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八日市場の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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千葉県香取市佐原で2018年7月13日~15日に行われた「佐原の大祭」の7月14日(土曜日)の18時30分から20時まで、10台の山車(だし)の連続「の字廻し」が行われ、運よく最前列で見ることが出来ました。寺宿通りに並んだ上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の順番に行われ、上仲町と荒久と本川岸の3つの山車の「の字廻し」はすでに紹介いたしました。クリックすると拡大今回は4番目の八日市場(ようかいちば)の山車の「の字廻し」を紹介したいと思います。山車の上に乗っている飾り物はほとんどが江戸の有名な人形師が作った人形なのに対して、八日市場の飾り物は麦わらで作られた鯉(こい)なのです。古文書の記述より最初に麦わらの鯉が作られたのは約200年前の文政年間(1818~1830年)だそうです。驚いたことに鯉の制作方法が伝承続けられていて5年ごとに町内の人達で更新されていることでした。現在の鯉は平成26年(2014年)に作られたものだそうです。右の図をクリックすると佐原の大祭のパンフレットの中の詳細スケジュールを表示します。

その麦わらの鯉のすばらしい出来栄えを見ていただきたくて頭部の写真を掲載いたしました。鯉の口は動くようになっていました。
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17時前までに寺宿通りに山車が並べるためにいろんな方向から10台の山車が集まってきました。八日市場の山車は細い路地から寺宿通りに入ってきました。その路地から曲がって寺宿通りに並ぶ瞬間の動画を紹介します。本動画は頭から2分28秒の最も迫力のある時点からスタートするように設定しています。動画は寺宿通りの北方向から南に向かって路地との曲がり角を撮っています。


18時には灯籠に灯が入り入り、18時30分から上仲町→荒久→本川岸と「の字廻し」が行われ4番目の八日市場の山車が動き始めたのは18時50分でした。
我々が見ていた場所からのGoogleストリートビューも紹介します。→ポチッ
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の字廻しが行われる交差点に近づいてきました。ちなみに八日市場区は約250世帯だそうです。
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さらに近づいてきました。
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上の写真を拡大いたしました。
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さらに拡大いたしました。麦わらの鯉の口が開いているのが分かってもらえると思います。口の中から開閉するための細いひもが出ています。
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位置に着く直前です。こちらでは口は閉じています。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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位置に着くと「の字廻し」が始まりました。
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上仲町と本川岸の記事では始まるところから終わるまでの6分47秒(上仲町)と5分36秒(本川岸)の動画を紹介しましたが本動画は一部だけで2分50秒です。口が開いたり閉まったりするのも判ってもらえると思います。


の字廻し中の麦わらの鯉を紹介します。大鯉と呼ばれる麦わらの鯉は、長さが3.5m前後の山車よりも遥かに長い6.65mで、高さも1.68mあるそうです。内部は竹の骨組みが入っています。
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やはり若連の人達の頑張りを紹介したくなります。3連続の写真で紹介します。
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この角度の写真が一番迫力があると思いませんか。
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我々の目の前を過ぎたところの写真です。
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動画でも若連の人達の頑張りを紹介したいと思います。


写真の中の右側の2本の棒の手前側の棒を中心に廻していました。
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男性陣は提灯で掛け声をかけているのに対して女性陣は日の丸の扇子で掛け声をかけて応援していました。白い浴衣の女性と法被(はっぴ)の女性がおられました。ヘッドホンをつけている人はテレビ局の音声さん(音声収録担当)です。
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女性陣の応援を動画でも紹介します。白い浴衣の女性陣の応援はピッタリと息があっていることが判ってもらえると思います。


のの字廻しが終わった瞬間です。
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西方向に退場して八日市場の「の字廻し」が終わりました。
車輪の回転跡が鮮やかに残っています。
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佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治29年(1896年)
 ② 飾り物の初制作年  :文政年間(1818~1830年) 古文書の記述より
 ③ 額の文字      :龍の彫刻
 ④ 一口メモ      :飾り物の鯉は、麦わらを使い、町内全員の協力で
              5年ごとに制作。今の鯉は平成26年の作。
 ⑤ 担当の下座連    :内野下座連
 ⑥ 地区        :八日市場(ようかいちば)
 ⑦ 飾り物       :鯉(こい) 
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大鯉と呼ばれている八日市場の鯉の飾り物に関する記述を紹介します。本内容は香取市の広報誌(広報かとり)の2014年の記事「大鯉が生まれ変わる/佐原の大祭夏祭り」から転用させていただきました。麦わらだけでなくイネ科マコモ属の真菰(まこも)も一部の装飾(エラや口ひげなど)に使われているようです。
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その記事の中に制作手順の写真が掲載されていたので紹介します。制作期間は約2ケ月だったそうです。この時の作業は町内の役員などや当役・若連が総出で行なわれたそうです。平日は仕事をしているため、都合のつきやすい週末が中心となったそうです。工程は大きく、骨組みの組み立て→麦わらの皮むき→表面の縫い付け→装飾の制作→取り付けの順で進められたそうです。古い図面も残っていますが、各部所の細かな制作や取り付けなどのノウハウは、10回ほど大鯉づくりを経験されている右の写真の玉造忠さんなどの経験者の指導の下の実体験を通して若い世代に伝えられていようです。2014年5月3日の仕事始めでは杉の丸太に板を組ませて骨組みを作り() 、制作の成功を祈念する神事()を行ったそうです。


クリックすると拡大大鯉を作る作業風景の一枚です。全身を覆う表面やうろこに使う麦わらは新潟県から取り寄せ、鯉の見栄えを左右する麦わらは、節毎の表皮を手で剥き、中のきれいな部分を使用するという非常に手間な作業によって出来上がるとのことです。
こちらも右の写真の「広報かとり」のNo.199 平成26年7月1日号から転用させていただきました。右の写真をクリックすると全文一括版(PDF:6,349KB 全12頁)を表示します。


広報誌「広報かとり」に取り上げられた2014年の制作過程記録写真のスライド動画が掲載されていたので紹介します。材料の使用先は次の通りであることが判りました。
 木材     骨格
 竹      表面整形材
 簟(むしろ)   下地
 大麦     表面 鱗
 真菰(まこも)  髭(ひげ) 側線 他 


2007年の大鯉の制作の動画がYouTubeに掲載されていたので紹介します。この時は大鯉の骨組みは前のものが使われたようです。上のスライド動画と一緒に見ると効率的です。

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本川岸の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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千葉県香取市佐原で2018年7月13日~15日に行われた「佐原の大祭」の7月14日(土曜日)の18時30分から20時まで、10台の山車(だし)の連続「の字廻し」が行われ、運よく最前列で見ることが出来ました。寺宿通りに並んだ上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の順番に行われ、上仲町と荒久の「の字廻し」はすでに紹介いたしました。今回は3番目の本川岸(ほんがし)の山車の「の字廻し」を紹介したいと思います。本川岸の山車の「の字廻し」に関しては最初から最後までのフルの動画を撮りました。クリックすると拡大クリックすると拡大フルの動画を撮ったのは10台の内の3台だけなので是非とも見てもらいたいと思います。3台しかフルの動画を撮らなかったのはカメラの電池容量に不安があったからです。右の図をクリックすると佐原の大祭のパンフレットの中の詳細スケジュールを表示します。上仲町の「の字廻し」は回転させる位置に着いたとたんに廻し始めましたが、本川岸は位置に着いてから回転が始まるまで42秒間かかったので少し長めの動画になっております。途中をカットしようかとも思いましたがせっかくのフル動画なのでそのまま掲載させていただきました。

