって県道16号線県道337号線が短い距離でつながりました。紫色ライン(━━)が冒頭の逆瀬川駅近くの西側の鳥居からの参道で、赤色ライン(━━)が東側の鳥居からの参道です。東側の鳥居からの参道が表参道となっています。阪急電車が通って逆瀬川駅が出来たことで人の流れが変わったのかもしれません。

nice!(89)  コメント(22) 

宝塚聖天からの塩尾寺への山越えの道 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

クリックすると拡大青色ラインが宝塚聖天(了徳密院)から右の写真の塩尾寺(えんぺいじ)までの山越えルートです。黄色のラインは下の写真を撮った位置からの目標方向の線です。撮影した場所からは宝塚聖天も塩尾寺も手前にある建物や山に隠れていて直接は確認できないため周辺の岩倉山反射板や鉄塔(A~D)の位置や鉄塔と鉄塔の角度の比率から計算で求めて宝塚聖天と塩尾寺(えんぺいじ)の位置をプロットするための線です。

こちらが前記事「宝塚の聖天さん 七宝山 了徳密院」でも紹介した逆瀬川駅近くの高台から撮った写真です。上の航空写真の青色ライン(━━)は左端の聖天と書かれていた場所から、宝塚市立光ガ丘中学校が立つ山の奥の裏側を通って、右端の甲子園大学の近くまで行き、そこから塩尾寺まで行くルートです。先ずは聖天を出発するところから紹介したいと思います。
クリックすると拡大

宝塚聖天(了徳密院)の裏門(遍照閣の脇の門)を出て、進んでいく方向を撮った写真です。前記事で紹介の通り、見えている建物は兵庫県住宅供給公社の宝梅園団地です。
クリックすると拡大

宝塚聖天の横を流れている支多々川(したたがわ)です。武庫川の支流の一つです。
クリックすると拡大

団地を左に見ながら登っていきます。
クリックすると拡大

団地を抜けたところの景色です。登り切って右から上がってきた道に合流したところで、左に曲がって上がっていきました。
クリックすると拡大

閑静な住宅が並んでいるところを登りました。左に入る一番手前の道に曲がりました。
クリックすると拡大

右に曲がると真っ直ぐに急な上り坂でした。突き当りまで登り左に曲がりました。
クリックすると拡大

上の写真の突き当り近くにあった公園の辺りが景色がよさそうなので写真を撮りました・右端の小山は甲山です。六甲山の東の裾野にある有名な山です。
クリックすると拡大

この坂道をさらに登っていきました。このような景色は六甲山の山麓の住宅地の特徴です。道の正面に見えている住宅のところを右に曲がりました。
クリックすると拡大

緑がやっと見えてきました。正面の建物のところが、今回の山越えのルートの中で最も高い場所でした。山越えモートで最も高いところは山の中と思っていたので意外でした。
クリックすると拡大

ことらか今回の山越えルートで一番高いところにあった建物です。建物は光ガ丘自治会館でした。Google地図での標高は209mでした。ここを右に曲がりました。この場所が光ガ丘の住宅地で一番高い場所ではなく、ここから左に曲がって進むと最も高い場所に行けます。道路の傾斜でも判っていただけると思います。
クリックすると拡大

光ガ丘自治会館のところを右に曲がってすぐに撮った写真でする。逆瀬川駅の近くの高台から撮った写真で山の上理建っている見えていた光ケ丘中学校が正面にありました。少し進んで左に曲がりました。
クリックすると拡大

下っていく形で進むと山の裏側の景色が見えてきました。右にある門は光ケ丘中学校の裏門です。
クリックすると拡大

光ケ丘中学校の裏門の辺りからは急な下りになり住宅地からも離れて山の中になりました。
クリックすると拡大

下りの急カーブです。
クリックすると拡大

右の向こう側から下りてきてUターンする形で左に下りていきます。右側には車止め設置されていて、左側にも車止め兼二輪車止めが設置されていました。つまりこの道は車もバイクも通れない道でした。
クリックすると拡大

二輪車止めが設置された下り坂を正面から撮りました。
クリックすると拡大

こちらが甲子園大学方面への下り坂です。
クリックすると拡大

道の脇には川が流れていました。
クリックすると拡大

下り坂は続きました。
クリックすると拡大

車止め兼二輪車止めは何重にも設置されていました。この時は数え忘れましたが5ケ所以上設置されていました。二輪車止めが何度も突破されたことから追加されたのではないかと思えました。完全に担がないと通れない構造です。何度も担がないと通れないので、数で諦めさせる作戦なのでしょう。
クリックすると拡大

振り返って降りてきた方向を撮りました。
クリックすると拡大

この場所から塩尾寺に行く道があると思いましたが、フェンスがあるために登ってみることが出来ませんでした。
クリックすると拡大

フェンスの隙間から撮った塩尾寺に登れるかもしれないと思っていた場所の写真です。
クリックすると拡大

ここは中学生の通学路なので安全のために山に入れないようにフェンスがつけられているように感じました。
クリックすると拡大

やっと住宅地に出てきました。
クリックすると拡大

山を越えてきて右の方(光ガ丘中学へと書かれた方向)から降りてきたのです。毎日通う中学生は体力が付くと思います。自転車で下りてくるとスピートが出るため本人も歩いている人も危険なので二輪車止めを何重にも設置したのかもしれません。
クリックすると拡大

右の方に行くと塩尾寺と甲子園大学があります。
クリックすると拡大とりあえず山越えの道を歩く目的は果たせたので、塩尾寺には登らずに、以前歩いた道で実家の方に帰りました。山から下りてきた写真の場所の標高は106mです。出発地点の宝塚聖天の標高は127mなの最高点の208mまでは81mの登りですが、逆瀬川駅の標高は47mであることから逆瀬川駅からは181mほど登ることになります。
クリックすると拡大
nice!(93)  コメント(26) 

宝塚の聖天さん 七宝山 了徳密院 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大以前の記事で右の写真の塩尾寺(えんぺいじ)を紹介しましたが、その時は塩尾寺から写真の右端の甲子園大学まで降りてきた後に住宅地の中を手前の方に帰ってきましたが、記事を書く上でルートを調べていると山の上に建っている宝塚市立光ガ丘中学校の辺りの山越えの道があることを知ったことから、次に宝塚の実家に泊まった時にはそのルートを歩いてみたいと思い2021年6月6日に歩いて見ることにいたしました。今回は手前から山越えして甲子園大学あたりに行くことにいたしました。途中から塩尾寺に登る道がある場合には、塩尾寺にも行くつもりでした。山越えのルートの途中に上の写真の左端に書かれている聖天と書いている通称「宝塚聖天」があります。本記事では、その宝塚聖天、正式名が「七宝山 了徳密院」を紹介したいと思います。我々は「聖天さん」と呼んでいて、宝塚市外の人は「宝塚聖天さん」と呼んでいます。阪急電鉄の岩倉山反射板は、今も使用されているかどうかはわかりませんが、鉄道会社専用の無線通信設備だそうです。

宝塚聖天は、歩いて初詣に行ける最も近いところなので、長男家族が北海道に転勤になって車がつかえなくなってからの正月にみんなが宝塚に集まった時には初詣に行ってる場所です。その初詣の写真を掲載した記事は下記です。新型コロナのために2021年の正月は実家に集まることを中止したので2021年の初詣の写真はありません。3段目の幅広の写真は2012年元旦に初詣に行った時の写真です。この頃は行列は出来ていませんでしたが、その後行列が出来て年々人が増えたように感じます。下の写真のように初詣は沢山の人が来られていましたが、今回は私一人だけでした。
 2018年 思い出深い初詣になりました。
 2019年 2019年の御節(おせち)は三段重
 2020年 2020年の御節(おせち)は四段重 
    2018年         2019年         2020年
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大


それでは私一人だけの宝塚聖天さんを紹介したいと思います。こちらが入口の鳥居です。
通称「宝塚の聖天さん」と呼ばれている七宝山・了徳密院は大阪浦江福島聖天了徳院の別院として、大正8年(1919年)に日下義禅大和尚(元真言宗東寺派管長)によって建立されたそうです。寺院としては短い約100年ほどの歴史ではありますが、当時の附近一帯は小石の多い広々とした支多々川の河原だったそうです。現在は住宅地に囲まれ、地域の人に聖天さんと呼ばれる親しみのある寺院になったようです。
クリックすると拡大

紫色ライン(━━)が宝塚聖天の境内の今回の散策ルートです。出発点の右下の青色ラインの端が上の写真の鳥居です。クリックすると拡大宝塚聖天は零戦(戦闘機)のレプリカが置かれていることことでも有名です。この航空写真の左下コーナー部分に零戦のレプリカが写っています。零戦のレプリカが設置されている公明殿は陸海空戦没者250万の英霊を祀るために1978年8月に建立されたそうです。
クリックすると拡大右上のゼロ戦のレプリカは2019年1月1日の初詣の時に撮りました。黄色のラインは冒頭の写真を撮った場所からの方向です。Ⓐからの青色ラインが山越えで塩尾寺に行くルートです。


最初の鳥居をくぐったところにある広場から本殿に向かう坂道です。上りきったところにも小さな鳥居があります。
クリックすると拡大

こちらが、その鳥居です。
クリックすると拡大

その鳥居の場所から本殿が見えます。
クリックすると拡大

本殿の正面の道に出ました。正面に本殿があります。
クリックすると拡大

こちらが本堂(聖天堂)です。Wikipediaによれば聖天は歓喜天(かんぎてん)のことで、仏教の守護神である天部の一つだそうです。クリックすると拡大そのほかの呼び方として大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天、天尊、Vināyaka、毘那夜迦、誐那缽底などがあるそうです。聖天さんは日本各地にあるようです。宝塚聖天は判りませんが全国の聖天は右のような象頭人身が多いようです。
クリックすると拡大

本殿(聖天堂)の左側です。
一般には夫婦和合や子授けの神としても信仰されているそうです。
クリックすると拡大

こちらが本殿(聖天堂)の右側です。クリックすると拡大
聖天(歓喜天)の由来はヒンドゥー教のガネーシャに起源があるそうです。ガネーシャはヒンズー教最高神の一柱シヴァ神を父に、ヒンドゥー教の女神の一柱パールヴァティーを母に持ち、シヴァの軍勢の総帥を務め、右の写真のように象の頭を持つ神で、鼠に乗り富と繁栄、智恵と学問を司るそうです。北伝仏教では聖天(歓喜天)そのものだそうです。
クリックすると拡大

本殿の前は緑豊かな庭と池があります。
クリックすると拡大

こちらがその池です。
クリックすると拡大

池を回り込んだ場所から撮った本堂(聖天堂)です。
クリックすると拡大

池には睡蓮が植わっていました。正面の建物は開山堂です。
クリックすると拡大

開山堂を拡大いたしました。
クリックすると拡大

参道の横にあった遍照閣です。
クリックすると拡大

遍照閣の前の参道からは本堂や開山堂が見えます。石碑も立てられていました。
クリックすると拡大

その石碑は筆塚でした。
クリックすると拡大

水子地蔵もありました。
クリックすると拡大

水かけ地蔵もありました。
クリックすると拡大

立派なお墓のような石塔が3つ並んだ右側に修行大師の銅像が建てられていました。
クリックすると拡大

最後に本堂を正面に見て、山越えのルートに向かいました。
クリックすると拡大

この道を進むと山越えのルートです。見えている建物は兵庫県住宅供給公社の宝梅園団地です。
クリックすると拡大

宝塚聖天さんのホームページ(HP)に掲載されていた境内のMAPを紹介します。紫色ライン(━━)が宝塚聖天さんの境内の今回の散策ルートです。クリックするとHPのオリジナルを表示します。
クリックすると拡大

冒頭の写真を撮影した場所からは宝塚聖天も塩尾寺も手前にある建物や山に隠れていて直接は確認できないため周辺の岩倉山反射板や鉄塔(A~D)の位置や鉄塔と鉄塔の角度の比率から計算で求めてプロットいたしました。


