古代エジプトとオリエントのエリア [ルーブル美術館]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
こちらがルーブル美術館(ルーヴル美術館)全体の見取図です。
大きく分けて、南側のドゥノン翼(DENON)と、北側のリシュリュー翼(RICHELIRU)と、東側のシュリー翼(SULIY)にと呼んでいます。建物は地下2階から3階まであります。
現在の建物は1546年から1880年の334年間に各世代の統治者によって建てられました。最も古い部分は467年前の1549年に建てられたことになります。昔は右下の図のように一番西側にリシュリュー翼とドゥノン翼をつなぐ建物(点滅している建物 3 5 8 11 14)がありました。1681年にルイ14世がフランス王宮をルーブル宮殿からヴェルサイユ宮殿に遷すまで、ルーブル美術館は王宮として使われていました。図をクリックすると建物の番号(NO)が判ると思います。
NO 建築年 フランス統治者
1 1546~1549年 フランソワ1世、アンリ2世
2 1559~1574年 フランソワ2世、シャルル4世、アンリ3世
3 1564~1570年 カトリーヌ・ド・メディシス
4 1566~1566年 カトリーヌ・ド・メディシス
5 1570~1572年 カトリーヌ・ド・メディシス
6 1595~1610年 アンリ4世
7 1595~1610年 アンリ4世
8 1595~1610年 アンリ4世
9 1624~1654年 ルイ13世、ルイ14世
10 1653~1655年 ルイ14世
11 1659~1662年 ルイ14世
12 1659~1664年 ルイ14世
13 1661~1664年 ルイ14世
14 1664~1666年 ルイ14世
15 1664~1666年 ルイ14世
16 1667~1670年 ルイ14世
17 1806~1811年 ナポレオン1世
18 1816~1824年 ルイ18世
19 1852~1857年 ナポレオン3世
20 1861~1870年 ナポレオン3世
21 1874~1880年 フランス第三共和政府
ルーブル美術館の航空写真も紹介します。上の図と比べて見てください。
先ずは各階の見取図から紹介したいと思います。
地下2階は美術館の入口であるエントランスとなっている大ホールがあるだけで展示は地下1階から3階です。大ホールからは次の3方向への入口がありますが、初めての方はモナリザなどの有名な絵画が展示されているドゥノン翼(DENON)への入口を入ることをお薦めします。
南側入口 ドゥノン翼 DENON
北側入口 リシュリュー翼 RICHELIRU
東側入口 シュリー翼 SULIY
地下1階です。ドゥノン翼にヨーロッパの彫刻とオリエント・エジプト美術とイスラム美術が展示されています。中世の遺構がシュリー翼にあります。
1階では主に古代美術が展示されています。今回の記事での紹介のは主にこちらになります。有名なミロのヴィーナスもこちらにあります。
2階の展示スペースは最も広いです。モナリザを初めとする有名な絵画が多数展示されています。
3階には絵画が展示されていていますが、見学者は2階に比べると少ないことから静かなエリアになっています。すでに紹介した絵画を模写している人も、こちらのエリアで多く見ることが出来ます。
古代エジプトエリアには地下の遺構を見学した後に入りました。そこから古代エジプトと古代オリエントの展示物を見学しましたが圧倒的な数に驚いたので、その多さを紹介したくて沢山の写真を掲載いたしました。
古代エジプトと古代オリエントは主に1階でしたが古代エジプトに関しては2階と地下1階の一部でも展示されていました。見取図をクリックすると2階を表示します。
エジプトエリアに入るとエジプトらしい沢山の石像に迎えられました。
貴重なものがガラスケースの中に並べられて展示されていました。どれも興味深いものばかりでした。
古代の生活がしのばれるようなものも沢山ありました。こちらは古代のエジプトの船です。
木で作られた器具も沢山展示されていました。
彩色された石板も沢山ありました。
こちらも石板です。
沢山の壺もありました。生活の中で使われたものだと思います。下が尖っているので地面に突き刺して使われたのかもしれません。
石で出来たもの木で出来たものです。
金属製の像も沢山展示されていました。
見事な品々でした。
打屋の写真の奥のガラスケースです。紀元前の物が見事に残されているのに驚かされます。
いろんなものが展示されていました。
木製の椅子なども今でも座れそうな状態で残っているのに驚かされました。タイトルには「Harpe cintrée」や「Harpe cintrée d'Imenmès, musicien du dieu Amon」と書かれていました。
楽器類も沢山ありました。これらの楽器は紀元前1550~1295年の間のものだそうです。
スフィンクスの石像は沢山展示されていました。その中の一つです。
小さなスフィンクスもずらりと並べられていました。誰かに似ている顔もありそうです。
大きな柱や石像が展示されているエリアです。
広い部屋に大きなものから小さなものまで展示されていました。
貴重な石板なのでしょうね。ガラスケースに入れられていました。
古代エジプトは1階と2階で展示されていました。それをつなぐ階段です。2階から1階に下りました。
一階に下りると中庭が見れました。中世にルーブル城の中心があったシュリー翼と呼ばれている場所です。地下に遺構があります。
こちらは棺(ひつぎ)だと思います。見事な絵が描かれていました。
鳥のような顔をしています。もしかしたら子供の棺かもしれません。
こちらにも沢山の棺が展示されていました。
石で出来た石棺も展示されていました。彩色された色が残っています。
