上総(かずさ)の出世観音 [養老渓谷]
昨年、27年前に千葉県に引越してきて初めて、千葉県の養老渓谷を歩いたことを報告させていただきました。報告が一つ残っていた本記事を掲載いたします。すでに紹介した中瀬遊歩道の入口近くから真っ赤な趣のある橋が見えたので気になったので調べてみると出世観音である立國寺(りっこくじ)へ行く参道の入口の観音橋でした。
さっそく出世観音・立國寺に行ってみることにいたしました。観音橋の入口です。観音橋は2連の太鼓橋で朱塗りの欄干がシンボル的存在のようです。下を流れているのは養老川です。
観音橋が2連の太鼓橋であることがはっきりとわかってもらえると思います。
観音橋の上から上流方向を見た景色です。このように紅葉した養老渓谷を見ることが出来ました。ここから中瀬遊歩道が養老渓谷沿いに続いています。
最初に航空写真の黄色のライン(━━)の中瀬遊歩道を歩き、不思議な隧道の共榮トンネル / 向山トンネルを見た後、中瀬遊歩道を戻ってきて、青色ライン(━━)の参道を登って行きました。参道を順に紹介したいと思います。
出世観音・立國寺
観音橋
弘文洞
嵯峨和 宿泊した旅館
━━ 出世観音・立國寺への参道
━━ 中瀬遊歩道
観音橋を渡ると写真の道を登って行きます。
対岸に渡ってから振向いて観音橋を見た写真です。
このような道を登って行きます。
紅葉の季節だったので木々の中に紅葉したモミジが映えていました。
紅葉したモミジはきれいでした。
アップした紅葉もきれいでした。写真を撮ったのは2015年12月8日でした。養老渓谷は紅葉が遅いことで有名なのです。これから養老渓谷に紅葉を見に行くときの参考にしてください。
黄色の紅葉もきれいでした。
進んでいくとトンネルがありました。
不思議とトンネルはワクワクします。
最後の上り坂です。上に上がると開けていることが分かりました。
正面が出世観音・立國寺です。
出世観音の由来が書かれた説明板が建てられていました。養老山聖天院・立國寺と書かれています。クリックすると説明が読める大きさに拡大いたします。
説明文によれば源頼朝(1147年5月9日~1199年2月9日)が、治承・寿永の乱の初期の戦いである石橋山合戦(1180年9月14日 / 治承4年8月23日)に敗れた後に船で逃れて約8日間ほど過ごした安房国(あわのくに)および上総国(かずさのくに)の地にて観音像に戦勝を祈願して、三浦義澄、上総介広常、千葉介常胤、小山朝政、下河辺行平、安西景益などの助けにより、先ずは下総(しもふさ)に集結して、関東に攻め入り、最後に天下を平定した由来にちなんで出世観音と命名したそうです。安房(あわ)+上総(かずさ)は現在の房総半島になります。
源頼朝挙兵 治承4年
① 08月17日 挙兵・山木館襲撃
② 08月23日 石橋山の戦い
③ 08年26日 衣笠白の戦い
④ 08年28日 真鶴岬出航
⑤ 08月29日 安房国着
⑥ 09月17日 千葉常胤参陣
⑦ 09月19日 上総広常参陣
⑧ 10月06日 鎌倉着
⑨ 10月14日 富士山麓の戦い
⑩ 10月20日 富士川の戦い
以仁王の挙兵令旨(1180年5月4日ごろ) - 石橋山(1180年9月14日) - 波志田山 - 衣笠城 - 鎮西反乱 - 熊野動乱 - 市原 - 結城浜 - 鉢田 - 富士川 - 金砂城 - 美濃源氏挙兵 - 近江攻防 - 伊予蜂起 - 南都焼討 - 墨俣川 - 横田河原 - 北陸出兵 - 野木宮 - 火打城 - 般若野 - 倶利伽羅峠 - 志保山 - 篠原 - 水島 - 福隆寺縄手 - 室山 - 法住寺 - 宇治川 - 粟津 - 下津井 - 沼田城 - 三草山 - 一ノ谷 - 三日平氏 - 藤戸 - 葦屋浦 - 屋島 - 志度 - 壇ノ浦(1185年4月25日)
以仁王 : もちひとおう 1180年9月14日 = 治承4年8月23日 です。
出世観音・立國寺に近づいて撮った写真です。命名の由来は源頼朝の観音像への戦勝祈願であり、沢山の人たちが馳せ参じた形勢逆転の場所はありますが、寺自体はそれほど古いものではないようでした。ただし評判のパワースポットの雰囲気がありました。観音橋を渡り、参道のトンネルを通って出世を祈願する値打ちがありそうでした。
寺の敷地内には小さな社(やしろ)や祠(ほこら)が沢山ありました。右は「堅牢大地神」で左は「荒熊大僧天王」です。勧請(かんじょう)は分霊を他の神社に移すことをいうそうです。
こちらは「倶梨伽羅龍王」です。こちらにも頭に勧請の文字が書かれていました。
こちらの社はわかりませんが南無出世観世音菩薩と書かれた幟が印象的でした。
左は金白龍王を祀った社で、左は大黒龍王、大白竜王、大青龍王、大黄竜王を祀った社のようです。
今までの養老渓谷で紹介した場所を改めて紹介します。
・養老八景
A 金神の滝 B 粟又の滝 C 水月寺 D 筒森もみじ谷 E 懸崖境
F 弘文洞跡 G 観音橋・出世観音 H 梅ケ瀬渓谷
・ハイキングコース→ポチッ
①中瀬遊歩道を含む養老渓谷一周コース F G
②滝めぐりコース A B C
③大福山・梅ケ瀬コース H
青色ライン ━━ 養老渓谷周辺の養老川の本流
緑色ライン ━━ 夕木川(別名:蕪来川) 弘文洞から養老川に流れ込む川
紫色ライン ━━ 養老川の支流 上流は梅ケ瀬渓谷
