観光地は守られています。 [エジプト]
エジプト考古学博物館 [エジプト]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ここはカイロ市内にあるエジプト考古学博物館の庭です。ここには外国の沢山の人がこられていました。
有名でかつ貴重な展示品が沢山あり沢山の観光客の人が訪れています。昔はカメラが持ち込めたようですが、この時はカメラの持ち込みが禁止されていました。秘宝を写真で紹介できないのが残念です。私がエジプトに来た時には新しい博物館が作られていたので、今は状況が違うかもしれません。
12万点以上のコレクションがあるのでナルメル王のパレット、メンカウラー王の像、神官カー・アペルの像、書記の像、カフラー王の像、ラヘテプとそのツマネフェルトの像、クフ王の小さな像、ハトシェプスト女王の像など5100年前から4300年前の展示品など有名なものを紹介してもらいました。
ただしツタンカーメンの秘宝や副葬品に関してはすべて見ました。さすがにすごいの一言です。純金のマスクも有名ですが純金製の110kgの内棺はため息がです。あらゆるものが想像を超えていました。この写真は建物の入口の部分です。パピルス紙の原料のパピルスの一種(葉が少し違います)が印象的でした。
蓮の一種も印象的です。
これがエジプト考古学博物館のチケットです。
博物館の中にはミイラ室があります。100エジプトポンド(約2000円)の下のチケットを買えば2っのミイラ室に入ることが出来ます。2部屋あわせて24体のミイラを見ることが出来ました。最も有名なのがラムセス2世のミイラです。沢山の王(ファラオ)のミイラが展示されていました。
ラシュワン選手のパピルス店 [エジプト]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
カヤツリグサ科のパピルスと言う植物から作るパピルス紙に書かれた絵がお土産で人気です。クリックしてみてください。
そこでガイドさんにパピルスを買いたいと頼むとニセモノが多いので安心して買える上に日本語が出来るスタップがいるということで、このお店を紹介してもらいました。
実はこのお店は1984年のロサンゼルスオリンピックで足を痛めた山下泰裕選手と金メダルを争って決勝で戦ったラシュワン選手のお店だったのです。
ラシュワン選手は痛めた足を攻撃しなかったということで一躍有名になり今でも覚えている人が多いと思います。→ポチッ
ガイドさんはラシュワン選手の奥さんは山下選手の妹だと説明してくれましたが、まさかと思いネットで検索しました。関西の日本の女性ですが山下選手の妹さんではなさそうです。
沢山のパピルスが展示されており選択に迷いました。写真で左端の壷に入っているのがパビルス紙の原料のパピルスです。そのパピルス紙の作り方を日本語の出来る店員さんが実演してくれました。
薄くしたパピルスを編んだ後にプレスして作るそうです。
面白いことにパピルスの茎はピラミッドのように三角形なんです。右のパピルスの写真はWikipediaから拝借いたしました。
パピルス(cyperus papyrus)はカヤツリグサ科の多年生植物で、和名はカミガヤツリです。
界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 angiosperms
綱 : 単子葉類綱 monocots
類 : ツユクサ類 commelinids
目 : イネ目 Poales
科 : カヤツリグサ科 Cyperaceae
属 : カヤツリグサ属 Cyperus
種 : カミガヤツリ Cyperus Papyrus
買ったパピルスを紹介します。この題名は「命の木」です。
もっともエジプトらしい絵です。
お店の名前を紹介しておきます。下記は本物であるとの証明書です。
店名 KEY OF LIFE キーオブライフ
住所 9, Abu Elhoul St., Giza Egypt