このあたりから古代オリエントの展示です。
不思議な石の石像です。名前はFragment de cippe décoré d'un atlanteです。現在のシリアのHauranという場所で発見されたもののようです。
部屋の中央に置かれていた石像の説明板にはStèle funéraire d'une femmeと書かれていました。置かれていた場所から有名なものだと感じました。
こちらも皆さんから注目されていました。紀元前2世紀のCippus from Malta と呼ばれているもののようです。クリックすると台座の碑文が読めると思います。ただし読むことが出来るのは古代文字が判る人に限ります。
Sarcophage(石棺)と書かれていました。紀元前300年ごろの石棺です。
石で作られたものだ展示されているエリアでした。
螺旋階段で1階に戻りました。
石の壁に描かれたライオンの絵です。こちらも見事でした。
反対向きのライオンの絵も展示されていました。上とは左右対称に配置されていたのかもしれません。
こちらの部屋の周囲にも絵が描かれた石板が飾られていました。
園部屋の真ん中に神殿の柱の頂部の飾りが展示されていました。
上の写真の飾りがつけられた巨大な柱が60本以上使われていたことから巨大な建物だったことが想像できました。
飾りの部分を特別に拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
日本の土偶に似たものもありました。案内板にはStatue-récipient anthropomorpheと書かれていました。イランから出土したもののようです。
古代オリエントのものだ広い空間に沢山展示されていました。
不思議なデザインのものが多かったです。現代でも通用する見事なデザインです。
船の帆の柱でしょうか。木製の柱です。
不思議な石もありました。これはTable ornée de serpents et de divinités aux eaux jaillissantesです。少なくとも飾りの中にヘビがいました。紀元前14世紀と書かれていました。
曰くありげな黒い石です。こちらはStatue de la reine Napirasu, épouse d'Untash-Napirishaです。紀元前1340~1300年のものです。
上のStatue de la reine Napirasu, épouse d'Untash-Napirishaが部屋の中央に展示されていることが判ってもらえると思います。
ガラスのケースにも沢山展示されていました。
見事な壺です。
こちらのエリアでは石板が沢山飾られていました。
その中でも一番目立っていた石板です。
有名なものです。
これはサルゴン2世宮殿の飛牛とよばれています。教科書でみたことがあります。メソポタミアのアッシリア帝国のサルゴン2世が紀元前70年頃に作った宮殿に飾られていた彫刻です。
通路の両側に飛牛が置かれていると迫力があります。
別の角度から見た飛牛です。
飛牛は沢山展示されていました。
蛙のブロンズ像かと思いましたが、タイトルはStatue de lionと書かれていることからライオンの像の上半身のようです。紀元前2世紀初めのブロンズ像は珍しいのだと思います。
紀元前1792~1750年のCode de Hammurabi, roi de Babyloneです。有名なバビロンの王のハンムラビ法典の記念碑です。ハンムラビ法典はメソポタミア文明の象徴だそうです。紀元前18世紀にバビロンの王によって建てられた玄武岩製の背の高い碑は、聖書の律法以前に作られた最も完全な古代の歴史的著作と法令集だそうです。紀元前12世紀にイランにあった近隣の国エラムの王によって運び去られた記念碑だそうです。
ハンムラビ法典の記念碑の頂部の彫刻の部分を拡大いたしました。
ライオンの飾りです。これはTête de lion gardien de templです。
ギリシャ彫刻エリアに行く通路です。
古代オリエントのエリアからはギリシャの石像エリアに出ました。
そこからの外の景色です。今回の記事でルーブル美術館の記事を終了したいと思います。今までに掲載したルーブル美術館の記事を紹介します。タイトルをクリックすると記事を表示します。
・ホテルからのルーブル美術館までの景色 オペラ通り
・お掃除ロボット
・ルーブル美術館 モナリザ
・ルーブル美術館は若い人たちの歴史の勉強の場
・模写している光景も絵になっていました。
・ミロのヴィーナス
・ループル美術館の地下に埋もれていたものは
・ループル美術館で、あこがれのランチ
・絵画と石像だけではありませんでした。
・古代エジプトとオリエントのエリア
絵画と石像だけではありませんでした。 [ルーブル美術館]
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先日フランス旅行に行ったときに4日目にパリでルーブル美術館に行き、今までにいくつか紹介いたしました。ルーブル美術館では絵画ではモナリザをはじめとして沢山る名画があり、石像でもミロのブィーナスを筆頭に沢山の石像が展示されています。今回、館内を見学して絵画や石像以外に、装飾品や各種の器や小物なども沢山展示されていることを知りました。その雰囲気を感じていただきたくて本記事を掲載いたしました。こちらの入口を入っていくと、それらの装飾品や各種の器や小物などが展示されていました。
上の写真の部屋の天井にも見事な絵が描かれていたので紹介します。
入口を入ると王宮であったことを偲ばせる見事な部屋の中に展示されていました。
壁にはネックレスなどが飾られ、その下には小さな壺が並べられていました。かなり古いもののようでした。
古い時代のガラスの器も展示されていました。このようなガラスの器は貴重だったのだと思います。
