アメリカのシーフード料理 [ピッツバーグ]
「ピッッバークの夜景」で紹介のレストランで食べた料理を紹介します。アメリカは牛肉以外の料理は、たいしたことがない!一般的な評価だと思いますがここのシーフド料理を食べて見直しました。
お店の名前MONTEREY BAY FISH GROTTO
名前の通りシーフード・レストランです。 上の料理はシーバス(すずき)の料理です。
スープは目の前で入れるパフォーマンス付きです。
名前は忘れましたがこれも白身の魚です。きのこが沢山入っています。
ここまではすべて今日のお店のお勧め料理です。
最初に頼んだのがこれです。
一番手前がマグロとサーモンの串焼き
向こう側が見ての通りエビです。
真中がカニです。身を取り出して料理してくれているので食べやすいし食べ応えがあります。結構、身も大きいかったですね。この一皿はおいしかったです。
ライスです。 チャーハンのような感じです。なかなか食べやすくここでも好評だそうです。
そこで飲んだのが地元のビールです。
510gのステーキ [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
本報告でピッツバーグからの記事はとりあえず終了です。ここに来て最初に撮ったのがこの肉の写真です。アメリカはやっぱり牛肉ということで最後に取っておきました。ピッツバークに着いた日は早速にステーキを!とホテルの人に聞くと、このお店を紹介してくれました。リブロースがこのお店の名物と聞いて18オンスと10オンスのステーキを注文しました。
写真は10オンスの方です。
18オンス=510g
10オンス=283g
紹介されたわりにはお店はすいていましたが雰囲気は良かったですね。クリック拡大してお店の中をじっくり見てください。
ビールを飲みながら完食!といきたいけれど、あまりにも量が多すぎ! 日本を出てから体を動かさずに機内食を4回も食べてきた身としては完食というわけには行かないですね。 幸い3名の内、ステーキを頼んだのは2名で、もう1名はパスタだったので2人はステーキを切り分けてパスタの人にプレゼント
やっぱりアメリカは牛肉ですね。結局パスタはすべて残しました。ごめんなさい! でもパスタはハズレだったそうです。
重量級のステーキ! 1年前の暮にも経験しました。
その時は→ 709g と 397g です。
ビールは泡なし満杯で出すのがアメリカ流! だから生ビールは泡を捨ててつぎ足して出てきます。もちろんタップリの泡の乗ったビールを出してくれるお店もあります。丘の上のサンドイッチ店は泡タップリ派 ステーキ店は中身ボリューム派かな!
ピッツバーグは2泊だけだったけれど驚くことが沢山ありました。 おかげで下の沢山の記事を掲載させてもらえました。感謝!!!
クリックするとその記事を表示するので、まだ見ていない記事があれば是非、見てみてください。
大リーグで鳩山首相が始球式
ヒッツバーグは高層ビルだけじゃない
ダウンタウンの普通の景色
アメリカで分別収集? と思ったら!
高層ビルの谷間の静かな空間
128年前の橋 今は通勤路
ピッツバーグの路面電車
通勤ケーブルカーは139歳
丘の上の住宅地
丘の上のサンドイッチ店
水陸両用車
街角のすてきな光景
アメリカのシーフード料理
ピッツバーグの夜景
水陸両用車 [ピッツバーグ]
ダウンタウンを歩いていると前から変った車が走ってきました。昔は軍用車両として走っていたものを改造して観光用にしているんだと説明されました。この街だけでなくいろんな都市で見かけるよとも言われました。そういえばシカゴで見たことがあるような気がしてきました。本当に水の中にも入るらしい!
