巨大な民家 「王家大院」 [山西省]
写真の上のカーソルがの場合は写真をクリックすると拡大します。
以前に山西商人の大豪邸として喬家大院(日本語:喬氏邸宅)を紹介しました。その喬家大院をネットで調べているときに、さらに大きな大院があることを知りました。それを見て、是非、行ってみたいと思っていましたが意外と早くその王家大院(日本語:王氏邸宅)に来る機会を得ました。実際に見て驚きの一言でした。 喬家大院とは桁違いといえるくらいの規模でした。上の写真が入口の門です。これが個人の家とは!
門の一番上に掲げられた扁額には「輝映綿翠」と書かれていました。こちらの意味を調べてみましたが判りません。
門の入口のすぐ上に書かれているのは、下の写真の「寅賔」の二文字です。この「寅賔」は「客人を迎える。」という意味と、東側に向いた門であることから、「日の出を迎える。」という意味に解釈されています。クリックすると拡大した門を表示します。住所は「山西省霊石県静升鎮」です。クリックすると判りますが門の左側には「山西霊石王家大院」と書かれていました。
記録によると、先祖にあたる王実という若者が、元の皇慶年間(1312~1314年)に溝営村から静昇に移って定住し、農業を営みながら、副業として豆腐売りしていたそうです。その子孫が農業から商業へ、商人から役人へと出世していったそうです。地位、名誉、財産を手にした王家の人々は、大掛かりな工事に取り掛かり、「華夏第一宅(中国一の屋敷)」と呼ばれる王家大院を築いたそうです。中国の人は屋敷にこだわるのです。
入口の門をくぐったところです。門の途中まで登って撮りました。門からは少し登っていきます。ここでは、まだ全貌は判りませんが全体に斜面に建てられています。
見取り図があったので撮りました。大きく2つに分かれています。2つの敷地は橋で結ばれています。敷地全体は25万㎡で部屋の数は1118もあるそうです。ほんとに大豪邸です。右端が冒頭の写真の入口の門です。
王家大院の航空写真です。上の見取り図と比べて見てください。クリックするとGoogle航空写真を表示します。
南側の城壁から正面を撮りました。あまりの広さに全体を撮ることが出来ませんが雰囲気は判ってもらえると思います。是非、写真はクリックしてみてください。
こちらは正面より右側を撮ったものです。
家は高い城壁で囲まれています。大富豪とは言え、一商人(個人)でこれだけの城壁を作るとは驚きでした。
上の見取り図でわかるように敷地は2つに別れています。その2つの敷地を結んでいる橋です。
中庭を中心に四方向に家を建てる四合院方式の建物の組み合わせで出来ています。
一つ一つの四合院は豪華に装飾されています。
なん本も道が通っています。その一つです。
城壁に囲まれていることが判ります。屋根が芸術的です。
屋根もいくつか紹介します。是非写真をクリックしてみてください。
こちらの屋根の景色もすばらしいです。
門の正面にはこのような建造物がありました。
通路の正面には必ずこのような彫り物がありました。
ここが団体人たちが記念撮影をする場所です。
これは井戸です。
部屋の中も紹介します。立派です。
窓の装飾もよく見ると鮮やかな色彩であることが判ります。
王家大院の場所を紹介します。が王家大院です。ここは麺で有名な太原から平遥古城よりさらに遠くて南西130kmにあります。地名は山西省霊石県静升鎮です。あの「町全体が結婚式会場」と「洞穴の住宅」があった場所です。 このあたりで有名な平遥古城まで来るのであれば喬家大院ではなく、この王家大院まで足を延ばすことをお薦めします。太原の中心から晋祠(15km)→喬家大院(50km)→平遥古城(80km)→王家大院(130km)の順番にほぼ同じ方向に離れて行くのが不思議です。
太原市内→記事1 記事2 記事3 記事4 記事5
晋祠 →記事1
喬家大院→記事1 記事2 記事3
平遥古城→記事1 記事2 記事3 記事4 記事5
王家大院→記事1 記事2 記事3
昔、TBSの番組「世界ふしぎ発見!」で王家大院が紹介されたことがありました。その時の「世界ふしぎ発見!」での紹介内容です。
中国中で活躍した山西商人の中でも、一番の大商人・王一族のお屋敷が王家大院で、公開されている部分だけでも3万平方メートルの広さ!高台から見ると、映画の撮影も出来そうな広さでした。もちろんセットではなく全て本物だから装飾なども素晴らしいんです。決してゴテゴテしたものではなく、芸術的な価値を感じさせるものでした。ふとしたところに、凝った竜が彫られていたりするんです。だからとても趣があるし、しっとりとした雰囲気。お屋敷内を歩いていると、素敵だな~と思わせるものがたくさんありました。また王家大院は50年程かけて徐々につくられているので、ひとつの外壁に囲まれたところと、また別の外壁に囲まれたところでは少し雰囲気が変わって、「ああ、時代が違うんだな」と感じる面白さも。ただ…、桁外れに広いので、私一人で移動しようとすると大変!思った場所と全く違うところに出ては「あ、ここか…」ってことに(笑)。
でも実際、住んだら一体どうなるのか想像もつきませんね(笑)。お屋敷とはいえ日本では考えられない広さだし、まさに中国ならではというスケールでした。
TBS「世界ふしぎ発見!」 2007年6月30日
追伸 王家大院の写真を追加しました。
すでに巨大な民家「王家大院」を紹介いたしましたが、広い敷地内で沢山の写真を撮らせていただきました。前回、紹介しきれなかったところを、小さな写真45枚で紹介いたします。拡大希望の番号をコメントしていただければ、クリックすると拡大するように設定いたします。
現時点でクリックすると拡大する写真 1-A 1-B 5-B 11-A 13-C 15-A
先ずは芸術的な屋根たちです。すべての建物が違う形に出来ており屋根の形も違いました。王さんの財力に感服いたしました。
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路地の風景も魅力的です。こちらも似ているようで同じ風景はありませんでした。その路地の風景を、いくつか紹介いたします。
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家を囲む城壁です。巨大な城壁の上の景色を中心に撮りました。
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四合院の建物の中庭などを紹介いたします。いろんな風情に出会えました。
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家の中や周りの雰囲気も紹介いたします。中の調度品もすばらしいものがありました。
