沖縄のお土産 [沖縄]

沖縄旅行のお土産に海ぶどうを古宇利島で買ってきました。空港や他のお土産店よりかなり安かったです。正式名はクビレズタ (括れ蔦、学名:Caulerpa lentillifera)で、イワズタ科イワズタ属に属する海藻です。
和名はもともとはくびれがあるツタの意味で「クビレヅタ」でしたが、2000年に改定された日本産海産目録より「クビレズタ」に改められたそうです。
亜界 : 緑色植物亜界 Viridiplantae
門 : 緑藻植物門 Chlorophyta
綱 : アオサ藻綱 Ulvophyceae
目 : イワズタ目 Caulerpales
科 : イワズタ科 Caulerpaceae
属 : イワズタ属 Caulerpa
種 : クビレズタ Caulerpa lentillifera
最新である2005年改訂版でも「クビレズタ」になっています。日本では南西諸島に、日本国外では東南アジアやオセアニア等の浅海域に分布します。主に、潮間帯の下部から漸深帯の砂地に生育しています。
長さ2〜5m程度まで成長する。匍匐茎(ランナー)を伸ばし、匍匐茎の途中から直立する茎が生えます。この直立する茎が食用になる部位で、球状の小枝(葉のような形状)が密生しており、「海ぶどう」の由来にもなっています。
グリ−ンキャビアとも呼ばれています。生で、醤油や三杯酢等をタレのように浸けながら食べられています。

天然のものは収穫量が少ないためあまり出回っていませんでしたが、平成6年に恩納村で養殖技術が開発されてから、海ぶどうが手軽に手に入れられるようになりました。沖縄のミネラル豊富な海水と亜熱帯地方特有の太陽光線により、良質な海ぶどうが店頭に並びます。
暖かい海に育つ海藻ですので、寒さに弱いため、15度〜30度の室内で常温保存が好まれます。したがって、絶対に冷蔵庫に入れないように言われました。死んでしまうそうです。写真の海ぶどうは一部が白くなっています。これは光に当たっていないために白くなるそうですが、食べる前に光に当てておくときれいな緑色にもどると書かれていました。新鮮で活きている内に食べる必要があるので家に帰った日の夕食で食べました。
この記事で、とりあえずは沖縄報告を終了させていただきます。今まで沖縄の記事のリストです。下から時系列的にならべています。
掲載できた沢山の記事が最大のお土産かもしれません。タイトルをクリックすると記事を表示します。

シャコ貝の化石
アーサー汁
沖縄の猫ちゃん
さとうきび生ジュース
世界遺産 今帰仁城 (なきじんぐすく)

瀬底大橋
沖縄の調味料
沖縄の朝食
沖縄のディナーは沖縄特選寿司

日本のリゾートホテルに泊まりました。
沖縄の怖〜い看板
世界遺産 座喜味城 (ざきみぐすく)
中城(なかぐすく)から見える廃墟
世界遺産 中城 (なかぐすく)

世界遺産 園比屋武御嶽石門
世界遺産 首里城 (すいぐすく)
「沖縄すば」の人気店
沖縄旅行に行ってきました。
海ぶどう以外に買ってきたお土産をさらに紹介します。
タコライスです。名前だけ聞くと蛸めしをイメージするかもしれませんが、メキシコ料理のタコスのライス版です。

さっそく作ってみました。写真は包む前のものです。クリックすると包んだ状態を表示します。見掛けはたいしたことはないけれど味はよかったです。

ソーキカレーも買ってきました。族に言う豚肉のカレーです。柔らかいお肉が沢山入っていましたがお土産なので値段は高めです。これ以外にアオサ(アーサー)の佃煮とモズクの佃煮も買ってきました。どちらもおいしくいただきました。

ちょっと曇りの夕日になりました。 [沖縄]



沖縄で宿泊したホテルは西側に海が広がっていました。昼間は晴れていたので、この沖縄の海の水平線に沈む夕日を見たくて早め(16時50分ごろ)にホテルに着きました。この日の日没時間は18時25分と書かれていたので、日没時間の少し前に海岸に行きましたが、残念ながら西の空には雲が出てきてしまい雲に沈む夕日になってしまいました。上の写真は雲に沈む前の夕日です。時間は18時1分でした。
こちらは18時7分の状態で曇に太陽が沈みはじめました。いずれもホテルの前のプライベートビーチからの2月21日の景色でした。

太陽が半分、雲に沈んだ状態です。時間は18時11分です。太陽の沈んだ状態はクリックすると判ると思います。

明るいうちに高い位置に登って撮ったホテルの前のビーチです。夕日の写真で紹介した岩が分かってもらえると思います。このビーチはニライビーチ と名づけられています。ニライビーチはアリビラビーチとも言われているリゾートビーチで、雲がなければ絶景の夕日が見れたことが想像していただけると思います。

沖縄の衛星写真で場所を紹介いたします。座喜味城跡の近くに宿泊ホテルと書かれた場所です。座喜味城は「ざきみぐすく」と読みます。
シャコ貝の化石 [沖縄]
写真の上のカーソルが
の場合はクリックすると拡大します。


親子が海藻(アーサー)を採っていた海岸の岩場に何気なく大きな貝殻の形の石がありました。形と大きさからシャコ貝の化石だと思います。横にある石やサンゴのカケラから大きさが判ってもらえると思います。このあたりのシャコガイの化石は調べてみると、ものすごく古いものではなく、今から数千年前(年代測定の一例では6200年~6700年前)に生きていたものが多いそうです。このシャコ貝も同じ程度の古さかどうかはわかりませんが、沖縄本島で地殻が隆起することがあった証拠でもあります。
無造作に沢山あるのに驚きました。
シャコガイ(硨磲貝)はシャコガイ科 Tridacnidae に属する二枚貝の総称で、熱帯〜亜熱帯海域の珊瑚礁の浅海に生息し、二枚貝の中で最も大型となる種であるオオジャコガイを含みます。外套膜の組織に渦鞭毛藻類の褐虫藻が共生し、生活に必要な栄養素の多くを褐虫藻の光合成に依存しているそうです。
シャコ貝の化石を見ていると石垣島のダイニング・シュリンパー と言うお店でシャコ貝の刺身やヤシガニを食べたことを思い出しました。

この写真を撮った場所でシャコ貝の化石を見つけました。正面の島は古宇利島です。写真の右端に写っている岩の後ろに古宇利大橋が僅かに写っています。

ネットから活きたオオシャコ貝の写真 を拝借いたしました。
界 : 動物界 Animalia
門 : 軟体動物門 Mollusca
綱 : 二枚貝綱 Bivalvia
目 : マルスダレガイ目 Veneroida
上科 : ザルガイ上科 Cardioidea
科 : シャコガイ科 Tridacnidae Lamarck, 1819
属 : シャコガイ属 Tridacna

中城(なかぐすく)から見える廃墟 [沖縄]
伝説の島に行ける古宇利大橋 [沖縄]



沖縄旅行で、宿泊したホテルで沖縄特選寿司を食べている時、カウンター中の板前さんに次の日に沖縄美ら海水族館に行くことを話すと、近くに景色のいい橋があると教えてもらいました。水族館と今帰仁城に行ってあとに行ってみました。本島からは沖縄本島→奥武橋→奥武島(おうじま)→屋我地大橋→屋我地島(やがじしま)→古宇利大橋→古宇利島(こうりじま)と渡って行きますが、最も長くてきれいなのが古宇利大橋です。
上は屋我地島から古宇利大橋へ向かう道を正面から撮った写真です。
古宇利大橋 (沖縄県道247号古宇利屋我地線)は2005年2月8日に開通しました。開通当初ですが、一般県道としても通行料金の要らない橋としても日本一の長さ(全長1960m)でした。現在は2015年に開通した伊良部大橋(宮古島~伊良部島)が最長で、古宇利大橋は2番ではありますが、美しい景観には変わりがありません。

古宇利大橋の側面図を紹介します。判りやすいように大成建設さんの図面に色付けを行い水平方向のみ34%に圧縮しています。橋の断面図は屋我地島方向から見たもので、クリックしてもらうと詳細がわかると思います。
名前 古宇利大橋 こうりおおはし

