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豫園商城 [豫園]


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2014年4月6日に上海の豫園に行きました。
すでに黄色の枠内の有料エリアの庭園と真ん中の四角い部分の九曲橋と湖心亭を紹介したので、ここでは緑色の枠内豫園商城を紹介いたします。
実は、今から437年前の1577年には3つのエリア全体が豫園と呼ばれる一つの庭園でした。四川布政使(今で言う四川省長)である潘允端が父のために1559年から造営を初めて1577年に完成した庭園でした。その後、時代と共に変化して行き、58年前の1956年に黄色の枠の部分が庭園として改修整備されて、残りの緑色の枠の部分が商業地域として昔の街並みを再現する形で老街に生まれ変わったようです。お店も沢山あり、沢山の人出から見ても人気のスポットのようでした。

そのにぎわいと老街の趣を紹介したいと思います。豫園商城には豫園新路、豫園老街、文昌路、凝暉路など沢山の通りがありますが、この写真の凝暉路が、人の数や風格からメインストリートと呼ぶにふさわしい通りでした。沢山の人でにぎわっていました。この写真は北側から南方向を撮っています。通りの正面の建物が凝暉閣です。
  日本語 豫園商城 (よえんしょうじょう)
  簡体字 豫园商城 (ユ ユェン シャン チャン)
  英語名 Yuyuan Tourist Mart
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上の写真と同じ通りですが反対側から撮っています。つまり南側から北方向を撮った写真です。
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こちらは同じ通りをさらに進んだ写真です。
昔の豫園商城は豫園商場と呼ばれていました。その頃は行政機関において沢山の商店を管理していました。1980年代初めに、その中の百貨業を一緒に統合して、国有企業としたそうです。さらに1987年、国有企業の株式制への移行改革の波が起きて、1988年に豫園商場の株券は上海証券取引所に登録され、中国の初の株式上場会社となったそうです。そして1992年に豫園商場は、経営管理、経営を統合し、「上海豫園旅游商城股份有限公司」を創設し、上海証券取引所に上場したそうです。2002年には民営企業の復星グループが筆頭株主となり豫園商城は民営企業となりました。
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あまりうまくは撮れていませんがS120で撮った動画でも豫園商城を紹介いたします。


豫園商城は通りだけでなく、いろんな場所に広場があります。いくつかの広場も紹介いたします。
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通りを歩いてくると、大きな広場の入口からの景観は圧巻でした。
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大きな広場には日本で言う城のような建物がありました。
中国では「城」には「団地」の意味が含まれています。たとえば「電子城」は「電気製品製造メーカーが集まった工業団地」に使われます。豫園商城の「商城」も「商業設備が集まった場所(団地)」を意味しているようです。
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また違った広場です。このような広場や通りが人気観光スポットとなっているようです。
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中国でのGoogleの航空写真と地図では数百mのずれがあります。航空写真表示の時は黄色と緑色の枠が豫園の場所で、地図表示の時が青色の枠が豫園です。ここでは485mのずれ(薄赤色ライン)でした。


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タグ:上海 豫園

3連休(清明節)の九曲橋と湖心亭 [豫園]

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上の写真は上海の豫園(よえん)地区のの中心にある池の西側から池の中心方向を撮ったもので、写真の建物が湖心亭で、人が沢山渡っているところが九曲橋です。
清明節の3連休である2014年4月5日~4月7日の丁度真中の4月6日(日曜)に上海の豫園地区に行きました。4月6日は成田から上海に着いた日です。すでに右の地図の豫園の庭園(有料エリア)を紹介いたしましたが、今回は右の地図で九曲橋と湖心亭がかかれたところが今回の記事で取り上げる場所です。湖心亭は湖水亭と呼ばれこともあるようです。
Yahooで検索すると次の通りです。
  豫園 湖心亭 約19,400件
  豫園 湖水亭 約31,900件
上海の観光名所の一つである豫園地区は大きく分けて豫園商城(安仁街)と豫園(庭園)に分類されます。豫園(庭園)は有料エリアで壁で囲まれています。今回の九曲橋と湖心亭は豫園(庭園)に属していますが有料エリアではなく自由に行き来できるところなのです。そのためなのか豫園地区の中で最も混雑していたのが池の上にある九曲橋と湖心亭(湖水亭)でした。