さすが王宮だったので天井も部屋ごとに雰囲気が変わります。
コーナー部の飾りが見事だったのでし野心を撮りました。
見事な部屋に沢山の展示品がありました。
雰囲気を感じてもらいたくて見上げた写真も掲載いたしました。
沢山の部屋が連なっていました。
こちらの物はCasque votif en forme de pilosと書かれており紀元前350~325年のものようです。Casqueの言葉から、頭のかぶりものであることは分かりました。
上の頭の飾り物があった部屋の展示物です。
石の置物も展示されていました。こちらも降るそうです。
見事な金の置物です。こちらは紀元前874~850年の品物のようです。
Pendentif au nom du roi Osorkon Ⅱ: la famille du dieu Osirisと書かれていました。こちらは有名なもののようです。ネットで沢山出てきます。→ポチッ
同じ部屋に飾られていたものです。
同じ地域の同じ年代のものと推察しました。
これらの器も古いもので珍しいものだともいます。
こちらの部屋の天井は雰囲気が違っていました。
こちらには金の装飾品が並べられていました。
不思議な置物もありました。
金属の食器も沢山展示されていました。これ以外にも沢山の展示物がありました。限られた写真の紹介ですが雰囲気を感じてもらえたでしようか。
ループル美術館の地下に埋もれていたものは [ルーブル美術館]
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上の航空写真で黄色のライン(━━)で囲まれた中にある建物が全てルーブル美術館です。Google地図で計測した敷地の大きさは長さ700mで幅は336m(西)~206m(東)で広さは198,000㎡(19.8ha)です。世界で最も入場者数の多い美術館でもあります。赤色ライン(━━)が今回歩いた地下の遺構の場所です。
敷地面積 198,000㎡(Google地図計測)
展示スペース 60,600㎡
収蔵品数 380,000点以上
展示公開美術品 35,000点
来館者数 926万人(2014年) 世界1位
美術館として開館 1793年
建物の歴史の始まり 12世紀 ただし、これ以前は不明
ルーブル美術館は世界最大級の美術館(博物館)であるとともに世界最大級の史跡の一つでもあります。もともとルーブル美術館はフィリップ2世が12世紀に要塞として建設したルーブル城でした。その後、幾度となく増改築が繰り返されて、現在の建物となりルーブル宮殿として使われるようになりました。しかしながらルイ14世が1682年にヴェルサイユ宮殿を王宮に選んだことで、ルーブル宮殿は、宮殿としての役割を終わりました。その後のルーブル宮殿の主たる役割は、1692年以来収集されてきた古代彫刻などの王室美術品コレクションの収蔵、展示場所となりました。そして美術館として正式に開館したのは1793年でした。見取図→ポチッ
下記の絵はWikipediaに掲載されていたシャルル5世(在位1364年~1380年)時代のルーヴル城です。冒頭の地図で赤色マーク( )の場所に下記の建物がありました。しかしながら現在のルーブル美術館や周辺の地上で、要塞であった時代のルーブル城の痕跡を見ることが出来ません。
ルーブル城の発掘は1866年(ナポレオン3世時代)に行われましたが、本格的な発掘調査が行われたのは1984年~1986年です。ルーブル美術館の地下でもガラスのピラミッドを建設(1985年~1989年)する際に天守塔の土台や城壁や堀などが発見されて1989年からルーブル美術館の地下スペースで見学できるようになったそうでする。ここでは、その遺構を紹介したいと思います。
城壁などの遺構を見ることが出来る地下にはミロのヴィーナスの近くの、こちらの場所から入りました。
ミロのヴィーナスからエジプト関係の展示エリアへの地下通路が遺構なのです。通路はL型に曲がっています。最初の直線の景色です。
少し進んだ景観です。説明を聞いておらず私の感想ですが、左側が城の建物の基礎部分で、左が城壁のように見えます。
通路の左側の城壁です。城から見るとセーヌ川側の時様壁になります。
遺構はさらに地下深くにあり、その部分は床がガラス張りになっていました。
L字型の通路を曲がってすぐの景色です。やはり左側が城の建物の基礎部分で、左が城壁のように見えます。
通路の奥にエジプトエリアへの入口が見えます。
エジプトエリアの入口から振り返った景色です。
城の塔の土台と思われる部分を拡大いたしました。
入口を進んでから振り返った景色です。右の壁にLOUVRE SULLY MEDIEVALと書かれています。これからLouvre médiéval であることが判りました。
今回、見学したL字型の地下通路は下の案内板でLES FOSSÉSと書かれて部分です。今回見逃しましたが、今回見た以外にも沢山の遺構があることが判りました。最初に紹介した右のシャルル5世時代の絵のルーヴル城がここにあったことが判りました。右の絵はセーヌ川の対岸から描いた思われ、下記の案内板では左上の方向にセーヌ川があります。パリも14世紀ごろは田園風景が広がっていたことが右の絵から読み取れます。14世紀初頭のパリの人口は約8万人で、ヨーロッパ最大の都市でした。
案内板の①~④は次の通りです。
① Tour de Taillerie Bâtie par Philippe Auguste XII siècle
② Soubassement du corps de logis ajoutés par Charles V vers 1360
③ Pile du pont-levis de la porte orientale menant vera la ville