支間長 80.0m x 23 59.1m x 2
幅 10.25m(車道7.25m + 歩道3.00m)
形式 連続桁橋、ラーメン橋
素材 プレストレスト・コンクリート
建設開始 1997年
開通 2005年2月8日

屋我地島の海岸から見た古宇利大橋です。いろんな角度から紹介いたします。

これも屋我地島の海岸からの古宇利大橋の写真ですが上の写真とは反対側です。

この古宇利大橋と古宇利島の写真を撮った屋我地島の海岸でアオサ採りを見かけました。シャコ貝の化石も、このあたりで見つけました。

橋の片側には歩道があるので屋我地島から古宇利大橋の最も高い


古宇利大橋の展望デッキから見た古宇利島です。
駐車禁止の標識はありませんが、橋の途中で車を駐車すると顰蹙を買う気がしたので、歩いてここまで来ました。
古宇利島は面積3.13km²、周囲約4kmでほぼ円形の形をした小島で、3〜4段の海岸段丘で囲まれています。沖縄県北部屋我地島の北に位置し、今帰仁村に帰属する有人島で、離島ならではの美しい海や「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝説があることで有名です。

ネットで見つけた、その伝説 を紹介いたします。これは今帰仁村歴史文化センターの資料だそうです。まさに沖縄版のアダムとイブです。
むかしむかし古宇利島に、少年と少女が住んでいました。
二人は裸でいても恥じらうことなく、天真爛漫に毎日天の神様が降ろしてくださる餅を食べて暮らして居ました。
時が経ち、二人は、残り物を蓄える事を覚えました。それで神様は、ついに餅を降らすことを止めてしまいました。少年と少女は驚いて悲しみ、空を見上げては「お月様お月様、どうか私たちにもう一度餅を降らせて下さい。」と何度も頼みましたが、願いは聞き入れられませんでした。それから二人で毎朝浜に出て、魚や貝を捕り、働く事の苦しさを学びました。
さてある時、いつもの様に二人が働いていると、海の中でジュゴンがセックスをしているのを見つけました。少年と少女は初めて子供を作る事を理解したのです。お互いを意識し始めた二人は、裸のままでいる事が恥ずかしくなり、クパの葉で身体を隠す様になりました。古宇利島の人々はこの二人の子孫で、ここから沖縄の島に、人が増えていったとの事です。
古宇利大橋の上を歩いていると短い時間でしたが何組もロードバイク(ロードレーサー)が通り過ぎていきました。最近、自転車が流行っているみたいです。学生時代のことを思い出させてくれました。

古宇利島から見た景色を3枚紹介します。晴れていたらすばらしい景色になることを予感させてくれました。向こうの島は屋我地島です。古宇利大橋の景観が景色に映えています。

古宇利大橋の上からの景色です。

古宇利大橋を挟んで反対側からも撮りました。屋我地島がよく判ると思います。

沖縄の地図で場所を紹介いたします。
航空写真で位置関係がわかってもらえると思います。古宇利大橋で古宇利島に渡って島を一周いたしました。ここから下で屋我地大橋や奥武橋の写真も紹介します。
屋我地島と奥武島を結ぶ屋我地大橋(長さ300m)も紹介いたします。奥武島からの写真です。

沖縄本島から屋我地大橋を撮りました。橋の右側が奥武島で左側が屋我地島です。全長約300mの沖縄県道110号線の橋です。
初代の屋我地大橋は1953年に完成したが、1960年のチリ地震の津波により橋の上部が流失。それから3年後の1963年に2代目が完成し、30年にもわたって沖縄本島と結ぶ重要な交通手段でしたが、本土復帰後進む道路整備で幅員が5.5mと極端に狭くかつ歩道がなく交通安全上危険なため1990年代に入り現在の3代目を建設、1993年3月に完成しました。

奥武橋と奥武島 も紹介しておきます。真中の橋が奥武橋(長さ170m)です。橋の左側が奥武島で右側が沖縄本島になります。写真をクリックすると周辺の景色を表示します。この奥武橋は1953年(昭和28年)に架橋されました。沖縄および周辺の島には島と島をつなぐ橋が沢山あります。
沖縄県には4っの奥武島(おうじま)があり、その中の一ですが、いずれも、かつて死者を弔った場所であったと云われており、いずれも崇められています。今回の島は沖縄本島北部にある島で名護市に属し、すでに紹介の通りに本島と屋我地島の間にありいずれも橋で結ばれている無人島です。残りの3っは下記にあります。
沖縄本島南部の南城市玉城(旧玉城村)
久米島の東にある島で久米島町
慶良間諸島の座間味村

アーサー汁 [沖縄]



ここは沖縄の屋我地島(やがじしま)の海岸で親子で海藻(または海草)を採りにこられているところに出会えました。見えている島は「沖縄版アダムとイヴ」の伝説がある古宇利島(こうりじま)で、島に渡る古宇利大橋が写真の右側にあります。
採っているのは岩の上にもこびりついている緑色の海藻ですが、水の中のものを採っていました。親父と二人の息子さんの計3名でした。ここは景色もきれいな場所でした。こちらの写真には古宇利大橋が写っています。

採った海藻(または海草)を撮らせていただきました。この入れ物(籠)4つに満杯にされていたので相当の量です。冒頭の写真で人と比べていただくと籠の大きさが分かってもらえると思います。佃煮にするのでしょうか。それにしても家族で食べるには多すぎる気がしました。
一般的にはアオサと呼ばれることが多いようですが正確にはヒトエグサの類のようで、ここ沖縄でアーサーと呼ばれている海藻です。沖縄ではヒトエグサやアオサ、アナアオサのことをアーサ(アーサー)と呼んでいます。ややこしいけれどアーサーのことをアオサとも呼ぶことがあるようです。
アーサーは味噌汁などの具に使われて、その味噌汁のことをアーサー汁と呼ばれています。

水の中を撮りました。きれいな水です。海藻(海草)もおいしそうに見えます。沖縄での呼び名アーサーは特定種ではなく食べれるアオサ属の総称です。
界 : 植物界 Plantae 又は アーケプラスチダ Archaeplastida

綱 : アオサ藻綱 Ulvophyceae
目 : アオサ目 Ulvales
科 : アオサ科 Ulvaceae
属 : アオサ属 Ulva
一般 : アオサ
沖縄 : アーサ 又は アーサー
鹿児島 : オサ

泊まったホテルの朝食のお品書きのなかにアーサーの文字があったことに気がついたので追加掲載いたしました。この料理の名前は「グルクンのアーサ餡」です。緑の海藻らしいものが入っています。

タグ:海藻
沖縄の朝食 [沖縄]



泊まった沖縄のホテルの和食の朝食は二種類ありました。こちらは30食限定の「ぬちぐすい定食」です。「ぬちぐすい」とは命薬と書きます。食に工夫をこらして命の薬になるものを食べることだそうです。
ぬちぐすい定食の、お品書きです。「絞りたて野菜フルーツジュース」「パパイヤイリチー」「ハンバマのピーナツ和え」「アロエパイン漬け」「シーマーミ豆腐」「クーブイリチー」「読谷産ふかし紅芋」「冬瓜ンブシー」「グルクンのアーサ餡」「ヘチマ酢味噌」「長寿草ジューシー(おかゆ)」「ゆし豆腐」「沖縄麦ぜんざい」と全13品でした。朝から満足でした。これ以外にフルーツや飲み物は自由に食べれました。
クリックすると「ぬちぐすい」の説明が判ると思います。

瀬底大橋 [沖縄]

この日は宿泊していたホテル日航アリビラ/ヨミタンリゾート沖縄を7時にレンタカーで出発して沖縄美ら海水族館を目指しましたが途中できれいな橋があったので渡ってみました。その島は瀬底島(せそこじま)です。
下の写真は橋を渡って瀬底島から見た瀬底大橋です。
瀬底島は小さな島ですがウィキペディア(Wikipedia )に記載がありました。
それによると瀬底島は沖縄県国頭郡本部町にある周囲約8km小さな島です。昭和60年(1985年)に全長762mの瀬底大橋で沖縄島と接続されたそうです。島の西側に白い砂浜が広がる静かな瀬底ビーチがある。ビーチから眺める伊江島や水納島の情景も美しく、特に島の向こうに沈む夕日が周囲を染めていく様子は圧巻である。また瀬底ビーチでは、海水浴シーズンには売店もオープンし、キャンプを楽しむ家族連れや若者達で、夜通しにぎわうそうです。
面積 2.99K㎡
人口 442人
小学校 1校
信号 1ヶ所
特徴 医療施設無し 瀬底ビーチ