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王家の人たちが使っていた生活の道具です。これらも先進的な高級なものだったのでしょうね。
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樹齢3000年の老柏 晋祠 [山西省]
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山西省の晋祠(Jinci Temple)という場所です。日本人には、ほとんど知られていないと思いましたがネットで見ると結構出てきたのに驚きでした。そして実際に行ってみると歴史のある立派な場所でした。
晋祠の創建ははっきりしていないそうですが、起源をたどれば紀元前(BC)11世紀からの歴史があるようです。本格的には北魏の時代に周の成王の弟周叔慮を祭る祠を建てたのがこれだけの施設になった始まりだそうです。したがって創建は北宋天聖年間(1023年~1032年)とするのが妥当なようです。その始まりが上の聖母殿のあたりの建物のようです。聖母殿の横の倒れかけた木は樹齢3000年と言われている老栢だそうです。つまり、この老栢は紀元前(BC)11世紀ごろからの晋祠(しんし)の歴史を見て来たことになります。ここには千年を超える老木が20本残っているそうです。
このあたりは雨が少ないので、ここでもレンガの建物がほとんどですが聖母殿は木が使われていました。柱には竜の彫り物がつけられていました。
こちらが聖母像です。両脇の女性の像は色彩が鮮やかに残っておりパンフレットにも使われていました。
聖母殿の前は人が多かったです。下の石橋「魚沼飛梁」も聖母殿と同様に北宋の遺構です。右の写真の献殿は金代の建築です。それ以外は明・清代および、それ以降の建物だそうです。聖母殿、魚沼飛梁、献殿が晋祠三大国宝建築です。残念ながら献殿の写真は撮ってなかったので右上の献殿の写真はネットから転用させてもらいました。
聖母殿の裏の高いところに建てられている三台閣です。このあたりはもっとも古い歴史のある部分という印象を受けました。配置的にも聖母殿と三台閣は大事な場所に建てられている気がします。
三台閣にも上がりましたので、三台閣の景観を紹介します。
レンガで作られた三台閣のアーチも見事でした。
上から見ると屋根がきれいでした。日本の寺院とは雰囲気が違います。
ここの全貌が判りにくいと思いますのでパンフレットの地図を見てください。博物館と書かれていますが中国の博物館と日本の博物館と意味合いが違うようです。日本のように文化財を集めた場所ではなく、文化財の場所を有料にした場所も博物館と呼ぶようです。したがって日本の金閣寺なども中国流に言えば金閣寺博物館になります。
こちらの場所の航空写真(衛星写真)も紹介しておきます。
広大な敷地の中には沢山のお寺がありました。古い樹齢の木が多く植わっており長い歴史の中で建てられたようです。
樹齢1000年を超える木の一つです。この木は約1400年前の隋の時代に植えられたそうです。和名はエンジュです。このあたりは大きな古い木が沢山あるので時代的には古建物だと思います。
塔もありました。
趣のある建物です。今回はガイドさんを頼まなかったので建物の目的はわかりません。
このような建物が沢山ありました。
敷地内には、いろんな寺院がありました。クリックすると左右対称を実感できると思います。晋祠の雰囲気を例えるのは難しいのですが、テーマパークに、お寺のパビリオンが沢山あるような感じでした。昔の人は驚いたと思います。
中国の人が中心の観光客の団体が沢山来られていました。
撮影も行なわれていました。このあたりはあまり知られていないけれど「平遥古城」や「喬家大院」など名勝が沢山ある所でした。
航空写真で晋祠の場所を紹介します。
山西省の省都である太原市内中心部から車で24km(30分)の距離です。
太原市内 晋祠
町全体が結婚式会場 [山西省]
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山西省の省都・太原から130km離れた洞穴の住宅のあった町「山西省霊石県静升鎮」で結婚式がありました。ここは王家大院の町でもあり洞穴の住宅の町でもあります。町のあちらこちらの通りには写真のような風船アーチが沢山ありました。
町全体でお祝いしているようで風船アーチには新婚快乐(新婚快楽)の文字や新郎新婦の名前を読み取ることが出来ます。張さんと孫さんおめでとうございます。それぞれのアーチに送った人と思われる名前も書かれていたので、風船アーチは日本流に言えば花束のようなものかもしれません。結婚式会場からは結構離れた場所でした。
別の通りにも同じように風船アーチが建てられていました。周りの景色や風船アーチの配置の違いから冒頭の風船アーチとは違うことが判ってもらえると思います。
これらのアーチが設置されているのは、それぞれの結婚する人の家の近くかも知れません。
爆竹も何度も鳴らされていました。すごい爆竹でした。
結婚式会場と思われるレストランにも風船アーチが飾られていました。レストランの前には赤い布で飾った車が沢山止まっていました。
この町(村)の出来事でした。王家大院から撮りました。
喬家大院でランチ [山西省]
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世界遺産の平遥古城を見た後に行った山西商人の豪邸である喬家大院をすでに紹介いたしましたが、そこで昼食(ランチ)の時間となりました。ガイドさんに案内された喬家大院で一番人気のレストランです。
山西省名物の21種類の料理がセットになって1テーブルが日本円で約2640円相当でした。料理は10名で食べても十分な量があるのです。我々はガイドさんも入れて8名でしたが、10名で食べれば一人当たり264円となります。16種類の料理が並んだところで写真を撮りました。
そのメニューです。16種類(8椀+8碟)の料理以外にご飯類や麺類が5種類付いています。碟は日本語では小皿のことです。ただし実際の皿は、決して小皿ではありませんでした。喬氏特色菜と書かれています。喬氏のスペシャル料理という意味です。
御飯代わりにソバガキのような食べ物が出てきました。珍しい食べ物でした。麺の一種だと思います。山西省はすでに紹介したように、麺のルーツのような場所で、いろんな麺がある場所でした。
変わった形ですが、こちらも麺料理です。
トマト味なのでパスタと思えばいいかもしれません。
ガイドさんです。なぜ3人?