青い色の車も見かけました。どの車両も満席でした。人気あるみたいです。
タグ:ピッツバーグ
クルージング [ピッツバーグ]
アメリカのピッツバーグの記事のなかで、この記事を載せるのを忘れていました。遅ればせながら掲載いたします。
ピッツバーグは川に囲まれています。川には沢山クルージングの船が停泊していました。船旅をしながら食事をしてみたかったですね。夜景の見えるレストランか船に乗っての食事がいいか迷うところです。
丘の上からも頻繁に外輪船が行き来します。バックにある黄色い建物はフットボールのハインツフィールドです。
今回の記事はこの中に入れておくべきでした。
ヒッツバーグは高層ビルだけじゃない
ダウンタウンの普通の景色
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ピッツバーグの夜景
510gのステーキ
大リーグで鳩山首相が始球式
アメリカのマック
タグ:ピッツバーグ
アメリカで分別収集? と思ったら! [ピッツバーグ]
高層ビルの谷間の静かな空間 [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
古いケーブルカーで登った丘の上のシーフードレストランやサンドイッチ店から高層ビル群を紹介いたしましたが、そのビルの谷間に静かな場所がありました。教会の建物がひっそりと堂々と建っていました。Trinity Episcopal Cathedral(トリニティイ・ビスコパル大聖堂)です。写真をクリックすると別角度の写真を表示します。2つの大聖堂が建っていもことも判ります。
2つの大聖堂の間にはお墓がありました。この街の有名な人たちの墓石のようで、すごく雰囲気のある場所でした。
小さなお墓も沢山ありました。ダウンタウンの構想ビルの谷間の静かな空間に驚かされました。
お墓のネームプレートに番号がつけられていました。これには11番 残念ながら番号を付けている理由は判りませんでした。名前のJohn Ormsbyと年代の(1720–1805)から調べた結果、John Ormsbyさんはアイルランドから1752年(32歳の時)に移民してきた方で農業を行いアメリカの兵士としも戦ったようです。丸い札にはRevolutionary War(独立戦争)と書かれていることから独立戦争(1775–1783)でも貢献したようです。ネームプレートにもRevolutionary Soldierの称号がかかれています。独立戦争の時は55歳から63歳ということになります。John OrmsbyさんはWikipediaにも記載されていたので有名な方だと推察できました。Wikipedia翻訳→ポチッ
歴史的な建物みたいです。わざわざこんなものが埋め込まれていました。
こんなのもありました。
墓石のあった場所を紹介いたします。
より大きな地図で Ttrinity Episcopal Cathedral Pittsburgh を表示
ピッツバーグの場所も紹介いたします。アメリカのマック [ピッツバーグ]
ヒッツバーグは高層ビルだけじゃない [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ダウンタウンはアレゲニー川とモノガンヒラ川が合流しオハイオ川になるゴールデン・トライアングルと言われる場所にあります。写真をクリックすると反対側から拡大そのダウンタウンの中に石作りの歴史のありそうな建物がありました。
これらは一つの建物で非常に大きいです。調べれば必ず出てくるとは思いますが調べ切れていません。
建物をつないだ石造りの通路が印象的でした。
高い塔もあります。この建物は1901年にはすでに建っていたことは下の昔の写真で判りました。
建物の名前はAllegheny County Courthouseで裁判所です。最初の建物は1794年に建てられ、2番目の建物(右の写真)は1857年作られ1882年に火災で崩壊したそうです。今の建物は1883年から建設が始まり1888年に完成したそうです。
塔の高さは76.2 m(250 ft)で、1901年には町で一番高い建物だったようです。
上の写真を少し遠くから撮った写真ですが大きいので全景はなかなか撮れません。
黄色で囲った部分が今回の建物がある場所です。衛星写真をクリックすると黄色で囲った部分を拡大します。拡大した衛星写真にも通路が写っています。
赤色マークがHonorable Kathryn M Hens-Grecoで紫いろマークがAllegheny County Courthouseです。
高層ビルの建っていない1901年の丘(Coal Hill)の上から撮ったダウンタウンの写真を見つけました。今回紹介した高い建物(上から4枚目の写真の建物)が橋の左側に写っていることがわかりますか。この写真から、この時代では町で最も高い建物だったことがわかりました。これから紹介する高層ビル群の中の教会も写っています。写真の中に写っている1881年に作られた橋も健在です。
ダウンタウンの普通の景色 [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
すでに紹介しているピッツバーグの丘の上からのダウンタウンですが、このダウンタウンの中の普通の街並みを紹介しておきます。このダウンタウンはゴールデントライアングルと呼ばれる川の合流点にあります。
町の中に入ると道路脇からすぐに高層ビルが建っているので高いビル群という雰囲気ではありませんでした。ニューヨークのようにビルの谷間という感じでもない不思議な空間でした。