青色ライン━━の養老川の本流は驚くほど蛇行していますが、全般的には南南東から北北西に流れています。川の蛇行が多いので本地図の川の流れを入力するのは時間を要しました。養老川は五井のあたりで東京湾に流れ込みます。
上の地図で灰色の枠で囲った部分を拡大した地図です。
粟又の滝(あわまたのたき)
金神の滝(こんじんのたき)
名前の無い滝
千代の滝
万代の滝
━━ 0.4km 駐車場→金神の滝
━━ 1.4km 金神の滝→粟又の滝への降口
━━ 0.3km 降口→粟又の滝
━━ 2.7km 滝めぐり遊歩道・往復
━━ 0.2km 粟又の滝→降口
━━ 1.1km 粟又の滝への降口→ごりやくの湯→駐車場
こちらが上の地図の粟又の滝自然遊歩道の写真です。
そしてこちらが金神の滝(こんじんのたき)です。クリックすると滝が分かると思います。
こちらは粟又の滝(あわまたのたき)です。
こちらが中瀬遊歩道にある弘文洞 (こうぶんどう)です。
紅葉の 粟又の滝自然遊歩道 [養老渓谷]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
先日、紹介した粟又の滝(あわまたのたき)を見たあとは、養老川沿いの「粟又の滝自然遊歩道」、またの呼び名である「滝めぐり遊歩道」歩きました。上の写真は粟又の滝自然遊歩道で最も紅葉がきれいだった場所の一つです。
下記の地図で紫色の━━+━━が約1.9kmの粟又の滝自然遊歩道です。事前に調べてこなかったこともあり、歩いていて、どれほどの距離があるか判らなかったことから途中でUターンして粟又の滝に戻りました。したがって粟又の滝からUターン場所までの━━を順に紹介したいと思います。地図に紅葉のマークを使う時はこちらです。→ポチッ
粟又の滝 (右の写真)
名前の無い滝
千代の滝
万代の滝
幻の滝
━ 粟又の滝自然遊歩道 踏破ルート
━ 粟又の滝自然遊歩道 未踏ルート
遊歩道の出発地点を対岸から撮った写真です。右の方が下流になります。
上の写真で青色の服の人ががるいている場所を遊歩道から撮ったものです。この写真のように川が右側にある写真はすべて歩いていく方向(進行方向)の写真と理解してください。左側に川がある場合は振り返って撮った写真です。
歩き始めてすぐに川の対岸に小さな滝がありました。上の地図のマークで、名前は無い滝のようです。
名もない滝( )と紅葉の写真です。
対岸に紅葉が見られました。
川にかぶされようなもみじの紅葉の景観も見事です。
少し進んで振り返って上流方向を見た景色です。
遊歩道の一部が飛び石になった部分があります。水が右上から流れ落ちてくる時があるようです。
水はほとんど流れていませんでしたが、ネットで調べた結果、実はこの場所が千代の滝( )のようでした。落差は8mだそうです。
趣のある景色が続いていました。紅葉はところどころで見受けられました。
向こうから沢山の人が集団で歩いてきました。
上の写真を拡大したものですが、後ろから歩いてくる人のところが、先ほどと同じように飛び石になっていることが分かってもらえると思います。この飛び石の左奥に万代の滝( )があるのです。
こちらが万代の滝( )です。この滝のことを千代の滝と書かれている記事も沢山出来きましたが、比較検討した結果、こちらの滝が、万代の滝であるとの結論に達しました。
万代の滝に近づいてみました。落差は10mだそうです。今回は行けませんでしたが遊歩道沿いには落差20mの昇龍の滝と落差4mの見返の滝もあります。
万代の滝の前の遊歩道の飛び石がはっきり写った写真があったので紹介します。この飛び石の右奥に万代の滝があります。
遠くに紅葉が見えます。
川の中の岩の上からズームで撮りました。
上の写真の同じ場所を撮っています。
紅葉の場所に近づきました。
遊歩道に粟又の滝から距離を示す用事が埋め込まれていました。
これが遊歩道に埋め込まれていた、粟又の滝から500mの表示版です。
実は粟又の滝自然遊歩道の中で500mから800mの紅葉が圧巻でした。その紅葉を紹介いたします。
ここの紅葉は見ての通り、見事な色を見せてくれていました。
落葉した木の枝と紅葉の景観も見事でした。
一面が紅葉に覆われていました。
濃い赤色の紅葉も見事でした。
さらに濃い真っ赤な紅葉です。
黄色の紅葉も見事です。
振り返った紅葉の景色です。
まだまだ紅葉が続きました。
川の中の岩の上からズームいたしました。
さらにズームいたしました。
さらにズームいたしました。
黄緑色が混ざった紅葉もきれいです。
川の上に垂れた枝も趣があります。
ここでも振り返ってみました。
同じ場所からの進行方向(下流側)の景色です。
ここにも距離を示す表示板が遊歩道に埋め込まれていました。
こちらが遊歩道に埋め込まれていた粟又の滝から1000mの表示版です。
養老川の独特の岩の川底です。振り返って撮った写真です。
このあたりから、また紅葉が見受けられました。
対岸の山肌の真っ赤な紅葉です。
進行方向には紅葉が続きます。
山の上の方です。
ここからどの程度遊歩道が続いているのかわからないので向こうから来る人に聞くと、まだ2kmあるとの答えが返ってきたり、この先でUターンしたので判らないとの答えでした。紅葉の木も減ってきた感じもあり、昼食もしたかったので、この先300m歩いたところでUターンしたしました。この時、2015年12月8日12時20分でした。
今回は行けませんでしたが、先に進むと遊歩道沿いには昇龍の滝と見返の滝があるのでネットから2つの滝の写真を転用させていただきました。
