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山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。 無動寺 [神戸]

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前記事で紹介した六條八幡宮(六條八幡神社)の次に訪問したのが、今回紹介する無動寺です。上の写真は六條八幡宮を出てすぐの場所で無動寺に向かっているところです。最初はこのようにのどかな道でした。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六條八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
今までに書いた本ハイキングに関しての記事のタイトル
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
                        海鮮居酒屋・海流(三宮)
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国指定の重要文化財(重文)の三重塔(さんじゅうのとう)がある六條八幡宮()から無動寺までの道を最初に順番に紹介したいと思います。今回のハイキングで登り坂があったのが無動寺に向かう道でもありました。
  六條八幡宮
  無動寺
  若王子神社
  無動時 奥の院
  谷寺口バス停
 ━━ 散策ルート 六條八幡宮()→無動寺()→若王子神社()→
          →奥の院()→谷寺口バス停()


無動寺に向かう道から、振り返って六條八幡宮を見た景色です。判りにくいけれども右端に三重塔も写っています。
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途中に無動寺の道標がありました。無動寺はユースホステルもやっていたことを初めて知りました。


ここは、まだ無動寺への登り坂ではなく、上り下りが続く起伏のある道の中の上り坂の場所です。
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途中に新兵衛石と呼ばれている記念碑がありました。
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江戸時代の勇気ある15歳の若者の行動をたたえた石碑でした。この地の領主も心ある人だったことが、説明によってわかりました。
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ここからが無動時への登りです。見えている道を登っていくと無動寺に行けます。
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その登り坂の道を順に紹介していきますので、同じように登った気分になってもらえれば幸いです。
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なかなか無動寺には着きませんでした。
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やっと無動寺の文字が書かれた石碑が現れました。左の細い道の方向に無動寺があります。右側の太い道には進んでいませんが、Googleの航空写真から判断するに無動寺に付属した墓地の方向に進む道のように思われます。この写真を撮った辺りには「是より無動寺 新四國八十八ヶ所」と書かれた石碑が建っていました。
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無動寺に向かう道の途中には沢山の石碑がありました。
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こちらの石像が納められた台座には第壱番と書かれていました。台座を寄進したと思われる人の名前が書かれていました。この台座には渕上静雄さんと渕上春子さんの名前が彫られていました。
登っていくごとに第二番、第三番と続いていてすべての台座に寄進者と思われる方の名前が刻まれていました。石像は古いもののようなので、台座を平成年代(平成十二年~平成十三年)に建てて整備したものと思われます。番号が付いていることから新四國八十八ヶ所に関係しているのかもしれません。
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このように道沿いに並んでいました。
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最後は階段を上りました。ここの住所は兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100です。山田町福地100でも通じるようです。
 名前 無動寺
 正式 若王山無動寺
 住所 兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100
 山号 若王山
 宗旨 古義真言宗
 宗派 高野山真言宗
 本尊 大日如来
 創建 推古天皇の時代(伝)
 開基 聖徳太子(伝)
 中興 真源阿闍梨
 札所 近畿三十六不動尊  十番霊場
    神戸十三仏    十二番霊場
    摂津西国三十三ケ所 九番霊場
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こちらが無動寺の本堂です。無動寺の期限は推古天皇の時代に遡るそうです。その推古天皇の時代に聖徳太子が物部大臣守屋を討つために鞍作鳥(鳥仏師)に本尊大日如来と諸尊を作らせて戦勝を祈願して大軍を征破することが出来たことで、七堂伽藍を建立して普救寺(福寺)と名付けたのが始まりだそうです。残念ながらその後、衰退して寺は荒廃したそうですが、現在の堂宇は宝暦二年(1752年)に再建されたものだそうです。再建を発案したのは、高野山の高層であった中興開山眞源阿闍梨(真源和尚)でした。真源和尚が、この地に帰省した時に当寺の荒廃を見て復興の悲願を発案して、二十数年の歓進努力の結果実現したそうです。クリックすると拡大真源和尚(1689年~1758年)は現在の山田町の出身でした。記念のために右の記念写真を撮っていただきました。本記事のタイトルで紹介させていただいているように本堂の中に国指定の重要文化財のだけでも5体の仏像と県指定の重要文化財の仏像の1体の計6体の重要文化財の仏像が納められているのです。仏像は平安期のものであることから再建される遥か以前のもので、無動寺の起源に関わるもののようです。
仏像を拝観したい場合はインターホンを押すと住職が出てこられて入口の扉を開けてもらえます。
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拝観料300円を払ってそれらの仏像を拝見させていただきました。写真は撮ることが出来なかったので、神戸市のパンフレットの写真を掲載させていただきました。後方の大きな仏像が大日如来坐像で手前の右側が不動明王坐像で左の手前が十一面観音立像です。
クリックすると拡大本堂の中に入っても仏像は見当たりませんが、祭壇の後ろ側に廻ると奥殿部分に右図のように仏像がガラス張りの耐火構造の部屋に並べられて、防火シャッターも設置されていました。本堂の萱葺の屋根も防火のために1983年に銅板にしたそうです。1955年に山火事があり本堂の茅葺屋根に飛び火し仏像も被害を受けたことを教訓にされたようです。さらに雨漏りの被害を防ぐために屋根を二重にして外壁と屋根に板張りをしたそうです。大きくて存在感のある大日如来坐像(国・重文)が中央に配置され、左側に釈迦如来坐像(国・重文)が、右側に阿弥陀如来坐像(国・重文)が設置させています。大日如来坐像の手前に下の写真のように左側に十一面観音立像(国・重文)、右側に不動明王坐像(国・重文)が置かれていて、その不動明王坐像の右側に阿弥陀如来坐像(県・重文)が置かれていました。
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無動寺と国指定の重要文化財の仏像の説明があったので紹介します。クリックいると読むことが出来ます。
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クリックすると拡大無動寺の5体の仏像の写真をホームページかせ転用させていただきました。数値は像の高さを示しています。仏像の写真は国・重文の記載順に左から並べています。
 国指定重要文化財(国・重文)
  大日如来坐像  桧材一本造 2.70m
  釈迦如来坐像  桧材一本造 1.20m
  阿弥陀如来坐像 桧材一本造 1.20m
  不動明王坐像  桧材寄木造 0.84m
  十一面観音立像 桧材一本造 1.50m
 県指定重要文化財(県・重文)
  阿弥陀如来坐像 桧材寄木造 1.20m
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拝観した時にいただいた資料を掲載いたします。7秒間隔で表と裏を表示させます。さらに一部の詳細を5秒間隔で表示します。クリックすると両面同時に字が読める大きさに拡大いたします。
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境内の景色を紹介します。鐘楼です。
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茅葺の住居と思われる建物がありました。説明書には庫裡と書かれていました。庫裏は「くり」と呼ぶそうで、仏教寺院における伽藍のひとつです。一般的には寺院の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える、つまり台所も兼ねる場合があるそうです。なお現代では、その多くは僧侶の居住する場所をいうことが多いとのことです。
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この茅葺の建物は見事でした。
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すでに紹介した日本最古の民家と言われている箱木家住宅の屋根の飾りと同じなので拡大いたしました。が箱木家住宅を別の場所で見つけたので紹介します。クリックすると拡大

特徴的な竹の根元を使った部分を拡大いたしました。この地域の特徴の飾りなのかもしれません。
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境内にはこのようなお堂もありました。不動堂と書かれています。
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本堂から5分くらい登ったところに奥の院があるということなので行ってみることにいたしました。航空写真の中の若王子神社に関しては後日紹介したいと思います。


無動寺の境内から奥の院までは、このような道が続いていました。
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細い道の先に門が現れました。門の先に階段があり、階段を上がると奥の院の境内でした。
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これが無動寺の奥の院です。古い建物ではありませんが、趣がありました。弘法大師と書かれた扁額が飾られていました。高野山真言宗である証でもあります。
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写経奉納法要の時には境内で歌舞伎が奉納されるようです。→ポチッ
もみじ祭りでも歌舞伎が行われたようです。ネットに掲載されていた動画を紹介します。


追伸
令和元年5月27日~6月2日までは関西です。そのため5月27日から6月2日までは皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
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山田町に室町時代の三重塔(国・重文)がありました。 六條八幡宮 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでに紹介したように懐かしい神戸の仲間の人達とハイキングで3番目に訪れたのは、国指定の重要文化財(重文)の三重塔(さんじゅうのとう)がある六條八幡宮(六條八幡神社)でした。上の写真が重要文化財の三重塔です。
この写真はクリックすると特別(面積で16倍)に大きく拡大いたします。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六條八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
今までに書いた本ハイキングに関しての記事のタイトル
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
                        海鮮居酒屋・海流(三宮)
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つくはら湖畔からは写真の衝原バス停から六條八幡宮の最寄バス停の山田小学校前に向かいました。出発時刻は12時17分に対して4分前の12時13分に着きました。昼食でお弁当を食べた野鳥観察広場から、つくはら湖畔の遊歩道を調整しながら歩いたのでピッタリに着いたわけです。
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乗客は我々7名だけでした。山田小学校前バス停でわれわれ全員が降りると乗客が0人になってしまうと心配していました。
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山田小学校前バス停です。ここから乗る方が何人かおられたので乗客は0人にはなりませんでした。ちょっとほっといたしました。


山田小学校前バス停留所()からの散策ルートを紹介します。先ずはバスの停留所から六条八幡宮の境内に入るまでを順番に紹介していきます。志染川が間にありますが、この辺りでは山田川と呼ばれているそうです。右から左に流れて、つくはら湖に流れ込みます。
  山田小学校前バス停留所
  六條八幡宮
 ━━ 散策ルート バス停()→六條八幡宮()→無動寺()→・・・・


バス停から見た川の対岸の景色です。右の方に六條八幡宮が小さく写っています。この辺りの住所は神戸市北区山田町中です。中の下は、大沢、岡ノ上、金場、合ノ元、下津イ、新五郎、城ケ谷、樋谷、長尾サ、西岡、八田、林、東畑、宮ノ片、森と意外と沢山あります。中は大字で、その下は字です。中の1文字は区切りが判りにくいようで住所は少なくとも2例が出てきます。町と中の間に大字が入る場合があります。
 山田小学校 神戸市北区山田町中長尾サ1  又は 中字長尾サ1
 六條八幡宮 神戸市北区山田町中宮ノ片57 又は 中字宮ノ片57
 八間蔵   神戸市北区山田町中大沢6-6 又は 中字大沢6-6
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バス停からズームで六條八幡宮(六條八幡神社)を撮りました。三重塔の上の部分が写真の右端の上の方に見えています。
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参道に入りました。曲がり角に六條八幡宮と書かれた大きな石碑が建てられていました。クリックすると石碑(石柱)だけを大きく拡大いたします。
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途中で山田川(志染川)を渡りました。
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文字が消えかけた案内板がありました。一番上には「太陽と緑の道」とクリックすると拡大「近畿自然歩道」書かれているのだと思います。「太陽と緑の道」の文字の前に記号が描かれています。おそらく右の写真のマークと思われます。このマークと推測した理由は右の写真をクリックすると判ると思います。左の方向には「丹生会館」と「つくはら湖」と書かれていて右方向には「六條八幡宮」と『成道寺」と書かれていました。手前方向(南南東方向)は文字がかすれて読めませんが「藍那」でしょうか? 直線距離で南南東方向の約3.9kmの位置に「藍那」があります。以前の記事で紹介したように神戸市北区山田町藍那(あいな)には3つの農村歌舞伎舞台があります。
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つくはら湖の記事を書いた時に丹生前橋の名前の由来を調べるためにGoogle地図やウエブで丹生を検束しましたが出てきたのは丹生山、丹生神社、丹生神社前バス停、丹生神社鳥居、丹生宝庫でしたが、丹生会館はありませんでした。
クリックすると拡大クリックすると拡大画像検索で調べた結果、右端の遊歩道マップの中に丹生会館が出てきました。この場所は丹生宝庫の場所でした。私が歩いている時に撮った遊歩道マツプでは丹生神社宝物殿と書かれていました。さらに調べてみると丹生会館は丹生宝庫とは道路を挟んだ場所の別の建物でした。下記がその建物のストリートビューですが入口の上の扁額に丹生会館と書かれているのが読み取れましたので確定です。この地区の公民館のようです。一方、傍の丹生宝庫には明要寺全図や豊臣秀吉・小野道風などの書や遺品が保管されていて年に一度公開されるそうです。


