マウナケア・ツアー その4 マウナケア山頂(標高4205m)へのルートからの景色と山頂から見る沈む夕日 [ハワイ]
今年は7月に北海道に行くつもりでしたが、新型コロナのために中止しました。海外旅行も長く行っていないので、中断していたハワイ旅行の記事掲載を再開したいと思います。ハワイ島の標高4205mのマウナケア山(マウナケア)の中腹の標高2800mまで登ったところまで書いていたので、本記事では標高2800mのオニヅカ・ビジター・ステーションからマウナケア山頂までの景色と、山頂から見る沈む夕日を紹介したいと思います。実はオニヅカ・ビジター・ステーションでカメラに関して大失敗をしてしまったのです。カメラは一眼レフとコンデジ2台(1台は予備)を旅行には持ってきたのですが、夕日を撮ることからメインで使っている一眼レフの手動設定を調整している時にモノクロ(白黒)設定になってしまったのです。そのことに気がつかずに撮ったことからオニヅカ・ビジター・ステーションを出発してから翌日の14時頃までの写真が全て白黒になってしまい、そのために上の写真のように夕日が白黒写真になってしまいました。コンデシで撮った写真はもちろんカラーなのですが、山頂では1度も使わなかったために山頂の写真は1枚もカラーがないことになりました。予備のコンデシはオアフ島のホノルルのホテルに置いてきました。
Google地図の航空写真にルートを書き込みました。本記事(その4)はオニヅカ・ビジター・ステーション(❺)からマウナケア山頂(❻)までを紹介したいと思います。右の図はGoogle地図で表示されるプロフィールマップです。
オニヅカ・ビジター・ステーションには16時37分に到着して17時46分に出発いたしました。標高差(❻ - ❺)は1396mでした。写真には沢山の噴火口が写っています。下記に書いている標高はgoogle地図で表示された数字です。
車と同じルートですが徒歩でのルート表示も紹介します。→ポチッ
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2805m)
❻ 沈む夕日を見た場所 マウナケア山頂近く(4201m)
記念写真撮影場所 カルテクサブミリ天文台の前(4077m)
出発地の標高2805mにあるオニヅカ・ビジター・ステーションです。ここはホテルを出発してから3番目の休憩場所でした。このハワイ旅行はネットからの次の3つの予約(契約)で構成されています。③のハワイ島ツアーの予約にはハワイ島の1泊のホテル代と、オアフ島とハワイ島の往復のチケット代と、オアフ島のホテルと空港のリムジン手配が含まれています。2つのツアーとは1日目がマウナケアツアーで2日目がハワイ島一周ツアーでした。オアフ島内の旅行は自分たちで前日に計画して路線バスやタクシーなどを使って行いました。
① 往復の航空券の予約 航空会社(JAL)
② オアフ島のホテルの予約 ホテル予約サイト
③ ハワイ島の2つのツアーの予約 現地旅行会社
出発地点から登っていく方向を紹介します。よく見ると写真の一番上の辺りに土ぼこりが写っています。ガイドの方の話では、ここから先は個人の車は入れません。先住民に許可された旅行会社などの車だけが登ることが出来るそうです。
土ぼこりの辺りを拡大いたしました。この道を登っていくのです。ジグザクの道が見えます。
出発してすぐのバスの中からの景色です。バスの中からはコンデシと一眼レフで撮りました。カラーの写真はコンデジで撮った写真です。先ずは山頂の沢山の天文台が見える標高4077mのところまでノンストップで登ります。そこでバスから降りて写真撮影をした後に目的場所である山頂(4205m)近くの約4200m(Google地図では4201m)のところまでバスで登りました。先ずは標高4077mまでのバスの中からの景色を紹介いたしますので登っていく雰囲気を感じてもらえれば幸いです。メインのカメラは白黒ですが、登っていく途中ではコンデジも作ったのでその写真だけはカラーです。見えている建物はオニズカ国際天文学センターで山頂にある天文台の人達などの宿泊設備もあるようです。
標識を撮ってみました。書かれている文字を手前から紹介します。真ん中の標識を見るとこの先に登るためには4輪駆動車が条件のようです。
WARNING ROAD WORK IN PROGRESS
USE YOUR FOUR WHEEL DRIVE
ROAD NARROWS PROCEEF WITH CAUTION
出発地点のオニヅカ・ビジター・ステーションが見えました。遠くに見えるなだらかな山は世界最大の体積(75,000㎦)のマウナロア(標高4169 m)です。マウナロアは今でも噴火を繰り返している危険な火山です。
ほぼ同じ場所から広い範囲を撮った写真です。
バスの中から進行方向の景色を紹介します。バスの右側の一番前の席に座っているのでこのような写真を撮ることが出来ました。窓からの景色も進行方向に対して全て右側の景色だと思ってみてください。
南東方向を撮った写真です。雲海が広がっていました。
同じ構図の広い範囲の写真です。上の写真はズームで撮った写真です。
少し上り坂が急になってくると道路は舗装はされていません。
道が細くなっているところもありました。
小さな火山の間に道が見えます。そこに建物が見えるところがオニヅカ・ビジター・ステーションです。遠くのなだらかなな大きな山がマウナロアです。
雲海が広がっている景色です。
山肌に沿って登っていきました。
少し緩やかになり左右が高い場所もありました。なかなか山頂は見えてきませんでした。
遠くに高くなっている場所がありました。それぞれが噴火で出来たのだと思います。
左端の高い山に向かって道が伸びています。
ひときわ高い山があり、これから登る道が見えることから山頂があるところだと思います。
その山を拡大いたしました。
ここは赤色の溶岩ですが黒い溶岩もありました。バスは揺れながら走っているので近いところはぶれています。
山に近づいてきました。
上の写真の道がある山の真下まで来ました。
その山を登っていくと天文台が見えてきました。一番手前が日本のすばる天文台です。
さらに近づきました。
すばる望遠鏡の間近まで来ました。山頂から夕日を見る場所からは、夕日が沈む方向に最も近かったのが、すばる望遠鏡でした。
正式名称 国立天文台ハワイ観測所 大型光学赤外線望遠鏡
愛称 すばる望遠鏡
運用組織 日本自然科学研究機構国立天文台ハワイ観測所
観測開始年 1999年
標高 4,139 m (13,579 ft)
観測波長 可視光・赤外線
形式 主焦点/リッチー・クレチアン/ナスミス式
口径 8.2m
分解能 0.23 秒 ウィキデータを編集
開口面積 53m2
焦点距離 16.4m(主焦点)
架台 経緯台
ドーム cylindrical dome
ツアーバスの中から、いろんな天文台を見上げる形で見ることが出来ました。窓に反射が見えるのでバスの車内であることが分かっていただけると思います。
冒頭で説明した通り標高4077mのところで車を下りました。主な目的は写真を撮るためでした。この時18時12分でした。このドームはカルテクサブミリ波天文台(Caltech Submillimeter Observatory)です。
この場所の航空写真はこちらです。→ポチッ1 ポチッ2
車から下りて撮った写真です。これから一番高いところにある天文台の辺り(標高4201m)まで登ります。標高差は124mですが、一旦は4042mまで下がってから159m登ります。
我々のバスを入れて上の写真と同じ方向を撮りました。
別の方向からも撮りました。ここには12基の望遠鏡があります。
1インチは25.4mmです。
カルテクサブミリ波天文台 カリフォルニア工科大学
カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡 カナダ、フランス、ハワイ大学
ジェミニ北望遠鏡 米国 英国 カナダ チリなど7ケ国
赤外線望遠鏡施設 NASA
ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡 英国 カナダ オランダ
すばる望遠鏡 日本国立天文台
サブミリ波干渉計 台湾 アメリカ
イギリス赤外線望遠鏡 英国
ハワイ大学88インチ望遠鏡 ハワイ大学
ハワイ大学24インチ望遠鏡 ハワイ大学ヒロ校
超長基線アレイ 米国
W・M・ケック天文台 カリフォルニア天文学研究協会
沢山の天文台が写った航空写真を紹介します。判りやすいように縮尺の違う2つの航空写真を掲載しています。ケック天文台の左下隣りに、すばる望遠鏡が入ったドームがあります。青色ラインがツアーバスが通ったルートで、❻がマウナケア山頂近くでツアーバスが駐車した場所で、が夕日撮影場所(標高:約4200m)で、が記念写真撮影場所(標高:4077m)です。
