路地の中のレストラン その1 お店編 [北京]
路地(胡同:フートン) を歩いてくると古い車(紅旗)がありました。
実は、ここが今晩の目的の場所でした。この車は毛沢東の奥さん(Mrs.Mao)の物だったそうです。帰りに、この車に乗せてもらいました。ちゃんと前と後ろの間に透明な仕切りが開閉するようになっていました。
小さな写真は後部座席から運転席側を撮ったものです。
展示物である昔の三輪車も雰囲気を盛り上げています。
前からの写真も紹介いたします。ナンバープレートが付いていると言うことは、ちゃんと走れことが出来るのでしょうね。製造会社は1958年に設立されました。この車は1965年に発売されたリムジンCA770と思われ、歴代の国の指導者が乗ったそうです。防弾車はCA772(1969年)です。もっと新しい車で一度だけ120kmくらいの距離ですが胴長の紅旗に乗らせてもらったことがあります。
その目的の場所とは夕食をとるレストランです。これが入口です。
昔の民家のままです。民家といっても歴史に名前を残した川島芳子(右の写真)が住んでいた家です。門も含めてすべて昔のままだそうです。昔のお金持ちの家の構造が勉強になります。中庭を中心に四方向に家が建てられている四合院と呼ばれる家の作りです。
門をくぐるとこんな感じです。こじんまりとした雰囲気のあるレストランでした。
昔の解放軍の服を着た人も雰囲気を盛り上げてくれます。
これが食事をしたテープルです。椅子は当時のものだそうです。確かに写真で見ると古いです。
小さなテーブルもあります。そんなに沢山のテーブルはありません。予約は必要ですね。
バーもあります。
中庭に入口のある地下にはワインが保管されています。
メニューです。今回注文した料理はその2の料理編で紹介します。
天井です。
この日は我々以外はすべて欧米人でした。奥で一人で食事している女性は雑誌の記者のような感じでした。
中庭でも食事ができます。
料理は明日に「路地の中のレストラン その2 料理編」として紹介いたします。
お店を紹介いたします。赤いマーク( )の場所に今回紹介のレストランがあります。別のマークは一度紹介した四川料理のお店で、店名をクリックするとその時の記事を表示します。。
店名 新紅資倶楽部 Red Capital Club
住所 東城区東四九条66号
電話 010-84018886
新紅資倶楽部 Red Capital Club
貢院蜀楼 川京辧
俏江南 SOUTH BEAUTY
より大きな地図で 北京のレストラン を表示
チリメンジャコの中に糸が! と思ったら [動物]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
買ってきたチリメンジャコ(しらす干し)の中に縞模様の糸のようなものが入っていました。よく見ると細長い魚でした。ちりめんじゃこ(縮緬雑魚)は、イワシ類(カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシ・シロウオ・イカナゴなど)の仔稚魚を食塩水で煮た後に天日などで干したものです。偶に小さな蟹や海老や他の小さな魚が混ざっていることがありますが、このように細長いのは初めてでした。最近の選別方法の一例を紹介します。これ以外に振動選別機、色彩選別機、金属探知機を使っているところもあります。これをかいくぐってきたのですから貴重です。
①棒状磁石で金属類を除去
②風力選別機で軽い物(主に魚粉、えびなど)を除去
③風力選別機で重い物(主に石、極端に大きい魚など)を除去
④3つの静電気式選別機で毛髪などの軽い物が除去
⑤4名の目視選別でチリメンに類似の遺物を除去 平板型磁石も設置
その魚の全体を拡大いたしました。大きさはチリメンジャコと比べると判ると思います。この魚は頭に特徴があるようです。クリックするとさらに拡大します。この魚はなんでしょう。
頭の部分を拡大いたしました。口の形がタツノオトシゴ(竜の落とし子)のようです。ただし体は細長いのでヨウジウオ(楊枝魚)の稚魚のようです。珍しい魚が入っていました。もちろん食べてみましたが細すぎで味までは分かりませんでした。竜の落とし子の親戚だし、何かいいことがあるかもしれません。 今回のスミッチさんのコメントで、チリメンジャコの中のイワシの稚魚以外の生物を「チリメンモンスター」略してチリモンと呼ばれていることを知りました。この呼び方は大阪府岸和田市にある「きしわだ自然資料館」が2004年の夏休みイベントで、最初に用いたそうです。
こちらがネットから転用させていただいたヨウジウオの稚魚の写真です。
右の写真は顔のを正面から見たヨウジウオです。ヨウジウオはオスの腹部に、育児嚢(いくじのう)という袋があり、メスはオスの育児嚢に800~1000個の卵を産み、オスが稚魚になるまで卵を守ります。つまりオスが子供を産む魚なのです。タツノオトシゴも同じであるため、干したものを安産のお守りにする風習があります。食べてしまいましたが、ヨウジウオも同じようにお守りに出来たかもしれません。クリックすると成魚の写真を表示します。
類似の魚と比べてみました。下記を見てもらうとヨウジウオはタツノオトシゴや リーフシードラゴン と近い種類であると判ってもらえると思います。アカヤガラの写真以外はネットから転用させていただきました。
アカヤガラ | ヨウジウオ | タツノオトシゴ | リーフシードラゴン | |||||||||||||||||||||
硬骨魚綱 | 硬骨魚綱 | 硬骨魚綱 | 硬骨魚綱 | |||||||||||||||||||||
棘鰭上目 | 棘鰭上目 | 棘鰭上目 | 棘鰭上目 | |||||||||||||||||||||
スメグマモルフ系 | スメグマモルフ系 | スメグマモルフ系 | スメグマモルフ系 | |||||||||||||||||||||
トゲウオ亜系 | トゲウオ亜系 | トゲウオ亜系 | トゲウオ亜系 | |||||||||||||||||||||
トゲウオ目 | トゲウオ目 | トゲウオ目 | トゲウオ目 | |||||||||||||||||||||
ヨウジウオ亜目 | ヨウジウオ亜目 | ヨウジウオ亜目 | ヨウジウオ亜目 | |||||||||||||||||||||
ヤガラ科 | ヨウジウオ科 | ヨウジウオ科 | ヨウジウオ科 | |||||||||||||||||||||
ヤガラ亜科 | ヨウジウオ亜科 | タツノオトシゴ亜科 | ヨウジウオ亜科 | |||||||||||||||||||||
ヤガラ属 | ヨウジウオ属 | タツノオトシゴ属 | Phycodurus | |||||||||||||||||||||
| | | |
北京の後海も変わりました。 [北京]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
後悔(こうかい)ではありません。湖の名前で後海(あとうみ)です。
中国語では「ほうはい(后海 houhai)」と呼んでいます。
後海は直線距離で故宮(紫禁城)の北北東2.6kmの位置にあります。
故宮( ) ←2.6km→ 後海( )
このあたりには湖が北から西海、後海、前海、北海、中海、南海の6つの湖があり、後海と前海の2つの湖の周辺に、いつのころからか洒落たレストランが沢山並ぶようになったのです。このあたりの呼び方がよくわからないので、我々の間では後海と呼んでいます。前海、後海、西海の3つの湖を総称して什刹海と呼ぶそうです。グルメガイドでは什刹海エリアと書かれていましたが後海と呼んでいるサイトもありました。きっと什刹海(じゅうさつかい)が呼びづらいのだと思います。ネットで検索しても「ひらがな」がほとんど出てきませんでした。什刹海は中国語ではShiChaHai / シーチャーハイと発音するようです。
ここは以前に訪れたことがある北京の湖の一つである後海の周辺です。
最初に来たときは外国人が目立っていましたが、今は中国の人たちが沢山こられていました。ここでは、ほとんどのお店でバンドをやっています。ほとんどが、中国語か英語の歌ですが我々が日本人だと判ると日本の曲を歌ってくれました。ただし中国語でした。
雰囲気を感じてもらうために、画像はよくありませんが、この時に撮った動画を紹介します。若者の街になってきていることが感じられました。最初の歌は男性が歌っていますが次の歌は女性が歌っています。その女性の歌は我々を意識して「時の流れに身をまかせ 」でした。是非ともプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。
こんな雰囲気のお店でした。高級ウイスキーが並んでいます。クリックするとアップします。
5名の女性だけのグループもありました。ほとんどの人は屋外のソファーに座っていて屋内は少なかったです。このあたりも欧米風なのかもしれません。以前に来たときは、背が高い椅子のお店が沢山ありましたが、この時はソファーのお店がほとんどになった気がしました。確かに寛げますが雰囲気は変わりました。女性たちが写真を撮っている理由は、この中の1人がステージで歌を歌わしてもらったからです。仲間の写真を撮っているところです。
ビールを沢山飲んでいる人も見かけました。今、ビールの売れ行きが爆発的に伸びているというのもわかる気がします。
別のお店にも入って見ました。料金は飲み物代だけなので気楽に場所が変えられるのもここのいいところです。
夜景がきれいな場所です。レストランも沢山あるので食事も雰囲気があっていいかもしれません。
後海と前海の間の湖が細くなっているところに架かっている橋からの景色です。柳の木が沢山あります。
後海は若者だけが楽しむ街ではありませんでした。熟年の方々もダンスを楽しんでいました。画面がところどころ白いくぼけているところがあるのがわかりますか?
柳の綿毛にフラッシュの光が反射しているのです。
この時、北京は柳の綿毛だらけでした。
はしごです。別のお店に入りました。こちらでは女性が英語の歌を歌っていました。こちらのお店の雰囲気はよかったので別の日に探しましたが、お店の数が多すぎて探せませんでした。仲間で記念写真を撮りました。一番左が私です。
文旦 ( ぶんたん ) [植物]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
よく果物を買いに行くスーパーで、ブンタン(文旦)を見つけたので買ってきました。ブンタンは他の柑橘類の果物に比べて甘みは少ないけれども、不思議とサッパリ感があって、無性に食べたくなったタイミングと、見つけたタイミングがぴったりでした。土佐文旦(Tosa Buntan)と書かれていることから高知県で作られたものだと思います。
ブンタンは大きいことで有名な柑橘類です。大きいものでは直径は25cmで重さは2kgになりますが、今回の文旦は重さが510g(直径11cm)とブンタンとしては小さいものでした。調べてみると、この大きさが、土佐文旦のサイズ(10~13cm)のようです。ブンタンの標準和名はザボンですが、市販名はブンタンの方が多い気がします。原産地は東南アジア・中国南部・台湾などで、日本には江戸時代初期に渡来し、使われていた漢字をそのままに日本語読み(ブンタン)にしたそうです。高知の収穫量は日本の約90%だそうです。土佐文旦のほか、水晶文旦、阿久根文旦、麻豆文旦などのブランドがあるそうです。熊本の大きな柑橘類である晩白柚(バンペイユ)が近い種だそうです。
界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 : ムクロジ目 Sapindales
科 : ミカン科 Rutaceae
属 : ミカン属 Citrus
種 : ザボン Citrus maxima
ブンタンのもう一つの特徴は、皮が厚いことです。小さな文旦なので皮をむくと中身はとんでもなく小さくなるのではないかと思っていましたが意外と中の実は大きくて330gもありました。ブンタンとしては皮が薄いのです。皆さんのコメントにあるように文旦と言えば文旦飴(ボンタンアメ)が有名です。
ブンタンは鹿児島などではボンタンとも呼ばれています。ボンタン飴には鹿児島・阿久根産の阿久根文旦(アクネボンタン)の果汁が入っているそうです。日本における2010年の文旦と晩白柚の収穫量は次の通りです。
文旦 9719トン
晩白柚 971トン
さっそく薄皮を剝いてみました。これが半個分の果実です。みずみずしさが分かってもらえると思います。12月ごろに収穫した文旦は、野囲いといって樹の下に穴を掘り、ポリを敷いてその中に貯蔵して熟成させるそうです。熟成させることで酸味と甘味がブレンドされてバランスの良い味わいに仕上がるそうです。そして2月初めごろから3月中旬まで出荷されるそうです。今回はそれよりも少し早かったようです。確かに海外で何度も食べた文旦と比べて甘みも酸味も強くて美味しい文旦でした。甘みや酸味が強いと、文旦ではないように思われるかもしれませんが文旦独特の美味しさがあり、土佐文旦とブランド名がつけられているのに納得いたしました。今回の文旦を食べて日本の農家の方の努力を感じさせてもらいました。
みずみずしさを関してもらうために拡大いたしました。種はすべて取り除きましたがすごい数が入っていました。内側の凹んだ部分に種がぎっしりと入っていました。ブンタンは自然交雑により色々な品種を生み出していて、グレープフルーツ、夏ミカン、ハッサクなどはブンタンの血を引いているそうです。
こちらが夏ミカンの果肉です。確かに文旦の果肉に似ていましたが、見た目と違い味は別物で、すっぱかったです。初夏まで待つと少し甘くなるのが夏ミカンのようです。夏ミカンは江戸時代中期に黒潮に乗って南方から、山口県長門市仙崎大日比に漂着した実の種を地元に住む西本於長が播いて育てたのが起源とされています。この原木の根の部分は現存していて、上部には接ぎ木されて生きていて、史跡及び天然記念物に指定されているそうです。
この夏ミカンは2016年1月27日に近くの野菜直売所で、4個150円で売られていたものです。文旦は1月25日に買いました。皮の割合を比較してみました
普通の文旦 50%
土佐文旦 35% =(180g÷510g)
夏ミカン 30% =(93g÷308g)
誕生日は焼肉で祝っていただきました。 [肉]
1月22日は私の誕生日ということで、ちょっと早いけれども1月20日に焼肉でお祝いをしてもらいました。ちょっと洒落たお店だったので紹介いたします。お祝いということで、お肉もいいものを選んでもらえました。
いつもであれば写真をクリックすると拡大するように設定していましたが、容量を使ってしまうために、ここでは試しに拡大した写真を掲載させて貰らいました。これだと容量は半分で済む上にクリックする必要がありません。お肉の感じも、わかってもらえると思います。これは特上カルビでだったでしょうか。