昇龍の滝 落差20m 見返の滝 落差4m
追伸
本日12月23日16時55分のフライトで関西に帰省します。実家ではネットが出来ません。パソコンを持ってWiFiが使えるところに出かけて記事の掲載はつづけるつもりですが、時間的な関係で帰宅する2015年12月30日までは、皆様のところへの訪問が少なくなることをお許しください。
年賀状は朝から作って投函いたしました。
紅葉の 粟又の滝(あわまたのたき) [養老渓谷]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2015年12月8日に養老渓谷に行ってきました。目的は紅葉を見ることでした。養老渓谷で最も沢山の人が訪れるのが上の写真の粟又の滝(あわまたのたき)です。粟又の滝は全長約100m、落差30mの比較的 緩やかな滝で、千葉県随一の名瀑と言われています。
粟又の滝の正式名は高滝ですが、地名から名付けられた粟又の滝という名称の方が広く知られています。河川名から養老の滝と呼ばれることがありますが、岐阜県養老郡養老町に有名な養老の滝(落差32m 滝幅4m)があることから、養老の滝の名前はあまり使われません。使われる場合は区別する意味なのか、上総・養老の滝の名で呼ばれています。右の写真は岐阜県の養老の滝です。
名前 高滝
通称 粟又の滝 あわまたのたき
別称 上総・養老の滝 かずさ・ようろうのたき
住所 千葉県夷隅郡大多喜町粟又
落差 30m
滝幅 30m
長さ 100m
水系 養老川
粟又の滝へは養老川の上流にある金神の滝から、下記の航空写真の橙色の散策ルート(━━)を歩いてきました。散策ルートから撮った写真を順番に紹介したいと思います。太い薄い水色の線が長さ100mの粟又の滝です。
先ずは、上を走っている車道から撮った写真です。粟又の滝の落ち口(銚子口/滝口)から上流50mの養老川です。水がきれいです。車道から撮影
滝の落ち口(銚子口/滝口)より少し下流に、水が二股に分かれる岩があります。上の地図の緑色マーク( )のところです。車道から撮影
紅葉の隙間から見えた水が二股に分かれる岩です。クリックするともう少し広範囲を表示します。車道から撮影
周囲はもみじの紅葉に覆われていました。こちらもクリックするともう少し広範囲を表示します。車道から撮影
紅葉の隙間からもっともクリヤーに見えた水が二股に分かれる岩です。車道から撮影
上の岩を過ぎると傾斜がきつくなってきます。ここも滝の途中でが幅は狭いです。この後、車道からは木々で視界が遮られて紹介できるほどの写真は撮れませんでした。車道から撮影
車道から散策路に入ると滝の一番下がよく見えました。ここから散策路を歩いて滝の上流を目指します。上流に向かう散策路から撮影
同じ場所から上流側を見ました。上流に向かう散策路から撮影
先ほどの水が二股に分かれる岩の横まで出ました。上流に向かう散策路から撮影
散策路を歩いて、さらに上を目指します。ここも滝の部分です。上流に向かう散策路から撮影
散策路の一番上まで上がりました。先ほどの水が二股に分かれる岩が下の方に見えます。岩の上に松が生えている景観はなかなかのものです。滝の落ち口(銚子口/滝口)から撮影
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。滝の落ち口(銚子口/滝口)から撮影
さらに拡大いたしました。この写真は是非ともクリックしてみてください。滝の落ち口(銚子口/滝口)から撮影
上流方向の景色です。このあたりから傾斜が強くなってきているのがわかります。ここから滝の一番下を目指します。 滝の落ち口(銚子口/滝口)から撮影
途中で紅葉越しに水が二股に分かれる岩の写真を撮りました。紅葉にし写真のピントが合っています。下流に向かう散策路から撮影
岩の横まで来て、岩の方にピントを合わせて撮りました。下流に向かう散策路から撮影
同じ場所から紅葉側にピントを合わせました。下流に向かう散策路から撮影
徐々に流れが急になってきました。下流に向かう散策路から撮影
散策路をかなり降りてきたので滝の下流側の川が見えてきました。下流に向かう散策路から撮影
左側の道が、粟又の滝・自然遊歩道です。下流に向かう散策路から撮影
滝の一番下を横から見ることが出来る場所から写真を撮りました。下流に向かう散策路から撮影
滝の一番下のレベルまで下りました。この位置からだと水を二股に分けていた岩を見ることが出来ます。
その水を二股に分けていた岩の部分を拡大いたしました。水が回り込んで落ちてきているのが分かります。
滝の正面に出ました。少し左寄りから撮った写真です。
滝のは形状により下記のように分類されます。華厳の滝は典型的な直瀑です。今回の粟又の滝は、この分類の中では、段瀑あるいは渓流瀑だと思いますが、渓流瀑に分類するのが妥当な感じがいたします。
直瀑 落ち口から滝壷まで一気に落下する滝
分岐瀑 落ち口から幾重にも分岐して流れる滝
段瀑 2段や3段、またはそれ以上の階層がある滝
潜流瀑 地下水が崖の途中より直接落ちる滝
渓流瀑 滝口から傾斜した岩肌を滑るように流れる滝
海岸瀑 海岸の崖の上に滝口があり、海に直接落ちる滝
見える範囲での滝の一番上の部分です。ただしここは滝の落ち口(銚子口/滝口)ではありません。滝の落ち口(銚子口/滝口)は、さらに数十m先にあります。