④ Tours de la porte orientale XII siècle
エジプトエリアに到着いたしました。数値はそれぞれで検索した時の件数で、数値が近いことから両方が使われている証拠です。"ルーヴル美術館"は正式で専門家に使われていて、"ルーブル美術館"は一般の人が使っている感じです。
"ルーブル美術館" 約460,000件
"ルーヴル美術館" 約573,000件
ミロのヴィーナス [ルーブル美術館]
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ルーブル美術館で一番人気があるのがモナリザだと思います。そして2番人気なのが今回紹介するミロのヴィーナス(ビーナス)ではないでしょうか。少なくとも石像においては一番人気は間違いないと思います。それだけに沢山の人が集まっていました。おそらく連休中や土曜日や日曜日となると、さらに沢山の人が集まるのだと思います。大きな部屋に一体だけは贅沢な置き方でした。
10年5ケ月前の2005年12月1日にもルーブル美術館をを訪れました。
その時の写真が右の小さな写真です。クリックすると大きな写真を表示します。同じ部屋ですがミロのヴィーナスが置かれていた位置は少し違っていました。2005年は部屋の中央でしたが、2016年の今回は中央の奥になっていました。より沢山の人が正面方向から見ることが出来るようにしたのだと思います。
広い部屋の中央奥に設置されているので、混んでいても全身が見えるタイミングはやってきます。検索数を比較してみました。
"ミロのヴィーナス" 約117,000件
"ミロのビーナス" 約50,600件
この写真のように周囲に柵が作られているので、前に進めば写真を撮ることが出来ます。ただし、周囲に沢山の人がいるので、正面から自分だけを入れた記念写真を撮るタイミングは難しいです。
柵のところからミロのヴィーナスを正面から撮りました。
高さ 203cm
材質 大理石
発見 1820年4月8日
作者 アレクサンドロス(Alexandros)
製作 紀元前130年頃(アレクサンドロスの活動時期)
上の写真はクリックすると拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
ミロのヴィーナスは古代ギリシアで制作された彫刻の女性像で、ギリシア神話におけるアプロディーテーの像と考えられています。
ギリシア語 Αφροδίτη της Μήλου
フランス語 Vénus de Milo
英語 Venus de Milo
ミロのヴィーナスの作者は紀元前130年頃に活動していた彫刻家のアンティオキアのアレクサンドロスと考えられていますが、彼の生涯については殆ど分かってないそうです。ただしデロス島から出土したアレクサンダー大王像もアレクサンドロスが造ったと考えられています。
そのミロのヴィーナスは1820年4月8日にオスマン帝国統治下のミロス島で発見され、その後にフランス人によって価値を見出されてトルコ政府から買い上げて、ルイ18世に献上され、ルイ18世はルーヴル美術館に寄付したそうです。
ミロのヴィーナスの顔をじっくりと見たことがなかったので、顔の部分を、さらに拡大いたしました。
正面以外の方向だと右のように記念写真を容易に撮ることが出来ます。下の写真は正面から見て左方向から撮ったミロのヴィーナスです。
ミロのヴィーナスが海外へ渡ったのは一度だけで、それも日本でした。1964年4月~6月に東京の国立西洋美術館と京都市美術館で特別展示が行われました。この時に日本への輸送時に一部破損が生じて展示までに急遽修復された経緯があります。
こちらは正面から見て右側から撮ったミロのヴィーナスです。
ミロのヴィーナスが発見されたミロス島の場所を地図で紹介します。
模写している光景も絵になっていました。 [ルーブル美術館]
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ルーブル美術館の絵画のエリアで下記の①と②の2つの光景をを紹介しました。ルーブル美術館の特徴が絵画を模写している光景に沢山出会えることなのです。他の美術館では、あまり見かけない風景です。上の写真は美術学校の学生たちが絵をスケッチしているところです。学生と判断したのは先生と思われる年齢の使途が指導していたからです。キャンバスはまだ真っ白で、書き始めたばかりのようでした。
① モナリザのあるエリア
② 歴史を感じるエリア
③ 模写の光景(今回の記事)
こちらは本格的に絵画を模写していました。朝の段階なので、この日に書き始めたとは考えられないことから、模写は何日もかけて行われていると思われました。左側の風景画を模写していました。
こちらでは女性画を模写していました。本格的な模写を行っているのはルーブル美術館でも特に静かなエリアで沢山見かけました。調べてみた結果、日本人が模写をするためには次の手順を踏むことで出来るそうです。
① 模写したい絵の希望をルーヴル美術館に伝える。
② ダメな場合は美術館の提案の中から選択する。
③ 日本大使館の推薦書と無犯罪証明書を入手する。
④ 許可されたら模写の出来る時間帯に行って模写する。
模写時間 月曜~金曜 9:00~13:30 (土日祝日は不可)
模写期間 一つの絵で3ケ月以内
模写料金 無料
その他 イーゼル(画架)と椅子とロッカーは借用可
このように静かなエリアではグループでスケッチをしに来ている人も沢山見かけました。
スケッチをしに来ている人たちは、一日だけなのだと感じました。家に戻って絵を描くのかもしれません。あるいは単なる勉強会なのかもしれません。
模写やスケッチが行われているすでに紹介したように静かなエリアです。本記事では、その静かなエリアに展示されていた雰囲気や絵画を紹介したいと思います。ここは偶然見つけた階段を登ってきた3階ノエリアです。もしかしたら見逃していたかもしれないエリアですが、見事な絵が並んでしました。
