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撮影ポイントの橋からのモンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]

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モンサンミッシェルは下記のスケジュールでパリから往復の1泊2日のツアーでやってきました。帰りは16時20分に泊まったホテル(Relais Saint-Michel)で、マイバスの日帰りツアーの人達と待ち合わせて帰るので早めにホテルに戻ってきました。実はホテルのすぐ横にある橋が撮影ポイントであることを知っていたので早めに帰ってきました。上は撮影ポイントの橋の上から撮った写真です。結局は今回のツアーではモンサンミッシェルに28時間5分(1泊2日)ほど滞在することが出来ました。パリを出発から戻るまでで計算すると36時間40分のツアーでした。写真はクリックすると拡大しますが、特別に大きく拡大する写真を3枚使っています。この写真も特別な一つです。
 1日目 07時30分 パリ出発
 1日目 12時15分 モンサンミッシェル到着 すぐにランチ
 1日目 13時30分 ホテルチェックイン
 2日目 16時20分 ホテル出発(待合わせ時刻)
 2日目 20時10分 パリ到着

橋からの距離は下の航空写真のように島の中心部分まで2.05kmです。この日は朝から雨模様で100mm~400mmのズームレンズはホテルにおいて行きました。14時を過ぎると天気が良くなってきたのも早くホテルに戻って100mm~400mmのレンズで写真を撮るのも目的の一つでした。
  モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
  宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel
  撮影ポイントの橋


撮影ポイントの橋を横から撮った写真です。左側にモンサンミッシエルがあります。橋が架かっているクエノン川(Couesnon川)は左から右に水が流れています。
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橋を少し斜めから撮りました。橋は水門が取り付けられたダム(Barrage sur le Couesnon)のモンサンミッシェル側に作られた展望橋だったのです。
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橋の上流側の写真です。このような水門が沢山取り付けられています。ダム(堰)の目的はダムからタイミングを見計らって勢いよく水を流してモッサンミッシェルの周囲に溜まった泥を沖合に流すことだそうです。今回のツアーは大潮の翌日で、満潮時にモンサンミッシェルが陸から完全に離れて島となる現象であったことからダムの効果は出ているのだと感じました。
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橋の脇から見たモンサンミッシェルです。この時はまだ24mm~105mmのレンズで105mmで撮りました。
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こちらも橋の脇から見たモンサンミッシェルです。上の写真より橋側から撮りました。
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ダムにはベンチが設けられていました。人が座っているところより前側が展望用の橋で、後ろ側がダムです。
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航空写真で見るとダムと一緒になった橋であることが判ってもらえると思います。プラスのアイコンをクリックすると拡大いたします。


橋の中央あたりが撮影ポイントです。
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橋の欄干の幅が広いのでカメラが固定しやすかったです。


撮影ポイントの橋の中央から東側の景色です。泊まったホテルがある方です。大きな木と建物に隠れてホテルが見えませんが目の前にあります。
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橋の中央から西側の景観です。泊まったホテルの反対側です。モンサンミッシェルは橋から見ると北にあります。橋の床は板張りです。モンサンミッシェルを見るために作られた橋であることが覗えました。
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橋の中央から焦点距離28mmで撮ったモンサンミッシェルです。この写真はクリックすると一番幅広く拡大するように設定しましたので、周辺との雰囲気が一番感じてもらえると思います。
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ホテルに預けていた100mm~400mmのレンズに取り換えて焦点距離100mmで撮ったモンサンミッシェルです。
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橋の中央から西側に移動して撮ったモンサンミッシェルです。写真を撮った焦点距離は100mmです。
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こちらは210mmで撮った写真です。空気が完全にクリアーになっていないので少し霞んでいるのが残念です。
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島の左側(西側)を400mmで撮りました。
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島の右側(東側)を400mmで撮りました。
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山の上の修道院を400mmで撮りました。流れて来た雲で時々、塔が見えなくなるような天気の中では、比較的きれいに撮れたと思います。
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今回の記事がモンサンミッシェル最後の記事です。最後に今回の撮影ポイントで最も日があたった写真を掲載いたします。クリックすると特別に大きく拡大いたします。撮影ポイントで写真を撮った後は、16時20分に泊まったホテルでマイバスの日帰りツアーの人達と合流してパリに戻りました。28時間5分ほど滞在したおかげでモンサンミッシェルだけで、下記の21の記事を紹介することが出来ました。着色されたタイトルをクリックすると記事を表示しますので興味があるタイトルがあればクリックして見てください。
クリックすると拡大 モンサンミッシェル 旅行中に掲載
 モンサンミッシェル・ツアーに出発
 モンサンミッシェル名物ふわふわオムレツ
 宿泊ホテル ルレ・サンミッシェル
 連絡道路からのモンサンミッシェル
クリックすると拡大 素敵な一枚
 海沿いの外周城壁の道 モンサンミッシェル
 モンサンミッシェル島内で一番細い路地
 モンサンミッシェルを見ながらの夕食
 モンサンミッシェルの朝食
クリックすると拡大 モンサンミッシェル2日目の修道院への道
 巨大な車輪はなに?
 モンサンミッシェル修道院 有料見学エリア
 前後に運転席を持つ無料連絡バス
 大潮の時期だからこその珍しい光景
クリックすると拡大 一番人気のレストランでランチ La Sirène
 吊り看板
 モンサンミッシェルの大通りグランド・リュー
 大通り沿いの小さな礼拝堂 Église Saint-Pierre
 モンサンミッシェルで2番目に細い道路
 撮影ポイントの橋からのモンサンミッシェル
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モンサンミッシェルで2番目に細い道路 [Mont Saint-Michel]

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下の航空写真の塔-1(Tour du Roi)からは岩山の方に上がっていく黄色ライン(━━)の道の入口が上の写真の細い道です。このように細い道でもモンサンミッシェル島内にとっては大切な道路なのです。この道は島内の道の細さをランクづけするとすれば2番手に位置する道路です。島内には同じくらいの細さの道がもう一か所あります。

今までに①(━━)、②(━━)、③(━━)と、一番細い路地(━━)を紹介しているので、本記事では、その2ケ所の2番手に位置する道路を中心にモンサンミッシェル島内の黄色ライン(━━)からの景色を紹介したいと思います。
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道  1日目のルート 
 ━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
 ━━ 島内散策路
 ━━ モンサンミッシェル島内で最も細い路地
 ━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
  修道院(有料エリア)入口
  修道院(有料エリア)出口


こちらがすでに紹介したモンサンミッシェルで一番細い路地です。石畳の道には排水のための丸く凹んだ溝が道の中央につけられていますが、こちらの細い路地にも排水溝が中央に作られていました。
クリックすると拡大クリックすると拡大まさに排水溝の幅の路地だったのです。排水溝がちゃんと中央に作られていることからも、立派な道であると判ってもらえると思います。女性の方でも肩の部分は当たるので上体は斜めにして進みます。 私の場合だと、少し横歩きに近かったと思います。
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それでは冒頭の2番手の細さの道路を進んでいきたいと思います。
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トンネルの出口です。
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反対側から見た光景です。
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建物の間をぬって進みます。前から高校生たちが着ました。
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急な坂道になった来ました。
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坂道で娘に記念写真を撮ってもらいました。急な坂道からは修道院付属教会の塔が見えています。塔の先端が隠れているのは私が持っている傘です。この時も小雨が降っていました。
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登って来た細い道です。
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細い道を登って来ると見晴らしの良い太い道に出ました。
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そこには大きな建物がありました。住居エリアと言う感じでした。
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そこから見上げると修道院の付属教会の150mの塔が見えます。
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子供たちが集まれるような広場もあり、この後に来てみると子供たちが昼食を食べていました。
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岩登りをするような職業の人達にも出会いました。
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海の方を見ると、煙突に海鳥が巣を作っていました。
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進んでいくと道が細くなった来ました。こちらも制服姿の人達が歩いていました。
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大通りに近づくと道はさらに細くなってきました。
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正面に紹介したくとサン・ピエール教会(Église Saint-Pierre)が見えてきました。
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道の脇には、いわくありげな石の飾りがありました。
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トンネルを抜けると大通りでした。このトンネルはサン・ピエール教会の建物を貫いています。
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こちらが、もう一つの2番手の道路です。このクラスの細さの道路が2ケ所にあったことになります。一番細い路地の近くでした。建物の密集地域ほど細い道が多くありました。
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このくらいの太さの道が最も多かった気がします。
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建物の間に巧みに道路が作られていました。
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道路は左右だけでなく上下にも迷路のように複雑に曲がっていました。
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このあたりはテクさんの建物が建っているところでした。
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修道院の内部見学した後は島の北側に出ます。そこから西側を撮った写真です。北側には修道院以外の建物は見当たりませんでした。
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北側は建物が絶壁のようになっていました。
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絶壁の建物下から見上げた教会の塔です。
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石の道も複雑に伸びでいました。
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絶壁のような建物の下には大砲が並べられた広場がありました。
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大砲が並べられた広場に向かう道です。
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ここを降りると大砲の広場にでした。
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こちらが大砲です。
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海の方から攻めてくるとしたらこちらの方向になります。高い位置からの砲撃になるので船に対しては優位だったのだと感じました。
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最も西側から見上げた景色です。
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大砲の広場の一番西から陸地である南方向を撮った写真です。海鳥が印象的でした。満潮に近い時間帯のためモンサンミッシェルが島になった時間帯でもありました。
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海鳥は逃げないので写真を撮りたくなります。
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私も海鳥を撮りました。
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飛んでいる海鳥です。
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建物は修道僧の住居部分でした。この建物の向こう側に付属教会の前の広場である「西のテラス」があります。
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大通り沿いの小さな礼拝堂 Église Saint-Pierre [Mont Saint-Michel]

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前記事においてモンサンミッシェルで最も賑う通りであるグランド・リュー(Grande Rue 大通り)を紹介いたしましたが、その大通りの途中に小さな礼拝堂がありました。上の写真で右の階段を上がったところです。

クリックすると拡大入口の左側に女性戦士の像が立っているのですぐに見つけられると思います。この女戦士は、おそらくジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)ではないかと思います。ジャンヌ・ダルクはイングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収めたことでフランスで最も尊敬されている女性の一人です。この礼拝堂の名前をGoogle地図で調べてみるとÉglise Saint-Pierreと書かれていました。Église Saint-Pierreを日本語で書くとサン・ピエール教会になります。
入口の右側にはPORTE de la MISÉRICORDEと書かれていました。Miséricordeはカトリックにとって特別な言葉で、行事を示しているようです。Porteはドアや入口を表す言葉のようです。我々も入ってみることにいたしました。
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狭い道の前に建っているので教会の全景は撮ることが出来ませんでした。
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外壁にはマリア像が彫り込まれていました。モンサンミッシェルの頂上には修道院付属教会がそびえたっていますが、こちらの教会は、ここに住んでいる人たちの日々の生活の中に溶け込んだ教会であるような気がしました。
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こちらが内部です。タイトルで小さな礼拝堂と書きましたが、立派な大きな教会だったのです。外からは全景が見えなかっただけなのです。大型カメラはミラー音が大きいので、以降は音が出ないように設定しているG7Xで撮影いたしました。
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こちらが正面の祭壇です。
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内部は厳かな雰囲気が漂っていました。
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マリア像の礼拝場所もありました。
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修道院の教会は全て幾何学模様のステンドグラスでしたが、こちらの教会のステンドグラスは人を中心とした絵が描かれていました。
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教会から出て来るところでもう一枚、入口の写真を撮りました。
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教会の裏の奥には墓地がありました。左側が教会の建物です。
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さらに高い位置にも墓地が作られていました。
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中央が教会の塔です。その左側が教会の屋根です。全体は写っていませんが大きさが想像していただけると思います。
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修道院の参道となっている大通り(グランド・リュー / Grande Rue )沿いには、このように屋外で礼拝が出来る場所もありました。
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航空写真で見ると今回紹介のサン・ピエール教会( Église Saint-Pierre)が結構大きいことが判ってもらえると思います。
 ━━ 大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
  サン・ピエール教会(Église Saint-Pierre) 大通り沿いの教会
  モンサンミッシェル修道院・付属教会 岩山の頂上に建つ巨大な教会

モンサンミッシェルの大通りグランド・リュー(Grande Rue) [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

先ずはプレーボタン( )をクリックして動画を見てください。
2日目の朝に修道院を見た後に、大通りを下りながら撮りました。
撮影は10時37分から1分42秒で、大通りのほんの一部だけの動画ではありますが雰囲気を感じてもらえると思います。午前中は人が少なくフォークリフトで荷物を運びこむなどモンサンミッシェルの一日が始まる時間帯です。それでも沢山の人が来られていました。

航空写真の中の橙色ライン(━━)が今回紹介する大通り(Grande Rue / グランド・リュー)で、紫色ライン(━━)が上の動画を撮った場所です。
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道  1日目のルート 
 ━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
 ━━ 島内散策路
 ━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
 ━━ 大通りの動画撮影場所
  修道院(有料エリア)入口
  修道院(有料エリア)出口
  ラヴァンセ門(前哨門)
  ファニルス城壁の門(Echaugette門)


下の写真の橙色ライン(━━)が大通りグランド・リュー(Grande Rue)です。
今回は対岸のホテルに泊まったことからモンサンミッシャル島内には2度入りました。そして有料区域である修道院内にも2度入りました。そしてモンサンミッシェル島内に合計で9時間46分滞在いたしました。
滞在時刻 滞在時間
島内 修道院内 島内合計 修道院内 修道院外
1日目 13:50~16:20 14:12~15:25 2時間30分 1時間13分 1時間17分
2日目 09:04~16:20 09:21~10:22 7時間16分 1時間01分 6時間15分
合計 9時間46分 2時間14分 7時間32分
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大通りグランド・リュー(Grande Rue)全体を紹介したいので、ここからは静止画(写真)を掲載します。動画と同様に修道院入口から下に向かって下りながら下り方向を撮っています。
この写真は修道院の入口近くの階段です。
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まだ急な階段が続きます。ホテルやレストランや土産物屋の建物が見えてきました。
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少し傾斜が緩やかになってきました。
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人が本当に増えてくるのは観光バスが着く午後からです。この時まで10時半ごろでしたが沢山の人とすれ違いました。
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下に行くほどお店が増えてきます。
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右の階段を上がると礼拝堂Eglise Saint-Pierreがあります。女子高生たちがショートパンツ姿なのは、午後からの干潮時の泥ツアーに備えているのだと思います。
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この位置から冒頭の動画を撮りました。最初に出てくる場面は次の写真の場所です。


この写真が動画で最初に出てくる場面です。つまり動画を撮った後に、戻ってきて写真を撮ったのです。
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小学生たちも沢山来ていました。
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まさにメインストリートです。通りの名前であるGrande Rue(グランド・リュー)はズバリ「大通り」と言う意味なのです。 コメントをいただいたkazuさんが、ふわふわオムレツを食べられたLe Mouton Blancのホテルの入口が、こちらの写真に写っています。
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クリックすると拡大モンサンミッシェルで一番細い路地に入る場所まで下りてきました。右の不思議な壁飾りが飾られたところから、その一番細い路地に入ります。
右の写真が、その一番細い路地です。
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ガレット(蕎麦粉のクレープ)のランチを食べたLa Sirèneのある辺りまで出てきました。La Sirèneの吊り看板が見えます。
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土産店のLes Lutinsまで出てきました。Les Lutinsは吊り看板の記事て紹介しました。La Sirèneの2階から見えた景色の場所でもあります。
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郵便局の前まで来ました。POSTEと書かれた吊り看板が見えます。正面のトンネルが王の門(ロア門)です。
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これが王の門(ロア門)です。向こう側に鉄格子の門と跳ね橋があります。
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王の門(ロア門)の跳ね橋からの景色です。
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正面に見えるのは大通り門です。左右に、ふわふわオムレツで最も有名なレストランLa Mère Poulardがあります。
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大通り門が大きく写った写真です。大通り門をくぐるとモンサンミッシェルの入口になるラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)に出ます。
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これが内側から見たラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。これをくぐると外に出ます。
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外に出て振り返って見たラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。今回初めての振り返った景色です。泥ツアーに行く人たちが沢山出てきました。


写真の中で黄色文字で「島内入口」と書かれているところがラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。これで修道院入口からL'Avancée門に下りてくる大通り(━━)であるグランド・リュー(Grande Rue)の紹介を終わります。
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吊り看板 [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大モンサンミッシェル島内でガレットを食べたお店La Sirène の記事で人魚の吊り看板を紹介しました。島内、特に大通りグランド・リュー(Grande Rue)には魅力的な吊り看板があったので紹介したいと思います。

Google地図に紹介する吊り看板の位置を記載いたしました。
大通り沿いのの順に紹介します。
 ━━ 大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ 海沿いの外周城壁の上の道 
 ━━ ファニルス城壁門からの道
 ━━ モンサンミッシェル島内で最も細い路地
 ━━ モンサンミッシェル島内散策路


Au Pèlerin
こちらは大通り沿いの礼拝堂Eglise Saint-Pierreの前にあったお店の吊り看板です。Au Pèlerinと言う名のスナック&バー(Snack-Bar)のようです。おじいさんの絵が可愛らしい吊り看板でした。Pèlerinは巡礼者を表しています。絵のおじいさんは 巡礼者なのでしょう。
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La Cloche と La Vieille Auberge
右の建物の黒い鐘と緑の吊り看板にLA CLOCHEと書かれています。クレープが食べれるレストランでBarもやっているようです。右の赤い吊り看板にはLA VIEILLE AUBERGEと書かれています。トップアドバイザーのモンサンミッシェル編に登録されている27軒の中にもLa Vieille Aubergeの名前がありました。やはりレストランのようです。
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La Croix Blanche
こちらも一度紹介した吊り看板です。モンサンミッシェル島内で一番細い路地をテーマにした記事でした。ホテル兼レストランのLa Croix Blancheの吊り看板です。吊り看板にà la Croix Blancheと書かれているので分かってもらえると思います。こちらもトップアドバイザーの中に入っていました。
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RESTAVRANT SPIERRE
ガレットのランチを食べたLa Sirène の前のレストランです。前日(1日目)に、このレストランでアイスクリームを食べました。
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クリックすると拡大 La Sirène
すでに前記事で紹介したレストランLa Sirèneです。こちらでガレットのランチとデザートをいただきました。2階の席から目の前の吊り看板を撮った写真です。右の写真が私が食べたガレット(蕎麦粉のクレープ)です。
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Les Lutins
こちらは土産店です。名前はLes Lutinsです。
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La Licorne
趣のある吊り看板が写っていたので切り取りました。


