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竹の子カレー [筍]

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家内たちが石垣島旅行に行っている間は、一人でご飯を作って食べる必要がありました。知り合いの方からいただいたタケノコが残っていたので、竹の子カレーを作ってみました。と言ってもレトルトカレーに、竹の子ステーキを乗せただけなのですが、美味しいカレーライスの出来上がりです。
しかし、これが意外といけていたので紹介したいと思います。

こちらが竹の子ステーキです。一番柔らかな部分をスライスして塩・コショウをして、フライパンで焼きました。ご飯が炊きあがる10分前からレトルトカレーを温め初めて、炊き上がる2分前から竹の子を焼き始めて出来上がるタイミングを合わせました。
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カレーがタケノコに絡まった写真も紹介したいと思います。
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もう一つ美味しい理由が、熊本の叔父さんから、いつも送ってもらっているブランド米にもあるのです。使うお米は、2016年4月14日21時26分から始まった一連の熊本地震で震度7を2回も経験した熊本県上益城郡益城町の阿蘇山の伏流水で育った「ましきの米(益城米)」です。
右の写真は叔父さんがいつも送ってくれている30kgの米袋です。このお米がカレーを格段に美味しくしてくれるのです。ちなみに、叔父さんの家は、その震度7を2回経験した益城町にありますが、幸いにも比較的新しい1階建の平屋だったこともあり、家も体も無事でした。
ただし余震が怖いので夜だけは単独で庭に建っている車庫で寝泊まりしているそうです。元気にしておりますが、そのことからも地震はかなりのものだったと想像されました。今は、田植えの季節です。益城町の人達が、田植えが出来ているかどうか、心配です。
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たけのこカレーに使った銀座カリーです。同じメーカーのキーマカレー(銀座キーマ)が美味しいので、こちのカレーも買ってみました。肉は少ないけれどタマネギがたっぷりと使われていて美味しく仕上がったレトルトカレーでした。ブラント肉を使ったレトルトカレーのように高価なカレーではありませんが、同じ価格レベルのレトルトカレーに比べても美味しいカレーだと感じました。肉が少ない分だけ多事にこだわっているのかもしれません。
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坂の上の異人館(旧中国領事館) 神戸・北野異人館 [神戸・異人館]

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クリックすると拡大神戸・北野異人館で「北野外国人倶楽部」の次に訪れたのが「坂の上の異人館」です。坂の上の異人館は中国領事館として使われていて、10年前の2006年4月4日には右の写真のように「旧中国領事館」として公開されていました。北野外国人倶楽部と同じく「坂の上の異人館」も明治後期に建てられました。中国領事館でしたが、建物自体は洋館でした。

下記の航空写真の中のが「坂の上の異人館」です。
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
 ━━ 2016年3月16日の散策ルート 阪急三宮駅


こちらの異人館で体験したかったのが「うろこの家」の受付の方に教えていただいた3つ目のPower Spotの狛犬の間を通ることでした。坂の上の異人館の狛犬は「幸運のパワースポット」とのことでした。 
 開運のPower Spot カリンドの猪   うろこの館
 最強のPower Spot サターンの椅子  山手八番館
 幸運のPower Spot 狛犬       坂の上の異人館
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こちらが3つ目のパワースポットである2匹の狛犬で庭への入口の左右に置かれていました。この2匹の狛犬の間を通り抜けると愛情に恵まれて幸せになると言われているので、私も通り抜けました。証拠写真として異人館の方に写真を撮っていただきました。
これで、今年は幸運にめぐまれるでしょうか。
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日本の神社や寺院の入口の両脇に置かれている狛犬と雰囲気が違います。なんとも不思議な雰囲気の狛犬でした。
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玄関から見た狛犬です。これでパスポート・チケットに書かれていたパワースポットの3ケ所をすべて紹介したことになりますが、神戸・北野異人館には、もう一か所パワースポットがあります。それは旧パナマ領事館の入口に置かれている2頭のシーホース像です。このシーホースの頭に触ると願いが叶うと言われています。
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クリックすると拡大こちらが建物の入口である玄関で、入口の左側に「坂の上の異人館」と書かれています。2匹のカメさんにもパワーがありそうな雰囲気でした。左の写真は10年前の2006年4月4日に撮ったものでこちらには「旧中国領事館」と書かれていました。亀の置物や狛犬がなければ洋館でした。ここから内部を紹介します。
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入って廊下を過ぎると大きなリビングがありました。明から清の時代の家具や調度品で中国の雰囲気が演出されていました。
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飾られている美術品も貴重なものだそうです。
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こちらが浴室です。
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階段をふ上がって2階に来ました。
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2階にもリビングのような大きな部屋がありました。
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こちらは寝室です。ベットは中国の雰囲気のものが置かれていました。
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パスポート・チケットの坂の上の異人館(旧中国領事館)のページを紹介しまい。
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今回の「坂の上の異人館(旧中国領事館)」の記事で7つの異人館を紹介したことになります。次は坂を下って の「ベンの家(旧アリソン邸)」に行きました。ベンの家(旧アリソン邸)は後日紹介したいと思います。 
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
  ベンの家         旧アリソン邸
  洋館長屋         旧ボシー邸
  英国館          旧フデセック邸
  風見鶏の館        旧トーマス邸
  萌黄の館         旧シャープ邸
 今回内部に入らなかった異人館
 コンビニエンスストア、神社、他
 ━━ 2016年3月16日の散策ルート 阪急三宮駅

タグ:神戸 異人館

入場料金は地元の人の25倍 [インド]



インドの観光場所への入場券の話です。
上の写真は世界遺産のフマユーン廟(Humayun's Tomb)の入場券売り場の風景ですが、インドはどこに行っても二重価格制でした。昔は中国でも二重価格制でしたが今はなくなりました。
右の写真の看板(フマユーン廟)のようにインドの人(Domestic Vistors)は10ルピー(約16円)なのに対して我々外国人(Foreign Visitors)は250ルピー(約400円)または5ドル(540円)なのです。
なんと25倍の料金なのです。
ただし外国人を差別しているのではなくて、あくまでも地元の住民を優遇する立場であることから日本人でもデリーの居住証明書があれば10ルピーで入れるそうです。

こちらはクトゥブ・ミナールの料金表示の看板です。入場料金はクトゥブ・ミナールも同じでした。インド人(Indian)は10ルピー(約15円)なのに対して我々外国人(Foreigner)は250ルピーor5ドルでした。ただし表現はDomestic VistorsではなくIndianでForeign VisitorsがForeignerと若干、フマユーン廟とは言い方が違いました。この言い方だと外国人は居住証明書があってもクトゥブ・ミナールは10ルピーでは入れないことになります。ダージマハールも同様にインド人料金では入れなかったと聞きました。
ちなみにデリーの、もう一つの世界遺産レッド・フォートはインド人が5ルピーに対して外国人は2ドルでした。現地通貨では70ルピーだったと思います。(100ルピーだったかも)

石垣島の土産 [石垣島]

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クリッとすると拡大家内と娘が下記のフライトで石垣島の旅行に行っていました。右の写真は宿泊したシーフォレストでのディナー風景です。2016年4月24日は竹冨島にも行って水牛の牛車に乗ったそうです。その時に牛車の上から撮ったのが上の写真だそうです。
  2016年4月23日(土) JL073 羽田14:15→17:30石垣 3時間15分
  2016年4月23日(土) 夕食 郷土料理店・琉球の翁
  2016年4月24日(日) 竹富島観光   
  2016年4月25日(月) 石垣島観光   
  2016年4月25日(月) JL076 石垣19:15→22:00羽田 2時間45分

下の地図にあるように国内旅行と言えども東京から3時間15分と韓国よりも遠く台湾や上海に行くほどの距離があります。羽田空港から直行便で直接行ける最も西の場所でもあります。ちなみに日本で最西端の空港は台湾と石垣島のちょうど中間にある与那国島です。羽田空港と石垣空港は直線距離で1942km()で、羽田空港からの最も長い国内線でもあります。
それでは家内が買った来た我家用のお土産を紹介いたします。
    石垣島   沖縄    台湾(台北) 羽田空港


石垣島は果物が沢山作られています。パイナップル畑も沢山あり、その畑のお店で買ってきたピーチパインです。ピーチパインは1999年に品種登録されたパイナップルの品種で、正式名はソフトタッチです。桃のような香りがすることから一般的にはピーチパインと呼ばれるようになり、流通上でもその名前で扱われています。また、果肉は白く、食べた味もクリーミーな印象を受けることからミルクパインとも呼ばれています。
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クリッとすると拡大石垣は塩でも有名です。沖縄の塩を2種類と沖縄のぬちまーすを買ってきました。いずれも海塩です。真ん中がお店の人が薦めてくれた塩だそうです。4月26日の夕食でさっそく使ってみました。きれいな海水から作られたと思うだけでおいしく感じられます。
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家内が撮った写真ですが、川平湾の景色を紹介します。この写真からも塩の原料となる海の水のきれいさが分かってもらえると思います。
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石垣島のラー油も買ってきました。使うのが楽しみです。
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石垣島の太もずくも買いました。塩漬けされているため賞味期限は10月まであります。食べる前に塩抜きする必要があります。これも4月26日の夕食で一部を食べてみました。
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石垣島産の島らっきょと海ぶどうも買いました。
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海ぶどうは4月25日の朝採りのため新鮮なうちに食べたくて、4月26日の夕食まで待たずに、すぐにいただきました。
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プチプチ感を伝えたくて、拡大写真を掲載させていただきました。
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追伸
驚いたことに家内たちが2日目の2016年4月24日に泊まったシーフォレストは下のコメント欄でコメントを頂いたkuwachanさんのご友人がオーナーをされているそうです。さっそくシーフォレストの写真を追加させていただきました。シーフォレストは素敵でゆったりとした2棟のコテージだけのホテルです。クリッとすると拡大つまり一晩に2組だけに、ゆったりとした空間を提供していただけるのです。
 名前 シーフォレスト Sea Forest
 住所 沖縄県石垣市伊原間2-736
 電話 0980-86-7301
 HP http://www.seaforest-ishigaki.com/index.html
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タグ:石垣島 土産

掘りたての竹の子をいただきました。 [筍]

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何度が紹介した下高野の辻切りで、藁の大蛇作り教えていただいたkazuさんから2016年4月17日(日)に掘りたての竹の子をいただきました。ありがとうございます。偶然ですがタケノコの大好きな娘も来ていて、その日の夕食はタケノコづくしとなりました。

これがいただいたタケノコです。新聞の活字の大きさから竹の子の太さが分かってもらえると思います。特に手前の太くて短い竹の子は見事でした。皮を剝かずに茹でたかったので大きな鍋を探すのに苦労いたしました。
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我家で一番大きな鍋で1時間ほど茹でて、皮をむいて水にさらしたところです。かなりの太さですが短くて柔らかなタケノコでした。地面から生えている竹の子の写真はWikimediaから転用させていただきました。
生タケノコの100gあたりの栄養価は次の通りです。
クリッとすると拡大  カロリー  27kcal
  炭水化物  5.2g
  たんぱく質 2.6g
  脂肪    0.3g
  水分    91g
  他ミネラル 0.9g
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料理はすべて家内が作りました。今回の料理を紹介いたします。
これは竹の子と豚肉の炒め物です。動物性たんぱく質の入った料理はこれだけでした。使っている小皿は砥部焼です。
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もちろんビールをいただきました。
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定番の竹の子ごはんです。これだけは外せないです。ご飯ものですがタケノコごはんはビールにも合います。見ての通り色も薄目で、味も薄めなのが我が家の竹の子ご飯なのです。ちょっと上品な竹の子ご飯という感じです。
器には以前に紹介した丹波立杭焼の吟兵ヱ窯で焼かれた茶碗を使いました。作者(陶工)は吟兵ヱ保宏(大西保宏)さんです。
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タケノコのお吸い物も美味しくいただきました。
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柔らかなタケノコなので、シンプルにタケノコの刺身も作ってもらいました。皿は上野利憲先生作の益子焼です。
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そして若竹煮です。たっぷりと食べることが出来ました。煮物は得意なので若竹煮は自慢の一品です。山椒の葉は歩いてすぐの雑木林の中で採ってきました。こちらの器は国山窯の小砂焼です。
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上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載させていただきました。
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これが全料理を並べて撮った写真です。まだたっぷりとタケノコが残っていたので、次の日からいろんな料理に使わさせてもらいました。何品かを後日紹介したいと思います。
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北野外国人倶楽部(旧フリューガ邸)  神戸・北野異人館 [神戸・異人館]

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神戸・北野異人館で「山手八番館」の次に訪れたのが北野外国人倶楽部(旧フリューガ邸)です。山手八番館と同じく北野外国人倶楽部も明治後期に建てられました。敷地には小さな教会があるほど広い敷地でした。ライオンハウス3号館と呼ばれていた開港当時の居留者の会員制倶楽部を再現した内装になっています。特にメイド室は沢山の異人館の中でも充実しており見どころの一つと言えると思います。

下記の航空写真の中のが「北野外国人倶楽部」です。
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
 ━━ 2016年3月16日の散策ルート 阪急三宮駅


敷地内に建てられた小さな礼拝堂(Chapel)です。
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クリックすると拡大下の写真で女性が立っているところが建物の入口です。手前にスタジオと書かれているのはドレスに着替えて、上の写真のChapelで記念写真を撮るところだそうです。今回のパスポート・チケットを持っていると無料ドレスサービスが受けられます。ただし、残念ながら男性用の服は無いようです。
右の写真はネットから転用させていただきました。
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入ってスグリ広いリビングは圧巻です。ここでパーティーなどが開かれていたのだと思います。正面の壁際にあるのはブルボン王朝時代の貴族の家で使われていた木彫り暖炉です。
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別の角度からも採りました。
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バーもありました。こちらで会話とお酒をみんなが楽しんでいたのだと思います。
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こちらもくつろげる空間でした。
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旧フリューガ邸は大きな建物で沢山の部屋と廊下で構成されていました。
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昔の薪炭時代の調理室も見ることが出来ます。横に階段があります。
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こちらの家には2ケ所に階段がありました。こちらがメイン階段で、上のし野心の一部に写っている調理だ横はメイドなどの人が使用していたのかもしれません。
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2階の部屋も紹介します。音楽を楽しんでいたのでしょうね。
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廊下の雰囲気も良かったです。奥が上で紹介の音楽を楽しんだと思われる部屋でコントラバスも置かれていました。
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ベッドが置かれているので寝室のようです。ソファーもあるのでくつろげる空間でもあります。
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こちらは2つのベッドが置かれていました。
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廊下の奥にメイド部屋があります。メイド室は階段途中の中2階に作られていました。1階にも2階にも、早く行けれように考えられていたのだと思います。
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こちらがメイド部屋室です。日本人だったのでしょうか。本国の人だったのでしょうか。
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メイド室の説明です。
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こちらが冒頭の写真とは別の出入り口です。こちらが東側で、冒頭の写真が西側の出入口になります。
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同じ場所を10年前の2006年4月4日に撮った写真があったので紹介します。


7ケ所の異人館が廻れるパスポート・チケットの北野外国人倶楽部のページを紹介します。右のページの真ん中のスタンプは館内で自分で押した記念スタンプです。他の異人館のページにも同じように入館記念スタンプを押しました。
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タグ:神戸 異人館

山手八番館(旧サンセン邸) 神戸・北野異人館 [神戸・異人館]

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神戸・北野異人館で「うろこの家」の次に訪れたのが山手八番館です。山手八番館は明治後期に建てられた旧サンセン邸で、きれいな外壁の洋館でした。ただし玄関の前に飾られていたのは2体の東洋風の彫像でした。

