SSブログ
セーヌ川 ブログトップ

セーヌ川クルーズ その3 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
今回の記事は8日間のフランス旅行の最後の記事(103番目)です。旅行自体でも下記のように最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズでした。本記事の末尾に書いていますが、最初の記事から1年4ケ月間に書いた387の記事の中の26.6%にあたる103の記事が本フランス旅行に関するものでした。
上の写真は現在世界最高齢の117歳の喜界島(鹿児島県大島郡喜界町)の田島ナビさん(明治33年8月4日生まれ)と同じ1900年に誕生した鋼鉄製のドゥビリ橋と1889年に誕生した錬鉄製のエッフェル塔です。両方ともに1900年のパリ万博のために作られました。喜界島と言えばこちらの記事です。→ポチッ 
 1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル オンフルール
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー
 セーヌ川クルーズ 帰国・JL416夜行便・パリ→成田
 8日目 成田空港16時30分到着 17時50分帰宅

本記事では②その2の続きを紹介します。クルーズ乗降場( )を通り過ぎて下流側(西方向)に行き、クルーズ乗降場に戻ってくるまでです。ここの景色の中でで、エッフェル塔が重要な役目を果たしていました。
   ━━   セーヌ川クルーズ
     セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
   A~Y くぐった橋 潜った回数:36回(25橋)
       ABCDEFGHIJKLMN OPQRSTUGFEDCBA VWXYYXWV
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで ABCDEFGHIJKLMN
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで  OPQRSTUGFEDCBA
 ③ その3 乗場付近から西方向       VWXYYXWV
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 J K P R


この出発地点から一旦は東の上流方向に行き、戻ってきたところがこの写真です。ここには入港せずにそのまま行き過ぎて西の下流方向に向かいました。停泊しているクルーズ船は185席のディナー船 Le Jean-Sébastien Moucheです。クリックして拡大するとテーブルが並んでいるのが分かると思います。
クリックすると拡大

出発点を通り過ぎで下流側で最初に出会えた橋がアルマ橋(Le Pont de l'Alma)です。現在の橋は再建されたもので前身の橋は1854年から1856年にかけてガリエルの指揮の下で建設された3径間石造アーチ橋で、クリミア戦争のアルマの戦いにちなんで命名されたそうです。
 橋名 アルマ橋(Le Pont de l'Alma)
 形式 桁橋
 材料 鋼鉄
 全長 141m
 幅  42m
 建設 1970年~1974年
クリックすると拡大

写真に写っているエッフェル塔はアルマ橋を含めて3つ先のイエナ橋のところにあります。ダイアナ妃が1997年に交通事故で亡くなったのはアルマ橋の右岸の地下トンネルの中です。3D航空写真→ポチッ1 トンネル内→ポチッ2
クリックすると拡大

船の形は違いますが我々の船と同じ会社のクルーズ船とすれ違いました。クリックすると船首にBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)の文字が読み取れると思います。バトー・ムーシュ社が所有しているクルーズ船のリストを紹介します。写真の船はLa Galioteで、我々の船はL'espoirと思われます。
遊覧船 屋外 屋内 合計
 L'espoir La Galére 416席 286席 702席
 Le Coche d’eau 699席 137席 836席
 La Galiote 616席 227席 843席
 L’Hirondelle 512席 624席 1136席
 Le Mulet Coureau 726席 120席 846席
 La Flûte 660席 256席 916席
ディナー船 食事 カクテル 貸切
 Le Zouave de l’Alma 140席 240席 可 
 La Patache 300席 400席 可 
 Le Jean-Bruel 300席 320席 可 
 Le Jean-Sébastien Mouche 185席
 La Gabarre 500席 600席 可 
クリックすると拡大

こちらが我々が乗ったL'espoir(レスポワール)です。レスポワールはBateaux Mouches社を代表する船だそうです。この船の写真はBateaux Mouches社のホームページおよびWikimediaから転用させていただきました。
たしかにWikipediaに掲載されていることからもBateaux Mouches社の代表クルーズ船だと感じました。写真はいずれも右方向が進行方向で、我々は進行方向の2階の最前列の席に座りました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

Bateaux Mouches社(Compagnie des Bateaux-Mouches)は1949年にジャン・ブリュエルによって設立されたそうです。設立時は下の写真の1900年のパリ万博当時の蒸気船が1隻あるだけだったそうです。現在は15隻を所有しているとのことでした。
この写真にはBateau-mouche sur la Seine vers 1900.と書かれていました。意味は「1900年頃のセーヌ川のバトー・ムーシュ」です。
クリックすると拡大

19世紀後半のセーヌ川の蒸気船による観光の風景も紹介します。船だけでなく風景も違うので歴史を感じます。道路は車ではなく馬車が走っています。
クリックすると拡大

いろんな形のクルーズ船を見かけました。
クリックすると拡大

少し小型のクルーズ船も沢山走っていました。
クリックすると拡大

アルマ橋をくぐる雰囲気を味わってください。私の座った位置から撮った写真です。
クリックすると拡大

次の橋はドゥビリ橋です。この橋は1900年の万国博覧会のために一時的な橋として架けられました。そのために常に消滅の危機にありましたが1966年に歴史的建造物に指定され、今も使われるようになったそうです。
 橋名 ドゥビリ橋(Passerelle Debilly)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 125m
 幅  8m
 建設 1899年~1900年
クリックすると拡大

このあたりに来るとどこからでもエッフェル塔を見ることが出来ます。
クリックすると拡大

橋をくぐる寸前の写真です。両方ともに鉄骨で出来ていることを感じさせられます。本写真を冒頭の写真にさせていただきました。
クリックすると拡大

橋を潜るとエッフェル塔が大きく見えてきます。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
エッフェル塔(La tour Eiffel)の名前は、塔の設計及び建設者であるギュスターヴ・エッフェルに由来するそうです。
 建設 1887年1月28日(起工式)~1889年3月30日(竣工)
 高さ 324m(1,063 ft) アンテナ設置前は312.3m
 材料 錬鉄
 工費 650万フラン
クリックすると拡大

エッフェル塔の先端部分です。左側の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大

ドゥビリ橋の次はイエナ橋(Pont d'Iéna)です。エッフェル塔に最も近い橋です。イエナ橋を渡る道は真直ぐにエフェル塔の下をくぐってのびています。架けられた当初の橋の幅は19mでしたが1937年のパリ万国博覧会に合わせて35mに拡張されました。
 橋名 イエナ橋(Pont d'Iéna)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 155m
 幅  35m
 建設 1808年~1814年
クリックすると拡大

初めてパリに来た時にイエナ橋とエッフェル塔の位置関係が分かりやすい写真を撮っていました。エッフェル塔の手前がイエナ橋です。その時の記事のタイトルは「エッフェル塔の下でのアクロバット走行」でした。→ポチッ
フランスはヨーロッパの中でも訪れたのが一番遅かった国ですが、それでも今回の訪問が8回目となりましクリックすると記事を表示た。
 台湾    1988年 37回 初めて行った国
 ドイツ   1992年 10回 2番目に行った国
 アメリカ  1992年 18回 3番目に行った国
 インド   1992年 13回 4番目に行った国
 中国    1994年 103回 6番目に行った国 最多訪問国
クリックすると記事を表示 ベトナム  1998年 16回 8番目に行った国
 韓国    2000年 16回 12番目に行った国
 フランス  2005年   8回 17番目に行った国
 ウクライナ 2011年   1回 30番目に行った国
クリックすると拡大

イエナ橋をくぐっている写真です。次の橋は特殊な構造のビラケム橋です。沢山の船が行き来していました。
クリックすると拡大

イエナ橋を潜ってすぐに撮ったイエナ橋とエッフェル塔の写真です。この写真でもイエナ橋のすぐそばにエッフェル塔が建っていることが分かってもらえると思います。3Dでエッフェル塔とイエナ橋の関係を示します。→ポチッ
クリックすると拡大

