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天津の結婚式 [天津]


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真赤な車が勢ぞろいです。これだけの数の赤い車が並んでいるのは初めて見ました。天津での結婚式の光景でした。先頭の真赤なオープンカーに新郎新婦が乗って出発するところです。いかがですかこんな結婚式は?

出発までの間、新郎新婦や親戚の人が出てくるのを持っているところです。出発の9時半まであと9分です。想像するに、この旅館街で中国の風習である嫁とりの儀式が行われ、これから披露宴会場(おそらく高級ホテル)に全員で移動するところだと思います。披露宴では本人以外は普段着で参加するのが中国流です。より本人達が際立つためかどうかはわかりません。


北京の人もわざわざ離れた天津で結婚式をする人が沢山いると聞きました。北京に比べて天津での結婚式は格安なためだそうです。そのため、こんな派手なことも行えるのかもしれません。北京から天津は高速鉄道で30分の距離です。北京からの、みんなの車代を出しても十分に安く出来るそうです。
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ここは大人気の揚げパン屋で紹介した南市食品街の隣の南市旅館街です。ここは天津市の観光スポットになっている場所でもあります。

直売所が10mごと [天津]

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クリックする拡大あの逆走の高速道路から降りて一般道路を走りました。渋滞の横に沢山の屋外販売店が並んでいました。写真のように10m間隔で売っていました。売っているのはブドウ(葡萄)です。右の畑がブドウ畑です。このあたりはブドウの産地のようでした。
渋滞で待っている運転手さんで葡萄を食べているいる人をよく見かけました。結構、売れているようです。待っていると、お腹がすいてくるのかな。
タグ:渋滞

大型車通行禁止 [天津]

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広い道路の真中に並べられた丸いコンクリートの塊 
これは大型車の通行を制限するため並べられたものです。これが中国流の方式です。どんなに頑丈なトラックでも突破は不可能でしょう。隙間が狭いため、トラックではないけれど我々の車もぎりぎりでした。写真をクリックすると擦った跡が沢山あることが判ってもらえると思います。ここは竹ぼうき清掃車が活躍していた場所でした。

日本でも住宅地や農道で大型車を制限するものを見かけます。結構、ガードレールには擦った痕が残っています。


聞きなれない農免農道との標識がありました。農免農道を調べる と下記の通りでした。
通常ガソリン(揮発油)の取引には揮発油税がかかるが、農林漁業用機械に消費されるガソリンについてはそれを免除することになっている。しかし、取引の際にそのガソリンが何に使われるのかを確かめるのは現実的ではないため、農林漁業用機械に消費される分の揮発油税に相当する額を財源として道路を整備することで、揮発油税の免除に代えている。この事業を「農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業」と言い、その道路を一般に農免農道(農免道路とも)と呼ぶ。
当然と言えば当然ですが「幅員減少」の警戒標識が立てられていました。

両側のガードレールを狭く絞っています。軽なら簡単に通り抜けることが出来ますが、すこし大きい車は気を使います。


追伸 2016年3月27日
今、上海浦東空港のラウンジに来ています。下記の搭乗券のフライトで日本に帰国します。出発は14時05分(日本時間:15時05分)で成田空港には18時05分に着く予定です。


ラウンジにある点心類は全種類を食べてみました。


機内食ではシャンパンや純米大吟醸を飲むつもりなので飛行機に乗る前はアルコールを控えることにいたしました。


珍しく蕎麦があったのでいただきました。


いつも通りにフリーズドライの味噌汁をいただきました。

タグ:天津

まんじゅう屋さんのイベント [天津]

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新しいお店を開店したのか、なにかの売り出しなのか民族衣装の女性がパンフレットを配っていました。饅頭屋さんのイベントでした。パンフレットをもらった女の子がうれしそうに走っているのが印象的でした。中国の天津では観光地にもなっている有名な南市食品街のなかの饅頭屋さんでの出来事でした。