場所が東京駅の近くだけのことはあります。お通しも洒落ていました。これだけでもかなりの値打ちものでした。こちらでは個室も沢山あるので個室にしてもらいました。
こちらは厚切り牛タンです。普通の牛タンを厚く切ったのでは固いため厚い牛タンは柔らかいものを使う必要があります。
こちらも拡大写真を掲載させてもらいました。ありうるかどうかはわかりませんが、舌まで霜降りという感じでした。
この牛タンは霜降り肉のように本当に柔らかかったです。レモンを絞っていただきました。上の肉とこれだけで大満足でした。
もちろん沢山ビールをいただきました。
マッコリ(マッコルリ)もいただきました。こちらのお店ではマッコリが7種類も用意されていました。この日は3種類を飲ませていただきましたが、それぞれに特徴があって味が違うのに驚きました。アルコール濃度もかなり違っていました。洒落たデカンタで出てきました。いろんなマッコリを試してみるのも楽しいと思います。その点ではコース料理+2000円での飲み放題の設定を選ぶのもいいかもしれません。ただし我々はコース料理ではないので飲み放題にはなりませんでした。ネットで調べるとコースは炭火焼肉(13品)3800円とチャコール懐石(16品)6800円があるようです。
もちろんキムチも頼みました。5種類のナムルが乗ったナムルの盛り合わせやサラダも頼みました。肉を包むサンチュやレタスも頼みましたが、おいしい肉なので包まないで食べたためにそれらは、そのままタレにつけていただきました。
この肉はシャトーブリアン(特選牛フィレ)だと思います。これもおいしかったです。
ステーキそのもののような肉も頼みました。特選サーロインだと思います。 今回はコース料理ではないので、このようなコースにない料理を注文いたしました。参考にチャコール懐石6800円(16品)の場合を紹介します。
1)お通し
2)馬刺しのコリアンスタイル
3)キムチ4種盛り合せ
4)特選ロース 山葵添え
5)カイノミ上カルビ
6)スペシャル牛タン 葱しおレモン
7)シャトーブリアン(特選牛フィレ)
8)大海老のしお焼き
9)帆立貝のバター焼き
10)5色ナムルとサンチュのサラダ
11)イベリコ豚カルビ ボリビアの天然塩
12)イベリコ豚とろ 山葵添え
13)上ハラミ
14)特選カルビ
15)石焼きピビムパプ又は盛岡冷麺又はクッパ
16)デザート&コーヒー
さっそく特選サーロインを焼きました。
脂の多い肉が多かったので、何度も火が付きました。このようにならないようにするには金網の周りの淵で焼くことだそうです。それでも火をなん度も出してしまいました。
上ハラミ(左)やロース(右)のお得なお肉も頼みました。これも十分においしかったです。
肉くだけでなくタラバ蟹も頼みました。カニもおいしかったです。
普通のカルビも頼んだのですが、今日は特選カルビ入荷しましたとの説明があったので、つい普通のカルビではなく特選カルビを頼んでしましました。これが2本、お皿に乗って出てきました。
これが焼いた特選カルビです。焼けたところでハサミで切ります。
この特選カルビも拡大写真を掲載させてもらいました。
私はミノが好きなので上ミノも頼みました。やっぱりおいしかったです。
こちらの、お店の締めでお薦めなのが、この焼きそばなので紹介いたします。手前のあんかけを奥の焼きそばにかけて食べるのです。
かけて混ぜたところです。4人で2つ頼みました。熱いので気をつけてください。
こちらも拡大写真を掲載いたします。湯気で写真が不鮮明ですがおいしさが伝えられたでしょうか。
小さなお椀に取り分けながら食べました。カニの身だ沢山入った、なかなかの一品でした。お祝いありがとうございました。
お店を紹介いたします。
店名 CHARCOAL (SUMIBI YAKINIKU)
住所 東京都中央区八重洲1-5-15
電話 03-3272-8280
営業 11:30~14:00 17:00~23:30(L.O.22:30)
休業 土曜日・日曜日・祝日・年末年始
冬まっ盛りなのにヘンリーフォンダが満開です。 [植物]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
我家では少しづつバラを増やしていき現在は下記の8種類のバラが植わっています。今年は一年を通して花を咲かしてくれました。今年の正月にも4種類のバラが沢山の花をつけていました。こんなことは初めてでしたが、2016年1月25日においても2つのバラが花を咲かしています。特に上の写真のように黄色い花を咲かせるヘンリーフォンダ(Henry Fonda)は沢山の花を咲くせている上に、今にも咲きそうな蕾があるので、さらに咲き続けてくれるものと期待しております。バラの名前は俳優のHenry Fondaさんに由来して命名されたそうです。
8種類のバラのうち、着色文字は正月の時点で咲いていたバラです。
ピエール・ドゥ・ロンサール Pierre de Ronsard
ヘンリーフォンダ Henry Fonda
ホワイトメイディランド White Meidiland
キャサリン・モーリー Kathryn Morley
キングローズ King Rose
キューピッド・イン・ザ・ガーデン Cupid in the Garden
エドガー・ドガ Edgar Degas
クニルプス Knirps
2016年1月26日に撮ったヘンリーフォンダの蕾の写真です。もう少し固い蕾も含めて6個ついています。この蕾は上の写真の左上に写っている蕾ですが、上の写真よりは少し開いてきたと思います。
今咲いているもう一つのバラはホワイトメイディランド(White Meidiland)ですが、こちらはさすがに終わりのようです。長い間、お疲れさまでした。
でも、よく見るとホワイトメイディランドにも新しい蕾が6個ほど付いていました。少し固いようなので暖かい日が続けば、花を楽しませてくれるのではないかと思います。こちらも1月26日に撮りました。今日、1月26日の気温(千葉県佐倉市)は最低-5℃、最高+9℃です。最低気温マイナス5℃のためか蕾の表面が少し赤くなっています。
参考に私が住んでいる千葉県佐倉市の2016年1月26日の天気予報を掲載いたします。空気は冷たいけれども太陽の光が当たるところはポカポカでした。
佐倉市の詳細データーで1月26日最低気温を調べると4時36分に-5.9℃でした。どうりでワンコ(名前:むさし)の朝の4時の散歩は格別に寒かったです。ちなみに最高気温は14時17分の9.5℃です。クリックすると数値で表示します。
佐倉市の緯度35.728度、経度140.212度の場所の6日間の気温の変化です。このグラフから1月29日に雨が降り出した時間が分かってもらえると思います。
今年の正月(2016年1月1日)の時点で花を咲かしていた4つのバラも紹介します。エドガー・ドガ(左上)、ヘンリーフォンダ(右上)、クニルプス(左下)、ホワイトメイディランド(右下)です。特にエドガー・ドガが見事に咲いていました。ただし、1月1日に写真を撮っていなかったので、2015年11月24日に撮った写真を掲載しています。
5月末の時点では8種類すべての花が咲いていたのでその時の写真も紹介します。写真は以前の記事で紹介させてもらいました。→ポチッ
ピエール・ドゥ・ロンサール(Pierre de Ronsard)
我家では最も大きく育っているバラです。
ヘンリーフォンダ(Henry Fonda)
黄色いバラが欲しくて買ってきました。私が見た中で最も鮮やかな黄色の花でした。俳優のHenry Fondaさんは黄色いバラが好きだったようです。
ホワイトメイディランド(White Meidiland)
比較的最初のころに買ったバラで、我が家の中でも最も長く花が咲き続けるバラでもあります。
キャサリン・モーリー(Kathryn Morley)
比較的、最近買ったバラですが大きくなってきました。
キングローズ(King Rose)
野性的で我が家の中で最も繁殖力のある強いバラです。
キューピッド・イン・ザ・ガーデン(Cupid in the Garden)
可憐な花を咲かてくれます。
エドガー・ドガ(Edgar Degas)
娘がバラの展示会で、母の日のプレゼントとして買ってきたバラです。今年の正月まで、よく咲きました。バラの名前は右のバレイの絵を描いたフランス生まれの印象派の画家であるEdgar Degasに由来しています。花の放射状のカラフルな模様はバレリーナのスカート「チュチュ Tutu」のようです。このチュチュからEdgar Degasの名前がついたのかもしれません。
クニルプス(Knirps)
一番最近買った小さな花のツルバラです。まだまだ小さいです。
灯油18リッター 756円 2016年1月22日時点 [話題]
2016年1月25日追伸 タイトル: 灯油18リッター 756円
私の誕生日である1月22日に灯油を入れに行くと、なんと18リッターが756円になっていました。14日前の2016年1月8日の864円からさらに108円も下がったのです。1リッターあたりが48円から42円になったのです。いつも入れるガソリンスタンドは55円のままなので劇的に安くなった印象を受けました。少し足を延ばすことで468円(36リッター)も得したことになります。ガソリンの値段も下がってきており1月23日の時点では表示価格が102円/Lになりました。私は会員で2円/L引きなので100円/Lです。さらに1月22日にnanacoの会員になったのでリッターで1ポインもらえるため、実質は99円/Lなのです。
もうすぐ表示価格で100円/L割れになるかもしれません。
先ずは右の灯油券販売所で灯油券を購入します。我々の場合は18リッターのポリタンク2個なので36リッターを購入します。この時にお金を払います。うれしいことにクレジットカードが使えるのでポイントなどのカードの恩恵も受けることが出来ます。この時に1512円をカードで支払いました。左に移動してポリタンクに灯油を入れてもらいます。休日の時間帯によっては10人程度は並ぶことがありますが、券の購入だけなので待ち時間はほとんどありません。
こちらで灯油を入れてくれる人にポリタンクと購入した灯油券を渡すと入れてもらえます。こちらでは灯油を入れる機械が10台あり作業する人が4人おられたので待つことは無く入れてもらえました。
2014年8月25日から2016年1月18日までの灯油価格の推移をグラフで紹介します。出典は経済産業省・資源エネルギー庁の石油製品価格調査で、数値は全国平均の店頭現金価格です。グラフをクリックするとオリジナルのグラフを表示します。全国平均が1160円なので756円は34.8%も安いことになります。
2016年1月10日掲載 タイトル: 灯油18リッター 864円
今は、ここ5年の間でガソリン価格が最安値になっていることはよく報道されています。灯油も最安値でいつも購入しているところの値段は18リッターが990円です。1リッターあたりは55円になります。18リッターが1000円を切ったことで驚いていました。ところが、1月3日にヤマダ電機に緊急でWiiリモコンを買いに行ったとき、ヤマダ電機の隣にあるのジョイフル本田千葉ニュータウン店の灯油の値段が1リッターあたり48円との表示になっていました。
そこで家に近いジョイフル本田八千代店に行き18リッターx2缶分の灯油を1月8日に買いに行きました。そのレシートが右の写真です。確かに36リッターが税込みで1728円でした。18リッターに換算すると864円なのです。ほんと安くなりました。外置き灯油温水暖房を使っているので灯油の値段がここまで下がるのはほんとうれしいことです。
参考ですがガソリンは年末から1リッターあたり104円で入れております。
千葉県の中でも私の住んでいるあたりは全国でもガソリンが最も安い地域の一つと言われています。ほとんどのガソリンスタンドの通常価格の表示が106円/Lで、会員価格はさらに安くなります。下記のグラフは総務省統計局が発表している東京都区部のガソリン小売価格です。グラフをクリックすると1966年からのガソリン価格を表示します。グラフを見ていると7年前も一時的に安くなったことを思い出しました。2008年に価格が急落しているのは2008年9月15日に始まったリーマンショックのためです。
1966年からのガソリン価格も紹介します。1966年4月~8月の価格は50円/Lでした。50円/Lという価格は、現在のガソリン税である53.8円/Lより安いことから、ガソリン価格上昇の主因は1973年のオイルショックと1974年からのガソリン税のアップであったと想像されます。ガソリン税の正式名は「揮発油税及び地方揮発油税」で、地方の名がついていますが国税です。このグラフを見ているとガソリンは変化は多いけれども、ある意味で40年前の値段と一緒の優等生のものと言えるのかもしれません。
さらに、今から155年前の1861年からの原油価格の推移も紹介します。長く安定した時代が約95年間も続いたことが分かります。
1バレル(石油用)は158.987294928リッターです。したがって原油の現価格33$/バレルを117.5円/$で換算すると24.39円/Lになります。120$/バレルの時は88.68円/Lだったことになります。ガソリンや灯油は、これに製造費+利益+税金が足されます。
バレルに石油用と付記しているのは 米液量(119.240471196L)やビール用(117.347765304L)や穀物用(115.6L)や国によって違うからです。
私はESSOのメール会員に入っていて、下のバーコードを機械にかざすと表示価格に対して2円引きになります。ただし、イベントなどのメールが届きます。
本バーコードは修正しております。
冒頭の説明でヤマダ電機で緊急で買に行ったWiiリモコンとはこちらです。いろんな色がありますが家内の緑色希望で写真のルイージカラーを買いました。写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
我家での誕生日祝いはアンコウ鍋でした。 [日々]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
1月22日は私の誕生日なので2015年1月22日の夕食はアンコウ鍋で誕生日のお祝いをしてもらいました。誕生日祝いの料理は洋風が多いのですが、今年は和風となりました。買ったアンコウにはタレもついていたのですが、シンプルに昆布だけのだしにいたしました。
鍋に入れる野菜は春菊ともう一つ珍しい野菜を入れることにいたしました。その珍しい野菜とは「うるい」です。
山形県の最上地区の「うるい」でした。
「うるい」はキボウシの若葉で山菜として珍重されるものです。ギボウシの種類としてはオオバギボウシ(大葉擬宝珠)の若葉が多いようです。右の写真はネットから転用させていただいたオオバギボウシの写真です。成長して花が咲いています。
キノコとしては舞茸とエノキが用意されていました。こちらもたっぷりありました。