九曲橋を西側から東側に池を対角に渡っていく順番で写真を掲載していきます。渡り初めてすぐの、この辺りが最も混雑しているあたりでした。豫園地区には6回程度来ていますが最も混雑した状態でした。来た時が3連休であったことと、中国国内も観光客が急増していることが関係していると思います。今回の3連休である清明節(せいめいせつ)は年に一度の祖先の墓を参り日なのです。草むしりをして墓を掃除する日であることから「掃墓節」とも呼ばれているそうです。つまり日本におけるお盆に当たる年中行事を行う日ですが、日本よりも日にち絞られていることから車などは大渋滞ななるそうです。春を迎えて郊外を散策する日であることから「踏青節」とも呼ばれているそうです。
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混雑していて、なかなか前に進めませんでした。例えるならば満員電車のような感じでした。
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欧米人の人も九曲橋を渡っていました。池の周りは豫園商城と呼ばれる地域で古い建物に囲まれた場所でもありました。
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やっと湖心亭に近づきました。ここまででもなかり時間を費やしました。
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渡ってきた方向を振り向いてみました。豫園商城の古い建物の一部は補修が行われていました。2009年11月~2010年2月には湖心亭も補修されていたそうです。
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池の中を覗きこんでいる人が沢山います。行けの鯉を見ているのです。
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クリックすると拡大渡っている九曲橋から西側を見ると小龍包で有名な南翔饅頭店があります。クリックしてもらうと長い行列が出来ていることが判ってもらえると思います。前回来た時には南翔饅頭店の小龍包をいただきました。
小龍包の写真をクリックすると南翔饅頭店で小龍包を食べた時の記事を表示します。
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九曲橋から北側を見ると大門と呼ばれる豫園(庭園 有料エリア)への入口が見えます。
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その大門を拡大いたしました。


湖心亭を過ぎると渡りやすくなりました。九曲橋を進んで湖心亭側に振り返って撮った写真です。九曲橋は九つの曲がり角がある橋です。「九」は縁起の良い数字として好まれ豫園だけでなく、名庭園には昔から、よく採用されています。九曲橋と湖水亭が浮かぶ池は緑波池で、季節になると蓮の花が咲きます。
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少し角度を変えた写真です。豫園商城の老街の雰囲気が伝わってくると思います。湖心亭は九曲橋の真ん中に立てられており。上海最古の茶楼(御茶屋)で、国家元首のおもてなしにも使われているそうです。その湖心亭の中でゆっくりと景色を楽しみながら、お茶を飲むことが出来ます。湖心亭釘を一本も使っていない建物としても有名です。
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記念写真の商売をされている方がおられましたが、これだけ混んでいると写真を撮影するのは大変だと思います。交通整理の方もおられました。九曲橋を渡った後に豫園(庭園 有料エリア)に入りました。
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九曲橋と湖水亭あたりの航空写真です。黄色の枠内が豫園有料エリアで、緑色枠内)が豫園商城(豫園商場)です。その合間にあるのが九曲橋と湖心亭です。
航空写真ではなく地図が表示されている場合は地図内のアイコン「写真」をクリックしてください。中国は航空写真と地図が数百mずれているのです。
航空写真の中のアイコンマイナスを数度クリックすると豫園商城も含めた昔の豫園の庭園の中で、今回紹介の場所が中心になったことが判ってもらえると思います。

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今回は清明節の三連休であったことを機会に清明節に関して調べてみました。
清明は太陽黄経が15度の瞬間で清明節は、それが起こる日となります。したがって時差のあるイギリスと中国と日本では右の表のように清明節の日が若干違うのです。
2014年の中国の清明節は4月5日で3連休にするために4月5日~4月7日が休みとなったわけです。
三連休ではありますが、墓参りは多くの人が清明節の日である4月5日に行われることから墓のある郊外の高速道路が大渋滞するそうです。
上海に住んでいて墓参りを済ませたした人に4月7日にあった時に、日本のお盆のように、もっと墓参りを分散させてほしいと嘆いていました。

