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三陸海岸沿いの鉄道 [東北]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

クリックすると拡大前記事で八戸線の陸奥湊駅の前の朝市と食堂を紹介したのをきっかけに八戸線(はちのへせん)を調べてみました。昔(1909年~1924年)は八ノ戸線でした。
東北本線は1891年9月1日に盛岡~青森が開通して上野 ~青森が全通開業しましたが八戸駅(尻内駅)は発展していた現・本八戸駅周辺である海沿いの八戸市街から離れていたことから1894年1月4日に尻内駅(現:八戸駅)から八ノ戸駅(現:本八戸駅)を結ぶ支線を敷設したのが始まりだそうです。現在は盛岡~青森を「青い森鉄道」が2002年12月1日(盛岡~八戸)と2010年12月4日(八戸~青森)に引き継ぎました。八戸線が久慈駅まで全線開通したのは1930年3月27日です。陸奥湊駅は1926年7月11日に新設されました。写真はWikipediaから転用させていただいた八戸線のキハ40形(上)とキハ110系TOHOKU EMOTION(下)です。
クリックすると拡大 名称 八戸線(はちのへせん)
 所有 東日本旅客鉄道(JR東日本)
 開業 1894年1月4日
 距離 64.9km 八戸駅~久慈駅
 駅数 25駅
クリックすると拡大 軌間 1,067mm
 線路 単線
 電化 全線非電化
 速度 最高 85km/h
 車両 キハ40形・キハ48形 キハ110系700番台

下記の地図の八戸駅( )から久慈駅( )までが八戸線です。
 八戸線の沿革
 1894年01月04日 東北本線の支線として開業 尻内駅~八ノ戸駅
 1894年10月01日 八ノ戸駅~湊駅(━━)を開業
 1909年10月12日 八ノ戸線と命名(制定)
 1924年11月10日 八ノ戸駅~種市駅を開業 八戸線へ改名
 1925年11月01日 種市駅~陸中八木駅を開業
 1926年07月11日 陸奥湊駅を新設
 1930年03月27日 全線開通
 1985年03月14日 湊駅が廃止(廃駅) 貨物支線(━━)の廃線と同時
 2011年03月11日 東日本大震災の大津波により全線不通
 2011年03月18日 八戸駅~鮫駅で運行を再開 この後随時再開
 2012年03月17日 全線再開  最終区間:種市駅~久慈駅
 駅名変更
 尻内駅 (1891年9月1日)      →      八戸駅 (1971年4月1日)
 八ノ戸駅(1894年1月4日)→八戸駅(1907年11月1日)→本八戸駅(1971年2月1日)



陸奥湊駅を通っている八戸線は三陸海岸沿岸を走行する鉄道の一つで、起点の八戸駅から下記の6つの線を乗り継ぐと前谷地駅(宮城県石巻市)まで行くことができます。リスト内の北リアス線と南リアス線は2013年4月1日~9月28日に放送されたNHK朝ドラ「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道です。それ以外はJR東日本です。北リアス線の堀内駅が物語の中の「袖が浜駅」です。
クリックすると拡大 八戸線    64.9km 25駅       八戸駅   久慈駅
 北リアス線  71.0km 17駅       久慈駅   宮古駅
 山田線   157.5km 28駅 盛岡駅 宮古駅   釜石駅
 南リアス線  36.6km 10駅       釜石駅   盛駅 
 大船渡線  105.7km 31駅       盛駅    気仙沼駅 一ノ関駅
 気仙沼線   72.8km 24駅       気仙沼駅  前谷地駅
 乗り継ぎ駅 八戸駅 久慈駅 宮古駅 釜石駅 盛駅 気仙沼駅 前谷地駅
 東北地方太平洋沖地震 震源 北緯38度6分12秒 東経142度51分36秒


ルート検索をしてみました。想像していた表示ではありませんでした。
現在、山田線の宮古駅から釜石駅は東日本大震災のため運休中のため岩手県北バスと岩手県交通バスを乗り継ぐことになります。復旧後は三陸鉄道へ移管される予定なので三陸鉄道は久慈駅から盛駅へ一本でつながることになります。さらに大船渡線の盛駅から気仙沼駅までと、気仙沼線の気仙沼駅から柳津駅も東日本大震災のため運休中のため代替えのバス(BRT)の利用となります。つまり東日本大震災(2011年3月11日)から6年が経過しても山田線と大船渡線と気仙沼線がいまだに復旧していないのです。八戸線以外は復旧していないJR東日本に比べて三陸鉄道がいかに頑張ったかが感じられます。画面をクリックするとルート検索のオリジナルの画面を表示するように設定しています。
 ━━━━ 鉄道運行中
 ━━━━ 鉄道運休中 バスによる振替輸送 バス専用線輸送(BRT)
クリックするとルート検索

八戸駅を出発して当日に前谷地駅に着けるのは5時35分発だけで15時間32分かかります。翌日に着く列車は5本(7:1412:2216:2317:1520:26発)あり、20時間6分~23時間56分かかります。ちなみに東京駅から八戸駅まで新幹線で3時間30分です。枠内は山田線の本日の注記です。
東日本大震災の影響で、本日も宮古~釜石駅間の運転を見合わせています。なお、岩手県北バス・岩手県交通への振替輸送を行っています。(3月29日 05時00分掲載)
クリックするとルート検索

各路線の写真を紹介したいと思います。写真は全てフリー百科事典のWikipediaから転用させていただきました。
八戸線             北リアス線

山田線(運休)            南リアス線

大船渡線(運休)           気仙沼線(75%運休)

大船渡線(BRT)           気仙沼線(BRT)


参考に東日本大震災の東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日14時46分18.1秒)の前震・本震・余震の大きさ(マグニチュード)と震源深さのマップを右に紹介します。本震、最大前震、最大余震は下記のとおりです。
・前震 3月09日11時45分 M7.3
・本震 3月11日14時46分 M8.4
・余震 3月11日15時15分 M7.6
・震度4以上の余震
 2011年3月 ・113回
 2011年残・・225回
 2012年・・・ 52回
 2013年・・・ 35回
 2014年・・・ 24回
 2015年・・・ 11回
クリックすると大きな地図を表示します。下記は「潮騒のメモリー」などの動画です。



注: をクリックしても起動しない場合は画面をクリックすると動画が起動します。
朝ドラの「あまちゃん」に名前が登場する北三陸鉄道(北鉄)の駅は、主に北三陸駅、袖が浜駅、畑野駅、宮古駅の四つだそうです。モデルとなった実際の駅は次のように考えられています。ロケ地の中でも、特に堀内駅周辺での撮影は多かったようです。下の駅名標(駅名板)の隣駅表示には磯野(Isono)駅、陸中白浜(Rikuchushirahama)駅、御崎(Osaki)駅が出てきます。
        久慈駅            北三陸駅(架空)
        堀内駅(ほりないえき)    袖が浜駅(架空)
        田野畑駅           畑野駅 (架空)
        宮古駅            宮古駅 (実名)
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宮古駅← 島越←田野畑駅→普代     白井海岸←堀内駅    →久慈駅
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八戸の名物大衆食堂 大洋食堂 [東北]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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青森県の八戸(はちのへ)で、朝食を食べたお店です。
前日の夕食を食べた山海楼のお店を紹介してくれた人が、初めて八戸に来たのであれば、朝市に行くことを薦めてくれました。初めての町なのでさっそく行くことにしました。三沢空港から朝のフライトで東京に帰るため時間が限られていたのでホテルに6時50分にタクシーを呼んでもらって出かけました。朝食も朝市の場所にある大洋食堂で食べるといいですよ言われたので先ずは、その大洋食堂で腹ごしらえをしてから朝市を見ることにしました。
日曜日には4ケ所ほどで朝市が開かれるそうですが平日は陸奥湊駅前のここだけと聞きました。

中に入ると細長いカウンターに沢山の椅子がおかれていました。お客さんは我々が最初のようで真中の席に座りました。こちらが右側で沢山のサインが書かれた色紙(しきし)が張られていました。色紙に書かれている名前を読んでみると、うど鈴木、坂口慶二、高橋麻緒(ディレクター)、安住アナウンサー、結城貢、桂古文治、丹波義隆、いな かっぺい、三宅裕ニ、グッチ裕三、などの名前が読み取れます。
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こちらが左側でこちらにも色紙(しきし)が張られていました。ネットで検索すると沢山出てきました。どうやら大洋食堂は名物食堂だったようです。
調べてみると大洋食堂は、雑誌や本やテレビなどに何度も登場していお店でした。こちらの写真では、大山のぶ代(ドラエモン)、野村みち子(しずかちゃん)、小原のり子、など7枚の色紙を見ることが出来ます。
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表のメニューが見やすいのでそちらの写真で紹介します。代表的な料理は「お造り三品刺身定食小鉢汁つき」1050円 「イチゴ煮汁定食」1050円です。今の時期は「いくら定食」も旬でおいしいと薦められました。定休日は日曜日ですが、今回の連休は営業すると書かれています。高速道路が千円になって、連休の客さんが増えたそうです。


「お造り三品刺身定食小鉢汁つき」1050円を頼むとこの刺身の中から好きな3品と小鉢1品を選びます。
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定食関係のメニューです。イチゴ煮汁の入った定食以外は、トーフ汁、ワカメ汁、シジミ汁、めかぶ汁、きのこ汁、ほしな汁、せんべい汁、かに汁、あら汁、すりみ汁、サケ三平汁の11種類から一品を選びます。イチゴ煮汁はウニとアワビ(or つぶ貝など)が入った潮汁(うしお汁)のことです。(右の写真)
クリックすると拡大 ニコニコ生うに定食     2625円
 生うに定食         2100円
 焼うに定食         1800円
 焼うに+イチゴ煮汁つき定食 2225円
 いくら定食         1575円
 ランランいくら定食     2100円
 ボタンエビ定食       1260円
 イチゴ煮汁定食       1050円
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いちご煮汁も魅力的でしたが、思い切って生うに丼にしました。


これが生うに丼です。最初からどんぶりに乗ってこなくて別に出てきました。ウニにワサビ醤油をかけてご飯に乗せました。
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雲丹です。八戸の近くでも雲丹は取れるそうですが、今の時期は北海道産がおいしいそうです。おそらくこれも北海道産だと思います。朝から豪華すぎました。東京について昼食はおにぎり1つにしました。
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お店を紹介しておきます。地図の中央あたりの臙脂色マーク( )が今回のお店の場所です。店名を検索してみると残念ながら閉店されたそうです。
  名前 大洋食堂       クリック→Google Yahoo
  住所 青森県八戸市湊町久保27
     青森県八戸市大字湊町字久保27
  電話 0178-33-0050
  営業 7:00~15:00
  休み 日曜日


朝食を食べ終わって朝市を廻ってみました。さすが沢山の魚介類でいっぱいでした。ホヤも沢山売っていました。
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干かれいがおいしそうだったので2種類、計8匹買いました。
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常設の市場もありました。海の幸を中心に沢山のものが売られていました。
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果物も人気でした。


陸奥湊駅も紹介しておきます。1926年7月11日に国有鉄道の駅として開業し、現在は「青い森鉄道(旧:JR東日本)」の八戸線の駅です。八戸線は1894年1月4日開業です。