よくみるとほとんどの写真に例の配布ボックスが写っています。
遠くに橋が見えます。掲載した橋とは違うようです。
有名なPPG本社ビルが際立っています。
街の中では道路の狭いところも多かったです。
この道路の下がったところの公園で結婚式の記念撮影をしていました。
航空写真でもダウンタウンを紹介します。航空写真の中のアイコンを3回クリックしてみてください。斜め45度からの景色に代わります。黄色マークは宿泊したホテルの場所です。
より大きな地図で ピッツバーグのダウンタウン を表示
街角のすてきな光景 [ピッツバーグ]
金曜日の夕方にダウンタウンを散歩していると写真の光景に出会いました。結婚式の後(前)に記念撮影をしているようでした。女性のカメラマンが寝転んで撮っているのも面白い! 噴水と高層ビルを背景に入れるための努力ですね。
こちらを見て笑っているのがカメラマンの人です。このあとカメラマンの女性はこちらを意識しているみたいでした。
全体が見えるように遠くからの写真も載せてみました。
ここはピッツバーグ きれいな町でした。
タグ:結婚式
ピッツバーグの路面電車 [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
144歳のケーブルカーを紹介しましたが、次は124歳の路面電車です。ピッツバーグにも路面電車がありました。結構有名みたいです。見えている路面電車の駅名はステーションスクエア駅(Station Square Station)です。ピッツバーグのケーブルカーは1870年、路面電車は1890年に出来たそうです。路面電車は今から124年前に出来たとのことになります。現在、ダウンタウンの中では地下鉄となって走っています。
ただし写真の場所は一般の自動車とは分離されていました。路面電車と一般の電車の両面を持ったシステムでした。この写真の場所は、すでに紹介した上流側のケーブルカー(Monongahela Inclines)の乗り場のすぐ横です。
Station Square Stationからダウンタウンの中は次のように走ります。緑色の部分が地下鉄になっています。
Station Square Station→鉄橋→First Avenue Station→ →Steel Plaza Station→Wood Street Station→Gateway Station→North Side Station→ →Allegheny Station
ステーションスクエア駅→鉄橋→ファーストアベニュー駅→ →スティールプラザ駅→ウッドストリート駅→ケートウェイ駅→ノースサイド駅→ →アラゲイニー駅
鉄道の下を路面電車が通っています。その奥の方はトンネルです。トンネルの中を走る路面電車もめずらしいですね。このトンネルはすでに紹介した丘Coal Hillの下を走って丘の向こう側ら続いているのです。トンネルを抜けて南の郊外には線路は2つに分かれてLibrary Station(ライブラリー駅)とSouth Hills Village Station(サウス・ヒルズ・ビレッジ駅)まで行きます。
一般車両と分離しているのに路面電車と表現しているのは一般車両とは分離されていましたが、バスと共用の道路だったからです。トンネルの奥からこちらに来るのはバスです。トンネルの向こう側は住宅地で衛星写真で見るとほとんどが一般道路と分離されておりました。このトンネルの部分だけが路面のようです。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のためにバスの部分を拡大いたしました。このバス路線はSouth Busway (Sバスウェイ)と呼ばれており1960年代に路面電車と段階的に入れ替える目的で登場いたしました。現在は路面電車とバス路線の両方が使われている段階のようです。
ピッツバーグの昔の路面電車を紹介したかったのでネットから写真を拝借いたしました。上の段の右の写真は1985年の路面電車で、左の写真は1972年ものです。下の段の左側の写真は1967年の写真です。この写真から橋の正面に駅があったことが判ります。右の1915年の写真では線路の横を馬車が走っていました。これら写真の場所はトンネルの正面にあるSmithfield Street Bridge(スミスフィールド通り橋)です。
ステーションスクエア駅の近くにはステーションスクエア(Station Aquare)がありました。バックに写っている丘が Coal Hill で、丘の上は高級住宅地です。すでに紹介したシーフードレストランやサンドイッチ店があります。ここから丘の上には紹介したケーブルカーで登ることが出来ます。
ここが路面電車の写真を撮った場所です。今は左下のトンネルから出てきて、右に急カーブで曲がってステーションスクエア駅に向かっています。昔はトンネル出た後に真っ直ぐで目の前の橋の上を路面電車が走っていきました。左上にはすでに紹介したケーブルカーが写っています。
大きな地図で見る航空写真の中の
青色ラインが路面電車のトンネルです。オレンジ色ラインがSmithfield Street Bridgeで赤色ラインがケーブルカーです。緑色ラインは今は無くなったケーブルカーです。青緑ラインはダウンタウン内を走る路面電車(地下鉄)でフットボール場のハインツフィールドの近くのAllegheny Station(アラゲイニー駅)まで行きます。
より大きな地図で 路面電車のトンネル を表示
