野菜を沢山いただきました。 [話題]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
先日、沢山のレタスを八千代市下高野のkazuさんから頂いたことを記事で紹介させていただきましたが、同じ日に佐倉市の畑を見させていただきました。先日紹介したレタスの畑は八千代市の畑でした。上の写真は「ツタカカーメンの涙」と言うエンドウ豆の品種です。豆ごはんにすると炊いた当日は普通の豆ごはんですが、翌日になると赤飯のような色になる不思議な豆です。
こちらが「ツタカカーメンの涙」ですが、色のついていないエンドウも混ざっています。昨年収穫した種豆を蒔くと、このようになったとのことでした。
そら豆もいただきました。
その場に生えていたエシャロット引き抜いていただきました。
その晩の夕食はいただいた新鮮野菜の夕食でした。エシャロットの新鮮さが伝わると思います。
こうなるとやっぱりビールです。
そら豆もビールに合いました。
そら豆は茹でただけではなく、鞘のまま焼きソラマメもやってみました。
鞘のまま焼いた目的は、鞘の内側の綿毛を食べるのが目的でした。スプーンで刮いでたべるのですが、これが意外と美味なのです。
動物性の蛋白質は干しがれいを用意いたしました。
もちろんツタンカーメンの涙は豆ごはんにいたしました。
そして、いただいた新キャベツはサラダにいたしました。
八千代市にあるレタスを収穫した畑に案内してもらった時に沢山の茄子をいただきました。一緒にインゲンと万願寺唐辛子もいただきました。
さっそく茄子の料理を作ってもらいました。
やっぱりビールです。
茄子とインゲンの入った野菜の煮びたしも作ってもらいました。
インゲンはシンプルに茹でてマヨネーズでもいただきました。
さらに炒めて自家製のホワイトソースでもいただきました。アクセントにワサビを入れてあるホワイトソースです。ホワイトソースは北海道の長男家族から父の日のプレゼントとしていただいた時鮭を食べるために作ったものです。時鮭(ときしらず)は春から夏にかけて獲れる貴重な鮭(サケ)で、食通の間で人気があるそうです。時鮭の記事に関しては後日、紹介したいと思います。
茄子は沢山あったので桜海老の入った料理も作ってもらえました。
定番の焼きなすは4回もいただくことが出来ました。それほど沢山の茄子をいただきました。
万願寺唐辛子は焼いて生姜じょうゆでいただきました。
前後に運転席を持つ無料連絡バス モンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
モンサンミッシェルを背景にして撮った連絡バス(シャトルバス)です。今回は、この連絡バスの報告をさせていただきます。以前はこのあたりには大きな駐車場が作られており観光バスや自家用車でモンサンミッシェルの近くまで来ることが出来ました。もっと昔には、右下の絵はがきのように線路も敷設されて蒸気機関車で来れる時代もありました。しかしながら道路や駐車場によって潮の流れが変わり、泥が島の周囲に堆積して陸地化が進んだことで、昔のような海に浮かぶモンサンミッシェルの姿が失われたそうです。そのために駐車場を撤去して干潟に戻し連絡道路も橋化が行われました。一般の車を近づけなくした代わりに、対岸のLa Caserne(ラ・カゼルヌ)とモンサンミッシェルを結ぶ無料の連絡バスの運行が行われるようになったものと推察いたします。
上の写真の連絡バスを拡大いたしました。バス降場に停車している連絡バスの写真です。クリックして拡大するとナンバープレートのCN-706-KOを読み取ることが出来ます。この場所は降り場専用で、帰る人を乗せるために、すぐに連絡バスは反対車線のバス乗場に移動いたします。
モンサンミッシェルを背景にした連絡バスの写真をさらに3枚紹介いたします。連絡道路を走っている連絡バスです。ホテルのレストランから夕食を食べながら撮った写真です。モンサンミッシェルまでは直線で2kmの距離です。写っている連絡バスはモンサンミッシェルに向かっているのでしょうか? 戻ってきているのでしょうか? 判りますか。
上の写真と同じ構図ですが連絡バスの位置と大きさが違います。
こちらの写真は6秒後の写真です。つまりこの連絡バスはモンサンミッシェルに向かっているのです。
上の写真から切り取って連絡バスを拡大いたしました。モンサンシェルに向かっているのに手前に運転席があるように見えませんか。
つまり今回の記事の本題は連絡バスの運転席に関係したことだったのです。
連絡道路を歩いている時に連絡バスが横を通ったので写真を撮りました。さて、この車はどちらの方向に進んでいるのでしよう。ヨーロッパでは、車は右側通行です。つまり連絡バスは右奥の方向に進んでいるのです。でもどう見ても後ろに運転席があるように見えるし、バスの正面の顔でもあります。連絡バスはバックで走っているのでしょうか。でも運転席の中に運転手が見当たりません。本題とは関係ありませんが、こちらの連絡バスのナンバープレートはCN-706-KOなので、冒頭の写真に写っていた連絡バスでした。
上の写真では運転手が運転席にいるかどうかが判りにくいので拡大いたしました。運転手がいないことが判ってもらえたでしようか。この写真で前後で差があることに気が付きました。モンサンミッシェル側の客席の窓が下側に広いのです。他の写真と比べてみてください。走りながらモンサンミッシェルがよく見えるようにしている配慮なのでしょうね。実はこの写真と後で紹介する室内の写真からエンジンルームの場所が想像出来るのです。
これが正真正銘の手前に走って来る連絡バスです。運転席に運転手が乗っています。ライトの色は違いますが、バスの正面は前も後ろも同じ顔(同じデザイン)をしています。つまりモンサンミッシェルの連絡バスは前にも、後ろにも運転席があるのです。線路の上を走る電車と同じなのです。サイドミラーは進行方向側にしか見えないことから、自動で出し入れされるようです。運転席が前後にあるだけではありません。横の2枚のドアも左右に同じようにあるのも、電車と同じです。ナンバープレートはDH-050-RMでした。
同じバスが我々を追い越して後ろ側を見せてくれました。やはり前側と同じ顔をしています。ナンバープレートが同じDH-050-RMです。駆動輪は判りませんが、方向舵輪は進行方向側に切り替わるのでしようね。排気のマフラーは前後にも左右にも見当たらないので電気自動車かもしれません。ただし未確認です。脚の不自由な方や車イスOKのシールも張られています。
こちらはモンサンミッシェルから撮った連絡道路です。バス降場とバス乗場の位置で判るように連絡バスは島内には入らずに運行されていました。おそらく環境に配慮した結果なのだと思います。
バス降場とバス乗場のあたりを拡大いたしました。この写真でも判るように、運転席が前と後ろにあるのは、連絡道路でUターンせずにスムーズに運行するために考えられたシステムだと思います。バス降場からそのままバス乗場に向かうだけなのです。運転手は運転席を変わるだけで進行方向が変わります。
バス降場に停まっている連絡バスの写真です。
2016年5月10日14時10分36秒撮影
上の写真の1分後の写真です。同じバスがバス乗場に移動した写真です。ナンバープレートはDH-050-RMです。2016年5月10日14時10分46秒撮影
バス乗場に停まった連絡バスを見ると、連絡道路でのUターンは難しいことが判りました。2016年5月10日14時10分49秒撮影
バスの車内の写真も紹介します。モンサンミッシェルからホテルに帰るときの写真です。前方向が対岸です。車内も前後で対象になっている思っていましたが、対岸側の運転席の後ろには進行方向を見る座席がありませんでした。
どうやら対岸側の運転席の後ろがエンジンルームになっているようです。
バスから降りて、乗って来た連絡バスを撮りました。バスの車体の下半分は木で出来ていました。やはり木は柔らから感じが致します。 ナンバープレートはCN-693-NOでした。
今回、撮った写真から確認できたナンバープレートはCN-706-KOと、DH-050-RMと、CN-693-NOの3種類でした。
バス停は マークの4ケ所です。モンサンミッシェル島側に1ケ所と対岸の駐車場&ホテル地区であるLa Caserne(ラ・カゼルヌ)に3ケ所です。まさに対岸のラ・カゼルヌとモンサンミッシェルを結ぶ便利な連絡バスなのです。我々も初日は泊まっていたホテル前から乗って、帰りはお土産を売っているお店の近くで降りました。
モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel
レストラン La Rôtisserie
撮影ポイント
無料連絡バスのりば
━━ 無料連絡バス
━━ 徒歩
B━ 到着場所(2016年5月09日 12時15分) パリ⇒Bモンサンミッシェル
A━ 出発場所(2016年5月10日 16時20分) モンサンミッシェルA⇒パリ
中華料理 [中国]
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最近は料理の写真をよく撮りますが、ブログを始めるまでは中華料理を撮ったことはありませんでした。そのブログを始める前の中華料理の写真を紹介したいと思います。ここでの写真は全て宴会で人を中心に撮ったものです。その写真から料理を切り取ってみました。したがってピントは人間の方のため料理は鮮明ではありませんが雰囲気は判ってもらえると思います。
ガラスの回転テーブルが丸テーブルの上に乗っていてみんなで取り分けて食べるのが中華料理!!
最近はテレビで中華料理を食べる場面がよく出てくるので雰囲気は判ってもらえるはず!
大きな宴会 写真は食べ終わったところです。
北京で!
みんなで!
ちょっと豪華に!
中国は多人数でたべると非常に安価で食べれます。唯一北京を除いて!
特に地方で料理だけだと100人におごったとしても日本で数人程度の値段で済みます。ただし白酒は100円~数千円の値段なので高価な酒だとほとんどが酒代になってしまいますので要注意!!
少人数で!
中華料理と言えば円形テーブルですね。今回の写真はすべて円形テーブルでした。冒頭の写真と、この写真だけはクリックすると拡大するように設定しています。
辛いものが並んでいます。
ときどきゲテモノも少し!
内モンゴルの羊のシャブシャブです。
内モンゴルは、中国とは思えないほど肉はおいしいですね。特に驚くのは羊の肉です。写真の羊のシャブシャブは絶品です。回転式のテーブルはドーナツ状になっており日本製の電磁調理器が埋め込まれています。このお店はテーブルが百を超えますが全て日本製の電磁調理器が埋め込ませていたのには驚きました。前日は牛のシャブシャブを食べました。こちらでも牛のシャブシャブ(ヒレ、サーロイン)は高級品で牛を頼むと羊のシャブシャブは無料で出してくれます。牛を食べないで単独でたのむともちろん有料ですが牛はその値段は10倍以上です。いずれの肉も新鮮でこちらの人も自慢していました。牛の肉の刺身も有名です。是非食べてほしいと出してくれたので一口だけ刺身で食べて残りはシャブシャブで食べてしまいました。
普通のモンゴル料理も羊料理が中心で串焼き、スペヤリブ等々です。内モンゴルはやっぱり馬乳酒です。
味はまさにカルピスでした。
驚きの味だったので、沢山持ち帰り宴会を行いました。
こちらが馬乳酒です。→
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モンサンミッシェル修道院 有料見学エリアの紹介 [Mont Saint-Michel]
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今までモンサンミッシェルの記事をいくつか書いてきましたが、今回はモンサンミッシェルの主体なる修道院を掲載いたします。モンサンミッシェルはフランス語ではMont Saint-MichelあるいはLe Mont-Saint-Michelと書かれることが多いです。Mont Saint-Michelと書かれることが多いことからモン・サン=ミシェルあるいはモン・サン・ミッシェルと分離して記載されていることも多いです。そのモンサンミッシェルはフランス西海岸のサンマロ湾に浮かぶ小島です。その岩山自体は78.6mですが、その上にそびえる修道院との一体の景観によっり、1979年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。周辺に広がる干潟や湿地により1994年10月にはラムサール条約登録地となりました。
修道院や聖堂が建てられる前の小島(海の中の岩山)は、モン・トンブ(墓の山 / Mont Tombe)と呼ばれ、はるか昔から先住民のケルト人が信仰する聖地でした。Montが山(岩山)でTombeが墓です。
モンサンミッシェルとしての歴史が始まったのは、今から1308年前の708年にアヴランシュの司教オベールが大天使ミカエルを奉る聖堂を作ることを決断し、709年に小さな教会が完成したことでした。それをきっかけに、この岩山が重要な巡礼地の一つになり、966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったそうです。右の絵は17世紀(1631年)に描かれたモンサンミッシェルです。クリックして出てくる絵は1657年に描かれたものです。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。
709年に建てられた教会がどのようなものであったかは記録は無いようですが、ネット内に10世紀末の姿を描いた絵があったので紹介いたします。
10世紀末(à la fin du Xe siècle)の時期のイメージは980年~1000年なので、ノルマンディー公リシャール1世が966年に修道院を建てて20~30年程度しか経過していないことから、966年の修道院に近い状態の可能性があります。
今から約1030年前のモンサンミッシェルは、この絵のような景観だったと想像してみてください。岩山のモン・トンブ( Mont Tombe)の高さは約80mで、今から比べると小さな修道院(教会)ですが、1307年前の709年に建てられた最初の教会は、さらに小さな教会であったことが想像されます。
岩山の高さは78.6mですが、修道院の中央にそびえる教会の尖塔の海面からの高さは150mにもなります。その巨大な教会を支えているのが岩山周囲に作られている礼拝堂などの頑丈な建物です。つまり岩山の周囲の礼拝堂などの石の建造物が巨大な教会の基礎(土台)になっているのです。これが岩山の狭い頂部に巨大な教会を建てた工夫なのです。
冒頭の写真から修道院の部分を切り取りました。修道院の入口から次の順番で見学いたしました。大きく分けて修道院は上層部と中層部と下層部に区分できます。⓪~⑯の内①~⑭の番号は入口で借りるオーデオ案内でつけられている番号と一致させています。修道院内部にも、この番号①~⑭の案内板が取り付けられていました。右の3枚の図の内、中層部と下層部には岩石部があるのが特徴なのです。
⓪下層部 修道院入口
⑮下層部 司祭の間
①下層部 哨戒の間
②下→上 大階段(下層部から上層部に登る階段)
③上層部 西のテラス
④上層部 修道院付属教会
⑤上層部 回廊
⑥上層部 合同の食事室
⑦中層部 迎賓の間
⑧中層部 太柱の礼拝堂
⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
⑩中層部 修道僧の納骨堂
⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
⑫中層部 南北階段
⑬中層部 修道僧の遊歩道
⑭中層部 騎士の間
⑮下層部 司祭の間
⑯下層部 修道院出口
モンサンミッシェル修道院内の入口⓪→出口⑯まで歩いたルートを示します。単純に見学したルート(━━ ━━ ━━)を測ってみると957mでした。部屋の中は散策で歩き回るので修道院の中だけで1200m程度は歩いたと思います。
時間的にはオーディオ案内を聞きながらで1時間13分でした。我々の場合は翌日も見ることにしていたので見学は早めだったので、修道院内部の見学は1時間30分と見ておけばよいと思います。ただしガイドさんの長い話がある場合は別です。パリからの日帰りツアーで島内滞在が3時間とすれば修道院以外も1時間30分は散策するのがよいと思います。パリからの日帰りツアーが多いこともうなづけました。見学ルート(━━ ━━ ━━)が複雑に見えますが上層部と中層部と下層部のルートが重なっているためです。
修道院の有料見学エリアの滞在時刻および時間
1日目 2016年5月09日 14:12~15:25 1時間13分 オーディオ案内利用
2日目 2016年5月10日 09:21~10:22 1時間01分 主に写真撮影
修道院(有料エリア)入口
修道院(有料エリア)出口
━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
━━ 修道院見学ルート 上層部
━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)
それでは見学ルートの順番に紹介したいと思います。沢山の写真を判りやすくするために区分ごとに横線で区切るとともに写真の頭には⓪~⑯の番号を付けています。1日目の写真と書いていない場合は、全て人の少ない2日目の写真です。
こちらが下層部分の配置図です。修道院の入口前から上層部の西のテラスの入口までを紹介いたします。
⓪下層部 修道院入口
⑮下層部 司祭の間 チケット購入場所
①下層部 哨戒の間
②下→上 大階段(下層部から上層部に登る階段)
⓪修道院入口
修道院の入口が見えてきました。
⓪修道院入口
こちらが修道院の入口です。この階段を登ると①哨戒の間を経由してチケット売り場となっている⑮司祭の間に行きます。
⓪修道院入口
修道院の入口の上は見事な2つの塔が建っていました。これを目印にして修道院を目指すとよいと思います。
⑮司祭の間の入口
修道院入口から階段を登ると①哨戒の間があり、さらに進むとこのドアがありました。中は⑮司祭の間でした。
⑮司祭の間
こちらが⑮司祭の間で簡単な持物の安全検査が行われた後チケットを買って、オーディオ案内を借りて、元の道で①哨戒の間に戻って②大階段の方に進みます。ただし一日目は右の写真のチケットを旅行社であるマイバスの方から移動中の車の中で事前に渡されていたので、ここではオーディオ案内を借りるだけでした。マイバスの方から渡されチケットは団体割引であったことから7ユーロと書かれていましたが、2日目のチケットは割引がないので9ユーロだったと思います。
⑮司祭の間→①哨戒の間
司祭の間を出で哨戒の間に戻る道です。道の中央にはロープが張られていてチケット売り場の司祭の間に向かう人とすれ違いました。哨戒の間は正面の建物の中にありますが、目立たなかったので写真は撮り忘れました。
①哨戒の間→②大階段
下層部から上層部の西のテラスに登る長い大階段への入口です。哨戒の間を出たところの景観です。
②大階段
大階段の両側には高い建物がありました。
②大階段
建物が高い壁のようでした。
②大階段
このような蛇口がいくつもありました。
②大階段
階段の一番上が上層部です。右側が教会で、左側が修道僧の居住棟です。居住棟は14世紀から16世紀に建てられて、歴代の修道院長の住まいとして使用されていました。
②大階段
確認すると大きな蛇口からは水が出ました。ただし飲むことはできません。
②大階段
この先にはトイレがないので、見学前にトイレに行っておくことを進めます。
②大階段
登って来た方向を振り返った景色です。
②大階段からの景色
大階段から修道院付属教会の塔がみえまえる
②大階段からの景色
見事な渡り廊下です。渡り廊下は木造づくりのようです。
②大階段→③西のテラス
この入口を入ったら修道院の中の最大の教会の前にある「西のテラス」に出ます。
こちらが上層部の配置図です。
③上層部 西のテラス
④上層部 修道院付属教会
⑤上層部 回廊
⑥上層部 合同の食事室
写真枚数が多いので上層部に関しては4つに区分けして紹介いたします。
③上層部 西のテラス
ここが「西のテラス」です。大階段からは中央の小さな通路から出てきます。石で作られた広いテラスに圧倒されました。
③西のテラス
西のテラスは当初の教会の前庭と、18世紀の火災で焼失した身郎前部3列で構成されています。古典主義のファサードは1780年に再建されました。
このテラスからは湾を展望することが出来る絶景の場所でした。晴れていたら西側はブルターニュ地方の岩山から東側はノルマンディー地方の岩山まで見ることが出来るそうです。
③西のテラスからの南方向の景色
南西には陸地側にはモン・ドルの2つの花崗岩の岩山が見えるそうです。この日の天気では遠くは鮮明に見えませんでしたが、湾内の景色を中心に絶景を見ることが出来ました。
③西のテラスからの北方向の景色
北側に見える小さな島はトンブレーヌ(Tombelaine)です。島の沖には修道院の建設に使われた花崗岩が採石されたショゼー群島がが見えます。
③西のテラス
床の石には文字が刻まれていました。職人たちが石組みのために位置を石に書いたものだそうです。
④上層部 修道院付属教会の写真を紹介します。
④修道院付属教会
テラスから見た修道院付属教会です。修道院の付属教会と書かれていますが、修道院の主教会であり、最も大きな教会/礼拝堂です。多くの建物がこのき教会の土台の基礎を兼ねているのです。遠くから見えた高い塔はこの教会の塔です。この教会は1000年~1010年の間に完成しました。つまり少なくとも1006年前の建物と言うことになります。
④修道院付属教会の内部
教会内部は厳かな雰囲気に包まれていました。岩の上にこれほどの建物が作られたのに驚かされます。海抜80mの岩山を囲むように礼拝堂などの頑丈な石の建物を建て、それらを利用して長さ80mの土台(基礎)にして建てられました。身廊は上に向かって、拱廊、回廊、高窓の層の造りになっています。ロマネスク様式の内陣は1421年に崩壊しましたがイギリスとの100年戦争後に再建されたためにフランボアイヤン式ゴシック形式になっています。
④修道院付属教会
教会の身廊(しんろう)部分の天井は板張りのヴォールートでした。身廊は教会の入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの翼廊に至るまでの部分を指します。おそらく軽量化のために木造にしたのだと思います。
④修道院付属教会
こちらが主祭壇です、
④修道院付属教会
主祭壇の部分の天井は木造ではありませんでした。
④修道院付属教会
主祭壇の方から入口を見た景観です。
④修道院付属教会
こちらはパイプオルガンです。
④修道院付属教会
柱の飾りも歴史を感じました。
④修道院付属教会
主祭殿上のステンドグラスです。モンサンミッシェル以外の教会のステンドグラスと違うことがありました。
④修道院付属教会