電話 383-0571
柱にはラシュワン選手と山下選手の写真が飾ってありました。山下選手がこちらのお店を訪問した時の写真だと思われます。残念ながら額のガラスが反射してきれいに写りませんでした。 右にちょっと小さめで紹介します。左の写真はネットから転用させてもらった1984年の試合の写真です。
下記の動画の5分12秒から1984年のロサンゼルスオリンピックでのラシュワン選手(293)と山下選手(307)の1分5秒間の試合を見ることが出来ます。
エジプトにも水道橋 [エジプト]
ロバさんの街 カイロ [エジプト]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
エジプトの首都であるカイロは2004年には1525万人(ネット)で現在は1700万人とエジプトの人に聞きました。アフリカおよび中東で最大の都市なのです。
その大都会で目を引いたのがロバ(驢馬)さんでした。中国の田舎でロバさんを見かけましたが、これだけ沢山のロバさんにはお目にかかれませんでした。
トルコやパキスタンでも沢山のロバさんを見かけましたがそれに比べても数倍の数のように感じました。そこでロバさんたちを紹介することにいたした。
どれも同じような4輪車を牽いていました。上り坂のせいか大人の人は横を歩いていました。やさしいですね。
実は後の石組みのものは水道橋なんです。
自動車専用道路を逆走して降りた来たロバさんです。ロバさんは悪くありません。エジプトの人が言われていました。「エジプトは飾りの国です。横断歩道も飾り、信号も飾り、車線も飾り」と!確かに交通マナーに関してはこれからですね。それにしてもロバさんの顔⇒かわいいと思いませんか?
軽快に走っていました。こちらのロバさんは働き物ですね。とエジプトの人に聞くと働かされ物なんですと言われてしまいました。確かに! このバックも水道橋です。
ロバさんだけでなく馬さんも沢山働いていました。でも圧倒的にロバさんが多かったです。ここにも水道橋がありました。
観光用はやっぱり馬さんの独壇場でした。
タグ:ロバ
エジプトのナンバープレート [エジプト]
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これがエジプトの自動車のナンバープレートです。ナンバープレートは「アラビア語の数字」です。おまけに小さく「アラビア数字」が書かれていました。ややこしいけれど「アラビア語の数字」は「アラビア数字」とは違うことを知りました。このナンバープレートをつけていたのは、なぜかチェコ製の自動車オクタビアでした。
古いナンバープレートには「アラビア語の数字」しか書かれていません。これは645ですね。「アラビア数字」が横に書かれているナンバープレートは圧倒的に少なかったです。ややこしい話ですみませんでした。
タグ:ナンバープレート
異国を感じさせる風景 [エジプト]
時代ものの重量級大砲 [エジプト]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ここはエジプトのカイロです。丘の上の城砦の門の両側に巨大な大砲が飾られていました。実用的配置ではないのではないので飾りに間違いないと思います。それにしてもすごい太さです。パキスタンの軍の施設とインドの大統領官邸で同じように門の両側に大砲を飾ってあったのを見ました。このほかでは中国の平遥古城とドイツのハイデルベルグ城でもありました。
イスラーム地区の南東にあるモッカムの丘に建つシタデル(Citadel=砦)と言う名の城砦(城塞)の中の門です。シタデルは十字軍を阻止するために1176年(アイユーブ朝)に建設されました。立地条件の良さと堅固さからアイユーブ朝~マムルーク朝~ムハンマド・アリ朝~イギリス統治時代に城砦として使われました。
巨大な大砲ですがかなり旧式です。いつの時代の大砲でしょう?
