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塩原温泉 その3:ホテルで旅芝居(演劇)を見る 浅井グループ [那須・塩原]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大クリックすると拡大その1の記事で紹介した通り12時20分にホテルニュー塩原に到着して部屋に荷物を置いて昼食を食べた後は昼の部の演劇を見ることにいたしました。演劇が始まったのは13時30分ごろだと思います。演劇は昼の部と夜の部がありました。両方ともに無料でした。右上の2つアニメーションの大きなものは下で紹介しています。

演劇を行ったのは昼の部も夜の部も浅井グループ(浅井劇団および逢春座)でした。昼の部は本格的な時代劇で夜の部は舞踊ショーがメインでした。
 昼の部 13時30分~14時50分 1時間20分 時代劇
 夜の部 19時00分~20時10分 1時間10分 舞踊(50分) 時代劇(20分)
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出演者のほとんどの名前が浅井の姓でした。
今回のような雰囲気の演劇を見るのは初めてで、写真や動画を撮っている人はいなかったので昼の部は写真を撮りませんでした。ところが夜の部で写真を撮る時の注意事項の説明があり、さらに皆さんが写真を撮り始めたので写真がOKであることをその時に知りました。昼の部の写真が残らなかったのは残念でした。
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昼の部の時代劇の写真がないので、先ずは夜の部の時代劇の写真から紹介したいと思います。
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主役の人を拡大いたしました。
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めでたしめでたしで終わったシーンです。昼の部の時代劇は時間も長く見ごたえがあったので紹介出来なかったのが残念です。
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時代劇が終わって、最後に挨拶しているところです。
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それで夜の部の舞踊ショーを概ね順番に紹介したいと思います。最初に登場したのがこちらの4人で左から浅井陽子さん、浅井海斗さん、浅井春道さん、浅井みのりさん、だと思われます。名前はネットの写真と比べて決めたので浅井陽子さん以外は今のところ確証がないことお許しください。
演劇場に来た時には前の方の席は空いていなかったので、写真はすべて後ろの遠い席から撮りました。
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こちらが浅井陽子さんで人気があるようでした。
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舞踊ショーのオープニングの踊りになります。
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いろんなシーンを紹介します。
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ここからは1人か2人の舞踊になりました。
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舞踊には扇子は大切ですね。
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次は2人での物語風の舞踊でした。
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浅井陽子さんと浅井海斗さんでしょうか? 
背景の膜にKAITO ASAIと書かれていました。
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次は浅井海斗さん一人での舞踊です。着替えるのが早いのに驚かされます。
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GIFアニメーションでも紹介します。上の写真になかったものが帯についているのが判ってもらえると思います。「おひねり」の代わりのレイ(お花)をつけているのです。昔から大衆演劇ではお札をお客が付けてあげるのが「おひねり」のようですが、ここでは写真のお花を演劇が始まる前や休憩時間に買って、その花を役者さんにつけるシステムになっていました。なので、ここから下ではお花のことを「おひねり(お花)」と呼ばせていただきます。
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その「おひねり(お花)」をお客につけてもらっているところです。
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「おひねり(お花)」をつけてもらったら踊りの再開です。全般的に劇団の人は若いです。浅井劇団 の座長であるこの写真の浅井海斗さんも、この時点で22歳(生1998年8月8日)でした。もっと驚いたのが、2016年3月に17歳で座長を襲名したそうです。
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舞台の中央に戻りました。
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拡大いしました。
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扇子を投げる上げるのが印象的でした。
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今度は浅井陽子さんのGIFアニメーションです。始まりの時点では「おひねり(お花)」は付けていませんが、終わる時は「おひねり(お花)」を受け取っています。
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その時の写真をを拡大しました。
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客席にも下りてこられました。
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我々が座っていた客席の後ろの方までこられていました。
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舞台に戻って踊りをつづれていました。「おひねり(お花)」が帯についているのが判ると思います。
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もう一枚紹介します。
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こちらも扇子を使っています。こちらも浅井海斗さんでしょうか。あるいは浅井大空海さんでしょうか。浅井大空海さんの可能性が高いように感じます。浅井海斗さんと浅井大空海さんは兄弟でお父さんは2016年に42歳で亡くなった浅井研二郎さんです。浅井研二郎さんは浅井劇団の前身になる浅井研二郎劇団の座長でした。
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こちらは浅井みのりさんでしょうか。こちらも扇子を使った踊りです。
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もう一枚紹介します。
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演劇の最後の写真をもう一度掲載いたしました。浅井グループの2022年11月と12月の公演スケジュールを調べてみました。
 2022年11月 瀬戸大橋温泉 やま幸
 2022年12月 高槻 千鳥劇場
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記念のためにクッキーを買いました。
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クッキーには役者の方の顔が描かれていました。と書かれているのは浅井海斗さんの顔で、と書かれているのは浅井春道さんの顔だと思われます。
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天王星食が撮れていました。 [話題]

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日本で皆既月食と惑星食が同時に見れるのは、1580年7月26日にあった皆既月食と土星食なので一生に1回見ることさえ難しい非常に珍しいことであることは知っていましたが、天王星は非常に遠い惑星で見つけるのは難しく、自分のカメラでは撮るのも難しいと思っていて写真を撮るつもりはありませんでした。ところが、夕食を食べ終わった後にテレビで録画してあった午後7時のニュースで皆既月食と天王星食をやっていたので、急に見たくなって、急いで2階のバルコニーに上がって空を見上げると、皆既月食だったのです。ダメもとで写真を撮ることにしました。流石にコンパクトカメラでは天王星を撮るのは難しいと思い、長く使っていない一眼レフを出してきてセットして撮ったのが上の写真です。撮った時刻は19時58分38秒でした。撮っていると時は月の周囲には星が見えなかったのですが、撮った写真を確認するといくつか星が写っていました。