この後、三沢空港にタクシーで移動してJAL154(10時50分)のフライトに乗って東京に帰りました。つまり、冒頭で書かせていただいたように、わざわざ、こちらのお店の朝食を食べたくてタクシーで来たのでした。
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大洋食堂があった陸奥湊駅()から三沢空港()までのルートを青い線(━━)で示します。クリックして広範囲の地図を表示させると、八戸(はちのへ)の位置が分かりやすいと思います。
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追伸 2017年6月2日
偶然ですが、大洋食堂でもらったマッチを使っていました。クリックするとわかりますが、残りは3本です。
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八戸はやっぱり魚料理でした。 山海楼と八戸屋台村 [東北]

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青森県の八戸に初めてぃった時の記事です。八戸(はちのへ)へ行くのは、初めてで、魚などの海の幸がおいしいと聞いていたので楽しみしていました。何度も八戸に来ている人に紹介されたお店に、さっそく食べに行きました。偶然ですが、八戸港ではサバが水揚げされていると朝のニュースでやっていたので、さっそくサバしめ刺(前沖)を頼みました。確かに軽くしめられた新鮮な鯖でした。八戸前沖鯖というブランドもあるそうです。550g以上の八戸前沖鯖はさらに八戸前沖・銀鯖と呼ばれるそうです。

おすすめメニューです。こちらからすべて選びました。
クリックすると拡大するので読みやすいと思います。
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これは上のメニューのサガ刺です。前沖と書かれています。八戸港の沖のことを前沖と呼ぶと説明されました。地元の魚です。サガは知らないけれどカサゴ系の魚のようです。これは格別に新しくておいしかったです。
クリックすると拡大調べた結果、サガはメヌケ(目抜)という魚でした。メヌケは条鰭綱カサゴ目フサカサゴ科メバル属の中で、右の写真のように体が赤く、大型になる魚の総称だそうです。サンコウメヌケ(三公目抜)、オオサガ、バラメヌケ(バラサガ)などがメヌケと呼ばれるそうです。八戸地方ではサンコウメヌケ(サンゴメヌケ)が多いようです。
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こちらは北海道産のサンマ刺しです。すばらしい色合いで、これも新鮮でした。
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三陸はやはりホヤですね。新鮮だと匂いがないのであたらしいものが食べれる時は、いつも頼んでいます。
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最初はビールです。でも、この料理だと日本酒が飲みたくなりますね。青森の銘柄の田酒(でんしゅ)を頼みました。ただし、この時点では私はまだビールにしていました。女性に注いでもらうとうれしいですね。こちらのお店には3人で来ましたが2つの器にお酒を注いでいるのが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大 醸造元 西田酒造店
 住所  青森県青森市油川大浜46
 杜氏  細川良浩(2005年~)
 仕込水 八甲田山系伏流水(軟水)
 創業  1878年 139年前
 主銘柄 田酒(1974年~)
 地図  https://goo.gl/maps/hCB5sA8SbZ32


メニューの中に気になったものがありました。さっそく頼みました。たこ白子刺です。これは初めて食べたような気がします。
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ニンニク丸揚です。今日、唯一のシーフード以外の料理です。お店を紹介して予約を入れてくれた人のおすすめだったので頼んでみました。確かに大粒のニンニクで田楽味噌との相性がよかったです。
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こちらは噴火湾産の活ボタン海老です。店主さん自ら持ってきて殻をむいてくれました。こちらはあまりにもおいしかったので追加をしてしまいました。
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海老の部分を拡大いたしました。
活きた海老の新鮮さが伝えられたでしょうか。
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前沖の「ぶとうえび刺」も頼みました。
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ぶどうえびの頭は焼いてもらいました。おいしい料理に変身です。こちらも店主さん自らが、おろし金で岩塩を削って、かけてくれました。
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メニューの中で気になっていた塩釜産の大トロを頼んでしまいました。二種類あります。左側が近海生本マグロで右側が遠洋の冷凍マグロ(スペイン沖)ですがどちらもおいしかったです。
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大トロを頼むと目の前でワサビをおろしてくれました。これも店主さんです。
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店長がすってくれた生わさびが乗りました。
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クリックすると拡大大トロも注文したことだし別の日本酒も頼みました。田酒という最初に飲んだお酒と同じ銘柄ですが、これは純米大吟醸です。いいお酒とのことなので、それまでは私はビールでしたが、さすがに純米大吟醸を飲ませていただきました。調べてみるとネットで買っても1.8Lが約2万円するお酒でした。クリックすると拡大さらに調べてみると最初に2人が飲んでいた田酒も純米酒でいいお酒でした。3つの器の1つが私のお酒です。個室でゆっくりと飲めるのも良かったです。八戸は初めてだったので、八戸のお店のレベルは判りませんが、何度も八戸に来ている人に紹介してもらったお店なので間違いないのではないかと思います。
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最終的に食べた料理を計算してみました。 前沖:八戸港の沖で採れた魚介
 サバしめ刺(前沖)    950円
 サガ刺(前沖)      750円
 生サンマ刺(北海道)   550円
 ホヤ(岩手産)      450円
 たこ白子刺        700円
 ニンニク丸揚げ(新物)  650円
 活ボタンエビ刺(噴火湾) 400円x6=2400円
 ぶどうえび刺(前沖)   550円x3=1650円
 大トロ(塩釜産)     3000円 + 2500円 料理計 13600円 / 3名
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こちらがお店である山海楼です。


料理も手頃なお値段のものが多かっく満足したのでお店の場所をを紹介させていただきます。
地図の中央あたりの臙脂色マーク( )が紹介の「うまいもんや 山海楼」の場所です。左上のマーク( )は下で紹介している八戸屋台村「みろく横丁」です。
  店名 うまいもんや 山海楼
  住所 青森県八戸市鷹匠小路2
  電話 0178-24-2192
  店主 福田 勝元さん


ホテルから食事をした山海楼まで歩いて行きましたが、途中に小さな居酒屋だ沢山集まった路地の中を歩いて行きました。帰りもここを通りました。ここは八戸屋台村「みろく横丁」と呼ばれるところでした。八戸屋台村「みろく横丁」には現在26店舗が並んでいるそうです。店名の短い順に並べてみました。着色された店名をクリックすると各お店のホームページが表示されるように設定いたしました。
うみねこ島 よろず屋 伊知郎
味のめん匠 洋食堂 ヴィエント
寿々 - JuJu みろくの串 へちま
ととや烏賊煎 みろくバル HACHI
海の幸 美味 うまっこ い〜ちゃん
旨味処 わらじ さかな工房 しおさい
呑処 そろそろ 八戸・旬・炉端 宝船
旨味処 あんど 焼きとり・おでん 鳥将
蒸し料理 蒸籠 むつみなとのマンキ食堂
貝の店 もっこり 八戸の魚介処 懐かし屋
お台どころ ねね 八戸の田舎料理 田舎子
口福招き処 ねこ 八戸のうまいもんや 寿庵
炉ばた 八戸太郎 洋風鉄板居酒屋 RICKY'S


どのお店も看板娘さんらしい人がおられて、競ってお客さんを呼び込んでおられました。さすが、八戸市は青森県下第二の都市だけのことはありました。みろく横丁の「みろく」は弥勒菩薩の弥勒(みろく)ではなく三六(みろく)です。八戸屋台村は三日市町と六日市町をまたいでいることから両町の頭文字の三(み)と六(ろく)から「みろく横丁」と命名されたそうです。三日町側が135坪で六日町側が95坪だそうです。


楽しそうな雰囲気だったので、結構沢山食べた後でしたが、帰りに、おでんが並んだお店に入りました。どこのお店もコの字型のカウンターがあるので、そのコの字型のカウンターに座りました。
いつまでお店が開いているのか聞くと、カウンターの中に座っている看板娘さんから「朝まで」との答えが返ってきました。入ったお店の名前は覚えていないのですが、ホームページなどを見比べた結果、マンキ食堂ではないかと感じでいます。
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臙脂色のライン(━━)で囲っているところが八戸屋台村・みろく横丁です。右側の地図はクリックすると拡大します。
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タグ: 八戸

天つゆに使った花かつおはムサシのおやつ 天麩羅 [千葉]

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久しぶりに天ぷらにいたしました。最初に出てきたのは茄子とレンコンです。揚げたてを食べたいので、クリックすると拡大すぐに食べ始めました。天ぷら(天麩羅、天婦羅)は代表的な日本料理でもありますが、江戸庶民のファストフード(屋台)である「江戸の三味」の一つでもあったそうです。
江戸の三味(えどの ざんまい)は江戸時代に江戸の町の中で屋台で食べられていた寿司、蕎麦、天麩羅です。つまり右の浮世絵にも描かれているように、江戸の町では天麩羅の屋台が沢山あったようなのです。それどころか元々は屋台で食べられた江戸庶民の大衆的な食べ物であったそうです。

天ぷらには、やっぱりビールです。
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クリックすると拡大天ぷら(天麩羅)にした理由は2つです。1つは天つゆ用の出汁をとったあとの鰹節をムサシのおやつにするためです。つまり天つゆはインスタントのだしを使わないで本格的にとったものなのです。もう一つが九十九里ファームで買った大きな三浦大根がまだ残っているためでした。
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茄子も天つゆでいただきました。
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2種類の塩でもいただきました。赤い方が娘がハワイのお土産で買ってきた塩です。白い方が、昨年に行ったフランス旅行でモンサンミッシェルで買ってきた塩です。両方ともに海水から精製したものですが、ハワイの塩が赤色をしているのは、鉄分を多く含むカウアイ島の赤土(アラエア)の成分が僅かに含まれているためです。
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同じ塩でセロリもいただきました。
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次に出てきたのは紫蘇(大葉)の天ぷらと、かき揚です。かき揚には竹輪ときぬさやとアミエビが入れられていました。
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ついつい、ビールはもう一本開けてしまいました。
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かき揚をアップいたしました。
発音のてんぷらの語源は、ポルトガル語のtempero(調理)と、スペイン語/ポルトガル語のtemplo(天上の日=揚げた魚肉を食べる日)の2つ説があるそうてす。漢字の天麩羅は江戸時代の戯作者で浮世絵師の山東京伝が、(天竺から来た浪人)が売る(小麦粉)の(薄物)の3文字を使った当て字と言われているそうです。ただし漢字に関しては油を天麩羅(あぶら)と書いていたものが後に音読されて「てんぷら」になった説が有力です。その場合、最初は天麩羅阿希(あぶらあげ)と言われていて阿希(あげ)が取れたとも言われています。
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ムサシも鰹節に気が付いたみたいでテーブルの横に来ました。出汁(だし)をとった後の鰹節をあげると喜んで食べていました。ムサシは2017年4月4日で17歳になります。
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タグ:むさし

神戸三宮の人気魚料理店 魚料理 沖の瀬 [神戸]

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2017年3月16日から関西に来ています。関東に帰るのは3月23日ですが、3月17日に神戸の三宮駅の近くで懐かしい仲間との飲み会がありました。計6名での飲み会ですが私以外の5名は東京から神戸に組織ごと転勤になった人たちです。お店を選んでいただいた方がネットで検索して、三宮界隈で海鮮で一番人気のお店を予約してくれたのでした。