案内板のところから坂を登り詰めると扁額に六条八幡宮と書かれた鳥居が建っていました。石柱には不思議なことに郷社八幡神社と書かれていました。郷社は神社の位を示す旧社格で、村社(44934社)<郷社(3633社)<府社・県社・藩社(1148社)の順だそうです。戦後、社格制度が廃されたので、現在は社格というものは存在しないそうです。
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こちらが郷社八幡神社と書かれた石柱で、側面と裏面も紹介します。側面には「生田神社宮司 正六位 生田長浩書」と書かれていて、裏面には「昭和五年十月吉日建之」と書かれていました。石柱が建てられたのは昭和五年で戦前なので社格が存在した時でした。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
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鳥居の近くには小さな祠がありました。
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正面からから見た六条八幡宮の全景です。六條八幡宮は旧山田村の総鎮守だそうです。社伝によれば創建は平安時代中期の長徳元年(995年)と伝えられているそうです。周防国の僧である基灯が長徳元年に円融寺という草庵を建てるととも八幡神を祀る宝殿を建てたとされており、その宝殿が六条八幡宮の起源とそれているそうです。山田の地が選ばれたのは神功皇后の行宮が所在した霊地であったと伝えられているそうです。
六條八幡の名は保安4年(1123年)に山田庄の領主で社殿を寄進した源為義の通称が六条判官であったことに由来するそうです。国指定の重要文化財の三重塔は文正元年(1466年)には建立されたそうです。
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正面の中央に見えているのが社殿の拝殿で、拝殿の奥に本殿があります。現在の本殿は貞享5年(1688年)に再建されたものだそうです。
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本殿・拝殿に近づきました。三重塔が右側に見えてきました。遠くからは大きな木の陰にあるためにあまり見えませんでしたが、近づくと見えてきました。
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こちらが手水舎(ちょうずや / ちょうずしゃ / てみずや / てみずしゃ)です。
手水舎は参拝者が身を浄めるために手水を使う施設で水盤舎(すいばんしゃ)あるいは御水屋(おみずや)とも呼ばれています。神社でも寺院でも作法は基本的に同じだそうで、一般的な作法は枠内の通りです。
右手で柄杓を取り、手水を掬う。最初に左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜めて(柄杓に直接口をつけない)その水を口に含み、音を立てずにすすいで口を清めた後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。そして、柄杓を両手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように流す。柄杓を元の位置に静かに戻す。
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これが拝殿です。皆でお参りをして最初に記念写真も撮りました。
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拝殿の奥に本殿があります。主祭神は在位が西暦270年~310年の応神天皇(おうじんてんのう)です。クリックすると拡大クリックすると拡大
応神天皇は第15代天皇ですが、有名な仁徳天皇(応神天皇の子供)が次の第16代天皇なのです。陵所は右の航空写真の惠我藻伏崗陵(誉田御廟山古墳/応神天皇陵)です。応神天皇陵は墳丘長が約425mの前方後円墳で仁徳天皇陵(墳丘長525m)に次ぐ日本第2位の巨大古墳で、今回のユネスコ世界遺産登録の古墳群の中に含まれています。
なお、不明な点が多い弥生時代のことでもありWikipediaによると、応神天皇に関しては、学術的には「応神天皇は4世紀末から5世紀初頭に実在した可能性が高い」という見解にとどまっているそうです。
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こちらが貞享5年(1688年)に再建された本殿で神戸市指定有形文化財となっています。三間社流造の銅板葺です。
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これが三重塔(さんじゅうのとう)です。
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室町時代中期の文正元年(1466年)建立の和様の三重塔です。地元の有力者であった鷲尾綱貞の世話を得て建てられたそうです。棟札の墨書により、大工の藤原周次と小工の藤原光重の2人の作であることが確認されているそうです。総高は13m~19.1mで檜皮葺の屋根を持ち、初層内部には仏壇を置いて阿弥陀三尊像が安置されているそうです。1914年4月17日に当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定され、1950年の文化財保護法施行後は重要文化財になったそうです。2002年には屋根の大規模な修復が行われたそうです。
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近づいて見上げた三重塔の景観です。
神戸市には他にも重要文化財の多重塔があるのでリストで紹介します。
 神戸市内の重文の木造多重塔(国および県指定の重要文化財)
  如意寺三重塔   国 西区櫨谷町谷口259   南北朝
  六條八幡宮三重塔 国 北区山田町中字宮片57  室町中期(1466年)
  石峯寺三重塔   国 北区淡河町神影110-1 室町中期
  徳光院多宝塔   国 中央区葺合町布引山2-3  室町後期
  太山寺三重塔   県 西区伊川谷町前開     江戸中期(1688年)
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美しい三重の屋根の裏側の写真です。
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見事な木組みなので拡大いたしました。
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少し角度を変えて見ました。
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クリックすると拡大3ケ所で記念写真を撮りました。
左が本殿前の期連写真で、真中が正面の広い参道で撮りました。右が国指定の重要文化財である三重塔の前での記念写真です。
カーキ色の上着を着ているのが私で右と左の写真に写っています。
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クリックすると拡大日当たりの良い場所に注連縄が巻かれた御神木のようなクスノキ(楠)がありました。ネットから転用させていただいた右の昔のクスノキの写真と比較してみると、最近に太い枝が大胆に剪定されたようです。これ以外に市民の木となっている大銀杏があるそうです。
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こちらの写真の左の大きな木が大銀杏です。当日は大銀杏を意識した撮っていないので偶然に写っていた写真から切り出しました。大イチョウの木の手前にあるのが手水舎です。上の写真にも大銀杏が写っていたのです。大銀杏の右側の建物が拝殿です。クスノキの選定前であればこの角度の写真ではクスノキからはりでたの大きな枝に隠れて大銀杏はこれほどはっきりとは見えなかったと思います。
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こちらは神戸市指定有形文化財の歌舞伎舞台です。 切妻造です。
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境内には境内末社の小さな祠が沢山ありました。主なものは次の5つのようです。今回の写真に写つているのはどれになるのかは確認していませんでした。
 稲荷神社 (宇賀魂命)
 住吉神社 (住吉三神・神功皇后)
 山王神社 (大山祗命)
 大歳神社 (大歳神・高良大神)
 猿田彦神社(猿田彦大神)
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最も奥の位置に趣のある建物がありました。調べ見ると建物の名前は薬師堂でした。基灯創建の円融寺の遺構とのことでした。基灯が草庵として建てた円融寺は創建当時(995年)から六條八幡宮の神宮寺として長く続いていましたが明治時代の廃仏毀釈の禍を受けて廃されたそうです。基灯は基灯法師とも呼ばれ、今昔物語集・巻第13に登場し、今となっては半ば伝説的な人物で、その伝記は定かでないそうです。 基灯は空海(弘法大師)の弟子との記述もありました。
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大きな石碑も建てられていました。石碑には大きく忠魂碑と書かれていました。忠魂碑は明治維新以降の大きな戦争の戦死者の天皇への忠義を称える碑だそうです。
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中央の大きな建物が先ほど紹介した薬師堂で、左手前が井戸です。この井戸は神功皇后にゆかりがあるものとされています。右奥が六條八幡宮の本殿です。
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境内を散策させていただきました。
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六條八幡宮の周囲の代表的な景色です。
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お百度石もありました。この百度石と拝殿の間を百度お参りするのをお百度参りというそうです。
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次の無動寺に行くために参道を戻っているところです。


10月第2日曜日には上の写真の場所で流鏑馬神事も行われます。六條八幡宮の流鏑馬神事は神戸市の無形民俗文化財に指定されているそうです。
動画は8分42秒の長さですが、プレーボタン( )をクリックすると、ハイライトの8分21秒の時点から表示するように設定しています。興味のある方は「もう一回見る」をクリックして頭から見てください。走りながら矢を射るところは8分21秒から最後までの21秒間の2回だけですが、矢を射ってから走り出すシーンが4回(4分15秒4分55秒7分31秒7分40秒)あります。
この2016年10月9日の動画はネットから転用させていただきました。


六條八幡宮の入口に案内板(山田町遊歩道マップ)が立てられていたので、次に行く無動寺へ行く道が分かりやすかったです。クリックすると拡大クリックすると遊歩道マップ全体を表示します。このマップはその場で見た時に左右が実際と一致させるために、北が下なので、つくはら湖は右方向で、箕谷駅は左方向になります。
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六條八幡宮の位置を広い範囲の航空写真(Google map)で紹介します。Google地図での六條八幡宮の境内入口の標高は180mと表示されました。
 住所:兵庫県神戸市北区山田町 中 宮ノ片57
 阪急三宮駅から徒歩で行くルート → ポチッ 14.1km
 神戸市北区山田町        → 10km 500m
 ストリートビュー        → 境内&拝殿 本殿 三重塔


追伸
令和元年5月24日~25日は伊香保温泉に行き、5月27日~6月2日までは関西です。そのため5月24日から6月2日までは皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
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マツバウンラン(松葉海蘭)の花 刈られてしまいました。 [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2019年5月21日追記 タイトル:マツバウンランが刈られてしまいました。
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ついに5月13日に芝刈りが始まりました。その時の写真です。
手前がマツバウンランが沢山咲いているエリアです。マツバウンランが沢山咲いている部分は最後に刈る順のように感じますが、草も沢山生えてきており、いつかは草と一緒に刈られてしまうのだと思っていました。

4日間の成長を調べるために5月15日と5月19日に、同じ株に巻き尺を当てて写真を撮りました。クリックすると拡大左が5月15日(高さ54.3cm)で、右が5月19日(高さ55.8cm)です。4日間の成長は1.5cmのみ、つまり1日あたりのが成長は3.75mmでした。最初の頃に比べると成長は遅くなっていることは残っている子房(種の元/咲き終わった花)の間隔を見ても判ります。同じ株を見つけ出すために根元にゴルフのティーを差し込んでおきました。計算式:3.75mm=1.5cm÷4×10
 令和元年5月15日 高さ54.3cm   令和元年5月19日 高さ55.8cm
クリックすると拡大クリックすると拡大

計測に使った花を上からの角度で拡大いたしました。
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さらに拡大いたしました。クリックするとピントが合っている部分が限られていることが分かってもらえると思います。
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5月19日の全体の姿を紹介します。計測に使った株とは別の株です。
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上半分です。
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花の部分を拡大いたしました。クリックすると同じ縮尺で縦長の写真を表示します。
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そして5月21日にマツバウンランが沢山咲いている辺りの芝刈りが行われ、すべての芝刈りが完了いたしました。写真は沢山のマツバウンランが咲いていた場所です。クリックすると切られたマツバウンランが地面に少し残されているのが判ると思います。天気予報を見ると、その日は朝から雨が降っていて、作業をしていたと思われる午前中は特に強い雨だったようです。翌日の5月22日にグランドゴルフが行われたようです。そのために前日の大雨の中でも芝刈りが行われたのだと思います。
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2019年5月11日掲載 タイトル:マツバウンラン(松葉海蘭)の花
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近く空き地にマツバウンラン(松葉海蘭)の紫色の花が沢山咲いていたので写真を撮りました。昨年までは雑草が茂る空き地でしたが、グランドゴルフが出来るようにと、この冬に芝生を植えたそうです。その芝生の部分から沢山の花が咲いていたので調べてみるとクリックすると拡大オオバコ科(旧:ゴマノハグサ科)の二年草または一年草のマツバウンランでした。葉の形が松葉で、花が右の写真のウンラン(海蘭 Linaria japonica)に似ていることからマツバ・ウンランの名がついたそうです。昔はマツバウンランもウンランもウンラン属でしたが、今はキンギョソウ連マツバウンラン属とキンギョソウ連ウンラン属に分類されているようです。
マツバ・ウンランの一般的な高さは20~60cmだそうですが、私が写したマツバ・ウンランは40cmくらいでした。花が次々に上に向かって咲いて行くので、さらに高くなると思います。花の写真のほとんどはすでに紹介した藤の花を撮った同じ日の2019年5月5日に撮りました。つまり令和元年の子供の日に当たる令和元年5月5日に撮ったわけです。5月12日に巻き尺で測ると、茎が複数出ている比較的大きな株の場合の高さは50~61cmでした。

芝生を植えて1ケ月後ぐらいに撮った写真です。2019年3月9日ですが、全く緑にはなっていませんでした。この場所からマツバウンラン(松葉海蘭)がクリックすると拡大生えてきたのです。現在は芝の育成期間のためマツバウンランも自由に伸びていますが、来年以降は芝の手入れのために刈られる可能性が高いので、今回のようなマツバウランの写真を撮ることは出来ないかもしれません。今は右の写真のように芝生も緑になっています。
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それでは令和元年だからこそ撮れたマツバウランの写真を紹介していきます。
クリックすると拡大マツバウンランは下の方に細長い葉をつけて、先端に紫色の花を4月から6月にかけて咲かせます。同じ花が長く咲いているのではなく先端に向かって新しい花が咲き変わっていくので2ケ月近く花を楽しむことが出来るのです。松葉海蘭の原産は北アメリカです。したがって日本では帰化植物になります。本州、四国、九州の日当りの良い場所に生えているそうです。分類を紹介します。
  界 植物界      Plantae
    被子植物     Angiosperms
    真正双子葉類   Eudicots
  目 シソ目      Lamiales
  科 オオバコ科    Plantaginaceae
  連 キンギョソウ連  Antirrhineae
  属 マツバウンラン属 Nuttallanthus
  種 マツバウンラン  Nuttallanthus canadensis
 和名 松葉海蘭 マツバウンラン
 英名 Nuttallanthus canadensis  Canada toadflax
    Old-field toadflax     Blue toadflax
クリックすると拡大