こちらがトンネルの反対側の出口です。より大きな地図で 路面電車のトンネル出口 を表示
紫色ラインが丘のトンネルを出た後の南側の郊外の路面電車です。青色マークは路面電車の終点駅です。黄色マークは宿泊したホテルの場所です。Google地図で計測した結果、路面電車の総延長はで33.75km(=ダウンタウン 3.93km + トンネル 1.13km + 郊外 28.75km)でした。より大きな地図で ピッツバーグの路面電車 を表示
路面電車とは関係ありませんがカーネギーメルン大学やピッツバーグ大学のあるオークランド地区も有名なので、そのあたりの航空写真を掲載いたします。カーネギーメロン大学あたりのストリートビューです。→ポチッ
黄色マークは宿泊したホテルの場所です。
より大きな地図で ピッツバーグの文教地区 を表示
131年前の橋 今は通勤路 [ピッツバーグ]
朝7時ごろモノガンヒラ川にかかるこの橋を歩いて通勤する人を沢山見かけました。
先日、144年前に作られたケーブルカーが通勤に使われていることを紹介いたしましたが、そのケーブルカーに乗って通勤する人が必ず歩いて渡るのがこちらの橋なのです。橋の名前はスミスフィールド通り橋(Smithfield Street Bridge) 川幅は315mで橋の長さは361mです。
上の写真はケーブルカーのある丘側からダウンタウンの方を撮った写真ですが、下の写真はダウンタウン側の橋の上から丘側を撮った写真です。なかなか変った造りの橋でした。設計者のMr. Gustav Lindenthal は、33年後に右の写真のニューヨークにあるHell Gate Bridge(ヘルゲート橋 1916年9月30日完成)を設計したことでも有名な建築家です。Hell Gate Bridgeの写真はWikimediaから拝借いたしました。
名前 Smithfield Street Bridge スミスフィールド通り橋
川名 Monongahela River マノンガヒラ川
構造 Lenticular truss bridge レンズ状のトラス橋
設計 Mr. Gustav Lindenthal (1850年5月21日~1935年7月31日)
全長 361m(1184feet)
橋桁 110m x 2 (スパン 360feet x 2)
高さ 13 m(水面からのクリアランス 42.5feet)
開通 1883年3月19日
オレンジのラインがSmithfield Street Bridge(スミスフィールド通り橋) の通勤で使われる歩道の部分です。赤色ラインが現存する144年前に作られたケーブルカーで緑色のラインはその時代に存在した巨大な貨物用のケーブルカーです。巨大な貨物用のケーブルカーは今はありません。
より大きな地図で Smithfield Street Bridge を表示
1846年に最初のつり橋が出来て現在の形式に造りかえられたのが131年前の1883年だそうです。 ピッツバーグの繁栄の時代ですね。古い写真はネットから写真を拝借します。この写真は1881年の建設中の写真です。ネット拝借
そう言えばこの橋の真正面が掲載した路面電車のトンネルでした。改めて時代を感じます。渡っているのも馬車です。
ネット拝借
例のケーブルカーも写っています。ダウンタウンから丘を見た写真ですね。
ネット拝借
すでにここでは現在の橋飾と同じですね。そして一般の車とはすでに分離されていました。半分は道路 半分は路面電車ですね。
ネット拝借
あの高級住宅地からケーブルカーで下りて来てこの橋を渡るとすぐにダウンタウンです。歩いてこんなルートを通勤できるなんて本当に羨ましい。
この車社会のアメリカでもめずらしい存在かも。若い女性も沢山歩いているのを見かけます。安全な場所でもある証拠ですね。私も安心して歩きました。
この写真をクリックしてみてください。芸実的な骨組みが見れます。
この写真の左端のビルはピッツバークで有名なPPG本社ビルです。
ネットで調べると「PPG社は、1883年に設立されたアメリカで最初のガラス製造会社で、社名のPPGは、ピッツバーグで誕生したガラス会社という意味を込め Pittsburgh Plate Glassの頭文字を取ったものです。」と説明されていました。
Mtワシントンの丘の上からの写真です。
一番手前の橋がスミスフィールド通り橋(Smithfield Street Bridge)です。
橋からはケーブルカーもよく見えます。写真をクリックして表示される広範囲が写った写真では2番目にスミスフィールド通り橋が写っています。
昔と同じ構図の写真があったので掲載します。ネットの写真は1908年です。
SORI撮影
ネット拝借
1985年と現在を比較したものです。1985年には現在の高層ビルが出来ていたことがわかります。現在の路面電車は路面電車専用の橋が上流側出来ています。
SORI撮影
ネット拝借
丘の上の住宅地 [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上の写真は、すでに紹介したゴールデン・トライアングルを見下ろせる丘にあるすばらしい夜景が見れるシーフードレストランから、丘の上の住宅地を撮ったものです。有名なサンドイッチ店もあるし、羨ましい住宅地です。
どれくらいで買えるのかな。
丘の上の不動産屋さんのウインドーの中にあったチラシでこのあたりの住宅の価格を確認して見ました。建物の写真はウインドーの中のチラシの写真のためガラスで反射して鮮明でないこと了承願います。