Hotel La B?????
名前は一部消えていて完全には読めませんが、帆船の絵をあしらったホテルの吊り看板です。
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郵便局
吊り看板に書かれているPOSTEが郵便局を表しています。
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右側の建物にPOSTEと書かれた吊り看板がかかっていることが判ってもらえると思います。王の門(ロア門)が正面に見えます。
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郵便局を大きく撮った写真です。LA POSTEと書かれた下に入口があります。
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入口から中に入りました。ここから手紙を出すとモンサンミッシェルの消印が押された手紙が届きます。
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郵便局には現代風の吊り看板も下がっていました。
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La Mère Poulard
ふわふわオムレツで最も有名なお店です。日本語でも「プラールおばさんのオムレツ」のお店として名前が知られています。書かれている人物が創業者のプラールおばさんです。
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こちらがお店の写真です。こちら以外にも沢山のお店が島内にありました。ホテルやお土産屋さんもあることから、かなり事業を拡大したというイメージでした。ふわふわのスフレオムレツが世界的に有名となりましたが、実はそれだけになくプラールおばさんが残した700のレシピが存在するそうです。日本など世界にも出店している有名なお店です。
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 俗名 Mère Poulard
 名前 Anne Boutiaut
 仕事 コック Cuisinière
 生れ 1851年4月16日 Nevers
 結婚 1873年1月14日 Paris (21歳)
 死没 1931年5月07日 Mont Saint-Michel (80歳)
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モンサンミッシェル一番人気のレストランでランチ La Sirène [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大モンサンミッシェルでの2日目のランチは、モンサンミッシェル島内で食べることにしていました。どうせ食べるのであれは一番人気のお店に入りたいと思ったのでネットで検索して決めたのが今回紹介する、そば粉のクレープであるガレットの専門店です。

写真の中央の木造の建物の2階が今回紹介のお店です。この写真はモンサンミッシェルの城壁の上から撮った大通り(Grande Rue / グランド・リュー)の写真です。写真をクリックするとお店の建物だけを拡大いたします。
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こちらが地上から見た建物の写真です。1階がお土産屋さんになっていて2階のレストランへの入口は1階のお土産屋さんの中にありました。中に入ってみると2階に上がる階段の前のドアに11時30分に開店と書かれていたので、それまで島内を散策することにいたしました。それにしても入口が判りにくいのでネットで調べていないとレストランを見つけられないかもしれません。
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クリックすると拡大下が大通り(Grande Rue)から2階を見上げた写真です。吊り看板を覚えておいてください。吊り看板の左側の窓のところに私が座りました。娘が座ったのが、その左二つ隣のあいている窓のところです。つまり我々はお店の中央の窓側の席に座ったわけです。この木造の建物はモンサンミッシェルの遺跡リスト(Liste des monuments historiques du Mont-Saint-Michel)に入っていることがWikipediaに書かれており、「Hôtellerie de la Sirène」として右上の写真が掲載されていました。この建物は1936年に遺跡として保護の指定を受けたそうです。モンサンミッシェル全体としては少なくとも61の建物が遺跡(遺産)に指定されているそうです。
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11時30分ピッタリに戻ってきました。
閉まっていたドアを開けると石の螺旋階段がありました。
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一番に入って来たので我々以外の客がいないので店内の写真を撮ることが出来ました。1時間後には、これらの席が全て満席になりました。
今回のお店はトップアドバイザーのレストラン紹介の中でモンサンミッシェル部門で27 軒中1位になったお店なのです。こちらのお店はブルターニュ地方発祥のガレット(そば粉のクレープ)のお店です。店名はCrêperie La Sirèneと書かれている場合もあります。
 店名 La Sirène (ラ・シレーヌ) フランス語で「人魚」
 住所 Grande rue, 50170 Mont-Saint-Michel, France
 電話 02-3360-0860
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開店と同時に入れたので窓側の一番いい席に座れました。その席から店内の右側を撮った写真です。まさに文化遺産の中で食事が出来たわけです。
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座った席から左側を撮った写真です。この建物は木造ですが、隣の家は石壁で出来ているようです。隣接している建物の壁は共通だと判りました。入口のように見えますが、大きな鏡です。
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座った場所の窓の外に紹介した吊り看板がありました。
クリックすると拡大吊り看板には
À LÀ SIRÈNE
SOUVENIRS DU MONT ST' MICHEL
CRÈPERIE 1er-Étage
と書かれていました。
店名のLa Sirèneはフランス語で人魚を意味し、CRÈPERIEがクレープのようです。
右上の写真が大通りからレストランのある2階を見上げた写真です。
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クリックすると拡大娘の座った場所の窓からも吊り看板を撮ってもらいました。大通り(Grande Rue)の雰囲気が判ってもらえると思います。大通りですが、細い道です。ほとんどの人がここを通って修道院に登って行きます。木造建築であることが判ってもらえると思います。
お店を探すときは、この人魚の吊り看板が目印になると思います。
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吊り看板とは反対方向の窓からの景色です。少し広くなっているところの前に郵便局があります。有名なオムレツのお店の吊り看板も見えます。大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) を沢山の人が行き交っていました。
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私が頼んだビールはこちらです。最終的に2本頼みました。
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娘はこの地域の名物であるシールド(リンゴ酒)を頼みました。これは沢山入っていました。
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こちらがクレープのメニューです。私がVEGETARIENNEを頼み、娘がFERMIEREです。
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こちらがクレープ職人です。先ず生地を薄く丸く広げます。今、生地をを落としていている方が私のクレープです。
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注文した2枚のクレープを広げ終って焼いているところです。
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具を乗せて折りたたんでいます。折りたたんでいる方の真ん中に玉子が見えます。折りたたんでいるのが娘のガレットで、まだ折りたたんでいないのが私のガレットです。
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娘の方のクレープが折りたたんだので、私の方のクレープを折りたたみはじめました。
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折りたたんでいるところの動画も撮りました。動画は5秒と短いので是非ともプレーボタン( )をクリックして見てください。


クレープが完成いたしました。
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こちらが娘が頼んだFERMIEREです。Tomatoesが乗っています。中にはEgg、Fam、Grated cheese、Mushrooms、Onionsが入っています。
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皮の食感を感じてもらいたくて拡大いたしました。
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さらに拡大いたしました。皮の下のトロトロのチーズが判ってもらえると思います。
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こちらが私が頼んだVEGETARIENNEです。中にGrated cheese、Spinach、Muchrooms、Peppers、Creamが入っています。
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こちらも拡大いたしました。孔のあいた薄い茶色の生地とクリーミーな具が特徴なのだと思います。
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具の基本は野菜ですがクリームとチーズが絡んで美味しかったです。この写真は是非ともクリックしてほしいです。
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クリックすると拡大お願いして記念写真を撮ってもらいました。
午後からのスケジュールもゆっくりと決めることが出来ました。ビールを追加で頼んでしまいました。クレープは薄いけれども意外とボリュームがありましたが2人ともに完食でした。やっぱり美味しかったです。
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空気が入ったガラスが使われた窓ガラスも古そうで、趣のあるレストランでした。フランスで、クレープのランチを食べたのは3度目でしたが、今回は特にすばらしかったです。
 ① アヌシー旧市街地  → ポチッ
 ② ベルサイユ宮殿近く → ポチッ
 ③ モンサンミッシェル → 2016年5月10日
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やっぱりデザートのクレープを頼みたくなります。たたし2人で1枚にいたしました。リンゴのクレープです。
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クレープの拡大写真も掲載いたしました。クリックするとさらに拡大します。
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デザート用に飲み物の紅茶とコーヒーも頼みました。
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私はもちろん紅茶です。
トップアドバイザーに登録されているお店の写真です。→ポチッ
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デザートも美味しくいただきました。やっぱり人気店なのか、入口が判りにくいはずなのに満席になりました。日本人も含めてアジア人は我々だけで、我々以外は欧米人でした。おかげさまで約2時間(1時間57分)の楽しいランチを楽しむことが出来ました。つまり11時30分にお店に入って、出たのは13時27分でした。クレープ、ビール2杯、シールド、紅茶、コーヒーで支払い金額は45.6€でした。クレープの値段は下記なので飲み物が結構安いのだと思います。
   8.4€ クレープ VEGETARIENNE
   8.7€ クレープ FERMIERE
  10.6€ デザートのクレープ
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モンサンミッシェル島内で名物のガレット(そば粉のクレープ)を食べたことを実感してもらえるかもしれないので、モンサンミッシェルの全景の写真を最後に掲載いたしました。この写真は前日の19時57分に撮りました。
左方向が西で、矢印( ↓ )がレストラン(La Sirène)の位置です。
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トップアドバイザーに登録されているモン サン ミシェルの 27 軒のレストランを紹介します。ちなみにトリップアドバイザー(TripAdvisor, Inc.)は2000年に設立され、アメリカ・マサチューセッツ州・ニーダムに本拠地を置く、旅行コンテンツのサービスの運営会社です。日本語対応ウェブサイトは2010年10月に開設されました。枠内の数値は2016年5月末時点の順位です。3年経った2019年9月30日に確認してみると1位を維持していたので感激いたしました。
 1 La Sirene  今回紹介のお店
 2 La Ferme Saint Michel Restaurant
 3 Le Relais du Roy
 4 Le Pre Sale
 5 Creperie La Cloche
 6 Hotel du Guesclin
 7 Brioche Doree
 8 La Rôtisserie
 9 Le Relais Saint-Michel
10 Le Petit Breton ル・プティ・ブルトン
11 Auberge Saint Pierre
12 Le Tripot
13 Auberge Saint-Pierre
14 Les Nouvelles Terrasses
15 Restaurant de l'hotel Croix Blanche
16 L'Auberge Le Mouton Blanc Restaurant
17 La Mere Poulard プラールおばさんのオムレツ
18 Restaurant Le Saint Michel
19 La croix blanche
20 Le Chapeau Rouge
21 La Belle Normande
22 La Vieille Auberge
23 La Digue
24 Les Terrasses Poulard
25 La Mere Poulard Cafe
26 La Confiance
27 La Bergerie Restaurant

目印は吊り看板だけでなく軒下にもありました。電灯の向こうの壁に書かれている文字は見にくいけれどもクリックするとLA SIRENEとクリックすると拡大BAR_CREPERIEを読み取ることが出来ます。
夜はBerとしても営業しているようです。
看板のau 1er - étageの直役は1階ですが、欧米で言う1階は日本で言う2階のことなのです。
  欧米 0階 1階 2階 ...
  日本 1階 2階 3階 ...
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お店の場所をGoogle地図の航空写真でも紹介します。鶯色マーク( )のところです。
 店名 La Sirène (ラ・シレーヌ) フランス語で「人魚」
 住所 Grande rue, 50170 Mont-Saint-Michel, France
 電話 02-3360-0860

大潮の時期だからこその珍しい光景 モンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大我々がモンサンミッシェルに着いた2016年5月9日は大潮の日(5月8日)の翌日でした。大潮前後の時の満潮時には水が押し寄せることから門の前の広場も水に浸かってしまうようで、その時間帯を示した貼紙が案内板に貼られていました。
クリックすると拡大Dimancheは日曜日で、Maiは5月を表しています。右の2枚の写真はネットから転用させていただいた2015年3月21日の18年ぶりの大潮時の写真です。この時の水位は+14mだったそうです。通常の大潮は+9~12mのようです。今回を調べてみると潮位は+13mに達することから規模の大きな大潮で、上の案内板からも水が押し寄せることを実感いたしました。
案内板の貼紙には La Maree Arrivera Dans Cette Zone A: と書かれていました。

クリックすると拡大右の図は参考に添付した大潮時と小潮時の、満潮と干潮の太陽と月の位置です。Mareeの意味は潮位の意味のようです。案内板を見た時も、書かれている時間が最高潮位になる時間と思いました。しかしネットで調べてみると最高潮位となる時間の約1時間25分前であることが判りました。つまり注意喚起のために、このあたりが水に浸かり始める時間を書いているのだと思います。
大潮と言えば満潮時の光景を思い浮かべますが、実は干潮時はいつもより水が引くことから特別なツアーが組まれているようでした。干潮の時間は書かれていませんが満潮と満潮の中間になるとすれば次の時間に近いと思われます。カッコ内数値は潮位です。満潮時刻と潮位はモンサンミッシェルの公式Webページに書かれていたものです。
滞在中(5月9日12時15分~5月10日16時20分)が赤色です。
満潮時刻(潮位)         干潮時刻(推測)
 2016年5月08日 09:04(12.95m) 21:22(13.00m)  02:51 15:45
 2016年5月09日 09:48(12.70m) 22:04(12.65m)  03:35 14:01
 2016年5月10日 10:31(12.15m) 22:45(12.00m)  04:17 13:44
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初日の5月9日はモンサンミッシェルの対岸に12時15分に到着して、マイバスの使途が手配していただレストランで有名なオムレツを食べて、宿泊ホテルにチェックインをした後に、連絡バスに乗ってモンサンミッシェルに着いたのが13時50分でした。最干潮の約10分前に来たことになります。そこで見た光景がこちらの写真です。沢山の高校生(あるいは中学生)たちが半ズボンで集まっていました。
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水の引いたモンサンミッシェルの周囲の干潟を歩くツアーのようでした。
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モンサンミッシェルの頂上である修道院を目指している時に、門の前の広場で出会った泥歩きツアーの高校生たちを、モンサンミッシェルの上からも見ることが出来ました。右から左に歩いています。
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修道院を見学し終わって干潟を見ると戻っての泥歩きツアーの人達を見ることが出来ました。時間は15時50分だったので2時間ほどのツアーだったようです。
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もうすぐ門の前の広場です。
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広場に下りてみると別の人達が歩いている光景も見ることが出来ました。16時23分なので満潮までは、まだ5時間41分あるので安全な時間帯でした。
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滞在2日目となる2016年5月10日の朝にも泥ツアーをみかけました。早朝に出発して戻って来る人たちでした。
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クリックすると拡大校旗と思われる旗には文字が書かれていて、「Aumo.... St. REMBERT」と読み取れました。
ネットで調べた範囲ではSt. Lambert High Schoolがありました。St がSaintであれば聖Lambert高校となります。それにしても、きわどい時間でした。5月10日は潮位が+12.15mの満潮になる時刻は10時31分だったのです。それに対してこの時の時刻は満潮の1時間34分前の8時57分で、海水が迫ってきていたと思います。案内板にも海水が迫って来る時刻は9時00分と書かれていました。
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やはり急いでいる感じがしました。
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やっと、たどり着けた雰囲気がありました。
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水位が上がってくる前に、無事に戻れてきて先生もほっとしていることでしょう。
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上の泥の干潟を歩いた人たちがファニルス倉庫の手前の右側の洗い場に直行して足を洗っていました。



2日目の昼過ぎは泥ツアーの出発光景を沢山見かけました。
モンサンミッシェルからの景色です。手前の塔はTour du Roiです。
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門の前の広場にも、これから出発するグループが集まっていました。
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こちらは別のグループです。
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泥に入り始めたところです。
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かなりの集団でした。
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一列になって歩いていました。
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列の先頭にはワンちゃんがいました。
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そのワンちゃんを拡大いたしました。
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こちらの別のグルーブは別の方向に歩いています。
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これもまた別のグループです。
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上の2つのグルーブを一緒に撮った写真です。広さが判ってもらえると思います。この時14時2分でした。干潮時刻は13時44分で18分経過していました。満潮までは8時間43分あるので十分に安全な時間帯でした。写真をクリックすると、さらに広さが実感できると思います。
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今回で連絡道路の方向の写真の中で、海が最も満ちた状態がこちらです。2016年5月10日10時02分なので満潮(10時31分)の29分前です。上で紹介した8時57分の状態から約1時間でここまで潮位が上がるとは想像がつかないと思います。周囲が海になっていることが実感できる写真です。
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この2枚の写真を比べてもらうと右の写真ま橋の下が、全て海水となっていることが判ってもらえると思います。
2016年5月09日15時06分      2016年5月10日10時02分
干潮から1時間5分後          満潮の29分前
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2015年3月21日の大潮の写真 潮位+14m ネットから転用
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満潮に最も近い時刻に撮った2016年5月10日10時26分の海の写真です。満潮の5分前です。連絡道路が写っていないけれども中州が上の写真より小さくなっている具合から水位が高くなっていることが想像されます。
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ネット内に2015年3月21日の大潮の日の動画があったので追加で掲載いたします。

前後に運転席を持つ無料連絡バス モンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モンサンミッシェルを背景にして撮った連絡バス(シャトルバス)です。今回は、この連絡バスの報告をさせていただきます。以前はこのあたりには大きな駐車場が作られており観光バスや自家用車でモンサンミッシェルの近くまで来ることが出来ました。もっと昔には、右下の絵はがきのように線路も敷設されて蒸気機関車で来れる時代もありました。クリックすると拡大しかしながら道路や駐車場によって潮の流れが変わり、泥が島の周囲に堆積して陸地化が進んだことで、昔のような海に浮かぶモンサンミッシェルの姿が失われたそうです。そのために駐車場を撤去して干潟に戻し連絡道路も橋化が行われました。一般の車を近づけなくした代わりに、対岸のLa Caserne(ラ・カゼルヌ)とモンサンミッシェルを結ぶ無料の連絡バスの運行が行われるようになったものと推察いたします。