追伸
2021年6月20日の早朝から関西に行く予定です。帰りは7月14日です。クリックすると拡大その間の25日間は泊まる実家のネット環境のために皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。実家はインターネット回線がないので、スマホのテザリングだけが頼りなのです。下の写真は品川駅で新幹線に乗った時の車内です。右は私が乗った列車の写真です。
クリックすると拡大
nice!(117)  コメント(38) 

塩尾寺(えんぺいじ) 宝塚市 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2021年4月25日の早朝の新幹線の切符を事前にJR宝塚駅に買いに行きました。乗り換え時間に余裕があれば当日にキップを買っていましたが、早朝で電車の本数も少なく購入に手間取ると目的の新幹線に乗れなくなるので事前に買うことにしたわけです。少し遠いけれども宝塚駅まで実家から歩いて行くことにした時に、六甲全山縦走大会に参加したことを思い出しました。私が新入社員として神戸の事業所に配属になってすぐに会社の親しい人たちと参加したのです。早朝5時出発のため実家の宝塚からでは間に合わないので塩屋にあった会社の独身寮の同僚の部屋に泊めてもらいました。それもいい思い出です。上の地図のように神戸市須磨区の塩屋駅から阪急宝塚駅までの56kmのコースで少なくとも25( )の山があります。名の知られている山だけで16もありました。チェックポイントには入っていませんが、最後の通過点が塩尾寺で、上の地図の緑の卍マーク( )のところです。そこで懐かしくなり、運動不足解消にもなると思い右下の写真の塩尾寺まで登ってみることにいたしました。
クリックすると拡大宝塚に住んでいたにも関わらず塩尾寺を訪問するのは六甲山縦走と今回の2度だけです。塩尾寺を「えんぺいじ」と呼ぶことも知りませんでした。
  六甲山縦走路の山々
  私が通った学校(小・中・高)
  神戸市北区山田町の重要文化財
 塩尾寺

宝塚駅から塩尾寺までの範囲を拡大したのがこちらの地図です。ネット内では塩尾寺は六甲全山縦走路の東の起点とも呼ばれています。クリックすると拡大ここから下で宝塚駅から塩尾寺までを順番に紹介したいと思います。六甲山縦走の時とほぼ同じですが、武庫川を渡る大きな橋は当時はなく右のような人や自転車だけが渡れる歩道橋があるだけでした。地図の中の赤色ライン(━━)が昔の歩道橋の位置です。右の写真の後ろの列の一番左が私です。
昔の歩道橋(人道橋)も現在のS字の橋も名前は宝来橋で、初代の宝来橋は1902年に完成したそうです。クリックすると拡大宝来橋の歴史の記事を見ると、洪水で何度も流され最後の人道橋が完成したのは1955年で、今の頑丈な宝来橋に切り替わったのは1994年だそうです。右の白黒の写真は初代の宝来橋です。初代の宝来橋は写真のように1本の橋杭の構造だったそうです。


阪急宝塚駅とJR宝塚駅をつなぐ連絡橋の上から見た景色です。左側のビルが阪急宝塚駅出右側のビルがJR宝塚駅です。道路は三田方面につながっている国道176号線です。
クリックすると拡大

宝塚駅からは武庫川にかかる宝来橋を渡ります。下の写真は宝来橋から上流側を撮った写真です。クリックすると拡大下流側の歩道からは宝塚歌劇や新しくなった宝塚ホテルが見えます。いつも下流側の歩道を歩いているので上流側の景色を見るのは久しぶりでした。右の写真はネットから転用させていただいた川沿いの昔の建物の写真です。
クリックすると拡大

武庫川に架かっている宝来橋はS字に曲がっていて、その橋の上からこれから登っていく方向を撮った写真です。
クリックすると拡大

最初は武庫川に流れ込む、この小川に沿って登っていきます。武庫川の支流になります。yokomiさんがこの写真の中から目と摩耶が描かれた建物を見つけていただきました。ありがとうございます。拡大したした写真を下に追加掲載させていただきました。
クリックすると拡大

こちらがyokomiさんに目と眉が描かれた建物を見つけたいただいたので追加掲載させていただいた拡大写真です。この建物はナンとカリーのレストランです。クリックするとさらに大きく拡大するので建物の入口に「本格タンドールで焼き上げたナンとカリーのお店 PUJA」と書かれているのを読み取っていただけると思います。カトマンドゥ カリー PUJAと書かれた看板があったので、次の写真の登山道入口のインド料理店(Chalte)とは別のお店です。カトマンドゥ(काठमाडौं/kɑʈʰmɑɳɖu)はネパールの首都カトマンズのことです。
クリックすると拡大ネパール旅行に行かれたテリーさんにコメント欄でネパールのStupa(仏塔)に描かれている「世界を見渡すブッダの智慧の目」であることを教えていただきました。右の写真はWikipediaから転用させていただいたネパール最古の仏教寺院スワヤンブナートの仏塔のブッタの目(Buddha's eyes)です。
クリックすると拡大

橋を渡りきったところにある交差点です。真ん中あたりの伝習の右側の細い道に入っていきます。インド料理店(Chalte/チャルテ)が目印になると思います。
クリックすると拡大

その小道の入口です。
クリックすると拡大

道に入ってすぐのところに石碑がありました。右の石碑には「左 塩尾寺 是ヨリ十五丁」と書かれていて左の石碑は下の方は隠れて判りませんが「六甲山 塩尾寺 十一面観世音」と書かれているのだと思われます。十一面観世音の石碑の側面には厄神明王と書かれていました。写真をクリックすると石碑の側面と正面を特別に大きく寛大して表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大

道は住宅地の中を進んで行きます。
クリックすると拡大

すぐに小川に出ました。川の名前は塩谷川です。
クリックすると拡大

さらに住宅地が続いていました。
クリックすると拡大

川沿いに沢山の犬の置物が並べられていました。数えると8匹で首にはマフラーが巻かれ、クリックすると記事を表示帽子をかぶったワンちゃんもいるので大切にされているようでした。ネット内で探すと5年前の2016年5月10日に掲載されたブログで右の写真を見つけました。並び方が違う上に7匹なので今回は下の写真の右から2場目の1匹が増えたことになります。
クリックすると拡大

犬の置物が置かれていたあたりから下流側を撮った写真です。
クリックすると拡大

川沿いの道が続きます。
クリックすると拡大

山に近づいてきた雰囲気になりました。この場所の住所は電柱に書かれている通り兵庫県宝塚市紅葉ガ丘紅葉ガ丘3番です。
クリックすると拡大

住宅地から離れて山道になってきました。塩尾寺までは車でも行けるので車の通れる広さはありました。
クリックすると拡大

道路の両側に灯籠が起これた場所に到着しました。広場になっているので、ここが塩尾寺かなと思える雰囲気でしたが、すこし近すぎるとも感じました。
クリックすると拡大

鳥居の扁額には白鳥大神と書かれていました。
クリックすると拡大

いくつか祠もありましたが塩尾寺ではなさそうでした。
クリックすると拡大

このように広い広場になっていました。
クリックすると拡大

広場から見た景色です。
クリックすると拡大

広場の周りにはツツジも咲いていました。六甲山に沢山咲いているコバノミツバツツジのようです。写真だけでコバノミツバツツジであると特定はできませんが、ミツバツツジ類には間違いなさそうです。
クリックすると拡大

ツツジの花を拡大しました。
クリックすると拡大

ツツジともう一つ沢山咲いていたのが、この白い花です。
クリックすると拡大

白い花を拡大いたしました。
クリックすると拡大

この広場は「えんぺい寺休憩所」でした。塩尾寺は思っていた「しおお寺」か「しおび寺」ではなく「えんぺい寺」と読むことを、この時に初めて知りました。ただし、「えんぺいでら」か「えんぺいじ」かはまだ判りませんでした。
クリックすると拡大

この航空写真で休憩所と書かれているところが広場の場所です。右下の方に飲み゛ている青色ラインは実家のある逆瀬川駅までのルートです。宝塚駅からの距離は休憩所までが1.7kmで展望台までが2.1kmで塩尾寺までが2.8kmです。
  宝塚駅        潮泉山 塩尾寺
  えんぺい寺休憩所   展望台


こちらが広場から見た塩尾寺(えんぺい寺)の方向です。石碑には「此より七百米」と書かれていました。もう1kmはない距離です。
クリックすると拡大

上の写真の右側の本来の道以外に、階段があったので登ってみることにしました。
クリックすると拡大

階段を上ると細い道が続いていました。
クリックすると拡大

細い道の先にあったのはコンクリート製の配水池(配水塔)でした。ここで行き止りのような雰囲気で階段を上ったのは、もしかしたら間違いであったのかもしれないと思いました。
クリックすると拡大

幸いにも配水池を回り込むように道が続いていました。
クリックすると拡大

そして本来の道に出ました。休憩所から広い道を進むと、この道を登ってくることになったのです。距離的にはかなり短くなりましたが、道は急な階段が多かったです。
クリックすると拡大

塩尾寺の方向の道です。
クリックすると拡大

細い道と本来の道との合流地点は上で紹介した航空写真の展望台( )と書かれている場所でした。コンクリート製の配水池(配水塔)の上部も良く見えました。見えている川は武庫川です。
クリックすると拡大

川の向こう側の3つの高いビルの少し手前の赤いビルの建物が宝塚歌劇です。
クリックすると拡大

登っていく道沿いには石積みの上に小さな祠が乘った趣のあるものもありました。
クリックすると拡大

このような道が続きました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大田池と書かれた不思議な石が2つ置かれていました。2つの石の上面には右の写真のように鉄クギのようなものが打ち込まれていました。後ろは険しい谷で、のぞき込んでも貯水池や田んぼが作れるような地形ではありませんでした。鉄クギの頭は六角形でした。
クリックすると拡大

田池の文字の下には人の名前が縦に10人書かれていました。泥が付いていてこの写真では苗字の一部しか読めませんでした。この石は興味深いものでした。
クリックすると拡大6月には関西に行く予定があるので時間があれば、もう一度行ってみたいと思っています。その時は、宝塚聖天から宝塚市立光ガ丘中学校を経由して塩尾寺へ登ってみたいと思っています。右の小さな写真は正月にみんなが実家に集まった時に初詣に行く宝塚聖天さんです。
クリックすると拡大

不思議な石から少し進むと塩尾寺エリアに入ったことを示す塩尾寺境内地と書かれた石碑がありました。
クリックすると拡大

白色の花のスミレが咲いていました。
クリックすると拡大

珍しいので花を拡大いたしました。スミレの種類は判りませんが、葉や花の雰囲気はツボスミレ(坪菫)に似ているように感じます。ツボスミレはニョイスミレとも呼ばれています。ツボスミレの分類を紹介します。右の写真はWikipediaの写真なので比較してみてください。クリックすると拡大
  界 植物界    Plantae
  門 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
  目 スミレ目   Violales
  科 スミレ科   Violaceae
  属 スミレ属   Viola
  種 ツボスミレ  Viola verecunda
 別名 ニョイスミレ 如意菫
クリックすると拡大

寺が建っていると思われるあたりの入口が見えてきました。
クリックすると拡大

近づいてきました。
クリックすると拡大

塩尾寺の入口に到着しました。
クリックすると拡大

入口の石碑には「潮泉山 塩尾寺」と書かれていました。塩尾寺の文字の右側に「えんぺいじ」のふりがなが掘られていました。塩尾寺が「えんぺいじ」と読むことが初めてはっきりいたしました。おそらく正確に呼んでもらえることが少なかったので、「えんぺい寺」と書いたり「えんぺいじ」のふりがなが付けられたのだと思います。
クリックすると拡大

上の写真の石碑の前から六甲最高峰に上る道がありました。ここから完全な登山道で、六甲山縦走路でもあります。昼食までに実家に戻りたかったので、今回はこちらには登りませんでした。
クリックすると拡大