下記の航空写真の中のが「山手八番館」です。
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
 ━━ 2016年3月16日の散策ルート 阪急三宮駅


こちらの異人館で楽しみにしていたのが「うろこの家」の受付の方に教えていただいたPower Spotのサターンの椅子に座ることでした。サターンの椅子は「最強のパワースポット(WISH)」とのことでした。2つある椅子の左側に座るように、念押しされて山手八番館に来ました。 
 開運のPower Spot カリンドの猪   うろこの館
 最強のPower Spot サターンの椅子  山手八番館
 幸運のPower Spot 狛犬       坂の上の異人館
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クリックすると拡大こちらが最強のパワースポットと言われているサターンの椅子(サートゥルヌスの椅子)です。玄関を入ってすぐの左側の部屋に置かれていました。この写真の左側の椅子に座るように教えられてきました。この椅子は、一見は不気味な彫刻に飾られたこの椅子はローマ神話の農耕神サターンの椅子と呼ばれています。農耕神サターンはローマ神話ではサートゥルヌスで、ギリシャ神話ではクロスとよばれているそうです。豊穣をもたらす神の名に因み「願い事が実り叶う椅子」と伝えられているそうです。
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さっそく座りました。やはり座った証拠写真が必要だと思い見学に来られていた人に写真をお願いいたしました。左側だけがパワースポットだと思っていましたが、説明書きによれば、実は左側が男性のパワースポットで、右側が女性のパワースポットだったのです。椅子に座ってお願い事をすれば叶うと言われているそうです。男女カップルで来た場合は、それぞれ左右に座ってお願い事をすればよいと思います。
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このチェーダー風の館の中には彫刻の三大巨匠、ロダン、ブールデン、ベルナールのブロンズ像が飾られていました。
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三大巨匠だけでなく、ルノアールの晩年のブロンズ像を含めていろんなブロンズ像が置かれていました。
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一階の廊下には不思議な物語の一場面のような像も置かれていました。2つの像は、旅爺さんさんのコメントでドンキホーテとサンチョ像であることを思い出させてもらいました。 
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こちらが二階に上がる階段で玄関の正面にありました。玄関前に階段が配置された異人館は多かったです。洋館の標準的な構造なのかもしれません。
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建物は港を見下ろす坂に作られていることから、南側の海に向かって並ぶ3連のオリエンタルウインドウがすばらしかったです。3連のオリエンタルウインドウの一番東側端の部屋で右の窓方向に海が見えます。
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オリエンタルウインドウの中央と西側の窓です。西側の窓の部屋はドレッサー室で椅子に座って景色を見ながらくつろいでおられる方もおられました。
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こちらがオリエンタルウインドウからの景色です。写真では電線が気になりますが実際には目で見る場合は不思議と気になりませんでした。クリックするとパノラマ写真を表示します。
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二階にもドンキホーテとサンチョ像が置かれていました。
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ピカソに影響を与えたと云われているアフリカのプリミティブ・アート「マコンデ彫刻」やガンダーラをはじめとする仏教美術やデューラーやホガース等のエッチングなどのコレクションも沢山飾られていました。
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このような中で生活していたとは思えないので異人館として公開するにあたって展示されたのだと思います。
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タグ:異人館 神戸

路地裏のイタリアンレストラン Bella Napoli [上海]

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今回は上海の超有名な路地裏のイタリアンを紹介させていただきます。大通りから入ったこの路地の奥にレストランがあります。細い路地が左にゆっくりと曲がり正面の黄色の壁のところがレストランです、路地の右の壁にイタリア国旗が飾られているので路地を探す目印になります。2016年3月24日から3月27日までの101回目の中国訪問で帰国する前日の夕食は1996年以来の親しい友人との食事でした。それが今回のイタリアンレストランでの夕食なのです。彼は上海生まれの上海育ちの生粋の上海っ子です。私が中国に出張するときに、あらゆる場所に、いつも一緒に行動して我々のビジネスを拡大してきた人でもあります。また桂林や黄山や九寨溝にも一緒に行った人でもあるのです。

路地を探すのがこちらの看板です。946の番地表示も目印です。左側が大通りの長楽路で、右側がレストランがある路地です。この看板の角から80m奥にレストランがあります。私が泊まっていた花園飯店(Okura Garden Hotel)から歩けない距離ではありません。お店を紹介いたします。
 店名 Bella Napoli italian restaurant 長楽路店(长乐路店)
 住所 上海市静安区長楽路946弄4号
 電話 021-6248-8985
 営業 11:30~15:00  17:30~23:00
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路地を進むとレストランの写真が飾られていました。私が上海に来る度に話題のレストランに連れて行ってくれるのでした。今回は土曜日だったので彼が自分の車を運転してホテルに迎えに来てくれました。
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レストランの入口に到着いたしました。今回のレストランは始めてきましたが、実は99回目の訪問(2015年7月27日から8月1日)の時に行ったBella Napoliの本店にあたるお店なのです。前回は南匯路店で今回は長楽路店です。
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こちらのお店の他店にない特別な特徴は、入口部分がコンサバトリーとなっていて屋外気分で食事が出来ることでした。コンサバトリーとは18世紀頃に植物を冬の寒さから守るために英国で発達した温室で、やがて生活空間の中に取り入れられるようになったものだそうです。まだ早かったので食事をする場所としてはコンサバトリーでも室内でも、好きなテーブルが選べましたが、先ずは室内を前回のお店と比べてみたい気持ちがあったので室内にいたしました。また来る機会があるときはコンサバトリーで食べてきたいと思います。室内よりもカジュアルな雰囲気でした。
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さっそくビールをいただきました。席に着くと周囲が若い欧米人のカップルばかりなので、今回の写真はすべてフラッシュなしにいたしました。南匯路店でのフラッシュありと比べてみるのも面白いと思ったのも理由の一つでした。
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やっぱりパンは外せないです。これだけでワインが飲めてしまいます。
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イタリアと言えば生ハムとチーズとトマトとルックラですがこちらの一品は、それをすべて満足してくれました。
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前回気に入ったシーフードの唐揚げも頼んでもらいました。これだけでビーるもワインも飲めてしまいます。
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久々の美味しいサラダもいただきました。
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マルガリータはまさに本場のピッツアです。
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ピッツアはこちらの石窯で焼かれるのです。焼いているところの写真を撮ればよかったのですが話が夢中で石窯の写真は閉店近い時の写真になってしまいました。
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もちろんワインもいただきました。
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イタリア人の店員さんも盛り上げてくれくれました。
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最後はスパゲッティーかピッツアかで悩みましたが、ワインとの相性を考えて、もう1枚ピッツアを頼んでしまいました。
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泊まっていたホテル花園飯店(Okura Garden Hotel)からのルートを紹介します。距離は1.8kmなので十分に歩ける距離です。ちなみにGoogle地図に登録されているレストランの位置は間違いで、もっと路地の奥にあります。とりあえず位置変更をGoogleに申請いたしました。マークは食事をしたことのあるレストランです。マークをクリックするとレストラン名を表示します。マイナスをクリックするとさらに広い範囲の食事をしたレストランを表示します。
   花園飯店(Okura Garden Hotel)
   Bella Napoli 長楽路店(长乐路店) 2016年3月26日
   Bella Napoli 南匯路店(南汇路店) 2015年7月31日
   築地青空三代目(寿司屋)     2013年1月26日
   保羅酒楼(上海料理)       2015年4月16日
   小楊生煎(焼き小龍包)      2013年1月25日
   上海賓館(駐車場を利用)
  ━━ 花園飯店→Bella Napoli 1.8km

24年前のデリーの露店 東回りで世界一周 [インド]

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インドの野菜です。日本でよく見る野菜もあります。でも値段が書いていないので、相場がほからない我々では買うことが出来ません。
同じ1992年のデリーの写真です。 → ポチッ

今まで、海外ではプロジェクトの担当および責任者として世界の59ケ所に発電プラントを納めた中で、インドでは下の3つの発電プラントのプロジェクトを行いました。その中で、上のインドの露店の写真は、インドで私が最初に発電プロジェクト(700,000KW / 70万KW)の設計リーダーとして担当した時にデリーで撮った写真です。
8,000KW        700,000KW       1,500,000KW


この時の旅のフライトは次の通りで、日本→アメリカ→ドイツ→インド→日本と、東回りで世界一周をいたしました。この時代、ムンバイはボンベイと呼んでいました。ボンベイからムンバイに変更になったのは1995年で、英語からマラーティー語になったのです。
  1992年7月11日(土) 成田      → シカゴ
  1992年7月11日(土) シカゴ     → ルイビル
  1992年7月14日(火) ルイビル    → シカゴ
  1992年7月14日(火) シカゴ     → フランクフルト
  1992年7月16日(木) フランクフルト → デリー
  1992年7月20日(月) デリー     → ムンバイ
  1992年7月21日(火) ムンバイ    → 成田
結局、インドには13回ほど訪問することになりました。
アメリカで体が時差に慣れたころに東廻りでドイツに行ったので死ぬほど時差に苦しめられました。夜行便で機内で寝て早朝に着いたのですが午前中の予定はすべてキャンセルしてホテルで寝ていました。日本→ヨーロッパ→アメリカ→日本と西廻りの世界一周もしたことがありますが、この時は楽でした。

こちらは外国への入国回数です。28ケ国に268回ほど訪問(入国)いたしました。訪問回数のことを入国回数と言っているのはトランジットは含めていないことを明確にするためです。
ゴールデンウイーク明けの2016年5月8日から15日まで、パリを中心にフランスに旅行に行ってきます。家族との海外旅行は2度目です。


こちらが海外での滞在日数です。長期間滞在しているように思われるかもしれませんが平均滞在日数は5.44日/回(=1458日÷268回)です。あの時代の1992年は海外を訪問する回数(14回)も滞在日数(96日)も一番多い年でした。
訪問回数や滞在日数に関する詳しい説明記事→ポチッ 


ローマの露店と比べてみてください。トレヴィの泉のすぐそばの小さな広場で野菜や果物を露店で売っていたので、つい撮ってしまいました。
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こちらはロシアの露店です。モスクワから往復500kmほど車で走った時に撮りました。
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ベトナムの国道1号線沿にあったヤシの実を売っている露店です。


何かを食べながら立っているのが私です。場所はベトナムのハーロン湾にあった市場です。ここは海の桂林と呼ばれる景色と海上レストランがお薦めです。
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こちらはフランスの避暑地アヌシーの露店です。
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クリスマスの季節のドイツのハイデルベルグの露店です。
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トルコのイスタンブールの魚市場も露店でした。
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中国の地方都市の銀川では果物が露店で売られていました。
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これは冒頭の写真より古い1988年3月1日の台湾の羅東の露店です。
生まれて初めて海外に出た時の写真でもあります。その時のフライトも紹介します。海外268回訪問の始まりでした。
28年前の他の台湾の写真を見たい方はこちらです。→ポチッ
  1988年2月29日(月) 成田 → 台北
  1988年3月03日(木) 台北 → 高雄
  1988年3月05日(土) 高雄 → 台北
  1988年3月06日(日) 台北 → 成田
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サイクリング部の初めての東京OB会 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私は学生時代は学校のサイクリング部に所属していました。上の写真が私が1回生の夏の時の部員全体の集合写真です。黄色の丸印( )が私の同期のメンバーです。現在のサイクリング部の現役の方が、毎年2月の初旬に、学校の校内でサイクリング部のOB会を開催してくれています。現役とOBを合わせての交流会です。私は交流会が続けられていることを知りませんでしたが2010年に偶然にネット内で知って2011年の交流会から参加させてもらっています。

交流会で私が当時のサイクリング部紹介したパワーポイントです。中央のプレーボタン( )をクリックすると、どのようなクラブであったかが、分かってもらえると思いますが、体育会に属する体育会系の正規のクラブでした。


学校が大阪にあることから私の同期以外はすべて関西に在住の方しかOB会には参加しておりませんでした。学校全体としては東京のホテルでOB会は行われているのですが、サイクリング部としては東京で集まることも無かったのです。2016年は2月6日に学校校内で行われましたサイクリング部のOB会(交流会)の二次会でもそのことが話題になり、酔った勢いで、その場で関東の人に電話をして、東京で飲み会をすることになりました。決まった人数は私の同期と2年後輩と4年後輩の7名でしたが、今後の発展を祈念してサイクリング部東京OB会と命名いたしました。参加できない方が出で6名となりましたがね手を尽くしていただいた結果、+6名の合計12名となりました。その中には先輩2名も入っておりました。場所は巨大海老チリが食べれることで以前紹介した四川料理店で行いました。2016年4月16日11時30分でした。こちらのお店は東京駅に近いビジネス街にあることから土曜日は昼だけの営業のため、予約は行っていないとのことでしたが巨大海老チリを皆さんに紹介したいので、巨大海老チリと麻婆豆腐を含んで料理はお任せにする条件でお願いすることが出来ました。お店に入ると12名が座れるようにセッティングされていました。OB会長は一人関西から参加していただけました。
記念写真はみんな、にこやかな顔で写っていました。
クリックすると拡大 4年先輩   1名
 2年先輩   1名
 同期     4名
 2年後輩   1名
 4年後輩   1名 OB会長
 1998年卒業  1名
 1992年卒業  1名
 2015年卒業  2名
 合計    12名
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さっそくビールで乾杯です。最初に出されたのは、小柱の料理と焼豚が乗った料理でした。
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小柱の料理にはネギと海苔が入っていました。
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次は点心です。焼売と焼焼売です。両方ともに12個でした。焼焼売はボリュームがありました。
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下の焼酎を見てください。今回はお店の方のご厚意により、すばらしい4本の焼酎が用意されていました。こちらのお店の常連の方一緒に昨年から何度か利用させてもらったおかげで用意していただいたのです。4本共に鹿児島産の焼酎で、3本が芋焼酎で1本が大麦の焼酎でした。
クリックすると拡大 芋 黒田苑  黒麹
 芋 酔神の心 黒麹 モンド・金賞受賞
 芋 悠の雪  白麹 
 麦 DEN-EN silver 白麹 常圧蒸留
初対面の人が多いので自己紹介です。カメラを精一杯か高くして自己紹介の様子を撮りました。
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先ずはモンドセレクション金賞の「酔神の心」シリーズの焼酎をいただきました。みんなロックでいただきました。口当たりからロックで飲むのに値ると焼酎であると感じました。こちらの酒蔵の「さつまゑびす堂」の焼酎は2011年、2012年、2013年、2014年とモンドセレクションの金賞を多数受賞していました。
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次に出された料理は牛カルビと青菜炒めです。柔らかな牛肉料理で、これは美味しかったです。
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味わいを感じていただくために拡大写真を掲載いたします。
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おこげの上から餡をかけているところです。料理名は五目おこげだと思います。
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おこげと餡の感じを紹介したかったので取り分けた小皿の写真を紹介します。
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ご指名料理の一つ麻婆豆腐が出てきました。山椒がきいていました。
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小皿に取り分けた麻婆豆腐です。
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もう一つのご指名料理の巨大海老のエビチリです。
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やっぱりこの巨大海老のエビチリは拡大したくなります。
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用意していただいた4本の焼酎は飲み切りました。いずれも美味しい焼酎でした。お店の人のご厚意に大感謝でした。
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クリックすると拡大最後の締めは五目焼きそばでした。美味しさは写真から想像していただけると思います。右の写真はOB会がはじまって1時間48分後の13時18分です。料理も美味しくほぼ食べ切りました。終わったのが14時16分だったので、これからさらに1時間近く会話とお酒と料理を楽しんだことになります。来年の4月に第2回東京OB会わ開催することも決まり、幹事役の方も決まりました。花見と言う案も出ていましたが、いずれにしても次も楽しみです。これで、大阪で行われる本体のOB会(交流会)への参加者も増えてもらえるとうれしいです。
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地下のお店から表に上がって記念写真をお店の方に撮っていただきました。一名、自転車で参加してもらったおかげでサイクリング部のOB会だと一目でわかってもらえる記念写真になりました。お店を紹介いたします。
クリックすると拡大  店名 四川食洞(しせんしょくどう)
  住所 東京都中央区八丁堀2-11-8
     平澤ビルB1
  電話 03-3553-4100
  営業 11:00~14:30
     17:00~22:00
  定休 日曜・祝日
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終わったのが、まだ14時20分ごろだったので、しゃべり足らない人同士は私も含めて東京駅の地下でコーヒーを飲んで帰りました。
地図でも場所を紹介します。中央の赤色マーク( )が四川食洞です。
最寄駅からの距離は次の通りです。
東京駅:1000m   茅場町駅:600m   八丁堀駅:150m