ネットでいろんな写真と見比べてみた結果、月の左下の星が天王星であることが分かりました。問題は右の写真の天王星が月食の月の裏側に入るところが撮れているかどうかでした。クリックすると拡大三脚は華奢(きゃしゃ)でセルフタイマーを使って撮っても、かなりブレていて、いい写真は少なかったのです。それに長くカメラを使っていなかったので、すぐに電池が切れてしまいました。さらに予備の電池も充電量が少なくなっていて21時05分21秒までしか撮りませんでした。天王星食が起こる時刻の情報なしで撮り始めたので、後で調べるまでは、天王星および天王星食が撮れているかどうかは判りませんでした。
太陽系第7惑星の天王星の一番の特徴は右の写真のように自転軸が公転面に対して横倒しになていることと、平らな円盤状(リング状)の環があることです。
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下の大きな写真は天王星食になる寸前で、20時37分04秒に撮りました。クリックすると拡大この後も撮り続けていたので、撮った写真を見ていくと、幸運なことに右の2秒ごとに画面が変わる連続写真のように天王星食となり完全に見えなくなるまで撮られていました。つまり天王星食になる瞬間を撮るという目的は達成できたわけです。右の小さな連続写真はここから14枚目の大きな画面で紹介します。
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上の写真は、こちらの写真を黄色の枠の部分でトリミングしたものです。焦点距離400mmで撮っても月がこの大きさなので天王星は写らないと思っていました。天王星は月までの距離の約7080倍(=(2,870,990,000km-149,597,871km)÷384,400km)の距離にある惑星なのです。
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それでは19時58分38秒から天王星(Uranus)が見えなくなるまでの写真で、比較的見るに耐えられる写真を順番に紹介します。こちらが19時58分38秒に撮った写真です。月を撮り終わった後に、同じカメラでデジタル時計を撮って写真に記憶されている時刻との差を修正しているので書き込んでいる時刻の誤差は1秒以内です。こちらの撮影条件はISO3200 F5.6 2.5secです。
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20時22分53秒です。いずれの写真も少しピントがずれているか、クリックすると拡大ブレているので星が実際よりは少し大きく写っているようです。ここから20時45分34秒の写真までの撮影条件はISO3200 F5.6 0.8secです。天王星は遠くにある惑星のため小さく見えますが直径は地球の4倍(=51118km÷12756km)もあります。体積では64倍になります。
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20時27分14秒です。上の写真から4分11秒ですが、月に近づいているのが分かります。
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20時28分40秒です。まだ月までは距離があります。
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20時37分04秒です。かなり近づきました。
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20時39分12秒です。
この前後の写真は画質は良くないのですが、月の裏に天王星が隠れるところなので、掲載させてもらっています。
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20時41秒27秒です。すでに天王星食は始まっているようです。若干、天王星の一部が見えます。国立天文台の資料によれば東京での天王星の潜入開始は20時40分53秒で、仙台では20時44分24秒だそうです。天王星食の時刻は場所によって違いますが、月食は月面上の地球の影なので、地球上のどこから見ても時刻は同じです。ネットでの動画→潜入開始 出現開始
     天王星潜入   天王星出現   皆既月食開始  皆既月食終了
 札幌 20時49分04秒~21時47分22秒  19時16.3分 ~ 20時42.0分
 仙台 20時44分24秒~21時31分50秒  19時16.3分 ~ 20時42.0分
 東京 20時40分53秒~21時22分20秒  19時16.3分 ~ 20時42.0分
 京都 20時31分53秒~21時21分18秒  19時16.3分 ~ 20時42.0分
 福岡 20時22分12秒~21時16分51秒  19時16.3分 ~ 20時42.0分
 那覇 20時13分12秒~20時54分08秒  19時16.3分 ~ 20時42.0分
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20時41分45秒です。ほとんど天王星は見えませんが。クリックして拡大写真を出してもらうと、痕跡が分かると思います。個の写真と上の写真が天王星食の部分食の状態なのかもしれません。
天王星は遠い惑星のため、光の届く時間を考えると、見えていた天王星食は約2時間31分前の位置で、月の位置は1.28秒前だったのです。それを考えると星を見るということは過去を見ているのだという不思議なロマンを感じます。
今回の天王星食の時の各星の距離に関してはネットで探しきれなかったので、月までの距離は月の平均公転半径(38万4400km)を使い、天王星までの距離は天王星の平均公転半径(287099万km)から地球の平均公転半径(14960万km)を引いた数値を使っています。
 光の速度     29万9792.458km/秒
 月までの距離   38万4400km 1.28光秒    
 天王星までの距離 272139万km 9078光秒 ( 9078秒=2時間31分18秒)
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20時42分37秒には完全に天王星は見えなくなりました。写真に天王星食が写るかどうかが分からなかったので、残り少なくなった電池で満遍なく(まんべんなく)91枚の月食の写真を撮ったのが良かったです。
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連続写真で1枚目の19時58分38秒から2枚目の20時22分53秒の写真まで時間が開いてしまったのは、その間の写真は、この写真のようにピントがボケてしまったためでした。この写真は20時05分58秒に撮った写真です。
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ピントがボケると、この写真のように天王星は、実際よりかなり大きな丸に写ります。ピントが合っていると小さな丸(or 点)です。ボケていると天王星の青色が際立っているように感じます。
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上の9枚の連続写真とボケた写真なども追加して計13枚を2秒ごとに表示するGIFアニメーションをつくりました。19時58分38秒から天王星が月に隠れて見えなくなる瞬間の20時42分37秒までです。次に日本で皆既月食中に惑星食が見られるのは322年後の2344年7月26日の土星食だそうです。それほど貴重な経験だったわけです。撮った写真で後から皆既月食中の惑星食(天王星食)だったことが分かったわけですが、2階のバルコニーに上がってクリックすると拡大直接見た(双眼鏡でも見た)と人には言えるので、数百年に一度の、すごい経験したことになりました。日本で皆既月食と惑星食が重なるのは数百年に1度ですが、天王星食に限れば読売新聞オンラインには「国立天文台によると、日本で皆既月食と天王星食が重なるのは過去5000年間で一度もなく、極めてまれな現象」と書かれていました。
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皆既月食が終わり部分月食になり始めました。20時45分34秒の写真です。確かに皆既月食中に惑星食(天王星食)になりましたが、そのあとすぐに部分月食になったことから皆既月食中の惑星食は時間的に短かったことになります。日本では皆既月食中の天王星食の時間は沖縄が最も長かったことになるようです。
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更に29秒進みました。露出を変えて撮りました。20時46分03秒の写真です。撮影条件はISO6400 F11 1/3secです。
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かなり日があたる部分が増えてきました。20時59分54秒の写真です。撮影条件はこちらもISO6400 F11 1/3secです。皆既月食に関しては2014年10月8日の皆既月食を撮影して記事に書いたことはありました。→ポチッ
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今回の皆既月食では一部の時間帯しか写真が撮れなかったので、月食の変化を判りやすくするために2014年10月8日に撮った皆既月食の16枚の写真(-65分~+75分)を並べてみました。写真をクリックすると拡大写真を表示します。




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きりたんぽ鍋 [土産]

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私の姉夫婦が車で十和田湖など5日間の東北旅行に行き、上の写真の秋田で林泉堂のキリタンポ鍋セットをお土産に買ってきてくれて、先日会った時に頂きました。家は東京なので結構な距離の車での旅行に感心いたしましたが、時々九州や四国にも車で旅行しているので驚くほどのことではないようです。