これは旅行でのメイン(一眼レフ)のカメラで撮った写真なので白黒のはずですがカラーです。実はガイドの方に記念写真を撮っていただくためにオート(自動)に切り替えたのです。つまりカメラを自動にしていれば全てカラーだったわけですが、記念写真を撮った後に自動に戻しました。暗くなっていないのに手動にする理由はピントを合わせるところをスポット(1点)にしたいためです。自動にすると多点になってしまうので自分でピントを合わせたい点が選べないからです。そのために普段も手動ですが、シャタースピードと絞りは自動なのです。
数少ないカラー写真なので、天文台の部分を拡大いたしました。
標高4077m場所での写真撮影が終わったら標高約4200mを目指して出発し、本写真の頂上への分岐点(標高:4042m)に戻りました。左から大きく外側をカーブして右から曲がってくる道が登ってきた道です。その途中から左に曲がっているのが山頂への道です。
山頂に向かって登り始めると視界が広がってきました。
雲海も遠くに見えています。
遠くに見える標高4169mのマウナロアも水平線と同じ高さになってきました。空もきれいでした。
最後の急阪です。外の景色を水平に撮るとバスが急阪を登っていることが実感していただけると思います。
外の景色を拡大いたしました。高さ4200mからの景色です。これだけ見ていると飛行機からの景色のようにも見えます。
山頂近くの天文台が見え始めました。
さらに進むと車を停める場所に近づきました。我々のバスが停めた場所は車で行ける最も高い場所でした。Google地図で確認すると4201mなので山頂の目指す場所の標高は約4200mといたしました。今までに飛行機以外で標高4000mを越えたのは今回が2回目です。初めては九寨溝・黄龍ツアーで雪山梁峠(標高4007m)を越えた時です。
バスの中から撮った最後の写真です。写真で見えている最も高いところがマウナケアの最高峰(4205m)です。最も近くなる位置で最高峰を撮りました。直線距離で260mです。反対側の窓が反射しています。その中に太陽も見えます。
車から下りて東方向を撮りました。雲にマウナケアの影が映っています。
ズームを広角にして広い範囲も撮りました。マウナケアの大きさが間接的に分かってもらえると思います。
皆さん、日没の瞬間を見るために西側に集まり始めました。右の方に夕日があります。左端のドームはイギリス赤外線望遠鏡(UKIRY)です。
雲から山が覗いています。我々が建っている標高4200mの高さが実感できる景観でした。
北西方向の景色です。太陽は左方向にあります。
上の写真よりもカメラを太陽方向に向けました。一番左の天文台が日本の「国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡」です。すばる望遠鏡のある標高は4139mです。
太陽に背を向けて東方向を撮った写真です。影が長く伸びていることから太陽から水平方向から日が差していることが分かっていただけると思います。右に見えている小山の部分がマウナケアの最高峰の標高4205mです。
こちらの場所から夕陽を見ました。皆さんが見ている雰囲気が伝わるでしょうか。右端の天文台がGemini Observatoryです。その左側がカナダ・フランス・ハワイ大学望遠鏡で、左端の天文台がNASAの赤外線望遠鏡施設です。
太陽を正面から撮れる暗さになってきました。太陽に最も近いのが、すばる望遠鏡です。すばる望遠鏡の右側の2つのドームがW・M・ケック天文台です。
上の写真から切り取りました。冒頭に使った写真でもあります。きれいな夕日でした。カラー写真で夕日を紹介出来なかったのが残念です。
すばる望遠鏡を中心に撮った写真です。
太陽から左方向の写真です。
少しづつ暗くなっていきました。
最も広い範囲で撮った写真です。
露出を少し変えて撮った写真です。実際の明るさは上と下の写真と同じです。
歓声が出る景色になってきました。
きれいな景色になったところで家内にポーズをとってもらいました。夕日が見れるかどうかは運次第のために夕日が見れない時もあるそうです。
朝出発した時から曇り空だったので実は心配していました。移動中も山頂には雲がかかっていたので、夕日が見えないこともあるとガイドさんが話していました。多分大丈夫だと感じたのはマウナケアに近づいてからでした。ハワイ旅行の目的の一つが達成された瞬間でした。
夕日は雲に隠れ始めました、これから見えなくなるまで早かったです。
拡大いたしました。すでに雲を通しての光になってきていました。
暗くなった来た雲海です。
少しづつ夕日が欠けていきました。
拡大するとカメラが露出調整するので、すでに太陽の一部が雲に隠れていることが分かりました。
上の写真よりさらに太陽が下がったことが分かっていただけると思います。
太陽の上の部分は雲に沈みました。雲の切れ目から太陽の一部が見えている状況となりました。肉眼では分かりませんがカメラを覗いていると判りました。
さらに太陽が沈んだ写真です。
上の写真から太陽の部分を拡大しました。
完全に太陽が見えなくなりました。
太陽が完全に沈んで見えなくなり、ツアー客の人たちも帰り支度を始めました。
さらに50秒後には人が少なくなりました。山頂に留まる時間は先住民の人たちとの間で決められているそうです。この時19時08分でした。バスに戻りながら振り向いて撮った写真です。
残念ながら山頂でのカラー写真が無いので比較のために下山途中の右の写真から切り取った写真を紹介します。時間は19時14分なので上の写真の6分後です。これを参考に山頂の白黒写真の色を想像してみてください。右の写真には道路脇にポールが立っていますが、下の写真ではそのポールを消しています。
バスに戻りました。オニヅカ・ビジター・ステーション(標高2805m)に到着したからマウナケア山頂(標高4201m)で夕日を見てしゅっば津するまでタイムテーブルは次の通りです。山頂で滞在時間は40分でした。標高2805mの出発地点から山頂までの所要時間は43分ですが途中ので10分間の写真撮影タイムがあったので標高差1396mの未舗装の道路を実質33分でツアーバスは登ったことになります。かなりのパワーがあるバスのように感じました。
標高 到着時間 出発時間 滞在時間
出発地点 2805m 16時37分 17時46分 1時間09分
記念写真撮影場所 4077m 18時12分 18時22分 10分
マウナケア山頂 4201m 18時29分 19時12分 43分
これから標高が約2800mの場所まで下ってツアーバスに積んであった天体望遠鏡を使って星座観測です。続きは、その5で紹介します。
その1とその2の記事でも掲載していましたが、分かりやすいように本記事でもハワイ島全体の航空写真にマウナケア・ツアー全工程を書き込みました。ホテルを13時50分に出発してホテルに戻ったのが23時頃だったので9時間を超えるツアーでした。さらに言えばオアフ島のホテルを朝の6時20分にチェックアウトしてからの旅だと考えるとこの日は16時間40分の旅だったと言えるかもしれません。翌日にはハワイ島一周ツアーに行きました。マウナケア・ツアーは全員がロイヤル・コナ・リゾートの宿泊客でしたが、翌日のハワイ島一周・ツアーはいろんなホテルの宿泊客で、ツアーバスはホテルを廻ってピックアップいたします。そのことからもマウナケア・ツアーの人気がうかがえました。マウナケア・ツアーでは同じ旅行会社のツアーバスを見かけました。マウナケア・ツアーもハワイ島一周・ツアーも我々のようにオアフ島から参加した人は我々2名だけでした。確認すると、ほとんどがJTBなどの日本の旅行会社のオプショナル・ツアーを申し込んだ人たちでした。
❶ チェックイン・ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
❷ 夕食用弁当などの積込み Wolmart
❸ 最初の休憩場所 アイランド・グルメ・マーケット
❹ 2回目の休憩場所 マウナケア州立公園(1989m)
❺ 夕食および高度順応場所 オニヅカ・ビジター・ステーション(2805m)
❻ 沈む夕日を見た場所 マウナケア山頂(4201m)
❺ 夜空の星座を見た場所 オニヅカ・ビジター・ステーションの近く
❶ 宿泊ホテル ロイヤル・コナ・リゾート
追伸
2020年9月20日の早朝から関西に行きます。関西からは山口県まで日帰りで墓参りにも行ってきます。家に帰ってくるのは9月28日の夕方のフライトのため、それまではネット環境の関係で皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
2020年9月26日追記 タイトル:岩徳線に乗りました。