花の先端部分を拡大いたしました。これから咲いて行く花芽が先端に沢山あるのが確認できると思います。現在咲いている花の下には咲き終わって、これから種を付ける花柄部分も判ると思います。
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別の日の写真ですが、花を拡大してみます。上の花の写真とは違う花色のように写っていますが、太陽の日の当たり具合で違う色の花のように写ってしまいました。目で見た感覚では上と下の中間ですが、どちらかと言えば、こちらの花色に近いです。
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1つの花を拡大して見ました。
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茎が細くて背が高い上に、強い風が吹いていたので、ピント合わせに手間取るだけでなく被写体のブレもあるので写真を撮るのは大変でした。その風の強さを感じてもらいたくて動画も撮りました。風が弱いときでも厳しかったです。特に焦点距離400mmでの撮影は難しかったです。その400mmで撮った写真を3枚ほど下に紹介します。快晴で晴れていたのは幸いでした。


沢山の花がありますが、ピントが合っているのは1つです。
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細い茎に虫がとまっている花にピントが合っています。
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すこし大きく写った写真も紹介します。
クリックすると拡大花の名前が判らなかったので「芝生に生える花」でGoogleの画像検索をしましたが、出てくるのはネジバナ(もじずり)ばかりでした。136番目279番目にやっと同じ花(右の写真)が出てきてマツバウンランであることが分かりました。
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地面から花までの全体の姿を紹介したいので縦長の写真を掲載いたしました。本写真をクリックすると2倍のサイズ(面積で4倍サイズ)に拡大いたします。クリックすると拡大
写真サイズは954 x 3000ピクセル(pixel)です。
5月5日の時点で終わった花は、左が0個、中央が8個、右が5個でした。この数を覚えておいてください。
数が判りにくい場合は右の小さな写真をクリックしてみてください。花が終わった順に番号を付けています。
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1週間後の5月12日にも天気が良かったのでマツバウンラン(松葉海蘭)の写真を撮りに行きました。この日にマツバウンランの高さを巻き尺で測ると、茎が複数出ている比較的大きな株の場合の高さは56~61cmでした。1週間でけっこう伸びた印象でした。茎が1本の中で最も低いものは26cmでした。
この写真の株では、すでに花がしおれて種になりつつある子房(咲き終わった花)が19個ありました。その子房に下から番号を付けてみました。1番から19番までは15cmで、19番から先端までは2.4cmでした。5月5日の時点に同じ株を撮っていないのですが、5月5日の何枚かの写真を見ると子房(咲き終わった花)の数は0個から8個でした。そのことから1日に咲く数は計算上は1.6個(=(19-8)÷7)~2.7個(=19÷7)になります。仮に1日に2個づつ花が咲くとしたら1週間で14個分の高さなので、ずいぶん伸びたことが分かってもらえると思います。少なくとも花が咲き始めてから17.4cmはのびていて先端に沢山の花芽が残っているのでさらに高くなるものと想像されます。
クリックして拡大すると番号を付けている位置が判りやすいと思います。
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クリックするのが面倒な方のために先端を拡大した写真を掲載いたしました。
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この日も花を大きく撮ってみました。先端部分に沢山の蕾があることから、まだまだ新しい花が咲き続けるのが判っていただけると思います。
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すでに正面から花をアップした写真を紹介しているので横向きの花をアップしました。
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花の形が判りやすい角度からもアップしました。風で花が揺れているのでピント合わせは運任せでした。偶々、この花にピントが近づいて撮れたのは1枚だけでした。上の写真に花にピントが合っている時は、この花は少しボケている状態でした。
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それぞれの写真を切り取った写真を並べてみました。
クリックして拡大するとピントの合っている部分が判りやすいと思います。
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蜂も蜜を吸いに来ていました。
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つくはら湖の湖畔の散策 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私が会社に入って配属になったのが神戸の事業所でした。その懐かしい仲間だった方がハイキングを計画されていて、私がタイミングよく関西に行った時に参加させていただくことになった初めてのハイキングの続きです。
クリックすると拡大神戸電鉄の箕谷駅に9時30分に待ち合せて初めて参加させていただいたハイキング「第72回 神戸市北区の重要文化財巡りハイク」で、最初に訪れた右の写真の日本最古の民家の箱木千年家(箱木家住宅)で、2番目は、今回の「つくはら湖の湖畔の散策」でした。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策クリックすると拡大六条八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
つくはら湖畔の散策を紹介する前に、つくはら湖自体を紹介したいと思います。兵庫県南部は古くから水不足に悩まされていたことから、1968年から呑吐ダムの実施計画調査が始まりましたが、地元の反対が根強く交渉が妥結したのは1975年7月で、竣工したのは1989年でした。
日本で最も総貯水容量が多い岐阜県の徳山ダム(6億6000万m³)や50位の畑薙第一ダム(1億0740万m³)に比べると、つくはら湖(呑吐ダム)は1886万m³と少ないけれども、兵庫県では一庫ダム(3330万m³)、引原ダム(21950万m³)についで3番目のダム湖で、同様の目的で作られ関西では名前も良く知られた東条湖(867.6万m³)の2倍以上の貯水量なのです。灌漑・上水道を目的とした貯水湖としては大きな湖で地域に大きく貢献しているようです。呑吐ダムの写真はネットから転用させていただきました。
東西の長さはGoogle地図で計測した数値で正式ではありません。
 貯水湖名   つくはら湖 ( 衝原湖 )  Wikipedia
 ダム名    呑吐ダム ( どんどダム )
 ダム形式   重力式コンクリートダム
 事業主体   農林水産省近畿農政局
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 堤高     71.5 m
 堤頂長    260.0 m
 堤体積    370,000 m³
 流域面積   329.5 km²
 湛水面積   105.0 ha
 総貯水容量  1886万m³
 有効貯水容量 1780万m³
 湖の東西長さ 3.26 km

箱木家住宅()を出た後、つくはら湖畔の散策は湖の北側を歩いて湖の中央部に架かっている衝原大橋まで行く予定にしていましたか、次の訪問場所に行くために時間が限られていたので途中の野鳥観察広場()まで行き、そこで昼食をとって衝原バス停留所()にもどりました。
  衝原バス停留所
  箱木千年家(箱木家住宅)
  野鳥観察広場
  つくはら湖
 ━━ 散策ルート(衝原バス停→箱木千年家→つくはら湖散策→衝原バス停)


上のGoogle地図の中の左側の黄色の枠の部分の1974年に撮影された航空写真がWikipediaに掲載されていたので紹介します。1974年は呑吐ダム(つくはら湖)が出来る前です。国土交通省の航空写真です。クリックすると今は湖底に沈んだ家々が確認できる大きさに拡大いたします。残念ながら箱木家住宅は、この航空写真には入っていません。Google地図の黄色枠→ポチッ
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上のGoogle地図と同じ範囲の1970年に国土地理院が発行した50,000分の1の地形図を紹介します。地元と交渉が妥結したのが1975年で、紫色の線の呑吐ダムが完成したのは1989年のため、つくはら湖が出来る前の地形図です。クリックすると拡大つくはら湖の湖面の標高は139mであることから地形図の標高140mの等高線が現在のつかはら湖に近い形です。2つの緑のラインの枠は、上で紹介した1974年の航空写真と、箱木家住宅を記事で紹介したときに掲載した右の説明用地形図の範囲を示しています。
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つくはら湖がある神戸市北区山田町衝原を紹介します。赤枠の部分が神戸市北区山田町の衝原地区です。地区の境界線を赤線で追記しました。つくはら湖の大部分が神戸市北区山田町衝原にあることが分かると思います。衝原を「つくはら」と読める人は多くはないのではないでしょうか。そんなことから湖の名前はひらがなの「つくはら湖」になったのかもしれません。呑吐ダム辺りは三木市志染町三津田です。地図をクリックすると広い範囲のGoogle地図で、つくはら湖と山田町衝原の場所が分かるように表示します。衝原地区の住所の変遷は次の通りです。1996年4月1日以前の地名は推測も入っており正確ではありません。また幕末から郡区町村編制法までは廃藩置県(1871年8月29日)を含めて何度も管轄が代わっているので追跡できませんでした。いずれにしても衝原(つくはら)の地名は昔から引き継がれてきたものでした。尚、「以前」は法律的にはその日を含んでいますが、本記事に限っては含んでいません。
 下総古河藩 衝原村      1871年8月29日(廃藩置県)以前
 (この間は追跡できませんでした。) 参考(八部郡) → ポチッ
 兵庫県八部郡衝原村      1879年1月8日(郡区町村編制法)~
 兵庫県八部郡山田村大字衝原  1889年4月1日(町村制の施行)~
 兵庫県武庫郡山田村大字衝原  1896年4月1日(郡制の施行)~ 
 兵庫県神戸市兵庫区山田町衝原 1947年3月1日(神戸市に編入)~
 兵庫県神戸市北区山田町衝原  1973年8月1日~
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それでは、つくはら湖畔の散策を順番に紹介したいと思います。左の写真が箱木家住宅を出るところで、右は造成地の中を歩いているところです。元造成地に住んでいた人たちが、この造成地に移転してきたのだと思います。


造成地は湖の南側なので遊歩道がある湖の北側には橋を渡ります。湖は造成地までで、そこから上流は志染川(しじみ川)です。この写真は橋から上流側を写したものです。右から左に渡っているところです。
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下流側つまり湖側の景色です。左側が盛り土で作られた造成地です。ダムが出来る前の衝原地区の人達は全世帯が川沿いに住んでいて、その人たちのほとんどが移転された場所だそうです。
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橋の欄干の親柱に川の名前と橋の名前が書かれていました。川の名前には山田川と書かれていました。正式名は志染川(しじみ川)ですが、この辺りでは別名である山田川の方が有名なのかもしれません。志染川の元になっている地名は三木市志染町ですが、湖が出来たことで川は分断されたのです。橋の名前は丹生前橋でした。ここの北にある山が丹生山(たんじょうさん/にぶやま)です。その山頂に丹生神社があり麓には丹生神社鳥居や丹生宝庫があります。
ここから海までの水の流れは、山田川(or志染川)→つくはら湖→志染川→美嚢川→加古川→海(瀬戸内海・播磨灘)となります。上流の山田川は箕谷川と合流するまでは山田川(石楠花谷が源流)だけの名前で、箕谷川との合流地点から、つくはら湖までが山田川(or志染川)となります。 
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クリックすると拡大これから歩く遊歩道は自転車道路でもあるのです。自転車道路としての名前は神出山田自転車道でした。調べてみると神戸市西区神出町東から神戸市北区山田町下谷上を結ぶ自転車歩行者専用の一般県道でした。歴とした県道で県道563号と番号までついていました。全長は37kmにもなります。その中の17.2kmは他の道路との共有で、このように整備されているのは19.8kmだそうです。整備された19.8kmの起点は我々が出発した場所にある旧つくはらサイクリングターミナル(2017年3月31日閉鎖)で、終点は国道175号に出る老ノ口休憩所です。本格的なロードに乗った人を沢山見かけました。
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ネットから転用させていただいた図で、整備された19.8km(or 19.3km)を紹介します。画面を切り替えて表示させていただいているので、じっくりと静止画面を見たい方は、画面をクリックすると拡大した静止地図を表示します。
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もう一つの遊歩道の名前は標識の柱に縦に書かれている近畿自然歩道でした。近畿自然歩道は2府7県にまたがる総延長3,258 kmの長距離自然歩道だそうです。近畿の2府5県+鳥取県+福井県です。
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こちらが遊歩道の入口です。
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案内板があったので写真を撮りました。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。
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ソメイヨシノはすでに散っている時期でしたが、こちらの八重桜は満開でした。
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最初に、つくはら湖が見える場所なので、すこし立ち止まって見ていました。