小型の大砲もありました。シタデルの中には軍事博物館(National Military Museum)もあるんです。広い敷地です。
さすが大昔と言えども元、軍の施設です。門の向こう側には沢山の大砲が並んでいるのが見えます。手前の緑の釣鐘状のものは警備兵が中に入るのだと思います。
さすが城砦です。立派な門が沢山あります。
城砦を下から見上げたところです。
道路から撮りました。一番外側の城壁です。
かなり堅固な城砦だったと書かれていました。
シタデルの地図です。城内にはモスクが4っもあります。広さが判ってもらえると思います。
①ムハンマド・アリ・モスク
②軍事博物館
③警察博物館
④イギリス統治時代の刑務所
⑤アサブ門
⑥アフマド・エル・ケトホダー・イル・アサブ・モスク
⑦エン・ナーシル・ムハマド・モスク
⑧ヨセフの井戸
⑨宮殿
⑩ムカッタの塔
⑪トゥルファの塔
⑫ソリマン・パシャ・モスク
⑬新門
衛星写真を拝借いたしました。
辺境の地で、エジプト流のサンドイッチ [エジプト]
カイロから2時間車ほど東に高速道路と一般道路を走って行き着いた場所での昼食です。町も、なにもないと思われる場所でした。出されたのが、上の写真の、玉ネギと牛肉を炒めたものが入った有名なサンドイッチでした。
ガイトブックにも出てくる焼肉のサンドイッチです。外国人に対する最高のもてなしだったのかもしれません。これはまさにエジプト料理でした。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
肉のサンドイッチと言えばピッツバーグを思い出しました。→ポチッ
日本人宅でご馳走になりました。 [エジプト]
エジプトのカイロに住まわれている日本人のカイロのお宅でご馳走になりました。イスラムの国ですがトンカツも出してもらいました。真中の一番下の茄子はエジプト独特の料理だそうですが日本料理になっていました。この写真はクリックすると拡大します。
味噌汁を付けると完璧に日本料理になりますが初めてエジプトに来た人のために味噌汁の代わりにモロヘイヤのスープを出してくれました。右の一番手前がモロヘーヤスープです。このモロヘーヤスープは別のところで食べたスープと比べても上品なおいしいスープでした。コックさんの腕がいいのかなと聞くと、ここのコックさんは大使館の関係者のコックもやったこともある方で料理の腕はかなりなものだそうです。日本料理が得意というわけではなかったとのことですが日本料理の味も完璧でした。
日本では食べれない野菜のおひたしも良かったです。でも、ちゃんと鰹節がかけてあるところがいいですね。
ラクダはエジプトが似合います。 [エジプト]
ラクダに乗って写真を撮るんです。ガイドさんに頼むと1ドルです。たぶん自分で交渉するともっと高いです。
中国の観光地ではよくラクダさんがいました。同じように背中に乗って写真を撮るんです。でもやっぱりラクダさんはエジプトが似合いますね。
タグ:ラクダ
未完成建物の巣窟? [エジプト]
エジプトのカイロは歴史的な建物が多くあります。一方で新しく建てられて建物は上の写真のようにコンクリートの骨組みにレンガが積み上げられて作られています。でもよく見ると柱の上はほとんど鉄筋がむき出しの状態です。このような状態が珍しいのではなくてほとんどの建物がこの状態なのです。ちゃんと衛星アンテナがたてられているし洗濯物も干されているので人が住んでいます。実はこれには理由があるとエジブト人に教えてもらいました。
理由は2っあると言われました。一つ目は家族が増えたとき1階から2階へ、2階から3階へと順番に上に増築するそうです。そのため一番上の鉄筋は残しているそうです。もう一つの理由が税金対策だそうです。完成すると10%の税がかかるためすべて建設中として税金逃れをしている説明してくれました。確かに、これだけ多くの建物が未完成の状態なのは、そこに理由があるのかも知れません。
高層ビルにもなんとなく未完成なものを見つけました。さすがに珍しいです。壁のレンガにも穴が開いて、ちょっと危険かも?
タグ:カイロ
カイロの夜景 [エジプト]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
カイロの夜景です。派手な明かりではないけれど紹介いたします。30階の高さからの景色です。ビルの足元にはナイル川が流れています。
上の写真の一番明るいところを拡大しました。
こちらはナイル川沿いの夜景です。
Fuelさんからの質問「昼間の川の色はどんな色なんでしょうか?」にお答えして昼間のナイル川の写真を追加掲載させていただきました。水は透通っていました。 橋の上を走っている車の中から渡し舟を撮りました。動いている車の中からの写真のため鮮明さはありませんが雰囲気はエジプト?