ビラケム橋は2階建て橋です。1階が歩行者と自動車用で、2階には鉄道が通っています。鉄道はメトロ6号線です。この橋は建設当初はパッシー橋(Pont de Passy)と呼ばれていましたが、第二次世界大戦でエジプトでのビル・アケムの戦い(1942年~1943年)を記念してビラケム橋に改名されたそうです。
 橋名 ビラケム橋(Le Pont de Bir-Hakeim)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 237m
 幅  24.7m(下層) 7.3m(上層)
 建設 1903年~1905年
クリックすると拡大

ちょうど電車が通るところに出会えました。この写真もクリックすると特別に拡大するように設定いたしました。ビラケム橋は映画にも登場します。
 1960年 地下鉄のザジ
 1972年 ラストタンゴ・イン・パリ
 2010年 のだめカンタービレ最終楽章後編
 2010年 インセプション
クリックすると拡大

振り返った景色です。ビラケム橋の上を走る電車から見えるエッフェル塔はすばらしいと想像して今います。
クリックすると拡大

さすが地下鉄です。また電車が通る写真を撮ることが出来ました。こちらもクリックすると特別にかくだいいたします。
驚いたことに日本企業のCM映像にも登場するほど有名な橋だったのです。
 花王   ラビナス
 明治製菓 Fran
クリックすると拡大

鉄骨の足の部分は見事な鋳造の像で飾られていました。
クリックすると拡大

あまりにも見事なので拡大いたしました。
クリックすると拡大

橋をくぐるる写真です。頭の上のむき出しの鉄骨が印象的でした。
クリックすると拡大

この場所でUターンしました。我々の船が減速したので前を走っている船と離れました。遠くに見える橋はルエル橋(Pont Rouelle)です。ルエル橋は潜ることはありませんでしたが、詳細を記載いたします。ルエル橋は「白鳥の島」の白鳥の遊歩道(白鳥の小径)を跨ぎ左岸15区と右岸16区を結んでいる鉄道橋です。橋上を通っているのはRERのC線クリックすると拡大です。
右の写真はWikipediaに掲載されていた航空写真で一番下がビラケム橋で、その上がルエル橋です。
 橋名 ルエル橋(Pont Rouelle)
クリックすると拡大 形式 桁橋・アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 173m
 幅  20m
 運用 1900年
クリックすると拡大

船が回転(Uターン)している途中の写真です。船が横に向いてきているのが分かってもらえると思います。
クリックすると拡大

完全に方向転換いたしました。これからビラケム橋を潜って(くぐって)出発場所に戻ります。
クリックすると拡大

下流側の鋳造の像は上で紹介した上流側の像とは違っていましたが、こちらも見事でした。
クリックすると拡大

鉄骨にはいろんな飾りが取り付けられていました。リベットが使われている鉄骨は美しく感じてしまいます。
クリックすると拡大

ビラケム橋を潜っているところです。
クリックすると拡大

下流側から見たイエナ橋です。
クリックすると拡大

イエナ橋の横のクルーズ船の乗降場です。この辺りは不思議とクルーズ船の乗降場が沢山ありました。沢山のクルーズ船を見かけたの理由が分かりました。橋の隅に柱が建てられていて彫像が置かれているのが分かってもらえると思います。上流からは気が付きませんでした。
クリックすると拡大

彫像を拡大しました。橋の完成から39年後の1853年に橋の四隅に4体の彫像が設置されたそうです。一般的に上流から見て右を右岸、左を左岸と呼ぶので、下流から撮った下の写真は左岸の彫像ということになります。つまりアラブの戦士とギリシャの戦士です。
 右岸 ガリアの戦士  アントワーヌ・プレオー作
    ローマの戦士  ルイ・ドーマ作
 左岸 アラブの戦士  ジャン-ジャケ・フーシュレ作
    ギリシャの戦士 フランソワ・デヴォー作
クリックすると拡大

私が初めてパリに来た時に撮った写真の中にイエナ橋の4つの彫像が写っていました。写真の左方向がセーヌ川の上流なので手前側が右岸の彫像(ガリアの戦士とローマの戦士)になり、奥側が左岸の彫像(アラブの戦士とギリシャの戦士)になります。この写真は2005年12月3日に撮りました。
クリックすると拡大

ジャン=フランソワ・ムーレが制作した皇帝の鷲(わし)の紋章も下流からだとはっきりわかりました。上流からだと逆光だったのです。
クリックすると拡大

鷲の紋章をさらに拡大いたしました。
クリックすると拡大

イエナ橋を下流側からくぐっている写真です。
クリックすると拡大

イエナ橋をくぐるとドゥビリ橋が見えてきました。
クリックすると拡大

ドゥビリ橋の周辺にもクルーズ船の乗降場が沢山ありました。
クリックすると拡大

橋をくぐる寸前の写真です。橋の下からは次のアルマ橋が見えました。
クリックすると拡大

左側には立派な建物が建っていました。おそらく住宅用に使われているものと思います。
クリックすると拡大

アルマ橋の橋桁の下を通して我々のクルーズ船の乗降場が見えます。
クリックすると拡大

アルマ橋を挟んでモーターゴムボートが高速で走り回っていました。これも観光用なのだと思います。Bateaux-Mouchesの乗降場にクルーズ船のLe Mulet Coureau、La Gabarre、Le Coche d’eau、Le Jean-Sébastien Moucheと、もう1船の5船が停泊していました。
クリックすると拡大

アルマ橋を潜っている写真ですが我々の乗降場がはっきりと見えています。
クリックすると拡大

乗降場に近づきました。
クリックすると拡大

下りる準備で降り口に人が集まってきました。
クリックすると拡大

これから出発する船には生徒たちが沢山乗っていました。先生らしい人も見られるので学校の行事で来ているのだと思います。
クリックすると拡大

下り場に近づきました。
クリックすると拡大

船から降りている人たちです。
クリックすると拡大

沢山のバスが駐車していました。我々はホテルに戻るために地下鉄の駅を目指しました。
クリックすると拡大

ホテルの近くオペラ地区に戻ってきました。この時17時7分でした。フライト時間(21時55分) まで4時間48分ありましたが、朝にホテルをチェックアウトした時にホテルに預けていた荷物をピックアップして、すぐにリムジンバスで空港に向かいました。
クリックすると拡大帰国のフライトはJL416でした。
空港ではたっぷり時間があったのでラウンジでワインを飲みながらゆっくりすごしました。
  当日21:55 シャルルドゴール空港出発
  翌日16:30 成田空港到着
クリックすると拡大

フランス旅行の記事は、本記事をもって終了いたします。8日間の旅行でしたが下記のように103の記事を書くことが出来ました。私にとって新鮮なことが多かったからだと思います。別の記事を書きながらのため103の記事を書き終えるのに1年4ケ月を要しました。フランス旅行の最初の記事を書いてから387の記事を掲載したことから26.6%(=103÷387)がフランス旅行の記事だったわけです。時間はかかりましたが1週間旅をすれば約100の記事が書けることが証明されました。着色文字をクリックすると、その記事群を表示します。
クリックすると拡大クリックすると拡大 区分        記事数
 モンサンミッシェル  21
 オンフルール      3
 ロワール城めぐり   13
クリックすると拡大クリックすると拡大 ルーブル美術館     9
 ヴェルサイユ宮殿   19
 オルセー美術館     7
 セーヌ川クルーズ    4
クリックすると拡大クリックすると拡大 パリのレストラン    8
 その他のパリの記事  12
 フライト 行き 帰り  3
 土産 その他      4
 合計         103
クリックすると拡大
nice!(131)  コメント(24) 

セーヌ川クルーズ その2 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

   ━━   セーヌ川クルーズ
     セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
     泊まったホテル
   A~Y くぐった橋
フランス旅行の最終日(7日目)の最後の観光は、BATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)でのセーヌ川クルーズでした。そのセーヌ川クルーズを4つ分けて紹介しておりますが、すでに①その1と④特別編は掲載させていただきました。今回の②その2では上の地図の右端(上流側)から乗場の位置( )まで戻ってくるルートの景色を紹介したいと思います。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで ABCDEFGHIJKLMN
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで  OPQRSTUGFEDCBA
 ③ その3 乗場付近から西方向       VWXYYXWV
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 J K P R