すべての種類の材料を鍋に入れたところです。アンコウはすべて入れて野菜とキノコは何回にも分けて入れました。
つけだれはポン酢にいたしました。冒頭の写真と同じですが、アンコウの身もたっぷりありました。アンコウ(鮟鱇)はアンコウ目 アンコウ科に属する魚の総称ですが、一般的には食用にするアンコウ類のことを指すようです。
アンコウ目は16科300種ほどでありますが、漁業資源となるのはアンコウ科の25種の一部で、日本では、キアンコウ(ホンアンコウ)とアンコウ(クツアンコウ)が主な食用のアンコウだそうです。アンコウの写真は沼津港深海水族館のHPから転用させていただきました。
いつもはビールですが、この日は鍋なので最初から日本酒にいたしました。
真白の銚子(徳利)と、お猪口は出石焼で、結婚した当初に両親と兵庫県の出石に行って買ってきたものです。この銚子は320cc入ります。
1合は180.3906837cc(=2401÷13.31)なので320ccは1.77392753合にあたるため、二人で晩酌をするのに丁度良い量です。
初めて鍋に入れる「うるい」も美味しかったです。
アンコウ特有のコラーゲンが沢山入った部位もいただきました。
今までは日本酒はあまり飲まなかったのでいろいろ試しています。今回は青森県の純米吟醸酒の「桃川」にしてみました。
江戸時代からの酒店であり、創業当時から現在まで奥入瀬川(百石川)の伏流水を仕込みに使っていることが有名です。桃川の前に買ったのが新潟県の久保田の吟醸酒で、その前は千葉県酒々井町の甲子正宗の純米吟醸酒で、その前が長野県の渓流の純米酒でした。いずれも一升瓶で買っています。
裏のラベルに「冷や」と「ぬる燗」がお勧めとのことなので「ぬる燗」でいただきました。「冷や」でも一杯だけですが飲んでみました。どちらも捨てがたく、美味しかったです。純米酒なので、原料は100%米です。純米と書かれていないと、たとえ大吟醸であっても醸造アルコールが使われています。精米歩合は60%と書かれていました。日本酒度は糖分の多い物がマイナスに、逆に糖分の少ない物がプラスとなります。つまり、マイナスの度合いが高いほど甘口となり、プラスの度合いが高いほど辛口という事になります。日本酒度+3は、やや辛口ということになります。辛口は+3.5~+5.9です。日本酒度は下記の計算式で求めます。比重は15℃で計測した清酒の比重です。日本酒度は比重を表す指標ではありますが高い(+の値が大きい)ほど辛口になる傾向があり、味の目安としてラベルに表示されることが多いそうです。厳密には酒の辛口甘口を表すのは甘辛度です。酸度は清酒10ミリリットルを中和するのに要する水酸化ナトリウム溶液の滴定ミリリットル数だそうです。
日本酒度= ( 1/比重 − 1 ) x1443
甘辛度 = 0.86×ブドウ糖濃度 − 1.16 × 酸度 − 1.31
甘辛度 = (193593 ÷ (1443 + 日本酒度) ) − 1.16 × 酸度 − 132.57
精米歩合と使用原料によるお酒の呼び方は次の通りです。精米歩合に規定がない場合は一般的に73~75%です。普通酒の欄で書かれている副原料は酒粕、酸味料、調味料、アミノ酸、糖類などです。
特定名称 | 精米歩合 | 使用原料 | |||
普通酒 | 規定なし | 米、米こうじ、水、醸造アルコール、副原料 | |||
本醸造酒 | 70%以下 | 米、米こうじ、水、醸造アルコール | |||
特別本醸造酒 | 60%以下 | 米、米こうじ、水、醸造アルコール | |||
純米酒 | 規定なし | 米、米こうじ、水 | |||
特別純米酒 | 60%以下 | 米、米こうじ、水 | |||
吟醸酒 | 60%以下 | 米、米こうじ、水、醸造アルコール | |||
純米吟醸酒 | 60%以下 | 米、米こうじ、水 | |||
大吟醸酒 | 50%以下 | 米、米こうじ、水、醸造アルコール | |||
純米大吟醸酒 | 50%以下 | 米、米こうじ、水 |
デザートのケーキは以前に紹介した貝殻亭(ル・ジャルダン・デュ・ソレイユ)で買いました。左からタルトタタン、ピティヴィエ、ミルフィーユです。
ピティヴィエは昼間に半分づつ食べました。
夕食後はこちらです。こちらがタルトタタンです。
そして、こちらがミルフィーユです。
ミルフィーユの断面を紹介します。
誕生日プレゼントは、驚いたことに純米大吟醸でした。お酒の名前は醴泉(れいせん)です。家内が今日2016年1月24日に、スカイツリーのそばの東京ソラマチ(TOKYO Solamachi)にある「はせがわ酒店」で買ってきてくれました。これは冷やして飲んでみようかと思います。下記のお店の方に勧められた純米大吟醸・醴泉です。
購入店
店名 はせがわ酒店
住所 東京都墨田区押上1-1-2
スカイツリータウン 東京ソラマチ1F
電話 03-5610-2770
兵庫県特A地区である東条産の山田錦が100%使用され、精米歩合は43%です。この43%の精米歩合からみて純米大吟醸酒の中でも高級の方に分類されると思います。大吟醸酒や吟醸酒を作る吟醸造りは、よく精米した白米を低温でゆっくり発酵させ、粕の割合を高くして、特有な芳香を有するように醸造することを言うそうです。
お酒の詳細を紹介させてもらいます。天降甘露地出醴泉の名前は、奈良時代に元正天皇が養老の地を訪れて「滝の水が甘く健康に良い。まさに醴泉である」と仰せられたとされることに由来しているそうです。醴泉(れいせん)は中国の故事による大地より沸き出でた泉の名前だそうです。押上からでは、さすがに一升瓶は持ち帰れないので720ml瓶をプレゼントされました。
名前 純米大吟醸 天降甘露地出 醴泉
種別 純米大吟醸酒
使用米 兵庫県特A地区東条町産山田錦43%精米
日本酒度 +1
アミノ酸度 1.2
酸度 1.4
酵母 熊本9号酵母
酒造 玉泉堂酒造(株)
住所 岐阜県養老郡養老町高田800-3
岩国のシロヘビ 天然記念物 [山口県]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
昨年の年末の墓参りで山口県の岩国に行ったとき、天然記念物の「岩国のシロヘビ」を見る機会がありました。
岩国には母の両親が住んでいて、今は母の弟、つまり私の叔父さん夫婦が住んでいます。そんなこともあり岩国には小さい時から数え切れないほど来ていますが最後に岩国のシロヘビを見たのは小学校低学年(四年生以下)の時なので、今回シロヘビを見たのは数十年ぶりになります。岩国に住んでいる人にとってはシロヘビは珍しくはないので、それ以降は連れて行ってもらうことがなかったのだと思います。上の写真は2015年12月26日に撮ったシロヘビです。
兵庫県の宝塚に住んでいる母は毎年4回ほど山口県に墓参りに来ています。私は2013年3月19日からは同行するようになりましたが、シロヘビを見る機会はありませんでした。宝塚からは日帰りで来る上に新幹線の新岩国とお墓を往復するだけだからです。
青の太い線は墓参りのために車で走ったルートです。ただし墓参の場所だけは特定されないように少しずらしております。走行距離は、行きは墓まで直行なので32kmで、帰りは錦帯橋経由となるため38kmで、往復で70kmになります。
新岩国駅( 9:24着) → 墓( ) → いろり山賊( 昼食) →
→ 錦帯橋( ソフトクリーム) → 新岩国駅( 13:34発)
ソフトクリームを食べるために錦帯橋にもよるようになりましたが、シロヘビは岩国の市街地だけに見る施設があるものと思っていませんでした。下の写真は車の中から撮った錦帯橋の北側入口です。
定例の墓参りでソフトクリームを食べるために錦帯橋に来るようになったのは2014年12月27日からです。母がソフトクリームが好きなことを知った叔父さんが、錦帯橋に連れて来てくれるようになったのです。ここでは100種類以上のソフトクリームが食べれるということで静かなブームとなっており、武蔵店と小次郎店など4店舗がしのぎを削る戦いをしているのです。この日、2015年12月26日も小次郎店(佐々木屋小次郎商店)でソフトクリームを食べに来ました。ソフトクリーム以外の名物としては小次郎まんじゅうと岩国寿司がありました。
こちらが、この日、私が食べた抹茶と牛乳のソフトクリームです。早々に食べて近くを散策してみました。
驚いたことにソフトクリーム店である小次郎店の目の前にシロヘビの観覧所があったのです。窓にシロヘビ(仮設)観覧所と書かれているのが分かってもらえると思います。真っ赤な寶冠白蛇辨財天の幟も印象的です。寶冠白蛇辨財天は現在の漢字では宝冠白蛇弁財天となります。
記事を掲載するためにネットで調べてみると、小次郎店から400mの距離に昔から横山白蛇観覧所がありました。横山白蛇観覧所を横山シロヘビ資料館としてリニューアルオープンさせる改装工事のために2015年5月28日に仮設のシロヘビ観覧所が出来たのでした。確かに仮設と書かれているうえに建物はプレハブでした。前回の時に気が付かなかったのは目の前と言っても間に木が沢山植わっているためでした。散策したおかげで見つけることが出来ました。
仮設シロヘビ観覧所の前に建てられていた古い説明文の部分を写真から切り取って掲載いたしました。今のままでも読めると思いますが画像をクリックすると拡大するので読みやすくなると思います。
上の写真から説明文を読むのが面倒な方のために説明文の内容を枠内に転記いたしました。説明文が立てられた1986年(昭和61年)ごろにシロヘビ観覧所が出来たのかもしれません。
国指定 天然記念物「岩国のシロヘビ」指定年月日 昭和四十七年八月四日
主な生息地 山口県岩国市一円
説 明天然記念物「岩国のシロヘビ」は、岩国市にだけ生息している世界でも珍しいヘビで、商売繁昌・開運の守神様などと言い伝えられてきております。
ヘビの白色変種が、安定した遺伝形質を維持して特定の地域に集中的に生息している例は、世界にも例がなく、学術的にも極めて貴重な存在であります。
しかし、近年生息地域の都市化が進み、シロヘビの数が減少しつつありますので、岩国市では財団法人岩国白蛇保存会とともに保護保存対策につとめております。
昭和六十一年四月
岩国市教育委員会
さっそく入場料100円を無人の箱に入れて中に入ると写真のシロヘビちゃんが迎えてくれました。
人に慣れていて、ゆっくりとした動きでした。
岩国のシロヘビはアオダイショウが白化したものです。自然界では色素が抜けた白色の突然変異が偶に生まれますが、白色がゆえに雪に覆われた地域以外では、周りから目立つ存在になります。目立つ存在であるがゆえに餌を獲る確率も下がる上に、猛禽類などの捕食者に捕まる可能性も高くなることから広く繁栄することは無く、ハツカネズミのように人間の飼育下でのみ存在すると考えられています。岩国のシロヘビの場合は、人間の飼育下ではないにもかかわらず存在し続けているのは岩国の人々が昔からシロヘビを神の使いとして特別で大切なものと扱ってきたのが理由であろうと言われています。
頭を拡大いたしました。シロヘビは1924年12月9日(大正13年)に「白ヘビ生息地」として、今津町、山手町、旭町などが生息地域として天然記念物に指定され、1972年8月4日(昭和47年)に「岩国のシロヘビ」という名称で生物としてのシロヘビ自体への指定替えとなりました。
シロヘビが1924年に天然記念物に指定されたのは1919年に公布された史蹟名勝天然紀念物保存法でした。法律が公布されて5年目の指定でした。現在は史蹟名勝天然紀念物保存法から引き継いだ文化財保護法(1950年制定)です。
シロヘビの肌を紹介したいので目いっぱい拡大いたしました。
調べてみると、シロヘビが目撃された最も古い記録は岩邑年代記(がんゆうねんだいき)に、1738年6月(278年前 元文3年)に捕獲されたとの記録です。横山地区の千石原にあった吉川邸の城門付近で門番が捕獲したそうです。次は1862年(154年前 文久2年)で、錦川志(にしきがわし)に岩国藩の米倉で2頭のシロヘビをよく見かけたと記されているそうです。
シロヘビを見ることが出来る場所の地図があったので紹介します。私が子供のころに見たのは屋外飼育場でした。祖母祖父の住んでいた場所から近いので山手町シロヘビ屋外飼育場ではないかと思います。天神シロヘビ観覧所も、すでにリニューアルされていて天神シロヘビ資料館+白蛇神社になっています。
① 横山シロヘビ資料館(2016年3月から)
①' 仮設シロヘビ観覧所(2015年5月28日から2016年3月まで)
② 天神シロヘビ観覧所 岩国白蛇神社
③ 山手町シロヘビ屋外飼育場
④ 旭町第1・第2 シロヘビ屋外放飼場
⑤ 尾津町シロヘビ屋外放飼場
リニューアル前の横山白蛇観覧所 仮設の横山シロヘビ観覧所
白化していないアオダイシヨウの写真と分類を参考に掲載いたします。無毒のへびで、人と共に暮らすヘビと言われるほど人との関わりが深く、日本本土では最大のヘビです。写真はネットから転用させてもらいました。
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 爬虫綱 Reptilia
目 : 有鱗目 Squamata
亜目 : ヘビ亜目 Serpentes
科 : ナミヘビ科 Colubridae
属 : ナメラ属 Elaphe
種 : アオダイショウ E. climacophora
いただいたパンフレットが値打ちものだったので紹介いたします。蛇の写真の部分と脱皮した皮の写真の部分にザラザラが付けられているのです。パンフレットの裏側には英語と中国語と韓国語で詳しい説明が書かれていました。内容は表の左端の日本語の説明と同じではないかと思います。
パンフレットの表紙にあたる部分ですがシロヘビの写真と「岩国の白蛇」の文字の部分だけにザラザラが付けられていました。
圧巻なのがシロヘビの脱皮の皮で寿の文字が作られた写真ですが本物の脱皮の皮が張り付けられていると思われるほどの手触りでした。見た目や手触りでは本物に感じるのですが、最終的に本物ではないと判断したのは、これだけ手間な作業をパンフレットに一枚一枚張り付けることはコスト的にも材料的にも、ありえないと思ったからです。それほど精巧に作られているのです。
上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大し写真を掲載いたしました。是非とも触ってもらいたいです。
こちらもシロヘビの部分だけザラザラが付けられているのです。
パリの地下鉄 [パリ]
パリ市内で牡蠣を食べに行った帰りに出し物の練習をしているところを見かけました。ヨーロッパでは騎士道は特別のようです。
これは大道芸ではありませんがパリの中は大道芸が多かったですね。さすが芸術の町!
パリ市内の移動は地下鉄が便利で、よく地下鉄に乗りました。 で驚いたのが地下鉄内では芸人が多いことです。下の左の写真は地下鉄のホームでコントラバスを弾いているところです。地下鉄のホームで大胆に演奏 すごい!
