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河童橋 [上高地]


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2014年10月21日に蓼科の友人宅から車で沢渡駐駐車場まで来てシャトルバスに乗り換えて大正池で降りて散策路を河童橋まで歩きました。諏訪から松本までの高速道路で事故渋滞で到着が遅くなったことから、歩くのは河童橋までといたしました。本当は明神池にも行く予定でした。それでは河童橋を紹介いたします。
上高地の人工物の中で最も有名なのが河童橋ではないでしょうか。自然を売りにしている上高地で、どうしてこれほど有名なのかと思ってしまうほど有名で、上高地と言えば河童橋と言われるほどのシンボル的な存在になっています。
今から123年前の1891年(明治24年)に初めて、この場所に橋が架けられたそうです。橋は過去に4回架け替えられており、現在が5代目だそうです。最初は丸太の「はね橋」でしたが1910年(明治43年)に「吊橋」に変更したそうです。右の写真はネットに掲載されている晴れている時の写真です。
クリックすると拡大 1891年(明治24年) 初代の丸太の跳ね橋設置
 1910年(明治43年) 吊橋に架け替え
 1930年(昭和05年) 橋の架け替え(2代目)
 1957年(昭和32年) 橋の架け替え(3代目)
 1975年(昭和50年) 橋の架け替え(4代目)
 1997年(平成09年) 橋の架け替え(5代目)

現在の5代目の河童橋は全長37m、幅3.1m、長さ36.6mのカラマツ製の橋です。晴れていれば右上の写真のように、この橋から上流側には穂高岳や前穂高岳、下流側には焼岳などの山々を望むことができます。
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約100年前の初代の吊橋(1910年~1930年)の写真が案内板にあったので紹介します。クリックすると拡大するので当初の吊橋の雰囲気が判ってもらえると思います。
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さらに、初代の河童橋と思われる写真を2枚紹介します。
左の写真の背景の山は下流側にある焼岳です。クリックすると初代の吊橋の写真の中で最もクリヤーな写真を拡大表示します。
右の写真は、背景に映っている建物から、上の写真とは反対側から撮ったものだと思われます。クリックすると別の初代の写真も掲載いたします。
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クリックすると広い範囲を表示初代の丸太の跳ね橋と思われる貴重な写真を見つけました。この橋は1891年(明治24年)から1910年(明治43年)までの19年間ほど使われていました。跳ね橋と言っても可動するのではなく川の両岸から太い丸太を組んだ橋が突き出してつながっている構造のようです。この橋は1910年に吊橋になりました。
写真をクリックすると山の背景も入った拡大写真を表示するので、この橋が下流側から見た河童橋であることが判ると思います。
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2代目の河童橋(左)の写真と3代目の河童橋(右)の写真をネットから転用させていただきました。2代目から欄干がつけられ現代の5代目に近い形をしています。
初代の写真は比較的見つけられますが、2代目~4代目の写真は珍しいです。この2代目の写真は戦前の写真だそうです。つまり1930年~1941年の間に撮られた貴重な写真です。
   2代目河童橋 1930~1957年    3代目河童橋 1957~1975年
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こちらが4代目の河童橋(1975~1997年)です。こちらの写真もネットから転用させていただきました。5代目よりも6m短かったそうです。4代目河童橋の欄干の一部は今でも上高地ビジターセンターに保存されています。
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河童橋という名前の由来には次のような諸説ありますが特定には至っていません。
 ・昔ここに、河童が住みそうな深い淵があった。
 ・橋の無かった時、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に似ていた。
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芥川龍之介が上高地と河童橋を舞台にした小説「河童」を1927年に発表したことで河童橋の名前が広く知られるようになったそうです。1927年は初代の吊橋(1891~1910年)の時代だったことになります。
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すでに梓川の記事で紹介した河童橋の上からの景色です。左が上流の景色で右が下流の景色です。
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河童橋の前にある五千尺ホテルの隣の売店の2階にある河童食堂で昼食をとることにいたしました。