この衣装は北京にあった清の時代のレストラン白家大院女性たちが着ていた衣装とそっくりです。と言うことはこれは清時代の衣装ですね。高い下駄が印象的です。あの時は気がつきませんでしたが、あの時の写真を右のように拡大してみると同じタイプの下駄でした。
饅頭屋さんの赤い服の女性は下駄を履かなくても背が高いので衣装の丈が短すぎたようです。
白い饅頭の入ったパックが大人気でいつまでも行列が出来ていました。売れ切れたあとも新しい饅頭が来るまで皆さん待たれていました。
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天津城あたりは明・清時代の風景 [天津]

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外国人が住んでいた五大道は今の天津の町の南東の位置にあります。中国の人たちが暮らしていたのが北西でした。その中心近くにあったのが天津城です。
かつて天津城があったあたりは明・清時代の建物が今も残っています。その中心に、この鼓楼が建っています。東側の正面からの写真です。写真をクリックすると「東鎮」の文字がクリアーに読みとれると思います。

斜めから見た姿です。
鼓楼(ころう)は、時報や合図を発する楼閣形式の建物で、主に内部には太鼓が設置されていて、太鼓楼(たいころう)などとも呼ばれているそうです。
東西南北に「東鎮」、「西安」、「南定」、「北拱」のも字が書かれているのが印象的でした。この写真をクリックすると「西安」と「南定」の文字が読みとれます。つまり南西方向からの写真になります。
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こちらは「北拱」と「西安」が見える北西方向からの写真です。
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鼓楼は東西南北に道が交差する中心に立っています。中心の周りは広場になっており古い建物が目立っています。


南から見ました。ここに車から降りて鼓楼に向かって歩きました。


沢山のお店がありました。朝早かったので、まだ開いていませんでした。


鼓楼に近づきました。


ここは鼓楼東街と呼ばれており、骨董品や民芸品のお店が多数あります。観光にも力を入れており、このような昔の生活を表したものも置かれておりました。このあたりは古文化街と呼ばれ観光スポットです。昔の建物と、再現・復元された建物が並んで独特の雰囲気があるところです。


民芸品の代表格が泥人形 と呼ばれている土で作った人形です。このお店は百年の歴史があるようです。お店の名前は泥人張です。今から160年ほど前に天津の張明山という職人が発明し、代々その子孫が継承してきたので、「張氏が作った泥人形」という意味で「泥人張」と呼ばれているそうです。天津泥人形は子どもや老人、職人など庶民をモチーフにしているものが多いようです。


以前に紹介したことのある、習字で使われる紙で安徽省の有名な宣紙の専門店もありました。
ここは古文化街と言われるところで中国で66ある「5A級(最上級)風景区」の中で、商業街が指定されたのはここだけです。ちなみに五大道は4A(AAAA)級です。
天津古文化街には、中国北方の媽祖文化の象徴である天后宮や明代建築の玉皇閣、百年の歴史を持つ民居の建ち並ぶ通慶里と文化街戯楼(劇場)があります。


石屋さんもありました。お店の前に並べられているのは木の化石のようです。印泥・木化石と書かれた紙が張られていました。木化石 は古代の樹木が化石化した硬い鉱物で腕輪や数珠に加工されるそうです。

タグ:天津

街の中のモニュメント [天津]

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昔に多くの外国人が住んでいた天津の五大道に上の写真のモニュメントありました。新しいので、作られてたのは最近だと思います。
これは枠内に記載したロシアの民話「大きなかぶ 」をモチーフにしたものだと思います。民話ではおじいさん、おばあさん、孫娘、犬、猫、ネズミで引っ張りますが、モニュメントでは、おじいさんやおばあさんやネコやネズミは登場せずに、主に子供たちで構成されています。上の写真は是非ともクリックしてみてください。リアルな感じが伝わってくると思います。
おじいさんが畑に種をまくと大きなかぶができた。収穫しようとするが大きすぎてひとりでは抜けない。おばあさんにも手伝ってもらうがそれでも抜けない。孫娘、犬、猫にも手伝ってもらうがそれでも抜けない。ネズミにも手伝ってもらいようやくかぶは抜ける。