教会のステンドグラスと言えば宗教画が描かれたものが多いのですがこちらでは絵の描かれてステンドグラスは見かけませんでした。これは修道院の中の他の礼拝堂や建物にも共通したことでした。それにしてもきれいなステンドグラスでした。
④修道院付属教会
こちらのステンドグラスはシンプルな幾何学的模様が特徴でした。
④修道院付属教会
不思議な石像がありました。
④修道院付属教会
こちらも紹介したくなる石像でした。
④修道院付属教会
このような祭殿もありました。
④修道院付属教会
小さな祭殿がいくつもありました。
④修道院付属教会
石造りの建物の細部の形は見事でした。
④修道院付属教会→⑤回廊
教会横にあった建物です。こちらの天井も木造でした。
④修道院付属教会→⑤回廊
この通路を通ると⑤回廊に出ます。
⑤上層部 回廊の写真を紹介します。回廊も見事な建造物でした。
⑤回廊
教会からの通路を出た最初の景色です。中庭を囲むように回廊が作られていました。この歩廊は他の建物につながる通路の役目を果たしているそうです。祈りと瞑想の場でもあったそうです。宗教的な礼祭の時には儀式の列が歩んだそうです。
⑤回廊
13世紀の初頭に建てられたラ・メルヴェイユと呼ばれる建物の最上階に回廊があり、ここを通って合同の食事室、厨房、教会、共同寝室、古文書保管室、さらに、様々な階段に行くことが出来るようになっているそうです。
⑤回廊
上の写真は2日目の朝で人がいませんが、1日目の14時42分には同じ場所でも沢山のひとがいました。子供たちが先生の話に聞き入っていました。
⑤回廊
回廊の天井も木造で出来ていました。これは重量を経験するための工夫だそうです。2列に並べられた細い柱は、わずかにずらせた形で組まれていて、常に変化する視覚を作り出しているそうです。
⑤回廊
回廊から見える建物も趣がありました。正面の建物は、次に見学する⑥合同の食事室がある建物です。右が④修道院付属教会です。暖炉の煙突が沢山見えます。
⑤回廊
中庭に入る通路が1か所あります。その通路から中庭に入って撮った教会の写真です。翼廊のステンドグラスのある窓が印象的です。
⑤回廊
こちらは回廊から撮った教会の写真です。
⑤回廊
教会の塔が撮れる角度からも写真を撮りました。
⑤回廊
回廊の木造の天井は緻密に作られていました。
⑤回廊
回廊の周囲の窓もステンドグラスになっていました。
⑤回廊
回廊の中に海が大きく見える開かれた部分があります。この場所は参事会室に通じることになっていたそうですが、工事が未完成のままに現在に至っているそうです。回廊から外が見れる裕津の場所になっており危険が無いように大きなプラスチック板が取り付けられていました。
⑤回廊
その唯一の開放部分からの外の景色です。左の石垣の上が③西のテラスです。
⑥上層部 合同の食事室を紹介します。
⑤回廊→⑥合同の食事室
この入口から→⑥合同の食事室に入ります。
⑥合同の食事室
ここでは修道僧たちは沈黙のうちに食事をとっていたそうです。その間に彼らの一人が、南側の説教壇で読唱していたそうです。食事室の側壁には狭い窓が作られていましたが入口からは見えないように工夫がされていました。
右の写真がここに取り付けられていた案内板です。オーディオ案内装置(☊)の6番の場所であることも表しています。
ここにはRéfectoire des moinesと書かれています。翻訳すると修道士(修道僧)の食堂でした。
⑥合同の食事室
上の写真は2日目の早朝の写真ですが、1日目の人の多い時間帯の写真も紹介します。
⑥合同の食事室
こちらの天井も軽量化のために木造で作られていました。
⑥合同の食事室
天井の模型が置かれていました。
⑥合同の食事室
こちらの床はきれいなタイルで飾られていました。このようなきれいな床の装飾は見学の範囲においては、ここだけでした。
⑥合同の食事室
入口からは見えない細い窓をしょうかいします。こちらのステンドグラスも幾何学的できれいでした。
⑥合同の食事室
食道ですが正面は十字架が飾られて祭壇になっていました。
⑥合同の食事室
これが説教壇です。食事中に修道僧が読唱していた場所です。
⑥合同の食事室
奥から入口方向を撮った写真です。
⑥合同の食事室
オーディオ説明を聞いているところです。つまり1日目の写真です。この部屋には暖房用の暖炉がないことも特徴でした。この⑥合同の食事室から中層部に下りる螺旋階段がありました。上層部の最後の写真です。
中層部の配置図です。
ここでは⑦迎賓の間から⑯修道院出口までを紹介します。
⑦中層部 迎賓の間
⑧中層部 太柱の礼拝堂
⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
⑩中層部 修道僧の納骨堂
⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
⑫中層部 南北階段
⑬中層部 修道僧の遊歩道
⑭中層部 騎士の間
⑮下層部 司祭の間
⑯下層部 修道院出口
写真枚数が多いので区分けして紹介いたします。
⑦中層部 迎賓の間
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
上層部→中層部の螺旋階段です。
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にもステンドガラスの窓がありました。
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
螺旋階段の次は直線的な階段で中層部を目指しました。
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中ですが、沢山の人が写真を撮っている場所がありました。こちらは1日目の写真です。
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
写真を撮っていたのは、こちらの彫刻でした。
⑥合同の食事室→⑦迎賓の間
階段の途中にも小さな部屋がいくつかありました。
⑦迎賓の間
迎賓の間に出ました。ここは⑥合同の食事室の真下に位置します。この部屋は王や貴族を迎えるために使われていたそうです。写真は南側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
⑦迎賓の間
こちらは1日目に撮った写真です。こちらは北側の壁近くから西の方向から東の方向を撮ったものです。
⑦迎賓の間
こちらは東から西方向を撮ったものです。一番奥に大きな2つの暖炉がありました。
⑦迎賓の間
これが西の壁の巨大な暖炉です。
⑦迎賓の間
さすが迎賓の間です。天井や柱も見事でした。
⑧中層部 太柱の礼拝堂
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
迎賓の間の隣には小さな礼拝の部屋がありました。こちらは1日目の写真です。
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
その小さな礼拝の部屋にもステンドグラスが沢山取り付けられていました。
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが礼拝の方向です。
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
一旦、屋外に出ます。左の出口から出てきました。
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
庭や井戸があるエリヤもありました。
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物の間の通路を進みます。右が迎賓の間がある建物です。左が太柱の礼拝堂がある建物です。
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
建物を見上げてみました。
⑦迎賓の間→⑧太柱の礼拝堂
こちらが太柱の礼拝堂の入口です。
⑧太柱の礼拝堂
入口を進むと太柱の礼拝堂が見えてきました。
⑧太柱の礼拝堂
太い柱だらけで部屋を見渡すことが出来ないのです。ここは修道院付属教会の主祭殿の真下で、これらの柱によって教会の内陣を支えているのです。まさに教会の土台の部分であり基礎の部分だったのです。
⑧太柱の礼拝堂
柱と天井をつなぐ部分も力が伝えられるような構造となっていました。
⑧太柱の礼拝堂
礼拝堂の壁もがん頑丈そうでした。窓もほとんどありませんでした。やはり重さを支える構造物と言う感じでした。
⑧太柱の礼拝堂
床には模様が描かれていました。
⑧太柱の礼拝堂
こちらに細い窓がありその光で写真を撮ることが出来ました。
⑧太柱の礼拝堂
真っ暗な部分が多いことからか、太い柱の何本かに対して、今はやりのプロジェクトマッピングが行われていました。同じ場所から3枚の写真を紹介します。
⑧太柱の礼拝堂
上の写真と同じ場所です。
⑧太柱の礼拝堂
頻繁に画像が変わりました。
⑧太柱の礼拝堂
こちらがプロジェクトマッピングを行っている機械(プロジェクター)です。
⑧太柱の礼拝堂
天井に換気孔を見つけました。上層部の教会内のどこかに出口があるのだと思います。
⑧太柱の礼拝堂
礼拝のための像の一つです。女性が子供を抱いている金色の像です。
⑨中層部 聖マルタン礼拝堂
⑨聖マルタン礼拝堂
聖マルタン礼拝堂は修道院付属教会の交差廊の南側の基礎のために1000年より後に建てられました。礼拝堂に入って正面の景観でした。
⑨聖マルタン礼拝堂
この礼拝堂の天井は9mと言う高さの円形の天井であねことが有名です。上からの力に耐えるように天井を円形にしたことから天井が高くなったと想像します。
⑨聖マルタン礼拝堂
天井の高さを実感できるように斜めから撮った1日目の写真を掲載いたしました。左のドアから入ってきました。
⑨聖マルタン礼拝堂
1日目は座ってゆっくりと話を聞くグループを沢山見かけました。ここでも沢山説明があったことでしょう。
⑨聖マルタン礼拝堂
小さな窓の奥はステンドグラスになっていました。分厚い壁は上からの重量に耐えるためだと思います。
⑨聖マルタン礼拝堂
反対側の礼拝側の窓の壁も分厚かったです。
⑨聖マルタン礼拝堂
この写真で丸い天井がよくわかってもらえると思います。
⑩中層部 修道僧の納骨堂
⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
聖マルタン礼拝堂は下層部から一気に上層部に登る大階段の横にありました。鉄格子の扉の向こうが大階段です。
⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
修道僧の納骨堂に向かう道は一旦は外にてますが、高い建物の間を歩いて修道僧の納骨堂がある同じ建物に入ります。
⑨聖マルタン礼拝堂→⑩修道僧の納骨堂
アーチ型の入口を入ると修道僧の納骨堂です。納骨堂にふさわしい暗さと思うのは偏見でしょうか。
⑩修道僧の納骨堂
すでに紹介の通り、1820年ごろに修道僧の納骨堂には荷物を引き上げるための巨大な車輪が設置されました。
この巨大な車輪が設置される前は、修道僧の納骨堂でした。そのような雰囲気が漂う場所に巨大な車輪が設置されていたのです。ここには1日目(2016年5月9日)と2日目(5月10日)に来ましたが、建物内の写真に関しては2日目を使っています。2日目は朝一に修道院に入ったことから、人がほとんどいなくて、自由に撮れたからです。修道院の有料エリアに2日続けて入る人は珍しいのかもしれません。
⑩修道僧の納骨堂
こちらが巨大車輪です。修道院は一時期に監獄化されていた時代がありその時に作られたようです。囚人たちの多くは政治犯で幽閉される形だったようです。荷物の多くは多くの政治犯の食糧であったと書かれていました。
⑩修道僧の納骨堂
巨大車輪の裏を進むと⑪聖エティウンヌのチャペルへ向かう入口があります。
⑩修道僧の納骨堂→⑪聖エティウンヌのチャペル
こちらが⑪聖エティウンヌのチャペルに入る入口です。
⑪中層部 聖エティウンヌのチャペル
⑪聖エティウンヌのチャペル
入口から見下ろした聖エティウンヌのチャペルです。人が沢山写っているので1日目の写真です。皆さんが撮っているのがマリア像でしょうか。⑥合同の食事室の床はきれいにタイルが敷き詰められていましたが、こちらにもタイルが張られていました。ただし。⑥合同の食事室と違い一色でした。
フランス語ではChapell Saint Étienneです。
⑪聖エティウンヌのチャペル
床の高さに下りて撮った写真です。聖エティウンヌのチャペルは19世紀初頭に崩壊した医務室と修道僧の納骨堂の間にあり、死者のチャペルとして使用されていたそうです。
⑪聖エティウンヌのチャペル
こちらが反対側から撮った写真です。十字架の右の入口に入ると納骨堂です。納骨堂に付属していたと言える位置にありました。十字架の石の台に彫られたAΩの文字が印象的でした。ΑΩ(アルファオメガ)はキリスト教用語で、新約聖書の「ヨハネの黙示録」にて三度繰り返し述べられているそうです。神(YHWH)が自らを指して省略した表現した「τὸ Α καὶ τὸ Ω」をさらに短縮したものだそうです。つまりキリスト教の神を表した文字です。
⑪聖エティウンヌのチャペル
冒頭の写真で皆さんが撮っていたマリア像と思われる石像を撮っているところです。
⑫中層部 南北階段
⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
聖エティウンヌのチャペルを出ると南北階段の最下部に出ました。
このあたりに崩壊した医務室があったようです。
突き当りを右に曲がると南北階段です。
⑪聖エティウンヌのチャペル→⑫南北階段
この階段は南北階段とは反対側に登って行く階段ですが、侵入禁止になっていました。おそらく修道院付属教会に行く階段だと思われます。
⑫南北階段 Escalier nord-sud
これが南北階段の最下部から撮った南北階段です。案内板にはEscalier nord-sudと書かれていました。
⑫南北階段
少し前に進んだ位置から1日目に撮った南北階段です。こちらは1日目の写真です。やはり1日目は人が写った写真となります。
⑫南北階段
さらに進んでで撮りました。同じ中層部でも高低差があります。
⑫南北階段
階段の上から登って来た方向を振り返って撮りました。昔は窓の明かりが頼りだったのかもしれません。ハリーポッターの世界のようです。
⑫南北階段
こちらが階段の一番上の明かり窓です。
⑫南北階段→⑬修道僧の遊歩道
この入口を入ると⑬修道僧の遊歩道です。
⑬中層部 修道僧の遊歩道
⑬修道僧の遊歩道
修道僧の遊歩道は2つの身廊(しんろう)を持つ長い部屋で、交差リブを持つ円天井という建築形式は12世紀初めのゴシック芸術の誕生を告げているそうです。こちらが右側(南側)の通路です。
⑬修道僧の遊歩道
こちらが左側(北側)の通路です。
⑬修道僧の遊歩道
途中に窓がありますが、壁の分厚さが際立っていました。海側に面した壁なので頑丈に作られているのだと思います。
⑬修道僧の遊歩道
部屋の中に岩盤のむき出しの部分がある珍しい部屋でした。岩盤の上に建てられた建物であることが実感できる場所でもありました。
⑬修道僧の遊歩道
人工の柱と自然の岩盤の組み合わせが見事でした。
⑬修道僧の遊歩道→⑭騎士の間
この入口を抜けると→⑭騎士の間です。
⑭中層部 騎士の間
⑭騎士の間
入口の高い位置から撮った⑭騎士の間です。かなりの広さがあります。この部屋の真上上が⑤の回廊です。つまり建物はラ・メルヴェイユなのです。
⑭騎士の間
これらの柱は建物の屋上にある回廊を支える役目もあります。部屋は修道僧たちの仕事場であり、勉強の場でもありました。彼らの知的産物は現在でもマニュスクリプト(手書き文書)として我々に残されているそうです。マニュスクリプトはアヴンシュに保管されているそうです。
⑭騎士の間
ここにも大きな暖炉がいくつもありました。
⑭騎士の間
こちらの窓のステンドグラスも見事でした。
⑭騎士の間
いろんな形の大きな窓が並んでいました。
⑭騎士の間
これらの窓のおかげで部屋は明るいことから、修道僧の仕事場ゆ勉強の場として最適だったように感じました。
⑭騎士の間
この写真で暖炉がいくつもあることが判ってもらえると思います。暖房設備が整っているのも勉強の場としては大切なことだと思います。一番奥に⑮司祭の間へ行く入口があります。
⑭騎士の間
こちらが⑮司祭の間へ行く入口です。
⑭騎士の間→⑮司祭の間
この螺旋階段を下りると⑮司祭の間です。
⑮下層部 司祭の間
⑭騎士の間→⑮司祭の間
このドアを開けると⑮司祭の間です。
⑮司祭の間
こちらが司祭の間です。最初の下層部で説明した通り最初に入ってきてチケットを買う場所です。テープで仕切られており奥側がこれから修道院を見学する人のエリアで、手前側が修道院を出ていく人のエリアです。
⑮司祭の間
こちらがとなり部屋への入口であり修道院の出口に向かう方向です。
⑮司祭の間
子なりの部屋は売店になりました。こちらが修道院の最後の部屋になります。
⑯修道院出口
修道院の最後の部屋を出た景色です。
紹介したルートを思い出していただけるかもしれないので、再度ルート図を掲載いたします。
修道院(有料エリア)入口
修道院(有料エリア)出口
━━ 修道院見学ルート 下層部→(上層部)
━━ 修道院見学ルート 上層部
━━ 修道院見学ルート 中層部→(下層部)
⓪ ⑮ ① ② → ③ ④ ⑤ ⑥ → ⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯
上層部、中層部、下層部が判りやすく書かれた図がネットにあったので転用させていただきました。
参考にモンサンミッシェル島内の住民の推移も紹介します。静かなモンサンミッシェルですが、グラフからも、歴史の中で大きな変化があったことがうかがえます。1793年~1863年の70年間はモンサンミッシェルが刑務所(監獄)として運用されていたことが、人口の推移に大きく影響したことがうかがえます。近年においては観光客が増加しているにもかかわらず、島内に住む人が減ってきているのは交通機関の発達により生活の便利な島外に住む人が増えたためだろうと推察します。現在はモンサンミッシェル島内で仕事に従事しているほとんどの人は島外から通勤しているそうです。
1793年 234人 1866年 203人
1821年 904人 1906年 238人
1831年 390人 1954年 268人
1851年 1182人 2013年 41人
資生堂のクッキー [話題]
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前記事で、姪っ子たちが持ってきてくれたタントマリーのケーキを紹介したので、その時に娘が持ってきてくれたクッキーを紹介します。資生堂パーラーのBISCUITS(ビスキュイ)です。資生堂パーラーは、あの化粧品の資生堂の子会社です。創業は1902年なので意外と古い歴史があるようです。資生堂創業者の福原有信が、1900年の欧米視察からの帰国後に、銀座の資生堂薬局内に設立したもので、当時の日本では珍しかったアイスクリームやソーダ水が人気だったそうです。当時の名前は資生堂ソーダファウンテンだったそうです。資生堂自体の創業は1872年で当時の名前は資生堂薬局だったそうです。
BISCUITSと書かれたケースが洒落ています。資生堂パーラーはレストランやカフェの店舗を展開していることの方が有名かもしれません。意外な存在が上流階級の「成功率の高いお見合いの名所」だそうです。
こちらが缶の中です。
クッキーは7種類入っていました。
姪っ子と娘が載った記事はこちらのURLです。下記の着色URLをクリックすると記事を表示します。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2016-06-25-1
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2012-04-16
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2014-07-17
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2013-04-18
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2013-03-05
タグ:クッキー
姪っ子たちの土産 Tante Marie Pâtisserie [土産]
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先日、姪っ子2人と娘の計3人我が家に集まりました。我々は従妹会と呼んでいます。右の写真は、その時にみんなで蕎麦を食べに行ったときの写真です。姪っ子たちが我が家に来るときは、いつも話題となっているスイーツを持ってきてくれます。
今回はTante Marie Pâtisserieのパウンドケーキで、品名はケーク・オ・フリュスでした。ケーキの上にイチジク、プルーン、アプリコット、オレンジピール、チェリーが乗ったフルーツケーキです。ドライフルーツが上に大きなまま並べられているので、どの部分を食べるか悩みます。緑色のナッツはピスタチオだと思います。
私はアプリコットのところをいただきました。プルーンとピスタチオも乗っていました。ケーキの中にもドライフルーツが入った美味しいケーキでした。
やっぱりケーキは紅茶と一緒にいただきたくなります。
お店を紹介いたします。こちらのお店の看板商品はカマンベールチーズを使ったチーズケーキです。
店名 パティスリー・タントマリー 丸の内オアゾ店 Tante Marie Pâtisserie
住所 東京都千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾ 1F
電話 03-5252-7734
営業 9:00~21:00(テイクアウト) 11:00~20:00(レストラン)
定休 不定休 オアゾに準ずる
本店 東京都文京区湯島3-8-1 おたべ東京ビル 1F
創業 1983年(上野 ビストロ・タント・マリー)
HP http://www.tante-marie.com/top.html パウンドケーキ
レタスを沢山いただきました。 [話題]
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先日、八千代市下高野のkazuさんからサラダに適した野菜を沢山いただきました。全てkazuさんの畑の採れたての野菜です。全てレタスの種類だそうです。大根もいただきました。kazuさんからレタスの名前をコメントで教えていただきました。左から、リーフレタス、グリーンフリルリーフレタス、レッドフリルリーフレタス、グリーンフリルリーフレタス、だそうです。
上の写真では小さいので、右と左で半分づつ拡大いたしました。こちらが左側です。拡大すると新鮮さが伝わってくると思います。珍しい形のレタスも入っていました。