もう一枚、昼間のナイル川の写真を掲載いたします。カイロは水の豊な場所であることを実感させられました。この写真をクリックするとパノラマ写真を表示します。さらに偉大なナイル川を実感してもらえると思います。
こちらの写真は泊まっていたホテルからの夜景です。塔の位置から上の写真の中にホテルが入っていることが、わかってもえると思います。
この煙は? 火事? [エジプト]
場所はエジプトの首都カイロの高級住宅地です。時間は午前7時7分です。
実は車で殺虫剤を散布しているのです。対象の虫は判りませんが蚊や蝿ではないでしょうか。見たことはありませんが日本もDDT(ディーディーティー、Dichloro-diphenyl-trichloroethane)を散布していた時代がありました。
DDTは第二次世界大戦によって日本の除虫菊の供給が途絶えたアメリカによって実用化されたそうです。戦争直後の衛生状況の悪い時代にアメリカ軍が持ち込んだDDTによるシラミなどの防疫対策として初めて用いられたそうです。外地からの引揚者や、一般の児童の頭髪に薬剤(粉状)を浴びせる防除風景は、ニュース映像として配信されたため世間一般の知名度が高くなったようです。日本では化学物質としての危険性が高いことから1971年5月に農薬登録が失効したそうです。
しかし発展途上国ではDDTを止めることでマラリアでの死者が急増したたことと発癌性の危険度も下がりったため発展途上国では見直されてきています。→DDT
いろいろ調べてみるとDDTに代わる安価な殺虫剤がないようなので、あの煙はDDTの可能性が高いことになります。
昔は日本人 今はロシア人 [エジプト]
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ガイドさんによるとエジプトの観光客は去年は900万人で今年はそれをはるかに越える人数になると予想されているそうです。
少し前の統計ですが2003年にエジプトを訪れたロシア人は60万人でイタリア、ドイツに次いで第3位にランクされていましたが、今は急激に伸びてロシア人は年間100万人がエジプトを訪れるそうです。かつては観光客の1or2位は日本人だったそうですが今は2%未満のようです。あと目立っていたのが中国の人たちです。明らかに日本人より多かったです。
上の写真はツタンカーメンの秘宝のほとんどが展示されている市内で人気のエジプト考古学博物館です。
欧米人とロシア人の違いは難しいのですが、ガイドさんの話を聞くと、みんなロシア人に見えてきます。(笑) 足の長さかな?
ムハンメド・アリ・モスクのあるシタデル城砦(城塞)の駐車場です。11時10分です。
シタデル城砦内の「ヨセフの井戸」の前で休憩中のようです。
団体で歩いてきます。先頭はたぶんガイドさんですね。
スフィンクスの前です。
ピラミッドの前でも欧米人ばかりです。なんとなくロシア人系の人が多い気がします。
なかなか日本が見つかりません。やはり13年前(1997年11月17日)に多くの日本人が巻き込まれたルクソーでのテロの影響が今でもあるのかも知れませんが、それよりも観光客があろころに比べると数倍に延びていて相対的に日本人の率が減っているのだと思います。今の警備は凄いです。
砂漠の土産物屋さんのお祈りの時間 [エジプト]
エジプトのギザの三大ピラミッドのお土産屋さんです。午後の1時30分ごろです。突然、砂漠の中のお土産屋さんの人たちがお祈りを始めました。エジプトはイスラム教の人が90%と多い国なのです。憲法では国教に指定されていますが、現在では宗教政党の活動ならびにイスラム主義活動は禁止されているそうです。その他の宗教は、エジプト土着のキリスト教会であるコプト教会の信徒が9%、その他のキリスト教徒が1%です。
エジプトは紀元前3000年には、すでに高度な文明をもった中央集権国家を形成していました。しかし約3000年の古代エジプトの諸王朝の盛衰を繰り返した後は、外から征服される歴史でもありました。紀元前525年にアケメネス朝ペルシアに支配され、紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服され、紀元前30年にはローマ帝国の属州となり、639年にイスラム帝国に征服されました。それによってイスラム教が広まったのだと思います。その後も1517年にはオスマン帝国の属州となるなどの歴史が続きました。
上のように立った状態と、ひざまづく状態を何度か繰り返していました。お祈りしている方向は東のほうでした。確かにここからはメッカは東です。よく見ると木の枝と綱で囲まれたエリアと単に敷物をしているエリアがあります。これはどうしてかな?