完全に正面からの写真です。
やや右寄りからの写真です。本記事を書くまでは恥ずかしながら栗又の滝(くりまたのたき)と思い込んでいました。ネット上でも間違いが結構ありました。驚いたことに検索数では下記のように、ほぼ同数なのです。
粟又の滝 あわ → 約63,400件 完全一致検索 : 約55,000件
栗又の滝 くり → 約65,100件 完全一致検索 : 約8,690件
粟と栗の文字を拡大してみました。→ あわ 粟 くり 栗
紅葉を通して滝を見た景色です。
最後に航空写真で全体の配置を紹介します。
右下の滝口から滝壺までの約100mが粟又の滝です。クリックすると広範囲を表示します。Google航空写真を見たい方はこちらです。→ポチッ
入口と出口の名前が違うトンネル 共榮トンネル / 向山トンネル [養老渓谷]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
養老渓谷の中瀬遊歩道の終点にある写真の共栄橋から東側にトンネルがありました。トンネルの名前は共榮トンネル(共栄トンネル)です。普通のトンネルに見えますが、実は反対側出口とは名前が違うトンネルだったのです。つまり一本のトンネルでありながら入口の名前が違うトンネルが養老渓谷にあったのでした。それだけでなく不思議なトンネルだったので紹介するために2015年12月8日に中を歩いて写真を撮りました。
左側(西口)の入口には「共榮トンネル 昭和45年3月竣功」と書かれており、右側(東口)の入口には「向山トンネル 昭和45年3月竣功」と書かれています。両方ともに昭和45年3月竣功(1970年3月竣工)です。ただし、以前から素掘りの向山隧道(向山トンネル)があったものを改修して入口をコンクリートで補強して、現在の状態になったのが昭和45年3月(1970年3月)であったようです。
西口 共榮トンネル 東口 向山トンネル
昭和45年3月竣功 昭和45年3月竣功
上の写真のトンネルの東口と西口の位置を航空写真に記載しました。
色の違う━━と━━の線の説明は、のちほど致します。
こちらが現在の東口の向山トンネルの入口です。ここから奥に進みながら紹介したいと思います。
トンネルの奥を拡大しました。事情を知らないと、まっすぐなトンネルに見えます。よく見ると、トンネルの出口の天井がシンプルなドーム形ではなく、尖がった形(おむすび形)をしています。
トンネルの中には入り、前に進むと、おむすび形の出口の下に、普通のドーム形の出口が見えてきました。
途中から下り坂になっていることがを分かります。素掘りの地肌はかなり古そうでした。
さらに進んだところで車が通りました。上の出口の部分が素掘りの向山隧道の時代の出口で、下の出口が1970年に新しく作られた共榮トンネルなのです。つまり上が旧・向山隧道の出口なのです。
さらに近づくとはっきりとわかります。共榮トンネルは左方向にカーブしています。見ての通り、2階建てトンネルと呼ばれることもあります。
共榮トンネルに入って少し進んだところで、向山トンネル入口側にふり向いた景色です。共榮トンネルのドーム部分は波型の鋼板で出来ていました。
共榮トンネルから向山トンネル入口側を見た上の写真を拡大いたしました。奥の方が下っているように見えますが、実際には奥の方が水平で共榮トンネル側は手前側に下っているのです。
共榮トンネルの入口に出ました。
今までの説明を航空写真に書き込みました。気になるのが旧・向山隧道の出口です。旧・向山隧道の出口を外から見たくなりました。
━━ 共榮トンネル(共栄トンネル)
━━ 向山トンネル 旧・向山隧道
旧・向山隧道の出口があるあたりです。ここを歩いて登ってみました。人が歩ける程度の急坂でした。草木は生い茂っていますが、昔の道幅はそこそこありそうでした。
沢山の草木が登るのを阻んでくれました。
さらに登って行くと突然に、旧・向山隧道の出口が目の前に現れました。
正面から見ました。旧・向山隧道は直線だったことが分かります。写真では分かりませんが旧・向山隧道は水平に掘られた素掘りのトンネルだったのです。
この旧・向山隧道が掘られた年代が知りたいところですが、調べた範囲では年代は出てきませんでしたが、本隧道に関して2011年2月に書かれている方の記述の中にヒントがありました。近くに住んでいる老婦人に聞いても掘られた年代が分からないとのことなので古いことは間違いない上に隧道の途中に小さな横穴の防空壕が掘られていたことをその老婦人はご存知だったことから、少なくとも戦前からあったことは確定いたしました。それ以前のいつであったかはまだ謎のままです。また隧道の素掘りの部分が、きれいなドーム状をしていないことからも相当に古いものだと思われます。出口が険しい下り坂になっていることから、通ったとしても荷車程度で自動車の類が通ったとは思えませんでした。このあたりには、江戸時代から、弘文洞で代表される川廻し(川のショートカット)のための大きな隧道(トンネル)を掘る技術が存在していたためか、沢山の素掘りの隧道(トンネル)があるので、旧・向山隧道も古い時代に沢山掘られた隧道のなかの一つであるような気がします。
入口のふちまで行って写真を撮りました。新しい向山トンネルは東口から西口に向かって下るように掘りなおされたことが分かります。
Google地図でも2階建てトンネル(2重トンネル)を紹介します。