私が来るとお通しが出されました。待ち時間の間、お茶を出していただきました。
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お通しは家庭的な料理でした。
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全員がそろうと、どーんとお造りが出てきました。これは3人前です。6名なので、このお皿が2つ並びました。見事なお造りで新鮮な刺身が乗っていますが、実はこちらのお店の人気の魚料理は別なのです。
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茶碗蒸しも出されました。
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天ぷらも出てきました。揚げたてはやっぱり美味しかったです。これは3人前です。説明が遅くなりましたが料理は「本日の大漁桶盛コース」でした。飲み物は飲み放題でしたが、6人が全員、最後までビールでした。
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ついにお店の名物を女性の店員さんが持ってこられました。
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魚の部分を拡大いたしました。14種類の魚が乗っていました。一人一匹を選ぶのです。ただし大きな鯛と金目鯛だけは2人で一匹となります。我々の中で1組だけ金目鯛を選んだので全部で五匹となりました。五匹をシェアーして食べるので大人数ほどいろんな魚料理が食べれることになります。
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反対方向から撮りました。鯛の頭と鯛一匹は別で、鯛一匹の方は下に隠れています。我々が選んだ5種類は次の通りで料理方法は煮付、塩焼き、唐揚げの3種で魚で決まっています。
 ホウボウ 煮付
 鯛の頭  塩焼き
 金目鯛  煮付
 小鯛   塩焼き
 目板鰈  唐揚げ
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皆さんスマホで写真を撮られていました。
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魚が料理されている間に別の料理が出されました。
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最初に出てきたのが私が選んだホウボウ()です。料亭だとこれだけでかなりの値段になります。
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次に金目鯛(キンメダイ)の煮付が出されました。
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こちらは目板鰈のから揚げです。
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鯛の頭は甲焼きで出てきました。
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最後は小鯛の塩焼きです。
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5種類が揃ったところで写真を撮りましたが、なかなかの人気で、箸と手が邪魔して5種類一緒に撮れませんでした。写真を撮っている私を除くと5人ですが、その中の4人の箸が写っています。(やらせではありません。)
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そこで4種類揃った時の写真を掲載いたします。
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最後の〆は鯖ずしでした。
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鯖の身の厚みを見てもらえれば判りますが、これが、なかなかの上物の鯖寿司でした。バッテラと鯖寿司の違いは次の通りです。
 鯖寿司  布巾等で棒状の押し寿司 上部は丸型 半身
 バッテラ 木枠で型抜きの箱寿司  形は四角  身は薄め+白板昆布
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素麺の入ったお吸い物も出されました。
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お店を紹介いたします。地図の中の臙脂色マーク( )の中で最も中央のマークが今回のお店の場所です。他のマークは以前に食事をしたことがお店です。マークをクリックすると店名と記事のURLを表示します。
 店名 魚料理 沖の瀬
 住所 兵庫県神戸市中央区中山手通1-4-6 ユーベルビル3階
 電話 078-392-6868
 営業 17:00~24:00
 定休 不定休
 最寄 地下鉄三宮駅 阪急三宮駅 JR三ノ宮駅

タグ:魚料理

新幹線から福山城が撮れました。 [日本]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2017年3月19日は実家の宝塚から日帰りで山口県にある墓に母を連れて行ってきました。母は昔から一人で年4回ほど日帰りで墓参りをしていましたが、最近は私が一緒に行くようにしているのです。墓参りの4回は3月と8月と9月と12月です。いつも新大阪と新岩国を新幹線で日帰りしています。その新幹線から見ることが出来る城は姫路城と福山城と広島城ですが、福山城は福山駅のすぐ北側にあることから大きく写真を写すことが出来ます。
いつも新岩国には叔父さん夫婦が車で迎えに来てくれて且つての熊毛郡熊毛町(現在:山口県下松市大字切山中):まで連れて行ってくれます。

と言っても下の写真のように建物の合間に見える程度なので、いままでなかなかいい写真を撮ることが出来ませんでしたが、今回は連写で撮ることにいたしました。
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大阪方面からは、最初のころは天守閣は建物に隠れることが多いために写真に撮ることは難しいのです。最初に大きく撮ることが出来るのはこちらの写真の構図です。天守閣は右側にありますが建物に隠れています。
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駅に着く寸前に一瞬だけ天守閣が大きく表れます。クリックすると拡大 これは冒頭の写真でもありますが、連写で撮った右の一枚から城の部分を切り取りました。架線は消しました。雲があると難しいのですが、この日は晴天であったおかげで空の別の部分を架線の上に被せて消しました。窓ガラスの黄色み帯びた色も色調整をいたしました。右のオリジナルの写真は色調整前の写真です。
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天守閣の部分を拡大いたしました。こちらの写真はクリックすると特別に拡大するように設定いたしました。通常は2倍(面積4倍)ですが、こちらの写真は4倍(面積16倍)に拡大いたします。
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天守閣の上の部分を拡大いたしました。
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駅のそばにあるために駅からは窓の合間に見ることが出来るだけです。
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福山駅を通り過ぎて撮れる写真はこちらです。
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こちらも拡大いたしました。クリックするとさらに特別に拡大いたします。福山城を紹介します。
 築城年   1622年 江戸時代(1603年~1868年)の初期
 城郭構造  輪郭式平山城
 天守構造  複合式層塔型5重6階(1622年、非現存)
 再建天守  1966年RC造復興
 築城主   水野勝成
 主な城主  水野氏、松平氏、阿部氏
 廃城年   1874年
 遺構    櫓・門・鐘楼、石垣
 別名    久松城、葦陽城
 住所    広島県福山市丸之内1丁目
 指定文化財 重要文化財(伏見櫓、筋鉄御門)
       福山市指定重要文化財(鐘楼)
 再建造物  天守、月見櫓、御湯殿
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シャンボール城 その6 コソン川越しから見たシャンボール城 [ロワール]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真は北西方向からコソン川(Le Cosson)越に、正面から見たシャンボール城(Château de Chambord)です。
クリックすると拡大ほとんどの日本のツアーの場合、シャンボール城を正面から見れるのは左の写真の南東方向からの景観です。日本のツアーの場合時間の関係からガイドの方は北西方向の正面から案内されないからです。一方でツアーガイドなどでは水に映るシャンボール城の写真がよく使われています。そこでシャンポール城の売店で解散した後の自由時間を多めにとってもらって行ってみることにいたしました。時間が厳しいことは分かっていたので、遅れた時に心配するといけないのでガイドさんには写真を撮りに行く場所は伝えておきました。

そのルートが青色ライン(━━)です。駐車場に停まっているバスに集合時間までに行けるように時間を見ながらコソン川沿いを歩きました。これ以上進むと遅刻してしまうと思われるところまで写真を撮りながら進んでUターンして駐車場に向かいました。
  ━━ 城内見学前の散策ルート(行き)
  ━━ 城内見学後の散策ルート(帰り) 今回紹介
    シャンボール城の建物出入口
    南東正面からの撮影位置
    北西正面からの撮影位置    今回紹介
  バスの駐車場


コソン川がよく分かる航空写真も掲載いたしました。
コソン川は城の近くだけ堀として広くなっています。→ポチッ
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シャンポール城の出入口を出てコソン川に向かっている途中から見たシャンポール城です。シャンポール城に来たのはフランスに着いて6日目でした。
 1日目 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル セーヌ川クルーズ 他
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同じ場所から塔の部分を拡大いたしました。
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コソン川にかかる石の橋です。趣があります。これを渡って川の向こう側に行きました。
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橋の全景です。
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横には小さな小川も流れていました。
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コソン川で出来た堀の西のコーナーから見たシャンボール城です。
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同じ場所から城が画面いっぱいになるように拡大いたしました。
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少し城の正面寄りに移動した構図です。
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城の正面に出ました。
これが北西正面( )から撮影したシャンボール城です。
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北西正面( )から撮影したシャンボール城を画面いっぱいになるように拡大いたしました。この写真が冒頭の写真です。
クリックすると拡大下の写真は遠くからズームで撮っていて右の南東正面からの写真は広角で撮っている関係もありますが、右の南東正面からの城と同じ幅にもかかわらず全体が高く見えます。
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城の本館部分が画面にいっぱいになるように拡大いたしました。
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塔の部分です。
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正面から少し北東方向に移動した撮った写真です。
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さらに北コーナーに近づきました。
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北コーナーからの写真です。下側の写真は2枚の写真をつなぎ合わせました。
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城の範囲が画面いっぱいになるように拡大いたしました。なんとかイメージしていた構図での写真を撮ることが出来ました。これで晴れていたならばよかったなと思いましたが、天気だけは仕方ないです。
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北コーナー方向からの3Dの航空写真も紹介します。クリックするとオリジナルの3D画像を表示します。
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北コーナーから東コーナーを目指して歩きましたが、本写真を撮ったところで時間切れと判断して、ここでUターンしてバスが停まっている駐車場に行きました。
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ここを進むと駐車場です。なんとか時間には間に合いましたが、私が一番最後になりました。丁寧に説明してくれるのはうれしいけれども、今回のようにコースから外れる写真を撮るのは厳しかったです。ツアーメンバー11名の内で写真を熱心に撮るのは2~3名でした。この回のツアーはプロが説明することを売りにしたタイトルのツアーであったことから、自由時間を多くとるのは難しいところだったと思います。それでもできる限り取っていただきました。シャンポール城を含めたロワールの城めぐりは本記事で終了です。今まで掲載したシャンボール城の記事のタイトルと掲載します。タイトルとクリックすると記事を見ることが出来ます。「その1」~「その6」は2回目の訪問の今回の記事です。
 初めて シャンポール城 ( 2005年12月4日に訪問した時の記事 )
 その1 シャンボール城に到着いたしました。
 その2 城内編
 その3 螺旋階段編
 その4 屋上編
 その5 城からの景色
 その6 コソン川越しから見たシャンボール城
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この後、シャンポール城(⑤)から出発場所のマイバス社パリ事務所(①)に向かいました。番号は廻った順番( ①→②→③→④→⑤→① )です。
  ① マイバス社パリ事務所  B
 シュノンソー城
 クロ・リュセ城(ダビンチの家)
 La Cave aux Fouées (ランチを食べたレストラン)
  ⑤ シャンポール城
 ━━ ロワール城めぐりのツアールート 495km


追伸
2017年3月16日から3月23日まで関西に行ってきます。ネット事情の関係から皆様のところに訪問できないことをお許しください。

行きはモスクワ便 [機内 CY]


成田からモスクワまでの搭乗券です。この日はモスクワ11時40分発のフライトでロシア第三の都市であるノヴォスビルスクに移動しました。着いたのは夕方(18時45分)です。モスクワとの時差は3時間ある場所です。日本からの時差は2時間です。今はホテルの中でもう少ししたら朝食を食べてきました。こちらは午前9時でも真っ暗です。

この時はロシアとカザフスタンに下のルートで8日間で飛行機に9回乗りましたが、成田→モスクワは最初のフライトです。モスクワ便は10時間近く乗ります。前回のモスクワ便の記事はこちらです。→ポチッ
移動の順番は成田→モスクワ→ノヴォシビルスク→モスクワ→アスタナ→アクトベ→アスタナ→アルマトイ→ソウル→成田です。かなりいそがしい旅なので記事の掲載だけでなくアクセスも限られてしまいそうです。夜行便も2回あります。
初めてロシアの航空会社に乗ります。
一つは右のマークのアエロフロート航空(SU)です。もう一つが昔のシベリア航空であるS7航空です。ちょっとドキドキですが帰国後に報告させてもらいます。
下記が今回のフライトスケジュールです。返信も遅くなることがあるかも知れません。そのときはご容赦願います。帰国は12月3日となります。