こちらが右側です。
サラダはいつもこの器に盛って出されます。深い器なので沢山盛り付けることが出来るので使っているようです。私の食べる持ち分は2/3(66%)~3/4(75%)です。器の直径は268mmです。
赤ヒーマンと玉子を入れたサラダも作りました。
グリーンレタスの、フリルありと、フリルなしも同時に味わいました。
前日にいただいた新キャベツも一緒に盛り付けました。キャベツとカイワレに下にレタスが入っています。
この日はレタスだけでした。
冒頭の写真の一番左の珍しいレタスは、サラダでもいただきましたが、煮ても美味しかったです。
ブロッコリーとトマトとキュウリも盛り付けました。
この日はレタスの上にブロッコリーとキュウリを乗せました。どのサラダも新鮮なので美味しくいただきました。ありがとうございました。沢山の量に驚きましたが、意外と数日で食べ切ってしまいました。
2016年6月22日に、頂いたレタスを収穫された畑を初めて拝見させていただきました。ここに我々が食べたレタスが植わっていたそうです。レタスをいただいたのが5月24日だったので収穫後29日目の畑の状況になります。
見学させていただいたときにインゲンとナスビと万願寺唐辛子とルバーブをいただきました。インゲンは自分で採らせていただきました。
タグ:野菜
巨大な車輪はなに? [Mont Saint-Michel]
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モンサンミッシェルの修道院の中に、このような木製の大きな車輪ががありました。大きさは建物の天井ほどの高さがありました。
これはEchaugette門から修道院入口まで歩いたルートを紹介した前記事の中の荷物を上げるためのリフトを、巻き上げる車輪なのです。軸の部分に巻き付けられている太いロープで引き上げるのです。
この巨大な車輪が設置される前は、修道僧の納骨堂でした。そのような雰囲気が漂う場所に巨大な車輪が設置されていたのです。ここには1日目(2016年5月9日)と2日目(5月10日)に来ましたが、建物内の写真に関しては2日目を使っています。2日目は朝一に修道院に入ったことから、人がほとんどいなくて、自由に撮れたからです。修道院の有料エリアに2日続けて入る人は珍しいのかもしれません。
建物に合わせて車輪が作られたのですが、最初から建物と一緒に設計されていたと思われるほどでした。
ロープが大きな窓の上の方に伸びているのが判っていただけると思います。
柱には荷物を取り付ける木製のリフトがかけてありました。それにしても不思議と暗い雰囲気です。実はこの車輪を回す動力源は6人の囚人たちだったのです。この車輪の中に6人が入って歩くことで荷物を巻き上げていたのです。修道院は一時期に監獄化されていた時代がありその時に作られたようです。囚人たちの多くは政治犯で幽閉される形だったようです。荷物の多くは多くの政治犯の食糧であったと書かれていました。これほど大掛かりな装置が必要なほどの人数の政治犯が幽閉されていたのだと感じました。正常な修道院に戻った後も使うことは出来たと思いまが、その時の6名の働き手に関しての記載は見つかっておりません。修業の一環として修道僧が自ら行ったのかもしれません。現在の車輪は中世時代の車輪を参考に復元したものだそうです。
こちらが車輪の内側の写真です。ここに人が入って動力源として働いていたのです。
1日目の写真も紹介します。15時14分ごろはこのように人が多かったために、人が写っていない写真を撮るのは難しかったのです。これでも人が少ない時に撮った写真です。窓の外の写真を撮るのも順番待ちのような状況でした。1日目の修道院の中はどこも同じような状況でした。やはり2日間ほどモンサンミッシェルに滞在して2回修道院に入り、2日目に関しては朝一に修道院に入ったのは大正解でした。もちろん1日目の人が写った写真では巨大車輪の大きさが判るので、この写真も値打ちがありました。
修道院の有料見学エリアの滞在時刻および時間
1日目 2016年5月09日 14:12~15:25 1時間13分
2日目 2016年5月10日 09:21~10:22 1時間01分
ここは修道院の建物中からで、最も眺めの良い場所でもありました。ロープの先に鎖がつけられており、その鎖の先に壁に掛けられていた木製のリフト(台車)と類似したものが取り付けられていました。
丁度、鎖で隠れているあたりに我々の泊まったホテルがありました。
ホテルの写真もここから撮りました。これはホテルの夕食や朝食を紹介した時の写真です。
こちらの写真の黄色の〇印が荷物をあげるリフト(台車)を巻き上げる巨大滑車が設置されている部屋の窓です。クリックすると〇印の無い拡大写真を表示します。
この写真を見てもらえれば眺めがいいことが判ってもらえると思います。
こちらが荷物を上げる窓の部分です。
さらに拡大いたしました。荷物を上げるリフト(台車)とそれをつないでいる鎖が判っても煮えると思います。
上から覗き込んでリフト(台車)の写真を撮りました。
前記事の写真を思い出してください。これは荷物を引き上げるためのリフトの線路の役割を担ったものだと説明した一直線に伸びる石の構造物です。
その石の線路の最下部の部分は水平になるように作られていました。水平に置かれた台車に荷物を縛り付けたのだと思います。
モンサンミッシェル2日目の修道院への道 [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
今回は対岸のホテルに泊まったことからモンサンミッシャル島内には2度入りました。そして有料区域である修道院内にも2度入りました。そしてモンサンミッシェル島内に合計で9時間46分滞在して、5種類の着色された道を全て歩いてみた結果として、すでに紹介したように連絡道路エリアから修道院に行くためのルートは次の①②③の3種類があることが分かりました。1日目は②のルート(━━)で修道院の入口まで行き、2日目は③のルート(━━)で修道院の入口まで行きました。1日目のルートは先日紹介させていただいたので本記事では③のファニルス城壁の門から修道院入口歩いた順に紹介したいと思います。
修道院(有料エリア)入口
修道院(有料エリア)出口
ラヴァンセ門(前哨門)
ファニルス城壁の門
━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
━━ ②海沿いの外周城壁の上の道 1日目のルート
━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
━━ 島内散策路
━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
滞在時刻 | 滞在時間 | |||||
島内 | 修道院内 | 島内合計 | 修道院内 | 修道院外 | ||
1日目 | 13:50~16:20 | 14:12~15:25 | 2時間30分 | 1時間13分 | 1時間17分 | |
2日目 | 09:04~16:20 | 09:21~10:22 | 7時間16分 | 1時間01分 | 6時間15分 | |
合計 | 9時間46分 | 2時間14分 | 7時間32分 |
それでは紹介を始めたいと思います。こちらのファニルス城壁の門から入りました。門の奥にある建物はファニルス倉庫と呼ばれています。
ファニルス城壁の門に近づきました。この門はPorte Echaugetteと書かれていました。日本語を検索しても出てこないのでEchaugette門と呼ばせていただきます。門の左側の低い位置に設置された狭間窓(銃眼 / 銃口)が気になります。地面近く設けられていることから地面に置いて使用する大型の銃器のためのものだと思われました。
こちらが狭間窓(銃眼 / 銃口)です。
修道院の方は自然の断崖絶壁がそのままで自然の地形を利用した要塞であったことが覗えました。
門をくぐるとファニルス倉庫が大きく見えてきました。建物の下が通路になっていました。
ファニルス倉庫の手前の右側に洗い場がありました。泥の干潟を歩いた人たちが足を洗っていました。もし干潟を歩く機会があるときはこの場所を覚えておいてください。上の写真で右側を歩いている人たちが足を洗いに向かっている方々です。洗い場がある建物は地図にはGendarmerieと書かれていることからフランス警察の詰め所のようです。
ファニルス倉庫と呼ばれている建物をくぐると坂道が真っすぐに続いてました。正面がイギリスとの100年戦争時代の要塞としての名残でもあるガブリエル塔です。モンサンミッシェルはイギリスに周辺の都市が占拠されたにも関わらず、一度もイギリスに陥落することがなかった難攻不落の要塞としても有名な場所だそうです。
これがガブリエル塔(Tour Gabriel)です。
ガブリエル塔の前から登ってきた坂道を振り返った景観です。
ガブリエル塔の右側にあった小さな門をくぐると道が続いていました。
道は海辺まで続いていました。
よく見るとウェットスーツの人が漁をしているようでした。今は満潮に近い時間帯で海水がありますが、干潮時には干潟になります。そのような場所で奈良が採れるのでしょう。気になりましたが確認の使用がありませんでした。
この時も勢いよく水が満ちてきていました。水の勢いを見てもらいたくて動画を撮りましたので是非ともクリックしてみてください。ウエットスーツの人も写っています。川が左の方向にあるので本来は左から右に静かに水が流れるはずなのですが、川の流れに逆らって右から左に向かって海水が勢いよく流れているのが確認できると思います。
道は行き止まりになっていました。後で知ったのですがこの先に小さな礼拝堂があります。干潮時にのみに行くことが出来るサントベール礼拝堂です。この岩の上に登っても見ることが出来ないようです。
撮った写真の中でサントベール礼拝堂が写った写真を探した結果、泊まったホテルの少し西側にある橋からの下の写真に、サントベール礼拝堂の一部が写っていました。一番左端の岩の向こう側にサントベール礼拝堂が写っているのが判ってもらえると思います。夕食時にホテルのレストランから撮った右の写真にはサントベール礼拝堂はほんの僅かしか写っていないので、少しの角度の差で下の写真が撮れたのだと思います。
行き止まりの場所から振り返ったガブリエル塔の景観です。
このようなものがありました。これはおそらく雨樋ではないかと思われます。
猿の像のようにも見える雨樋を拡大いたしました。
雨樋と思ったのはパリのノートルダム寺院のガーゴイル(gargoyle)と呼ばれる雨樋に似ていたからです。
ガブリエル塔の屋根も見事なので写真を撮りました。
ファニルス倉庫から登って来た道はガブリエル塔のところでU字形に曲がりさらに登り坂が続きました。その先にも塔が建てられていました。これもモンサンミッシェルを敵から守るための塔だと思われました。
坂の途中からファニルス倉庫を間近で見ることが出来ました。
塔のところから道は、また左にU字形に曲がっていました。
ここから攻めてくる敵を攻撃するように作られたのだと思います。この要塞の鉄壁の防御になっていたのは干満の大きな非常に危険な干潟の中にある高さ約80mの岩山の上に要塞が建てられていたことで、おそらくここまで攻め入ることも出来なかったように感じました。
先に進むと、今度は人工の絶壁で守られていました。
一直線に伸びた石で出来た構造物がありました。これは荷物を引き上げるためのリフトの線路の役割を担ったものでした。
その石の線路の最下部の部分です。このリフトに関しては後日に詳しく紹介したいと思います。
ここまでは坂道ばかりでしたが初めての階段が現れました。
階段を登り詰めると細い石の道が続いていました。朝の9時15分ごろと言うこともあり歩いているのは我々だけでした。
そこから見上げても、修道院はまだまだ上にありました。
細い石の道は続いていました。このあたりはかつては住居地区ではなかったと思います。現在はモンサンミッシェル島内に住んでいる人数は41名(2013年)で、昼間に仕事に従事している人のほとんどが、島外から通っておられるそうですが、かつては1182名(1851年)も住んでいました。
細い石の道からの景色です。
さらに医師の道が続きます。
石の道は行き止まりになっていて小さな門がありました。
差の小さな門をくぐると沢山の観光客の人達が通る道に出ました。
さらに進むと修道院の入口に向かう道に合流いたしました。
こちらが修道院の入口です。階段にワンちゃんのマークが見えます。ワンちゃん同伴はここまでで、この先にはワンちゃんは入れません。つまりワンちゃんに寛大なフランスでも、修道院の有料エリアにはワンちゃんは入れないのです。それでもここまでワンチャンを連れて来ている方を沢山見かけました。
修道院の入口で待っているワンチャンを沢山見かけました。おそらく交代で修道院の中を見に行っているのだと思います。見るところが結構あるので、相手の方が戻って来る約1時間ほど、ここで待つことになると思います。
別のワンチャンも修道院入口で持っていました。ここまで登って来るといい運動になったと思います。
大通り(グランド・リュー / Grande Rue )でも沢山のワンチャンを見かけました。同じように修道院の入口の前から交代で内部を見に行くのだと思います。
こちらは1日目の連絡道路で撮ったワンちゃんです。
今回は1枚もモンサンミッシェルの全景の写真を掲載していなかったので、最後に掲載いたします。Echaugette門から修道院入口まで歩いたルートを空色のラインで示しています。高いところで水平に近いところが、上で石の細い道と紹介したところです。クリックするとよくわかると思います。
ゲランドの塩 Sel de Guérande [土産]
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モンサンミッシェルのお土産の一つとして塩を買ってきました。写真の中の細い瓶が名物の塩です。瓶にモンサンミッシェルの金属のメダルが張られているようにモンサンミッシェルのお土産の中でもトップレベルの人気です。ラベルに書かれているSel de Guérande(サリーヌ・ドゥ・ゲランド)は良質塩の代名詞と言われるほど有名な塩だそうです。ゲランドはフランス西部のブルターニュ地方に位置し、半島の先に広がる大西洋の恵みを受けた塩作りを行っていて、世界的にも名前が知られているそうです。ここでは煮詰めるなどの方法をとらない100%自然の力と人の手のみで塩作りが行われています。ゲランドの塩は、2000年以上も前から現在と同じ場所で作られていて、西暦700年から使われている5つの塩田も含まれるほど歴史のある場所です。ラベルのSel marin gris de tableが塩の種類を表現しているのかもしれません。
ゲランドではマレ・サラン(marais salants)と呼ばれる塩田に海水を引き込んで、天日と風により水分を蒸発させて、表面にできる大きな結晶のみを右の写真のトンボのような木製の器具を用いてかき集める天日製塩法にて作られているそうです。1500年の時点で塩田は現在の80%の面積で、その後、海上貿易の発展によってニーズが拡大し、1660年までに最終的に塩が収穫される貯水池が2,500ヶ所作られました。ゲランドに最後の塩田ができたのは1800年代の頃ですが、1840年から1960年には世界中の塩鉱や地中海で採れる塩が大きな競争相手となり、長期間、塩職人たちは経済的な危機に陥りました。右の写真をクリックすると特別大きく拡大いたします。
その影響で1840年に600人~900人いた塩職人が、1973年には248人までに減少したそうです。1970年から1990年も経済不振が続きましたが、ゲランドの塩職人らは一致団結し乗り切ってきたそうです。今でも10,000箇所以上の貯水池で塩が収穫されているそうです。右のゲランドの塩田の写真はネットから転用させていただきました。
塩田があるあたりのGoogle地図です。興味のある方は左下のアイコンをクリックして航空写真に変えてみてください。
その塩を試す機会を探していました。
先日、報告した通り家から車で5分の場所に出来た大型ショッピングモール「イオンタウン」の中の イオンスタイルでオープン当日にお買い得の「刺身」と「蟹」と「ステーキ」肉を買ってきました。刺身は当日に食べて蟹は翌日に食べて3日目にステーキをいただきまし。
さっそく半分に切って胡椒をかけて焼きました。
ステーキが出来上がりました。
こちらが、塩、Sel de Guérande(サリーヌ・ドゥ・ゲランド)です。少し荒めの具合がステーキに着けて食べるのによかったです。色は真白でないので昔ながらの製法で作られている実感がありました。
もう一つフランス土産をいただきました。フランス旅行で買ってきたお酒の中の左の赤ワイン、2010年産のMargauxです。
焼酎 機内販売 森伊蔵
純米大吟醸 成田空港 井筒屋 伊兵衛 3割5分磨き
赤ワイン CDG空港 Château Marsac Séguineau Margaux 2010
すでにローストビーフを食べた時に栓を開けましたが、半分ほど残っていたのです。フランスの空港で購入したChâteau Marsac Séguineau Margaux 2010です。この日で赤ワインは飲み切りました。
赤ワインとウスターソースをフライパンに残った肉汁に入れて煮詰めて作ったソースでもいただきました。このソースは我が家の定番ステーキソースです。
イオンスタイルではチーズも充実していました。お試しパックがあったので買ってみました。左からクリームラムレーズン、ブリー、ゴルゴンゾーラドルチェです。
ジャガイモを温めたあとにステーキと一緒に焼きました。
定番の大盛りサラダもいただきました。
やっぱりフランスの塩で食べるステーキは美味しかったです。
モンサンミッシェルから塩の産地であるGuérande(ゲランド)の塩田までの直線距離は165kmで、車(A━━━━B)だと191kmです。のアイコンをクリックするともう一つの天日製塩の産地であるレ島(Île de Ré )を表示します。ただしGoogleの航空写真を見る限りGuérande(ゲランド)が圧倒的に大きいです。
モンサンミッシェル
Guérande(ゲランド)の塩田
レ島(Île de Ré)の塩田
モンサンミッシェルの朝食 [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
モンサンミッシェル・ツアーでのホテルのレストランでの夕食を紹介したので、朝食も紹介いたします。朝食は夕食と同じレストランなので、窓の外にはモンサンミッシェルを見ることが出来ました。夕食は自分たちの選択で決めますが、朝食はツアーの中のホテル代に含まれています。ツアーと言っても我々2名だけの宿泊なので、個人での宿泊と同じなのです。チェックインもチェックアウトも自分たちで行います。朝食は、これらのテーブルから料理を自由に選べるバイキング形式でした。
こちらのテーブルにはパンや暖かい料理や飲み物が並べられていました。モンサンミッシェルがよく見えました。朝食は7時からなので7時に行きました。
レストランの西側エリアはツアーなどの大人数に対応してテーブルが並べられていました。
東側は基本的に2名のエリアになっていました。我々は窓側の一番左の席に座りました。朝食で記念写真を撮ってもらうのは恥ずかしいので省略いたしました。
その席から食事を始めたころに見えたモンサンミッシェルです。7時15分ですが、まだ暗かったです。
モンサンミッシェルのWikipediaの説明→翻訳 原文 省略版(日本語)
これ以外にチーズもいただきました。ヨーロッパはハムやチーズが美味しいので、暖かい料理よりも、ついついソーセージやハムやチーズが中心になってしまいます。
コーヒーやホットミルクや紅茶用のお湯が入れられたポットが並べられていました。
我々は紅茶にいたしました。7種類の紅茶が用意されていました。2種類の紅茶を飲ませていただきました。
食事が終わるころの7時53分のモンサンミッシェルです。周囲が明るくなってきました。朝食で50分も楽しんだのは久しぶりでした。この日は車の待合わせ時間の16時20分までは自由なため、たっぷりと時間があり、気持ち的にもゆっく出来たのだと思います。それでもホテルを8時半に出発しました。
実は今回のフランス旅行でホテルのレストランで朝食を食べたのは、この時の1回だけだったのです。パリでは朝食付きにすると1人あたり2000円もアップするので、朝食に関して外のお店で調達してくる方法をとったからです。そんな意味でも朝食を楽しめた訳です。
モンサンミッシェルから見たホテルの写真です。朝食を食べたのが空色の〇印の位置です。ちなみに橙色の〇印が夕食を食べたテーブルの位置で、黄色の〇印が我々が泊まった部屋(Room No.006)です。
ホテルの入口に国旗が飾られていました。日本とフランスの国旗だけが特別な位置に飾られていることからも日本人が歓迎されているように感じました。右側の5本はドイツ、カナダ、フランス、アメリカ、イギリスのようです。
名前 Le Relais Saint Michel
住所 Lieu-dit La Caserne, 50170 Le Mont-Saint-Michel
電話 02-3389-3200
住所の中のLa Caserne(ラ・カゼルヌ)がモンサンミッシェルの対岸のホテル地区の地名のようです。Google地図で確認できただけで、8つのホテルが見つかりました。着色した名前をクリックするとホームページ等を表示します。
La Caserne地区のホテル
Le Relais Saint-Michel
Hôtel de La Digue
Hôtel Le Relais du Roy
Chambres d'hôtes / B&B La Jacotière
Hôtel Gabriel
Hôtel Vert - Le Mont Saint Michel
Hotel Mercure Mont Saint Michel
Hôtel Saint-Aubert
La Caserne地区のレストラン
Restaurant Le Pré Salé
Restaurant La Rôtisserie
Le Jardin d'Anouck
Restaurant La Ferme Saint Michel
周辺のホテル
Chambres d'hôtes / B&B La Jacotière
gite Ferme Saint Joseph mont saint miche
Gites Bellevue Mont Saint Michel
Les Vieilles Digues
ヴェネチアンガラスのネックレス [話題]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
家内の誕生日は6月です。誕生日プレゼントにヴェネチアンガラスのネックレスをネットで買いました。
これの特徴はすべてのガラス玉のデザインが違うことです。長さは70cmでした。少し重いかも!
