ノートルダム寺院の内部を紹介します。 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2016年8月21日掲載 タイトル:ノートルダム寺院の内部を紹介します。
パリに到着した日はホテルに18時30分に到着したことからに散策を兼ねてノートルダム寺院を見学しに行きましたが、タッチの差で建物内には入ることが出ませんでした。したがって外からの写真を撮って、夕食もすぐ近くで食べてホテルに戻りました。上の写真は初日に撮りました。
その時の記事はこちらです。 → 散策&外観 夕食 さらに以前の記事
ルートルダム寺院の外側は初日(1日目)に見たのでパリ滞在中に内部を見学するつもりでした。丁度、4日目にルーブル美術館を見学した後にノートルダム寺院に行くことにいたしました。ルーブル美術館からノートルダム寺院には地下鉄を利用いたしました。
1日目 ノートルダム寺院(外側)
2日目 モンサンミッシェル
3日目 モンサンミッシェル
4日目 ルーブル美術館
4日目 ノートルダム寺院(内側) 今回報告
4日目 凱旋門 シャンゼリゼ通り
5日目 ベルサイユ宮殿
6日目 ロワールの城めぐり
7日目 オルセー美術館
7日目 サント・シャペル
7日目 コンシェルジュリー
泊まったホテル
入口を入って最初に見る景観です。さすが全長が127.50m教会のです。左右の柱の間の中央の空間が身廊です。ノートルダム大聖堂とも呼ばれているローマ・カトリック教会に属する大聖堂です。フランス語ではCathédrale Notre-Dame de Parisです。
教会全長 127.5m
教会全幅 48.0m
尖塔高さ 96.0m
双塔高さ 69.0m
身廊高さ 32.5m
身廊幅 12.5m
正面に主祭壇があります。
石で出来た水盤のようなものがありました。その石には「YO SOY EL CAMINO QUE BUSCA VIAJEROS」と書かれていました。
見上げると建物の大きさが伝わってきました。託さなの窓は見事なステンドグラスで飾られていました。
教会内は厳かな雰囲気が伝わってきました。
天井も見事な芸術品でした。
吊り下げられたシャンデリアも見事でした。
静かな雰囲気の中に沢山のシャンデリアが吊り下がっていました。
見事な彫刻もありました。
赤とオレンジのローソクも雰囲気がありました。
主祭殿以外にマリア像や小さな祭壇が沢山ありました。
主祭壇の前です。
こちらが主祭壇です。
主祭壇上のステンドグラスです。
地上に近い部分には大きなスタンドグラスが並んでおり、全て違うデザインでした。
上のステンドグラスと形は似ていますが、デザインが違うことが判ってもらえると思います。
出来る限り沢山のステンドグラスを紹介したいと思います。
こちらのステンドグラスも見事です。
ステンドグラスの前には小さな祭壇画が置かれており、石像も設置されたところが多かったです。
こちらもステンドグラスの横の石像です。
別のせてんどグラスを紹介します。
柱の内側から見たステンドグラスもきれいです。
こちらのステンドグラスの前にも祭壇が設けられていました。
こちらにも祭壇が設けられていました。
デザインが違うことが判ってもらえると思います。
こちらのステンドグラスも見事です。
上と似ていますが、約見ると違います。
柱の陰に見えるステンドグラスです。
南側と北側には直径13mの巨大なステンドグラスがあります。こちらの写真は北側の窓(北窓)です。
北窓を正面から撮りました。北窓には聖母子が描かれているそうです。
北側の直径13mの巨大ステンドグラスを拡大いたしました。
直径13mの南窓を下から見上げました。
こちらは南側の直径13mの巨大ステンドグスです。
南側の南窓を拡大いたしました。クリックして拡大して南窓と北窓を比べると形が似ているようですが、微妙に違うとともに、ステンドグラスに使われている絵も違うことが判ってもらえると思います。
北窓と南窓のデザインが違うことを一目で判ってもらうために巨大ステンドグラスの中心部分を並べてみました。
北窓の中心部 南窓の中心部
尖塔が立っている天井部分です。見えているステンドグラスは南窓です。主祭殿は左側で、入口となっている双塔(南塔と北塔)は右側です。
北窓を見上げた写真です。
方向を変えて見上げた北窓です。
引き続き地上近くのステンドグラスを紹介していきます。
こちらにも石像が置かれていました。大きな絵も飾られていました。
こちらにも祭壇があり、絵も飾られていました。
パイプオルガンの裏にもステンドグラスがありました。このステンドグラスが双塔(南塔 & 北塔)の間のステンドグラスだとしたら1210年に作られて、この教会で最も古いステンドグラスで、預言者達が描かれているはずです。直径も9.6mの大きさとなります。
こちらの祭壇には沢山のローソクや飾り付けが行われていました。
こちらは石像と絵画でした。
こちらも石像と絵画です。
正面に石像が置かれて左右に絵画が飾られていました。
一枚を拡大してみました。
少しデザインが違うステンドグラスもありました。高い位置のステンドグラスまでは比較できませんでしたが、少なくとも地上近くのステンドグラスは全て違っていました。このことから全ての窓のステンドグラスが違っている可能性を感じました。
余談ですが本記事が2000掲載目となりました。
館内にはノートルダム寺院の建設の歴史も展示されていました。
こちらが1163年のルートルダム寺院です。この年である1163年に内陣の建設が始まりました。建てられた位置が判るように書かれていました。
こちらが1245年の姿です。1240年に北塔が完成して1250年に南塔が完成しました。1265年には中央の尖塔も完成していて今に近い姿になっていました。
こちらが1265年の姿です。尖塔だけは現在よりも低い感じがします。
こちらが冒頭の写真の2016年の姿です。
2019年4月16日19時追記 タイトル:ノートルダム寺院で火災
世界中の人が悲しむことが2019年4月15日にノートルダム寺院に発生いたしました。驚いたことに石造りで火災とは無縁と思っていたノートルダム寺院で大きな火災があり、屋根や尖塔が焼け落ちるなど大きな被害が出たことから、ネット上の記事の内容を枠内に転記する形で追加掲載いたしました。右の写真を見ると貴重なステンドグラスも被害を受けたみたいで、ほんと心配です。日本でも注目されているようで追加掲載する前の私のオリジナルの本記事へのアクセス数も急に約800倍に増えました。
2019年4月01日~15日平均 2件/日(=29÷15 全アクセスの0.0672043%)
2019年4月16日0時~19時 1361件(全アクセスの41.0%)
2019年4月16日 1612件(全アクセスの37.3%) 訪問:1463人
2019年4月 2246件(全アクセスの2.70%) 訪問:1811人
ノートルダム寺院で大規模な火災、尖塔焼け落ちる[2019年4月16日11時47分 日刊]パリ中心部の観光名所で世界遺産のノートルダム寺院(大聖堂)で15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)ごろ、高層部から出火、屋根が炎上する大火災となり、高さ約90メートルの尖塔(せんとう)が焼け落ちた。消防当局の懸命の消火活動で16日未明、鎮火に向かい、建物の大規模な崩壊は防がれた。検察当局は失火の疑いがあるとみて捜査を始めた。
フランスのテレビは消防士1人が重傷を負ったと伝えた。寺院関係者や観光客の死傷の情報は入っていない。パリ市当局者は寺院が保有する宗教芸術など多数の貴重な文化財は運び出されるなどして焼失を免れたと述べた。マクロン大統領は寺院再建を誓った。
寺院は一部が改修工事中だった。屋根の上に組まれていた工事用の足場周辺から出火した可能性が指摘され、工事関係者が事情を聴かれているとの報道もある。建物の屋根や尖塔は木材が使われており、これが激しく燃えた一因とみられる。
ノートルダム寺院は付近のセーヌ川一帯がユネスコの世界文化遺産に登録されている。フランスやパリの象徴とも見なされ、世界中から年間約1300万人が訪問する寺院の火災は、国内外に大きな衝撃を広げた。
火災を受け、マクロン氏は15日夜に予定していたテレビ演説を延期して現場入り。「ひどい悲劇」に見舞われたが「最悪の事態は免れた」と述べた。寺院再建のため国際的な募金活動も始めたいと語った。
グッチやイブ・サンローランなど有名ブランドを手がける企業のトップは1億ユーロ(約127億円)を寄付する意向をフランスメディアに伝えた。
ローマ法王庁(バチカン)は「世界とフランスのキリスト教の象徴が壊れたことに衝撃を受け悲しんでいる」との声明を出し、パリ市民への連帯を表明した。
セーヌ川のシテ島にあるノートルダム寺院は12世紀に工事が始まり、14世紀に完成。ゴシック様式の建築はフランスの美術史上極めて重要な位置を占める。 (共同)
ノートルダム寺院の内部の火災中および消火後の写真です。実際の写真で見ると無残です。6枚の写真は「Notre-Dame en feu À l'intérieur」で検索して転用させていただきました。
写真を見る限りですが、どうやら2016年に紹介した直径13mの巨大ステンドグラスを含みステンドグラスの多くが致命的な破壊は免れたようです。おそらく地表に落ちてくる火のついた多量の木材の消化を決死て行って、椅子などへの延焼を防いだために被害は最小限に抑えられたのだと思います。さらに石で出来た天井に穴が開いたのは一部だけで、火のついた木材の落ちてくる場所が限られていたことも被害が致命的にならなかった理由でもあるようです。
航空機あるいはヘリコプターから撮られた火災中のノートルダム寺院です。屋根が焼け落ちて、正に炎の十字架です。ノートルダム寺院全体が炎に包まれているように見えますが、上の写真を紹介した時に記載している通り、屋根が焼け落ちても、右下の小さな写真の石造りの頑丈な天井(一部は崩壊)によって下の空間が守られていたのです。
つまり石の天井の上が全面的に燃えている写真なのです。この頑丈な石の天井のおかげで内部の壊滅的な被害を免れたと思われます。もしこの状態で空中消火機を投入していたならば、守っていた石造の天井が抜け落ちて壊滅的な被害となった可能性が高いように思われます。
参考にGoogleマップの航空写真を紹介します。上の写真の炎の形が屋根の形であることが分かっていただけると思います。左方向が東南東方向です。
地図内に赤い文字でIncendie de la cathédrale Notre-Dame de Parisと書かれているのが印象的でしたが、2019年4月18日の6時の時点では表示が無くなりました。
2019年4月17日 7時24分時点でネットで公表されていた被害状況です。
実際に見ていないので状況は判らないために、記載されていた内容を枠内に、そのまま転記させていただきました。
火災の炎の温度は1200℃以下のため、屋根や尖塔に使われている約300トンの鉛は炎では気化することはありませんが、炎で溶解した鉛は煙の一部に含まれ空中で個体となり飛散したものも多少はあると思われます。2019年4月17日 7時24分までに判明している被害状況■聖遺物
イエス・キリスト(Jesus Christ)が十字架刑に処される際にかぶっていたとされる聖遺物「いばらの冠(Holy Crown of Thorns)」は無事運び出され、現在はパリ市庁舎で保管されている。消防隊はさらに、後に聖人となった13世紀の国王ルイ9世(Louis IX)が着用していたとされるチュニックも救い出した。
15日の火災で崩落した尖塔には、いばらの冠の一部と、パリ市民の間で広く尊ばれている聖人2人、聖ドニ(Saint Denis)と聖ジュヌビエーブ(Saint Genevieve)の遺物があった。
■パイプオルガン
15世紀に製造されたオルガンは数世紀かけて拡張され、現在では8000本近いパイプを有するフランス最大級のオルガンとなった。ノートルダム寺院に3人いるオルガン奏者の一人で、同寺院で35年にわたり演奏してきたフィリップ・ルフェーブル(Philippe Lefebvre)氏は、オルガンに火の手は及ばなかったものの、オルガンの構造が損傷を受けた恐れがあると説明。オルガンの一部ががれきやほこり、水に覆われたと話している。
■ステンドグラス
同寺院が誇る「ばら窓」3つは、ステンドグラスで作られた円形の窓で、13世紀の建造以来、数回にわたり修復されてきた。16日時点で、南側の窓と、西側正面の2つの鐘楼の間に位置する窓の計2つが無事となっている。フランク・リーステール(Franck Riester)文化相は、ばら窓は「破滅的な損害を受けなかったようだ」と語った。
■聖母マリア像37体
寺院内には37体の聖母マリア像が設置されている。リーステール氏は、寺院内の文化財については安全が確保され全面的な調査が可能になった際により詳しい状態が分かると述べている。
■絵画作品
パリの金細工師組合は1630年から1707年の間、毎年5月1日に絵画作品1点をノートルダム寺院に贈呈した。76ある作品のうち、13点が寺院内の複数ある礼拝堂に展示されていた。 リーステール氏によれば、絵画は炎による被害は受けなかったものの、煙と水で損傷。19日にルーブル美術館(Louvre Museum)に運ばれ湿気の除去と修復作業が行われる予定だ。
■13トンの鐘
同寺院で最も古い約300年前に鋳造された鐘は「エマニュエル」の名前で知られ、重さは13トンにも上る。寺院には2013年、9つの鐘が追加された。これらの鐘は火災を逃れたとみられている。
鉛の気化温度は1749°C 鉛の融点は327.5°C
日本ではちょっと手に入りにくいパリのチョコレート Jacques Genin と Patrick Roger [パリ]