成田からモスクワへの機内食は以前に一度紹介していますが、今回の機内食に関しても紹介させてもらいます。
前日、沢山のワインを飲んだので機内ではビールだけにいたしました。


食事は洋食2種類と和食の3種類がありましたが和食にさせてもらいました。


前菜関係は箱の中にまとまっていました。「胡桃豆腐べっ甲餡掛け梅ひしお」「白魚ポン酢ゼリー添え」「カワハギと大豆の南蛮漬」「大根と里芋のいとこ煮」「豚味噌焼き うるか酢橘釜盛り 吉四六漬」です。


国産真鯛の鯛麺共地餡掛けです。


最後はデーザートに紅茶を頼みました。


特にかぼちゃのモンブランがよかったのでアップにしました。


10時間近いフライトなので着陸1時間前に軽食が出ます。和食と洋食がありました。いつもはアラカルトの蕎麦にするのですが軽食を紹介したくて和食を選びました。内容を見るとビールを飲みたくなりましたが到着してから飲むことにしてここでは日本茶にさせてもらいました。


鰻笹巻きが食欲を出させてくれました。結局、完食でした。軽くてよかったです。
あと30分したらホテルを出発します。しばらくの間はネットにアクセスできませんがシベリアの地であるノヴォスビルスク(ノボスビルスク)に着いたら報告させてもらいます。



不思議な類似点 ヴェネツィア ⇔ 朱家角 [話題]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上海の近くの「朱家角」古鎮(古村)はあまりにも水の都ヴェネツィア(ベネチア)と似ているのでヴェネツィア(Venezia)と朱家角(しゅかかく)を比べてみました。記事内ではベネチアを使わさせていただきます。朱家角は朱家角鎮(しゅかかく・ちん)あるいは朱家角古鎮(しゅかかく・こちん)と呼ばれています。
上の写真は、この村一番の大きな橋です。ベネチアも一番有名なリアルト橋です。どちらも船の上からの景色です。もちろんベネチアを真似たものではなくて昔からの姿を残しています。水の都の偶然ですね。それぞれの呼び方の検索数を比較してみました。ベニスは英語の「Venice」に由来した日本での呼び方で、ヴェニスの呼び方も存在することになります。
 ヴェネツィア 約4,290,000件 ブログ:約598,000件 朱家角:約2,600件
 ベネチア   約4,330,000件 ブログ:約584,000件 朱家角:約6,940件
 ベニス    約2,780,000件 ブログ:約534,000件 朱家角:約2,970件
 朱家角    約1,890,000件 ブログ:約139,000件

船の中からの景色もなぜか似ています。ここに載せた3枚以外も似た景色が沢山あるのでベネチアの記事と朱家角の記事をじっくりと見比べてみてください。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 朱家角  → 水の都・朱家角古鎮
 ベネチア → 水のある景色  ゴンドラ  水のない景色 
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うしろで漕ぐ姿も似ています。屋根が付いている所は違います。
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左が朱家角(ZHU JIA JIAO ジュージャージャオ)の場所です。ネットから拝借した衛星写真上の「朱家角」の文字の「朱」の少し「家」よりの位置がそうです。ベネチアは海の中の水の都ですが朱家角は陸の中の水の都でした。右がベネチアで上海近くの衛星写真と縮尺が同じです。文字をクリックするとGoogle地図を表示し、写真をクリックすると拡大写真を表示します。(拡大)をクリックすると4倍に拡大されたGoogle地図を表示します。
ベネチアはイタリアへの家族旅行で訪れました。→JTBバスツアー・ルート
ベネチア (拡大)            朱家角 (拡大)
クリックすると拡大クリックすると拡大

低温発酵のヨーグルト 九十九里ファーム [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大クリックすると拡大先日の記事で10個入りの双子卵をゴルフの帰りに九十九里ファームの直営販売店で買ってきことを報告させていただきましたが、本当のお目当てだったのが上の写真のヨーグルトでした。以前に近所の方から頂いて、すごくおいしかったので、また食べたいと思っていたのです。

容器からスプーンですくった瞬間、スーパーで売っているヨーグルトと違うと感じました。しっかりとした固さと粘りがあったのです。
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クリックすると拡大食べた見ても格別に美味しかったです。もちろん何も入れていませんが美味しくいただきました。普段、ヨーグルトにジャムなどを入れて食べている方も、そのまま食べてみることをお薦めしたくなる美味しさでした。
 名前     手作り・無糖 ヨーグルト
 価格     400円(税込み)
 内容量    450g
 無脂乳固形分 8.7%
 乳脂肪分   3.7%
 種類別名称  発酵乳(低温発酵)
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美味しさの秘密が書かれていますが、北海道に住んでいる専門家に聞くとズバリ「低温殺菌・低温長時間発酵」と言われました。一般的に市販されている高級なヨーグルトでも沢山生産する都合から「低温長時間発酵」だけは、やっていないとのことでした。
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このヨーグルトは九十九里ファームで作られているのですが、その販売店が、その日ゴルフをした富里ゴルフ倶楽部のクラブハウスから2.16kmの距離ところにあったのです。家に帰る分かれ道から0.71kmの距離です。購入したのは2017年2月25日でした。容器に貼られているシールに書かれている製造者の住所と電話番号は、九十九里の農場ではなく、購入したお店の場所です。近所の方から頂いたのは2016年12月15日でした。
 名前 九十九里ファーム たまご屋さん Cocco 
クリックすると拡大 住所 千葉県香取郡多古町喜多413-44
 電話 0479-76-5054
 営業 9:00~18:00
 定休 なし
 富里ゴルフ倶楽部 クラブハウス
 九十九里ファーム販売店
 ━━ 2160m ゴルフ場 → 販売店

近所のフットサルも4年半になりました。 [日々]


土曜日(2011年9月10日)は久しぶりに一日中快晴でした。近所で鉄塔の塗装が行われていたので写真を撮りに来てみると子供たちのサッカーイベントが近くのフットサルで行われていました。このフットサルがオープしたのが4年半前の2007年1月27日でした。

4年半前にトルコに行った時にトルコではフットサルのコートが沢山あって、サッカーが盛んなのにほんとうに驚いたものです。 ところが日本でもフットサルが結構盛んなのを知ったのがその時でした。車で走っているとフットサルがオープしたところに出会えたのでちょっと立ち寄ってみました。下は練習風景です。オープンの月は無料開放でした。


この写真はトルコのフットサルコートです。早朝なのでまだオープンしていませんが昼間は平日なのにユニホームを着たおじさんたちで熱気ムンムンでした。コートは日本とはちょっと違うみたいです。


オープンの日だったのでテレビの取材も来ていました。

これを見ると自分のときのことNHKニュースを思い出しました。
この日(2007年1月27日)は開所式と試合があるようで沢山の人が集まっていました。


試合開始です。


みんな元気です。


応援風景です。

観光地は守られています。 [エジプト]

が表示された写真はクリックすると拡大します。


エジプトではホテルは金属探知機が必ず設置されていますが各観光地のエリアの入口にも必ず金属探知機が備えられております。ここはシタデルの入口です。

エジプトのルクソールで今から13年前の1997年にスイス人43人、日本人10名、イギリス人4名、他3名に警官や犯人6名も含めて69名(報道により若干差あり)が亡くなった悲惨な事件がありました。二度と繰り返さないための処置だと思いますが凄いです。ここはエジプト考古学博物館です。さらに建物の中に入るときにも金属探知機が設置されていました。


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送電線取替工事 新旧の送電線の交換方法 [送電線]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2016年の12月から50万ボルト超々高圧送電線である房総線で送電線の取替工事が始まりました。ただし、送電線取替工事以前から2基(30鉄塔、31鉄塔)の建替え工事が行われていました。送電線の取替工事に気が付いて初めて写真を撮ったのが2016年12月16日でした。その写真が右下の2枚の写真で12月18日の記事「みのむし軍団 高圧送電線補修のプロフェッショナル」に掲載させていただきました。送電線の取替工事の手順は概ね次の通りです。これを6回繰り返します。上の写真は2017年3月11日の朝に撮ったものです。送電線そのものの取替は6本とも完了し右側の1番下段の最後の工事(⑬~⑰)が残っているのみです。人が鉄塔間で送電線を渡るのが①②⑥⑬⑭⑮の6回なので計36回ほど鉄塔間を人が渡るのです。
右下の写真は①のスパイラルロッドの取外し作業です。上の①~⑯の手順の中で気になるのが⑦と⑩の新旧の送電線の交換作業です。送電線の場所には住宅地もあることから送電線間では送電線を地上に下すことが出来ないのです。そのような条件で古い送電線をどのように外して、新しい送電線をどのように取り付けるのかを知りたかったわけです。本記事ではその作業を紹介したいと思います。①~③ ⑭~⑰は左右それぞれまとめて行われます。本記事「新旧の送電線の交換方法」での紹介は赤色文字の作業です。着色番号( or )はすでに過去記事で紹介した作業です。YouTube登録動画はこちら→ポチッ
クリックすると拡大 送電線取替工事手順
  スパイラルロッドの取外し
  4導体用スペーサーの取外し
  ジャンパ線取外し & 碍子の取替
  滑車の取付 
  2本送電線の連続化
  吊り下げ金具の取付
  4本の送電線の内2本の新旧交換
クリックすると拡大 ⑧ 2本送電線の連続化
 ⑨ 滑車への送電線かけ換え
  4本の送電線の内2本の新旧交換
 ⑪ 吊り下げ金具の取外し
 ⑫ 碍子に送電線取り付け
 ⑬ 滑車の取外し
  4導体用スペーサーの取付
  スパイラルロッドの取付
  点検(スパイラルロッドとスペーサーの取付状況の確認?)
 ⑰ ジャンパ線の設置(プレハブジャンパを使用)

送電線の交換は下記の地図の24鉄塔から32鉄塔までの3770m(━━)の古い送電線を一気に新しい送電線に交換します。地図上のはいずれも鉄塔ですが、今回の工事の中で24鉄塔( )と32鉄塔( )が特別な役割のある鉄塔なのです。 から新しい送電線を送出し、から古い送電線を下すのです。地図内の30鉄塔と31鉄塔の高さは建て替え前の古い数値です。冒頭の写真は手前から27鉄塔、26鉄塔、25鉄塔です。
この地図の表示されている範囲で標高(海抜)の一番高い地面に建てられているのが25鉄塔です。一番低い地面に建てられているのが32鉄塔です。
 送電線交換・始点鉄塔 24鉄塔
 送電線交換・終点鉄塔 32鉄塔
 シルバー塗装鉄塔
 赤白塗装鉄塔
 ━━ 送電線一括交換部分 3770m  房総線鉄塔の高さデーター → ポチッ



送電線交換・始点鉄塔 24鉄塔
この場所から新しい送電線が送り出されます。見えている鉄塔は24鉄塔です。写真の一番左端に新しい送電線が巻かれた黄色いドラムが置かれています。鉄塔の高さは目測で55m前後です。
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先ずは、この動画を見てもらうと新しい送電線が送り出されている様子を見ることが出来ます。送電線が巻き付けられたドラムから牽引機で引っ張りだされています。新しい送電線の先端は古い送電線の一番後ろににつながれていています。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。