入口から撮った塩尾寺の境内の写真です。本堂の奥に住職のお住まいがあり車も置かれていました。伝承によれば、塩尾寺の建立は皇紀1264年(西暦586年)にさかのぼるそうです。聖徳太子が四天王寺を開創した後につくられた摂津国武庫七大寺の中に塩尾寺が含まれていたそうです。その7寺の内で分かっている6寺は塩尾寺、中山寺、小林寺(廃寺)、平林寺、円国寺(廃寺)、金龍寺だそうです。時代と共に人々は信仰心の変化により塩尾寺は廃れた寺院となりましたが、室町幕府第十二代の将軍・足利義晴の時代(1521年~1543年)に近くで湧き出た「塩からい水」が吹き出物を治す湯として広まり、潮泉山(ちょうせんざん)の山号をいただき、潮泉山・塩尾寺として再興されたそうです。「塩からい水」は宝塚温泉の元湯となったそうです。この時に伝承に残っていた十一面観音像も整えられたそうです。
クリックすると拡大

塩尾寺と縁のある聖徳太子に纏わる石碑がありました。クリックすると書かれている内容が読める大きさに拡大いたしました。若干ではありますが、伝承につながる文面も見受けられます。
クリックすると拡大

立派な鐘楼がありました。もしかしたら実家から聞こえていた除夜の鐘の音の中に、この鐘の音も聞こえていたのかもしれません。
クリックすると拡大

本堂以外に沢山の祠がありました。
クリックすると拡大

本殿以外で一番大きな建物は清照大明神の社殿です。
クリックすると拡大

ネットによれば、こちらの鐘には塩寺晨鐘が有名です。勤行(ごんぎょう)の開始を知らせる晨朝の鐘(じんじょうのかね)は塩寺晨鐘と呼ばれて、昭和の始め頃は観光名所としての記録もあるほどです。大晦日には除夜の鐘をつくために大勢の人も並んでいたそうです。
クリックすると拡大

こちらも趣きのあるものでした。
クリックすると拡大

こちらが塩尾寺本殿です。
クリックすると拡大

奥側(住居側)から撮った本殿の写真です。
クリックすると拡大

塩尾寺の昔の写真をネットから転用させていただきました。
クリックすると拡大塩尾寺縁起に書かれている室町時代の宝塚温泉に関わる由来を下の枠内に紹介します。明治時代になってからも、武庫川右岸の川下に酸っぱい水と辛い水が湧いていたことが、付近の人々に知られていて、明治17年に小佐治豊三郎(後の旅館分銅屋の創業者)が温泉水を医師に試飲してもらい飲料・浴用に適する最上の鉱泉であることが分かり明治20年5月5日に宝塚温泉を開湯したそうです。
そのことからも非常に宝塚温泉に縁のあるお寺のようです。
室町時代に貧しくひっそりと暮らす女性がいたそうです。年老いて体をわずらい身も心も苦しみながらも、毎月、中山寺への参拝を怠ることがありませんでした。そんなある夜、僧の姿をした人が夢枕に立ち、「武庫川の岸辺に噴出している冷泉に入浴すれば病気が治る」と告げたそうです。さっそくその教えどおりにからだを洗うと、病気が治ったと伝えられています。
クリックすると拡大

午前中に実家に開りたかったので山を下り始めました。境内の入口から見た帰り道の写真です。
クリックすると拡大

住宅地の辺りまでは基本的に同じ道を帰りました。
クリックすると拡大

ただし、上がってくる時は階段のあった細い道を上がりましたがそこだけは、太い道を下りました。つまり展望台から休憩所までの太い道で撮った写真を下りていく順番に3枚紹介します。
クリックすると拡大

こちらが2枚目です。この写真の真中あたりをよく見てから次の写真を見てください。青色の丸印が点滅しているところです。石垣が濡れているのが関係があります。
クリックすると拡大

水が湧き出しているところが2ケ所あり、その水を貯めるためのバケツが置かれていました。上の写真の石垣のところにこのバケツが置かれていました。ストリートビュー(SV)でもこの場所が確認出来ました。
クリックすると拡大

住宅地近くに戻ってきました。見えている大きな建物は甲子園大学です。1967年に設置されていたので、私が宝塚に住んでいたころには、すでにあったことになります。六甲全山縦走大会では、この道を歩いたはずですが、宝塚駅の近くに大学があるとは知りませんでした。
クリックすると拡大

住宅地に入ってからはスマホで位置を確認し名が出来るだけ最短で実家のある逆瀬川方面に向かいました。最初の頃は住宅地の一番標高の高いところを歩くことになりました。
クリックすると拡大

この辺りには父が勤めていた会社のクラブハウスがありました。下の写真は、そのクラブハウスで撮った家族の記念写真です。私は1月生まれなので私は6~7ケ月目ぐらいだと思います。背景の建物が有名な建築家の村野藤吾が設計の東京銀行宝塚クラブハウスだと思います。建物の写真は村野藤吾作品集第1巻(1928-1963)に掲載されているようなので、いつか確認したいと思っています。
IMG_2430-400.jpg

このような景色が続きました。
クリックすると拡大

実家方面の往路のルートも入れた航空写真です。ただしルートの終点は逆瀬川駅にさせていただいています。
 名前 潮泉山 塩尾寺(ちょうせんざん えんぺいじ)
 標高 352m
 住所 兵庫県宝塚市伊孑志字武庫山756
 地図 yNEJaJh4wuP1qtfv7

nice!(96)  コメント(32) 

イタリア人が1946年に開いたレストラン アモーレ・アベーラ [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2019年3月24日追記
タイトル:気になっていたランチコース料理をたべました。
クリックすると拡大
2019年3月21日に実家に着き、その翌日の3月22日に兵庫県宝塚にあるイタリア人が終戦翌年の1946年に開いたレストランに母と姉と3人でランチを食べに行ってきました。今までに3人ともに食べに行ったことはありましたか、一緒に食べたことはなかったのです。母は友人と、姉が家族と、私は娘とでした。
クリックすると拡大今回、食べに行ったきっかけは、2018年九州場所で優勝し、今回の大阪場所で10勝を挙げて大関昇進が決まった右の写真の貴景勝がお気に入りのピザが食べれるお店が宝塚南口駅の近くにあると姉が言ったことでした。宝塚南口駅の近くであれば、アモーレ・アベーラしかありえないであろうと、すぐに(3月21日)に電話して予約しました。確認のため予約した後ですが、ネットで確認した結果、やはりアモーレ・アベーラで、貴景勝お気に入りのピザはサラミピザダブルチーズでした。今まで3人共に、このレストランではピザを食べていなかったのでピザを食べてみたくなったのです。
クリックすると拡大私が以前にレストランに来たのは2014年8月13日で、食べたのはスパゲッティーのペスカトーレでしたが、お得なランチがあったので気になっていたのです。つまり私の目的はお得なコースランチとピザになったわけです。上の写真はランチでみんなでシェアして食べたピザです。

私は気になっていたランチコース料理(2592円)を頼みました。ランチ名はアベーラランチです。母と姉はコースだと量が多いと思い、サラダとスパゲッティーとピザを頼んでシェアいたしました。最初、テーブルにはフォークとスプーンが置かれていましたが、コースを頼むとフォーク3本とナイフ2本とスプーン1本が並べられました。
クリックすると拡大

ここからコース料理を紹介したいと思います。最初、いきなり生ハムメロンが置かれました。ランチの前菜で生ハムメロンが出されるとはさすがと思いました。後が期待できるからです。
クリックすると拡大

生ハムメロンの味を想像していただくために拡大写真を載せました。
クリックすると拡大

付いてくるスティック状(筒状)の細長いパンも洒落ていました。パンはコースを頼んだ私だけなので3人でシェアいたしました。
パンで名前はグリッシーニ(Grissino)です。イタリアのピエモンテ州のトリノで14世紀に生まれたとされています。
クリックすると拡大

飲み物はビールを頼みました。3人で小瓶2本にいたしました。
クリックすると拡大

次に出されたのはトマトソース味のあさりのスパゲッティーでした。やはり麺の湯で加減とトマトソース味が絶妙でした。
クリックすると拡大

メインは肉料理と魚料理が選べました。私は魚料理を選びました。魚は平目でした。
クリックすると拡大

ソテーした平目にバルサミコ酢を使った甘酸っぱいソースをつけて食べました。ソースは平目の陰にあって写っていませんが、皿の上にあるのです。
バルサミコ酢はイタリアの特産で、主にブドウなどの果汁を原料とした長期熟成酢です。イタリアではAceto Balsamico(アチェート・バルサミコ)あるいはBalsamico(バルサミコ)と呼ばれています。Acetoは酢の意味です。
クリックすると拡大

最後のデザーとも2592円(税込)のコースとは思えない立派なものでした。飲み物はコーヒーと紅茶が選べますが、いつも通り紅茶にいたしました。
クリックすると拡大

デザート(ドルチェ)はケーキと抹茶アイスでした。イタリアのレストランでは食後のデザートをドルチェ(Dolce)と呼ぶそうです。
クリックすると拡大

紅茶の写真も紹介します。母と姉は別途コーヒーを注文いたしました。ただし、デザートはありません。実はこの日の午前中に甲陽園にあるツマガリに行ってケーキを買っていたので、家に帰ってからツマガリのケーキでデザートにいたしました。私は2度目のデザートになりました。
クリックすると拡大

ここからコース以外で頼んだサラダとスパゲッティーとピザを紹介します。こちらがサラダですがボリュームがありました。
クリックすると拡大

こちらが茄子とベーコンのスパゲッティーです。
クリックすると拡大

やはり拡大したくなります。
クリックすると拡大

ピザ(ピッツァ)は1日10枚限定のマルゲリータにいたしました。食べてみると明らかによく食べるマルゲリータと違うのです。香高いチーズが分厚く乗っていたのです。チーズの種類までは判りませんでしたが、貴景勝がお気に入りのサラミピザダブルチーズに使われているのはオランダ産のゴーダチーズとネットで書かれていたので、同じかもしれません。
クリックすると拡大

たっぷりのチーズを実感していただきたくて拡大いたしました。
クリックすると拡大

1946年9月1日にオープンしたアベーラ・オラッィオさんの写真を正面から撮ったので掲載いたしまクリックすると拡大す。
参考に今回の料理の価格を紹介します。すべて税込み価格です。
 アベーラランチ        2592円
 マルゲリータ         2376円
 茄子とベーコンスパゲッティー 1728円
 サラダ             864円
 ビール2本          1296円
 コーヒー2杯          864円
 計              9720円
クリックすると拡大

家に帰って食べたツマガリのケーキも紹介いたします。私は紅茶でいただきました。丸いケーキはお店の人から洋酒が効いていると聞かされていたので、味見をさせてもらいました。いずれの写真もクリックすると拡大いたします。
姉が3月24日(日曜)に東京に帰る時にツマガリのクッキーのクリックすると拡大バラ売りを買うために大阪の大丸の中にあるツマガリのお店に寄ると行列だったそうです。25分待って、私が薦めた右の写真のパルミエが買えたそうです。右の写真は2018年11月22日に甲陽園本店で買ったクッキーのセットの中に入っていたパルミエです。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大