2番目の荒久の「の字廻し」が終わって荒久の人達が退場すると、背中に「天細女命」と書かれた浴衣を着た人たちが入場してきて周りを囲みました。通りの向かいに青色の浴衣の4人の背中にも「天細女命」とかかれています。「天細女命」の浴衣を着ていたのは全員ではなく比較的年配の人だったので、本川岸地区の古役(こやく)あるいは当役(とうやく)の人達のように感じました。当役(とうやく)より若い人が若連(わかれん)です。周囲のあちらこちらから、「天細女命」はなんと読むのだらという声が聞こえました。「天細女命」は「あめのうずめのみこと」と読み、日本神話に登場する神です。「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子だそうです。実は本川岸の山車の飾り物の人形が「天細女命」だったのです。
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寺宿通りに並んだ本川岸地区の山車です。寺宿通りに先頭から上仲町荒久、本川岸、八日市場、浜宿、寺宿、他宿、仁井宿、船戸、下仲町と並び、前から3番目が本川岸の山車でした。
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人形を拡大いたしました。日本書紀(720年)では天鈿女命と書かれていますが、古事記(712年)では天宇受賣命と書かれているそうです。
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人形を下げた時の状態です。低い電線のある道路も行くことが出来るように考えられた工夫です。他の山車にも同じ工夫がされていました。
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本川岸の山車の説明板が置かれていました。パンフレットでは制作は明治15年と書かれていましたが本説明板では明治16年となっていました。重量は4.1トンなので乘っているお囃子の人達の体重や飾り物の重量を入れると5トン近くになると思われます。
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 高さ 十四尺 4.2m
 正面  九尺 2.3m
 奥行 十一尺 3.3m  
 重量 千百貫 4.1トン
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本川岸の山車が入ってくるところです。動画はコンデシを高く掲げで撮っているので同時に写真は撮れないのです。大きな一眼レフのカメラ(Canon 5D)は家内に渡して写真撮影は任せました。それだけでは足らないので動画から加工して写真にいたしました。こちらは動画から加工した写真です。
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徐々に「の字廻し」が行われる交差点に近づいてきました。こちらは家内が一眼レフで撮った写真です。目線が低い写真が家内の撮った写真で、少し高い位置からの写真が動画からの加工写真です。
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山車が交差点に入ってきました。
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回転位置に来て、回転が始まった瞬間です。香取街道方向に沈む太陽が見えます。丁度、太陽が沈む時刻でした。
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若連衆の頑張っている写真を3連連続で紹介します。回す棒が見物客に最も近づく部分ですれすれを廻っていきます。
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我々の方に廻ってきました。
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1回転目なので若連の人達も、まだ余裕は残っているように感じました。
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若連の人達の動画も紹介します。冒頭の動画から切り取りました。


クリックすると拡大山車が廻っている最中の天細女命です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に隠れて世界が暗闇になったとき、エロティックな動作の舞を天岩戸の前で踊って、天照大神に戸を少し開けさせたのが天細女命(あめのうずめのみこと)だったのです。この神話を思い出した方も多いと思います。天岩戸の前のエロティックな舞の詳細に関しては、ちょっと書きずらいので古事記の記載を読んでいただきたいと思います。
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大祭では子供たちも主役です。扇子を振って盛り上げてくれています。
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もちろん女性陣も祭の花でした。
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冒頭の動画から女性陣の部分を抜粋した動画を紹介します。


テレビ局の人だけは中での撮影が許されていました。一緒に回りながら撮影されていました。佐原の大祭は夏祭り(7月・本宿祇園祭)と秋祭り(10月・新宿秋祭り)の年2回行われています。それぞれ神社も違い山車(だし)も違いそれを担当する地区も違うのです。佐原(さはら)の中を流れる小野川の東側が夏祭り地区で、西側が秋祭り地区になります。
 夏祭り 八坂神社 山車10台 金曜~日曜日(7月10日以降)
 秋祭り 諏訪神社 山車14台 金曜~日曜日(10月第2土曜日)
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終盤になると若連の人達も全員が力を出すために眼をつぶっている状況でした。上仲町の時と同様に回転時間を調べてみました。倍の数値は1回目に対するかかった時間の比率です。上仲町に比べると1周目は2倍の時間を要していますが安定したスピードで廻っており、5回転合計は232秒(本川岸)≒216秒(上仲町)と上仲町と似た数値となっています。着色文字をクリックするとその回転が始まるところからの動画を表示します。
 1回転目 41秒(360°) 1.00として
 2回転目 48秒(360°) 1.17倍
 3回転目 49秒(360°) 1.20倍
 4回転目 51秒(360°) 1.24倍
 5回転目 43秒(330°) 1.14倍 合計232秒(3分52秒) 平均47.2秒/回転
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終了して西に向かっているところです。沈みかけた太陽がまだ残っていました。
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完全に会場から出たところです。
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佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治15月年(1882年)
 ② 飾り物の制作年/作者:文化元年(1804年)/鼠屋五兵衛(戦後大修復)
 ③ 額の文字      :咲樂(しょうらく)
 ④ 一口メモ      :江戸の人形師鼠屋の銘が御頭内部に確認された。
              通称おかめさんは現存最古の飾り物と判明。
 ⑤ 担当の下座連    :新和下座連
 ⑥ 地区        :本川岸(ほんがし)
 ⑦ 飾り物       :天細女命(あめのうずめのみこと) 
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ホノルル美術館 本館2階展示室 [ハワイ]

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ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)に関して下記の着色タイトルの6つ記事を掲載しましたが、今回が最後の記事です。ホノルル美術館の本館は外観は1階建てのように見えます。航空写真の3Dでも2階に相当する窓がなく1階建てのように見えまクリックすると拡大す。
偶々見つけた階段を上ってみると展示室があったという感じなのです。そこで印象的だったのが上の写真のエリアでした。
 路線バスでホノルル美術館を目指しました。
 絵画編 西洋美術
クリックすると拡大クリックすると拡大 Art of Hawaiʻi エリア編
 特別展編 Erick Swenson
 モダンアート編
クリックすると拡大 日本・中国・韓国美術編
 本館2階展示室  ← 今回