瀬底大橋を渡り始めました。

橋の中央付近です。

沖縄本島から見た瀬底大橋です。
瀬底大橋完成までは、上陸用舟艇の渡し船が行き来したそうです。ちなみに、渥美清主演の映画「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」で、リリーが東京に帰ったと聞いて寅さんがあわてて飛び乗るのがこの船であったそうです。そんな船に乗っても東京には帰れないぞ、と思ってみてると、島づたいに一ヶ月かけて帰り着いたと、あとで説明されたとありました。

この写真のように前日は晴天でした。この日は、上の写真のように、あいにくの曇り空でした。

地図で瀬底島の位置がわかってももらえると思います。クリックすると瀬底島の形がわかると思います。
さとうきび生ジュース [沖縄]
写真の上のカーソルが
の場合はクリックすると拡大します。



このローラーのような機械で絞ってくれました。サトウキビはイネ科の植物で、茎に糖分を含んだ髄があり、砂糖の原料となる農作物です。
栽培種の起源はニューギニア島とその近くの島々と言われ、紀元前6000年前後に現在のインド、さらに東南アジアに広まりったとされており、現在は世界各地の熱帯、亜熱帯地域で広く栽培されています。
目 : イネ目 Poales
科 : イネ科 Poaceae
属 : サトウキビ属 Saccharum
種 : サトウキビ S. officinarum

右側がしぼった生の「さとうきびジュース」です。搾りたての生のジュースはサラットして、さわやかなでした。左側は試食として濃縮した「さーたーゆー」を薄めた飲み物です。世界の生産量の内訳は、サトウキビが約70%でテンサイが約30%ですが、日本国内においては気候の関係上、テンサイが約80%で、サトウキビが約20%です。日本国内の消費量230万トン/年の内、36%(83万トン/年)が日本国内で生産されている自給率の比較的高いものなのです。

試食させてもらったのは商品名さーたーゆー です。サトウキビの搾り汁を煮詰めたものだそうです。黒砂糖になる少し前の状態と思えば想像出来ると思います。
ネットでは下のように説明されていました。
飲み方は、「さーたーゆー」を10倍のお湯で割り(甘さの調整は、お好みで)、生姜やとうがらしを入れて飲むと、体がポカポカと温まって、風邪に効きます。(購入先の「城の茶屋」の店主が教えてくださいました)記事のなかの店主は冒頭の写真のおじさんと思われます。

沖縄の怖~い看板 [沖縄]

沖縄に来ていることを実感させられる看板でした。
これは首里城の近くの比較的人が通る場所で見つけました。
ハブ(波布、飯匙倩)を調べて みました。
ハブの写真はWikimediaから転用させてもらいました。
沖縄と南西諸島に棲む毒蛇で全長100-200cm、最大全長242cm、体重1.35キログラム、雄は雌より大きくなる。2011年10月12日に沖縄本島北部の恩納村で体長242cm・体重2.8kg程度の個体が、また奄美大島では2009年7月16日に体長226cm・体重3.15kg、胴回りの最大周が約20cmの個体が捕獲されている。年間100件程度の被害があるが、死亡事例はわずかである。事故の多くは畑や屋敷内で発生している。毒は出血毒で、咬まれると、すぐに激痛が襲い、傷口から出血し、内出血が広がる。その後、腫れが広がりだし、一日以上腫れが広がり続ける。
被害の予防のためには、ハブが居そうな場所を歩くときは、靴(長靴)・帽子・長袖・長ズボンなどを着用し、肌の露出を避ける。野外での排便時に噛まれることがあるので、注意が必要である。また、周囲に充分注意し、ハブを見つけたら絶対にハブの射程距離に近づかないようにする。曲げた体を伸ばすことで、ハブの全長の2/3程度の距離まで飛びつくことができるとされている。
万が一かまれてしまったら、吸引器などにより毒を少しでも吸い出す方がよいが、口での吸引はあまり効果がない。患部の冷却も痛みを軽減するが、毒に対する効果はなく、冷却しすぎないよう注意が必要である。安静を保ちつつ、急いで病院にいく。
目 : 有鱗目 Squamata
亜目: ヘビ亜目 Serpentes
科 : クサリヘビ科 Viperidae
亜科: マムシ亜科 Crotalinae
属 : ハブ属 Protobothrops
ハブ属 Trimeresurus
世界遺産 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) [沖縄]


守礼門と首里城の歓会門の間に何気ない小さな石の門がありました。この小さな門が世界遺産である「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の中の一つのアイテムになっている園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。
世界遺産である首里城の中には沢山の門があるのに、首里城の一部ではなく、これだけが特別に取り上げられているのは不思議でした。
それには特別な意味がありそうなので、調べてみると、この門は国王が外出する際に道中の無事を祈った場所だそうです。
石門には琉球石灰岩が用いられています。
首里城自体の作られた正確な年代はわかっていませんが、この門は作られた年がはっきりしています。この石門は尚真王時代の1519年に八重山の西塘(にしとう)が建築したそうです。太平洋戦争で破壊されましたが昭和32年(1957年)に復元し、その後、昭和61年(1986年)に解体修理されたのが現状の門だそうです。

それにしても沖縄は難しい読み方が多いです。玉陵(たまうどぅん)もよめませんでしたが、沖縄では、なかなか読めない文字が多かったです。
ネットで見ていると園比屋武御獄石門と園比屋武御嶽石門の両方が出ていました。ネットで検索すると園比屋武御嶽石門の検索数は約55,000(92,400)件で園比屋武御獄石門の検索数は約35,800(16,400)件 でした。
門の裏側ですが、こちらが表なのかも知れません。
石門の背後にある森が園比屋武御嶽だそうです。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だったそうです。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っているそうです。 もともとは今より広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのはその一部だそうです。
御獄(御嶽 うたき)は聖地のことで、ウガン、ウガンジュ、オン、グスク、スク、ムイ、ワーなどと呼ばれ、沖縄の人にとっては、祈りの場所で聖地の象徴で、御獄は村を守る神様が宿るところとされていて、今もなお、守られ続けられているそうです。周りを森や樹木などで囲まれており、石積で囲ってある場所が多い。今でも参拝者が訪れているそうです。

下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。
首里城(すいぐすく)
玉陵(たまうどぅん)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
中城(なかぐすく)
座喜味城(ざきみぐすく)
今帰仁城(なきじんぐすく)
識名園(しきなえん)
勝連城(かつれんぐすく)
斎場御嶽(せいふぁうたき)
沖縄の調味料 [沖縄]


沖縄の調味料の代表格でしょうか。沖縄県産島とうがらし
これはホテルのレストランに置かれていたものなので間違いないと思い写真を撮りました。お土産屋さんで探したけれど同じ銘柄は見つけられませんでした。
調味料の名前に使われている「こーれーぐーす」は沖縄の方言で「島とうがらし」のことだそうです。原料は島唐辛子と泡盛(または酢)のようです。
ラベルに「そば・うどんにお鍋・煮物に一滴で沖縄的ヒリ辛スパイス」と書かれていますが、確かに一滴でヒリ辛になるのは驚きでした。
食品メーカーで製造されているコーレーグース(コーレーグス)も多いそうですが、島唐辛子を泡盛に入れると比較的簡単に作ることができるので自家製のコーレーグスも多いそうです。ちなみに、漬けた島唐辛子はコーレーグスジャキと呼ばれる。
つくり方は島唐辛子を3週間程度、泡盛や酢に漬け込きます。使用する泡盛は高価な古酒である必要はなく、安価な新酒で構わないそうです。液が濁ってきたら中の唐辛子を捨てると長持ちするそうです。
世界遺産 玉陵(たまうどぅん) [沖縄]