普通より遅い時間のお祈りです。全員が、お店からいなくなるのはまずいので、お土産屋さんの人たちは、少し残っていました。交代でお祈りしてるのでしょう。
ネットでお祈りの時間を調べると、基本的には早朝5:00(日の出前)ごろ、昼の1:00(日中)ごろ、夜の8:30(日没後)ごろの3回だそうです。
高速道路脇に突然! 戦車 [エジプト]
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カイロから東の土漠地帯の高速道路やその景色を紹介しましたが、その土漠地帯で突然に戦車が現れました。テントが沢山あったので何らかの訓練をしていたのでしょうか。カイロから100kmくらいの場所でした。
近くに見えると思いますが、実は遠くに小さく見えたのでした。下の写真がオリジナルの幅(上下はカット)で、この写真から上の写真を切り取りました。上の写真も下の写真もクリックすると拡大します。
こちらは反対車線から夕方に撮ったものです。
エジプトの夕日 [エジプト]
カイロの東は広大な土漠地帯! [エジプト]
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カイロの東の土漠地帯を走る高速道路を紹介いたしましたが、その土漠地帯の車窓風景を紹介いたします。どこまで行っても植物は生えていません。
比較的カイロに近いところからこのような風景になります。砂漠のようにさらさらした砂ではなく岩山のような感じです。普通の景色だし観光地でもありませんが見ごたえのある景色です。
高速道路に平行して一般道路も走っていました。トラックを沢山見ました。トラックは高速道路より一般道路の方が多かったです。
高速道路から脇道に入ると山岳地帯です。ここでも植物はほとんど見当たりません。
若干道路脇に生えていますが、これも稀に方です。
山岳地帯を走る道路です。道路脇に植物が少し生えているのは車に付着して種が来たのかもしれません。
谷の部分を道路が走っていました。
山肌です。地層がきれいに露出しています。
Googleの衛星写真を拝借いたしました。土漠地帯の道路網です。左上の町がカイロです。カイロから写真の中央部分を通って紅海を結ぶ少し薄い黄色が今回の写真を撮った道路です。クリックすると赤いラインで表示します。
より大きな地図で エジプトの高速道路 を表示
今回、紹介した土漠はサハラ砂漠の東端にあたります。どれだけ乾いた地域なのかを感じてもらうために全体を表示いたしました。赤いラインが走った高速道路です。ナイル川の両岸だけがオアシスのように緑があることが判ってもらえると思います。より大きな地図で サハラ砂漠 を表示
エジプトの土漠地帯を通る高速道路 [エジプト]
今回、カイロから東の土漠地帯に通る高速道路を走る機会ががありました。片側3車線の両側6車線の高速道路です。時間は午後6時43分でもうすぐ日が沈む時間帯の写真です。
対抗車線とは離れています。車が少ないので気持ちよく走れます。
岩を削り取っている部分もありました。
カイロ(Cairo)とSukhnaを結ぶ道路です。衛星写真の通り植物はほとんど生えていない地域でした。写真をクリックすると高速道路ルートを標示します。
Sukhna方面からカイロに帰る時の標識です。
ここにも最高速度の標識がありました。アラビア語の数字(インド数字)とアラビア数字の看板がありましたがここではアラビア語の数字が一般的でした。車のナンバープレートもインド数字です。比べてもらえると 0と1と2と7と8のインド数字は判ってもらえると思います。すべて知りたい人は→ポチッ
乗用車の最高制限速度は120km/hで、バスは100km/hでトラックは80km/hで普通のトレーラ(牽引車)も80km/hで、複数連結牽引車は70km/hでした。
アラビア語の数字(インド数字) アラビア数字
ところどころにサービスエリアがあります。
ハン・ハリーリ市場 [エジプト]