この食堂からは河童橋がよく見えました。
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其の食堂から撮った河童橋の写真が冒頭の写真でした。
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この食堂の名物である美味しい水です。前に置かれているのはてブルの上に置かれているサービスのクッキー「上高地五千尺そばクッキー」です。五千尺はここの標高1500mからネーミングされたのだと思います。


頼んだのが「河童そば」でした。四角い器ですがれっきとしたキノコと山菜が沢山入った日本蕎麦です。
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蕎麦であることをわかってもらうために拡大いたしました。


メニューで後から気が付いたのが、河童食堂の隠れた名物と書かれていた「岩魚甘露煮そば」でした。これは食べてみたかったです。
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ネットにあった河童橋のライブ映像です。画面の中心のプレーボタン( )をクリックしてみてください。現在の映像(ライブ)なので、夜の場合は真っ暗です。明るい時に見てください。現在の上高地の天気も判ると思います。このライブ映像は五千尺ホテルによって2014年10月11日に開始されたそうです。


今回の記事にて上高地の報告を終了いたします。今までに掲載させていただいた上高地に関する記事です。タイトルをクリックすると記事を表示いたします。航空写真をクリックすると河童橋からのストリートビューを表示します。
クリックするとストリートビュー 河童橋
 紅葉と雨の梓川
 田代池
 自転車で行った上高地
 雨の「紅葉の大正池」
 蓼科から上高地へ
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紅葉と雨の梓川 [上高地]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上高地を流れているのが梓川(あずさがわ)です。2014年10月21日の大正池から河童橋の間の梓川の景色を紹介します。この日は生憎の雨でしたが、紅葉の季節での雨の梓川も趣があるものでした。
大正池の少し上流の梓川です。大正池を過ぎたあたりは梓川から散策路が離れていますが、散策路から梓川に出る道があり、そこから下流側を撮った景色です。こちらの方向に大正池があります。

同じ場所から上流側を撮りました。この辺りの標高は1500mです。
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梓川は上高地の周囲の山を水源として上高地を流れて大正池を通ったあと国道158号線沿いを流れて松本の町の少し北の大字島内で奈良井川と合流して犀川と名を変え、最後は信濃川となって新潟の近くで日本海にそそぎます。
 延長      65 km
 水源の標高  3,180 m 槍ヶ岳 中岳 常念岳 蝶ケ岳 大滝山など
 流域面積   559 km²

大きな地図で 梓川 を表示します。
散策路を進むと梓川に沿って歩くようになります。
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整備された散策路なのでゆっくりと梓川を見ながら歩くことが出来ました。


田代橋に到着いたしました。大正池と河童橋の中間地点です。


田代橋から下流側を見た景色です。この川沿いを歩いてきました。
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田代橋から上流を見た景色です。
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田代橋から河童端の間の梓川はいろんな景色を見せてくれます。
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遠くに河童橋の辺りにある建物が見えてきました。
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さらに散策路を進むと河童橋が見えてきました。
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河童橋から上流側を見た景色です。
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こちらは河童橋から下流側を見た景色です。左側の川沿いを歩いてきました。
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黄色のラインの散策路から写真を撮りました。冒頭の写真は航空写真の左下端の場所から撮りました。

より大きな地図で 梓川 を表示

田代池 [上高地]


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大正池から河童橋の間に田代池があります。上の写真のように田代池は趣のあるところでした。ただし田代池は沢山の木で隠れてしまっていることから、田代池から水が流れ出るところの少しの隙間から見ることになります。つまり木の奥に大きな田代池が隠れているのです。

黄色のライン( ━━ )が散策路ですが、田代池は散策路から少し離れていることから、立ち寄らないで通り過ぎてしまう方もおられました。大正池の方(航空写真の下側)から歩いてくると案内板に右方向に田代池と書かれていて、左方向に河童橋と書かれて、つい河童橋の方に行ってしまうのではないかと感じました。田代池まで距離が無いので立ち寄ることをお薦めします。この航空写真からも水路の奥に大きな田代池が広がっていることが判ってもらえると思います。