こちらは古文化街にありました。やっぱり、なにかの物語かもしれません。昔の中国の一場面だと思います。
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こちらも古文化街にありました。どんな場面なんでしょうね。これらは中国・天津で見つけました。全て等身大のモニュメントでした。
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天津のキリスト教 [天津]

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清の時代の古い町並みに教会の文字を見つけました。天津市基督教会と書かれています。教会という文字はありますが、ここからは教会らしい建物は見当たりません。この扉を入っていくと教会がありました。
調べて見ると中国語の基督教はキリスト教でした。そうすると「倉門口堂」が教会の名前と言うことになるので「倉門口堂 天津」で検索すると沢山表示 されました。倉門口堂 は、1910年に建てられた、華北地区で初めての中国人が自ら建てた教会だそうです。
倉門口堂は結構、写真が掲載されていました。
住所は天津市東門内大街86號です。 

気になったので門を覗いて見ました。門の奥は昔ながらの古い路地ですが一番奥に教会の入口らしいものが見えたので路地の奥に入らせてもらいました。
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奥に入って驚きました。路地の一番奥に立派な聖堂がありました。皆さんが集まっているようでした。非常に不思議に感じてしまいましたが天津にはキリスト教に関わる歴史があったのです。
1858年の天津条約によって、清国内でのキリスト教布教が公認されると、宣教師たちは各地で布教を開始したそうです。特に天津にはイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、イタリア、オーストリア、ベルギーなどの外国人の居住区があったことから、他の土地よりも布教が進められたのだと思います。そのような歴史から、今回の場所のような庶民の路地にも教会が残っているのかもしれません。
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ビルの谷間にも教会がありました。こちらは立派な教会です。この教会は天津西開教堂(あるいは老西開教堂あるいは天主教西開教堂 )と呼ばれ、天津でいちばん有名な教会だそうです。


建物の中ではミサが行われているようでした。厳格な雰囲気が漂っていたので、建物の中に入るのは遠慮させてもらいました。ここでは建物の中だけでなく庭でも、長時間お祈りが行われていました。

タグ:教会

天津の名物菓子は「よりより」 [天津]

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中国の天津で麻花と言うお菓子が有名です。麻花をネット で調べると結構出てくる有名なお菓子でした。麻花(中国語 マーホア、máhuā、広東語 マーファー、mafa)は、かりんとうに似た、小麦粉をこね、油で揚げて作る中国華北の菓子で、さくさくした食感と甘い味が特徴だそうです。日本でも長崎県や神奈川県などに製造業者があり、よりより、唐人巻(とうじんま)、ねじりんぼう、麻花巻などとも呼ばれているそうです。
写真で大きな麻花に気がつかれたと思いますが、これが天津で特に有名な天津大麻花です。

小さいのをおみやげに買って帰りました。確かにかりんとうにそっくりでした。めざましテレビでは煎餅k2倍以上の硬さが取り上げられていましたが、確かに天津の「よりより」も硬かったです。


お店の前には天津大麻花の飾り物があり記念撮影をしている人も沢山おられました。愛称の十八街の文字や老舗の桂發祥の文字が見受けられます。まさに麻花の本場です。


フジテレビの「めざましテレビ」で長崎の「よりより」がとりあげられたときの画面です。日本で出会えるとは、ちょっと驚きでした。

タグ:天津 土産

ぎゃ~ 今度は大型トラックが高速道路を逆走 [天津]



ぎゃ~ 大型トラックが高速道路を逆走
突然大型車が逆走してきました。ここは一般道路ではありません。中央分離帯(左側のガードレールと植木がある部分)のある高速道路なのです。(中国は日本と反対で車は右側通行です。)
以前にも、中国の高速道路で逆走に出会ったことが何度かありますが、今回も高速道路で逆走車に出くわしました。今までは乗用車でしたが、なんと今回は大型トラックが逆走してきました。すごい迫力と言うか恐ろしい!!!
あとで一般道に下りるときに料金所で聞くと霧で高速道路が閉鎖したとのことでした。