上の写真の連絡バスを拡大いたしました。バス降場に停車している連絡バスの写真です。クリックして拡大するとナンバープレートのCN-706-KOを読み取ることが出来ます。この場所は降り場専用で、帰る人を乗せるために、すぐに連絡バスは反対車線のバス乗場に移動いたします。
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モンサンミッシェルを背景にした連絡バスの写真をさらに3枚紹介いたします。連絡道路を走っている連絡バスです。ホテルのレストランから夕食を食べながら撮った写真です。モンサンミッシェルまでは直線で2kmの距離です。写っている連絡バスはモンサンミッシェルに向かっているのでしょうか? 戻ってきているのでしょうか? 判りますか。
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上の写真と同じ構図ですが連絡バスの位置と大きさが違います。
こちらの写真は6秒後の写真です。つまりこの連絡バスはモンサンミッシェルに向かっているのです。
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上の写真から切り取って連絡バスを拡大いたしました。モンサンシェルに向かっているのに手前に運転席があるように見えませんか。
つまり今回の記事の本題は連絡バスの運転席に関係したことだったのです。
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連絡道路を歩いている時に連絡バスが横を通ったので写真を撮りました。さて、この車はどちらの方向に進んでいるのでしよう。ヨーロッパでは、車は右側通行です。つまり連絡バスは右奥の方向に進んでいるのです。でもどう見ても後ろに運転席があるように見えるし、バスの正面の顔でもあります。連絡バスはバックで走っているのでしょうか。でも運転席の中に運転手が見当たりません。本題とは関係ありませんが、こちらの連絡バスのナンバープレートはCN-706-KOなので、冒頭の写真に写っていた連絡バスでした。
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上の写真では運転手が運転席にいるかどうかが判りにくいので拡大いたしました。運転手がいないことが判ってもらえたでしようか。この写真で前後で差があることに気が付きました。モンサンミッシェル側の客席の窓が下側に広いのです。他の写真と比べてみてください。走りながらモンサンミッシェルがよく見えるようにしている配慮なのでしょうね。実はこの写真と後で紹介する室内の写真からエンジンルームの場所が想像出来るのです。
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これが正真正銘の手前に走って来る連絡バスです。運転席に運転手が乗っています。ライトの色は違いますが、バスの正面は前も後ろも同じ顔(同じデザイン)をしています。つまりモンサンミッシェルの連絡バスは前にも、後ろにも運転席があるのです。線路の上を走る電車と同じなのです。サイドミラーは進行方向側にしか見えないことから、自動で出し入れされるようです。運転席が前後にあるだけではありません。横の2枚のドアも左右に同じようにあるのも、電車と同じです。ナンバープレートはDH-050-RMでした。
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同じバスが我々を追い越して後ろ側を見せてくれました。やはり前側と同じ顔をしています。ナンバープレートが同じDH-050-RMです。駆動輪は判りませんが、方向舵輪は進行方向側に切り替わるのでしようね。排気のマフラーは前後にも左右にも見当たらないので電気自動車かもしれません。ただし未確認です。脚の不自由な方や車イスOKのシールも張られています。
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こちらはモンサンミッシェルから撮った連絡道路です。バス降場とバス乗場の位置で判るように連絡バスは島内には入らずに運行されていました。おそらく環境に配慮した結果なのだと思います。
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バス降場とバス乗場のあたりを拡大いたしました。この写真でも判るように、運転席が前と後ろにあるのは、連絡道路でUターンせずにスムーズに運行するために考えられたシステムだと思います。バス降場からそのままバス乗場に向かうだけなのです。運転手は運転席を変わるだけで進行方向が変わります。
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バス降場に停まっている連絡バスの写真です。
2016年5月10日14時10分36秒撮影
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上の写真の1分後の写真です。同じバスがバス乗場に移動した写真です。ナンバープレートはDH-050-RMです。2016年5月10日14時10分46秒撮影
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バス乗場に停まった連絡バスを見ると、連絡道路でのUターンは難しいことが判りました。2016年5月10日14時10分49秒撮影
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バスの車内の写真も紹介します。モンサンミッシェルからホテルに帰るときの写真です。前方向が対岸です。車内も前後で対象になっている思っていましたが、対岸側の運転席の後ろには進行方向を見る座席がありませんでした。
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どうやら対岸側の運転席の後ろがエンジンルームになっているようです。
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バスから降りて、乗って来た連絡バスを撮りました。バスの車体の下半分は木で出来ていました。やはり木は柔らから感じが致します。 ナンバープレートはCN-693-NOでした。
今回、撮った写真から確認できたナンバープレートはCN-706-KOと、DH-050-RMと、CN-693-NOの3種類でした。
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バス停は マークの4ケ所です。モンサンミッシェル島側に1ケ所と対岸の駐車場&ホテル地区であるLa Caserne(ラ・カゼルヌ)に3ケ所です。まさに対岸のラ・カゼルヌとモンサンミッシェルを結ぶ便利な連絡バスなのです。我々も初日は泊まっていたホテル前から乗って、帰りはお土産を売っているお店の近くで降りました。
  モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
  宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel
  レストラン La Rôtisserie
  撮影ポイント
  無料連絡バスのりば
 ━━ 無料連絡バス
 ━━ 徒歩
  到着場所(2016年5月09日 12時15分) パリ⇒モンサンミッシェル
  出発場所(2016年5月10日 16時20分) モンサンミッシェル⇒パリ

モンサンミッシェル修道院 有料見学エリアの紹介 [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今までモンサンミッシェルの記事をいくつか書いてきましたが、今回はモンサンミッシェルの主体なる修道院を掲載いたします。モンサンミッシェルはフランス語ではMont Saint-MichelあるいはLe Mont-Saint-Michelと書かれることが多いです。Mont Saint-Michelと書かれることが多いことからモン・サン=ミシェルあるいはモン・サン・ミッシェルと分離して記載されていることも多いです。そのモンサンミッシェルはフランス西海岸のサンマロ湾に浮かぶ小島です。その岩山自体は78.6mですが、その上にそびえる修道院との一体の景観によっり、1979年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。周辺に広がる干潟や湿地により1994年10月にはラムサール条約登録地となりました。
修道院や聖堂が建てられる前の小島(海の中の岩山)は、モン・トンブ(墓の山 / Mont Tombe)と呼ばれ、はるか昔から先住民のケルト人が信仰する聖地でした。Montが山(岩山)でTombeが墓です。
モンサンミッシェルとしての歴史が始まったのは、今から1308年前の708年にアヴランシュの司教オベールが大天使ミカエルを奉る聖堂を作ることを決断し、709年に小さな教会が完成したことでした。それをきっかけに、この岩山が重要な巡礼地の一つになり、966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会のクリックすると拡大修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったそうです。右の絵は17世紀(1631年)に描かれたモンサンミッシェルです。クリックして出てくる絵は1657年に描かれたものです。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。

709年に建てられた教会がどのようなものであったかは記録は無いようですが、ネット内に10世紀末の姿を描いた絵があったので紹介いたします。
10世紀末(à la fin du Xe siècle)の時期のイメージは980年~1000年なので、ノルマンディー公リシャール1世が966年に修道院を建てて20~30年程度しか経過していないことから、966年の修道院に近い状態の可能性があります。
今から約1030年前のモンサンミッシェルは、この絵のような景観だったと想像してみてください。岩山のモン・トンブ( Mont Tombe)の高さは約80mで、今から比べると小さな修道院(教会)ですが、1307年前の709年に建てられた最初の教会は、さらに小さな教会であったことが想像されます。
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岩山の高さは78.6mですが、修道院の中央にそびえる教会の尖塔の海面からの高さは150mにもなります。その巨大な教会を支えているのが岩山周囲に作られている礼拝堂などの頑丈な建物です。つまり岩山の周囲の礼拝堂などの石の建造物が巨大な教会の基礎(土台)になっているのです。これが岩山の狭い頂部に巨大な教会を建てた工夫なのです。
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冒頭の写真から修道院の部分を切り取りました。修道院の入口から次の順番で見学いたしました。大きく分けて修道院は上層部と中層部と下層部に区分できます。⓪~⑯の内①~⑭の番号は入口で借りるオーデオ案内でつけられている番号と一致させています。修道院内部にも、この番号①~⑭の案内板が取り付けられていました。右の3枚の図の内、中層部と下層部には岩石部があるのが特徴なのです。
クリックすると拡大 ⓪下層部 修道院入口
 ⑮下層部 司祭の間
 ①下層部 哨戒の間
 ② 大階段(下層部から上層部に登る階段)
 ③上層部 西のテラス
 ④上層部 修道院付属教会
クリックすると拡大 ⑤上層部 回廊
 ⑥上層部 合同の食事室
 ⑦中層部 迎賓の間
 ⑧中層部 太柱の礼拝堂
 ⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
 ⑩中層部 修道僧の納骨堂
クリックすると拡大 ⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
 ⑫中層部 南北階段
 ⑬中層部 修道僧の遊歩道
 ⑭中層部 騎士の間
 ⑮下層部 司祭の間
 ⑯下層部 修道院出口 
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モンサンミッシェル修道院内の入口⓪→出口⑯まで歩いたルートを示します。単純に見学したルート(━━ ━━ ━━)を測ってみると957mでした。部屋の中は散策で歩き回るので修道院の中だけで1200m程度は歩いたと思います。
時間的にはオーディオ案内を聞きながらで1時間13分でした。我々の場合は翌日も見ることにしていたので見学は早めだったので、修道院内部の見学は1時間30分と見ておけばよいと思います。ただしガイドさんの長い話がある場合は別です。パリからの日帰りツアーで島内滞在が3時間とすれば修道院以外も1時間30分は散策するのがよいと思います。パリからの日帰りツアーが多いこともうなづけました。見学ルート(━━ ━━ ━━)が複雑に見えますが上層部と中層部と下層部のルートが重なっているためです。
 修道院の有料見学エリアの滞在時刻および時間
  1日目 2016年5月09日 14:12~15:25 1時間13分 オーディオ案内利用
  2日目 2016年5月10日 09:21~10:22 1時間01分 主に写真撮影
   修道院(有料エリア)入口
   修道院(有料エリア)出口
  ━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
  ━━ 修道院見学ルート 上層部
  ━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)


それでは見学ルートの順番に紹介したいと思います。沢山の写真を判りやすくするために区分ごとに横線で区切るとともに写真の頭には⓪~⑯の番号を付けています。1日目の写真と書いていない場合は、全て人の少ない2日目の写真です。

こちらが下層部分の配置図です。修道院の入口前から上層部の西のテラスの入口までを紹介いたします。
 ⓪下層部 修道院入口
 ⑮下層部 司祭の間  チケット購入場所
 ①下層部 哨戒の間
 ② 大階段(下層部から上層部に登る階段)


⓪修道院入口
修道院の入口が見えてきました。
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⓪修道院入口
こちらが修道院の入口です。この階段を登ると①哨戒の間を経由してチケット売り場となっている⑮司祭の間に行きます。
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⓪修道院入口
修道院の入口の上は見事な2つの塔が建っていました。これを目印にして修道院を目指すとよいと思います。
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⑮司祭の間の入口
修道院入口から階段を登ると①哨戒の間があり、さらに進むとこのドアがありました。中は⑮司祭の間でした。
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⑮司祭の間
クリックすると拡大こちらが⑮司祭の間で簡単な持物の安全検査が行われた後チケットを買って、オーディオ案内を借りて、元の道で①哨戒の間に戻って②大階段の方に進みます。ただし一日目は右の写真のチケットを旅行社であるマイバスの方から移動中の車の中で事前に渡されていたので、ここではオーディオ案内を借りるだけでした。マイバスの方から渡されチケットは団体割引であったことから7ユーロと書かれていましたが、2日目のチケットは割引がないので9ユーロだったと思います。
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⑮司祭の間→①哨戒の間
司祭の間を出で哨戒の間に戻る道です。道の中央にはロープが張られていてチケット売り場の司祭の間に向かう人とすれ違いました。哨戒の間は正面の建物の中にありますが、目立たなかったので写真は撮り忘れました。
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①哨戒の間→②大階段
下層部から上層部の西のテラスに登る長い大階段への入口です。哨戒の間を出たところの景観です。
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②大階段
大階段の両側には高い建物がありました。
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②大階段
建物が高い壁のようでした。
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②大階段
このような蛇口がいくつもありました。
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②大階段
階段の一番上が上層部です。右側が教会で、左側が修道僧の居住棟です。居住棟は14世紀から16世紀に建てられて、歴代の修道院長の住まいとして使用されていました。
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②大階段
確認すると大きな蛇口からは水が出ました。ただし飲むことはできません。
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②大階段
この先にはトイレがないので、見学前にトイレに行っておくことを進めます。
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②大階段
登って来た方向を振り返った景色です。
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②大階段からの景色
大階段から修道院付属教会の塔がみえまえる
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②大階段からの景色
見事な渡り廊下です。渡り廊下は木造づくりのようです。
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②大階段→③西のテラス
この入口を入ったら修道院の中の最大の教会の前にある「西のテラス」に出ます。
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こちらが上層部の配置図です。
 ③上層部 西のテラス
 ④上層部 修道院付属教会
 ⑤上層部 回廊
 ⑥上層部 合同の食事室


写真枚数が多いので上層部に関しては4つに区分けして紹介いたします。

上層部 西のテラス
ここが「西のテラス」です。大階段からは中央の小さな通路から出てきます。石で作られた広いテラスに圧倒されました。
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③西のテラス
西のテラスは当初の教会の前庭と、18世紀の火災で焼失した身郎前部3列で構成されています。古典主義のファサードは1780年に再建されました。
このテラスからは湾を展望することが出来る絶景の場所でした。晴れていたら西側はブルターニュ地方の岩山から東側はノルマンディー地方の岩山まで見ることが出来るそうです。
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③西のテラスからの南方向の景色
南西には陸地側にはモン・ドルの2つの花崗岩の岩山が見えるそうです。この日の天気では遠くは鮮明に見えませんでしたが、湾内の景色を中心に絶景を見ることが出来ました。

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③西のテラスからの北方向の景色
北側に見える小さな島はトンブレーヌ(Tombelaine)です。島の沖には修道院の建設に使われた花崗岩が採石されたショゼー群島がが見えます。
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③西のテラス
床の石には文字が刻まれていました。職人たちが石組みのために位置を石に書いたものだそうです。
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上層部 修道院付属教会の写真を紹介します。
④修道院付属教会
テラスから見た修道院付属教会です。修道院の付属教会と書かれていますが、修道院の主教会であり、最も大きな教会/礼拝堂です。多くの建物がこのき教会の土台の基礎を兼ねているのです。遠くから見えた高い塔はこの教会の塔です。この教会は1000年~1010年の間に完成しました。つまり少なくとも1006年前の建物と言うことになります。
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④修道院付属教会の内部
教会内部は厳かな雰囲気に包まれていました。岩の上にこれほどの建物が作られたのに驚かされます。海抜80mの岩山を囲むように礼拝堂などの頑丈な石の建物を建て、それらを利用して長さ80mの土台(基礎)にして建てられました。身廊は上に向かって、拱廊、回廊、高窓の層の造りになっています。ロマネスク様式の内陣は1421年に崩壊しましたがイギリスとの100年戦争後に再建されたためにフランボアイヤン式ゴシック形式になっています。
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④修道院付属教会
教会の身廊(しんろう)部分の天井は板張りのヴォールートでした。身廊は教会の入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの翼廊に至るまでの部分を指します。おそらく軽量化のために木造にしたのだと思います。クリックすると拡大