中央の中庭の写真を帰国後に見て中庭の周囲の建物が2階建てあることが分かりました。中央の中庭を囲む部分だけが2階建ての建物であることは右上の3Dの航空写真をじっくり見て確信いたしました。
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美術館の配置図に追記した青枠の部分が展示エリアでした。よく見ると配置図にTo Floor 2:の注記が書かれていました。注記の内容は次の通りで、フィリピン美術、アメリカ美術、太平洋、アフリカ、古代ラテンアメリカ、北アメリカの展示エリアだったのです。見逃して帰ってしまう人もおられると思い掲載させていただきました。エレベーターは南東の位置()にあります。
 To Floor 2:
 Art of the Philippines
 American Art
 The Pacific, Africa, Ancient Latin America and North America
配置図の赤枠部分は別館の2階の展示室で、すでに紹介したArt of Hawaiʻiの展示場所でした。ホノルル美術館全体で2階の展示室は青枠部分(本館)と赤枠部分(別館)の2ケ所だけでした。
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こちらはThe Pacific(太平洋)エリアです。右側だけに窓があり左側の天井が傾斜しているので、右側が中庭側で左側が屋根の部分と思われます。
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こちらはAfrica(アフリカ)のエリアです。こちらも右側が中庭の方のだと思われます。
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確証はありませんが、壁の絵画はAmerican Artでしょうか。家具類も展示されていました。
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キリストと思われる小さな像が壁一面に飾られていました。こちらも確証はありませんがArt of the Philippinesのエリアのように感じました。私はカトリックではありませんが、2階の展示室で最も印象的な部屋でした。
写真内の左端の大きな木像をネットで調べてみると「St. Thomas Aquinas, 18th century wood statue from the Philippines」と書かれていたことから、クリックすると拡大木像は18世紀にフィリピンで彫られた聖・トマス・アクィナスの像であることと、ここがフィリピン美術のエリアであることも判りました。正面から撮っていなかったので右の写真をネットから転用させていただきました。聖・トマス・アクィナス(1225年頃~1274年没)はフィリピンには行っていないようですが、マニラに1611年に聖・トマス・アクィナスを記念して創設されたクリックすると拡大世界最大級(2015年時の生徒数44,791人)のカトリック大学(単一キャンパスの学生数が世界最大のカトリック大学)である右の写真の聖トマス大学(University of Santo Tomas)があるようにフィリピンと聖・トマス・アクィナスの思想とは関係が深いようです。
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壁の沢山の小さい像を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。いろんなタイプがあるのでキリストだけではないようです。
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荒久の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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2018年7月14日の佐原の大祭で18時半から10台の山車(だし)が順番に行こなう「のの字廻し」の1番目の「のの字廻し」はすでに紹介した上仲町の山車で、2番目が今回紹介する荒久(あらく)地区の山車でした。上の写真は10台の山車が並べられていた寺宿通りから、荒久(あらく)の山車が入ってくるところです。

荒久の山車に乗せられている人形は日本神話に登場する経津主命(ふつぬしのみこと)です。日本書紀などでは経津主神の呼名で出てきて、香取さまとも呼ばれ、近くの香取神宮で祀られています。
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のの字廻しが行われる交差点の中心近くに進んできました。
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10台の全ての動画を撮りたかったのですが、1台6分づつ撮るとデジカメがすぐに電池切れになることから荒久の山車の動画は撮りませんでした。
その代り、連写で撮った写真をアニメーションGIFにいたしました。掲載できる写真の制限は2MBなので4~5秒程度の動きしか紹介出来ないのが残念です。このアニメーションは実際のスピードに近いものにしております。のの字廻しで最も回転が速かったのが、この荒久の山車だったと思います。名前の通り10台の山車の中で最も荒いとも言われているそうです。以前のことですが回転が速すぎてお囃子の人が落ちたこともあったそうです。
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1画面を静止画でも紹介します。
地方により山車、曳山、山鉾、山笠、地車、祭車、御車、笠鉾、お笠、屋台、台楽などいろんな呼び方があるのに驚かされます。私が子供の頃に住んでいた神戸の東灘区岡本の祭で曳いていたのは地車(だんじり)でした。
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荒久区の山車は2018年5月に更新されたばかりです。その前の山車は90年走り、佐原の大祭最終日の翌日の2017年7月17日(月曜 海の日)に勝徳寺において地元住民の前で最後の「のの字廻し」を披露したのち、八坂神社で解体安全祈願が行われたそうです。飾りの彫刻の飾りなどは昔からのものが使われているようです。人形は1920年に更新されたそうです。三代目・安本亀八の作だそうです。
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若連の人達です。この人たちが山車を回転させているのです。佐原囃子(さわらばやし)を演奏している下座連(げざれん)は野田芸座連だそうてす。
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さらに加勢して押している人たちも沢山おられました。
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若連の人達の連写も紹介いたします。477x318ピクセルの画面では20枚までなので紹介出来る画面は僅かです。
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クリックすると拡大上の続きはこちらです。こちらも20画面のみですが雰囲気を感じていただければ幸いです。連写した約15秒間を紹介するために右の小さな画面のGIFを作りました。クリックすると下と同じサイズを表示しますが70%の画面を飛ばして20枚のGIFです。
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クリックすると拡大クリックすると拡大寺宿通りに並んだ荒久地区の山車です。16時30分の時点ではすでに寺宿通りに並んでいました。17時頃にはすべての山車が寺宿通りに並ぶと佐原駅でもらったパンフレットに書かれていました。前から2番目なので早めに並んだのだと思います。上の写真に比べて背が高いと思われのせんか。電線の下を潜るために人形は上下に動く仕掛けになっているのです。先頭から上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町と並びます。
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佐原の町の中を曳き廻し中は「のの字廻り」の時よりもさらに人形は低くなっていました。
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佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :平成30年5月(2018年5月)更新
 ② 飾り物の制作年/作者:大正09年(1920年)/三代目・安本亀八
 ③ 額の文字      :威徳(いとく)
 ④ 一口メモ      :飾り物は香取神宮の祭神。彫り物も立派で、
              特に方立(柱隠し)は優れている。
 ⑤ 担当の下座連    :野田芸座連
 ⑥ 地区        :荒久(あらく)
 ⑦ 飾り物       :経津主命(ふつぬしのみこと) 
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ホノルル美術館 日本・中国・韓国美術編 [ハワイ]

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ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館はすでに下の着色文字の記事で紹介いたしました。意外なことに日本美術の展示に関しても力が入っていました。日本美術の中で最大のコレクションは浮世絵で、その数は10,000点にもなるそうで、米国で最も優れた浮世絵のコレクションの一つと言われています。日本の国立西洋美術館に保管されている松方コレクションの浮世絵の約8200点よりも多い数です。中国や韓国の美術品も沢山展示されていました。上の図でも分かるように日本・中国・韓国美術はホノルル美術館の中でも広いスペースが使われて展示されていました。個の3つのエリアの合計スペースは西洋美術と同程度が使われているほど力が入ったものでした。個々の作品の写真を撮らなかったのが悔やまれまクリックすると拡大す。
 青枠 日本美術エリア Japanese Art
 緑枠 中国美術エリア Chinese Art
 赤枠 韓国美術エリア Korean Art
今までに紹介したホノルル美術館の記事です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大 絵画編 西洋美術
 Art of Hawaiʻi エリア編
 特別展編 Erick Swenson
 モダンアート編
 日本・中国・韓国美術編   ←  今回
 
日本・中国・韓国美術エリアは東洋的な中庭の周りに配置されていました。
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こちらが日本美術エリアです。美術館の主なコレクションは、ホノルル美術館創設者(女性)であるAnna Charlotte Rice Cooke(結婚前:Anna Charlotte Rice)によって集められたものです。日本語ではアナ・ライス・クックあるいはアナ・シャーロット・クックと書かれています。
彼女は息子4人と娘2人に恵まれました。そして彼女だけでなく夫も長男も次男もWikipediaに書かれているほど著名で活躍した人達です。
彼女の夫の名前はCharles Montague Cookeで、長男の名前も同じCharles Montague Cooke Jr.(動物学者)で、次男の名前はClarence Hyde Cooke(実業家、政治家)です。彼女はハワイの初期の宣教師を先祖とする裕福な一家に1953年に生まれ、1874年に結婚して、1882年に現在のホノルル美術館の場所に家を建てて住んだそうです。夫の事業が成功したこともあり多くの美術品を集めていました。そして夫が亡くなった18年後の1927年に住んでいる家を取り壊して美術館を建てたそうです。そのCooke夫人が特に日本美術に興味を示していたと言われていまクリックすると拡大す。
彼女は1920年代~1930年代に横浜の野村洋三を通して多くの有名な作品も購入したそうです。
野村洋三は1894年に右の写真のサムライ商会(古美術商)を24歳で開業し、1938年にはホテル・ニューグランドの会長になり、横浜商工会議所会頭なども務めた人です。
クリックすると拡大右の小さな写真はCookeファミリー(Cooke夫婦、子供、孫)です。夫が写っていることから撮影されたのは1909年か、それより少し前であることから、ホノルル美術館が建てられる前の敷地に建っていたCooke夫婦の家の庭で撮られたものだと思われます。
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絵画だけでなく漆器(特に沖縄漆器)、彫刻、茶道具、武家文化美術品などといろんな分野の美術品が集められているそうです。とは言え日本エリアでは絵画コレクションが圧巻です。
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こちらが中国美術エリアです。いろんな美術品が多く並べられていましたが特に陶磁器は沢山展示されていました。日本エリアと同程度のスペースに沢山いろんな時代の陶磁器が並べられていました。
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こちらは韓国美術エリアです。こちらも陶磁器が多く展示されていました。
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ここの韓国陶磁は米国の屈指のコレクションだそうです。今まで見る機会が少なかっただけに値打ちがありました。
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上仲町の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