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娘とのフランス旅行の5日目にお土産のチョコレートを買うために2ケ所のチョコレート店に行ってみることにいたしました。
パリの沢山のスイーツ店は日本に出店していてパリの有名なチョコレートも日本で簡単に手に入るようになっていますが、今回紹介する2つのお店のチョコレートは手に入れにくいのです。
両方ともにパリで1・2を争う評価もあるほどの人気のチョコレート店でありながら日本では未出店の貴重なお店です。その中の1店は日本でもよく知られて話題性のあるチョコレート店です。そこでこの2店のチョコレートをフランス旅行のお土産に買うことにいたしました。
この日は朝からヴェルサイユ宮殿に行きパリに戻ってきましたが、シーフードレストランのディナーの予約時間19時まで十分に時間があったのでチョコレート店に行ってみることにいたしました。
ホテルで2つのチョコレート店をパソコンに表示してその画面を写真に撮って地図代わりに地下鉄に乗ってお店を探しに出かけました。幸いにも2店ともにホテルから近い場所にありました。
ジャック・ジュナン Jacques Genin
パトリック・ロジェ Patrick Roger
泊まったホテル Opéra駅の近く
こちらが地図代わりにカメラで写真に撮ったパソコンの画面です。
Jacques Genin Patrick Roger
ホテルの近くの地下鉄のQuatre Septembre駅から乗り換えなしで1本で行けました。Quatre Septembre駅から6駅目のRépublique駅から420mの距離の静かな場所にお店がありました。泊まっていたホテルから車で行くとしたら2520mの距離です。
こちらの建物一番手前の部分に目的のチョコレート店Jacques Genin(ジャック・ジュナン)がありました。地下鉄の駅を降りて地図代わりのカメラの画面を見ながらなんとかたどり着きました。初めての場所は太陽が出ていないと南北方向が判らないので地図と道の形から方角を見定めて進んでなんとかたどり着きました。古い建物であることは雰囲気から分かりました。
店名 Jacques Genin fondeur en chocolat
住所 133, rue de Turenne 75003 Paris, フランス
電話 01-4577-2901
営業 平日:11:00~19:00 土・日:11:00~20:00
定休 月曜日
最寄 République駅 420m
その古めかしい建物の正面を紹介します。その建物には文字が書かれていました。クリックすると特別に大きく拡大するので文字が読めると思います。
文字が読める大きさに拡大いたしました。1699年に建てられたことや建築家の名前が書かれているようです。調べてみると実際に噴水が作られたのは1697年で、Bouchera首相がなくなったのが1699年でした。Fontaine Boucheratは1925年3月17日に歴史的建造物として登録されていました。
FONTAINE BOUCHERAT
ERIGEE PAR L ARCHITECTE
JEAN BEAUSIRE
EN 1699
ET AINSI DENOMMEE EN L HONNEUR DU
CHANCELIER BOUCHERAT
噴水名 Fontaine Boucherat Bouchera噴水 ERIGEE PAR L ARCHITECTE
JEAN BEAUSIRE
EN 1699
ET AINSI DENOMMEE EN L HONNEUR DU
CHANCELIER BOUCHERAT
名の由来 Louis Boucherat首相の名前を使用
建築家 Jean Beausire 1651年2月26日~1743 年3月20日(92歳)
きっと、こちらも気になると思い拡大いたしました。ライオンは本物の像ですが、男性は壁に書かれた落書きだと思います。なかなかの雰囲気なので、そのまま残されているのではないかと感じました。318年前の歴史的建造物に落書きとは、信じられませんが、これが芸術の都、パリなのかもしれません。
落書きかどうかを確認するためにGoogleマップのストリートビューで確認いたしました。驚いたことにライオンの胴体も落書きでした。現在(2017年9月11日時点で)見れるストリートビューには Date de l'image : avr. 2016 と書かれていることから2016年4月(フランス語:avr. 2016)に撮影されたと思われます。つまりストリートビューが撮影された2016年4月以降に落書きされたことが分かりました。ここはライオンの口から水が流れ出る泉だったようです。
ストリートビューは、いつかは更新されることから、現状の画面のハードコピーを保管しました。→ポチッ
上で紹介したような歴史的建造物の中にお店がありました。こちらがお店の中です。娘がチョコレートを選んでいるところです。
チョコレート店の中にも318年前(1699年)の建物一部を表に出しているところがありました。Jacques Geninはオーナー・パティシエ(ショコラティエ)のJacques Genin氏の名前そのものです。
右の写真のJacques Genin氏は日本の丸の内、六本木、青山などに出店して有名なラ・メゾン・デュ・ショコラ(La Maison du Chocolat)の元シェフパティシエで、ホテルGeorge V, Meuriceなどにチョコレートやキャラメルを卸して評判が広がったことがきっかけで2008年12月1日に、このお店をオープンさせたそうです。
こちらが買ったチョコレートです。
金属製のケースに入っていました。
これがJacques Genin(ジャック・ジュナン)のチョコレートです。このチョコレートがパリのチョコレートBEST10で2位のボンボン・ショコラです。
Jacques Genin(ジャック・ジュナン)の動画がネットに掲載されていたので紹介します。写真と動画の組み合わせで構成されています。
地下鉄のOpéra駅から1駅の場所に2軒目のチョコレート店Patrick Roger(パトリック・ロジェ)がありました。
距離はホテルから940mなので歩いて買いに行きました。Patrick Rogerカラー(青緑色)のお店でした。こちらのお店の名前もオーナー・ショコラティエであるPatrick Roger氏の名前です。
店名 Patrick Roger Madeleine店
住所 3 place de la Madeleine 75008 Paris
電話 01-4265-2447
営業 10:30~19:30
定休 無休
最寄 Madeleine-Tronchet駅 250m
ショーウインドウにチョコレートのオランウータンが飾られていました。上の写真でも、このウランウータンのチョコレートを確認できると思います。Patrick Roger氏はチョコレートの彫刻家と呼ばれておりオランウータンを初めとして、チョコレートで、いろいろな彫像を作っているようです。右の写真では沢山のカバが群れているところが表現されています。
こちらがPatrick Rogerカラーのチョコレートの箱です。
パリで選ばれたチョコレート人気ランキングBEST10はつぎの通りです。今回紹介の2店のチョコレートが1位と2位でした。6位のチョコの名前は「ボンボン・ショコラと板チョコ」です。
1位 Patrick Roger のクルール
2位 Jacques Genin のボンボン・ショコラ
3位 Jean Paul Hévin のショコラ・アペリティフ・ド・フロマージュ
4位 La Maison du Chocolat の ボンボン・ショコラ
5位 Jean Charles Rochoux のボンボン・ショコラ
6位 Le Chocolat Alain Ducasse Manufacture à Paris のチョコ
7位 Henri Le Roux のボンボン・ショコラ
8位 Les Marquis de Ladurée のローズフレーバーチョコ
9位 Hugo & Victor のスフェール
10位 Chapon のボンボン・ショコラ
そして、こちらがPatrick Roger(パトリック・ロジェ)のチョコレートです。飛行機の中で一部のチョコレートが壊れてしまいましたが、味は美味しかったです。壊れた緑のチョコレートは甘酸っぱい味のお店を代表するチョコレートでした。真ん中の壊れた丸いチョコレートが上で紹介のパリBEST10で1位のクルールです。同じものをお土産として実家に持って行きました。
チョコレートの下には紙が敷かれていると思ったら、それもチョコレートでした。この板チョコも抜群に美味しかったです。Patrick Rogerはフランスに7店舗(パリ6店舗 )とベルギーのブリュッセルに1店舗を展開しています。日本には未上陸です。
チョコレート以外のお土産です。
パリではチョコレート以外ではシャンゼリゼ通りのLADUREEでマカロンを買いました。マカロン以外はモンサンミッシェルで買った塩とクッキーと飴です。
参考にマカロンのお店を紹介します。
こちらは日本に進出している有名なお店です。
店名 LADUREE ラデュレ
住所 13 Rue Lincoln, 75008 Paris, フランス
電話 01-4075-3825
創業 1862年 パリ( Paris )
お店の中は高級な雰囲気であふれていました。沢山の人が入っていました。
こちらがマカロンが入った箱です。
アルコール類は下記の3種類をお土産に買いました。ただしフランスで買ったのは左端の赤ワイン、2010年産のMargauxだけです。
2010年産のMargauxは長年パリに住んでいる知り合いの方にワインバーに連れて行ってもらって教えてもらいました。→ポチッ
焼酎 機内販売 森伊蔵
純米大吟醸 成田空港 井筒屋 伊兵衛 3割5分磨き
赤ワイン CDG空港 Château Marsac Séguineau Margaux 2010
コンシェルジュリー(Conciergerie) [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
世界最高峰のステンドグラスが見れるサント・シャペル(Sainte chapelle)の次に訪れたのはコンシェルジュリー(Conciergerie)でした。訪れたのはフランス旅行の最終日(7日目)であり帰国日でもありました。
コンシェルジュリーはカペー朝(987年~1328年)の王の宮殿として建てられ10世紀から14世紀にかけて王宮として使用されました。パリのセーヌ川の中州であるシテ島に建っていたことからかシテ宮(palais de la Cité)と呼ばれていました。シテ島にはノートルダム寺院があるなどパリの中心的存在の島と言える場所です。宮殿と使われたてましたがヴァロワ朝第3代王であるシャルル5世らによって放棄され、ヴァンセンヌ城に居城が移された後の1370年に牢獄として使われ始められ、セーヌ川に沿って建つ建物の地上階と2つの塔が牢獄(ろうごく)に割り当てられたそうです。コンシェルジュリーは宮殿として約400年使われましたが、観光名所として有名なのが牢獄として使われたことでした。上の写真はセーヌ川クルーズの時に船の上から撮ったコンシェルジュリーです。
且つては王宮であったことから大きな建物のためGoogleマップの3D航空写真で全景を紹介します。すでに紹介したサント・シャペルが左下に写っているのが分かってもらえると思います。サント・シャペルの献堂が1248年4月26日であることから、コンシェルジュリーが王宮として使われていた時代に世界最高峰のステンドグラスのサント・シャペルが建てられたことになります。これだけ近い場所にあることから王宮と教会堂の密接な関係が伝わってきます。王宮と教会堂の間にあるのがパレ・ド・ジュスティスの中庭(cour du Mai)があります。
王宮(palais de la Cité)だったころの絵を紹介します。Wikimediaから転用させていただきました。西側から見た景観です。上の3Dの画像と見比べてほしいです。この絵からサント・シャペルは王宮の城壁の中に建っていたことが分かりました。
パレ・ド・ジュスティス(Palais de Justice de Paris)の中心的存在の中庭とファサードです。ファサードはフランス革命期の1793年4月6日~1795年5月31日に革命裁判所が置かれたそうです。ここの左側がサント・シャペルで右側が牢獄として使われたコンシェルジュリーでした。つまり裁判所の隣が監獄(牢獄)だったわけです。パレ・ド・ジュスティス自体はコンシェルジュリーなども含めた広い施設で、現在は破毀院、パリ控訴院、パリ重罪院、パリ大審裁判所、検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が多くの建物の中に置かれています。
こちらがコンシェルジュリーへの入口です。
非常に広い空間でした。その空間を利用した展示が行われていました。この広い部屋は「憲兵の間」と呼ばれています。床面積は1800㎡だそうで、兵士たちの食堂として使われていたそうです。
展示物の少ない見通せる一からの写真です。
中央の螺旋階段が印象的でした。
かつては王宮だった建物ですが、飾はほとんどありませんでした。そんな中でメドゥーサ(Medousa)が彫られた石板は印象的でした。
この建物が牢獄として使われたことが関係しているかどうかは分かりませんが、各所に鉄格子が使われていました。大広間を仕切るように設置された鉄格子も印象的でした。この鉄格子の奥に牢獄エリアがありました。
鉄格子を拡大いたしました。巨大で見事な鉄格子でした。
石の天井を支える柱の構造も印象的でした。
さらに奥に進むと牢獄がありました。