④修道院付属教会
こちらが主祭壇です、
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④修道院付属教会
主祭壇の部分の天井は木造ではありませんでした。
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④修道院付属教会
主祭壇の方から入口を見た景観です。
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④修道院付属教会
こちらはパイプオルガンです。
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④修道院付属教会
柱の飾りも歴史を感じました。
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④修道院付属教会
主祭殿上のステンドグラスです。モンサンミッシェル以外の教会のステンドグラスと違うことがありました。
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④修道院付属教会
教会のステンドグラスと言えば宗教画が描かれたものが多いのですがこちらでは絵の描かれてステンドグラスは見かけませんでした。これは修道院の中の他の礼拝堂や建物にも共通したことでした。それにしてもきれいなステンドグラスでした。
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④修道院付属教会
こちらのステンドグラスはシンプルな幾何学的模様が特徴でした。
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④修道院付属教会
不思議な石像がありました。
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④修道院付属教会
こちらも紹介したくなる石像でした。
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④修道院付属教会
このような祭殿もありました。
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④修道院付属教会
小さな祭殿がいくつもありました。
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④修道院付属教会
石造りの建物の細部の形は見事でした。
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④修道院付属教会→⑤回廊
教会横にあった建物です。こちらの天井も木造でした。
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④修道院付属教会→⑤回廊
この通路を通ると⑤回廊に出ます。
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上層部 回廊の写真を紹介します。回廊も見事な建造物でした。
⑤回廊
教会からの通路を出た最初の景色です。中庭を囲むように回廊が作られていました。この歩廊は他の建物につながる通路の役目を果たしているそうです。祈りと瞑想の場でもあったそうです。宗教的な礼祭の時には儀式の列が歩んだそうです。
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⑤回廊
13世紀の初頭に建てられたラ・メルヴェイユと呼ばれる建物の最上階に回廊があり、ここを通って合同の食事室、厨房、教会、共同寝室、古文書保管室、さらに、様々な階段に行くことが出来るようになっているそうです。
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⑤回廊
上の写真は2日目の朝で人がいませんが、1日目の14時42分には同じ場所でも沢山のひとがいました。子供たちが先生の話に聞き入っていました。
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⑤回廊
回廊の天井も木造で出来ていました。これは重量を経験するための工夫だそうです。2列に並べられた細い柱は、わずかにずらせた形で組まれていて、常に変化する視覚を作り出しているそうです。
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⑤回廊
回廊から見える建物も趣がありました。正面の建物は、次に見学する⑥合同の食事室がある建物です。右が④修道院付属教会です。暖炉の煙突が沢山見えます。
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⑤回廊
中庭に入る通路が1か所あります。その通路から中庭に入って撮った教会の写真です。翼廊のステンドグラスのある窓が印象的です。
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⑤回廊
こちらは回廊から撮った教会の写真です。
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⑤回廊
教会の塔が撮れる角度からも写真を撮りました。
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⑤回廊
回廊の木造の天井は緻密に作られていました。
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⑤回廊
回廊の周囲の窓もステンドグラスになっていました。
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⑤回廊
回廊の中に海が大きく見える開かれた部分があります。この場所は参事会室に通じることになっていたそうですが、工事が未完成のままに現在に至っているそうです。回廊から外が見れる裕津の場所になっており危険が無いように大きなプラスチック板が取り付けられていました。
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⑤回廊
その唯一の開放部分からの外の景色です。左の石垣の上が③西のテラスです。
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上層部 合同の食事室を紹介します。
⑤回廊→⑥合同の食事室
この入口から→⑥合同の食事室に入ります。
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⑥合同の食事室
ここでは修道僧たちは沈黙のうちに食事をとっていたそうです。その間に彼らの一人が、南側の説教壇で読唱していたそうです。食事室の側壁には狭い窓が作られていましたが入口からは見えないように工夫がされていました。
右の写真がここに取り付けられていた案内板です。オーディオ案内装置(☊)の6番の場所であることも表しています。
ここにはRéfectoire des moinesと書かれています。翻訳すると修道士(修道僧)の食堂でした。
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⑥合同の食事室
上の写真は2日目の早朝の写真ですが、1日目の人の多い時間帯の写真も紹介します。
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⑥合同の食事室
こちらの天井も軽量化のために木造で作られていました。
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⑥合同の食事室
天井の模型が置かれていました。
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⑥合同の食事室
こちらの床はきれいなタイルで飾られていました。このようなきれいな床の装飾は見学の範囲においては、ここだけでした。
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⑥合同の食事室
入口からは見えない細い窓をしょうかいします。こちらのステンドグラスも幾何学的できれいでした。
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⑥合同の食事室
食道ですが正面は十字架が飾られて祭壇になっていました。
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⑥合同の食事室
これが説教壇です。食事中に修道僧が読唱していた場所です。
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⑥合同の食事室
奥から入口方向を撮った写真です。
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⑥合同の食事室
オーディオ説明を聞いているところです。つまり1日目の写真です。この部屋には暖房用の暖炉がないことも特徴でした。この⑥合同の食事室から中層部に下りる螺旋階段がありました。上層部の最後の写真です。
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中層部の配置図です。
ここでは⑦迎賓の間から⑯修道院出口までを紹介します。
 ⑦中層部 迎賓の間
 ⑧中層部 太柱の礼拝堂
 ⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
 ⑩中層部 修道僧の納骨堂
 ⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
 ⑫中層部 南北階段
 ⑬中層部 修道僧の遊歩道
 ⑭中層部 騎士の間
 ⑮下層部 司祭の間
 ⑯下層部 修道院出口 


写真枚数が多いので区分けして紹介いたします。

中層部 迎賓の間
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
上層部→中層部の螺旋階段です。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にもステンドガラスの窓がありました。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
螺旋階段の次は直線的な階段で中層部を目指しました。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中ですが、沢山の人が写真を撮っている場所がありました。こちらは1日目の写真です。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
写真を撮っていたのは、こちらの彫刻でした。
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⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にも小さな部屋がいくつかありました。
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⑦迎賓の間
迎賓の間に出ました。ここは⑥合同の食事室の真下に位置します。この部屋は王や貴族を迎えるために使われていたそうです。写真は南側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
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⑦迎賓の間
こちらは1日目に撮った写真です。こちらは北側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
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⑦迎賓の間
こちらは東から西方向を撮ったものです。一番奥に大きな2つの暖炉がありました。
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⑦迎賓の間
これが西の壁の巨大な暖炉です。
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⑦迎賓の間
さすが迎賓の間です。天井や柱も見事でした。
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中層部 太柱の礼拝堂
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
迎賓の間の隣には小さな礼拝の部屋がありました。こちらは1日目の写真です。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
その小さな礼拝の部屋にもステンドグラスが沢山取り付けられていました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが礼拝の方向です。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
一旦、屋外に出ます。左の出口から出てきました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
庭や井戸があるエリヤもありました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物の間の通路を進みます。右が迎賓の間がある建物です。左が太柱の礼拝堂がある建物です。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物を見上げてみました。
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⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが太柱の礼拝堂の入口です。
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⑧太柱の礼拝堂
入口を進むと太柱の礼拝堂が見えてきました。
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⑧太柱の礼拝堂
太い柱だらけで部屋を見渡すことが出来ないのです。ここは修道院付属教会の主祭殿の真下で、これらの柱によって教会の内陣を支えているのです。まさに教会の土台の部分であり基礎の部分だったのです。
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⑧太柱の礼拝堂
柱と天井をつなぐ部分も力が伝えられるような構造となっていました。
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⑧太柱の礼拝堂
礼拝堂の壁もがん頑丈そうでした。窓もほとんどありませんでした。やはり重さを支える構造物と言う感じでした。
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⑧太柱の礼拝堂
床には模様が描かれていました。
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⑧太柱の礼拝堂
こちらに細い窓がありその光で写真を撮ることが出来ました。
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⑧太柱の礼拝堂
真っ暗な部分が多いことからか、太い柱の何本かに対して、今はやりのプロジェクトマッピングが行われていました。同じ場所から3枚の写真を紹介します。
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⑧太柱の礼拝堂
上の写真と同じ場所です。
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⑧太柱の礼拝堂
頻繁に画像が変わりました。
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⑧太柱の礼拝堂
こちらがプロジェクトマッピングを行っている機械(プロジェクター)です。
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⑧太柱の礼拝堂
天井に換気孔を見つけました。上層部の教会内のどこかに出口があるのだと思います。
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⑧太柱の礼拝堂
礼拝のための像の一つです。女性が子供を抱いている金色の像です。
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中層部 聖マルタン礼拝堂
⑨聖マルタン礼拝堂
聖マルタン礼拝堂は修道院付属教会の交差廊の南側の基礎のために1000年より後に建てられました。礼拝堂に入って正面の景観でした。
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⑨聖マルタン礼拝堂
この礼拝堂の天井は9mと言う高さの円形の天井であねことが有名です。上からの力に耐えるように天井を円形にしたことから天井が高くなったと想像します。
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⑨聖マルタン礼拝堂
天井の高さを実感できるように斜めから撮った1日目の写真を掲載いたしました。左のドアから入ってきました。
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⑨聖マルタン礼拝堂
1日目は座ってゆっくりと話を聞くグループを沢山見かけました。ここでも沢山説明があったことでしょう。


⑨聖マルタン礼拝堂
小さな窓の奥はステンドグラスになっていました。分厚い壁は上からの重量に耐えるためだと思います。
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⑨聖マルタン礼拝堂
反対側の礼拝側の窓の壁も分厚かったです。
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⑨聖マルタン礼拝堂
この写真で丸い天井がよくわかってもらえると思います。
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中層部 修道僧の納骨堂
⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
聖マルタン礼拝堂は下層部から一気に上層部に登る大階段の横にありました。鉄格子の扉の向こうが大階段です。
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⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
修道僧の納骨堂に向かう道は一旦は外にてますが、高い建物の間を歩いて修道僧の納骨堂がある同じ建物に入ります。
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⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
アーチ型の入口を入ると修道僧の納骨堂です。納骨堂にふさわしい暗さと思うのは偏見でしょうか。
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⑩修道僧の納骨堂
すでに紹介の通り、1820年ごろに修道僧の納骨堂には荷物を引き上げるための巨大な車輪が設置されました。
この巨大な車輪が設置される前は、修道僧の納骨堂でした。そのような雰囲気が漂う場所に巨大な車輪が設置されていたのです。ここには1日目(2016年5月9日)と2日目(5月10日)に来ましたが、建物内の写真に関しては2日目を使っています。2日目は朝一に修道院に入ったことから、人がほとんどいなくて、自由に撮れたからです。修道院の有料エリアに2日続けて入る人は珍しいのかもしれません。
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⑩修道僧の納骨堂
こちらが巨大車輪です。修道院は一時期に監獄化されていた時代がありその時に作られたようです。囚人たちの多くは政治犯で幽閉される形だったようです。荷物の多くは多くの政治犯の食糧であったと書かれていました。
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⑩修道僧の納骨堂
巨大車輪の裏を進むと⑪聖エティウンヌのチャペルへ向かう入口があります。
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⑩修道僧の納骨堂→⑪聖エティウンヌのチャペル
こちらが⑪聖エティウンヌのチャペルに入る入口です。
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中層部 聖エティウンヌのチャペル
⑪聖エティウンヌのチャペル
入口から見下ろした聖エティウンヌのチャペルです。人が沢山写っているので1日目の写真です。皆さんが撮っているのがマリア像でしょうか。⑥合同の食事室の床はきれいにタイルが敷き詰められていましたが、こちらにもタイルが張られていました。ただし。⑥合同の食事室と違い一色でした。
フランス語ではChapell Saint Étienneです。
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⑪聖エティウンヌのチャペル
床の高さに下りて撮った写真です。聖エティウンヌのチャペルは19世紀初頭に崩壊した医務室と修道僧の納骨堂の間にあり、死者のチャペルとして使用されていたそうです。
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⑪聖エティウンヌのチャペル
クリックすると拡大こちらが反対側から撮った写真です。十字架の右の入口に入ると納骨堂です。納骨堂に付属していたと言える位置にありました。十字架の石の台に彫られたAΩの文字が印象的でした。ΑΩ(アルファオメガ)はキリスト教用語で、新約聖書の「ヨハネの黙示録」にて三度繰り返し述べられているそうです。神(YHWH)が自らを指して省略した表現した「τὸ Α καὶ τὸ Ω」をさらに短縮したものだそうです。つまりキリスト教の神を表した文字です。
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⑪聖エティウンヌのチャペル
冒頭の写真で皆さんが撮っていたマリア像と思われる石像を撮っているところです。
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中層部 南北階段
⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
聖エティウンヌのチャペルを出ると南北階段の最下部に出ました。
このあたりに崩壊した医務室があったようです。
突き当りを右に曲がると南北階段です。
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⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
この階段は南北階段とは反対側に登って行く階段ですが、侵入禁止になっていました。おそらく修道院付属教会に行く階段だと思われます。
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⑫南北階段 Escalier nord-sud
これが南北階段の最下部から撮った南北階段です。案内板にはEscalier nord-sudと書かれていました。
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⑫南北階段
少し前に進んだ位置から1日目に撮った南北階段です。こちらは1日目の写真です。やはり1日目は人が写った写真となります。
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⑫南北階段
さらに進んでで撮りました。同じ中層部でも高低差があります。
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⑫南北階段
階段の上から登って来た方向を振り返って撮りました。昔は窓の明かりが頼りだったのかもしれません。ハリーポッターの世界のようです。
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⑫南北階段
こちらが階段の一番上の明かり窓です。
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⑫南北階段→⑬修道僧の遊歩道
この入口を入ると⑬修道僧の遊歩道です。
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中層部 修道僧の遊歩道
⑬修道僧の遊歩道
修道僧の遊歩道は2つの身廊(しんろう)を持つ長い部屋で、交差リブを持つ円天井という建築形式は12世紀初めのゴシック芸術の誕生を告げているそうです。こちらが右側(南側)の通路です。
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⑬修道僧の遊歩道
こちらが左側(北側)の通路です。
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⑬修道僧の遊歩道
途中に窓がありますが、壁の分厚さが際立っていました。海側に面した壁なので頑丈に作られているのだと思います。
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⑬修道僧の遊歩道
部屋の中に岩盤のむき出しの部分がある珍しい部屋でした。岩盤の上に建てられた建物であることが実感できる場所でもありました。
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⑬修道僧の遊歩道
人工の柱と自然の岩盤の組み合わせが見事でした。
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⑬修道僧の遊歩道→⑭騎士の間
この入口を抜けると→⑭騎士の間です。
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中層部 騎士の間
⑭騎士の間
入口の高い位置から撮った⑭騎士の間です。かなりの広さがあります。この部屋の真上上が⑤の回廊です。つまり建物はラ・メルヴェイユなのです。
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⑭騎士の間
これらの柱は建物の屋上にある回廊を支える役目もあります。部屋は修道僧たちの仕事場であり、勉強の場でもありました。彼らの知的産物は現在でもマニュスクリプト(手書き文書)として我々に残されているそうです。マニュスクリプトはアヴンシュに保管されているそうです。
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⑭騎士の間
ここにも大きな暖炉がいくつもありました。
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⑭騎士の間
こちらの窓のステンドグラスも見事でした。
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⑭騎士の間
いろんな形の大きな窓が並んでいました。
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⑭騎士の間
これらの窓のおかげで部屋は明るいことから、修道僧の仕事場ゆ勉強の場として最適だったように感じました。
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⑭騎士の間
この写真で暖炉がいくつもあることが判ってもらえると思います。暖房設備が整っているのも勉強の場としては大切なことだと思います。一番奥に⑮司祭の間へ行く入口があります。
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⑭騎士の間
こちらが⑮司祭の間へ行く入口です。
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⑭騎士の間→⑮司祭の間
この螺旋階段を下りると⑮司祭の間です。
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下層部 司祭の間
⑭騎士の間→⑮司祭の間
このドアを開けると⑮司祭の間です。
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⑮司祭の間
こちらが司祭の間です。最初の下層部で説明した通り最初に入ってきてチケットを買う場所です。テープで仕切られており奥側がこれから修道院を見学する人のエリアで、手前側が修道院を出ていく人のエリアです。
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⑮司祭の間
こちらがとなり部屋への入口であり修道院の出口に向かう方向です。
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⑮司祭の間
子なりの部屋は売店になりました。こちらが修道院の最後の部屋になります。
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⑯修道院出口
修道院の最後の部屋を出た景色です。 
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紹介したルートを思い出していただけるかもしれないので、再度ルート図を掲載いたします。
   修道院(有料エリア)入口
   修道院(有料エリア)出口
  ━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
  ━━ 修道院見学ルート 上層部
  ━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)

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⓪ ⑮ ① ②   →  ③ ④ ⑤ ⑥ → ⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯

上層部、中層部、下層部が判りやすく書かれた図がネットにあったので転用させていただきました。


参考にモンサンミッシェル島内の住民の推移も紹介します。静かなモンサンミッシェルですが、グラフからも、歴史の中で大きな変化があったことがうかがえます。1793年~1863年の70年間はモンサンミッシェルが刑務所(監獄)として運用されていたことが、人口の推移に大きく影響したことがうかがえます。近年においては観光客が増加しているにもかかわらず、島内に住む人が減ってきているのは交通機関の発達により生活の便利な島外に住む人が増えたためだろうと推察します。現在はモンサンミッシェル島内で仕事に従事しているほとんどの人は島外から通勤しているそうです。
      1793年  234人     1866年  203人
      1821年  904人     1906年  238人
      1831年  390人     1954年  268人
      1851年 1182人     2013年   41人
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巨大な車輪はなに? [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モンサンミッシェルの修道院の中に、このような木製の大きな車輪ががありました。大きさは建物の天井ほどの高さがありました。
これはEchaugette門から修道院入口まで歩いたルートを紹介した前記事の中の荷物を上げるためのリフトを、巻き上げる車輪なのです。軸の部分に巻き付けられている太いロープで引き上げるのです。

この巨大な車輪が設置される前は、修道僧の納骨堂でした。そのような雰囲気が漂う場所に巨大な車輪が設置されていたのです。ここには1日目(2016年5月9日)と2日目(5月10日)に来ましたが、建物内の写真に関しては2日目を使っています。2日目は朝一に修道院に入ったことから、人がほとんどいなくて、自由に撮れたからです。修道院の有料エリアに2日続けて入る人は珍しいのかもしれません。
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建物に合わせて車輪が作られたのですが、最初から建物と一緒に設計されていたと思われるほどでした。
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ロープが大きな窓の上の方に伸びているのが判っていただけると思います。
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柱には荷物を取り付ける木製のリフトがかけてありました。それにしても不思議と暗い雰囲気です。実はこの車輪を回す動力源は6人の囚人たちだったのです。この車輪の中に6人が入って歩くことで荷物を巻き上げていたのです。修道院は一時期に監獄化されていた時代がありその時に作られたようです。囚人たちの多くは政治犯で幽閉される形だったようです。荷物の多くは多くの政治犯の食糧であったと書かれていました。これほど大掛かりな装置が必要なほどの人数の政治犯が幽閉されていたのだと感じました。正常な修道院に戻った後も使うことは出来たと思いまが、その時の6名の働き手に関しての記載は見つかっておりません。修業の一環として修道僧が自ら行ったのかもしれません。現在の車輪は中世時代の車輪を参考に復元したものだそうです。
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こちらが車輪の内側の写真です。ここに人が入って動力源として働いていたのです。
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1日目の写真も紹介します。15時14分ごろはこのように人が多かったために、人が写っていない写真を撮るのは難しかったのです。これでも人が少ない時に撮った写真です。窓の外の写真を撮るのも順番待ちのような状況でした。1日目の修道院の中はどこも同じような状況でした。やはり2日間ほどモンサンミッシェルに滞在して2回修道院に入り、2日目に関しては朝一に修道院に入ったのは大正解でした。もちろん1日目の人が写った写真では巨大車輪の大きさが判るので、この写真も値打ちがありました。
  修道院の有料見学エリアの滞在時刻および時間
   1日目 2016年5月09日 14:12~15:25 1時間13分
   2日目 2016年5月10日 09:21~10:22 1時間01分
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ここは修道院の建物中からで、最も眺めの良い場所でもありました。ロープの先に鎖がつけられており、その鎖の先に壁に掛けられていた木製のリフト(台車)と類似したものが取り付けられていました。
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丁度、鎖で隠れているあたりに我々の泊まったホテルがありました。
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ホテルの写真もここから撮りました。これはホテルの夕食や朝食を紹介した時の写真です。
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こちらの写真の黄色の〇印が荷物をあげるリフト(台車)を巻き上げる巨大滑車が設置されている部屋の窓です。クリックすると〇印の無い拡大写真を表示します。
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この写真を見てもらえれば眺めがいいことが判ってもらえると思います。
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こちらが荷物を上げる窓の部分です。
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さらに拡大いたしました。荷物を上げるリフト(台車)とそれをつないでいる鎖が判っても煮えると思います。
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上から覗き込んでリフト(台車)の写真を撮りました。
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前記事の写真を思い出してください。これは荷物を引き上げるためのリフトの線路の役割を担ったものだと説明した一直線に伸びる石の構造物です。
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その石の線路の最下部の部分は水平になるように作られていました。水平に置かれた台車に荷物を縛り付けたのだと思います。
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モンサンミッシェル2日目の修道院への道 [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。