説明には「ヴェネチアの数あるガラス工房の中でも。芸術性と技術力の高さから"別格"とされるスーヴ工房に、特別に製作を依頼したヴェネチアンガラスのネックレス。ガラスビーズはわずかな気温や温度差で変化し、2つと同じものが作れません。」とかかれていました。
大きな玉の部分を拡大しました。上の写真はフラッシュを使わずに撮りましたが、これはフラッシュを使っているので色合いが違うように感じられるかもしれません。
モンサンミッシェルを見ながらの夕食 [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
モンサンミッシェルでの2016年5月9日のディナー(夕食)は、泊まったホテルであるル・ルレ・サンミッシェル(Le Relais Saint-Michel)のレストランでいただきました。料理の評判や、景色が良いことを聞いていたので、ホテルに13時30分にチェクインした時に迷わずレストランを予約いたしました。食事の開始時間は20時にしてもらいました。本記事では、そのディナーを紹介するとともの時間と共に窓から見えるモンサンミッシェルの変わっていく姿を紹介したいと思います。上の写真はコース料理の中のモンサンミッシェルの地元産の仔羊を使ったメイン料理です。
そしてこちらがレストランの席について最初に撮った20時05分のモンサンミッシェルです。実はこの時期の日没時刻は21時20分ごろだったので20時でも昼のように明るかったのです。ホテルから見てモンサンミッシェルは北にあるので日が沈む西は左方向になります。左から太陽の日がさしていることが判ってもらえると思います。レストランからモンサンミッシェルの塔までの距離は2kmです。Google地図で計測するとテーブル位置から塔中心まで2.01kmでした。
21時ごろには、ほぼ満席になりましたが、昼のように明るい20時の時間帯では、まだ客はまばらでした。そのおかげで窓際の席の中でも一番いい場所のテーブルにしてもらえました。この晩は10名を超えるツアーの3組が食事をされていました。その3組は日本と中国と欧米の方で、団体で食事をされていたので、食事付のツアーのようでした。それ以外は個人で食事をされている方のようでした。パリのレストランに比べるとテーブルがゆったりと配置されていました。
一番いい席であるということは、こちらの2枚の写真を見ていただければわかると思います。いくつかのテーブルのところに行ってモンサンミッシェルが一番よく見える席にしていただいたのです。料理はメニューを見ながらじっくりと決めたかったので、先ずは飲み物を頼みました。娘がシールド(リンゴ酒)を頼み、私がビールを頼みました。料理は娘の前にあるカメラと同じG7Xで撮り、景色の方は100~400mmのズームレンズを取り付けたEOS 5Dで景色を撮りました。24~105mmのレンズは部屋に置いてきました。この2枚の写真は私のG7Xでレストランの方に撮ってもらったものです。
モンサンミッシェルから見たホテルの写真です。橙色の〇印がレストランの中の夕食を食べたテーブルの位置です。モンサンミッシェルからホテルのレストランのテーブルが見えからこそ、レストランのテーブルからモンサンミッシェルが見えるというなのです。
ちなみに黄色の〇印が我々が泊まった部屋(Room No.006)で、空色の〇印が朝食を食べたテーブルの位置です。
ビールとシールドの写真です。
20時21分のモンサンミッシェルの写真です。すこし暗くなってきた感じでしたがまだまだ明るいです。連絡道路を無料連絡バスが走っています。
ディナーとして用意されているコースは下記の通りです。メニューをクリックすると内容が判る大きさに拡大いたします。フランス語と英語と日本語が並記されていました。
前菜は5種類の中から選び、メインは4種類から選び、デザートも4種類から選べるようになっています。価格は60ユーロでが、私が今回選んだものを単体で注文すると78€(=24€+38€+16€)になるのでかなりお得に設定されています。緑色に着色された料理とデザートが2人が選択して写真を紹介するものです。
Menu Tradition 伝統料理のコース 60€
前菜モンサンミッシェル伝統のオムレツ
ノルマンディー牡蠣6個
魚のスープ、ルイルとクルトン添え
自家製フォアグラのグルメプレート
自家製サーモンマリネのオーシャンサラダ
メイン
モンサンミッシェル伝統のスモークサーモン入りオムレツ、ポテトのポワレ
地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン
帆立貝のポワレ ブールブランソース、バスマティライス添え
ビーフステーキ ポモーソース、昔風ポム・フリット添え
デザート
とろけるモワルーショコラ
キャラメルリンゴのタルト・タタン
バニラ風味のクレープ・ブリュレ
カフェ・グラマン
先ずはパンが出されました。
パンが出された20時25分のモンサンミッシェルの景観です。まだまだ明るいです。100~400mmのズームレンズで焦点距離190mmで撮った写真です。
こちらがすでに紹介した20時32分の写真です。
前菜が出てくる3分前に撮りました。
私が頼んだコースの前菜(上段)、メイン(中段)、デザート(下段)は次のリストです。前菜はフランス来る前から食べたかったノルマンディー牡蠣です。牡蠣の季節が過ぎていたので食べれるとは思っていませんでしたが、メニューを見て迷わずに頼みました。
・ノルマンディー牡蠣6個
・地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン
・キャラメルリンゴのタルト・タタン
これがノマンディーの牡蠣です。この前菜が出されたのが20時35分でした。
これが拡大したノルマンディーの牡蠣です。
本来は牡蠣の季節は冬ですが、是非ともフランスで牡蠣を食べたかったので牡蠣を選びました。季節ではないけれども、しっかりとした高級店であれ場ば大丈夫だとパリに住んでいる方から聞きました。
やっぱりワインが飲みたくなります。牡蠣なので白ワインにしたいところですが、沢山飲むつもりはなかったので次に出てくる肉料理に合わせて赤ワインのグラスにいたしました。20時46分でした。
こちらはワインリストです。フランスではグラスで頼んで沢山飲んでもボトルと変わらないのです。ただしグラスワインは白ワイン、ロゼワイン、赤ワインでそれぞれ1種類だけでした。沢山のグラスワインがあっても、どれを選んだらいいのかわからないのでお薦めの1種類になっているのは我々にとっては嬉しいことでいた。一番下のBordeaux AOP Mouton Cadet Baron Philippe de Rothschildを選びました。ボトルが59€、グラスが9€のワインです。
娘が選んだ前菜が出てきました。娘が頼んだのコースの前菜(上段)、メイン(中段)、デザート(下段)は次の通りです。やはり有名な地元産の仔羊の料理は外せないです。
・魚のスープ、ルイルとクルトン添え
・地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン
・とろけるモワルーショコラ
牡蠣がもっと食べたくて、追加で牡蠣を頼みました。価格は24€でした。時間は20時53分でした。こちらの牡蠣は二人で食べました。
メインの「地元産仔羊の背肉ロースト、ポテトとニンジンのノルマンディー風グラタン」が出されたのが21時18分でした。娘も同じ メインを頼みました。コースではなく単品で、この料理を頼んだ場合は38€の価格になります。
追加で赤ワインを頼みました。この時21時22分でした。
メインを食べ始めたころにやっと日が落ち始めました。この時21時34分でした。
骨付きの肉はやはり美味しいです。ボリュームもありました。
こちらの写真は翌日の朝に連絡道路をモンサンミッシェルに向かっている時に撮ったもので、モンサンミッシェルを背景にヒツジたちが牧草を食べている記念の写真です。モンサンミッシェルの仔羊の肉はMouton de pré saléあるいはAgneau de pré-salé(塩沼の仔羊肉)と呼ばれ美味しいことで有名なのです。潮の満ち引きで海水の成分がついた牧場の草を食べてヒツジたちが育っていることに、肉の美味しさの秘密があるそうです。つまり塩分のある草を食べて一味違う肉になるとのことだそうです。その仔羊の肉をいただいたわけです。
肉の焼き具合もすばらしかったです。これも美味しさの一つだと思います。焼き具合を見せているところのシェフの自信が現れているのだと思います。香味野菜としてネギに似た野菜が使われていました。ここがヨーロッパなのでチャイブではないかと思います。日本ではアサツキが近いようです。
日が沈んだばかりのモンサンミッシェルの姿を見ることが出来ました。少しライトが見えます。この時21時47分でした。
ついにロゼワインも頼でしまいました。この時21時51分でした。こちらのワインの銘柄は赤ワインと同じBordeaux AOP Mouton Cadet Baron Philippe de Rothschildでした。ボトル価格は45€でグラスは8€でした。赤ワインと合わせると結局はボトル1本以上飲んだことになります。
こちらがポテトとニンジンのノルマンディー風グラタンです。メインだけで1時間40分も楽しんだことになります。量もありメインが二つもある気分にしてもらえました。さすがメニューの単品料理の中でも、一番高い料理でした。
こちらは22時02分のモンサンミッシェルです。ライトアップが見えてきました。
仔羊の肉はモンサンミッシェルで有名な塩でもいただきましたが、これは格別に美味しく感じました。
22時05分の景色です。西方向は夕焼け色がまだ残っていました。そろそろメインも終わりに近づきました。
デザートが出されました。思っていた以上に見事なスイーツでした。この時22時11分でした。単品でデザートを頼んだ場合は価格は全て16€です。
デザートを食べ始めた時間のモンサンミッシェルです。100mm~400mmのレンズで最も広範囲がとれる焦点距離は100mmで撮った写真なので周辺も入っています。大潮(2016年5月8日)の翌日5月9日の満潮(20時30分)に近い時間帯のライトアップされたモンサンミッシェルの風景に出会えたのは幸運だったと、旅行関係者から何度も言われました。
飾り付けが見事なのでアップいたしました。
別の角度から撮りました。一番手前がの果物がホオズキ であることに気が付きました。フルーツ・ホオズキと読んだらいいのかもしれません。確かに蓼科に住んでする友人夫妻が食用ホオズキを育てていてジャムを食べさせてもらったことがあります。
同じ時間のモンサンミッシェルを210mmで撮った写真も紹介します。
こちらが娘が選んだデザートです。こちらも美味しそうでした。
拡大いたしました。バニラアイスが乗っていました。
やっと22時21分に夕食が終了しました。その瞬間のモンサンミッシェルをテーブルから撮りました。我々が最後のお客で、我々が出る時はお客はだれもいませんでした。20時から食事をしたので結果的に2時間21分ほどディナーを楽しみました。この後、ライトアップされたモンサンミッシェルの写真を撮るために連絡道路に出ました。
本当に我々がレストランを最後に出たことを判っていただくために2枚の写真を紹介します。食事が終わってレストランを出る時に撮った写真です。
レストランの雰囲気も分かってもらえると思います。レストランの部屋の東側の写真です。
こちらは西側を撮った写真です。窓側の一番右側の席で食事をいたしました。レストラン全体で言えば中央当たりの席です。一人立っておられるのはレストランの方です。
食事が終わった後に連絡道路に出て撮ったモンサンミッシェルです。
塔の先端の部分まで水面に写り込んでいる景色が撮れたところで引き返すことにいたしました。大潮の翌日で満潮に近い時間帯のおかげで、見事な写真を撮ることが出来ました。
今回のレストラン( )を紹介します。
名前 Hôtel & restaurant Le Relais Saint Michel
住所 Lieu-dit La Caserne, 50170 Le Mont-Saint-Michel
電話 02-3389-3200
モンサンミッシェルとレストランの間の雰囲気を伝えたくてGoogle航空写真を掲載いたしました。
連絡道路以外の建造物は一切存在しない世界でした。
モンサンミッシェル
レストラン & ホテル
━━ 連絡道路
━━ 直線距離 2.01km
人工物のために、水の流れが停滞したことによる海の陸地化が進んだことから、航空写真に写っている連絡道路や駐車場は国家事業により撤去されて、今はありません。現在は760mが橋化された連絡道路があるだけです。
雨が多く続いた天気の中で夕食とその前後には晴れ間が出るほどの天気となる幸運に恵まれました。おかげで今回の景色のを紹介と、すばらしい雰囲気を紹介することが出来ました。
参考にランチコースを紹介します。
前菜は4種類の中から選び、メインも4種類から選び、デザートも4種類から選べるようになっています。価格は39ユーロです。デザート抜きは29ユーロです。ランチの時間帯はこちらのレストランにいなかったので昼間に連絡道路から撮ったモンサンミッシェルの写真を掲載いたします。このようなモンサンミッシェルを見ながら食事をすることを想像してみてください。
Menu Déjeuner ランチのコース 39€
前菜魚のスープ、ルイルとクルトン添え
自家製フォアグラとトースト
自家製田舎風テリーヌ、小玉ねぎと小きゅうりのピクルス添え
自家製サーモンマリネのオーシャンサラダ
メイン
モンサンミッシェル伝統のオムレツ、昔風ポム・フリット添え
サーモンのポワレ ブールブランソース、バスマティライス添え
ノルマンディー風ヴォライユのマルミット、季節のミニ野菜添え
地元産仔羊のモモ肉のロースト、サヤインゲンとポテトのソテー
デザート
伝統のノルマンディー風タルト、クレープ・アングレーズ添え
ふわふわチョコレートムース
リンゴとカルヴァドスのノルマンディー風シャーベット
バニラ風味のクレープ・ブリュレ
フランス旅行の土産は純米大吟醸 井筒屋伊兵衛 祝米 三割五分磨き [土産]
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フランス旅行でのアルコール関係の土産と言えばワインですが私が買った土産は写真の3本でした。日本のお酒をフランス旅行の土産で買うのを不思議に思われると思いますが、家を出る時から森伊蔵は行きの飛行機の中で買い、純米大吟醸は成田空港免税店で買うことを決めていたのです。
20000円近い値段の森伊蔵がJALの長距離便のCクラスとFクラスだけで、特別価格の3200円で提供されていることが分かっていたからです。帰国便では売れ切れて買えないかもしれないと思い、行きの便で買うことを決めていたのです。純米大吟醸に関しては、中国へ行くときの土産で成田空港で購入するのですが、その価格がネット最安値価格よりも安いことが判ったために、初めて自宅用の土産として買ってみました。
前回の時のJAL免税店でもらった500円割引券を持っていたことも一つの理由でした。両方ともにJALカードで買ったのでさらに10%引きで買えました。
焼酎 森伊蔵
純米大吟醸 井筒屋 伊兵衛 3割5分磨き
赤ワイン Château Marsac Séguineau Margaux 2010
国際線では出国審査前に買ったアルコール類の機内持ち込みは出来ないので、帰国便では手荷物として預ける必要があるために家を出る時に2本が入る段ボール箱と梱包用の発泡スチロールとガムテープを用意していました。個別の箱の中にも発砲スチロールを詰めました。ワインはフランスの空港の出国審査を出た後の免税店で買うので機内持ち込みで持ち帰りました。
すでに紹介した通り、車で5分の場所に大型ショッピングモールのイオンタウンが出来たことから、フランス旅行土産の純米大吟醸を飲むためにオープンの日である2016年6月10日に、写真の刺身を買ってきました。お刺身はシマアジとヒラメとサザエ身です。オープン記念と言うことで新鮮で上質の刺身が安く提供されていました。
さっそく冷やしておいた純米大吟醸をいただきました。
今回の純米大吟醸の銘柄は知らなかったのですが、3割5分磨きの大吟醸に魅かれて買いました。3割5分磨きとして有名なのが獺祭35です。35%磨きと言うのは、外側の65%を精米で取り除き中心の35%で作る贅沢なお酒なので、一度飲んでみたかったのです。原料の酒米は「山田錦」が有名ですが、今回のお酒には京都産の「祝」と言う銘柄米が使われていました。今回の純米大吟醸酒は京都市伏見の斎藤酒造で造られていることから地元京都の銘柄米が使われているのだと思いました。
名前 井筒屋伊兵衛 祝米 三割五分磨き 英勲 純米大吟醸
酒蔵 斎藤酒造
住所 京都市伏見区横大路三栖山城屋敷町105番地
こちらがシマアジの刺身です。
こちらがヒラメのさしみです。
そしてこちらがサザエの刺身です。
イオンタウンの中のスーパであるイオンスタイルでは珍しいものも沢山置かれていました。こちらが珍しいかどうかは分かりませんが大好きな栃尾あぶらげが置かれていたのですぐに買いました。
栃尾あぶらげは焼いて、おろし生姜と黒七味をかけたものを醤油でいただきました。
左端が黒七味です。黒七味は京都祇園にある創業は1703年の原了郭が生み出した薬味です。原料は白ごま、唐辛子、山椒、青のり、けしの実、黒ごま、おの実だそうで奥深い味わい山椒の効いた七味です。
焼きなすも用意してもらえました。
最後のデザートは、わらび餅でした。これもイオンスタイルで買ってきました。
6月10日は栓開けて半分残ったので、翌6月11日にも大吟醸をいただきました。イオンタウンのオープン記念の蟹を買っていたからです。
こちらが2016年6月10日のオープン記念でイオンスタイルで買った蟹です。最近、蟹を食べていなかったので、見たとたんに食べたくなって買ってしまいました。6月13日にも様子を見にイオンタウンに行きましたが、オープ記念で同じ蟹が売られてはいましたが、我々が買ったオープン当日の6月10日の方が断トツに安かったので得した気分になりました。
我家で一番大きな皿の上に乗せました。
蟹爪です。シンプルに酢醤油でいただきました。
やっぱり冷やした純米大吟醸は美味しかったです。6月11日で無くなってしまいました。2日間で飲み切ってしまったわけです。
こちらは脚の方です。やっぱり蟹は美味しいですね。
買ってあった銀杏も焼きました。
5月11日に買ったばかりのオカヒジキもいただきました。オカヒジキはナデシコ目ヒユ科の陸の植物ですが海藻のヒジキ(鹿尾菜 / 羊栖菜)に、見た目も食感も似ていることからオカヒジキと呼ばれているそうです。漢字では岡鹿尾菜あるいは岡羊栖菜と書くそうですが馴染みがなくて、イメージ的には丘ヒジキあるいは岡ヒジキと書いてしまいそうになります。
目 : ナデシコ目 Caryophyllales
科 : ヒユ科 Amaranthaceae Juss.