お土産でいただいたのはこちらの比内地鶏つゆのきりたんぽ鍋セットです。真ん中がキリタンポで、右が比内地鶏つゆで、左が生の稲庭うどんです。
岩手県の巖手屋(いわてや)の「ちびっこ南部せんべい」もいただきました。
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クリックすると拡大セットは「きりたんぽ」と「生の稲庭うどん」と「比内地鶏のつゆ」です。クリックすると文字が読める大きさに拡大します。右の写真はネットから転用させていただいた比内地鶏です。
 製造 林泉堂
 住所 秋田県横手市十文字町仁井田字八萩101
 電話 0182-42-5500
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中に入れる具としては、鶏のモモ肉とセリとゴボウと舞茸と長ネギと糸こんにゃく(しらたき)を用意いたしました。鶏肉の代わりに比内地鶏の肉が使えたら最高だと思いますが、近くのお店では手に入らないので鶏肉にいたしました。汁には比内地鶏が使われているので、それて満足することにいたしました。
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きりたんぽ鍋の作り方の説明書です。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。上の写真の具はこの説明書の、おすすめのきりたんぽ鍋の具材と書かれているものでした。
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クリックすると拡大セリ以外の具はキッチンのガスコンロで土鍋に入れて温まったところで食卓のコンロの上に置きました。
きりたんぽ(切蒲英/切短穂)は、ご飯をすり潰して杉の棒に包むように巻き付けて、右の写真のように焼いた秋田県大館・鹿角地域の郷土料理だそうです。マタギの料理が起源との説もあるそうです。
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この器に山盛りだったセリの半分を入れました。これは残った分で、食べながら追加で入れて行きました。
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セリを土鍋に入れたところの写真です。地鶏の定義(日本農林規格)
日本在来種(明治までに日本に定着)の血液百分率が50%以上
生後28日以降は1㎡あたり10羽以下で平飼し、飼育期間が80日以上
農林水産省の日本農林規格(特定JAS規格)で地鶏認定
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この日は日本酒の熱燗でキリタンポ鍋をいただくことにいたしました。
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真中にキリタンポが乘っています。
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いろんな具が見えるのでもう一枚写真を紹介します。比内地鶏は日本三大地鶏の一つで、あとの2つの地鶏は奥久慈しゃもと純系名古屋コーチンです。
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お気に入りの清水焼の秀峰窯のお猪口(ぐい飲み)でいただきました。作者は武内秀峰さんです。お猪口の淵で中を覗き込んでいる人がかわいいので気に入っているのです。これは一閑人(いちかんじん)と言うそうです。
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やはり比内地鶏の梅雨が美味しかったです。
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〆は生の稲庭うどんでした。
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すぐに茹で上がりました。
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稲庭うどんも美味しかったです。最後は器に移した汁も飲み干しました。
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翌日のお昼は残った比内地鶏のつゆで、うどんを食べました。おじやも候補でしたが、しめの稲庭うどんが良かったので、うどんにしました。具は蒲鉾とめんぶと小葱です。
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やっぱり美味しかったので、おつゆも完全に飲み干してしまいました。
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こちらが、比内地鶏つゆのきりたんぽ鍋セットと一緒に頂いた、岩手県の巖手屋(いわてや)の、ちびっこ南部せんべいです。
 製造 巖手屋/(株)小松製菓
 電話 0195-23-6311
 住所 岩手県二戸市石切所字前田41-1  SV1
 工場 岩手県二戸市石切所字台中平35-5 SV2 
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クリックすると拡大お土産をくれた姉の小さい時の21枚の写真を3秒間隔で紹介します。9枚目から私も登場します。写真をクリックすると今はない阪急西宮球場の横を歩いている10枚目の右の大きな写真を表示します。その写真は記事男明神と女明神に詳して説明させていただいています。
クリックすると拡大クリックすると拡大最後の3枚の写真は広島市井口で海に面した住んでいた家の庭で撮った写真です。私が小学4年の時に神戸に引越しましたが、右の庭からの写真のように景色のいい海に面した家に住んでいたのはいい思い出になりました。山は安芸小富士です。
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塩原温泉 その2:夕食のバイキング [那須・塩原]

saka-01-480.jpg写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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塩原温泉ツアーでホテルニュー塩原にクリックすると拡大12時20分に着いてチェックインを済ませて、先ずは昼食を食べて、13時30分から15時まで右の写真の会場で昼の部の演劇を1時間30分見て温泉に入って17時15分から夕食にいたしました。上の写真のように、すでに沢山の人が来ていました。
夕食は前記事でも紹介した通りバイキングでした。記憶の中で泊まったホテルの夕食がバイキングだったのは今回を含めて2度だけなので新鮮な経験となりました。1回目は2007年5月12日の洞爺観光ホテルの夕食だったのでした。

今回のバイキングでの夕食で驚いたのが、用意されている料理の種類の多さでした。上の写真の奥側に、その料理が並べられていて皆さんが料理を撮っています。その部分を切り取ったのが下記の写真です。表示それてい料理の種類が書かれた天井から吊るされている表示板は読み取れるものだけで、左の方から逸品料理、ローストビーフ、揚げ物、天ぷら、寿司・刺身、ステーキ、栃木の郷土料理、サラダバーです。写真の方向意外にも料理や飲み物が並べられているので、その多さが分かっていただけるかもしれません。写真をクリックすると細長い写真の拡大版を表示いたします。切り替わっている画面は細長い写真の左から順番に表示しています。細長い写真の中の黄色の枠の部分が下の大きな写真です。
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注文したビールとお酒が届いたところで記念写真を撮ってもらいました。我々の席はDエリアの5番です。テーブルの上にD-5と書かれたテーブル番号が置かれているのが分かると思います。受付に行くとこのD-2の番号が告げられてスタッフの人に案内していただきました。我々の後ろに写っているエリアはAとBとCエリアです。私が右側で、左側が友人二人です。
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我々が1回目に選んだ料理がこちらです。3人が1回目に選んだ料理は意外と共通のものは少なかったです。このことからも料理の種類が多いことが分かっていただけると思います。2回目以降は相手方の料理も考慮して選んだと記憶しています。友人の2人は日本酒でした。ビールのコップは3つありますが、最初の乾杯以降は私が主に飲みました。
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EとFエリアにはまだ人が入っていませんでした。カーテン際には飲み物エリアが設けられていました。当然ですが、アルコール以外は無料です。
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ビールやお酒が届く前に撮ってもらった写真です。
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前記事で紹介した私が1回目に選んだ料理です。握りずしと海老フライとズワイガニと刺身です。2回目、3回目に取りに行った料理も紹介したかったのですが、話が弾んでしまって写真を撮り忘れました。
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友人2人の選んだ料理も紹介しておきます。
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1杯目のビールピッチャはみんなで飲みましたが、友人の2人はコップ1杯のビールを飲んだ後で、すでに日本酒にしていたので、2杯目のビールのピッチャーは私一人で飲むことになりました。
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食事の後は夜の部の演劇を見に行きました。私にとっては初めての経験となった演劇に関しては「その3」で詳しく紹介したいと思います。
下の写真は浅井グループあるいは浅井劇団のメンバーと思われます。ネットで確認した範囲では左端が浅井陽子で左から2番目は浅井海斗(又は浅井大空海)で3番目が浅井春道で右端が浅井みのりではないかと想像していますが、浅井陽子以外は今のところ確証がありません。
クリックすると拡大右の大きな建物がホテルニュー塩原の本館です。翌日の朝食前の朝の散策の時に撮りました。早朝の散策で撮った写真は「その4」で紹介したいと思っています。
 名前 ホテルニュー塩原
 住所 栃木県那須塩原市塩原705
 電話 0570-021126
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塩原温泉 その1:西船橋→塩原温泉 [那須・塩原]