追伸 ( 2016年4月21日 )
2016年4月21日13時50分に累計アクセス数(累計閲覧数)が800万に達したことを確認いたしました。So-netブログは2009年5月5日14時59分に最初の記事を掲載したため、始めてから6年11ケ月16日(2542日)と22時間51分目に達成したことになります。閲覧数は3時間ごとに更新されるため約500づつ上がっていくため8,000,000と6しか差がないのは奇跡的な数値と言えます。
500万アクセスから800万アクセスまでは752.8日で到達しているので同じペースと仮定すると、1000万アクセスに到達するのは、あと1年5ケ月(502日)で、2018年9月ごろという計算になります。
500万アクセス到達の時の記事はこちらです。 → ポチッ
  累計閲覧数   8,000,006
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  niceと思った人数   8,235
  コメント数     53,252


空弁 黒いなり [話題]



空港でのお弁当で空弁がすごいブームでした。
見ていたテレビで、この黒いなりが羽田空港で最も売れているということで子供が買ってきました。2番目がカツサンドだったそうです。今は分かりませんが、その時は羽田空港の一番人気の空弁は「黒いなり」でした。
その時のネットの記載内容です。
羽田空港で一番人気の空弁は、「黒いなり 」です。ギャル曽根さんが空弁ベスト5を決める「日本全国44空港激うま空弁ランキング」でも厳選された44の空弁の中から、空弁ランキング2位に選んだ空弁なんです。
昔のブログ にも「黒いなり」が掲載されていました。空弁「黒いなり」自体は前からあったようです。
近距離の国際線の機内食でも出されるほどの人気になりました。その時に書いた記事が下記のURLです。URLをクリックすると記事を表示します。
 韓国便 https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2010-05-03-5
 上海便 https://makkurokurosk.blog.ss-blog.jp/2013-01-29

さっそく中を見てみました。真っ黒のいなりずしに一瞬驚かされました。
真っ黒なのは食用備長炭で着色されているためです。3個とも同じに見えますが、それぞれ中身は違っていました。「きくらげ&ひじき入り」と「きんぴら&黒ゴマ入り」と「黒豆入り」でした。朝食を食べずに朝早く(朝の5時出発で)出てきたので、子供と家内の3人で飛行機の中で分けて食べました。写真はクリックすると拡大します。
ネットのGoogleで「空弁 黒いなり」を検索すると約75,600 件出てきました。すごいです。→ポチッ
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沢山「黒いなり」のブログが掲載されていたので紹介します。
 沖縄発どさんこ娘と夫のぐるめ日記さん
 B級グルメと旅行と日記さん
 ちょっとつまみたいっさん
 行って食べた店の記録(´∀`)さん
 Que sera sera日記さん
 温cyan.comさん
 きのっちの気まぐれ日記。さん
 私のお皿さん
 某機械メーカー技術者パパの不定期更新さん
 あほみどろどろどろさん
 酒とバラの日々さん
 ぶらパチ カメラさん
 鮨日記さん
 出張先さん
 遊ぶろうぐさん
 北村士朗の日記さん
タグ:空弁 弁当

吉高の大桜が満開になりました。 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2016年4月19日追記 タイトル:吉高の大桜が満開になりました。
追記の記事の写真はすべて2016年4月10日に撮ったものです。
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2016年4月9日から「吉高の大桜」が満開になったとの情報から4月10に見に行き、上の写真の通り満開の吉高の大桜を見ることが出来ましたので2013年の記事に追加する形で紹介したいと思います。2017年は4月14日に満開になり、吉高の大桜まつりは4月15日~16日に行われました。
クリックすると拡大クリックすると拡大 追伸
 2018年4月01日時点 5~6部咲き
 2018年4月02日時点   8部咲き
 2018年4月03日時点   満開
 吉高の大桜まつり 4月07日~08日 
左の写真はHPから転用 満開情報→ポチッ

今回は、「吉高の大桜」から2.5km離れた場所に駐車場として開放されている印旛中央公園に到着したのが9時12分と比較的早いと思ってきたのですがすでに半分以上は車で埋まっている感じでした。
過去7年間の満開の期間のデーターを印西市のHPから転用させていただきました。2019年の満開期間は2014年に近いと思われます。
           吉高の大桜      小林牧場の桜
           ヤマザクラ      ソメイヨシノ
    2018年  4月02日~4月04日  3月28日~4月01日
    2017年  4月14日~4月17日  4月08日~4月13日
    2016年  4月09日~4月11日  4月01日~4月08日
    2015年  4月07日~4月10日  3月31日~4月06日
    2014年  4月08日~4月11日  4月01日~4月08日
    2013年  4月03日~4月04日  3月25日~4月03日
    2012年  4月14日~4月17日  4月09日~4月13日
    2011年  4月14日~4月16日  4月08日~4月14日
    平均     4月10日~4月12日  4月02日~4月09日
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印旛中央公園の敷地内にはお店も開かれていました。
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歩いて吉高の大桜まで行きますが、結構、人が多かったです。
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太い道から細い道に入ってすぐに沢山の石碑が並べられているところがありました。真ん中の一番大きな石碑には「光明真言塔」と書かれており、その右側の石碑には「普門品塔」と書かれています。左側には「春請供養塔」と書かれています。後は観音様のような像が掘られた石碑でした。
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細い道は続いていました。
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畑の中の細い道は人が途切れることがありませんでした。
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やっと「吉高の大桜」が見える場所に着きました。広い畑の中にぽつんと立っていました。この写真は西方向の一番遠い場所から撮ってものです。
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同じ場所から「吉高の大桜」をズームアップしてみました。
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今回の撮影ポイントと撮影方向をGoogle航空写真で事前に紹介します。東方向と南方向の間からは、通路と桜のあいだに別の木があるために吉高の大桜の全体の姿を撮ることはできません。表示範囲には写っていませんが右上の方に食事が出来る峠の茶屋( )があります。
   ケーキとコーヒーで休憩したカフェ
   野菜直売所
  カメラ撮影ポイント


近づくと記念撮影をしている人たちが沢山居られました。サイクリスト達も沢山来られていました。


この場所が撮影のベストポジションです。桜の木の南西方向です。


その南西方向から撮った吉高の大桜です。太陽の位置関係からすると午後の方がきれいな姿を見せてくれると思います。午後に訪れた2013年の時の写真と見比べてみてください。
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こちらは西南西の方向から撮った姿です。撮る方向が変わると違う姿を見せてくれます。
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こちらは西方向からの景観です。
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吉高の大桜はヤマザクラです。ソメイヨシノと違い葉と花が同時に開くので、葉の新芽が目立ちます。すべての花が咲いており満開の状態です。花が散るのが早いのもヤマザクラの特徴です。
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北西方向の広場は狭いので、遠くから西北西方向からの写真を撮りました。
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こちらが北北西方向から撮った写真です。
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こちらが北方向からの景観です。例年、ソメイヨシノより1週間程度遅く満開となります。開花期間が短く、満開の状態は2,3日しか続かないため、見逃してしまうこともよくありました。この時は土曜日(4月9日)と日曜日(4月10日)が最高の状態でした。
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こちらは北北東の方角からの姿です。
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こちらは北東方向からの景色です。少し角度が違うだけですが姿が変わっていきます。
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太い幹は迫力がありました。
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こちらの姿は東方向から撮った写真です。
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これは南方向からの写真です。
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最初の南西方向に戻りました。
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桜の木の前の広場です。ぬかるまないように木のチップが敷き詰められています。


桜の木の前の広場では絵はがきも売られていました。
クリックすると拡大吉高の大桜を守のための募金箱も置かれていました。
今まで長い間、地域の人の努力によって吉高の大桜は守られてきたと聞いております。沢山の人が温かい心で「吉高の大桜」の保護活動の資金づくりに協力してあげてほしいです。


地元の野菜が売られていたので、こちらのお店で大根と蕪としその実の佃煮を買いました。蕪は5個で100円でした。
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こちらのお店も沢山の人が来ていました。ただし花の期間が短いので商売は長くて1週間だと思います。
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2013年の時もありました。遊び心の大根です。
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こちらのカフェでコーヒーとケーキをいただくことにいたしました。ケーキは2種類でいずれも300円です。
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屋外の席は空いていなかったので、屋内で頂くことにいたしました。
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一つがイチゴのケーキです。
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もう一つがシフォンケーキです。
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ケーキは両方食べてみたかったので半分に切りました。コーヒーは250円でした。
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カフェでゆっくりした後に帰りました。途中に印西市観光協会主催の売店が開かれていました。
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餅つきも行われていました。吉高の大桜の満開の時期はお祭りの雰囲気でした。
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やはり印旛中央公園に近づくと車だ渋滞していました。ほとんどの車が印旛中央公園の駐車場に入る車です。すこし早く来たのは正解でした。
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駐車場に戻ってきたのが10時46分なので、出発した9時12分から1時間34分の花見散策でした。車の数も出発した時に比べると増えていました。駐車場周辺は渋滞しますが、駐車場自体が満車になることはありません。もともと広いスペースにゆったりと駐車している上に1本の桜を見るだけなので大抵は2時間以内に車が入れ替わるため、空いているスペースは沢山あるのです。
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元々2013年4月4日に掲載した本記事へのアクセス数は吉高の大桜が満開に近づくとアクセス数が増えてきて満開が過ぎると減りました。4月9日(土)には本記事へのアクセス数(閲覧数)が411件/日にも達しました。訪問者は342人/日でした。使われているOSの増加具合から、その時のアクセスの多くはスマホと思われました。2016年4月19日16時6分時点の累計アクセス数は11033件です。



2013年4月4日掲載 タイトル:吉高の大桜が満開になりました。
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2013年4月4日に千葉県印西市にある「吉高の大桜」を見に行きました。狙いどおり満開でした。例年の花の時期4月上旬~中旬(2011年、2012年の満開は4月15日)よりも10日くらい早いようです。実は「吉高の大桜」は何度も見に来たのですが、いつも花が終わっていて、花の咲いているところを見たことがなかったのです。今年だけはと思い、3度足を運び、やっと満開の状態を見ることが出来ました。

近くを通る路線バスを紹介します。本数が少ないのでよく確認してください。
印西市コミュニティバスは、昔は印旛村コミュニティバスでした。
 路線バスの利用方法 バスの本数は 休日/平日 で記載
  京成酒々井駅西口→印旛郵便局 ちばレインボーバス 印旛学園線
  印旛日本医大駅→印旛郵便局  ちばレインボーバス 印旛学園線
  印旛日本医大駅→印旛郵便局  印西市コミュニティバス 六合路線
  京成佐倉駅北口→印旛郵便局  印西市コミュニティバス 六合路線
  小林駅→教習所前 1日6本  印西市コミュニティバス 六合路線
   京成酒々井駅:11/13本  京成佐倉駅:17/28本  小林駅:6/6本
   印旛日本医大駅:22/33本(六合路線)/11/13本(印旛学園線) 
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無料送迎バス(追記 2016年4月4日)
2016年4月9日と10日の2日間のみ北総鉄道/京成電鉄の印旛日本医大駅から無料送迎バスが運行しているそうです。
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 運行期間 2016年4月9日(土)~10日(日)の2日間
 最新の吉高の大桜の開花状況 → ポチッ
右の写真はネットで掲載されていた4月10日の写真で、満開です。2~3日で散り始めます。
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満開の時期は沢山の人が来られるために印旛中央公園の赤枠の部分が臨時駐車場になり青いラインを徒歩で約1.6km歩くことになります。緑のラインは自転車専用道路からの道です。自転車専用道路から近いのです。
 場所 千葉県印西市吉高930 
 旧名 千葉県印旛郡印旛村吉高930 (2010年3月23日以前) 
 駐車 印旛中央公園 (印西市瀬戸1518) ナビ入力 0476-98-0427
 地図 https://goo.gl/maps/BWyIo

より大きな地図で 吉高の大桜 を表示
駐車場を出て国道464号を歩きます。写真のように沢山の人が歩いているのですぐにわかると思います。


国道から写真の手前側の村道に入るところからは、お巡りさんが交通規制をしており車やバイクは入ることが出来ません。自転車は入ることが出来ます。足の悪い方もここからは車椅子でした。ここから大桜までは1km近くあります。停まっているマイクロバスは、お年寄りの方を迎えに来た車です。


こちらが大桜への村道です。今は村ではないけれども雰囲気から村道と呼ばせていただきました。


歩いてきて最初に見える吉高の大桜の姿です。
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沢山の人たちが見学に来られていました。
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さらに近づいて撮ったのが冒頭の写真です。この桜は山桜(ヤマサクラ)なので花と同時に葉も出ているのでソメイヨシノのように木全体が真白に見えるわけではありませんでしたが、見事な桜でした。印西市のホームページに書かれていた桜の大きさなどの数値です。カッコ内数値は14年前の看板に書かれていた数値です。
  名前     吉高の大桜 / よしたかのおおざくら
  樹種     ヤマザクラ
  樹高     10.6m   (11.7m)
  樹齢     300年以上
  幹周囲    6.85m   (6.65m)
  枝張最大   25.8m   (24.5m)
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この写真を見ると葉の新芽と花の割合がわかると思います。
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花は満開でした。花の見ごろは満開から2~3日と短いそうです。
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周りは畑で、大根が沢山植わっており売られていました。自分で好きな大根を抜くことが出来るのです。


皆さん大根を選んでおられました。


大根以外にもいろんなものが売られていました。


こんな楽しい大根も飾られていました。是非とも写真をクリックしてみてください。
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この時だけ仮設の峠茶屋も出来ます。


こちらはカフェです。こちらは恒久的な建物ですが開店は今だけのようです。


車椅子の方も多かったです。自転車の人も沢山見かけました。自転車にはいい季節になってきたようです。




満開から3日前の4月1日の朝の写真も紹介します。花は結構咲いていましたが、満開に比べると花数が少ないので枝振りがよくわかります。幹の太さには驚かされます。
朝だと逆光気味の写真になるために花が少なく見えますが結構咲いていました。
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朝日が当たる方向から撮ると花の色が現れてきます。上の写真とは真反対から撮った写真です。
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花は平均的に5分咲程度でした。ただし枝によって多少差があり、枝によって2~7分咲というところです。こちらの枝は7分咲き程度です。


こちらの枝は3分咲きくらいでしょうか。


この木の迫力は幹の太さです。御神木でしょうか。幹に巻かれた、しめ縄が神聖な雰囲気を伝えてくれています。
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今まで、みんなに大切にされてきたことが枝の支え棒から伝わってきます。