首里城から歩いて10分くらいの場所に琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている場所があります。漢字で玉陵です。首里杜館の総合案内所でギョクリョウの場所はどこですかと聞くと快く教えてもらいました。でも最後に「たまうどぅん」と読むと言われてしまいました。
玉陵(たまうどぅん)も世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つです。
写真に写っている小さな門を二つくぐるとお墓のそばに行けます。
ここは沖縄県最大の破風墓です。破風墓(はふうばか)とは、沖縄特有の墓の形式の一種で家屋同様の屋根があるもののうち、屋根が破風形となっているものです。首里城とまた違った雰囲気の場所でした。

玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれており、中室は葬儀の後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨したそうです。洗骨した後、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められたそうです。

第二次世界大戦時には、玉陵は東室、西室が破壊されるなど大きな被害を受けました。現在、見られる大部分は3年の歳月をかけて1974年に修復されたそうです。下の写真は展示されていた戦前の写真です。上の今回の写真と比べてみてください。

玉陵の内部は三つの部屋があります。これは展示されていた部屋の中の写真です。こちらも戦前の写真です。

こちらも展示されていた戦前の玉陵の全景です。

こちらの入場券(観覧券)です。
大人 200円 (団体 100円)
小人 100円 (団体 50円)
団体は20名以上
カーナビに入力する電話番号は 098-885-2861ですが首里城の駐車場に車を置くのがよいと思います。

下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。黄緑色の文字をクリックすると訪問した時の記事を表示します。
首里城(すいぐすく)
玉陵(たまうどぅん)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
中城(なかぐすく)
座喜味城(ざきみぐすく)
今帰仁城(なきじんぐすく)
識名園(しきなえん)
勝連城(かつれんぐすく)
斎場御嶽(せいふぁうたき)萁
日本のリゾートホテルに泊まりました。 [沖縄]



沖縄旅行で泊まったホテルのベランダからの景色です。ホテルのプライベートビーチが広がる景色がきれいです。
実は日本で海辺のリゾートホテルに泊まるのは初めてでした。
初めて味わう雰囲気に感激いたしました。
実は日本よりも海外のホテルに泊まる回数の方が多いのです。そこでこの日までの海外のホテルの宿泊回数を計算してみると、なんと1091泊もしていました。日本からの出国回数は199回なので一回の出国で平均5.5泊していることになります。ところが1091泊しましたがリゾートホテルに泊まったことは、ほとんどありません。
夜のベランダからの景色もきれいでした。この時期は、まだ泳いでいる人はいませんでした。

この写真は冒頭の写真の岬まで歩いていって撮った写真です。結婚式が行われるチャペルもきれいです。この日も結婚式が行われていました。本土から、本人だけでなく、みんなが沖縄に集まったそうです。

ホテルのホームページからチャペルの写真を拝借いたしました。アリビラ・グローリー教会です。上の写真からチャペルを探してみてください。泊まった日も結婚式が行われたようで、ホテルにチェックインしたころに披露宴が行われていました。残念ながら結婚式は見れませんでした。

二枚上の写真に船着場が見えると思います。その船着場から撮った写真です。

泊まったお部屋です。部屋の広さは43㎡です。安い方のクラスの部屋ですが満足でした。
設備内容の記載は次の通りです。
32型液晶テレビ,DVD/CDプレーヤー,温水洗浄便座,広いバスルーム,充実したアメニティ,ドライヤー,ナイトガウン,羽毛掛布団,100%コットンのデュベカバー

大きなベランダでした。ベランダがあるところがリゾートホテルらしく感じました。

プールの場所からホテルを見上げました。

別の角度からホテルを見上げました。

ビーチが広がっていました。泳いでいる人はいませんでした。

反対方向には岩場がありました。岩は波に侵食されて面白い形になっていました。

その岩とビーチです。沖縄本島のリゾートホテルの中で1、2位を争うほど砂浜が広いのが特徴だそうです。

高い位置に登りホテルの前のビーチを見ることが出来ます。このビーチはニライビーチ と名づけられています。
ニライビーチはアリビラビーチとも言われているリゾートビーチで、特長は「海岸線に沿っていてほぼ一直線なので周辺を一辺に見渡すことが出来、夕方になると、夕日に合わせてサンセットクルージングを楽しむことが出来ます。」だそうです。

上の写真の反対側のカナイビーチです。こちらにも、きれいな砂浜が続いています。別の白いホテルが遠くに見えます。その白いホテルは残波岬ロイヤルホテルです。ホテルが砂浜を独占しているのがわかってもらえると思います。日本でこんな経験が出来るとは思いませんでした。
海外の数少ない経験の海外のリゾートホテルです。
バハマのナッソー
ベトナムのハティエン
ベトナムのカントー


部屋のカードと鍵です。
カード式の鍵でなく金属の鍵がうれしいです。
ホテルを紹介しておきます。
名前 ホテル日航アリビラ ヨミタンリゾート沖縄
住所 沖縄県中頭郡読谷村字儀間600
電話 098-982-9111
沖縄のディナーは沖縄特選寿司 [沖縄]



泊まった沖縄のホテルには沢山のレストランがあったので夕食は鉄板焼にするかフランス料理 にするか中華にするかと、色々と悩みましたがレストランのメニューに「沖縄特選寿司食べ放題」があり、沖縄の食材の寿司に引かれてディナーは「沖縄特選寿司食べ放題」にすることにしました。最後まで悩んだのが、カウンターでコックさんが料理してくれる鉄板焼き にするか、沖縄特選寿司するか、でした。
カウンターは10席までと書かれていたので、すぐに部屋から予約を入れました。18時30分からにしてほしい言われましたが、日没が18時25分だったので日没を見たかったので18時35分からにさせていただきました。下の「沖縄県産にぎり寿司」と「創作寿司」に沖縄の食材が使われています。
沖縄県産にぎり寿司(10種類)
武鯛(イラブチャー) 笛吹鯛(タマン) はた(ミーバイ)
琉球スギ 鮪(チンバニー) ソデイカ(セーイカ)
目鯵(ガチュン) 島蛸(シマタク) コマ貝(ティラジャー)
山原(やんばる)産玉子焼き
創作寿司(8種類)
イカ墨 パパイヤ ゴーヤー 海ぶどう
海人にぎり 海ぶどう&イクラ ウベ アロエ
その他のにぎり寿司
イクラ 海老 小肌 穴子 サーモン
旬のにぎり寿司
竹の子 真鱈昆布〆

お店に行くと寿司のカウンターは我々一組だけでした。シーズンオフ(2月)なので寂しい感じでしたが、我々にとっては寿司職人さんを完全に独占させてもらったわけで贅沢な時間を味わうことが出来ました。「食べ放題」ですが出してもらう種類や順番やタイミングは寿司職人さんにお任せしました。結局は玉子焼きを除く「沖縄県産にぎり寿司」と「創作寿司」のすべての、にぎり寿司を味わうことが出来ました。
すべての写真を撮るつもりでしたが寿司職人の方の会話が弾んでしまい。一部を撮り忘れてしまいました。忘れたのは鮪(チンバニー)、ソデイカ(セーイカ)、目鯵(ガチュン)の三種類でした。シーズンの頃はどうですかと聞くと、満席で会話などほとんど出来ませんとのことでした。
最初に出てきたのがこれです。「琉球スギ」です。別名を「黒カンパチ」と呼ばれている魚です。寿司職人さんが最初に選んだ御寿司だけのことはありました。

琉球スギの御寿司を拡大してみました。クリックするとさらに拡大します。

冒頭の写真です。これは「海ぶどう」と「海ぶどう&イクラ」の御寿司です。

左側は武鯛で右側はおそらく「はた」だったと思います。武鯛を食べたのは初めてです。

これが琉球スギ、武鯛(イラブチャー)、笛吹鯛(タマン)、はた(ミーバイ)です。いずれも私の大好きな白身の魚です。

これはイカ墨です。イカの身の下の海苔の上にイカ墨が乗っていました。沖縄の塩がかけられているのでこのまま醤油をつけないで食べます。イカ墨の旨さが直接味わえました。

こちらは「笛吹鯛」だと思います。すこし表面が焼いています。
見た感じもおいしいそうな食材で、食べてみる価値がありました。

左がゴーヤーで右がパパイヤです。もっと生々しいものを想像していましたが、いずれも漬物でした。奈良漬に近いものでした。

島蛸(シマタク)です。地元産のタコと言うのがうれしいです。

ウベです。ウベは沖縄山芋です。紫色をした山芋で食感は山芋でした。調べると紅山芋 (ヤマイモ科)と言われています。有名な紅芋 (紫色しているサツマイモ)とは、まったく種類が違うものです。