実は右側の人が平遥古城を案内してくれたガイドさんです。このガイドさんの説明が良かったので、交渉して喬家大院にも一緒に来てもらうことにしました。平遥古城から喬家大院までの道案内も頼みました。その時に、この若い2名の勉強中のガイトさんも一緒に行かせてほしいと頼まれたのです。もちろん2名のガイド料金はなしです。丁度車の席が3人分ほど空いていました。
一緒に食事もしてビールも飲みました。年齢は20才と21才と25才なのでアルコールは大丈夫でした。おかげで、ビールも沢山飲んで、楽しく食事をいたしました。
平遥古城から喬家大院は37kmです。車で45分くらいで行けます。ガイドさんたちは、平遥古城までバスかタクシーで帰ったのだと思います。別れた後、我々は太原のホテルに向かいました。
平遥古城 192年前の中庭がいくつもある銀行 [山西省]
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この写真は中国の昔の銀行の中庭です。この銀行のある世界遺産の平遥古城は紀元前(2700年前)からの古い歴史があります。周宣王の時代(紀元前827~782年)に記録が出てくるそうです。この時代にすでに商売で使うお金を為替手形で取引していたそうです。
名前 日昇昌票號(日昇昌票号)
区分 錢莊(銭荘 / 銀行)
住所 中国 山西省晋中市平遥县西大街38号
電話 0354-568-3621
上の写真の中の銀行全体の見取り図を拡大しました。沢山の部屋があることが判ると思います。南北65メートル、東西20メートルの大きさだそうです。四合院方式の組み合わせた平屋の広い敷地でした。上の写真は入口から入った最初の中庭です。かなりの部屋があり従業員も多かったと聞きました。基本的には民家の構造の組み合わせで作られた建物群で、昔の建物の勉強になります。
銀行は元々とアヘンで儲けたお金ではじめたそうです。
この銀行は城壁で囲まれた町の平遥古城の中心近くにあります。今の城壁のある景観だけでも700年の歴史があるそうです。その長い歴史の中に金融全盛時代がありました。巨大城壁に守られた平遥古城は明代末期から清代にかけて中国最大の金融の中心地だったそうです。
その中でも最も有名なのが日昇昌で、清の道光3年(1823年 今から192年前)に平遥西大街に開業したそうです。冒頭の写真は、その有名な日昇昌です。先ずガイドさんが案内してくれるのは、その昔の銀行です。
銀行「日昇昌」の前の西大通り(西大街)のです。日昇昌記の文字が下がったところが銀行の入口です。この写真は是非をクリックしてみてください。銀行の前の建物はホテルのようです。電柱が無いのにも驚かされました。
昔の銀行の窓口です。この写真の赤い服の女性がガイドさんです。25才だそうです。こちらの人は若くてもしっかりしていて、いつも関心させられます。
ガイドさんには朝食に汁ビーフンの美味しいお店を紹介してもらったりと大変お世話になりました。大変良かったので、次の離れた(車で1時間 35kmくらいの)場所のガイドおよび道案内もお願いしてしまいました。その追加料金は40元(600円)でした。我々の車に乗って行くのでガイドさんだけは終わった後にバスで平遥古城に帰る必要がありますが、そのパス代も込みです。
冒頭の写真とは別の中庭です。19世紀後半に中国最大の銀行となりました。
建物は頑丈そうです。さすが銀行
当時の社長の車だそうです。
ここから下で別の銀行を紹介いたします。一院と二院の間の門です。錢莊(票號)が銀行を表しているようです。
これが、これから紹介する銀行(票号/銭荘)の見取り図です。
院と書いているところは中庭なっていて、その廻り四方に建物があるのです。この方式を四合院と言うそうです。
この写真は上の見取り図の二院と書いているところです。
こちらは二院を奥側から撮った写真です。
二院の奥にある三院です。
龍の鎧を身に着けている武将らしき人が祀られていました。
四院に逸静神怡と書かれた建物がありました。この屋根の下に、地下の中庭(五院)があり、その両側に金庫がありました。地下には七院にある細い階段から入ります。
六院には武器が展示されていました。金庫をまもる兵士がいたのではないかと思います。右の写真が金庫がある地下に行く七院の階段です。
金庫室がある地下の五院です。ここに2つの金庫室がありました。
こちらが地下金庫です。場所は四院と七院の間の地下にありました。見取り図では五院と描かれているところで、金庫室は2つありました。金庫室の中には馬蹄銀と呼ばれた銀の秤量貨幣が沢山保管されていました。でもこれはレプリカですね。たぶん
もう一つの地下金庫です。クリックすると拡大するので金庫の説明が読めると思います。
この地下にはお坊さんが居られます。金庫室とお坊さんの関係はよくわかりませんでしたが、その部屋に入れてもらってお話を聞きました。このあたりは水が少ないそうで飢饉のときに私財を沢山寄付して街を救ったことを引用した話でした。
平遥古城( )の場所を地形図で紹介いたします。右の地図の赤い部分が山西省です。
太原市内 山西省・省都 346万人 6956km²
平遥古城 世界遺産(1997年登録)
━ 徒歩ルート 89km 17時間53分
平遥古城 巨大城壁が守った商業の町 [山西省]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
この建物が一周6kmの城壁で囲まれた世界遺産の平遥古城の中心の少し東にに建っています。下の地図で黄色の道路の上に描かれている建物で「市楼」と書かれています。市楼は平遥古城の中心にあり、3層のひさしを有する高さ18メートルの木造楼閣です。市楼が創建された年代は不明だそうですが、清の康煕27年(1688年)に建て直しが行われ、その後数度にわたり補修が行われたという記録があるそうです。屋根には瑠璃色の瓦を使って「喜」「寿」という図案が施されており、昔から街のシンボルとして親しまれてきたようです。入場料を払えば楼閣の上に登って見学することも可能だそうです。周囲には高い建物がないため、明清時代の街並みを一望することができるそうです。