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この写真が塩原温泉へのバスツアーの出発地のJR西船橋駅前のバスターミナルです。前々記事で新型コロナ感染前に行ったハワイ旅行の57記事の最後の記事を掲載したばかりです。海外旅行を含めて旅行には長くいっていないので、新型コロナ感染拡大前の2019年12月13日に行った国内旅行を紹介いたします。個人旅行でもなく家族旅行でもなく会社の仲間の同年代の男同士の3人での塩原温泉へのバス旅行でした。女性同士の旅行は多いと思いますが、ゴルフではなく普通のバス旅行の男同士は珍しいと思います。ただし2人ともに親しいゴルフ仲間でもあります。

東北縦貫自動車道のパーキングエリア(羽生PA)で撮った友人2人の写真です。
クリックすると拡大1人は写真の右側で、私が初めて海外出張(1988年2月29日~3月6日)をしたときに一緒に行動してくれた大手の商社マンで一緒に客に対してプレゼンをしながら1週間毎日飲み歩いて親しくなった人です。その時の海外出張の写真で掲載した記事→ポチッ
その後もいくつか仕事をしていて、さらに十数年経ってから当社の経営陣とも親しかったこともあり当社に移り、驚いたことに私の仕事も担当する立場になったことから、今でも特別に親しく付き合うようになったのです。ハワイの記事の中の16の記事で紹介したハワイの珍しいいろんな場所、例えば4億円のオープンハウスを案内してもらったのが、右の小さな写真の、この人のお姉さんとそのご主人だったのです。
クリックすると拡大左側のもう1人は私と同期入社で神戸事業所の同じ課に配属になった関係で、組織ごと東京に転勤になり、同じ仕事を一緒に続けてきた親しい友人です。移動の多い組織の中では珍しいのかもしれません。余談ですが神戸の同じ課に配属になったのは、私とその友人と2人だけでしたが翌年から3年間は毎年同じ課(設計)に5人~6人が配属されたことから課の平均年齢が25歳になったのは伝説となっています。もともと設計部門の小さな課だったことから大部分が若い人になったからなのですが、組織トップの新入社員の教育方針だったのだと思いますが、長く付き合う親しい仲間が沢山出来ました。
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いよいよ出発です。写真のバスに乗りました。非常にお得なツアーだったので紹介したいと思います。宿泊代と往復のバス代は別ですが、食博代も安く設定されているのですが、申し込むと往復のバス代は1500円と格安になるツアーでした。
 名称 豪華バイキング2食付き 大江戸温泉物語の大満足スタンダードプラン
 泊数 1泊
 施設 大江戸温泉物語 ホテルニュー塩原
 住所 栃木県那須塩原市塩原705
 電話 0570-021126
 日時 2019年12月13日(金) 15時00分までにホテルチェックイン目標
 食事 夕食 朝食 2食共にバイキング
 料金 合計 12,628円 ( 宿泊 10,978円 入湯税 150円 バス 1500円 )
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西船橋を出発した時の車内の写真です。思っていたより少ない感じでした。
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バスの車内から出発した西船橋のバスターミナルを撮りました。京成高速バス待合室の前で事務所の人に見送ってもらえました。この時8時33分でした。
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こちらが西船橋から塩原温泉のホテルニュー塩原までのルートです。お客が少ないと思ったら新松戸でもお客が乗るようです。羽生PAと千本松牧場はトイレ休憩が主な目的ですがお土産なども買えます。チーズガーデンは翌日の帰りに寄った土産物店です。往路(Ⓐ→Ⓑ)で走った距離は194kmです。地図内のオレンジ色マーク( )は後で紹介する男体山(2486m)と大真名子山(2376m)と小真名子山(2323m)と女峰山(2483m)と赤薙山(2010m)です。
 西船橋      新松戸      羽生PA
 千本松牧場    ホテルニュー塩原 チーズガーデン


新松戸で沢山の人が乗ってきました。関東全域で見ると、出発地の西船橋よりも新松戸の方が便利な人が多いのだと思います。この時9時11分でした。
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新松戸を出発すると、バスは満席(補助席は除く)になりました。さすが往復1500円の激安料金だと感じました。Yahoo路線情報で在来ルートで検索すると最安値は往復5662円(=2831円×2)でした。
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羽生PAに着いたのは10時18分で、出発したのは10時25分でした。
バスツアーが初めてだったので、恥ずかしながら知らないことがありました。それはバス内ではお酒類を飲むことは禁止されていることでした。バスの中でビールを飲むつもりで、西船橋でバスに乗る前に冷えたビールを買うつもりでしたが、たまたま近くでビールが売られていなかったので、幸いにも持ちこみませんでした。バスの中で酒類を飲むことが禁止されていたのを知っていたのは3人の内で1人だけでした。
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このバスは「ホテルニュー塩原」だけでなく「那須塩原かもしか荘」の客も乗せていましたが、数人だったと思います。
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出発するときに撮った羽生PAの建物です。
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羽生PAを出発して32分後の10時57分にきれいな形の山がありました。クリックすると拡大山はイメージから男体山(なんたいさん 2486m)の可能性が高そうです。もし男体山ならば男体山の右側の山々は大真名子山小真名子山女峰山赤薙山と続いていることになります。比較のために5つの山が写った写真を右に転用させていただきました。さらにいろんな場所からのストリートビュー(SV)でも確認結果、多少は形が違うのは見ている角度の違いと思われることから男体山が写った写真に間違いなさそうです。さらに左の奥に雪が積もった山々が見えます。 SV1 SV2 SV3 SV4
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この川を渡ったのは11時16分です。羽生PAを出発して51分後です。川の名前は鬼怒川です。見えている高い山は釈迦ヶ岳(1794m)や明神岳西峰(1640m 関東平野展望台)や前黒山(1678m)や剣ヶ峰(1540m)や矢板市最高地点(1590m)や鶏頂山(1765m)と思われます。東北縦貫自動車道の鬼怒川橋からのスシリートビュー(SV)でも同じ形の山が確認できました。
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千本松牧場の駐車場につきました。ここは一度来たことがある場所でした。この時、11時39分でした。ここではたっぷり時間があったので軽いものなら食べる時間はありました。出発したのが12時ごろでした。
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私は散策するだけでしたが、美味しいと言われていたソフトクリームを探しに遠くまで行った人もいました。ゴルフのためにこの先にあるロッジに泊まったことがあります。この時にも私と今回の同期の人も一緒でした。千本松温泉と言う露天風呂もあったので入りました。2013年10月20日~21日のことでした。
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坂を上り始めました。
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上り始めてすぐに箒川(ほうきがわ)沿いに塩原温泉まで上っていきます。険しい渓谷も至る所にありました。
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実は渓流沿いの景色の紹介をメインに記事を書くつもりでしたが前置きが長くなりました。
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最初は道と渓流との高低差がありましたが、次第に近づいてきました。
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大きな岩は野立岩と名付けられています。すでに旅館やホテルが並ぶ温泉領域に入ってきているのです。
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一番手前の白い建物には大和屋旅と書かれています。奥にある黄色の建物には湧花庵と書かれています。
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渓谷沿いの道の辺りの地図で紹介します。黄色ラインは東北縦貫自動車道から見えた釈迦ヶ岳の方向を示しています。釈迦ヶ岳はホテルニュー塩原から直線距離で8.65kmの距離です。
 ホテルニュー塩原 ← 野立岩     ← 千本松牧場