鉄塔には大きな滑車があります。送電線はこの大型滑車を通って送り出されていきます。この大型滑車の正式名はクローラー金車だそうです。YouToubにPirokiさんからコメントをいただきました。
動画の最初は左側の送電線の接続部分が現れます。2つの接続部分がが通過した後、右の送電線の接続部分が現れます。その次に別の角度から見た動画になります。2つ接続部は耐張型鉄塔部分に取り付けられるジャンパー線部分と思われます。このことから、正確に切断した送電線をカップリングで接続して送り出していることがわかります。


写真でも作業現場の全景を紹介します。
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これが新しい送電線が巻き付けられたドラムです。
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これは送電線の牽引機のような機械だと思われます。送電線がドラムに4回巻き付けられています。この牽引機は正式には延線機と呼ばれています。
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牽引機(延線機)の部分を拡大いたしました。この写真だと送電線が4回巻き付けられていることもよくわかると思います。
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鉄塔に取り付けられた滑車(クローラー金車)です。円形ではないのでガイドローラーはチェーンかキャタピラ(クローラー)のような構造のものだと思われます。キャタピラはキャタピラ社のクローラーの商品名です。
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交換作業が始まる寸前に作業現場に来てみました。畑を借りて広い仮設の作業場を作っていました。正月明けとなる2017年1月5日の写真です。
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すでに新しい送電線が持ち込まれていました。
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機材や新しい送電線を持ち込むために畑に鉄板を引いて仮設の大きな道路も作られていました。見えている鉄塔は北側に建っている23鉄塔です。
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見学している時に、大型トラックが新しい送電線を持ち込んできました。距離が3.77Kmとすると必要長さは約90km(=3.77×4×6)になります。
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送電線交換・終点鉄塔 32鉄塔
24鉄塔から送り出される新しい送電線を引っ張りながら古い送電線を下すのが、写真の中の一番右の32鉄塔です。32鉄塔の周りは住宅地で、上の24鉄塔のように広い作業スペースは無いように思われます。そのために黄色の丸で囲ったところに取り付けられている大型の滑車から真下に引き下ろしていました。真下より若干戻る方向に引っ張っていました。写真をクリックすると拡大するので、下に降りている送電線が判ると思います。
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先ずは、動画を見てもらうと作業内容がわかると思います。地上にも大型の滑車が取り付けられています。


こちらが鉄塔に取り付けられている大型の滑車(クローラー金車)です。前日暗かったのですが接続部分が滑車(クローラー金車)を通過するところの動画も撮れました。→ポチッ


写真でも紹介していきます。鉄塔に取り付けられた大型滑車(クローラー金車)です。大型滑車(クローラー金車)が2個取り付けられています。
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こちらが地上の大型滑車(クローラー金車)です。人と比べると大きさが判ると思います。
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これは巻取り用のドラムではなく送電線の牽引機(延線機)のようです。新しい送電線をを送出すところに設置されていた牽引機と同じタイプで、やはり送電線が4回巻き付けられていました。送り出すところの牽引機(延線機)との間で引き合いながら移動していくようです。この牽引機の後ろに小さな巻取りドラムがあります。
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クリックすると拡大上の写真では送電線が牽引機(延線機)のドラムに4回巻き付けられているのが分かりにくいので、写真を拡大いたしました。房総線が出来た1966年の当初から使われていたとしたら50年以上経過していることになります。右の写真の新しい送電線と比べると色の違いが明らかです。
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これが古い送電線の巻取りドラムです。
作業スペースが小さいのでドラムも小さいのだと思います。巻き取った古い送電線をトラックに載せているところです。
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古い送電線を巻き取ってトラックに乗せるまでの写真です。




24鉄塔( )~32鉄塔( )間
送電線用鉄塔には大別して耐張型鉄塔と懸垂型鉄塔があります。 耐張型鉄塔は電線の張力を鉄塔で受けるために、碍子(ガイシ)が水平に取り付けられています。一方、懸垂型鉄塔は重力と風の水平力を鉄塔で受けるタイプで、碍子はV型に取り付けられて送電線を吊り下げています。この2種類の鉄塔で、交換する送電線を移動させる滑車の取付方が違ってきます。耐張型鉄塔が使われるのは水平および垂直方向で方向転換がある場合に使われます。送電線が水平で鉄塔が一直線に並んでいる時に懸垂型鉄塔を使うことが出来ます。25鉄塔と30鉄塔と31鉄塔は前後の鉄塔と直線で並んでいるけれども高低差が大きいので耐張型鉄塔が使われていると想像しております。両方の写真とも左側の3段が新しくなり、右側が古いままの時に撮った写真です。2016年に建替えられた30鉄塔と31鉄塔は建替え前は懸垂型鉄塔でした。
 耐張型鉄塔 24鉄塔 25鉄塔 28鉄塔 30鉄塔 31鉄塔 32鉄塔
 懸垂型鉄塔 26鉄塔 27鉄塔 29鉄塔
耐張型鉄塔(水平碍子)        懸垂型鉄塔(V型碍子)
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クリックすると拡大今回の送電線は50万ボルトの電圧が使われていることから4本の送電線を正方形に配置した4導体送電線です。4本なのに2本づつ交換するのは4本の内2本で吊り上げてやらないと垂れてしまうからです。特に鉄塔間のスパンは一定ではないため3770mをフリーにしてしまうとスパンが長いところは特に大きく垂れてしまうと思われます。今回は400mmレンズで動画も撮ったので右の写真のように三脚も使いました。


これが交換する送電線を吊り下げる金具です。真ん中にロープが取り付けられているのは交換が終わったときりこの金具を鉄塔から手繰り寄せて回収するためです。このロープのおかげで回収のために人が送電線を渡らなくてもいいのです。ただし設置は人が行うと思われます。


上の動画は画面を拡大しないと送電線が動いていることが分かりにくいと思います。この動画には接続部分が写っているのでわかると思います。


吊り下げ金具を鉄塔から手繰り寄せている動画です。



懸垂型鉄塔(V型碍子) の部分の送電線交換の仕組みを紹介します。
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滑車は4個取り付けられます。碍子がV型であることがよく分かってもらえると思います。送電線の工具である今回の滑車は「金車」と呼ばれています。金車の詳しい説明はこちらにありました。→ポチッ
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その4個の滑車(金車)の部分を拡大いたしました。
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滑車(金車)は4個ですが、2個づつ動きます。この動画では外側の2個が動いていますが、別の時は内側の2個が動きます。



耐張型鉄塔(碍子が水平)の部分の送電線交換の仕組みを紹介します。写真は左側のみ新しい送電線に交換した時点で撮ったものです。
水平に取り付けられた碍子の前後からぶら下っている線が、ジャンパ線です、左側が新しく交換されたパイプ式プレハブジャンパで、右側が従来のジャンパ線です。今回の工事で碍子のも新しいタイプに交換されます。左側が碍子が2列並んだⅡ吊型碍子です。右側が交換前の碍子が3列並んだⅢ吊型碍子です。碍子の強度が上がったので2本で耐えられるようになったか、設計荷重の見直しが行われたかどちらかだと思います。
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耐張型鉄塔では滑車(金車)は2個取り付けられます。ここに2本の送電線が通されます。残りの2本は碍子に固定されるので滑車(金車)は4個必要ありません。最初の2本の送電線が新しくなると入れ替えます。古い送電線を滑車に通して、新しい送電線は碍子に固定します。
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動画を見てもらうとわかってもらえると思います。この動画には人が写っているので大きさもわかると思います。


別の時に撮った動画です。



32鉄塔( )あたりから見た31鉄塔、30鉄塔、29鉄塔、28鉄塔です。左側の送電線の真下から写真を撮ってみると、鉄塔と送電線の接点が一直線に並んでいることから、鉄塔も直線上に並んでいることが分かってもらえると思います。右側の一番下が交換中の送電線です。
クリックすると拡大2017年3月9日午前の写真です。昼までに交換が終了いたしました。鉄塔群と建物間に小さく見える鉄塔は、実はこのあたりで一番高い27鉄塔で、高さは121mあります。建物か林の陰に26鉄塔があるものと思われます。
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上の写真を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大します。交換中(右側の最下段)の送電線がよくわかると思います。
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30鉄塔と31鉄塔は2016年に建替えられたことを上で記載させてもらいました。両方ともに高くなりましたが、特に31鉄塔は差(64m→約100m)が大きいです。建替え前(左)と建替え後(右)を紹介します。鉄塔は両方ともに手前から31鉄塔、30鉄塔、29鉄塔です。建替え前の写真はネットから転用させていただきました。建替え後の鉄塔の高さは目測です。建替え方法は、両方ともに右側(東側)に仮設の鉄塔を建てて、元の場所に今の鉄塔を建てましたが、送電線の取替工事と同時進行の時期があったかめか(?)、複雑な建替えをしていました。右側の現在の写真をクリックして拡大すると、30鉄塔に関しては解体中の仮設の鉄塔の一部が残っていることが分かってもらえると思います。
 建替え前(左) シルバー塗装 懸垂型鉄塔(V型碍子) 高さ:75m/64m
 建替え後(右) 赤白塗装   耐張型鉄塔(水平碍子) 高さ:約100m
クリックすると拡大クリックすると拡大

さらに驚いたことに30鉄塔と31鉄塔の内側には古い鉄塔が入っています。アーム部分のみ解体して塔の部分は残したものと思われます。クリックするとトップまでが写った写真を表示します。
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本鉄塔は今回の送電線取替工事の最も南側の32鉄塔です。
この鉄塔の碍子に注目してください。6ケ所ともに奥側(北側)が新しく交換された2列のⅡ吊型碍子で手前側(南側)が古いままの3列のⅢ吊型碍子であることが分かってもらえると思います。つまり32鉄塔より南側はまだ6ケ所とも古いままなのです。当然ですが、送電線も古いままと思われることから、今後に工事が行われると推測されます。
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これが、32鉄塔より南側の送電線です。1番左側の鉄塔が32鉄塔で、そこから右に33鉄塔、34鉄塔、35鉄塔、36鉄塔、37鉄塔、38鉄塔、39鉄塔、40鉄塔、41鉄塔、42鉄塔、43鉄塔までみることが出来ます。つまり12基の鉄塔が見ることが出来る場所でもあります。32鉄塔から43鉄塔までの距離は4.28kmです。撮ったのは2017年3月7日の早朝(7時17分)で曇っていたため、晴れた日に撮りなおして写真を差し替えるつもりです。
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三浦大根は和風スパゲッティーにも使いました。 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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以前に簡単に出来る和風スパゲッティーを紹介したことがあります。茹でたてのスパゲッティーに「大根おろし」と「なめ茸(えのき茸の醤油漬け)」と「貝割れ大根とを乗せて「ポン酢」と「海苔」を掛けるだけのスパゲッティーでした。この中で欠かせないのが「大根おろし」と「なめ茸(えのき茸の醤油漬け)」と「ポン酢」です。特にたっぷりの「大根おろし」が決め手なのですが、先日、双子卵を買った九十九里ファームで大きな三浦大根を買ってきたので、すき焼きにも使いました。久しぶりに和風スパゲッティーを作ってもらえました。