枝の表面からも樹齢300年以上の雰囲気が伝わってきました。
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この木の枝には力強さがあります。地衣類や苔類やシダ類が印象的でした。
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満開の9日前の3月26日です。先ずは様子を見に来ました。この時は全く開花はしていませんでした。開花率は0%でしたが木の迫力が伝わってきました。
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蕾の状態です。花芽と葉芽がありますが両方が同時に開くのが山桜です。
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反対側から見た樹の姿です。
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クリックすると拡大吉高の大桜の由来の看板がありました。こちらには「奈良時代和名抄に記されている下総国印波郡吉高郷とあり、古くから、この地は知られている郷の中心である須藤家の氏神祠に植えられたヤマザクラである」と書かれていました。この看板にはには記載ミスが2ケ所あるようです。根周囲の6.65㎡は6.65mと思われます。さらに根張り最大の24.5㎡は24.5mと思われ根張り最大も枝張り最大の可能性が高いです。
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吉高の大ザクラは1981年10月15日に印旛郡印旛村の天然記念物に指定されて、2010年3月23日に印旛郡印旛村が印西市に編入されたことから、今は印西市指定天然記念物になっています。所有者は須藤家(屋号 文左衛門)です。天然記念物の指定を受けてから30年以上が経過していることから樹齢は330年以上と言えるかもしれません。
上の看板では花の見ごろは4月中旬~下旬と書かれていますが、こちらの看板では4月中旬~下旬を4月上旬~中旬に書き換えていました。徐々に早くなっている上に、今年は特別に早かったみたいです。佐倉城址公園のソメイヨシノの満開から1週間後が見ごろの目安のようです。


全国の一本桜の名所の一例を掲載いたします。   通常の見ごろ
【北海道】松前町 光善寺            4月下旬~5月上旬
【岩手県】盛岡市 石割桜            4月中旬~下旬
【山形県】長井市 伊佐沢の久保桜        4月中旬~下旬
【福島県】会津若松市 石部桜          4月中旬~下旬
【福島県】白河市 妙関寺の乙姫桜        4月中旬~下旬
【福島県】須賀川市 永禄寺           4月中旬~下旬
【福島県】須賀川市 照光寺           4月中旬~下旬
【福島県】田村市 永泉寺のサクラ        4月下旬~5月上旬
【福島県】猪苗代町 磐椅神社          5月GW明け
【福島県】三春町 三春滝桜           4月中旬~下旬
【茨城県】龍ケ崎市 般若院の枝垂桜       3月下旬~4月上旬
【茨城県】茨城町 大戸のサクラ         4月中旬~下旬
【栃木県】日光市 輪王寺の金剛桜        4月下旬~5月上旬
【千葉県】印西市 吉高の大桜          4月上旬~中旬
【埼玉県】北本市 石戸蒲ザクラ         4月上旬~中旬
【神奈川県】小田原市 長興山のシダレザクラ   3月下旬~4月上旬
【富山県】黒部市 明日の大桜          4月上旬~中旬
【石川県】羽咋市 気多大社           4月中旬
【福井県】越前市 味真野の一本桜        4月上旬~下旬
【山梨県】韮崎市 わに塚のサクラ        4月上旬
【山梨県】北杜市 山高神代桜          4月中旬
【長野県】長野市 素桜神社の神代桜       4月下旬~5月上旬
【長野県】大町市 静の桜公園          5月中旬~6月上旬
【長野県】山ノ内町 宇木のエドヒガン(千歳桜)  4月20日前後
【岐阜県】本巣市 根尾谷淡墨桜         4月
【岐阜県】岐阜市 中将姫誓願桜         4月上旬
【岐阜県】高山市 臥龍公園(臥龍桜)       4月中旬~下旬
【岐阜県】美濃加茂市 山ノ上のサクラ      4月中旬
【岐阜県】美濃加茂市 正眼寺のしだれ桜     4月中旬
【静岡県】富士宮市 狩宿の下馬桜        4月中旬
【静岡県】島田市 慶寿寺            3月下旬頃
【静岡県】伊豆市 本柿木・法泉寺 シダレザクラ  3月下旬~4月上旬
【三重県】鈴鹿市 白子の不断桜         3月下旬~4月下旬
【三重県】鈴鹿市 石薬師の蒲桜         3月下旬~4月上旬
【三重県】名張市 赤目四十八滝         4月上旬
【兵庫県】養父市 樽見の大桜          4月上旬~中旬
【兵庫県】養父市 糸原のみづめ桜        4月中旬
【兵庫県】新温泉町 泰雲寺           4月上旬~中旬
【奈良県】宇陀市 佛隆寺の桜(千年桜)      4月中旬
【奈良県】宇陀市 又兵衛桜(本郷の瀧桜)      4月上旬~中旬
【鳥取県】鳥取市 弓河内の大枝垂桜       4月上旬
【鳥取県】鳥取市 長瀬の大枝垂桜        4月上旬
【島根県】浜田市 三隅大平桜          3月下旬~4月上旬
【島根県】益田市 金谷城山桜          3月下旬~4月上旬
【島根県】江津市 山本家の白枝垂桜       3月下旬~4月上旬
【岡山県】真庭市 醍醐桜            4月上旬~中旬
【高知県仁淀川町 ひょうたん桜         3月下旬~4月上旬
【佐賀県】伊万里市 明星桜           3月下旬~4月上旬
【熊本県】南阿蘇村 一心行の大桜        3月下旬~4月上旬
日本の五大桜の場所をマークしました。黄色のマークは三大桜です。

より大きな地図で 一本桜 三大桜と五大桜 を表示
千葉県の有名な一本桜
  吉高の大桜     印西市吉高930         ヤマザクラ/山桜
  与市郎桜      市原市 小湊鉄道「里見駅」近く ヤマザクラ/山桜
  黄門桜       匝瑳市飯高2088-4       ヤマザクラ/山桜
  墨染桜       東金市山田325        ウバヒガン/姥彼岸
  願成就寺の枝垂れ桜 東金市松之郷480-1
  本松寺の枝垂れ桜  東金市松之郷1258-1
  清龍院の枝垂れ桜  流山市名都惜1024 
  弘法寺の伏姫桜   市川市真間4丁目9-1
  本土寺の枝垂れ桜  松戸市平賀63
  長光寺の枝垂れ桜  山武市埴谷
  妙宣寺の枝垂れ桜  山武市埴谷
  福星寺の枝垂れ桜  四街道市吉岡898
  東漸寺の枝垂れ桜  松戸市小金359

Google地図で「 印旛吉高のオオサクラ」と書かれた場所は実際の位置とは黄色の線で示す通り143mずれていました。緑のマークが実際の印旛吉高の大桜の位置です。この航空写真からも木の大きさがわかってもらえると思います。
吉高のオオザクラの位置の修正をGoogleに申請していたのですが、2016年4月9日に修正されました。私が以前にプロットした緑色マーク( )の位置に印旛吉高のオオザクラのマークが重なっているので判ってもらえると思います。

より大きな地図で 吉高の大桜 を表示


2013年4月6日追記 タイトル:満開から2日後の吉高の大桜

満開から2~3日で見ごろが過ぎてしまうとのことだったので、どの程度なのかが気になって満開から2日後になる今日(2013年4月6日)の日の出の時間に吉高の大桜に来てみました。これは5時28分に撮ったもので日の出の時刻に近い写真です。南西方向から撮った写真で朝日に対しては逆光方向になります。地面を見ていただいたらわかるように花が散っていますが、まだ花は残っていました。

これが花の状況です。満開時に比べて花弁はさほど散っていませんが花が少し萎んだ感じなのと葉がのびてきていました。やはり満開から2~3日までが見ごろというのは正しいようです。花が少なくても見ごたえのある桜ですが、ピンク色で覆われている吉高の大桜が見れたのは、今年の場合で4月1日~4月6日の6日間とかなり短いことがわかりました。少し長めに見ても10日間なので満開状態を見るのが難しい桜であることがわかりました。
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これは6時0分ごろに北方向から撮ったものです。大桜の東側には高い林が広がっているのでまだ日が当たっていません。


こちらは6時11分です。林の中から太陽が見え始めました。これは西南西の方向から撮ったものです。


ワンコの散歩がまだだったので朝日が吉高の大桜にあたるときまでは待って帰るつもりでした。木の先端に朝日が当たったのが6時16分でした。これは北北西方向から撮った写真です。


近づいて先端の部分を撮りました。この時が6時19分でした。


日が当たった部分を400mmのレンズで撮ってみました。今晩から雨が降るようなので、明日は少し景観が変わりそうですが、花は簡単には散らない感じがしたので、雨が止んだ明日の午後には葉は多くなってきますが、それなりの花を見ることは出来ると思います。
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朝早く来たおかげで日の出の写真を撮ることが出来ました。満開の時の昼間に比べると人は少ないけれど、正直5時半にこれだけの方が来られているのには驚きました。その中でも大型カメラで写真を撮られる方の比率が多かったのにも驚かされました。6時を過ぎるとワンちゃん連れの方も見学に来られていました。4枚の写真の内、3枚はクリックすると拡大します。
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2013年4月7日追記 タイトル:満開から3日後の吉高の大桜
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満開(2013年4月4日)から3日後の今日2013年4月7日(日曜日)の「吉高の大桜」を紹介いたします。すでに紹介した2日後の景観とは大違いで、吉高の大桜は葉桜に変身していました。夜の間の雨と朝からの強風の影響があるとは思いますが、それよりも葉が大きく成長しているのが景観の変化につながっている気がします。
午後からの天気は最高でした。

今日は家から自転車で行ってみました。暖かくなるのを待っていましたが、今年、初めて乗りました気候のせいもあるのですが、自転車専用道路(印旛沼サイクリングロード)が近くを通っていることに気がついたのも、その気になった一つの理由です。


せっかくなので自転車の記念撮影をいたしました。自転車の仕様はこちら→ポチッ


葉ザクラになっても新芽の色がきれいなうえに、木の迫力は変わりがありません。


まだ花は残っていますが新芽が葉が大きくなったために花が目立たなくなったのです。満開から2日間までが見ごろと考えた方がよさそうです。
今後は開花情報を確認して行くことをお薦めします。→開花状況


見学に来られている方も満開の時とは大違いでした。でも、のんびりと出来るので、これもいいかもしれません。


今回は自転車で来たので、そのルートを紹介いたします。往復で35kmの距離ですが、今日は北北東の強風が吹いていたために強風の追い風の時は40km/hでしたが強風の向かい風の時は11km/hになってしまうこともありました。


航空写真の緑のルートが今回の自転車のコースです。青のマークが途中にあった佐倉ふれあい広場のオランダ風車の場所で、緑のマークが吉高の大桜の場所です。

より大きな地図で 吉高の大桜 を表示
佐倉ふるさと広場から吉高の大桜へのルートを紹介いたします。写真の場所が、4月6日からチューリップフェスタが始まった佐倉ふるさと広場です。右の道が印旛沼サイクリングロードです。


北印旛沼と西印旛沼を結ぶ水路(印旛捷水路)に添った印旛沼サンクリングロードです。ここは一度紹介したことがあります。→ポチッ


クリックすると拡大実は上の写真の場所でナウマン象の骨格の化石が発掘されたのです。上の写真にも、この石板が写っていると思います。
ここで発掘(1966年発見)されたナウマン象の骨格の化石は国立科学博物館に収蔵されているほど有名なのです。ナウマン象は65万年(あるいは42万年)前頃にはすでに出現していて約2万年前頃から衰退し約1万5000年前の新生代更新世後期まで生息していたと言われています。


サイクリングロードから離れて水田の中の道を走っていきます。遠くに見えるのは成田スカイアクセス線です。あの高架の下を抜けていきます。


田んぼの中の道を進むと成田スカイアクセス線に近づいてきました。この辺りは舗装されていない道でした。


成田スカイアクセス線の高架の下の道はまだ整備されていませんでした。通れる道を探しながら進みました。


ちょうど成田スカイアクセス線にはスカイライナーが通りました。右の写真は「吉高の大桜」への上り坂の入口です。


最後はこのような道です。この坂を登ると「吉高の大桜」があります。


この切り餅を買うのも目的の一つでした。満開の時に生かき餅を一袋買って家で食べておいしかったのです。その時目に入った古代米の生きり餅が気になっていたのです。古代米の生きり餅は1kgが300円で生かき餅は400gが100円と値段も魅力的でした。製造元は近くの御餅屋さんでした。
  製造 株式会社 丸善
  住所 千葉県印西市将監307
  電話 0476-97-3831
  HP  http://mochi-maruzen.com/index.html


前回買った草餅(5個 300円)も美味しかったので柏餅(5個 350円)も買いました。カメラを入れはリュックが、お土産でいっぱいになってしまいました。



2013年4月8日追記 タイトル:満開から4日後の吉高の大桜
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2013年4月8日の吉高の大桜です。今年、吉高の大桜が満開だったのが家のワンコの誕生日でもある2013年4月4日でした。それから4日後の4月8日には、完璧に葉サクラになってしまいました。見ごろ期間が短いのに驚かされました。

今までの写真を並べてみました。4月04日が満開でした。6枚の内3枚は写している角度が違います。写真はクリックすると拡大します。
 3月26日         4月01日         4月04日(満開)
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 4月06日         4月07日         4月08日
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前日と同様に自転車で来てみました。車の駐車場からここまで歩いてくる距離が長いので家から自転車で来るのも意外とメリットがあることがわかったからです。人が少ないので桜の木の前に自転車を置いて写真を撮らせてもらいました。
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ここに来る前に自転車がパンクしていることが判って、チューブを交換したり予備チューブを買いに行ったりと、来る前はバタバタしましたが、何とか来ることが出来ました。
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ほとんど花弁も散っているうえに葉も大きく成長していました。
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今回は気になっていカフェでお茶をいただきました。私より先にカフェに来られていた夫婦の方に写真を撮ってもらいました。自転車も一緒のいい記念写真になりました。


お店の名前は「ハーブリース・花」でしょうか。私は紅茶を頼みましたが、焼きたてパンや焼き菓子もあるようです。この次は是非とも食べてみたいと思います。でもお店が開いているのは今の季節だけのようです。お店の人に「お店はいつ開いているのですか」と聞くと「きまっていないのですよ。お客さんが来るときです。」との答えでした。納得の答えでした。

こちらが頼んだ紅茶です。私はレモンにいたしましたがミルクも選択できます。

気楽に休めるCafeでした。
  コーヒー 250円
  紅茶   250円
  ジュース 200円

前日は台風並みの強烈な風でしたが、この日も若干余韻が残っていたので動画を撮りました。これは印旛沼から花見川につながっている場所です。
右方向が印旛沼で左方向に行くと花見川を通って海に行きます。本来は右から左にゆっくりと水が流れるところなのですが、風で水の表面が左から右に逆流している光景です。猛烈な強風の前日の動画はもっと迫力があったと思しますが、何しろ時々、印旛沼の水が風に飛ばされてに私のところまで風に乗って飛んでくるほどの強風だったので撮る余裕がありませんでした。



2013年5月1日追記 タイトル:4月29日の吉高の大桜
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吉高の大桜が満開となった4月4日から25日が経ちました。木の様子が気になったので4月25日に吉高の大桜まで来てみました。見ての通り緑の大木となっていました。見学者は私だけで静かな普段の風景に戻っていました。