今回は対岸のホテルに泊まったことからモンサンミッシャル島内には2度入りました。そして有料区域である修道院内にも2度入りました。そしてモンサンミッシェル島内に合計で9時間46分滞在して、5種類の着色された道を全て歩いてみた結果として、すでに紹介したように連絡道路エリアから修道院に行くためのルートは次の①②③の3種類があることが分かりました。1日目は②のルート(━━)で修道院の入口まで行き、2日目は③のルート(━━)で修道院の入口まで行きました。1日目のルートは先日紹介させていただいたので本記事では③のファニルス城壁の門から修道院入口歩いた順に紹介したいと思います。
  修道院(有料エリア)入口
  修道院(有料エリア)出口
  ラヴァンセ門(前哨門)
  ファニルス城壁の門
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道  1日目のルート 
 ━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
 ━━ 島内散策路
 ━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
滞在時刻 滞在時間
島内 修道院内 島内合計 修道院内 修道院外
1日目 13:50~16:20 14:12~15:25 2時間30分 1時間13分 1時間17分
2日目 09:04~16:20 09:21~10:22 7時間16分 1時間01分 6時間15分
合計 9時間46分 2時間14分 7時間32分

それでは紹介を始めたいと思います。こちらのファニルス城壁の門から入りました。門の奥にある建物はファニルス倉庫と呼ばれています。
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ファニルス城壁の門に近づきました。この門はPorte Echaugetteと書かれていました。日本語を検索しても出てこないのでEchaugette門と呼ばせていただきます。門の左側の低い位置に設置された狭間窓(銃眼 / 銃口)が気になります。地面近く設けられていることから地面に置いて使用する大型の銃器のためのものだと思われました。
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こちらが狭間窓(銃眼 / 銃口)です。
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修道院の方は自然の断崖絶壁がそのままで自然の地形を利用した要塞であったことが覗えました。
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門をくぐるとファニルス倉庫が大きく見えてきました。建物の下が通路になっていました。
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ファニルス倉庫の手前の右側に洗い場がありました。泥の干潟を歩いた人たちが足を洗っていました。もし干潟を歩く機会があるときはこの場所を覚えておいてください。上の写真で右側を歩いている人たちが足を洗いに向かっている方々です。洗い場がある建物は地図にはGendarmerieと書かれていることからフランス警察の詰め所のようです。


ファニルス倉庫と呼ばれている建物をくぐると坂道が真っすぐに続いてました。正面がイギリスとの100年戦争時代の要塞としての名残でもあるガブリエル塔です。モンサンミッシェルはイギリスに周辺の都市が占拠されたにも関わらず、一度もイギリスに陥落することがなかった難攻不落の要塞としても有名な場所だそうです。
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これがガブリエル塔(Tour Gabriel)です。
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ガブリエル塔の前から登ってきた坂道を振り返った景観です。
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ガブリエル塔の右側にあった小さな門をくぐると道が続いていました。
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道は海辺まで続いていました。
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よく見るとウェットスーツの人が漁をしているようでした。今は満潮に近い時間帯で海水がありますが、干潮時には干潟になります。そのような場所で奈良が採れるのでしょう。気になりましたが確認の使用がありませんでした。
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この時も勢いよく水が満ちてきていました。水の勢いを見てもらいたくて動画を撮りましたので是非ともクリックしてみてください。ウエットスーツの人も写っています。川が左の方向にあるので本来は左から右に静かに水が流れるはずなのですが、川の流れに逆らって右から左に向かって海水が勢いよく流れているのが確認できると思います。


道は行き止まりになっていました。後で知ったのですがこの先に小さな礼拝堂があります。干潮時にのみに行くことが出来るサントベール礼拝堂です。この岩の上に登っても見ることが出来ないようです。
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撮った写真の中でサントベール礼拝堂が写った写真を探した結果、クリックすると拡大泊まったホテルの少し西側にある橋からの下の写真に、サントベール礼拝堂の一部が写っていました。一番左端の岩の向こう側にサントベール礼拝堂が写っているのが判ってもらえると思います。夕食時にホテルのレストランから撮った右の写真にはサントベール礼拝堂はほんの僅かしか写っていないので、少しの角度の差で下の写真が撮れたのだと思います。
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行き止まりの場所から振り返ったガブリエル塔の景観です。
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このようなものがありました。これはおそらく雨樋ではないかと思われます。
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猿の像のようにも見える雨樋を拡大いたしました。
雨樋と思ったのはパリのノートルダム寺院ガーゴイル(gargoyle)と呼ばれる雨樋に似ていたからです。
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ガブリエル塔の屋根も見事なので写真を撮りました。
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ファニルス倉庫から登って来た道はガブリエル塔のところでU字形に曲がりさらに登り坂が続きました。その先にも塔が建てられていました。これもモンサンミッシェルを敵から守るための塔だと思われました。
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坂の途中からファニルス倉庫を間近で見ることが出来ました。
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塔のところから道は、また左にU字形に曲がっていました。
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ここから攻めてくる敵を攻撃するように作られたのだと思います。この要塞の鉄壁の防御になっていたのは干満の大きな非常に危険な干潟の中にある高さ約80mの岩山の上に要塞が建てられていたことで、おそらくここまで攻め入ることも出来なかったように感じました。
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先に進むと、今度は人工の絶壁で守られていました。
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一直線に伸びた石で出来た構造物がありました。これは荷物を引き上げるためのリフトの線路の役割を担ったものでした。
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その石の線路の最下部の部分です。このリフトに関しては後日に詳しく紹介したいと思います。
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ここまでは坂道ばかりでしたが初めての階段が現れました。
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階段を登り詰めると細い石の道が続いていました。朝の9時15分ごろと言うこともあり歩いているのは我々だけでした。
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そこから見上げても、修道院はまだまだ上にありました。
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細い石の道は続いていました。このあたりはかつては住居地区ではなかったと思います。現在はモンサンミッシェル島内に住んでいる人数は41名(2013年)で、昼間に仕事に従事している人のほとんどが、島外から通っておられるそうですが、かつては1182名(1851年)も住んでいました。
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細い石の道からの景色です。
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さらに医師の道が続きます。
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石の道は行き止まりになっていて小さな門がありました。
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差の小さな門をくぐると沢山の観光客の人達が通る道に出ました。
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さらに進むと修道院の入口に向かう道に合流いたしました。


こちらが修道院の入口です。階段にワンちゃんのマークが見えます。ワンちゃん同伴はここまでで、この先にはワンちゃんは入れません。つまりワンちゃんに寛大なフランスでも、修道院の有料エリアにはワンちゃんは入れないのです。それでもここまでワンチャンを連れて来ている方を沢山見かけました。
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修道院の入口で待っているワンチャンを沢山見かけました。おそらく交代で修道院の中を見に行っているのだと思います。見るところが結構あるので、相手の方が戻って来る約1時間ほど、ここで待つことになると思います。
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別のワンチャンも修道院入口で持っていました。ここまで登って来るといい運動になったと思います。
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大通り(グランド・リュー / Grande Rue )でも沢山のワンチャンを見かけました。同じように修道院の入口の前から交代で内部を見に行くのだと思います。
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こちらは1日目の連絡道路で撮ったワンちゃんです。
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今回は1枚もモンサンミッシェルの全景の写真を掲載していなかったので、最後に掲載いたします。Echaugette門から修道院入口まで歩いたルートを空色のラインで示しています。高いところで水平に近いところが、上で石の細い道と紹介したところです。クリックするとよくわかると思います。
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モンサンミッシェルの朝食 [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モンサンミッシェル・ツアーでのホテルのレストランでの夕食を紹介したので、朝食も紹介いたします。朝食は夕食と同じレストランなので、窓の外にはモンサンミッシェルを見ることが出来ました。夕食は自分たちの選択で決めますが、朝食はツアーの中のホテル代に含まれています。ツアーと言っても我々2名だけの宿泊なので、個人での宿泊と同じなのです。チェックインもチェックアウトも自分たちで行います。朝食は、これらのテーブルから料理を自由に選べるバイキング形式でした。

こちらのテーブルにはパンや暖かい料理や飲み物が並べられていました。モンサンミッシェルがよく見えました。朝食は7時からなので7時に行きました。
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レストランの西側エリアはツアーなどの大人数に対応してテーブルが並べられていました。
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東側は基本的に2名のエリアになっていました。我々は窓側の一番左の席に座りました。朝食で記念写真を撮ってもらうのは恥ずかしいので省略いたしました。
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その席から食事を始めたころに見えたモンサンミッシェルです。7時15分ですが、まだ暗かったです。
モンサンミッシェルのWikipediaの説明→翻訳 原文 省略版(日本語)クリックすると拡大

これ以外にチーズもいただきました。ヨーロッパはハムやチーズが美味しいので、暖かい料理よりも、ついついソーセージやハムやチーズが中心になってしまいます。
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コーヒーやホットミルクや紅茶用のお湯が入れられたポットが並べられていました。
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我々は紅茶にいたしました。7種類の紅茶が用意されていました。2種類の紅茶を飲ませていただきました。
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食事が終わるころの7時53分のモンサンミッシェルです。周囲が明るくなってきました。朝食で50分も楽しんだのは久しぶりでした。この日は車の待合わせ時間の16時20分までは自由なため、たっぷりと時間があり、気持ち的にもゆっく出来たのだと思います。それでもホテルを8時半に出発しました。
実は今回のフランス旅行でホテルのレストランで朝食を食べたのは、この時の1回だけだったのです。パリでは朝食付きにすると1人あたり2000円もアップするので、朝食に関して外のお店で調達してくる方法をとったからです。そんな意味でも朝食を楽しめた訳です。
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モンサンミッシェルから見たホテルの写真です。朝食を食べたのが空色の〇印の位置です。ちなみに橙色の〇印が夕食を食べたテーブルの位置で、黄色の〇印が我々が泊まった部屋(Room No.006)です。
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ホテルの入口に国旗が飾られていました。日本とフランスの国旗だけが特別な位置に飾られていることからも日本人が歓迎されているように感じました。右側の5本はドイツ、カナダ、フランス、アメリカ、イギリスのようです。
 名前 Le Relais Saint Michel
 住所 Lieu-dit La Caserne, 50170 Le Mont-Saint-Michel
 電話 02-3389-3200
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住所の中のLa Caserne(ラ・カゼルヌ)がモンサンミッシェルの対岸のホテル地区の地名のようです。Google地図で確認できただけで、8つのホテルが見つかりました。着色した名前をクリックするとホームページ等を表示します。
 La Caserne地区のホテル
   Le Relais Saint-Michel
   Hôtel de La Digue
   Hôtel Le Relais du Roy
   Chambres d'hôtes / B&B La Jacotière
   Hôtel Gabriel
   Hôtel Vert - Le Mont Saint Michel
   Hotel Mercure Mont Saint Michel
   Hôtel Saint-Aubert
 La Caserne地区のレストラン
   Restaurant Le Pré Salé
   Restaurant La Rôtisserie
   Le Jardin d'Anouck
   Restaurant La Ferme Saint Michel
 周辺のホテル
   Chambres d'hôtes / B&B La Jacotière
   gite Ferme Saint Joseph mont saint miche
   Gites Bellevue Mont Saint Michel
   Les Vieilles Digues

モンサンミッシェルを見ながらの夕食 [Mont Saint-Michel]

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モンサンミッシェルでの2016年5月9日のディナー(夕食)は、泊まったホテルであるル・ルレ・サンミッシェル(Le Relais Saint-Michel)のレストランでいただきました。料理の評判や、景色が良いことを聞いていたので、ホテルに13時30分にチェクインした時に迷わずレストランを予約いたしました。食事の開始時間は20時にしてもらいました。本記事では、そのディナーを紹介するとともの時間と共に窓から見えるモンサンミッシェルの変わっていく姿を紹介したいと思います。上の写真はコース料理の中のモンサンミッシェルの地元産の仔羊を使ったメイン料理です。

そしてこちらがレストランの席について最初に撮った20時05分のモンサンミッシェルです。実はこの時期の日没時刻は21時20分ごろだったので20時でも昼のように明るかったのです。ホテルから見てモンサンミッシェルは北にあるので日が沈む西は左方向になります。左から太陽の日がさしていることが判ってもらえると思います。レストランからモンサンミッシェルの塔までの距離は2kmです。Google地図で計測するとテーブル位置から塔中心まで2.01kmでした。
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21時ごろには、ほぼ満席になりましたが、昼のように明るい20時の時間帯では、まだ客はまばらでした。そのおかげで窓際の席の中でも一番いい場所のテーブルにしてもらえました。この晩は10名を超えるツアーの3組が食事をされていました。その3組は日本と中国と欧米の方で、団体で食事をされていたので、食事付のツアーのようでした。それ以外は個人で食事をされている方のようでした。パリのレストランに比べるとテーブルがゆったりと配置されていました。
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一番いい席であるということは、こちらの2枚の写真を見ていただければわかると思います。いくつかのテーブルのところに行ってモンサンミッシェルが一番よく見える席にしていただいたのです。料理はメニューを見ながらじっくりと決めたかったので、先ずは飲み物を頼みました。娘がシールド(リンゴ酒)を頼み、私がビールを頼みました。料理は娘の前にあるカメラと同じG7Xで撮り、景色の方は100~400mmのズームレンズを取り付けたEOS 5Dで景色を撮りました。24~105mmのレンズは部屋に置いてきました。この2枚の写真は私のG7Xでレストランの方に撮ってもらったものです。
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モンサンミッシェルから見たホテルの写真です。橙色印がレストランの中の夕食を食べたテーブルの位置です。モンサンミッシェルからホテルのレストランのテーブルが見えからこそ、レストランのテーブルからモンサンミッシェルが見えるというなのです。
ちなみに黄色の〇印が我々が泊まった部屋(Room No.006)で、空色の〇印が朝食を食べたテーブルの位置です。
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ビールとシールドの写真です。
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20時21分のモンサンミッシェルの写真です。すこし暗くなってきた感じでしたがまだまだ明るいです。連絡道路を無料連絡バスが走っています。
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ディナーとして用意されているコースは下記の通りです。メニューをクリックすると内容が判る大きさに拡大いたします。フランス語と英語と日本語が並記されていました。
クリックすると拡大前菜は5種類の中から選び、メインは4種類から選び、デザートも4種類から選べるようになっています。価格は60ユーロでが、私が今回選んだものを単体で注文すると78€(=24€+38€+16€)になるのでかなりお得に設定されています。緑色に着色された料理とデザートが2人が選択して写真を紹介するものです。
Menu Tradition 伝統料理のコース 60€
前菜
 モンサンミッシェル伝統のオムレツ
 ノルマンディー牡蠣6個
 魚のスープ、ルイルとクルトン添え
 自家製フォアグラのグルメプレート
 自家製サーモンマリネのオーシャンサラダ
メイン
 モンサンミッシェル伝統のスモークサーモン入りオムレツ、ポテトのポワレ
 地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン
 帆立貝のポワレ ブールブランソース、バスマティライス添え
 ビーフステーキ ポモーソース、昔風ポム・フリット添え
デザート
 とろけるモワルーショコラ
 キャラメルリンゴのタルト・タタン
 バニラ風味のクレープ・ブリュレ
 カフェ・グラマン
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先ずはパンが出されました。
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パンが出された20時25分のモンサンミッシェルの景観です。まだまだ明るいです。100~400mmのズームレンズで焦点距離190mmで撮った写真です。
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こちらがすでに紹介した20時32分の写真です。
前菜が出てくる3分前に撮りました。
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私が頼んだコースの前菜(上段)、メイン(中段)、デザート(下段)は次のリストです。前菜はフランス来る前から食べたかったノルマンディー牡蠣です。牡蠣の季節が過ぎていたので食べれるとは思っていませんでしたが、メニューを見て迷わずに頼みました。
・ノルマンディー牡蠣6個
・地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン
・キャラメルリンゴのタルト・タタン
これがノマンディーの牡蠣です。この前菜が出されたのが20時35分でした。
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これが拡大したノルマンディーの牡蠣です。
本来は牡蠣の季節は冬ですが、是非ともフランスで牡蠣を食べたかったので牡蠣を選びました。季節ではないけれども、しっかりとした高級店であれ場ば大丈夫だとパリに住んでいる方から聞きました。
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やっぱりワインが飲みたくなります。牡蠣なので白ワインにしたいところですが、沢山飲むつもりはなかったので次に出てくる肉料理に合わせて赤ワインのグラスにいたしました。20時46分でした。
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こちらはワインリストです。フランスではグラスで頼んで沢山飲んでもボトルと変わらないのです。ただしグラスワインは白ワイン、ロゼワイン、赤ワインでそれぞれ1種類だけでした。沢山のグラスワインがあっても、どれを選んだらいいのかわからないのでお薦めの1種類になっているのは我々にとっては嬉しいことでいた。一番下のBordeaux AOP Mouton Cadet Baron Philippe de Rothschildを選びました。ボトルが59€、グラスが9€のワインです。
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娘が選んだ前菜が出てきました。娘が頼んだのコースの前菜(上段)、メイン(中段)、デザート(下段)は次の通りです。やはり有名な地元産の仔羊の料理は外せないです。
・魚のスープ、ルイルとクルトン添え
・地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン
・とろけるモワルーショコラ
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牡蠣がもっと食べたくて、追加で牡蠣を頼みました。価格は24€でした。時間は20時53分でした。こちらの牡蠣は二人で食べました。
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メインの「地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン」が出されたのが21時18分でした。娘も同じ メインを頼みました。コースではなく単品で、この料理を頼んだ場合は38€の価格になります。
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追加で赤ワインを頼みました。この時21時22分でした。
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メインを食べ始めたころにやっと日が落ち始めました。この時21時34分でした。
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骨付きの肉はやはり美味しいです。ボリュームもありました。
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こちらの写真は翌日の朝に連絡道路をモンサンミッシェルに向かっている時に撮ったもので、モンサンミッシェルを背景にヒツジたちが牧草を食べている記念の写真です。モンサンミッシェルの仔羊の肉はMouton de pré saléあるいはAgneau de pré-salé(塩沼の仔羊肉)と呼ばれ美味しいことで有名なのです。潮の満ち引きで海水の成分がついた牧場の草を食べてヒツジたちが育っていることに、肉の美味しさの秘密があるそうです。つまり塩分のある草を食べて一味違う肉になるとのことだそうです。その仔羊の肉をいただいたわけです。
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肉の焼き具合もすばらしかったです。これも美味しさの一つだと思います。焼き具合を見せているところのシェフの自信が現れているのだと思います。香味野菜としてネギに似た野菜が使われていました。ここがヨーロッパなのでチャイブではないかと思います。日本ではアサツキが近いようです。
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日が沈んだばかりのモンサンミッシェルの姿を見ることが出来ました。少しライトが見えます。この時21時47分でした。
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ついにロゼワインも頼でしまいました。この時21時51分でした。こちらのワインの銘柄は赤ワインと同じBordeaux AOP Mouton Cadet Baron Philippe de Rothschildでした。ボトル価格は45€でグラスは8€でした。赤ワインと合わせると結局はボトル1本以上飲んだことになります。
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こちらがポテトとニンジンのノルマンディー風グラタンです。メインだけで1時間40分も楽しんだことになります。量もありメインが二つもある気分にしてもらえました。さすがメニューの単品料理の中でも、一番高い料理でした。
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こちらは22時02分のモンサンミッシェルです。ライトアップが見えてきました。
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仔羊の肉はモンサンミッシェルで有名な塩でもいただきましたが、これは格別に美味しく感じました。
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22時05分の景色です。西方向は夕焼け色がまだ残っていました。そろそろメインも終わりに近づきました。
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デザートが出されました。思っていた以上に見事なスイーツでした。この時22時11分でした。単品でデザートを頼んだ場合は価格は全て16€です。
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デザートを食べ始めた時間のモンサンミッシェルです。100mm~400mmのレンズで最も広範囲がとれる焦点距離は100mmで撮った写真なので周辺も入っています。大潮(2016年5月8日)の翌日5月9日の満潮(20時30分)に近い時間帯のライトアップされたモンサンミッシェルの風景に出会えたのは幸運だったと、旅行関係者から何度も言われました。
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飾り付けが見事なのでアップいたしました。
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別の角度から撮りました。一番手前がの果物がホオズキ であることに気が付きました。フルーツ・ホオズキと読んだらいいのかもしれません。確かに蓼科に住んでする友人夫妻が食用ホオズキを育てていてジャムを食べさせてもらったことがあります。
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同じ時間のモンサンミッシェルを210mmで撮った写真も紹介します。
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こちらが娘が選んだデザートです。こちらも美味しそうでした。
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拡大いたしました。バニラアイスが乗っていました。
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やっと22時21分に夕食が終了しました。その瞬間のモンサンミッシェルをテーブルから撮りました。我々が最後のお客で、我々が出る時はお客はだれもいませんでした。20時から食事をしたので結果的に2時間21分ほどディナーを楽しみました。この後、ライトアップされたモンサンミッシェルの写真を撮るために連絡道路に出ました。