そしてこの周りは大通りになっており沢山の観光客の人が行き来していました。レストランやお土産屋さんも趣向をこらして立ち並んでいるのです。観光客の10%くらいが外国人だそうです。外国人でも、この時は圧倒的に欧米人が多くて日本人は見かけませんでした。
地図で黄色に塗られた道路が今回紹介の部分です。黄色以外は静かな住宅街です。平遥は20世紀後半までは、ひなびた地方都市として時代に取り残されたかのように存在していたそうです。1997年世界文化遺産に登録されてからは一躍脚光を浴びることとなり、一年を通して世界中から旅行者がやって来る観光都市となったそうです。
住宅街側から繁華街を見たところです。遠くに見えるのが冒頭の建物です。平遥古城の内側には、かって「6百軒近い商家がひしめきあっていた」そうです。
趣のあるお店が沢山並んでいました。朝早い時間(8時52分)なので人通りもまだ少ないけれど帰るころは大変な人でした。銀行の「日昇昌」のあたりは広い通りです。市楼が見えるだけで雰囲気が変わります。
中心部分から西方向を見たものです。遠くに霞んだ城壁の西門が見えます。この町は巨大な城壁に守られて700年前の風情を残している数少ない町だそうです。商業の町でもあったそうです。この街並みはその雰囲気を感じさせてくれます。
中心から北を見ました。沢山の観光客の人が歩いて楽しんでいました。9時46分です。そろそろ観光客の人も増えてきました。
蔵らしいものも見えます。建物は天辺まで、すべてレンガで出来ているのです。写真をクリックしてみてください。この街の煉瓦構造のすばらしさが分かると思います。
お店の前のには看板娘さんらしい人が立っています。じっくり見てみると民族衣装の下は3人ともジィンズなんです。現代っ子がアルバイトで立っている感じかもしれません。すごくにぎやかですが、この街、平遥古城の90%は静かな住宅地なんです。こちらに来られたときは、是非、静かな住宅地にも足を踏み入れてください。
ガイドさん紹介の美味しい汁ビーフンのお店 [山西省]
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朝6時に太原の町のホテルを出たので、ホテルで朝食が食べれませんでした。
そのため、平遥古城に入場してから朝食をとることにしました。時間は8時23分です。お米の麺と通訳されたので、たぶんビーフンです。煮玉子も入って見かけによらず、ピリ辛で美味しかったです。また食べたくなる味でした。クリックすると拡大します。
この鍋で作りました。濃い目のスープが入っています。上の写真の麺のスープです。一人分づつ作っていました。作ってあったスープが少なかったので全員分は出来なかったので後の人は肉まんだけで我慢してもらいました。
小龍包ではなくて肉まんです。写真を撮る前に一つ食べられてしまいました。世界遺産の中で食事をしたことになります。
肉まんは、お店の前の蒸し器で作っていました。
朝食を食べたお店です。立派な観光用のお店もありますがガイドさん(美人のガイドさんは後で紹介いたします。)のお薦めでこのお店に入りました。ガイドさんお薦めの若い夫婦がやっている美味しいお店でした。仲が良さそうですね。お店の上に書かれている小吃は軽食の意味のようです。店名らしきものは見当たりません。冒頭の料理は右の扉に書かれている麻辣湯(まーらーたん)かもしれません。 日本では麻辣湯に使う麺は春雨が多いけれども、調べてみると麺には春雨、フォー、ビーフン、ラーメンが使われると書かれていたので、今回の汁ビーフンは、ビーフンを使った麻辣湯の可能性が高いと思います。
上の写真を是非ともクリックしてみてください。ここにも生活があることを実感してもらえると思います。
お店の場所を航空写真で紹介します。北門の近くです。のアイコンをクリックし続けると広範囲を表示するので、今回の場所が判ってくると思います。
汁ビーフンを食べたお店
平遥古城の中心にある「市楼」
平遥古城の北門
お店の前から城壁の北門(栱极门)を撮りました。
こちらの写真はお店の前から平遥古城の中心方向(北門と反対方向)を撮ったものです。道路の整備工事をしていました。今は見違えるようにきれいになっていると思います。世界遺産に登録されたのは18年前の1997年ですが、最近になって観光客も増えてきて観光に力を入れ始めのではないでしょうか。
山西商人の大豪邸 喬家大院 [山西省]
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喬の家の大邸宅なので中国語で「喬家大院」と呼ばれています。地図を見ていると、喬家大院(乔家大院)以外に王家大院や渠家大院や常家大院などの大院が平遥古城から60km以内に点在していました。
中国では山西省といえば山西商人が最初に思い浮かぶくらい中国経済の中心だったのです。古くはアヘンや長城建設資材調達で富を独占し、19世紀には銀行業で全国の為替業務を独占しました。それだけに大富豪が沢山いたと言われています。
中国の住宅は中庭を中心に四方向に家を建てるのが伝統的な様式でこれを四合院と言います。喬家大院は6っの大四合院と20の四合院の組みあわせて豪邸が成り立っており部屋の数は313にもなるそうです。清時代の様式がそのままに保存されているのが魅力だと思います。上の写真は豪邸の中央の通路です。入口側を撮っています。
右側にパネルが貼られているのが判りますか? これは中国で大ヒットした「喬家大院」というテレビ番組の場面を掲載しているのだと思います。ここで撮影が行われました。中国が社会主義国家となったことで、1950年代に消滅してしまったそうです。現在はその大邸宅が公開されて大観光地となっていました。
この時は行きませんでしたが王家大院はさらに大きくて、敷地は3万4650㎡で部屋数は834だそうです。幸いにも後日に行く機会がありました。→ポチッ
喬家大院の中の比較的小さな四合院の一つです。中庭を中心に四方向に建物が配置されているのがわかると思います。このような四合院が20っあります。
これも四合院の一つです。入口のデザインがこっています。それぞれの四合院のデザインが違いました。
これは6っある大四合院の一つです。
書を売っているのでしょうか。?