この場所でクルーズ船がUターンいたしました。見えている橋は①その1の記事の最後に紹介したオステルリッツ橋です。
 橋名 オステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)
 形式 アーチ橋
 材料 煉瓦
 全長 173.8m
 幅  30m
 建設 1801年~1805年 1854年 1884年~1885年
クリックすると拡大

こちらUターンした後の写真です。川が左右に分かれているように見えますが、セーヌ川の真ん中に中州があるためです。見えている中州の名前はサン=ルイ島です。その奥にシテ島があります。左右に形の違う橋がありますが、両方ともにシュリー橋でです。2つの橋はつながっいて一つの橋になっています。左側のシュリー橋をくぐってきて、右側のシュリー橋をくぐって戻りました。
クリックすると拡大

こちらがくぐってきた左側のシュリー橋で、ノートルダム寺院(大聖堂)が見えます。
クリックすると拡大

ここから右側のシュリー橋に向かいます。
クリックすると拡大

こちらが戻るときにくぐったシュリー橋です。石の橋と鋳鉄製の橋の組み合わせでした。
 橋名 シュリー橋(Pont de Sully)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄 石
 全長 256m
 幅  20m
 建設 1874年~1876年
クリックすると拡大

シュリー橋をくぐるっているところの橋です。左側にサン=ルイ島の護岸が見えてきました。
クリックすると拡大

左にサン=ルイ島を見ながら曲がっていく石の橋が見えてきました。緑に囲まれた素敵な景色に出会いました。石の橋は382年前に作られたマリー橋(Pont Marie)です。サン=ルイ島の開発のために作られた橋で、開発を手がけたクリストフ・マリーにちなんで名前が付けられました。その時代の一大事業だったのだと思います。ポンヌフ(410年前建設)と並ぶ古い橋であることから1887年2月10日に歴史的記念建造物に指定されたそうです。
 橋名 マリー橋(Pont Marie)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 92m
 幅  22m
 建設 1614年~1635年
クリックすると拡大

こちらのマリー橋は④特別編で紹介した笑顔で手を振ってもらえた橋の一つなのです。
クリックすると拡大

近づくと沢山の人が手を振ってくれました。
クリックすると拡大

恒例のマリー橋をくぐる写真を紹介します。次のルイ・フィリップ橋(Pont Louis-Philippe)が見えています。
クリックすると拡大

ルイ・フィリップ橋も中州のサン・ルイ島を結ぶ橋です。この橋は再建された橋でオリジナルの橋は1833年に建設され、オルレアン朝のフランス国王であったルイ・フィリップが王座につくことになった「栄光の三日間」を祝うために、自ら名付けたそうです。その橋は1848年の2月革命で焼失し、新しく再建されたのが今の橋で、当初は改革橋と呼ばれていたそうです。
 橋名 ルイ・フィリップ橋(Pont Louis-Philippe)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 100m
 幅  15.2m
 建設 1860年~1862年
クリックすると拡大

橋脚は4mの太さがあるそうです。橋脚に取り付けられている飾りはバラの丸い金属版を石製の木の枝が取り囲む装飾です。
クリックすると拡大

装飾の部分を拡大いたしました。
クリックすると拡大

ルイ・フィリップ橋をくぐる写真も掲載させていただきました。橋の下から次のアルコル橋が見えます。
クリックすると拡大

サン=ルイ島のエリアからシテ島のエリアに入るとノートルダム寺院の尖塔がビルの上に見えます。
クリックすると拡大

見えているのはアルコル橋(Pont d'Arcole)です。この橋が出来るまでの鉄の橋は鋳鉄が使われていましたが、初めて錬鉄が使われた橋でもありました。錬鉄が使われたこともあり橋脚のない構造が採用されたようです。
 橋名 アルコル橋(Pont d'Arcole)
 形式 アーチ橋
 材料 錬鉄
 全長 80m
 建設 1854年~1856年
クリックすると拡大

左側はシテ島ですが、パリの中心と結われるだけあって見事な建物が並んでいました。塔のある建物が建設当社はシテ城(王宮)でのちに監獄として使われてコンシェルジュリーです。その手前の立派な建物はGoogle地図では総合病院と書かれていました。その建物はホテルとなっているようです。
クリックすると拡大

アルコル橋も手を振る人たちに出会えた橋でした。
クリックすると拡大

アルコル橋をくぐる雰囲気も紹介します。次の橋はノートルダム橋です。
クリックすると拡大

現在の橋は103年前の1914年に建設されたものですが、400年前後の橋があるパリの中ではアルコル橋は新しい方なのかもしれません。ところがノートルダム橋の場所はパリで最初に橋が架けられたところだそうです。その年代ははっきり判りませんでしたが橋の名前はグラン・ポン(大きな橋)とよばれていたそうです。その次に架けられた板橋は1131年前の886年であることが分かっていることから1131年を超える歴史的な橋の橋であることが分かりました。最初にノートルダム橋の名前が付いた橋が建設されたのは1443年だそうです。現在の橋の鋼鉄製の中央部分の支間長は60mです。左はまだして島で、塔のある建物がコンシェルジュリー(Conciergerie)で、その手前のドームのある建物がGreffe du Tribunal de commerce de Parisです。
 橋名 ノートルダム橋(Pont Notre-Dame)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄・石
 全長 105m
 幅  16m
 建設 1910年~1914年
クリックすると拡大

橋に近づいてからは全体が撮れなかったので中央部分の写真を掲載しました。上の写真と合わせて全体を想像してみてください。
クリックすると拡大

橋をくぐる写真を紹介します。次のシャンジュ橋の全景が撮れているのはこの写真になります。
クリックすると拡大

シャンジュ橋を紹介します。シャンジュ橋と言えばコンシェルジュリーです。初代の橋は9世紀に建設されて、橋の上に彫金師、両替商が店を構えていたためシャンジュ橋と呼ばれるようになったそうです。
 橋名 シャンジュ橋(Pont au Change)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 103m
 幅  30m
 建設 1858年~1860年
クリックすると拡大

100年前の1900年前後のセーヌ川の観光船の写真をネットから転用させていただきました。橋脚の装飾とアーチの形からシャンジュ橋と思われます。
クリックすると拡大

Googleマップのストリートビューで上の約100年前の写真がシャンジュ橋であることを確認してみました。建物の形などから写真の橋がシャンジュ橋で、コンシェルジュリーのあたりから撮ったものであることが分かりました。


こちらがシャンジュ橋をくぐるときの写真です。
クリックすると拡大

橋を抜けるとコンシェルジュリーが大きく見えてきました。
クリックすると拡大

シテ島の横で最後の橋のポンヌフです。①その1の記事でシテ島の反対側のポンヌフを紹介しましたが、島を跨いだ1本の橋です。今から410年前に造られたパリで現存する最古の橋でもあります。この橋をがシテ島の最後の橋なので、この橋をくぐった後はその1で紹介したルートと同じところを反対方向に走ることになります。
クリックすると拡大

ポンヌフのくくる寸前の写真です。
クリックすると拡大

比してこちらがポンヌフているところの写真です。
クリックすると拡大

ここからは①その1で通った橋です。見えている橋は手前から、ポンデザール(Pont des Arts)、カルーゼル橋(Pont du Carrousel)、ロワイヤル橋(Pont Royal)です。ロワイヤル橋の奥に見えている大きな建物はオルセー美術館です。
クリックすると拡大

遠くにエッフェル塔が見える景色はパリを感じさせてくれます。
クリックすると拡大

ポンデザール(Pont des Arts)に近づいてきました。バックの建物群は絵になります。
クリックすると拡大

ポンデザールをくぐる写真です。
クリックすると拡大

ポンデザールをくぐると次の橋が見えてきます。手前がカルーゼル橋(Pont du Carrousel)で奥の橋がロワイヤル橋(Pont Royal)です。
クリックすると拡大