本当に我々がレストランを最後に出たことを判っていただくために2枚の写真を紹介します。食事が終わってレストランを出る時に撮った写真です。
レストランの雰囲気も分かってもらえると思います。レストランの部屋の東側の写真です。
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こちらは西側を撮った写真です。窓側の一番右側の席で食事をいたしました。レストラン全体で言えば中央当たりの席です。一人立っておられるのはレストランの方です。
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食事が終わった後に連絡道路に出て撮ったモンサンミッシェルです。
塔の先端の部分まで水面に写り込んでいる景色が撮れたところで引き返すことにいたしました。大潮の翌日で満潮に近い時間帯のおかげで、見事な写真を撮ることが出来ました。
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今回のレストラン( )を紹介します。
 名前 Hôtel & restaurant Le Relais Saint Michel
 住所 Lieu-dit La Caserne, 50170 Le Mont-Saint-Michel
 電話 02-3389-3200
モンサンミッシェルとレストランの間の雰囲気を伝えたくてGoogle航空写真を掲載いたしました。
連絡道路以外の建造物は一切存在しない世界でした。
  モンサンミッシェル
  レストラン & ホテル
 ━━ 連絡道路
 ━━ 直線距離 2.01km

人工物のために、水の流れが停滞したことによる海の陸地化が進んだことから、航空写真に写っている連絡道路や駐車場は国家事業により撤去されて、今はありません。現在は760mが橋化された連絡道路があるだけです。
雨が多く続いた天気の中で夕食とその前後には晴れ間が出るほどの天気となる幸運に恵まれました。おかげで今回の景色のを紹介と、すばらしい雰囲気を紹介することが出来ました。

参考にランチコースを紹介します。
前菜は4種類の中から選び、メインも4種類から選び、デザートも4種類から選べるようになっています。価格は39ユーロです。デザート抜きは29ユーロです。ランチの時間帯はこちらのレストランにいなかったので昼間に連絡道路から撮ったモンサンミッシェルの写真を掲載いたします。このようなモンサンミッシェルを見ながら食事をすることを想像してみてください。
Menu Déjeuner ランチのコース 39€
前菜
 魚のスープ、ルイルとクルトン添え
 自家製フォアグラとトースト
 自家製田舎風テリーヌ、小玉ねぎと小きゅうりのピクルス添え
 自家製サーモンマリネのオーシャンサラダ
メイン
 モンサンミッシェル伝統のオムレツ、昔風ポム・フリット添え
 サーモンのポワレ ブールブランソース、バスマティライス添え
 ノルマンディー風ヴォライユのマルミット、季節のミニ野菜添え
 地元産仔羊のモモ肉のロースト、サヤインゲンとポテトのソテー
デザート
 伝統のノルマンディー風タルト、クレープ・アングレーズ添え
 ふわふわチョコレートムース
 リンゴとカルヴァドスのノルマンディー風シャーベット
 バニラ風味のクレープ・ブリュレ
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モンサンミッシェル島内で一番細い路地 [Mont Saint-Michel]

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モンサンミッシェルの島内を2日間ほど歩き回って沢山の路地を歩きました。その中で一番狭い路地(一番細い路地)を紹介いたします。実はこの路地の前で偶然にも、同じツアーで車が一緒で、対岸のレストランでふわふわオムレツを一緒に食べた方に出会ったのです。その方が、ガイドさんの教えてもらった路地だと言われていたのです。その後に島内の路地を歩きましたが、確かに一番狭い路地なので間違いないと思います。

その細い路地の入口は大通り(グランド・リュー / Grande Rue 路地)にありました。細い路地を探す目印なのが、お店の左側の柱の壁飾りの白い像です。この柱の左側に細い路地があります。修道院から連絡道路の方向に下りてくる方向を撮った写真です。修道院から降りてくるときは右側にあります。
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連絡道路からグランド・リュー通りを登って行く方向の写真も紹介しておきます。当然ですが左側に細い路地の入口があります。Googleのストリートビューでも発見できました。→ポチッ
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壁飾りを売っていたお店は、写真の看板( à la Croix Blanche )のホテル兼レストランの向かいにありました。上の写真にもこちらの看板が写っています。ホテル兼レストランの名前はÀ la Croix Blancheです。
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もう一度正面から見ていただきます。
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最初に階段がありました。
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階段をを登った奥はさらに狭くなります。女性の方でも肩の部分は当たるので上体は斜めにして進みます。
私の場合だと、少し横歩きに近かったと思います。
成田空港を2016年5月8日11時40分に出発し、翌日の5月9日15時32分にモンサンミッシェルの細い路地に来ていたのでした。7時間の時差があるとは言え、驚異的なことのように感じました。ここで偶然に会った女性の方とは別れましたが、13分後には自分達でも歩いてみました。2日目も含めると、この道は5回以上通りました。それほど便利な道でもあるのです。
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路地を進んで撮った写真です。狭さが実感してもらえるのではないかと思います。
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さらに進みました。石畳の道には排水のための丸く凹んだ溝が道の中央につけられていますが、こちらの細い路地にも排水溝が中央に作られていました。まさに排水溝の幅の路地だったのです。排水溝がちゃんと中央に作られていることからも、認知された道であると感じました。
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細い路地を抜けた景観です。
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振り返って路地の方向を見て、その細さを実感いたしました。まさに排水溝の幅でした。
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こちらの道に出ることが出来た訳です。
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その道からの景色も紹介いたします。見えている連絡道路には連絡バスの姿もありました。
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この地図の紫色ライン(━━)が今回紹介のモンサンミッシェルで最も細い路地です。①②③がモンサンミッシェル島入口から修道院入口までの道です。
 ━━ モンサンミッシェル島内で最も細い路地
 ━━ モンサンミッシェル島内散策路
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 一番沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道 
 ━━ ③ファニルス城壁門からのルート


海沿いの外周城壁の道 モンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]

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今まではモンサンミッシェルを遠くから見た景色を紹介させていただいていましたが、いよいよ島内の記事を掲載させていただきます。今回は対岸のホテルに泊まったことからモンサンミッシャル島内には2度入りました。そして有料区域である修道院内にも2度入りました。
滞在時刻 滞在時間
島内 修道院内 島内合計 修道院内 修道院外
1日目 13:50~16:20 14:12~15:25 2時間30分 1時間13分 1時間17分
2日目 09:04~16:20 09:21~10:22 7時間16分 1時間01分 6時間15分
合計 9時間46分 2時間14分 7時間32分

モンサンミッシェル島内に合計で9時間46分滞在して、5種類の着色された道を全て歩いてみた結果として、連絡道路エリアから修道院に行くためのルートは次の①②③の3種類があることが分かりました。2日目の2016年5月10日には修道院外に6時間15分も滞在したことから全ての道を歩くことを目的に黄色の道に関しては同じところを2、3度以上歩きました。1日目は②のルートで修道院の入口まで行き、2日目は③のルートで修道院の入口まで行きました。
本記事では②の海沿いの外周城壁の上の道を入口から歩いた順に修道院入口までを紹介したいと思います。
 ━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
 ━━ ②海沿いの外周城壁の上の道  1日目のルート 
 ━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
クリックすると拡大 ━━ 島内散策路
 ━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
  修道院(有料エリア)入口
  修道院(有料エリア)出口
  ラヴァンセ門(前哨門)
  ファニルス城壁の門
 経路 塔-1塔-2塔-3塔-4塔-5ブークル塔北塔


クリックすると拡大入口の門から入って階段を登って、フランス国旗の立てられた左の円筒形の大きな塔の部分にから左方向(東方向)に城壁の上を歩きました。赤・白・青のフランス国旗が見つけられない場合は写真をクリックしてみてください。きっと判ると思います。
塔の部分は日本の城で言えば石垣の上の櫓に相当するもので戦闘時に兵士が中から外に向かって攻撃する場所です。フランス国旗が建てられた塔を上の航空写真では「塔-1」と記載しています。本写真はクリックするとオリジナル写真の50%の大きさで表示するように設定いたしましたので、是非とも見ていただいて、歩いた道の風景を確認していただきたいと思っております。
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こちらが観光客のほとんどの人が入る最初の門となるラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。②のルートで修道院の入口まで歩いた1日目は雨だったので、首にかけた一眼レフの方のカメラはレジ袋にで包んで屋外では傘をさしながらG7Xで撮りました。


上の門をくぐると中にも門がありました。名前は大通り門です。
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大通り門をくぐるとさらに跳ね橋のある門がありました。名前は王の門(ロア門)で、警備を強化するため、15世紀に造られたそうです。 手前には堀があり、跳ね橋と落とし格子が取り付けられています。ただし、現在の跳ね橋は1992年に復元されたものだそうです。
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王の門(ロア門)をくぐるった景観です。右の階段を登ると先ほど紹介したフランス国旗が立てられていた城壁の「塔-1」に出ます。左側には郵便局があります。つまり郵便局の前の階段が目標となります。オレンジ色のホークリフトのような車は狭い参道で荷物を運ぶために使われていました。ただし狭いのでUターン出来ないので前進とバックだけで運んでいました。
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別の時間帯に、反対方向から王の門の方向を撮りました。左の階段が城壁に登る同じ階段です。同じ階段とは思えないほど沢山の人が行列していました。高校生か中学生が団体で来ていてガイドさんが城壁の道を案内したためにこれほど混んだようです。ほとんどの時間帯で城壁の道は空いていました。
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城壁の塔の上に出ました。こちらが塔-1です。
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塔の上からは我々が連絡バスで渡ってきた連絡道路が見えました。
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塔からは岩山の方に上がっていく細い道も延びていました。上の航空写真で黄色ラインで示しています。こちらの奥は後日紹介したいと思います。
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城壁の進行方向に屋根付きの塔がありました。きっと名前があるとは思いますが、こちらは塔-1の次にあったので塔-2と呼ばせていただきます。まさに日本の城の櫓に相当します。
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その塔-2の内部です。驚いたことに日本の城の櫓と同じように屋根は木で出来ていました。この櫓のことをフランス語では Hourd と呼び、英語では Hoarding(ホーディング、ホールディング)と呼びます。
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塔-2からまっすぐに城壁の上に道が延びていました。
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左に目を向けると修道院を見ることが出来ました。つまり道を歩きながら修道院の塔が見えるルートでもありました。
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少し進んで撮った写真です。
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左の下を見ると眼下にメイン道路がありました。こちらが一番沢山の人が通る道です。通りの左側の建物から城壁に建物がつながっていました。これらは木造で出来ていました。
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修道院を背景に、いろんな景観を楽しむことが出来ました。
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驚いたことに建物の屋根の瓦に相当する部分が木で作られていました。
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拡大いたしました。ヨーロッパの建物の屋根は天然石のスレートだと思っていましたが木が使われているのに驚かされました。
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メイン通りであるグランド・リュー通りが直線で見える場所がありました。細い道ですが「大通り」と言う意味のグランド・リュー( Grande Rue )と言う名前がつけられていました。このメイン道路からは高い建物に挟まれているために修道院を見ることが出来ません。この写真からも石造りと木組み造り建物が混在していることが分かってもらえると思います。
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これらの建物の屋根の景観をを見れるだけでも城壁の上の道を選択した値打ちがありました。
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また違った景観の建物の上にも修道院が見えました。
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城壁の上の道を進むと上の航空写真で塔-3と記載していた巨大な櫓がありました。分厚い石の壁が半円状になっており沢山の狭間窓(銃眼 / 銃口)がありました。
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塔-3の櫓の内部の下を覗き込んでみました。分厚い石垣でできていることが分かりました。
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その塔-3から修道院の方向に目をやると木組みの家であることが分かりました。
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さらに進むと道が細くなってきました。左側にはレストランや土産物屋などが並んでいました。
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一番、水平で長い道が続きました。
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所々にスペースがありレストランの屋外空間ととして使われていました。そこからも建物の合間に修道院が見えました。ここは塔-4の正面の場所です。
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同じ場所から進行方向を撮った写真です。海側に丸く突き出している部分が塔-5です。つまり最初の塔(櫓)から5番目の塔です。
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その5番目の塔-5から振り返った景色です。塔-4が見えます。塔-4は城壁より少し低いのが特徴です。
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塔-5から進行方向を見ると四角い建物が建てられた6番目の塔(櫓)が見えました。こちらの塔は有名で名前がつけられています。
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その名前はブークル塔(Tour Boucle / ブクル塔)です。そのブークル塔の少し手前にカモメがとまっていました。
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気分転換にカモメをアップしました。
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ブークル塔のところまで来ると急な登りが見えてきました。
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その急な階段をアップします。この後、ブークル塔の櫓の海側を廻って、この会談を登りますが、その前にブークル塔をもう少し紹介します。
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ブークル塔のコーナー部分です。城壁通路には見張り役がいて狭間窓(銃眼 / 銃口)から敵を撃退したそうです。
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これが狭間窓(銃眼 / 銃口)です。
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かがむと入れる大きさでした。娘にモデル役を頼みました。
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ブークル塔の海側の通路から進行方向を見た景色です。円筒形の塔が北塔です。
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クリックすると拡大階段の正面に出ました。右にちらりと見えるのは北塔です。ネットで検索した結果、塔の名前が全て判りました。
塔-1    Tour du Roi
塔-2    Tour du l'Arcade
塔-3    Tour du la Liberté
塔-4    Tour Bassei
塔-5    Tour Cholet
ブークル塔 Tour Boucle
北塔    Tour du Nord
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階段の上から、登ってきた方向を撮りました。
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丸い部分が北塔です。細い道が続きます。小さな島が見えます。島の名前はトンブレーヌ(Tombelaine)です。北塔からトンブレーヌまでの直線距離は2.7kmです。遠浅のために大型の軍艦は近づけないことが分かります。昔の大砲だと砲弾もとどかなかったと思います。トンブレーヌのネットでの説明を枠内に転記いたしました。
この地は、巨人にさらわれたホエル王の娘エレーヌにまつわるケルト伝説に由来します。小さない岩島に閉じ込められ、後にこの地に埋葬され、「トンブレーヌ(墓を意味するトンブとエレーヌを合わせたもの)」と呼ばれるようになりました。
干潮時には徒歩で行ける花崗岩のこの小島は、中世では、隠修士の休息地となりました。百年戦争の間には、小島に駐在していたイングランド王国軍の駐屯部隊により、モン・サン=ミッシェルのフランス王国軍騎士団から保護するために城壁が築かれています。現在では、多種の海鳥やゼニガタアザラシの生息する地となっています。
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登った来た方向の景色です。ブークル塔(櫓)の形がよくわかります。ここの浅瀬は水が引いた時には歩いてくることが出来ますが、満ち始めると激流になることから沢山の巡礼の人が亡くなったほど危険な場所でした。それだけな難攻不落な砦として使われたのだと思います。
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目標とした修道院へ続いていると実感できる階段までたどり着けることが出来ました。左の階段を登って行きます。この景色を見ても攻めるのが難しいと判ってもらえると思います。
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修道院にかなり近づいてきました。右側の高い方の道を進みました。
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もうすぐ修道院の入口です。
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階段を登り切りました。この先で右の広い階段の道と合流いたしました。
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ここが修道院の入口です。階段を登って右に曲がります。
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入口の上は見事な2つの塔が建っていました。
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塔の中の階段を登ると小さな入口がありました。この奥がチケット売り場です。1日目はマイバスの人に渡されたチケットで入りました。2日目は自分たちでチケットを買って入りました。つまり有料の修道院に2回ほど入りました。
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モンサンミッシェルの空からの動画をネットから転用させていただきました。連絡道路は古い形のままなので、確認すると4年前の2012年1月16日にアップロードされたものでした。
島内の地図はPlan Mont Saint-Michelで検索すると沢山出てきます。