ここを訪れる外国人は日本人よりも欧米人が圧倒的に多いみたいです。欧米人は建物に対する興味が高いのとアジア文化に惹かれる度合いが強いのかもしれません。
でも中国人の観光客が一番多かったです。有名な書をバックに記念撮影をしているところです。中国の人の間で、観光がすごい勢いで増えている気がします。
屋根の形が特徴的です。
こんな彫り物もありました。
中国語のパンフレットには一般公開している古い建物は博物館との言い方が必ずされています。平遥古城の中の建物や晋祠や王家大院などほとんど例外なく使われています。
日本ではこれらは博物館とは呼ぶことはなく文化財と呼びます。日本での博物館はいろんなものを展示した建物の意味に使います。中国でも展示物を置いた建物を博物館と呼びますが、展示がなくても昔の古い建物(文化財)をあるがままに見てもらっていることに使われています。このことから博物館は日本より広い意味で使われているような気がします。
『喬家大院』、韓国のドラマ・アワーズで最優秀賞
陳建斌(チェン・ジェンビン)、蒋勤勤(ジアン・チンチン)が出演する中国製ドラマ『喬家大院(韓国名:巨商チアオツユング)』はこのほど、2006ソウルドラマアワーズ(Seoul Drama Awards)で、長編部門の最優秀賞を受賞した。喬家大院の航空写真です。小さな長方形の中庭と周囲の建物が一つの四合院です。沢山の四合院が組み合わさって喬家大院が構成されていることが判ってもらえると思います。
『巨商チアオツユング』の放送により、韓国視聴者は、中国の清朝(1636~1912年)末期の北部地域における風土や人情、巨商であるチアオツユングさんの起伏に富んだ人生や愛情に引き付けられている。韓国のあるメディア関係者は、「中国に行ったことがある韓国人はいずれも、中国の経済発展の日進月歩に感慨を覚えている。『巨商チアオツユング』により、中国経済の急成長が一夜のことではないと韓国の視聴者が感じてきた。チアオツユングが生活していた清朝において、中国は既に現代的商業・金融業の原形を形成しており、商業的意識が人々の思想に深く入り込んでいる」と述べた。
平遥古城 巨大城壁に守られた民家 [山西省]
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この写真は城壁の上から平遥古城(へいよう・こじょう)の内側の町を撮ったものです。
すごい広さです。北門から南東方向を撮っています。屋根の形は2種類ですが屋根の瓦以外はすべてレンガで造られているのです。右の写真の城壁で町が囲われているのです。
平遥古城の航空写真を紹介します。広さが実感していただけると思います。城壁の一辺は1.5Kmだそうです。一周すると正確には6.1577Kmになります。
こちらは北門からに南西方向を撮っています。道路は補修中でした。平遥は清代末期までは山西商人の拠点であり、中国の金融中心地でした。
中国では長い歴史の中で戦火にあったり、改築されて昔の都市がそのまま残っていることは少ないのですが、この平遥古城には14世紀の明代始めに造営された町がそのまま残っているそうです。明代から清代にかけての中国の典型的な城郭(城牆)、街路の配置、商店や住居などの古建築の保存状態はよく、中国でも最も整っているもののひとつだそうです。明清時代の民家邸宅が4,000軒近く残り保存状態も良いそうなので、ここでは、民家を中心に紹介いたします。
平遥古城には伝統的な民家、四合院式住宅が3700軒あるそうです。これらの風景も世界遺産なのです。
民家の入口から中を見ました。すべてレンガで出来ていました。
住居部分です。壁も家もレンガでした。
このマークは確か道教の大極図ですね。
ここも雰囲気があります。
これは裕福と思われる家の人の庭から門の外を撮ったものです。
人通りは少ないけれど立派な建物です。
民家の門から中を覗くとほとんどの家で正面に「福」の文字が書かれています。紙を貼ったものから、この家のように彫り物になったものといろいろでした。
これも門から中を撮ったものです。左の端に福の字があります。何軒か配置されています。これも伝統的な様式だそうです。
ほとんどがレンガ造りですが土塀もありました。
観光場所とは違い趣があります。奥の門が印象的です。明代から清代の生活が今も続いている雰囲気でした。クリックすると太原の町と平遥古城の場所を表示します。
山西省の記事を書いた場所を紹介します。クリックすると太原の町と平遥古城などの場所を表示します。
石頭餅 [山西省]
中国山西省の太原の近くの清時代の大金持ちの民家が大観光地となっていました。その喬家大院には沢山のお土産屋さんがありますが、とりわけ目を引いたのが写真の煎餅でした。何十軒もありました。写真のようにでこぼこの薄い煎餅です。ゴマが少し入っています。名前は石頭餅と書いてありました。
おばちゃんがその場で生地を薄く延ばして焼いているのです。さっそく食べて見ました。あっさりとして熱々でパリパリの食べやすい煎餅でした。甘みがないのが気に入りました。
煎餅が、でこぼこなのはこの石の下で焼いているからです。石を上に載せて重石にしているようでした。名前の由来も石を使うためだと思います。まさに石焼煎餅です。
下記に国際気象海洋㈱提供の2014年台風8号ルートを動画で表示します。
静止衛星からの動画を見る場合は5日間がお薦めです。
12時間前から現在までの雲の動きはこちら → ポチッ
2014年7月10日の雨雲の動き → 7/10 7/9 7/8 7/7
別の形式での台風進路の予想ルート → ポチッ
静止衛星からの動画(国立情報学研究所) → 10日間 5日間 24hr
2014年7月10日16時 台風は太平洋側を通過中
2014年7月10日17時 台風は太平洋側を通過中、大雨・強風に注意
台風8号(ノグリー)は、徐々に勢力を弱めながら日本の南岸を東に進んでいます。今後も東に進み、明日11(金)には温帯低気圧に変わる見込みです。2014年7月10日18時 台風は太平洋側を通過中、大雨・強風に注意
今後は東日本の太平洋側を中心に、大雨・強風・高波に警戒。また、この台風の湿った空気が梅雨前線を刺激するため、北日本は台風から離れていても強い雨に注意が必要です。
2014年7月10日22時 台風は太平洋側を通過中、大雨・強風に注意
台風8号(ノグリー)は、18時半頃に和歌山県南部に再上陸。徐々に勢力を弱めながら東に進んでいます。今後も東に進み、明日11(金)には温帯低気圧に変わる見込みです。2014年7月11日01時 台風は東海沖を通過中、強雨に注意
今後は東日本の太平洋側を中心に、大雨・強風・高波に警戒。また、この台風の湿った空気が梅雨前線を刺激するため、北日本は台風から離れていても強い雨に注意が必要です。
2014年7月11日04時 台風は東海沖を通過中、強雨に注意