薄赤色の細いライン(―)が旧・向山隧道・西口に登った道です。
平成16年度道路施設現況調査によると
共栄トンネル 23m
向山トンネル 92m で、計115mだそうです。
Google地図上ではトンネル長さは140mのため25mの食い違いがあります。住所の中の葛藤は「くずふじ」と読み、昔からのこの地域の名前で、有名な弘文洞も昔は葛藤の穴洞と呼ばれていました。
トンネルの構造を図面を交えて分かりやすく説明されたサイトがありましたので図を転用させていただきました。 説明はこちらです。→ポチッ
房総半島には沢山の古い素掘りのトンネルがあることを実感していただけるようにネットから写真を転用させていただきました。旧・向山隧道も昔はこのような景観であったのかもしれません。
冒頭の写真の共栄橋からの、養老川の紅葉の景色です。
後日詳しく紅葉に関して紹介したいと思います。
2015年11月28日07時11分の景色です。
2015年12月08日10時06分の景色です。
10日間で紅葉が進んだことがわかります。
金神の滝(こんじんのたき) 養老渓谷の紅葉の季節 [養老渓谷]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
先日、すでに紹介の通り、ゴルフで10人の仲間と養老渓谷温泉に泊まりました。その時の紅葉の状態から、そろそろ見ごろになるのではないかと、2015年12月8日に家内と養老渓谷に来てみました。家内は養老渓谷は初めてだったので、最初に中瀬遊歩道のあたりを散策し、その後に来たのが金神の滝(こんじんのたき)でした。鳥居の奥に滝が見えます。
少し近づいて撮りました。
出発の時から雨模様で、到着しても天気はいまいちでしたが、紅葉の方は予想通り見ごろでした。晴天だったら鮮やかな紅葉の写真が撮れたと思います。
金神の滝の滝は比較的最近発見された滝ですが、その周囲の景観から養老渓谷の新名所になっています。金神の滝は養老八景にも指定されています。
・養老八景 ⇒ ポチッ (A~Hの位置表示)
A 金神の滝 B 粟又の滝 C 水月寺 D 筒森もみじ谷 E 懸崖境
F 弘文洞跡 G 観音橋・出世観音 H 梅ケ瀬渓谷
上の写真はクリックして拡大すると滝を確認できますが、クリックが面倒な方のためにオリジナルサイズで切り取りました。
鳥居をくぐると、金神の滝が見えてきます。
縦長写真で金神の滝を紹介します。養老渓谷温泉旅館組合のホームページの説明によると落差は35mだそうです。流れ落ちた水は養老川に流れ込みます。
滝の落ち口(銚子口/滝口)あたりです。
滝の水が流れる岩肌は独特の景観を見せていました。
滝つぼの周囲の岩肌には「土の神」「水の神」「太陽の神」が彫り込まれていました。
これは「知恵の穴」と名付けられたトンネルです。金神の滝の水がここから養老川に流れ落ちていきます。
知恵の穴から見た金神の滝です。
金神の滝の場所から養老川の下流の景色です。
こちらは上流側の景色です。
粟又の滝を中心とした地図で場所を紹介します。この周辺では6.1km歩いたことになります。中瀬遊歩道あたりでは3.3km歩いたので、合計9.4km歩きました。日帰り温泉を楽しむ施設「ごりやくの湯」の駐車場(車のマーク)に車を駐車いたしました。マイナス( )のアイコンを5回クリックすると穴川ICからのルートを2種類表示します。
金神の滝(こんじんのたき)
━━ 0.4km 駐車場→金神の滝
━━ 1.4km 金神の滝→粟又の滝への降口
━━ 0.3km 降口→粟又の滝
━━ 2.7km 滝めぐり遊歩道・往復
━━ 0.2km 粟又の滝→降口
━━ 1.1km 粟又の滝への降口→ごりやくの湯→駐車場
金神の拡大地図で、滝へ行った道順を説明いたします。
━━ 0.4km 駐車場→金神の滝
昼食を食べる予定の、ごりやくの湯の駐車場に車を停めました。手前がレストランで、奥の二つの尖がり屋根が男湯(手前)と女湯(奥側)です。
駐車場の奥に金神の滝への案内版がありました。
一旦は、ごりやく亭の敷地に入ります。
所々に立ててある案内板にしたがって進みます。最初に、危なっかしい木の板の橋で養老川を渡り300m進むと金神の滝がありました。
途中のこのあたりの山の中では猿たちが大きな声を出しながら走って行きました。
金神の滝に近づくと、もみじの木が紅葉を見せてくれました。
真下に金神の滝の鳥居が見えてきました。
下に降りると冒頭の写真の場所に出てきます。
養老渓谷温泉に泊まりました。嵯峨和 [養老渓谷]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
すでに、前記事の「養老渓谷 中瀬遊歩道」で2015年11月27日~11月28日に養老渓谷に行ったことを報告いたしました。ゴルフパックで利用した旅館が上の写真の嵯峨和でした。ゴルフは右の11人でしたが、1名が用事があり帰ったことから旅館には10名が宿泊いたしました。
名前 黒湯と しし鍋の宿 嵯峨和(さがわ)
住所 千葉県夷隅郡大多喜町葛藤20番地
場所 奥房総 養老渓谷温泉郷
電話 0470-85-0321
HP http://www.oyado-sagawa.com/
こちらの部屋に2名が入る予定でしたが、10名のうち喫煙者が7名だったことから、たばこを吸わない3名がこちらの部屋に泊まりました。