12時20分にホテルニュー塩原に到着いたしました。
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さっそくチェックイン手続きです。
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先ずは昼食を食べました。私はお蕎麦を食べました。
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もちろんビールを注文いたしました。
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ホテルには川を挟んで別館(湯仙峡)があり、本館と別館は写真の黄緑色の橋でつながれています。橋の名前には「虹のかけ橋」と言う名の名前が付けられています。
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その虹のかけ橋から下流側を撮った景色です。上の写真は、この写真に写っている歩道橋から撮りました。
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ホテルでは沢山の演劇が用意されていました。ほとんどが無料で見れます。
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先ずは夕食前に鳳凰座の演劇を見ました。このような演劇は生まれて初めて見たのだと思いますが、なかなか面白かったので別の記事で詳しく紹介したいと思います。
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温泉は大浴場のために写真は撮れませんでした。そのような時は朝早く行くと人がいないことが多いのですが、朝早く行っても人がいて撮れませんでした。代わりに案内板を紹介します。これによると7つのお風呂があるようです。
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道路の側溝を流れている水も温かいほどお湯が豊富でした。
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同じところを暗い時(翌朝5時半)に撮ると湯気が立っていて暖かいお湯が流れていることが分かります。実はこのお湯はホテルニュー塩原の本館の建物の真下を流れて箒川(ほうきがわ)に滝の形で流れ落ちていました。次の写真にそのお湯の滝が写っています。
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本館の下に落差15mの滝がありますが、このお湯が上の写真の小川を流れてきたお湯なのです。この温泉の滝の湯気で虹が出来ることもあるのだと思います。そのために「虹のかけ橋」と言う名前が付けられたのかもしれません。この写真は翌朝に撮りました。滝の名前は「七絃の滝(七弦の滝)」と名付けられています。
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こちらが夕食です。バイキングなので蟹も寿司も食べ放題でした。やはり蟹は人気でした。こちらも別途紹介したいと思います。
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もちろんビールを頼みました。アルコール類だけは料金には入っていないので別清算となりました。
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朝食のバイキングもいろんなものがあったのでお茶漬けにしてみました。
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カレーも食べたくなって食べてしまいました。
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ホテルの本館と川を挟んで別館(湯仙峡)にはクリックすると拡大昔に使われたと思われる駐車場とホテルの入口がありました。入口の中にはロビーがあったことから、今の本館が出来る前はこちらが本館だったのかもしれません。サンダーソニアさんのコメントを見て、早朝の散策の時に撮った写真を下に追加させていただきました。右の小さな写真はネットから転用させていただいた昔のホテルの入口です。クリックすると拡大さらに調べてみると1952年2月に塩原東京ホテルという名で開業したそうです。1957年に今の本館側に新館が完成してロープウェイでつないだそうです。1965年にホテルニュー塩原と改称するとともにこの場所の建物を東館としたそうです。1972年には新館の場所に西館がオープンして塩原温泉で最大のホテルになったそうです。その後に西館は本館と呼び、東館は別館(湯仙峡)と呼ぶようになったようです。
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恐竜を絶滅させた6604万年前の隕石の衝突クレーター [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今は恐竜を絶滅させた約6600万年前(又は約6500万年前)の隕石衝突はユカタン半島辺りであると知られていますが、長く隕石衝突の場所は見つかりませんでした。2年前くらいにテレビで恐竜を絶滅させた隕石のクレーターの痕跡を発見した経緯の放送が印象的だったので調べて記事にしてみました。
上の図は隕石の衝突で出来た直径180kmのクレーターのNHKが作ったイメージ図です。このクレーターの痕跡がメキシコのユカタン半島の地下で発見され隕石衝突によるクレータの存在が確認されたことで、直径10kmの隕石衝突により恐竜が絶滅した説は多くの人に受け入れらました。衝突の瞬間に多くの恐竜が死滅したことは想像されますが、その後にどのようなプロセスで恐竜が完全に絶滅したのかに関してはまだいろんな説が残っていて完全には解き明かされていません。衝突で舞い上がった塵によって環境変化が起こり絶滅した説や、衝突の衝撃でデカン高原などで巨大な火山噴火か誘発されて環境変化が起こり絶滅した説や、あるいは両方なのかはまだ判らないそうです。

石油探査の海の中の地下を磁気センサーによる調査で地下探査の技術者によって偶然にも発見された直径180kmのクレーターです。今はユカタン半島がありますが、隕石衝突時は海でした。
恐竜が約6600万年前に小惑星の衝突によって絶滅したという説の発端は、1977年にウォルター・アルヴァレスがイタリアの白亜紀末(約6550万年前)の地層でK-Pg境界(またはK-P境界)と名付けられた境界を見つけたことでした。K-Pg境界は世界各地で発見され、そのK-Pg境界では恐竜を始めとして化石の種類が激変している上に、そのK-Pg境界には地球の表面では少ないはずのイリジウムが多量に含まれていたことから、小惑星の衝突によってK-T層(白亜紀と第三紀の境)ができたという仮説が浮上し、それを裏付ける発見がその後も多くあったことから巨大隕石(小惑星)の衝突が恐竜の絶滅(地球での5度目の大量絶滅)の原因とする説が有力になりましたが、巨大隕石(小惑星)の衝突の直接の証拠であるクレーターが見つかっていなかったことから、巨大隕石(小惑星)の衝突は恐竜の絶滅の有力な説でとどまっていたのです。
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その直径180kmのクレーターの位置をGoogle地図に書き込みました。現在ではクレーターの上半分は海の中で、下半分は陸地の地下にあります。