その1では下流側からくぐる写真を紹介しましたが、ここではカルーゼル橋を上流側からくぐる写真も紹介します。先に見えているのはロワイヤル橋(Pont Royal)です。
クリックすると拡大

オルセー美術館をバックにしたロワイヤル橋(Pont Royal)です。①その1では右側にオルセー美術館が見えましたが、帰りは左に見ることが出来ます。
クリックすると拡大

ロワイヤル橋をくぐるているところです。レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)が見えます。
クリックすると拡大

1900年のパリ万博万国博覧会の会場でもあったガラス張りのグラン・パレ(Grand Palais)をバックにしたレオポール・セダール・サンゴール橋です。その奥の橋はコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。
クリックすると拡大

レオポール・セダール・サンゴール橋は沢山の南京錠が取り付けられていることでも有名です。
クリックすると拡大

レオポール・セダール・サンゴール橋をくぐった後の景色です。グラン・パレ(Grand Palais)も大きく見えてくるようになりました。
クリックすると拡大

こちらがコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。
クリックすると拡大

コンコルド橋をくぐるとアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)が見えてきます。
クリックすると拡大

エッフェル塔をバックにしたアレクサンドル3世橋です。
クリックすると拡大

金色の像が乗った高さ17mの柱とセーヌ川の妖精(Les Nymphes de la Seine)と呼ばれている装飾の中間にエッフェルト塔が来た瞬間の写真です。
クリックすると拡大

次のアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。上流側から見ているので橋脚の部分の彫刻は「陸の勝利」です。下流側の彫刻「海の勝利」は①その1で紹介いたしました。
クリックすると拡大

約100年前のアンヴァリッド橋も紹介します。
クリックすると拡大

こちらが陸の勝利と呼ばれている彫刻です。クリックすると露出調整をした写真を表示します。
クリックすると拡大

今回の記事での橋をくぐる最後の写真です。右に出発地点のバトー・ムーシュ乗降場が見えます。
潜っている橋はもちろんアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。
クリックすると拡大

出発地点に近づいてきました。
クリックすると拡大

クルーズ船の出発地点ですが通り過ぎます。
この続きは、③その3で紹介します。
クリックすると拡大
nice!(71)  コメント(12) 

セーヌ川クルーズ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
セーヌ川クルーズのその1(乗場から東方向の折り返し点まで)の記事で紹介したようにセーヌ川クルーズの楽しみの一つが、橋の下をくぐることですが、もう一つの楽しみが、橋の上から我々のために手を振ってくれる姿に出会えることです。ここでは特別編として、その「うれしい笑顔」を紹介したいと思います。その2、その3は後日紹介したいと思います。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで
 ③ その3 乗場付近から西方向
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。

こちらの地図の中央付近の茶色のマーク( )のバトー・ムーシュ乗降場でクルーズ船に乗って先ずは上流方向(右方向)に進み、Uターンして下流方向(左方向)に行き、元の場所に戻ってきます。笑顔で手を振ってくれた人たちに多く出会えたのは沢山の人が来ているシテ島周辺( )でした。シテ島はノートルダム寺院サント・シャペルコンシェルジュリーがあるパリの中心的存在の中州です。
 ━━ セーヌ川クルーズ
 セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
 パリで泊まったホテル 1、3、4、5、6日目の5泊



最初に手を振る姿に気が付いたのはこちらのプティ・ポン(Petit-Pont)です。
クリックすると拡大

上の写真では手を振る姿は写っていませんが、クルーズ船が近づくと右端の男性のように手を振ってくれました。
クリックすると拡大

写真の左端に移っている男性のようにこたえて船上からも手を振る方がおられました。このあとさらに手を振る方が橋の上からも船上からも増えていきました。歓声も大きくなっていきました。橋からが先なのか船上からが先なのかは分かりませんでしたが、沢山の人たちが手を振ることで楽しんでいるようでした。
クリックすると拡大

次のドゥブル橋(Pont au Double)です。かなり遠くからズームで撮っているので、まだ手を振っている人は見かけませんでした。
クリックすると拡大

最初に気が付いて手を振ってくれたのがこちらの女性でした。拡大しているので大きく写っていますが、まだかなりの距離です。でも船が通り過ぎる最後まで手を振ってくれました。右の女性は我々の船の写真か動画を撮っているようです。上の写真では赤い服の女性と話をしていてまだこちらには気が付いていませんが、そのあとすぐに気が付いて手を振ってくれたのがこの写真です。
クリックすると拡大

船が近づくと手を振る人が増えてきます。こちらが冒頭の写真が、手を振っていない人もみんな笑顔でした。
クリックすると拡大

笑顔で手を振ってくれていますが、手を振っていな人も笑顔でこちらを見てくれています。
クリックすると拡大

上の写真では右端の2人の男性は手を振っていませんでしたが、船が近づいたこちらの写真では手を振ってくれました。
クリックすると拡大

橋に近づいてきました。ノートルダム寺院の尖塔がちょうど中央に写る角度です。やっぱり、手を振ってくれると嬉しいです。
クリックすると拡大

橋をくぐる寸前の写真です。赤いスカーフの女性のように最後まで手を振ってくれひとも多かったです。
クリックすると拡大

ノートルダム寺院の川沿い人たちも笑顔で迎えてくれていました。右端の家族と思われる人たちは手を振ってくれています。
クリックすると拡大

船がUターン戻り始めて2つ目の橋のマリー橋( Pont Marie)です。シテ島の隣のサン=ルイ島と川の北側を結ぶ橋で観光客もさほど多くはありません。それでも20名くらいの人がこちらを見ていました。
クリックすると拡大

マリー橋でもクルーズ船が近づくと手を振ってくれました。
クリックすると拡大

近づくと手を振る人も増えてきます。
クリックすると拡大

さらに近づくと中央の男性も手を振ってくれました。
クリックすると拡大

真ん中の男性と左端の女性は船が橋をくぐるまで手を振ってくれました。
クリックすると拡大

マリー橋の次のアルコル橋(Pont d'Arcole)でも手を振る人たちに出会えました。ただしこの写真を撮った時は遠いのでこちらに気が付いておらず皆さん歩いておられました。
クリックすると拡大

我々に気が付いて手を振ってくれる方もあらわれました。
クリックすると拡大

やっぱり笑顔で手を振ってくれると嬉しいです。橋の欄干の隙間か、らこちらを覗いている小さな子供の姿にも癒されます。
クリックすると拡大

橋の欄干の隙間の小さな女の子の顔がよく見える角度の写真も紹介します。小さな女の子も笑顔でした。
クリックすると拡大

今回、笑顔で手を振る人たちの写真を紹介した橋を拡大した地図で紹介します。書いている橋名の順番に紹介いたしました。
 プティ・ポン Petit-Pont
 ドゥブル橋  Pont au Double
 マリー橋   Pont Marie
 アルコル橋  Pont d'Arcole

nice!(82)  コメント(28) 

セーヌ川クルーズ その1 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
7日間のフランス旅行で最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズとなりました。その7日目は最初にオルセー美術館に行き館内でランチを食べた後にサント・シャペルとコンシェルジュリーと見学いたしました。シテ島の中で乗船場を探しましたが結局見つからなくて、WiFiのつながるところに行き、娘がスマホでクルーズの乗場を検索してなんとかセーヌ川クルーズが実現いたしました。着色文字をクリックすると今までに掲載した記事を表示します。
 1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル オンフルール
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 パリ チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー
 セーヌ川クルーズ 帰国・JL416・パリ→成田

下記の地図で茶色のマーク( )のところがセーヌ川クルーズ乗降場で、エッフェル塔の近く近くでした。シテ島からは地下鉄で行きました。フランス旅行も7日目ともなると地下鉄の移動もスムーズに出来るようになったので無駄な時間は少なくて済みました。他のマークは7日目に行ったところです。セーヌ川クルーズのルートも書き込みました。
 ━━ セーヌ川クルーズ
 セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
 オルセー美術館
 サント・シャペル
 コンシェルジュリー
 パリで泊まったホテル 1、3、4、5、6日目の5泊