季節の旬の「竹の子」と「真鱈昆布〆」の寿司も出してもらいました。

左が海人にぎりで右がコマ貝(ティラジャー)です。

これはアロエです。これは予想外のおいしさでした。すべての種類を食べてたあとに、こちらから指定して頼んだのが、琉球スギとコマ貝(ティラジャー)と海ぶどうとアロエの4種類でした。
お店を紹介いたします。
店名 佐和 SAWA
種類 日本料理 琉球料理
住所 沖縄県中頭郡読谷村字儀間600 ホテル日航アリビラ内
電話 098-982-9111 内線6320
営業 朝食 07:00~10:00
昼食 11:30~14:00(土・日・祝のみ営業)
夕食 18:00~21:30
寿司 18:00~21:30

「沖縄すば」の人気店 [沖縄]



カーナビに電話番号を入力して向かいましたが、近くまで行ったところで「目的地に到着いたしました。案内を終了いたします。」との音声が出て、ナビが終ってしまいました。でも、周りに、お店は見あたりません。
闇雲に車で探しても見つからない雰囲気なので、車を降りて歩いてUターンして探していると細い路地の入口に小さな看板(Pてんtoてん)を見つけました。住宅地の中の小さな道を進むとお店を見つけることが出来ました。
レンタカーのカーナビには住宅地の路地まではデーターが入っていなかったようです。
建物の全景です。そばの味だけでなく、お店の雰囲気も人気の一つのようです。この写真の左の道を下がったところに小さな駐車場があり、一箇所だけ空いていたために停めることが出来ました。小さなレンターカーでよかったです。

メニューです。でも「ソーキそば」とか「沖縄そば」の文字が見つかりません。一番上に「木灰すば」(もっかいすば)の文字を見つけました。これが目的の沖縄そばでした。ちなみに、木灰は「もっかい」と読み、木の灰汁でガジュマルなどを燃やしてつくり、かん水の代用として使うそうです。「そば」ではなく方言の「すば」と言うのが洒落た感じなのが不思議です。それでは、お店を紹介させてもらいます。
ネットで調べた範囲では「首里そば 」と「御殿山 」も人気店のようでした。
店名 てんtoてん Ten to Ten
住所 沖縄県那覇市識名4-5-2
電話 098-853-1060
営業 11:30~16:00 定休日(月曜日)
S.V. http://goo.gl/maps/Lgss8
駐車 http://goo.gl/maps/CcFr7

すごく素朴でシンプルな沖縄そばでした。ネットで調べると木灰で丁寧に練られた手打ち麺だそうです。そのため「木灰すば」の名前が付いたのだと思います。ネットで説明されている通りコシが強くてプリプリ感と弾力感のある麺でした。澄んだそば汁はカツオだしだそうで、おいしいスープでした。沖縄そばはスープも麺もラーメンでもなくうどんでもなく、もちろん蕎麦でもないジャンヌの料理でした。

Wikipediaにも写真が載っている有名なお店だったのです。

麺の食感を感じていただくために拡大写真を掲載いたしました。ガジュマルなどの樹木灰を水に溶かした上澄み液の灰汁(はいじる)が使われる伝統的な製法の麺を、今では木灰そば(もっかいそば)あるいは木灰すば(もっかいすば)と呼んでいるそうです。

入口に一番近い一階は板の間に座卓が並べられていますが、奥の部屋には写真の椅子のテーブルが3っ用意されていました。どちらも雰囲気があるので迷いましたが、テーブル席の方を利用させてもらうことにしました。おそらくシーズンに行くと満席で選べる余地はなかったのだと思います。
これで沖縄に来た目的の一つが達成されました。

沖縄そばをネット で調べてみました。
沖縄そば(おきなわそば)は、沖縄料理の一つで、沖縄県の伝統的な麺である。単に「すば」、あるいは「うちなーすば」とも呼び、沖縄においては「すば」「そば」の呼称は通常はこの沖縄そばを指す(蕎麦を指す場合は特に「日本そば」「ヤマトそば」「黒いおそば」などと呼んで区別される)。「そば」と呼ぶものの蕎麦粉は使用されず、小麦粉100%の麺でかんすい(鹹水)を用いる。製法的には中華麺の一種であり、公正競争規約の上でも「中華めん」に分類されているが、麺は一般に太めで、和風のだしを用いることもあって、その味や食感はラーメンよりむしろうどんに近く感じられることが多い。
発祥については諸説あるが、庶民の食べ物としての「そば」が紹介されたのは明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、県外にもその存在が知られるようになったのは沖縄復帰以降のことである。
ジンベイザメとマンタを見てきました。 [沖縄]



沖縄美ら海水族館(Okinawa Churaumi Aquarium おきなわ・ちゅらうみ・すいぞくかん)は巨大な水槽にジンベイザメとマンタが泳いでいることを聞いていたので是非行ってみたいと思っていました。
前日にホテルの人に沖縄美ら海水族館の開館時間とカーナビに入力するための電話番号を確認しました。開館が8時半と結構早くから開いていることを知って、一番の6時半に朝食を食べてホテルを7時に出発し、途中で瀬底島に寄り道しましたが、水族館に8時半に到着しました。
確かに、すごい大迫力の景観に満足させられました。沖縄観光の目玉の一つになっているようです。
ネットで書かれていたジンベイザメ の説明は下記の通りです。
成長すると10〜12mになる。魚類の中では最大種。世界の熱帯から亜熱帯の表層に生息する。当館に寄せられる沖縄本島での確認情報は5〜6月頃が多い。模様が夏着の甚平に似ていることからジンベエと名付けられたとされている。大きな身体をしているが動物プランクトン等の小さな餌しか食べない極めて穏和なサメで、ダイバーが近づいても逃げようとしない。サンゴの産卵時期には水面に漂う卵を食べたり、時には立ち泳ぎをしながら水面近くの餌を食べることが知られている。当館でも、給餌解説の際には約100リットルの海水とともに餌のオキアミを大きな口を開けて吸い込む、豪快な給餌シーンを見ることができる。生態はほとんどわかっておらず、1995年、台湾で捕獲された母ザメの体内から約300個体の胎児が見つかったことで胎生であることが判明した。近づいて来るとなかなかの迫力でした。
学 名 :Rhincodon typus
英 名 :Whale Shark
沖縄名:ミズサバ

ジンベイザメを3匹同時に撮れました。写真をクリックして拡大すると判りやすいと思います。

こちらの写真もよく見ると3匹写っています。


ネットに書かれていたオニイトマキエイ 通称マンタの説明を枠内に転記いたします。
幅6.8m、体重2tの記録があるが更に大きくなると推定される。エイ類の最大種。通常、沖縄以南の全世界の温・熱帯海域に生息する。飼育や餌付けに成功したのは当館が世界で初めて。大きな体をしているが主に小さなプランクトンを食べるおとなしいエイ。下顎の歯は米粒より小さく、上顎には歯がない。泳ぎながら頭の前縁にある大きな口を開けて、頭にあるヒレ(頭鰭)をのばして口の中に餌を流し込むようにして食べる。通称マンタと呼ばれ、ダイバーにも人気がある。腹の黒い斑紋で個体識別ができる。
学 名 :Manta birostris
英 名 :Manta Ray
沖縄名:ガマーカマンタ

迫力のある水族館を実現しているのが高さ8.2m、幅22.5m、厚さ600mm、総重量は130トンの巨大なアクリル板です。このアクリル板が2002年11月1日に、2つのギネスの認定を受けました。右が「世界最大の水族館観賞用窓」で左が「世界最大のアクリルパネル」です。
今は2008年11月4日にオープンしたドバイ・モールのドバイ水族館 の高さ8.3m、幅32.88m、厚さ750mm、総重量は245.61トンがギネス世界記録を持っています。ただしアクリルパネルを作ったのは日本の同じ製造メーカーだったと思います。