クレーターの位置が分かるサイズにいたしました。現在地上の部分はメキシコのユカタン半島です。放送によれば直径10kmの隕石が地球に衝突する確率は1億年に1回だそうです。今、同程度の隕石の衝突が起きたとき人類は生き延びることが出来るでしょうか。


隕石が衝突した場所の現在の風景です。こちらはテレビ画面を撮ったものです。Google地図での地名はチックスルブ・プエルト(Chicxulub Puerto)です。NHKではチクシュルーブ村と書かれていました。 クレーターの名前はチクシュルーブ・クレーター(Chicxulub crater)です。チュチュラブ・クレーター又はチチュルブ・クレーターとも発音されています。フランス語ではCratère de Chicxulubです。高精度な放射線測定分析により隕石の衝突時期は6603万8000年前±1万1000年つまり6604万9千年前~6603万7千年前となるそうなのでタイトルには6604万年前と記載しました。ただし一つの説であり完全に認められているわけではありません。
残念ながら番組のタイトルを忘れてしまいました。画面の左上隅に「コズミックフロント☆NEXT 恐竜絶滅 幻のクレーターを求めて」と書かれていて、右上隅に「NHK BSP」と書かれています。このタイトルで検索しても出ないことから2020年8月14日に放送された「恐竜絶滅 隕石説の真相」の可能性があります。
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Googlマップで上の場所のストリートビューを探してみました。上の写真の黄色の丸で囲んだ建物があることが分かっていただけると思います。


Googleマップでの撮影場所の航空写真で、画面の中央あたりの桟橋から左方向に撮っていました。画面内のマイナスのアイコン(―)を9回クリックするとクレーターが画面いっぱいの大きさの4つ上の画面と同じ縮尺になります。


クリックすると拡大写真や上のSVが撮られた場所( )をGoogleマップで紹介します。この近くにクレーターの中心があります。陸側には右の写真の浅い内海が広がる不思議な地形です。地図内の左下にあるマイナス(―)のアイコンを5回クリックするとクレーターの輪郭が表示されます。

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最後はテイクアウトのビザでホテルでのんびり [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事で紹介したホノルル動物園を見た後は夕食を買いにテイクアウトできるお店を探してみました。ハワイ旅行の最後の夜なのでホテルの部屋から毎晩行われている右下の花火を見ながら食事をしてみたかったのです。この日が最後のチャンスだったのです。探していると100人を超える団体の方があるいておられて驚きました。今までに1度だけ384人の団体の観光客にクリックすると拡大北海道の洞爺湖にあるザ・ウィンザーホテル洞爺で出会ったことがあり、それ以来のことでした。その時は韓国の保険会社の社員旅行(または契約者旅行)でしたが、今回のどのような団体旅行なのかは知る由もありませんでした。
洞爺湖の384人の団体旅行の記事→ポチッ

クリックすると拡大テイクアウト出来そうなお店を見つけました。写真はお店の中です。買ったときはお店の名前は気にしていなかったのでわかりませんでしたがピザを入れていた右のパッケージでわかりました。クリックすると拡大お店の名前はウルフギャング パック エクスプレス(Wolfgang Puck Express)です。ホノルル動物園の入口のすぐ近くでした。海側(ビーチ側)には右の小さな写真のように沢山のテーブル席が並んでいました。
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こちらがメニューです。夕食はピザにすることにして2枚買いました。明日の朝食用にサンドイッチも買いました。Wolfgang Puck Expressは大手町原宿竹下通りにもお店があります。Wolfgang Puck Cafe(愛知 池袋)やWP PIZZA(横浜)やWolfgang Puck Pizza Bar(赤坂 品川 大阪)やWOLFGANG PUCK PIZZA(大阪国際空港)やWOLFGANG PUCK KITCHEN+BAR(武蔵小杉)も加えると日本に10店舗もあることになります。
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お店の中から外を見ると、先ほどの団体旅行の人達の行列は続いていました。これは100人どころではなく洞爺湖の時のように数百人になるのではないかと感じました。
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クリックすると拡大お店(Wolfgang Puck Express)があった建物のSVを紹介します。建物の右の奥に少し木が見えるところが動物園の入口の前の広場です。お店の場所は道路沿いに2つの赤いパラソルが立てられているところです。右の小さな写真の看板も確認できると思います。


お店(Wolfgang Puck Express)の場所をGoogleマップの航空写真で3D化された画像でも紹介します。中央のレストランマークのところです。ワイキキビーチに沿ったKalākaua Ave(カラカウア通り)に面した角位置の最高の場所にあることが判っていただけると思います。
画面をクリックするともう少し広い範囲を表示します。
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ホテルに戻ってきて、さっそくバルコニーで夕食を始めました。ピザの生地は結構よかったです。この時18時26分でした。
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ポテトも買ってきました。ちなみに今回のような構造のバルコニーをハワイの建築用語でラナイ(ハワイ語: Lānai、英語: Lanai)と呼ぶそうです。
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欠かせないのがビールです。ビールはホテルに併設しているラッセルズ コンビニエンス(Russell's Convenience)で買ってきました。缶には「1PINT 9FL. OZ.(74 CL)」と書かれていることから量は74センチリットルつまり740mlと大ビン並みの量が入っています。クリックすると拡大キリンのカルフォルニアの工場で作られているようです。
クリックすると拡大アメリカは州によってビールの税金が違います。ハワイ(HI)は1ガロン(約3.8リットル)あたり$0.93です。最も安いのが$0.02(MY)で高いのが$1.29(TN)です。ちなみに日本のビールの税金は絶対額ではなく価格に対する比率です。現時点では45.1%がビールの酒税です。
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朝食用に買ってきたサンドイッチですが、サンドイッチが美味しそうだったのと、ピザの方が翌日の鮮度が良さそうなのでサンドイッチを夜に食べてピザの一部を朝食用に残しておくことにいたしました。
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サンドイッチであることをわかっていただくために断面を紹介します。
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あとはゆっくりとバルコニーでビールを飲みながら花火が上がるのをゆっくりと待つだけでした。
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暗くなってきました。
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大型のクルーズ船も出てきました。
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大型のクルーズ船が正面まで進んできました。小型のクルーズ船も出ていました。
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ヘリコブターも飛んでいました。もしかしたら遊覧飛行かもしれません。
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前日までの記憶から花火が上がりそうなところを撮りました。ビルの明かりもよるらしくなった来ました。
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ホテルの下の広場では火のついた棒を回していました。回しているのは女性でした。周囲には仲間の人しかいないので、ショーのための練習を行っていたのかもしれません。5枚の写真を数秒ごとに表示しています。写真をクリックする明るく調整して広い範囲を表示します。
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先ほどの大型のクルーズ船が戻ってきました。おそらく花火を見るのに絶好の場所に向かっているのだと思います。乞うすぐ花火が始まる予感がしました。
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きれいな夜景になってきました。
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ビルの明かりもきれいでした。
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拡大いたしました。
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花火が上がり始めました。上の写真とは違う場所でした。この写真の右端の部分が上の写真の場所です。レンズは100mmで撮っています。
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クリックすると拡大大きな花火です。ワイキキビーチでは2012年から姉妹都市である長岡の花火がフェスティバルで打ち上げられているそうです。右の小さな写真はホノルル・フェスティバルで打ち上げられた長岡花火です。
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立派な花火だったので上の写真をトリミングしてみました。ビルの大きさと比べてもらうと花火の直径が大きいことが判っていただけると思います。
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最大400mmのズームレンズで285mmで撮りました。
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4枚の連続写真です。こちらも285mmで撮っています。きれいなビルをバックに海の方から見る花火は格別でした。
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花火の動画も撮ったので紹介します。こちらは最大400mmのズームで285mmで撮った動画です。本動画は撮ったオリジナルから後ろを6秒間カットしています。オリジナルだと花火の日が完全に消えてから16秒間ほど花火が上がらないので本動画は最後のフィナーレではないかと思います。動画が終わるとまた頭から繰り返すように設定しています。