クルーズ船の会社名はBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)で、パリの遊覧船としてはもっとも有名な会社だそうです。 Bateaux(バトー)はボートで、Mouche(ムーシュ)はハエ(昆虫)なので直訳するとハエ・ボートという意味になります。この名前は、当初ボートがリヨンのMouche地区で製造されていたことに由来するそうです。
クリックすると拡大

こちらがチケット売り場です。表示から次の船は33分後の15時15分でした。その次は16時00分(16:00)で、その後は16:45,17:30,18:00,18:30,19:00,19:30,20:00,20:30,21:00,21:20,21:40,22:00,22:30,23:00でした。今は45分ごとの出航ですが、17時30分からは30分ごとの出航になり21時からは20分ごと出航になっていることから人気の時間帯がわかります。写真をクリックすると時刻表が分かると思います。
クリックすると拡大

こちらがチケットです。時間は90分間と十分楽しめるクルーズでありながら、料金は13.5ユーロ(1790円)でした。今回の旅行で唯一安く感じた価格でした。
クリックすると拡大

改札機を通ったところが船を待つ場所です。我々はいい席に座りたかったので最初に乗れる位置に陣取りました。
クリックすると拡大

こちらが船の待合広場です。
クリックすると拡大

乗船を待つ場所からはエッフェル塔がよく見えました。
クリックすると拡大

我々が乗る船が付いて前のお客さんが降りているところです。目の前の階段を下りて船に乗りますが我々が先頭集団に陣取っていることが分かってもらえると思います。
クリックすると拡大

進行方向の一番前の席に座りました。それも右端の2つです。右側にするか左側にするか迷いましたが右端にいたしました。
クリックすると拡大

積に座って船が出発前に進行方向を撮った写真です。
クリックすると拡大

動き始めて振り返ると周囲はほぼ満席でした。
セーヌ川クルーズでこれから掲載させていただく写真は約150枚になることから4つの記事で紹介したいと思います。
本記事では①の乗場から東方向の折り返し地点までを紹介します。途中にオルセー美術館やノートルダム寺院があります。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで
 ③ その3 乗場付近から西方向
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。
クリックすると拡大

こちらは出発して最初の橋であるアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。1855年のパリ万国博覧会のために1854年建設が始まり丹前に完成したのは1856年でした。
 橋名 アンヴァリッド橋(Pont des Invalides)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 152m
 幅  18m
 建設 1854年~1956年
クリックすると拡大

橋の右側にはガラス張りの建物であるグラン・パレ(Grand Palais)がありました。1900年のパリ万博万国博覧会のために建てらました。
クリックすると拡大

もともとこの場所には1829年に完成した吊り橋がありましたが老朽化で架け替えられましたが、その時の中央の橋脚を新しく作ったそうです。両側の橋脚は吊り橋時代の橋脚を利用したそうです。クリックすると橋の両端も入れた全長を表示しのす。
クリックすると拡大

3つの橋脚の中央の部分の飾りです。この飾りは「海の勝利」と名付けられていて反対側の上流側には「陸の勝利」と呼ばれる像が同じように飾られています。上流側が「陸」に対して下流側がだから「海」と名付けられたように思えました。
クリックすると拡大

セーヌ川クルーズの楽しみの一つが橋の下をくぐる(潜る)ことです。大きなクルーズ船が橋の下ギリギリをくぐるときは迫力があります。
クリックすると拡大

それでは橋の下をくぐっている時の写真を紹介します。セーヌ川の上流に向かっています。
クリックすると拡大

次の橋はアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)です。1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設された橋です。川に橋脚を建てることなくセーヌ川を一跨ぎしているのが特徴です。4本の柱の上に金色の像が飾られているのが印象的でした。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので是非とも大きな写真で橋の景観を楽しんでみてください。
 橋名 アレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 115m
 幅  40m
 建設 1896年~1900年
クリックすると拡大

中央の「セーヌ川の妖精(Les Nymphes de la Seine)」と名付けられた装飾は見事でした。作者はGeorges Réciponだそうです。アールヌーヴォーの街灯も見事です。パリ万博のために作られた贅を尽くした橋でした
クリックすると拡大

見事な作品なので拡大いたしました。
クリックすると拡大

橋の4隅の高さ17mの上の金色の像には下記の名前が付けられています。後ろの名前は作者です。それぞれ別の芸術家がデザインしたものでした。
 芸術 Emmanuel Frémiet
 農業 Gustave Michel
 闘争 Pierre Granet
 戦争 Clément Steiner
クリックすると拡大

大きな写真で金色の像を紹介します。
クリックすると拡大

アレクサンドル3世橋の下をくぐる写真も掲載いたします。我々の前の手摺も一緒に写しました。橋に手が届きそうです。もちろん届きません。
クリックすると拡大

次の橋はコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。ここまでの3つの橋の中では一番古い橋です。1791年は江戸時代の寛政3年です。明治が始まったのが1868年1月25日なので明治時代が始まる77年前に、この橋が作られたことになります。コンコルド橋の交通量は非常に多いので1930年~1932年にかけて橋の幅を2倍にする拡幅工事が行われたそうです。
 橋名 コンコルド橋(Pont de la Concorde)
 形式 アーチ橋
 材料 石・コンクリート
 全長 153m
 幅  34m
 建設 1787年~1791年
クリックすると拡大

ここに来ると観覧車が大きく見えてきました。
クリックすると拡大

コンコルド橋に近づいてきました。
クリックすると拡大

コンコルド橋をくぐる写真も紹介します。
クリックすると拡大

コンコルド橋をくぐってすぐに振り返って撮った写真です。
クリックすると拡大

コンコルド橋の次は斬新なレオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)です。ソルフェリーノ橋(Pont de Solférino)とも言われています。右側の建物がこの日の午前中に行ったオルセー美術館で、記事でも紹介いたしました。このあたりから歴史的建造物が多く出てきます。
クリックすると拡大

この橋は1999年に歩道橋として作られたものです。元々ここにはナポレオン3世が除幕(1861年)した大きなソルフェリーノ橋がありました。ソルフェリーノ橋の名前は1859年のソルフェリーノの戦いでの勝利を記念したものでした。その橋が川船の衝突などで脆くなってきたために1961年~1992年まで歩道橋に架け替て使われていましたが、さらに今の橋に替わったようです。この橋の設計者は、この斬新な橋により1999年の銀の定規賞(Équerre d'Argent)を受賞したそうです。
 橋名 レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄・木材
 全長 106m
 幅  15m
 建設 1997-1999年
クリックすると拡大

この橋をくぐる雰囲気を味わってください。
クリックすると拡大

橋をくぐるとオルセー美術館の全体が見えてきました。オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅でした。1900年に出来たオルセー駅はパリからオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルで、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていたそうです。
クリックすると拡大

オルセー美術館の外観で魅力的なのがこの大時計が2つあることです。こちらの大時計はセーヌ川で言えば下流側の大時計です。
クリックすると拡大

上流側の大時計と駅舎の外観を残す景観です。
クリックすると拡大

こちらが上流側の大時計です。駅舎自体はエッフェル塔の7500トンの鉄骨をしのぐ12000トンの鉄骨で出来ていますが、セーヌ川に面した正面は化粧石で覆われて、今の景観になったそうです。
クリックすると拡大

こちらが次のロワイヤル橋(Pont Royal)です。クリックすると橋の全長の拡大写真を表示します。その全長の写真はレオポール・セダール・サンゴール橋をくくる前に橋の下から撮ったものです。是非ともクリックしてほしいです。こちらも日本の江戸時代の橋で明治時代に入る179年前の橋です。今から328年前の橋になります。
 橋名 ロワイヤル橋(Pont Royal)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 110m
 幅  16m
 建設 1685年~1689年
クリックすると拡大