4月7日と8日に自転車で来てみて、気楽に来れる場所であることが判ったので、天気も良かったので、この日も自転車でサイクリングロードを通って来ました。


葉は立派に成長して緑になっていました。沢山の実もついていました。


吉高の大桜の場所の近くを日暮里と空港第2ビルを36分で結ぶ成田スカイアクセス線が通っているのです。吉高の大桜から1分も歩けば成田スカイアクセス線を見下ろせる場所に出れるのです。ここは成田スカイアクセス線を見下ろせる数少ない場所の一つだと思います。少し待っていると上野からのスカイライナーが通っていきました。(左と中の写真) 成田空港からの羽田空港行きのアクセス特急も通っていきました。(右の写真)
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うろこ美術館 神戸・北野異人館 [神戸・異人館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大神戸・北野異人館のうろこの家には美術館があります。塔が2つある1つの建物のように見えますが左側が「うろこ美術館」です。右側の「うろこの家」と同じ天然石のスケートで外壁が覆われてていて魚の鱗のようです。

うろこ美術館は3階建てです。その3階の展望室からの眺望は、神戸の街と港を一望できる穴場スポットでもあります。写真をクリックすると判ると思いますが、建物には「うろこの家 小さな美術館 UROKO MUSEUM」と言う看板が下がっていました。
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館内に展示されている主な作品は次の通りです。写真は3階の展示室です。
 ユトリロ  「ミミの家」
 ベルナール・ビュッフェ  「アナベラ像」
 コンスタン・トロワイヨン  「フォンテンブロー 狩人のいる風景」
 堀江優  「リベカ」、「信ぜよ」、「最後の晩餐」、その他多数の作品
 ラドヴィッチ  「タシュの教会」
 モイズ・キスリング   「赤い膝掛けの裸婦」
 モーリス・ドニ  「母と子」
 マチス  「ニースの花」
 アンドリュー・ワイエス  「階段」1917
 ウジェーヌ・カリエール  「想い出」
 ナスリィーイフ  「写生」
 トラン 「ブローニュの占い」
 ラファエル・コラン  「微風」(黒田清輝の師)
 サレンティン  「想い出」
 ノエル  「嵐のち晴れ」
 エドモン=フランソワ・アマン=ジャン
「マリー・ローランサンの肖像」「葡萄を摘む少女」
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こちらが1階の展示室です。
縦長の女性像の作品はベルナール・ビュッフェの 「アナベラ像」です。
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こちらが2階の展示室です。赤色の枠の作品はコンスタン・トロワイヨンの「フォンテンブロー 狩人のいる風景」です。
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こちらが標高150mに位置する3階で、堀江優の絵画の展示場になっています。
中央近くの横長の大きな作品が堀江優画伯の「最後の晩餐」です。こちらの写真は特別に大きく拡大するので、作品をより大きく見たい方は是非とも写真をクリックしてみてください。
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その3階の標高150mからの景色です。こちらの写真も特別に大きく拡大するので、是非とも写真をクリックしてみてください。
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庭にはカフェがありました。スパゲッティーなどのランチも少しありますがドリンクとスイーツがメインです。 
 店名 うろこの家 ガーデンハウス Garden House
 営業 9:00~18:00
 定休 年中無休
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タグ:神戸 異人館

うろこの家 神戸・北野異人館 [神戸・異人館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでに報告させていただいたオランダ館デンマーク館オーストリアの家を見た後はPASSPORT(プレミアムパス)で7ケ所の異人館を廻りました。プレミアムパスで見た順番は次の通りです。PASSPORTの中には右側のように入館時に印を押してもらうページがあります。この日に見なくてもいつでもOKでした。時間切れになっても印が押されていない異人館に関しては次回の時に使えます。期限はありません。8つ目は異人館ではなくドレスサービスです。ドレスを着て記念写真を撮るようです。
それでは最初の「うろこの家」を紹介したいと思います。
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
  ベンの家         旧アリソン邸
  洋館長屋         旧ボシー邸
  英国館          旧フデセック邸

うろこの家に向かいました。
オーストリア館から細い坂道をまっすぐに登ると「うろこの家」があります。
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「うろこの家」付近から登ってきた坂道をふり返って写真を撮りました。急な坂道であることが分かってもらえると思います。
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やっと、「うろこの家」に到着しました。
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庭に入って建物を撮りました。一見は一つの建物のように見えますが2つの建物です。右側が「うろこの家」で、左側が「うろこ美術館」です。
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こちらが「うろこの家」です。建物の中央の塔屋は商館の主であった貿易商が船の入出港を見守るための展望塔でした。建物は1905年(明治38年)頃に神戸旧居留地に外国人向けの高級借家として建設されて、大正年間に北野町の現在の場所に移建された西洋館です。後にドイツ人R.ハリヤーの住居となったことから。旧ハリヤー邸とも呼ばれていますが「うろこの家」という通称の方が一般的です。
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名前の通り、建物の外壁を飾る天然石のスレートが魚の鱗(うろこ)のように見えることから「うろこの家」と呼ばれてきました。
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うろこ状の壁を拡大いたしました。
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内部を紹介したいと思います。ステンドグラスが見事でした。
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見事な食器も沢山並べられています。
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上の部屋の暖炉の近くに置かれていたステンドグラスのランプも気になります。
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アンティーク・マイセン(Meissen Antique Doiis)のコレクションも圧巻でした。食器類も高価なアンティークの名磁器ばかりでした。
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部屋の入口は意外と狭く作られていました。
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階段から玄関の方を見た景色です。
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階段かの見た2階の廊下です。天井から下がったステンドグラスのシャンデリアも見事でした。
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階段から別の角度から見た2階の廊下です。


2階の部屋も見事でした。ステンドグラスの卓上ランプ(Tiffany Lamp)が沢山ありました。ほんと一流品ばかりで、これらを見るだけでも博物館/美術館のようでした。
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ステンドグラスの卓上ランプだけを切り取り拡大いたしました。
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別の角度からの写真です。
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この卓上ランプも見事でした。このようなランプを見るだけでも値打ちがある異人館でした。クリックすると特別に拡大いたします。
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書斎あるいは執務室です。ここの主は貿易商を営んでいたそうです。見事な調度品ばかりでした。
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机も凝っています。やはりタイプライターが置かれていました。
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可愛らしいランフが置かれていました。よく見ると大きくトンボが表現されていました。
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トンボのランプが置かれていたのがこちらの部屋でした。こちらの部屋にもソファーが置かれていました。蓄音機もおかれていたので音楽を楽しむ部屋だったのかもしれません。
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こちらがマホガニー・ホーン付きの蓄音機で、この家に住んでいたドイツ人の愛用品で、現在でも使用可能だそうです。この蓄音機は1905年製造されたドイツ製でした。
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ゴルフ屋スキーの道具が印象的でした。神戸は日本最古のゴルフ場がありました。六甲山でスキーを楽しんだのかもしれません。今は六甲山の人工スキー場が外国人の方に大人気だそうです。
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クリックすると拡大そり(橇)が置かれていました。この橇には「王家の橇」という名前が付けられいて、バイキング船の船首像に見るようなドラゴンの彫刻が施されています。右が説明文です。クリックすると読めるサイズに拡大します。
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ドラゴンの彫刻の写真を紹介いたします。
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庭の景色を紹介します。異人館の中で最も明るくて開放的な庭でした。神戸の街も一望できます。ソリが置かれていたサンルームからの景色です。
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うろこの館の庭で、一際目立っているのがイノシシの像です。
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立派なイノシシの像です。
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イノシシの像の前に行列できていました。イノシシの鼻に触っているところの写真を順番待ちで撮っているのです。このイノシシはカリドンの猪と呼ばれていて、実はパワースポット(Power Spot)なのです。イノシシの愛称はボルチェリーノです。
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異人館にはほかにもPower Spotがあります。 今回のイノシシの鼻は開運のパワースポット(HAPPINESS)です。最強のパワースポット(WISH)と、幸運のパワースポット(LAVE)は、それぞれの異人館の記事を掲載するときに紹介したいと思います。 
 開運のPower Spot カリンドの猪   うろこの館
 最強のPower Spot サターンの椅子  山手八番館
 幸運のPower Spot 狛犬       坂の上の異人館
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皆が鼻に触るので、つるつるになっていました。
どれだけの方が触ったことでしょう。
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私も記念のために触っているところの写真を自撮りいたしました。
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下記の航空写真の中のが「うろこの家」です。
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
 ━━ 2016年3月16日の散策ルート

タグ:神戸 異人館

オーストリアの家 [神戸・異人館]

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前記事で紹介したデンマーク館の次に入ったのが「オーストリアの家」でした。

香りの家オランダ館、デンマーク館、オーストリアの家のチケットであるパスポートです。オーストリアの家はデンマーク館と同じで異人館の跡地に建てられたテーマ館でした。
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モーツアルトの生家を通してオーストリアの18世紀代の文化と生活を紹介いたいます。モーツアルトゆかりの品々を当時の生活形態のまま展示されていました。
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こちらのピアノは、フォルテ・ピアノ製作の名人の堀栄蔵氏が再現したJ.A.シュタインです。作曲家の高木東六氏やフジコヘミング氏が訪れた時に弾かれたそうです。
フォルテ・ピアノの音に興味のある方があると思い動画を右に掲載いたしました。プレーボタン( )をクリックすると音を確認することが出来ると思います。
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デンマーク館のように円形の建物でした。
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テーマ館の隣の建物の2階が古い家のようでした。
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その2階の空間はモーツアルトの「誕生の部屋」や後世に残る数々の名作を生んだ「創作の部屋」などを再現したものだそうです。これが「誕生の部屋」でしょうか。
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これは別の部屋です。チロル地方の伝統工芸品が並べられていました。
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このような部屋もありました。
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下記の航空写真の中のが「オーストリアの家」です。
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸


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デンマーク館 [神戸・異人館]

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前記事で紹介したオランダ館の次に訪れたのはデンマーク館です。隣接しているので歩いて1分ほど距離です。角を曲がるとすぐにDENMRK HOUSEの文字が見えてきました。見ての通り近代的な建物でオランダ館のように約90年の歴史のある建物ではなさそうです。

こちらが香りの家オランダ館、デンマーク館、オーストリアの家の共通チケットであるパスポートです。ここにあるようにデンマーク館は旧ヨハン・フラウベルト邸の跡地に作られたテーマ館でした。
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こちらがテーマ館の建物の入口です。このデンマーク館は異人館跡地に1992年7月19日に、北欧バイキングや童謡作家アンデルセンなどのデンマークの歴史や文化をご紹介するミュージアムとして、デンマーク王国大使館とデンマーク通商事務所の後援を受けオープンしたそうです。あたらく見えますが出来て24年になるのです。
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中に入るといきなりバイキングの船が展示されていました。今までデンマークとバイキングは私の頭の中では結びつくことは無かったのですが、今回初めて深い関係があったことが感じられました。
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バイキングにちなんだ展示が一番多かったです。
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建物の中央は天井まで吹き抜けになっていて、中央にバイキング船が展示されていました。
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デンマークのはアンデルセンに代表されるように童話にかかわる展示も多く見ることが出来ました。
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上から吹き抜けの部分を下に見た景色です。香りの家オランダ館のホームページの中にデンマーク館のページが設けられていることから同じ組織で管理されているように感じました。
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こちらはバイキングが身につけていた装飾品です。
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このような展示物も沢山見受けられました。有名な人魚姫にちなんだマーメードコレクションも沢山ありました。
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下記の航空写真の中のが「デンマーク館」です。
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸

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自分だけの香水を作ってくれるオランダ館 [神戸・異人館]

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以前に予告した通りに2016年3月16日に行った12ケ所の神戸北野異人館を紹介したいと思います。12ケは上の3つのチケット(パスポート・チケット)で回りました。異人館はそれぞれグループを組んでいるようですべてを廻れるチケットはありませんでした。最初の黄色いチケットは三宮駅から異人館に向かう途中のチケット売り場で購入しました。青いパスポート・チケットは異人館・うろこの館のチケット売り場で購入いたしました。下の2館券は異人館・風見鶏の館のチケット売り場で買いました。
 左上  3館のPASSPORT 神戸・北野公開異人館
 右上  7館のPASSPORT TOUR DE KOBE (KITANO・IJINKAN)
 下側  2館のチケット   風見鶏の館 2館券

この時に廻った12ケ所の異人館をプロットした地図です。の順番に見学させてもらいました。先ずは今回の記事ではオランダ館を紹介したいと思います。オランダ館は単に「オランダ館」ではなくて「香りの家オランダ館」と名前が付けられています。今回、入らなかった異人館の一部はレストランや美術館として利用されています。 
  オランダ館        旧オランダ総領事邸 旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館       旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリアの家     旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館 旧ハリアー邸
  山手八番館        旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部     旧フリューガ邸
  坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
  ベンの家         旧アリソン邸
  洋館長屋         旧ボシー邸
  英国館          旧フデセック邸
  風見鶏の館        旧トーマス邸
  萌黄の館         旧シャープ邸
 今回内部に入らなかった異人館
 コンビニエンスストア、神社、他
 ━━ 2016年3月16日の散策ルート 阪急三宮駅→→→→→→


こちらがオランダ館を門の外から見た景観です。オランダの服を着た方が案内をされていました。12ケ所の異人館を廻ってみて、最も観光に来られた方に対して熱心に対応されていたことが判りました。それが「香りの家」と名付けられているところにも表れているのだと感じました。
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中に入って門の方を見た景観です。
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こちらが玄関です。オランダの総領事が住んでいた家にしては、玄関が意外と小さいと感じましたが、これはほかの異人館にも共通したことでした。神戸に住んでいた外国人の上流階級の人達のセンスの良さを感じました。
建物は2階建ての木造建築は、大正中期の寄棟造りです。オランダ王国の総領事邸(G.M.Kruissink consul general)として使用され、その後ロシア革命をきっかけに来日した I.Sヴォルヒン氏が住んでいたものを、1987年1月よりから「香りの家オランダ館」として一般公開されたそうです。
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オランダ館の南側の壁と庭です。
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内部を紹介します。こちらがリビングです。約90年前となる1920年代に神戸で暮らしていた外国人の生活が伝わってくるような空間でした。置かれているピアノは約200年前のイギリス製の足踏み自動演奏ピアノです。足でペダルを踏み空気を送って演奏するそうです。20種あるミュージック・ロールペーパーを取り替えていろんな曲が演奏されたようです。
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こちらがダイニングルームです。
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こちらは台所です。こちらにもテーブルがあり朝食などは古都らで食事をされたのかもしれません。お客様が来た時には、こちらで料理が作られて、上の写真のダイニングに運ばれたのでしょうね。
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こちらのコンロで料理したのだと思います。当時の料理器具も興味深いものがありました。
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こちらの階段で2階に上がりました。この吹き抜けの階段は大正ロマンをあらわす代表的な哲理が付けられていました。西洋人によって作られましたが和風の雰囲気が残されたものだそうです。
右の廊下の奥がメイドルームで、隣が浴室です。浴室前の廊下は右に傾けて作られていました。水が流れ出るのを防ぐ工夫のようです。
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こちらはメイドルームで、ベッドの上には子供の服が展示されていました。メイドルームの家具はすべてオランダ製でした。オランダ館全体としてはイギリス製とオランダ製で構成されていました。この部屋のシャンデリアは「エンゼルのほほえみ」と題する世界的名作でした。
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こちらは浴室です。こちらのバスルームは部屋の一部として使用され、その中でもロイヤルドルトンの洗面台は非常に高価なものでした。テーブルはウォシングテーブルと呼ばれ、この上に洗面器を乗せて使用されたそうです。
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2階から1階を見ました左に玄関があります。
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総領事の執務室です。
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執務室に置かれていた古いタイプライターが印象的でした。
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こちらが寝室です。
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ベッドの上には当時の服が置かれていました。
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胸元の飾りが見事なので拡大写真を掲載いたしました。
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こちらはサロンとして使われたそうです。当時、周辺には外国人が外で集まる場所がなかったことから、このように家の中に社交の場が設けられたそうです。こちらのバラのシャンデリアは現在では見ることが出来なくなったものだそうです。
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サンルームに置かれていたミシンも印象的でした。写真をクリックするとコントラスト調整した写真を掲載いたしますので、ミシンがSINGER製であることが分かってもらえると思います。
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タイトルで「自分だけの香水を作ってくれるオランダ館」と紹介させていただいたのがこちらの写真に関係しているのです。右の方が私のためのオリジナルの香水を作ってくれているのです。これが人気だ沢山の女性の方が席に座って自分の香水が作られるのを待っておられました。
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香水を作るためのアンケートに自分の趣味や好みなどを記入すると、それに基づいてオリジナルの香水を作ってくれるのです。
質問項目は血液型、星座、年齢、好きな色、好きな素材、好きな果物、好きな音楽、好きな香水、好きな花、好きな服装、使用している香り、好きな香りと苦手な香りです。
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アンケートの中の「好きな香りと苦手な香り」は瓶に入った5種類の香りを嗅いでみて一番好きな香りと、2番目に好きな香りと、一番苦手な香りを選んで明に張られている色を記入するのです。
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クリックすると拡大アンケートを見ながら私の香水を調合していただいているところです。調合されている方はブレンダーと呼ばれています。香水に関しては調香師とも呼ばれています。JR東海も、このオリジナル香水をテーマに「世界でたったひとつの香りが、迎えてくれる。」オランダ館をPRされていました。
出来上がった香水が付けられた香り棒を持ってブレンダーの方と記念撮影をさせていただきました。
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このはこの中に出来上がった香水が入っています。値段は3350円(税込)/9ccでした。中・高校生の場合は1620円/6cc(税込)で提供しているそうです。
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クリックすると拡大いろんな有名人の方の記念写真が飾られていました。箱の色は違いますが、現在、真田丸にも出演されている斉藤由貴さんが手に持っているのも香水の入った箱だと思います。このオリジナル香水はかなり以前から行われていたものと推察いたしました。