古い大きなテーブルが置かれた部屋がありました。
こちらが牢獄です。ベッドはなく藁の上に寝ていたのだと思います。
調べてみると最も貧しい囚人パイユー(Pailleux)が多数で入った雑居房だそうです。藁が敷かれた床に直接寝るしかなかったので、この囚人のことを「わら族」と呼ばれたそうです。
部屋は罪の重さではなく経済力で決まったそうです。
ベットがある牢獄もありました。このような牢獄は有料で経済力に応じてその待遇が異っていたそうです。支払った額で囚人は3つに分けられたそうです。こちらの部屋はピストリエ(la pistole 中流層の囚人)の部屋でした。
パイユー 貧困層の囚人 雑居房 藁敷き 不衛生
ピストリエ 中流層の囚人 雑居房 ベッドあり
プリゾニエ・ドゥ・マーク 富裕層の囚人 独居房 ベッド・机あり
上の写真は雑居房ですが、プリゾニエ・ドゥ・マーク(prisonnier de marque 富裕層の囚人)は、さらにお金を払うことで、独房(一人部屋)が与えられ、読書や書き物をすることも許されたそうです。
沢山の牢獄の中で特別な部屋がありました。有名なマリーアントワネットが投獄された牢獄です。
こちらがマリーアントワネットが投獄された部屋です。ここに2ケ月半投獄された後にコンコルド広場にて処刑されたそうです。ここに投獄される前はタンプル塔に投獄されていました。フランス革命の後の恐怖政治時代には隣接された革命裁判所で死刑判決を受けて処刑された人は2780名にもなったそうです。旧体制派の多も死刑となりました。マリーアントワネットも、恐怖政治の犠牲者の一人だったようです。
1792年08月10日 タンプル塔に投獄(幽閉)
1793年08月08日 コンシェルジュリー監獄に移送
1793年10月15日 死刑判決
1793年10月16日 死刑 集団墓地に埋葬
1815年01月21日 王政復古により歴代の王が眠る大聖堂に改葬
頑丈で大きなカギが印象的でした。
兵士の詰め所も横にありました。厳重な監視が行われていたようです。
曰くありげな石も展示されていました。
その曰くありげな石の横では、プロジェクターでコンシェルジュリーに関する説明が行われているようで、熱心に皆さん聞かれていました。フランス語が分かれば、この石がなんであるかが分かったのかもしれません。
排水溝の出口と思われる部分にも鉄格子が取り付けられていました。
階段で2階にも上がれました。
2階には、いろんな展示がありました。この部屋には処刑された人物の名前が書かれていました。ルイ16世やマリーアントワネットの名前もあるそうです。
そして2階にも牢獄がありました。実は上で紹介した3種類の牢獄は2階で撮ったものです。
当時のことを説明した絵も展示されていました。
貴重な資料が沢山展示されているようで沢山の見学の方がおられました。
別の階段で1階に下りました。
神聖な雰囲気の場所ですが2階部分には鉄格子がはめられていました。
鉄格子を拡大いたしました。
ここは「贖罪のチャペル」と呼ばれている礼拝堂のようでした。
ここは唯一鮮やかな色合いの場所であったことから、特別な場所のように感じました。MとAを組み合わせた紋章であることからマリーアントワネットと関係しているように思われ、気になって調べた結果、マリーアントワネットの独房のあった場所で、王政復古の1年後である1815年に「贖罪のチャペル / マリーアントワネット記念礼拝堂」が作られたことが分かりました。すぐに作られたことからみんなが気にしていたのだと思います。また、上で紹介したマリーアントワネットの独房の写真はすぐそばの場所に復元されたもので、本来はこの礼拝堂の場所に同じものがあったわけです。
フランス革命によって犠牲となったマリーアントワネットのために王政復古後に礼拝堂が作られたと知って、少し報われた気がしました。
マリーアントワネットと同じように革命の犠牲となった夫のルイ16世や、ルイ16世の妹のエリザベート(Elisabeth)の像も飾られていました。
我々の間ではあまり知られていませんが、エリザベートは慈愛溢れる性格で、多くの人にしたわれていて、フランス革命の中、兄ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と最後まで運命をともにしたそうです。この時、マリー・アントワネット 37歳、ルイ16世 38歳、エリザベート 30歳でした。
À LA MÉMOIRE À LA MÉMOIRE
DE LOUIS XVI DE MADAME ELISABETH
ROI DE FRANCE SOEUR DU ROI.
この礼拝堂にはいろんな空間が作られていました。
この空間には絵が飾られていました。調べた結果、マリーアントワネットの絵であることも判りました。
中庭もありました。女性囚人の中庭と言われているようです。男性囚人の中庭もあるそうですが、女性用に比べると狭かったそうです。
女性囚人の中庭には洗濯場もありました。ここで女性囚人達は話をしながら洗濯をしていたのかもしれません。
こちらの中庭は断頭台(死刑台)への馬車が出発する場所だったそうです。コンシェルジュリーはサント・シャペルと2枚セットにすると安くなることも訪れた理由の一つでしたが、実際に見てみて有意義な場所であることを知りました。
今回のフランス旅行でコンシェルジュリーの建物の外観を撮ったのはセーヌ川のクルーズ船の上からの冒頭の写真のみなので、2005年12月3日に撮ったノートルダム橋の上からのコンシェルジュリーの写真も紹介します。初めてフランスに来た時にセーヌ川を散策して撮った写真でが、今回が8回目のフランスとなりました。
コンシェルジュリーと周辺の訪問場所を紹介します。
コンシェルジュリー Conciergerie
サント・シャペル Sainte chapelle
ノートルダム寺院 Cathédrale Notre-Dame
━━ セーヌ川クルーズ
サント・シャペル(Sainte chapelle) [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
フランス旅行の最終日(7日目)は帰国日ですがフライトは21時55分発のためパリ市内観光がたっぷりとどきました。オルセー美術館(Musée d'Orsay)で、その後はステンドグラスで有名な教会であるサント・シャペル(Sainte chapelle)に行きました。上の写真がサント・シャペルです。周辺には建物が沢山あるので建物の全体の写真を撮るのは難しいのですが、最も広い範囲が入ったのが上の写真です。
建物の全体を写真で紹介するのが難しいのでGoogle地図の3D画像を掲載いたしました。サント・シャペル(Sainte chapelle)は「聖なる礼拝堂」という意味だそうです。この教会はセーヌ川の中にあるシテ島の中に建っています。シテ島にはノートルダム寺院も建つパリの中心に位置する島でもあります。サント・シャペルはルイ9世が収集し聖遺物を納めるために建てられた教会堂だそうです。建設が開始された正確な日付けは不明だそうですが1241年秋~1244年5月の間に建設が開始され1248年4月26日に献堂されたことから4~6年の工事期間であったと推測されています。
1241年秋 聖遺物がパリに到着した日
1244年5月 ローマ教皇の勅書に工事のことが書かれていた日
建物の下の部分です。
聖遺物の収集はルイ9世(聖ルイ or 聖王ルイ)によって1239年から始められました。この時代多くの貴族は遺物を盗んで収集していましたが、ルイ9世は大金を支払って購入したそうです。有名な物ははコンスタンティノープルのラテン帝国皇帝ボルドワン2世から購入したキリスト受難の貴重な聖遺物である荊冠です。 それ以外に「聖十字架のかけら」や「聖血」や「墓石」などがあります。
上の写真で左の方に移っている入口の部分です。建物が建設(献堂)されて今年(2017年)で769年が経ったことになります。
その入口の上の部分です。
今回の旅行の中で美術館を除き、最も沢山の人が並んでいたところでした。別の日に前を歩いた時は行列が道路のにまで長く続いていました。我々が行った時間帯は意外と少なく13分で中に入れました。
行列に並んでいる時に撮った写真です。入口まで来て分かったことですが、事前にチケットを持っていると早く入れることが判りました。赤い看板のところから建物に入るのですが、その左奥でチケット買って中に入りました。右側と左側に列があるのですが右側はほとんど並んでいませんでした。チケットを持っている人もここまで来て気付くひとが多かったです。
入口を入ってすぐの建物内部の写真です。沢山の人が見学されていました。
礼拝場所に向かって進んで上と同じ方向を撮った写真です。
同じ場所から入口の方向を撮った写真です。
壁の部分の彫像です。
入口から入って最も奥にサント・シャペルの建設を指示したルイ9世の像が置かれていました。
沢山のステンドグラスで飾られていました。
厳かな雰囲気が漂っていました。
それにしても柱が多かったです。実はこれには理由があることを後で知りました。
窓の一番上の部分です。
その窓の一番上のステンドグラスです。
そのステンドグラスの中央の部分を拡大して撮りました。
別の窓の一番上のステンドグラスです。
そのステンドグラスも拡大して見ました。
素晴らしいステンドグラスはありましたが、長い行列が出来る人気の教会にも関わらず、天井は低くく他の教会に比べてもどうして人気なのか不思議に感じながら入口の方に戻りました。
その入口近くに2階へ上がる螺旋階段があり皆さん上に登っていたので我々も登ることにいたしました。そこで驚く光景に出会えたのです。
下の写真が2階へ上がった最初に目に入ってきた光景でした。この景観を見て1階で感じていた疑問が全て消えました。
右の写真の建物の外観をよく見ていればこのことに気が付いたはずですが、余裕がなかったようです。そのまま外に出てしまわなくてよかったです。それでは本格的にサント・シャペル(Sainte chapelle)を紹介したいと思います。
こちらが螺旋階段側から見た正面の写真です。見事なステンドグラスです。と言うよりはステンドグラスで出来た建物と言った方が正確な表現になるような気がします。
少し遠くから撮った仕様面の写真です。本写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
正面に近づいた景色です。ゴシック建築が最も輝かしかった時期の頂点ともいえる傑作だそうです。
こちらは正面の祭壇のような部分です。
祭壇の上の部分のステンドグラスです。
さらに祭壇に近づきました。
上を見上げた景色です。
真上を見上げた、天井とステンドグラスの景色です。見事としか言いようがありません。769年前に、これほどの建物を建てたと思うと、その技術に驚かされます。
少し離れて別の角度から祭壇側を撮った写真です。
建物の側面のステンドグラスの大きさには驚かされました。
螺旋階段側には大きな丸いステンドグラスがありました。
丸いステンドグラスを拡大いたしました。このように丸いステンドグラスは一般的にバラ窓と呼ばれています。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしましたので一つ一つの模様を確認できると思います。
上の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために一部を拡大いたしました。ことらは中央より下の部分です。
こちらの拡大写真は左端の丸い部分がステンドグラスの中央です。
大きな丸いステンドグラスの下の壁は壁画などで装飾されていました。
その壁画の部分です。
中央の壁画を拡大いたしました。
丸いステンドグラスがあった壁の右コーナーです。
こちらは左コーナーです。
このようなステンドグラスもありました。
床も見事な文様で飾られていました。数百年の間、沢山の人が歩いても文様がきれいに残っているのに驚かされました。
名残惜しいけれでも最後に正面の写真を撮ってサント・シャペル(Sainte chapelle)を離れることにいたしました。ここを訪れてサント・シャペルのステンドグラスは世界最高と称されていることに納得いたしました。
1階に下りる螺旋階段です。
外から建物を見てステンドクラスで出来た建物であることが実感されました。ステンドグラスの窓の面積の比率を大きくすると建物の強度は下がってしまいますが、柱を長方形にして強度を保つ工夫があるからこそ出来た内部の景観なのだと思います。つまりステンドグラスのための建物の構造なのだと思います。他の大聖堂と少し外観が違う理由が判りました。
祭壇があった外側です。こちらの写真でステンドグラスの面積を広くするための巨大な長方形の柱がよく分かってもらえると思います。
内部からの景色を想像しながら、外から側面のステンドグラスもじっくり見てしまいました。巨大なステンドグラスの大きさが実感できました。
サント・シャペルと周辺の訪問場所を紹介します。
サント・シャペル
ノートルダム寺院
コンシェルジュリー
ルーブル美術館
オルセー美術館
━━ セーヌ川クルーズ
━━ シャンゼリゼ通り
追伸
2017年7月21日早朝から7月24日まで北海道旅行に行ってきます。初孫がいる長男家族に会って一緒に積丹(しゃこたん)に行き、人気のお店で赤バフンウニを食べてくる計画です。家に帰ってくるのは7月24日の夜遅くです。今回はPCは置いていくので7月21日から7月25日までは皆さんのところに訪問できないことお許しください。新しい記事の掲載やコメントも7月25日以降になると思います。
自転車の手軽さで借りれるレンタル電気自動車 Autolib' [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