つまり[ 4 + 4 + 2 ] → [ 4 + 3 + 3 ]となりました。ただし部屋は[ 中 + 中 + 小 ]のままでした。中の4人の部屋は大きかったです。
こちらが浴場です。温泉は黒い色をした黒湯です。加温していますが、加水していないので源泉の成分そのものです。お湯の色は、けっこう濃かったので成分も多いのだと思います。調べた範囲ではありますが、このあたりの温泉旅館は、すべてこの黒湯のようです。泉質はナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉(弱アルカリ性低張性冷鉱泉)で、成分は次の通りです。水以外の成分が約2.636%含まれていることになります。
陽イオン | Na 759mg | NH4 21.6mg | K 13mg | Ca 10.3mg | |
Ma 8.2mg | Al 0.6mg | Fe 0.3mg | St 0.2mg | ||
陰イオン | HCO3 1146mg | Cl 607.2mg | Br 5mg | HPO4 4.9mg | |
I 4.7mg | HS 1.6mg | F 0.4mg | |||
その他 | 腐植質 9.2mg | HBO2 4mg | H2SiO3 1mg | CO2 39.1mg | |
H2S 0.2mg | Li 0.02mg |
屋外で流れ出ていた黒湯の写真を撮りました。少ない量でも色が確認できることから、お風呂に入れると、色が濃いことを想像していただけると思います。水温は外気温より少し暖かい程度であったことから冷鉱泉に分類されるのだと思われました。
ゴルフ場は日帰り出来る場所ですが、わざわざ一泊にした目的は、みんなでゆっくりと飲むためでした。こちらが夕食の前菜です。この中で自慢なのが、左上のタケノコの刺身です。癖のない刺身に適したタケノコが採れることが有名だそうです。今の時期ですが出てきました。
さっそく生ビールで乾杯です。ゴルフパックなのでドリンク券を出すとビール一本が無料となります。
刺身のお皿にはマグロと太刀魚とコハダとスミイカとイクラが乗っていました。スミイカは旬なようで説明してもらいました。スミイカはコウイカのことです。コハダはお寿司ではよく食べますが、刺身としては珍しかったです。
こちらは鹿肉のたたきです。鹿肉のたたき(刺身)を食べたのは久しぶりでした。これはおいしかったです。
鶏肉の照り焼きです。
揚げ物もありました。
いい味に仕上がったイシモチの煮つけは値打ちものでした。
メインディッシュの、しし鍋です。これが一人前です。
火を付けて、出来上がった熱々をいただきました。
日本酒も進みました。地元の勝浦市の吉野酒造のお酒です。
翌朝、私一人だけ朝食前に養老渓谷の中瀬遊歩道を散策してきました。朝6時44分に旅館の嵯峨和を出発して中瀬遊歩道を往復して計2.8km歩いて戻ってきたのが7時29分で、7時30分からの朝食に間に合いました。写真はすでにで記事で紹介した、養老渓谷を代表する景勝地である弘文洞です。
マイナスのアイコン( )を数回クリックするとゴルフ場の場所が分かると思います。
━ 1.2km 中瀬遊歩道
━ 0.2km 嵯峨和~中瀬遊歩道
養老温泉 嵯峨和 (さがわ)
弘文洞 (こうぶんどう)
こちらは翌朝の朝食です。
宿から車で15分(7km)のゴルフ場でプレーをいたしました。写真はスタートホールであった西コースの1番ホールです。11月27日は館山自動車道の千葉あたりから130km離れた富士山がクリヤーに見えるほどの最高の快晴日でした。待ち合わせ場所の近所の京成電鉄の勝田台駅からゴルフ場までの距離は87kmでした。
名前 千葉夷隅ゴルフクラブ
住所 千葉県夷隅郡大多喜町板谷588
電話 0470-83-0211
規模 27ホール 東 3495Y 南 3478Y 西 3540Y
HP http://www.chibaisumi.jp/
ゴルフ滋養での昼食は、やっぱり生ビールです。いつもは、車を運転しているのでノンアルコールで我慢していますが、この日は車に乗せてもらっていたので思う存分、飲みました。
ゴルフパックの特典のドリンク券があったので食事の後のコーヒーを頼みました。この券は旅館でも使うので捨ててしまわないようにしてください。
昼食は、こちらで一番人気の、芋豚の鉄板焼きです。芋豚は千葉県産で、サツマイモやタピオカなどのいも類を与えて飼育していて、肉の甘みが特徴だそうです。ちょっと贅沢なお肉です。
ロースと肩ロースをミックスさせた独特のモッチリ感が特徴と書かれていました。お肉も格別に美味しかったけれども、お肉の下に特製タレがしみこんだ野菜が、たっぷりと入ったところが特に気に入りました。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために肉の部分の拡大写真を掲載いたしました。これが芋豚です。
養老渓谷の温泉旅館を紹介します。
旅館は、すべて養老川沿いにあります。
北から順番に記載しています。
温泉のほとんどがお湯が黒い「黒湯」です。
宿泊代はパンフレットに書かれていた最低料金なので、あまり参考にしないでください。実際に我々が泊まった嵯峨和での宿泊代は2食付きで15000円でした。
記号 | 名前 | 温泉 特徴 | 宿泊代 | |
A | せせらぎ | 黒湯 ペンション | 7344円~ | |
B | 鶴乃家 | 黒湯 たべるお宿 | 8000円~ | |