亜科 : Salsoloideae
属 : オカヒジキ属 Salsola
種 : オカヒジキ S. komarovi
定番の巨大サラダも用意してもらえました。
デザートは今が季節のサクランボでした。
モンサンミッシェル島内で一番細い路地 [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
モンサンミッシェルの島内を2日間ほど歩き回って沢山の路地を歩きました。その中で一番狭い路地(一番細い路地)を紹介いたします。実はこの路地の前で偶然にも、同じツアーで車が一緒で、対岸のレストランでふわふわオムレツを一緒に食べた方に出会ったのです。その方が、ガイドさんの教えてもらった路地だと言われていたのです。その後に島内の路地を歩きましたが、確かに一番狭い路地なので間違いないと思います。
その細い路地の入口は大通り(グランド・リュー / Grande Rue 路地)にありました。細い路地を探す目印なのが、お店の左側の柱の壁飾りの白い像です。この柱の左側に細い路地があります。修道院から連絡道路の方向に下りてくる方向を撮った写真です。修道院から降りてくるときは右側にあります。
連絡道路からグランド・リュー通りを登って行く方向の写真も紹介しておきます。当然ですが左側に細い路地の入口があります。Googleのストリートビューでも発見できました。→ポチッ
壁飾りを売っていたお店は、写真の看板( à la Croix Blanche )のホテル兼レストランの向かいにありました。上の写真にもこちらの看板が写っています。ホテル兼レストランの名前はÀ la Croix Blancheです。
もう一度正面から見ていただきます。
最初に階段がありました。
階段をを登った奥はさらに狭くなります。女性の方でも肩の部分は当たるので上体は斜めにして進みます。
私の場合だと、少し横歩きに近かったと思います。
成田空港を2016年5月8日11時40分に出発し、翌日の5月9日15時32分にモンサンミッシェルの細い路地に来ていたのでした。7時間の時差があるとは言え、驚異的なことのように感じました。ここで偶然に会った女性の方とは別れましたが、13分後には自分達でも歩いてみました。2日目も含めると、この道は5回以上通りました。それほど便利な道でもあるのです。
路地を進んで撮った写真です。狭さが実感してもらえるのではないかと思います。
さらに進みました。石畳の道には排水のための丸く凹んだ溝が道の中央につけられていますが、こちらの細い路地にも排水溝が中央に作られていました。まさに排水溝の幅の路地だったのです。排水溝がちゃんと中央に作られていることからも、認知された道であると感じました。
細い路地を抜けた景観です。
振り返って路地の方向を見て、その細さを実感いたしました。まさに排水溝の幅でした。
こちらの道に出ることが出来た訳です。
その道からの景色も紹介いたします。見えている連絡道路には連絡バスの姿もありました。
この地図の紫色ライン(━━)が今回紹介のモンサンミッシェルで最も細い路地です。①②③がモンサンミッシェル島入口から修道院入口までの道です。
━━ モンサンミッシェル島内で最も細い路地
━━ モンサンミッシェル島内散策路
━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 一番沢山の人が通る参道
━━ ②海沿いの外周城壁の上の道
━━ ③ファニルス城壁門からのルート
海沿いの外周城壁の道 モンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]
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今まではモンサンミッシェルを遠くから見た景色を紹介させていただいていましたが、いよいよ島内の記事を掲載させていただきます。今回は対岸のホテルに泊まったことからモンサンミッシャル島内には2度入りました。そして有料区域である修道院内にも2度入りました。
滞在時刻 | 滞在時間 | |||||
島内 | 修道院内 | 島内合計 | 修道院内 | 修道院外 | ||
1日目 | 13:50~16:20 | 14:12~15:25 | 2時間30分 | 1時間13分 | 1時間17分 | |
2日目 | 09:04~16:20 | 09:21~10:22 | 7時間16分 | 1時間01分 | 6時間15分 | |
合計 | 9時間46分 | 2時間14分 | 7時間32分 |
モンサンミッシェル島内に合計で9時間46分滞在して、5種類の着色された道を全て歩いてみた結果として、連絡道路エリアから修道院に行くためのルートは次の①②③の3種類があることが分かりました。2日目の2016年5月10日には修道院外に6時間15分も滞在したことから全ての道を歩くことを目的に黄色の道に関しては同じところを2、3度以上歩きました。1日目は②のルートで修道院の入口まで行き、2日目は③のルートで修道院の入口まで行きました。
本記事では②の海沿いの外周城壁の上の道を入口から歩いた順に修道院入口までを紹介したいと思います。
━━ ①大通り(グランド・リュー / Grande Rue ) 沢山の人が通る参道
━━ ②海沿いの外周城壁の上の道 1日目のルート
━━ ③ファニルス城壁の門からの道 2日目のルート
━━ 島内散策路
━━ 修道院内見学ルート(有料エリア)
修道院(有料エリア)入口
修道院(有料エリア)出口
ラヴァンセ門(前哨門)
ファニルス城壁の門
経路 →塔-1→塔-2→塔-3→塔-4→塔-5→ブークル塔→北塔→ →
入口の門から入って階段を登って、フランス国旗の立てられた左の円筒形の大きな塔の部分にから左方向(東方向)に城壁の上を歩きました。赤・白・青のフランス国旗が見つけられない場合は写真をクリックしてみてください。きっと判ると思います。
塔の部分は日本の城で言えば石垣の上の櫓に相当するもので戦闘時に兵士が中から外に向かって攻撃する場所です。フランス国旗が建てられた塔を上の航空写真では「塔-1」と記載しています。本写真はクリックするとオリジナル写真の50%の大きさで表示するように設定いたしましたので、是非とも見ていただいて、歩いた道の風景を確認していただきたいと思っております。
こちらが観光客のほとんどの人が入る最初の門となるラヴァンセ門(前哨門 Porte de L'Avancée)です。②のルートで修道院の入口まで歩いた1日目は雨だったので、首にかけた一眼レフの方のカメラはレジ袋にで包んで屋外では傘をさしながらG7Xで撮りました。
上の門をくぐると中にも門がありました。名前は大通り門です。
大通り門をくぐるとさらに跳ね橋のある門がありました。名前は王の門(ロア門)で、警備を強化するため、15世紀に造られたそうです。 手前には堀があり、跳ね橋と落とし格子が取り付けられています。ただし、現在の跳ね橋は1992年に復元されたものだそうです。
王の門(ロア門)をくぐるった景観です。右の階段を登ると先ほど紹介したフランス国旗が立てられていた城壁の「塔-1」に出ます。左側には郵便局があります。つまり郵便局の前の階段が目標となります。オレンジ色のホークリフトのような車は狭い参道で荷物を運ぶために使われていました。ただし狭いのでUターン出来ないので前進とバックだけで運んでいました。
別の時間帯に、反対方向から王の門の方向を撮りました。左の階段が城壁に登る同じ階段です。同じ階段とは思えないほど沢山の人が行列していました。高校生か中学生が団体で来ていてガイドさんが城壁の道を案内したためにこれほど混んだようです。ほとんどの時間帯で城壁の道は空いていました。
城壁の塔の上に出ました。こちらが塔-1です。
塔の上からは我々が連絡バスで渡ってきた連絡道路が見えました。
塔からは岩山の方に上がっていく細い道も延びていました。上の航空写真で黄色ラインで示しています。こちらの奥は後日紹介したいと思います。
城壁の進行方向に屋根付きの塔がありました。きっと名前があるとは思いますが、こちらは塔-1の次にあったので塔-2と呼ばせていただきます。まさに日本の城の櫓に相当します。
その塔-2の内部です。驚いたことに日本の城の櫓と同じように屋根は木で出来ていました。この櫓のことをフランス語では Hourd と呼び、英語では Hoarding(ホーディング、ホールディング)と呼びます。
塔-2からまっすぐに城壁の上に道が延びていました。
左に目を向けると修道院を見ることが出来ました。つまり道を歩きながら修道院の塔が見えるルートでもありました。
少し進んで撮った写真です。
左の下を見ると眼下にメイン道路がありました。こちらが一番沢山の人が通る道です。通りの左側の建物から城壁に建物がつながっていました。これらは木造で出来ていました。
修道院を背景に、いろんな景観を楽しむことが出来ました。
驚いたことに建物の屋根の瓦に相当する部分が木で作られていました。
拡大いたしました。ヨーロッパの建物の屋根は天然石のスレートだと思っていましたが木が使われているのに驚かされました。
メイン通りであるグランド・リュー通りが直線で見える場所がありました。細い道ですが「大通り」と言う意味のグランド・リュー( Grande Rue )と言う名前がつけられていました。このメイン道路からは高い建物に挟まれているために修道院を見ることが出来ません。この写真からも石造りと木組み造り建物が混在していることが分かってもらえると思います。
これらの建物の屋根の景観をを見れるだけでも城壁の上の道を選択した値打ちがありました。
また違った景観の建物の上にも修道院が見えました。
城壁の上の道を進むと上の航空写真で塔-3と記載していた巨大な櫓がありました。分厚い石の壁が半円状になっており沢山の狭間窓(銃眼 / 銃口)がありました。
塔-3の櫓の内部の下を覗き込んでみました。分厚い石垣でできていることが分かりました。
その塔-3から修道院の方向に目をやると木組みの家であることが分かりました。
さらに進むと道が細くなってきました。左側にはレストランや土産物屋などが並んでいました。
一番、水平で長い道が続きました。
所々にスペースがありレストランの屋外空間ととして使われていました。そこからも建物の合間に修道院が見えました。ここは塔-4の正面の場所です。
同じ場所から進行方向を撮った写真です。海側に丸く突き出している部分が塔-5です。つまり最初の塔(櫓)から5番目の塔です。
その5番目の塔-5から振り返った景色です。塔-4が見えます。塔-4は城壁より少し低いのが特徴です。
塔-5から進行方向を見ると四角い建物が建てられた6番目の塔(櫓)が見えました。こちらの塔は有名で名前がつけられています。
その名前はブークル塔(Tour Boucle / ブクル塔)です。そのブークル塔の少し手前にカモメがとまっていました。
気分転換にカモメをアップしました。
ブークル塔のところまで来ると急な登りが見えてきました。
その急な階段をアップします。この後、ブークル塔の櫓の海側を廻って、この会談を登りますが、その前にブークル塔をもう少し紹介します。
ブークル塔のコーナー部分です。城壁通路には見張り役がいて狭間窓(銃眼 / 銃口)から敵を撃退したそうです。
これが狭間窓(銃眼 / 銃口)です。
かがむと入れる大きさでした。娘にモデル役を頼みました。
ブークル塔の海側の通路から進行方向を見た景色です。円筒形の塔が北塔です。
階段の正面に出ました。右にちらりと見えるのは北塔です。ネットで検索した結果、塔の名前が全て判りました。
塔-1 Tour du Roi
塔-2 Tour du l'Arcade
塔-3 Tour du la Liberté
塔-4 Tour Bassei
塔-5 Tour Cholet
ブークル塔 Tour Boucle
北塔 Tour du Nord
階段の上から、登ってきた方向を撮りました。
丸い部分が北塔です。細い道が続きます。小さな島が見えます。島の名前はトンブレーヌ(Tombelaine)です。北塔からトンブレーヌまでの直線距離は2.7kmです。遠浅のために大型の軍艦は近づけないことが分かります。昔の大砲だと砲弾もとどかなかったと思います。トンブレーヌのネットでの説明を枠内に転記いたしました。
この地は、巨人にさらわれたホエル王の娘エレーヌにまつわるケルト伝説に由来します。小さない岩島に閉じ込められ、後にこの地に埋葬され、「トンブレーヌ(墓を意味するトンブとエレーヌを合わせたもの)」と呼ばれるようになりました。
干潮時には徒歩で行ける花崗岩のこの小島は、中世では、隠修士の休息地となりました。百年戦争の間には、小島に駐在していたイングランド王国軍の駐屯部隊により、モン・サン=ミッシェルのフランス王国軍騎士団から保護するために城壁が築かれています。現在では、多種の海鳥やゼニガタアザラシの生息する地となっています。
登った来た方向の景色です。ブークル塔(櫓)の形がよくわかります。ここの浅瀬は水が引いた時には歩いてくることが出来ますが、満ち始めると激流になることから沢山の巡礼の人が亡くなったほど危険な場所でした。それだけな難攻不落な砦として使われたのだと思います。
目標とした修道院へ続いていると実感できる階段までたどり着けることが出来ました。左の階段を登って行きます。この景色を見ても攻めるのが難しいと判ってもらえると思います。
修道院にかなり近づいてきました。右側の高い方の道を進みました。
もうすぐ修道院の入口です。
階段を登り切りました。この先で右の広い階段の道と合流いたしました。
ここが修道院の入口です。階段を登って右に曲がります。
入口の上は見事な2つの塔が建っていました。
塔の中の階段を登ると小さな入口がありました。この奥がチケット売り場です。1日目はマイバスの人に渡されたチケットで入りました。2日目は自分たちでチケットを買って入りました。つまり有料の修道院に2回ほど入りました。
モンサンミッシェルの空からの動画をネットから転用させていただきました。連絡道路は古い形のままなので、確認すると4年前の2012年1月16日にアップロードされたものでした。
島内の地図はPlan Mont Saint-Michelで検索すると沢山出てきます。
素敵な一枚 [Mont Saint-Michel]
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泊まったホテル Relais Saint-Michel (ルレ・サンミッシェル)の夕食時のレストランの窓からのお気に入りの一枚です。若いカップルが夜のモンサンミッシェルをバックに自撮り棒で記念写真を撮っている風景です。自撮り棒を使っているので、きっと中国の方だと思います。もしかしたら新婚旅行なのかもしれません。この時の時刻は2016年5月9日20時32分なのでほぼ満潮時刻でした。それも大潮(5月8日)の翌日です。ホテルのレストランで素敵なディナーを食べながら焦点距離400mmで撮りました。この写真を辛抱強く、じーっと見ていると気がつかれることがあると思います。おわかりでしょうか。この写真は是非ともクリックしてもらいたい一枚です。
右の写真は、上の写真から45分後にあたる21時17分に撮っていただきました。
レストランから、同じ時間帯(20時25分)のモンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)を撮った写真です。このモンサンミッシェルを背景にした記念写真です。きっと、いい思い出の「素敵な一枚」の写真になったと思います。
この写真の中に写っているカメラで撮りました。クリックするとカメラの部分を拡大いたします。
長男夫婦の娘が1歳になりました。 [日々]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
北海道に住んでいる長男夫婦の娘が、2016年6月12日に1歳の誕生日を迎えました。元気に育ってくれました。
長男夫婦の娘、つまり我々の初孫です。
プレゼントに送った「森のあそび箱」も送ってもらった写真の中に収められていました。プレゼントには名前と誕生日を彫り込んだ木製プレートを付けてもらいました。
2015年06月 生まれた時の記事→ポチッ
2015年08月 宝塚実家訪問 →ポチッ
2016年01月 正月の記事 →ポチッ ポチッ ポチッ ポチッ
写真を見ると、しっかり食べれるようになったようです。大好きな「しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本をテーマで離乳食の料理でお祝いしたようです。ホットケーキもショートケーキもしっかりと食べたようです。いいお誕生日祝いになったようです。次に会えるのが楽しみです。
タグ:孫
車で5分の場所にイオンタウンがオープンいたしました。 [千葉]
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我々が住んでいる場所から車で5分の場所に延床面積が125,793㎡(38,052坪)のショッピングモールが2016年6月10日にグランドオープンいたしました。周辺地域では11年ぶりの大型ショッピングモールのオープンです。オープンした当日に行ってみたので報告いたします。ショッピングモールの詳細は下記の通りです。正確な数値は判りませんが商業施設延床面積では酒々井プレミアムアウトレットを大きく上回る規模です。ただし一階建の酒々井プレミアムアウトレットの敷地面積は圧倒的です。
名前 :イオンタウン( AEON TOWN ) ユーカリが丘
住所 :千葉県佐倉市ユーカリが丘6-12-3
電話 :043-464-070
営業 :10:00~22:00 食品 7:00~23:00
店舗面積: 39,000㎡
敷地面積: 60,370㎡ 6.037ha
延床面積:125,793㎡ 38,052坪
駐車場 :2,260台
駐輪場 :1,115台
午前中に行った人から、駐車場が混んでいて時間がかかったとの話を家内が聞いたので夕刻17時20分に行くことにいたしました。やはり夕刻はすんなりと駐車場に入ることが出来ました。6月12日(日曜)の早朝にも行って買い物をしてきました。
我々が入ったのは東街区立体駐車場で、駐車場内には沢山の車がありましたが、すぐに空いている場所が見つかり2階に駐車することが出来ました。
駐車場は次のように別れています。赤色の→が入口です。全て対向車線を横断するような右折では入れないようになっているので駐車したい駐車場に近づく方向を考える必要があります。
① 東街区平面駐車場
② 東街区立体駐車場 1~5階+屋上(駐車場棟+東街区ビル)
③ 西街区平面駐車場
④ 西街区ビル駐車場 4~5階+屋上 ③入口からも上がれます。
こちらがフロアガイドの配置図の抜粋です。クリックすると判りやすくなると思います。ショッピングモールは東街区と西街区の2つの3階建のビルで構成されていました。ガイドを見ていると無料WiFiが使えるようなので検索しながら買い物を楽しむことも出来ると思います。
店舗数 :160店舗 (2016年6月10日 時点フロアガイド記載)
東街区 1F:27店 2F:28店 3F:20店 計:75店
西街区 1F:43店 2F:22店 3F:20店 計:85店