山口県の墓参の行き帰りのルートは下記の通りです。写真は岩徳線の一両編成のディーゼル車です。小学生の頃は蒸気機関車でした。周防久保(バス停名:久保駅前)は私の祖父・祖母が住んでいた場所です。私が子供の頃(右の写真)には広島の井口から祖父・祖母の家に行く時には岩徳線に乗りました。子供の頃の右の写真をクリックすると大きく拡大します。私が最後に岩徳線に乗ったのは20歳の時なので、今回の墓参りでは、岩徳線に乗るのも目的の一つでした。今までの墓参りでは母の弟にあたる私の叔父さんが新岩国から車で送ってくれたので岩徳線に乗る機会はありませんでした。叔父さんが車の免許を返納したため、徳山からタクシーで往復するのが一番順当な方法なのですが、新型コロナのために今回の墓参りは母は行かなかったので私一人で身軽だったことから岩徳線に乗ることにいたしました。近いうちに右下の写真の周防久保駅などを詳しく紹介したいと思います。
行き:逆瀬川→(阪急)→宝塚→(JR)→新大阪→(新幹線)→徳山→(防長バス 330円)→久保駅前
帰り:周防久保→(JR岩徳線)→岩国→(JR山陽本線)→広島→(新幹線)→新大阪→(JR)→大阪→(阪急)→逆瀬川
下の写真は山口県まで日帰りで墓参りに行ったときの帰りに広島駅で、その日の夕食用に買ってきた広島流お好み焼きと宮島口の名物の穴子飯です。2つ買ったお好み焼き(900円x2 税込)は母とそれぞれ食べて、1つだけ買った穴子飯(1400円 税込)は2つに分けていただきました。
カプレーゼも作りました。 [料理]
2020年9月16日追記 タイトル:カプレーゼも作りました。
新鮮なバジルがあれば作りたくなるのが上の写真のカプレーゼです。バジル冷奴を作った時からトマト・バジル・モッツァレラのカプレーゼを食べたいと思っていましたが家内が関西の実家に帰省していたので、今まで出来ませんでした。家内の帰省中にフレッシュタイプのモッツァレラチーズを買っておきました。ベーコンステーキの翌日にカプレーゼが実現しました。レシピは次の通りです。今回のドレッシングはオリーブオイルと柚子コショウ胡椒ですが、オリーブオイルと塩とコショウでも美味しいと思います。
トマト 9切れ
フレッシュバジル 9枚
フレッシュ・モッツァレラチーズ 100g
エクストラバージンオリーブオイル 適量
柚子こしょう 適量
使いやすいので、下のパッケージのモッツァレラ(Mozzarella)を買いました。モッツァレラはイタリア南西部のカンパニア州が原産のチーズで、熟成工程を経ないため、フレッシュチーズに分類されるそうです。名前の由来は「引きちぎる」のイタリア語のmozzareに由来しているそうです。
カプレーゼを拡大いたしました。まだドレッシングはかけていません。食べる時にとり分けてその都度ドレッシングをかけました。
日本では単にカプレーゼ(Caprese)と呼んでいますが、フリー百科事典のWikipediaによるとイタリアなどではSalade Caprese(サラダ・カプレーゼ)あるいはInsalata Caprese(インサラータ・カプレーゼ)と呼ばれているようです。日本ではカプレーゼ・サラダと呼ぶこともあるようですが、あまり聞きません。Insalata Capreseを直訳すると「カプリ島のサラダ」という意味になるそうです。
ワインも考えましたが、前日がワインだったのでこの日はビールにいたしました。
前日がベーコンステーキだったのでヘルシーな夕食にいたしました。カプレーゼと冬瓜の玉子スープとシラスおろしです。
オリーブオイルと柚子コショウのドレッシングをかけてすぐに食べました。
こちらが冬瓜の玉子スープです。
シラスおろしの写真も紹介します。大根おろしの上にシラスを乗せました。
最後に冒頭に掲載したトマト・バジル・モッツァレラのカプレーゼで締めくくります。記事にしたのは今回で3つ目ですが何度もカプレーゼを作っていました。レストランでもよく注文しました。
我家 → ポチッ1 ポチッ2
レストラン→ ポチッ3 ポチッ4 ポチッ5 ポチッ6
2020年9月15日追記 タイトル:ハワイの塩でバジル冷奴
今回はハワイの塩のALAEA SALTを使ったバジル冷奴を紹介します。今回使うアラエア ソルト(Alaea salt)はハワイのカウアイ島で作られている赤色をした結晶の大きな塩です。娘がハワイでお土産として買ってきてくれたものです。アラエア(Alaea)はハワイ語で赤土という意味で、鉄分を多く含む海底にある火山の赤土(アラエア)の成分が僅かに含まれているために赤色をしているのです。
今までのバジル冷奴は絹ごし豆腐を使っていましたが、初めて木綿豆腐を使いました。赤色の塩を使うことで、赤と緑と白のイタリア色に黄のオリーブオイルが掛かってカラフルな冷奴になりました。
この日の夕食はサラダとバジル冷奴と冬瓜のスープとベーコンステーキでした。右上の小さな肉が、テーブルの上に置いたLODGE社の鋳鉄製のフライパン(スキレット)から切り分けたベーコンステーキです。
これが焼きあがったベーコンステーキです。ベーコンは脂が多いので弱火でじっくりと焼いて脂を落としました。
肉料理とくれば、赤ワインです。オリーブオイルがかかったバジル冷奴にも赤ワインが合うこしは実証済です。
ベーコンは信州ハム製の塊です。信州ハムの工場は長野県上田市下塩尻950にあります。
こちらが焼く前のベーコンです。上ですでに書かせていただいているように脂が多いので弱火でじっくりと焼いて脂を抜きました。前日にもベーコン料理を作ってもらいました。
こちらが前日に作ってもらったベーコンとゴーヤと赤ピーマンが入ったコーンチャウダーです。ゴーヤはいつも辻切りなどでお世話になっているKさんら頂いたものです。
こちらが冬瓜のベーコンスープです。たっぷりと冬瓜とベーコンが入っています。
こちらが冬瓜です。この冬瓜の半分を使いました。こちらの冬瓜もKさんからのいただきものです。我家の料理用ハカリでは半分に切っても重すぎで計れませんでした。冬瓜の分類が気になったので調べてみました。
界 植物界 Plantae
門 被子植物門 Magnoliophyta
綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 スミレ目 Violales
科 ウリ科 Cucurbitaceae
属 トウガン属 Benincasa
種 トウガン Benincasa hispida
デザートは大粒のナガノパープルが出てきました。1房が640gあったので2~3日食べれそうです。
2020年9月14日追記 タイトル:バジルの花の冷奴
右の写真は9月8日の時点の我家のバジルですが、数日でかなり花も増えたし花の房も伸びてきてバジルは咲かしている花の量が多くなってきたので9月11日に花と咲く前の蕾だけの冷奴を作ってみることにいたしました。
これが採った花です。花が咲き終わると堅くなってくるので、基本的に柔らかい花が咲いている部分から先を先を使うことにしました。葉も少しとりました。
花の房は、飾りに使う1本を除いて、バラバラにして豆腐の上の全て乗せました。葉はちぎって豆腐の周りにちりばめました。
この日も和風の冷奴を用意いてしました。左がシソの葉と生姜の和風の冷奴で右がバジルの花の冷奴です。オメガ3脂肪酸のDHAとEPAを摂るためにイワシの缶詰を1缶あけました。オメガ3脂肪酸は油の中に含まれることから、多くが汁の部分に多く含まれるため、缶詰の汁は電子レンジ温めて味噌汁に入れました。そうすることで缶詰の中に入っているDHA2640mgとEPA2130mgすべてを食べたことになります。
以前に掲載した青魚の缶詰のオメガ3脂肪酸の記事です。→ポチッ
バシルの花とオリーブオイルと塩は最強の組み合わせです。バジルの季節の我家の冷奴は洋風と和風で2分しそうです。シソの花や花穂のような食感でありながら香りはバジルでした。
2020年9月8日掲載
タイトル:バジルの花が咲きました。バジルを使った冷奴とカルパッチョ
我家にはバジルが3株あり、花が咲き始めたところです。花の咲き方はシソ(大葉)に似ているので分類を調べてみるとシソ科でした。シソの花に似ている理由が判りました。バジルの和名はメボウキだそうです。
バジルはシソ科メボウキ属で、シソはシソ科シソ属です。
界 植物界 Plantae
被子植物 Angiosperms
真正双子葉類 Eudicots
キク上類 Superasterids
キク類 Asterids
シソ類 Lamiids
目 シソ目 Lamiales
科 シソ科 Lamiaceae
亜科 イヌハッカ亜科 Nepetoideae
連 メボウキ連 Ocimeae
属 メボウキ属 Ocimum
種 メボウキ Ocimum basilicum
英名 Basil(バジル) Sweet basil(スイートバジル)
仏名 Basilic(バジリコ) 伊名 Basilico(バジリコ)