より大きな地図で 蓼科→上高地 を表示
少し離れて撮りました。手前の砂利の部分が見学場所です。田代池は大正池とともに、大正時代の1915年に焼岳の噴火により流れ出た溶岩が梓川左岸の支流である千丈沢をせき止めたことでできた浅い池です。六百山や霞沢岳からの伏流水が湧き出ていて水がきれいです。水の透明度が高く、イワナなどの川魚が生息しているそうです。周囲は猿などの動物が多く見られるそうです。そういえば熊に注意の看板を見かけました。
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少し場所を変えて撮りました。
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水が流れて来るところを横から撮りました。
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水の下流側の景色です。この辺り全体が湿原地帯で水面が出ているところが田代池なのです。
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田代池の周りは広い湿原が広がっていることが判ってもらえると思います。
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その湿原の中に小川が流れているのです。今は草が枯れていますが、初夏から夏にかけては緑に覆われて沢山の花も咲いていたと思います。
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田代池の場所を地図で紹介します。地図内の 田代池 と書かれたところです。大正池に比べると小さな池ですが、趣がありました。
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黄色のライン( ━━ )が今回歩いた散策路です。左下の大正池から河童橋に向かって歩きました。我々が歩いたのは梓川沿いのコースですが田代池を過ぎたあたりから林間コースで河童橋に向かうコースもありました。散策路の風景も紹介いたします。

より大きな地図で 上高地散策路 を表示
こちらはクマザサに覆われた散策路です。
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こちらも散策路です。散策路もいろんな景色を見せてくれます。広い散策路が整備されて歩きやすかったです。
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自転車で行った上高地 [上高地]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

より大きな地図で 自転車が通った道8月12日~14日 を表示
前記事で2014年10月21日の上高地の大正池を紹介しました。その中で昔、会社に入社4ケ月目の22歳の時に自転車で上高地に来た時の写真も掲載させていただきましたが、その時に自転車で通ったルートを上の航空写真で赤色と青色のラインで示しています。ルートの色を変えているのはは車では走れない登山道(ハイキングコース)だからです。車で行く場合は緑色ルートで行くことになります。
走ったのは8月12日~14日で、八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々→徳本峠( )→明神橋→河童橋→大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山と通りました。
その時の写真を走った順で紹介したいと思います。
 ①<<八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々>>
 ②<<島々→徳本峠→明神橋>>
 ③<<明神橋→河童橋→大正池>>上高地
 ④<<大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山>>


①<<八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々>>
自転車は輪行袋に入れて8月12日に新大阪の列車に乗り、午後に左の写真の八千穂駅に到着して、すぐに麦草峠に向かいました。右の写真が麦草峠への道です。
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左が麦草峠を通る道で右が白樺湖です。この日は霧ヶ峰に持って行ったテントで泊まりました。
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②<<島々→徳本峠→明神橋>>
ここからが青色ラインの車では通れないルートの紹介です。
徳本峠(とくごうとうげ 2135m)辺りが険しいことが判ってもらえると思います。


島々から入ってしばらくすると徳本峠の表示がありました。国道158号線から入った島々の表示もありました。右の写真は道沿いの渓流です。
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左のような木で出来た道も長くつづいていました。右の写真は徳本峠への最後の急坂を登る手前の渓流沿いにある有名な山小屋の岩魚止小屋です。これ以上は岩魚も上れないないほどの急流という意味なのでしょう。
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クリックすると拡大徳本峠に着きました。 右の写真は乗鞍岳(3026m)に登った時の写真ですが、乗って走れない時には右の写真のように担いで進みます。今回のルートである島々から徳本峠を越える道は江戸時代の寛文年間から、木材の搬出や炭焼きなどの生活を支えるルートであったそうです。弘化年間に徳本峠から上高地へ下った白沢出合に「徳吾の小屋」の牛番小屋があったことが、「徳本峠」の名称の由来の一説とされています。1894年に志賀重昂が徳本峠越えを行ったそうです。1895年測量の国土地理院の5万分の1の地形図には徳本峠の名称が記されていました。クリックすると拡大1923年に上高地温泉株式会社が徳本峠小屋を開業し1927年に上高地が日本新八景に選定されると、徳本峠越えの上高地へのルートがメインルートとし多くの人に利用されました。右の小さな写真はネットから用させてもらった徳本峠付近からの穂高連峰の写真です。そして下の右側の写真は私が撮った徳本峠から穂高連峰を見た景色です。
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徳本峠あたりの地形図を表示しました。険しい道であることが判ってもらえると思います。1927年に釜トンネルが出来て1933年に上高地にバスが乗入れられると、徳本峠を利用する人は少なくなったそうです。その後、徳本峠小屋は「昔ながらの峠の小さなランプ小屋」として親しまれるようになったそうです。日本アルプスを世界中に紹介したウォルター・ウェストン(Walter Weston)も、このルートで上高地に入りました。今でもウェストンをたたえるウェストン祭が上高地で行なわれています。