フランスは2007から始まった無人でいつでも自由に借りれて返せるレンタルサイクル(Vélib)が普及しています。この日の天気は雨模様だっで自転車が駐輪場に沢山並んでいましたが、普段は残っている自転車が少なく町の中をこの自転車が沢山走っています。この写真はパリのシャンゼリゼ通りに交差する道路で撮ったものです。登録をするといつでも好きな時間に好きな場所で借りれて、好きな場所に返すことが出来るのです。実はこれと似たシステムのレンタカーがあることを知りました。つまり無人で、好きな時間だけ借りれて好きな場所に返すことが出来るシステムです。好きな時間だけと言うところは最近流行りのシェアカーと同じですが、それがさらに進歩したシステムでした。しかも使われている自動車は電気自動車(EV車)でした。
そのことを知るきっかけになったのがフランス旅行5日目にヴェルサイユ宮殿に行った時でした。RER(パリ高速鉄道)に乗ってヴェルサイユ宮殿の最寄駅であるVersailles Chateau Rive Gauche駅に着いて、外に出た時に最初に目に入ってきたのがこちらの写真です。見た瞬間に無人のレンタカーであることかはわかりましたが、それ以上のシステムに関しては判りませんでした。記事を書くにあたり手掛かりになったのが、車の後ろの左側のロゴマークでした。
そのロゴマークが右の画像です。
ロゴマークの中にautolib'の文字が組み込まれていて、そのAutolib'でネット検索することで実態が判りました。
ネット検索 → Wikimedia 詳しい説明
下は前から撮った写真です。このシステムが最初に行われているのパリで、今は3つの町で行われています。5年前から行われていたのにも驚かされましたが、高額なはずの電気自動車が使われていることにも驚かされました。
2011年12月 Paris
2013年10月 Lyon
2014年01月 Bordeaux
車の車種は同じようでしたが先頭は真っ赤な車でした。車でデザインからも後ろの6台と明らかに違うことからモデルチェンジした新型要でした。料金を調べてみると以下の通りで、かなりお得のような気がしました。
基本料金 年間144€
利用料金 ~30分 5€ 30分~60分 4€ 以後30分毎 6€
また、車の場合は事故がつきものですが、万が一の場合の各自の事故負担額も次のように決められていました。
1回目事故 200€
2回目事故 475€
3回目事故 750€
その真赤な最新モデルの車を拡大いたしました。電気自動車の車名はBluecarで、ボロレグループ(Le groupe Bolloré)が開発したそうです。autolib'と言ういい方とutilib'の2種類の言い方があるようです。
車を前から見てフロントガラスの左側にレンタカーの識別番号らしきものがあります。こちらの車の番号はUN05693でした。
普通のAutolib'は4人乗りですが、この赤いAutolib'は2人のutilibは2人乗りで後ろ半分は荷物が沢山載せられるようになっているそうです。
ここでは7台が設置されていました。識別番号らしきものを読み取るとバラバラでした。この番号のバラバラの状況から、いろんな場所の車がいろんな場所に返されていることが想像されました。
1台目 UN05693
2台目 300
3台目 V1009
4台目 C1059
5台目 C0537
6台目 BV01683
7台目 BV05825
こちらが充電と管理を行うケーブルだと思います。これが1番の赤い車のケーブルです。パリ周辺で250ケ所(2012年時点)にステーションが設置されているそうです。採用されている電気自動車の航続可能距離は150km~250kmだそうです。利用者登録は有人のステーションEspace Autolib’(エスパ
ス・オートリブ)に設置されているTV電話を用いて、オペレーターからの指示に従って行います
こちらが2番の車のケーブルです。実は、これらの写真を撮っていたために駅舎の中の石像に気がつかなかったのです。
鉄道や普通のレンタカー(シェアカー)と比較したデーターがありました。家族4で30km離れた場所を往復し、滞在時間を含めて3時間を要した想定の料金です。年会費144€を払ってさえいれば、いずれの場合においても普通のレンタカーより得です。車を返す場所の無い目的地で、滞在時間が長い場合は鉄道が得です。
Autolib' 33.0€
鉄道 50.4€
普通のレンタカー 75.0€ + ガソリン代
パリ市内の観光は地下鉄の一日券が便利 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2016年5月8日~5月15日でのフランス旅行の4日目までの47記事を3ケ月半かけて掲載してきました。5日目以降に関してはこれから掲載していきたいと思います。ちなみに上の写真は7日目に訪れたサント・シャペルのステンドグラスで、今回の旅行の中で最も感激した光景の一つです。詳細は後半の記事で紹介したいと思います。他の記事も書きながらなので5日目から7日目の記事を全て掲載するのは年内を目標にしております。
飛行機の機内 2記事 → 行き 帰り
モンサンミッシェル 21記事 → ポチッ
オンフルール 3記事 → ポチッ
ルーブル美術館 10記事 → ポチッ
パリ市内 11記事 → ポチッ
合計 47記事
下記のスケジュールはこの回の旅行での主な訪問場所です。1日目はホテルの周辺を徒歩で歩きました。モンサンミッシェルとロワールに関しては旅行社(マイバス社)の手配する車とバスを利用しました。残りの3日間に関しては地下鉄と郊外電車を使って移動いたしました。リストのなかの「5回や8回」が地下鉄や郊外電車に乗った回数で、4日目が5回で、5日目が8回で、7日目が5回の合計18回ほど地下鉄や郊外電車を利用いたしました。
1日目 0回 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
2日目 0回 モンサンミッシェル
3日目 0回 モンサンミッシェル
4日目 5回 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
5日目 8回 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
6日目 0回 ロワールの城めぐり
7日目 5回 オルセー美術館 サント・シャペル セーヌ川クルーズ 他
地図で地下鉄で移動した主な観光場所です。その移動に便利だったのが地下鉄でした。パリには東京のように地下鉄であらゆるところに行けるのです。
泊まったホテル
ルーブル美術館
オルセー美術館
サント・シャペル
コンシェルジュリー
ノートルダム寺院
凱旋門
━━ シャンゼリゼ通り
━━ セーヌ川クルーズ
クルーズ乗降場
こちらが地下鉄の乗車券で値段は1.8€です。日本の地下鉄と違い距離には関係なく均一料金なので遠くまで行くときは特に便利です。
さらに便利なのが地下鉄の一日券です。価格は7€のため4回乗ると元が取れます。1.8€x4=7.2€>7€
なんといっても地下鉄に乗ることに毎回乗車券を買わなくて済むのが便利でした。正式にはゾーン1~2の一日券です。
こちらはヴェルサイユ宮殿に行くときに使った地下鉄+郊外電車の一日券です。価格は11.5€で、ヴェルサイユ宮殿を往復するだけでほぼ元が取れてしまうほどお得です。この時は市内の地下鉄も含めて8回乗ったので最もお得な1日となりました。正式にはゾーン1~4の一日券です。
パリの地下鉄の路線図です。クリックすると駅名が読めるサイズに拡大します。我々は泊まったホテルの最寄駅のOpéra駅を拠点に移動いたしました。Opéra駅は3号線と7号線と8号線の乗換駅でもあります。通路で9号線と12号線と13号線にもつながっている便利な駅です。
上の路線図のOpéra駅あたりを拡大いたしました。中心がOpéra駅です。クリックするとオリジナルのPDFを表示します。ヴェルサイユ宮殿に行くときはOpéra駅で地下鉄8番線に乗ってInvalides駅で郊外電車に乗換て行きました。
こちらがOpéra駅8番線のホームです。
シャンゼリゼ通り(L'Avenue des Champs-Élysées) [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
凱旋門(正式名:エトワール凱旋門)の上に登った後はシャンゼリゼ通りを歩いてみました。こちらの写真は凱旋門の屋上から見たシャンゼリゼ通りです。シャンゼリゼ通りは凱旋門からコンコルド広場まで真直ぐに伸びる通りで幅70mの大通りです。長さはWikipediawでは全長約3kmと書かれていますがGoogle地図で計測すると約2kmになります。
左側の歩道を約1km歩き、右側の歩道を凱旋門まで戻ってきました。つまりシャンゼリゼ通り全体の半分を往復したことになります。シャンゼリゼ通りは歩道の幅広いのが特徴で、そのの歩道にはテント屋根の屋外レストランが沢山ありました。
屋外レストランのテント屋根の色は規制されていて、決められた色しか使えないと聞きました。一つがこちらのように赤色です。そして最も多かったのも赤色でした。
2番目に多かったのが青色でした。
もう一つ屋外テントに使える色が白色でした。こちらが白のテントが使われた屋外のレストランです。つまり赤と青と白の3色のいずれかを使うことが出来るのです。赤色と青色と白色と言えばフランス国旗です。そのためにこの3色に限定されたのだと感じました。ただし白のテントは少なかったです。白は汚れが目立つので少ないのかもしれません。
尚、許されている理由は判りませんが2ケ所でレストランの色と統一するためだと思いますが、3色以外の別の色がありました。
散策したルートを紹介します。散策の途中で買い物をしたお店にもマークを入れました。地図上のアイコンをクリックするとシャンゼリゼ通り全体を表示します。
━━ シャンゼリゼ通り 2.0km
━━ 散策ルート 2.1km
凱旋門
PAUL パンを買ったお店
LADUREE マカロンを買ったお店
ここから歩いた順番にシャンゼリゼ通りのの歩道の景色を紹介します。凱旋門からすぐのところで進行方向に撮っています。この後の写真も全て進行方向の写真です。歩道の広さが判ってもらえると思います。右側に車道があります。
雨のシャシゼリゼを堪能させてもらいました。元々、シャンゼリゼ通り辺りは1616年ごろまで、農園と市場だったそうです。
右側に赤色テントの屋外レストランがあります。屋外レストランがある場合は、必ず前のビル内にその屋内レストランがあります。屋外レストランがあっても十分な広さの歩道が確保されていました。
全幅70mの内訳は次の通りです。写真の歩道は北北東側です。歩道にはそれぞれ2列の街路樹があり、車道はその2列目のさらに右側にあります。
歩道 21m 北北東側
車道 28m 片側5車線 計10車線
歩道 21m 南南西側
300m程度進んだ場所です。街路樹はマロニエ(マロンの木)です。マロニエはトチノキ科の別名セイヨウトチノキと呼ばれています。
シャシゼリゼ通りと交差している石畳の道路です。上り坂です。
少し坂道になっているところでは遠くまで見ることが出来ました。さすがフランス人が、世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)と自負しているだけのことはあります。
まだまだ続きました。日本で友好関係にある、通り(Avenue)となっているのが銀座(東京)と久屋大通(名古屋)です。
屋外レストランとビル内レストランが対になっていることが判ってもらえると思います。ここでは点度ではなく大型パラソルが使われていました。
約1km歩いたところでコンコルド広場方向を撮った写真です。ここから先はビルがなくなり、お店も無いので、反対車線に渡り、凱旋門まで戻ることにいたしました。コンコルド広場の先1.2kmにルーブル美術館があります。
道路を渡りながら凱旋門方向を撮りました。広い道路ですが石畳です。
こちらが反対側の歩道です。
ビルの間にこのような空間がありました。ここはAbercrombie & Fitchと書かれていました。bercrombie & Fitch(アバクロンビー&フィッチ)はアメリカのカジュアルファッションブランドの会社です。
車の販売店もありました。レーシングカーが展示されていました。
こちらの歩道も広い空間でした。シャンゼリゼは1975年以降、自転車レース「ツール・ド・フランス」の最終ステージのコースおよびゴールとして使われています。
かっこいい車も駐車していました。
凱旋門に近づいてきました。シャンゼリゼ通りを散策した最大の目的は、まだ日本に進出していない名店で、お土産用のチョコレートを買うことでしたが、この日に歩いた範囲では見つけることは出来ませんでした。ホテルに戻ってネットでチョコレートのお店の場所を調べて、後日に買うことが出来ました。
凱旋門が見えてきました。写真の右の方に屋外レストランのテントの色が赤でも青でも白でもない2軒の中の1軒が写っています。テントの色はビルのレストランの色と合っています。
凱旋門まで戻ってきました。この後地下鉄に乗ってオペラ駅まで活きホテルに戻りました。19時にホテルのロビーで待ち合わせていたのです。
パンを買ったお店です。前半の地図で のマークのお店です。
店名 PAUL ポール
住所 84 Av. des Champs-Élysées, 75008 Paris
電話 01-4953-0141
創業 1889年 リール( Lille )
沢山のお客さんが入っていました。日本に進出している有名なお店です。
翌日の朝食用にパンを買いました。焼菓子としてカヌレ(Canelé)も買いました。右のカヌレの写真は食べかけです。カフレはフランスのボルドー女子修道院(Couvent des Annonciades)で古くから作られていた菓子だそうです。