地下鉄車内にまで乗ってきます。小さな女の子(小学3年生くらい)がお兄ちゃんと思われる子と大きなスピーカーを持ち込んで大音量の中で踊り始めるのです。
見てると結構な収入になるみたい。子供というのは強みみたいです。ほんと「たっくまし~~い」かったです。芸術の街モンマルトルの丘とは違った一面でした。
ヨーロッパの地下鉄は改札機(改札)がないのが普通ですが、パリの地下鉄だけは日本のように改札機があり、そこにチケットを通さないとホームに入れません。他の国の都市の地下鉄はホームや入口近くに検札機があり刻印をするだけなのです。
写真をクリックすると路線図を表示します。左がPDFで右がhtmlです。
上総(かずさ)の出世観音 [養老渓谷]
昨年、27年前に千葉県に引越してきて初めて、千葉県の養老渓谷を歩いたことを報告させていただきました。報告が一つ残っていた本記事を掲載いたします。すでに紹介した中瀬遊歩道の入口近くから真っ赤な趣のある橋が見えたので気になったので調べてみると出世観音である立國寺(りっこくじ)へ行く参道の入口の観音橋でした。
さっそく出世観音・立國寺に行ってみることにいたしました。観音橋の入口です。観音橋は2連の太鼓橋で朱塗りの欄干がシンボル的存在のようです。下を流れているのは養老川です。
観音橋が2連の太鼓橋であることがはっきりとわかってもらえると思います。
観音橋の上から上流方向を見た景色です。このように紅葉した養老渓谷を見ることが出来ました。ここから中瀬遊歩道が養老渓谷沿いに続いています。
最初に航空写真の黄色のライン(━━)の中瀬遊歩道を歩き、不思議な隧道の共榮トンネル / 向山トンネルを見た後、中瀬遊歩道を戻ってきて、青色ライン(━━)の参道を登って行きました。参道を順に紹介したいと思います。
出世観音・立國寺
観音橋
弘文洞
嵯峨和 宿泊した旅館
━━ 出世観音・立國寺への参道
━━ 中瀬遊歩道
観音橋を渡ると写真の道を登って行きます。
対岸に渡ってから振向いて観音橋を見た写真です。
このような道を登って行きます。
紅葉の季節だったので木々の中に紅葉したモミジが映えていました。
紅葉したモミジはきれいでした。
アップした紅葉もきれいでした。写真を撮ったのは2015年12月8日でした。養老渓谷は紅葉が遅いことで有名なのです。これから養老渓谷に紅葉を見に行くときの参考にしてください。
黄色の紅葉もきれいでした。
進んでいくとトンネルがありました。
不思議とトンネルはワクワクします。
最後の上り坂です。上に上がると開けていることが分かりました。
正面が出世観音・立國寺です。
出世観音の由来が書かれた説明板が建てられていました。養老山聖天院・立國寺と書かれています。クリックすると説明が読める大きさに拡大いたします。
説明文によれば源頼朝(1147年5月9日~1199年2月9日)が、治承・寿永の乱の初期の戦いである石橋山合戦(1180年9月14日 / 治承4年8月23日)に敗れた後に船で逃れて約8日間ほど過ごした安房国(あわのくに)および上総国(かずさのくに)の地にて観音像に戦勝を祈願して、三浦義澄、上総介広常、千葉介常胤、小山朝政、下河辺行平、安西景益などの助けにより、先ずは下総(しもふさ)に集結して、関東に攻め入り、最後に天下を平定した由来にちなんで出世観音と命名したそうです。安房(あわ)+上総(かずさ)は現在の房総半島になります。
源頼朝挙兵 治承4年
① 08月17日 挙兵・山木館襲撃
② 08月23日 石橋山の戦い
③ 08年26日 衣笠白の戦い
④ 08年28日 真鶴岬出航
⑤ 08月29日 安房国着
⑥ 09月17日 千葉常胤参陣
⑦ 09月19日 上総広常参陣
⑧ 10月06日 鎌倉着
⑨ 10月14日 富士山麓の戦い
⑩ 10月20日 富士川の戦い
以仁王の挙兵令旨(1180年5月4日ごろ) - 石橋山(1180年9月14日) - 波志田山 - 衣笠城 - 鎮西反乱 - 熊野動乱 - 市原 - 結城浜 - 鉢田 - 富士川 - 金砂城 - 美濃源氏挙兵 - 近江攻防 - 伊予蜂起 - 南都焼討 - 墨俣川 - 横田河原 - 北陸出兵 - 野木宮 - 火打城 - 般若野 - 倶利伽羅峠 - 志保山 - 篠原 - 水島 - 福隆寺縄手 - 室山 - 法住寺 - 宇治川 - 粟津 - 下津井 - 沼田城 - 三草山 - 一ノ谷 - 三日平氏 - 藤戸 - 葦屋浦 - 屋島 - 志度 - 壇ノ浦(1185年4月25日)
以仁王 : もちひとおう 1180年9月14日 = 治承4年8月23日 です。
出世観音・立國寺に近づいて撮った写真です。命名の由来は源頼朝の観音像への戦勝祈願であり、沢山の人たちが馳せ参じた形勢逆転の場所はありますが、寺自体はそれほど古いものではないようでした。ただし評判のパワースポットの雰囲気がありました。観音橋を渡り、参道のトンネルを通って出世を祈願する値打ちがありそうでした。
寺の敷地内には小さな社(やしろ)や祠(ほこら)が沢山ありました。右は「堅牢大地神」で左は「荒熊大僧天王」です。勧請(かんじょう)は分霊を他の神社に移すことをいうそうです。
こちらは「倶梨伽羅龍王」です。こちらにも頭に勧請の文字が書かれていました。
こちらの社はわかりませんが南無出世観世音菩薩と書かれた幟が印象的でした。
左は金白龍王を祀った社で、左は大黒龍王、大白竜王、大青龍王、大黄竜王を祀った社のようです。
今までの養老渓谷で紹介した場所を改めて紹介します。
・養老八景
A 金神の滝 B 粟又の滝 C 水月寺 D 筒森もみじ谷 E 懸崖境
F 弘文洞跡 G 観音橋・出世観音 H 梅ケ瀬渓谷
・ハイキングコース→ポチッ
①中瀬遊歩道を含む養老渓谷一周コース F G
②滝めぐりコース A B C
③大福山・梅ケ瀬コース H
青色ライン ━━ 養老渓谷周辺の養老川の本流
緑色ライン ━━ 夕木川(別名:蕪来川) 弘文洞から養老川に流れ込む川
紫色ライン ━━ 養老川の支流 上流は梅ケ瀬渓谷
青色ライン━━の養老川の本流は驚くほど蛇行していますが、全般的には南南東から北北西に流れています。川の蛇行が多いので本地図の川の流れを入力するのは時間を要しました。養老川は五井のあたりで東京湾に流れ込みます。
上の地図で灰色の枠で囲った部分を拡大した地図です。
粟又の滝(あわまたのたき)
金神の滝(こんじんのたき)
名前の無い滝
千代の滝
万代の滝
━━ 0.4km 駐車場→金神の滝
━━ 1.4km 金神の滝→粟又の滝への降口
━━ 0.3km 降口→粟又の滝
━━ 2.7km 滝めぐり遊歩道・往復
━━ 0.2km 粟又の滝→降口
━━ 1.1km 粟又の滝への降口→ごりやくの湯→駐車場
こちらが上の地図の粟又の滝自然遊歩道の写真です。
そしてこちらが金神の滝(こんじんのたき)です。クリックすると滝が分かると思います。
こちらは粟又の滝(あわまたのたき)です。
こちらが中瀬遊歩道にある弘文洞 (こうぶんどう)です。
パリっ子 [パリ]
パリらしい雰囲気の写真を紹介します。バリに行ったときの写真です。
お母さん3人と子供たち3人でしょうか。手をつないで歩いている姿がかわいいですね。右の写真がオリジナルで、ルーブル美術館の近くです。
女の子は黒髪なので一番後ろの人がママかな?
男の子は双子のようにそっくりに見えるけれどバギーは2台でタイプが違って一人乗りのため双子かどうかはわかりません。二人とも小さいのにメガネをかけているのも気になります。双子かどうか、皆さん推理してみてください。
もし双子じゃない場合は2人の男の子のママはそれぞれどちらでしょうか?
もし双子だとアニメのタッチ(1981年~1986年連載)の朝倉南と上杉達也と上杉和也の子供時代のころみたいです。テレビは1985年3月24日~1987年3月22日まで全101話が放送されました。特に26話が衝撃的で感動的な場面です。
主題歌も沢山の名曲が出ました。着色文字をクリックすると主題歌や歌の動画を表示します。
オープニング(Touch Opening #1~#5)
タッチ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 総 愛がひとりぼっち ① ② ③
チェッチェッチェッ ① ② ひとりぼっちのデュエット ①
情熱物語 ① ② 岩崎姉妹13曲
エンディング(Touch Ending #1~#4)
君がいなければ 青春 約束 君をとばした午後
全画面ではありませんが名場面26話「試合終了! 君がいなければ・・・」を掲載いたします。全画面で2分割された26話がありました。 partie 1 partie 2
26話の主題歌では、オープニングは「タッチ」で、エンディングは「君がいなければ」です。
Touch 26 partie 1 投稿者 jamesgirl
セーヌ川の橋 [セーヌ川]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリのノートルダム寺院はセーフ川の中州であるシテ島に建っています。そのノートルダム寺院に行ったときにセーヌ川沿いを歩いてみました。上の写真はアルシュヴェシェ橋から見たセーヌ川の中州、サン・ルイ島です。ちなみに写っている橋はトゥルネル橋です。左端の護岸がノートルダム寺院のある中州・シテ島です。
島の北側のセーヌ川に掛かる橋を上流側(右側)から順番に紹介します。紹介していく島の北側の橋はルイ・フィリップ橋、アルコル橋、ノートルダム橋、シャンジュ橋、ポン・ヌフ橋、ポン・デザールです。
橋の位置は地図に赤い文字で追記いたしました。ポン・デザール以外の橋は載っています。クリックして拡大すると橋の名前も確認しやすいと思います。立派な建物も地図で確認出来ます。
島の南側の橋も含めてGoogle地図で橋( )を紹介いたします。
マーク をクリックすると橋の名前を表示します。
セーヌ川にかかる橋
Café Panis 昼食を食べたカフェ
ノートルダム寺院(中央) ルーブル美術館(左上)
最初はサン・ルイ島に掛かるルイ・フィリップ橋ですが立派です。
サン・ルイ橋の上からのパリ市庁舎の見える景色です。左端に小さく見えるのがアルコル橋でノートルダム寺院の前の道路です。今回の記事に使っている橋の写真は、橋を撮ったのではなくセーヌ川沿いの景色を写した写真に偶然に橋あるいは、景色の一部として写っていたのです。
アルコル橋です。フランス国旗が掲げられている立派な建物は市立病院で、その先にあるのがコンシェルジュリーで、その先に裁判所があります。
ノートルダム橋の上からコンシェルジュリーと裁判所を撮りました。橋の欄干がノートル橋です。
ノートルダム橋の上からシャンジュ橋を撮りました。
さらに下流にあるのが現存するパリ最古の橋のポン・ヌフ橋です。エッフェル塔と最高裁判所とポン・ヌフ橋の景色も見事!
ポン・ヌフ橋の拡大写真です。 遠くにエッフェル塔が見えます。ポン・ヌフは1604年に国王アンリ4世の命で架けられたパリで最も古い橋です。当時は橋の上に店が建っていましたが一般的だつたため、建物がなく川の流れが見渡せるポン・ヌフ橋は画期的でした。橋の途中にアンリ4世の騎馬像や展望テラスがあります。
下流のポン・ヌフ橋付近から見たシャンジュ橋です。
さらにその一つ下流にあるのがパリッ子の憩いの橋ポン・デザール! でした。
ちなみにルイ・フィリップ橋からポン・デザールまで1.3km程度の距離だと思います。ポン・デザールは1803年に建設された橋でシンプルでモダンなデザインが特徴です。橋は車両が通行できない歩道になっているので夏は日光浴を楽しむパリっ子でいっぱいになるそうです。大道芸の姿も見れるそうです。
島の南側のセーヌ川の橋も一部ですが紹介します。ノートルダム寺院の南側のセーヌ川で水上バスを撮った写真に橋が写っていました。写っている橋はノートルダム寺院に最も近くにかかっている ドゥブル橋です。右の護岸の上にノートルダム寺院が建っています。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大し野心を掲載いたしました。一番手前のドゥブル橋の一つ奥の橋がプティ・ポンでさらに奥に見えるのがサン・ミッシェル橋です。写真には写っていませんが、さらに奥にあるのが、すでに紹介したポン・ヌフです。
これでノートルダム寺院のある中州・シテ島に架かる橋をすべて紹介いたしました。
ただしアルシュヴェシェ橋の上からの写真は紹介いたしましたがアルシュヴェシェ橋の写真は撮っていませんでした。そこでネットの写真を右下に紹介いたします。実はアルシュヴェシェ橋はノートルダム寺院を撮る最高の場所なのです。下記のノートルダム寺院の写真はアルシュヴェシェ橋から撮ったものです。ノートルダム寺院に関しては前記事に記載いたします。今回、登場してもらった橋は下記のとおりです。
ルイ・フィリップ橋 1860-1862年 石
アルコル橋 1854-1856年 錬鉄
ノートルダム橋 1910-1914年 鋼鉄・石
シャンジュ橋 1858-1860年 石
ポン・ヌフ 1578-1607年 石
ポン・デザール 1982-1984年 鋼鉄
アルシュヴェシェ橋 -1828年 石
プティ・ポン -1853年 石
サン・ミッシェル橋 -1857年 たぶん石
ドゥブル橋 1881-1883年 鋳鉄
トゥールネル橋 1928-1930年 鉄筋コンクリート
サン・ルイ橋 1969-1970年 鋼鉄
セーヌ川(La Seine)は全長780kmのフランス第2の長さの川です。
ディジョン(Dijon)の北西30kmの海抜471mの地点に源を発し、パリ(PARIS)を通ってセーヌ湾に注いでいます。下記の地図はWikimediaから転用させてもらいました。支流も含めたセーヌ川の流域範囲が分かると思います。
Google地図でも位置関係を説明いたします。左下ののアイコンをクリックするとフランス内の位置関係が分かると思います。
右の写真はセーヌ川の源(Sources de la seine)に設置された石像です。
━━ セーヌ川本流(源流~河口)
セーヌ川の源(Sources de la seine/翻訳)
パリ・シテ島(ノートルダム寺院)
セーヌ川河口
バルビゾン ミレーが暮らして絵を描いた場所
2015年1月23日の美の巨人たちで放送された今日の一枚・ミレーの作品「羊飼いの少女」です。この作品でミレーの評価が一変したそうです。
ノートルダム寺院 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
セーヌ川とくればノートルダム寺院ですね。セーヌ川の中州のシテ島に建つ姿は素晴らしいです。パリのノートルダム寺院(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂とも) はゴシック建築を代表する建物であり、ローマ・カトリック教会の大聖堂です。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されています。現在もノートルダム寺院は、パリ大司教座聖堂として使用されているそうです。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指そうです。上の写真ですぐに寺院の名前が判る人は多いと思います。でも正面だけでノートルダム寺院とわかる人は少ないでしょう。でもないか! 私が知らなかっただけでした。パリから各地への距離を表すときの起点はノートルダム大聖堂の前のこの場所が起点となっているそうです。
やっぱり、ここで記念写真を撮ってしまいます。冬のパリはいつものこのような天気で、晴れている景色は滅多にないようです。
セーヌ川のほとりのノートルダム寺院は絵になります。 この角度のノートルダム寺院の姿は素晴らしいと思います。いろんな町の大聖堂は建物に囲まれており正面の広場からの写真は見ることが出来ますが、この角度から大聖堂の全景を見ることが出来るところは少ないと思います。そんな素晴らしい景色のノートルダム寺院を見ることができてよかったです。
同じ構図で教会部分を拡大いたしました。大聖堂の全長(奥行き)は127.50m、幅は48 m、尖塔の高さ96 mです。入口の四角い2つの双塔(北塔と南塔)の高さは69mで、身廊と呼ばれる入口から主祭壇に向かう中央通路の高さは32.50mだそうです。大聖堂内には9000人の人が収容できるそうです。地面から伸びるアーチのフライング・バットレスと呼ばれる沢山の梁が印象的でした。この梁によって巨大な大聖堂を実現させているとの記述もありました。
川と反対側の角度のノートルダム寺院もいいですよ。
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域でしたが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設したそうです。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成したそうです。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられそうです。そして最終的な竣工は1345年なので183年の歳月をかけて作られた傑作だと思います。
航空写真で上から見ると大聖堂は十字架の形をしています。
クロスの中心に96mの尖塔が建っています。
斜めからの航空写真でも紹介します。
ネットに立体的な絵があったので紹介します。
寺院の中はやっぱりすばらしい!