こちらは最も西側から見たつくはら湖です。ここから湖の東端まで直線距離で3.26kmです。
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このような遊歩道が続いていました。
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桜の種類は判りませんが、上で紹介の八重桜以外にも満開に近い桜もありました。左側が、つくはら湖です。
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振り返ると渡った丹生前橋が見えます。丹生前橋の右側が造成地です。
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造成地を撮りました。1974年の航空写真や1970年の地形図を見ると今は湖底となった場所(当時は川沿い)以外は深い山林で住宅らしいものはないことから、衝原地区の人達の全てが、今は湖底となった場所に住んでおられたようなので、その人たちが造成地に移転したのだと思います。
Wikipediaにも「全集落が高台に移転」と書かれていました。
高い木などで見えませんが造成地の右端の辺りに、移設された日本最古の民家と言われている箱木家住宅があります。こんもりとした小さな島の右側の湖底に移設前の箱木家住宅がありました。
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白い花も咲いていました。
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上の写真では花の名前が判らないので拡大いたしました。確証はありませんが、通称がナンジャモンジャの木と呼ばれている中のヒトツバタゴに似ています。日本では特定の場所の分布で神戸は自生地ではないことから別種の可能性はありますが、参考にヒトツバタゴの分類を紹介します。ナンジャモンジャの木は特定の木を示しているのではなくヒトツバタゴ以外に、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュ、クスノキなど様々の木が呼ばれています。下の写真が今回の花で、右の写真はネットから転用させていただいたヒトツバタゴの花の写真です。このような写真から判断いたしました。
クリックすると拡大  界 植物界 Plantae
  門 被子植物門 Magnoliophyta
  綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
 亜綱 キク亜綱 Asteridae
  目 ゴマノハグサ目 Scrophulariales
  科 モクセイ科 Oleaceae
  属 ヒトツバタゴ属 Chionanthus
  種 ヒトツバタゴ Chionanthus retusus
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ツツジも咲いていました。関西ということを考えるとツツジ科ツツジ属のコバノミツバツツジの可能性が高いです。ミツバツツジは中部地方から関東地方に分布し、コバノミツバツツジは本州中部以西から九州まで分布するそうです。
  界 植物界       Plantae
    被子植物      Angiosperms
    真正双子葉類    Eudicots
    コア真正双子葉類  Core eudicots
    キク類       Asterids
  目 ツツジ目      Ericales
  科 ツツジ科      Ericaceae
 亜科 ツツジ亜科     Ericoideae
  連           Rhodoreae
  属 ツツジ属      Rhododendron
 亜属           Rhododendron subg. Azaleastrum
  節           Rhododendron sect. Tsutsusi
  種 コバノミツバツツジ Rhododendron reticulatum
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湖が良く見える場所が所々にあります。こちらは進んでいく東方向です。
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こちらは西方向です。
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途中では滝もありました。この川を登ると「蝙蝠谷の岩場」があります。
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滝があった部分は橋になっていて、その橋から進んでいく方向の遊歩道を撮りました。
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雰囲気をお伝えしたいので、小さい写真ですが歩いているところの写真を掲載いたしました。



野鳥観察広場までの間に4ケ所の休憩所がありました。かるがも休憩所と、おしどり休憩所と、しらさぎ休憩所と、まかも休憩所です。この写真は、2番目の休憩所である、おしどり休憩所です。
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黄色の花も満開でした。拡大した右の花から判断すると、ヤマブキ(山吹)のようです。ヤマブキはバラ科ヤマブキ属で一属一種だそうです。
クリックすると拡大  界 植物界    Plantae
    被子植物   angiosperms
    真正双子葉類 Eudicots
    バラ類    rosids
    マメ類    fabids
  目 バラ目    Rosales
  科 バラ科    Rosaceae
 亜科 サクラ亜科  Amygdaloideae
  属 ヤマブキ属  Kerria
  種 ヤマブキ   Kerria japonica
 英名        Japanese kerria
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すみれ(菫)もところどころで見かけました。スミレの種類は多いので名前の特定は難しいです。私が持っている牧野新日本植物図鑑に載っているスミレの名前だけでも、いちげきすみれ、おおばきすみれ、きばなのこまつめ、たかねすみれ、にょいすみれ、あきすみれ、たちすみれ、たですみれ、えぞのたちつぼすみれ、たちつぼすみれ、においたちつぼすみれ、ながばのたちつぼすみれ、おおたちつぼすみれ、ながはしすみれ、いぶきすみれ、あおいすみれ、においすみれ、あけぼのすみれ、すみれさいしん、ながばのすみれさいしん、ひめすみれさいしん、うすばすみれ、りこくすみれ、みやますみれ、げんじすみれ、ひなすみれ、ふじすみれ、しはいすみれ、ふもとすみれ、ひめみやますみれ、こみやますみれ、ひかげすみれ、まるばすみれ、けまるばすみれ、しろすみれ、すみれ、のじすみれ、ひめすみれ、さくらすみれ、あかねすみれ、おかすみれ、こすみれ、ひめきくばすみれ、えいざんすみれ、と44種類あります。私の周辺で最もよく見かけるのはタチツボスミレ(立坪菫)ですが、細長い葉もまざっていることからナガバノタチツボスミレ(ナガバ・タチツボスミレ)かもしれません。Wikipediaiに載っていたナガバタチツボスミレの写真を右に紹介します。名前が違ってもスミレ属までは同じです。
クリックすると拡大 界 植物界        Plantae
 門 被子植物門      Magnoliophyta
 綱 双子葉植物綱     Magnoliopsida
 目 キントラノオ目    Malpighiales
 科 スミレ科       Violaceae
 属 スミレ属       Viola
 種 ナガバタチツボスミレ Viola ovato-oblonga
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こちらが我家の牧野新日本植物圖鑑です。図の部分には旧字の圖が使われています。小学校4年生の時に広島市井口町の井口小学校から神戸市東灘区岡本の本山第一小学校に転校になった時に井口小学校の担任の先生から、クリックすると拡大野口英雄の伝記と牧野新日本植物図鑑の携帯版を頂いたのです。その携帯版がボロボロになったので買い替えたのがこの本です。こちらもボロボロになりました。右の写真が井口小学校の入学式の時の写真です。右端に座っている若い先生が担任の先生です。
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参考に牧野新日本植物圖鑑のナガバノタチツボスミレの記載内容を紹介します。
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後ろ姿ならば大きな写真で紹介出来ます。


元はガードレールだけだったのだと思います。自転車や人の安全のためにさらに内側に柵を付けたのだと思います。柵には自転車の形がアレンジされていました。
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すこし花が残った桜の木もありました。
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対岸は一般道路があるので湖沿いには沢山の橋がかけられていました。見えている道路は神戸加東線です。
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こちらの対岸の橋は立派で大きかったです。湖岸は入り組んでいますが、道路は真直ぐに作るためだと思います。
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木の意だからですが、目的の場所であった衝原大橋が見えてきました。
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少し進むと木の無い場所があったので、湖を横断する衝原大橋を撮りました。
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ズームで橋を大きく撮りました。一見は2段の橋のように見えますが、2つの橋が写っているのです。高いところを通っているのは高速道路の「つくはら橋」です。その手前の低いところにあるのが衝原大橋です。もちろん、つくはら橋の方が大きいのですが、小さい方に大橋の名前が使われています。この衝原大橋は自転車と歩道の専用橋なのです。主塔が真中に1ケ所の斜張橋です。高速道路に使われている「つくはら橋」は、主塔が2ケ所の斜張橋に似た橋ですが、主桁の剛性が大きくし、斜材の負荷を低くした3径間連続エクストラドーズド橋です。そのために斜材を支えている主塔が低いそうです。1998年の完成当時は世界最大のエクストラドーズド橋でした。
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クリックすると拡大自転車・歩道用の衝原大橋がよく分かるように片方だけを拡大いたしました。それでも正面からだと分かりにくいと思うのでネットの写真を右に転用させていただきました。つくはら橋(高速道路)は2本の橋で構成されていたので、計3本の橋がかかっていたのです。
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近づいて撮りましたが木が邪魔して、先ほどの場所の方が全体が判りました。
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同じ場所からの対岸の景色です。
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水が流れている場所は癒されます。
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遊歩道の一部は「太陽と緑の道」という名前もついていました。


さらに遊歩道は続きました。
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橋が大きく見えてきました。野鳥観察広場も近いです。
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野鳥観察広場の観察小屋に到着いたしました。


この観察小屋の中で昼食にすることにいたしました。私はコンビニで買ってきたおにぎりだけでしたが、皆さんは家でお弁当を沢山作られてきていたのでお裾分けをいただきました。バスの発車時間に間に合うぎりぎりまで懐かしい話で盛り上がりました。記念写真も撮りました。一番右側が私です。
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皆のために、半熟のゆで玉子を沢山作られてきた方もおられました。私は2つもいただきました。カカオ86%と72%のチョコレートもいただきました。
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バス停に戻るときの写真も紹介します。右側に湖が見えています。来る時の写真では、湖は左側に写っていたはずです、
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おしどり休憩所まで戻ってきました。
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来た道を戻ってバス停に来ると、すでにバスが着ていました。お客は我々7名だけでした。
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クリックすると拡大呑吐ダム(どんどダム)の周辺を、昔(1974年)と今の同じ範囲の航空写真で紹介します。黄色の枠の右側にある池から正確な位置と縮尺を割り出しました。上段の航空写真の黄色の枠の範囲が下段の航空写真です。1974年には全くダムはありません。右の写真をクリックすると、1974年と今の池を比較できます。
       1974年               現在
クリックすると拡大クリックすると拡大
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雑木林の藤の花 つるの写真を追加しました。 [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2019年5月6日掲載 タイトル:雑木林の藤の花
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ふじの花(藤の花)の季節になりました。毎年、藤の花(フジの花)の名所であるクリックするとネットの写真を表示栃木県足利市迫間町のあしかがフラワーパーク(右の写真)にある樹齢140年以上・日本最大面積の「迫間のフジ」を見に行きたいと思うのですが、未だに実現していません。今年も行けそうにないので雑木林に咲いている藤の花を撮りに行くことにしました。そこで令和元年の子供の日に当たる令和元年5月5日(2019年5月5日)の朝の6時50分に雑木林に行って撮ったのが上の写真の藤(ふじ)の花です。

最初に藤の花を見つけたのがこちらの場所です。今が一番見ごろだったようです。この雑木林には右の写真のキンラン(金襴)やギンラン(銀欄)の花がクリックすると拡大クリックすると拡大沢山咲いています。さらにイカリソウの花も見ることが出来ます。昔は別の雑木林でクマガイソウを見かけましたが、造成が進んで見なくなりました。
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上の写真の左側で藤の花が沢山咲いている部分を拡大いたしました。
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雑木林の周囲を歩くと、さらにの藤の花が咲いている場所が見つかりました。前が家庭菜園の畑になっていて日当たりが非常にいいところです。特に東南東方向が開けているので太陽の方向を考えて朝早くに撮りに来たわけです。この画面の中でも5ケ所に藤の花が咲いていました。
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上の全体の写真の最も右側の藤の花が咲いている部分をアップいたしました。藤のツルがここまで伸びているのです。
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右から2番目の場所もアップすると見事でした。藤(フジ)はマメ科フジ属のつる性落葉木本で、日本固有種です。海外のフジはフジ属に属する別の品種だそうです。フジには、つるの先端側から見てつるが右巻き(時計回り)と左巻きの二種類があるそうです。右巻きの藤の標準和名が「フジ」または「ノダフジ」で、左巻きの藤の標準和名か「ヤマフジ」または「ノフジ」だそうです。
クリックすると拡大  界 植物界      Plantae
    被子植物     Angiosperms
    真正双子葉類   Eudicots
    コア真正双子葉類 Core eudicots
    バラ類      Rosids
    真正バラ類   Eurosids
  目 マメ目      Fabales
  科 マメ科      Fabaceae
 亜科 マメ亜科     Faboideae
  連 フジ連      Millettieae
  属 フジ属      Wisteria
  種 フジ(藤)    Wisteria Floribunda
 和名 藤 フジ ノダフジ ヤマフジ ノフジ
 英名          Japanese Wisteria
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フジの花が咲いていた雑木林を航空写真で紹介します。新興住宅地の中に残っている雑木林なのです。将来は住宅地になってしまうのかもしれません。上3枚の写真は、この航空写真の右側から雑木林の方向に向かって撮った写真です。


もう少し近づきました。これが自然の中の藤の花です。
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藤の花だけに覆いつくされている藤棚の美しさはありませんが、自然の中で沢山の花が咲いている姿はきれいであり、見事でした。
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藤の花は沢山の花が房状に咲きますが一番上から下の先端に向かって順番に咲いて行くようです。まだ先端部分の花は開いていませんが、上の方はまだしおれた花がない今の時期が最もきれいなのかもしれません。
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いくつもの房が縦に連なって長い房のようになっている部分もありました。
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その中間部分を拡大いたしました。
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更に拡大して見ました。
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光がよくあたっている部分を拡大いたしました。
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花の房が横に並んでいる部分もありました。それが、2段、3段となっている姿は圧巻でした。
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上の写真の上段部分です。写真を撮った朝の6時50分にこだわったのは、太陽の日の当たる角度でした。
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これは2段目です。見事なので冒頭の写真にも使わさせていただきました。
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高い部分を遠くから焦点距離400mmで撮りました。クリックすると1房を拡大します。三脚は持ってこなかったので手振れ防止機能だけが頼りでした。
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完全に開いた部分とこれから開いていく先端部分です。
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上の写真までは日が当たっている写真なので日陰にある花の写真も撮ってみました。日陰の部分の花も不思議な美しさがあります。
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咲き始める境界線の辺りを拡大いたしました。
クリックするとオリジナルサイズに拡大いたします。
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花を拡大いたしました。
こちらもクリックするとオリジナルサイズに拡大いたします。
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クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
今回の写真は平成31年3月に修理したコンデジのG7Xと、EOS 5Dで2種類のズームレンズを使って撮りました。焦点距離が24~105mmのレンズと100~400mmのレンズです。
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2019年5月14日追記 タイトル:藤のツルの写真を追加しました。
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雑木林の中のフジのツル(蔓)がどのようになっているのか気になって、雑木林の中に入ってみました。あちらこちらに太いツルが木に巻き付いていて迫力がありました。下から見ると左巻き(反時計回り)、つまり上から見る(先端から見る)と右巻き(時計回り)です。クリックすると拡大すでに書いているように。先端方向から見て右巻きのこの藤の和名は「フジ」または「ノダフジ」ということになります。すでに紹介の通り、日本にはフジ(ノダフジ 右巻き)とヤマフジ(ノフジ 左巻き)の2種類があります。