これは危険だと、緊急待避ラインに車を止めて思案していると、さらに次から次へと大型トラックが逆走してきます。さらに後からも大型トラックが!!
ここは、うしろに500m程行くと一般道路に出れる場所なのです。
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目の前で大型トラックが逆走するためにUターンを始めました。このまま真っ直ぐに行っても止まっていても危険なので500m戻ったほうが安全と判断し、ついに我々も緊急待避ラインをゆっくりと500m程もどることになりました。
つまり逆走してしまいました。 ごめんなさい!



場所は中国北京近くの高速道路です。高速道路から降りて一般道路を走り始めました。一般道路から見た高速道路です。トラックが数珠つなぎです。
高速道路は大渋滞でしたが


一般国道もすごい渋滞でした。最初はスムーズに走れましたが、ついにこちらも大渋滞となりました。


止まっていたトラックの運転手の人に聞くと、霧のために閉鎖されている3km先の高速道路の入口に入るために並んでいるとのことでした。我々の目的地へは高速道路に乗らないので、並ぶわけにはいかないので反対車線を走らさせてもらいました。


それでも反対車線までいっぱいになったところで完全ストップでした。3時間の予定のところが7時間かかってしまいました。

タグ:高速道路

竹ぼうき清掃車 [天津]

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天津の近くを車で走っているときに珍しい物を見ました。北京に住んでいる中国の人が4人一緒でしたが彼らも始めて見たそうです。ネットでは見たことがあるそうなので中国の人にとっても珍しいものと言えそうです。
上の写真を是非クリックしてみて欲しいです。雰囲気がわかると思います。

トラクターで竹ぼうきが回転する車を引いているのです。


道の掃除に大きな竹箒が使われていたのがアイデアの元でしょう。
この機械は、道に出て掃除するような危険な作業を減らすのが目的のようです。道端の掃除だけなら危険は少ないと思います。

タグ:清掃車

油条の人気店の隣も、人気店でした。 [天津]

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前記事で紹介した中国天津の南市食品街の入口にあった油条の人気店园园满满(園園満満)の隣のお店も大行列で、ネットにも出てくる満天紅美食園 の揚げパン屋さんでした。こちらの揚げパンは我々もよく知っているタイプの揚げパンでした。時間は土曜日の8時57分でしたが奥はレストランになっており満員でした。皆さん、朝食を食べにこられているようでした。このお店の隣のお店の名前が紅紅火火でした。
ネットの説明
ここは天津で働く人たちの朝のエネルギー源
地元の味を知るには、朝ごはんから!
こちらのお店には、約60種類の豊富なメニューがずらり。朝早くから店内は大勢のお客さんで賑わっています。テイクアウトも出来るので、気軽に立ち寄ってみてはいかがですか?
満天紅美食園 のプロフィール
 店舗名   マンティエンホンメイシィユェン 満天紅美食園
 電話番号 022-2735- 3172
 営業時間 06:00 ~ 15:00
 住所   天津市南市食品街1区1階3号
 平均予算 3元(二名)


揚げパンを揚げているところです。いろんな種類がありました。我々も、お客さんにお皿を手渡している揚げパンを買いました。
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右上の薄い色の揚げパンが我々が買った、一番人気のあんこ入りのものです。しかし熱すぎて、袋に入れられないため、お皿の上において、すこし冷ましてもらっているときに撮った写真です。
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タグ:天津 パン

大人気の揚げパン店 油条(油條) [天津]

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天津で行列が出来てい揚げパン店を見つけました。人気のお店のようでお客が絶えることはありませんでした。お店の名前は园园满满(園園満満)のようです。