C | 喜代元 | 黒湯 純和風 | 12000円~ | |
D | 嵯峨和 | 黒湯 しし鍋 | 8000円~ | |
E | 天龍荘 | 黒湯 純和風の宿 | 11500円~ | |
F | さやか | 黒湯 民宿 小さな宿 | 7800円~ | |
G | 川の家 | 黒湯 隠れ湯の宿 | 10800円~ | |
H | 福水 | 黒湯 渓流の宿 | 14000円~ | |
I | もとの木 | 無色 渓流別邸 | 16200円~ | |
J | 滝見荘 | 無色 秘湯の宿 | 14250円~ |
地図上のプラス( )を数回クリックすると隠れたマーク(B E)の位置が分かると思います。逆にマイナス( )を5回クリックすると広範囲が表示されるので、養老渓谷の位置が分かると思います。
養老渓谷 中瀬遊歩道 [養老渓谷]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上の写真は養老渓谷の中瀬遊歩道の中で最も有名な場所です。2015年11月28日の朝の散歩で中瀬遊歩道を歩いたので養老渓谷の中瀬遊歩道を紹介したいと思います。
ここに来るきっかけは、養老温泉の宿泊が入ったゴルフパックで前日の11月27日に千葉夷隅ゴルフクラブで11名でプレーして、養老温泉の嵯峨和に泊まりました。7時30分からの皆での朝食の前に中瀬遊歩道を歩きました。
中瀬遊歩道のルートをGoogle地図にプロットしました。
遊歩道は川に並べられた飛び石(渡石)で養老川を3回ほど渡るので、往復で6回ほど渡ることになります。
朝6時44分に右の写真の嵯峨和を出発して中瀬遊歩道を往復して戻ってきたのが7時29分で、みんなで食べる7時30分からの朝食に間に合いました。泊まった旅館の嵯峨和は黒い色をした黒湯の温泉と、しし鍋が有名でした。
━━ 1.2km 中瀬遊歩道
━━ 0.2km 嵯峨和~中瀬遊歩道
━━ 7.0km 嵯峨和~ゴルフ場
━━ 川を渡る飛び石 3ケ所
養老温泉 嵯峨和 (さがわ)
弘文洞 (こうぶんどう)
それでは順番に紹介したいと思います。出発地点の中瀬遊歩道入口です。
小道を進んでいくと養老川に出ます。
養老川に出たところからの下流方向の景色です。出世観音で有名な立國寺に行く赤い観音橋が見えます。
同じ場所から上流側を撮った写真です。ここから上流に向かって歩きます。
飛び石(渡石)で川を渡ります。
飛び石(渡石)から上流側を見た景色です。水面には靄がかかっており静かな雰囲気が伝わってきました。
飛び石で川を渡って振り返った景観です。
朝早かったので中瀬遊歩道であった人はここに写っている4人+1匹だけでした。私は往復歩いたので手前の2人には2度出会いました。
この日は一番の冷え込みのため外気より水の方が温度が高いようで、空気の流れが少ないところは湯気で水面が覆われていました。
川沿を少し進むと中瀬キャンプ場があり、バーベキューを楽しむ施設がありました。煙が上がっており、すでに火を熾して食事の準備をしているようでした。
少し高い位置を歩きました。
紅葉も進んでいました。もう少ししたらさらにきれいな紅葉を見せてくれる雰囲気でした。養老渓谷は日本一遅い紅葉が楽しめる場所と言われています。
川底は固い岩盤で出来ていて、岩盤の形により所々で川面が波立っていました。
川を渡る2番目の飛び石の場所につきました。川は大きく曲がっており独特の雰囲気を出してくれていました。
飛び石の上から上流側を撮りました。千葉県はほとんどが平坦地のため渓谷がある景色は珍しい場所なのです。そんな意味で養老渓谷は基地ような存在です。
同じ場所から動画も撮りました。是非ともプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。渓流の水の音を聞いてもらえると思います。
飛び石を渡り切った位置から下流側を取りました。
岩盤の脇の小道を進みます。
これが養老渓谷の特徴的な岩盤の川底です。このような川底が続いていました。今回の写真は明るく撮れているように見えますが、実際には早朝なのでかなり暗いのです。飛んでいる白い鳥が2羽写っているのですがシャッタースピードが長いためにボケたように映っています。明るい時間帯だとどの写真も鮮明で鮮やかだったと思います。
養老渓谷を代表する景勝地である弘文洞(あるいは弘文洞跡)に到着いたしました。養老川は右から左に流れています。その養老川に対して奥から水が流れ込んでくる景観なのです。昔からの景観のように思えますが、大昔の正面は岩の絶壁で塞がれていたのです。
遊歩道に弘文洞の説明板(案内板)が立てられていました。
弘文洞は江戸時代に蛇行する養老川と、岩山を隔てて流れる夕木川(別名:蕪来川)とを、耕地開拓目的でつなぐ為に、岩山に、川の隊道(トンネル)を作ったものです。隧道が造られた頃は、人の背丈程度でしたが、天井部分が崩落し次第に大きな洞となったそうです。その隊道は1979年5月24日突如上部が崩落し、現在の景観になったわけでが、崩落しても独特の景観があり養老渓谷を代表する景勝地となっているわけです。崩落したことから弘文洞は弘文洞跡と呼ばれるようになったわけです。現在の景観からも大規模な工事であったことが想像できます。弘文洞が造られた正確な年代が気になりますが、ネットで検索しても造られた時期としは、約140年前と江戸時代と、稀に江戸時代末期の、3種類の記述があるだけです。さらに2015年においては江戸時代(412年前~147年前)と、約140年前は矛盾することになっています。