より大きな地図で 徳本峠 を表示


③上高地<<明神橋→河童橋→大正池>>
徳本峠からは地図内の 明神 の辺りに出てきました。この上高地で前日同様にテントで一泊いたしました。
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左が上高地を流れる梓川(あづさがわ)の景色です。その梓川にかかる吊橋が右の写真です。この橋は今回の記事を書くまでは名前が判りませんでしたが、ネットで検索して背景の山々の形から明神橋であることが判りました。現在の橋と違い、当時はコンクリート製の支柱の吊り橋でした。
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こちらがネットから写真を転用させていただいた2003年にリニューアルされた現在の明神橋です。
この明神橋の背景の山々の形から上の吊橋が明神橋であることが判りました。上高地には下流側から田代橋、河童橋、明神橋、新村橋、横尾大橋との5つ橋があり、田代橋以外は吊橋なので、今まで上の吊橋の名前が特定できていませんでした。上の左側の写真も明神橋の上から撮ったものであることが山の配置から判りました。


こちらが自転車で訪れた時の大正池です。立ち枯れの木が今よりも見事でした。正面の山が焼岳です。


同じ場所での記念写真です。ちゃんと自転車で行った証拠のために撮りました。この写真と上の写真は前記事で紹介した写真の拡大版です。


前記事で紹介した現在の2014年10月21日の大正池の景色です。同じ場所です。
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④<<大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山>>
上高地から高山までで残っているのは、下の平湯峠の写真だけでした。
クリックすると拡大右の写真は、今回、シャトルバスの中から撮った釜トンネルです。実は自転車で上高地に行く時の登りの釜トンネルはサイクリング仲間の間で、難所中の難所であることが有名でした。釜トンネルの総延長は1310mの薄暗いトンネルで最大勾配は16.5%(100mあたり16.5m上る 現在は10.9%)で、平均勾配が7.6%(100m/1310m)なのです。勾配だけであれば急な峠の道に比べて特段に急勾配ではありませんが、問題は路肩含むんだトンネル幅員が4.3m(現在でも7.0m)しかないことなのです。車が自転車を追い抜くことが出来ないほど道幅が狭いのでスピードが出ない自転車での16.5%の登りの走行は危険なことから日本で一番の難所と呼ばれていたわけです。車に迷惑をかけないスピードで走るためにはかなりの体力が必要でもありました。
団体でサイクリングしている場合は自転車群は目立つ存在のため危険は少ないのですが、1台で釜トンネルを上るのはリスクがあることから、釜トンネルが下りだけの走行となるように上高地に入るのは、徳本峠越えの道を選んだのも理由の一つでした。下りは車以上にスピードが出せるので心配はいらないのです。もちろん自転車で徳本峠越えをしたいというのが一番の理由でした。
右の写真は0歳(10ケ月)から現在までを2秒間隔で順番に表示します。今回、上高地の写真も組み込きました。入社前の学生時代はサイクリング部でしたが上高地には来ることはありませんでした。釜トンネルを通って上高地に行ったサイクリング部の仲間の話を聞いて、私も上高地に自転車で来てみたかったのです。
現在の釜トンネルは全面的なマイカー規制をしているために釜トンネルの前に立っている係員によって自転車は通してもらえないと思います。明確に自転車は禁止とは書かれていませんが、通行可能な車両として書かれているのは路線バス、シャトルバス、タクシー、緊急車両、観光バス(規制日あり)に限られるからです。と思っていたら自転車で最近行かれた方がおられました。→ポチッ