こちらではマカロンを買いました。前半の地図で のマークのお店です。こちらも日本に進出している有名なお店です。
店名 LADUREE ラデュレ
住所 13 Rue Lincoln, 75008 Paris, フランス
電話 01-4075-3825
創業 1862年 パリ( Paris )
お店の中は高級な雰囲気であふれていました。沢山の人が入っていました。
お土産用のマカロンを買いました。日本でも有名なお店です。
最後にシャンゼリゼ通りが、日本でも広く知られる元となった流行歌「オー・シャンゼリゼ」を紹介いたします。日本語版→ポチッ
オー・シャンゼリゼ(Les Champs-Élysées)は1968年にイギリスで発表された原曲(Jason Crest)のロンドンの「ウォータールー通り」の歌詞の部分をパリの「シャンゼリゼ通り」に差し替えて1969年発表されました。紹介の歌は1971年にレコードで発売されたダニエル・ビダルが歌った「オー・シャンゼリゼ」です。ダニエル・ビダル(Danièle Vidal)さんは1952年6月27日生まれのフランスの女性歌手です。日本語の歌のレコードを出すだけでなく、テレビのバラエティ番組にも出演しました。
パリの凱旋門 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
フランス4日目は最初にルーブル美術館を見た後、地下鉄で移動してノートルダム寺院を見に行きました。この日は19時にからフランスに住んでいて長年お世話になった方とホテルで待ち合わせた後に、その人のお薦めのワインバーで食事をすることになっていました。ノートルダム寺院を見終わったて、少し時間があったので手軽に行ける凱旋門に行ってみることにいたしました。
ただし、この日は傘を持ってこなかったのに、ドシャ降りとなったことから一旦、地下鉄でホテルに帰って、着替えた上で傘を持って、上の写真の凱旋門に行くことにいたしました。
ホテルで着替えた後にオペラ駅から写真の地下鉄に乗って凱旋門の最寄り駅まで行きました。
地下鉄の改札を降りましたが凱旋門の方向が判らないので、とりあえず地上に出ると目の前に凱旋門がありました。ただし、凱旋門の屋上に登る入口が判らないので、周囲を廻って探しました。
少し廻って撮った凱旋門です。
まだ入口が見つからないので廻りました。
凱旋門の正面まで廻りました。正式名はエトワール凱旋門です。この写真はシャンゼリゼ大通りの反対側から撮った写真です。エトワール凱旋門はパリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっています。パリには同じ年1806年に作り始めた右の写真のカルーゼル凱旋門と呼ばれる凱旋門がルーブル美術館の敷地内にあります。ただし高さは19mとエトワール凱旋門よりかなり小さいです。エトワール凱旋門は完成までに30年を費やしましたが、カルーゼル凱旋門は2年で完成しました。それほど物量が違うのだと思います。
凱旋門の入口に向かう地下通路の入口を見つけました。
これが地下通路入口です。
地下には沢山の人が並んでいました。
沢山の人は団体の人のようで、すでに事前購入のチケットを持っていて凱旋門に上がるために並んでいるようでした。左奥にあるチケット売り場には人が並んでいなかったのですぐにチケットが変えました。ラッキーなことにチケット売り場から直接に登るルートがあったことから待たないで凱旋門の登り階段の入口に行けました。
こちらがチケットです。チケットの値段は12€でした。11年前は8€だったので1.5倍になったことになります。
凱旋門の屋上には細い螺旋階段を登ります。
螺旋階段をましたから見上げました。
上まで登ると部屋があり、石像の頭部が置かれていました。凱旋門の柱に飾られていた石像の頭の部分だと思われます。シャンゼリゼ大通りから見て右側の石像です。
上の写真の部屋から、さらに階段を登ると凱旋門の屋上に出ました。こちらの写真が凱旋門の屋上です。雨は小降りになりましたが、まだ降り続いていました。娘は日本からレーンコートを持ってきたのは正解でした。私は傘だけだったので、結構不便でした。
エトワール凱旋門は、1805年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念にナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まったそうです。
右の写真はモンマルトルの丘の方向をバックの記念写真です。
着工 1806年8月15日
落成 1836年7月29日
高さ 50m
幅 45m
奥行 22m
11年前の2005年は5方向の通り(Avenue)しん紹介していなかったので今回は全ての方向の通り、つまり12方向の通りを紹介したいと思います。最も有名なシャンゼリゼ大通りから反時計廻り(左廻り)に紹介いたします。
① ━━ シャンゼリゼ大通り (Avenue des Champs-Elysees)
② ━━ フリドラン通り (Avenue De Friedland)
③ ━━ オッシュ通り (Avenue Hoche)
④ ━━ ワグラム通り (Avenue de Wagram)
⑤ ━━ マクマオン通り (Avenue Mac Mahon)
⑥ ━━ カルノ通り (Avenue Carnot)
⑦ ━━ グランド・アルメ通り (Avenue de la Grande Armee)
⑧ ━━ フォッシュ通り (Avenue Foch)
⑨ ━━ ヴィクトル・ユーゴー 通り (Avenue Victor Hugo)
⑩ ━━ クレベール通り(Avenue Kléber)
⑪ ━━ イエナ通り (Avenue d' Iéna)
⑫ ━━ マルソー通り (Avenue Marceau)
①シャンゼリゼ大通り(Avenue des Champs-Elysees)
パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われているそうです。日本でもオー・シャンゼリゼという流行歌のおかげで広く知られるようになったそうです。
②フリドラン通り(Avenue De Friedland)
③オッシュ通り(Avenue Hoche)
中央少し右の遠くにモンマルトルの丘が見えます。
④ワグラム通り(Avenue de Wagram)
⑤マクマオン通り(Avenue Mac Mahon)
⑥カルノ通り(Avenue Carnot)
昔からの高さ制限によりオスマン期の街並みが保全されてきましたが、1967年の規制緩和により1972年に建設された高さ210m、59階建てのモンパルナスタワーが建設されたことで、高層ビルはパリの伝統的な都市景観が損なうとして、1977年の改正により一転規制強化へと転じていったそうです。パリ中心部は最大でも37m(再開発区域)に制限され、歴史的な地区ではより厳しい規制がかけられることになったそうです。写真のなかでポツンと建っている高層ビルはモンパルナスタワー同様に1967年から1977年の間の高さ制限の緩和された時期に建てられたHyatt Regency Paris Étoileと思われます。
⑦グランド・アルメ通り(Avenue de la Grande Armee)
シャンゼリゼ大通り(Avenue des Champs-Elysees)の反対側に延びる通りです。パリ中心は高さ制限がありますが、こちらの方向の高さ制限外の地域に高層ビル群がありました。
凱旋門から高層ビル群までの距離は4.4kmで、パリの中心であるノートルダム寺院から高層ビル群までの距離は約2倍の9kmです。
⑧フォッシュ通り(Avenue Foch)
⑨ヴィクトル・ユーゴー通り(Avenue Victor Hugo)
通りの名前になっているヴィクトル・ユーゴーは人の名前で、1959年から1965年に発行され5フラン紙幣の肖像画にもなった有名な人です。フランス・ロマン主義の詩人であり小説家でもあり七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家でもあります。
⑩クレベール通り(Avenue Kléber)
⑪イエナ通り(Avenue d' Iéna)
⑫マルソー通り(Avenue Marceau)
写真のなかでポツンと建っている高層ビルが、高さ制限の強化のきっかけとなったモンパルナスタワーです。モンパルナスタワーはパリの中心(ノートルダム寺院)から2.4kmで、⑥で紹介した、もう一つの高層ビルであるHyatt Regency Paris Étoileはパリの中心から5.7㎞の距離に建っています。
一周して①のシャンゼリゼ大通り(Avenue des Champs-Elysees)の方向に戻ってきました。
シャンゼリゼ大通りを少し拡大いたしました。
さらに拡大いたしました。
そして、さらに拡大いたしました。パリで最も美しい通りはいかがでしようか。凱旋門を降りた後に シャンゼリゼ大通りを歩いてみました。
凱旋門の屋上から見たエッフェル塔です。
こちらは凱旋門の屋上から見えたモンマルトルの丘です。
屋上から階段を降りると広いホールがありました。
さらに1階降りると各国の軍服のシルエットを展示したエリアがありました。ここにはCafeもありました。
螺旋階段を下りました。登りとは別の階段です。つまり一方通行なのです。
地上に降りて凱旋門の真下から上を見上げてみました。
凱旋門の下には聖火が焚かれていました。その周りに沢山の花束が飾られていました。2015年11月13日の同時多発テロで犠牲となった130人の人達を悼む花束ではないかと感じました。
2005年12年1日訪問時の記事 タイトル:凱旋門の上からの景色
オリジナルの記事 → ポチッ
イタリアではサンピエトロ寺院の屋根の上に登りそこねましたが今回は凱旋門の上に登ってみました。凱旋門に登れることは知りませんでしたがパリに住んでいた人に教えてもらいさっそく行きました。
この螺旋階段を登ると一番上まで登れます。
上はこんな感じです。
柵は遠くからは目立たない形式でした。
料金は8ユーロ
凱旋門の上は360度のパノラマの世界です。航空写真で見ると凱旋門から放射状に道が伸びていることが良く判ります。特に地名の表示のチェックを外すと見やすくなります。
パノラマ写真を紹介します。 これから下の写真はクリックすると大きく表示します。
これが有名な「シャンゼリゼ大通り」です。
シャルル・ドゴール大通り 上の地図ではグランド・アルメ通りと書かれています。シャンゼリゼ大通りの反対側です。
オッシュ大通りとオスマン大通り(Av. de Friediand)
オスマン大通り(Av. de Friediand)とシャンゼリゼ大通り
イエナ通りとエッフェル塔
下から見上げた彫刻もきれいです。
この縮尺の航空写真だと、凱旋門の上がよく判ると思います。
少し縮尺を小さくすると同心円状の道がわかってきます。
パリ到着日の散策の続きはセーヌ川とノートルダム寺院 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリ旅行に到着した2016年5月8日のホテルからセーヌ川に到着するまでの散策は、すでに報告させていただきました。上の写真はホテルを出発してセーヌ川に到着した記事の最後のキャルーセル橋の写真です。この時19時15分でした。本記事では、その先の景色を紹介したいと思います。
この日の散策は合計6.78km(=1.65km+2.28km+2.85km)でした。その散策の中で青色の部分(━━)を本記事で紹介したいと思います。
11時40分 JAL415 成田空港出発 → ポチッ
16時50分 JAL415 シャルルドゴール空港到着
18時52分 ホテル出発
19時01分 マイバス到着
19時11分 ルーブル美術館
19時15分 セーヌ川散策
19時43分 ノートルダム寺院到着
20時04分 Cafeで軽い夕食
21時12分 セーヌ川散策
21時16分 日没(5月8日21時16分53秒)
21時41分 夜のルーブル美術館
22時01分 ホテルへ戻る
キャルーセル橋から西方向(下流側)の景色ですが見えている橋の名前はロワイヤル橋です。大型のクルーズ船は我々が最終日の5月14日に乗ったバトー・ムーシュではないかと思います。ただし船自体は別の船です。船は川の上では右側通行であることが分かります。
クルーズ船が近づいてきました。船が橋をくぐるまで見届けてから先に進みました。
キャルーセル橋の上も石畳でした。正面の建物はルーブル美術館です。ルーヴル美術館はフランス王フィリップ2世が12世紀に建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿)です。
キャルーセル橋からの東方向(上流側)の景色です。一番手前の細い鉄骨で作られている橋がポンデザールと呼ばれているアール橋(1982-1984年)です。その奥に見える石造り橋が現存するパリ最古の橋のポン・ヌフ橋(1578-1607年)です。写真の右端の2つの四角い塔と96mの尖塔がノートルダム寺院で、それより少し左手前の75mの尖塔がステンドグラスで有名なサント・シャペルです。
そのボン・ヌフ橋の次のサン・ミッシェル橋(1857年)まで来るとノートルダム寺院が大きく見えてきました。
サン・ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)からのノートルダム寺院を拡大いたしました。
サン・ミッシェル橋からノートルダム寺院とは反対側(下流側)を見た景色です。川の右側に見えているのはCour de cassationです。Cour de cassation(破毀院)は司法訴訟に関する最高裁判所です。