素敵な一枚 [Mont Saint-Michel]


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泊まったホテル Relais Saint-Michel (ルレ・サンミッシェル)の夕食時のレストランの窓からのお気に入りの一枚です。若いカップルが夜のモンサンミッシェルをバックに自撮り棒で記念写真を撮っている風景です。自撮り棒を使っているので、きっと中国の方だと思います。もしかしたら新婚旅行なのかもしれません。この時の時刻は2016年5月9日20時32分なのでほぼ満潮時刻でした。それも大潮(5月8日)の翌日です。ホテルのレストランで素敵なディナーを食べながら焦点距離400mmで撮りました。この写真を辛抱強く、じーっと見ていると気がつかれることがあると思います。おわかりでしょうか。この写真は是非ともクリックしてもらいたい一枚です。
右の写真は、上の写真から45分後にあたる21時17分に撮っていただきました。

レストランから、同じ時間帯(20時25分)のモンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)を撮った写真です。このモンサンミッシェルを背景にした記念写真です。きっと、いい思い出の「素敵な一枚」の写真になったと思います。
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この写真の中に写っているカメラで撮りました。クリックするとカメラの部分を拡大いたします。
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連絡道路からのモンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]

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今回は対岸とモンサンミッシェルを結ぶ連絡道路からのモンサンミッシェルの景色を紹介したいと思います。モンサンミッシェルの対岸に到着したのは2016年5月9日の12時15分で、到着した場所の近くのレストランで、ふわふわオムレツが前菜のコースランチを食べた後にホテルにチェックインしてすぐにモンサンミッシェルに向かいました。翌日の5月10日の待合わせ時間である16時15分までに連絡道路から次の6回ほど写真を撮る機会がありました。それぞれの写真を紹介したいと思います。
 ① 5月09日 13時40分~ 小雨 バス 行き
 ② 5月09日 16時28分~ 曇り バス 帰り 
 ③ 5月09日 19時48分~ 晴れ 徒歩 散策 晴の景観
 ④ 5月09日 22時34分~ 曇り 徒歩 散策 夜景
 ⑤ 5月10日 08時34分~ 曇り 徒歩 行き
 ⑥ 5月10日 14時08分~ 曇り 徒歩 帰り

Googleの航空写真に昔と今の連絡道路を追記しました。今の連絡道路が航空写真に写っている道より大きく離れているのは2014年7月22日に一部橋化するなどの改良が行われたのですが、航空写真はそれ以前の写真ためです。以前の連絡道路(1849年築造)では潮の流れが変わり、泥が島の周囲に堆積してしまって、海に浮かぶモンサンミッシェルの姿が失われたそうです。潮の流れを変えてしまったもう一つの原因の駐車場も元の自然の状態に戻されていました。工事は国家事業として2億3000万ユーロをかけて行われたそうです。
  モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
  宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel 橙色の線(━━)で囲った部分
 ━━ 今の連絡道路
 ━━ 橋化された部分
 ━━ 昔の連絡道路


上のGoogle地図への追記は、この写真をもとに行いました。真上からの写真ではないので正確でない可能性がありますが、Google地図の航空写真が最新のものに更新された時に調整したいと思います。黄色のライン(━━)の部分が橋化されたところです。橋の長さは約760mになります。
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こちらの、連絡道路が橋化される前の昔の写真と、上の今回の橋化された写真を比べてもらうと、より、昔の姿が判ってもらえると思います。さらに昔の連絡道路は今のように大きく曲がっておらず直線的であったことも分かってもらえると思います。
こちらの写真はWikipediaから転用させていただきました。
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この写真は連絡道路が改善される以前の航空写真です。
今の橋化された連絡道路に改造されるまでは道路の脇に長い駐車場までありました。この航空写真をを見ると、盛土タイプの連絡道路と駐車場によって川の水が東側に流れるのが遮断されて海の水の流れが弱まり東側(右側)に泥が堆積するのは当然と言えば当然のことのように感じられました。
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古い連絡道路と新しい連絡道路の両方が写った写真がネットにありましたので転用させていただきました。
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水が押し寄せる時間帯を示した案内板が立てられていました。
案内板には La Maree Arrivera Dans Cette Zone A: と書かれていました。Dimancheは日曜日で、Maiは5月を表しています。実はモンサンミッシェルを訪れた日(5月9日)は大潮の翌日でした。クリックすると拡大右の2枚の写真はネットから転用させていただいた2015年3月21日の18年ぶりの大潮時の写真です。この時の水位は+14mだったそうです。通常の大潮は+9~12mのようです。
今回はこれほどではありませんでしたが下の案内板から水が押し寄せることを実感いたしました。
クリックすると拡大2016年前半にモンサンミッシェルが大潮で満潮時に島になる日は次の通りでした。偶然ですが特別な日に訪問出来たようです。
 2016年2月10日、11日
 2016年3月10日、11日
 2016年4月08日、09日
 2016年5月05日~10日(案内板)
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① 5月09日 13時40分~ 小雨 バス 行き
ホテルを13時40分に出ると、ちようど無料の連絡バスがホテル前に停車したので、走って飛び乗りました。したがって連絡道路からのモンサンミッシェルの最初の写真がこちらです。バスの降車場からのモンサンミッシェルです。
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反対の対岸方向を撮りました。遠くに連絡バスが停まっている場所が帰りのバスの乗場です。降車場よりかなり遠くに作られていました。かなりの行列が出来ることを想定していることが後で判りました。長いベンチも設置されていました。
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ワンちゃんも来ていました。右の前足と右の後ろ足が浮いています。ちょっと珍しい歩き方かも。
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モンサンミッシェルに近づいてきました。
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連絡道路の西側です。14時のこの時刻は最も水位が下がる時期です。大潮だからなおさらです。
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こちらは東側です。水が遠くまで引いていました。
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モンサンミッシェル前の広場です。
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上の方をアップいたしました。
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こちらが入口です。皆が入っていく場所なのに意外と小さいのに驚きました。


上の門をくぐると中にも門がありました。これをくぐるとさらに跳ね橋のある門がありました。修道院とは言われていますがモンサンミッシェルのもう一つの顔である要塞としてのモンサンミッシェルの姿が現れてきました。この奥に関しては後日報告させていただきます。
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② 5月09日 16時28分~ 曇り バス 帰り 
この日は長く雨が降り続いていましたが帰るころには雨が降りやみました。連絡道路を歩いて写真を撮ることも考えましたが、翌日はたっぷりと時間があるので連絡バスで帰ることにいたしました。
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連絡道路は無料の連絡バス以外に馬車や許可された車が走ることが出来ます。普通の乗用車は走ることが出来ませんが、こちらの乗用車は許可された車なのだと思います。
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馬車が横を通ったので写真を撮りました。これはもちろん有料です。
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こちらが連絡バスの車内です。
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連絡バス内から撮ったモンサンミッシェルです。このままお土産を買いにスーパーの近くまで行ったので連絡道路からの写真はこれが最後です。
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③ 5月09日 19時48分~20時00分 晴れ 徒歩 散策 晴の景観
ホテルのレストランは20時に予約していましたが、急に晴れてきたので10分間だけですが連絡道路まで行き写真を撮りました。この日初めて晴れました。
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広い板張り歩道が車道の横にありました。
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晴れた下でのモンサンミッシェルです。翌日の予報も小雨時々雷雨だったので貴重な写真となりました。
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レストランの予約は20時で10分しか時間がなかったので走って、出来る限り近づいて撮った写真が、冒頭にも掲載したこちらの写真です。持ってきたレンズは100~400mmなので焦点距離180mmで撮った写真です。
レンズ名はEF100-400mm F4.5-5.6L IS USMです。
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せっかく100~400mmのレンズなので400mmで撮った写真も紹介します。こちらは海面近くの右側です。
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こちらは海面近くの左側です。
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こちらも400mmで撮った写真です。10分しか時間がなかったので近づけなかったので400mmを持ってきた甲斐がありました。初めて役に立ったと実感いたしました。
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建物の上の方を撮った写真です。
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塔の先端部分も入った写真です。修道院の教会の尖塔の高さは、海面から約150mだそうです。
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クリックすると拡大上の写真から先端部分を切り取りました。クリックするとオリジナルのサイズの写真を表示いたしますので是非ともクリックしてみてください。
本来は先端には右の写真の黄金のミカエル像が乗っているはずなのですが、ありませんでした。マイバスのガイドの方が工事中なので黄金のミカエル像を見ることが出来ないと説明されていたのは覚えていたのですが、それが取り外されていいる意味であることを Poohさんのコメントで理解できました。その大天使ミカエル像をネットから転用させていただき追記させていただきました。
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ヘリコプター で吊り上げられている大天使ミカエル像の写真もネットから転用させていただきました。クリックするとネットに掲載されている写真群を表示します。
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④ 5月09日 22時34分~23時15分 曇り 徒歩 散策 夜景
ホテルのレストランでの夕食(ディナー)は20時から初めて22時21分に終わり部屋に戻ってすぐにライトアップされたモンサンミッシェルの写真を撮るために連絡道路に出かけました。
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2km先から撮ったモンサンミッシェルです。連絡道路の歩道と車道の境にLEDが埋め込まれているのが判ってもらえると思います。
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近づくほど水面が大きく見えてくるので前に進ました。
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天気が変わりやすくて心配していましたが、幸いにも月が見えるほどの天気になってくれました。


水面にライトアップされたモンサンミッシェルが写っている場所まで来ました。
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塔の先端の部分まで水面に写り込んでいる景色が撮れたところで引き返すことにいたしました。大潮の翌日で満潮に近い時間帯のおかげで、見事な写真を撮ることが出来ました。
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⑤ 5月10日 08時34分~09時10分 曇り 徒歩 行き
翌日はホテルをチェックアウトして荷物をホテルに預けてモンサンミッシェルに出かけました。
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途中で記念写真を撮りながらモンサンミッシェルまで行きました。この日は十分に時間があるために連絡バスには乗らないで歩いていくことにいたしました。この時はまだ雨は降っていませんでしたが、この日の天気予報も小雨時々雷雨だったので、身軽で行くために100~400mmのレンズはホテルに預けた煮物の中に入れて、モンサンミッシェルには持っていきませんでした。
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天気も良くなくて解像度の高い写真は撮れませんでしたが、朝の写真の目玉はこちらの写真です。モンサンミッシェルをバックに有名なヒツジの写真です。塩分を含んだ草を食べることで、こちらのヒツジは格別に美味しいことで有名になったのです。写真は105mmで撮りました。
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貴重な写真なので拡大いたしました。
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少し前に進んで35mmで撮ると、こんな感じになります。ひつじたちはモンサンミッシェルの左側にいます。
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同じ場所からヒツジたちをアップいたしました。帰るときにはこの場所にはヒツジたちは居なかったのでいろんな場所に移動しているようです。朝の限られた時間帯にここでヒツジを見ることが出来るようです。
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さらに進んで24mmで広範囲を撮るとこのような風景になります。
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同じ場所から60mmで撮りました。
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連絡道路の橋化された部分の少し手前まで来ました。連絡道路が端になっているのが判ってもらえると思います。
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同じ場所から84mmにしてみました。
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連絡道路の直線部分まで来ました。
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かなりモンサンミッシェルが迫ってきました。
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全体が写るように右側の歩道から撮りました。
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一番活発に生活が行われている部分です。レストランや土産物屋さんが沢山ある場所です。
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24mmの広角でとっても全体が入らない位置まで近づきました。
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上の方を拡大いたしました。
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すでに紹介しているように、右の方にほとんどの人が利用している小さな門が写っているのが判ってもらえると思います。実はモンサンミッシェルにはもう一つ別の門があります。それは左の方に停まっている白い車の奥にあります。
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こちらが、その門です。この日はこちらの門から入ることにいたしました。この先の報告は後日行いたいと思います。
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⑥ 5月10日 14時08分~14時42分 曇り 徒歩 帰り
ホテルに戻るときに近くで撮ったモンサンミッシェルです。塔の先端部分は雲で霞んでいます。
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直線部分では一番離れて撮りました。
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カーブのところまで来て撮りました。モンサンミッシェルの塔の先端は、相変わらず雲で霞んでいますが、雲は勢いよく流れていました。連絡バスが停まっているところが帰りのバスの乗場です。そこから永遠とモンサンミッシェルから離れる方向にベンチが歩道の端に並べられていました。イカに沢山の人が訪れるのかが分かる気がしました。
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今回は同じ場所から24mm~105mmのレンズで、広角24~35mm、標準60~67mm、望遠99~105mmの3種類の写真を撮りながらモンサンミッシェルからホテルに向かいました。その中から次の3ケ所(A,B,C)からの計9枚の写真を紹介します。出発が14時08分(0.25km)で到着が14時42分(2km)なので位置を想像してみてください。0.25kmや2kmの距離は道なりではなくモンサンミッシェルの塔からの直線距離です。
 A地点(14時20分 0.96km) 24mm 60mm 99mm
 B地点(14時31分 1.33km) 32mm 60mm 105mm
 C地点(14時38分 1.78km) 25mm 67mm 105mm


こちらはA地点(14時20分 0.96km)から広角24mmで撮った写真です。
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こちらはA地点から標準60mmで撮った写真です。
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こちらはA地点から望遠99mmで撮った写真です。
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こちらはB地点(14時31分 1.33km)から広角32mmで撮った写真です。
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こちらはB地点から標準60mmで撮った写真です。
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こちらはB地点から望遠105mmで撮った写真です。
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こちらはC地点(14時38分 1.78km)から広角35mmで撮った写真です。
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こちらはC地点から標準67mmで撮った写真です。
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こちらはC地点から望遠105mmで撮った写真です。
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連絡道路わきに咲いていたのが、こちらの白い花びらの花です。葉の形からハーブとして使われているカモミールだと思います。
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ホテル近くまで戻ってきて撮った最後の連絡道路からの写真です。この後に晴れてきたのでホテルに預けていた荷物から100~400mmのズームレンズを出して撮影ポイントと言われている橋の上に移動して写真を撮りました。そちらの写真も後日紹介します。
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上の写真は連絡道路の橋の部分が判りやすく写っていたので橋の部分を切り取りました。クリックすると広範囲を拡大して表示いたします。連絡バスが2台写っていますが、左側が降車する場所で、右側が帰宅するときのバスの乗場です。連絡バスは面白い仕組みになっているので、こちらも後日に紹介したいと思います。
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宿泊ホテル ルレ・サンミッシェル(Relais Saint-Michel) [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モンサンミッシェルの記事を掲載する前に泊まったホテルをクリックすると拡大紹介したいと思います。我々がモンサンミッシェル1泊2日ツアーをお願いしたマイバス社では2種類の1泊2日のツアーが用意されていました。その違いは単に泊まるホテルでした。そんなに価格差は大きくなかったことから、評判のホテルに泊まれるツアーを選びました。
そのホテルが Relais Saint-Michel (ルレ・サンミッシェル)でした。
ホテル名は Le Relais Saint-Michel (ル・ルレ・サンミッシェル)と書かれる場合もあります。クリックすると拡大