台風8号(ノグリー)は東海沖を東に進んでいます。今後は徐々に勢力を弱めながら東寄りに進み、温帯低気圧に変わる見込みです。東海や関東では、強い雨風に注意。また、この台風の湿った空気が梅雨前線を刺激するため、北日本は台風から離れていても強い雨に注意が必要です。2014年7月11日05時 台風が千葉県に上陸、強雨に注意
2014年7月11日07時 台風が千葉県に上陸、強雨に注意
台風8号(ノグリー)は5時前に千葉県富津市付近に上陸しました。今後は徐々に勢力を弱めながら東寄りに進み、温帯低気圧に変わる見込みです。関東では高波に注意。また、この台風の湿った空気が梅雨前線を刺激するため、北日本は台風から離れていても強い雨に注意が必要です。2014年7月11日08時 台風、関東の東海上へ
台風8号(ノグリー)は千葉県富津市付近に上陸後、関東の東海上へ。今後も勢力を弱めながら東寄りに進み、温帯低気圧に変わる見込みです。関東では高波に注意。また、この台風の湿った空気が梅雨前線を刺激するため、北日本は台風から離れていても強い雨に注意が必要です。2014年7月11日09時 台風8号は温帯低気圧に
台風8号(ノグリー)は、本日9時に温帯低気圧になりました。ノグリー:韓国語で『たぬき』
中心付近の最大風速が34ノット以上が台風 熱帯/温帯低気圧は34ノット未満
34ノット = 34海里/時 = 34x1852 m/時
62.968 km/時 = 17.4911111 m/秒
下記の着色文字をクリックすると台風のコースを表示します。 新しく発生した台風より少ない数値は今年の台風のコースを表示します。それより大きい数値は昨年の台風のコースです。
31号 30号 29号 28号 27号 26号 25号 24号 23号 22号 21号 20号 19号 18号 17号 16号 15号 14号 13号 12号 11号 10号 _9号 _8号 _7号 _6号 _5号 _4号 _3号 _2号 _1号
記念撮影の風景 [山西省]
あんず売りのおばちゃん [山西省]
山西省の晋祠という場所では杏を売りに来ている人が沢山おられました。
値段は2kgが10元(166円)でした。 10元で売るものは多いです。北京でも規格外と思いますが立派なさくらんぼを2kg10元で売っていました。
撮影専門のお馬さん [山西省]
中国の観光地では良く見かける光景です。馬に乗って記念撮影をするのです。
でも今回は驚いたことがありました。この馬さんが杭の周りをぐるぐる歩いているところを撮ろうとカメラを構えると丁度正面で立ち止まってポーズをとってくれたのでした。さすがにプロのお馬さんです。写真を撮るのが判っているようでした。可愛らしいお馬さんでした。
場所は山西省の晋祠でした。
公園の演奏会 [山西省]
すでに晋祠のことは紹介いたしましたが、駐車場から晋祠までは大きな公園を通っていきます。その時に撮った写真です。その公園で年配の人たちが中心の演奏会が行われていました。趣味の会といったところでしょうか? 我々が晋祠から帰って来るときも演奏されていたので少なくとも2時間以上演奏し続けていました。もしかしたら一日中演奏をしていたのかも知れません。場所は中国の山西省です。
演奏と同時に歌も唄われていました。
「の」 [山西省]
山西省はお酢の名産地 [山西省]
ここの記事の写真はすべて太原空港の土産物売り場で撮ったものです。山西省はお酢が有名です。生産量も中国一と言われています。特に清除県は有名だそうです。日本のサイトで「清除県」と検索すると沢山表示されました。⇒ポチッ
地図を見ると太原市の中に清除県があります。「県」と言っても日本の「県」とは違いますね。お酢の名前になっている寧化府も地名なんです。会社の住所は太原市寧化府60号と書かれていました。清除県は太原から平遥古城に行く途中にあります。と言うか平遥古城にすごく近いところです。写真の箱にも老陳酢の文字が読み取れます。ネット検索では老陳酢は35,000件も出てきます。
空港の土産物屋さんにはお酢が沢山売られていました。山西省の太原空港から北京空港に飛んだときは北京空港の荷物のターンテーブルに、お酢が沢山廻っていました。皆さん、すごい量を買い込んでいたと言うことですね。上のは1450ccのお酢が3~4本入っています。私は1450ccを一本買いました。10元(166円)でした。液体の機内持ち込みが出来なくなったので日本まで持ち帰るのが大変でした。2重にビニール袋で包んでスーツケースに入れました。もし漏れたら、たぶん衣類が使えなくなってしまいます。
降脂酢や降糖酢や保険酢の文字が目を引きます。「脂肪を下げる酢」「健康酢」と言ったところでしょう。お酢の名前は「寧化府」と書かれています。検索しても日本語では出てきません。会社名は太原市寧化府益源慶酢業有限公司と書いてありました。創業1377年の文字が読み取れます。パッケージに書かれている益源慶の文字はネットでも出てきました。
日本のお酢の原料はお米ですが中国の高級なお酢の原料は高粱(こうりゃん)と言う穀物だそうです。イネ科モロコシ族で学名は Sorghum nervosum⇒ポチッ
高級なお酒の芽台(マオタイ)酒の原料も高粱と書かれていました。右の高粱の写真はネットから拝借いたしました。
こちらの酢は少し高級品です。
この中央の酢は高いですね。値札は428元(7100円)が付いています。量は2480mlです。でも右側は小さい(500ml)のに120元(1990円)なので、これが一番高いかも知れません。普貴酢が高級ブランドのようです。
洞穴の住宅 窰洞(やおとん) [山西省]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
山西省は黄土で粘り強い土なので洞穴を掘っても崩れないそうです。そのため沢山の洞穴の住宅があるそうです。場所は王家大院のあった中国山西省霊石県静升鎮という町です。王家大院とはあまりにも対照的な光景なので驚きました。この洞穴の住居のことを窰洞(やおとん)と言います。
驚くことに「山西省霊石県静升鎮」でネット検索すると洞穴住宅とは関係ありませんがヒットしました。⇒ポチッ ポチッ
夏は涼しく、冬は暖かいので今でも使われているそうです。三つの入口の組み合わせが多いようです。
入口はレンガで固めているのが普通ですが、洞穴のままで利用されているものもありました。
典型的な洞穴住宅と普通の住宅が組み合わさった四合院のようです。中庭を中心に家族が暮らしているのだと思います。貴重な写真かもしれません。河南省でも高速道路から洞穴を見かけました。
山西省の料理 [山西省]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
こちらは山西省で初めて食べた料理です。この料理は「山西省の麺 その1」で紹介した麺を食べたレストランの食事です。どれも洗練されていて美味しい料理でした。