普通の家
価格 199,000ドル
(約2000万円)
ベッドルーム 5
バスルーム 2
敷地面積とか土地の広さの表示はありませんが写真からかなりの広さであることが想像できました。表示はベッドルームの数とバスルームの数だけです。バスルームが多いです。日本とは生活習慣が違うな! と感じました。
住宅の説明書はクリックすると拡大するので詳しくわかると思います。バスルームの6の内訳はFull Bathsが5でPartial Bathsが1です。車が2台はいる独立した車庫(Detached Garage)もあるようです。
2物件ともに住居(Residence)用です。
大きな家
価格 345,000ドル
(約3500万円)
ベッドルーム 6
バスルーム 6
航空写真で住宅地を紹介します。川より南西側の丘が住宅地になっています。北東側の川に挟まれた三画の部分が高層ビルが立ち並ぶダウンタウンです。
住宅地のある丘には「石炭の丘(Coal Hill)」の名前が付けられている通り、製鉄業が盛んだった昔は石炭を採掘する山でした。ピッツバーグではアメリカの鉄の30%~50%の生産した時期もある上に、第二次世界大戦中には、年間に9,500万トンの鉄が生産されました。まさにアメリカの原動力の鉄を作る石炭の丘だったわけです。
その丘は、丘の上の住宅街からケーブルカーで降りたあと歩いて高層ビルが立ち並ぶビジネス街に通勤できる高級住宅地に、変貌したのです。右の写真は橋の上の通勤風景です。
Smithfield Street Bridge (スミスフィールド通り橋)の部分の川幅が315mです。川幅から通勤距離を想像願います。 1時間以上、満員電車で通勤する日本とは大違いだと思いませんか。
通勤ケーブルカーは144歳 [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上流側ケーブルカー 下流側ケーブルカーMonongahela Inclines Duquesne Incline
先日に紹介させていただいたシーフード店からきれいな夜景を見ることが出来たピッツバークの丘には2本のケーブルカーが登っています。2本共に真直線で且つ空中を走っているのが特徴です。どちらがお好みでしょうか。
上の写真の右側のケーブルカーが上流側で、左側が下流側のケーブルカーです。
角度がきついので写真のようなタイプになったようです。それぞれ違うので面白いですね。普通は平行四辺形が多いけれどここのタイプはいずれもあまり見ないタイプです。
ケーブルカーで登った丘の上は住宅街です。「丘の上の住宅地」で紹介した景色は衛星写真で説明すると左上から右下を写したものです。
オリジナルのGoogle航空写真でも2ケ所のケーブルカーの位置を赤色マークで紹介します。緑色マークがすでに紹介した夜景のきれいなシーフード店で、空色マークがサンドイッチ店です。
より大きな地図で ケーブルカー を表示
下流側にあるケーブルカーです。名前はDuquesne Inclineです。こちらは137年前の1877年に建設されました。別の角度からのケーブルカーです。昼食を食べたサンドイッチ店からり景色です。
下流側のケーブルカーの山頂駅の前には写真のような石碑がありました。中に売店もあり結構人気でお客さんがいっぱいでした。ここからシーフードレストランもサンドイッチ店も歩いて1分です。左側の緑ぽい建物が山頂駅です。道路標識にケーブルカーのマークがあります。
下流側のケーブルカー(Duquesne Incline)の麓の駅の写真は撮っていなかったのでWikimediaから写真を転用させていただきました。
ここから上流側のケーブルカーの記事を掲載いたします。
こんなに急ではないけれどモンマルトルの丘のケーブルカーはこのタイプでした。空中は走っていなかったですね。
上流側のケーブルカーを拡大いたしました。
こちらは上流側ケーブルカーの乗り場です。このケーブルカーは144年前の1870年に作られたそうです。朝、散歩している時に丘の上の住宅地からダウンタウへの通勤に使われている人を沢山見かけました。目の前の鉄の橋は133年前の1881年に作られたそうです。
建設当時の写真をネットから見つけました。ケーブルカーと思われるものが2ケ所に写っています。それぞれのケーブルカーの名前はCastle Shannon と Monongahela Inclinesです。写真の左側のケーブルカー(Castle Shannon )は今はありませんなが、写真の右側のケーブルカー(Monongahela Inclines)は今でも使われています。それが上の写真の上流側のケーブルカーです。この写真には1881年前に作られた橋も写っています。
今は通勤用に使われているケーブルカーも昔は石炭の採掘のためだったようです。写真には「Castle Shannon and Monongahela Inclines ascending Coal Hill (Mt. Washington)」と説明されていました。右側のケーブルカーMonongahela Inclinesをよく見ると2本あります。したがってこの写真には3本のケーブルカーが写っていることになります。つまり下流側のケーブルカーも含めると、この時代には少なくとも4本のケーブルカーが存在したことになります。
完成 1870年5月28日 蒸気駆動 (1870年 = 明治3年)
改造 1882年 鋼鉄製化
改造 1935年 電気駆動
改造 1994年 現状の駅完成
長さ 194m(635ft)