別の角度の花の姿も紹介します。透き通るような白色の可愛い花でした。ネットから転用させていただいた右の小さな写真のシソ(大葉)の花と似ているだけでなく花が縦に連なって咲く様もシソにそっくりです。右のシソの花の小さな写真もクリックすると拡大いたします。
バッタが食べて穴だらけになりますが、バッタの食害以外はなく、他の害虫や病気にも強いようです。バジルには普通のバジル(O. basilicum)のほかにアニスバジル(O. basilicum 'Licorice)、シナモンバジル(O.basilicum 'Cinnamon')、ダークオパールバジル(O. basilicum 'Dark Opal')、レタスリーフバジル(O. basilicum 'Crispum')、パープルバジル (O. basilicum 'Purpurescens')、ルビンバジル(O. basilicum 'Rubin')、グローブバジル(O. basilicum 'Minimum')、タイバジル(O. basilicum thyrsifolium)など沢山の栽培種があるそうです。
きれいな葉を切り取りました。実際にはこの3~4倍を採りました。家内が2020年9月5日の早朝から関西の家内の実家に行っている間にやってみたい料理があったのです。実行したのは9月6日の夕食でした。
バジルは手でちぎっって使うことが多いのですが量が多いので包丁で千切りにいたしました。一部はこの後にみじん切りにいたしました。
やってみたかった料理がこちらです。似たような料理が2皿づつ並んでいますが、上側の四角の皿がタコの刺身(たこ刺)とタコのカルパッチョです。下側の丸い皿がシソが乘った和風の冷奴とバジルを乗せた冷奴です。
先ずは和風と洋風の冷奴ですを紹介します。
こちらはいつも食べている冷奴です。乘っているのはバジルではなくシソ(大葉)です。おろし生姜もたっぷりと乗せて醤油でいただきました。
こちらが洋風の冷奴です。刻んだバジルの葉を乗せた上に塩とオリーブオイルです。もちろんエキストラバージンオイルです。飾りつけにバジルの花を乗せました。
花と一緒に食べる時に写真を撮りました。し優位に飾っていたバジルの葉も同じようにいただきました。塩とオリーブオイルとバジルの組み合わせは和風の冷奴に負けていませんでした。甲乙つけがたいというのが感想です。
塩は広島県呉市の上蒲刈島(かみかまがりじま)特産の海人の藻塩(あまびとまみしお)です。
和風と洋風なので冷酒(吟醸酒)とワインにいたしました。食材から白ワインが合いそうでしたが、家には赤ワインしかなかったので、赤ワインを開けました。オリーブオイルを使っていたためか、意外にも赤ワインは料理に合いました。特にカルパッチョには合いました。
タコのカルパッチョにしたのは、お得な蛸(たこ)が売られていたためです。最近は国産ではなくモーリタニア産でも高くなりました。このタコはちょっと珍しいセネガル産で100gが158円でした。
ご存じだとは思いますがセネガル(Sénégal)とモーリタニア(Mauritanie)の位置が判る地図を右に紹介します。地図をクリックするとアフリカ全体を表示します。セネガルはモーリタニアの南隣りの国です。
国 地域 | 人口 (人) | 面積 (km2) | 人口密度 | 海岸線 (km) | ||
モーリタニア | 4,525,700 | 1,030,700 | 4.39 | 754 | 87位 | |
セネガル | 13,100,000 | 196,190 | 66.77 | 531 | 98位 | |
日本 | 125,810,000 | 377,975 | 332.85 | 29,751 | 6位 | |
千葉県 | 6,283,760 | 5,158 | 1,218.35 | 534 | ||
東京都 | 13,993,721 | 2,194 | 6,378.29 | 763 |
こちらがタコ刺とタコのカルパッチョです。
カルパッチョのタレがこちらです。
右の料理全体の写真の右上の端から切り取り取ったので器がゆがんだ写真になってしまいました。沢山の微塵切りのバジルに、オリーブオイルと柚子醤油と柚子こしょうを適当に混ぜたものなので和風の味わいもあります。
こちらがタコのカルパッチョです。真ん中にバジルの花を飾りました。もちろんバジルの花も周囲のバジルの葉も一緒に食べました。
バジルの葉を一緒に食べた時の写真です。これは赤ワインに入ました。
こちらがタコ刺です。
タコの刺身(タコ刺)のためにワサビ醤油と酢醤油を用意いたしました。
シソの葉で包んで食べてみました。バジルがシソ科メボウキ属なのに対してシソはシソ科シソ属です。シソ(紫蘇/大葉)はシソ科シソ属のエゴマの変種に分類されているそうです。エゴマの学名がPerilla frutescensに対してシソの学名はPerilla frutescens var. crispaとなります。さらに栽培種には青紫蘇、赤紫蘇、縮緬紫蘇、斑紫蘇、片面紫蘇、縮緬青紫蘇など沢山あります。大葉と呼ばれスーパーで最も出回っているのが青紫蘇(アオジソ)です。
界 植物界 Plantae
被子植物 Angiosperms
真正双子葉類 Eudicots
キク上類 Superasterids
キク類 Asterids
シソ類 Lamiids
目 シソ目 Lamiales
科 シソ科 Lamiaceae
属 シソ属 Perilla
種 エゴマ Perilla frutescens
変種 シソ Perilla frutescens var. crispa
英名 Perilla Shiso(シソ)
完食した写真も紹介します。想像していた以上にバジルを使ったカルパッチョも冷奴も美味しかったで、バジルの葉が生えている間は今後のメニューに加わりそうです。
タコの刺身とカルパッチョを乗せていた皿は益子焼きです。ただし銘は削り取られているが分かってもらえると思います。実は家内の知り合いが、益子焼の作家の方の知り合いで、失敗作を分けもらった皿なのです。頑丈な上にサイズも手ごろなので重宝している皿なのです。
デザートはシャインマスカットにいたしました。タコを買ったスーパーで大きな房が1000円で売られていたので迷わず買ってしまいました。重さを計ってみると600gでした。毎年、長野県の生坂村の農園にハウス物を注文していて、今年も注文したのですが、天候不順のために届けられないとの電話があって今年は食べるのをあきらめていたこともあり露地物とは言え値段の安さに飛びついてしまいしました。
8月31日夕食
バジルを使った冷奴は以前に1度作っていました。味付けは上で紹介したのと同じで、バジルの葉と塩とオリーブオイルを使いました。ただし豆腐は洋風に似合った形です。このバジルの冷奴は我家のオリジナルではなくて、バジルを使った料理を検索していた時に偶然に見つけた料理でした。豆腐や冷奴で検索したわけでないのに、バジルと塩とオリーブオイルだけの冷奴が出てきたのです。その時のサイトは見つからないので、偶然に出てきたのです。
探していたレシピのサイトが9月8日が見つかりました。その画面が下記です。シンプルに「バジル 豆腐」で検索すると見つかりました。さらにcookpadの画面で「バジル豆腐」を入力すると出てきました。下記の画面をクリックするとレシピのサイトを表示します。ハンドルネームはYuminoskeさんなので弓道をしている人かもしれません。
この日のメインはハムステーキでした。LODGE社の鋳鉄製のフライパン(スキレット)で焼いてそのままテーブルに出しました。
使ったハムはこちらの信州ハム製のロースハムでした。
ハムステーキはサラダの横に置いて写真を撮りました。
サラダの横に置いて写真ょ撮った後は、いつまでも熱々で食べたかったので鋳鉄製のフライパンに戻して食べやすいように切りました。
この日は赤ワインにいたしました。
この日の夕食はフォークとナイフだけでいただきました。
9月3日夕食
ハムステーキはもう一度やりました。その時はバジルをサラダに飾りました。
これがハムステーキです。
9月4日昼食
バジルを使ったスパゲッティーも紹介します。
先端の花芽の部分も飾りのために乗せました。
沢山のバジルをを千切りにして使いました。これで2人前の量です。
お絵の写真を見るとバジルが多いようですが混ぜると、この写真のように目立たなくなります。
スパゲッティーは市販のスパゲッティーソースを使いました。ただし、バジルの味を楽しみたくて上の写真にはガーリックやペペロンチーノのトッピングはかけていません。
半分食べたところでトッピングをかけました。半分の量に対してこのペペロンチーノの量なので、かなりの辛さになりました。最初からトッピングをかけた方が良かったようです。