レストランの名前は「港江大飯店」でしたが、本当は我々の泊まったホテルの隣の「港源大飯店」の中にあるレストラン「港源貴賓楼」のつもりでしたが予約を間違えて、このレストラン「港江大飯店」となりました。
これは「港源大飯店」と「港江大飯店」が似ているために間違えたようです。ちなみに「港源貴賓楼」は「山西省の麺 その2」と「でか~~い餃子」を食べたところです。
このレストランの最後に出てきた麺がすでに紹介した「山西省の麺 その1」でした。
上の写真の料理はホタテと春野菜を使った料理です。タケノコも沢山入っていました。ホタテと似ているので拡大して、じっくり見ると両方が区別できると思います。
こちらのレストランもテーブルセットを見ていただくとわかるように、格式のあるお店でした。
料理の前の前菜も美味しかったです。
左は白菜とくらげの冷菜ですっぱい味が良かったです。真ん中はロバの肉だそうです。燻製風がよかったです。下はとろけるように柔らかい豚肉です。クリックすると拡大します。
これも美味しかったです。肉の揚げ物のレタス包みです。
パンぽい物の上に餅が乗った料理です。ビールには合わないけれど美味しい料理でした。
例のなぞの野菜と胡桃の料理です。これがもっとも山西省らしい料理だと説明してくれました。
これはタラの照り焼きです。日本人のために選んでくれた物だと思います。タラは輸入品なのでここでは超高級料理です。山西省料理ではないと思います。
最後に絶品の麺が出てきました。記事はこちら→ポチッ
山西省の場所をご存知ない方もおられると思うので山西省の場所の地図を掲載いたしました。Wikipedia拝借しました。
省名 山西省
省都 太原市
最大都市 太原市 495 人/km²
面積 156,800 km² (19位)
人口 33,350,000 人 (19位)
人口密度 213 人/km² (19位)
主要民族 漢民族:99.7% 回族:0.2%
GDP 6939 億元 (18位 2008年)
でか~~い餃子 [山西省]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
すでに前記事「山西省の麺 その2」で紹介したように山西省の太原で有名な麺を食べました。
でも高級料理店で右の写真の個室まで頼んで一杯3元(48円の)の麺だけでは気の毒なのでビールのつまみに少しだけ、料理を頼みました。その料理をここで紹介いたします。紹介の料理は3食分(昼食1回と夕食2回)のビールのつまみです。上の写真は餃子です。山西省は水餃子ではなく焼餃子ですが、ものすごく大きいのです。中国でも普通は日本の餃子と同じ位の大きさです。場所によってこんなにも違うのに驚きました。具には沢山の野菜が使われいてました。中国では普通は水餃子か蒸餃子なので焼餃子は、珍しいのですが、この巨大な焼餃子は山西省太原あたりの名物餃子のようです。
各自のテーブルセットです。なかなかのレストランでした。このテーブルのため麺だけを食べるのは気が引けたわけです。レストランの名前は「港源貴賓楼」です。
貝の料理です。 内陸なので活きた貝を使った料理は高級です。日本では刺身で食べるミル貝です。是非とも写真をクリックしてみてください。ビールが美味しかったです。
細い竹の子の料理です。シャキシャキして美味しかったです。
いつもの麻婆豆腐です。これは、なかなかの辛さでした。この料理だけクリックすると拡大するようにしました。クリックするとさらに辛さが伝わると思います。
マテ貝の料理です。こちらも活きた貝を使っています。つまみにぴったりでした。これもクリックして拡大した写真をを見てもらいたい料理です。もちろん活きたマテ貝が使われています。
汁物の料理です。これらをつまみにビールを飲んで麺を食べました。
こんにゃくのような食べ物の料理もありました。
上で紹介した料理以外に注文した料理を掲載します。これらはどちらかというと前菜です。いずれの写真もクリックすると拡大します。
最後は甘い揚げたお菓子がデザートとして出てきました。
山西省の麺 その2 [山西省]
が表示された写真はクリックすると拡大します。
「山西省の麺 その1」を紹介させていただきました。→ポチッ
山西省へ2度目来た機会に徹底的に麺を食べてみました。そのために、今回は同じお店で昼食1回と夕食2回の計3回食べました。
それも3回とも同じお店です。それも麺の専門店ではなくて、この町の高級中華料理で食べました。中華料理はほとんど注文しないで麺ばかり頼んだのには店員さんも驚いていたと思います。
個室にまで入って麺と前菜とビールしか頼まなかったのです。一品888元(14100円)の料理もある中で3元(48円)の麺を主食にしているので当然かもしれません。レストランの名前は「港源貴賓楼」です。前回は「港江大飯店」というお店で食べました。山西省の省都の太原に行く機会があれば、是非とも、こちらのお店に行って麺を食べてみてほしいです。
メニューの麺の部分です。食べた麺をこれから下に紹介いたします。そして一番下にネットで調べた面の作り方を掲載しております。
①
前回も紹介した麺です。この麺はコシのある本当に美味しい麺でした。タレは一番下で紹介している3種類のタレをかけます。これには3種類ともかけました。それぞれが特徴のある美味しいタレです。クリックすると拡大するので拡大した写真も見てください。「お皿に乗せた生地を箸で細かくちぎってとばしながら作る」そうです。
↓タレをかけると
②
この刀削麺は日本でも有名ですね。山西省の特徴の麺です。コシは①の麺ほどではありませんが他の町で食べた刀削麺とは別物でした。今まで他の町で食べた刀削麺はパホーマンスは感じましたが美味しいと感じたことはありませんでした。ここのはおいしいかったです。タレとの組み合わせは抜群です。確かに有名になるかもしれません。こちらの麺もクリックすると拡大した写真を掲載します。
↓タレをかけると
③
一本につながった麺かと思いましたがそうではなかったです。手で伸ばした麺です。他の麺よりは長かったです。うどんに近い麺ですね。これだけは中(4元)を頼みました。この写真の量が中ですが、他はすべて3元の小を選びました。これも3種類のタレで味わいました。これは「生地を引っ張って伸ばして、ねじりながら細い麺に仕上げる」そうです。
↓タレをかけると
④
中国のお酢や中国の高級な酒の原料となる高粱(こうりゃん)と言う穀物の麺です。初めて味わいました。上の麺のようにコシはありませんが味わいのある麺です。タレがおいしいことが改めてわかりました。
↓タレをかけると
⑤
これも小麦粉ではなく豆を使った麺です。コシはないので麺と言う感じではないけれどおいしくいただきました。一つしか頼まなかったので小さな器に取り分けてタレをかけました。
↓タレをかけると
⑥
これだけはタレをかけるのではなくスープ麺でした。麺は小麦粉ですが猫耳と言われる小さな麺です。麺が猫の耳のような形なんです。これは「小さく丸めた生地を指で押して猫の耳のような形に作る」そうです。