ホテルの全ての部屋がモンサンミッシェル側になっています。我々の部屋は1階でした。
窓の向こうにモンサンミッシェルが見えました。
広いテラスが付属しており、その外側に広い芝生の庭がありました。きっと2階、3階の方がモンサンミッシェルがよく見えるのだと思いますが、1階では広い庭が自分のものであるような雰囲気を味わうことが出来ました。右がホテルカードです。
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こちらがバスルームです。
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トイレは単独の部屋になっていました。
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モンサンミッシェルへの連絡道路からの見たホテルの全景です。一部2階の3階建ての建物でした。右のRelais Saint-Michelと書かれた建物の一階部分がレストランです。夕食と朝食をたべました。朝食はツアーに付いていますが、夕食は自由なので、ホテルにチェックインした時に夕食の席を予約いたしました。
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モンサンミッシェルの修道院の中から撮ったホテルの方向の写真です。
矢印( ↓ )のところが宿泊ホテルで、ここからの距離は2kmでした。
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同じ場所からのホテルの拡大写真です。黄色の〇印が我々が泊まった部屋(Room No.006)です。橙色の〇印がレストランの中の夕食を食べたテーブルの位置で、空色の〇印が朝食を食べたテーブルの位置です。ホテルの部屋やレストランのテーブルからモンサンミッシェルが見えるということは、モンサンミッシェルからホテルの部屋やテーブルが見えることなのです。
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こちらの写真の黄色の〇印が上の2枚の写真を撮った場所です。荷物をあげるリフトを巻き上げる巨大滑車が設置されている部屋です。
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レストランからの景色がすばらしいと聞いていたので、上で記載したようにチェックイン時に予約をしてホテルのレストランでディナーを食べることにいたしました。ホテル以外にも3ケ所ほど候補を聞いていましたが、迷わずホテルでディナーを食べることにしたのは写真の景色が想像できたからです。予約は20時にしましたが、日の入りは21時20分ごろなので、まだ昼間のように明るかったです。最初は娘がシールド(リンゴ酒)で、私がビールにしましたが、そのあとはワインにいたしました。写真に写っているカメラのレンズは100~400mmのズームです。
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ディナーを食べたテーブルから見えるモンサンミッシェルです。連絡道路を無料連絡バスが走っています。この時の時間は20時21分でした。この日の満潮は20時30分でした。
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上の写真はG7Xで撮ったものですが、先ほど紹介した100~400mmのレンズで撮った写真も紹介します。撮った焦点距離は190mmです。カメラはEOS 5Dです。食事のテーブルからでもモンサンミッシェルが鮮明に見えました。こちらはクリックすると4倍(面積16倍)に拡大します。
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デザートを食べ始めたころのテーブルからのモンサンミッシェルです。焦点距離は100mmで、時間は22時8分でした。大潮(2016年5月8日)の翌日5月9日の満潮(20時30分)に近い時間帯のライトアップされたモンサンミッシェルの風景に出会えたのは幸運だったと、旅行関係者から何度も言われました。
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同じ時間(22時8分)に210mmで撮った写真も紹介します。
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下の写真が夕食の後に散策に出て撮った連絡道路から見た夜のホテルです。
時間は23時3分でした。画面の中の左半分がホテルです。
クリックすると拡大無料の連絡バスのヘッドライトが見えます。
地面の光が連絡道路の車道と歩道の境界を示しているLEDです。散策の時に撮った夜のモンサンミッシェルは右の小さい写真ですが、後日に大きな写真で紹介いたします。
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クリックすると拡大部屋のテラスからの夜の景色です。光っているところがモンサンミッシェルです。我々の部屋のテラスからモンサンミッシェルの修道院の塔までの距離はGoogle地図で測ると2.05kmでした。写真をクリックすると外に出て撮った夜のモンサンミッシェルの写真を表示します。この時の時間は23時24分でした。
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航空写真でも紹介します。緑のマーク( )が泊まった部屋の位置です。
クリックするとオリジナルのGoogle航空写真を表示します。 
  宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel 橙色の線(━━)で囲った部分
  撮影ポイント
  無料連絡バスのりば
 ━━ 連絡道路
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ホテルの入口に国旗が飾られていました。日本とフランスの国旗だけが特別な位置に飾られていることからも日本人が歓迎されているように感じました。右側の5本はドイツ、カナダ、フランス、アメリカ、イギリスのようです。
 名前 Le Relais Saint Michel
 住所 Lieu-dit La Caserne, 50170 Le Mont-Saint-Michel
 電話 02-3389-3200
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モンサンミッシェル名物ふわふわオムレツ [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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パリのマイバス事務所を2016年5月9日の7時30分に出発して途中オンフルールを経由して12時ごろに車の窓からモンサンミッシェルが見えてきました。いよいよモンサンミッシェルに着いたと実感させてくれる車窓でした。
モンサンミッシェルの対岸に到着してすぐにモンサンミッシェル名物の「ふわふわオムレツ」が前菜と入ったコースランチをいただきました。
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  9時53分 オンフルール到着
 10時45分 オンフルール出発
 12時15分 モンサンミッシェル到着
 12時25分 ふわふわオムレツランチ
 13時25分 ランチ終了
 13時30分 ホテルチェックイン

ツアーのメンバーの6名(4組 2+2+1+1)の内、1泊を申し込んでいる我々と、日帰りツアーでランチを申し込んでおられた1名の計3名が、こちらのレストランLa Rôtisserieで食事をいたしました。ランチの内容は 食前酒+名物オムレツ(前菜)+魚料理(メイン)+デザートでした。ラーメン一杯10~15€のフランスで、日帰りツアーでこのランチを申し込んでも+15€(1881円)だけなのでお得だと言えます。
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こちらが特産のシールド(りんご酒)で娘と一人旅の女性の方が飲みました。
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私は別の甘くないタイプのシールドをいただきました。
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こちらがお店の中です。この時は空いていましたがクリックすると日本語メニューを表示日本の旅行社と契約しているレストランのようで沢山のツアー客に対応できる広さがある上に、メニューも日本語で書かれていました。右の記念写真は一緒に食事をさせていただいた方に撮っていただきました。
右の写真をクリックすると日本語が書かれたメニューを表示します。
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もちろん私はビールもいただきました。
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名物のふわふわオムレツが登場いたしました。これが3人分です。
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3人に取り分けているところです。
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これが一人前です。
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オムレツは細かく泡立てられた玉子で作られていました。質素な食事が基本の修道院で、遠い地から巡礼でやってきた人のために、少ない材料でボリュームあるこのオムレツを作ってもてなしたのが始まりだそうです。
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こちらがメインの魚料理です。
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白身魚のビールの進む料理でした。
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デザートはアップルパイでした。リンゴ酒が有名な地域なのでアップルパイも定番デザートなのかもしれません。モンサンミッシェルが書かれたブログを見ていてもアップルパイがよく出てきます。3人で話が弾んでしまい1時間ほど食事を楽しみました。日帰りツアーの方にとっては長いランチになってしまったのかもしれません。でも偶然にもモンサンミッシェル島内で一緒に食事をした方に会って、楽しい会話も出来ました。
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食事の後は宿泊ホテルLe Relais Saint-Michel(ル・ルレ・サンミッシェル)にチェックインするためにこの道を真っすぐ進みました。Les Galeries du Mont Saint-Michelと書かれた右の建物はお土産を買ったスーパーです。
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こちらが宿泊したLe Relais Saint-Michelです。一般的にはホテル名の頭の「Le」は省略してRelais Saint-Michel(ルレ・サンミッシェル)と呼ばれることが多いです。チェックインしてすぐに無料連絡バスでモンサンミッシェルに向かいました。このホテルは最後の航空写真でも分かるようにモンサンミッシェルの対岸で、最もモンサンミッシェルに近いところに建っているホテルです。つまり泊まったホテルとモンサンミッシェルの間には連絡道路以外の建造物は一切ありませんでした。
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食事の場所やホテルの位置を紹介します。連絡道路が航空写真に写っている道より大きく離れているのは2014年に一部橋化するなどの改良が行われたためです。以前の連絡道路では潮の流れが変わり、泥が島の周囲に堆積してしまって、海に浮かぶモンサンミッシェルの姿が失われたそうです。潮の流れを変えてしまったもう一つの原因の駐車場も元の自然の状態に戻されていました。早く航空写真も最新の写真に更新してもらいたいものです。
  モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
  宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel
  レストラン La Rôtisserie
  撮影ポイントの橋
  無料連絡バスのりば
 ━━ 無料連絡バス
 ━━ 徒歩
  到着場所(2016年5月09日 12時15分) パリ⇒モンサンミッシェル
  出発場所(2016年5月10日 16時20分) モンサンミッシェル⇒パリ

モンサンミッシェル・ツアーに出発 [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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こちらが、フランス旅行で2日目と3日目に行ったモンサンミッシェルの1泊ツアーで使われた車です。こちらの車は、ネットでツアーを申し込んだ旅行社であるマイバス(myBus)が用意してくれました。GW中はバスだったようですが、GW明けで人数が少なかったおかげで大型高級ワゴン車でのツアーとなりました。この車だとバスに比べると片道で約1時間早く着くそうです。つまりモンサンミッシェルは1時間多く見学できる上にパリには1時間早く着くことが出来きたのでした。今回の8日間のフランス旅行全体は、次の内容をネットで別々に手配いたしました。パリは同じホテルでしたが1泊と4泊を別に予約しました。ある意味で手作り旅行でした。
 往復の航空券手配       JAL
 パリのホテル予約       エクスペディア
クリックすると拡大 モンサンミッシェル1泊ツアー マイバス   
 ロワール城めぐりツアー    マイバス
モンサンミッシェル1泊ツアーは行くときは6名(4組 2+2+1+1)で、帰りは5名(3組 2+2+1)でした。行きと帰りで、人数もメンバーも違うのですが、不思議に思われる方も多いと思います。
我々は1泊ツアーで申し込みましたが、6名の内で1泊ツアーは我々だけで、他の方は日帰りツアーで申し込まれていたからです。したがって日帰りツアーでもモンサンミッシェルが十分に楽しめるように7時30分に出発して、パリに戻って来るのは21時でツアーが組まれているのでした。行きも帰りもナンバープレートが同じだったので車は同じでしたが、添乗員さんも運転手さんも違う方でした。
帰りとなる2日目のモンサンミッシェルでの集合は我々が泊まったホテル(ルレ・サンミッシェル)のロビーに16時15分でした。日帰りの人もモンサンミッシェル島内は自由行動なので、集合時間と場所は同じように設定されていました。ツアーの価格は次のように設定されていました。1泊ツアーには名物のオムレツランチが付いています。ツアーで設定されているホテル料金を逆算するとルレ・サンミッシェルが140€で他は110€ということになります。
 1泊ツアー 280€(35123円) ルレ・サンミッシェル泊
 1泊ツアー 250€(31360円)
 日帰ツアー 125€(15680円) 名物オムレツランチ付は+15€(140€)
ランチ : 食前酒+名物オムレツ(前菜)+魚料理(メイン)+デザート

こちらがモンサンミッシェルツアーのコースです。行きはオンフルールに寄るので396kmで、帰りは直行のため355kmとなります。往復で751㎞のツアーです。今回の記事では早朝にパリのホテルを出発してからオンフルールに到着するまでを報告したいと思います。オンフルールとモンサンミッシェルの報告は引き続きさせていただきます。
  マイバス事務所
  オンフルール
  モンサンミッシェル
  サービスエリア
  料金所
 A-B 車のルート 396km


マイバス事務所の集合時間は7時15分でしたが、途中で朝食を食べるつもりでオペラ座の近くのホテルを6時20分にチェックアウトいたしました。同じホテルですがネットで1泊と4泊と別々に予約していたのでとりあえずチェックアウトして翌日の夜まで荷物を預けて出発いたしました。
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ホテルからマイバスまでは517mの距離です。こちらがオペラ通りで、正面にオペラ座が見えます。
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左の道を進むと30秒でマイバスに着く距離です。正面のレストランが開いたので中に入りましたが、まだ準備中でした。期待していた有名なパン屋さんもしまっていたし、どうやら7時近くまでは食事が出来るところは開かないようなので、朝食は諦めて早朝のパリの散策に切り替えました。朝食抜きでホテルを予約したのは約2000円も高かったのが理由です。


マイバスの前のピラミッド通りをまっすぐに行くとルーブル美術館やセーヌ川が見れるので、そちらに進んでみました。
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ピラミット通りにはマイバス以外にも旅行社があり、すでに観光バスが着ていました。あのジャンヌ・ダルク(Janne Da Arc)の像がある場所です。
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すでに沢山の欧米人の人が来て並んでいました。まだ時間は早かったけれども、おそらく7時集合なのだと思いました。


沢山の観光バスが来ていました。これはパリ市内観光バスのようでした。
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さすが静かでした。
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クリックすると拡大前日の夜には沢山の人がくつろいでいた芝生の広場も誰一人いませんでした。右の写真が前日の夕刻に撮った写真です。同じ場所とは思えないほどの沢山の人達が来られていました。
この違いを見れただけでも来た甲斐がありました。
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無人のルーブル美術館前の広場です。
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エッフェル塔と早朝のチェイルリー庭園です。
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観覧車が遠くに見えます。
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観覧車の観覧車を拡大してみました。
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やっと人を見つけました。記念写真を撮られていました。
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遠くにカルーゼル凱旋門が見えます。
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1808年に完成したカルーゼル凱旋門の周りも無人でした。
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カルーゼル凱旋門の上の飾りと文字を拡大してみました。
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無人のルーブル美術館のピラミッドです。
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人気のルーブル美術館も開館は9時なので並んでいる人はいませんでした。開館前には沢山の人が並ぶ場所です。
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ループ美術館は全体も見事ですが細部を見ても見事です。
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こちらもルーブル美術館です。
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建物の下のアーチ状の通路を抜けるとセーヌ川です。
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不思議とセーヌ川も静かに感じました。おそらくクルーズ船などの船が通っていないためだと思います。
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どんな角度で撮っても静かなセーヌ川でした。橋の名前はカルーゼル橋(キャルーゼル橋)です。フランス語だとPont du Carrousel(ポン・デ・キャルーゼル)となります。
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セーフ川で記念写真を撮ってマイバスの事務所に戻ることにいたしました。


車もほとんど走っていませんでした。右のアーチを抜け出事務所に向かいます。
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反対方向も見事に人も車もありませんでした。
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公園では自動で散水が行われていました。人が少ない時間帯だから見れる光景だったと思います。
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マイバスの前に戻ってきました。まだ7時前だったので事務所は開いていませんでした。
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道路を挟んだ迎えには趣のある協会がありました。
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事務所が開くまで少し散策です。


道を歩いている時は気が付きませんでした。
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7時が近づいて目の前のレストランも開きました。
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やっとマイバスも開きました。事務所に入ろうとされている方は我々と一緒にモンサンミッシェルツアーに行く方でした。有名なオムレツが入ったランチも一緒のテーブルでいただきました。
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こちらがマイバス店内です。全員が集まり説明を受けて冒頭の写真の車で出発いたしました。
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パリ市内を抜けて高速道路を目指しているところです。
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高速道路に入りパリ市内を抜けると菜の花の畑が広がっていました。この日約400kmを走る旅が始まりました。
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菜の花畑の手前が麦畑です。
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このような景色が続きました。
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高速で走るので手前が流れています。
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家が写っている景色は絵になります。
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高速道路の脇には木が沢山植えられているために、このような景色の写真は意外と撮れないのです。上で紹介した景色の写真は全て木の切れ目から撮った写真なのです。
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途中の料金所です。
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トイレ休憩も兼ねてサービスエリアで休憩いたしました。写っている人が今回のツアーの車の運転者さんです。
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パリ市内ではコンビニや自動販売機がないので、高速道道路のサービスエリアのお店は飲み物や簡単な食べ物を調達するのに便利でした。
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サービスエリアでは無料WiFiが使えました。


マイバス事務所内でもWiFiが使えました。フランスはどこでも無料WFiが使えるのです。我々のようにパリ市内を観光しながら館内のことを調べたり、次の訪問先を決めたり、行き方を検索する人にとっては、これは便利でした。


なんとツアーで使われた大型ワゴン車の中でもWiFiが使えました。


セーヌ川の河口にある最初の目的地であるオンフルールに近づきました。
そのセーヌ川の河口に架かっているPont de Normandie(ノルマンディー橋 / ポン・デ・ノルマンディー)です。右岸(北側)のル・アーヴルと左岸(南側)のオンフルールを結んでいます。
橋の建設は1988年に始まり7年の歳月を要し1995年1月20日開通したそうです。最大支間長856mは斜張橋として、当時、世界最長でした。現在はロシアのルースキー島連絡橋(1104m 2012年)が世界最長で、ノルマンディー橋は5番目の長さです。ちなみに日本の多々羅大橋(890m 1999年)は4番目の長さです。
クリックすると拡大 長さ    2143.21m
 最大支間長 856m
 幅     23.6m
 橋桁高さ  59.12m  
 主塔高さ  214.77m
 形式    斜張橋
 建設    1988~1995年
 素材    鋼鉄・コンクリート
 建築家   ミシェル・ヴィルロジュー
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オンフルールに到着いたしました。いつもは混んでいて遠くに駐車するそうですがこの日は早く着けた上に車が小さいので港の近くまで車で来ることが出来ました。
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これが船大工の町の港の風景です。次回はオンフルールの町を紹介したいと思います。パリのホテルをチェックアウトしたからオンフルール到着までの時間は下記です。
 6時20分 ホテルチェックアウト
 6時30分 ルーブルあたり散策
 7時02分 マイバス到着
 7時15分 マイバス全員集合
 7時30分 マイバス出発
 7時39分 凱旋門前
 7時50分 高速道路
 9時20分 料金所
 9時24分 サービスエリア
 9時46分 ノルマンディー橋
 9時53分 オンフルール到着  オンフルールの記事→ポチッ
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モンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2016年5月9日は朝の7時半にパリをマイバスの車で出発して12時15分にモンサンミッシェルの対岸に着きました。午後からモンサンミッシェルを散策いたしました。散策の間は残念ながら小雨が降り続きましたがホテルでの20時からの夕食時の途中から晴れ間が見えてきたので夕食を抜け出して上の写真を撮りました。右の写真はホテルで夕食時の写真でモンサンミッシェルが一番よく見える席にしていただきました。こちらの日の入りは21時20分頃です。

夕食後に撮った写真です。
今回のライブ報告と言うことで、帰国後に詳しく記事に掲載したいと思います。
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このように水面に写ったモンサンミッシェルも見ることが出来ました。
現在5月10日6時30分で天候はは小雨です。今日は一日モンサンミッシェルを散策します。

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