こちらは東街区の2階です。大きな専門店が沢山並んでいました。
荷物が少ないという条件付きではありますが、2017年ごろからは歩いて行くスーパーも増えました。下記の6店は昔は車で行っていたけれども最近は歩いて行くようになったスーパーの往復の距離です。
Y店 11.988km
J店 10.824km
T店 8.198km
S店 7.342km
O店 5.900km
I店 5.576km
イオンタウンの特徴の一つに"KIDS PEPUBLIC"と呼ばれる子供を中心とした大きなエリアが設けられていることでした。"KIDS PEPUBLIC"は西街区の3階の半分のスペースが充てられていました。写真では通路の右側が"KIDS PEPUBLIC"で、左側には子供を遊ばせるキッズパークが設けられていました。大型の対話型モニターの前で遊ぶ子供がモニター内のイラストと一緒に遊ぶことが出来るようになっているそうです。
一通り専門店の通路を歩いた後にスーパーマーケットであるイオンスタイルの食料品売り場に行き夕食の材料を書くことにいたしました。オープンの日であることから安売りもされており目移りしたので3日分の夕食を買ってしまいました。こちらが6月12日の夕食のために買ったステーキです。フランス旅行で買ってきた赤ワインを飲むのが目的です。この肉質が420gで2509円にひかれてしまいました。イオンスタイルは、新規出店やリニューアルオープンを中心に2015年から採用されているイオンの新しい名称です。
こちらは6月11日の夕食用です。最近、蟹を食べていなかったので見たとたんに食べたくなりました。こちらは成田空港の免税店で買った来た純米大吟醸を飲みながら食べる計画です。
そしてこちらがオープンの日に食べたお刺身です。シマアジとヒラメとサザエの刺身です。純米大吟醸を飲みながらいただきました。
お店やレストランも沢山ありました。スーパーであるイオンスタイル( IEON STYLE )がメインになっています。それ以外にも大型店が何店か入っています。飲食店も数えた範囲だけで43店舗もありました。これは使えそうです。
イオンスタイル(AEON STYLE) 、KIDS REPUBLIC、未来屋書店、カラダファクトリー、ビブレジーン、A・J・D ACCESSORIES、AZUL by moussy、H&M(今秋)、ゴールデンベア、cosmetics マーガレット、マノ ラプレ、グリーンターラ、ブージュルード、コムサイズム、エリマキ、グランサックス、Maisonnette LUXE、Coche et coche、ジェイソウル、スポーツオーソリティ、チェルシーニューヨーク、Ehyphen world gallery PD、SM2、ミラノ、SmaPla、ミカヅキモモコ、和真、ファイブスター、シューラルー、タイムステーションネオ、ジェムストリー、イオン新体操、イオンフィットネススタジオ、イオンカルチャー、パソコン市民講座、レッシュブ、ソフトバンク、Yモバイル、JTB、LAVA、ベルエポック、Blanc、Brilliant Nail、サンマルクカフェ、イオンペット、パンドラ、タカキュー、ノジマ、ダイソー、メモリア、東京古着、Right-on、まくらぼ、ホビーゾーン、講談社パル、セイハ、明光義塾、保険クリニック、保険見直し本舗、ダンロップゴルフスクール、イオンバイク、ルネオブパリス by フォンテーヌ、Green Parks topic、ワンズテラス、ピエタピエ、さくら平安堂、フローリストセイミヤ、CONNECTEA、大東青果、サンクゼール、久世福商店、ヴィドフランスおかしのまちおか、ポニークリーニング、QBハウス、チャンスセンター、タイケン学園(10月)、イオンボディ、ダブルフォーカス、セルフサービス、スマートメドレーAsbee、クールカレアン、ハルホシ、アドバンス、ROY G BIV +1、和ごごろりんず、non-hedge、アップクリエイト、14+、ハニーズ、愛眼、ニコロポーロ、東京イギン、ブティックアラン、マジックミシン、イオン銀行、イオンボディユーカリが丘ヒルズ歯科、パティズ、ゲンキキッズ、ハイド&シーク、安野堂本舗、GAME「あそびパーク、スタジオアリス、メガブルーバード、ファイヤーボール、海鮮三崎港、かつ楽、四季飯店、くいどん、鎌倉パスタ、クリスピー・クリーム・ドーナッツ(9月)、さぼてん、オランダ家、ドリームコーヒー、なごみの米屋、Italian Vega BeeHouse、.アルテリアベーカリー、ピッツアナポレターノ、サイゼリヤ、ニュー・クイック、FoodWareHouseリアット、ミスタードーナッツ、日本一、日本橋長兵衛満果惣、ココマンナ、南部家敷(8月)、いしがまやハンバーグ、鳳凰楼、山助フードコートも結構広かったです。
フレッシュネスバーガー、TUTU、はなまるうどん、餃子の一二三&万福餡、ユニバーサルキッチン、たこ助鯛へい、ちゃんぽん亭、魁力屋、豚屋とん一、オジョリ、サーティワンアイスクリーム
イオンタウンの場所は京成電鉄のユーカリが丘駅の近くです。
ルートにもよりますが駅から歩いて720m~780mです。緑色ライン(━━)が最短の720mのルートです。ユーカリ線の地区センター駅からだと370mです。
Googleの3Dで見ると周辺の雰囲気が分かると思います。クリックするとオリジナルを表示します。周辺に広いスペースがありながら超高層マンション(スカイプラザ)か5棟もあるのもユニークです。ミライアタワーの建設中の高さから判断して下記の写真は2012年10月前後に撮られたものと思われます。5棟のスカイプラザが完成してきた沿革は次の通りです。私が近くに引越してきたのは1993年8月7日ですが、すでに3つの超高層マンションが建っていました。
1990年03月 93m サウスタワー
1991年03月 101m ウエストタワー
1992年02月 101m イーストタワー
2003年12月 118m ステーションタワー
2013年10月 114m ミライアタワー
周辺の大型ショッピングモールと同じ縮尺で規模を比較してみました。久々の大型ショッピングモールのオープンです。周辺での大型ショッピングモールの11年ぶりのオープンと言うことで、商品の展示や店内雰囲気などから、お洒落な感じや新しさが伝わってきました。
オープン年月日 延床面積 名称
2000年09月30日 168,730m² イオンモール 千葉ニュータウン
2002年10月29日 116,659m² フルル&イトーヨーカドー 八千代店
2005年04月02日 129,874m² イオンモール 八千代緑が丘
2016年06月10日 125,793m² イオンタウン ユーカリが丘
千葉ニュータウン/イオン 八千代店(村上)/フルル 7 & I
八千代緑が丘/イオン ユーカリが丘/イオン
広い範囲の地図でイオンタウン・ユーカリが丘( )の場所を紹介します。
イオンタウン ユーカリが丘
イトーヨーカドー & フルルガーデン 八千代店(村上)
イオンモール 八千代緑が丘
イオンモール 千葉ニュータウン
酒々井アウトレット
追伸 2016年6月12日 23時59分
北海道に住んでいる長男夫婦の娘が、2016年6月12日に1歳の誕生日を迎えました。元気に育ってくれました。
長男夫婦の娘、つまり我々の初孫です。
プレゼントに送った「森のあそび箱」も送ってもらった写真の中に収められていました。プレゼントには名前と誕生日を彫り込んだ木製プレートを付けてもらいました。
写真を見ると、しっかり食べれるようになったようです。次に会えるのが楽しみです。
2016年10月15日追伸 タイトル:歩いて行ってみました。
家から歩いたらどの程度で行けるのかを確認するために、2016年10月15日と10月18日に徒歩での家からの最短コースを歩いてみました。10月15日の行きと帰りで距離が違うのはイオンタウンの出入口が違うためです。車で行く場合、家から平面駐車場の一番奥までの距離は3.52㎞です。
10月15日 計14442歩
行き 10時17分→10時44分 27分 3322歩 2.57km 5.7km/h
タウン内 10時44分→11時06分 22分 1023歩 ?
帰り 11時06分→11時35分 29分 3533歩 2.63km 5.4km/h
10月18日 計13028歩
行き 13時15分→13時43分 28分 3455歩 2.57km 5.5km/h
タウン内 13時43分→14時29分 46分 2114歩 ?
帰り 14時29分→15時00分 29分 3781歩 2.57km 5.3km/h
10月20日 計12897歩
行き 13時10分→13時38分 28分 3455歩 2.57km 5.5km/h
タウン内 13時38分→14時30分 52分 1899歩 ?
帰り 14時30分→15時00分 30分 3608歩 2.57km 5.1km/h
10月21日 計13243歩
行き 14時16分→14時43分 27分 3421歩 2.57km 5.7km/h
タウン内 14時43分→15時24分 41分 1280歩 ?
帰り 15時24分→15時53分 29分 3571歩 2.57km 5.3km/h
タグ:ショッピングモール
連絡道路からのモンサンミッシェル [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
今回は対岸とモンサンミッシェルを結ぶ連絡道路からのモンサンミッシェルの景色を紹介したいと思います。モンサンミッシェルの対岸に到着したのは2016年5月9日の12時15分で、到着した場所の近くのレストランで、ふわふわオムレツが前菜のコースランチを食べた後にホテルにチェックインしてすぐにモンサンミッシェルに向かいました。翌日の5月10日の待合わせ時間である16時15分までに連絡道路から次の6回ほど写真を撮る機会がありました。それぞれの写真を紹介したいと思います。
① 5月09日 13時40分~ 小雨 バス 行き
② 5月09日 16時28分~ 曇り バス 帰り
③ 5月09日 19時48分~ 晴れ 徒歩 散策 晴の景観
④ 5月09日 22時34分~ 曇り 徒歩 散策 夜景
⑤ 5月10日 08時34分~ 曇り 徒歩 行き
⑥ 5月10日 14時08分~ 曇り 徒歩 帰り
Googleの航空写真に昔と今の連絡道路を追記しました。今の連絡道路が航空写真に写っている道より大きく離れているのは2014年7月22日に一部橋化するなどの改良が行われたのですが、航空写真はそれ以前の写真ためです。以前の連絡道路(1849年築造)では潮の流れが変わり、泥が島の周囲に堆積してしまって、海に浮かぶモンサンミッシェルの姿が失われたそうです。潮の流れを変えてしまったもう一つの原因の駐車場も元の自然の状態に戻されていました。工事は国家事業として2億3000万ユーロをかけて行われたそうです。
モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel 橙色の線(━━)で囲った部分
━━ 今の連絡道路
━━ 橋化された部分
━━ 昔の連絡道路
上のGoogle地図への追記は、この写真をもとに行いました。真上からの写真ではないので正確でない可能性がありますが、Google地図の航空写真が最新のものに更新された時に調整したいと思います。黄色のライン(━━)の部分が橋化されたところです。橋の長さは約760mになります。
こちらの、連絡道路が橋化される前の昔の写真と、上の今回の橋化された写真を比べてもらうと、より、昔の姿が判ってもらえると思います。さらに昔の連絡道路は今のように大きく曲がっておらず直線的であったことも分かってもらえると思います。
こちらの写真はWikipediaから転用させていただきました。
この写真は連絡道路が改善される以前の航空写真です。
今の橋化された連絡道路に改造されるまでは道路の脇に長い駐車場までありました。この航空写真をを見ると、盛土タイプの連絡道路と駐車場によって川の水が東側に流れるのが遮断されて海の水の流れが弱まり東側(右側)に泥が堆積するのは当然と言えば当然のことのように感じられました。
古い連絡道路と新しい連絡道路の両方が写った写真がネットにありましたので転用させていただきました。
水が押し寄せる時間帯を示した案内板が立てられていました。
案内板には La Maree Arrivera Dans Cette Zone A: と書かれていました。Dimancheは日曜日で、Maiは5月を表しています。実はモンサンミッシェルを訪れた日(5月9日)は大潮の翌日でした。右の2枚の写真はネットから転用させていただいた2015年3月21日の18年ぶりの大潮時の写真です。この時の水位は+14mだったそうです。通常の大潮は+9~12mのようです。
今回はこれほどではありませんでしたが下の案内板から水が押し寄せることを実感いたしました。
2016年前半にモンサンミッシェルが大潮で満潮時に島になる日は次の通りでした。偶然ですが特別な日に訪問出来たようです。
2016年2月10日、11日
2016年3月10日、11日
2016年4月08日、09日
2016年5月05日~10日(案内板)
① 5月09日 13時40分~ 小雨 バス 行き
ホテルを13時40分に出ると、ちようど無料の連絡バスがホテル前に停車したので、走って飛び乗りました。したがって連絡道路からのモンサンミッシェルの最初の写真がこちらです。バスの降車場からのモンサンミッシェルです。
反対の対岸方向を撮りました。遠くに連絡バスが停まっている場所が帰りのバスの乗場です。降車場よりかなり遠くに作られていました。かなりの行列が出来ることを想定していることが後で判りました。長いベンチも設置されていました。
ワンちゃんも来ていました。右の前足と右の後ろ足が浮いています。ちょっと珍しい歩き方かも。
モンサンミッシェルに近づいてきました。
連絡道路の西側です。14時のこの時刻は最も水位が下がる時期です。大潮だからなおさらです。
こちらは東側です。水が遠くまで引いていました。
モンサンミッシェル前の広場です。
上の方をアップいたしました。
こちらが入口です。皆が入っていく場所なのに意外と小さいのに驚きました。
上の門をくぐると中にも門がありました。これをくぐるとさらに跳ね橋のある門がありました。修道院とは言われていますがモンサンミッシェルのもう一つの顔である要塞としてのモンサンミッシェルの姿が現れてきました。この奥に関しては後日報告させていただきます。
② 5月09日 16時28分~ 曇り バス 帰り
この日は長く雨が降り続いていましたが帰るころには雨が降りやみました。連絡道路を歩いて写真を撮ることも考えましたが、翌日はたっぷりと時間があるので連絡バスで帰ることにいたしました。
連絡道路は無料の連絡バス以外に馬車や許可された車が走ることが出来ます。普通の乗用車は走ることが出来ませんが、こちらの乗用車は許可された車なのだと思います。
馬車が横を通ったので写真を撮りました。これはもちろん有料です。
こちらが連絡バスの車内です。
連絡バス内から撮ったモンサンミッシェルです。このままお土産を買いにスーパーの近くまで行ったので連絡道路からの写真はこれが最後です。
③ 5月09日 19時48分~20時00分 晴れ 徒歩 散策 晴の景観
ホテルのレストランは20時に予約していましたが、急に晴れてきたので10分間だけですが連絡道路まで行き写真を撮りました。この日初めて晴れました。
広い板張り歩道が車道の横にありました。
晴れた下でのモンサンミッシェルです。翌日の予報も小雨時々雷雨だったので貴重な写真となりました。
レストランの予約は20時で10分しか時間がなかったので走って、出来る限り近づいて撮った写真が、冒頭にも掲載したこちらの写真です。持ってきたレンズは100~400mmなので焦点距離180mmで撮った写真です。
レンズ名はEF100-400mm F4.5-5.6L IS USMです。
せっかく100~400mmのレンズなので400mmで撮った写真も紹介します。こちらは海面近くの右側です。
こちらは海面近くの左側です。
こちらも400mmで撮った写真です。10分しか時間がなかったので近づけなかったので400mmを持ってきた甲斐がありました。初めて役に立ったと実感いたしました。
建物の上の方を撮った写真です。
塔の先端部分も入った写真です。修道院の教会の尖塔の高さは、海面から約150mだそうです。
上の写真から先端部分を切り取りました。クリックするとオリジナルのサイズの写真を表示いたしますので是非ともクリックしてみてください。
本来は先端には右の写真の黄金のミカエル像が乗っているはずなのですが、ありませんでした。マイバスのガイドの方が工事中なので黄金のミカエル像を見ることが出来ないと説明されていたのは覚えていたのですが、それが取り外されていいる意味であることを Poohさんのコメントで理解できました。その大天使ミカエル像をネットから転用させていただき追記させていただきました。
ヘリコプター で吊り上げられている大天使ミカエル像の写真もネットから転用させていただきました。クリックするとネットに掲載されている写真群を表示します。
④ 5月09日 22時34分~23時15分 曇り 徒歩 散策 夜景
ホテルのレストランでの夕食(ディナー)は20時から初めて22時21分に終わり部屋に戻ってすぐにライトアップされたモンサンミッシェルの写真を撮るために連絡道路に出かけました。
2km先から撮ったモンサンミッシェルです。連絡道路の歩道と車道の境にLEDが埋め込まれているのが判ってもらえると思います。
近づくほど水面が大きく見えてくるので前に進ました。
天気が変わりやすくて心配していましたが、幸いにも月が見えるほどの天気になってくれました。
水面にライトアップされたモンサンミッシェルが写っている場所まで来ました。
塔の先端の部分まで水面に写り込んでいる景色が撮れたところで引き返すことにいたしました。大潮の翌日で満潮に近い時間帯のおかげで、見事な写真を撮ることが出来ました。
⑤ 5月10日 08時34分~09時10分 曇り 徒歩 行き
翌日はホテルをチェックアウトして荷物をホテルに預けてモンサンミッシェルに出かけました。
途中で記念写真を撮りながらモンサンミッシェルまで行きました。この日は十分に時間があるために連絡バスには乗らないで歩いていくことにいたしました。この時はまだ雨は降っていませんでしたが、この日の天気予報も小雨時々雷雨だったので、身軽で行くために100~400mmのレンズはホテルに預けた煮物の中に入れて、モンサンミッシェルには持っていきませんでした。
天気も良くなくて解像度の高い写真は撮れませんでしたが、朝の写真の目玉はこちらの写真です。モンサンミッシェルをバックに有名なヒツジの写真です。塩分を含んだ草を食べることで、こちらのヒツジは格別に美味しいことで有名になったのです。写真は105mmで撮りました。
貴重な写真なので拡大いたしました。
少し前に進んで35mmで撮ると、こんな感じになります。ひつじたちはモンサンミッシェルの左側にいます。
同じ場所からヒツジたちをアップいたしました。帰るときにはこの場所にはヒツジたちは居なかったのでいろんな場所に移動しているようです。朝の限られた時間帯にここでヒツジを見ることが出来るようです。