揚げパンは中国や台湾の朝食の粥の具として、よく見かけた、油条 (油條 ヨウティヤオ)でした。生地を捏ねて切ったあと細長く延ばして油に落とします。朝食を提供する食堂の直営店でのことでした。奥が食堂です。
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右から順に入れて行きます。右から左行くにしたがって色が濃くなっているのが、わかると思います。揚げての人は常に揚がり具合を監視しています。揚げ上がると左の籠に立てかけて冷ましていました。油条と言う呼び方もネットで調べて初めて知りました。
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揚がっていくところを拡大いたしました。
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小さくて短い生地を油の上で細長く延ばして落とし込んだ瞬間です。この手つきがすばらしいです。短い生地をスーと延ばしたかと思うと、一瞬で落とし込んでいました。目にも留まらない早業です。真っ直ぐな棒状にするのが、すごいテクニックのように感じました。天津の南市食品街の朝の風景でした。隣のお店も大繁盛でした。
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下の写真のように食堂の中から、お粥や椀物などの器を直接持って、買いに来るいる人も見かけました。油条を器に入れて食べます。
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 园园满满を検索→ポチッ

追伸
今日、2015年5月27日から6月5日まで中国に行って来ます。今回が98回目の中国訪問となります。その間は中国のネット事情により皆さんのところへの訪問が難しいことお許しください。
朝のフライトなので7時5分ごろに家を出ます。
17時30分(日本時間18時30分)にホテルに着きました。
タグ:天津 油条

お菓子フェスティバル [天津]

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天津の観光名所の一つに南市食品街があります。饅頭屋さんや揚げパン屋さんや油条のお店があったところです。上の写真は南市食品街の入口ですが、入口に風船の赤いアーチがあります。中国では催しごとがあった場合に、よく赤い風船のアーチが飾られます。この日はお菓子のフェスティバルが行われていました。クリックすると別の入口が表示されます。

南市食品街の中のお店だけでなく外部からの出店も沢山ありました。南市食品街の屋内通路は出店店と沢山の人で埋まっていました。
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もともと南市食品街の中でお菓子のお店が多くありました。老舗のお菓子専門店だらけと言う感じです。


こちらの店には大行列が出来ていました。さすがに並ぶ時間はありませんでした。
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この大きなヤカンを看板にしているお店の飲み物も名物と教えてもらいました。常に行列の出来るお店でした。ネットで調べると売っているのは「茶湯」言うそうです。器にキビ粉やコウリャン粉を入れてお湯を注ぎ松の実などお好みのトッピングを加えて完成だそうです。


こちらの仮設の揚げパン屋さんも大人気でです。仮設で出店しているお店は安かったです。

タグ:天津 お菓子

五大道 [天津]

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中国の天津の海鮮料理を紹介したので、ここでは天津の観光名所の一つを紹介したいと思います。天津には洋館が沢山集まった場所があります。
和平区の通称「五大道」と呼ばれる場所です。上の写真は五大道の最も南側を東西に通っている馬場道沿いの1800年代の住宅が沢山集まった場所で、実は天津の観光スポットです。
さっそく五大道をネットで調べてみました。
天津は建物を見て歩くのが面白い街。中国の伝統的な建物から、石造りの老舗ホテル、荘厳な教会、庭園のある洋館(小洋楼)も多く見られます。そんな洋館が多く建てられるきっかけとなったのが1858年の天津条約、1860年の北京条約でした。以降、イギリス、フランス、ロシア、日本などがそれぞれの国の建築様式を取り入れた租界地を作り上げたのです。日中戦争が始まった1937年頃から租界は長い歴史に終わりを迎え1946年の終戦と同時に租界自体は完全に消えましたが、建物や街並みは残りました。

ネットでの五大道 を見ると沢山の洋館が紹介されていますが、私が驚かされたのは上の写真のような立派な住宅が沢山並んでいたことでした。五大道はイギリスの人たちの居住区であったようです。外国人の居住区は中国の軍隊や警察の入れない治外法権と聞きました。もちろん住居以外の建物も沢山ありました。