中に入るとミサが行われていました。おごそかな中でも観光客や一般の人は自由に入れます。フランスでは一般的に「ノートルダム・ド・パリ(Notre-Dame de Paris)」と呼ばれているそうです。内部の最大の見どころは聖書の世界を描いたステンドグラスです。手前から奥にかけて時代が変わっていきます。それぞれのステンドグラスにはキリストの一生が描かれています。左側の写真が身廊と呼ばれる入口から主祭壇に向かう中央通路です。
聖歌隊席の周りにあるレリーフも立体的で見応えがあります。写真をクリックすると露出調整した拡大写真を表示します。
入口(西)、北、南と3カ所に配置された美しい円型のばら窓のステンドグラスは圧巻です。外側から見ると左の写真の部分です。冒頭の写真から切り取った使いました。預言者達が描かれた入口(西)の直径9.6mのステンドグラスが最も古く1210年に作られました。写真はキリストと天使を描いた南窓です。北窓には聖母子が描かれており、南窓と北窓は直径13mの大きさです。右の南窓の写真をクリックすると拡大した大聖堂の全景が表示されるので、その南窓の大きさが分かってもらえると思います。
ノートルダム寺院の前のセーヌ川には水上バスも通っていました。写っている橋はノートルダム寺院に最も近くにかかっている ドゥブル橋です。右の護岸の上にノートルダム寺院が建っています。
昼食のためにノートルダム寺院のすぐそばのドゥブル橋を渡ったところにあるカフェテリアCafé Panisに入りました。窓際の席は絵になる人が優先との噂も! 明確ではないけれどそんな傾向はありましたね。
日本の女性の方も沢山入ってこられるレストランでした。記事の一番下に掲載した地図の黄色いマーク( )がCafé Panisで、絶好の場所にあることがわかってもらえると思います。
パリっぽいサンドイッチとコーヒーを頼みました。おかげてゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。サンドイッチは分厚いチーズとハムをフランスパンに挟んだだけのものです。
お店の外観を紹介したいのでネットの写真を転用させてもらいました。左奥の建物がノートルダム寺院です。お店がノートルダム寺院の真横にあることが分かってもらえると思います。
名前 Café Panis
住所 21 Quai Montebello, 75005 Paris, France
電話 01-4354-1971
Google地図の中の中央付近の が紹介したノートルダム寺院です。
ノートルダム寺院(中央) ルーブル美術館(左上)
Café Panis 昼食を食べたカフェ
セーヌ川にかかる橋 次の記事で紹介します。
モンマルトルの丘 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリに来るとやっぱりマンマルトルの丘に行ってみたくなり来てみました。想像していた以上の雰囲気でした。狭い範囲で沢山の人たちが沢山の絵を売っていました。
うわさ通りに絵を描いている人たちもいました。
こちらで絵を売っている人たちは、どのような人たちなのでしょうね。自分で描いた絵を売っているのでしょうね。このように芸術家たちが集まるようになったのは19世紀半ば、ヨハン・ヨンキントやカミーユ・ピサロといった芸術家たちがパリ大改造で整備されてしまった市内を離れ、まだ絵になる農村風景の残っていたモンマルトルに居を移すようになったからだそうです。安いアパートやアトリエ、スケッチのできる屋外風景を求める画家達が後に続き、19世紀末の世紀末芸術の時代にはモンマルトルはパリ左岸のモンパルナスに対抗する芸術家の集まる街へと変貌していったそうです。パブロ・ピカソ、アメデオ・モディリアーニ、ほか貧乏な画家達やがモンマルトルの「洗濯船(Le Bateau-Lavoir)」と呼ばれる安アパートに住み、アトリエを構え制作活動を行ったそうです。ギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、アンリ・マティスらも出入りし議論する活発な芸術活動の拠点となったが、1914年以後は多くはモンパルナスなどへ移転したそうです。現在は多くの観光客がテルトル広場、サクレ・クール寺院、キャバレー・ラパン・アジル、ムーラン・ルージュ、ピカソらのアトリエ、ユトリロの描いた風景を訪ねて歩いて雰囲気を楽しんでおられます。
比較的狭い範囲に集まっていました。モンマルトル (Montmartre)の丘ははパリで一番高い丘です。
上の4枚の写真はすべて下の航空写真の建物で囲まれたテルトル広場(Place du Tertre)と呼ばれている場所で撮ったものです。画家達が集まり観光客の似顔絵を描いていることで有名です。テルトル広場を和訳すると「画家広場」であり、かつてはパブロ・ピカソやモーリス・ユトリロらもここで絵を描いていたと言われています。写真をクリックすると航空写真また地図が表示されます。赤いマークのところがテルトル広場です。
お店やカフェも沢山ありました。モンマルトルの名は、『Mont des Martyrs(殉教者の丘)』が由来するそうです。紀元272年ごろ、この丘の付近で、後にフランスの守護聖人となったパリ最初の司教聖デニス(サン・ドニ)と二人の司祭ラスティークとエルテールの3人が首をはねられて殉教したと伝えられています。
モンマルトルの丘のもっとも目立つところに建っているのがサンレ・クール寺院(Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre)です。サクレ・クール寺院 はロマネスク様式・ビザンティン様式のバジリカ大聖堂で、ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当したそうです。パリ市内を見晴らせる観光名所で、比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっているようです。丘の上からの景色はなんともいえません。
こちらはパリで最も古い教会の一つであるサン・ピエール寺院ですがサンレ・クール寺院のすぐ奥に建っています。
細い道ですがモンマルトルの丘の中のメイン通り的存在です。沢山の人が行き来していました。個性的な方が歩かれていました写真をクリックするとわかると思います。
どこに行っても人が多いようですが少し離れると静かな路地もあります。この辺りは観光客人は少なくなってきますが、モンマルトルの丘の上の一面です。細い道がまた魅力的です。住宅街なのでしょうね。
急な坂道にある家も絵になります。驚くほどの急坂でした。
ここからはマンマルトルの丘の小片の景観を紹介いたします。典型的な路地とマンマルトルへの上り坂も見とれてしまいますが車の駐車の仕方には感心します。
丘の麓ではドラマの撮影もしていました。
モンマルトルの丘の最寄の地下鉄のアベス駅には巨大なエレビーターがあります。
写真はエレベーターの中ですが奥に見えるのが入口です。そして私の背中のはるか後ろに出口のドアがあります。部屋ごと動く感じてす。広さを実感してもらえたでしょうか。ものすごく深いところに駅があるので体力に自信がない方は、このエレベーターに乗ることをお薦めします。深さを実感したい人は歩きですね。
エレベーターを降りてからも丘の上まで急な坂が続きますが、体力に自信のない方はケーブルカーにも乗ることをお薦めします。地下鉄の切符で乗れるので地下鉄の一日券を使えばお徳です。
mizuhoさんのコメントにヒントをえて凱旋門の上からの写真を追加しました。中央より少し左側がモンマルトルの丘です。写真をクリックすると拡大するのでサンレ・クール寺院が確認できると思います。
ぎゃ~ 今度は大型トラックが高速道路を逆走 [天津]
ぎゃ~ 大型トラックが高速道路を逆走
突然大型車が逆走してきました。ここは一般道路ではありません。中央分離帯(左側のガードレールと植木がある部分)のある高速道路なのです。(中国は日本と反対で車は右側通行です。)
以前にも、中国の高速道路で逆走に出会ったことが何度かありますが、今回も高速道路で逆走車に出くわしました。今までは乗用車でしたが、なんと今回は大型トラックが逆走してきました。すごい迫力と言うか恐ろしい!!!
あとで一般道に下りるときに料金所で聞くと霧で高速道路が閉鎖したとのことでした。
これは危険だと、緊急待避ラインに車を止めて思案していると、さらに次から次へと大型トラックが逆走してきます。さらに後からも大型トラックが!!
ここは、うしろに500m程行くと一般道路に出れる場所なのです。
目の前で大型トラックが逆走するためにUターンを始めました。このまま真っ直ぐに行っても止まっていても危険なので500m戻ったほうが安全と判断し、ついに我々も緊急待避ラインをゆっくりと500m程もどることになりました。
つまり逆走してしまいました。 ごめんなさい!
場所は中国北京近くの高速道路です。高速道路から降りて一般道路を走り始めました。一般道路から見た高速道路です。トラックが数珠つなぎです。
高速道路は大渋滞でしたが
一般国道もすごい渋滞でした。最初はスムーズに走れましたが、ついにこちらも大渋滞となりました。
止まっていたトラックの運転手の人に聞くと、霧のために閉鎖されている3km先の高速道路の入口に入るために並んでいるとのことでした。我々の目的地へは高速道路に乗らないので、並ぶわけにはいかないので反対車線を走らさせてもらいました。
それでも反対車線までいっぱいになったところで完全ストップでした。3時間の予定のところが7時間かかってしまいました。
タグ:高速道路
2016年の「青菅のどんどれえ」は1月14日18時点火 [風習・歴史]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
毎年1月14日には千葉県佐倉市の無形民俗文化財にも指定されている青菅地区のどんど焼き「青菅のどんどれえ」が行われています。2013年から欠かさずに見に行きました。どんどれえは、どんどれえ塚に、「どうしんぼく」と呼ばれる1本の竹を立てて、それを中心にして9本の孟宗竹を立てて、どんどれえを作るそうですが、前々から、そのどんどれえを作るところの写真を撮りたいと思っていました。すでに遅いかもしれないと思いつつ、1月11日に見に行きました。予想していたとは言え、近づいてがっかりでした。すでに建て終わっていました。先週から見に来ておくべきでした。どんどれえを建てることを「竹立て」と呼びます。参考に最近「竹立て」が行われた日をネットで調べてみました。その日が下記です。着色文字をクリックすると竹立ての写真が掲載された記事を表示します。
2009年 : 1月11日 2010年 : 1月10日
2011年 : 1月09日 2012年 : 1月08日
2013年 : 1月06日 2014年 : 1月05日
2015年 : 1月11日 2016年 : 1月 ?日
確認できている範囲では竹立てはすべて日曜日に行われていることから、来年の2017年の竹立ての日としては1月8日の可能性が高いと予想しています。8時に初めて11時に終わるようです。したがって2016年の竹立ては1月10日に行われたような気がします。右の燃えている写真は2015年のどんどれえです。非常に残念ですが、どんどれえ当日の1月14日は飲み会のために見に行けません。
どんどれえが行われる広場の一番遠いところから撮った写真です。
写真は2016年1月11日14時31分に撮りました。一般的には「どんど焼き」ですが、こちらでは江戸の初期から続く小正月の伝統行事で、この青菅地区では「どんどれえ」と呼ばれています。安永年間(1772年~1780年)から一度も欠かすことがなかった行事でもあるそうです。
近づいて撮りました。ここで、1月14日の18時から盛大に「どんどれえ」が行われます。今までに掲載した記事を紹介します。興味のある方はポチッをクリックしてみてください。
2013年1月14日 → ポチッ 大雪の中のどんどれえ
2014年1月14日 → ポチッ どんどれえの様子を詳しく紹介
2015年1月14日 → ポチッ 初めて餅を焼きました。
1月14日夕刻に行われるの理由は、この伝統行事が小正月の行事であり、小正月(こしょうがつ)は1月14日の日没から1月15日の日没までのためと思われます。ちなみに佐倉市の2016年1月14日の日没は16時48分で、日出は6時49分です。
爆竹のような音は、この竹が熱で爆発する音なのです。何層にもこの竹が仕込まれており迫力を伝えてくれます。
破裂音を出すための竹を拡大いたしました。円筒は強いので節の部分の平らなところが破裂するのだと思います。この太さですから迫力が分かってもらえると思います。
冒頭で説明の通り、今年の1月14日は東京の八丁堀で飲み会があるため「どんどれえ」を見に行けません。そのために、本番を紹介できないので2015年の写真を掲載させていただきました。興味のある方は是非とも佐倉市の青菅まで来ていただき本物を見てほしいです。
2015年の動画も紹介します。撮った動画を6本すべて連結させたので5分53秒の動画になってしまいました。
見に行かれる方のためにGoogleの航空写真で「青菅のどんどれえ」が行われた場所を紹介いたします。赤色マーク( )の場所です。航空写真でも拡大すると、はっきりと「どんどれえ塚」がわかります。
ちなみに が庚申塔で、が辻切りのある場所です。
最寄駅 ユーカリが丘線 中学校駅 1.5km 徒歩18分
徒歩 https://goo.gl/maps/K1muRYQUeyr 中学校駅からの経路
電車 https://goo.gl/maps/oJRdfGrcbQo 京成船橋駅からの経路
駐車 周辺の道は狭いので、少し離れた場所をお勧めします。
住所 千葉県佐倉市青菅69-2
1月14日の佐倉市の天気予報の変化を追記していきます。画像をクリックするとオリジナルページを表示します。
1月11日19時44分時点の予報 曇時々晴 降水確率20% 4℃/11℃
1月12日06時25分時点の予報 曇時々晴 降水確率20% 4℃/11℃
1月12日12時30分時点の予報 曇時々晴 降水確率10% 3℃/11℃
1月12日17時00分発表の予報 晴時々曇 降水確率10% 3℃/11℃
1月14日18時の佐倉市の天気予報の変化を追記していきます。画像をクリックすると0時からの予報を表示します。幸いにも当日は晴天になりそうです。ただし、寒くなりそうなので暖かい服を着ていくことをお勧めします。
今朝の気温はマイナス3℃でしたが日中は11℃まであがり、どんどれえが始まる18時には4~5℃に下がりそうです。
1月13日02時発表の予報 晴れ 5℃ 60% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日04時発表の予報 晴れ 5℃ 60% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日06時発表の予報 晴れ 5℃ 60% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日08時発表の予報 晴れ 5℃ 60% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日10時発表の予報 晴れ 5℃ 60% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日12時発表の予報 晴れ 5℃ 60% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日14時発表の予報 晴れ 4℃ 64% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日16時発表の予報 晴れ 4℃ 64% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日18時発表の予報 晴れ 4℃ 64% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月13日20時発表の予報 晴れ 4℃ 62% 降水量0mm/h 風速0m/s
1月13日22時発表の予報 晴れ 4℃ 62% 降水量0mm/h 風速0m/s
1月14日00時発表の予報 晴れ 4℃ 62% 降水量0mm/h 風速0m/s
1月14日02時発表の予報 晴れ 5℃ 62% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月14日04時発表の予報 晴れ 5℃ 62% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月14日06時発表の予報 晴れ 5℃ 62% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月14日08時発表の予報 晴れ 5℃ 58% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月14日10時発表の予報 晴れ 5℃ 58% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月14日12時発表の予報 晴れ 5℃ 58% 降水量0mm/h 風速1m/s
1月14日14時発表の予報 晴れ 6℃ 52% 降水量0mm/h 風速1m/s
2016年1月14日の10時に正月飾りと辻切り(小辻 / 藁の蛇)を、どんどれえ塚に持って行って写真を撮りました。見ての通り快晴で夕方まで好天が続く雰囲気で、絶好のどんどれえ日和でした。
持って行った我が家の正月飾りと、藁の蛇の小辻です。
どんどれえ広場の雰囲気を紹介したいので動画も撮りました。
こちらも2016年1月14日10時ごろの映像です。
アメリカで分別収集? と思ったら! [ピッツバーグ]
この箱は何でしょう。 [話題]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
この箱は何でしょう。マッチ箱?