箱を開けると香水の瓶が現れました。
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可愛らしい香水の瓶を紹介します。これが世界でたったひとつだけ香りの、私だけの香水です。瓶のラベルにオリジナル香水の文字が読み取れると思います。
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香りの家オランダ館、デンマーク館、オーストリアの家のチケットであるパスポートの中にもアンケート用紙がありました。ホームページで確認すると売店では次のオランダ館特製香水も2270/9cc(税込)も販売されていました。
  神戸の夕ぐれ    シトラスノート
  オランダの香り   フローラルノート
  六甲からのそよ風  グリーンノート
  絹のドレス     オリエンタルノート
  香りの家オランダ館 ウッディーノート
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こちらか、そのアンケートのページです。事前に書いておくと、その場で迷わないかもしれません。ただし、「好きな香りと苦手な香り」だけは実際に嗅いで書くので事前記入は出来ないです。
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オリジナル香水を買うと、こんなポスターもいただきました。
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桜の季節の姫路城と神戸異人館 [神戸・異人館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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姫路城の補修工事前のことですが、桜の季節に外国の方を姫路城と異人館を案内したことがあります。その時の写真を紹介したいと思います。
クリックすると記事を表示この日は夕食に神戸で最も格式の高い大井肉店・本店で神戸牛ステーキを食べる予定で、その前に姫路城と神戸の異人館の街に行ってきました。姫路城は桜も咲き始めてなかなか絵になります。

このあたりの景色はすばらしいです。午前中は我々の会社を訪問してもらい、午後から姫路城に向かいました。


姫路から神戸に戻ってきてステーキ屋さんに行くまでに時間が少しあったので、異人館をいくつか見ました。


長く神戸に住んで居ながら異人館は行く機会がほとんどありませんでしたが、神戸を離れて雰囲気を味わいました。


こちらは旧パラスティン邸です。
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今は「坂の上の異人館」と名付けられていますが10年前は「旧中国領事館」として公開されていました。ここを訪れたのは我が家のワンコ(名前:ムサシ)の6歳の誕生日である2006年4月4日のことでした。すでに報告の通り、十年ぶりとなる2016年3月16日に再度訪れることが出来ました。後日、「坂の上の異人館」として内部も紹介したいと思います。左の方に写っている狛犬に関しても紹介したいと思います。


こちらが現在の異人館の門です。上の写真は門の右側だったことが判ります。このように洒落たネーミングにした異人館が多かったです。中国領事館でしたが、建物自体は洋館でした。
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実は姫路城から異人館街に着いたのは17時半になっていたのでほとんどの異人館には入れませんでしたが、旧中国領事館だけは開いていたので、中に入ることが出来ました。


こちらも現在の同じ場所(玄関)を撮った写真です。入口の左側に「坂の上の異人館」と書かれています。こちらも2016年3月16日に撮った写真です。
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こちらは北野外国人倶楽部です。こちらも10年前の写真ですがフリューガ邸ではなく、すでに北野外国人倶楽部と呼ばれていました。新しいネーミングの時期は異人館によって違うようです。


オランダ館の前のオランダ坂です。細い坂道は神戸の山の手の風情です。
後日紹介予定の異人館は2016年3月16日に訪れたの12です。
  オランダ館         旧ヴォルヒン邸
  デンマーク館        旧ヨハン・フラウベルト邸跡
  オーストリア館       旧W.クンツェ邸跡
  うろこの家/うろこ美術館  旧ハリアー邸
  山手八番館         旧サンセン邸
  北野外国人倶楽部      旧フリューガ邸
  坂の上の異人館       旧中国領事館 旧チン邸
  ベンの家          旧アリソン邸
  洋館長屋          旧ボシー邸
  英国館           旧フデセック邸
  風見鶏の館         旧トーマス邸
  萌黄の館          旧シャープ邸


この後、JR神戸駅の前にある明治四年創業の老舗ステーキ店に直行いたしました。クリックすると焼きあがったステーキを表示します。一口サイズに切って写真に写っている食パンの上に置いてくれます。
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こんな感じで目の前でステーキを焼いてくれました。
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最後のお花見 [東京]



少し前のことですが、会社の設計事務所が数百人の組織ごと江東区から港区に移転することが決まって最後の花見でした。移転前の最後の花見を4月10日に会社の近くの緑道で夕方から、お花見をしました。上の写真は当日の昼休みに撮りました。
前記事で紹介した2016年4月1日に日本橋で昇進祝いをした人も、この記事の中の写真に写っています。そんなことから下書き状態であった本記事を再掲載いたしました。
会社から、ここまでは歩いて数分の距離なのに、今までは写真を撮りに来ることはありませんでしたが、今年のお花見は特別だったからです。
実は24年前の1992年に同じ江東区の別の場所からこの場所に事務所ごと移転してきたのですが、それ以来ほぼ毎年、20回以上の花見が行われてきました。それほど伝統的な行事になっていたのですが、今年が最後になってしまったのです。それは今年の12月に港区に24000㎡のビルを借り切って事務所ごと移転することになったからです。そのこともあり記念のために昼休みに花見が行われる場所の写真を撮りに来たのです。昼間から家族で花見をしている方もおられました。うらやましかったです。(笑)

緑道の雰囲気を味わってもらうために何枚かの写真を紹介いたします。冒頭の写真の反対側から撮ったものです。家族の中で車椅子の人がおじいちゃんだと思います。三世代のお花見昼食です。


お花見の時期だから、わざわざ昼食をここに食べに来ておられると方たちでしょうね。桜の木の幹の太さから歴史を感じます。この道には昔、電車が走っていて、廃止(1972年11月)されてから丁度44年が経ちました。ヤマザクラは数百年の古木になることがありますがソメイヨシノは特例的に樹齢110年120年のものがあるものの統計的に80年を超えるものは、ほとんどないそうです。それだけに左の木のように大切にされています。ソメイヨシノが人間の寿命に似ているのが不思議です。


まだまだ桜のトンネルが続きます。ソメイヨシノ(染井吉野)は江戸時代の染井村(豊島区駒込)の植木屋の圃場で、人為交配されて生まれた桜と言われています。基本的にソメイヨシノは種子では増えないため、すべて人の手で接木(つぎき)などで増やしたものだそうです。ソメイヨシノはクローン繁殖のため全国のソメイヨシノがほとんど同じDNAだというのも世界的にも珍しいと思います。


近所の人たちの生活道路でもあります。自転車で通っている方も沢山おられました。この通路を使ったお花見は近所の人にとっては迷惑かもしれませんが、恒例行事でみなさん気持ちよく歓迎してくれていることが提灯からも伝わってきます。


緑道の桜のトンネルを実感してもらえたでしょうか。縦長の写真にするともっと感じてもらえるかもしれないと思いこの写真を掲載いたしました。


緑道を横の道から撮りました。花のトンネルの中で花見をすることがわかってもらえると思います。夜だと花が見えなくなってしまうので昼間に撮りに来たわけです。


若い人が朝早く来てガムテープで場所取りをしてくれました。この写真の場所で夜に花見が行われました。左の緑の道が自転車専用道路で右の赤い道が歩道となっていますが花見の時期には花見をする人に解放されるのです。左側の自転車道路側の細長い場所を確保されていました。自転車道路と空き地がお花見として許されている場所で赤い歩道側はお花見禁止です。
この日は2つの部の有志40名が花見に参加しました。実は一つの部は4月11日に花見をする予定でしたが4月11日の天気予報は雨だったので合同で行うことにしました。私はもともと両方の部の花見に出る予定だったので両方に会費を納めていました。(泣)


花の形がわかる写真も紹介しておきます。花びらがすでに散り始めていますが、まだまだ満開であることがわかってもらえると思います。


会社が終わるとさっそく準備開始です。持ってきたビニールシートでは足らないので追加のビニールシートを持ってくるように携帯で電話しているところです。この時点で半分くらいがセツト出来ましたがまだ足りませんでした。シートは半分の状態ですがビールはすでに飲み始めました。このとき18時12分でした。


ビニールヒートを引いてテーブルにするダンボール箱を並べました。17時半に会社を出てて結局、本格的に宴会が始めることが出来たのが18時20分くらいでした。

下の写真のような雰囲気でした。やっぱの花見は盛り上がりますね。40人はやっぱり多いですね。一番向こう側が見えないです。右の写真のように段ボールの箱も沢山並びました。

ちょうちん(提灯)が点灯した直後の写真です。この写真は18時8分54秒に撮ったものです。18時8分4秒の写真では点灯していなかったので18時8分台に点灯したのは間違いありません。18時8分43秒の写真も点灯していました。


花見の宴会の雰囲気をお伝えするために開始から最後までを連続写真でお伝えします。顔がわからない小さな写真で恐縮ですが雰囲気がお伝え出来たでしょうか。
最初の写真が18時5分で最後の写真が20時17分でした。


満開を少し過ぎたくらいだったので花びらが沢山待っていました。偶然ビールのコップにも入ることがありました。もちろんそのままビールを飲みました。何かいいことがあるような気がしました。


準備されていた料理を紹介します。やっぱり暖かいおでんは外せないです。長い間にお花見用の備品も充実してきました。熱燗も、このコンロで暖めました。お寿司も定番です。


オードブルも用意されていました。ビールはすべてエビスビールでした。それ以外は冷酒に日本酒の熱燗に焼酎が準備されていました。


このな感じて他の方たちも花見をされていました。


クリックすると拡大桜以外の緑道も紹介しておきます。
この緑道には都電(城東電車)の線路が通っていて、この辺りは昭和2年から昭和47年11月まで電車が走っていたそうです。それが今は歩道と自転車道路になっています。その記念に下の写真のように車輪が置かれていました。車軸は昭和28年8月製造で右の車輪が昭和40年10月で左の車輪が昭和41年4月製造だそうです。右上の写真はネットから拝借いたしました。


クリックすると拡大ここは長州藩大砲鋳造場が近くあったそうです。ここで作られた3mの青銅製の大砲は下関の砲台に設置されていましたが、イギリス・アメリカ・フランス・オランダの連合艦隊に陥落されたときにパリに持ち帰られたそうです。その大砲のレプリカです。フランス海軍によって押収された長州藩の大砲の一部は、ナポレオンが眠るパリの廃兵院の中庭に展示されています。


ソメイヨシノ以外にもきれいな桜が咲いていました。こちらはピンクの八重の桜です。


こちらは真っ白の桜です。右下に紹介の大砲の先が写っています。


花見宴会が終わって3日目の4月13日の緑道です。お花見(4月10日)から3日後ですが、ずいぶんと花が散ってしまいました。プレーボタンをクリックすると花びら散っているところを見ることが出来ます。

タグ: 東京 花見

お花見の余韻が残る飲み会は、うれしい会となりました。 [東京]

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上野のお花見の後は地下鉄で8分の日本橋に向かい予約してあったお店に向かいました。飲み会の相手の勤め先は神奈川県川崎市川崎区の川崎駅から少し離れた場所で東京に出てくるのに時間がかかるために、待ち合わせは19時15分となりました。その遅い待ち合わせ時間のおかげで上野公園の桜の花見が出来た訳です。

お店に着いて、少し待つと時間通りに相手が現れました。先ずは筑前煮のような煮物のお通しが出されました。ちょっと品のある盛り付けで雰囲気を出してくれていました。
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こちらが本日のおすすのメニューです。雰囲気的に鶏料理が得意のようです。
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本日のおすすめの中から三品を選びました。一品目は風呂吹き大根です。
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二品目は鶏天のおろしポン酢です。
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三品目は合鴨の朴葉焼きです。
今回の飲み会は、偶然にも相手の人の祝いの席となりました。
この2016年4月1日の飲み会は、2016年1月28日に私が希望して実現したのですが、相手の人が、この日である4月1日付でライン課長(正課長)に抜擢されたのでした。飲み会の日が決まったときはもちろんですが、最近まで昇進のことは知らなかったそうです。実は、この昇進は異例なことだったのです。彼は元々は私の部下でしたが、事情があって一昨年の2014年11月1日に、今の会社に転職したのです。転職してから、私との初めての飲み会でした。つまり転職して1年5ケ月で、資本金約500億円、従業員2万5千人の大企業のライン課長に抜擢されたのでした。周囲の課長の中では一番若いそうです。本人の実力もありますが、新しい会社の上司の眼力と決断力に組織の将来性を感じました。
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そんな、うれしい話を聞いては飲まずにはいられません。ビールを3杯飲んだ後は日本酒にいたしました。二種類の純米吟醸酒を3杯飲んだところで、このままの勢いだと飲みすぎると直感してビールに戻しました。そのあともビールを少なくとも4杯は飲んでしまいました。毎年、職場の近くで彼も含めて職場のみんなで花見酒を飲んでいたことも思い出しました。右がその時の写真です。
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彼が学校を卒業して、新入社員として私のところに配属になり、15年間ほど海外の案件を中心に私の元で一緒に仕事をしてきたことから、仕事の話を中心に盛り上がり、閉店近くまで飲み続けました。
こちらは京都産九条ねぎ玉子焼きです。
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偶然ではありますが新しい会社で彼が配属になった部門には、売手と買手の関係を超えた私と同年代の親しい人がいるのです。この次は、その人も入れて3人で飲むことにいたしました。それもよく飲みに行った場所が候補なのです。こちらの料理は鱧と旬野菜の天麩羅です。
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上の写真はクリックする拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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こちらは本日の鮮魚3点盛り合わせです。
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今回のお店を紹介いたします。この日が節目の4月1日である上に、金曜日で、飲み会の始まる時間も遅かったのか、注文してから飲み物や料理が出てくるのが驚くほど遅かったのが減点でしたが、料理はすばらしかったので紹介させていただきました。マークが2つありますが中央よりが今回のお店です。
  名前 個室居酒屋 しののめ 八重洲・日本橋店
  住所 東京都中央区日本橋1-2-10 東洋ビルB1
  電話 050-5784-4744
  営業 11:30~14:00 16:00~24:00
  定休 年中無休