初めて家で出来たバジルを使ったのは6月22日でした。その時は写真でまだ小さかったです。強い風が吹くと倒れてしまいそうだったので添え木をしていました。
我家で出来たバシルを始めた使った料理もペペロンチーノのスパゲッティーでした。その6月22日のしゃしんです。
8月6日昼食
バジルふーみの市販のパスタソースと我家の生のバジルを使ったスパゲッティーも作ってみました。
バジルは大きくちぎって乗せました。
生のバジルが乘ると風味もアップするように感じました。
8月6日夕食
市販のピザにもバジルをトッピングしてみました。
2種類の市販のピザを食べました。こちらは4種類のチーズのピザです。こちらにはバジルはトッピングしませんでした。
こちらのマルガリータのピザにバジルを使うのですが、乗せて焼くと変色してしまうので焼けてから乗せることにしました。緑色の部分が乾燥したバジルだと思います。
バジルをシッピングしたモルガリーターです。
ピザにはやっぱりビールです。
簡単なサラダも作ってもらいました。
9月8日夕食 2020年9月8日追記
ちょっと変わったパスタを使ってバジルパスタを作ってみました。
こちらが、パスタです。この中の8個は5月11日にカルボナーラにして食べました。4個を今回食べたわけです。パスタの種類にはタリアテッレ(Tagliatelle)と書かれていました。調べてみるとイタリア北部のパスタの一種と書かれていました。ただし製造はチュニジア製と書かれていて、チュニジアの公用語のアラビア語のような文字が書かれていました。タリアテッレのアラビア語は「تاجلياتيل」です。原料にはデュラム小麦のセモリア100%と書かれていました。特別な原料ではなくパスタように標準的に使われる小麦の粗挽きタイプです。
バジルは今までの最大の29g使いました。家内は9月13日まで留守にしているので1人用の量なのでかなり多いことが分かってもらえると思います。
バジルの8割ぐらいを細かく刻みました。残りは飾り用に残しておきました。
パッケージに描かれていた通り8分間茹でてボウルに写してバジルソースと和えました。本来はさらに直接入れてソースを乗せて混ぜるのですが、理由があって一旦ボールに入れてソースを和えました。
そこに細かく刻んだバジルの葉を入れて混ぜました。
それを皿に移しました。実はトマトを並べていたので皿の上で混ぜることが出来ないのでボウルで混ぜてから皿に移したのです。
残しておいたバシルの葉を並べて完成です。
フォークで絡めとった写真です。葉などを沢山入れたのでバジルソースの味が薄くなりがちなのでお好みで一味かタバスコなどを少し入れるとインパクトが増すと思います。私はペペロンチーノの味を思い出して一味をすこし入れました。飾りのバジルの葉やトマトも一緒に巻き込んでいただきました。パスタは名古屋の名物の棊子麺(きしめん)のような食感でした。
2020年5月11日に同じパスタをカルボナーラ(市販ソース)にした時の写真も紹介します。上に乗っているチーズは海外で買ってきた塊をすりおろしたものです。
2020年9月9日追記
タイトル:バジルとチリメンジャコの黒コショウ味オムレツ
バジルを使ったオムレツも作ってみました。先ずはバジルを微塵切りにして計量カップに入れました。そこに玉子2個を入れます。
玉子とバジルをよくかき混ぜた上にシリメンジャコを入れました。塩は入れないのでペッパーミル(胡椒挽き)で黒コショウを沢山入れました。
鋳鉄製のフライパンにオリーブオイルをたっぷり入れた熱くなったところに混ぜ合わせた具を入れました。
形を整えれば完成です。
中がトロトロが理想です。
白い御飯でいただきました。
東京と呼ばれた北宋の古都「開封」 中国歴史ドラマ「開封府・北宋を包む青い天」の舞台 [河南省]
2020年9月10日追記 タイトル:開封府を題名とした歴史ドラマ
テレビを見ていると私が行ったことがある中国河南省の開封(かいほう)という町の名のドラマが流れていました。ちょっと感激してしまい、2011年2月に掲載した記事に追加する形で再掲載いたしました。
右の小さな写真は私が開封に行った時に撮った復元された建物群で城壁の門に開封府と書かれた扁額が掲げてありました。ドラマの舞台はこの場所だったのだと思います。時間が早すぎで残念ながら中には入れませんでした。
ドラマのタイトルは「開封府・北宋を包む青い天」でした。
開封の変遷は概ね次の通りで9つの王朝で首都にになりました。11世紀(1001~1100年)から12世紀(1101~1200年)にかけては世界最大級の都市であったそうです。歴史ドラマは第3代皇帝の真宗と第4代皇帝の仁宗の時代(997年~1063年)に仕えた包拯を題材にした物語です。包拯は中華圏では子供から老人まで、あらゆる世代に知られた人物で、約26年間に数多くの職を務めている中で名裁判官としての多くの話が残っている人物です。北宋と南宋は宋という同じ国で、1127年に金に北方を奪われて南に下ったことから判りやすくするために北宋と南宋に分けて分類されているようです。開封の近くには少林寺(登封)や龍門石窟(洛陽)があります。
王朝 王朝の時期 開封に関する事項
夏 BC1900~1600年頃 首都:老丘(開封) 第7代~第12代
杞 殷代~戦国時代 首都 時期は不明
鄭 BC806年~BC375年 啓封と名付けられた
魏 BC403年~BC225年 首都:大梁(開封)
秦 BC778年~BC206年 落城し荒廃
前漢 BC206年~8年 地方都市 初めて開封の名がつけられた
後漢 25年~220年 地方都市
魏 220年~265年 地方都市
東魏 534年~550年 梁州と呼ばれた
北周 556年~581年 汴州と呼ばれた
髄 581年~618年 大運河の開通により発展
唐 618年~907年 末期に長安衰退後は開封が全中国中心
後梁 907年~923年 首都:汴州(開封)
後晋 923年 - 946年 首都:汴州(開封)
後漢 947年 - 950年 首都:汴州(開封)
後唐 923年~936年 五代十国時代で首都にならなかった国
後周 951年~960年 首都:汴州(開封)
北宋 960年~1127年 首都:東京(開封) 東京開封府と称す
南宋 1127年~1279年 1127年から金の地方都市となる
金 1115年~1234年 1214年から首都 南京開封府と称す
元 1260年~1635年 河南地方の中心都市
明 1368年~1644年 黄河大氾濫により壮大な建物群が土に没す
清 1644年~1912年 河南地方の中心都市
下の写真はテレビ歴史ドラマの中の開封の城壁の画面です。
ドラマは見ていないのでドラマの内容は説明できませんが、現在はBSテレ東で毎週月曜~金曜の8時56分から放送されています。全58話(2017年製作)で9月11日の時点で15話が放送し終わったところです。
歴史ドラマの時代の北宋時代には3重の城壁が都市を取り囲んでいたそうです。明の時代に黄河の大氾濫により多くの歴史的建造物が土に埋もれてしまったそうです。近年掘り出されるなどして当時の面影が判ってきて繁栄した北宋時代の復元も行われているようでした。右の写真は私が開封に行った時に撮った城壁の門の写真です。
開封府の前で記念写真を撮りました。鮮明に開封府の文字が読めるので、ぼかしを入れてた上で掲載させていただきました。開封府の文字が右側から書かれているのが判っていただけると思います。このような建物は全て大洪水で泥に埋まってしまったので、当時のものではなく全て復元された建物です。中国の内陸部の寒い時期だったので分厚い防寒用のダウンを持って行きました。
開封に行った時に包拯(包公)を祭ったお寺があったので見学させていただきました。この中に包公の銅像がありました。皇帝の息子を死刑にしたことがもっとも有名な伝説です。よほどの信頼と権限がないと出来ない言うことだと思います。皇帝の息子の罪は現代風に言えば不倫だそうです。 不倫で死刑とは昔は厳しかったようです。日本のお寺の雰囲気もあります。
建物の中には大きな銅像がありました。
室内は暗くフラッシュも控えたので、元々は右のような写真でしたがPCで露出調整しました。写真をクリックすると空に明るくした拡大写真を表示します。
高さは3m、重さ2.5トンの包公の銅像です。包公は開封に首都があった北宋時代の人で、中華圏では子供から老人まで、あらゆる世代に知られた人物です。若い頃は故郷の合肥で学問に励んで、1027年、29歳で科挙試験の進士に合格し、多くの官職/文官を務めた人物です。生前から庶民に人気がありましたが、没後に名声はさらに高まり、特に南宋、元以来、包公故事(伝説)は広く語り伝えられたそうです。その結果、庶民に崇拝される典型的な人物像が作り上げられ、後世の人々に伝えられていったそうです。包公は清官(清廉潔白な官吏)の代表とされたそうです。