大水槽以外の魚たちも紹介しておきます。イソギンチャクがきれいです。クマノミもカラフルです。

この水槽はサンゴが題材のようです。

ミノカサゴ は大変きれいですが毒の棘があるので要注意の魚です。
モーリシャスから南日本にかけてのインド・西太平洋域に分布。国内では北海道南部以南で確認されています。沿岸の岩礁域に生息し、単独性。岩に沿ってゆっくりと泳ぎながら、小型の魚類やエビなどを捕らえて食べます。同属のハナミノカサゴ とは、尾びれや頭部腹面の斑紋、眼上皮弁の発達具合などから識別できます。
分類: 脊索動物門 条鰭綱 カサゴ目 フサカサゴ科
学名: Pterois lunulata
英名: Luna lionfish

ご存知、海のギャングと呼ばれているウツボです。

穴子の種類のチンアナゴ でガーデンイールの仲間では最もよく知られた種類です。
高知県、琉球列島からインド洋、西部太平洋に分布する。サンゴ礁外縁部の潮通しのよい砂底に群れをなして生息するそうです。後半身は砂に入り、頭胸部を外に出して潮の流れの方に頭を向け、流れてくる動物プランクトンを摂食している姿が可愛いですね。頭部側面に黒点を持つのが特徴です。和名は顔つきがイヌのチンに似ていることからつけられたそうです。
学名:Heteroconger hassi
英名:Spotted Garden Eel
昼間のアナゴは海底の砂泥中や岩石のすき間にひそみます。砂泥底に生息する種類は集団を作り、巣穴から頭だけ、もしくは半身を海中に乗り出しています。和名の「アナゴ」はこの生態に由来するそうですむ。なお、この様が庭園に規則的に植えられた草木のようであることから、英語ではアナゴ類のことを"Garden eel(ガーデンイール)"ともよばれています。

変わった哺乳類も展示されていました。
あ、間違い!失礼しました。水族館の方でした。水槽を掃除しているところです。

大水槽でも沢山の人が働かれていました。毎日、大変な仕事でしょうね。


可愛いジンベイザメがデザインになっています。
住所 沖縄県国頭郡本部町字石川424番地
電話 0980-48-3748(カーナビ入力)
開館 08:30~20:00(3月〜9月)
08:30~18:30(10月〜2月)
入館締切は閉館の1時間前です。
料金 大人 1800円
高校生 1200円
小中学生 600円
水族館の入口です。
こちらでも甚平鮫が向かえてくれていました。

沖縄美ら海水族館は1975年7月20日〜1976年1月18日に開催された沖縄国際海洋博覧会 の会場を公園として整備した海洋博公園(正式名は国営沖縄記念公園 )の中に2002年11月1日に完成しました。広い海洋博公園内には水族館以外にも沢山の施設があります。
特に沖縄美ら海水族館の周辺は魅力的な施設が多くあります。写真にもオキちゃん劇場やイルカラグーンが写っており、そこではショーが行われます。うれしいことに水族館以外の、これらの施設は入場無料です。オキちゃんショーは11時からです。イルカラグーンショーは11時半からなので時間を合わせて水族館を見学されるといいと思います。目の前には海が広がっています。正面の島は伊江島で、真中の山は標高172.2mの城山(ぐすくやま)です。伊江島では落花生が作られていることをRinkoさんにコメントで教えていただきました。伊江島産の黒糖と混ぜ合わせて作る黒糖ピーナッツを食べてみたくなりました。

オキちゃん劇場のオキちゃんです。11時からのショーのための朝の特訓中でした。ショーは11:00 13:00 14:30 16:00から15分間です。 3月〜9月は18:00にもあります。

マナティー館のマナティー(Manatee)ちゃんです。人魚と見間違えられた哺乳動物で丸しゃもじのような尾びれが印象的でした。

ウミガメ館にはウミガメも沢山いました。

水族館の前の海岸はエメラルドビーチと呼ばれています。残念ながら、この日は曇り空でしたが、晴れるとその名の通りエメラルト色の海が続いているそうです。

別館 Photo蔵 ┐(´ー`)┌フッさんの黒潮探検ツアー@美ら海水族館にトラックバックしています。
Vaio-x さんの水族館 動画 HD画質にトラックバックしています。
はしちゃんさんのはしちゃんin沖縄(美ら海水族館)にトラックバックしています。
世界遺産 首里城(すいぐすく) [沖縄]



この日は那覇空港からレンタカー店に行き、車を借りて先ずは腹ごしらえに沖縄そばを食べた後、すぐに首里城に行きました。
近くに着くと沢山の私設駐車場がありましたが、今の時期は、すいていると思い真っ直ぐ進んで首里杜館(首里城公園レストセンター)地下の県営駐車場に入りました。
これは首里城の城壁です。この首里城は2000年に世界遺産に登録されました。正確には「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の中の一部として世界遺産になりました。琉球王国に関連する遺跡が世界遺産に登録されたので沖縄本島の広い範囲に世界遺産が点在しています。
その代表格が首里城と言えます。城を沖縄ではグスクと読みます。首里城は沖縄でも一般的に「しゅりじょう」と言われていますが、沖縄読みでは「すいぐすく」になります。他の城の遺跡はグスクと呼ばれるものがほとんどでした。
首里城を紹介いたします。県営駐車場から首里城に向かう道の最初にあるのが守礼門です。守礼門は城外にある門の一つですが、この門が首里城への事実上の入口になっているようです。
創建年代の確定はできていないが、琉球王国第二尚氏王朝4代目の尚清王(在位1527~1555)の時に建てられていることは分かっている。門は四本の柱で支えられ、扁額が掲げられている。これは三間牌楼形式と呼ばれ、中国でよく見られる形状の建物です。「守礼之邦」と書かれているますが、これは「琉球は礼節を重んじる国である」の意味であるといわれています。
守礼門が二千円紙幣のデザインに採用されていることは意外と知られていません。手に取る機会があれば是非とも見てみてください。
守礼門(しゅれいもん or しゅれいのもん)は、そこに掲げられた扁額の「守禮之邦」からきている俗称で、本来は「上の綾門(うぃーぬあいじょう)」という。
沖縄戦で焼失したが、昭和33年(1958年)に再建されました。再建されたものとしては最初のもので、他はかなり後になってから再建されたために、昔に首里城を訪れた人は建造物としては城壁以外では守礼門だけしか記憶にない人もいるかも知れません。

戦前の守礼門の写真をネット で探してみました。随分と今の雰囲気とは違います。

これは瑞泉門(ずいせんもん)です。門の近くにある龍樋に因んで付けられたといわれており、瑞泉には立派なめでたい泉という意味があると言われています。

瑞泉門をくぐり城に向かって進むと漏刻門(ろうこくもん)があります。瑞泉門と似た門です。漏刻というのは水時計のことで、この門の櫓に水時計が設置されていたことからこの名が付いたといわれています。15世紀の創建であり、老朽化のため昭和初期に撤去されていたが、平成4年(1992年)に復元されたようである。国王に敬意を表すため、高官でもこの場所で駕籠を下りたことから、「かご居せ御門(かごいせうじょう)」とも呼ばれていいます。

ここには3つの門が写っています。
一番奥に見えるのが歓会門(かんかいもん)です。歓会門は首里城の城郭内に入る正門で、尚真王時代(1477~1526年)に創建されたものといわれ、太平洋戦争で破壊されたが、昭和49年(1974年)に復元されそうです。アーチ式の門の上には木造の櫓が付けられている。門の幅は3m程度であり正門とされているわりには狭いような感じがするが、防御のためだと思います。
中央寄りの右側に見えるのが久慶門(きゅうけいもん)で首里城北側の通用門です。
左端に写っている門が先ほど紹介した瑞泉門です。
歓会門からの通路の両脇に鮮やかな花が植えられていました。なんとなく違和感がありましたが、琉球王朝時代は南国ならではの鮮やかな花が沢山植えられていたと思うと納得でした。