上野公園と飲み会の場所の関係を地図で説明いたします。離れているように思えますが地下鉄の駅間(上野駅→日本橋駅)で8分の距離です、
   上野公園エリア
    上野公園桜並木( ━━ )
    個室居酒屋 しののめ
  ━━  メトロ銀座線 上野→日本橋 3.6km 8分

娘のお土産 喜多方ラーメン [土産]

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娘が地震の前に学校のみんなと喜多方あたりに旅行に行っていました。そこで買ってきたお土産がこちらです。クリックすると会津若松城での祈念撮影表示喜多方は関西から関東に引っ越してきたころに家族で旅行に行った場所でした。
その時は猪苗代湖のあたりまで行き喜多方、会津若松、磐梯山が見える猫魔ケ岳、那須高原に行きました。右の写真は猫魔ケ岳(1404m)に登った時の写真です。クリックすると別の写真を表示します。娘も小さかったのでどこまで覚えているのでしょうね。思い出の場所のお土産でした。

さっそく作って食べました。懐かしい醤油味のラーメンでした。製造元は蓮沼製麺所と書かれていました。
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地震のことが気になってネットで調べると人的な被害はなく建物も大きな被害はなかったようです。ただし、ご当地ラーメンの「喜多方ラーメン」で知られている喜多方には約120軒のラーメン店があり、年間約190万人が訪れていましたが東日本大震災後、観光客が減っているそうです。震災前は店内が多くの観光客でにぎわっていたが、福島第一原子力発電所から約100キロ離れているのに今は静まりかえっていて、平日では3分の1に客足が減ったそうです。半径20km圏内を黄色い円で描いている通り、はるかに遠いのに観光客数には影響が出てしまっています。喜多方だけではなく東北の観光の被害は大変なものだと思います。
クリックするGoogle地図を表示
子供が小さい時に喜多方に行った時に猪苗代湖畔近くの滝での記念撮影です。五色沼も行きましたが娘が小さかったので長男がおんぶして歩いたことが思い出されます。
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上野公園の桜 静止画編 [東京]

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前記事で2016年4月1日の上野公園の桜を動画で紹介したので、今度は静止画(写真)で、上野公園の桜を紹介したいと思います。今回は次の①と③を紹介いたします。前半は①の「夕刻の桜」で、後半が③の「夜桜」です。
上の写真は上野恩賜公園(通称:上野公園)の入口での17時10分の写真です。これは三枚の写真で構成されており「上野恩賜公園」と「うえのまつり」の文字が読み取れると思います。
  ①17時10分~17時44分 34分 夕刻の桜
  ②17時44分~18時01分 17分 屋台村 (掲載済み)
  ③18時01分~18時33分 32分 夜桜

下記の地図で上野恩賜公園の全体を紹介したいと思います。緑色ラインで囲ったエリア( )が上野恩賜公園で、公園内には東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園、東京文化会館、上野東照宮、東京都美術館、法隆寺宝物館、上野の森美術館などの建物や設備がある大きな公園です。公式な公園の面積は0.538k㎡ですがGoogle地図で緑の枠内の計算面積は0.645k㎡です。0.107k㎡の差は道路などの公園以外の部分だと思われます。恩賜(おんし)は天皇から賜ったものを指しています。
  名前 上野恩賜公園
  通称 上野公園
  住所 東京都台東区上野公園  旧:東京府東京市下谷区上野公園地
  面積 0.538507k㎡(538,507㎡ 東京ドーム11.5個分) 
  告示 1873年5月(明治6年) 太政官達により東京府公園に指定
  完成 1876年5月(明治9年)
  恩賜 1924年 宮内省から東京市に下賜(恩賜) 名前:上野恩賜公園
広い上野公園の中に桜並木の場所を記載いたしました。上野公園前から噴水広場までの公園内のメインストリーが桜並木になっています。
  太い赤色ライン 桜の並木道 メインストリート
  細い赤色ライン その他の散策場所 


上野公園前から公園に入ってすぐの景色です。並べられ提灯(ちょうちん)の左側が噴水広場に向かうメインストリートです。
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これが桜並木となっているメインストリートの入口です。
両側に飾り提灯が並べられているのが印象的でした。ここから奥に向かって順番に上野公園の夕刻の桜の景観を紹介したいと思います。
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道の幅を覚えておいてください。中間地点を過ぎると道幅が広がります。手を頭の上に目いっぱい伸ばして写真を撮っているので身長が215cmの人の目線の写真になっていると思います。高い位置と思われる写真はすべてこの高さで撮りました。前記事で紹介した動画も同じです。
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進むにつれて花見の雰囲気が盛り上げてくれました。
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右手に清水観音堂が見えてきます。階段を上ると清水観音堂です。
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清水観音堂に登ってみました。
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こちらが清水観音堂の正面です。
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清水観音堂からのメインストリートの景色です。
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清水観音堂の内部です。
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裏側も趣がありました。
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メインストリートに戻りました。着物姿の方もおられました。やっはりお花見で着物姿はいいです。
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ひらけた広い場所に近づいてきました。
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その開けた広い場所が、桜の並木道の中間地点です。
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中間地点の左側には小さな神社があり別の桜並木が続いていました。五条天神社と花園稲荷神社の2つがあるようです。
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中間地点から正面の桜並木を見た景色です。道幅が格段に広くなり大きな桜の木が並ぶ圧巻の景色に変ってきました。
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圧巻の桜の景色をさらに紹介します。
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この景色が続きました。
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さらにつづきます。
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さらにつづきます。
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沢山写真を撮ってしまいました。この写真はアニメーションGIFを使っています。
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並木道を完全に通り抜けて噴水広場に出ました。噴水広場の方からメインの桜の並木道を見た景色です。
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メインストリートは道が広いため道の両側には縄が張られて花見の席が作られていました。きっと早朝に席取りをしたのだと思います。
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花見席の写真をもう一枚掲載したいと思います。
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メインストリートの両側にも立派な側道がありました。メインストリートと違い人通りが少ないので、なかなかいい花見の宴席でした。みんなに見られるメインストリートの花見の席と、こちらの静かな花見の席では、どちらがお好みでしょうか。
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側道の景色をもう一枚紹介します。こちらは桜の木を中心に撮りました。右側にメインストリートがあります。メインストリートの東側にある側道です。
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メインストリートに戻りました。
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歩いて来た方向に振り返った景色です。
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巡回の警察の方も雰囲気を大切にするために提灯(ちょうちん)を持って歩いておられました。将来は江戸時代の服装にすることも検討してほしいです。半被(はっぴ)だけでもいいかもしれません。
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こちらが、その提灯で上野警察署と書かれていました。
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冒頭の地図で細い赤色ラインの散策ルートには花見宴会が沢山出来る広いエリアがありました。後半の夜桜紹介の時にも、こちらの場所の写真を掲載いたします。
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全員が着物姿の若いグループの方もおられました。沢山の外国人の方から一緒に記念写真を撮りたいと頼まれていました。
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冒頭で予告した通り、ここからは、屋台村を見た後の夜桜を散策しながら撮った写真を紹介します。時間は18時01分から18時33分で、本当の夜桜の時間帯では無いけれども東京駅近くで知り合いと飲む時間が近づいて来たので早めに切り上げました。でも、夜桜の雰囲気はお伝え出来ているのかもしれません。
こちらが屋台村があった噴水広場からの景色です。少し暗くなってきました。
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先ずは圧巻のメインストリートの桜並木を噴水広場から南に歩きながら撮りました。
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少し進んで撮った写真です。
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さらに進みました。
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さらに進みました。
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側道の景色も紹介します。左側にメインストリートがあります。夕刻の記事で紹介した側道とは反対側、つまり西側の側道です。
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上野大仏がある高台から見たメインストリートの景色です。
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取材クルーが活躍する時間となりました。見かけただけでも3つの取材クルーがカメラを回していました。撮影のために桜の木を取材陣が特別にライトアップしていました。
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花見の席の人にレポーターがインタビューをしているようです。こんな光景があちらこちらで見受けられました。
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照明が当たった桜の花はきれいでした。
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暗くなって時間と共にライトアップの効果が出てきているように感じました。
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ここが前半でも紹介したメインストリートの中間地点です。
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中間地点から入口の方は、少し道が細くなります。でも夜桜の雰囲気は広い通りよりある気がします。
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清水観音堂もきれいにライトアップされていました。
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提灯が並ぶ景色は趣があります。
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提灯をアップいたしました。
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前半の夕刻の桜の景色で紹介した花見宴席のエリアの写真です。
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花見宴席エリアに沿った道も沢山の人であふれていました。
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西郷隆盛像も偶然に見つけました。そろそろ上野公園を離れる時間になりました。
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上野の山を下りると冒頭の場所に出ます。
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JR上野駅方向も夜の景色に変っていました。
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京成上野駅から南方向の景色も夜の景色でした。
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提灯に書かれている名前は桜祭りに協賛している会社や組織だと思います。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。その会社や組織を紹介いたします。
関マーク、上野地区町会連合会、黒門町々会、東黒門町町会、坂町同朋町親和会、長者町二丁目町会、仲御徒町中町会、仲徒三四町会、下谷町町会、上野三橋五條町町会、上野広小路町会、株式会社一場、池端中町町会、元黒門町会、上野東広小路会、池端二丁目町会、上東坂町会、清水観音堂、朝日信用金庫、アブアブ赤札堂、伊豆榮、韻松亭、賛光電気産業㈱、上野さんとも、うさぎや、上野バンブーガーデン、NTT東日本、グリーンパーク、精養軒、JR東日本上野駅、アトレ上野、東京メトロ上野駅、焼肉太昌園、もつ焼大統領、てんぷら天寿ゞ、摩利支天徳大寺、東天紅、東宝株式会社、松坂屋上野店、上野マルイ、ヤマシロヤ、吉池、和光ハトヤ、上野廣小路商業協同組合、アメ横商店街連合会アメ横センタービル共同組合、上野駅前一番街商店会、上野中央通り商店会、上中、上野二丁目仲町通り商店会、上野6丁目商店会連合会、御徒町駅前通り商店会、上野ホテル旅館組合、御徒町通り会、株式会社上広、㈱上菱、㈱上野百貨店、都響
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冒頭の写真の上野公園入口も夜の雰囲気になっていました。これは冒頭の写真のように三枚の写真で構成されており「上野恩賜公園」と「うえのまつり」の文字が読み取れると思います。
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上野公園の桜 動画編 [東京]


昨日の前記事で2016年4月1日の上野公園の桜まつりの屋台村の様子を紹介いたしました。やはり本命の桜の花見を紹介は必要ですね。
最近の外国人の桜のお花見ブームのおかげで、私の経験による判断にすぎませんが、「世界一有名な花見の場所」あるいは「世界一にぎわう花見の場所」と言える上野恩賜公園(通称:上野公園)の桜並木を、動画で紹介いたします。動画の初期画面の正面の遠くに見える建物は東京国立博物館です。
上野の桜に興味がある方はプレーボタン( )をクリックして上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)のお花見をお楽しみください。

太い赤色ラインが上野公園のメインの桜並木道ですが、南から歩いてきて、最後の空色ライン(━━)のところで、歩きながら動画を撮りました。撮影は17時16分から始めて2分27秒間ほどで、距離的には100mを紹介しております。
前から歩いてくる人を避けながら撮っているのが判ってもらえるでしょうか。


タグ:上野 花見

上野の花見のもう一つの楽しみ 屋台村 [東京]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2016年4月1日に日本橋の東京駅近くで知り合いと飲む約束がありました。知り合いは会社が終わってから川崎から出てくるので待合わせ時刻は19時15分のため、時間があったので上野恩賜公園(通称:上野公園)の桜を一人で見ることにいたしました。上野公園の最大の桜の並木道が上の写真です。この桜の並木道は京成上野駅から噴水広場に続いています。この桜は噴水広場から、歩いて来た桜並木の方向を撮りました。この並木道の奥に京成上野駅や西郷さん銅像があります。写真の右側に上野動物園の入口がある場所です。取材クルーも沢山見かけました。お花見は世界に知れ渡り始め、お花見を目的に日本を訪れる観光客も増えてきたように思います。そんな桜のお花見ブームのおかげで上野公園は「世界一有名な花見の場所」あるいは「世界一にぎわう花見の場所」と言えるのかもしれません。

上野公園噴水広場には沢山の屋台が集まっているエリアがありました。呼び方がわからないので屋台村と呼ばせていただきます。下記の地図に追記させていただいているように屋台村(屋台エリア)には屋台が紫色のラインのように沢山の屋台が3列並んでいました。赤色ラインが桜の並木道で、その正面に屋台村がありました。


屋台村は楽しい雰囲気だったので写真を紹介したいと思います。この写真は上の写真で2と3の間の通路です、つまり左側が2の屋台で、右側が3の屋台です。正面に見える建物は東京国立博物館です。
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こちらは1の屋台と2の屋台の間の通路です。やはり正面の建物は東京国立博物館です。
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斜めから撮りました。一番右の洒落たところではスパーリングワインを売っており、桜色のワインを買って持ち歩いている人が沢山おられました。ワインの名前はCHANDONのように読めます。そのほかビール、ワイン、日本酒とアルコールに関していろんな場所で売られていたので好きなものが飲めると思います。ただし少し寒い時期なので防寒は考えていた方がよいと思います。
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屋台村の中から桜並木道の方を撮りました。
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それではいろんな屋台を紹介したいと思います。これは肉の串焼きです。豚カルビと牛タンと牛カルビの3種類ですが、ボリュームがありました。値段が気になります。
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こちらは忍者体験が400円で出来るコーナーです。忍者グッズも売っていました。伊賀市観光協会の主催のようです。
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最も行列が出来ている屋台がこちらです。早い時間帯でもこれだけの行列が出来ていました。このあと、行列が出来る屋台が時間と共に増えてきました。
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反対側から見た最も長い行列が出来ていたお店です。名前は「どさんこ大漁焼」と名前が付けられていました。
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そこで売っていたのはイカとホタテでした。
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背が高い屋台もいくつかありました。トラックの荷台なのです。写真の左側にトラックの運転席があります。これなら設営が楽ですね。こちらのお店も行列が出来ていました。鶏の唐揚げのお店です。
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こちらは、つくね串のお店です。これも美味しそうです。
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ラムチョップのお店です。写真を撮ったときは行列は出来ていませんでしたが、後で前を通ると長い行列が出来ていました。テレビに出たことがあると並んでいる人の話し声が聞こえました。
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上の写真はクリックすると拡大しますがクリックの面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大します。左側に焼けたラムチョップが並べられていないのは、焼けたらすぐに売れてしまうためだと思います。
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このようにテーブルが並べられたエリアが2ケ所ほど用意されていましたが、空いている席を探すのは大変でした。
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見ていると食べたくなりますが、19時15分から日本橋で飲む予定なので我慢していました。でもやっぱり食べたくなるので、こちらのホタテをいただくことにいたしました。ただしアルコールは我慢いたしました。
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これが私が買ったホタテです。500円でした。
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厚肉の貝柱がホクホクでした。
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この写真のテーブルエリアでホタテをいただきました。
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少し暗くなったので遠くに見える桜並木に戻って夜桜は楽しむことにいたしました。屋台村から桜並木の方を見た景色です。
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屋台村と桜並木道との位置関係が判るように、地図に追記いたしました。
上野恩賜公園は「うえのおんしこうえん」と読みます。聞きなれない恩賜(おんし)とは天皇から賜ったものを指しています。つまり恩賜公園とは宮内省が御料地として所有していた土地を、公に下賜(恩賜)し整備して公園にしたもので、上野恩賜公園の場合は1924年に、当時の東京市に下賜された土地に作った公園です。太い赤色ラインがメインの桜並木で、細いラインも散策いたしました。
京成上野駅は地下なので地上では駅は見えませ。