下記の説明版がネット上で出てくる最も古い記事が右の写真の2004年11月です。それでも数年が経過したように見えることから現在の説明板は立てられてから15年程度が経過した考えられます。約15年前に立てられた説明坂に「おゝよそ140年前」に弘文洞が造られたと記載されていることから、弘文洞は今から約155年前に造られたことになります。江戸時代は1868年までなので少なくとも147年前以上ということになるので、控えめに言うとして約150年前(1865年前後)あるいは江戸末期に造られたと表現するのが妥当そうです。
右の写真はネットから転用させていただいた崩落前の写真です。夕木川は隧道でつながる前も養老川の支流でした。39代弘文天皇である弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名されたと伝えられています。江戸期には蛇行している河川の上流と下流が近接する所にトンネルや切り通しを作って、つなぎぐことはよく行われて、「川廻し」と呼ばれていました。「川廻し」によって干上がった河床を農地に利用するのが目的だったそうです。
文字がかすれてきているので、説明坂の記載内容を枠内に転記いたします。
弘文洞跡今から、おゝよそ一四〇年前、耕地を開拓するため、養老川の支流 蕪来川を川まわしして造った隧道で葛藤の穴洞と呼ばれておりました。
弘文帝と、十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として、世に紹介されましたが、昭和五十四年(一九七九)五月二十四日未明、一大音響とともに崩壊し現在にいたっております。
養老渓谷観光協会
蕪来川 : かぶらきかわ 葛藤 : くずふじ
遊歩道は少し高いところを通っているので川面まで下りて写真を撮りました。こちらが冒頭の写真だったわけです。
同じ場所から養老川の上流側を撮りました。
同じく、下流側を撮りました。
夕木川(別名:蕪来川)の方をズームいたしました。
泊まって旅館・嵯峨和に弘文洞の崩落前の写真が2枚飾られていたので写真を撮らせていただきました。クリックすると拡大写真を表示します。
左の写真は養老川の方から撮った弘文洞です。
右の写真は夕木川(別名:蕪来川)の方から撮った弘文洞と思われます。
弘文洞のあたりの航空写真も紹介いたします。左下方向が夕木川です。
さらに遊歩道が上流側に続きます。
弘文洞跡を離れて中瀬遊歩道を進むと3番目の、川を渡る飛び石に着きました。
飛び石を渡って川の右岸を進みます。静かなきれいな景観が続きました。写真は撮れませんでしたが、カワセミも見かけました。
遊歩道終点となる赤い共栄橋が見えてきました。
ここが中瀬遊歩道終着地点です。橋の右側に1970年に造られた趣のある共栄トンネルがあります。
その趣のあるトンネルの名前は共栄トンネルですが、このトンネルがちょっと変わったトンネルであることを、家に帰ってからネットで知りました。下の写真のように、外からは普通のトンネルに見えたのですが、中から見ると右の写真のように2階建てになっているのです。出入口以外のトンネルは岩盤のままであることから、このあたりの山は岩盤で出来ていることが右の写真からも分かると思います。
下側部分(新隧道)は、後から作ったものと思われます。行く機会があったときは是非とも見てみてください。内部からの写真は大多喜町のホームページから転用させてもらいました。元々は92mの向山トンネルでしたが西口の位置を低くしてカーブさせながら延長したことから、現在の形になったようです。現在でもトンネルの東側の大半には向山トンネルと名前がつけられています。
詳しい構造と説明がネットにありました。→ポチッ
共栄橋の上からの上流側の養老川です。建物は温泉旅館「川の家」です。我々が泊まった旅館と同様に「黒湯」を特徴とした泉質の温泉です。
共栄橋の上からの下流側の景色です。川の左側の川沿いの道が、歩いてきた中瀬遊歩道です。この時、7時11分でした。ここから中瀬遊歩道の同じ道を戻って旅館に着いたのが7時29分でした。なんとか7時30分からの皆との朝食に間に合うことが出来ました。
養老渓谷周辺ではいくつかの景勝地があり、ハイキングコースとしては下記の①~③が代表的です。紅葉が特に楽しめるところとしては、滝めぐりコース沿いと、大福山・梅ケ瀬コースのもみじ谷と、筒森もみじ谷があります。そしてほとんどの景勝地が川沿いにあることが分かってもらえると思います。
・養老八景
A 金神の滝 B 粟又の滝 C 水月寺 D 筒森もみじ谷 E 懸崖境
F 弘文洞跡 G 観音橋・出世観音 H 梅ケ瀬渓谷
・ハイキングコース→ポチッ
①中瀬遊歩道を含む養老渓谷一周コース F G
②滝めぐりコース A B C
③大福山・梅ケ瀬コース H
青色ライン ━━ 養老渓谷周辺の養老川の本流
緑色ライン ━━ 夕木川(別名:蕪来川) 弘文洞から養老川に流れ込む川
紫色ライン ━━ 養老川の支流 上流は梅ケ瀬渓谷
青色ライン━━の養老川の本流は驚くほど蛇行していますが、全般的には南南東から北北西に流れています。川の蛇行が多いので本地図の川の流れを入力するのは時間を要しました。養老川は五井のあたりで東京湾に流れ込みます。