静かな雰囲気を感じてもらうためにエリアの写真を紹介します。
すでに紹介した2つの記事では大きな絵画ばかりを紹介しましたが、普通のサイズの絵が沢山展示されていました。
気になった絵があったので写真を特別に撮りました。アントワーヌ=ジャン・グロ(Antoine-Jean Gros)が描いたアルコレの戦いの絵です。描かれている人物はナポレオンです。1796年11月15~17日に行われたアルコレの戦いは、フランス革命戦争の戦闘の1つで、北イタリアのヴェローナに程近いアルコレ沼沢地周辺で、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、ヨーゼフ・アルヴィンツィ率いるオーストリア軍を破った戦いです。ドラマティックな効果を狙って、フランス軍がアルコレ橋を渡る際の戦闘が特に取り上げられています。
作者 Antoine-Jean GROS 1771年~1835年
作品 Bonaparte au pont d'Arcole 1796年12月15日
アルコレ橋上のナポレオン
他にも見事な絵が沢山ありました。
同じエリアですが、大きな部屋もありました。ゆっくりと鑑賞できるように部屋の真ん中にはベンチが置かれていました。
ルーブル美術館では小さいサイズになる絵も沢山ありました。
いろんな絵があることから沢山の作者の絵が展示されていたのだと思います。
不思議な雰囲気の絵もありました。
初期フランドル派の画家ヘールトヘンである・トット・シント・ヤンスが「ラザロの復活」を描いた作品です。
作者 Geertgen tot Sint Jans 1465年頃~1495年頃
作品 La Résurrection de Lazare (The Raising of Lazarus)
不思議な肖像画が沢山並んだエリアもありました。
見たことがある絵だったので撮りました。作者は不明ですがフォンテーヌブロー派の画家です。フォンテーヌブロー派ははフランス・ルネサンス期に宮廷で活躍した画家のグループですが、名の伝わらない画家が多いそうです。写真の絵は16世紀末の絵画「ガブリエル・デストレとその妹ビヤール公爵夫人」で、左の女性が右の女性の乳首をつまんでいる官能的なテーマでフォンテーヌブロー派を象徴していることから様々に引用されて有名な作品ですが、やはり筆者は不明なのです。
作者 École de Fontainebleau フォンテーヌブロー派
作品 Portrait Présumé de Gabrielle d'Estrées
ガブリエル・デストレとその妹ビヤール公爵夫人
こちらも静かに鑑賞できる空間でした。
こちらは大きな絵が多くありました。
こちらはウスターシュ・ル・シュウール(Eustache Le Sueur)の作品です。ル・シュウールの作品としては、これ以外に、ガニュメデスの誘拐、キリスト降架、受胎告知がルーブル美術館にあるそうです。
作者 Eustache Le Sueur 1616年~1655年
作品 La Prédication de saint Paul à Éphèse 1649年
エフェソスでの聖ペテロの説教
不思議な雰囲気の絵画でした。
地域 PROVENCE
作品 Le Retable de Thouzon
このプロヴァンス派の傑作は、長い間作者不詳でしたが、同じ場所にあるカルトジオ会修道院のために、1453~1454年頃に描かれた聖母戴冠の作者アンゲラン・カルトンの作と特定されたそうです。
作者 Enguerrand QUARTON
作品 La Pietà de Villeneuve-lès-Avignon 1455年
ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンのピエタ
今回のルーブル美術館の訪問の10年5ケ月前の2005年12月1日にルーブル美術館に来たときも模写をしている人を沢山見かけました。その時の模写をしている光景を3枚紹介します。
これは、かなりの大作です。正面の絵ではなく右の壁の絵を模写しています。
絵の勉強をしているのでしょうね。
コーナーに近いところの小さな絵を模写されています。
ルーブル美術館は若い人たちの歴史の勉強の場 [ルーブル美術館]
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ルーブル美術館に9時30分に入館してモナリザの絵を見た後は、目的の一つを見たので、そのあとはじっくりと絵を鑑賞できました。
落ち着いて見ると見事な絵が沢山並んでいることが判りました。
上の写真で柱がある部分の天井は見事な装飾が咲けていました。是非ともクリックしてもらいたいです。
このあたりは宗教画が多く飾られていました。
見覚えのある絵は写真を撮りました。同時に右の写真のように説明カードも写真を撮りました。クリックすると拡大します。
作者はREMBRANDT van Rijn(1606年~1699年)で、女性の絵のタイトルはPortrait d'Oopjen Coppitで、男性の絵の方はPortrait de Maerten Soolmansです。
どちらの絵も1634年に描かれたものです。
大きな部屋に見事な作品が並んでいました。
上の写真の秘儀側の壁の作品です。
小部屋も沢山あり、そこにも作品が並べられていました。
人が写っていると作品の大きさや天井の高さが実感してもらえると思います。
その天井は見事な絵と装飾で飾られていました。是非ともクリックしてもらいたい写真の一つです。
天井近くまで絵画が展示されていました。
ルーブル美術館は宗教画と同時に戦いを描いた作品も多くありました。特にナポレオン(1769年~1821年)を描いた作品は多かったです。ただし、これはナポレオンの時代より遥か前の作品です。