1995年4月に貫通した安房トンネルは、まだなかったことからジグザクの道を上って安房峠を越えて高山に向かいました。

より大きな地図で 入社1年目 8月12日~14日 を表示

雨の「紅葉の大正池」 2014年10月21日 [上高地]

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バスから降りて大正池の湖畔に立ちました。小雨模様の中をここから写真を撮りながら河童橋の散策路を歩きました。時間はは約1時間でした。

この地図の大正池ホテルと書かれたあたりから田代池に向かって順番に景色を紹介します。クリックするとオリジナルの地図を表示します。
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左に見える建物は大正池ホテルだと思います。ここが散策の出発点です。
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下流側の方の景色です。水面に雨の落ちているあとが判ると思います。カッパを着て首から下げたカメラはレジ袋をかぶせて撮る時だけ出しました。雨がかからないように傘もさしていました。雲がかかっている山が焼岳です。
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焼岳をアップいたしました。雲で焼岳の頂上は見えません。IS100 1/166s F5 での撮影でレンズの焦点距離は105mmです。
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同じ場所からの上流側の写真です。池の中に立ち枯れ木が立っているのが判ると思います。大正池は1915年に噴火した焼岳の泥流によって梓川が堰き止められて形成されました。
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池の中に立っている枯れ木が印象的です。池にある立ち枯れの木々の景観は、1928年に「上高地」が史蹟名勝天然紀念物保存法による「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなったそうです。
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散策路を歩いて次のビュースポットに移動します。
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木々の間からの大正池の景色も魅力的です。
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大きな木のある景色も魅力的でした。
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湖底の白い砂が印象的でした。
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湖面に生える草に立ち枯れの木が見事な景色を見せてくれていました。
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有名なビュースポットからの景色です。大正池と立ち枯れの木と焼岳が入った景色が見れます。
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昔、一度だけ上高地に来たことがありました。おそらく上の写真と同じ場所だと思います。立ち枯れの木も今よりは随分と多い気がします。背景の山は焼岳です。
会社に入って4ケ月目(22歳)の8月12日~14日に八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ケ峰→諏訪→島々→徳本峠( )→上高地→安房峠→平湯峠→高山を自転車で走った時に上高地に来たのでした。赤色と青色のラインが自転車で通ったところです。
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より大きな地図で 自転車が通った道8月12日~14日 を表示
湖畔まで来て立ち枯れの木のある景色を撮りました。
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きれいな水でした。そこの砂と砂利がクリヤーに見えます。
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同じ場所から撮った上流側の大正池です。
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紅葉の山を拡大いたしました。
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蓼科から上高地へ [上高地]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年10月20日~22日まで長野県の蓼科にワンコを連れて旅行に行っていました。その間、以前に紹介した右の写真の知人の家に2泊させてもらいました。その知人の家から、前から行きたかった上高地に10月21日に日帰りで行ってみることにいたしました。上高地はペットは禁止の上にマイカーも入れないのでシャトルバスに乗り換えるために、ワンコ(ムサシ)は知人宅に預かってもらいました。上の写真は高速道路から上高地の方向を撮った写真です。

3色のラインが蓼科の知人宅近くのハーブで有名な蓼科ハーバルノート( オーナ:萩尾エリ子)から上高地の河童橋( )までのルートです。が自家用車からシャトルバスに乗り換える沢渡駐車場です。
    車   82.6km 蓼科→沢渡駐車場
    バス 11.4km 沢渡駐車場→大正池
    徒歩  3.5km 大正池→河童橋

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蓼科から下りてきて諏訪ICで中央道に乗り、岡谷JCTで長野道に入り松本ICで一般道に下りました。写真は松本IC手前500mの場所です。表示板に松本、上高地、高山、安房峠道路と書かれています。実は高速道路でスケジュールり大きく関係するアクシデントに遭遇して今いました。岡谷JCTの合流地点での事故による事故渋滞で大幅に遅れてしまったです。2km進むのに1時間かかるほどの遅れで予定よりも1.5時間ほどよけいにかかってしまったために上高地での滞在時間も大幅に短くなってしまいました。