直接は関係ありませんがアモーレ・アベーラのピザを絶賛された貴景勝さんの大関昇進に関係した2018年3月24日の記事を枠内に紹介します。
貴景勝が大関昇進確実
母の目に涙「心も体も健康に頑張ってほしい」
クリックすると拡大大相撲春場所千秋楽で10勝を挙げ、関脇貴景勝関の大関昇進が確実になった24日、現地で見守った両親は「ようやった」と声を絞り、喜びをかみしめた。恩師や出身地・兵庫県芦屋市からも、快挙を祝う声が続々と上がった。 今場所は、会場で父の佐藤一哉さん(57)が観戦すると全部負けていた。「わしがいると力が入るのか」。そんな気遣いもあって、この日は土俵から離れた4階の通路出入り口から見守った。
土俵入りを見つめる表情は厳しかったが、貴景勝の名前が呼ばれると祈るように手を合わせ、大一番に見入った。気合の込もった取り口で完勝すると、会場からは大歓声。一哉さんは「やったー」と両拳を突き上げ、観戦していた好角家と握手を交わした。
観戦後、母の純子さん(52)は目に涙を浮かべながら「今後は一つ一つの勝負に、よりプレッシャーがかかる。心も体も健康に頑張ってほしい」と思いやった。一哉さんも「さらに上の番付を目指し続けてほしい」と期待を寄せた。 恩師や地元のファンらもこの日を待ちわびた。母校の仁川学院小(西宮市)の恩師、前川和裕さん(41)はファンらと居酒屋で応援。「砂場で相撲をして遊んだら、投げ飛ばされてしまうほど強かった」と振り返り、「最高にうれしい」と喜んだ。
小学生時代に指導した関西奄美相撲連盟の山口久義会長(70)は「まっすぐ自分の思いを貫いてくれた」と話し、「努力が自信につながっている。彼は横綱になる男。大関は通過点」と言い切った。
吉報を受けた地元の芦屋市は祝福ムードに。同市は25日に、市役所や市内の各駅周辺など計7カ所に昇進を祝う横断幕を設置することを決めた。また、同市のふるさと大使を新設、貴景勝関を第1号に任命する方針で、山中健市長は「市民に夢と希望と感動を与えてもらった」とたたえた。(村上晃宏、風斗雅博、小谷千穂)
03/24 22:19 神戸新聞  オリジナル記事→ポチッ

2019年3月25日はテレビで貴景勝さんのニュースが沢山流れていました。
クリックすると拡大そんな中でカンテレ(関西テレビ)の報道ランナー(16:47~19:00)で、アモーレ・アベーラが取り上げられていたのでテレビの6画面を紹介します。これらの画面は18時12分ごろに放送されました。ピザの種類はサラミピザダブルチーズ(2052円)と書かれていました。1946年開店されたお店であることも紹介されていました。
クリックすると拡大

貴景勝さんへの大関昇進伝授式が行われた2019年3月27日には読売テレビのミヤネ屋(13:55~15:50)のライブでキャスターの宮根さんが持ってきたクリックすると拡大アモーレ・アベーラのサラミピザ(ダブルチーズトッピング)を食べるシーンがありました。食べた瞬間は撮り損ねましたが、画面の一番下に手に持ったビザが僅かに写っています。TV画面の写真は14時17分前後に撮りました。


クリックすると拡大私が1歳のときの写真ですが、今回のアモーレ・アベーラで一緒に食事をした母と姉と私が写った写真を紹介します。私は9ケ月で歩いたそうです。右の小さな写真は家族全員で父の勤めていた会社のクラブハウス(宝塚)に行ったときの写真です。クリックすると拡大いたします。
その時、貴景勝の実家の芦屋の東隣の夙川に住んでいて、小学校のころは芦屋の西隣の岡本に住んでいました。クリックすると拡大そして芦屋にある高校に通っていました。左の建物は2004年に取り壊された阪急西宮球場で、右手に見える山は六甲山です。この時は知らなかったと思いますが、この写真を撮った時にはアモーレ・アベーラが宝塚にあったのです。
クリックすると拡大西宮球場の跡地には延床面積は247,000m²の阪急西宮ガーデンズと呼ばれる、右の小さな写真のショッピングセンターが2008年11月26日にオープンいたしました。
クリックすると拡大


2014年8月22日掲載
タイトル:イタリア人が1946年に開いたレストラン
クリックすると拡大
クリックすると拡大実家の宝塚に帰省していた2014年8月13日に娘と二人で右の写真の手塚治虫記念館に行きました。10時に入館して見終わったら昼となったので近くでランチにすることにしました。

その時に目に入ったのが館内に置かれていた下のチラシでした。すでに前記事で紹介した企画展示の「テヅカオトメ」とのコラボメニューを6つのお店が提供していることが書かれていたのです。そのコラボメニューを食べて記念館の入場券を見せるとノベルティ「ブロマイド」がもらえるとの説明でした。
クリックすると拡大 1.天麩羅 味ごよみ「すずき」
 2.カフェ ダルブッカ
 3.宝塚牛乳
 4.中華料理「天津」
 5.ホテル若水ロビーラウンジ「すみれ」
 6.イタリアンレストラン「アモーレアベーラ」
クリックすると拡大

実は上のチラシを見る前からイタリアンレストラン「アモーレアベーラ」でランチを食べるつもりだったのです。私が生まれる前からのお店であることは今回初めて知ったのですが、少なくとも私が宝塚に住み始める以前からある有名なイタリアンレストランであることは知っていたのです。お袋は何度か食べたことがあるそうなのですが、私はまだ食べたことが無かったので、食事をするいいチャンスだと思っていたわけです。
記念館とのコラボメニューは「ルルの大好きなフワフワオムレツ風スパゲッティ」と「トーマの特製カルボナーラ」でした。これを食べると写真の中のノベルティ「ブロマイド」がもらえるわけです。ブログネタにもなりそうなので、この料理を注文するつもりでレストランに行きました。


オトメイトのルル(LULU)とトーマ(TOMA)を検索してみました。
検索すると下記のような絵が出てきました。左側と真中がルル(LULU)で出てきた絵で、右端がトーマ(TOMA)で出てきた絵です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらがRISTORANTE AMORE ABELAの入口です。
私が高校2年から結婚するまで住んでいた実家の家から歩いて10分の距離(900m)で住宅地の中にあります。驚いたことに太平洋戦争の終戦(1945年8月15日)の翌年となる1946年9月1日にイタリア人のアベーラ・オラッィオさんがオープンしたお店でした。アベーラ・オラッィオさんは、現オーナーのアベーラ・エルコレさんのお父様です。
初代オーナーのアベーラ・オラッィオさん(またはアベーラ・オラツィオさん)はシシリア島の出身で、現在も本場のシシリアの味を守っている本格的なイタリアンレストランだそうです。ちなみにAMOREはイタリア語で「愛」、お店の名前は 「アベーラの愛」というところでしょうか。イタリアで名前をつけるとしたら Amore di Abela となったのかもしれません。
アベーラ・オラッィオさんは1944年創業の東京南青山の老舗店「アントニオ」の初代オーナーのアントニオ・カンチェミさんとは義理の兄弟であり、似た境遇でした。ただしアントニオ・カンチェミさんは料理の専門家でしたがアベーラ・オラッィオさんは料理に関しては素人だったのです。
アベーラ・オラッィオさんとアントニオ・カンチェミさんの二人ともに第二次世界大戦中に神戸に着いたカリテア号(イタリア海軍の特務艦)の乗組員でした。その後、日本・イタリアが連合国に降伏し 2人は姫路の捕虜収容所に入り、戦後に武庫川河畔の武田尾温泉で知り合った日本人姉妹と2人共に結婚して 2人は義理の兄弟となったそうです。2人は日本の初のピザ(どちらかが1番で、どちらかが2番)にかかわったことでWikipediaに2人の名前が載っているほど有名です。アベーラ・オラッィオさんは宝塚の自宅にて料理の猛特訓を重ねてレストランを開業したそうです。今の建物は1971年に自宅を改築して作ったそうです。
クリックすると拡大

クリックすると拡大クリックすると拡大門の正面からの写真です。
余談ですが現オーナーのアベーラ・エルコレさんの奥様は元タカラジェンヌ(第55 期生、花組「有花みゆ紀」さん)で「ベルサイユのばら」にもロザリー役で出演されていたそうです。そんな事情や場所柄からお店の常連にはタカラジェンヌの方も多いとのことでした。1975年の「ベルサイユのばら」の動画の1分27秒からロザリー役の有花みゆ紀(ゆか・みゆき)さんが登場します。→ポチッ
クリックすると拡大

入口から見たレストランの中の景観です。先代オーナー(アベーラ オラッィオ)と思われる写真が飾られており歴史を感じました。
クリックすると拡大
 名称 アモーレアベーラ
    AMORE ABELA
 住所 兵庫県宝塚市南口 1-9-31
 電話 0797-71-3330
 営業 11:30~22:00 LO 21:00
 定休 火曜日
 HP  http://amoreabela.com
クリックすると拡大

コラボメニューの「ルルの大好きなフワフワオムレツ風スパゲッティ」と「トーマの特製カルボナーラ」を注文しようとしましたが、ノベルティ「ブロマイド」は人気だったようで、すでにノベルティは無くなりコラボメニューもなくなってしまったとのことなので、私はこちらのペスカトーレ(2160円)を頼みました。
実は2592円で、サラダ+スパゲッティー+魚か肉料理+デザート+飲み物のお得なランチがあるのですが、この日の夕食はステーキを食べることが決まっていたので軽めにするためにスパゲッティだけにいたしました。
クリックすると拡大

拡大写真を掲載しました。新鮮なプリプリの海老とアサリとホタテなどのシーフードがふんだんに使われていました。トマト系のソースも絶妙でスパゲッティーの茹で加減も良かったです。次の機会にランチを頂いた時は追加掲載させていただきます。
クリックすると拡大

やっぱりビールが飲みたくなります。娘はジュースを頼みました。
クリックすると拡大

こちらが娘が頼んだボンゴレビアンコ(1,728円)です。こちらも味見をさせてもらいましたが、レベルの高いスパゲッティーでした。
クリックすると拡大

大きなアサリが印象的なボンゴレビアンコでした。
飲み物も入れた総額は4,860円でした。
・ディナーコースは2種類があります。
  シシリアーナディナー 3,780円
  ロマーナディナー   5,400円
・メニューでお薦めと書かれていた料理も紹介します。
  カンネローニ     2,970円
  ラサンニエ      2,700円
クリックすると拡大

レストランの場所を紹介します。
  アモーレ アベーラ AMORE ABELA
  宝塚市立手塚治虫記念館
  宝塚歌劇大劇場
  270m 宝塚南口駅→アモーレアベーラ
  430m 宝塚南口駅→手塚治虫記念館
  730m 宝塚駅→手塚治虫記念館

より大きな地図で アモーレアベーラ を表示

お魚屋さんのお刺身 おととや [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
実は前日の夕食も刺身だったのですが
お魚屋さんを覗いているとおいしそうなお刺身があったので、つい買ってきました。シマアジとヒラメです。お魚屋さんの名前は「おととや」です。

漬物はIKARIで買いました。
クリックすると拡大

今が旬のイカナゴの佃煮・くぎ煮も買いました。こちらはコープで買いました。つまりこの日は3ケ所で買ったわけです。
クリックすると拡大

新鮮さが判ってもらえるでしょうか。こちらがヒラメです。お店を紹介します。
 店名 おととや
 住所 兵庫県宝塚市中州1丁目1-1 アピアきた1F
 電話 0797-73-3600
 最寄 阪急 逆瀬川駅 徒歩2分
クリックすると拡大

シマアジの新鮮さを伝えたくて、こちらの写真も掲載いたしました。シマアジとヒラメはお店の生簀で活きていたものを当日にさばいたものなのです。
クリックすると拡大

鯛は前日に半分しか切らなかったので、あわせて3品です。
クリックすると拡大

イカリで買った漬物も出しました。くぎ煮も出したのですが写真を撮り忘れていました。
クリックすると拡大

こちらはカブの漬物です。
クリックすると拡大

前日の煮物に里芋も追加いたしました。
クリックすると拡大

瀬戸内海の名物、チリメンもビール肴に出しました。
クリックすると拡大

料理がそろったところでビールを開けました。
クリックすると拡大

こちらがシマアジです。
クリックすると拡大

そしてヒラメです。
クリックすると拡大
タグ:刺身

いつも通り半額狙いは成功でした。 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
IMG_7881-954.jpg
2016年3月14日は夕方の便で関西に移動しました。宝塚の実家の最寄駅の逆瀬川駅の近くのいつものスーパーによって夕飯の刺身類をいつも通り買ってから実家に向かうのです。今までにも紹介した通り19時を過ぎると半額品が並びます。遅くなりすぎると売り切れてなくなってしまい、早すぎると半額品はないのです。つまり買える時間帯は非常に短いのです。いつものフライトだと、この絶妙な時間帯に着く確率が高いのです。この日の戦利品は上の写真です。生マグロに鯛の刺身にボテン海老に穴子の素焼きです。