作者 Salbator ROSA 1615年~1673年
作品 Bataille héroïque 1652年
寸法 2.14m x 3.50m
赤い壁の部屋は戦いを描いた作品が多くありました。歴史的な意味合いを感じる作品も多かったです。
この作品も教科書で見かけた気がします。説明書きから1830年7月27~29日の3日間に起こったフランス7月革命を題材とした作品のようです。フランス7月革命は「栄光の三日間」と言われている市民革命です。作品は革命のあった年である1830年に描かれました。1999年に文化財海外交流展の一環として、東京国立博物館に1ヶ月間貸し出され、代わりに日本からはフランスに法隆寺の百済観音像が貸し出されました。フランス国外に貸し出されたのは、イギリス・アメリカ・日本の3ケ国のみです。
作者 Eugène DELACROIX 1798年~1863年
作品 Le 28 Juillet. La Liberté guidant le peuple
民衆を導く自由の女神 or 民衆を導く自由
種類 キャンバス、油絵
寸法 2.59m × 3.25m
この赤い壁のエリアは沢山のグループで説明が行われていました。
こちらが説明している作品で、Wikipediaで取り上げられるほどフランスでは有名な作品でした。日本語では「メデューズ号の筏」と呼ばれている作品です。フランスロマン主義派のテオドール・ジェリコーによる油彩画でフランスロマン主義の象徴的作品だそうです。これは実物大の絵画です。
フランス海軍のフリゲート艦メデューズ号が1816年7月5日にモーリタニア沖で座礁し、少なくとも147人の人が急ごしらえの筏で漂流し13日間でほとんど死亡し、15人だけが生き残った事件で、フランス復古王政の当局指揮下にあった軍指揮官の無能を世間に知らしめる作品にもなったそうです。
作者 Théodore GÉRICAULT 1791年~1824年
作品 Le Radeau de la Méduse 1818年~1819年
メデューズ号の筏
種類 キャンバス、油彩
寸法 4.91m × 7.16m
若い人が多かったことから、多くが歴史の授業の一環のように感じました。みんなリラックスして長時間の説明を聞いていました。
このエリアで最も大きいな絵がこちらでした。ルーブル美術館全体でも2番目の大きさです。作者のジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)は、フランスの新古典主義の画家で、18世紀後半から19世紀前半にかけて、フランス史の激動期に活躍した新古典主義を代表する画家です。この作品は1806年~1808年に描かれました。作品は1804年12月2日にノートルダム寺院で行われたナポレオン・ボナパルトの戴冠式の様子を描いたもので、先に戴冠したナポレオンが、皇妃ジョゼフィーヌに戴冠する場面のようです。Louis Davidは1801年にはアルプスを越えるナポレオンの絵も描いています。ちなみにルーブル美術館で一番大きな絵はモナリザの正面の壁に飾られている「カナの婚礼」(6.66m × 9.90m)です。
作者 Jacques-Louis DAVID 1748年~1825年
作品 ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠
種類 油彩
寸法 6.21m × 9.79m
戴冠式の絵のナポレオンとジョゼフィーヌの部分を拡大いたしました。
沢山の人がゆったりと絵画と歴史を楽しんでいました。
見覚えのある絵の前に人が集まっていました。
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルの代表作であるGrande Odalisque(グランド・オダリスク / 横たわるオダリスク)です。この絵はナポレオン1世の妹でナポリ王妃のカロリーヌ・ボナパルトによって製作依頼され描かれたそうです。今までの常識から一脱していたことから1820年代半ばまで批判されつづけたことでも有名な作品です。新古典主義からの離脱しエキゾチックなロマンティシズムへの転換を示しことから代表作と言われるまでに高い評価を受けるようになりました。
作者 Jean-Auguste-Dominique INGRES 1780年~1867年
作品 Une odalisque, dite La Grande Odalisque 1814年
ルーブル美術館 モナリザ [ルーブル美術館]
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2016年5月08日(日) 16時50分(予定17時10分)にパリのシャルルドゴール空港到着し、翌日の5月9日にモンサンミッシェルに行き、5月10日の夕刻にパリに戻って来たので5月11日から本格的なパリおよびパリ近郊の観光となりました。5月11日に最初に行ったのがルーブル美術館でした。モンサンミッシェルで21の記事を書いたことからパリの報告が遅れましたが、これから掲載していきたいと思います。
開館時間に合わせて9時にルーブル美術館の入口のガラスのピラミッドに着くと、すでに行列が出来ていました。左の方の列は、すでにチケットを持っている人たちです。右側の列が中でチケットを買う人たちの列です。我々は事前にチケットを買っていないので右側の列に並びました。
5月08日 JL415移動 CDG空港16時50分到着 パリ市内散策
5月09日 モンサンミッシェル
5月10日 モンサンミッシェル
5月11日 パリ市内散策(ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門)