左側の建物はルーブル美術館です。ルーヴル美術館はフランス王フィリップ2世が12世紀に建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿)です。見えているのは巨大な建物の本の一部です。
クリックすると拡大

橋脚は4つの橋です。その橋脚部分です。こちらは下流側ですが上流側も同じ形なので橋脚の保護だけでなく川の水をスムーズに流すための三角形の構造物だと思われます。
クリックすると拡大

ロワイヤル橋をくぐる雰囲気をお伝えします。
クリックすると拡大

橋の下をくぐっているところです。次のカルーゼル橋(Pont du Carrousel)も橋の下からだと全長が撮れます。カルーゼル橋は次の通りです。新しい橋ですが元の橋は1831年に作られましたが幅が狭く、危険なほどぐらぐらしていたために今の橋が作られました。橋脚は2つです。
 橋名 カルーゼル橋(Pont du Carrousel)
 形式 アーチ橋
 材料 コンクリート
 全長 168m
 幅  33m
 建設 1935年~1939年
クリックすると拡大

我々が1日目の夕刻にカルーゼル橋から撮ったクルーズ船です。別のタイプですが、似たクルーズ船で椅子の色もオレンジ色なので我々が乗ったバトー・ムーシュ社のクルーズ船だと思われました。我々が乗った船は、この船より2階席が長くて前に下りる階段が無いタイプでした。このクルーズ船の船名を調べてみるとLe Mulet Coureauで、我々が乗ったクルーズ船の船名はL'espoir(La Galére)でした。見えている橋はロワイヤル橋(Pont Royal)で、左に見えている建物はオルセー美術館です。
クリックすると拡大

橋の左側はルーブル美術館です。
クリックすると拡大

ルーブル美術館の建物を拡大いたしました。
クリックすると拡大

カルーゼル橋をくぐっている写真です。潜っているカルーゼル橋を含めて5つの橋が写っています。4つの橋は手前からポンデザール、ポンヌフ、シャンジュ橋、ノートルダム橋です。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

こちらが1984年に作られたポンデザール(Pont des Arts)です。最初の橋も歩道橋として1804年に9連のアーチ橋として作られましたが、1918年と1944年の2回の爆撃と、1961年と1970年の2回の船の衝突で1977年に橋は閉鎖されていましたが、1979年のさらなる船が衝突で60mにわたって崩壊したために新しい橋が作られたそうです。輸送船の往来が多いところは頑丈な橋にすることが重要なことだと認識した事象でした。
 橋名 ポンデザール(Pont des Arts)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 155m
 幅  11m
 建設 1982年~1984年
クリックすると拡大

この建物はフランス学士院(Institut de France)で、フランスの国立アカデミーです。学士院の前身はフランス王立アカデミーで、17世紀に絶対王政のもとでそれぞれ個別に設立された組織だそうです。
クリックすると拡大

ポンデザールをくぐる寸前の写真です。
クリックすると拡大

ここでセーヌ川は2つに分かれます。川の中州であるシテ島によって川が分かれるのです。我々のクルーズ船は右側の川を進みます。島を貫いている橋はポンヌフ(Pont Neuf)です。ポンヌフは410歳とパリに現存する最古の橋です。こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大します。
 橋名 ポンヌフ(Pont Neuf)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 238m
 幅  22m
 建設 1578年~1607年
クリックすると拡大

右側の幅の狭い方のセーヌ川に入っていきます。帰りは左側の川を通って戻ってきます。
クリックすると拡大

小さい方の橋でも4つの橋脚があります。この頑丈さによった410年間も耐え抜いてきたのではないかと感じました。
クリックすると拡大

ポンヌフに近づきました。これより先がパリの中心になっていきます。
クリックすると拡大

沢山の顔の彫刻がありました。全て違う顔のようです。写真には4つの顔が写っていますが、クリックすると6つの顔の彫刻が写った写真が表示されます。
クリックすると拡大

橋の下をくぐる写真です。
クリックすると拡大

さすがパリの中心です。古い建物が並んでいます。川は左に曲がります。
クリックすると拡大

川の右側の景色です。
クリックすると拡大

こちらは左側の景色です。
クリックすると拡大

次の橋が大きくなってきました。
クリックすると拡大

この橋はサン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)です。1378年に初めて橋がかけられて以来、数回架け替えが行われて現在架かっている橋は1857年に作られました。
 橋名 サン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)
 形式 アーチ橋
 全長 62m
 幅  30m
 建設 1857年
クリックすると拡大

見事な建物が続きました。内装は新しくしても、建物の外観は昔のままに使い続けられているそうです。マンションとして使われることが多く古いほど高額だそうです。
クリックすると拡大

サン=ミッシェルに近づいてきました。
クリックすると拡大

ここでも橋をくぐる雰囲気を味わってください。
クリックすると拡大

橋をくぐると次の橋とノートルダム寺院が見えてきます。
クリックすると拡大

橋の名前はプティ・ポン(Petit-Pont)です。
 橋名 プティ・ポン(Petit-Pont)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 32m
 幅  20m
 建設 1853年
クリックすると拡大

セーヌ川の右横の道路の下には不思議な空間がありました。
クリックすると拡大

ノートルダム寺院も大きく見えてきました。
クリックすると拡大

橋の上とバスの上から我々のクルーズ船を見ています。橋をくぐる寸前です。
クリックすると拡大

橋をくぐるとノートルダム寺院が目の前に現れました。
クリックすると拡大

立ち上がって写真を撮ったりする人も急に増えました。
クリックすると拡大

次の橋はドゥブル橋(Pont au Double)です。
 橋名 ドゥブル橋(Pont au Double)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄
 全長 45m
 幅  20m
 建設 1881年~1883年
クリックすると拡大

沢山の人がこちらを見てくれていました。
クリックすると拡大

ドゥブル橋をくぐるとノートルダム寺院が真横から大きく見えてきました。
クリックすると拡大

皆さん立ち上がって写真を撮っていました。
クリックすると拡大

一番歓声が上がっていたと思います。
クリックすると拡大

ほぼ真横です。
クリックすると拡大

川岸の人もにこやかにこちらを見ていました。スマホで写真を撮っている人もおられました。
クリックすると拡大

尖塔の高さ96 mです。尖塔の先端を撮りました。
クリックすると拡大

私はこの角度が好きです。地上からは何度も撮りましたが、クルーズ船に乗って川の中から撮ったのは初めてでした。
クリックすると拡大

船は離れていきます。
クリックすると拡大

名残惜しい瞬間です。
クリックすると拡大

次のアルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)は補修工事中でした。
 橋名 アルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 68m
 幅  17m
 建設 1828年
クリックすると拡大

アルシュヴェシェ橋をくぐっている写真です。
クリックすると拡大

橋をくぐると次の橋であるトゥルネル橋(Pont de la Tournelle)が見えてきます。上の写真に比べて橋が小さく写っているのは広角で撮っているからです。座っている席から広角で撮ると手摺が写ってしまいます。
シテ島の最後部分が写っています。シテ島の先にサン=ルイ島(île Saint-Louis)が写っています。トゥルネル橋の左の陸地がサン=ルイ島です。
クリックすると拡大

船の後ろ方向を見るとノートルダム寺院がまだ見えました。
クリックすると拡大

ノートルダム寺院を拡大いたしました。
クリックすると拡大

トゥルネル橋です。
 橋名 トゥルネル橋(Pont de la Tournelle)
 形式 アーチ橋
 材料 鉄筋コンクリート
 全長 122m
 幅  23m
 建設 1928年~1930年
クリックすると拡大