コンデジで撮った動画も掲載します。オリジナルは9秒の動画なので繰り返して長く致しました。写真だと遠いようですが、実際に見ると近くに感じる上に音も聞こえてくるので楽しめました。上の動画と同時にプレーボタン( )をクリックすると同時に見れるので時間短縮になると思います。


クリックすると拡大花火は思っていた場所より遠い場所で打ち上げられていました。実感を感じていただくために花火の動画と写真の範囲を紹介いたします。黄色の枠が285mmで撮った動画で橙色が100mmで撮った右の花火の写真の範囲です。花火を大きく撮った写真は動画と同じ285mmなので高さは違いますが黄色の枠と同幅です。
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夜景では建物などがはっきりわからないので、ホノルル動物園に行く前の朝の明るいときに撮った写真で、285mmで撮った動画と、100mmで撮った写真の範囲を表示しています。この写真自体は同じカメラで28mmで撮っています。上の夜の写真も28mmです。ヤシの木のところに枠があるのはこの写真を撮った時のバルコニーの中のカメラの位置のためです。
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撮った写真から花火の打ち上げ場所(黄色の丸いマーク )を割り出してみました。花火の打ち上げ場所はワイキキビーチの最も北西側にあるデューク・カハナモク・ビーチ(Duke Kahanamoku Beach)です。
赤色マーク( )が目印のビルの左端で、紫色マーク( )がホテルの我々の部屋の位置です。花火を間近で見たい方は参考にしてください。ハワイに到着した1日目に右下の夕食を食べたお店Blue Water Shrimp and Seafood( )が近い場所でクリックすると拡大帰りに花火が打ち上げられていたので同じ場所なのだと思います。ただし、この時はビルが多くてチラリとしか見えなかったです。やはり近くても海の見える場所に行く必要がありそうです。その時は土曜日で、ホテルから見たのは金曜日でした。ホテルの部屋のバルコニー( )から花火の場所( )までは2.75kmの距離で、ホテルの部屋から目印のビルの左端( )までは 3.6kmの距離があります。クリックすると拡大目印のビルはこの日の午前中に買物に行ったアラモアナセンター(Ala Moana Center)の近くでした。橙色のラインがワイキキビーチ(8つ又は9つのビーチの総称)です。ネットで調べた結果、若干東にずれますが、やはりデューク・カハナモク・ビーチで、ほぼ一致していました。→ポチッ


ホテルの部屋から見た目印のビルと花火の位置関係です。写真はビルの輪郭が判るように画像処理しています。写真をクリックするとオリジナルの写真を表示します。花火の場所と目印のビルは近いように見えますが1.85km離れています。
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花火が終わっても皆さんまだ、まだ楽しまれていました。クリックすると拡大我々はバルコニーでビールを楽しみました。写真をよく見ると飛行機が飛んでいます。クリックして拡大するとわかると思います。右から左上の方向に飛んでいます。
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バルコニーからの帰国日の朝の景色の動画です。最後の朝の景色と思うと少し寂しくなります。どうがの最初は前日に花火が行われた場所にズームしてから右方向にカメラを向けていきます。その後いろんな場所にカメラを向けます。