松本ICを下りてすぐの景色です。真っ直ぐ西に向かっています。


北アルプスの山々が見えてきました。


山岳地帯に入ってくると景色も良くなってきました。野麦街道です。


道沿いには稲核ダム、水殿ダム、奈川渡ダムで堰き止められた湖が沢山ありました。
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橋のある景色も絵になりました。
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川の名前は梓川で上高地から流れてきます。
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標高が高くなるにつれて紅葉の色が濃くなってきます。
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山全体の色が変わってきていました。
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バスへの乗り換えの駐車場に着きました。ここの標高は1020mです。上高地の大正池が1500mなのでここからシャトルバスで、さらに500m登ることになります。
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沢渡(さわんど)地区は停留所が5つもある大駐車場です。我々は松本から上ってきて最初の駐車場となる「さわんど大橋(沢渡大橋)」に駐車いたしました。ここはタクシーも沢山ありました。
この日は平日で雨模様で、お客が少なかったので好きな席に座れたので問題はありませんでしたが、休日の混んでいる日は、始発停留所となる「さわんどバスターミナル」まで行く方が良いかもしれません。タクシーに乗るつもりならば沢渡大橋は一番良いと思いました。駐車料金は一日500円でした。
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シャトルバスは河童橋の近くの上高地バスターミナルまで行くのですが、大正池から河童橋まで散策路を歩くために大正池でおりました。ただし帰りは上高地バスターミナルからシャトルバスに乗りました。
最初に上高地バスターミナルまで行って河童橋から大正池へ散策路を歩く方法もありますが、その場合、混んでいる時期はバスが満員で乗れない可能性があるので我々のルートが無難だと思います。緑色のライン()がシャトルバス(沢渡駐車場→大正池)で黄色ライン()が散策路(大正池→河童橋)です。


バス乗り場「さわんど大橋」です。タクシーと料金を比較しました。
バスは大正池で降りても終点の上高地バスターミナルまで行っても料金は同じですがタクシーは大正池までならば安く設定されているので、行きはタクシーにして帰りはバスにする方法もあります。行きにバスで行く人は往復を買うこと一人当たり450円お得になります。* 印の片道タクシーというのは行きに大正池までタクシーを利用して帰りにバスを利用した場合の往復の料金です。
       大正池  ターミナル  往復  片道タクシー*
  バス 1名  1250円  1250円  2050円  4750円
  バス 2名  2500円  2500円  4100円  6000円
  バス 3名  3750円  3750円  6150円  7250円
  バス 4名  5000円  5000円  8200円  8500円
  タクシー  3500円  4200円


こちらがシャトルバスです。
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行きはゆったりと座ることが出来ましたが、帰りは満席でした。この時すでに11時36分でした。高速道路の事故渋滞が無ければ9時台にはバスに乗れたと思います。


バスからの景色です。


国道から分かれて上高地に上がっていく釜トンネルの一つ手前のトンネルです。


クリックすると拡大こちらが釜トンネルの入口です。この入口には係員が立っておりマイカーが上高地に入れないことを知らないで来たと思われる車に説明をしていました。
昔、自転車で上高地に行ったことが一度あるのですが、その時に、この釜トンネルを下りてきたことを思い出しました。


釜トンネルを抜けて少し経つと、バスの中から大正池が見えてきました。


バスの中からの大正池の景色です。
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大正池停留所に間もなく到着です。


バスから降りて大正池の湖畔に立ちました。小雨模様の中をここから写真を撮りながら河童橋の散策路を歩きました。時間はは約1時間でした。撮った写真は後日に紹介いたします。
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マイカーは通年規制されていますが、行楽期の土曜日・日曜日・祝日・お盆休み期は下記のように観光バスも規制されています。つまり通行できるのは路線バス、シャトルバス、タクシー、緊急車両、観光バス(規制日あり)に限られるのです。
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