実家に着くとすぐに切って盛り付けます。そのあとお風呂に入って食べました。こちらが刺身の盛り合わせです。鯛の刺身は量が多かったので半分にいたしました。お袋がほかにも料理を用意してくれていたので鯛の半分は翌日に食べることにいたしました。鮮度がいいので1日経っても関東のスーパーで買う程度の鮮度は維持しているのです。
IMG_7882-954.jpg

いつもなら穴子はオーブントースターで温めるのです。この日はそのまま切りワサビ醤油で食べることにいたしました。これが結構、いけました。この日の飛行機の中の機内誌に書かれていた食べ方でした。
IMG_7883-954.jpg

湯豆腐が用意されていました。
IMG_7884-954.jpg

湯豆腐はおろし生姜と醤油で食べましたが、これが意外とおいしかったです。いつも食べる味ボンよりよかった気がします。
IMG_7888-954.jpg

春菊のおひたしも用意してもらっていました。食べたとき癖がなかったので春菊とはわからなかったのですが、翌日に春菊と聞いて驚いたわけです。
IMG_7885-954.jpg

大根主体の煮物も用意されていました。
IMG_7886-954.jpg

ついついビール2本開けてしまいました。おふくろも少し飲みますが私がほとんどです。
IMG_7887-954.jpg

ボタン海老の頭はもちろん焼いて食べました。
IMG_7889-954.jpg

宝塚コロッケ [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
宝塚の私の実家から千里の家内の実家に行く途中で、お土産の佃煮を買うために阪急宝塚線の清荒神駅で途中下車いたしました。佃煮のお店は以前に紹介したことのある「さん志ょうや本家」です。佃煮の記事→ポチッ
驚いたことに駅前に沢山の人が並んでいるお店がありました。
看板を見ると「宝塚コロッケ」と書かれていました。写真は駅の改札から撮りました。それほど駅に近いのです。上の写真を撮ったのが金曜日の16時55分でした。左で待っている人は宝塚コロッケ以外を注文して揚がるのを待っている人です。注文が入ってから揚げるそうです。宝塚コロッケだけは常に上げ続けて揚がるとすぐに渡しているようでした。

興味が沸いてきたので佃煮屋さんからの帰りに買って「宝塚コロッケ」をお土産に追加することにいたしました。
クリックすると拡大お店を紹介します。
 店名 北川精肉店
 住所 兵庫県宝塚市清荒神1-11-1
 電話 0797-84-3628
 営業 10:00~19:00
 販売 10:30~13:30 16:00~18:30
 定休 水曜日
 最寄 阪急宝塚線・清荒神駅 徒歩10秒
お品書き
 宝塚コロッケ    75円
 和牛メンチカツ  160円
 チキンカツ    230円
 プレミアム豚カツ 350円
 豚カツ      250円
 豚ヘレカツ    120円
 チキンフィレカツ 不明(売り切れ)
 ハムカツ      60円

さっそく買いました。「お品書き」の宝塚コロッケのところに 残りわずか と書かれていたので、買えたのはラッキーだったのかもしれません。注文して2分ほど待って受け取りました。もちろん熱々の揚げたてです。その場で食べたくなりましたが、お土産なので我慢して急いで千里に向かいました。


木と紙だけの自然の包装はいいですね。


お土産には4個買いました。消費税も含んで計300円でした。
クリックすると拡大

さっそく1個いただきました。確かに行列が出来る味でした。特に甘みの感じが絶妙でした。
クリックすると拡大

半分食べたところでソースでもいただきました。
クリックすると拡大

こだわりのソースで食べるコロッケも美味しかったです。ネットで調べると関西の厳選コロッケ店のリストの中に北川精肉店の名前が載っていました。
 兵庫 芦屋・花コロッケ 本神戸肉・森谷商店 北川精肉店・宝塚コロッケ
 大阪 中村屋 グリルやまたけ 肉のやまじん コロッケいまむら 広岡精肉店
 京都 西富家コロッケ店 山田コロッケ店 中村屋総本店 嵯峨野コロッケ
 
クリックすると拡大

清荒神駅北口改札口の目の前にあることを分かってもらうために地図を添付いたしました。北口改札口から8mで、南口改札口からは80mの距離です。宝塚(逆瀬川)の実家からは清荒神駅まで歩いて2.6kmなので時々歩くこともあります。
  北川精肉店 宝塚コロッケ
  さん志ょうや本家 佃煮
  阪急宝塚線 清荒神駅 改札口
 ━━ 清荒神清澄寺の参道

清荒神清澄寺 [宝塚]



清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)が正式名ですが一般的には清荒神と呼んでいます。兵庫県宝塚市にある清荒神の滝である龍王滝を紹介した機会に清荒神自体を紹介いたします。清荒神清澄寺は今から1118年前の寛平8年(896年)に創建された真言三宝宗のお寺です。本堂が降りてこられたお坊さんです。

正面の建物が本堂で、安政年間に旧清(もときよし)の寺域より移築上棟された建物でしたが、当山開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、面目が一新されたそうです。正面には本尊大日如来、向かって左に不動明王、右に弘法大師が祀られています。
大きな立像は一願地蔵尊で頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、ご利益があると言われています。 明治24年に信者の方々の寄進により建立されたそうです。右の方の建物は案内図によれは百錬堂と呼ばれるところで渡り廊下で本堂とつながっています。富岡鉄斎と清荒神は関係が深く鉄斎美術館が境内にあるほどですが鉄斎の一時期の名前が百錬とのことなので関係があるのかもしれません。


拝殿(天堂)の方に上がっていく階段です。


本堂と違いこちらは雰囲気的には神社に近いです。


これが拝殿で三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られているそうです。


拝殿の奥にあるのが護法堂です。


拝殿横の沢山の火箸が奉納されています。三宝荒神は火の神であり古来より厄年には厄除を願って、荒神さんの火箸を家庭でまつり、厄年が開けたら御礼に新しい火箸をここに納めるそうです。


護法堂の横の練掘に、このような一角がありました。折鶴と紙が吊るされています。


吊り下げられていた紙がこれです。結構な枚数のものですが、この中で判るのは「家内安全」「大願成就」だけでした。これがどういうものか調べていますが、まだわかりません。日付から今年の4月1日に下げられたものでした。
ゆんさんのコメントでこれが写経であることを知りました。清荒神のホームページにも「参詣の方々の願いを込めた絵馬・写経・千羽鶴等が奉納されています。絵馬を奉納する習わしは、本来は神社に神馬を奉納したことから始まり、やがて馬の代わりに鞍となり、次第に願い事を書いた小さな木の札になりました。」とありました。


拝殿のある広場には、このような洞穴の観音さんがありました。名前は神変大菩薩(役小角)と書かれていました。


この通路を登っていくと龍王滝があります。鉄斎美術館も、この奥にあります。


途中に仏足石(左)と辰馬悦叟君徳碑(右)があります。辰馬悦叟君徳碑は鉄斎が書いたものだそうです。


これが鉄斎美術館の聖光殿です。荒神清澄寺所蔵の鉄斎作品は絵画、書をはじめ、鉄斎が絵付を施した器物、或いは手造りの陶器などで1200点を超えるそうです。


清荒神は鉄斎以外の芸術にも力を入れており、このような史料館あり、このときも芸術品の展示が行われていました。


これが境内の案内図です。兵庫県警の予想によると、清荒神清澄寺の2015年正月(1~3日)の初詣の人数は36万人で宝塚市でトップです。兵庫県では5位と予想されています。ちなみに宝塚市の2位は中山寺で、兵庫県の1位は生田神社です。数値はあくまでも予想人数です。
  1位  150万人 神戸市 生田神社
  2位  90万人 神戸市 湊川神社
  3位  72万人 神戸市 長田神社
  4位  37万人 西宮市 西宮神社
  5位  36万人 宝塚市 清荒神清澄寺
  6位  34万人 姫路市 播磨国総社
  7位  20万人 宝塚市 中山寺
  8位  19万人 西宮市 広田神社
  9位  14万人 淡路市 伊弉諾神宮
 10位  13万人 赤穂市 大石神社


境内には樹齢が約500年と推定される2本の大銀杏があり、沢山の実が膨らんできていました。秋には沢山の銀杏が落ちてくるものだと思います。宝塚市の天然記念物に指定されているそうです。


この山門の内側が境内です。


山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しているそうです。右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標がありました。ここまでが参道で、この奥が聖域の境内という雰囲気がありました。


うれしいことにワンちゃんも境内に一緒に入れます。


こちらかすでに紹介した龍王滝です。

帰省した日はお刺身 [宝塚]


クリックすると拡大
先ほど中国の地方都市のホテルに着きました。着いたばかりなのですぐにはこちらの街の報告が出来ないために先日、関西に帰省(2014年8月8日~8月14日)していた時の記事を掲載させていただきます。
関西に帰省する場合は空港までが近いことから成田→伊丹のフライトを使います。マイレージの関係からJALを使うのですが一日に下記の2便しかありません。JL3007は遅いので、いつJL3005 成田16:55発のフライトを使っています。
クリックすると拡大 JL3005 成田16:55→18:15伊丹
 JL3007 成田18:30→19:50伊丹
実家には夕食時に着くので、いつも最寄駅の逆瀬川か宝塚駅で刺身を買っていくのです。関西は刺身が新鮮でおいしいのです。ただし時間が遅いので、いい刺身が無くなっていることもありましたが、2014年8月8日は高級魚の「あこう(きじはた)」が残っていました。

さらに「あこう」の刺身も含めてすべての刺身が半額でした。紅ずわい蟹のほぐし身も半額でした。本写真をクリックすると、いつもより大きな拡大写真が出てくるように設定いたしましたので値札の内容が読めると思います。
 1180円x0.5=590円 あこう 愛媛県産
  398円x0.5=199円 タチウオ 大分県産
  278円x0.5=139円 生ホタテ 北海道産
  298円x0.5=149円 紋甲イカ タイ産(解凍)
クリックすると拡大

この太刀魚も、とても半額とは思えないほどの新鮮さでした。。
クリックすると拡大

せっかく「あこう」には頭がついていたので、塩焼きにしてみました。これも美味しかったです。
クリックすると拡大

実家で用意してもらっていたのは、ミョウガとシソが沢山乗った冷奴と
クリックすると拡大

煮物のでした。
2014年8月25日から9月5日まで中国に居るので、帰国するまでネットへのアクセス事情の関係から皆様のところに訪問できないことお許しください。
クリックすると拡大
タグ:関西 刺身 帰省

手塚治虫記念館に行ってきました。 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
鉄腕アトムと言えば手塚治虫です。その手塚治虫の記念館が、私の育った宝塚にあります。2014年8月8日から8月14日まで実家の兵庫県宝塚市に帰省しているときに娘と一緒に手塚治虫記念館に行ってみました。
手塚治虫は1928年に豊中市に生まれて5歳(1933年)の時に家族と共に宝塚市に移り住み、24歳までの約20年間を宝塚市で過ごしました。
クリックすると拡大 筆名 手塚 治虫(てづか おさむ)
 本名 手塚 治 (てづか おさむ)
 生誕 1928年11月03日 豊中市
クリックすると拡大 死没 1989年02月09日 60歳
 学歴 医学博士
手塚治虫は生涯に漫画を604作ほど作ったと言われています。細かいシリーズなどを入れると700タイトル以上で原稿枚数15万枚分とされています。その内分けは少年向け341作、少女向け36作、大人向け110作、低年齢向け32作、絵本39作、4コマ漫画17作、1コマ漫画29作だそうです。小説も4作あります。手塚治虫の作品を知りたい方はこちらをクリックしてみてください。→作品一覧

下の写真が宝塚市手塚治虫記念館の建物です。宝塚市手塚治虫記念館は手塚治虫の生涯を称えて、「自然への愛」と「生命の尊さ」を基本テーマとして1994年に設立されました。我々が訪れたのは8月13日でしたが、驚いたことに2日前の8月11日に来館者が350万人に到達したとのことでした。右の写真は入口の受付でもらった来館者350万人達成記念の絵ハガキです。
クリックすると拡大