TAKIBI BAKERY(タキビ ベーカリー)と書かれているのでマッチではなさそうです。タキビ ベーカリーは「旅するパン屋」で知られているお店です。ロバのロゴが入ったパッケージはデザイナー村上周さんのAMDR社がデザインしたそうです。ロバが世界のパンと料理を乗せて運んでいく姿をイメージしているようです。箱に書かれている謹製の意味は「心を込めて、謹んで作りました」です。
そしてマッチ箱のようなケースの中身は紅茶だったのです。家内が六本木の国立新美術館に行ったときにミュージアムショップで買ってきたものでした。
中には三角のティーバッグが3つ入っていました。
この紅茶の名前は三年番茶です。日本の静岡で作られているようです。
冒頭の写真の箱の横に書かれていたSAN NEN BANCHAは三年番茶のことだったのです。三年番茶は緑茶の茶葉と茎を摘み取り、天日に干して三年間熟成させてつくった番茶だそうです。三年熟成させ醸造して、その後焙煎をする事でカフェインやタンニンなどの刺激物質が抜けて妊婦や幼児でも安心して飲める優しい三年番茶が出来上がるそうです。
タキビベーカリーでは下の5種類の紅茶(フレーバー・ティー)が用意されているそうです。
三年番茶 日本
ダージリン イギリス
ルイボスミント 南アフリカ
マテ茶 ブラジル
アメリカンチェリー アメリカ
さっそく飲んでみました。こちらのお店は4種類のラスクも有名です。買ってきたのですが、写真も撮らずに先に食べてしまいました。一緒に写真に収めればよかったと後悔しております。
日本茶なので和菓子を用意いたしました。近くで一番気に入っている和菓子店「藤の木」で和菓子を2つ買ってきました。こちらのお店も近所の口コミで教えてもらったのですが、一度食べてからは時々買いに行っています。
店名 藤の木
住所 千葉県佐倉市中志津4-3-8
電話 043-462-0424
営業 9:00~18:30
定休 水曜日
こちらは家内の方ですが、半分に切って2種類の和菓子でいただきました。確かに紅茶よりも日本茶に近い気がしましたが上品な独特の味でした。
2種類の和菓子の断面です。栗の入った和菓子でした。
タキビベーカリの紹介したいのでネットで調べてみた結果、'旅するパン屋'がコンセプトのTAKIBI BAKERYは、2015年4月までは独自の店舗を持たず、ケータリングや移動式のお店、イベントへの出店やカフェへの卸を中心に行っていたそうです。2015年5月に東京・奥沢にパンだけでなく、雑貨も扱うLABO by TAKIBI BAKERYをオープンさせたそうです。
店名 TAKIBI BAKERY
創業 2011年
住所 場所は時々移動
ただしLABO by TAKIBI BAKERYが2015年5月にOpen
東京都世田谷区奥沢3-30-15
電話 03-3720-7830 (LABO by TAKIBI BAKERY)
ロバをデザインした、アートディレクターでありアーティストの村上 周 (ムラカミ アマネ)さんは1975年生まれの東京都在住です。目に映る街や風景をオブジェクトとして置き換え、独特なパースやスケール感を表現 するアーティストで、海外で滞在した街の風景やポートレートの写真をベースにシルクスクリーンやペインティングでコラージュし、感覚や重力を無視した浮遊感 を与える作品を発表しているそうです。
正月元旦の晩餐は北海道から長男夫婦に送ってもらった蟹をみんなで食べました。 [新年]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
正月に初孫を連れて来た長男夫婦は一昨年(2014年)の4月に関西から北海道に転勤になりました。その長男夫婦が年末年始を我が家で過ごすにあたり出発前の年末ぎりぎりに蟹を送ってもらいました。北海道から我家まで来るだけでも大変なので、蟹代は我々が支払うという条件です。
北海道で実際に見て買ってもらうと肉質がよく立派で美味しい蟹が手に入るからです。候補としてはタラバ蟹か毛ガニです。肉の味やミソを楽しむのであれば毛ガニですが、先ずはたっぷり食べたいので大型のタラバ蟹にいたしました。毛ガニも食べたいので毛ガニも一匹頼みました。
タラバ蟹も毛ガニも大型のものだったので、カニ以外ではサラダが2品だけでしたが、十分満足出来る量がありました。おせち料理は朝に食べ切っりました。
こちらはもう一皿のブロッコリーと生ハムサラダです。生ハムはまだ沢山あったので減ってきたら追加いたしました。
これがタラバ蟹です。写真なので大きさが分かりにくいとは思いますが、子供たちが4人が脚の太い順に取り、私は5番目の太さの脚をいただきましたが1本で十分にお腹を満たす量でした。参考ですが、タラバ蟹は生物学上はカニではなくヤドカリのため、足の数が1対(2本)少ないのです。タラバガニ科にはタラバガニ属、メンコが二属、イバラガ二属、フサイバラガ二属、ニホンイバラガニ属、エゾイバラガニ属、エリタラバガニ属の7属(22種以上)があります。タラバガニ属にはハナサキガニ、タラバガニなど4種があります。
これが蟹の身です。これ一本で十分だったのです。酢醤油でいただきました。
身の味わいを感じてもらうために拡大いたしました。クリックするとさらに特大に拡大いたします。
毛ガニはこちらです。我が家でも大きな方の皿に乗せたのですがこの大きさでした。こちらでタラバ蟹と毛蟹を比較してみました。タラバ蟹は生物学上はヤドカリに分類されますが、味においても食材上においても立派な蟹です。花咲蟹もタラバガニ属になります。毛蟹は生物学上も食材上も、文句なしに立派なカニです。
タラバカニ 鱈場蟹 | ケガニ 毛蟹 | ||
界 | 動物界 | 動物界 | |
門 | 節足動物門 | 節足動物門 | |
亜門 | 甲殻亜門 | 甲殻亜門 | |
綱 | 軟甲綱 | 軟甲綱 | |
亜綱 | 真軟甲亜綱 | 真軟甲亜綱 | |
上目 | ホンエビ上目 | ホンエビ上目 | |
目 | エビ目(十脚目) | エビ目(十脚目) | |
亜目 | エビ亜目(抱卵亜目) | エビ亜目(抱卵亜目) | |
下目 | ヤドカリ下目(異尾下目) | カニ下目(短尾下目) | |
上科 | ヤドカリ上科 | イチョウガニ上科 | |
科 | タラバガニ科 | クリガニ科 | |
属 | タラバガニ属 | ケガニ属 | |
種 | タラバガニ | ケガニ |
甲羅を外して中の味噌を甲羅に移しているところです。手と大きさを比べてもらうと毛ガニの大きさが分かってもらえると思います。
これが毛ガニの蟹ミソです。みんなでいただきました。この日だけで買ってあった日本酒の一升瓶をほぼ飲み干してしまいました。もちろんビールも沢山いただきました。いつもはお酒類の写真も掲載するのですが、蟹を食べるのに一生懸命でお酒とビールの写真は撮り損ねてしまいました。
毛ガニの身の部分も拡大いたしました。毛ガニの身はワンと美味しかったです。大満足の正月となりました。ちなみに1月2日はしゃぶしゃぶで、大晦日の晩餐は、すでに紹介したように関西から持つ帰った神戸牛のステーキでした。ステーキの記事はこちらです。→ポチッ
さくら君さんの「揚げそば」にトラックバック [日々]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
さくら君さんのブログに見覚えのある写真が掲載されていました。9月に買った蕎麦煎餅の写真を見ると間違いなく同じものでした。偶然とは言えうれしいので、さっそく掲載してトラックバックさせていただきました。生産者は「印旛そば石亭」と書かれていました。こちらがさくら君さんのブログです。
さくら君さんの揚げそば
わ~い
揚げそばを頂きましたケロ
お味は・・・歌舞伎揚げのような・・・
おっ
だんだんに蕎麦の風味が口の中に広がります
うまし
ごちそうさまですケロ
これが中身です。さくら君さんの写真とそっくりです。
買ったのは「房総のむら」に隣接するドラムの里の農作物直売所[四季彩館」でした。
美味しそうなので房総ポークのロースハムがあったので買いました。千葉県富里氏七栄650の堀江ファーム(HORIE HAM)で作っているようです。
房総ハムをスライスしてさっそく食べてみました。美味しかったです。
卵も美味しそうなので買ってきました。産みはじめの小ぶりの卵で玉子かけご飯にぴったりのサイズでした。さっそくこちらも卵かけご飯で食べました。これ以外に「こだわりかりんとう」「はちみつ」「とうがらし」「葉しょうが」なども含めて11品ほど買いました。
初孫の56枚の連写写真をアニメーションGIFにしてみました。 [新年]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2015年12月31日から2016年1月3日まで初孫が家に来ていました。赤ちゃんの顔の表情は一瞬で変わるので連写で撮るようにしていました。
右の写真は連写の一枚目ですが、この時は一番長くシャッターポタンを押した結果、連続で56枚の写真が撮れました。食べているのは赤ちゃん用せんべいです。
写真を撮ったのは2016年1月3日なので赤ちゃんの年歳は0歳6ケ月22日です。
せっかくの連続写真なのでアニメーションGIFにしてみました。ただし、私が最近よく使うサイズ477x318ピクセルではファイルサイズは4.61MBになってしまいました。ブログでのアップロードは2MBに制限されているので56枚のアニメーションGIFは掲載できないので24枚のアニメーションGIFにして上に掲載いたしました。ファイルサイズは1.97MBです。表示は0.2秒間隔です。
アニメーションGIF(Animated GIF)はGIFアニメーション(GIF animation)ともいわれています。複数のGIFで構成されたものです。
GIFはGraphics Interchange Formatの略で画像ファイル形式です。アニメーションGIFをクリックするとそれぞれ違う静止画を表示します。
56枚のアニメーションGIFを紹介したかったので300x200ピクセルで作りました。ファイルサイズは1.95MB(<2MB)です。
動画ほどスムーズな動きではありませんが見た目は動画のように感じてもらえるのではないでしょうか。
表示は0.18秒間隔です。
1枚1枚の表情が変わっていくので、皆さんに紹介したくて1枚の表示を1秒に設定いたしました。したがってすべての画像を見るのに56秒ほど必要です。ファイルサイズは表示間隔には関係ないので上の画像と同じ1.95MBです。
表示は1.0秒間隔です。
今回のアニメーションGIFは、ダウンロードした無料ソフトGiamで作成いたしました。単純作業ではありますが、さすがに56枚は縮小するのも結合するのにも手間がかかりました。
長男夫婦が住んでいるのは北海道のため頻繁には会えなくて初孫が家に来たのは初めてのことでした。正月のおかげで私の次男や長女とも会えることが出来ました。みんなで初詣に行き記念写真も撮ることが出来ました。右の写真は1月1日に初詣で行った八社大神での記念写真です。
すでに紹介したした写真ではありますが初孫(女の子)もお参りいたしました。
お参りの仕方が書かれていたので二礼二拍一礼で行いました。
我家のワンコ(名前:ムサシ)とも初の対面をすることが出来ました。
1月7日朝に七草粥を食べました。 [料理]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
1月7日は"人日の節句"(じんじつのせっく)で、この日は七草粥を食べる日です。七種粥とは"人日の節句"(1月7日)の朝に食べられている行事食であることから2015年1月7日の朝に七草粥をいただきました。我が家では2013年までは七草粥を食べる習慣はありませんでしたが2014年から始めました。したがって今までに七草粥の記事を2回掲載いたしました。
2015年1月7日→ポチッ
2014年1月7日→ポチッ
これが前日に買ってきた七草のセットです。昨年と同じセットでした。
七草の葉の部分を刻みました。
根菜部分は葉の部分とは別に切りました。別に切ったのは居れる時間を葉と少し変えるためでした。
お粥専用の陶器製の行平(ゆきひら / 雪平)を使って炊きました。七草粥のレシピは2015年の記事で掲載したので省略いたします。必要な方は2015年の記事を見てください。→ポチッ
七草粥が出来上がりました。行平ごとテーブルに持ってきて自分でよそいました。今回は米1合+水1000ccで作りました。
塩加減は薄目で丁度良くて個別に塩で味を調整する必要はありませんでした。七草粥は一年の無病息災を願って食べられる行事食で、祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われています。この行事は平安時代に、すでに行われていていたそうです。この時の行事食は室町時代の汁物が原型ともされているそうです。今は七草がセットで売られているために、具としては、はこべ、ごぎょう、すずしろ、せり、すずな、なずな、ほとけのざ、が使われることが多くなりましたが、それぞれの地域ではいろんなものが入れられています。入れられているものは2014年の記事を参考にしてください。→ポチッ
2016年の「おせち」 [新年]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2016年元旦は初めて初孫も来たおめでたいお正月でした。1月1日の朝は長男夫婦と次男と長女と我々の6人で、おせち料理をいただきました。おせち料理はかまぼこと漬物以外はすべて家内の手作りです。ただし、おせち料理は1月1日の朝に食べきってしまうことを目標に作っています。朝食ではありますが元旦なので日本酒を飲みました。2本の白い出石焼の銚子にお燗した日本酒が入っています。
お正月らしい雰囲気にするため、漆塗りの半月膳に庭の南天と万両を飾りました。もちろん半月膳は朱塗り側を上にしました。裏は黒塗りです。「おせち」の由来は中国から伝わった五節供にあるそうで、御節供(おせちく、おせつく)や節会(せちえ)の略だそうです。奈良時代には朝廷内で節会として行われ、そこで供される供御を節供(せちく)と言といわれたそうです。そのころは現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯であったそうです。この五節会の儀を一般庶民がならって御節供を行うようになったものと考えられているそうです。もともとは五節句の祝儀料理の全てを言っていたそうですが、のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになったそうです。正月料理は江戸時代の武家作法が中心となって形作られたそうです。
現在の人日の節句(1月7日)の行事料理と言えば七草粥ですが昔は違っていたということになります。
江戸時代、関西では「蓬莱飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」、九州の佐賀・長崎などでは「蓬莱台・手懸け盛り」と称し歳神様に三方などでめでたい食べ物などを床の間に飾り、また年始の挨拶に訪れた客にも振舞ったり家族も食べたりしたとのことです。
お屠蘇(おとそ)がわりに日本酒を、昔からの錫製の銚子に入れました。本来のお屠蘇は、数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を日本酒などに浸して作るそうです。
御節は一食で食べきるために少なめにしているので、お重は一段のみを使いました。海老、ごまめ、きんとん、かまぼこ、焼き豚です。
昔の正月料理の御節は飾るだけでしたが、天明(1781~1789年)の頃以降は食べるようになり、重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降で、手法として完全に確立したのはは第二次世界大戦後だそうです。
こちらは、なます、千枚漬け、数の子、黒豆です。なますに使われている大根は、年末に近所でもらったものです。最近では重箱に入れた御節料理が食卓に並ぶことが多くなってきた一方で、重箱にこだわらない形での自由な発想の御節料理も将来は増えてくる気がします。
煮しめとしては家内の自慢の筑前煮を作りました。人気で、お鍋に残っていたもの食べきってしまいました。おかげでお酒も進みました。
お雑煮が出てきました。取り皿を2つ並べると半月膳がいっぱいとなりました。