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2018年7月14日(土曜日)に千葉県香取市で行われている「佐原の大祭(さわらのたいさい)」を見に行ってきました。今回見て来た佐原の大祭で行われている山車の行事は国の重要無形民俗文化財に指定されているだけでなく、2016年12月1日にはユネスコの無形文化財となった日本全国の「山・鉾・屋台行事」の中に含まれているのです。つまり世界遺産の無形文化財でもあるのです。佐原の大祭は夏祭り(7月・本宿祇園祭)と秋祭り(10月・新宿秋祭り)の年2回行われています。それぞれ神社も違い山車(だし)も違いそれを担当する地区も違うのです。佐原(さはら)の中を流れる小野川の東側が夏祭り地区で、西側が秋祭り地区になります。
 夏祭り 八坂神社 山車10台 金曜~日曜日(7月10日以降)
 秋祭り 諏訪神社 山車14台 金曜~日曜日(10月第2土曜日)
今回は夏祭りを見に行ったわけですが、最大のビックイベントが、同じ場所で10台の山車が順番に「のの字廻し」と呼ばれている迫力の曲曳きを行うことです。この「のの字廻し」を見るために1時間15分前の17時15分に場所取りをいたしました。10の山車の「のの字廻し」の全てを見て動画や写真を撮りました。本記事では最初に「のの字廻し」を行った上仲町の山車を紹介いたします。18時30分から始まり10の山車の「のの字廻し」が終わったのは20時だったので平均で9分ごとに行われたことになります。上の動画は入場してきて終わるまですべてを連続で撮った動画です。6分47秒の動画ですが是非とも見てほしいです。一か所で全ての山車が連続で「のの字廻し」を行うのは夏祭りの特徴のようです。

今回の「のの字廻し」香取街道と寺宿通りの交差点(十字路)で行われます。「のの字廻し」が行われる18時30分の1時間半前までに10台が寺宿通りに勢ぞろいするのです。10台の山車が並んだのを見てから場所取りに香取街道と寺宿通りの交差点に行ったので17時15分だったのです。実は我々が最後で2時間から3時間前から場所取りをしている人が大半だったので、上の動画を撮影できたのは非常にラッキーだったのです。クリックすると3日間の祭りのスケジュールを表示します。連続10台の「のの字廻し」は土曜日だけです。土曜日以外も任意で「のの字廻し」が行われているので見ることが出来ます。その時の方が人が少ないので見やすいかもしれません。
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寺宿通りに並んだ山車です。先頭が今回紹介する上仲町の山車です。との人形も高く立っていますが、移動中は電線に当たらないように上下に移動できるような仕掛けがあるのです。先頭から上仲町荒久本川岸八日市場浜宿、寺宿、田宿、仁井宿、船戸、下仲町の山車です。
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こちらが「のの字廻し」が行われる1時間15分前の17時15分の写真です。交差点の中心の円形のすじは前日に行われた「のの字廻し」の跡だと思われます。
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交差点から西方向の香取街道です。この時点では、まだ通行は可能でした。
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千葉テレビの撮影スタッフの人達も集まりました。
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水をまき始めました。少しでも廻しやすいようにしているのだと思いますが、最初の3台目以降は乾いてしまっていました。
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15分前になるとかなりの人になってきました。予定表を見ると、丁度このころに10台の山車の前では通し砂切(とおしさんぎり)が演奏されていたのだと思います。
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10分前の18時19分の香取街道の東方向です。我々が見ていた背中側の景色でもあります。この写真で我々がラッキーだったことが分かってもらえると思います。最前列かそれに近くないと、山車の上の方しか見ることが出来ないのです。ユネスコの無形文化財に登録されて2度目の夏祭りです。


交差点から北方向の状態です。


いよいよ「のの字廻し」が始まる雰囲気になってきました。
佐原の大祭は、江戸の祭礼文化の影響で享保年間(1716年~1736年)には山車と囃子を中心とする祭礼が行われるようになったそうです。当初の飾り物は、それぞれの町内で趣向を凝らして製作していましたが、近世末期に関戸区の山車に大人形が乗せられたのをきっかけに、江戸の人形職人に飾り物の製作を依頼するようになったそうです。
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すぐそばの家の人は間近で見れて羨ましかったです。


上仲町の山車が入場する前に鮮やかなオレンジ色の捩り鉢巻に法被(はっぴ)を着た上仲町の沢山の人達が寺宿通りの方から入ってきて、「の」の字の周囲を囲みました。
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その上仲町の法被集の輪の中に、いよいよ上仲町の山車の入場です。提灯にも火が入り雰囲気も祭となってきました。人形は太田道灌で1921年(大正10年)に更新されました。山車は社寺建築の本枡組造りの様式を取り入れられた重厚なもので1901年(明治34年)に更新されたものですが、木彫りなどの飾りは昔からのものを使っているようです。扁額の文字は徳威(とくい)です。
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街の中の山車の曳き廻しでは先頭に2本のロープを結んで地区の人がみんなで曳く(ひく)のですが、この時はロープもなく曳く人はいませんでした。
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どうやら押して入ってくるようでした。
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前輪の部分に2本の木の丸太が差し込まれています。手前側の丸太つまり進行方向に向いて右側の車輪を中心にして右回転させるのです。位置に着いた時点で山車を押してきた屈強な若い男性が右回転する方向に押し始めるのです。他の山車が位置に着いてから少し時間をおいて「せーの」と声をかけてから廻し始めたのに対して、上仲町の人達は、山車が回転位置に来た途端に掛け声を出して回し始めました。これはすごいことだということは何台か見てから分かりました。
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若連(若衆)と呼ばれている男たちが山車から突き出た丸太を手前に押して右回転させているのです。
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この状態で山車を数回転させるのです。時間にすると3分36秒間回し続けていました。山車の重さは3から4トンで高さは高いもので7mだそうです。後輪の右側の車輪は回らず横滑りさせているので信じられないほどの力がいると思います。仮に4トンとしてその横滑りの車輪の垂直荷重が1トンに対して摩擦係数が1.0だとすると1トンの横荷重が必要になるわけです。テコの原理があったとしても1人当たり50~100kgの力を出し続ける必要があるようです。それを3分36分間も続けるわけですから過酷です。
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力尽きるのではないかと心配になるほどの過酷な曲廻しでした。実際に力尽きて回転が止まりそうになったり止まっりする山車もあったほどでした。上仲町の山車は一気に回し切りました。回転が止まった山車もなんとか回し切りました。全力で3分36分間連続で力を出するは厳しいと思います。
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冒頭の動画をここに入れておきます。初期画面は神輿を担いでいるのではなく山車を若連の人達が力いっぱい回転させているところだったのです。動画自体は上仲町地区の人達が「のの字廻し」の場所に入場してくるところから始まります。全部で5回廻しました。1回転するための所要時間は次の通りです。1回転目はかなり速いスピードですが、やはり3回転目に入った辺りから疲れてくるようです。4回転目は1回転目の約3倍(2.95倍)の時間がかかりました。倍の数値は1回目に対するかかった時間の比率です。着色文字をクリックするとその回転が始まるところからの動画を表示します。
 1回転目 20秒(360°) 1.00として
 2回転目 36秒(360°) 1.80倍
 3回転目 50秒(360°) 2.50倍
 4回転目 59秒(360°) 2.95倍
 5回転目 51秒(330°) 2.78倍 合計216秒(3分36秒) 平均43.9秒/回転