五大道は南東から馬場道・睦南道・大理道・常徳道・重慶道・成都道の6本の大道と、南西から西康路・昆明路・雲南路・桂林路・河北路・新華路の6本の路で囲まれた地域のことです。6本の大道なのに五大道と呼ばれる由来は判りませんが、6本の道で区切られた5つの区画だからかもしれません。先ずは馬場道の写真を連続で紹介いたします。馬場道と書かれた看板の向こうには教会が建っています。


これは旧「天津工商学院」の主楼です。今も天津外国語学院として使われています。校内には、天津自然博物館の前身である北疆博物院も建てられています。朝の7時40分ころだったので体操をしている人も見受けました。


このときは夏休みが終わりに近づき地方から帰ってきた学生の人が沢山戻ってきているところでした。大きな荷物をみんな持っていました。


このような大きな個人の住宅が沢山立ち並んでいるのが、他の洋館が並んだ場所とは天津が違うところなのです。


こんな小さな建物も重要な文化財です。小さいけれど一戸建ちの住宅で外国の家族が住んでいたのだと思います。


集合住宅もありました。今は中国の人が住んでいましたが、昔は外国人が住んでいました。大きな住宅に住んでいた人ばかりではなく、いろんな外国人が住んでいたことをうかがわせます。馬場道と睦南道の間にあります。大道と直角に小さな路地があります。それを入っていくと出会える風景です。大通りだけでなくこんなところもあるので、訪問する機会があれば是非探してみてください。団体で入ると嫌がられる可能性がある上、外国人は不審に思われるかもしれないので、写真を撮るためには中国人の人と一緒に少人数で入っていくことをお薦めします。


こちらは別の通り睦南道です。この通りの4枚の写真を紹介いたします。
中国には外国人の建物が沢山残った場所があります。特に有名なのは上海の外難のような場所ですが、天津は、どちらかというと豪華な住宅が残っていて、今でも閑静な住宅街と言う感じです。古い住宅街にもかかわらず道の広さに驚かされました。
五大道を直訳すると「五つの大きな通り」ですが道の中には街の意味合いも含まれていると案内してくれた中国の人が教えてくれました。胡同(フートン)は路地のことですが「路地のある街」と言う感じに似ています。すなわち「五つの大きな通りのある街」と言う意味合いもあるようです。
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馬場道の住宅地は高い壁はないオープンな高級住宅街でしたがこちらは煉瓦の高い塀に囲まれた大きな建物が沢山ある高級住宅地でした。実は、ここは革命などで政府に追われた中国の高官たちが隠れ住んだ場所でもあるのだと、案内してくれた人に教えてもらいました。


緑に囲まれた静かな場所でした。


路地を奥に入った景色です。


天津の華やかな建築群は、英仏連合軍の侵攻の結果、1860年に結ばれた北京条約がきっかけになっているそうです。やがて天津は、当時の中国で最も富とセレブリティとが集まる街となり、資力に任せた華麗な建物が次々に建てられたそうです。


こちらも睦南道です。昔の建物はレストランに使われているところが多かったです。こちらもそうです。この建物は天津の海鮮料理で一番高級なお店に変身していました。粤唯鮮レストランです。


この地区では、このような看板が見る限り全ての建物に取り付けられていました。これは269番目の看板でしょうね。すごい数です。


有名な人が住んでいたところには、さらに大理石の看板が取り付けられています。この建物もレストランとして使われていました。ここは李勉之(1898~1976年)の住居です。「李勉之」が人の名前です。
  住所 天津市和平区睦南道74号
  敷地 1000㎡
  建物 984㎡
  完成 1937年
  設計 Rolf Geyling(オーストリア)


こちらは卞万年の住居でした。室内の写真はネットから転用させていただきました。この辺りに住んでいたのは外国人や著名人です。建物が完成した1937年は日中戦争の初期のころで、日本が太平洋戦争に突き進んでしまう起点の年でもあります。
  住所 天津市和平区云南路57号(天津市和平区雲南路57号)
  敷地 1200㎡
  建物 889㎡
  完成 1937年