建物の入口前には「火の鳥」のモニュメントが建っていました。「火の鳥」は手塚治虫作品の一つで1954年に初めて連載されました。その後いろんな雑誌に掲載され1986年まで続いた息の長い作品でした。
クリックすると拡大

モニュメント前の床には作品の登場人物(お茶の水博士、日の鳥、ヒゲオヤジ、Oマン、マグマ大使、悟空、どろろ、百鬼丸、ブッダ、アセチレンランプ、スカンク草井、バンパイヤ、ハムエッグ、ロック
ホーム)の手形、足形の石板が埋め込まれていました。
クリックすると拡大

火の鳥のモニュメントから望んだ記念館の建物です。
クリックすると拡大

建物の入口からモニュメントの方を振り向いた景色です。
クリックすると拡大

建物に入りました。
クリックすると拡大

最初に迎えてくれるのが鉄腕アトムとリボンの剣士です。
ここからがアニメの世界です。手塚治虫記念館を紹介します。
  名称 宝塚市立手塚治虫記念館
  住所 兵庫県宝塚市武庫川町7-65
  電話 0797-81-2970
  時間 9:30~17:00
  定休 水曜日 臨時休館&臨時開館があるのでHPで確認願います。
  料金 大人 700円 中高生 300円 小学生 100円 他各種割引あり
クリックすると拡大

貰ったパンフレットの建物内の配置図です。3階建てですが、一番下がG階でその上が1階で、最上階が3階になります。1階が入口のある階です。建物が傾斜した地面に建っていることからG階は完全な地下ではなく、G階にも出入口があります。画面をクリックすると別画面で拡大配置図を掲載するので、その配置図を見ながら記事を読んでいただくとわかりやすいと思います。
クリックすると拡大

1階からG階に降りていく階段の壁には日本の漫画の歴史が展示されていました。
クリックすると拡大

G階は不思議な空間でした。アニメーションの歴史や手法も展示されていました。


奥の部屋は皆が楽しめるアニメ工房となっていました。
クリックすると拡大

この機械を使ってアニメを作って遊べるようです。
クリックすると拡大

アニメ工房の一番奥に手塚治虫の仕事部屋が再現されていました。


G階から1階に戻ると丁度10時15分のアニメ「オサムシとムサシ」の上映開始時間となったので映像ホールに入りました。ちなみに我が家のワンコの名前はムサシです。


こちらはアトムビジョン映像ホールです。


アニメのタイトルは「オサムとムサシ」です。プレーボタン( )をクリッククリックすると拡大すると全18分の中の頭3分間を見ることが出来ます。このアニメは手塚治虫記念館のためのオリジナルアニメで少年時代の手塚治虫(オサム)と小さな甲虫のオサムシ(ムサシ)が主人公のようです。右の写真はオサムシです。治虫(オサム・ムシ)は「オサムシ」とも読めないこともないので、この昆虫に思い入れがあったのかもしれません。


オリジナルアニメを見た後は2階に上がりました。子供たちが座っている機会は情報・アニメ検索機です。子供たちに人気があるようでした。
クリックすると拡大

昔の漫画の単行本の展示棚です。
クリックすると拡大

単行本に鉄腕アトム1~3です。漫画全集としては6~8です。
クリックすると拡大

懐かしい漫画の単行本の漫画全集が並んでいました。
クリックすると拡大

図書館のように漫画が読めるコーナーもあり巻いた。沢山の手塚治虫の本が並んでいました。「手塚治虫ライブラー」コーナーです。
クリックすると拡大

並んでいる本を紹介します。クリックすると別の段の本を表示します。


お絵かきコーナーもありました。
クリックすると拡大

2階の企画展示室では手塚治虫とオトメイトのコラボの「テヅカオトメ」の特別展示がありました。期間は2014年7月4日~2014年10月27日です。


特別展示の「テヅカオトメ」の入口です。紹介したいところですが、手塚治虫記念館でここだけが写真撮影禁止でした。コラボ先のオトメイトの作品は記念館の所有ではないので仕方がないことです。
クリックすると拡大

ただし記念撮影のエリアが設けられていました。
クリックすると拡大

記念撮影場所は全部で3ヶ所ありました。


右の縦長の写真は記念館でもらった「テヅカオトメ」のパンフレットです。
手塚治虫とオトメイトのコラボの特別展示の「テヅカオトメ」は撮影禁止なのでネットから「オトメイト」に関する画像を転記させていただきました。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

手塚治虫のことが一番理解できるのが1階の手塚治虫の歴史を39個の筒で表現しているコーナーです。ここは1から39まで順番に見てもらいたいコーナーです。
クリックすると拡大

これが1番の手塚治(手塚治虫)の幼年期です。
クリックすると拡大

7番では中学生の時に、すでに昆虫の細かな描写絵を書いていたことが紹介されていました。
クリックすると拡大

こちらは13番です。実は手塚治虫は医学博士だったのです。医者が本業で漫画製作が副業の時代がありましたが、いつしか漫画が専門になっていたのです。


こちらは14番の手塚治虫が描いた宝塚歌劇の男役であった春日野八千代の似顔絵とブロマイドです。
クリックすると拡大

こちらも14番の筒です。1951年8月には宝塚をテーマとした少女ロマンを書いていました。この時期、宝塚歌劇が少なからず影響したと思われます。
クリックすると拡大

こちらは19番です。1952年の介ジューがかかれた手地用も展示されていました。
クリックすると拡大

こちらも19番で漫画の漫画の下書きも展示されていました。
クリックすると拡大

こちらが28番で、アトムとお茶の水博士のキャラの設定の展示です。
クリックすると拡大

こちらが39番で1980年の作品関連の展示でした。
クリックすると拡大

年表でも手塚治虫の歴史を紹介していました。こちらは最初の頃です。線表の中にジャングル大帝、鉄腕アトム、火の鳥、リボンの剣士、などか読み取れます。鉄腕アトムは1951年4月から掲載の「アトム大使」の中の単なる脇役として登場したのが最初でしたが、翌年の1952年4月から主人公となり、作品名も「鉄腕アトム」となりました。
クリックすると拡大

鉄腕アトムが最初にテレビに登場したのは実写版だと思っていたら人形劇が1957年4月13日~9月28日に放送されたそうです。人形劇→実写版→アニメだったそうです。人形劇のことはkojiroさんにコメントで教えていただきました。
その実写版が放送されたのは1959年3月7日でした。最初にアニメがテレビで放送されたのが1963年1月1日で、白黒でした。今、「まんだらけ」でのブリキ製人形の万引きで話題になっている鉄人28号もテレビに最初に登場したのは実写版だったと思います。鉄人28号は横山光輝の作品です。
                   実写版放送              TVアニメ初放送
  鉄腕アトム 1959年03月07日~1960年5月28日(65話) 1963年01月01日
  鉄人28号 1960年02月01日~1960年4月25日(13話) 1963年10月20日

クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらは後半の年表です。
クリックすると拡大

1階には過去のグッズも沢山展示されていました。2階にはショップがあり、現代のグッズを買うことが出来ます。
クリックすると拡大

Google地図で手塚治虫記念館の場所を紹介します。
宝塚南口駅が最寄駅です。ただし実家の家からは記念館までは1.6kmの距離なので我々は実家から歩いて行きました。実家の最寄の逆瀬川駅まで歩いたあと電車で宝塚南口駅まで移動する時間を考えると直接歩く方が近いのです。
   宝塚市立手塚治虫記念館
   宝塚歌劇大劇場
   430m 宝塚南口駅→記念館
   730m 宝塚駅→記念館

より大きな地図で 手塚治虫記念館 を表示
宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされています。この動画は5月に来た時に撮ったものです。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。


せっかくなので鉄腕アトムの歌詞を紹介いたします。
作詞:谷川俊太郎  作曲:高井達雄  歌手:上高田少年合唱団
空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム
耳をすませ ラララ 目をみはれ そうだ アトム ゆだんするな 心ただしい ラララ 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム
町角に ラララ 海のそこに 今日も アトム 人間まもって 心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友だち 鉄腕アトム

1980年代の歌はこちら→http://youtu.be/GX8b1TmXfvw
Vocaloidの歌はこちら →http://youtu.be/09KfdXh0a9U
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FcG4OdWCvDo

1959年3月7日~1960年5月28日に放映された実写版時代の歌詞は違います。初音ミクの歌声ので動画があったので紹介します。
作詞:青木義夫  作曲:益田克幸  歌手:中島そのみ
僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い 悪者 やってこい ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕はよいこ子だ 鉄腕アトム 困った時には 飛んで来て パンチだ 空手だ 正義の力だぞ いつでもどこでも 大勝利 ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕らのアトムは みんなのために どんなところでも 飛んで行く 僕らも一緒に 力を合わせ 平和な世界を 作るんだ  ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

kojiroさんに調べていただいた結果、歌手は第一部・ZZZ団の巻(中島そのみ)→第二部・メキシコ(岡村喬生 上高田合唱団)→第三部・フランケンとアトムの巻(岡村喬生)→第四部・アトム火星に飛ぶの巻(岡村喬生)→第五部・気体人間の巻(上高田合唱団 中島そのみ)とかわりました。
中島そのみ の歌はこちら →http://youtu.be/8yxAcnFv00g
岡村喬生の歌はこちら   →http://youtu.be/DHs_ajbiIA0
                 http://youtu.be/IGZW4mK3T9w
初音ミクの歌はこちら   →http://youtu.be/FAqhiGNm2fw
瀬川雅人の素顔登場   →http://youtu.be/ozD0lX_tSvc
瀬川雅人 : 鉄腕アトム役
kojiroさんからコメントいただいた実写版アトムの第四部「火星探検の巻(40~52話)」の、ネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介いたします。別のネットには「第3話 火星探検 1963年1月15日放送」と「アニメの第8話「火星探検(原題:火星隊長)」との記述もありました。
アトムはモス博士から火星探検隊長に任命される。 博士の言うには第一回目の探検隊が失敗したのは隊員の間の争いが原因だった。 そこでロボットであるアトムに依頼したのだ。 アトムは大学の教授(花丸博士, ケリガン)から1ヶ月の教育を受け,ロケットに乗り込んだ。
しかし,その中には密航者が一人乗っていた。 彼女はキャーベット(リイコ)といい,1回目の探検で反乱を起こしたレンコーン大尉の妹だった。 兄に会いに行くための密航だった。 もはや降ろすことも出来ずやむなく連れて行くアトム。
途中ロケットに未確認飛行物体が取り付き,アトムは自ら宇宙に出てそれをどかす。 しかし,アトムの命綱は誰かによって切られ置き去りにされてしまう。 アトムは不明のロケットの中に入り込み,原子力銃を持つ生物と出会う。
その銃の噴射力でロケットに戻ったアトムは一回目の反乱の原因がこの生物ではないかと考える。 火星に着いたアトム達の前に多くのロボットを引き連れたレンコーンが現れる。 そしてアトムのことをよく思わないケチャップ大尉はアトムに銃を向け反乱を起こす。
さらに彼はレンコーンのロボットを奪うべく出掛けていく。 彼らの前にはあの謎の生物達が襲ってくる。 宇宙人の存在を笑っていたケチャップは自ら恥じ,ロボットを指揮してその命を散らす。
鉄腕アトムがロボットと戦う姿も追加掲載させていただきました。


鉄腕アトム65話(13話×5部)の放送は土曜日の18:15~18:45に、一日も欠かさずに放送されました。kojiroさんのコメントによれば実写版の鉄腕アトムの頭の形は2回変わったそうです。その説明を参考にしてネットから3種類の画像を探してみました。
 第一部 '59年03月17日~'59年05月30日(01~13話) ZZZ団の巻
 第二部 '59年06月06日~'59年08月29日(14~26話) メキシコの巻
 第三部 '59年09月05日~'59年11月28日(27~39話) フランケンとアトムの巻
 第四部 '59年12月05日~'60年02月27日(40~52話) アトム火星に飛ぶの巻
 第五部 '60年03月05日~'60年05月30日(53~65話) 気体人間の巻
        初期               中期               後期