さらに進んで24mmで広範囲を撮るとこのような風景になります。
同じ場所から60mmで撮りました。
連絡道路の橋化された部分の少し手前まで来ました。連絡道路が端になっているのが判ってもらえると思います。
同じ場所から84mmにしてみました。
連絡道路の直線部分まで来ました。
かなりモンサンミッシェルが迫ってきました。
全体が写るように右側の歩道から撮りました。
一番活発に生活が行われている部分です。レストランや土産物屋さんが沢山ある場所です。
24mmの広角でとっても全体が入らない位置まで近づきました。
上の方を拡大いたしました。
すでに紹介しているように、右の方にほとんどの人が利用している小さな門が写っているのが判ってもらえると思います。実はモンサンミッシェルにはもう一つ別の門があります。それは左の方に停まっている白い車の奥にあります。
こちらが、その門です。この日はこちらの門から入ることにいたしました。この先の報告は後日行いたいと思います。
⑥ 5月10日 14時08分~14時42分 曇り 徒歩 帰り
ホテルに戻るときに近くで撮ったモンサンミッシェルです。塔の先端部分は雲で霞んでいます。
直線部分では一番離れて撮りました。
カーブのところまで来て撮りました。モンサンミッシェルの塔の先端は、相変わらず雲で霞んでいますが、雲は勢いよく流れていました。連絡バスが停まっているところが帰りのバスの乗場です。そこから永遠とモンサンミッシェルから離れる方向にベンチが歩道の端に並べられていました。イカに沢山の人が訪れるのかが分かる気がしました。
今回は同じ場所から24mm~105mmのレンズで、広角24~35mm、標準60~67mm、望遠99~105mmの3種類の写真を撮りながらモンサンミッシェルからホテルに向かいました。その中から次の3ケ所(A,B,C)からの計9枚の写真を紹介します。出発が14時08分(0.25km)で到着が14時42分(2km)なので位置を想像してみてください。0.25kmや2kmの距離は道なりではなくモンサンミッシェルの塔からの直線距離です。
A地点(14時20分 0.96km) 24mm 60mm 99mm
B地点(14時31分 1.33km) 32mm 60mm 105mm
C地点(14時38分 1.78km) 25mm 67mm 105mm
こちらはA地点(14時20分 0.96km)から広角24mmで撮った写真です。
こちらはA地点から標準60mmで撮った写真です。
こちらはA地点から望遠99mmで撮った写真です。
こちらはB地点(14時31分 1.33km)から広角32mmで撮った写真です。
こちらはB地点から標準60mmで撮った写真です。
こちらはB地点から望遠105mmで撮った写真です。
こちらはC地点(14時38分 1.78km)から広角35mmで撮った写真です。
こちらはC地点から標準67mmで撮った写真です。
こちらはC地点から望遠105mmで撮った写真です。
連絡道路わきに咲いていたのが、こちらの白い花びらの花です。葉の形からハーブとして使われているカモミールだと思います。
ホテル近くまで戻ってきて撮った最後の連絡道路からの写真です。この後に晴れてきたのでホテルに預けていた荷物から100~400mmのズームレンズを出して撮影ポイントと言われている橋の上に移動して写真を撮りました。そちらの写真も後日紹介します。
上の写真は連絡道路の橋の部分が判りやすく写っていたので橋の部分を切り取りました。クリックすると広範囲を拡大して表示いたします。連絡バスが2台写っていますが、左側が降車する場所で、右側が帰宅するときのバスの乗場です。連絡バスは面白い仕組みになっているので、こちらも後日に紹介したいと思います。
ゴルフの後の飲み会 成田 [千葉]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ゴルフの後の木更津での飲み会を紹介いたしましたので、すこし前ですがGWの2016年5月2日の成田での飲み会を紹介いたします。木更津では宿泊しての飲み会ですが、成田では日帰りでした。その代り車は使わないで電車で来てクラブバスを利用いたしました。上の写真はスタートホールのOUT 1番です。
今回のゴルフのメンバー12名は3年前ごろから、このゴルフ場で頻繁にゴルフを行っていましたが半数近くの人が職場ごと神戸に転勤になってしまいました。関東に出張や家に帰って来た時はゴルフをしますが、皆が一緒になるのは限られています。したがって、年末年始、GW、電力休暇(7月)、盆休み(8月)の長期の休みの時は、みんな一緒にゴルフが出来るのでゴルフ+飲み会が行われるわけです。飲む場所はいつも成田駅の近くです。その中でも今回のお店「こだわりもん一家」は一番よく飲み会を行う場所なのです。
ゴルフ場と飲み会の場所とクラブバスを降りた空港第2ビルの位置関係を地図で紹介します。空港第2ビル駅から成田駅へは電車を利用いたします。
冨里ゴルフ倶楽部
空港第2ビル駅
こだわりもん一家 成田店
━━ クラブバスのルート
ゴルフをした冨里ゴルフ倶楽部の航空写真です。画面上のを数回クリックするとゴルフ場の全体のレイアウトが分かると思います。
こちらが飲み会をした「こだわりもん一家 成田店」の店内です。
こだわりもん一家は西葛西店を、以前に紹介したことがあります。→ポチッ
こちらのお通しを入れると17品が出てきました。話が弾んで料理も沢山追加注文してしまいました。その見事なこだわりの料理を全て紹介したいと思います。このお通しは、菜の花に鶏肉が和えられていて飾りつけにトビッコが使われていました。
その前に先ずはビールで乾杯です。
なんと「島らっきょ」があったので、最初に頼みました。
水茄子の刺身です。ちょっと珍しいたべかたですが、これが意外とおいしかったです。
地元の下総醤油でいただきました。
定番の「おでん」も頼みました。真っ黒なお出汁が特徴の静岡おでんでした。
こちらは「本日の鮮魚 お造里五種盛り合わせ 」です。こちらのお店は魚が美味しいことで評判です。鰹のタタキ、生タコ、鯛、マグロ、〆鯖です。
こちらも刺身5点盛りですが、一品だけ変えています。上には〆鯖が入っていますが、こちらは代わりにホタテの刺身が入っています。2種類の5点盛りは2品ではなく1品と計算して17品と報告させていただきました。
ほたるイカの酢味噌和えです。
名前は判りませんが、命名するならば、トロトロ玉子の焼肉サラダです。
焼アスパラも頼みました。すべての料理を3皿頼みました。
こちらのオープンキッチンで、その場で新鮮な食材から料理を作ります。普通の居酒屋チエーン店と違い、こだわりを感じました。
竹の子も旬だったので頼みました。写真を撮る前にいくつか食べられてしまいました。
ひものもこんがりと焼けて美味しかったです。福島/小名浜の「伴助」ほっけです。
千葉のするめいかの浜焼きも頼みました。こちらのお店では新鮮な食材が氷の上に並べられていてそれを焼いてもらうのです。昔の炉端焼きのお店を思いだたせてくれました。
熊本 の大長茄子を使った焼きなすです。長~~い皿の上に乗せられて出てきました。この写真は是非ともクリックしてもらいたいです。
豚の冷やしやぶです。
カツも美味しかったです。
名前は忘れましたが美味しい焼酎も置かれていました。
セロリの漬物も頼みました。
こちらに名前を付けるとすれば焼き豚入りポテトサラダでしようか。
最後の締めはお茶漬けでした。
おだしを上からかけます。
こちらが、おだしをかけて食べている時のお茶漬けです。これで17品の全て紹介を終了します。
焼酎が残ったので持ち帰りたいと頼むとペットボトルに入れて、洒落た手作りラベルを張ってくれました。
手作りラベルには「素敵な♡ ジェントルマン方様へ。」と書かれていました。お店の方の心遣いが伝わってきました。
焼酎のにおいが変わらないように、家に帰ってすぐに瓶に入れ替えて手作りラベルも張り替えました。これは焼肉をしながら撮った写真です。真竹(マダケ)料理の時も、この焼酎を飲みました。→ポチッ
宿泊ホテル ルレ・サンミッシェル(Relais Saint-Michel) [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
モンサンミッシェルの記事を掲載する前に泊まったホテルを紹介したいと思います。我々がモンサンミッシェル1泊2日ツアーをお願いしたマイバス社では2種類の1泊2日のツアーが用意されていました。その違いは単に泊まるホテルでした。そんなに価格差は大きくなかったことから、評判のホテルに泊まれるツアーを選びました。
そのホテルが Relais Saint-Michel (ルレ・サンミッシェル)でした。
ホテル名は Le Relais Saint-Michel (ル・ルレ・サンミッシェル)と書かれる場合もあります。
ホテルの全ての部屋がモンサンミッシェル側になっています。我々の部屋は1階でした。
窓の向こうにモンサンミッシェルが見えました。
広いテラスが付属しており、その外側に広い芝生の庭がありました。きっと2階、3階の方がモンサンミッシェルがよく見えるのだと思いますが、1階では広い庭が自分のものであるような雰囲気を味わうことが出来ました。右がホテルカードです。
こちらがバスルームです。
トイレは単独の部屋になっていました。
モンサンミッシェルへの連絡道路からの見たホテルの全景です。一部2階の3階建ての建物でした。右のRelais Saint-Michelと書かれた建物の一階部分がレストランです。夕食と朝食をたべました。朝食はツアーに付いていますが、夕食は自由なので、ホテルにチェックインした時に夕食の席を予約いたしました。
モンサンミッシェルの修道院の中から撮ったホテルの方向の写真です。
矢印( ↓ )のところが宿泊ホテルで、ここからの距離は2kmでした。
同じ場所からのホテルの拡大写真です。黄色の〇印が我々が泊まった部屋(Room No.006)です。橙色の〇印がレストランの中の夕食を食べたテーブルの位置で、空色の〇印が朝食を食べたテーブルの位置です。ホテルの部屋やレストランのテーブルからモンサンミッシェルが見えるということは、モンサンミッシェルからホテルの部屋やテーブルが見えることなのです。
こちらの写真の黄色の〇印が上の2枚の写真を撮った場所です。荷物をあげるリフトを巻き上げる巨大滑車が設置されている部屋です。
レストランからの景色がすばらしいと聞いていたので、上で記載したようにチェックイン時に予約をしてホテルのレストランでディナーを食べることにいたしました。ホテル以外にも3ケ所ほど候補を聞いていましたが、迷わずホテルでディナーを食べることにしたのは写真の景色が想像できたからです。予約は20時にしましたが、日の入りは21時20分ごろなので、まだ昼間のように明るかったです。最初は娘がシールド(リンゴ酒)で、私がビールにしましたが、そのあとはワインにいたしました。写真に写っているカメラのレンズは100~400mmのズームです。
ディナーを食べたテーブルから見えるモンサンミッシェルです。連絡道路を無料連絡バスが走っています。この時の時間は20時21分でした。この日の満潮は20時30分でした。
上の写真はG7Xで撮ったものですが、先ほど紹介した100~400mmのレンズで撮った写真も紹介します。撮った焦点距離は190mmです。カメラはEOS 5Dです。食事のテーブルからでもモンサンミッシェルが鮮明に見えました。こちらはクリックすると4倍(面積16倍)に拡大します。
デザートを食べ始めたころのテーブルからのモンサンミッシェルです。焦点距離は100mmで、時間は22時8分でした。大潮(2016年5月8日)の翌日5月9日の満潮(20時30分)に近い時間帯のライトアップされたモンサンミッシェルの風景に出会えたのは幸運だったと、旅行関係者から何度も言われました。
同じ時間(22時8分)に210mmで撮った写真も紹介します。
下の写真が夕食の後に散策に出て撮った連絡道路から見た夜のホテルです。
時間は23時3分でした。画面の中の左半分がホテルです。
無料の連絡バスのヘッドライトが見えます。
地面の光が連絡道路の車道と歩道の境界を示しているLEDです。散策の時に撮った夜のモンサンミッシェルは右の小さい写真ですが、後日に大きな写真で紹介いたします。
部屋のテラスからの夜の景色です。光っているところがモンサンミッシェルです。我々の部屋のテラスからモンサンミッシェルの修道院の塔までの距離はGoogle地図で測ると2.05kmでした。写真をクリックすると外に出て撮った夜のモンサンミッシェルの写真を表示します。この時の時間は23時24分でした。
航空写真でも紹介します。緑のマーク( )が泊まった部屋の位置です。
クリックするとオリジナルのGoogle航空写真を表示します。
宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel 橙色の線(━━)で囲った部分
撮影ポイント
無料連絡バスのりば
━━ 連絡道路
ホテルの入口に国旗が飾られていました。日本とフランスの国旗だけが特別な位置に飾られていることからも日本人が歓迎されているように感じました。右側の5本はドイツ、カナダ、フランス、アメリカ、イギリスのようです。
名前 Le Relais Saint Michel
住所 Lieu-dit La Caserne, 50170 Le Mont-Saint-Michel
電話 02-3389-3200
ゴルフの後の飲み会 木更津 [千葉]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2016年6月3日(金)は一泊でゴルフに行ってきました。一泊と言っても車で1時間程度で行ける市原京急カントリークラブです。右の写真のように11名が集まった23回目のゴルフコンペです。私は養老渓谷の近くで行われた22回目から参加させてもらっています。つまり私は2回目の参加と言うわけです。前の列の一番右が私です。上の写真はスタートホールのOUTの1番です。
ゴルフ場での食事は天婦羅そばにいたしました。
ゴルフ場の航空写真です。
家から1時間で行ける場所でのゴルフで一泊する理由は夜の飲み会でした。そのために木更津に宿をとりました。飲み会も木更津の居酒屋「さかなや くろ」が予約されていました。さらに二次会まで予約されていました。
市原京急カントリークラブ
ホテルロイヤルガーデン木更津
さかなや くろ
━━ ゴルフ場→ホテル 最短ルート 26.4km
居酒屋「さかなや くろ」が入っているビルの外装は工事中でした。お店を紹介したいと思います。
店名 さかなや くろ
住所 千葉県木更津市大和2-1-21 高木ビル 1F
電話 0438-38-4184
営業 17:00~23:00
定休 無休
木更津と言えばやっぱり魚介類ですね。最初に舟盛りが出されました。
さすが海の町と言える刺身の鮮度でした。
ビールで乾杯です。
この後は皆さん焼酎を飲まれましたが、私は最後までビールだったのでピッチャーを2杯飲んでしまいました。焼酎は創業明治42年の小牧醸造の紅一刻でした。小牧醸造は鹿児島県薩摩郡に蔵を構えているそうです。
鶏の唐揚げも用意されていました。魚だけでなく、これも自慢の料理ではないかと感じました。
金目の干物はテーブルの上で焼きます。店名が「さかなや」と言うだけのことはあります。
ハマグリとサザエも目の前で焼きました。
ホタテが出てきたところで成績の発表です。次回の幹事となるブービーを何とか避けることが出来る程度の成績でした。いつも賞には無縁ですが、この日は幸いにもドラコン賞をいただきました。
やっぱの主体はゴルフではなく飲み会であることを美味しい料理を食べながら実感いたしました。
焼きあがったホタテです。
トロトロ玉子のサラダです。一番上に玉子が乗っています。
玉子をサラダに絡めました。
最後の締めは焼きそばでした。具にはイカゲソが使われていました。
タグ:ゴルフ
モンサンミッシェル名物ふわふわオムレツ [Mont Saint-Michel]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリのマイバス事務所を2016年5月9日の7時30分に出発して途中オンフルールを経由して12時ごろに車の窓からモンサンミッシェルが見えてきました。いよいよモンサンミッシェルに着いたと実感させてくれる車窓でした。
モンサンミッシェルの対岸に到着してすぐにモンサンミッシェル名物の「ふわふわオムレツ」が前菜と入ったコースランチをいただきました。
7時30分 パリのマイバス出発
9時53分 オンフルール到着
10時45分 オンフルール出発
12時15分 モンサンミッシェル到着
12時25分 ふわふわオムレツランチ
13時25分 ランチ終了
13時30分 ホテルチェックイン
ツアーのメンバーの6名(4組 2+2+1+1)の内、1泊を申し込んでいる我々と、日帰りツアーでランチを申し込んでおられた1名の計3名が、こちらのレストランLa Rôtisserieで食事をいたしました。ランチの内容は 食前酒+名物オムレツ(前菜)+魚料理(メイン)+デザートでした。ラーメン一杯10~15€のフランスで、日帰りツアーでこのランチを申し込んでも+15€(1881円)だけなのでお得だと言えます。
こちらが特産のシールド(りんご酒)で娘と一人旅の女性の方が飲みました。
私は別の甘くないタイプのシールドをいただきました。
こちらがお店の中です。この時は空いていましたが日本の旅行社と契約しているレストランのようで沢山のツアー客に対応できる広さがある上に、メニューも日本語で書かれていました。右の記念写真は一緒に食事をさせていただいた方に撮っていただきました。
右の写真をクリックすると日本語が書かれたメニューを表示します。
もちろん私はビールもいただきました。
名物のふわふわオムレツが登場いたしました。これが3人分です。
3人に取り分けているところです。
これが一人前です。
オムレツは細かく泡立てられた玉子で作られていました。質素な食事が基本の修道院で、遠い地から巡礼でやってきた人のために、少ない材料でボリュームあるこのオムレツを作ってもてなしたのが始まりだそうです。
こちらがメインの魚料理です。
白身魚のビールの進む料理でした。
デザートはアップルパイでした。リンゴ酒が有名な地域なのでアップルパイも定番デザートなのかもしれません。モンサンミッシェルが書かれたブログを見ていてもアップルパイがよく出てきます。3人で話が弾んでしまい1時間ほど食事を楽しみました。日帰りツアーの方にとっては長いランチになってしまったのかもしれません。でも偶然にもモンサンミッシェル島内で一緒に食事をした方に会って、楽しい会話も出来ました。
食事の後は宿泊ホテルLe Relais Saint-Michel(ル・ルレ・サンミッシェル)にチェックインするためにこの道を真っすぐ進みました。Les Galeries du Mont Saint-Michelと書かれた右の建物はお土産を買ったスーパーです。