サン・ミッシェル橋から南側の景観です。
見えている橋はプティ・ポン(1853年)です。川の左側の水面近くには細い通路があります。
その細い通路と降りていく階段です。
細い通路のあった対岸の護岸の中間には窓があります。地面より低いところにまだが沢山あるのが不思議です。
その不思議な部分を拡大してみました。
さらに先に進むといきなりノートルダム寺院の正面に出てきました。この写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
あまりにも見事なのでノートルダム寺院の塔の上の部分を拡大してみました。こちらの写真もクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
こちらの集団は自転車を使ったパリ市内のツアーの人達だと思います。
残念ながら時間が過ぎていたので中には入りませんでした。この時、18時47分でした。案内板を見ると開館時間は7時45分~18時45分と書かれていました。数分の差で入れなかったのようです。観光案内の中には土曜日と日曜日は19時15分までとの記載があったので期待していきましたが今は18時45分だけのようでした。そこで教会の内部は別の日に見に来ることにいたしました。
内部が見れなかったので、ここでは見事な外壁の彫刻など外からのノートルダム寺院を紹介したいと思います。これは真ん中の入口の下から見上げた写真です。こちらの写真もクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
角度を変えるとより鮮明に見えました。
沢山の見事な彫刻を見ていると完成に87年も費やしたことに納得します。
建物の横に突き出した不思議な彫刻が沢山並んでいました。クリックすると拡大するので分かると思いますが、それぞれデザインが帰られていました。
その彫刻の一つを拡大いたしました。
もしかしたら雨樋かもしれません。 → 万里の長城
調べてみるとガーゴイル(gargoyle)と呼ばれるもので、想像していた通り雨樋の機能があるそうです。雨樋の中でも怪物をかたどった雨樋だけがガーゴイルと呼ばれるそうです。
前に来た時には気が付きませんでしたが、ノートルダム寺院とセーヌ川の間に散策路がありました。
その散策路からの写真をいくつか紹介します。近いので全景は写すことが出来ませんが、近くから見れるので迫力がありました。
巨大な丸いステンドグラスの窓です。5月11日に内部から見ました。後日、内部からの写真を紹介したいと思います。
ほぼ同じ位置から精一杯広範囲を撮った写真です。
別の角度からの写真です。近くからだと木が邪魔になって下の方は見れませんでした。
セーヌ川の対岸の船の前に行列がありました。長時間待っているようなので遊覧船ではなく船のレストランのように感じました。
敷地内ではのんびりとベンチに座っているカップルが沢山おられました。
セーヌ河の対岸に渡るアルシュヴェシェ橋(1828年)の上流側にあるトゥールネル橋(1928-1930年)です。セーヌ川の源流から河口までのルートをGoogle地図に書いてみました。→ポチッ
アルシュヴェシェ橋を渡った後、昔に昼食を食べたことのあるカフェを目指してセーフ川沿いを歩きましたが、セーフ側とは反対側の脇道も趣があるので写真を撮りました。
教会の全景が見える角度の写真です。最もノートルダム寺院の特徴を見せてくれる角度だと思います。大聖堂の全長(奥行き)は127.50m、幅は48 m、尖塔の高さ96 mです。入口の四角い2つの双塔(北塔と南塔)の高さは69mで、身廊と呼ばれる入口から主祭壇に向かう中央通路の高さは32.50mだそうです。大聖堂内には9000人の人が収容できるそうです。地面から伸びるアーチのフライング・バットレスと呼ばれる沢山の梁が印象的でした。この梁によって巨大な大聖堂を実現させているとの記述もありました。こちらの写真もクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
行列が出来ていた船です。18時ピッタリに人が入り始めたのでやはりレストランのようでした。
上の写真の橋の奥河にもレストランと思われる船がありました。
こちらの脇道も趣がありました。
目的のカフェの席からの写真です。ノートルダム寺院に最も近いカフェの、最も近いテーブルで軽い夕食を食べました。さっそくビール(私)と、オレンジのフレッシュジュース(娘)を頼みました。
パリ到着 早速にホテル周辺を散策 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリ旅行で2016年5月8日11時40分に成田空港を飛び立ち、12時間を超えるフライトでありながら同じ日である5月8日の18時30分には上の写真のホテルにチェックインできました。これは全て7時間の時差のおかげです。日没の2時間46分前にホテルにチェックイン出来たことから下記のルートで散策にに出かけました。重要な目的の一つが翌日から行くモンサンミッシェルツアーの集合であるマイバス( )の場所を確認することでした。
右下の写真のホテルの螺旋階段の知友清にあるエレベーターは典型粋なヨーロッパ式でした。内側の扉は自動で開閉し、外側の扉を手で開閉するのがヨーロッパ式エレベーターです。それでは散策ルートを紹介します。
この日の散策は合計6.78km(=1.65km+2.28km+2.85km)でした。その散策の中で緑色の部分(━━)を本記事で紹介したいと思います。
16時50分 JAL415 空港到着
17時30分 空港をバス出発
18時20分 Opera降車場到着
18時30分 ホテルチェックイン
18時52分 ホテル出発
19時01分 マイバス到着
19時06分 チェイルリー庭園前広場
19時11分 ルーブル美術館
19時15分 セーヌ川到着
19時15分 セーヌ川散策
19時43分 ノートルダム寺院到着
20時04分 Cafeで軽い夕食
21時12分 セーヌ川散策
21時16分 日没(5月8日21時16分53秒)
21時41分 夜のルーブル美術館
22時01分 ホテルへ戻る
ホテルの前の道路です。ホテルの前から進んでいく方向を撮りました。
ホテル前の道を50m進むとこちらに出てきます。ホテルに戻るときの目印になる場所です。左側の道を奥に進むとホテルがあります。建物の正面には気になったレストランLa Fontaine Gaillonがありましたが、結局は入ることはありませんでした。5月12日にLa Fontaine Gaillonの斜め向かいあるレストランDrouant par Antoine Westermannで食事をいたしました。こちらはパリに長く住んでいる人から紹介してもらった有名なお店です。
上の建物の気になる石像を拡大いたしました。
オペラ通りに出ました。遠くにオペラ座が見えます。パリらしい風景です。
オペラ座と反対方向のオペラ通りの風景です。
オペラ通りを進みました。5月11日にワインバーで会ったパリに長く住んでいる親しい方によると、このあたりの建物の2階より上はマンションとして使われていて、広くなくても1家族分の価格は約2億円だそうです。建物全体でいくらの価値になのでしょうね。古い建物だからこそ値打ちがあるとのことでした。日本ではマンションは買ってから年月が過ぎると下がるのが常識ですが、パリでは資産価値が下がらないのが常識なのです。したがって物価に伴って価格は上がるのがるため約20年で2倍以上にもなると、パリ住んでいる人が話してくれました。
こちらがマイバスのあるピラミッド通りです。歩道に置かれている緑の大きな塊は、ワインなどのボトルを回収するボックスでした。再利用可能なボトルの利用を促す政策なのだと思います。
ピラミッド通りに面したマイバスに到着いたしました。
事務所の中に入ってモンサンミッシェルツアーが登録されていることと集合時間を確認いたしました。
マイバス事務所からさらにセーヌ川の方向に向かって散策を続けました。
地図で見るとJeanne D'Arc Statue Parisと書かれた、この金色の銅像の場所に出てきました。3本のフランス国旗と、沢山の生花の花束が飾られていることからジャンヌ・ダルク(Janne Da Arc)はフランス人にとって今でも英雄なのだと感じました。
バスが入って行こうとしている道から我々が出てきたのです。
ジャンヌ・ダルク(Janne Da Arc)は若干19歳で亡くなった女性戦士で、フランスの領土をイングランドから取り戻したフランスの国民的ヒロインです。
クリックするとより鮮明に女性戦士の姿を見ることが出来ると思います。右はジャンヌ・ダルクの紋章です。
生誕 1412年頃1月06日
死没 1431年 5月30日 (満19歳没)
さらに進むと広い芝生のスペースに出ました。沢山の人がのんびりと芝生の上に座っていました。19時09分でこの明るさです。まだ日が高かったです。これらの人々を見て、5月8日は日曜日だったのだとあらためて認識いたしました。
見事な建物に囲まれた場所でした。
北西方向にはエッフェル塔が見えました。
目の前に広がっているのはチェイルリー庭園です。
ルーブル美術館の方向です。門のような建物をくぐるとルーブル美術館がありました。
門のような建造物をGoogle地図で調べるとArc de Triomphe du Carrouselと書かれていました。日本語ではカルーゼル凱旋門となります。1806年に着工して1808年に完成したそうです。
パリの象徴である有名な凱旋門(エトワール凱旋門)の2分の1の大きさですが設計は同じ年に行われました。エトワール凱旋門は完成までに30年を要したことから、こちらのカルーゼル凱旋門の方が28年も古いことになります。
ルーブル美術館です。ガラスのピラミッドが確認できると思います。5月11日には予定通りにルーブル美術館の中に入りました。
ルーブル美術館をくぐってセーヌ川に出ます。くぐるときに見上げた景観です。
車や人がくぐる空間の天井です。
セーヌ川に面した側のルーブル美術館です。
セーヌ川にかかるキャルーセル橋から見たルーブル美術館です。
セーヌ川に着きました。キャルーセル橋から西方向(下流方向)を見た景色です。2016年5月8日の日没は21時16分53秒です。逆光で暗く見えますが19時15分は、まだまだ明るいです。ちなみに翌日の日出は6時15分42秒です。この後もいろんなところを散策して夕食を食べてホテルに戻ったのが22時01分ごろでした。翌朝はモンサンミッシェルツアーのためにマイバスの事務所に7時15分までに集合するので安全を見て5時30分に目覚ましをかけました。一番心配なのが時計です。1時間づれる可能性があるので、何度も確認してしまいました。
空港→パリ市内への移動はRoissyBus [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリのシャルルドゴール空港に2016年5月8日の夕刻についてパリ市内への移動には上のバスを利用いたしました。名前はRoissyBus(ロワシーバス)と呼ばれています。移動方法としてはバス以外では電車とタクシーがあります。タクシーだとホテルまで確実に行けますが料金が高いです。鉄道となると途中での乗り換えがあるので初めてだと不安なので、乗り換えなしで、かつ安く行けるバスにいたしました。地下鉄のOpera駅にはエスカレーターがないので重いスーツケースを運ぶのは大変なので、その点でもバスが便利でした。さらに幸いにも到着場所のOpereから宿泊するホテルが近いのです。
こちらが自動販売機で買ったチケットです。料金は11ユーロ(1380円)でした。パリではチケット類や買い物は全てクレジットカードで帰るので、クレジットカードを使って買いました。
後で判ったことですが、バスの運転手から買うことが出来ます。
写真はチケットの表面と裏面を交互に出しています。
裏面に印字されている08/05/16が2016年5月8日を表しています。クリックすると裏面を表示します。17時27分にチケットを買ったことも分かります。
空港内の始発場所( )を出発して空港内で2回停車( )した後はOpere( )まで直行(Direct)で、停車しないので行くので、乗っていても安心です。
ターミナル 2 始発場所
ターミナル 2
ターミナル 1
Opera降車場
宿泊したホテル
ノートルダム寺院(パリのほぼ中心)
━━ バスのルート 34.4km
空港内のバスのルートと停車場を紹介します。始発場所はターミナル2の2Fと2Eの間にあります。空港発のバスは始発場所を含めて3ケ所だけしか停まりませんが、Operaから空港に向かうバスは空港内で細かく停まりました。
出発してすぐの景色です。向こうに見えるのが2Eです。バスが出発したのが17時30分でした。
ぐるっと回って2Eの横を通りました。この先に次の停車場( )があります。
ターミナル2を出たところに、有名な超音速旅客機コンコルドが展示されていました。このあとターミナル1に向かいました。コンコルドは通常の旅客機の飛行高度の2倍の5万5,000~6万フィートの高度を、マッハ2.0で飛行した、定期国際運航路線に就航した唯一の超音速民間旅客機でもありましたが、2000年7月25日に発生した墜落事故や景気低迷などをきっかけに2003年11月26日をもって退役したことでも有名です。驚いたことに事故で喪失した1機以外の内、解体されたものは1機のみで、残りは全てヨーロッパ(14機)とアメリカ(3機)と西インド諸島のバルバドス(1機)で展示・保管されています。シャルルドドール空港に展示されている機体は次の通りです。
製造番号 215
製造形式 Series101
機体登録記号 F-BVFF(ex.F-WJAN)
使用用途 量産型15号機
初飛行 1978年12月26日
ターミナル1でも停車( )いたしました。