高低 112.59m(369.39ft)
角度 35度35分
速度 10km/h (6マイル/h)
こちらもネットから1905年の写真を拝借いたしました。こちらも上流側のケーブルカーと思わります。大型(左)と小型(右)のケーブルカーがあります。丘の上の駅の建物の形が1905年も今も同じであることから右側の小型のケーブルカーが今も使われていると思われます。
写真を拡大すると大きい方のケーブルカーの巨大さがよくわかります。大型機材などを馬車ごと乗せることも出来たと思います。右のケーブルカーの形には現在のケーブルカーの面影があります。
昔のケーブルカーも含めた4本のケーブルカーの位置を航空写真に記載しました。
航空写真の中の2本の緑色ラインのケーブルカーは今はありません。
2本の赤色ラインが今も活躍しているケーブルカーです。左上のケーブルカーがサンドイッチ店の近くにあったケーブルカーです。
より大きな地図で ピッツバーグのケーブルカー を表示
丘の上のサンドイッチ店 [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ピッツバーグはサンドイッチが有名です。
ということで昼食は、丘の斜面に屋外の張り出したテラスで、名物のサンドイッチが食べられる人気のレストランにしました。このテラスに出たときは絶句でした。この景色が最高の贅沢です。少し早かったので我々以外は1組だけでしたが、このあとすぐに満席になりました。早めに来てよかった! です。
先日、ピッツバーグの夜景で紹介のダウンタウンです。でも角度が違います。クリックしてみてください。レストランとはすこし違う雰囲気が味わえます。
アレゲニー川(左)とモノガンヒラ川(右)が合流しオハイオ川になります。まさに合流するところにダウンタウンがあります。ゴールデン・トライアングルと言われているみたいです。
これが名物のサンドイッチ 名前はチーズステーキ(cheese steak) メニューにはお店の名前を取って Saloon Cheese Steakと書いていました。
中身は薄い焼いた肉にとろけるチーズです。いかにもアメリカ的ですが見かけと違い美味です。
野菜をタコスで包んだようなタイプもありました。
こんな景色だと昼食ですが、ビールが飲みたくなりました。さっそく生のギネスビールを飲みながらサンドイッチをほうばりました。
この写真は生ビールを注ぐためのレバーです。沢山のレバーがあります。いろんな生ビールが飲めます。上の生ビールは一番右側のギネスです。
このお店はケーブルカーの横にあります。この写真でテラスが張り出している感じと斜面の角度が判ってもらえると思います。ここはすでにオハイオ川ですが水の色を見てください。アレゲニー川とモノガンヒラ川の水の色は違うのです。合流後もはっきりと分かれているのが判ってもらえると思います。
川下の方向の景色です。ケーブルカーもだいぶ上がってきました。ケーブルカーの料金は往復で2ドルほどです。安いです。
ダウンタウンの景色も息を飲みますがフットボールのハインツフィールドもすばらしい。
クルージングの船が川に浮かんだ光景も絵になります。
なぜか昔の潜水艦が係留してありました。展示物だそうです。潜水艦の後の建物にはCarnegie(カーネギー)の文字があります。
鉄鋼王のアンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie)にちなんだ建物のようです。カーネギーは最初からの資産家ではなく、学校も行けずに長い努力と苦労と才能によって鉄鋼王になったことは有名です。
カーネギーに関してネットで調べた内容を記載いたします。
カーネギーは1835年11月25日にスコットランドで手織り職人の長男として生まれ、12歳のとき両親と共にアメリカへの移住しました。そして学校へも行かずに紡績工場で働きました。
何度か転職しピッツバーグ電信局の電報配達の仕事に就きました。その後16歳でモールス信号を耳で聞き分ける特技を身につけて、電信技士に昇格し、秘書兼電信士としてペンシルバニア鉄道に引き抜かれました。責任者が副社長になり、彼は18歳でペンシルバニア鉄道のピッツバーグの責任者になりました。
25歳の1861年に南北戦争が始まると北軍の輸送を支援して、南北戦争終結後にペンシルバニア鉄道を退職し鉄の橋を作るキーストン鉄橋会社を設立し成功しました。その後、時代の流れを読み製鉄事業の規模拡大に力を注ぎ鋼鉄王と呼ばれるようになりました。
しかし、従業員の労働環境は劣悪であったことから65歳の1901年に鉄鋼会社をモルガンへ4億8000万ドルで売却し、翌年に1億ドル以上を投じてカーネギー財団を設立しカーネギー・ホールやカーネギーメロン大学を作るなど慈善活動に専念したそうです。
お店の名前はGrandview Saloon まさに名前の通りのレストランです。同じようなレストランは何軒かあるそうですが「ここがもっともテラスが張り出していると思う」と案内してくれた人が説明してくれました。ネットで検索すると沢山出てきました。やはり有名みたいです。→ポチッ
名前 The Coal Hill Steakhouse st The Grandview Saloon
住所 1212 Grandview Ave Pittsburgh, PA 15211
電話 (412)- 431-1400
場所の紹介のために衛星写真を拝借しました。シーフードレストランとケーブルカーの場所も掲載しました。写真をクリックすると拡大したレストランのテラスがわかるはずです。Googleのストリートビューを見ると、いつの間にか文字の増えた新しい看板になっていました。