回転中の山車の屋根部分です。お囃子(おはやし)に合わせた「わっしょい! わっしょい!」の掛け声とともに何度も廻っていました。
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やっと「のの字廻し」が終わって西方向に向きをかえて退場していくところです。前日の7月13日の上仲町の山車の「のの字廻し」の動画見つけました。人数が少ないためなのか、苦労されていました。その反省をもとに7月14日のすばらしい「のの字廻し」になったのかもしれません。→ポチッ
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クリックすると拡大若連の方々お疲れさまでした。迫力の「のの字廻し」ありがとうございました。ひきつづき9つの山車の「のの字廻し」すべてを見させていただきました。この後、1時間に1本以下のJR成田線・佐原駅20時41分発の列車で帰宅いたしました。20時41分発の後は22時15分発でした。他の山車に関しても近いうちに紹介したいと思います。
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佐原の大祭は、下記の関東三大祭りの一つとしても有名です。
ちなみに江戸三大祭りは神田祭と山王祭と深川祭です。
 佐原の大祭  千葉県 夏祭り(7月) 秋祭り(10月) 詳細は冒頭に記載
 石岡のお祭り 茨城県 9月15日(例祭)を含む3~4日間 最終日は敬老の日
 川越まつり  埼玉県 10月第3日曜日と前土曜日


佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治34年(1901年)
 ② 飾り物の制作年/作者:大正10年(1921年)/大柴徳次郎
 ③ 額の文字      :徳威(とくい)
 ④ 一口メモ      :山車は社寺建築の「本枡組造り」の様式が取り
              入れられた重厚なもの。
 ⑤ 担当の下座連    :東関戸連中
 ⑥ 地区        :上仲町(かみなかちょう)
 ⑦ 飾り物       :太田道灌(おおたどうかん) 
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九十九里浜 本須賀ビーチ 早朝の散策 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事で九十九里浜の本須賀ビーチの近くの宿に泊まって右の写真の海鮮バーベキューを食べたことを紹介いたしました。九十九里浜に泊まると日出の写真を撮りたくなるり実行いたしました。上の写真は早朝に九十九里浜の海岸に出て撮った写真です。残念ながら曇り空でしたが海岸の海面から上がった湯気が沖の方向に流れていく幻想的な景色に出会いました。本須賀は「もとすが」ではなく「もとすか」と読みます。上の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。

写真を紹介する前に東方向(正確には北東方向)の動画で迫力のある波を紹介します。動画の後半には上の写真と同じ景色を見ることが出来ます。そして最後の最後に薄雲の中に太陽を見ることが出来ると思います。


北東方向の動画を紹介したので、南西方向の動画を紹介します。両方のプレーボタンをクリックすると2つの動画を同時に見ることが出来るので時間の節約になると思います。波の音を楽しんでください。


九十九里浜の本須賀ビーチ(本須賀海岸)の散策ルートをGoogleの航空写真で紹介します。緑色ライン(━━) が今回歩いたルートです。
この本須賀ビーチでは前記事でも紹介したように本須賀八坂神社の例大祭の「神輿浜降り」が行われているそうです。最も波打ち際に近づいたポイントは経度140.47152度・緯度35.54975度でクリックすると拡大す。
  料理の宿 ニュー太洋
 ━━ ゴルフ場からニュ太洋へのルート
 ━━ 本須賀ビーチ散策ルート


海に最も近づいた場所( 経度140.47152度・緯度35.54975度)の2018年6月17日の日の出時刻は4時22分09秒でしたが、残念ながら前日の深酒のために起床できたのは5時を過ぎていました。そして宿を出たのは5時10分だったので晴れていたとしても日の出の瞬間を見ることは出来なかったのです。
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写真の正面にまっすぐ進むと本須賀ビーチに出ます。左の大きな看板が宿の看板で自動販売機方向に歩くと宿があります。
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歩いて1分もしないで駐車場エリアに着きます。
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さらに歩くと海が見えてきました。ここから先が砂浜です。
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波打ちぎわまでは意外と距離がありました。本須賀ビーチは九十九里浜の中でも砂浜が最も広い場所の1つだと思います。
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こちらは南西方向です。九十九里浜の長さは約60kmです。現在の1里=3.927273kmですが、計算では1里は60000m÷99里=606m/里となります。名前が付けられた中世の1里は545m~655mであったことから偶然かもしれませんが、実際の長さに近い九十九里浜の名前が付けられたことになります。2017年の記事で詳しく記載させていただきました。→ポチッ
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サーファーの方が沢山来られておられました。
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大きな波の向こうにサーファーの方が写っているのが分かってもらえると思います。
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こちらの写真にもサーファーの方が写っています。この時、5時19分でした。
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5時27分ごろになると日が差してきました。砂の丘の上に立って撮った写真です。すでに光が強くなっていたので太陽の方向の写真は撮りませんでした。
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砂の丘の上には可愛らしい花が咲いていました。九十九里浜で沢山見られるハマヒルガオと思われます。浜昼顔の分類を紹介します。
  界 植物界    Plantae
    被子植物   Angiosperms
    真正双子葉類 Eudicots
    キク上類   Superasterids
    キク類    Asterids
    シソ類    Lamiids
  目 ナス目    Solanale
  科 ヒルガオ科  Convolvulaceae
  属 ヒルガオ属  Calystegia
  種 ハマヒルガオ Calystegia soldanella
 英名 False bindweed
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丘から降りると大きな駐車場の最も東側に出てきました。日曜日の5時28分の駐車です。
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駐車場から住宅地の方向に細い道がありました。この道から宿に戻ることにいたしました。地元の人が散歩に使われているようでした。
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宿に戻ってきました。
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宿の入口には宿の利用者のためのシャワーがありました。
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朝風呂に入って温まるのもいいかもしれません。
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紫色のライン(━━)で示した、刑部岬(ぎょうぶみさき)から太東岬(たいとうみさき)までの約60㎞が九十九里浜です。車で東京駅から九十九里浜まで73km(約1時間)です。

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また九十九里浜の料理の宿に来てしまいました。 ニュー太洋 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2017年6月16日~17日は1泊で16年(26回)続いているプライベートのゴルフに行っきました。ただし私は21回から参加させていただいています。この会の特徴は平日の金曜日に休暇をとってゴルフして1泊して飲むことなのです。ただし、今回は休みが取れない人が多かったようで土曜日となりました。今回の参加人数は右下の写真の8名+1名(撮影者SORI)の9名=3名×3組でした。下記が私が参加してからのコンペで、着色文字をクリックすると、その時の記事を表示します。上の写真はこの日の夕食の海鮮バーベキューと新千葉カントリー倶楽部あさぎりコースNo.1ホールです。
 21回 2015年11月27日(金)~28日 奥房総
クリックすると拡大 22回 2016年06月03日(金)~04日 木更津
 23回 2016年11月18日(金)~19日 那須
 24回 2017年06月09日(金)~10日 九十九里
 25回 2017年11月17日(金)~18日 参加できず
 26回 2018年06月16日(土)~17日 九十九里