①~⑤にかける3種類のタレです。麺もおいしいけれどこのタレが美味しいのです。3種類のタレを紹介いたします。
これは肉のタレです。麺にかけると肉が麺の上に表れます。
トマトを丸まま使ったタレです。生のトマトの酸味があり一番気に入りました。イタリアのスパケッティーのトマトソースのレベルに匹敵する味だと思います。タレの中の黄色ものは玉子です。
あんかけのタレです。これも味わい深いタレでした。
この3種類以外に右下のお酢に香味野菜が入ったタレも出てきます。日本だと醤油のぶっ掛けのような食べ方ですが試しませんでした。今になって試さなかったのが残念でなりません。山西省は中国最大のお酢の名産地でもあります。
ネット上の山西省の麺の紹介文の抜粋です。
山西省は『刀削面(dao xiao mian)』、『尖面(ti jian mian)』など独特の作り方の麺が有名。 山西省といえば、黄河文明の発祥の地黄河文明と言えば、小麦ということで小麦で出来た麺の本場でもあるんです。
中国では「麺は山西にあり」と言われる。2000年の歴史を持つ中国麺の本場、山西省の省都・太原市を訪れた。
太原の街を歩くと、あちらこちらに麺類の店がある。確かにほかの中国の町よりも多い。地元の人は毎日1食は必ず麺を食べるという。 材料や食べ方にもいろいろな種類があり、山西省には全部で300種類以上の麺があると言われる。
【剔尖麺(ティ・ジエン・ミエン)】 お皿に乗せた生地を箸で細かくちぎってとばしながら作る
【拉麺(ラー・ミエン)】 生地を引っ張って伸ばして、ねじりながら細い麺に仕上げる
【猫耳朶(マオ・アル・ド)】 小さく丸めた生地を指で押して猫の耳のような形に作る
【柳葉麺(リウ・イエ・ミエン)】 平たく伸ばした生地を、包丁で線切りにしていく
【刀削麺(ダオ・シァオ・ミエン)】 山西省の麺の代表格。大根のような形の生地の固まり
の表面を包丁で削り取って作る
山西省の麺 その1 [山西省]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
山西省の料理の最後に出てきた麺です。美味しかったので紹介いたします。手のひらで打った麺でうどんのようにコシのある麺でした。どのようにして麺が出来上がるのかわかりませんが、掌の中で箸を使って一本一本、麺にしていくそうです。確かに山西省の人もコシがあることが特徴だと話してくれました。これにかけるタレとの相性が抜群で美味しかったです。是非、写真をクリックしてみてください。すこし味が伝わるかもしれません。今までの経験の中で中華料理の最後に出てくる麺の中ではトップクラスでした。皆さんに是非食べてもらいたい麺でした。
上の写真は拡大しますが面倒な方のために拡大写真を掲載します。クリックすると全体を表示します。
出て来た時はこの状態でした。下の2種類のタレを好みで掛けて食べます。
麺もタレも暖かいのが良かったですね。
麺の食感を感じてもらうために麺の拡大写真を掲載します。コシは讃岐うどんですが、包丁で切るのではなくて、手で一本一本麺にするそうで不揃いなのが特徴です。これが日本の「うどん」のルーツかもしれない思われるほどの美味しい麺でした。たしか、そのような説をテレビで聞いたことがありました。
冒頭の写真は左側のタレをかけたところです。これだけをかけると服務員(中国式の呼び方)の人が右側も少し入れてくれました。基本的には2種類の量を好みで入れるようです。左側だけでも美味しかった! 右側はトマト系の酸味のある珍しい味で確かにこれを混ぜると深みが増しました。
時代物の三輪車 [山西省]
一瞬のシャッターチャンス [山西省]
中国山西省で太原から車で平遥市に入った時です。町の中を車で走っていると、前からロバが三頭歩いてきました。車の後部座席からですが躊躇せずにパチリ 写真をクリックしてみてください。苦労が判ってもらえるかもしれません。一瞬でした。このあたりはロバが多かったです。
この町には世界遺産の平遥古城があるすばらしい町でした
平遥古城 700年前の巨大団地の巨大城壁 [山西省]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ここは中国山西省平遥市で1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された通称「平遥古城」です。日本語読みは「へいよう・こじょう」で、中国語での発音は「Ping Yao Gu Cheng(ピンヤオ・グーチョン)」です。ここに来ると先ず高い城壁に驚かされます。ここの街は高い城壁で四方を完全に囲まれています。
城壁も魅力的ですが囲まれは街も、700年前の明時代の昔のままで魅力的です。
記事のタイトルを「700年前の巨大団地の巨大城壁」としたのには理由があります。正確なイメージのタイトルにしてみたつもりです。
中国語の「城」は我々や欧米でイメージしている「城」と、違う意味があります。城壁などに囲まれた「町」を意味することが多いいそうです。例えば、現代の場合、電気製品を作る工場が集まった工業団地のことを電子城と呼んでいます。マンション群のことも「・・・城」とネーミングされています。つまり「団地」=「城」なのです。上の写真はクリックすると地上からの景色を表示します。
ここの記事では城壁を中心に写真を掲載いたします。この中に出てくる城壁はすべて北側の城壁です。帰りの飛行機の時間が迫っていたので、南と東と西の城壁は遠すぎて、行く時間がありませんでした。
観光案内所でもらったパンフレットの地図です。城壁の一辺は1.5Kmだそうです。一周すると正確には6.1577Kmになります。門は全部で6ケ所で我々が入ったのは北側(上側)の門です。冒頭の写真はこの門の上から城壁の外側を撮ったものです。
城壁の内側です。外側の頑丈な煉瓦積みと違い土がむき出しなのが特徴です。こちらの土は粘り強いようでこれほど急角度でも崩れないようです。
城壁の内側と門を撮ったものです。むき出しの土の内側にところどころ縦に溝が走っているのが見えます。これが雨樋です。
その雨樋を大写しにしました。内側は土ですが雨樋の部分だけはレンガで造られています。
外側から門を見たところです。今は生活のための通路から行き来出来るようですが昔は簡単には入れないように門の建物から見下ろされる部分が通路だったようです。
門の建物を外壁の外側から撮ったものです。
記念の石碑に平遥古城と書かれています。
門から城壁の内側を撮ったものです。
いつの時代のものかは判りませんが大砲も飾ってありました。
門の建物上から外側を見たものです。小学校の校庭が見えます。
門の高いところから城壁の上を見たところです。城壁の先に霞んでいる建物が城壁のコーナー部分です。コーナーまでは1500mの半分の750mです。
城壁の目線で撮りました。守るときは、ここに沢山の兵士が立ったのでしょう。
北門の前の外側の広場にはお店や旅館が沢山ありました。