追伸
私の写真が3枚使われているサイトを見つけました。 → ポチッ
使われていたのは次の3枚です。サイトはtripadvisorです。
SORI'sから転用していることが、ちゃんと記載されていました。
将来、サイト画面が変わってしまうかもしれないので画面のハードコピーを記録しておきます。
ピッツバーグの夜景 [ピッツバーグ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
前記事で台湾の高雄の町の夜景を紹介したので、ここではアメリカのピッツバーグの町の夜景を紹介いたします。上の写真は午後6時38分です。この時間から定点観測的に時間を追って夜景を紹介いたします。
ピッツバーグ(Pittsburgh)という町をご存じですか。鉄の町としてアメリカを支えてきた町です。そして2006年に野球のオールスターが開催された町です。一番下の写真に照明で浮かび上がった球場が見えます。
2006年のフットボールのスーパーボールの優勝チーム・ピッツバーグスティーラーズのある町なのです。5回目のスーパーボール優勝だそうです。
スティーラーズ(Steelers)の名前は鉄鋼の町にちなんで付けられたそうです。
鉄鋼の町と言われるように昔はスモッグで有名な町でした。今は上の写真の通り空気は澄んだすばらしい町です。
午後8時33分 すこし暗くなり始めました。
ここに来るまではアメリカの普通の町としか印象がなかったけれど、この景色を見たとたん綺麗なすばらしい町であることが判りました。もちろんダウンタウンを歩いても感じました。写真の中で最も高い高層ビルは256mのUSスチールタワーです。もちろんピッツバーグで一番の高さです。世界では190番目で、アメリカでは44番目の高さです。USスチールのビルというところが、鉄の町である証しなのかもしれません。
午後8時42分 夜景の雰囲気が出てきました。
絶好のポジションからの景色に出会えたのはケーブルカーで登った丘の上に建つマンションの最上階にある有名なシーフード・レストランで食事をする機会があり、そのレストランでも、この景色が常に見ることが出来るコーナーの席を用意してくれたために食事をしながらも時間を負った写真を撮ることが出来ました。
午後8時52分 夜景の領域ですね。
レストランの中でもこの景色が見れるコーナーは2フロアの一か所づつ、計2か所ですが、一か所は格式が高いフォーマルなフロアーなので写真を何度も撮ることは出来ません。我々に用意してもらった席は気楽に写真が撮れるカジュアルな方のフロアーのコーナーの席でした。
午後8時59分 短時間の間に暗くなっていきます。
上野写真と7分違いです。
アレゲニー川(左)とモノンガヒラ川(右)が合流しオハイオ川になります。この合流場所はゴールデン・トライアングルと呼ばれています。
午後9時36分 こちらが最後の写真です。
このレストランで最も景色が綺麗に見える場所で食事が出来たのは、このレストランをよく利用している方がレストランに特別にお願いしてくれたからでした。この写真を撮るために3時間ビールなどを飲み続けました。
ここはMt.Washingtonの上の高層マンションの最上階にあるONTEREY BAY FISH GROTTOというシーフード料理を食べさせるレストランです。ピッツバーグで最も有名なレストランの一つであるため、大リーグやフットボールのスーパースターも食事をしたと思います。一緒に食事をした地元の人もイチローに会った(見た?)と言っていました。ただし話し方から別のレストランで会った感じでした。こちらのお店でも食事をしたのではないでしょうか。
最高の場所だと分かる写真を紹介します。
連続のアニメーション写真にしてみました。
有名人がよく来る場所だからなのか、このあたりは下の写真のような車がよく通ります。この車はこの広~い曲がり角(レストランの前)を3回も切り返さないと曲がれなかったです。曲がりきるまで見ていました。
誤解のないよう! 映画のシーンでは良く見かけますが、実際のスーパースターは、このような車には乗りません。
ここからは町全体が見渡せます。写真をクリックしてみてください。大きく拡大します。このパノラマ写真は4枚の写真をつなぎ合わせて作ってみました。夜景なので解像度はよくありませんが、いろんな建物が確認できると思います。煌々と照明が付いているのはオールスターが開催されたパイレーツの本拠地の野球場です。真っ暗ですが正面に今年のフットボール・スーパーボール優勝のスティラーズの本拠地ハインツフィールドです。
夜景の写真は8月4日です。そして8月5日の朝5時30分にホテルを出て成田に着いたのは8月6日の15時でした。つまりピッツバーグでの最後の晩餐だったのです。
航空写真の緑色マークがレストランONTEREY BAY FISH GROTTOです。川の合流地点の小高い丘の上なので、最高の景色が見れる場所に建っていることが判ってもらえると思います。表示が航空写真ではなく地図の場合は地図上のをクリックしてみてください。
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大リーグで鳩山首相が始球式 [ピッツバーグ]