右の絵の左側には「天性峭嚴断事電掃 關節不到闔羅包老」と書かれています。「闔」に関しては類似の文字を当てています。
名前 包拯 包公あるいは包青天と呼ばれた。
生涯 999年(咸平2年 生)~1062年(嘉祐7年 没)
出身 廬州合肥 現在の安徽省合肥
下の写真が銅像の設置された部屋です。
この記事を書いていてドラマの内容が気になってきたので16話からになりますが、録画予約いたしました。
まだドラマは見ていませんがドラマの最初に出てくる登場人物の名前をメモしていました。紹介順の9人です。右の写真は包拯役の黄維徳(ビクター・ホァン/台湾出身)と雨柔役の張檬(チャン・モン/中国・河南省出身)です。
包拯 ほう じょう 主人公 公正無私な役人
雨柔 う じゅう 開封府元長官の娘
劉娥 りゅう が 真宗の妃 後に実権掌握
真宗 しん そう 第3代皇帝
張徳林 ちょう とくりん 野心家の権臣 軍権掌握
王延齢 おう えんれい 宰相 張徳林と勢力ニ分
仁宗 じん そう 第4代皇帝
展昭 てん しょう 侠客
周児 しゅう じ 仁宗と縁のある女性
今までに河南省の開封に関係した下記の記事を掲載しました。着色文字をクリックすると記事を表示します。興味のある記事があれば見てください。下の写真は鄭州(郑州)から開封(开封)に向かう途中で出会った早朝の幻想的な太陽です。
平原の太陽
開封で最も有名な寺院 大相国寺
開封は鳥を飼う人が多い町でした。
開封の道教のお寺 延慶観
開封の生活道路
古都「開封」の街並み
古都「開封」の行列の出来る肉まん屋さん
古都「開封」の行列の出来る甘栗屋さん
開封の歴史 包公祠
東京と呼ばれた北宋の古都「開封」
2011年2月20日掲載 タイトル:東京と呼ばれた北宋の古都「開封」
開封の町の入口にそびえる城壁です。この町の代表的景観です。朝日に輝く城郭がみごとでした。ここは北宋の時代に「東京」と呼ばれていた古都「開封」です。開封の記事はいくつか掲載する予定にしています。鄭州を朝早く出発して開封に8時4分に着きました。上の写真は8時35分の城壁の写真です。
開封は日本で言うと京都のような町で、あちらこちらに古いお寺が点在しています。京都と特に違うのは黄河が氾濫し都が何度も泥に埋まったために、京都に比べると昔のままに残っている建物は掘り出されたか復元されたもので、古い街並みは少ないのですが、歴史のある観光都市であるところは同じです。
ガイドさんや三輪自転車で町を案内してくれる人が沢山います。でも中国はあまりにも広いので訪れる日本の観光客の人は少ないと思います。それだけに、ここに来れたことはすごく有意義でありました。それでもネットで見ると開封を訪れた記事がいくつか出ていました。やっぱりすごいです。写真は城壁西門の大梁門と思われます。
冒頭の城壁の朝もやの中の写真です。
開封は河南省の省都・鄭州から東に70kmです。北には殷の都の遺跡「殷墟」のある安陽があり西の龍門石窟のある洛陽とは反対側です。車で1時間半です。
霞む門を拡大いたしました。
鄭州のホテルから開封の大相国寺までの車のルートです。
実は鄭州から開封に向かうときに以前に紹介した幻想的な太陽に出会ったルートなのです。鄭州の町でタクシーと交渉してこの町に訪れました。
半日貸切で250元でした。ところが帰りにタクシーの運転手さんに悲劇が!
前の車に付いて変則ローターに入った途端におまわりさんに呼び止められました。進入禁止だったのです。罰金は200元! もちろん前の車も同じでした。半日も我々に付き合ってガソリン代と駐車料金を考えるとどう見ても儲けは0円です。なんとなくがっくりしていました。ホテルに着いて50元をプラスしてあげると、ものすごくうれしそうでした。もともとの相場は300元なのでお互いに気持ちよく別れるのもいいものです。
鄭州(郑州) Hotel Sofitel Zhengzhou
開封(开封) 大相国寺
洛陽(洛阳) 龍門石窟 写真 →
登封(登封) 少林寺
━ 鄭州~開封
この日は上海への移動日でしたが、鄭州から上海のフライトが午後だったので早起きしてここまで足を延ばしてみることにしました。早起きした価値がありました。鄭州のタクシーの運転手さんは、この町には詳しくないので最初に訪れた包公祠から右下の写真の地元の三輪自転車タクシーに乗って町を廻ることにしました。写真の三輪自転車に私が乗っています。三輪自転車を雇ったのはガイドも兼ねていたわけです。タクシーとはこの町で最大の寺院である大相国寺で待ち合わせることにしました。この時の旅の移動のフライトは次の通りです。
12月07日 成田→北京 JL781
12月07日 北京→南京 MU2822
12月10日 南京→鄭州 MU2843
12月12日 鄭州→上海
12月13日 上海→桂林
12月15日 桂林→広州 CZ3231
12月15日 広州→成田 JL604
ここは開封府と言われ北宋時代の役所にあたるところです。入口を正面から撮ったものです。開封府の文字が印象的でした。開封府と言えば中国の歴史上で最も有名な清廉潔白な官吏の包拯(ほうじょう 999年~1062年)が有名です。
斜めから撮りました。城壁に囲まれていました。建物自体は最近復元されたものです。
開封も観光に力を入れ始めたようです。昔の建物を復元した施設です。洋風に言えばテーマパークです。ここは外から撮りました。沢山の建物があることが分かってもらえると思います。
そのテーマパークの中に入りました。その時の入場券が下です。入場券には中国翰园(HAN YUAN CHINA)と書かれています。园は園なので中国の昔の庭園をイメージしたテーマパークと思われます。翰は今のところ分かりません。戦国時代の魏に隣接して存在した韓(BC403年~BC230年)の可能性もあります。入場券をクリックすると開封で入った他の場所を含めてた4ケ所(中国翰园、包公祠、大相国寺、延慶観)の入場券を拡大して表示します。
左の地図の赤色に塗られた部分が河南省で、右の河南省の地図で橙色に塗られたところが開封市です。安陽市の人口は527万人で、人口密度は818人/km²の町です。驚いたことに、日本の戸田市と伊賀市と伊勢市と下諏訪市の4つの市が姉妹都市となっています。
河南省には、中国八大古都のうち、4つの古都があります。殷の都の安陽と、東周から長く都が置かれた洛陽と、宋の都であった開封と、殷の都邑であった鄭州です。
ちなみに中国八大古都とは西安、洛陽(洛阳)、南京、北京、開封(开封)、杭州、安陽(安阳)、鄭州(郑州)です。開封は宋の時代には東京と呼ばれていました。西京に相当する西安は漢代(BC200年)に長安と命名され唐代の7世紀には世界最大の都市に成長しました。西都、西京、大興、中京、京兆、奉元と呼ばれた時期もありました。明の時代から西安と呼ばれるようになりました。
四大古都 : 西安、洛阳、南京、北京
六大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州
七大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳
八大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳、郑州
開封が首都であった北宋は960年から1127年まで167年間続きました。その頃の開封は世界最大級の都市でした。国号は宋ですが、金に開封を追われて1127年に首都を臨安(現在の杭州)に遷都した後の南宋(1127~1276年)と区別して北宋と呼び分けています。北西には西夏(1038~1227年)で、北東には遼(916~1125年)がありました。南西方向には大理(938~1253年)があり、西に吐藩と書かれているのは633~877年に繁栄したチベットの王朝で、滅亡後もチベット地域を表す言葉です。南の大越は1054~1804年までのベトナムの正式な国号です。
この地図の中には东京(東京)以外に南京と西京と北京の文字もあります。つまり宋の時代には東・南・西・北がそろっていたことになります。
ケンタッキーはダービーとバーボン [ケンタッキー]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2020年9月3日再掲載 タイトル:ミニボトルの写真を追加しました。
北海道のトウモロコシの記事を掲載したのを機会に、28年前の1992年5月27日~6月6日に初めてケンタッキーに行き、その後9回行く中で訪れたバーボン工場の記事を再掲載したいと思います。バーボンはトウモロコシを主原料としたウイスキーで、ケンタッキー州を中心に生産されています。右の小さなバーボンのスモールバッチのミニボトルの写真は記事の最後に大きなサイズで掲載しています。
アメリカ合衆国の法律で定義されているバーボンは次の通りです。
1. アメリカ合衆国で製造されていること。