パリ市内に向かう高速道路です。
バス車内です。バスは2両連結で、写真は連結部分です。
驚いたことにバスの中では無料WiFが使えました。フランスでは無料WiFiが発達していました。建物の中だけでなくバスやツアー用の車でも無料WiFiが使えました。
パリ市内に入るとパリらしい建物であふれていました。
街並みもパリらしくなってきてパリに来た実感を感じられるようになってきました。
冒頭の写真とおなじですが、ここがOpera降車場です。少し前に進んだ場所から空港行きのバスが出ていることが確認できたので帰国の2016年5月14日にも利用させてもらいました。到着したのは18時20分でした。空港を出発が17時30分なので所要時間は50分だったことになります。
Opera降車場は写真のオペラ座(別名:ガルシア宮)がある場所にあります。この写真で言えば建物の左奥にあります。
用途 歌劇場、バレエ・ホール
設計者 シャルル・ガルニエ
建築主 ナポレオン3世
構造 ネオ・バロック様式
敷地 11,237m2 m²
階数 6
高さ 82m(アポロン像の先端)
着工 1862年7月21日
竣工 1875年1月15日
Opera降車場から泊まったホテルまでは歩いて5分の距離でした。ただし降りた瞬間は方向が分からないので進む方向に迷いましたが、オペラ・ガルシアが目印になったので通りの名前が確定出来たら迷わずにホテルに行けました。
Opera降車場
宿泊したホテル
━━ バスのルート 34.4km
━━ 歩いたルート 575m
こちらが泊まったホテルです。
帰国日(2016年5月14日)のチケットも紹介しておきます。裏面に14/05/16 17H22の文字が確認できると思います。クリックすると裏面を表示します。
フランスの郵便ポストの色は何色 [パリ]
海外に行くと郵便ポストの色が気になるので写真を撮るようにしています。パリの街角で撮った郵便ポストは黄色でした。日本、イギリス、インド、バハマは赤ですが、赤以外のポストも多かったです。中国は緑でイタリアはエンジ色でした。ドイツ、バチカン、ウクライナは黄色だったと思います。
上の写真の郵便ポストは小さいけれど、大きな郵便ポストもありました。
左のポストの口には「Paris - Banlieue」と書かれているので翻訳機能で確認するとパリ近郊用のポストのようです。右のポストの口には「Autres départements」と「Etranger」と書かれています。こちらはその他の地域と海外用のようです。
上の小さなポストは一つですが、口が2つ付いていて同じように書かれていました。
こんな感じでポストが置かれていました。 ポストに書かれているLA POSTE(ラ・ポスト)はフランス郵政公社の呼名です。
追伸
上で記載のようにヨーロッパではドイツとバチカン市国が黄色でした。みんこさんからのコメントでスイスも黄色だと知りました。でも不思議とスイスでは郵便ポストの写真を撮っていませんでした。そこで町の中の沢山の写真の中の右の写真に偶然に黄色い箱が写っているのをみつけました。みんこさんから「たぶんポストでしょう。」のコメントをいただきましたので紹介させていただきました。ドイツとバチカン市国に関しては、そのうちに記事に書かしていただくつもりです。
日曜日の朝のパリの風景 [パリ]
この日は昼のフライトでパリを離れるために朝の散歩に出ることにしました。暗いので朝早く見えますが9時ごろです。冬の時期は9時でも暗くのです。日曜日なので人通りや車も少ないのです。
真中に見える塔はヴァンドーム広場に立つナポレオンが自らの栄光のために建てた記念柱(再建)だと思います。
静かなパリを感じることが出来ました。古い石造りの建物の街並みが残っているところがパリの素晴らしさだと思います。
こちの道はオペラ通りです。正面に見えるのはルーブル美術館です。オペラハウスの近くから撮った写真です。
この道もオペラ大通りです。遠くに見えているのがオペラハウスであるオペラ・ガルニエ(Opera Garnier)です。ルーブル美術館の近くから撮りました。
オペラ・ガルニエの近くまで行きましたが、こちらでも車が少ない景色を撮ることが出来ました。
写真の右端にルーブル美術館の一部が写っています。遠くに見えているのはチュイルリー広場沿いの建物群です。
チュイルリー広場沿いの建物群を拡大しました。
エッフェル塔があるとパリらしい風景になります。
何気ない町の風景も絵になります。
パリの朝の風景を撮っているのは私だけではありませんでした。
9時50分くらいになるとルーブル美術館の前は観光客の人たちが増えてきました。やはり冬のパリはいつも雲に覆われて暗いです。今回は1月の写真です。
タグ:パリ
パリはバイク専用の駐車場が完備 [パリ]
パリのThe American Dream [パリ]
パリの街の中を歩いている時に写真のように不思議な光景のレストランを見かけました。レストランの名前はずばりThe American Dream
レストランの他にPUBやSHOW BARもありました。暗いときに見てみたいですね。雰囲気は別にして、こちらの料理の味が気になるところです。
上の2枚の写真から一部の拡大写真を掲載いたします。
このような雰囲気のお店がパリにあるとは想像もしていませんでした。
Sweet Pommeさんのパリのユニクロにトラックバックしています。
064広場さんのThe American Dreamにトラックバックしています。
タグ:パリ
凱旋門の上からの景色 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
イタリアではサンピエトロ寺院の屋根の上に登りそこねましたが今回は凱旋門の上に登ってみました。凱旋門に登れることは知りませんでしたがパリに住んでいた人に教えてもらいさっそく行きました。
この螺旋階段を登ると一番上まで登れます。
上はこんな感じです。
柵は遠くからは目立たない形式でした。
料金は8ユーロ
凱旋門の上は360度のパノラマの世界です。航空写真で見ると凱旋門から放射状に道が伸びていることが良く判ります。特に地名の表示のチェックを外すと見やすくなります。
パノラマ写真を紹介します。 これから下の写真はクリックすると大きく表示します。
これが有名な「シャンゼリゼ大通り」です。
シャルル・ドゴール大通り 上の地図ではグラシド・アルメ通りと書かれています。シャンゼリゼ大通りの反対側です。
オッシュ大通りとオスマン大通り(Av. de Friediand)
オスマン大通り(Av. de Friediand)とシャンゼリゼ大通り
イエナ通りとエッフェル塔
下から見上げた彫刻もきれいです。
この縮尺の航空写真だと、凱旋門の上がよく判ると思います。
少し縮尺を小さくすると同心円状の道がわかってきます。
タグ:凱旋門
エッフェル塔の下でのアクロバット走行 [パリ]
地下鉄に乗ってエッフェル塔に行ってみました。
そのエッフェル塔の下でアクロバット走行をやっていたのでつい撮ってしまいました。
こちらの写真はクリックすると拡大します。ロータリーを一周していました。
この写真の中でアクロバットが行われていました。手前の橋はセーヌ川に架かるイエナ橋(Pont d'Iéna)です。橋の四隅に彫像が建てられています。
アクロバット走行が行われていたのが中央のロータリーです。左上の方向に、上から見たエッフェル塔があるのがわかってもらえると思います。
chiichanさんのエッフェル塔にトラックバックしています。
追伸
今日2016年2月3日から2月10日まで関西に行きます。その間はネットの事情で皆様のところへの訪問が出来ないことお許しください。
パリの地下鉄 [パリ]
パリ市内で牡蠣を食べに行った帰りに出し物の練習をしているところを見かけました。ヨーロッパでは騎士道は特別のようです。
これは大道芸ではありませんがパリの中は大道芸が多かったですね。さすが芸術の町!
パリ市内の移動は地下鉄が便利で、よく地下鉄に乗りました。 で驚いたのが地下鉄内では芸人が多いことです。下の左の写真は地下鉄のホームでコントラバスを弾いているところです。地下鉄のホームで大胆に演奏 すごい!
地下鉄車内にまで乗ってきます。小さな女の子(小学3年生くらい)がお兄ちゃんと思われる子と大きなスピーカーを持ち込んで大音量の中で踊り始めるのです。
見てると結構な収入になるみたい。子供というのは強みみたいです。ほんと「たっくまし~~い」かったです。芸術の街モンマルトルの丘とは違った一面でした。
ヨーロッパの地下鉄は改札機(改札)がないのが普通ですが、パリの地下鉄だけは日本のように改札機があり、そこにチケットを通さないとホームに入れません。他の国の都市の地下鉄はホームや入口近くに検札機があり刻印をするだけなのです。
写真をクリックすると路線図を表示します。左がPDFで右がhtmlです。
パリっ子 [パリ]
パリらしい雰囲気の写真を紹介します。バリに行ったときの写真です。
お母さん3人と子供たち3人でしょうか。手をつないで歩いている姿がかわいいですね。右の写真がオリジナルで、ルーブル美術館の近くです。
女の子は黒髪なので一番後ろの人がママかな?
男の子は双子のようにそっくりに見えるけれどバギーは2台でタイプが違って一人乗りのため双子かどうかはわかりません。二人とも小さいのにメガネをかけているのも気になります。双子かどうか、皆さん推理してみてください。
もし双子じゃない場合は2人の男の子のママはそれぞれどちらでしょうか?
もし双子だとアニメのタッチ(1981年~1986年連載)の朝倉南と上杉達也と上杉和也の子供時代のころみたいです。テレビは1985年3月24日~1987年3月22日まで全101話が放送されました。特に26話が衝撃的で感動的な場面です。
主題歌も沢山の名曲が出ました。着色文字をクリックすると主題歌や歌の動画を表示します。
オープニング(Touch Opening #1~#5)
タッチ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 総 愛がひとりぼっち ① ② ③
チェッチェッチェッ ① ② ひとりぼっちのデュエット ①
情熱物語 ① ② 岩崎姉妹13曲
エンディング(Touch Ending #1~#4)
君がいなければ 青春 約束 君をとばした午後
全画面ではありませんが名場面26話「試合終了! 君がいなければ・・・」を掲載いたします。全画面で2分割された26話がありました。 partie 1 partie 2
26話の主題歌では、オープニングは「タッチ」で、エンディングは「君がいなければ」です。
Touch 26 partie 1 投稿者 jamesgirl
ノートルダム寺院 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
セーヌ川とくればノートルダム寺院ですね。セーヌ川の中州のシテ島に建つ姿は素晴らしいです。パリのノートルダム寺院(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂とも) はゴシック建築を代表する建物であり、ローマ・カトリック教会の大聖堂です。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されています。現在もノートルダム寺院は、パリ大司教座聖堂として使用されているそうです。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指そうです。上の写真ですぐに寺院の名前が判る人は多いと思います。でも正面だけでノートルダム寺院とわかる人は少ないでしょう。でもないか! 私が知らなかっただけでした。パリから各地への距離を表すときの起点はノートルダム大聖堂の前のこの場所が起点となっているそうです。
やっぱり、ここで記念写真を撮ってしまいます。冬のパリはいつものこのような天気で、晴れている景色は滅多にないようです。
セーヌ川のほとりのノートルダム寺院は絵になります。 この角度のノートルダム寺院の姿は素晴らしいと思います。いろんな町の大聖堂は建物に囲まれており正面の広場からの写真は見ることが出来ますが、この角度から大聖堂の全景を見ることが出来るところは少ないと思います。そんな素晴らしい景色のノートルダム寺院を見ることができてよかったです。
同じ構図で教会部分を拡大いたしました。大聖堂の全長(奥行き)は127.50m、幅は48 m、尖塔の高さ96 mです。入口の四角い2つの双塔(北塔と南塔)の高さは69mで、身廊と呼ばれる入口から主祭壇に向かう中央通路の高さは32.50mだそうです。大聖堂内には9000人の人が収容できるそうです。地面から伸びるアーチのフライング・バットレスと呼ばれる沢山の梁が印象的でした。この梁によって巨大な大聖堂を実現させているとの記述もありました。
川と反対側の角度のノートルダム寺院もいいですよ。
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域でしたが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設したそうです。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成したそうです。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられそうです。そして最終的な竣工は1345年なので183年の歳月をかけて作られた傑作だと思います。
航空写真で上から見ると大聖堂は十字架の形をしています。
クロスの中心に96mの尖塔が建っています。
斜めからの航空写真でも紹介します。
ネットに立体的な絵があったので紹介します。
寺院の中はやっぱりすばらしい!