同じく帰国日の朝の写真です。帰国の日にふさわしい晴天でした。
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少しズームしました。前日の夜にあった花火は右端の辺りで打ち上げられていました。
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クリックすると拡大サンドイッチの代わりに残しておいたヒザとホテルの部屋に備えてあったコナコーヒーで朝食にしました。右のように空港のラウンジでたっぷり食べれるので軽めにしたのは良かったです。
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ホテルのバルコニーからホノルルの町の方向のを撮った2枚の写真をつなげてみました。
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ホテルの前の広場の朝の風景です。キャンプを行っている人が沢山おられました。
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帰国のフライトは14時50分発でしたが、空港で買い物をしたり、クリックすると拡大JALのラウンジでゆっくりしたかったので10時15分にホテルをチェックアウトするために右の写真のロビーに下りて、タクシーを頼んで待っている間に朝食を2日目6日目7日目の3度食べたレストランHau Tree Lanai(ハウツリーラナイ)の写真をあらためて撮らせていただきました。
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ロビーに昔の創業当初と思われるホテルの写真があって写真を撮らせていただいたので紹介します。こちらはレストランHau Tree Lanai(ハウツリーラナイ)の写真です。白黒写真であることからホテルがオープンした1963年からそんなに経っていない時期の写真だと思われます。
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レストランHau Tree Lanai(ハウツリーラナイ)での屋外バーベキューかもしれません。
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クリックすると拡大こちらもレストランHau Tree Lanai(ハウツリーラナイ)です。水平線に沈む夕日が写っています。右は同じレストランで朝食をいただいたときの写真です。このホテルの歴史は1903年に、この場所に建てられたMcInerny Cottage(マキナニー・コテージ)にさかのぼるそうです。
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こちらはホテル内の日本食店だと思います。日本食店があったということは、このころからニューオータニ・カイマイビーチ・ホテル(New Otani Kaimana Beach Hotel)だったのかもしれません。
調べてみると1963年に建てられたカイマナビーチホテルは、2020年11月まではザ・ニューオータニカイマナビーチホテル(The New Otani Kaimani Beach Hotel)という名称でしたが、12月から新しいオーナーに変わり、ホテル名もカイマナビーチホテル(Kaimana Beach Hotel)に変更されたそうです。新型コロナで日本人観光客が減ってしまった影響なのかもしれません。
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海から上がってきて飲み物を楽しんでいるところでしょうか。このホテルが1963年に建てられ、日本人の海外渡航自由化は1964年4月1日だったそうです。丁度このころですが、日本からのハワイツアー代金は現在の物価に換算すると400万円(JTB 9日間36万4000円=国家公務員大卒初任給の19倍)だったようで、ハワイはまだまだアメリカ人のリゾート地だったようです。
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ホテルの客室です。外の景色の雰囲気から我々が停まった部屋に近い場所だと思われます。
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こちらが我々が泊まった部屋のベット側です。この部屋はハワイ島ツアーに行く前の部屋で514号室で、ハワイ島ツアーから戻ってからは512号室でした。つまり上で紹介した花火の景色など撮ったのは512号室です。
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海から見た我々が泊まったKaimana Beach Hotelです。
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昔の航空写真も飾られていました。黄色い矢印がKaimana Beach Hotelです。バックにある険しい山がダイヤモンドヘッドです。色が変色していますが、カラー写真です。
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空港に向かうタクシーの中からダイヤモンドヘッドを撮りました。本議事がハワイ旅行の記事を終了します。ハワイ旅行(2018年5月19日~5月27日)の記事は途中で中断していたので、すべて掲載するのに4年5ケ月かかったことになります。着色したタイトルをクリックすると記事を表示します。
 01 5月19日からハワイ旅行に行ってきます。
 02 ハワイ旅行の出発便を紹介します。JL786
 03 ハワイ旅行の帰国便を紹介します。JL789
 04 ハワイに着いて最初にビーチに出てみました。 カイマナ ビーチ(Kaimana Beach)
 05 路線バス'The Bus'に乗ってホノルル美術館を目指しました。
 06 ホノルル美術館 絵画編
 07 ホノルル美術館 Art of Hawaiʻi エリア編
 08 ホノルル美術館 特別展編 Erick Swenson
 09 ホノルル美術館 モダンアート編
 10 ホノルル美術館 日本・中国・韓国美術編
 11 ホノルル美術館 本館2階展示室
 12 ハワイ旅行の初日の夕食はロブスターテールとガーリックシュリンプ
 13 泊まったホテルの朝食 エッグベネディクト(Egg Benedict)
 14 ダイモンドヘッドに登りました。
 15 ハワイモンクアザラシ かも
 16 ハワイの4億円のオープンハウス
 17 ココヘッド周辺はホノルルの最も東に位置するベットタウン
 18 ハワイのパラグライダー
 19 ハロナ潮吹き岩(Halona Blowhole)
 20 ワイナマロビーチ(Waimanalo Beach)
 21 ハワイ旅行2日の夕食は地元で超人気のベトナム料理店 Hale Vietnam Restaurant
 22 3日目の朝食はワイキキビーチのレストラン
 23 朝の公園の景色 カピオラニ公園(kapiolani Regional Park)
 24 素敵な時間に出会えました。 カワイアハオ教会
 25 イオラニ宮殿(ʻIolani Palace)
 26 カメハメハ大王像 Kamehameha Statue
 27 アリイオラニ・ハレ(Aliʻiōlani Hale) ハワイ州最高裁判所
 28 ビショップ博物館 Bishop Museum
 29 オアフ島からハワイ島へ
 30 ツアー出発前にコナの町(Kailia-Kona)を散策
 31 マウナケア・ツアー その1 ホテル→マウナケア州立公園
 32 マウナケア・ツアー その2 マウナケア州立公園→オニヅカ・ビジター・ステーション
 33 マウナケア・ツアー その3 ギンケンソウ(銀剣草)
 34 マウナケア・ツアー その4 マウナケア山頂(標高4205m)へのルートからの景色と山頂..
 35 マウナケア・ツアー その5 星座観察
 36 ワイピオ渓谷(Waipio Valley) ハワイ島2日目のハワイ島一周ツアーの最初の目的地
 37 アカカ滝(Akaka Falls) ハワイ島一周ツアー
 38 カメハメハ大王像 と ビッグ・アイランド・キャンディーズ ハワイ島一周ツアー
 39 ハワイ島一周ツアーのランチ ナニマウガーデン(Nani Mau Garden & Restaurant)
 40 ランの植物園 アカツカ・オーキッド・ガーデン ハワイ島一周ツアー
 41 キラウエア火山には行けませんでした。 ハワイ島一周ツアー
 42 プナルウ黒砂海岸はウミガメを間近で見れるビーチでした。 ハワイ島一周ツアー
 43 ハワイ島の溶岩の大地を実感 その後はロイヤル・コナ・コーヒー・ショップ ハワイ島一周..
 44 ハワイ島からオアフ島に戻っての最初の朝食
 45 パンチボール(Punchbowl)
 46 ヌウアヌパリ(Nuʻuanu Pali)は強風の名所
 47 日立の樹 モアナルア・ガーデン(Moanalia Gardens)
 48 Laniakea Beach 日立の樹の次に目指したのはオアフ島の北のビーチ
 49 オアフ島ノースショアでの昼食は超人気の海老料理 Giovanni's Shrimp Truck
 50 オアフ島ノースショアの サンセットビーチは日本のサーフィンのオリンピック選手が育っ..
 51 昼食後のデザートはドール・プランテーション(Dole Plantation)でのドールホイップ..
 52 パールハーバー
 53 ハワイの地元の人達の御用達店でハワイ料理 Young's Fish Market
 54 ハワイ7日目の朝食はPancakes Supreme とFruit Plattr
 55 帰国前日にハワイ最大のショッピングモールのアラモアナセンターにお土産を買いに行きま..
 56 コモドドラゴンに出会えたホノルル動物園(Honolulu Zoo)
 57 最後はテイクアウトのビザでホテルでのんびり
   2018年掲載:01~28  2019年掲載:29~33
   2020年掲載:34~35  2022年掲載;36~57

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飛行機の窓からの写真で、右端に見えているのはホノルル空港(ダニエル・K・イノウエ国際空港)の4つ滑走路の中の一つで、1977年10月に完成したリーフ・ランウェイと呼ばれている完全に岸から独立した形の滑走路です。ハワイの陸が写った最後の写真です。まさに離陸してハワイを離れる瞬間です。沢山のハワイの記事にお付き合いいただきありがとうございました。
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タグ:旅行 ハワイ
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