先に進むと首里城の建物群が姿を現します。

建物群の最初にあるのが広福門(こうふくもん)です。ここから先の建造物は石ではなく木で出来ていました。広福門はこれまでくぐってきた門とはかなり趣を異にしています。広福というのは福を行き渡らせるという意味であるといわれており、て右側が士族の財産をめぐる争いを調停する大与座、左側が神社仏閣を管理する寺社座がおかれていたといわれています。創建年代は不明とされ、明治末期には撤去されたようであるが、平成4年(1992年)に復元されたそうです。

広福門の次の門です。正殿のある御庭(うなー)に入る最後の門である奉神門(ほうしんもん)です。門に向かって左側は薬、茶、タバコなどを扱った納殿、右側は城内の儀式などに使われた君誇という部屋になっていたそうです。
三つの入口の内、中央は国王や賓客など身分の高い人の専用の通路で一般の役人は左右の門から出入りしていたといわれています。

これが首里城の正殿(せいでん)です。
もちろん復元(1992年)されたものですが、残念なことに戦前までは1712年に再建された建物が存在しており、それが沖縄戦で完全に消失 したそうです。正殿は何度か焼失しています。記録に残っているのは1709年に焼失し1712年に再建、その前は1660年に焼失し1672年再建、その前は1453年に全焼したとの記録が残っていますが、最初の創建は十四世紀末と思われていますが年代は不明だそうです。

戦前の建物の写真をネットから拝借いたしました。
1944年(昭和19年)10月10日の那覇市を襲った米軍の大空襲でも、首里の町は災禍を免れ、戦雲急を告げる1945年の始めでも文化遺産のある首里は安泰でしたが日本陸軍の精鋭第32軍が首里に司令部を置き、地上戦の準備を始め、首里城の地下に総延長千数百メートルにも及ぶ壕を掘り、ここを防衛ラインとして、1945年4月1日に本島中部西海岸に上陸した米軍を、迎え撃ったことにより、首里城をはじめ麓の玉御陵、円覚寺、弁財天堂、御茶屋御殿、識名苑、末吉宮、龍潭など史跡・文化遺産がことごとく消滅し、一木一草まで城下町のすべてが壊滅してしまったそうです。

壊滅して47年後にあたる平成4年(1992年)に正殿の廻りの建物が復元されました。
広いカラフルな広場は御庭(うなー)で、その正面奥に正殿があります。
御庭は東西約40m、南北約44mの広場でカラフルな模様は赤と白の敷き瓦が敷きつめられたものだそうです。ここでは種々な式典の会場に使われていたといわれている。縞模様の敷き瓦は儀式の際、役人が位の順に並ぶ目印の役割をはたしていたとも言われています。オリジナルの建物は琉球王国最大の三階建ての木造建築物でした。

復元に際し、正殿の遺構を保護するため約70cmの盛り土をして現存の正殿を建てたそうで正殿の床の一部がガラス張りになっており遺跡が見えるようになっていました。

正殿の一階部分です。一階は下庫理(しちゃぐい)とよばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行なう場でした。写真は国王の座る場所である御差床(うさすか)と呼ばれているころです。御差床の両脇には金龍と五色の雲が描かれた朱柱がありました。御差床の後障子を開けると二階に通じる階段があります。国王が一階の御差床にあらわれる際に使用した専用階段のある間のことを「おちょくい」と呼びます。

ここは正殿の二階です。二階は大庫理(うふぐい)と呼ばれ、王家の行催事が行われました。中央には国王が座る場所である御差床があり、その後方には「西のみこちゃ」「おせんみこちゃ」と呼ばれる間があります。「おせんみこちゃ」は国王と女官が毎朝、国家の安泰や子孫繁栄を祈願した場であると言われています。
二階の御差床で黄金の装飾が施された椅子、御轎椅(うちゅーい)が置かれていました。
ここには中国の皇帝から贈られた扁額がいくつも架かっていたといわれています。現在、架かっている「中山世土」は古い記録をもとに復元した扁額だそうです。
三階は通気のために設けられた屋根裏部屋だそうです。

正殿に向かって左側には北殿(ほくでん)があります。ここは王府の中央行政庁として、日常は大勢の官人が出入りして重要案件の審議など政務の中枢として機能していたと共に、中国から皇帝の使者が訪れたときの接待所としても使われていたといわれています。
首里城の中で最も活気の溢れる館であったようです。ちなみにペリー提督が首里城を訪れた時も、この北殿で歓迎の宴が催されました。
この写真でカラフルな広場の御庭(うなー)の広さが実感してもらえると思います。

正殿に向かって右側に南殿(なんでん)と番所がありました。こちらの建物は、塗装はなく白木のままで、なんとなく和風色が強い感じでした。右側が番所で左側が南殿です。南殿は主に日本的な儀式や薩摩藩の役人の接待などに用いられ、番所は登城してきた人々の受付や国王への取り次ぎを行っていた場所といわれています。和風の南殿で薩摩藩の接待で中国風の北殿で中国の使者の接待とは琉球王朝の人たちの知恵を垣間見た気になってしまいました。

南殿の奥は、さすが和風作り徹していると感じました。ここには書院と鎖之間(すさのま)があり書院は国王が日常の政務を行ったそうです。正殿の真赤な中ではやはり疲れると思います。鎖之間は王子などの控所であり諸役の人たちとの懇談の場所でもあったようです。ここには日本庭園も広がっていました。これは鎖之間から書院の方を撮った写真です。

この部屋は鎖之間で、白木がきれいな純和風の部屋でした。

右掖門(うえきもん)が見えます。かつては、国王の親族や女官の生活の場であった本殿裏側のエリアへ通じる門として機能していたといわれています。首里城にいくつかある裏門の一つです。この門は15世紀頃の創建といわれており、他の建築物と同様、太平洋戦争で破壊されてしまったが、発掘調査で遺構が確認され、この遺構の上に新たに石を積んで平成12年(2000年)に復元されました。見学ルートでは御庭からの出口になっています。

すでに紹介した久慶門(きゅうけいもん)の外側です。歓会門が正門であったのに対し、久慶門は首里城北側の通用門で、主に女性が使用していたといわれている。城郭内見学順路では出口になっています。現存の門は昭和58年(1983年)に復元されたものだそうです。

琉球の城砦のコーナーは独特のカーブーになっています。このカーブが本土の城の石垣と違うところです。中国とも違う感じです。

広福門の内側の下之御庭(しちやぬうなー)と呼ばれる広場に花人形が置かれていました。本土の菊人形のようなものなのでしょうか。日本だけれど、なんとなく異国を感じさせてくれました。

パンフレットから全景写真を拝借いたしました。写真をクリックすると拡大するので、建物の位置が判ると思います。守礼門はこの写真外の左側にあります。
正殿の奥側(写真の右側)は今でも復元工事が行われていました。完成予想図を見たい方はこちら→ポチッ
ポチッをクリックして出てきた建物で緑地に白抜き文字が復元中の建物です。復元中の建物を紹介すると
世誇殿 (よほこりでん)
黄金御殿・寄満 (くがにうどぅん・ゆいんち)
二階堂御殿 (にーけーうどぅん)
白銀門 (はくぎんもん)
寝廟殿 (しんびょうでん)
美福門 (びふくもん)
東のアザリナ (あがりのアザリナ)
継世門 (けいせいもん)
です。

奉神門(ほうしんもん)の内側にある御庭、正殿、南殿、北殿、書院、鎖之間は有料で広福門をくぐってから、その右側で入場券を購入します。門などの他の地域は無料です。
大人 800円 (団体 640円)
高校生 600円 (団体 480円)
小・中学生 300円 (団体 240円)
6歳未満 無料 団体は20名以上
カーナビに入力する電話番号は 098-886-2020です。
下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。
首里城(すいぐすく)
玉陵(たまうどぅん)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
中城(なかぐすく)
座喜味城(ざきみぐすく)
今帰仁城(なきじんぐすく)
識名園(しきなえん)
勝連城(かつれんぐすく)
斎場御嶽(せいふぁうたき
世界遺産 今帰仁城(なきじんぐすく) [沖縄]