今回も24回の時と同じ宿(ニュー太洋)に泊まりました。ゴルフ場から13.2kmの距離にあるのが選定理由の一つですが、24回の時の夕食が参加者に好評だったことが最大の理由なのです。前回の料理の記事を見ていただくと理由が分かってもらえるかもしれません。→ポチッ
ただし前回は部屋の中で料理を頂きましたが今回は屋外での海鮮バーベキューでした。右の写真は翌朝の九十九里浜の写真です。
クリックすると拡大  26回 新千葉カントリー倶楽部
  24回 山田ゴルフ倶楽部
  料理の宿 ニュー太洋
  本須賀八坂神社
 ━━ ゴルフ場( A ) → ニュー太洋( B ) 13.2km


こちらが海鮮バーベキューを食べた屋外席です。ゴルフは9名でしたが用事がある人が2名いたので宿泊は7名でした。手前に4名座り奥に3名座りました。
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席からの景色です。松明(たいまつ)に火がつけられているので、暗くなってくると雰囲気が出てきます。
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海鮮バーベキューがメインですが、それ以外に料理が3品と締めの炊き込みご飯とデザートが付いていました。先ずは3品を紹介します。
1品は豪華な伊勢海老料理でした。
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こちらはタマネギ料理です。千葉県産の新タマネギを柔らかく煮た料理でホワイトソースでいただきました。
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3品目は刺身の盛り合わせです。地元の郷土料理である'イワシのくされ寿司'や'アジのナメロウ'も入っていました。
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こちらがアジのナメロウです。
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これが九十九里浜の郷土料理(漁師料理)の'イワシのくされ寿司'です。大ぶりのいわしを酢で締めて腹の部分に酢飯を入れたものだそうです。'イワシのなれずし'や'くさりずし'とも言うそうです。九十九里浜に伝わる伝統的な保存食で、秋から冬にかけてイワシ漁の最盛期に、苦労して得た海の幸を保存する方法として生まれたそうです。昔は塩漬けした魚と飯を合わせて重石(おもし)をして 発酵させて作ったようです。現在でも、昔の作り方が行われているかどうかまでは調べ切れていませんが、今回の'くされずし'は醗酵したような感じでもあったので、もしかしたら昔の作り方なのかもしれません。
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いわしのくされ寿司の断面を拡大いたしました。
この料理に関しては好みが分かれると思うので、伝統の郷土料理であることをアピールした方が良いと感じました。
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これが海鮮バーベキューです。
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大きなホタテでした。
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サザエもありました。
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九十九里浜産のもハマグリもありました。
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アワビも1人に1つありました。貝類を柔らかく美味しく焼く秘訣は日本酒を沢山かけてしっかり焼くことだと教えてもらいました。本当は焼きあがったところの写真を掲載したいところですが、話が盛り上がってしまい写真を撮るのを忘れてしまいました。3つの四角のはバターです。
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バーベキューには肉もありました。
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焼いているところの写真は何枚か撮っていたので掲載いたします。トウモロコシも美味しかったです。
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こちらは肉を焼いているところです。
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〆は土鍋で炊いた炊き込みご飯が出てきました。前回の経験からアサリ飯だと思います。
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伊勢海老(又は蟹)の入ったお吸い物も出てきました。これは絶品でした。
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お茶碗によそったアサリご飯です。
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漬物も美味しかったです。
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デザートはパイナップルとタピオカのココナッツミルクでした。
今回も前回も、宿泊と宴会は幹事さんにお任せしているので詳細は分かりませんが、次の食事付宿泊コースだと想像しています。
 前回 2017年6月09日 海鮮グルメプラン
 今回 2018年6月16日 BBQ海鮮グルメコース 
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前回も紹介しましたがあらためて料理を食べた宿を紹介します。
住所の中の山武は「さんむ」と読みます。山武市は2006年3月27日に山武郡成東町・山武町・蓮沼村・松尾町が合併して出来きた面積146.77k㎡の市です。人口は2018年4月1日時点で50,345人だそうです。実は、合併以前(1975年ごろ~2006年3月)は山武を「さんぶ」と呼んでいましたが、合併を機会に歴史的な読み方の「さんむ」に戻したそうです。
ニュー太洋から歩いて数分の本須賀海岸では毎年7月の最終土曜日(2018年は7月28日)にクリックすると拡大本須賀八坂神社の例大祭の「神輿浜降り」が行われているそうです。この祭礼は鎌倉時代からの歴史あるものだそうです。右の「神輿浜降り」の写真は日本観光振興会のホームページから転用させていただきました。
クリックすると拡大 名前 料理の宿 ニュー太洋
 住所 千葉県山武市本須賀3841-72  山武市の市章
 電話 0475-84-1129
 定休 なし
 最寄 フラワーバス 成東海岸バス停 JR成東駅から乗車
 予約 食事だけの場合も完全予約制 昼食(11:30~15:00) 夕食
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メロのカマ(銀ムツのカマ) 父の日のプレゼント [北海道]

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父の日に北海道の長男家族から右の写真の4種類の食材が届いて、サクラマスに関してはすでに紹介しました。本記事では聞きなれない名前の「メロのカマ」に関して紹介したいと思いまクリックすると拡大す。
 桜マス   6切れ
 ホッケ   1匹
 ほたて   450g
 メロのカマ 1切れ  ← 今回の記事
メロのカマはメロという名の魚のカマの部分なのですが、実はメロは北海道の食材ではないのです。ところがメロのカマは北海道以外では簡単には手に入らない食材のようです。もちろん私の家の近くでは手に入りません。メロは南極周辺の水深50m~3850mの深海に生息する深海魚で正式和名はマジェランアイナメなのですが、1980年代からギンダラ(銀ダラ)の代用食材として入ってきた魚なのです。代用魚なのに銀ダラより美味しい魚だと思います。北海道は魚介の食材が多い場所だからこそ珍しい食材も売られていて、このメロのカマは美味しいので4種類の食材の中に入れてくれたとのことでした。