2. 原材料のトウモロコシの含有量は51%以上であること。
3. 新品の炭化皮膜処理されたオーク樽を製造に用いること
4. 80%以下の度数で蒸留されていること。
5. 熟成のために樽に入れる前のアルコール度数は62.5%以下であること。
6. 製品として瓶詰めする場合のアルコール度数は40%以上であること。
2009年5月23日掲載 タイトル:ケンタッキーはダービーとバーボン
ケンタッキーと言えば競馬とバーボンです。こちらではバーボンを紹介いたします。上の写真は見学の出来るバーボン工場の直売所に並んでいたバーボンです。この3本を後で調べると希少価値の高いスモール・バッチのバーボンでした。
特に真ん中のバーボン「ブッカーズ」はバーボン造りに生涯をかけた男ブッカー・ノオによって作られたものでした。このバーボン「ブッカーズ」は2020年9月3日にネットで検索する11000円以上てした。左のバーボン「ベーカーズ」は5000円以上、右のバーボン「ベーシル・へイデン」は4400以上でした。
バーボン工場に行ってみました。工場と言うよりは樽の貯蔵庫群 森の中にところどころにバーボン工場が現れます。その中のひつとに行ってみました。この写真はバーボンの貯蔵庫群です。
バーボン工場は沢山ありました。これは別の工場です。
バーボン工場は広い土地と貯蔵庫群ですが、その中に工場らしいものがポツンと立っています。Google地図のストリートビュー(SV)でこの景観を見つけました。→ポチッ
この写真はバーボン工場の貯蔵庫の樽 です。
1つの貯蔵庫に2万樽貯蔵されているそうです。Google地図のストリートビューで現在の倉庫内のSVを見つけました。→ポチッ
樽の中は下のように焼かれています。
この写真は昔の樽の製作作業場の中
これは消防車の車庫 昔の消防車が入っていました。Google地図のストリートビュー(SV)でこの建物を見つけました。→ポチッ
趣きのある建物もありました。
上の2つの建物はこの写真のように接近して建てられていました。Google地図のストリートビューで確認する限りでは、左の建物は2005年12月に建っていた場所には現在はないようです。
左の白い建物の辺りにはT. Jeremiah Beam HouseまたはJeremiah Beam Homeと呼ばれる建物があります。住んでいた家が移設されたのかもしれません。Google地図の景観(SV)はこちらです。→ポチッ
バーボン直売所では製作工程および歴史を展示しています。そこの売店の風景です。赤い服の女性の下のあたりに価格が書かれた黒板があります。写真から切り取ったのがひぎ右の写真です。少なくとも2ケタです。ドル以下の数字は読み取るのは困難ですがドル台の部分は不鮮明ですが31 32 42 52 のような数字に見えます。5と3は不明確なので52は32かもしれないし32は52かもしれません。強いお酒は普段はあまり飲まないので買わずに試飲だけでしたが、写真をよく見るとミニボトルの4点セットが売られていました。今、考えるに、これは買うべきでしたが、迷っている間に、こちらに連れてきてくれた方がお土産に持たせてくれました。作っているところで手に入れたのが値打ちがありました。
その展示場所では試食ではなく試飲もできます。ちなみに右の黒いコートの方が某会社のCEO(Chief Executive Officer / 最高経営責任者)で、休日に奥さんと一緒に車で、ここまで案内をしてくれました。
なにも知らないで飲んだのですが、不思議と今までに飲んだ事のあるバーボンより美味しかったのです。単なる勘違いかもしれないと思っていましたが、実はそれには理由があったことは帰国後ネットで調べてわかりました。
冒頭の写真のバーボンをネットで調べた内容を掲載いたします。冒頭の写真の写真はジム・ビーム社(Jim Beam)のスモールバッチ(Small Batch 少量生産)のバーボン(Bourbon)でした。
左から説明します。
BAKER'S (左)
バーボンにとって、酵母は重要な存在です。 ベーカーズは、最上の酵母は変わらぬ製法で加え、7年熟成させている。香り高いミディアムボディの円熟した味わいで、スムーズな飲み口。ほのかに漂うフルーティーな香りとヴァニラのような香りがたのしめます。アルコールは53.5度(53.5%)、4代目当主ジム・ビームの甥の息子にあたるベーカー・ビームがえらんだレシピで作られています。
BOOKER'S (中)
マスターディスティラー(蒸留所最高責任者)でビーム家直系6代目のブッカー・ノオの手作りで生まれる同社の最高級品。6~8年の熟成を経た秘蔵の樽から、最高の状態のものだけを吟味し、テイスティングを重ね完成させた自信作!
香り高くバランスが絶妙で、味わいの余韻も深い品に出来上がってます。アルコールは62度(62%)と高く掛け値なしに酔いが回ります。
BASIL HAYDENN'S (右)
ベーシル・へイデン・シニアによって、1976年にレシピが作られました。ベーシル・へイデンは口当たりのよいバーボンを蒸留した先駆者としてしられています。 かたくななまでにグレーン(ここでは大麦とライ麦)の特性を求める製法が、より甘くライトな飲み口を実現。40度(40%)でビン詰めされているため、バーボン本来の口当たりのよさもあります。 熟成期間は8年です!
KNOB KCREEK (試飲の写真の右)
ノブ・クリークは、ケンタッキー・ヒルにある小さな川の名にちなんで名づけられたバーボン。特殊な手法で焦がした樽で9年間熟成させて手作業によって50度(50%)でボトリングされています。
樽のなかでの9年間の眠りの間に、グレーン(ここでも大麦とライ麦)の力強いフレーバーが樽の香りが至妙に溶け合い、リッチな香りと贅沢な味わいを醸し出すフルボディに仕上がってます。アルコール度数は体積分率(Vol%)
この時に手に入れたのが、こちらの4本のバーボンのミニボトルです。上の枠内に紹介している4種類のスモールバッチ(Small Batch 少量生産)のバーボンです。右のレギュラーサイズの3本のボトルのミニボトルが下の写真の左側3本です。
思い出の品なので未だに飲むことが出来ません。
28年前の1992年5月27日~6月6日に初めてケンタッキーに行きました。1992年にはさらに7月11日~14日と8月5日~8日に行ったので1992年だけで計3回行ったことになりました。その後も含めてケンタッキーのルイビル(Louisville)には9回行きました。このバーボンは2005年12月9日~13日に行った時に手に入れたものです。当時の写真の撮影日を確認すると2005年12月11日6時ごろ(日本時間)なのでこの場所を訪れたのは米国ルイビル時間で12月10日16時ごろであることが分かりました。下の写真は再掲載のために今朝撮りました。2014年にジム・ビーム社の全株式をサントリーが買収したことでサントリー傘下になり社名もBeam Suntoryになったことから元の名前のボトルは値打ちが出るかもしれないと期待してしまいます。(2020年9月3日追記)
昔の写真を見ているとミニボトルセットと同じ組み合わせのレギュラーボトルが入った飾り棚が置かれていました。それが下の写真です。売り物だったら高そうでした。上のミニボトルと並びが同じです。右の写真の中から切り取ったので写真は鮮明ではありません。
ルイビル(Louisville)の町とジム・ビーム社(Jim Beam)のバーボン蒸留所(工場)の位置関係をGoogle地図で紹介します。バーボン蒸留所は3ケ所( )ありますが、我々が訪れたバーボン製造所はSVで確認出来たように赤色マーク( )の場所です。ルイビルの町の中にあるチャーチル・ダウンズ競馬場( )はダービーが行われる有名な競馬場で、ケンタッキ・ホース・パーク( )が右の写真で、引退した名馬たちが暮らしているところです。
James B. Beam Distilling Co
Jim Beam Booker Noe Plant
Jim Beam Old Grand Dad Plant
チャーチル・ダウンズ競馬場
ケンタッキ・ホース・パーク 写真 →
我々が訪れたと思われるバーボン工場の航空写真を紹介します。緑の中に点在している大きな建物はバーボンの熟成樽の貯蔵庫です。売店のあった辺りは我々が行った2005年12月10日よりもかなり整備されているように感じられます。
この時の旅の移動のフライトを紹介します。北半球だけですが、この時は2度目の世界一周の旅で、初めてお得な世界一周チケットを活用いたしました。12月5日のAF1912のみ世界一周チケットでカバー出来ないので別途手配いたしました。飛行機には10回乗りましたが9回までが世界一周チケットでした。12月09日のデュッセルドルフ→シカゴのフライトは48席だけのビジネスクラス(Cクラス)専用機でした。シカゴ→ルイビルのUA7834の機内から右の写真のブロッケン現象も見ることが出来ました。ちなみに最初の世界一周の旅はケンタッキーに2回目に行った1992年7月で、ケンタッキーの後はドイツとインドを廻って日本に帰りました。