1800年~2199年までの400年間の日本の清明節の日を紹介します。うるう年があるために年の数値を4で割って余りでまとめた表です。上で記載しているように中国は若干違ってきます。昔は4月6日が清明節の時もありました。
余り = 0 と割り切れる場合は、2012年や2016年が相当します。 たとえば
    余り0 2012年 2016年 2020年 2024年 2028年 2032年 2036年
    余り1 2013年 2017年 2021年 2025年 2029年 2033年 2037年
    余り2 2014年 2018年 2022年 2026年 2030年 2034年 2038年
    余り3 2015年 2019年 2023年 2027年 2031年 2035年 2039年

背景色の違いは 4月4日 4月5日 です。

タグ:豫園 上海 混雑

明代の庭園「豫園」 [豫園]

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今までに豫園(よえん / ユーユェン)と呼ばれる場所に何度も行きましたが、それは豫園商城あるいは豫園商場あるい豫園商域と呼ばれる本来の豫園ではありませんでした。つまり豫園は塀に囲まれた明代に作られた庭園なのです。その周辺地域は沢山の昔の建物があり老街として人気があり、沢山の人が集まることから一般的通称として豫園と呼ばれているのです。今回、2014年4月6日に、その明代に作られた庭園である豫園の中に初めて入りました。ちなみに明の時代とは1368年~1644年です。

こちらが豫園(豫园)の入口です。
豫園の面積は約2万m²です。もとは四川布政使(四川省長)の役人であった潘允端が、刑部尚書だった父の潘恩のために贈った庭園で、1559年(嘉靖38年)から1577年(万暦5年)の18年の歳月を費やし造営されたそうです。潘氏が衰えると荒廃したそうですが1760年(乾隆25年)に上海の有力者たちにより再建され、豫園は南に隣接する上海城隍廟の廟園となり「西園」と改称されたそうです。当時は現在の2倍の広さがあったそうです。1853年(咸豊3年)園内の点春楼に小刀会の司令部が置かれたそうです。1956年、西園の約半分を庭園として改修整備されて、現在の豫園となる。
残りの部分が豫園商城となったそうです。豫園商城は昔の庭園だったわけですから豫園商城のことを豫園と呼んでも間違いではないわけです。
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入口を正面から撮りました。豫園の文字が印象的です。白い壁で豫園が囲まれていました。最後に掲載のマップで「1 大門」の場所です。つまりこの門は大門という名です。出入口はここ以外に、もう一か所ありました。
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こちらがチケット売り場です。
  名称 豫園 / 豫园
  営業 8:30~17:30 (チケット販売 8:30~17:00)
  料金 40元 大人
      20元 60歳以上 大学生 小中学生
      無料 大人がつき添いの子供(6歳以下 or 1.3m以下 団体は含まず)


こちらがチケットの表と裏です。大人が40元(655円)です。裏面には中国語で説明が書かれていました。庭園の中には沢山の龍の飾りがありました。それを見るだけでも見ごたえがありました。
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豫園の「豫」は愉を示しています。つまり「楽しい園」という意ということになります。
それでは庭園である豫園を写真で紹介いたします。
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庭園には水がつきものです。こちらの庭園では複雑な形をした石も見ごたえがありました。
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白い壁の向こう側は豫園商城で、沢山のお店が並んでいます。
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池の上には回廊が作られており趣を出していました。
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上の写真とは反対側から見た池の上の回廊です。右側の建物はマップの21の聴溝閣 / 展覧庁ではないかと思われます。あるいは20の参君殿の可能性もあります。Wikipediaでは湖心亭と紹介されていますが、マップでは湖心亭は37で有料エリア外です。でも建物は湖心亭にそっくりです。
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屋根も特徴的でした。
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豫園は外滩(Waitan)の近くにあることから、世界2位の超高層ビルである上海中心が見える場所もありました。
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こちらは冒頭の写真です。趣のある雰囲気の場所が沢山ありました。建物はマップの19の流龍亭です。ここの場所は360度が見れるGoogleに登録されていました。→ポチッ
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四方を大きな建物に囲まれてスペースがありました。住居に使われたところではないかと想像されます。正面に大きな舞台もあることから、大きな催しも行なわれた場所と推察されました。ここは入口から見ると一番奥の位置にあたりました。記事に最後に掲載したマップで「36 古い舞台」の場所です。
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同じスペースを反対側から見ました。中国の特徴的な住居である四合院の巨大版というところでしょうか。左端の建物が最後に掲載しているマップの33です。
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豫園内も白塀でいくつにも仕切られており、その塀も見ごたえがありました。各所にある奇岩も見ごたえがありました。
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豫園の中には沢山の池があり、それぞれに違った雰囲気がありました。正面の建物は九獅軒です。マップでは17です。
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こちらも、また違った雰囲気でした。マップの3の迎山堂です。
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特徴的な回廊が沢山ありました。
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部屋の中に置かれている調度品からも昔の雰囲気が伝わってきました。
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いろんな展示や売店もありました。売店でのお薦めはお茶でした。リーズナブルの価格で売られているのが気に入りました。
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豫園のマップ(地図)をネットから転用させていただきました。マップの中の「1 大門」が上で紹介の入口です。37の湖心亭と38の九曲橋は、庭園有料エリアの外です。
マップの中の文字は読みにくいけれども三穂堂、迎山堂、萃秀堂、万花楼、蔵宝楼、点春堂、和煦堂、老公殿、会景楼、玉華楼、得月楼、蔵書楼、快楼、九獅軒、玉華堂、流龍亭、老君殿、古い舞台、聴溝閣 、 展覧庁、参君殿・・・・・・などが読み取れます。
マップには書かれていませんが訪問した時には漸入佳境、玉玲瓏、龍壁、太湖石、二重廊下、魚楽木射なども探してみてください。 建物の数に驚かされました。