第四部 アトム火星に飛ぶの巻(40~52話)で登場する軍服姿の鉄腕アトムです。飾緒のついた短いダブルのボレロジャケットです。スカーフはアスコットタイ風にして軍服の襟の中に入れています。原作と異なり、軍服はジャケットのみで、ズボンははかず、軍服の下はつなぎのパンツ、タイツ、ブーツのスタイルでした。kojiroさんご推薦の軍服姿のアトムの写真をネットから転用させていただきました。この時、鉄腕アトムを演じていた瀬川雅人は小学6年生でした。(1話:小学5年~65話:中学1年)


クリックするとオリジナルを表示kojiroさんに送っていただいたアトムの軍服姿の敬礼姿の飾諸がかっこいい幻の写真を掲載させていただきました。右の写真のように変色しているので完全な白黒に色調整いたしました。クリックするとオリジナルの写真を表示します。この写真はkojiroさんの知人の方から、20年以上前に光文社の御厚意により、図書室でコピーして頂いきkojiroさんに送っていただいた貴重なものです。kojiroさん、ありがとうございました。
クリックするとオリジナルを表示

クリックするとオリジナルを表示火星探検の巻の実写版とTVアニメのアトムの軍服姿を紹介したので漫画の軍服姿を紹介します。光文社のカッパコミックス鉄腕アトムの1964年2月号です。右がカッパコミックスの表紙です。この本の表紙の軍服姿のアトムは原作の姿と違いTVアニメとそっくりです。そんなことからも、表紙の絵はカッパコミックスのために書かれたものと思われるそうです。中の漫画は原作と同じだそうです。漫画、アニメともに、軍帽を被っていますが、実写では、被っていません。ヘルメットの上には被れなかったようです。

左が火星探検隊長に任命されたところです。マンモス博士の持っている鞄の中に、軍服が入っています。このマンモス博士を訪問した時の服装が、半ズボンを脱げば実写のアトム少佐に近いかもしれないそうです。
右がキャーペットをロケットから降ろそうとするアトムですが、この軍服が原作の軍服で、学生服のようです。ズボンも履き、ブーツインではありません。隊員と同じごく普通の軍服です。肩のエポレットのところに、フリンジがついていたような気がしていましたが、ついていませんでした。


キャーペットにレンコーン大尉に会わせられないと言っています。普通の結び方でネクタイをしています。実写では、アスコットタイのように結んでいます。漫画の原作では、これが一番アトム少佐の全身を示しているようです。

漫画の原作の宇宙人と戦った後のアトム少佐の敬礼姿です。詰襟ではありませんが、学生服風です。実写のアトム少佐の方は、飾諸がかっこいい短いダブルのジャケットでマフラーをアスコットタイ風に結んでいます。

記事のタイトルにふさわしい幻の写真をkojiroさんから送っていただきました。アニメ雑誌「少年」(光文社)の1960年正月号に掲載された手塚治虫先生と、実写版鉄腕アトムと、漫画のアトムのスリーショットの写真です。正月らしい「初ゆめ」の言葉が印象的です。実写版の鉄腕アトムがテレビで人気だったことが写真からも伝わってきます。1960年正月号が出版された1959年12月は丁度、フランケンの巻が終わり、火星探検が始まる直前であり、ロシアの人工衛星で、月の裏側の写真が撮られた頃です。
その時代を反映して、手塚先生が、「月の裏側が見える」と言っているように書き込まれているそうです。次の号は、火星探検隊長のアトム少佐の写真だったそうです。スリーショットは貴重で、テレビ 漫画史上に残る貴重な写真と思います。この時代にどのようにして才能のある子役を探したのか不思議でしたが、瀬川少年は劇団・コジカ座に所属していたことから鉄腕アトム役として抜擢されたそうです。


こちらは1960年4月頃、雑誌「コウロン」に掲載された手塚先生を紹介した記事です。記事のタイトルは「日本のディズニーをめざす男」です。
手塚先生を応援するために、1960年4月29日に向ヶ丘遊園で、鉄腕アトム大会が開かれ、数千人の子供があつまったと、本雑誌の記事に書かれていたそうです。ステージ上には瀬川少年演じるアトムが実写版の鉄人28号らしきロボットと対峙していて、ステージの周りには沢山の子供達が集まってい光景が写っています。この子供達がぎっしり集まっている事からも、実写のアトムの人気ぶりが判ると思います。記事の中には漫画のアトムも書かれています。
鉄人28号の実写版も同じプロダクションだったそうです。アトムの向こうに見えるのは、テレビ番組の監督かもしれないそうです。本写真および説明はkojiroさんから送っていただきました。
クリックすると拡大

kojiroさんに送っていただいたアトム友の会の募集記事です。募集記事は11月号か12月号で、写真は、フランケンの巻で、隼探偵を救うための血清を取り返そうとしていた時に、燃料が切れた時の写真と思われるそうです。テレビのカットではなく、雑誌「少年」用に撮影した写真と推測されておられました。マフラーと脚の長さを強調するように撮ったものと思割れるそうです。記事の記載内容を枠内に転記いたしました。
テレビの「鉄腕アトム」・瀬川雅人くんの後援会(アトム友の会)の会則が出来ました。「少年」とテレビの「鉄腕アトム」のファンなら、だれでも入会できます。会費は一カ月 三十円です。会員には、すてきな会員バッチをおおくりするほか、瀬川くんをかこむ会を三カ月に一回ひらいたり、撮影所を見学するなど、いろいろの行事をおこないます。入会したい人は会費をそえて、東京都中央区銀座西七ノ五・弥生ビル内 松崎プロ「アトム友の会」まで。
オリジナル表示オリジナル表示
クリックすると拡大

鉄腕アトムの実写版の記事を掲載にあたり、kojiroさんから、お宝写真やお宝資料を5つ送ってもらえたたので紹介します。
これは雑誌「少年」に載ったアトム友の会の募集の最後の案内です。1960年の4月号であろうとのことです。記事のなかの写真は第三部のフランケンの巻のようなので、1959年の写真と思われるそうです。これは、テレビフィルムから撮ったものだそうです。アトム大会が、4月24日に豊島園で行われると書かれていますが、実際には、コウロンにあるように、4月29日に向ヶ丘遊園と変更になったそうです。変更になったのは応募者が多かったのが理由ではないかと推測されていました。


これは雑誌「少年」に載った最後の実写版の鉄腕アトムの写真であろうとのことです。1960年の5月号前後であろうとのことでした。


宇宙船という雑誌の1981年夏号に載っていたアトムの写真です。左が、気体人間の巻で、田崎潤が天満博士でてでています。この時のフィルムは喪失しているそうです。第五部の気体人間の巻のネットで書かれている物語のあらすじを枠内に記載いたします。
アトムの両親が登場。アトムが宿題を忘れて居残りをさせられたりと日常風景も描いている。アトムがギャングに潜入した際にサングラスをかける場面がある。ヘルメット衣装を着けているため、耳たぶをかなり変形させてサングラスをかけていた。アトムに気体人間が乗り移り、悪人になったふりをする巻である。いまは無い「渋谷文化会館」のプラネタリウムや、渋谷駅前で撮影が行われている。
右は、最初のZZZ総統の時のプロテクターを装着したアトムがヘルメットを取った有名な写真です。


上と同じ宇宙船という雑誌の1981年夏号に載った写真で、火星探検の巻で、アトムを修理すべく、胸をあけているという珍しい写真が左下に載っています。


右の写真は雑誌「宇宙船」の1984年の8月号に載った火星探検のアトム少佐です。上半身しか映っていませんが、アトム少佐の雰囲気が感じられます。これは、レンコーンのロボットを呼ぼうとして、機械と接続したアトムが、ケチャップ大尉の操作で壊れてしまった後に、苦しみながら、ロケットから外に出ようとしているところだそうです。雑誌「宇宙船」の写真は、すべてフィルムから撮ったものだそうです。

右の写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、載った天満博士、お茶の水博士、アトムのスリーショットです。下の写真の左側も同じ雑誌に載った天満博士とアトムの写真です。
下の右側は1995年のリクルートの「ぼくらのヒットパレード1958-59 vol.1」に載ったアトムの写真で、確認できていないそうですが、ヘリコプターらしき乗物を操縦している写真です。アトムは自動車を運転していたのは有名ですが、ヘリコプターも運転したかもしれないそうです。有名なタイツのしわが見えます。ヘリコプタらしき乗物を操縦している写真以外は「気体人間の巻」の写真だそうです。乗物を操縦している写真は確定ではないそうですが、頭の形や服装からやはり「気体人間の巻」の可能性が高いそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

1978年に発行された「朝日ソノラマ:テレビ版 宇宙をかけるSFヒーローたち」に載っていた実写版鉄腕アトムの気体人間の巻の写真です。
左は瀬川少年のアトムが腕を伸ばして空を飛ぶ時の上半身を前から撮ったものです。気体人間の巻だけ人形ではなく本人で撮ったそうです。伸縮性のないレオタード風つなぎだったため、袖の先から腕の素肌が出ています。もっと長い手袋で、素肌が出ないようにすれば良いのにと思ったそうです。つなぎの下は、メカが見えず、メカの上に人工皮膚をつけて、その上に服を着ているという設定の面白い写真です。
右は気体人間に操らるフリをしたので、悪党の一味に加わり、貯水池の管理人親子を、襲うシーンだそうです。アトムがサングラスをかけています。ヘルメットがサングラスの柄と干渉するのでサングラスの柄がまっすぐでなく曲げられていたそうです。結構 サングラスが似合っていると思います。


実写版の鉄腕アトムをペン画で描いた画像を送っていただいたので紹介します。クリックすると少し拡大します。かぶっているヘルメットを取られることは実際にはあり得ませんが、実写版らしいイメージをとらえた一枚です。アニメとは違うことがわかります。
クリックすると拡大

知らなかったのですが実写版用の女の子の鉄腕アトムの写真が残されていました。
クリックすると拡大鉄腕アトムは1972年の最終回で異常発熱をする太陽にロケットとともに突入して鉄腕アトムの連載は終わりました。宇宙船から発射されたロケットが、隕石に当たって止まった為に鉄腕アトムは自らを犠牲にして地球を救ったのでした。太陽熱で溶けけ宇宙空間に漂っている鉄腕アトムは、宇宙人に救われて、右のアニメにあるように修理・改造されて鉄腕アトムとしての物語が1972年~1973年に続いたそうです。このときにコスチュームが変わっていたのですが、その理由は明かされていませんでした。
それはタイミングを見て、アトムが女の子だったことにする秘かな計画が手塚先生の頭の中にあったようです。
クリックすると拡大クリックすると拡大このときに実写版の女の子のアトムが計画されて右の3枚の写真が残っているのです。
真中と右は同じポーズですがコスチュームは違います。真中が最初のバージョンだと思われるそうです。皮膚をサーモンピンクにしていたのですが、肉欲的な感じがしたのか、ベージュに変えたようです。胸のプロテクターのボッチの数や、ヘルメットというか被り物の形も違っています。これらのコスチュームは手塚先生自身が極秘裏に製作を依頼したそうです。ただし実写版そのものの実現はなかったようです。頭の星型の部分に触るとタイムトラベルも出来たそうです。これらの写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、手塚先生が女の子のアトムを構想したことを紹介する形で載りました。
もともとの鉄腕アトム(左)も、そのモデルとなった天馬飛雄(中と右)も女の子のような感じでもありました。先入観なしで鉄腕アトムの知識もなく、アニメの子が女の子だと言われれば、信じてしまい天馬博士は女の子に飛雄という名前を付けた気になってしまいます。
 1980年 鉄腕アトム    1963年 天馬飛雄    1980年 天馬飛雄  