他のフジのツルの状態を紹介します。この雑木林にも、いろんなツル性の植物がありますが上の写真とこの4枚の写真は近くにフジの花や葉があったのでフジのツルであることは確認出来ました。上段の左の写真のフジのツルは木に巻き付いていますが、他の3枚の写真のフジのツルは木に巻き付いていません。ツルは単独では上に立ちあがっていけないので、3つのフジ共に巻き付いていた木が朽ち果ててしまったと思われます。これを見て古い藤なのだと感じました。藤の生命力の強さと、高い場所に沢山の花を咲かしていた理由が判りました。写真をクリックすると全長を大きく拡大いたします。木に巻き付いている左上の写真の藤も下の方は巻き付いていないことから、最初に巻き付いた木は、他の3枚のように朽ち果てたものと思われます。下段の右の写真は太いツル以外に細いツルが何本も見受けられ、太いツルに細いツルが巻き付いています。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

太いツルが巻き付いた太い木もありました。ツルが幹に食い込んでいます。つる性植物はフジだけではないので、この写真だけでは、つる性植物の名前は特定できません。上を向いてみても見ても葉の形は判りませんでした。クリックすると拡大とりあえずは上の方の写真を撮って家で確認してみることにいたしました。クリックすると裏側と上部の写真も同時に表示します。
クリックすると拡大

こちらはその写真から一番上の部分を切り出したものです。シルエットは藤の葉に似てはいますが、この辺りはニセアカシヤ(ハリエンジュ)の木も多いのです。ニセアカシヤの葉も、写真の葉のシルエットに似ていてニセアカシヤの可能性もあることから、太い幹に巻き付いている太いツルがフジであることは確定できませんでした。
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参考にフジの葉とニセアカシヤの葉の写真を掲載します。イメージですが葉のシルエットにはフジ(藤)の方が近いように感じます。両者ともに分類的にはマメ科マメ亜科までは同じで、クリックすると拡大右の写真のように花も似ています。ただしニセアカシヤはつる性植物ではありません。フジはフジ属でニセアカシヤ(ハリエンジュ/針槐)はハリエンジュ属です。ニセアカシアは北米原産で、日本には1873年に輸入され本物のアカシアが入ってくるまではアカシヤと呼ばれていたそうです。
        フジ             ニセアカシヤ
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雑木林の雰囲気を紹介します。
この写真の中にもつる性植物がいくつか写っています。
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雑木林の地面には藤の小さな木も沢山生えていました。細いつるを伸ばして、つかまるものを探しているようでした。小さな苗がある場所の共通しているのは、木漏れ日があたっている場所でした。この写真でも、木漏れ日が当たっているのが分かっていただけると思います。
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予想した通りに雑木林の中にはキンラン(金蘭)の花も咲いていました。
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せっかくなので、この雑木林のニセアカシヤの写真を紹介します。ちなみに上でフジと比較のために掲載したニセアカシアの写真も含めて全て2019年5月15日に撮った雑木林のニセアカシヤです。
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花を大きく撮った写真も紹介します。すでにしおれ始めた花も多く見受けられるので、花の時期はフジと類似しています。その中でもきれいに咲いている花を撮りました。ニセアカシヤの分類も紹介します。葉や花が似ているはずで、ニセアカシヤはフジとはマメ亜科まで同じです。フジはフジ属でニセアカシヤはハリエンジュ属です。
   界 植物界      Plantae
     被子植物     angiosperms
     真正双子葉類   eudicots
     コア真正双子葉類 core eudicots
     バラ類      rosids
     マメ類      fabids
   目 マメ目      Fabales
   科 マメ科      Fabaceae
  亜科 マメ亜科     Faboideae
   属 ハリエンジュ属  Robinia
   種 ハリエンジュ   Robinia pseudoacacia
 一般名 ニセアカシア
  英名          Locust tree
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韓国へ出発でいきなりアクシデント [機内]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
古い記事です。2010年にはこんなこともありました。
ネットで検索をしていると不思議にも全く関係のない本記事が表示されたのです。本記事は私の記事では唯一と言っていいほど珍しく写真がない記事だったのです。この際なので、写真を追加する形でブラシュアップいたしました。

今は、インドネシアの記事に引き続きベトナムの記事を書かせていただいていますが、実は今週は韓国に行って来ました。出発は2010年1月31日の18時40分発の成田空港→インチョン空港(ソウル)の便でしたが、いきなりアクシデントがありました。冒頭の新聞記事の中で影響が出た出発24便の中の一つが我々の飛行機でした。
このアクシデントの前にも、ちょっとした手違いがあったのです。我々が搭乗した後に燃料が足らないことがわかったようです。燃料を入れるので出発が遅れるとのお詫びの放送がありました。
その時、キャビンアテンダントの人が締めていたシートベルトを外すように一人一人に説明をしていました。私も締めていたシートベルトを外しました。燃料を入れる場合はシートベルトを外す規定があるようです。
燃料を入れ終って、やっと出発して滑走路に向かっている時に、滑走路上で飛行機が止まってしまったので、停止して待つとの機内放送がありました。30分くらいしてやっと動き始めて「別の滑走路を使って飛び立ちます。」との機内放送があった後にやっと成田空港を飛び立つことが出来ました。ところが飛び立って1時間過ぎたところでインチョン空港が霧で着陸出来ないため管制塔の指示を待っているとの機内放送がありました。その後にすぐに金浦空港に降りますと放送がありました。実は成田空港の出発が遅れたのは冒頭の新聞のNZ(ニュージニンド)機のトラブルが原因だったのです。
機内は半分以上が韓国の人たちですが、皆さん満面の笑みを浮べて喜んでいるようでした。インチョン空港はソウル市内から遠いけれど、金浦空港はソウル市内にかなり近いので喜んだのだと思います。
渋い顔していたのはトランジットらしい欧米人の人たちでした。
私も金浦空港になったおかげでソウル市内のホテルには予定より30分程度の遅れで済みました。タクシー代も安くて済みました。それでもホテルに着いたのは午後10半になってしまいました。
最初の燃料の問題による遅れがなければNZ(ニュージニンド)機より早く飛び立ち、今回の経験が出来なかったかもしれません。良かったのか、悪かったのか微妙です。
これから韓国の報告はベトナムの記事とおりまぜながら掲載させていただきます。その前に行った中国の記事もまだ掲載できていないのは申し訳ありませんが、韓国の方を先にさせていただきます。
冒頭の写真は2月1日の日本経済新聞の朝刊ですが切り剥ぎして編集しました。記事をクリックすると本来の配置の記事を表示します。

毎日新聞にも掲載されていました。下記はネットでの毎日新聞の記事です。
トラブル:NZ機が離陸滑走中に急停止し煙 成田空港
31日午後7時ごろ、成田国際空港のA滑走路(4000メートル)で、離陸のため滑走していたオークランド行きのニュージーランド航空90便(ボーイング777-200型、乗員13人・乗客296人)が急停止した。主脚のブレーキが過熱し、タイヤから煙が出たため、消防車が放水した。けが人はなかった。
国土交通省成田空港事務所などによると、主脚に12本あるタイヤがすべて損傷していた。乗客の片岡治子さん(68)は「しばらく滑走した後、ドーンという衝撃があり急停止した。約1時間後に機内アナウンスで、『操縦室で異常を示す警報ランプが点灯し、急ブレーキをかけたらパンクした』と説明があった」と話した。
乗客は午後10時半ごろまで機内で待機した後、バスでターミナルに移動し、千葉県成田市内のホテルに宿泊した。【山田泰正】
2019年5月9日 0時00分 閲覧数:941 nice:72 CMT:12

2019年5月9日追記 タイトル:写真を追加いたしました。
冒頭で記載したように写真を追加させていただきました。ここから下が今回追加した部分です。この時は夕方の便であることもあり、残念ながら飛行機の中では写真は撮っていませんでした。そこで、出発当日(1月31日)の10時38分に家で撮ったケーキを左側に紹介します。このケーキはフランスの老舗のダロワイヨ(DALLOYAU)で最も有名なガナッシュ・チョコレートが使われた三層のケーキで、名前はオペラです。韓国への出発は日曜日だったので家でゆっくりしていたわけです。ケーキの写真をクリックすると特別に大きく拡大するのでチョコレート三層構造が確認出来ると思います。
右の写真は韓国に到着た翌日の2月1日に最初(15時30分)に撮りました。
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ケーキの写真をクリックするのが面倒と思われる方もおられると思うので、拡大写真を掲載いたしました。老舗のダロワイヨ(Dalloyau)の歴史は1682年のヴェルサイユ宮殿にまでさかのぼるそうです。そしてケーキのオペラは64年前の1955年にシリアック・ガビヨンによって創作され、ケーキの名前「オペラ」は、その妻アンドレ・ガビヨンがオペラ座のバレリーナに対して賛辞の念を表すために名付けたそうです。
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クリックすると拡大こちらは飛行機アクシデントの翌日(2月1日)と帰国の日(2月2日)に撮った写真です。写真をクリックするとその写真を使った記事を紹介します。
最初の記事は2月1日の夕食で食べた焼き肉の写真です。焼肉店はテーブル席のところもありますが、座敷式が多かったです。
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こちらは、その焼肉店で出された成長するおしぼりです。
動画も撮りました。→ポチッ
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焼肉店からホテルに帰る途中にあったおでんのお店です。看板には「おでんBAR」と書かれていました。日本の居酒屋のようなお店で、カウンターで少人数で「おでん」を楽しみながらお酒を楽しむ感じの場所でした。若い人が中心で、最初はすいていましたが、時間と共に席はほぼ満席になってきました。
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最後の写真は2月2日に帰国時に金浦空港で昼食のために入ったフードコート(food court)で食べたチョングッジャン・チゲ(納豆汁)です。
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クリックすると拡大韓国旅行と言えは、この時から8年前、今から17年前の日韓共催のワールドカップの開催式前日の2002年5月30日(JL951)と翌日の6月1日(JL952)のフライトで偶然にも藤原紀香さんが同じフライトだったことを思い出しました。帰りのフライトではJALのラウンジで会えたので、下のサインをいただきました。
その時の記事はこちらです。→ポチッ


空港でもらったJALのパンフレットです。
2002 FIFAワールドカップ概要
  開催国     日本 韓国
  日程      2002年5月31日~6月30日
  チーム数    32 (6連盟)
  開催地数    20都市 (日本10都市  韓国10都市)
  優勝      ブラジル (5回目)
  準優勝     ドイツ
  3位      トルコ
  4位      韓国
  試合数     64試合
  ゴール数    161点 (1試合平均 2.52点)
  総入場者数   2,705,197人 (1試合平均 42,269人)
  得点王     ロナウド(8点 ブラジル)
  最優秀選手   オリバー・カーン (ドイツ)
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上段の2枚が2002年5月31日に行われたワールドカップ開会式前後の往復の飛行機の搭乗券です。
下段が開会式当日5月31日のソウルワールドカップ競技場(서울월드컵경기장)までの地下鉄の切符です。改札を出る時に記念にもらいました。
キップに書かれている600원は日本円で60円です。
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キュウリのワッフルスライス [料理]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2019年4月18日掲載 タイトル:キュウリのワッフルスライス
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キュウリの新しい切り方を覚えました。その切り方が上の写真です。
この切り方をワッフルスライスと言います。