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タグ:天津 租界 洋館

天津の海鮮料理 [天津]

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前記事で南京から天津へのフライトを記載したので、天津の記事を掲載いたします。何日間か天津に滞在した時の最後の夕食です。天津では海鮮料理が有名です。物価の高い天津の海鮮料理は結構高いのですが、ここでは庶民的な海鮮料理を紹介いたします。

このお店は天津の海鮮料理で一番高級なお店です。すでに紹介した外国人が住んでいた五大道の睦南道にある粤唯鮮レストランです。ただし、このお店では食べませんでした。なぜならば、今回の人数の8名だと10,000元(約190,000円)になる可能性があるためでした。安くて美味しいお店を探しました。お店は最後に紹介いたします。


鰒(アワビ)です。8人で8個を注文したので一つ丸々食べれました。
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アワビは、こんな料理になりました。小粒だけれど厚肉で食べ応えがありました。この料理は、すごく美味しかったです。
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シャコは1kg注文しました。日本でよく食べられているものよりも大型のシャコですが味はまったく同じです。元気のいいのを選びました。
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シンプルに茹でて食べます。酢と醤油の左のタレにつけて食べます。もちろん付けなくてもOKでした。
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活きた巨大な「舌びらめ」です。水槽から出した途端、暴れまわっていました。
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これほど大きな活きた舌びらめを食べたのは初めてでした。おそらく今回の料理の中で最も高価な素材と思います。
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舌びらめはプリプリで美味しかったので拡大写真を掲載させていただきました。ほんと感激もので、すばらしかったです。
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渡り蟹も8匹頼みました。これも1人一匹です。


これも大きな渡り蟹でこれだけで料理としては十分な量がありました。身も沢山入っており、無口になりましたが楽しめました。
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大きな海老の料理です。これも1人一匹です。
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大型の巻貝、刺身に出来るつぶ貝です。これも高級料理です。
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蛸とニラの料理です。
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海鮮以外の料理も沢山頼みました。
キャベツと玉子の料理で日本人に合う料理です。
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クリックすると拡大これだけの料理ですからビールを沢山飲みましたが、中国の焼酎にあたる白酒(パイチュー)も頼みました。銘柄は小糊涂仙です。初めて聞く名前ですが高級な茅台酒と同じ贵州省仁怀市茅台镇(貴州省仁懷市的茅台鎮)の白酒です。瓶の右上に52%(vol)と書かれています。アルコール濃度が52%のお酒なのです。
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シャキシャキした野菜の千切りの料理でこれは火を使っていない料理です。
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クラゲと白菜の料理です。
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ハムを固めた料理で、これも天津の名物です。料理が沢山あり、これだけは口をつけなかったのでコメントできませんが、中国の人に人気があり完食でした。


クルミの料理です。


最後の主食はトウモロコシのパンで、茶色いの海老のデンブとキュウリとネギを挟んで食べました。
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蟹や海老やシャコの殻を入れる器を出してもらえないので食べ終えた後はきれいではありませんが、あえて紹介いたします。これが庶民のための海鮮料理店です。
いろんな料理が出てきましたが、全部たいらげてしまいました。それだけ美味しかったことの証拠です。今まで中国で入った海鮮料理店で最も庶民的なお店でした。


今回入ったお店です。天津の街の中を車で走りながら、いろんな人に聞いて選んだお店です。お店は綺麗ではではないけれど新鮮ないい素材を置いていると教えてもらって選んだお店です。
お店の名前は小銅鑼湾海鮮家常菜館です。立っている人がお店のオーナで沢山注文したので喜んでもらえました。観光客や外人のお客ではなく地元の人が食事を楽しむところのようでした。探すのに時間が、かかったけれども、このような安くて美味しいお店が探せたのは良かったです。