5月12日 ベルサイユ宮殿 パリ市内散策
5月13日 ロワールの城めぐり
5月14日 パリ市内散策 CDG空港21時55分出発
5月15日 JL416移動 成田空港16時30分到着
こちらが中でチケットを買う人たちの列です。開館時間の9時になるとチケットを持っている人を優先して中に入れることから、我々は9時になっても少し待つことになりました。
列が動き始めたのは9時10分ごろでした。入口で荷物検査をしてピラミッドの中に入ります。
やっとピラミッドの中に入りました。この時9時26分でした。
この螺旋階段を下りてきました。ここが地下1階になり、チケット売り場もここにあります。
こちらのエントランスではありませんが、近い場所には逆ピラミッドがありました。
上の写真はエントランスと同じ地下1階のフロワーにありました。
ルーブル美術館の見学後に、記念写真を撮るのにいい場所でした。いつも娘は髪を束ねているけれども、この時は外して撮ってみました。
後ろにデパートPRINTEMPS Du LOUVREの文字が読み取れます。
こちらでチケツトを買います。価格は15€でした。
こちらがチケットです。チケットは待たずにすぐに買えました。チケットには9時28分と刻印されています。
チケットの表と裏を紹介します。2秒ごとに裏が切り替わります。
モナリザの絵は込み合うと聞いていたので、先ずはモナリザの絵を目指しますが、人は多くないのでゆっくりと鑑賞しながら目指しました。1階(欧米流の言い方では0階)に上がると彫刻が置かれた広い通路がありました。
この通路の奥に2階に上がる階段がありました。
彫刻の通路の奥に階段があり2階に上がりました。階段の途中に教科書にも出てくる有名な彫刻が飾られていました。
その彫刻は古代ギリシアの傑作であるサモトラケのニケです。サモトラキ島に存在する偉大な神々を祀った神殿の上方に、女神像が立っていました。この女神像は、船の前部のような形をした奇妙な石の土台の上に置かれていました。
2階に上がって最初にあった大きな部屋の天井です。
その部屋に飾られていた絵です。ルーブル美術館の絵画は宗教画が多かったです。こちらはアレッサンドロ・フィリぺーピ(通称ボッティチェリ)のフレスコ画です。このフレスコ画はメディチ家の縁戚に当たるトルナブオーニ家のものであったフィレンツェ近郊の大邸宅ヴィッラ・レンミに元あったものだそうです。このフィレンツェの有力な名家の一員が結婚した際にボッティチェッリはこの装飾画の注文を受けたと考えられているそうです。若い婦人はナンナ・ディ・ニッコロ・トルナブオーニであると思われています。三美神に付き添われたヴィーナスは、若い花嫁が差し出す布の中に贈り物を置こうとしているところです。
作者 アレッサンドロ・フィリぺーピ 1445年頃~1510年
作品 三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人
寸法 2.11m x 2.83m
次の部屋の天井です。さすが宮殿であったことから美術品で毛でなく建物も見事でした。
その部屋に飾られていた絵画です。こちらの部屋の絵も宗教画でした。
絵画が沢山飾られた通路に出ました。この通路の途中にある部屋にモナリザが展示されています。
通路に飾られていた絵画です。
通路にはゆっくり出来るようにソファーも置かれていました。
ルーブル美術館内は自由にし野心を撮ることが出来ます。
こちらの絵の作者はアントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(Antonio Allegri da Correggio 1489年~1534 年)です。
長い通路に沢山の絵画が飾られていました。
この広い部屋の中央の壁にモナリザの絵がだけが一枚飾られていました。まだ人が少ない時間帯でしたがモナリザの絵の周りだけ人が集まっていました。
実は2005年12月1日にもルーブル美術館に来たことがありましたが、その時は小さな部屋に展示されていて、モナリザはし野心撮影が禁止されていました。ただし他の絵画のほとんどの写真撮影は許されていました。
モナリザの絵は大きなガラスケースに入っていました。このガラスは防弾ガラスだそうです。少し色が付いているのでフラッシェなどの光からも絵を守っているのだと思います。見学した範囲ではありますがカラスで守られていたのはモナリザの絵だけでした。それだけ特別な存在なのだと思います。
こちらが謎めいた微笑みで有名なモナリザです。
作者 レオナルド・ダ・ヴィンチ
製作 1503年~1519年頃
種類 ポプラ板に油彩
寸法 77cm × 53cm (30in × 21in)
絵の部分だけアップいたしました。ただし、少し露出の違う写真を掲載させていただきました。ただし、上の写真の方が実際の色合いに近かったです。
モナリザの絵の正面の壁には大きな絵が飾られていました。作者はPaolo Caliariで作品名はLes Noces de Canaです。この絵がルーブル美術館で最も大きな絵画です。2番目は「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」(6.21m × 9.79m)です。
作者 Paolo Caliari 1528年~1588年
作品 Les Noces de Cana カナの婚礼 1562年~1563年
寸法 6.66m × 9.90m
モナリザの絵の壁の裏です。左の壁の裏にモナリザが飾られています。
こちらは裏のエリアに飾られていた絵画です。
モナリザの絵が展示されているエリアからの屋外の景色です。カルーゼル広場(Place du Carrousel)です。
右の奥にルーヴル美術館の中庭であるナポレオン広場 (Cour Napoléon)が広がっていて、中央にガラスのピラミッドがあります。