水族館の次に行ったのが今帰仁城 (なきじんぐすく)です。主郭から見た志慶真郭です。
これが昔の今帰仁城の想像図です。
想像図の中の中央よりすこし下に平郎門があります。今も平郎門より高い部分は遺構(城壁や石垣)として残っています。
想像図の中に次の項目が書かれています。
①平朗門 ②大隅 ③カーザフ ④大庭 ⑤御内原 ⑥主郭 ⑦今帰仁ムラ ⑧志慶真門郭 カラウカー ソイツギ テンチジマチジ 志慶真門跡 水揚げ場の跡 石垣 旧道 外郭 古宇利殿内火神 ウーニー 七五三の階段 神ハサギ跡

こちらも世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の一つです。この世界遺産は次の遺産で構成されています。今回、今帰仁城を訪問したことで9ケ所の内、6ケ所を見ることが出来ました。黄緑色の文字をクリックすると訪問した時の記事を表示します。これで、今回訪れた世界遺産の6ケ所全てを紹介したことになります。

①首里城(すいぐすく)
②園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
③玉陵(たまうどぅん)
④識名園(しきなえん)
⑤今帰仁城(なきじんぐすく)
⑥勝連城(かつれんぐすく)
⑦座喜味城(ざきみぐすく)
⑧中城なかぐすく)
⑨斎場御嶽(せいふぁうたき)
これが外から見た平郎門です。

平郎門あたりから上を見たところです。長い道を登っていくと城の全貌が見えてきます。想像図で旧道と書かれているところです。

今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)は別名として北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく)とも呼ばれています。ここは沖縄県国頭郡今帰仁村にある城跡で13世紀ごろに作られ、14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つ・北山王の居城でありました。
ここは大隈郭です。御内原から見た景色です。

御内原から志慶真郭を見た景色です。
南北350m、東西800m、面積37000㎡。沖縄県最大級の城(グスク)とのことです。
今帰仁城は天然の要塞で難攻不落をイメージさせるが2度の落城を経験しているそうです。1度目は中山の尚巴志(しょうはし)王によって滅ぼされ、その後は首里王府から派遣された北山監守の居城となったそうです。2度目は1609年の薩摩軍の琉球侵略によって落城したそうです。
北山監守の制度はその後も続いたそうだが1665年(寛文5年)に廃城となりました。

主郭のあった場所には、今は火の神(ひぬかん)が建てられていました。

志慶真郭には建物の跡が沢山ありました。

世界遺産 座喜味城(ざきみぐすく) [沖縄]



世界遺産の中城城跡の次に来たのが座喜味城(ざきみぐすく)です。そして、この日は泊まるホテルを残して最後の訪問地です。まだ、時間はあったけれどホテルの近くのビーチにも日が高いうちに行きたかったので、ここを最後にしました。

上の写真は入口の石門です。航空写真を見てもらうと判るとおり、今までに紹介した首里城や中城に比べると小規模ですが2つの城郭がきれいに残っています。
座喜味城は築城家として名高い護佐丸(ごさまる)によって15世紀の始め頃に築城されたそうです。
入口に近いほうの城郭(二の郭)です。独特の曲線を描いて積まれた城壁は「あいかた積み」と呼ばれる技法です。

座喜味城のアーチ型の石門は沖縄で最も古いものと言われています。石門は最初の写真のものと、内部の城壁のこの石門の2っです。

奥の城郭(一の郭)には建物の跡があります。沖縄中南部におけるグスクは、硬い琉球石灰岩の岩盤上に築城されるのが通常の形態ですが、座喜味グスクは、唯一、赤土の台地上に掘り込んで築かれています。
また、城壁は自然の地形に合わせて造られるため、屏風状に屈曲しており、カーブの各角に丸味を持っているのが沖縄特有の城郭形態ですが、特に座喜味城の場合にはその特徴が強く、軟らかい赤土地盤による崩落を防ぐ必要性から、より複雑な形状となり、上空からみると、城全体がまるでヒトデのような形となっていて、壮麗な曲線美を構成しています。沢山のベレー帽をかぶった自衛隊の方が見学に来られていました。なにかの研修でしょう。
こちらの城跡は入場無料です。

下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。
首里城(すいぐすく)
玉陵(たまうどぅん)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
中城(なかぐすく)
座喜味城(ざきみぐすく)
今帰仁城(なきじんぐすく)
識名園(しきなえん)
勝連城(かつれんぐすく)
斎場御嶽(せいふぁうたき)
世界遺産 中城(なかぐすく) [沖縄]



沖縄そばを食べて首里城、園比屋武御嶽石門、玉陵を見たあとに訪れたのが中城です。上の写真は、こちらでもらったパンフレットにあった中城の航空写真です。
中城(なかぐすく)は世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の中の一つです。中城(なかぐすく)はこのあたりの地名で、正確には中城城跡(なかぐすくしろあと)といいますが省略して中城と呼ばしてもらっています。
こちらは航空写真のように建物はありませんが、琉球石灰岩で築かれた石垣の遺構がはっきりと残っています。沖縄にはグスク(城)が300余りあったとされていますが最も遺構がよく残っていることで知られています。中城は14世紀後半に先中城按司によって造られ始めて15世紀前半頃までに護佐丸(ごさまる)によって完成したと考えられています。
こちらもパンフレットの中の説明図です。中城は連郭式の山城で「一の郭」「二の郭」「三の郭」「北の郭」「西の郭」「南の郭」の六つの郭(くるわ)で構成されています。
標高160mの丘陵の東崖縁を天然の要害として建てられました。それぞれの場所を写真で紹介します。

これが⑤の裏門です。駐車場から歩いてくると最初にくぐる門でもあります。

駐車場からだと一番奥に①の正門があります。

これは⑧一の郭の城壁です。石積み技法は「布積み(豆腐積み)」で四角石を積み上げたものですが、後半に造られた⑥三の郭の城壁は石積み技法の最も進んだ「あいかた積み(亀甲乱れ積み)」によって築かれた。

1853年に来島したペリー提督も、この地を訪れて「要塞の資材は、石灰岩であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった」と評価しています。
ペリー提督が訪れた頃には建物も健在 であったようです。この絵はネット から拝借させていただきました。これはペリーに同行した画家ハイネによって描かれた「西の郭より正門を望む」です。

ここが③の北の郭です。北の郭も、あいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれた。石の形が一の郭と違うのが判ってもらえると思います。クリックすると、そのことがよく判ってもらえると思います。
石垣の手前に急な階段が見えます。この階段の先に大井戸があります。

沖縄旅行に行ってきました。 [沖縄]



北海道旅行(3月27日~29日)の記事を掲載していました。北海道を掲載したので引き続き沖縄旅行も掲載いたします。ただし沖縄旅行は2月の寒い時期で、2月21日の朝の便で行き、2月22日の夕方の便の帰ってくる一泊二日の小旅行でした。家を朝の5時20分に出発して翌日は21時30分に帰るハードな旅行でもありました。写真は今回の宿泊ホテルです。
沖縄線はかなり南を飛ぶために富士山は写真のように遠くでした。

この日は飛行機の振動が大きかった上に富士山から遠く離れて飛んだために、クリヤーではありませんが富士山を5倍ズームで撮ってみました。

この時、沖縄旅行はシーズンオフの筈ですが見ての通り朝の便は満席でした。帰りの夕方の便も満席でした。でもホテルは夏場のシーズンに比べると66%程度(ショルダー÷オントップ)の値段だしレストランもすいていました。
シーズン 料金(2名)
トップ 84,000円 ゴルデンウイークなどの連休
オントップ 75,800円 夏の通常期
オン 63,000円 7/1~7/17, 9/1~9/14
ショルダーオン 58,800円 6/1~6/30, 9/15~9/30
ショルダー 50,400円
オフ 46,200円 12/1~12/18, /1/4~1/31

沖縄近くの空の景色です。雲が印象的な景色でした。実は沖縄は初めてでした。

こちらは帰りの便の夕方の景色です。この後、すぐに暗くなりました。沖縄の報告は、これからはじめます。上の写真とこの写真を見てもらうとわかる通り1日目は晴れでしたが二日目は残念ながら、くもりでした。