中に入るとミサが行われていました。おごそかな中でも観光客や一般の人は自由に入れます。フランスでは一般的に「ノートルダム・ド・パリ(Notre-Dame de Paris)」と呼ばれているそうです。内部の最大の見どころは聖書の世界を描いたステンドグラスです。手前から奥にかけて時代が変わっていきます。それぞれのステンドグラスにはキリストの一生が描かれています。左側の写真が身廊と呼ばれる入口から主祭壇に向かう中央通路です。
聖歌隊席の周りにあるレリーフも立体的で見応えがあります。写真をクリックすると露出調整した拡大写真を表示します。
入口(西)、北、南と3カ所に配置された美しい円型のばら窓のステンドグラスは圧巻です。外側から見ると左の写真の部分です。冒頭の写真から切り取った使いました。預言者達が描かれた入口(西)の直径9.6mのステンドグラスが最も古く1210年に作られました。写真はキリストと天使を描いた南窓です。北窓には聖母子が描かれており、南窓と北窓は直径13mの大きさです。右の南窓の写真をクリックすると拡大した大聖堂の全景が表示されるので、その南窓の大きさが分かってもらえると思います。
ノートルダム寺院の前のセーヌ川には水上バスも通っていました。写っている橋はノートルダム寺院に最も近くにかかっている ドゥブル橋です。右の護岸の上にノートルダム寺院が建っています。
昼食のためにノートルダム寺院のすぐそばのドゥブル橋を渡ったところにあるカフェテリアCafé Panisに入りました。窓際の席は絵になる人が優先との噂も! 明確ではないけれどそんな傾向はありましたね。
日本の女性の方も沢山入ってこられるレストランでした。記事の一番下に掲載した地図の黄色いマーク( )がCafé Panisで、絶好の場所にあることがわかってもらえると思います。
パリっぽいサンドイッチとコーヒーを頼みました。おかげてゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。サンドイッチは分厚いチーズとハムをフランスパンに挟んだだけのものです。
お店の外観を紹介したいのでネットの写真を転用させてもらいました。左奥の建物がノートルダム寺院です。お店がノートルダム寺院の真横にあることが分かってもらえると思います。
名前 Café Panis
住所 21 Quai Montebello, 75005 Paris, France
電話 01-4354-1971
Google地図の中の中央付近の が紹介したノートルダム寺院です。
ノートルダム寺院(中央) ルーブル美術館(左上)
Café Panis 昼食を食べたカフェ
セーヌ川にかかる橋 次の記事で紹介します。
モンマルトルの丘 [パリ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
パリに来るとやっぱりマンマルトルの丘に行ってみたくなり来てみました。想像していた以上の雰囲気でした。狭い範囲で沢山の人たちが沢山の絵を売っていました。
うわさ通りに絵を描いている人たちもいました。
こちらで絵を売っている人たちは、どのような人たちなのでしょうね。自分で描いた絵を売っているのでしょうね。このように芸術家たちが集まるようになったのは19世紀半ば、ヨハン・ヨンキントやカミーユ・ピサロといった芸術家たちがパリ大改造で整備されてしまった市内を離れ、まだ絵になる農村風景の残っていたモンマルトルに居を移すようになったからだそうです。安いアパートやアトリエ、スケッチのできる屋外風景を求める画家達が後に続き、19世紀末の世紀末芸術の時代にはモンマルトルはパリ左岸のモンパルナスに対抗する芸術家の集まる街へと変貌していったそうです。パブロ・ピカソ、アメデオ・モディリアーニ、ほか貧乏な画家達やがモンマルトルの「洗濯船(Le Bateau-Lavoir)」と呼ばれる安アパートに住み、アトリエを構え制作活動を行ったそうです。ギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、アンリ・マティスらも出入りし議論する活発な芸術活動の拠点となったが、1914年以後は多くはモンパルナスなどへ移転したそうです。現在は多くの観光客がテルトル広場、サクレ・クール寺院、キャバレー・ラパン・アジル、ムーラン・ルージュ、ピカソらのアトリエ、ユトリロの描いた風景を訪ねて歩いて雰囲気を楽しんでおられます。
比較的狭い範囲に集まっていました。モンマルトル (Montmartre)の丘ははパリで一番高い丘です。
上の4枚の写真はすべて下の航空写真の建物で囲まれたテルトル広場(Place du Tertre)と呼ばれている場所で撮ったものです。画家達が集まり観光客の似顔絵を描いていることで有名です。テルトル広場を和訳すると「画家広場」であり、かつてはパブロ・ピカソやモーリス・ユトリロらもここで絵を描いていたと言われています。写真をクリックすると航空写真また地図が表示されます。赤いマークのところがテルトル広場です。
お店やカフェも沢山ありました。モンマルトルの名は、『Mont des Martyrs(殉教者の丘)』が由来するそうです。紀元272年ごろ、この丘の付近で、後にフランスの守護聖人となったパリ最初の司教聖デニス(サン・ドニ)と二人の司祭ラスティークとエルテールの3人が首をはねられて殉教したと伝えられています。
モンマルトルの丘のもっとも目立つところに建っているのがサンレ・クール寺院(Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre)です。サクレ・クール寺院 はロマネスク様式・ビザンティン様式のバジリカ大聖堂で、ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当したそうです。パリ市内を見晴らせる観光名所で、比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっているようです。丘の上からの景色はなんともいえません。
こちらはパリで最も古い教会の一つであるサン・ピエール寺院ですがサンレ・クール寺院のすぐ奥に建っています。
細い道ですがモンマルトルの丘の中のメイン通り的存在です。沢山の人が行き来していました。個性的な方が歩かれていました写真をクリックするとわかると思います。
どこに行っても人が多いようですが少し離れると静かな路地もあります。この辺りは観光客人は少なくなってきますが、モンマルトルの丘の上の一面です。細い道がまた魅力的です。住宅街なのでしょうね。
急な坂道にある家も絵になります。驚くほどの急坂でした。
ここからはマンマルトルの丘の小片の景観を紹介いたします。典型的な路地とマンマルトルへの上り坂も見とれてしまいますが車の駐車の仕方には感心します。
丘の麓ではドラマの撮影もしていました。
モンマルトルの丘の最寄の地下鉄のアベス駅には巨大なエレビーターがあります。
写真はエレベーターの中ですが奥に見えるのが入口です。そして私の背中のはるか後ろに出口のドアがあります。部屋ごと動く感じてす。広さを実感してもらえたでしょうか。ものすごく深いところに駅があるので体力に自信がない方は、このエレベーターに乗ることをお薦めします。深さを実感したい人は歩きですね。
エレベーターを降りてからも丘の上まで急な坂が続きますが、体力に自信のない方はケーブルカーにも乗ることをお薦めします。地下鉄の切符で乗れるので地下鉄の一日券を使えばお徳です。
mizuhoさんのコメントにヒントをえて凱旋門の上からの写真を追加しました。中央より少し左側がモンマルトルの丘です。写真をクリックすると拡大するのでサンレ・クール寺院が確認できると思います。
パリの巨大な緑のボックス [パリ]
朝早くパリの街を散歩していると歩道に大きな緑の塊が置かれていました。近づくと瓶の回収ボックスでした。さすがです。ワインの国だからかな? やはり瓶が中心の世界なのですね。
先日、テレビで、このビンの回収ボックが出てきました。持ち上げた状態で底が開くような仕組みになっており回収車の荷台に瓶を豪快に落としている映像が流れました。確かにほとんどがワインの瓶でした。
それでは、その他のゴミはとネット で調べてみました。2002年から各家庭に3種類のゴミ箱渡して、それを収集日に路上に出しているようです。生ゴミは蓋が緑色のゴミ箱、ガラス・ビン類は蓋が白いゴミ箱、新聞雑誌・金属・容器包装類は蓋が黄色のゴミ箱とのことでした。
マルセーユでも見つけました。やはりゴミだけではなくてなにかの回収のようです。写真は3種類ですが4種類置かれていたような気がします。形も違うし種類も多いのでシステムはパリとは違うかもしれません。そこまでは調べ切れませんでした。箱の上には吊金具が付いているのでトラックに積んでそのまま持ち帰るのだと思います。
これは? ? ? 電話ボックス?
トイレでした。パリは何でも歩道に置くのかなぁ~~?
確かに歩道しかスペースがないかもしれません。
22時のパリ [パリ]
すでにハイデルベルグの報告をさせてもらっています。このときの移動は成田→ロンドン→ラグビーロンドン→パリ→リヨン→アヌシー→リヨン→チューリッヒ→レンツブルグ→チューリッヒ→フランクフルト→ハイデルベルグです。
パリは一泊だけでしたが、ちょっと逆戻りをして報告いたします。
この日はイギリスの田舎町ラクビー(Rugby))から列車と飛行機を乗り継いで一気にパリまで来ました。
夕方の便だったのとヒースロー空港が混雑時間のためフライトが遅れてホテルに着いたのは午後9時ごろでした。それから食事のため外出! 上の写真は午後10時ごろです。パリはロンドンとそんなに経度が違わないけど1時間遅いのでロンドンよりさらに夜は明るいのです。上の写真はルーブル美術館前の広場でちょうど日が沈んだ記念の写真なのです。
さらに遅い時間の凱旋門です。明るいけれど人通りは少ないです。
この日はフランス料理を食べようと思っていたけれどお店は全て店じまい! 仕方なくパリで沢山あるラーメン屋さんへ、ここでもお店に入っても断られ、3軒目にやっとOKでした。感謝!なので、お店の名前紹介しておきます。
お店の名前は「東京ラーメン」と言っても札幌ラーメン系! 美味しかったですね。店員さんは全員日本人です。驚き!
ちなみにラストオーダー23時でギリギリでした。他の「ひぐま」や「札幌ラーメン」は30分は早いと思います。覚えておいてください。
パリは沢山の日本料理(ラーメンが主)があります。お店の名前が判らない時の美味しいお店の見分け方お教えしておきます。パリ在住何十年の人と駐在3年の人が同じ話していたので間違いないかな!
コツ →「焼き鳥や寿司の写真を表に掲げているお店を避ける」でした。 100%ではないけれど!
下はロンドン→パリの飛行機からの写真です。
フランスの海岸線です。断崖ですね。昔の映画でこんな海岸があったような!
cheese999さんのコメントでドーバー海峡を挟んだイギリス側の海岸が有名なセブン・シスターズ(Seven Sisters)であることを知りました。ネットから拝借したSeven Sistersの写真を右に紹介いたします。
着陸寸前の景色です。
前回のホテルで趣きがありましたが不便だったので別のホテルにしました。こちらのホテルは小さく全て顔でチェック出来るほど!
ホテルの受付嬢 すごく親切だったので了解をもらい写真を撮らせてもらいました。
家庭的なホテル
私の部屋だけベットが3っ! でも値段は同じでした。
ホテルの窓からの景色です。 屋根が印象的です。
パリは寒くても屋外が人気 [パリ]
パリは1月の後半なのに、こんな2階建のオープンなバスが走っていました。驚いたことに風が当たるオープンの2階に乗られている方が5人もおられました。
日本より寒いパリで信じられない光景でした。カフェでも外が人気なのがわかる気がします。ただし今の時期のカフェでは屋外の人はほとんど見ませんでした。バスの2階は景色がいいので寒くても乗られているのかもしれません。