橋をくぐってきた輸送船は左に曲がっています。我々が通ってきた水路は幅が狭いので広い方に移っているのだと思います。
クリックすると拡大

サン=ルイ島(île Saint-Louis)にも沢山の古い建物が建っていました。見えている橋はトゥルネル橋です。
クリックすると拡大

トゥルネル橋をくぐっている写真です。見えている橋はシュリー橋(Pont de Sully)です。
クリックすると拡大

シュリー橋は川を45度で斜めに横断しています。左側はかなり遠くになります。シュリー橋はサン=ルイ島を貫く形で2つの橋で構成されています。この橋が出来る前も歩行者用の吊り橋がありましたが、1つは1848年革命のときに破壊され、もう1つは1872年にケーブルの腐食で崩壊したそうです。今は車が通れる大きな橋です。鋼鉄製の橋はよくありますが、鋳鉄製の橋は珍しいです。
 橋名 シュリー橋(Pont de Sully)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄
 全長 256m
 幅  20m
 建設 1874年~1876年
クリックすると拡大

アルシュヴェシェ橋、トゥルネル橋、シュリー橋あたりの地図です。シュリー橋が斜めに横断していることやシテ島とサン=ルイ島の関係も判りやすいと思います。


橋が川を斜めに横断しているのが分かってもらえるでしょうか。
クリックすると拡大

シュリー橋をくぐる写真も掲載いたします。
クリックすると拡大

シュリー橋の次はオステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)でした。このあたりになると建物も新しいものになってきました。
オステルリッツ橋は新しく見えましたが建設は1800年代と、意外と古かったです。鉄骨に見えたのはもう一つ奥にあるシャルル・ド・ゴール橋(Pont Charles-de-Gaulle)でそちらは1996年に完成いたしました。驚いたことにオステルリッツ橋は煉瓦(レンガ)で出来た橋でした。
 橋名 オステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)
 形式 アーチ橋
 材料 煉瓦
 全長 173.8m
 幅  30m
 建設 1801年~1805年 1854年 1884年~1885年
クリックすると拡大

煉瓦造りのオステルリッツ橋の一部を拡大いたしました。クリックすると全長を表示します。
クリックすると拡大

古い建物群でなくなってきたので、皆さんも座って落ち着いてゆったりとされていました。遠くに、くぐってきたシュリー橋が見えます。
クリックすると拡大

記念写真もゆっくりと撮れる雰囲気でした。もう少し進んだ川幅が広い場所でクルーズ船がUターンいたしました。
クリックすると拡大

Google地図でセーヌ川の源流から河口までを紹介します。左下のマイナスのアイコンをクリックするとフランス内の位置関係が分かると思います。
クリックすると拡大右の写真はセーヌ川の源(Sources de la seine)に設置された石像です。
 ━━ セーヌ川本流(源流~河口)
  セーヌ川の源(Sources de la seine/翻訳)
  パリ・シテ島(ノートルダム寺院)
  セーヌ川河口
  バルビゾン ミレーが暮らして絵を描いた場所

追伸
2017年9月18日早朝から9月23日まで関西に行っています。その間は皆さんのところに訪問できないことお許しください。

夕食後の散策の続きは「夕刻のセーヌ川」 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
パリ旅行で2016年5月8日11時40分に成田空港を飛び立ち、12時間を超えるフライトでありながら同じ日である5月8日の18時30分にはホテルにチェックインできました。日没の2時間46分前にホテルにチェックイン出来たことからノートルダム寺院の前のカフェでの夕食を兼ねて散策に出来ました。すでに記事で紹介している通り、ノートルダム寺院が目の前に見える一番の席で夕食を食べることが出来ました。1時間の夕食を食べた後も散策をしながらホテルに帰りました。

この日の散策は合計6.78km(=1.65km+2.28km+2.85km)でした。その散策の中で赤色の部分(━━)を歩いた順番で紹介いたします。
2016年5月8日の日没は21時16分53秒なので、ほとんどの写真が日没後の写真です。
 11時40分 JAL415 成田空港出発 → ポチッ
 16時50分 JAL415 シャルルドゴール空港到着
 18時52分 ホテル出発           
 19時01分 マイバス到着          
 19時11分 ルーブル美術館         

 19時15分 セーヌ川散策
 19時43分 ノートルダム寺院到着      
 20時04分 Cafeで軽い夕食         

 21時12分 セーヌ川散策
 21時16分 日没(5月8日21時16分53秒)
 21時41分 夜のルーブル美術館       
 22時01分 ホテルへ戻る          



夕食を食べていた席から見えていた立派な建物の近くを通りました。間近で見ると見事な建物ですが、これが1863年~1867年に建てられたパリ警視庁本部(Prefecture de police)です。
クリックすると拡大

セーヌ川で気になっていた場所に出ました。左側は地面の下に窓が通路で、右は水面すれすれの細い道がある場所です。
クリックすると拡大

右側の水面近くの細い道を歩いてみることにいたしました。この時、ちょうど日没時刻の21時16分でした。
クリックすると拡大

階段を下りている時にナイトクルーズ船が通りました。ディナーを食べながら夜のセーヌ川の景色を楽しむのだと思います。明るい時に見た開放的な遊覧船とは明らかに雰囲気が違っていました。
クリックすると拡大

船を撮った写真から切り取って船内の雰囲気を紹介いたします。やはり格調高いディナークルーズ船でした。パリのレストランで2人で食事をするときは必ず向かい合う形の対面で座りますが、景色を見るためにすべての2人組の人は、4人席であっても進行方向に向かって2人が並んで座っていました。デートのディナーで使うのに最適な場所なのかもしれません。
クリックすると拡大

船体にはBATEAUX-MOUCHES[レジスタードトレードマーク] Pont de l'Almaと書かれていることからバトー・ムーシュ(Bateaux Mouches)社の観光船の中てもディナークルーズに特化した格調高いディナー船だと思われます。Pont de l'Almaは「踊り子橋」の意味のようです。
クリックすると拡大

ネットから船内の写真を転用させていただきました。調べた範囲ですが、18時以降のディナーの値段は99€ 、155€ 、325€ の3種類のようです。( )内数値はこの時の為替レート125.44円/€での日本円です。この価格にワイン代を入れると結構な値段になりそうです。昼のランチは60€(7526円)です。
 Prestige         99€(12418円)
 Excellence       155€(19443円)
 Demande en mariage  325€(40768円)
クリックすると拡大

豪華なディナークルーズ船に見とれている間に、水面スレスレの細い道に出ました。こちらもデート場所だったようです。
クリックすると拡大

護岸にこのようなものが沢山取り付けられていました。船をつなぐものだとは思いますが、上からも下からも遠い位置の金具は、どのような使い道だったのでしょう。
クリックすると拡大

対岸の気になる景色も見上げる形で見ることが出来ました。これは是非ともクリックしてみてください。すでに日没はすぎていて写真の解像度は良くありませんが、雰囲気は感じてもらえると思います。
クリックすると拡大

こちらは来るときにも見かけた最高裁判所です。Cour de cassation(破毀院)と呼ばれています。
クリックすると拡大

セーヌ川沿いの景色も暗くなってきました。
クリックすると拡大

水面に近い場所は若者たちに人気のようです。楽しい会話であふれているのだと思います。この日5月8日は日曜日でした。
クリックすると拡大

いかつい装甲車もお休みタイムのようでした。昼間はカメラは向けにくいけれども、この時間帯なので遠慮なしに撮らせてもらいました。
クリックすると拡大

観光船のクルーズはナイトクルーズとしてまだまだ続いていました。こちらは景色を見るだけのクルーズ船です。最終日(帰国日)の昼間に、こちらのタイプのクルーズ船で景色を楽しませてもらいました。
クリックすると拡大

鋼鉄製の橋のポンデザールと呼ばれているアール橋(1982-1984年)が見えるポン・ヌフ橋(1578-1607年)の上まで戻ってきました。ポン・ヌフ橋はパリで現存する最古の橋です。
クリックすると拡大

こちらもポン・ヌフから鋼鉄製の橋であるポンデザールの方向を見た景色です。上と景観が違うと思いませんか。ポン・ヌフはシテ島を挟んで2つに分かれているのです。こちらは川幅が広い方のポン・フヌからの景色で、上は川幅が狭い方のポン・ヌフからの景色なのです。
クリックすると拡大

鋼鉄製の橋であるポンデザールまで来てみて驚きました。南京錠を取り付けてキーを投げてしまう習慣は世界に広がったようです。この橋以外は石造りかコンクリート製なので唯一南京錠が取り付けることが出来る橋なのです。
クリックすると拡大