ワッフルスライスを拡大いたしました。クリックすると、さらに拡大いたします。ある道具を使うと、これが簡単に出来てしまうのです。
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この波形の刃が付いた道具を使うのです。キュウリを垂直に立ててスライスすることに90度回転させることで上の写真のワッフルスライスが出来るのです。道具の名前はずばり「きゅうりワッフルスライサー」でした。料理に関係する便利グッズですが、似たものとしては白髪ネギ用のカッターを紹介したことがあります。
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きゅうり1本で、これだけの量のワッフルスライスが出来るのも特筆すべきことでした。
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さっそくサラダにワッフルスライスしたキュウリ(胡瓜)を入れました。
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この日のメインは、とん汁でした。
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大吟醸もいただきました。
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別の日のサラダはワッフルスライスしたキユウリとトマトとレタスとセロリでした。
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この日のメインはニラ玉でした。
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この切り方にするとサラダの胡瓜が食べやすくなったように思えました。
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別の親子丼の日にもワッフルスライスのキュウリを使ったサラダにいたしました。
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ワッフルスライスのキュウリはドレッシングが良く絡みます。
2017年の農林水産省の作物統計によると日本のキュウリの総生産量は55.95万トンです。1位は宮崎県(6.72万トン)で、2位は群馬県(5.54万トン)で、3位は埼玉県(4.66万トン)です。1億2,622万人の一人あたり平均に換算すると4.43kg/年(85g/週)になります。
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左のように波形のホテトチップスのような切り方も出来ます。名前はウエーブスライスです。キュウリは水分が約95%であることから、日本では加熱せずに生、酢の物、和え物、塩揉み、漬物などで、食感などを楽しむ食材と言えます。低カロリーな割には食べ応えがあることからダイエット向きな食材とする人もあるそうです。参考に主成分割合をゴーヤと比較して紹介します。
         キュウリ           ゴーヤ
 水分      95.4 %            94.4 %
 デンプン    2.0 %            1.3 %
 水溶性食物繊維 0.2 %            0.5 %
 不溶性食物繊維 0.9 %            2.1 %
 タンパク質   1.0 %            1.0 %
 有機酸     0.3 %
 脂肪      0.1 %            0.1 %
 ミネラル    0.2 %(主にカリウム)      0.3 %
 ビタミン類合計 15.4mg/100g(0.0154%)   77.9mg/100g
 エネルギー   59 kJ/100g (14 kcal/100g)  71 kJ/100g
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家内が便利な道具を見つけてくれました。キュウリはインド北部、ヒマラヤ山麓原産で、日本では平安時代から栽培されているそうです。
クリックすると拡大キュウリの植物分類を記載します。
  界 植物界      Plantae
    被子植物     angiosperms
    真正双子葉類   eudicots
  類 バラ類/マメ類  rosids/fabids
  目 ウリ目      Cucurbitales
  科 ウリ科      Cucurbitaceae
  属 キュウリ属    Cucumis
  種 キュウリ(胡瓜) Cucumis sativus L.
 英名          Cucumber
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スライスの仕方の説明部分です。左側がウエーブスライスとワッフルスライスの説明です。もう一つ細切りも出来ます。まだ試してはいないので素麺の季節に試してみたいと思っています。


クリックすると拡大きゅうりワッフルスライサーの説明書です。クリックすると読める大きさに拡大いたします。自社工場一貫生産だそうです。
 製造 曙産業
 住所 新潟県燕市南1-2-1
 電話 0256-63-5071
 HP http://www.akebono-sa.co.jp 製品一覧 
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キュウリの細切りも試しに作ってみました。本来はキュウリの左右に傾けて先端を削ぎ落すようにスライスしますが、回転しながらスライスしたので先端が鉛筆のように円錐状になりました。最後は少し残るので、そのまま口に入れました。
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これがワッフルカッターを使って作ったキュウリの細切りです。思っていた以上に簡単で、見た目もそこそこに出来ました。
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我家でキュウリの細切りを使うとしたら、先ずは思いつくのは素麺です。
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具として細切りのキュウリ以外に錦糸卵とハムを用意いたしました。
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いつもであれば市販のソウメンつゆにつけて食べるのですが、この日は前日に干しシイタケを使った料理をしたことから干しシイタケの煮汁が沢山あったので、だしをとって自家製の薄めの汁を用意いたしました。
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薬味はおろし生姜と刻み茗荷でした。
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冷したす薄めの知ると一緒に食べる素麺をいただきました。
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追伸
2019年4月18日から関西に行きます。帰ってくるのは4月24日です。それまでは皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。


2019年5月5日追記 タイトル:人参のワッフルスライスもやってみました。
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胡瓜のワッフルスライスが好評なので、人参のワッフルスライスもやってみました。上の写真がニンジンのワッフルスライスです。キュウリのワッフルスライスの記事に追記する形で紹介します。

ワッフルスライスの形が分かるように拡大いたしました。
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すでに紹介したキュウリ専用のワッフルカッターを使いました。ただし、カッターの幅より太いものは出来ないので、写真の位置までしかできませんでした。太い部分は縦に4本に切ってワッフルスライスを作りました。
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左下がニンジンのワッフルスライスで、中央上が胡瓜のワッフルスライスで、右下が胡瓜のウエーブスライスです。
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人参のワツフルスライスを入れたサラダです。人参の鮮やかな色が映えていました。味としては生の人参の存在感が判らなくなるほど、食べやすくなるように感じました。ニンジンはアフガニスタン原産のセリ科ニンジン属の2年草です。分類をしょうかいしまか。
  目 セリ目         Apiales
  科 セリ科         Apiaceae
  属 ニンジン属       Daucus
  種 ニンジン(ノラニンジン)Daucus carota
 亜種 ニンジン 人参     Daucus carota subspecies sativus
 英名             Carrot
 仏語             Ginseng 又は Carotte
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ドレッシング類が良く絡むので、さらっとした、ぼん酢しょうゆをドレッシング替わりによく使っています。ドレッシングに使うポン酢は香りが高い方が美味しく感じられるので馬路村のポン酢を使っています。
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縦に4本に切ったニンジンで作ったワッフルスライスを入れたサラダです。
このサラダの写真は令和元年の初日である令和元年5月1日に撮りました。
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和食にもニンジンたっぷりのサラダです。
こちらのサラダの写真は令和元年の子供の日令和元年5月5日に撮りました。
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2種類のいなり寿司を用意していただきました。タケノコを主体としたいなり寿司(奥側)と、ゴマとチリメンのいなり寿司(手前側)です。
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この日のサラダはレタスなどの葉物は入れないで、キュウリとニンジンとトマトだけのサラダにいたしました。ドレッシングは上で紹介のポン酢でした。
今回のスライサーのおかげで、和洋関係なくサラダを食べる回数が増えたような気がします。キュウリとニンジンの栄養成分を比較しました。人参のビタミン総量は少ないと思われますが、ニンジンのビタミンの特徴はビタミンA(主にβカロチン)で116g食べると1日の必要摂取量を取ったことになります。カロチンの名は人参の英名のCarrotに由来しているそうです。
クリックすると拡大         ニンジン       キュウリ
 水分      89.7%        95.4%
 デンプン    6.3 %        2.0 %
 水溶性食物繊維 0.6 %        0.2 %
 不溶性食物繊維 1.8 %        0.9 %
 タンパク質   0.8 %        1.0 %
 有機酸                0.3 %
 脂肪      0.1 %        0.1 %
 ミネラル    0.36%(主にカリウム) 0.2 %
 ビタミン類合計 8.49mg/100g     15.4mg/100g
 エネルギー   36 kcal/100g     14 kcal/100g
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2019年5月8日追記 タイトル:大根のワッフルスライスもやってみました。
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胡瓜と人参のワッフルスライスと紹介すると、大根を試してみたくなります。幸いにも細い大根の先の部分が残っていたので、試しに作ってみました。

大根の先端部分なのでかなり辛い筈です。さらに水分が94.6%と多いのでサラダに向いているかどうか心配になりましたが、ぽん酢と、すりおろしオニオンドレッシングで食べてみることにいたしました。大根を生で食べるような感じと想像していましたが、驚いたことにさほど辛みも感じなく、サラダに向いた食感の生野菜という感じになって美味しかったのです。ほん酢でもドレッシングでも十分においしかったのです。これならばサラダの中の一つの食材として使えそうでした。大根の辛みも利用できそうでした。もし、ワッフルサライサーを買われた方がおられたら試してもらいたいと感じました。
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大根のワッフルスライスを昼に試した結果、サラダの食材に使えることが分かったので、その日の夕食に大根のワッフルスライスを入れたサラダを作ることにいたしました。もちろん胡瓜と人参のワッフルスライスも用意いたしました。このために新しい大根を買ってきて先端部分を使いました。
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これが出来上がったサラダです。これで一人前です。胡瓜と人参と大根のワッフルスライスとサニーレタスとトマトにトンブリ(畑のキャビア)と半熟玉子を乗せたサラダです。
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この日のメインはドライトマトを使ったスパゲッティーでした。
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写真が柔らかに戻したドライトマトです。ドライトマトは写真のようにたっぷりと使い、タマネギとニンニクとハムを具に加えて炒めて作りました。
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これがドライトマトを使ったスパゲッティーです。その場で挽いた黒コショウをたっぷりと入れています。
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チーズもその場でおろしました。
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サラダにもおろしたチーズをかけました。ドレッシングは深煎りごまドレッシングにいたしました。
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スパゲッティーにたっぷりとチーズをかけた写真です。
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黒コショウの味も楽しみました。
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現存する日本最古の民家が神戸にありました。 箱木千年家 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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神戸電鉄の箕谷駅に9時30分に待ち合せて初めて参加させていただいたクリックすると拡大ハイキング「第72回 神戸市北区の重要文化財巡りハイク」で最初に向かったのが兵庫県神戸市北区山田町衝原字道南1-4にある箱木千年家です。実家がある逆瀬川からは阪急電車で新開地まで来て、そこからは前記事で紹介した通り神戸電鉄に乗って箕谷駅まで来ました。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六条八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅

クリックすると拡大箕谷駅から少し下ったところにある下の写真のバスターミナル(箕谷駅前)からバスに乗りました。右の写真のように土曜日の9時台から18時台は1時間に1本なので、神鉄の箕谷駅から急いで坂道を下りてきました。右の写真はこのままでは数値が読めないと思いますがクリックすると拡大いたします。
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箕谷駅前バス停からは111系統の9時41分発のバスに乗り終点の衝原バス停まで行きました。
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終点なので一番後ろに乗りました。我々以外にもハイキングに行くと思われる人が沢山乗られていました。


こちらが衝原バス停です。料金350円は関東のICカードのパスモで払うことが出来ました。
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衝原(つくはら)のバス停留所から箱木千年家までのルートをを紹介します。つくはら湖周辺の散策で最初に訪れたたのが箱木千年家(箱木家住宅)でした。資料によれば北西方向の約70mの湖底が移築前に建っていた場所だそうです。とりあえずその位置に家のマークを付けました。
クリックすると拡大  衝原バス停留所
  箱木千年家(箱木家住宅)
 ━━ 散策ルート(衝原バス停→箱木千年家→つくはら湖散策→衝原バス停)


バスを降りると千年家と書かれた看板がありました。


畑の向こうに茅葺屋根の家が見えました。おそらく、そこだろうと進んでいきました。
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箱木千年家は左の奥にあります。箱木千年家は個人の所有で、その所有者の方が住んでいるのが左側の家です。
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箱木千年家の前には説明がありました。説明板の内容を枠内に転記いたしました。ダム建設のために日本最古の住宅が移築になったのは残念なことですが、移築のための調査によって、初めて日本最古であることが分かると共に、江戸時代の改築の詳細も判明したのも事実であります。移築前の1977年(昭和52年)までは実際に住居として使用されていたそうです。さらに移築の調査結果出る12年前の1967年(昭和42年)には国の重要文化財に指定されていたことから、建設された年代が特定できなくても重要な建物であることは認識されていたことになります。
            箱木家住宅 (国指定重要文化財)
指定年月日 昭和四十二年六月十五日
一般には「箱木千年家」の名で知られています。
箱木家は古くからこの地方の土豪であったと伝えられ、代々庄屋を勤めた家柄です。
現代の建物は、呑吐(どんど)ダムの建設に伴い、昭和五十二年七月から五十四年三月にかけて移築工事が行われ、従来のところから数十メートル離れた高台に建っています。
移築の際に行われた解体調査及び敷地発掘調査により、現存する日本最古の民家であることが確認され、加えて十四世紀頃に建てられた「母屋(おもや)」と、後に建てられた「離れ」とを江戸時代末期に一つの屋根の下に納めた合成建物であったことも明らかになりました。
現在は「母屋」と「離れ」を建築当初の形に分離して再建し、築山、中庭、納屋、土蔵等を移築前とと同じように配置しています。
平成四年三月 神戸市教育委員会
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入口から見た箱木家住宅の敷地です。現在、一般の民家(住宅)において日本最古レベル(室町時代以前)と考えられているのは次の3つです。それ以外に千年家と伝承されている三大千年家も紹介します。記載している時代は、伝承を含まない学術的および科学的な検証の年代です。ちなみに室町時代は1336~1573年で、鎌倉時代は1185~1333年で、箱木家住宅に使われている木材の伐採時期は1283~1307年(放射性炭素年代測定法)です。
 日本最古レベル
  箱木家住宅(兵庫県神戸市北区山田町)  室町時代 or  鎌倉時代後期
  古井家住宅(兵庫県姫路市安富町)    室町時代後期
  堀家住宅(奈良県西吉野村)       室町時代後期
 三大千年家(通称 伝承)
  箱木家住宅(兵庫県神戸市北区山田町)  室町時代 or  鎌倉時代後期
  古井家住宅(兵庫県姫路市安富町)    室町時代後期
  横大路家住宅(福岡県糟屋郡新宮町上府) 江戸時代前期
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石碑があり「史跡 千年家」と書かれていました。今は「箱木家住宅」あるいは「箱木千年家」と呼ばれているので、少し前に作られたものと推測されます。この石碑が移築されたものかどうかが気になるところです。学術的には約720年前~約620年前の建物と考えられていますが、千年家と呼ばれるようになったのは少なくとも約220年前からのようです。箱木家には大同年間(806~810)に建築と伝承されていて、1796年(寛政8年)~1798年(寛政10年)に刊行された摂津名所図会に806年(大同元年)に建てられたと記されていたからだそうです。その時点で約1000年で今であれば1200年になります。
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さっそく中を見学させていただくことにいたしました。右の写真の案内所の中で料金を支払って中の扉から入りました。
 料金 大人        300円
    小・中学生     150円
    団体(30人以上)   3割引
 休館 12月26日~01月10日
 時間 9:00~17:00 (04月01日~10月31日)
    9:00~16:00 (11月01日~03月31日)
     臨時休館があるようなので平日などは電話確認をお薦めします。