豫園の航空写真も紹介いたします。黄色の枠内が豫園有料エリアで、枠の左側(西側)が豫園商城(豫園商場 緑色枠内)で、昔は、ここも庭園でした。つまり画面全体が昔は庭園だったのです。
航空写真ではなく地図が表示されている場合は地図内のアイコン「写真」をクリックしてください。中国は航空写真と地図が数百mずれているのです。

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タグ:豫園 上海 庭園

本場の南翔小籠包を食べてきました。 南翔饅頭店 豫園 [豫園]



こちらが上海/豫園にある南翔饅頭店/本店の蟹みそ入り小籠包です。
小龍包では台湾の鼎泰豊が日本全国にお店を出していることが有名ですが、実は南翔饅頭店も2003年に日本の六本木ヒルズにお店を出したことで日本でも知名度が上がってきたようです。2010年には渋谷の西武にもお店をだしました。上海市内や中国全土に沢山のお店を出していますが、その本店が今回のお店なのです。
観光案内に使用されている一つの説ですが、小籠包の起源は1871年に中国の嘉定県南翔鎮の菓子屋「古猗園」の店主黄明賢が売り出した「南翔大肉饅頭」にあるといわれています。南翔大肉饅頭は好評を博したため同業者からすぐに真似されたそうです。その後、皮を薄くしするなどの工夫して「古猗園南翔小籠」を販売したそうです。それが「南翔小籠包」と呼ばれ、これが今日の「小籠包」という名称となっているそうです。世に小龍包が知られるようになったのは「古猗園」店主黄明賢の弟子である呉翔升が1900年に上海に開店した「長興樓」が1920年ごろに小籠包を売り出したところ人気を呼び上海の名物点心となってそうです。「長興樓」はのちに「南翔饅頭店」に改名しました。

旧正月前の2013年1月26日に上海の豫園(よえん)に行ってきました。豫園は正月の準備真っ最中で楽しく散策となりました。そこで長い行列が出来ているお店がありました。そこは南翔饅頭店という名の有名な小龍包(小籠包)のお店でした。建物に南翔饅頭店と書かれているのがわかると思います。


常時50人くらいの人が並んでいたと思います。この行列の先がさらに左に曲がって、さらに右に曲がって続いているのです。


その先の行列です。少し先頭が見えてきました。


ここが売場です。外売部と書かれているところで買います。


ここはガラス張りになっており沢山の人が小龍包を作っていました。


紙のパックに入れてくれます。一見して小龍包らしくないように見えます、実は底の部分が上になっており、ひっくり返って入れられているのです。無造作に入れられたために、このようになっているのかと写真を撮った時には思いましたが、後で3階でレストランで小龍包を食べてみて、この入れ方は意識的にしているのだと感じました。小龍包の底の皮は非常に薄いため破れた時にスープが出てしまわないようにとの配慮のように思えました。確かに他の人のパックを見ても同じような感じでした。このパックに16個入っています。このとき10時45分でした。