お掃除ロボット [ルーブル美術館]
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ルーブル美術館の中庭であるナポレオン広場 (Cour Napoléon)の中央にガラスのピラミットがあることをご存知の方は多いと思います。上の写真はフランス旅行4日目の朝の開館時間9時の写真です。
このピラミッドが1989年に完成して以来、ルーブル美術館のメイン・エントランスとして使用されています。このピラミッドの名前はズバリ、Pyramide du Louvreです。直役だと「ルーブルのピラミッド」ですが略してルーヴル・ピラミッドと呼ばれています。歴史的な建造物に囲まれた場所に近代的な建造物に違和感を感じる方も多いと思います。実際にルーヴル・ピラミッドの建設は賛否両論で大きな波紋を呼んだそうです。古典的建築物に近未来的な大建造物は相応しくない意見と、中世と未来の建造物が融合されたと賞賛する意見です。新しいように見えますが、もう27年も経っています。賛否両論の結論が出るのは、さらに長い年月が必要な気がします。
下の写真は成田からパリに到着した夕刻にセーヌ川やルーブル美術館の周辺の散策に出た時に撮った写真です。きれいな景観を見ていると賛否両論のことは忘れてしまいます。こちらは1日目の21時42分の写真です。
ルーヴル・ピラミッドは、ガラスを主材料としており、高さは20.6mで底辺は35mで603枚の菱形のガラス板と70枚の三角形のガラス板で構築されています。いつもピカピカで、さぞかし掃除が大変だと思いました。
ルーブル美術館に入るために並んでいるとピラミッドのガラスにクモのようなものが張り付いて動いているのに気が付きました
どうやらピラミッドのガラスを自動で拭く「お掃除ロボット」のようです。ケーブルとホースがつながっています。
実は「お掃除ロボット」を最初に見つけて写真を撮ったのがこちらです。つまりガラスのつなぎ目の線に平行に登って行くところだったのです。この写真の位置から2枚上の位置まで移動するのに42秒のスピードでした。
次の写真がこちらです。上の写真ょリ少し高いところに行っています。
お掃除ロボット(ガラス拭きロボット)を拡大いたしました。確かにこれならばいつもピカピカです。これを見ていると、最近は家庭用の「窓拭きロボット」を思い浮かべてしまいます。ただしルーブル・ピラミッドのガラス拭きロボットは驚くほどの価格でしょうね。クリックするとキャタピラ推進であることが判ります。
ホースのつながっている先が気になったので撮った写真の中で探してみました。写真の右下にホースがつながった機械が写っていました。
その機械の部分を上の写真から切り取りました。不鮮明ですが、なんとなく機械の雰囲気が判ると思います。
名前はRobosoftです。動画を見つけました。→ポチッ
お掃除ロボツトのおかげでピラミッドの地下のエントランスは明るかったです。後日、ルーブル美術館の中を順番に紹介したいと思います。
ルーブル美術館の中からもお掃除ロボットをみることが出来ました。
動画を見つけました。下の動画のものは12年前の開発当初(2004年)のRobuglassと呼ばれているお掃除ロボットのようです。現在のものはもう少しコンパクトです。
こちらのRobosoftは現在のものに近いです。 →ポチッ
昔は人間が登ってガラス拭きをしていました。→ポチッ
ホテルからのルーブル美術館までの景色 オペラ通り [ルーブル美術館]
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フランス旅行4日目の最初の訪問場所はルーブル美術館です。ホテルからルーブル美術館までは歩いて15分の距離で開館は9時からなのでホテルを8時45分に出発いたしました。
ホテルからはオペラ通りを真っすぐに向かいます。
ホテル
ルーブル美術館(ガラスのピラミッド)
━━ ホテル→ルーブル美術館
9時少し前と言うことで車が沢山通っていましたがワンちゃんを散歩させている人もおられました。
ワンちゃんを拡大いたしました。
オペラ通りに出ました。平日(水曜日)のため朝のオペラ通りの通勤風景です。斜めに右奥に行っている道はサンロック通り(Rue Saint-Roch)です。
上の写真と似た構図ですが、ビルの形が違うので別の場所だと判ると思います。こちらの斜めに右奥に行っている道はピラミッド通り(Rue des Pyramides)です。
さらに進むと、また似た構図の場所がありました。こちらの斜めに右奥に行っている道はエシェル通り(Rue de l'Echelle)です。
道の奥がルーブル美術館です。ルーブル美術館に向かう道はローアン通りです。
トンネルのある建物がルーブル美術館です。
トンネルの前まで来ました。このトンネルの向こう側がルーブル美術館の中央の広場です。
トンネルの秘儀側の景観です。
こちらは左側の景観です。
トンネルを通って中央の広場であるカルーゼル広場(Place du Carrousel)に入ると、ルーヴル美術館の中庭であるナポレオン広場 (Cour Napoléon)の中央にルーブル美術館への入口のガラスのピラミッドが見えてきました。沢山の人が並んでいます。左の方の列は、すでにチケットを持っている人たちです。右側の列が中でチケットを買う人たちの列です。我々は事前にチケットを買っていないので右側の列に並びました。
開館 09:00
閉館 18:00(月・木・土・日) 21:45(水・金)
休館 火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
料金 15ユーロ
無料 ①10月~3月の第1日曜日 ②7月14日(フランス革命記念日)
③18歳未満 ④26歳未満金曜日18時以降