こちらは逆に鋼鉄製の橋のポンデザールの位置から見た、現存パリ最古の橋のポン・ヌフです。
クリックすると拡大

ルーブル美術館まで戻ってきました。見慣れない建物に思われるかもしれませんが、これはルーブル美術館の裏側からの姿です。
クリックすると拡大

こちらは、セーヌ川を挟んでルーブル美術館の対岸にある建物です。鋼鉄製の橋ポンデザールの正面です。立派な建物だったのでポンデザールの上から写真を撮りました。両側がポンデザールの橋欄干です。橋の床が木で出来ていることが分かりました。
この建物はフランス学士院(Institut de France)です。フランス学士院は国立アカデミーで、現在は、次の4つのアカデミーで構成されているます。
 アカデミー・フランセーズ 1635年設立
 碑文・文芸アカデミー   1663年設立
 科学アカデミー      1663年設立
 芸術アカデミー      1666~1671年設立の3つアカデミーが起源
クリックすると拡大

上の数枚の写真の位置関係がよくわかる3Dの画像を紹介します。
クリックするとルーブル美術館のガラスのピラミッドまでの範囲に広げた画像を表示します。
クリックすると拡大

ルーブル美術館の夜のガラスのピラミッドです。この時21時41分でした。ここからはオペラ通りを歩いてホテルに向かいました。
クリックすると拡大

オペラ通りを歩いている頃は暗すぎてきれいな写真が撮れなかったので翌朝のオペラ通りの写真を紹介します。時間は6時26分です。モンサンミッシェルツアーの集合場所であるマイバス事務所に向かう時に撮りました。朝食が食べれるところを探すためにホテルを早く出たのです。正面に見えているのがオペラ座です。2016年5月9日のパリの日出は6時15分42秒でした。
クリックすると拡大

セーヌ川の橋 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
パリのノートルダム寺院はセーフ川の中州であるシテ島に建っています。そのノートルダム寺院に行ったときにセーヌ川沿いを歩いてみました。上の写真はアルシュヴェシェ橋から見たセーヌ川の中州、サン・ルイ島です。ちなみに写っている橋はトゥルネル橋です。左端の護岸がノートルダム寺院のある中州・シテ島です。

島の北側のセーヌ川に掛かる橋を上流側(右側)から順番に紹介します。紹介していく島の北側の橋はルイ・フィリップ橋、アルコル橋、ノートルダム橋、シャンジュ橋、ポン・ヌフ橋、ポン・デザールです。
橋の位置は地図に赤い文字で追記いたしました。ポン・デザール以外の橋は載っています。クリックして拡大すると橋の名前も確認しやすいと思います。立派な建物も地図で確認出来ます。
クリックすると拡大

島の南側の橋も含めてGoogle地図で橋( )を紹介いたします。
マーク をクリックすると橋の名前を表示します。
 セーヌ川にかかる橋
 Café Panis‎ 昼食を食べたカフェ
 ノートルダム寺院(中央) ルーブル美術館(左上)


最初はサン・ルイ島に掛かるルイ・フィリップ橋ですが立派です。
クリックすると拡大

サン・ルイ橋の上からのパリ市庁舎の見える景色です。左端に小さく見えるのがアルコル橋でノートルダム寺院の前の道路です。今回の記事に使っている橋の写真は、橋を撮ったのではなくセーヌ川沿いの景色を写した写真に偶然に橋あるいは、景色の一部として写っていたのです。
クリックすると拡大

アルコル橋です。フランス国旗が掲げられている立派な建物は市立病院で、その先にあるのがコンシェルジュリーで、その先に裁判所があります。
クリックすると拡大

ノートルダム橋の上からコンシェルジュリーと裁判所を撮りました。橋の欄干がノートル橋です。
クリックすると拡大

ノートルダム橋の上からシャンジュ橋を撮りました。
クリックすると拡大

さらに下流にあるのが現存するパリ最古の橋のポン・ヌフ橋です。エッフェル塔と最高裁判所とポン・ヌフ橋の景色も見事!
クリックすると拡大

ポン・ヌフ橋の拡大写真です。 遠くにエッフェル塔が見えます。ポン・ヌフは1604年に国王アンリ4世の命で架けられたパリで最も古い橋です。当時は橋の上に店が建っていましたが一般的だつたため、建物がなく川の流れが見渡せるポン・ヌフ橋は画期的でした。橋の途中にアンリ4世の騎馬像や展望テラスがあります。
クリックすると拡大

下流のポン・ヌフ橋付近から見たシャンジュ橋です。
クリックすると拡大

さらにその一つ下流にあるのがパリッ子の憩いの橋ポン・デザール! でした。
ちなみにルイ・フィリップ橋からポン・デザールまで1.3km程度の距離だと思います。ポン・デザールは1803年に建設された橋でシンプルでモダンなデザインが特徴です。橋は車両が通行できない歩道になっているので夏は日光浴を楽しむパリっ子でいっぱいになるそうです。大道芸の姿も見れるそうです。
クリックすると拡大

島の南側のセーヌ川の橋も一部ですが紹介します。ノートルダム寺院の南側のセーヌ川で水上バスを撮った写真に橋が写っていました。写っている橋はノートルダム寺院に最も近くにかかっている ドゥブル橋です。右の護岸の上にノートルダム寺院が建っています。
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大し野心を掲載いたしました。一番手前のドゥブル橋の一つ奥の橋がプティ・ポンでさらに奥に見えるのがサン・ミッシェル橋です。写真には写っていませんが、さらに奥にあるのが、すでに紹介したポン・ヌフです。
これでノートルダム寺院のある中州・シテ島に架かる橋をすべて紹介いたしました。
クリックすると拡大

ただしアルシュヴェシェ橋の上からの写真は紹介いたしましたがアルシュヴェシェ橋の写真は撮っていませんでした。そこでネットの写真を右下に紹介いたします。実はアルシュヴェシェ橋はノートルダム寺院を撮る最高の場所なのです。下記のノートルダム寺院の写真はアルシュヴェシェ橋から撮ったものです。ノートルダム寺院に関しては前記事に記載いたします。今回、登場してもらった橋は下記のとおりです。クリックすると拡大
 ルイ・フィリップ橋  1860-1862年 石
 アルコル橋      1854-1856年 錬鉄
 ノートルダム橋    1910-1914年 鋼鉄・石
 シャンジュ橋     1858-1860年 石
 ポン・ヌフ      1578-1607年 石
 ポン・デザール    1982-1984年 鋼鉄
 アルシュヴェシェ橋     -1828年 石
 プティ・ポン        -1853年 石
 サン・ミッシェル橋     -1857年 たぶん石
 ドゥブル橋      1881-1883年 鋳鉄
 トゥールネル橋    1928-1930年 鉄筋コンクリート
 サン・ルイ橋     1969-1970年 鋼鉄


セーヌ川(La Seine)は全長780kmのフランス第2の長さの川です。
ディジョン(Dijon)の北西30kmの海抜471mの地点に源を発し、パリ(PARIS)を通ってセーヌ湾に注いでいます。下記の地図はWikimediaから転用させてもらいました。支流も含めたセーヌ川の流域範囲が分かると思います。
クリックすると拡大

Google地図でも位置関係を説明いたします。左下のマイナスのアイコンをクリックするとフランス内の位置関係が分かると思います。
クリックすると拡大右の写真はセーヌ川の源(Sources de la seine)に設置された石像です。
 ━━ セーヌ川本流(源流~河口)
  セーヌ川の源(Sources de la seine/翻訳)
  パリ・シテ島(ノートルダム寺院)
  セーヌ川河口
  バルビゾン ミレーが暮らして絵を描いた場所


2015年1月23日の美の巨人たちで放送された今日の一枚・ミレーの作品「羊飼いの少女」です。この作品でミレーの評価が一変したそうです。
クリックすると拡大
セーヌ川 ブログトップ