10時~11時のみに売られる普通の小龍包が16個で12元(180円)で、11時以降に売られる蟹入りが16個で20元(300円)でした。他にも皮で包まれたスープが売られていました。でも皆さんのお目当ては小龍包です。


並んで立って食べるのは大変ですね。ゆったりと食べたい方のために3階がレストランになっていました。ここでもレストランに入るために列が出来ていました。この先に右と左にレストランがありました。ここに並んでいるお客さんは右のレストランに入るために並んでいるのです。


レストランはそれぞれにランク付けされているのです。左の方がハイランクで、並んでいる人が少ないので、そちらに進みました。


こちらは右側のお店です。1900年に開店した当初の名前「長興樓(長興楼)」が使われていました。2階にもレストランのような部屋がありました。そこは1階で小龍包を買った人が食べる部屋だと思いますが、とてもテーブルをキープ出来る状況ではなかったので、ほとんどの人が外で食べるのだと思います。


こちらが我々が入った左側のお店です。名前は鼎興樓(鼎興楼)でしょうか。個室は瑞鑫樓(瑞鑫楼)のようです。
確認したわけではないけれども3け所のレストランの料理の値段は同じだと思います。実は最低食べる料理の量の違いだけのようです。我々が入ったレストラン鼎興樓の規定は1人あたり80元以上を注文することでした。個室を頼むと一人最低150元を食べる必要がありました。それから想像すると右側のレストラン長興樓は最低が設定されていないか、あるいは60元が最低に設定されているのだと思います。
こちらのレストランでも並びましたが、我々の前は3人だけだったので、すぐにテーブルにつくことが出来ました。九州の団体のお客さんがスルーで個室に入って行ったので個室の場合は予約しておけば待ち時間は無いようでした。


レストランの中を紹介いたします。小籠包屋さんとしてはきれいです。


テーブルのセッティングです。大きな取り皿とレンゲの入った椀に小皿が乗っていました。真中の小皿に乗っているのは生姜の千切りです。


店員さんが注文に来ます。注文は電子化されていました。


お茶は鳥龍茶を頼みました。


最初の小籠包が出てきました。これは海老入り豚肉小籠包です。海老の味がいきた美味しい小龍包でした。


美味しさを感じていただくために拡大いたしました。この小龍包の底の部分の皮が驚くほど薄いのです。中のスープが透き通って見えるのがわかってもらえると思います。静かに持ち上げると皮は破れることなく取ることが出来ました。蒸籠の底に工夫がされているのだと思いました。これを見て一階の小籠包は少し皮を厚くしているのだと思いました。


次に出てきたのがお店の一番人気の「蟹みそ入り小籠包」です。これはさらに美味しかったです。


スープが本当にたっぷりと入っていました。


こちらが標準的な豚肉の小籠包です。これでも十分に美味しかったです。


これは自分の小皿に生姜の千切りと黒酢をいれたものです。
小籠包は、そのまま食べても美味しいけれども、生姜の千切りが入った黒酢に、つけるのが本場の食べ方です。確かに、この食べ方は小籠包にあいました。


野菜も頼みました。これは茎の部分の食感が何ともいえない美味しい野菜でした。
追伸 2013年2月24日
ペタッキさんに野菜の名前をコメントで教えていただきました。
野菜はカイランというとそうです。調べてみるとカイランは漢字では芥藍と書き、カイランサイ(芥藍菜)とも呼ぶそうです。別名はチャイニーズブロッコリー(Chinese broccoli)あるいはチャイニーズケール(Chinese Kale)でアブラナ科の緑黄色野菜でキャベツやブロッコリーの仲間ですが結球はしないそうです。


お隣の席の食事風景です。皆さん80元にはこだわらずに結構な量を食べられていました。親子3代での食事ですね。


我々のレストランにも専用の小龍包を作る部屋がありました。すごい人数と量でした。ということはこちらの本店では少なくとも3ケ所で小龍包が作られていることになります。


2人合計で179元(2685円)で一人80元はクリヤーいたしました。日本のお店の小龍包や一階の小龍包の値段の差が気になると思いますので比較してみました。豫園店にも上海蟹みそ入りふかひれ小籠包はありましたが値段を控えるのを忘れました。 
豫園店1階の普通の小龍包一個あたり値段を基準にすると豫園店3階は7.8倍で日本の六本木店は12.1倍でした。
日本の値段は豫園店3階の2倍くらいと高いけれども豫園店1階の値段から見れば豫園店3階は日本並みの値段と言ってもいいかもしれません。
日本店(6ヶ) 豫園3階(6ヶ)豫園1階(16ヶ)
豚肉入り小籠包          819円  35元(525円)  12元(180円)
海老入り豚肉小籠包      1134円  40元(600円)    -
上海蟹肉入り小籠包      1449円  35元(525元)  20元(300円)
上海蟹みそ入り小籠包     1764円  55元(825円)    -
上海蟹みそ入りふかひれ小籠包 1974円    ?        