こちらが宿泊したLe Relais Saint-Michelです。一般的にはホテル名の頭の「Le」は省略してRelais Saint-Michel(ルレ・サンミッシェル)と呼ばれることが多いです。チェックインしてすぐに無料連絡バスでモンサンミッシェルに向かいました。このホテルは最後の航空写真でも分かるようにモンサンミッシェルの対岸で、最もモンサンミッシェルに近いところに建っているホテルです。つまり泊まったホテルとモンサンミッシェルの間には連絡道路以外の建造物は一切ありませんでした。
食事の場所やホテルの位置を紹介します。連絡道路が航空写真に写っている道より大きく離れているのは2014年に一部橋化するなどの改良が行われたためです。以前の連絡道路では潮の流れが変わり、泥が島の周囲に堆積してしまって、海に浮かぶモンサンミッシェルの姿が失われたそうです。潮の流れを変えてしまったもう一つの原因の駐車場も元の自然の状態に戻されていました。早く航空写真も最新の写真に更新してもらいたいものです。
モンサンミッシェル 緑色の線(━━)で囲った部分
宿泊ホテル Le Relais Saint-Michel
レストラン La Rôtisserie
撮影ポイントの橋
無料連絡バスのりば
━━ 無料連絡バス
━━ 徒歩
B━ 到着場所(2016年5月09日 12時15分) パリ⇒Bモンサンミッシェル
A━ 出発場所(2016年5月10日 16時20分) モンサンミッシェルA⇒パリ
今は真竹(まだけ)の季節 [筍]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2016年6月5日に、よく野菜を買いに行く近所の直売店「樫の木」で竹の子を見つけて買ってきました。2本で300円でした。一般的に知られている太くて短い孟宗竹の竹の子と違い細長い竹の子でした。形からするとハチクかマダケですが皮に黒い斑点があるのでマダケ(真竹)であることが分かりました。収穫の時期は地域によって違いがあると思いますがWikipediaに記載されていた竹の子の収穫時期を紹介します。ただし筆者は違うので同じ基準の時期ではないと思います。3種類ともにイネ科タケ亜科マダケ属に分類されます。
モウソウチク(孟宗竹) 4月頃
ハチク(淡竹) 3月半ばから5月上旬
マダケ(真竹) 5月から6月上旬
今回のタケノコ料理です。若竹煮、竹の子入りチンジャオロース(青椒肉絲)、竹の子のお吸い物、竹の子ご飯の4品です。孟宗竹にはアクがあり1時間近くアク抜きのために煮る必要がありますが、淡竹や真竹はそのまま料理に使われることがあるほどアクが少ないことから、アク抜きのために10分だけ米を入れて煮ました。成長を早く止めて、少しでも柔らかくアクの少ないものを食べる意味でも買ってすぐに煮ました。
こちらが出来上がった取り分ける前のチンジャオロース(青椒肉絲)です。
やっぱり拡大写真を紹介したくなります。
先日、ゴルフの後に行った居酒屋「こだわりもん一家」で残った焼酎をいただいて帰ったので、この日は、その焼酎のロックをいただきました。瓶に張られているシールには「素敵な♡ ジェントルマン方様へ。」と書かれています。このシールの経緯は別途報告させていただきます。
こちらが若竹煮です。節と節の間が広いので輪となる部分が多いのがマダケ料理の特徴です。アクが少なく食感もサクサクとしていて美味しい竹の子です。
お吸い物は薄皮部分を使いました。
こちらが竹の子ご飯です。我が家の特徴である薄味の竹の子ご飯にもマダケは合っていました。
家内がお土産として新大阪で買ってきた山芋の京漬物です。薄味なのが、何とも言えない美味しさでした。
絶品と言える美味しさだったのでパッケージを紹介します。山芋と書きましたが正確には長いもです。京都太秦の「京つけもの もり」です。
竹の子の形から淡竹(はちく)か、真竹(まだけ)か、迷うことがありますが、真竹の特徴は皮に黒い斑点があることです。それを知っていると、すぐに判ります。比較のために淡竹(はちく)の写真をネットから転用させていただきました。孟宗竹や真竹の写真と比べてみてください。また検索数(Yahoo/Google)でも分かるようにハチクを破竹と書かれている方が多いのです。
"淡竹" 約473,000件/約473,000件 淡竹 約474,000件/約474,000件
"破竹" 約473,000件/約473,000件 破竹 約526,000件/約474,000件
ただし、竹の品種を表す言葉としては淡竹が正解です。おそらく、破竹の勢い(はちくのいきおい)の言葉から混同して破竹が使われることがあるのだと思います。ちなみに「破竹の勢い」は、竹の最初の一節を割ると、あと は一気に割れるように、勢いが激しくてとめがたいことを示しています。
孟宗竹(もうそうちく) 真竹(まだけ)
古い木組み家の街並み [オンフルール]
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モンサンミッシェルツアーで立ち寄ったオンフルールで紹介したのが。フランス最古の木造教会と、モネなどの印象派が画家がよく描いた港の景色です。私はもう一つ気に入った景色(景観)がありました。それが今回紹介する古い木組み家の街並みの景観です。木の地肌がそのままの建物はフランスの町の中の建物としては珍しく感じたからです。上の写真の左側は木と土壁で出来ているような建物でした。同じ通りを反対側から撮りました。ヨーロッパでも木造は見かけますが大抵はペンキが塗られていますが、こちらでは木の地肌そのまま出ている建物が多かったです。
こちらの建物は旧港の記事の中の写真の中に写っていたサンテティエンヌ教会です。すでに紹介した通り、オンフルールの町の歴史を展示した海洋博物館(Musée de la Marine)として使われています。基本は石造りですが木が、ふんだんに使われた教会でした。
サンテティエンヌ教会の木で出来た入口部分を拡大いたしました。
こちらはフランス最古の木造教会であるサント・カトリーヌ教会の入口の一つです。冒頭の住宅の壁の造りと類似しています。
印象派のモネ(Claude Monet 1840年~1926年)もオンフルールを沢山描いています。その中にオンフルールの街並みの絵もあります。絵からも100年以上前のオンフルールの生活を想像することが出来ます。
その他のオンフルールの絵はこちらです。→ポチッ
オンフルールの旧港は、パリからモンサンミッシェルに向かう高速道路から21km離れていました。つまり往復で42kmの距離でした。航空写真中のアイコンを4回クリックすると全体の行程が分かると思います。
オンフルールの旧港
ノルマンディー橋
サービスエリア
料金所
━━ 車のルート パリ→モンサンミッシェル
北海道の桜 [洞爺湖]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上の写真は以前に北海道に行ったとき撮った北海道の5月13日の桜です。北海道の洞爺湖に一泊で行ったときに撮りました。この時、北海道の桜は満開でした。洞爺湖温泉と言えば16年前の噴火を思い出します。2000年3月31日13時07分に有珠山西側西山山麓殻で噴火しました。
洞爺湖湖畔の桜です。夜は花火もやっていました。
展望台から撮った洞爺湖の写真にも桜が写っていました。
オンフルールの旧港(Vieux bassin) [オンフルール]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリからのモンサンミッシェルツアー(1泊)で行きに寄ったオンフルールのフランス最古の木造教会をすでに紹介しましたが、こちらの町で最も有名なのが古い港を中心とした景観です。その古い港は旧港(Vieux bassin)と呼ばれています。その旧港の景色を紹介します。
オンフルール(Honfleur)は12世紀の中頃まで、イングランドへ商品を運ぶための重要な中継地点で港町として発達してきました。シャルル5世によって、イングランドの攻撃からセーヌ川の三角州地帯を守るため、街の防御は強化されましたが、1357年と1419~1450年の2度(計33年間)、イングランドの占領を受けました。イギリスに占領されたこともありましたが百年戦争(1337年11月1日~1453年10月19日)時、街は海上貿易の恩恵により潤い発展したそうです。
1608年以降は、カナダ、アンティル諸島、アフリカの海岸、アゾレス諸島との貿易により、街は大きく繁栄したそうです。結果として、オンフルールはフランスの5大奴隷貿易港の1つとなってしまったそうです。
オンフルールの市街地の航空写真です。旧港はセーヌ川に流れ込むモレル川を利用した入江にあります。オンフルールは静かな小さな町ですが、昔の港町の独特の景観を残した魅力的な町でした。
オンフルールの境界が赤色の線で、その内側の面積が13.67km²です。そこには8163人(2008年)の方が住んでいるのに対して、年間に約350万人の観光客が訪れています。一日に平均にすると9589人/日(=350万人÷365日)となります。つまり、一日だけで人口よりも多くの人が訪れている観光都市なのです。多い時は人口の数倍の観光客で、にぎわうのだと思います。
地図内でMusée de la Marineと書かれているところが旧港の場所です。地図をクリックすると広範囲のオリジナルGoogle地図を表示するのでセーヌ川や対岸や周辺地域がよく分かると思います。
名前 オンフルール Honfleur
地域 ノルマンディー地域圏 Normandy
所属 カルヴァドス県リズィユー郡 Calvados県 Lisieux郡
人口 8163人(2008年) 8178人(1999年)
面積 13.67km²
人口密度 597.1人/km²(2008年)
標高 0~117m 平均 5m
旧港の西側の景色です。
旧港の西側の建物群の前の通りです。右側が旧港です。
同じ場所の1885~1887年の間に撮られた写真がWikimediaに掲載されていたので転用させていただきました。
Quai Sainte-Catherine - cliché pris entre 1885 et 1887
西側の建物群を拡大いたしました。高い塔のところにフランス最古の木造教会であるサント・カトリーヌ教会があります。
こちら側が旧港の東側の景色です。
別の角度から見た旧港の東側です。
高い塔がある建物が14世紀に建てられたサンテティエンヌ教会で、オンフルールの町の歴史を展示した海洋博物館(Musée de la Marine)となっており、船大工達が働く様子が再現された模型などがあり、当時の漁船や貿易船の様子を伺い知ることができるそうです。下の写真は右上の写真から切り取りました。
オンフルール旧港をフランス語でVieux portと呼ばないで、Vieux bassin と呼んでいるのは、この航空写真でも分かるように凝縮された小さな港だからではないかと推測しております。
オンフルールの旧港(Vieux bassin)を見た瞬間、以前に訪れたことのあるマルセイユの旧港(Vieux Port)の景観に似ていると感じました。航空写真どうしで比較するためにマルセイユの旧港の航空写真も紹介します。
こちらがマルセイユの旧港(Vieux port)です。似ていると思いませんか。でも小さな田舎町のオンフルールとは、趣が違うことが分かってもらえると思います。今はマルセイユがフランスで一番の規模の港町で、2番目はオンフルールのセーヌ川対岸にあるル・アーヴルです。
印象派のモネ(Claude Monet 1840年~1926年)が描いたオンフルールの風景画を紹介します。100年以上前のオンフルールの景観を想像することが出来ます。そこに登場する船はヨットではなく漁船や商船でした。
追伸
2016年6月3日の早朝から1泊でゴルフに出かけるため、帰宅するまでブログの更新、nice、コメントが出来ないことをお許しください。
島らっきょの塩漬け [石垣島]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
家内と娘が石垣島旅行に行ったときに買ってきた島らっきょです。
最初に天ぷらをいただきましたが、定番の島らっきょの塩漬けも作ってみることにいたしました。
中に入っていた下処理方法と塩漬けのためのレシピを紹介します。
・下処理
①水洗いし、根の部分を切り落とす。
②緑の葉の部分を切り落とす。
③根側の薄皮を剝く。
・塩漬けのレシピ
①洗ったらっきょを軽く塩もみし、冷蔵庫で1晩~2晩寝かせる。
②冷蔵庫から取り出し、さらに盛り付けて鰹節をかけて出来上がり。
お好みで醤油やぽん酢をかけても美味!
レシピにしたがって洗ったらっきょに塩をふりかけて、袋に入れて軽くもんで冷蔵庫で寝かせました。
塩漬けしたしまらっきょをさらに並べました。
島らっきょに鰹節をかけて完成です。
上の写真はクリックすると拡大いたしますが、クリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
石垣島の太もずくもいただきました。
鶏の手羽元の料理も作りました。
野菜直売所で買ってきたラディッシュなどでサラダも作りました。
キュウリの生姜漬けも作りました。これは暖かい料理です。
厚揚げも用意してもらい、この日の夕食は完成です。
おかげさまで、この日も美味しいくビールをいただきました。
フランス最古の木造教会 サント・カトリーヌ教会 [オンフルール]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
モンサンミッシェルツアーで途中で寄ったのがセーヌ川の河口の左岸にある港町であるオンフルール(Honfleur)です。オンフルールは観光の町としても知られ、上の写真の旧港の風景は印象派の絵画の題材にもなっているそうです。画家のウジェーヌ・ブーダンや、作曲家のエリック・サティの生地でもあるそうです。この町にも当然教会があります。フランスだけでなくヨーロッパの教会は全てと言えるほど石で作られた教会ですが、こちらの教会は木造で詰まられているのです。それもフランスで現存する最古の木造教会なのです。その木造教会の名前はサント・カトリーヌ教会(Saint Catherine's Church) で、旧港からは矢印の位置に見えました。
航空写真で見ると下記の位置です。オンフルールは旧港や木造の教会だけでなく木組みの古い町並みも有名です。規模は小さいけれども旧港の雰囲気は南のマルセーユの旧港に似ていました。
オンフルールは自由行動ですが時間が45分だけなので旧港脇の道を急いでサント・カトリーヌ教会に向かいました。
この坂を上ったところの右側にサント・カトリーヌ教会がありました。
これがサント・カトリーヌ教会(Saint Catherine's Church)です。航空写真で見て判るように、ここから奥に長い建物で、写真の部分には祭壇がありました。 入口はこちらの反対側にありました。
オンフルールは港町であることから沢山の船大工が住んでいて、その船大工たちが中心になって15世紀から16世紀に建てられた教会です。基礎以外はすべて木材で作られています。教会から独立して横に並ぶ木造の鐘楼と共に、オンフルールの町のシンボルとなっています。
この場所にはもともと石造の教会が建っていましたがイギリスとの百年戦争(1337~1453年)で破壊されてしまいました。戦後、町が復興するときに資金難からオンフルールの町の船大工や漁師たちが立ち上がって安く作れる木造の教会を作ったそうです。造船の知識や技術を利用して当時の流行であったゴシック式の教会と鐘楼を立てたそうです。
こちらがサントカトリーヌ広場を挟んで建てられている鐘楼です。石造では鐘楼は教会の上にありますが建物が木造であることから重量の関係で鐘楼は別棟で建てたそうです。支えられた柱があるなど相当の試行錯誤で作られたものだと想像します。別棟になったのもそのような試行錯誤の中から出て来た最後のアイデアだったのかもしれません。
鐘楼だけを拡大いたしました。木造でゴシック式の鐘楼を作るのは苦労があったのだと思います。
教会の本棟と鐘楼の位置関係です。教会の本棟の大きさをGoogle航空写真で測ってみると建物の大きさは幅23mで長さが47mでした。入口部分の出っ張りを含めると全長は50mにもなります。この大きさの木造教会はフランスではサント・カトリーヌ教会だけだと思われます。教会の入口側からの写真を撮り忘れていたので不本意ではありますがネットから右の写真を転用させてもらいました。調べた範囲ではありますが、次の5つの称号がサント・カトリーヌ教会に与えられるのだと思います。5番目は推測です。
・フランス最古の現存木造教会
・フランス最大の木造教会
・大型教会でのフランス唯一の木造教会
・船大工が作ったフランス唯一の大型教会
・鐘楼が別に設置されたフランス唯一の教会
ここからは教会の内部の写真を紹介します。
こちらの教会は船大工によって造船技術によって作られたため、教会内部の天井は船底の形をしており、2艘の船が並んでいるように見えます。こちらの教会内は驚くほどの静寂の中にあったのでシャッター音が出る一眼レフでの撮影は遠慮して娘と同じG7Xで撮りました。
厳かな雰囲気が漂っていました。上段の窓は全てステンドグラスでした。
角度変えた位置からの写真です。木の柱が独特の雰囲気を感じさせてくれました。船大工の思いが込められているのだと思います。
天井が船底の形になっていることが分かりやすい写真を掲載いたします。祭壇側から入口方向を撮ったものです。天井のライトアップ装置が付けられているようでしたが、我々が来た時は使われていませんでした。観光客が少ない日(月曜日)あるいは時間帯だったようです。
上の船底の形が判りやすい写真は、こちらの写真から天井部分を切り取って露出調整(明るく調整)いたしました。こちらの写真には立派なパイプオルガンが写っています。
別のパイプオルガンもありました。沢山の絵画も飾られていました。
不思議なものがあったまで写真を撮っておきました。
ローソクの明かりが雰囲気を出してくれていました。
このような小さな祭壇が設けられた空間もいくつかありました。
若い女性の写真が飾られた気になる小さな祭壇もありました。聖テレーズの祭壇です。テレーズは19世紀フランスのカルメル会修道女で、本名はマリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタンです。修道名は「幼きイエスのテレーズ」です。カトリック教会の聖人にして33人の教会博士の一人で、24歳という若さで世を去りましたが、彼女の著作は今日でも世界中で広く読まれ、日本でも人気のある聖人の一人です。
建物は2棟がくっついた形になっており中央の柱を挟んで左右それぞれに祭壇が設けられていました。
こちらが左側の祭壇です。
そしてこちらが右側の祭壇です。
周囲はステンドグラスで飾られていました。
特に正面の祭壇上のステンドグラスは見事でした。クリックすると特別に拡大するようにいたしましたので是非ともクリックしてみてください。
中央の窓の右下の部分を拡大いたしました。
オンフルールの場所を紹介します。
右の写真のマイバス手配の車で行ったモンサンミッシェルツアーの報告は引き続きさせていただきます。
マイバス事務所
オンフルール
モンサンミッシェル
サービスエリア
料金所
A-B 車のルート 396km
印象派のモネ(Claude Monet 1840年~1926年)も、今回の教会の鐘楼を描いていました。