本日(2009年9月25日 金曜日)の夜に訪米中の鳩山由紀夫首相がピッツバーグ・パイレーツ(Pittsburgh Pirates、略称:PIT)の本拠地球場であるPNCパーク(PNC Park)でパイレーツ対ドジャース戦の米大リーグの試合で始球式を行ないます。25日の夜といっても日本時間では26日の朝ではありますが、丁度、ピッツバークシリーズの記事を掲載中なので、偶然とは言え興味を引かれました。したがって急遽、ピッツバーグ(Pittsburgh)に行ったときの写真の中から球場の写真を探しました。上の写真は丘(Coal Hill )の上にあるシーフード店から撮ったPNCパークです。写真は8月のピッツバーク時間21時18分なので、おそらく後半は写真のような雰囲気で試合が行われると思います。写真はクリックすると廻りの景色も掲載いたします。この歴史的(?)な試合開始は2009年9月25日午後7時5分です。日本時間だと2009年9月26日午前8時5分です。
上の写真はピッツバーグの夜景で紹介し、好評だったこのパノラマ写真の一部です。このパノラマ写真をクリックして探してみてください。
こちらは昼食を食べた有名なサンドイッチ店から撮った昼間のPNCパークです。 こちらもクリックすると広い範囲の写真を掲載いたします。ここで日本の首相が始球式をすることがわかっていたらもっときれいな写真を撮ったと思います。街の景色を撮った写真から切り抜きいたしました。
下記の写真はネット(Wikipedia)から拝借いた球場の写真です。
そのWikipediaでのPNCパークの記載を紹介いたします。
PNCパークは2001年4月9日に開場しました。この球場の一番の特徴は、内野席からダウンタウンの高層ビル群が見渡せることです。外野後方に流れるアレゲニー川、川に架かる鮮やかな黄色のロベルト・クレメンテ橋、そして立ち並ぶダウンタウンの高層ビル群が一つになった光景は「大リーグ球場でも屈指の美しさ」と評判す。
この景観を生かすため、スコアボードは左翼に設置し、照明灯も右翼側には設置されませんでした。右翼フェンス:左翼に比べ右翼が狭いのでフェンスが高くなっています。このフェンスの高さは21フィート(約6.4メートル)で、「21」という数字はロベルト・クレメンテの背番号にちなんでいます。他球場の試合経過を伝えるスコアボードが設置されているが、他と違うのは、内野のダイアモンドが描かれランナーの位置やアウトカウントまで細かく表示されていることです。
ウィリー・スタージェル:球団史に残る往年の名選手スタージェルにちなんだ名前の売店が多く、彼の愛称「ポップ(お父さん)」から「Pop's Potato Patch」、1979年にパイレーツを世界一に導いたときの合言葉「我々はファミリー」から「Familee Bar-B-Q」などがあります。
名前 PNC Park
収容人員 38,365人
所在地 115 Federal St. Pittsburgh, Pennsylvania
起工 1999年4月7日
開場 2001年3月31日
所有者 City of Pittsburgh Sports & Exhibition Authority
グラウンド 天然芝
建設費 2億1600万ドル
設計者 HOK Sport 、LDA
建設者 Dick Corporation Barton Malow
球場の航空写真も紹介いたします。画面上のマイナスボタンを何度かクリックすると広範囲を表示するので球場の位置が判ると思います。
地元のスポーツニュースにも
The prime minister of Japan, Yukio Hatoyama, will throw out the ceremonial first pitch before Friday's game against the Los Angeles Dodgers.
とか
Also, in conjunction with the summit, Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama will be throwing out the ceremonial first pitch before Friday's game against the Dodgers. Hatoyama prepared for the pitch by practicing with former Pirates pitcher Masumi Kuwata back in Japan recently.と記載されていました。
鳩山首相の始球式の写真をネットから拝借いたしました。(2009年9月26日)NHKニュースの内容を紹介いたします。
鳩山総理大臣はアメリカのピッツバーグで金融サミットに出席したあと、地元を本拠地にしている大リーグ、パイレーツの試合で始球式を行いました。
金融サミットの閉幕後、球場を訪れた鳩山総理大臣は、地元パイレーツのユニフォームを受け取ったあと、この日の対戦相手、ドジャースで活躍する黒田投手からもユニフォームを贈られました。ユニフォームを手にした黒田投手が「入団会見のようですね」と声をかけると、鳩山総理大臣は「入団します!」と応じ、記者団の笑いを誘っていました。このあと、鳩山総理大臣はスタンドの観客からの声援を受けてマウンドに上りました。そして、大きく振りかぶって地元の日本人会の会長が構えたミットめがけて速球を投げ込み、スタンドから大きな拍手が送られました。今回の訪問を前に、元パイレーツの桑田投手を相手に投球の練習をしていた鳩山総理大臣は「届かなかったね」と笑いながらグラウンドをあとにし、このあとおよそ1時間半にわたって試合を観戦しました。