これがメロのカマです。 メロカマとも呼ばれています。
冷凍の食材は解凍の仕方が命です。冷蔵室で解凍するのですが、解凍が完了してから時間が経つと味が落ちてしまうので料理を始める寸前に解凍が完了するタイミングが重要になってきます。解凍されていないのも問題のため少し余裕を見て料理の17時間前に冷凍室から冷蔵室に移しました。時間は夜の1時でした。これが朝だと夕刻には解凍は終わっていなかったと思います。
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こちらが17時間後の解凍が完了した状態です。中央の細くなっている部分が腹側で左右がカマの部分です。重さを計ってみると540gもありました。
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メロの皮側も紹介します。メロは日本での流通名ですが、スペイン語が使われていたチリでの呼び名であったMeroに由来しています。実はMeroはスペイン語のハタ類の総称です。当該種はハタ類ではありませんが、チリではハタ類の一種としてみなしてMero(メロ)と呼んでいたことから日本でも呼称をメロとしたそうです。ちなみにアルゼンチンではMerluza negraと呼ばれています。
メロは1mを越える大型魚で、最大の記録は238cm(長さ)×130kg(重さ)だそうです。日本とアメリカで漁獲高の約90%消費されているそうです。アメリカではChilean Sea Bassと呼ばれています。クリックすると拡大
 界 動物界       Animalia
 門 脊索動物門     Chordata
亜門 脊椎動物亜門    Vertebrata
クリックすると拡大 綱 条鰭綱       Actinopterygii
 目 スズキ目      Perciformes
亜目 ノトテニア亜目   Notothenioidei
 科 ノトテニア科    Nototheniidae
 属           Dissostichus
 種 マジェランアイナメ D. eleginoides
英名 Patagonian Toothfish 又は Chilean Sea Bass
学名 Dissostichus eleginoides
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ガスコンロのグリル部分で焼くことにいたしました。昨年ガスコンロを新しいものに取り換えたので、結構分厚くても焼けるようになったのです。前のガスコンロだととても焼くことが出来ないので、その時はガスオーブンで焼いていたと思います。
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これが焼きあがりです。分厚いので途中で火を小さくして時間をかけて焼き上げました。
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並べると他の料理が小さく見えます。大きめのランチョンマットでしたが並び切れなくて、はみ出してしまいました。
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これがメロのカマです。シンプルナ味を楽しみたかったので味付はしないでそのまま焼きました。レモン汁でいただきました。プリプリでほのかな塩味があり美味しかったです。
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こちらが小さい方のメロです。大と小のそれぞれの重さは計っていませんが見た目では1対2なので、こちらは180gで大きい上の写真のメロは360gだと思います。数値は焼く前の重さです。
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こちらは胡麻豆腐です。メロカマが540g/2人もあったので他の料理は軽いものにしてもらいました。
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クリックすると拡大キュウリとセロリの即席の漬物です。赤しそふりかけ「ゆかり」を混ぜ込んで作ったそうです。さっぱりとして美味しかったです。同じように作る漬物に使うものとしては昆布茶があります。昆布茶はよく使いますが、ゆかりは初めてでした。
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味噌汁も用意してもらえました。
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ビールもいただきました。私はスッキリより苦みがある方が好きなのでキリンのラガービールにいたしました。もちろん製造年月日の新しい方を優先して買うのですが、製造年月日の新しいラガービールが売られていたのですぐに買いました。
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プリプリした食感を紹介したくて断面の写真を掲載いたしました。2003年以前には「銀ムツ」という名前で流通していたそうですが、ムツやアカムツなどとは分類が異なる魚であることから2003年にJAS法が改訂されて「銀ムツ」自体がつかえなくにり、現在では「メロ」あるいは「銀ムツ(メロ)」で流通しているそうです。流通名としては銀ムツは使えませんが、あくまでも銀ムツ=メロであることには違いは無いのです。流通名に銀ムツが使えないだけなのです。つまりタイトルのように「メロのカマ」=「銀ムツのカマ」なのです。
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タグ: 父の日
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ホノルル美術館 モダンアート編 [ハワイ]

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ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館の作品は今までに下記の3つの記事で紹介しました。上の作品は西洋美術エリアのTemporary exhlbitionsと書かれていた部屋に展示されていた作品です。本作品が常設展示なのか特別展示なのかは分かりませんが、クリックすると拡大作品と部屋の雰囲気を紹介したいと思います。
 絵画編 西洋美術
 Art of Hawaiʻi エリア編
 特別展編 Erick Swenson
 
今回の展示室の場所は赤枠部分です。
今回紹介するエリアの作品は現代美術(Modernism)に含まれると思います。緑枠エリアの作品に関してはすでに絵画編で紹介しています。
 青枠 西洋美術エリア
 緑枠 Modernismエリア
 赤枠 Temporary exhlbitions
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こちらがすでに紹介した緑枠エリアのModernismの部屋です。ここでは絵画が主体でした。右の作品はキリコのThe Greal Machineです。
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こちらが作品が展示されていたTemporary exhlbitionsです。右の作品が冒頭の作品です。
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そのカラフルな作品を紹介します。壁にかかっていますが絵画ではなく立体的な作品でした。作家であるリキテンスタインは1923年にニューヨークに生まれて、1940年オハイオ州立大学美術学部に入学し、第二次世界大戦後の兵役を含んで1949年に修士号を取得しています。卒業後も大学にとどまり1949年から1951年までは講師で生計を立てながら、当時としては最新の抽象表現主義風の作品を制作していたそうです。
クリックすると拡大本作品は、73歳で亡くなった1997年の2年前(1995年)の作品です。つまり71歳か72歳の時の作品です。
 作家 ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)
 作品 Woman Contemplating a Yellow Cup 
 制作 1995年 (71歳 or 72歳)
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より雰囲気を感じていただきたくて拡大写真を掲載いたしました。
クリックすると拡大鮮やかでクリアー造形物でした。日本にもロイ・リキテンスタインの作品があります。美の巨人たちで取り上げられた東京都現代美術館が所蔵している右の写真のヘアリボンの少女(121.9×121.9cm 1965年作)です。当初1995年には都の予算で618万ドル(約6億8千万円)で購入することを皮肉るような批判もありましたが、現在の市場価格は数十億~百億円だそうです。彼の作品で最も高い値段が付いたのは2017年1月売買の1億6,500万ドル(約182億円)のMasterpiece(137×137cm 1962年作)で、2番目は2015年売買の9,540万ドル(105億円)のNurse(121.9×121.9cm 1964年作)です。
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作家のルイーズ・ネヴェルソンはウクライナのキエフの材木を扱うユダヤ人商家に1900年に生まれ、5年後にアメリカ・メイン州に移住したそうです。木材に親しんだいたことから10歳から木を彫り始めたというアメリカ人女性彫刻家で、本名はレア・ベルリャフスキー(Leah Berliawsky)だそうです。家具のような日用品の廃物などを集め、それらを切り刻んで黒く塗り、黒い箱の中に入れて寄せ集めたアサンブラージュの作品が中心だそうでクリックすると拡大す。
 作家 ルイーズネベルソン(Louise Neveison)
          1900年~1988年(88歳没)
 作品 Biack Zag X
 制作 1969年 (68歳 or 69歳)
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こちらも拡大いたしました。子供の頃の遊び心を忘れないで作ったような作品のように感じました。
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別の角度からの部屋の景色を紹介します。壁に掛ける作品だけでなく床に置く作品も展示されていました。
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人類誕生 [話題]

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クリックすると拡大前記事「ホノルル美術館 特別展編」で右のエリック・スウェンソンの作品「Ebie」を紹介した時に人類の進化に関して記載いたしました。その内容を切り出して一つの記事として掲載することにいたしました。
現代の人類(ホモ・サピエンス)につながる進化は最新の研究において、概ね上の人類進化系統図の①→⑨に進化してきたと言われています。Ⓐ~Ⓙは同時期に存在し絶滅した人類です。多くの人類が出現して絶滅していきましたが化石の痕跡から言えることは人類同士の戦争が始まったのは⑨のホモ・サピエンス同士だった考えられているそうです。確かにそれまでの人類の数は少なく遭遇することも稀で生き方も違うと考えられるので、異種人類同士の戦争は無かったことはありえることだと思いまクリックすると拡大す。
人類の進化に関する学説は今後も進化し変化していくものと考えるのが自然であることから、上の人類進化系統図は現時点における一つの学説です。最近脚光を浴びたルーシーと名付けられた猿人は⑤で、ジャワ原人は⑦になります。北京原人は⑦の亜種とされています。約4~1万年前にいたクロマニョン人は⑨に含まれています。上の人類進化系統図の中に出てくる以外の名前としては、オローリン・トゥゲネンシスアウストラロピテクス・バーレルガザーリケニアントロプス・プラティオプスホモ・ルドルフェンシスホモ・エルガステルがあります。着色した名前をクリックすると説明を表示します。
 ① サヘラントロブス・チャデンシス(類人猿→人 700~600万年前)
 ② アルディピテクス・カダバ(猿人 577~554万年前)
 ③ アルディピテクス・ラミダス(猿人 450~430万年前 アルディ)
 ④ アウストラロピテクス・アナメンシス(猿人 420~390万年前)
 ⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス(猿人 390~290万年前)
 ⑥ ホモ・ハビリス(240~140万年前)
 ⑦ ホモ・エレクトス(180~20万年前)
 ⑧ ホモ・ハイデルベルゲンシス(60~40万年前)
 ⑨ ホモ・サピエンス(現代人 ネアンデルタール人のDNAを約2%含)
  ブルテレの足(340万年前)
  パラントロプス・エチオピクス(270~230万年前)
  パラントロプス・ボイセイ(200~120万年前)
  パラントロプス・ロブストス(250~200万年前)
  アウストラロピテクス・アフリカヌス(300~200万年前)
  アウストラロピテクス・セディバ(180万年前)
  アウストラロピテクス・ガルヒ(200~300万年前)
  ホモ・ナレディ(不明)
  ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス 40~2.8万年前)
  ホモ・フロレシエンシス(? ~5万年前)