右の大きい方の建物が「母屋」で左の建物が「離れ」です。移築前はこの二つが一体となった一つの建物になっていたそうです。移築を機会に建設当初に戻した結果だそうです。
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Google Mapの航空写真で箱木家住宅を紹介します。萱葺建物の2棟が箱木家住宅です。建物の左側の深緑色の部分が、つくはら湖です。現在の建物がある地域がダムが出来て水没する地域の人達が移転するために作られた造成地と思われます。現在の箱木家住宅の北西方向70mあたりの湖底に移設前の箱木家住宅がありました。
写真をクリックするとオリジナルのGoogle Mapの航空写真を表示します。
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案内所で頂いた説明書に載っていた母屋と離れの正面図です。
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今回のメンバーでの記念写真です。紹介の記念写真は、顔が判らないように人が小さく写った写真にさせていただきました。一番右側が私です。
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移設前の模型も置かれていました。
上の写真の建物の状態が確認出来ました。建物の右奥側に土蔵と納屋があり、左手前に塀で囲われた築山や中庭があります。
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広い範囲を表示させると左端に湖が出来る前の志染川があります。この場所が、つくはら湖の湖底に沈んだことが実感させられました。
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受付場所に「母屋」と「離れ」が一体の移築前の写真が展示されていました。この状態で江戸期から移築が決まった1977年まで住居として使われたそうです。写真からも生活が行われていたことが伝わってきます。
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母屋の右側に土蔵と納屋がありました。納屋の中にはいろんな展示物が置かれていました。上の写真の模型も納屋に展示されていました。
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発掘で出てきた昔の基礎図も展示されていました。
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発掘時の写真です。
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いろんな農機具も置かれていました。
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見事な土塀と茅葺でした。
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茅葺の見事さを実感してもらうためにアップしました。かなりの厚みでした。軒下が低いのにも驚かされました。私の身長よりも低いのでかがむ必要がありました。今ほど室町時代だからこその高さなのかもしれません。
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軒裏の構造も見事です。
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ここから建物の内部を紹介いたします。そこで受付で頂いた説明書に載っていた14世紀建設当初および移設後の配置図を紹介します。
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こちらが母屋の内部です。土間に竈があります。料理などをした台所だったのだと思います。配置図では「にわ」と書かれている部分です。
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その土間「にわ」から見た板間の方向です。
移築時の解体調査により、母屋の建設時期の公式見解は室町時代の14世紀ごろとなっていますが、2005年に建築当初の部材について放射性炭素年代測定法による調査が行われた結果、使用されている部材が1283~1307年に伐採されたものであることが判明したそうです。発掘調査で出土した土器の年代も13世紀後半であることも考え合わせると、母屋(主屋)の建築が鎌倉時代にさかのぼる可能性も考えられています。そうすると約720年前と言うことになります。ただし室町時代の14世紀ごろでも、他の日本最古クラスの2軒が室町時代後期であることから、箱木家住宅が日本最古と推定されています。
上でも書かせていただきましたが、少なくとも元禄期には「千年家」と呼ばれるようになっていたそうです。箱木家には大同年間(806~810)に建築と伝承されていたと共に、近世の摂津名所図会などには806年(大同元年)に建てられたと記録されているそうです。確認されている範囲ではありますが、日本で室町時代にさかのぼるとされる民家は、箱木家の他では古井家住宅(姫路市安富町)と堀家住宅(奈良県西吉野村)の2つしかないそうです。
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上の写真で右側の板間です。配置図では「だいどこ」と書かれています。奥にも部屋があります。配置図では「なんど」と書かれています。
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南側の部屋には囲炉裏(いろり)があることから、今で言えば居間の存在だと思います。配置図では「おもて」と書かれていました。長い年月の間に多くの修理が行われことが見受けられるそうですが、この おもて の間には建設当初の柱が6本残されていて、桁梁の類には8本が残されているそうです。
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別の方向から見た土間「にわ」です。囲われている部分は馬屋です。配置図では「うまや」と書かれていました。昔は同じ屋根の下に人と馬が住んでいたことが分かりました。
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現在の馬屋の中には沢山の農機具が保管されていました。
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真上を撮った写真です。天井板はなく屋根裏がむき出しの構造の建物でした。
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よく見ると屋根裏に「おたふく(おかめ)」の面が飾られていました。
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その「おたふくの面」を拡大いたしました。上棟式で取り付けられたものと思われます。
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母屋の梁行断面図も紹介します。
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こちらが「離れ」です。
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手前が8畳で、奥が6畳の畳部屋です。
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茅葺の裏側の写真です。
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上で建設当初の配置図を紹介しましたが、ここでは江戸期(少なくとも1792年)から1977年までの配置図を紹介します。室町時代か鎌倉時代に母屋が建てられて、その後に離れが建てられたそうです。さらに江戸時代ですが2棟をつなぐ2部屋が作られて一つの建物にしたことが移転時の調査で判ったそうです。1796年(寛政8年)に刊行された摂津名所図会には一棟として描かれていたので、1796年までには一体に改造されていることがわかっているそうです。
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入母屋造りの茅葺屋根の一番上の飾りも独特でした。茅を束ねて丸太状に9本の上に竹を置いている構造です。2本の竹をそれぞれ根元側を外にして真中をつないで1本に見せています。母屋と離れが一体の移設前(江戸期改築)は丸太状の茅の束は17本でした。移設するときは建設当初(室町期か鎌倉期)の姿に戻すが、そのままの江戸期の姿で移設するか議論になったことでしょう。
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構造が分かるように端の部分を掲載しました。
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離れの屋根の飾りも同じだったと想像されます。ただし竹は頂部から外れてしまったようです。
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同じタイプの屋根の飾りを別の場所で見つけたので紹介します。
この屋根があったのは、この日の午後に行った無動寺でした。お寺の屋根ではなく住職のお住まいの建物の屋根でした。住所は兵庫県神戸市北区山田町福地100で箱木家住宅から直線距離で3.1kmの距離です。
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竹の根元を使った部分を拡大いたしました。この地域の特徴の飾りなのかもしれません。
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そういえば前々記事で紹介した下谷上農村歌舞伎舞台の屋根の飾りも似ていました。こちらも神戸市北区山田町です。根っこの部分は折れて取れてしまったように見えます。
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案内所で頂いた説明書を紹介します。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
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呑吐ダムが出来る前の1970年に国土地理院が発行した50,000分の1の地形図が我家にあったので、箱木家住宅あたりを紹介いたします。当時の道路は現在は湖底になっているので、当時と現在と比較するのは等高線になります。つくはら湖の湖面の標高は139mであることから標高140mの等高線が分かるように「標高140m(湖面)」を追記しました。この標高あたりに現在の湖の湖岸があります。参考に標高200mの等高線の位置が分かるようにも注記いたしました。盛り土をして造成地にしたと思われる部分を赤い線(━━)で囲みました。
クリックすると拡大クリックすると現在の「つくはら湖」全体が入る地形図を表示します。
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上で紹介した地形図と同じ範囲の現在の航空写真を紹介します。
両者を比較して結果、移設前の箱木家住宅は地形図の中央のと想像されます。移設後の箱木家住宅の位置は地形図では標高140mより低いことから、移設後の箱木家住宅が建てられは造成地は盛り土をして作られたことも判りました。クリックすると拡大するので、より分かりやすくなると思います。オリジナルのGoogle地図→ポチッ
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箱木千年家の場所を紹介します。神戸と言っても港に近い中心部から離れています。阪急の三宮駅から歩くルートで紹介します。正しいかどうかは判りませんがGoogle地図のシステム計算によれば上りの累計は421mで、下りの累計は286mで、最も高いところが小部峠(371m or 369m Google:359m )になります。紹介の画面では表示されていませんが、別の画面では箱木家住宅の場所の標高は145mと表示されました。
 名前 箱木家住宅 国指定重要文化財 
 通称 箱木千年家
 住所 兵庫県神戸市北区山田町衝原字道南1-4 → ポチッ
 電話 078-581-1740
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久しぶりに神戸電鉄に乗りました。 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で2019年4月20日に新入社員として配属になった神戸事業所の仲間と神戸市北区山田町の国指定の重要文化財巡りのハイキングにクリックすると拡大右の写真の神戸時代の仲間と行ったことを紹介させていただきましたが、待ち合わせ場所の箕谷(みのたに)駅までは神戸電鉄(神鉄)を利用しました。神戸電鉄は会社の事業所の近くでしたが意外と乗る機会がありませんでしたが、年に1~2度程度ですが忘年会などの宴会を1泊で有馬温泉にある会社の保養所で行った時に神戸電鉄を利用しました。宴会の翌日は保養所から神戸電鉄に乗って会社に通勤していたのが思い出されます。転勤したことから27歳が神戸電鉄に乗ったのが最後だったと思います。今回の神戸電鉄の利用はそれ以来のことなので楽しみにしていたわけです。
上の写真は出発駅の新開地駅に停まっている8時10分発の準急三田行です。先頭に5011と書かれているので5000系電車です。この電車に乗って乗り換えなしで箕谷駅まで行きました。それでは箕谷駅までの神鉄の旅を紹介したいと思います。