こちらが今回の和風スパゲッティーです。今回は貝割れ大根ではなくネギを使いました。三浦大根の写真を撮っていなかったのでネットからクリックすると拡大転用させていただきました。右の転用させていただいた写真は三浦大根(左)と青首大根(右)を比較したものです。見ての通り青首大根に比べて、三浦大根は太くて重いので収穫の時に引き抜くのが重労働なことと農家の高齢化などにより少なくなってしまったそうです。
貴重な大根なだけに和風スパゲッティーの値打ちも上がった気がいたしました。
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ポン酢をかけると全体にしんなりします。スパゲッティーは茹でたてを使っているので全体は程よい温かさにあります。これは飽きない美味しさです。
前々から、えのき茸(エノキタケ)を原料に使っているのに商品名は「なめ茸」と名付けられているのが不思議でした。クリックすると拡大そこで調べてみると、エノキタケはWikipediaで書かれているようにエノキダケ、ナメタケ、ナメススキ、ユキノシタとも呼ばれていて、その中にナメタケ(なめ茸)もありました。さらに、えのき茸は調味料と煮込むと、えのき茸由来の粘性が出てくるそうです。その粘りを強調するために名前に「なめ茸」を選んだようです。転用させてもらった写真は右が栽培種で右下が野生種です。現在の白い栽培品種は光が当たっても着色しないものが使われているそうです。えのき茸の分類も紹介します。
クリックすると拡大  界 : 菌界      Fungi
  門 : 担子菌門    Basidiomycota
 亜門 : ハラタケ亜門  Agaricomycotina
  綱 : ハラタケ綱   Agaricomycetes
  目 : ハラタケ目   Agaricales
  科 : タマバリタケ科 Physalacriaceae
  属 : エノキタケ属  Flammulina
  種 : エノキタケ   Flammulina velutipes
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さらに下の写真のアマニ油(亜麻仁油)をかけるとなめらかになります。アマニ油は成熟した亜麻(アマ)の種子を圧搾して得られる油で、代表的なω-3脂肪酸であるα-リノレン酸をはじめとする不飽和脂肪酸が大部分(約90%)を占めています。今回のアマニ油はα-リノレン酸だけで50%~65%になると書かれていました。そんなことから栄養サプリメントとしても販売しているそうです。亜麻仁は亜麻の種子(仁)を表しています・英語でもFlax(亜麻)とSeed(種子)をくっつけて亜麻仁のことをFlaxseed(フラックスシード)と呼びます。それでアマニ油はFlaxseed oilあるいはLinseed oilと呼ばれます。日本での栽培は気候的に寒冷地である北海道となります。世界的にはカナダが一番多いです。花として鑑賞する品種もあります。亜麻の原産地はカフカス地方から中東にかけての一帯だそうです。
クリックすると拡大原料のアマ(亜麻)の分類を記載します。
  界 植物界     Plantae
    被子植物    Angiosperms
    真正双子葉類  Eudicots
  目 キントラノオ目 Malpighiales
  科 アマ科     Linaceae
クリックすると拡大  属 アマ属     Linum
  種 アマ 亜麻   Linum usitatissimum
 別名 ヌメゴマ、アカゴマ
 英名 Flax
 種子 亜麻仁 アマニ Flaxseed
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シャンボール城 その5 城からの景色 [ロワール]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

フランス・ロワール地方にあるシャンボール城を紹介してきましたが、その4「屋上編」でシャンボール城の屋上の塔を中心に紹介しました。ここでは、その屋上からの城の周りを紹介したいと思います。航空写真の中央にChâteau de Chambordと書かれた小さく見える建物が、巨大なシャンボール城です。そのことから城の周りが広い森で囲まれていることが分かってもらえると思います。上の航空写真で城から右方向に延びているのは堀のように大きく広げたコソン川(Le Cosson)です。
クリックすると拡大シャンボール城は建物の巨大さに驚かされます。それ以上に驚かされるのが敷地の広さです。現在でも城の周りには、52.5k㎡の森林公園が広がり、右の写真の長さが31kmの石積みの壁で囲まれた禁猟区にはアカシカが生息しています。昔はそのアカシカが狩猟の最大の対象だったようです。上の航空写真の1辺は3.09kmです。3.09km四方の面積は9.55k㎡なので、52.5k㎡はこの9.5481k㎡の5.5倍の面積が現在の城の面積ということになります。航空写真の中のマイナスのアイコン( マイナス)を1回クリックしても面積は38.2k㎡(=9.55k㎡×4倍)のため、52.5k㎡はさらに広いです。あの広大な敷地のヴェルサイユ宮殿でさえ敷地面積は10.7k㎡です。
現在の城の状態に完成した1547年ごろは人家もほとんどなく想像を絶する広さだったと思います。1547年はシャンボール城を建設したフランソワ1世が亡くなった年です。シャンボール城の建設はフランソワ1世が建設を初めて亡くなるまで続けられていたのです。つまりシャンボール城はフランソワ1世が亡くなった年のままなのです。

シャンポール城の屋上からの景色を紹介する前に、写真の方向が理解しやすいように撮影場所を紹介します。下記のⒶⒷⒸが撮影ポイントです。南東方向と北西方向にまっすぐに地平線まで伸びている道は圧巻です。
右の城の全景の写真は南東方向からシャンポール城を撮ったものです。
クリックすると拡大  本館の南東面
  本館の北西面 
  本館の南西面
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本館の南東面からの景色
南東方向正面を撮ったものです。すでに上で説明しているように道がまっすぐに続いています。フランス国旗が立てられている下から城内に入りました。こちらの写真をクリックすると特別に大きく拡大します。
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南東方向正面の写真を少し拡大いたしました。クリックすると拡大この道の中央から右のシャンボール城の全景の写真を撮りました。広い庭を囲っている並木道までの3分の2の距離のところです。
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南東方向正面の道が地平線まで続いていることを実感してもらいたくて、さらに拡大いたしました。
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東方向(南東を中心にして左側)の写真です。建物の後ろ側にコソン川(Le Cosson)が少しだけ写っています。
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東方向(南東を中心にして左側)を拡大すると建物がありました。
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南方向(南東を中心にして右側)の写真です。民家が見えます。昔は城を管理する人たちが住んでいたのでしようか。
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南方向(南東を中心にして右側)の民家あたりを拡大いたしました。
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本館の北西面からの景色
北西方向正面にも道が伸びていました。左右に横切っている堀はコソン川を広げたものです。この写真はクリックすると特別に大きく拡大します。
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北西方向正面の写真を拡大いたしました。こちらも特別に大きく拡大します。
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北西方向正面をさらに拡大いたしました。広さを実感していただけたでしょうか。
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下が北方向(北西を中心にして右側)の景色です。
クリックすると拡大帰りに特別にこの辺りに行ってシャンポール城を撮ったのが右の写真です。後日、詳しく紹介したいと思います。
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こちらは西方向(北西を中心にして左側)の景色です。
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本館の南西面からの景色
の地点から南南西の方向を撮った写真です。見えている建物はサン・ルイ教会(Église Saint-Louis de Chambord)です。
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上の写真はこの写真から教会の部分を切り取りました。
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シャンボール城(Château de Chambord)の場所を紹介します。

我家のひな祭りは2日遅れの3月5日でした。 [雛祭り]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今年の雛祭りは2017年3月5日になってしまいました。家内が弓道で3月4日に雛祭り大会の準備なので3日、4日は忙しくしていたことから、我家のひな祭りは3月5日になったわけです。弓道の大会では家内は賞品の係りをしていて雛飾りのように賞品を並べたそうです。
我家の雛祭りと言っても、ちょっとひな祭りらしい料理を準備する程度ですが、やっぱり散らし寿司ですね。お皿は栃木県芳賀郡益子町の益子焼城内坂通りで買ってきたものです。雛人形は木村一秀さんの作品です。雛人形の写真はクリックするといずれも大きく拡大いたします。

散らし寿司となると、ビールは似合わない気がしたので日本酒にいたしました。
やはり日本の祭りには日本のお酒です。
いつもの清水焼秀峰窯のお猪口で飲みました。お銚子は備前焼です。この形のものは正式には銚子ではなく徳利ですが、居酒屋で「お銚子1本」と言うのが最近の通例なので、つい銚子と呼んでしまいます。
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散らし寿司に飾るために赤がきれいなマグロを買ってきたようですが、乗せる場所が無くなったので、刺身として単独でいただくことにいたしました。色どりのための赤い色のマグロを散らし寿司に乗せられなかったので、代わりに乗せたのがフルーツミニトマトだったようです。
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こちらは、かつお節でだしをとったお澄ましです。やはり、かつお節からのとりたてのだしで作ったお澄ましは格別でした。今回、新しい発見がありました。だしをとったあとの鰹節を我家のワンコ(むさし)が喜んで食べてくれることでした。水分を飛ばすために電子レンジにかけて、おやつのようにあげると大喜びでした。最近は薬とサプリを合わせて毎日7錠も飲ませているので、今まで大好きな「おやつ」でも警戒されて拒否されることが多いのです。だから、この食いつきには驚かされました。
実は雛祭りのお澄ましに欠かせないハマグリ(冷凍)も買っていたのですが、入れ忘れたそうで翌々日にハマグリのお澄ましでした。前日も作ったので、そのおかげでムサシは3日連続で鰹節にありつけました。
ひな祭りは「桃の節句」と言われます。「桃の節句」は「上巳の節句(じょうしのせっく)」が正式のようなので、五節句を並べてみました。9月9月の「重陽の節句」以外は深い行事が行われます。
  月 日 節句の名前 一般的呼名 行事など       読み__
 1月7日 人日の節句 七草粥・七草の節句        じんじつ
 3月3日 上巳の節句 桃の節句・雛祭・雛人形      じょうし
 5月5日 端午の節句 端午の節句・鯉のぼり・五月人形  たんご
 7月7日 七夕の節句 七夕(たなばた)         しちせき
 9月9月 重陽の節句 菊の節句 くんち(秋祭り)    ちょうよう
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すりゴマたっぷりのお浸しも用意してもらえました。
クリックすると拡大娘の雛人形なので、娘の子供(3歳)の時の写真を掲載いたします。雛祭りが始まった時期は明確になっていないそうですが、平安時代の京都では既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録があるそうです。ただし現在のように人形を飾る風習が定着したのは江戸時代になってからだそうです。やはり一般庶民にいろいろな風習や食文化が定着したのは平和な江戸時代が大きく貢献しているようにかんじます。江戸時代までは和暦の3月3日(節句)にひな祭りがおこなわれていましたが、明治の改暦以後はグレゴリオ暦(現在の暦)の3月3日に行なうことが一般的になったそうです。
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パスポートを更新いたしました。 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前のパスポートの期限が2017年4月20日と迫ってきていたので2月20日に申請に行き、3月2日に受け取りに行きました。私の場合は千葉県佐倉市に住んでいるので、最も近い印旛合同庁舎内にある印旛地域振興事務所に申請と受け取りに行きました。印旛との名称ですが場所は佐倉市にあります。更新で本籍が変わっていない人は手ぶらで行って申請することが出来ます。
もちろん写真(4.5cm×3.5cm)は必要ですが印旛合同庁舎内に証明写真ボックスが2台設置されているので手ぶらで大丈夫なのです。新規の場合は戸籍謄(抄)本1通が必要ですが、更新の場合は本籍が変わっていないければ不要です。昔は住民票が必要ですが今は住民基本台帳ネットワークシステムを利用して現住所を確認するので不要になりました。したがって手ぶらで行けるのです。申請書を受理された時点で受取る日がその場で決まり、受取日が印刷された旅券(パスポート)引換書をもらいます。私の場合は次の通りでした。
 準備 住所と本籍を確認しておく(住民票&戸籍謄本は不要)
 申請 2017年2月20日     (旧パスポート以外は不要)
 受取 2017年3月02日から   (ただし6ケ月以内   )
 場所 印旛合同庁舎      (佐倉市鏑木仲田町8-1)
上の写真で左が新しいパスポート(PASSPORT)で、右が古いパスポートです。古いパスポートにはVOIDの穴があけられて返されます。