クリックすると拡大下の写真は冒頭の写真と同じで、屋台村から桜並木に戻るときに撮った写真でした。この時の時間は18時01分でした。屋台村を散策始めたのが17時44分なので17分間ほど屋台村を楽しませてもらったことになります。いろんなものが食べれるので、ここで仲間と飲み続けるのもいいかもしれないと感じました。右上が17時44分の写真です。17分間で、かなり暗くなったのが判ってもらえると思います。
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Googleのストリートビューで屋台の無い時の上野公園噴水広場の画像を掲載します。撮影された時期は噴水広場を作るための工事を行っている頃なので完成した2012年4月以前の景観です。正面に見える建物は東京国立博物館です。画像は回転させることが出来るので桜並木道の方も見ることが出来ます。

イワシハンバーグ [料理]

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テレビでイワシハンバーグをやっていたので無性に食べたくなり、冷凍で買ってあった銚子産のイワシハンバーグを食べることにしました。

タレは定番の大根おろしに「なめたけ」に「ぽん酢」にしました。
上の写真が「ぽん酢」です。

アッサリも美味しいけれど、とろみがあるのも、いいような気がしたので冷蔵庫で探し出してきたのが、とろみのある和風ドレッシングでした。

これをかけたみたのが、下の写真です。見た目もさらに美味しそうになりました。食べてもグーでした。子供にも大好評でしたので紹介いたしました。
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16歳でも得意技の扉開けが出来ます。 [むさし]



すでに前記事で紹介の通り2016年4月4日は我家のムサシの16歳の誕生日でした。そんな中でムサシの得意技であるドアを手前に引いて開ける扉開けの動画を撮ることが出来たので紹介します。動画は2016年4月5日に撮りました。ドアのノブに前足をかけた後にあとすざりしなければならないので足腰に負担がかかります。16歳でこれが出来るのはすごい気がします。
是非ともプレーボタン( )をクリックして10秒間の動画を見てください。
前記事の中にも追加いたしました。
初めて開けられるようになったムサシの年齢です。
  押して開ける    6歳8ケ月
  引いて開ける    8歳4ケ月
  スライド式扉   13歳5ケ月
  今日の動画は   16歳と1日
   14歳とそれ以前の扉開けの動画の記事 → ポチッ

4月6日の朝の散歩でムサシの走っている姿の動画が撮れたので追加掲載いたします。最初は歩いていましたが、曲がり角に近づくと小走りになり、曲がったとたんに、猛然と走り始めました。道路を渡ったところで残念ながらカメラの電池が切れてしまいました。道路を渡るときはスピードを落として左右を確認しているようでした。この後は、またスピードを上げて、家まで走って帰りました。走り始めたのは早くおやつが食べたかったのだと思います。
道路には桜の花びらも沢山落ちており、一瞬ですが桜の木も写っています。桜の季節の記念の動画となりました。

今日、我が家のワンコが16歳になりました。 [むさし]

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我家のワンコ(名前:ムサシ)の誕生日は16年前の2000年4月4日です。そう、今日2016年4月4日が我が家のムサシの16歳の誕生日です。誕生日の元気に走る姿の動画を掲載したくて早朝の散歩でカメラを持って出かけました。玄関を出るまではすごい勢いでしたが、出たとたんに足が止まりました。ムサシの苦手な雨でした。大雨だったら、ここで家の中に戻ってしまいます。ただし小雨なので、少し促すと散歩に出かけました。
クリックすると拡大クリックすると拡大右の写真は0歳の時の写真です。
 名前  むさし 
 犬種  ビーグル 雄
 誕生日 2000年4月4日
 生まれ 日本大学 獣医学部

やはり、小雨だといつもの勢いがありません。晴れた時の写真は追加で掲載したいと思います。その日によって、散歩は長かったり短かったりと結構、気まぐれな散歩なのです。4月2日には、いつもの3倍(2km)近くの散歩で半分以上は走っていました。さすがにこちらが息が切れるほどでした。
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先ずは、一番近い空き地まで行っておしっこです。
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小雨のためか、すぐに自分で家にUターンでした。散歩での歩く距離はムサシ本人に任せているのです。画像は明るく見えますが小雨の上に早朝なので、見た目よりも暗くて写真はぶれて鮮明でないのはご了解願います。振っているしっぽが、ぶれているのが分かってもらえると思います。
この一年は、2015年6月8日に脾臓の摘出手術を受けるなど大変でした。
一度は「いつ死んでもおかしくない」と先生に言われるほど肝臓症状が悪化して、手術も受けられない状態でした。肝臓の治療薬を飲ませながら手術を受けさせるために一時的にステロイドも飲ませて少し元気を取り戻して、脾臓の摘出手術を受けたのでした。
  手術の記事はこちらです。→ポチッ
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家に帰ってきておやつを待っている顔です。
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天気のためなのか2016年4月4日の朝の散歩での走る姿が紹介できなかったので、4日前の2016年3月31日に撮った動画を紹介します。本当は散歩中、最後まで走り続けた4月2日にカメラを持っていけばよかったのですが、ちょっと残念です。でもこの動画でも片鱗は見せてくれていると思います。是非ともプレーボタン( )をクリックして動画を見てください。


ムサシの得意技である扉を引いて開けの扉開けの動画を撮ることが出来たので紹介します。動画は2016年4月5日に撮りました。16歳でこれが出来るのはすごい気がします。こちらも是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。


我家には生後1ケ月24日目の2000年5月28日に来ました。これが最初のムサシの写真です。予防注射前で免疫がないのでお出かけ禁止でした。ムサシが乗っかっているのはテッシュケースにかぶせる犬のぬいぐるみカバーです。小さかったです。

約30種類の安徽料理での懐かしいメンバーとの会食でした。 [安徽省]

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中国に着いた翌日2016年3月24日は16名で中華料理をいただきました。日本人が4名で中国の方が12名でした。驚いたことに日本人の4名の中の3名は1995年9月~1998年2月に行われた発電プロジェクトの関係者でした。12名の中国側の人達は、そのプロジェクトの対象だった会社の人達でした。さらに驚いたことに12名の内、5名がプロジェクトが行われた工場の人達でプロジェクトにも関わっていたのです。つまり約20年ぶりの人が8名(3名+5名)も入っていたのでした。

これが紹介の発電プロジェクトの1995年9月7日の契約サインの写真です。左側が中国側のT氏で、右側が私です。T氏とは20年6ケ月前でから関係が続いているのです。
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こちらが今回の会食の写真です。真中が上の写真のT氏で、右側が私です。
大きなガラスの回転テーブルは電動で回ります。
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宴会のためにお土産として日本から持ってきた純米大吟醸酒です。新潟の越後鶴亀純米大吟醸です。
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16名の宴会であったことから料理の種類も少なくとも21種類が出されました。少なくとも22種類と書いたのは写真に写っていたのが21種類で、すべての料理の写真を撮った自信がないからです。それだけ乾杯乾杯で盛り上がったからです。時間や状況から約30種類の料理が出たと思います。その写真を撮った21種類の料理を順番に紹介します。中華料理の種類は安徽省を代表する安徽料理です。安徽料理は中国八大料理の一つです。
 1. 山東料理 魯菜    2. 四川料理 川菜    3. 広東料理 粤菜
 4. 福建料理 闽菜    5. 江蘇料理 蘇菜    6. 浙江料理 浙菜
 7. 湖南料理 湘菜    8. 安徽料理 徽菜
1番目の肉料理です。
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2番目はハス(蓮)の茎の料理です。茎に小さな穴があるので判りました。
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3番目は魚の唐揚げで、私が希望いたしました。
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4番目は汁もの料理でした。安徽料理は味の濃い料理が多かったです。少し辛い料理もありましたが四川料理ほどの辛さはありませんでした。
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5番目の料理できれいに飾り付けられていました。
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6番目は桂魚を煮つけた料理でした。淡水魚ですが海のスズキの種類の魚で、淡白な白身が特徴でした。中華理に使われる魚は生簀で生きていた魚か使われるのでころころとした身が特徴です。
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7番目は蕎麦のような麺料理でした。
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8番目は汁ものの料理でした。今回は汁ものの料理が多かったです。
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9番目の料理は見ての通りスッポンの姿煮でした。スッポンの姿煮は初めて食べたのですが、意外に美味しいのに驚きました。
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10番目は野菜利用理でした。
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11番目は汁もので肉が入っていました。スープと具を楽しむ利用理でした。
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12番目も肉利用理ですがアスパラガスが沢山入っていました。
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13番目はゴボウ料理でした。上に乗っているのはニンニクとネギです。
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14番目はイカ利用理でした。
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15番目は肉と芋を甘辛く味付けしたものでした。
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16番目はスープでした。
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17番目は玉子とじのような料理でした。
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18番目も汁ものでした。
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19番目はチャーハン? と思ったら!
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チャーハン(炒飯)ではなく、実は薄いおこげで覆われたスープだったのです。オコゲが入ると、なかなか美味しいスープになりました。きっとオコゲの入ったスープの美味しさは想像してもらえると思います。
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20番目も汁もので不思議な食材に海老とハムが入った利用理でした。
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21銀目はブロッコリーの料理でした。料理の写真はここで終わっていました。宴会が始まって1時間しか写真を撮っていないのです。最終的に宴会が終わったのは、この料理を撮ってから1時間20分後だったことからさらに沢山の料理が出されたと思います。約30種類の料理が出されたと推測したのはそのためだったのです。最後は果物が出されましたが写真は撮っていませんでした。
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レストランの入口で記念写真を撮りました。T氏と私(SORI)がわかるようにいたしました。


レストランの名前は和府飯店で、安徽省蕪湖市の赭山公园(赭山公園)の中にありました。泊まったホテルから875m(━━)の距離にありました。レストランの裏が動物園で、窓から動物たちが見れました。広済寺も近くにありました。隣の陸和村茶館ではお茶を飲んだこともありました。
 店名 和府饭店(和府飯店)
 住所 安徽省芜湖市镜湖区九华中路207号
    安徽省蕪湖市鏡湖区九華中路207号
 電話 0553-522-7777
  和府飯店
  海螺国際大飯店 泊まったホテル
  広済寺


夕刻からよるで暗いこともあり、レストランの写真を撮っていなったのでネットから2枚の写真を転用させていただきました。最初の写真がレストランの入口です。記念写真を撮った場所だと判ると思います。

静かな庭園の中のレストランでした。

フランスの郵便ポストの色は何色 [パリ]



海外に行くと郵便ポストの色が気になるので写真を撮るようにしています。パリの街角で撮った郵便ポストは黄色でした。日本、イギリス、インド、バハマは赤ですが、赤以外のポストも多かったです。中国は緑でイタリアはエンジ色でした。ドイツ、バチカン、ウクライナは黄色だったと思います。

上の写真の郵便ポストは小さいけれど、大きな郵便ポストもありました。
左のポストの口には「Paris - Banlieue」と書かれているので翻訳機能で確認するとパリ近郊用のポストのようです。右のポストの口には「Autres départements」と「Etranger」と書かれています。こちらはその他の地域と海外用のようです。
上の小さなポストは一つですが、口が2つ付いていて同じように書かれていました。


こんな感じでポストが置かれていました。 ポストに書かれているLA POSTE(ラ・ポスト)はフランス郵政公社の呼名です。

追伸
上で記載のようにヨーロッパではドイツとバチカン市国が黄色でした。みんこさんからのコメントでスイスも黄色だと知りました。でも不思議とスイスでは郵便ポストの写真を撮っていませんでした。そこで町の中の沢山の写真の中の右の写真に偶然に黄色い箱が写っているのをみつけました。みんこさんから「たぶんポストでしょう。」のコメントをいただきましたので紹介させていただきました。ドイツとバチカン市国に関しては、そのうちに記事に書かしていただくつもりです。 

上海の2つの車規制 大気汚染と渋滞対策 [上海]

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2016年3月26日は安徽省の蕪湖から沪渝高速公路(滬渝高速道路)を通って上海に来ましたが、最後の料金所である徐涇収費站を通過してから大渋滞となりました。いつも平日の通勤時間帯にあたる夕方に地方から上海に戻って来ることが多く、渋滞にはうんざりしていました。この日は土曜日だし昼ごろなので多少はましではないかと期待していましたが、見事に期待を打ち砕かれてしまいました。

上の写真は何気ない渋滞の景色ですが気になる標識が2枚あるので拡大いたしました。写真の左右両端の標識です。ある種の車が上海に入るのを規制しているものでした。
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さらに標識だけをそれぞれ拡大してみました。
標識の説明には「2005年前的国Ⅱ标准汽油车」と書かれていました。「标准汽油车」はレギュラーガソリン車なので、2005年以前の排ガス基準「国Ⅱ」のガソリン車は上海に入れなくて、ここで高速道路から降りるように指示していると思われました。「国Ⅱ」は「ユーロⅡ」に相当します。
この車の規制は深刻な大気汚染のための対策で、2015年12月14日に上海市交通委员会/上海市环境保护局/上海市公安局によって施行されました。S20と呼ばれる外輪道路の内側には入れないようです。


上海には、もう一つ、車の通行の制限があります。上海のナンバープレート以外の車は7時~10時と16時~19時は上海市内の高速道路を走ることが出来ないのです。ただし一般道路は走ることが出来きます。これはかなり以前からあった規制で、地方から上海に戻って来る場合は上海に近づくと高速道路を降りて一般道路を走るのですが、一般道路が地獄の大渋滞になるのでした。上海のナンバープレートとは「」と書かれたものですが、その中でも市街地に相当する「沪A、沪B、沪D、沪E、沪F」が走行できるのです。上海の車であっても、郊外を表す「沪C」等は外の省のナンバープレートと同様に規制されます。ちなみに「沪」は日本の漢字では「滬」です。「沪」をYahoo翻訳で中国語→日本語とすると「上海」になりました。
一番目の「外省市号牌」が上での説明した対象車です。
二番目の「出祖空车」は空車のタクシーだと思われます。
三番目の「实习车」は実習車のようです。
これのもとになった規制は2002年12月16日から始まったようです。
下に「除周六、日法定假外」と書かれているので、土曜日(周六)や法廷の休みは対象外、つまり平日のみの規制です。
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黄色いマーク( )の料金所(収費站)を過ぎたあたりに両方の規制の標識がありました。最初が2005年以前の車の標識で、次に他省の車の規制の標識がありました。青いラインが走ってきた道路です。2005年以前の車が入れない境界になっているS20の外环高速(外輪高速)が分かってもらえると思います。地図内で薄い緑色を着色した部分が古い車を規制している範囲です。周囲97.2kmで広さ664k㎡です。緑色マーク( )は宿泊した日系の花園飯店です。
   高速道路の料金所
   花園飯店(Okura Garden Hotel)
   上海浦東空港