こちらは澄ましのお雑煮です。お雑煮のお餅は"kazu"さんにいただいたものです。12月30日につきたての伸餅をいただき市販のものよりも少し大きめに切りました。自家製のお餅でおいしかったです。6人の内3人はおかわりいたしました。
こんがりと焼けたお餅を拡大いたしました。
今回初めて来た6ケ月の初孫は御節料理を食べるのは無理なので離乳食を食べました。
ムサシも参加したかったみたいです。何度も前足を机に乗せて覗き込んでいました。
我が家では澄ましのお雑煮なのですが、1月2日の朝食では味噌仕立てのお雑煮にしました。おそらく約20年間の内で、初めての味噌仕立てのお雑煮だと思います。雑煮の由来は諸説あり、定かではないそうですが、餅が食べられるようになった段階から存在したと想像されます。つまり呼び名は別として、米文化の日本では古来から存在した料理ではないでしょうか。
初対面 ムサシと初孫 [新年]
初孫が北海道から2016年12月31日に来て正月を過ごしました。長男夫婦以外の子供たちも集まりました。私の長女はお宮参りの時に会いましたが、次男は赤ちゃんとは初対面でした。そして我が家のワンコ(名前 : ムサシ)も初対面となりました。すでに紹介の通り赤ちゃんは2015年6月12日に生まれたので6ケ月と19日です。
右の赤ちゃんの写真は6月17日のに撮ったものです。一方、ムサシの誕生日は2000年4月4日のため15歳9ケ月なので落ち着いたものでした。上の写真は右上の写真から切り取ったもので、ほんとの初対面(はつたいめん)の写真です。少し引けていました。
ペロッと舐めて挨拶です。我が家のムサシは舐めることはほとんどしないのですが、この日は不思議と舐めてくれました。
ちょっとムサシに興味を持ったようでした。到着した12月31日の写真です。
冒頭で説明の通り、初対面だったのはムサシだけではありませんでした。私の次男とも初対面でした。ぎこちない抱っこです。姪っ子ちゃんになります。こちらも到着した12月31日の写真です。次男の顔が写っていない写真にさせてもらいました。
ムサシは本来、子供が好きなのですが、家の中で会うのは初めてなので赤ちゃんだけでなくムサシも緊張気味でした。1月1日の写真です。下の写真は右の写真から切り取りました。元旦の記念の動画をお嫁さんがスマホで撮っているところです。動画を見てみたいものです。
3つ目のご対面は、こんな感じでした。二人ともにカメラ目線です。ムサシが脾臓の摘出手術を受けたのが2015年6月8日でした。その4日後の6月12日に初孫が生まれたのでした。ムサシが大病を乗り越えて元気になってくれたおかげで初対面が実現出来たのだと思います。
ムサシが耳を振っているところです。耳がおおきいでしょう。
初対面の写真は、きっといい思い出になると思います。1月3日に羽田空港16時30分発のフライトで北海道に帰りました。
初孫と一緒に初詣に行きました。 八社大神と千手院 [新年]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2016年の正月は子供達全員が集まりました。2015年6月12日に生まれた、北海道に住んでいる長男夫婦の子供(女の子)は今回が初めて家に来ました。我々の初孫になります。2016年1月1日の朝のおせちを食べた後に、皆で初詣に行きました。子供が小さいこともあり、歩いて行ける神社と寺院の2ケ所に行きました。上の写真が最初に詣でた八社大神(はっしゃだいじん)です。八社大神は15~16世紀頃にあったと伝えられる井野城の跡にある神社です。
八社大神(八社神社 / 八社大明神 / 八社大神神社)には下の八柱の神々が祀られていました。もともとは十二柱の神々が祀られており十二杜大神と称されていましたが四杜は他村(小竹)に分祀(ぶんし)されて八杜大紳になったと伝えられているそうです。ここで持って行った三脚で記念写真を撮りました。小竹の四社大神の祭神は經津主命と大己貴命と伊弉諾命と伊弉再命です。
① 別雷命 わけいかづちのみこと
② 天兒屋根命 あめまこやねのみこと
③ 伊弉冉命 いざなみのみこと
④ 大己貴命 おおなむちのみこと
⑤ 比咩神 ひめのかみ
⑥ 大山祗神 おおやまづみのかみ
⑦ 保食神 うけもちのかみ
⑧ 表筒男命 うわつつのおのみこと
普段は無人の神社ですが、神主さんがおられて拝殿でお祓いをしてもらった後に裏にある本殿でお参りをいたしました。写真は神主さんにお祓いをしてもらっているところです。
本殿側に廻ってみんな参拝いたしました。八杜大紳之祭神のごりやくは、①厄除け・災難除け・落雷除け等、②立身出世等、③国家安泰・子孫繁栄・五穀豊穣等、④福徳円満・縁結び等、⑤縁結び・安産等、⑥航海安全・商売繁盛等、⑦五穀豊穣・養蚕と畜産守護等、⑧家内安全・学問成就・交通安全等、です。
ちゃんと初孫(女の子)もお参りいたしました。お参りの仕方が書かれていたので二礼二拍一礼(二拝二拍手一拝)で行いました。
こちらが八杜大紳の本殿です。
井野城の土塁の上から八杜大紳の本殿と拝殿をみた景観です。
見事な彫刻が施された本殿でした。奥側から撮っているので拝殿が向こう側に見えます。
拝殿の中にも明治時代と思われる資料が飾られていました。右の絵では日本人と思われる軍隊(左側)と戦っている相手(右側)の顔つきが欧米人のようなので日露戦争(1904年2月8日~1905年9月5日)の絵なのかもしれません。日露戦争では日本が勝ちましたが戦没者は日本が圧倒的に多かった戦争でした。戦没は戦死+戦傷死+病死です。病死が多いのにも驚かされます。
ロシア 戦没42,628人 病死11,170人 負傷146,032人 捕虜79,000人
日本 戦没88,429人 病死27,192人 負傷153,584人 捕虜 1,800人
睦仁と書かれた書類も飾られていました。明治天皇が明治二十三年十月三十日(1890年10月30日)に書かれた書類のようです。1890年10月30日は教育勅語が発布された日なので、それに関したの書類のようです。確かに「教育」の言葉が見受けられます。教育勅語は、正式には教育ニ関スル勅語と言われ、第2次世界大戦前の日本の教育の根幹となった勅語だそうです。
原文をネットで探した結果、一致したので、やはり教育ニ関スル勅語でした。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ 修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無 窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日 御名御璽
御名御璽は「ぎょめいぎょじ」と呼び、君主の署名と公印のことです。日本においては、現在も天皇の署名・公印をさして公的に用いられる呼称だそうです。右の写真は明治天皇の御名御璽です。官報において公布される法令の天皇の署名・捺印部については「御名 御璽」と表記されるそうです。その際、「御名 御璽」は当該文書の題名と同程度の高さに置かれるそうです。その後につづく首相と閣僚の副署は通常のように各行の最下部に署名どおりの実名をもって表記されるそうです。官報以外の公文書および民間で出版される法令集においても公布された形式の通り、同様に表記されるそうです。
この井野城跡の鎮守の森の中に主格跡と八杜大紳があります。
以前に掲載の井野城の記事→ポチッ
航空写真と模式図で八杜大紳と井野城を紹介いたします。航空写真の中の井野城と書かれているところに主格跡と八杜大紳があります。1971年以前は、このあたり一帯が林で覆われていました。井野城の特徴は土塁の内側の主郭の建っていた部分が深く掘りこまれていることでした。主郭が平屋であったならば、周辺から建物が見えなかったと思えるほど土塁の内側は深くなっていました。
実は井野城の近くにあった先崎城や下高野館も、これほどの深さではありませんが、同じように主郭の部分は深く掘りこまれていました。同じ考え方で作られた城で臼井城を守っていた出城(支城 砦)であったようです。
八杜大紳に参拝した後は千手院(せんじゅいん)に向かいました。
ここでも持ってきた三脚で記念写真を撮りました。千手院は、千葉県佐倉市井野にある真言宗豊山派の寺院で山号は稲野山です。本尊は千手観音です。この寺は、729~749年の天平年間に下総国印旛郡臼井荘臼井石神に創建された蓮華王院に始まり、1392年に僧澄秀が兵乱に遭うことを恐れ、小竹城主で大壇那でもあった千葉一族の小竹高胤に願って井野村へ移し千手院と改めたと伝えられている由緒ある寺院です。
八社大神と千手院の場所を航空写真で紹介します。八社大神と千住院に参拝した後は、ツタヤ(TSUTAYA)に寄ってDVDを4本借りて家に戻りました。歩いたコースでは右の写真の井野の辻切りを3ケ所で見ることが出来ました。
地図内の千手院卍の文字の位置は間違いで の位置が正しいのです。
━━ 八社大神 → 千手院 → ツタヤ へのルート
八社大神
千手院
ツタヤ(TSUTAYA)
井野の辻切り → 記事-1 記事-2
出発から帰って来るまでを紹介します。
写真の11枚目と12枚目の間でDVD屋さんのツタヤに寄りました。
初めて初孫にあったときの記事はこちらです。→ポチッ
非常階段に行列が出来る超人気肉店のお肉1.7kgでステーキ [新年]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上の写真は宝塚の実家に帰ったときに超人気店で買った特上ヘレ肉のステーキです。今回の年末年始では諸般の事情により実家ではなく、2015年12月31日から千葉県佐倉市の私の家に子供たちが集まるので12月23日から30日まで私が兵庫県の宝塚の実家に帰省していました。そこで、今回は兵庫県にある超人気の牛肉店(本店は神戸)でステーキ用のヘレ肉(ヒレ肉)を買って帰ることにいたしました。
12月24日にお店を下見に行った結果、営業の最終日が12月29日でした。12月29日はタイミングよく帰宅する前日でした。そこで12月29日に開店の30分前に来ましたが、下の写真のように、すでに沢山の人が並んでいました。ガードマンの持っている案内板には「ココは最後尾では御座いません。非常階段の方へお廻りください。」と書かれていました。店の前に行列が出来ると周囲のお店に迷惑が掛かるので非常用通路に並ぶようにしているようでした。
店名 山垣畜産 アクタ西宮店
住所 兵庫県西宮市北口町1番2号
アクタ西宮東館1階118号
電話 0798-66-5929
営業 10:00~20:00
定休 第1・第3火曜日
本店 神戸市北区八多町吉尾819番地
地図 http://goo.gl/maps/82xyr ポチッ
掲載 記事-1 記事-2 記事-3
非常用通路の入口に行列の場所が書かれていました。
非常用通路の方に廻ってみるとすでに沢山の人が並んでいました。列に沿って歩いて最後尾まで来ました。ここが行列の最後尾です。お店は1階にあるのですが最後尾は2階まで上がっていました。
階段を下りたところです。思わず、声を出して驚かれる方が何人もおられました。開店時間を過ぎると少しづつ動き始めて少し安心いたしました。これだけの行列が出来るのは年末だけで、普段は店の前だけなので安心してください。
ここの一番前が非常用通路の行列の一番前です。ここら3人づつガードマンの人がお店のところに案内してくれます。3人づつにしているのは割り込みを防ぐために並んでいる3人の人の顔を覚えるためだそうです。3人と書きましたが正確には3組です。夫婦で来られている方が1組入ると4人になるのです。
お店の前まで行くとお店の前に張られたロープの中に入ります。このロープの中に入ると一安心です。お店の中では20人近い人が働いていますが注文を受けるのは一人だけです。混乱をされるために一人が先頭から順番に注文を受けているのだと思います。注文内容を伝えると整理番号札を渡されてレジに肉が届くと呼ばれます。
これが購入した特上ヘレ肉(ヒレ肉/フィレ肉)1.7kgです。いろんな肉を食べた経験から、この肉はデパートなどで買うと100gが約3000円の肉質なのです。でも、こちらのお店では行列が出来るだけのことがあり安く買えるのです。このお店でサーロイン(特上ロース)とランプも試してみましたが、やはり特上ヘレ肉が格別でした。
千葉の家のために買うのが目的ではありますが、実家でもお袋と食べるので少し多めに買ったわけです。残りは家に持って帰って家に集まった子供たちと食べました。
実家ではブロッコリーをも、つけ合わせにいたしました。
ステーキの上に乗せているのはニンニクです。
肉の断面も紹介します。
写真を拡大いたしました。
やっぱりビールが飲みたくなります。
千葉の家に持ち帰ったのは、こちらの1.45kgの肉です。つまり1.7kg-0.25kg=1.45kgなのです。
一番おいしく焼ける約28mmの厚みに切り分けました。ここの特上ヒレ肉はサーロインと違い脂は目立ちませんが、味も美味しく、非常に柔らかな肉なのです。ヘレは主に近畿地方の呼び方で、一般的にはヒレ、フィレ、テンダーロインと呼ばれます。骨盤の内側にあり、脊椎骨(背骨)と大腿骨(太ももの骨)を結ぶ2本の棒状の結合組織が少ない筋肉(大腰筋/だいようきん)で、非常に柔らかい赤身肉です。一頭の牛から採れる量がわずかなので最高級の部位とされています。骨盤と大腿骨をつないでいる筋肉は中臀筋で部位の呼び方はランプのようです。
お店でもらった香辛料をふりかけました。
最初に牛脂で薄くスライスしたニンニクを焼きます。焼きあがった順番にニンニクを取り出します。焦がさないのが重要です。ニンニクの香りが移った油でステーキを焼くのが目的なのです。
全て同時に仕上げたいので鉄のフライパンと鉄の天ぷら鍋で肉を焼きました。
ステーキ完成が完成しました。我が家ではクレソンをつけ合わせにいたしました。
ソースは赤ワインとウスターソースを事前に煮詰めたものをステーキを取り出した肉汁の中に入れて、さらに過熱したものです。
ビールが美味しかったです。
さらに別のお皿の写真を紹介します。
息子夫婦が5ケ月目の赤ちゃんを連れて実家に行ったときは山垣畜産の肉を使ったすき焼きを食べたそうです。
右はその時に撮った写真です。
さらに別の皿の写真です。1.45kgを6人で食べたので一人平均は242gでした。9個に切り分けたのは厚み28mmを優先したためでした。つまり一人が1.5個のステーキを食べたのでした。このステーキは2015年12月31日の大晦日にいただきました。
マレーシアのペナン島 [海外]
マレーシアのペナン島はリゾート地として有名です。そのペナン島には3度行きましたが、不思議と写真はほとんど残っていません。紹介できそうな写真としてはホテルの窓から撮った一枚あったので掲載いたします。 ゴルフ場周辺には沢山の高級住宅地がありました。さすがリゾート地でした。写真はクリックすると拡大するので立派な家だと感じてもらえると思います。
残念ながら掲載出来る写真がないのがタイ、ミヤンマー、香港、マカオです。
写真がないのは、持ち歩いていたパソコンが壊れたからです。そのパソコンだけに入れていた写真はなくなってしまいました。メキシコやベトナムでも、今掲載している写真だけでなくもっといい写真もありましたが、やはりパソコンが壊れたために消えてしまったのでした。
それ以来、パソコンのハードディスクには大切なものを保管しないで外付けのハードディスクに保管しています。その外付けのハードディスクが壊れても大丈夫なように別の外付けのハードデスクにも同じものを保管しています。目的は保管用ではありませんが、さらに携帯用のハードディスクにも同じものを保管しています。つまり同じものを3つのハードディスクに保管しているのです。そんなこともあり仕事用も含めると外付けハードディスクも9台になりました。
ペナン島の場所を地図で紹介します。プラスのアイコンを数回クリックすると島の形がわかると思います。
甘栗が、はやっています。 [山東省]
中国では道端で甘栗を売っているのをよく見かけます。
都会では高くなってきましたが、地方では500gで 8元(150円)と日本と比べると安いのでお土産に買って帰ることにしました。
山東省の甘栗屋さん です。
お店は山東小東楽食品で小東楽甘栗(小东乐甘栗)と名づけられていました。
甘栗は3種類で真ん中が普通の栗 小さいのが野生の栗だそうです。味は普通の栗の方が甘くておいしかったですね。だけど野生の栗のほうが値段は高い!