新旧を重ねて撮りました。上が新しいパスポートです。新しいパスポートは背の部分が角ばっているのが判ってもらえると思います。古いパスポートはページを増やす「増補」を行っているので分厚いです。増補が出来るのは一度だけなのでページが埋まってしまえば期限が来ていなくても新しいパスポートに更新する必要があります。
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クリックすると拡大新しいパスポートのICチップが埋め込まれたページを紹介します。右側がICチップが埋め込まれたページです。前のパスポートからICチップが受けこまれていましたが、若干デザインが変わりました。右の写真が前のパスポートのICチップのページです。クリックすると大きくなるので比較してみてください。
DO NOT STAMP THIS PAGEの注意書きは前は黒色でしたが、カラーになりました。IC CHIP PAGEの記載も追加されました。
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今回の新しいパスポートは6冊目になります。左上から古い順番にパスポートの有効期間を紹介します。一番右下が今回の新しいパスポート(旅券)です。1983年からパスポートを持っていましたが、初めて海外に出たのは1988年2月29日でした。4冊目の期限が1年以上あるのに5冊目を更新したのは増補してもページが無くなってしまったからです。日本で10年有効旅券が導入されたのは1995年で、さらに日本でICパスポートが導入されたのは2006年3月20日です。黒いパスポートは1992年に導入された機械読取式パスポートです。
 1冊目 1983年11月28日~1988年11月28日  5年旅券 赤 旧
 2冊目 1988年10月28日~1993年10月28日  5年旅券 赤 旧 増補
 3冊目 1993年10月04日~1998年10月04日  5年旅券 黒
 4冊目 1998年06月14日~2008年06月14日 10年旅券 赤   増補
 5冊目 2007年04月20日~2017年04月20日 10年旅券 赤 IC 増補
 6冊目 2017年02月23日~2027年02月23日 10年旅券 赤 IC
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5冊のパスポートで1988年2月29日から29年間で28ケ国を訪問しました。その回数は272回となりました。クリックすると滞在日数のグラフを表示します。これだけ海外に行っていますが正月を海外で過ごしたのは2003年のメキシコだけです。
 訪問国数   29ケ国
 世界訪問回数 272回
 累計滞在日数 1477日  (=4年16日)
 平均滞在日数 5.32日/回(=1447日÷272回)
 平均滞在日数 50.9日/年(=1477日÷29年)
 最高滞在日数 年間131日(2002年 19回訪問)
 最高滞在日数 累計626日(中国   103回訪問 平均6.08日/回)
 最長滞在日数 連続 93日(メキシコ 2002年12月10日~2003年03月12日)
 2位滞在日数 連続 15日(タイ   2000年09月03日~2000年09月17日)
 3位滞在日数 連続 14日(中国   2002年10月27日~2002年11月09日)
 平均訪問回数 9.38回/年(=272日÷29回)
 最高訪問回数 24回/年(2006年)
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国別回数のグラフを紹介します。右の写真は29年前に初めて海外に行った時の写真です。撮ったのは1988年3月1日で、場所は台湾の羅東です。1冊目のパスポートで行きました。
 初めての台湾を訪問した時の記事 → ポチッ
クリックすると拡大 103回 中国
  37回 台湾
  18回 アメリカ
  16回 ベトナム
  16回 韓国
  13回 インド
  10回 ドイツ
   8回 フランス


1983年のパスポートの最初に書かれている文言を紹介します。
日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。
日本国外務大臣
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まったく同じ文章が今のパスポートにも書かれています。
パスポートは、国際移動する場合に原則必要なものであり、国籍国政府による原則として申請者の「渡航を認め」「国籍を有することを証明」し、渡航先の国家に対して「人身保護を要請する」書類です。パスポートに関する標準文書は、ICAO(国際民間航空機関)において標準化制定されています。主権国家の中央政府が、特定の国民一人に対して発行する公的書類であり、「最も国際的通用度の高い身分証明書」でもあります。
クリックすると旧旅券

下記は私が初めて海外に行った時の台湾のビザ(査証:さしょう)と入国印と出国印です。あの頃は台湾もビザが要りました。右の写真は初めてのパスポートの写真です。昔はほぼ正方形の写真で、上にシールが貼られていました。
  ビザ発給 1988年2月23日
  台湾入国 1988年2月29日
  台湾出国 1988年3月06日
その時のフライトは下記のとおりです。都市名は宿泊地です。
  1988年2月29日 成田→台北 EG  台北 羅東 台北
  1988年3月03日 台北→高雄 CI  高雄 高雄
  1988年3月05日 高雄→台北 CI  台北
  1988年3月06日 台北→成田 EG
EG:日本アジア航空  CI:中華航空
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そしてこちらが日本を初めて出入国した時のスタンプです。
  日本出国 1988年2月29日
  日本入国 1988年3月06日


パスポートに記載されている渡航先に関する記述は次の通りです。
1冊目および2冊目
This passport is valid for all countries and areas except North Korea (Democratic People's Republic of Korea).
3冊目以降
This passport is valid for all countries and areas unless otherwise endorsed.
日本のパスポートは現在173ケ国にノービザ(査証免除)で入国できます。それより多い国も沢山あります。一番はドイツです。よく、日本のパスポートは世界最強と書かれていることが多いけれども実は12位群なのです。したがって日本のパスポートはトップクラスと表現するのが正確な言い方だと思います。本順位は2016年に発表されて内容でです。
つまり日本は193ヶ国と6地域の合計199ヶ国中の86.9%(=173÷199)の国にノービザ(査証免除)で入国できるのです。
 177ケ国 ドイツ
 176ケ国 スウェーデン
 175ケ国 フィンランド フランス イタリア スペイン イギリス
 174ケ国 ベルギー デンマーク オランダ アメリカ
 173ケ国 オーストリア シンガポール 日本
 172ケ国 韓国 カナダ アイルランド ルクセンブルク ノルウェー スイス
 171ケ国 ギリシア ニュージーランド
 169ケ国 オーストラリア
 168ケ国 マルタ
 167ケ国 チェコ、ハンガリー、アイスランド

これからはビザを見る機会が無くなってくると思うので、私として最も新しいビザが貼られたページを紹介します。カザフスタンのビザです。2011年11月29日に入国して2011年12月2日に出国した時に使用しました。昔は上の台湾のビザのように印でしたが、今はシールを貼るタイプがほとんどです。
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増補のページも紹介します。この増補してもらったのは2010年12月15日です。その時の記事「サプリメント」はこちらです。 → ポチッ
下の写真の左側がオリジナルで右側が増補の部分です。増補の最初のページと最後のページは透明シールでオリジナルのパスポートとつながります。
クリックすると拡大シールとオリジナルは圧着式の押印で割り印が押されると増補の効力が発生すると増補の最初のページに書かれています。枠内にその内容を記載します。右の写真は増補したばかりの時の同じページです。
ちなみに左のページに押されているのはモロッコの入出国の印で、右のページに押されているのは中国の入出国の印です。モロッコの印は増補時にもありました。
押印をもって旅券に貼付されたこの増補部分は、旅券の一部をなすものである。
This supplement, affixed under seal, forms a part of the passport.
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これが圧着タイプの割り印です。
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クリックすると拡大増補の最後のページも紹介します。右の写真は増補した当初の写真です。
下の写真の左側が増補部分で、右側がオリジナルの最後のページです。やはりシールでつながれていて、圧着タイプの割り印が押されています。オリジナルのパスポートの全ページにはパスポート番号の穴があけられていますが、数字の部分は消さしていただいています。増補のページはパスポート番号ではなくSUPPLEMENTの穴があけられています。増補の最後のページに押されている入出国印はベトナム(青)とウクライナ(赤)です。
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クリックすると拡大monkeyさんのコメントに対する回答を書いていて、右の写真の2冊目のパスポートも増補したことを思い出しました。その増補には小さなドラマがあったことも思い出しました。下記の写真でページ番号がS-2とS-3から、このページが増補であることが分かってもらえると思います。実は台湾で建設する発電プラント用の蒸気タービンの最重要部品であるローターを、台湾の基隆港(キールン港)で荷下ろしするときに地面に落としてしまう突発的な事故があったのです。状況確認と保険メーカーと客先に説明する必要があることから、すぐに台湾に行こうとしたのですが、ビザを貼る白紙のページがなかったのです。本庁(大手町)に理由を説明して特別扱いで、即日に増補してもらい、その足で領事館に行ってビザをもらい、随行してくれた旅行会社の人に渡して航空券を発行してもらい、翌日に台湾に飛んだことがありました。 特別に増補してもらえたので後で始末書(今後は事前に増補しておく宣誓書のような書類)を本庁に提出いたしました。
 事故連絡   1992年6月17日 ビザを貼るスペースがないこと判明
 特別救済増補 1992年6月18日 外務省本庁で増補
 ビザ発給   1992年6月18日 本人による当日発給
 航空券発行  1992年6月18日
 台湾入国   1992年6月19日
 台湾出国   1992年6月21日
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驚いたことに1冊目の時はサインは日本語と英語の2種類でした。2冊目からはサインは1種類に統一されました。3冊目以降はサインと写真のページの形式は今回の6冊目(2017年02月23日発行)まで同じです。
1冊目(1983年11月28日発行)   2冊目(1988年10月28日発行)

3冊目(1993年10月04日発行)   4冊目(1998年06月14日発行)


1冊目と2冊目の時代は写真のページとパスポート情報は別のページでした。さらに身長の情報も書かれていました。


私が持っているパスポートより古い旅券(パスポート)を紹介いたします。ここの6枚の写真に関してはネットから転用させていただきました。
1822年         1878年   明治後半 ~ 大正時代
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1926年         1951年        1965年
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

参考ですが外国人が日本に入るためのビザです。本写真はWikipediaから転用させていただきました。日本のビザのタイプは外交査証、公用査証、就業査証、留学査証、観光査証、一般査証、短期滞在査証、通過査証、医療滞在査証、特定査証がありますが、写真のビザは通過査証の二次査証というタイプです。
 通過査証 : トランジット・ビザ IN TRANSIT (T)
 二次査証 : 2回有効ビザ    DOUBLE Visa
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双子たまごと三浦大根で、すき焼き [料理]

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クリックすると拡大ゴルフからの帰りに九十九里ファームの直売所コッコに寄って双子卵(ふたごちゃん)やヨーグルトや野菜などを買ってきたことは2017年2月27日に掲載した記事「 双子のたまご」で紹介しました。
せっかく大きな卵が手に入ったのですき焼きをすることにいたしました。いつも卵1個だと足らないことが多いのですが今回の双子卵の大きさならは1個で十分な気がしたからです。九十九里ファームで買っきた野菜の中に三浦大根(みうらだいこん)もあったので、大根おろしも用意いたしました。右は九十九里ファームの直売所コッコのレシートです。三浦大根の値段は税込みで120円で、大きな双子たまご(ふたごちゃん)は10個で260円(消費税込み)でした。買い物をしは2017年2月25日(土)14時41分でした。