実家のある逆瀬川駅からは阪急電車で来ました。乗換には改札機がないのでIC乗車券で逆瀬川駅を入って箕谷駅を、そのIC乗車券で出たわけです。ちなみにIC乗車券は関東のパスモです。逆瀬川から箕谷まで840円でした。帰りは箕谷からバスを利用すると720円で行けることを帰りに知りました。箕谷→三宮のバスの料金が440円で、三宮から逆瀬川の阪急の料金が280円だったからです。逆瀬川から箕谷までの間にあった神戸高速鉄道は車両を持たない鉄道会社です。阪急電鉄・神戸電鉄・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道の4社が神戸高速鉄道から施設(線路、設備)を借りて自社路線として営業する方式です。本方式の会社などの第三種鉄道事業者は少なくとも全国に19社/者(自治体を含む)ありますが、4社の鉄道会社が利用している第三種鉄道事業者は神戸高速鉄道だけです。
  4社利用:1社 3社利用:なし 2社利用:7社/者 1社利用:16社/者
 車両   路線        区間
 阪急電鉄 阪急電鉄      逆瀬川~神戸三宮
 阪急電鉄 神戸高速鉄道東西線 神戸三宮~新開地
 神戸電鉄 神戸高速鉄道南北線 新開地~湊川
 神戸電鉄 神戸電鉄      湊川~箕谷
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下の写真が神戸電鉄の車内です。車両は川崎重工製でした。1948年以降は全て地元の川崎重工製だそうです。それ以前は日本車輌でした。
神戸電鉄の沿革を簡単に紹介します。駅名の後ろの括弧内はクリックすると拡大現在の駅名です。会社設立(1926年)から93年になるわけです。右の写真が1928年に製造され、開業時点に使用されたデ1形車両で、このタイプの車両は新しい型に置き換わっていきながらも1967年まで使用されたそうです。
 1921年11月   神有電気鉄道の趣意書が発表
 1926年03月27日 神戸有馬電気鉄道として会社設立
 1928年07月30日 バス営業開始
 1928年11月28日 有馬線が開業 湊川~電鉄有馬(有馬温泉)
 1928年12月18日 三田線が開業 唐櫃(有馬口)~三田
 1936年12月28日 三木電気鉄道(三木鉄)が開業 鈴蘭台~広野ゴルフ場前
 1937年12月28日 広野ゴルフ場前~三木東口(三木上の丸)が開業  三木鉄
 1938年01月28日 三木東口(三木上の丸)~三木福有橋(三木)が開業 三木鉄
 1945年11月08日 鷹取道(丸山)~長田で脱線事故 48名死亡180名負傷
 1947年01月09日 三木電気鉄道を合併 神有三木電気鉄道に社名変更
 1949年04月30日 神戸電気鉄道に社名変更
 1951年12月28日 三木福有橋~電鉄小野(小野)が開業
 1952年04月10日 電鉄小野(小野)~粟生が開業 粟生線全通
 1961年05月25日 京阪神急行電鉄(阪急阪神ホールディングス)と事業提携
 1968年04月07日 神戸高速鉄道に乗り入れ開始
 1988年04月01日 神戸電鉄に社名変更
 1991年10月28日 公園都市線(横山~フラワータウン)が開業
 1995年01月17日 阪神・淡路大震災で被害
 1996年03月28日 公園都市線全通により現在の路線が完成
 2007年04月01日 IC乗車カード(PiTaPa)導入
 2015年03月03日 IC乗車カード全国相互利用が可能となる
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社内の路線図です。概ね三田方面と三木方面の路線になっています。三田方面は有馬口から有馬温泉・行きに別れていて、横山からウッディタウン中央・行きに分かれています。
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今回乗った範囲(新開地駅~箕谷駅)の神戸電鉄の駅をGoogle地図にプロットしました。カメラマークは駅以外の車窓の写真を撮った位置を表しています。丸山駅()から鈴蘭台駅()までは動画を撮っていたので写真ありません。上で紹介の動画の中に、4つのトンネルと廃駅の菊水山駅跡が写っています。
駅の到着時間も紹介します。ただし菊水山駅は2005年3月26日休止となり、2018年3月23日廃駅となったために通過時刻です。準急のため停車しない丸山駅と鵯越駅も通過時刻です。トンネル(━━)は4ケ所あります。ただし2ケ所はの下に隠れているのでプラスのアイコンを2回クリックして拡大したあとスクロールして画面を移動すると判ると思います。→ポチッ
  8時10分 新開地駅
  8時11分 湊川駅
  8時14分 長田駅
  8時15分 丸山駅(通過)
  8時16分 鵯越駅(通過)
  8時18分 菊水山(廃駅)
  8時22分 鈴蘭台駅
  8時27分 北鈴蘭台駅
  8時29分 山の街駅
  8時32分 箕谷駅
 ━━ トンネル 丸山駅~鈴蘭台駅 4ケ所
 ━━ 地下部分 新開地駅から長田駅の手前
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長田駅です。この辺りから急こう配になっていきます。
神戸電鉄と言えば忘れてはならないのが、終戦の年の1945年11月18日に死者48名を出した事故です。神戸電鉄は山越えの路線であることから急こう配の線路が長く続きます。鵯越~丸山間で抑速ブレーキが利かなくなり33‰の連続下り勾配区間で加速し丸山~長田間の曲線部で制限を遙かに超えた高速で脱線転覆し死者48名負傷者180名の犠牲を出す大事故でした。クリックすると拡大私が生まれる前のことではありますが神戸に勤務していたこともあり電車事故があるごとに、事故のことを聞かされました。
右の写真は運転席に置かれているマスコット「しんちゃん」人形です。冒頭の写真から切り取りました。
今は「しんちゃん」が見守ってくれているのだと思います。
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長田駅を過ぎると急こう配になってきます。カーブでは車輪の擦る音が聞こえます。カメラマーク1番目の位置です。神戸電鉄の最大勾配は50‰(50/1000)です。ちなみにラック(歯車)などを使わず車輪とレールの摩擦だけで登る普通鉄道では日本一の急勾配の箱根登山鉄道は80‰(80/1000)です。箱根登山鉄道の車両も川崎重工製が多かったです。
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急こう配なのが分かってもらえるでしょうか。こちらがカメラマーク2番目の位置です。
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丸山駅の少し手前から鈴蘭台駅までは動画を撮ったので紹介します。途中で3回ほど電車とすれ違いました。ただしトンネルの中の1回はカットしているので本動画には入っていません。もう一回はカーブのために電車の影だけです。本来は6分19秒の動画ですが、カットすることで5分3秒の動画になっています。
トンネルの長さはGoogleの航空写真で測った長さです。鵯越(ひよどりごえ)は平安時代末期の一ノ谷の戦いにおける奇襲「鵯越の逆落とし」で知られる鵯越です。場所に関しては諸説あるようですが、少なくとも名前が使われるほど険しいところなのです。
トンネルの名前は動画から読み取ってネットで検索して確定しました。菊水山隧道は菊水山を刳り貫く形で通っています。動画の初期画面に表示されているトンネルは3番目の烏原隧道(長さ57m)です。同じ初期画面の右下端に写っているのが廃駅となった菊水山駅ホーム入口の手摺でクリックすると拡大す。
 0:07 丸山駅
クリックすると拡大 1:17 鵯越駅(ひよどりごえ駅)
   1:46 中山トンネル 240m
   2:18 角山トンネル  49m
 2:25 菊水山駅(廃駅) 2005年3月26日休止 2018年3月23日廃止
クリックすると拡大   2:37 烏原隧道    57m
   2:52 菊水山隧道 1180m
 4:44 鈴蘭台駅


廃駅となった菊水山駅が気になっている方がおられると思います。残念ながら動画を撮っている間は写真が撮れなかったので、動画から静止画像を切り取って連続写真を作りました。角山トンネルの出口から連続写真が始まります。クリックすると代表的な1画面を拡大いたします。後半の画面で正面に見えているトンネルが烏原隧道です。
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4つのトンネルも動画の静止画像から切り取りました。菊水山隧道の入口はカーブの途中にあるので正面からは撮れませんでした。角山トンネルの出口側に廃駅となった菊水山駅跡が見えます。菊水山隧道は3枚組にしています。
     中山トンネル 240m         角山トンネル 49m
クリックすると拡大クリックすると拡大
     烏原隧道 57m           菊水山隧道 1180m
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3回の電車のすれ違い時の写真を紹介します。最初の写真は急カーブのため電車の影だけです。影の中で車両と車両の隙間が2ヶ所明るく写っています。2枚目のトンネル(菊水山隧道)の中では暗いためピントは運転席のガラスに合っているために電車自体はピンボケになっています。まともに撮れているのは3枚目の鈴蘭台に着く寸前です。遠くに鈴蘭台駅が写っています。私が関東に引越したころは3枚目の写真の3000系の時代でした。3000系は神戸電鉄で初のアルミ合金製車体でした。
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写真で撮っていない丸山駅と鵯越駅と鈴蘭台駅も動画から切り取った静止画で紹介します。上段の左が丸山駅で右側が鵯越駅(ひよどりごえ駅)です。
下段の2枚が鈴蘭台駅です。
      丸山駅               鵯越駅
クリックすると拡大クリックすると拡大
      鈴蘭台駅              鈴蘭台駅
クリックすると拡大クリックすると拡大

ここから先はカメラで撮った写真です。
こちらの写真は鈴蘭台駅に停まっている時に撮りました。ここから路線分かれます。右側が三田および有馬温泉方面です。左側が三木および粟生方面です。
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三田方面に出発してすぐに電車とすれ違いました。上の地図のカメラマーク3番目の位置です。5014と書かれているので5000系電車です。
神戸電鉄では、6500系(3両)、6000系(8両)、5000系(40両)、2000系(17両)、3000系(36両)、1500系(6両)、デ1300形(10両)、デ1350形(12両)、1370形(4両)、1100系(26両)、1150系(5両)、クリックすると拡大デ1070形(6両)が保有されています。括弧内は製造数で現在の保有数ではありませんが新しい車両は保有数と考えて良いと思います。新開地駅で我々より前に出発した右の写真の鈴蘭台行き普通電車が1100系でした。1100系は約50年前の1969年~1972年に川崎重工業の兵庫工場で製造された車両です。
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新開地駅で我々より前に出発した鈴蘭台行き普通電車が1100系を拡大いたしました。神戸電鉄の旅客用の車両に関して詳しくまとめてみました。製造者は現在の会社名で正式には日本車輌製造(株)と川崎重工業(株)です。
本車両リストは、Wikipediaに形式別に記載されている内容をまとめたものです。現有数は製造数から廃車数を単純に引き算したものなので、Wikipediaに廃車数の全てが書かれていない場合は現有数が変わるので参考程度としてください。太平洋戦争の1941年12月8日~1945年8月15日は車両の製造は行われていません。車両の譲渡神中鉄道からおこなわれました。神中鉄道は1917年から1943年(相模鉄道に吸収合併)まで存在した会社です。相模鉄道の西横浜~厚木が旧神中鉄道です。神鉄の旧車両の写真→ポチッ
形式 製造者 製造期間
(年)
改造
譲渡
完全
廃車
一部
廃車
製造
(両)
廃車
(両)
現有
(両)
デ1形 日本車輌 1928 1929   1967   10 10 0
デニ11形 日本車輌 1928 1928   1967   4 4 0
デ101形 日本車輌 1929 1929   1971   10 10 0
クハ141形 日本車輌 1929 1929 1944 1974   1 1 0
クハ131形  日本車輌 1935 1936 1942 1971   2 2 0
クハ151形 日本車輌 1937 1940 1942 1971   1 1 0
デ201形 川崎重工 1948 1948   1974   8 8 0
デ211形 川崎重工 1951 1951   1974   4 4 0
300系 川崎重工 1960 1964   1994   10 10 0
800系 川崎重工 1962 1968   1993   17 17 0
デ1000形 川崎重工 1965 1968   1995   10 10 0
デ1050形 川崎重工 1968 1968   2010   11 11 0
デ1070形 川崎重工 1974 1976     2010 6 4 2
1100系 川崎重工 1969 1972       39   39
1150系 川崎重工 1977 1987       6   6
デ1300形 川崎重工 1971 1973       10   10
1370形 川崎重工 1975 1979 1997     6   6
デ1350形 川崎重工 1979 1987       12   12
3000系 川崎重工 1973 1991       36   36
2000系 川崎重工 1991 1993       17   17
1500系 川崎重工 1991 1991       6   6
5000系 川崎重工 1994 1998       40   40
6000系 川崎重工 2008 2010       8   8
6500系 川崎重工 2016         3   3
            合計 277 92 185
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こちらが北鈴蘭第駅です。
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カーブが多いです。カメラマーク4番目の位置です。
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箕谷駅の一つ手前の山の街駅です。
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ここでも電車にすれ違いました。山の街駅から箕谷駅までは特にカーブが多かったです。カメラマーク5番目の位置です。5010と書かれているので、こちらも5000系電車です。5000系の主要諸元を紹介します。一番新しい新型は2016年製造からの6500系です。6000系は2008年~2010年製造です。
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 製造年    1994年~1998年
 製造数    40両
 編成     4両編成
 軌間     1,067 mm
 電気方式   直流1500V
 最高運転速度 80 km/h
 設計最高速度 100 km/h
 起動加速度  3.0 km/h/s
 編成定員   122名(先頭車)133名 (中間車)
 全長     18,290 mm(先頭車)18,140 mm(中間車)
 全幅     2,700 mm
 全高     4,120 mm(パンタ付車)4,030 mm(パンタ無し車)
 車体     アルミニウム合金
 台車     軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車 KW-68
クリックすると拡大 主電動機   MB-5057A 三相かご形誘導電動機
 主電動機出力 120 kW
 駆動方式   平行カルダン駆動方式
 歯車比    7.07
 編成出力   1,920 kW
 制御方式   GTO素子VVVFインバータ制御
 制御装置   三菱電機製MAP-128-15V43 電力回生・発電ブレーキ付
 制動装置   MBSA形電気指令式電磁直通ブレーキ・保安ブレーキ
 保安装置   神鉄形ATS 防護無線
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この先を左に曲がったら箕谷駅です。カメラマーク6番目の位置です。
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箕谷駅です。これで地下にある湊川駅以外は、写真か動画で紹介したことになります。
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ホームに下りたところです。出口は最後尾で、私は電車の先頭に乗っていたのでホームの端から端まで歩きました。
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箕谷(みのたに)駅は無人駅でした。
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箕谷駅からの料金表を紹介します。神戸電鉄以外にも乗り継ぎ先までの料金がが書かれています。書かれている鉄道会社は山陽電車、地下鉄・西神・山手線、北神急行電鉄、神戸高速線、地下鉄・海岸線、阪急電鉄、阪神電鉄です。西方向で最も高いのは山陽の姫路の1370円で、東方向で一番高いのが阪急の河原町(京都)の1180円です。逆瀬川まで840円のわりに京都まで1180円で行けてしまうのにも驚きました。
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こちらが待合場所です。9時30分の待ち合わせに対して8時32分着の電車で着いたので誰も着ていませんでした。1時間前に来たのは前記事でも書いた通りクリックすると拡大皆とハイキングに行く前に、箕谷駅の近くにある国指定重要有形民俗文化財の下谷上農村歌舞伎舞台(しもたにがみ のうそん かぶきぶたい)を見に行くためでした。ハイキングの名前は「第72回 神戸市北区の重要文化財巡りハイク」でした。
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