本内容はNHK総合で放送された人類誕生の第1集(2018年4月8日放送)と第2集(2018年5月13日放送)を参考にしてネットで調べた内容を加えて記載しています。NHKでは次の7種類の人類にスポットを当てて放送されていました。昔に教えられた人類誕生進化の常識がガラッと変わってきていることを知りました。各人類と日本人の体形を比較したい方は写真をクリックしてみてください。次の第3集は2018年7月8日21時から放送予定でしたが、オーム真理教関連の番組のために2018年7月15日21時からに変更(延期)になりました。後半の3枚の地図以外はNHKの人類誕生から転用させていただきました。身長は代表例です。
 ③ アルディピテクス・ラミダス580~440万年前)
 ⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス(390~290万年前)
 ⑥ ホモ・ハビリス(240~140万年前)
  パラントロプス・ボイセイ(200~120万年前) ホモ・ハビリスとの比較
 ⑦ ホモ・エレクトス(180~20万年前)
  ネアンデルタール人(40~2.8万年前)    ホモ・サピエンスとの比較
 ⑨ ホモ・サピエンス(現代人 ネアンデルタール人のDNAを約2%含)



人類に関する300万年前より古い化石は断片的なものが多いことから直立二足歩行の可能性の指摘に留まっている中で下記の全身骨格により、直立二足歩行が証明されるとともに生活様式の推測も行われたようです。左の画像が③で右の画像が⑤です。③から⑤の変化は家族から集団と推測されています。貴重な全身骨格であることから先頭の愛称が名付けられました。全身骨格とは、重要な部分の多くが含まれた骨格のことを意味しています。
 全身骨格化石(300万年前以前)
  アルディー 約440万年前 ③ラミダス    1994年発見 女性
  セラム   約332万年前 ⑤アファレンシス 2000年発見 幼女
  ルーシー  約318万年前 ⑤アファレンシス 1974年発見 女性
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ネアンデルタール人は約40万年前に出現し2万数千年前(4万年前と2万8千年前説があります。)に絶滅しましたが、現代人であるホモ・サピエンスのゲノム(DNA)の中にネアンデルタール人の遺伝子が約2%混入している説が2010年5月7日のサイエンスに発表されたそうです。その内容はNHKの人類誕生第2集でも紹介されました。下の地図は世界各地の現代人の遺伝子の中のネアンデルタール人DNAの割合を示した地図です。
クリックすると拡大本内容はマックス・プランク進化人類学研究所(Max-Planck-Institut für evolutionäre Anthropologie)のスヴァンテ・ペーボ博士(Svante Pääbo博士)をリーダーとする長年の研究の成果です。5万年前のネアンデルタール人の骨からDNAを復元するだけでも14年がかかったそうです。この成果により現代人のDNAと比較することが出来たのです。ちなみにNHKで放送された人類誕生のナビゲーター役の高橋一生さんのネアンデルタール人由来のDNA含有率は推定約2.3~2.4%でした。日本人のほとんどが約2%を持っそうです。
クリックすると拡大地域によって割合の特色が出ていることがホモ・サピエンスとネアンデルタール人の混血があったことを示唆しているようです。中東地域で混血があり世界に広がったと考えられていまクリックすると拡大す。
 ヨーロッパ 1.8~2.4%
 アジア   2.3~2.6%
 アフリカ  0.0%
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NHKスペシャル・人類誕生(3回シリーズ) NHK総合 日曜日21時~21時49分
 2018年4月08日 人類誕生 第1集「こうしてヒトが生まれた
 2018年5月13日 人類誕生 第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ
 2018年7月15日 人類誕生 第3集「ホモ・サピエンス ついに日本へ!
第3集の「ホモ・サピエンス ついに日本へ!」では、その後の人類の世界拡散につながる約3万年前の広い海を渡る技術の習得の成果となった台湾・沖縄ルート(当時の人類の最も難しい航海)に焦点をあてて説明が行われていました。
 NHKホームページに登録されている超微細CG動画 クリックすると表示
 ③ アルディピテクス・ラミダス      生活(家族)
 ⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス 生活(集団)
 ⑥ ホモ・ハビリス            生活(石器)
 ⑦ ホモ・エレクトス           狩り(持久力)
  ネアンデルタール人          狩り(小人数)
 ⑨ ホモ・サピエンス           生活 宗教 狩り 出会 旅出

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   ネアンデルタール人 デニソワ人 と交わった可能性のある場所

琉球諸島の旧石器時代の遺跡です。当時の台湾は更新世氷河期時代(300万年~1万年前)で大陸と陸続きでした。遺跡の年代から3万年前には海を渡る航海能力が旧石器時代の人類にあった証拠となっています。



2019年10月29日追記 タイトル:現生人類の正確な誕生場所が発表
現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンス(Homo sapiens sapiens)はアフリカで誕生したと言われていましたが、今までは正確な場所は特定されていませんでした。2019年10月29日に正確な場所が特定できたとの論文発表がされたので枠内に、その記事を転記する形で紹介いたします。
現生人類、ボツワナで20万年前に誕生 DNA分析で特定
10/29(火) 6:25配信
現生人類は20万年前、ボツワナ北部で誕生したとする論文が28日、国際研究チームにより科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。人類誕生の地を特定した研究結果としては、これまでで最も詳細な位置を示したものとみられる。
解剖学的現生人類のホモ・サピエンス・サピエンスがアフリカで誕生したことは以前から知られていたが、その正確な場所は特定されていなかった。 研究チームは、「L0」系統のDNAを高い割合で保持することが知られている民族グループ「コイサン」に属する200人からDNAサンプルを採取した。コイサンは現在、南アフリカとナミビアに暮らしている。 研究チームはサンプルを地理的分布や考古学、気候変動のデータと合わせ、ゲノム年表を作製。年表から、L0系統の起源が20万年前のザンベジ川(Zambezi River)南方のボツワナ北部にさかのぼることが示唆された。 同地域はマカディカディ・オカバンゴ(Makgadikgadi-Okavango)と呼ばれ、現在は主に荒原が広がっているが、当時はビクトリア湖(Lake Victoria)の約2倍の大きさの巨大湖があったという。人類は同地域に約7万年の間住んでいたが、約13万年前に起きた気候変動により世界各地に広がっていったとみられている。 クリックすると拡大

タグ:人類
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