三浦大根を切る前の写真を撮り忘れたのですが、こちらの写真で大きさが想像していただけると思います。陶器製のおろし器の直径は16cmです。この大きさで1本が120円だったのです。
三浦大根は、神奈川県の三浦半島特産のダイコンの品種で、かつては三浦半島の主力品種でしたが1980年頃を境に作付が激減して青首大根に主力の座を譲った大根でもあります。三浦大根は白首大根系の品種で、重さは通常でも2.5~3kgあり、大きいものでは5kg〜8kgにもなることから、軽量な青首大根が普及して三浦大根が減った原因は農家の高齢化も無縁ではないと感じました。
首の部分が細くて尻に向って太くなる「中ぶくら」で収穫時に抜き難くいことも高齢化が進む農家から敬遠される原因となったようです。変わるきっかけになったのは1979年の台風20号によっる甚大な被害だったようです。でも房総半島で三浦大根が作られているのはうれしいことです。
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肉以外に用意した具が、糸こんにゃく(白滝)、白ネギ、しめじ、春菊です。今回、「白滝」と「糸こんにゃく」を調べてみました。関東の呼名が白滝で、関西の呼名が糸こんにゃくと思っていましたが、実は元々は製法の違いでした。
しらたきは、固まり切っていないゼリー状のものを、円筒の細い穴からところてんのように押し出したものを湯で固めます。糸こんにゃくは、固まった板こんにゃくを細く切って糸状にしたものなのでものだそうです。しらたきも糸こんにゃくも、江戸時代に誕生したものだが、しらたきは主に関東で作られ、糸こんにゃくは主に関西で作られたそうです。ただし現在の製法は同じためどちらを使っても正解のようです。
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いつも通り、砂糖と醤油だけで味付けいたしました。不思議と水分は具から出てきます。
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先ずは卵でいただきました。せっかく双子の卵なので、最初は一つの黄身だけで食べて、もう少ししてからもう一つの黄身でいただきました。すき焼きは黄身が1つの場合でも白身と黄身は混ぜないで食べます。
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すき焼きの上に今の時期となると、やっぱり熱燗になりました。
クリックすると拡大クリックすると拡大本ぐい飲みのは清水焼の秀峰窯で焼かれた秀峰作の器です。このぐい飲みを手に入れたのは37年前の1980年なので年齢から判断すると、現在の武内秀峰(真司 三代秀峰)のお父さんの武内秀峰(敬吉郎 二代秀峰)の作品だと推測されます。
雅号の秀峰の経歴は次の通りです。
 陶祖 千葉吉蔵  (号は千山 息子の千葉四郎は三男)
 初代 千葉四郎  (後に武内姓を名乗る →武内四郎 雅号を秀峰とする。)
 二代 武内敬吉郎 (1931年生まれ 1971年父・初代秀峰から継承)
 三代 武内真司  (1958年生まれ 1980年時は22歳大学生)
 窯元 京都市東山区今熊野南日吉町95番地
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クリックすると拡大器の淵の飾りは一閑人(いっかんじん)と呼ばれています。一閑人は閑な人(ひまなひと)のことで、閑人(ひまじん)が井戸を覗いている様にも見える事から「井戸覗き」とも呼ばれています。また、この小さな人形が子供の姿であることが多いため、唐の子供を示す「唐子」と呼ぶこともあるそうです。
この一閑人は三代秀峰にも受け継がれているようです。このぐい飲みに使っている器は大阪府豊中市の千里で小高杯(6個 松平泉安作)と大皿を買った時にお店の方から頂いたもです。長年愛用しており、酒器の中で一番気に入っています。本ぐい飲みを手に入れた1980年の翌年の1981年に、二代秀峰は通商産業大臣により伝統工芸士の認定を受けています。
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後半はさっぱりとした大根おろしでいただきました。三浦大根の辛みは結構ありました。
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すき焼きの後のデザートは紅茶と谷津ロールにいたしました。すでに前記事で紹介した通り谷津ロールはパティシエ ヨコヤマのロールケーキです。
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谷津ロールを拡大いたしました。
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イオンタウンで谷津ロール パティシエ ヨコヤマ [千葉]

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我家から車で5分の場所にイオンタウン・ユーカリが丘が2016年6月10日にオープンして、もうすぐ9ケ月です。
実はイオンタウンが出来る前から、有名なル・パティシエ ヨコヤマが入るとの話が話題になっていました。イオンタウンがオープンして、ル・パティシエ ヨコヤマを探しに行ってみると、お店が入るのではなくスイーツ関係の銘店コーナーにル・パティシエ ヨコヤマの焼き菓子が並べられる形式でした。
クリックすると拡大ケーキなどの生菓子はお店で作るのが前提のようなので置かれていませんでした。ケーキ類がないのが、ちょっと残念に思っていました。ところが2017年2月28日に70個限定で人気のロールケーキである谷津ロールが売られていたのです。すぐに買ってしまいました。ちなみにパティシエ ヨコヤマの焼き菓子が置かれているのは西街区のイオンスタイルに隣接した銘店コーナーです。

谷津ロールは2001年にオープンした谷津店にちなんだロールケーキなのだと思います。袋に書かれているDEPUIS 2001は谷津店がオープンした年です。写真のオーナーパティシエの横山知之さんは大阪ホテルプラザ、ホテルオークラ、ホテルニューオータニなどで修業してホテルニューオータニ幕張のシェフパティシエをしたあと、独立して谷津にお店を構えたのが2001年のようです。
クリックすると拡大 1994年 東日本洋菓子コンクール マジパン部門金賞
 1995年 マンダリンナポレオンコンクール日本大会 優勝
 1996年 マンダリンナポレオンコンクール世界大会 準優勝
 1996年 ルクサルドグランプレミーオコンクール 優勝
 1998年 ジャパンケーキグランプリ’98 優勝
 1998年 テレビチャンピオンケーキ職人選手権 優勝
 1999年 テレビチャンピオンケーキ職人選手権 優勝
 2000年 テレビチャンピオンケーキ職人選手権 優勝 三連覇達成
 2001年 千葉県習志野市谷津に「ル・パティシエ ヨコヤマ」オープン
 2005年 大久保店オープン  ル・パティシエ ヨコヤマ 2号店
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2月28日に買った谷津ロールの賞味期限は3月2日と2日間だから、イオンタウンで売られていたのだと思います。普段は焼き菓子以外は売られていませんが2月28日は特別に売られていたのです。2月28日のイオンタウンはWAONポイントカードの提示で5%引きとなるために平日にもかかわらずお客の数が多いのも関係していたのかもしれません。谷津ロールもWAONポイントカードの提示で5%引きとうれしいサービスでした。私は当日偶然知りましたが、谷津ロールは入荷が決まった時点で数日前から表示されるそうです。
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まだ午前中でしたが、家に帰ってすぐにいただくことにいたしました。ロールケーキは丁寧に包まれていました。
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斜めからも撮りました。イオンタウンのパティシエヨコヤマで売られている焼き菓子を記事に書かれている方がおられました。→ポチッ
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内側の紙を丁寧に外すとロールケーキが出てきました。材料は生クリームと卵と砂糖と小麦粉とバターと膨張剤だけのシンプルなケーキです。それだけに素材と分量のバランスが大切なのだと感じました。
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美味しい静岡の日本茶でいただきました。
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たっぷりの生クリームと、ふわふわのスポンジケーキは絶妙で、いくらでも食べてしまいたくなる美味しさでした。
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2月28日の夕食後のデザートでいただきました。この時は紅茶にいたしました。いろんなところのスポンジと生クリームだけのロールケーキと食べ比べてみたくなりました。
卵が売りの九十九里ファームもロールケーキ(たまごロールケーキ)が売られていたので、次の機会にはそちらも買ってみたいと思いました。
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イオンタウン・ユーカリが丘とル・パティシエ ヨコヤマの大久保店と谷津店の場所を紹介します。私は大久保店から2.4kmの場所(━━)に住んでいたことがありますが、その時はOpenの10年以上前のため、お店はありませんでした。
右の写真は京成大久保店です。着色文字をクリックすると拡大クリックすると過去記事を表示します。
  イオンタウン ユーカリが丘
  ル・パティシエ ヨコヤマ 京成大久保店
  ル・パティシエ ヨコヤマ 谷津店

シャンボール城 その4 屋上編 [ロワール]

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フランス・ロワールにあるシャンボール城で、クリックすると拡大有名な二重の螺旋階段を上った目的の一つは、城の屋上に出るためです。眺望がすばらしいだけでなく沢山の塔を間近で見ることが出来るためです。上の写真で下から3分の1のところが、屋上です。その屋上からいろんな形の塔が建っているのが判ってもらえると思います。

螺旋階段から屋上に出るための出入り口です。螺旋階段はさらに上に続いていることもわかってもらえると思います。
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クリックすると拡大屋上の部分を真上から見たGoogle航空写真です。
右の写真は城の建物の全体の航空写真です。
四隅と中央に大きな塔が建っており、その周りに大小の沢山の塔が建っていることが判ります。
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森の中の木のように沢山の塔が建っていることが分かってもらえると思います。
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中央の塔を真下から見上げました。
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中央の屋根の上の塔も独特な形です。
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その塔の部分を拡大いたしました。
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四角い塔、丸い塔といろいろです。窓の形も四角、三角、菱形、丸といろいろありました。
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大きな四隅の塔の周囲は回廊になっていて見事な景色を見ることが出来ました。
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中庭の隅の塔です。その3の螺旋階段編で紹介した螺旋階段も上から見ることが出来ました。
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石の手すりも見事でした。
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四隅の塔の一つの塔の周囲です。
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中央に近いところからの景色です。塔に囲まれていました。
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中央の塔の先端を見上げました。
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四角い塔も見上げました。
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塔と緑の景色はタイ仕様的でした。
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補修工事が行われている塔も間近で見ることが出来ました。
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沢山の彫刻で飾られていました。
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手の届くところにあるので、石の壁にはいたずら書きありました。
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見事な彫刻に関してはガイドの方から沢山説明を受けました。
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こちらも見事な飾りです。屋上はこのような彫刻に出会える場所でもありました。
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屋根越しに見た塔です。目の前で見ることが出来ます。
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窓の透明なステンドグラスも見事でした。シャンボール城は1519年~1547年に建設されました。470年以上前にこれほどのガラス窓を作る技術があったのには驚かされます。
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いろんな角度からいろんな塔を紹介したくなります。
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これが中央塔の先端部分です。
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中央の塔です。上の写真の先端部分が判ると思います。
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出来り全体を撮った中央の塔です。
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中央の塔の下の部分です。螺旋階段への出入り口が確認できます。
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塔の上の飾りも見事です。
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真下から見上げる構図が多くなります。
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中央の塔の周囲です。
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螺旋階段の出入り口に戻ってきました。
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奥時様の見学が終わって、螺旋階段から下に降りました。


フランス旅行6日目となったロワール地方の城めぐりバスツアーでの、シャンポール城( )と他の訪問場所を紹介します。この地図で示す通りロワール地方はパリの南西方向にあります。ロワールの城めぐりツアーでの最後の場所がシャンポール城でした。つまり①→②→③→④→⑤→①と廻りました。
  ① マイバス社パリ事務所  B
  ② シュノンソー城
  ③ クロ・リュセ城(ダビンチの家)
  ④ La Cave aux Fouées (ランチを食べたレストラン)
  ⑤ シャンポール城
 ━━ ロワール城めぐりのツアールート 495km