正月飾りの豫園 [豫園]



旧正月を正月としている国では今日(2013年2月9日)から正月休みです。旧正月である春節で多くの会社が2月9日~17日の連休となります。2月09日が除夕(日本でいうと12月31日)で2月10日正月初一だそうです。私は2013年1月24日から1月27日まで上海に行った来ましたが、帰国の前日の1月26日に有名な観光地でもある豫園(よえん)に行ってきました。豫園は上海市黄浦区安仁街に位置する明代の庭園ですが安仁街が素晴らしい昔の景観の建物があることから豫園に行くというと、庭園や安仁街に行くことの総称でもあるのです。そのため、今回の写真は正確には豫園の景観ではないのですがタイトルとして豫園を使わさせてもらいました。

そこに来てみて、こちらの写真のような沢山の飾り付けがありました。これらは正月のための正月飾りなのです。普段では見ることの出来ない光景なので、この飾り付けを中心に街の散策を紹介いたします。上の写真を拡大いたしました。


トンネルを抜けると昔の中国に入り込んだような錯覚におちいります。。


道の真ん中には露店が並んでおり沢山の提灯の飾り付けがされていました。


案内してしてくれた上海っ子に「いつもこんなに飾っているのですか。」と尋ねると「正月のための飾りですよ。」と教えてもらえました。今だけの景観だったのです。それともうすぐ旧正月なのだということを再認識いたしました。


飾りつけを行っていないところもありました。こちらの景観が普段の景観なのです。このままなのか、これから飾るのかはわかりません。


いろんな角度からの写真を紹介いたします。


テレビ局のレポーターの方も町を歩く人にインタビューをされていました。
女性のレポーターです。この角度だと私は写っていますね。マイクに書かれている文字は読みにくいのですが「新建无」に近い雰囲気の文字です。ネットでは「新建无」は出てこないので似ているけれど違う文字のようです。分る方がおられたら教えてください。


TVカメラは、いたるところで見かけました。こちらは男性のレポーターです。上海の方には、よく知られた方なのでしょうね。
こちらのマイクの文字は「五星体育」とはっきりと読み取れました。ネットでも「五星体育」は沢山出てきました。上海のテレビ局を調べると下記の通りでした。
东方卫视 新闻综合频道 娱乐频道 星尚频道 艺术人文频道 电视剧频道 第一财经 五星体育频道 纪实频道 上海外语频道(英語/日本語) 东方购物频道 哈哈少儿频道 炫动卡通卫视 上海东方电影频道 上海教育电视台 浦东广播电视台


男性レポーターがインタービーをしていた場所です。ここが庭園である豫園の入口の場所なのです。


反対側から見た庭園の入口の広場です。立派な中華の建物に圧倒されます。
下の写真で右端に写っている小さな建物が小龍包で有名な南翔饅頭店で、六本木ヒルズや西武渋谷店に支店を出したことで日本でも有名になりました。
現在は大阪、福岡、名古屋にも店を出しているそうです。写真の豫園のお店にはエリザベス女王、クリントン元米国大統領、ゴルバチョフ元ロシア大統領なども訪れたそうです。南翔饅頭店は豫園の一番の場所にあり、小龍包を買い求める人で常に50人程度の行列が出来ていました。


まさに庭園への入口です。我々は次の予定があったので庭園の方には入らずに街の散策を続けました。


こちらの広場の建物にも圧倒されますが、正月飾りもすごかったです。


飾り付けの作業をされているところです。偶然かもしれませんが派手な青い色の服を着ているので、すぐには気が付きませんでした。ここでは地味な服を着ているとよけいに目立ってしまいます。


ほんとうにすごい飾り付けの連続でした。


もちろん通りの景観も素晴らしかったです。