冷えないように布団をかぶせて売っていました。
次から次えと売れていました。場所は山東省の省都の済南です。
都会では高くなってきましたが、地方では500gで 8元(150円)と日本と比べると安いのでお土産に買って帰ることにしました。
山東省の甘栗屋さん です。
お店は山東小
甘栗は3種類で真ん中が普通の栗 小さいのが野生の栗だそうです。味は普通の栗の方が甘くておいしかったですね。だけど野生の栗のほうが値段は高い!
冷えないように布団をかぶせて売っていました。
次から次えと売れていました。場所は山東省の省都の済南です。
タグ:甘栗
あけましておめでとうございます。2016年 元旦 六甲山の行者山 [新年]
2016年の我家の年賀状
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。今年は皆さんにとって良い年となることを祈念いたします。
So-netブログをはじめて今回の正月は7回目になります。2009年5月5日に最初の記事を掲載して6年8ケ月(80ケ月)が経ちました。沢山のアクセスをしていただき、沢山のnice!を頂き、沢山のコメントを頂き、ありがとうございました。
写真は昨年の6月12日に生まれた初孫です。
2016年元旦
今年の新年最初の記事としては、宝塚の実家近くの行者山(ぎょうじゃやま)を紹介したいと思います。上の写真は、実家近くから撮った行者山です。写真の中央の高い山が行者山です。行者山は六甲山系の山の中の一つで東の端に位置します。
生まれてから11ケ所( )に住んだことがあります。2015年12月23日から12月30日まで母と犬が住んでいる宝塚市逆瀬川にある実家に帰省していました。その実家は六甲山の東側にあり、学生時代から関東に引っ越すまでの間は、よく六甲山を歩きまわっていましたが、不思議なことに実家に一番近い行者山には登ったことがなかったのです。今回、2015年12月28日に、その行者山に初めて登ってみました。
0歳 兵庫県伊丹市に生まれる
1歳 兵庫県西宮市夙川に引越
2歳 広島県広島市平野町に引越
3歳 広島県広島市井口に引越 → 記事
10歳 兵庫県神戸市東灘区岡本に引越
14歳 兵庫県神戸市東灘区本山に引越
16歳 兵庫県宝塚市に引越 今の実家の場所
1988年 千葉県船橋市に引越
1993年 千葉県佐倉市に引越
大阪府茨木市と神戸市須磨区にも住んでいたことがあります。
実家から逆瀬川の支流となる白瀬川の横を歩きました。今は大きな住宅地になっていますが、私の学生時代は山林で実家の犬(ジョン)と走り回っていた場所でした。今はありませんが、犬が泳いだ右の写真の池もありました。
六甲山の湿地には今でも食中植物のイシモチソウやモウセンゴケやミミカキグサ類が生えています。この辺りには、住宅地が出来るまでは六甲山では珍しいコモウセンゴケが生えている貴重な場所でもありました。六甲山の池の食虫植物としてはタヌキモを特定の池で見ることが出来ます。
川沿いの太い道が途切れました。川の右側の黒い車の奥に道がありそうなのでそちらに進んでみることにいたしました。
こちらが車の奥の部分を拡大した写真です。
やはり細い道がありました。この辺りはワンコの散歩道になっているようでした。
進んでいくとハイキングコースの大きな案内板がありました。実は、実家を出るときから行者山に登るつもりではなく、この案内板を見るまでは甲山の方に登り、仁川駅に出るつもりでした。この案内板を見て、とりあえずは行者山東観峰に登ってみることにいたしました。
結果的には3秒間隔で点滅させている太い赤いラインを歩きました。親切なことに黒い丸の部分に、その場所の現在位置を書いた地図付きの案内板がありました。歩いたルートの地図付きの案内板の写真も順番に紹介したいと思います。地図内の現在地と書かれているところに、この案内板がありました。
右の地図をクリックすると拡大地図を別画面で表示するので、出てきた地図を見ながら記事を見ていただくとわかりやすいと思います。
最初は、ゆずり葉散策路と名付けられた道を歩きました。
不思議なことに大きな南天の木が生えていました。南天の木は庭木だと思っていたので不思議に思ったわれです。考えてみるに人家が全くなかった学生時代にも、この辺りで南天の木を見た記憶がありました。元々は渡来した栽培種の実を鳥などが運んで野生化したものと考えられているようです。
道を歩きやすいように、石が組まれているのに驚きました。きっとボランティアの人が整備してくれたと思うのですが大変な作業だったと思います。
六甲山でよく見かけるシダが生えている小道になってきました。
登りきったところに行先を示す標識がありました。東観峰・行者山と書かれた方向に進みました。
まさに雑木林の中を進む感じでした。ところどころにイノシシなのか掘り返した後もありました。
このような大谷と書かれた石の標識が小道の真ん中に埋められていたので、後で調べるつもりで写真に納めました。
開けたところに出ると砂防ダムがありました。
川を渡ると、階段のように整備された小道もありました。ここの左側には砂防ダムがありました。
よく見ると、単なる板ではなく滑り止めが付けられた板が使われていました。ここにも整備に力が入っていることが伝わってきました。
最初の現在地を示す地図付き案内板です。ここからは東観峰までは概ね山の尾根伝いに登っていきます。
山の尾根なので道の両側が険しい崖のところもありました。
危険な部分には虎テープが張られている上に、きつい登りの部分にはロープが設置されていました。道の右側のロープが判るでしょうか。このロープを使って登りました。
雑木が多く枯葉で道が判りにくいところには標識も建てられていました。
石が動かないように鉄杭も打ち込まれていました。これなら安心して石を使って踏ん張れます。
急なところはロープだけではなく梯子も設置されていました。これには驚かされました。見た目よりは急阪で確かに梯子が無かったら大変だと思いました。
少し見晴らしがいいところに出たので六甲山の山頂方向(西方向)の写真を撮りました。まだ東方向の眺望は見れませんでした。
また梯子とロープが設置されていました。
甲山が見える場所に出ました。左の丸い山が甲山です。甲山は火山の痕跡である山で、1200万年前に噴火したとされています。岩質は輝石安山岩からなり、隣接した花崗岩からなる六甲山とは違う形成過程であると考えられています。
上の写真を撮った場所の写真付き案内板です。
こんな感じで写真付き案内板が立てられていました。
さらに尾根伝いに小道を進みます。
開けた場所に出ました。甲山をバックに現在地を示す地図付き案内板が立てられています。
こちらが案内板の地図です。今まで出てきた案内板は上が北でしたが、この地図は上が南です。つまり案内板の地図は立てられている方向や見る方向によって地図を変えているのです。心憎い配慮です。
宝塚南口の高層マンション群です。宝塚歌劇の大劇場も写っています。
宝塚歌劇の大劇場をズームアップいたしました。正式名「宝塚大劇場」は1992年完成で毎年100万人以上の観客を動員しているそうです。
上の2枚の写真はズームしたもので、目で見た感じはの写真を紹介します。この写真はクリックすると特別に大きく表示するように設定いたしました。
少し東方向です。逆瀬川駅や実家があるあたりも写っています。
行者山東観峰に着きました。
ここには登頂記念箱が設置されていました。
このノートに記念の言葉を書くのです。
行者山東観峰に設置されていた現在地わ示す地図付き案内板です。
行者山東観峰からの宝塚駅および宝塚南口方向の眺望です。
大阪方向の眺望です。
ここには基準点が設置されていました。
2級基準点で西宮土木事務所が設置したようです。ネットで調べた標高は383mでした。361.18mmと書かれていサイトもありましたがGoogle地図の等高線から判断して383mの方が正しそうでした。
行者山東観峰からは一旦は西方向に下ってから行者山に登ります。
目の前の小高い山が行者山(415m)です。
東観峰(383m)と行者山の標高差は32mとなります。
東観峰から行者山に向かいました。
行者山の少し手前にも地図付き案内板が設置されていました。名前は行者山東展望台(400m)です。
これが地図です。現在地が判ってもらえると思います。
行者山東展望台から見た甲山です。池は西宮カントリー倶楽部(ゴルフ場)内にある深谷貯水池です。リゾートホテルのような建物は、阪急逆瀬台マンション・アヴェルデの1番館~5番館だと思います。
この建物の中に、以前に紹介した出石そばのそば義があります。
こちらにも基準点が設置されていました。
行者山東展望台から見た東観峰です。
行者山東展望台と行者山を結ぶ道です。距離はわずかです。
行者山に着きました。標高は415mです。このあたりの最高峰です。
こちらが現在地の地図です。
ただし周囲が木でおおわれているため景色が見えません。だから行者山東展望台があるのだと感じました。
行者山を離れました。
下り始めました。
下っていく途中に不思議な石の配置がありました。
枯葉をどけてみると基準点でした。
こちらの基準点は兵庫県の3級基準点でした。
六甲山から降りてくる道に出ました。分岐点に例の案内板が立っています。
奥の方から降りてきました。
現在地を示している地図です。こちらは上が南です。
こちらが六甲山の方向です。
こちらが光ガ丘の方向です。こちらの方向に降りていきました。ここが支多々川の源流です。道そのものが川なのです。
水は流れていませんが、湿っており苔などの胞子植物が沢山生えていました。
シダ植物も多かったです。
大雨の時は、ここを水が流れるのだと思います。
ここで川と別れました。左に川が下っていき、道は右に進みます。
道の部分です。
東観峰からの道に合流いたしました。
もうすぐ光ガ丘口です。
尾根を進んだ後に、また支多々川に出てきました。見えているのは砂防ダムです。
水が流れているのが判ると思います。
流れているところが実感してもらえるように動画を掲載いたしました。
もうすぐ住宅地です。
写した中の最後の案内板です。
そして、これが案内板の地図です。
道路が見えてきました。
住宅地に見えてきました。川は支多々川です。実家の近くまで流れていきます。
昔からの町並みを流れる支多々川です。
この先は武庫川につながっています。
実家の近くまで戻ってきました。正面が行者山で、その左が行者山東観峰です。
歩いた全コースを紹介します。ただし実家の正確な位置が特定されないように実家の近くだけルートを少しずらしております。
ちなみに六甲山最高峰は931.25mで、甲山は309.2mです。逆瀬川駅の標高は51mのため登リ口である西逆瀬台口までの標高差は約100mあります。
行者山の住所は 兵庫県宝塚市 小林西山 (34°47'49.1"N 135°19'21.0"E)になります。緯度と経度の情報はGoogle地図の等高線の頂点の位置から判断いたしました。北東方向には譲葉山(514m)と岩倉山(488.4m)もあります。
━━ 歩いたハイキングコース
━━ 住宅地内を歩いたコース
150m 西逆瀬台口
383m 行者山東観峰 34.796308, 135.325828
400m 行者山東展望台 34.796703, 135.323437
415m 行者山 34.796964, 135.322511
230m 光ガ丘口
場所を特定した等高線の入った地図を紹介します。等高線は10mごとです。クリックすると標高を書き込んだオリジナルのGoogle地図を表示します。
タグ:新年