11月27日 LH711 成田 → フランクフルト
11月27日 LH3732 フランクフルト → チューリッヒ
11月27日 車 チューリッヒ → レンツブルグ
11月29日 車 レンツブルグ → チューリッヒ
11月29日 LH3723 チューリッヒ → フランクフルト
11月29日 車 フランクフルト → ハイデルベルグ
11月30日 車 ハイデルベルグ → フランクフルト
11月30日 LH4232 フランクフルト → パリ
12月02日 列車(TGV) パリ → リヨン
12月03日 列車(TGV) リヨン → パリ ロワール
12月05日 AF1912 パリ → ミラノ ベルガモ カサレ・モンフェラート
12月08日 LH3919 ミラノ → デュッセルドルフ
12月09日 UA436 デュッセルドルフ → シカゴ
12月09日 UA7834 シカゴ → ルイビル
12月13日 UA6884 ルイビル → シカゴ
12月14日 UA883 シカゴ → 成田(12月15日着)
: 空港 : 飛行機以外で行った町 ★:クリスマスピラミッド
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北海道の息子家族から美味しいトウモロコシが送られてきました。 [北海道]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2020年8月15日に北海道の長男家族からスイートコーン(とうもろこし)が送られてきました。会社のお盆休みに近場に出かけてその訪問先の一つのトウモロコシ農園に行った時に送ってくれたようです。大きなトウモロコシが5本入っていました。トウモロコシを採りに行くのはトウキビ狩りと呼ばれているようです。
キャンプをしたりトウモロコシを食べている写真をLINEで送ってくれた中にトウモロコシ畑でのトウキビ狩りの写真がありました。その場で生で食べれるそうです。
農場 吉田農園
住所 北海道恵庭市穂栄25
電話 0123-36-5456
品種 恵味ゴールド(めぐみゴールド)
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SV https://goo.gl/maps/XU4yAj3e1h1SJWah8
トウモロコシは新聞にくるまれていて、美味しい食べ方(ゆで方)の説明書が入っていました。その茹で方を紹介します。
・沸騰したお湯で5分ほど茹でます。
・茹でている間に、水またはお湯を約600cc入れた角バットに、塩20~50g 入れて溶かし、塩水を作っておきます。
・茹で上がったスイートコーンを塩水が入ったバットの中で転がして塩味を 付けてあげたら出来上がり!!
2日目にトウモロコシの長さを計ると約40cmでした。ただし、一番大きなトウモロコシは1日目に食べてしまったので一番大きなトウモロコシは計りませんでした。トウモロコシ(唐蜀黍)はイネ科です。トウモロコシと言えばアニメのとなりのトトロを思い出します。
界 植物界 Plantae
被子植物 angiosperms
単子葉類 monocots
目 イネ目 Poales
科 イネ科 Poaceae
属 トウモロコシ属 Zea
種 トウモロコシ Zea mays
トウモロコシが大きいので、大きな鍋を2つ用意します。右の鍋には温かい塩水を入れています。
この状態で説明書通りに5分茹でました。
茹で上がったら、右に置いていたホーロー鍋でトウモロコシに塩味を付けました。
皮つきで重さを計ってみると540gでした。1日目に食べてしまった一番大きなトウモロコシは600gを越えていたと思います。枠内にネットに書かれていたトウモロコシの選び方を紹介します。送られてきたのは枠内に書かれている通りのトウモロコシでした。
頭のひげが濃い茶色でふさふさしたものを選びましょう。熟すにつれて茶色いひげが濃くなるので熟度の目安になります。ひげの数は実(粒)の数と一致するので、多いほうが実の数も詰まっています。また軸の切り口がみずみずしくて持ったときに重みがあり、外皮が鮮やかな緑色のものが新鮮です。皮がむかれている場合は粒がふっくらとしていてツヤがあり、ぎっしりと詰まっているものを選びましょう。
茹で上がったトウモロコシも計ってみました。食べられる部分の重さを計算するために食べ終わってからも計りました。食べる前の茹でた状態で422gでした。皿を乗せた状態で秤の0点調整しているのでトウモロコシの正味の重さです。ちなみにお皿だけの重さは540gなので、はかりの上の実際の重量は962gです。ゴールドの名が付いている通り深みのあるイエロー(黄色)のトウモロコシでした。
茹で上がり塩味を付けたトウモロコシです。ほのかな塩味のお陰で、甘さが際立っていました。やはり北海道のトウモロコシは美味しかったです。
ハリのある食感を感じてもらいたくて拡大いたしました。鮮やかな黄色(イエロー種)のトウモロコシ(トウキビ)で、ネットで見ると「一粒一粒が大きめで、プリッとして皮が薄いので歯に詰まりにくいのが嬉しい特徴の一つです。糖度が高く甘みが強いのにコクがあるの甘さなので、ついついまだ手が伸びてしまう飽きのこない美味しさです。生でも食べることができて、その甘さとジューシーさに驚きますよ!」と書かれていました。
食べ終わった状態の重さを計ると136gだったので食べられる部分の重さは286g(=422g-136)gでした。英語圏の多くの国ではコーン(corn)と呼びますが、イギリスではコーン(corn)は本来の意味である穀物全般を表していることからメイズ(maize)と呼ぶことが多いそうです。
1日目と2日目は昼食で一人1本づつつ食べましたが、3日目は夕食の中の1品として半分をいただきました。
ゴーヤの素茹でしたものにカツオ節をたっぷりとかけたものです。
上の写真では鰹節てゴーヤが見えないので、カツオ節をかける前の写真も紹介します。
冷ややっこもいただきました。
料理は冷酒(吟醸酒)でいただきました。
とうもろこし(コーン)のお酒と言えばバーボンです。せっかく美味しいトウモロコシを食べる時に飲むお酒ならばアメリカのケンタッキーのバーボン工場に行った時に手に入れた右のバーボンのミニボトルを飲めばよかったと思いました。しかしながら28年前の1992年5月27日~6月6日に初めてケンタッキーに行き、1992年にはさらに7月11日~14日と8月5日~8日の計3回行き、その後も含めてケンタッキーのルイビル(Louisville)には9回行った中で手に入れた思い出の品なのでやはり飲むことは出来ませんでした。
その時の記事はこちらです。→バーボン工場 競馬場 クルージング クラシックカーラリー 朝の風景 New York strip steak イタ飯 日本食
これがメインデッシュのトウモロコシです。3日間楽しむことが抱きました。
大通公園(左上 A )と新千歳空港(右下 A )から農園( B )までのルートを紹介します。大通公園からは34kmで新千歳空港からは28kmの距離です。航空写真内のプラス(+)のアイコンをクリックすると拡大します。
農園の辺りの航空写真を紹介します。マイナス(-)のアイコンを数度クリックすると周辺が判ってくると思います。さすが北海道です。畑が続いています。
参考に2018年の日本のトウモロコシ生産量(収穫量)の都道府県ランキングを紹介します。全国合計は217,600t(22万トン/年)で、北海道はダントツのトップの83,600t(38.4%)です。2位は千葉県の17,100t(7.9%)で、3位は茨城県の15,000t(6.9%)です。世界全体の生産量は1,112,006,000t(11.1億トン/年)であることから日本は0.019%です。ただし海外で生産されるトウモロコシの用途は畜産用の飼料が大半でしたが、近年ではエタルール生産用が増えてきています。1位の米国は347,782,000t(3.5億トン/年)で、2位の中国の生産量は260,770,000t(2.6億トン/年)で、3位のブラジルが101,000,000t(1.0億トン/年)です。エネルギー政策の大転換を行っている米国では飼料用とエタノール用が同程度になってきているそうです。つまり日本での生産および品種改良は人が食べる美味しいトウモロコシに特化されていると言えるのだと思います。穀物としての世界の生産面積では小麦、米(稲)、トウモロコシ、大麦、モロコシの順なのでトウモロコシは3番目の生産面積になります。
タグ:北海道