阪急宝塚駅 宝塚歌劇100周年 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
阪急宝塚駅の写真です。
2014年5月23日~28日まで関西に行っていました。実家が宝塚市の逆瀬川にあることから阪急電車と宝塚駅を紹介したいと思います。宝塚駅での写真や動画は5月26日と28日に撮りました。
ご存じの方は多いと思いますが、その宝塚には未婚の女性だけで構成された宝塚歌劇団があります。今年2014年は宝塚歌劇の初公演から100年目にあたります。宝塚歌劇団は1913年に宝塚唱歌隊の名で結成され同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称され1914年4月1日~5月31日の初公演から現在に至りました。宝塚歌劇団は阪急電鉄の一部門(阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部)で阪急電車とは縁が深く阪急電鉄でも宝塚歌劇100周年にともないラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」が運行されています。実は上の電車がラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」なのです。

宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされて、大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。その発車メロディーを動画で紹介いたします。プレーボタン( )をクリックしてみてください。
   今津線 発車メロディー         宝塚本線 発車メロディー
   鉄腕アトム              すみれの花咲く頃



ラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」の前後の先頭には宝塚歌劇100周年の金色のヘッドマークが取り付けられており側面も飾られていました。それぞれ1編成づつのため所要時間の短い今津線(14分)の方が、乗るチャンスも見るチャンスも多くなります。
  宝塚線 9000系(8両編成)1編成 35分 宝塚~梅田
  今津線 7000系(6両編成)1編成 14分 宝塚~西宮北口
クリックすると拡大

側面のラッピングの見やすい角度の写真も紹介いたします。劇場大階段とダンスシーンをピンク色でデザインされていました。7101の番号から、これは7000系車両で今津線であることが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

側面の金色の文字も紹介いたします。ラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」は2014年3月21日~2014年12月24日まで運行するそうです。デザインコンセプトは車体のマルーンカラーと同系色を基調としながら、ゴールドをアクセントに使用してシンプルな中にも宝塚歌劇のもつ華やかさを加えて列車全体から宝塚歌劇100周年の伝統と品格を感じてもらうことだそうです。


こちらの写真は西宮北口駅に到着した時に撮った写真です。上で紹介した宝塚方向の先頭車両と反対側(西宮北口側)の先頭車両になりますがデザインが若干違います。上では等身大のダンスの絵は1人でしたがこちらは2人でした。この時5月24日に初めてラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」に乗りました。
クリックすると拡大

ラッピングが行われたのは7000系と9000系ですが2013年に最新の1000系が登場いたしました。関東の家に帰宅した5月28日に宝塚→蛍池まで乗った列車が最新の1000系でした。こちらが1000系の社内の写真です。私自身は小学校4年(10歳)の夏に広島から神戸に引っ越してきてから関東に引っ越した37歳まで阪急電車にお世話になってきたこともあり、この色合がなつかしいです。
クリックすると拡大

こちらが連結部分です。取っ手に触れるだけで扉が開きます。
  編成     8両
  営業最高速度 宝塚線:100km/h 神戸線:115 km/h
  設計最高速度 130 km/h
  起動加速度  2.6 km/h/s
  減速度    3.7 km/h/s(常用最大) 4.2 km/h/s(非常)
  編成定員   1022名
  車両定員   121名(先頭車) 130名(中間車)
  車両寸法   全長 19000mm 全幅 2770mm 全高 4095mm
  車体材質   アルミニウム合金
  車両重量   Tc車:29.8t  M車:36.7t  M'車:33.3t  T車:25.9t
  軌間     1,435 mm
  電気方式   直流1,500V(架空電車線方式)
  編成出力   190kW×16=3,040kW(4077馬力 8両編成)
クリックすると拡大

宝塚駅構内を動画で紹介いたします。


新聞広告最初の大きな写真が1914年4月1日~5月31日に初公演で行なわれた歌劇「ドンブラコ」の写真です。ドンブラコは桃太郎をモチーフにした北村季晴作詞・作曲の歌劇で、1912年1月29日に楽譜が出版されたそうです。右の写真は初公演の新聞広告です。
宝塚歌劇は現在は年間公演数約1300回、観客動員数約250万人、歌劇団員総数約400人です。宝塚歌劇団の名前の沿革は次の通りです。昔の写真はすべてフリー百科事典Wikipediaから拝借いたしました。2014年の「ドンブラコ」再現公演の写真はネットのニュースから転用させていただきました。いずれもクリックすると拡大します。
 1913年 宝塚唱歌隊
 1913年 宝塚少女歌劇養成会 1914年4月1日~5月31日に初公演
 1919年 宝塚少女歌劇団(宝塚音楽歌劇学校の中の組織)
 1939年 宝塚少女歌劇団と宝塚音楽舞踊学校に分離
 1940年 宝塚歌劇団
 1946年 宝塚音楽舞踊学校を宝塚音楽学校に改称
写真:1914年公演 第1回公演「ドンブラコ」桃太郎
クリックすると拡大
  1919年練習風景    1928年公演        1930年公演
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
  1935年公演     1947年公演        1948年公演
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
  1951年公演       1951年公演       1954年公演
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
2014年公演 宝塚歌劇100周年「夢の祭典」 第1回公演「ドンブラコ」再現
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

清荒神に滝がありました。 龍王滝と不動明王 [宝塚]



兵庫県の宝塚は宝塚歌劇団の本拠地があることで有名です。実は宝塚は私の実家があるところで結婚するまで住んでいたところです。宝塚近辺には、今回紹介する清荒神をはじめとして中山観音や門戸厄神、売布神社などの神社やお寺があります。その中でも自然の中にある清荒神は最も気に入っていて宝塚に住んでいたころには頻繁に行きました。ところが恥ずかしながら、その清荒神に滝があることを知らなかったのです。あのころは立ち寄って、すぐに帰ってしまっていたことから境内も散策することはなかったのです。今回は、久しぶりに来たので境内をゆっくりと散策しました。それでも滝を見つけることはありませんでした。帰り際に山門の横の境内案内図を見て、初めて滝があることを知ったわけです。それが、上の写真の龍王滝です。高さ数mの小さな滝ですが清荒神の一番奥にある神聖な場所である雰囲気が伝わってきました。

滝の前では熱心に拝んでおられる方がおられました。私がここに来てから帰るまで、長時間、拝まれていました。清荒神の正式名は清荒神清澄寺で、平安時代の初め、宇多天皇の創意により創建されたそうです。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、今から1116年前の寛平8年(896年)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としたそうです。我々の間では「荒神さん」と呼んでいました。上で高さが数mと記載しましたがネットで調べたところ落差は10mだそうです。


上の写真の奥に説明の案内板がありました。その案内板には次のように不動明王が祀られている書かれていました。
 龍王滝・不動明王
 荒神川に掛る小さな滝を龍王滝という
 左側の岩盤をくりぬいたところに不動明
 王が祀られている

でも不動明王がみつかりません。滝つぼの左側の岩盤が削られているように見えるので滝つぼの写真を掲載いたします。でも写真の中に不動明王らしきものがないので、この場所ではないかもしれません。


もう一つの不動明王が祀られている候補の場所が、こちらの写真の奥です。洞穴のようになっているところに不動明が祀られている感じもしました。石の塔は十三重の供養塔です。


でも、なんとなく違う感じもしたので、撮った写真をもう一度見直して不動明王をやっと見つけることが出来ました。拝んでおられる方がいたので少し遠くから撮った写真が角度的に不動明王が、よく見えました。
右の写真の赤丸のところが不動明王の場所です。


滝の方にピントが合った写真なので、そんなにクリアーではないのですが、気になっていた不動明王の拡大写真を紹介いたします。実は冒頭の写真にも不道明王が写っていたわけです。


この境内案内図で清荒神に龍王滝があることを知り、探しに行ったわけです。この地図の一番右上の黄色い枠のところに「龍王滝」と書かれています。クリックするとネットの拡大案内地図が出るのでわかると思います。赤枠で現在地と書かれているところに、この境内案内図が立てられていました。


これが清荒神の山門です。この山門をくぐって右側に境内の地図がありました。三門形式に則った山門で、明治40年頃の建立と伝えられています。山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しているそうです。右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標があり、ここから奥が聖域の境内という雰囲気がありました。


清荒神の航空写真を紹介いたします。Aマークのところが龍王滝です。


清荒神の佃煮屋さん 花山椒も買ってきました。 [宝塚]


2012年7月19日掲載 タイトル : 清荒神の佃煮屋さん

2012年7月14日から18日まで会社の電力節電休暇を利用して関西に帰省していました。梅雨明けした7月17日には兵庫県宝塚市の清荒神(きよしこうじん)に行ってきました。清荒神は宇多天皇の創意により今から1116年前の寛平8年(896年)に開かれました。清荒神は火の神として信仰を集め、「荒神さん」の名で親しまれる清荒神清澄寺です。上の写真は拝殿です。
清荒神の参道には沢山のお店がありますが、その中で老舗の佃煮屋さんで、下記の佃煮を100gづつ7種類買ってきました。評判のお店で家族がよく買いに行ったことがありましたが私自身が買うのは初めてでした。
 あさり佃煮
 ちりめん山椒
 青実山椒
 山椒昆布
 きくらげ
 葉とうがらし
 しその実

これが7種類の佃煮です。家用の簡単なパッケージにしてもらいました。でも一枚一枚シールを貼ってもらえました。これはいいですね。この佃煮屋で有名なのが山椒と松茸です。今は松茸は季節ではないので山椒を中心に選んだわけです。


帰省先から7月18日の夕食で6種類を食べてみることにしました。「葉とうがらし」は今までもよく買って食べていたので次の6種類を器に入れました。 左上から順番に、ちりめん山椒、青実山椒、あさり佃煮、しその実、きくらげ、山椒昆布です。 
こちらの写真はクリックすると拡大写真が見れるように設定いたしました。
クリックすると拡大

こちらが新物の青実山椒です。なんとも言えないくせになる味です。


こちらが、しその実の佃煮です。


きくらげの佃煮はコリコリした歯ごたえで美味しい佃煮でした。これは初めての食感でした。


こちらが、ちりめん山椒です。


あさりの佃煮も紹介いたします、山椒昆布も食べたのですが、写真を撮り忘れました。食べた時に撮って追加いたします。


山椒昆布の写真を追加しました。今日(7月19日)も佃煮をいただきました。


こちらの佃煮屋さんは今から86年前の昭和元年(1926年)に創業した老舗で四季折々の厳選された素材を秘伝の醤油で、一昼夜かけて炊き上げているそうです。
お店を紹介いたします。
   店名 さん志ょうや本家
   住所 兵庫県宝塚市清荒神1-11-15
   電話 0797-87-2041
   営業 9:00~18:00
   休日 12月31日
   創業 昭和元年(1926年) 86年前
   HP  http://3408.jp/



2013年3月26日再掲載 タイトル : 花山椒も買ってきました。

また、実家の宝塚に行く機会があったので、前回、7種類の佃煮をさん志ょうや本家で買って、調べて気になっていた佃煮を買いに清荒神に行ってきました。気になっていたのが「花山椒」です。今回は「花山椒」「花きのめ」「山椒の実」「しそわかめ」「葉とうがらし」の5種類を買いました。この中で花山椒は100gが2940円と値段が高いので、これだけ50gとしその他は100g買いました。

これが「花山椒」です。
奈良県吉野で採れた花山椒です。山椒の花を一つずつ手摘みし、特製の醤油で炊き上げた物だそうです。独特の花の香りがまざった、噂通り美味しい一品でした。


これが「しそわかめ」です。
価格的には210円/100gと一番安いけれども、独特の食感と香りは素晴らしく家でも人気でした。鳴門などで取れた茎若布が使われているそうです。


こちらが「花きのめ」です。
山椒の花と葉を細かく刻んで、炊き上げたものだそうです。癖になる味です。


こちらが「山椒の実」です。
やわらかいうちに摘んだ、京都・夜久野産の山椒の実だけを使った佃煮だそうです。


しそわかめを入れてくれているところです。