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旅行ガイドにも書かれているカイロのハン・ハリーリ市場です。写真はハン・ハリーリ市場で最も有名なエル・バデスタン通りです。狭い通りにお土産屋さんがひしめいています。
同じくエル・バデスタン通りです。歩いていると次から次へと声を掛けられます。ガイトさんのアドバイス「本物と言われても、本物とは思わないように」と
このあたりはイスラムの雰囲気のある場所でした。ハン・ハリーリ市場側から街を見た景色です。
上の建物に近づいて撮りました。
エル・フセイン・モスク前の広場です。
紫色のマークがハン・ハリーリ市場です。黄色のマークが泊まったホテルで緑りマークがムハンマド・アリ・モスクです。
より大きな地図で ハン・ハリーリ市場 を表示
エジプトぽいホテル [エジプト]
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エジプトのカイロのホテルです。ホテルとは思えないデザインです。ネットで調べてみると、かつての宮殿を改装したものだそうです。普通のホテルのデザインとは違う理由がわかった気がします。
何度見ても構えはホテルとは思えないです。カジノもありました。ホテルの名前はCairo Marriott Hotelです。そしてカジノの名前はOmar Khayyam Casinoです。二つ合わせて Cairo Marriott Hotel & Omar Khayyam Casino(カイロ マリオット ホテル & オマール カヤム カジノ)と呼ばれています。
ちょっと変わった飾りが壁にありました。クリックすると拡大するので字が読める人は見てください。
ロビーの机や椅子や時計も金ぴかでした。
下の写真はホテルの窓からの景色です。手前のエリアがホテルの敷地です。遠くの景色と対照的ですね。
ホテルが写った衛星写真です。出てきた画面の-をクリックして画面を引くと場所が判ります。この写真の上の方の建物がカジノで、中央と下の建物がホテルでした。
食事を屋外で食べましたが意外と涼しいかったです。緑が沢山あるおかげかもしれません。この中の一角には水パイプを吸うエリアも用意されていました。
ちょっと似つかわしくない、こんな子供の遊び場がありました。おそらくカジノで大人が遊んでいる間、子供が退屈しないようにする配慮かもしれません。
外観とは違い部屋の内部は普通の高級ホテルと同じでした。
ナイル川のディナー・クルーズ [エジプト]
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ナイル川のナイト・クルーズ船からの写真です。
カイロでは豪華な夕食とダンスが楽しめるディナー・クルーズがポピュナーなカイロの夜の楽しみ方だそうです。
クルージングはパピルス船をモチーフにしたゴールデン・クルーズと雰囲気が豪華なナイル・マキシムの2社が有名です。
宿泊していたホテルから徒歩1分でいけるナイル・マキシムに行って見ました。
これはホテルの窓からの景色ですがこの船の形をした建造物からナイル・マキシムが出発します。中で食事は出来ますが固定されていてクルーズ用ではありません。写真を見て判るように大きすぎて橋の下をくぐることは出来ないことからも固定されたものと想像できます。橋の下が通れるディナー・クルーズ船が、この写真の船の形をした建造物の奥側(左舷)に横付けされます。出航は7時30分です。7時15分に行くとすでに皆さんディナーを楽しんでおられました。着岸は9時半だったのでタップリ楽しむことが出来ました。
青いマーク( )の場所がナイトクルーズ船が出る桟橋です。桟橋の陸側に船のように見えているのは、上の写真の船の形をしたレストランです。沖側にこの時に乗ったクルーズ船が接岸します。黄色のマーク( )が宿泊したホテル(Cairo Marriott Hotel )です。
より大きな地図で ナイトクルーズが出る桟橋 を表示
出発前は窓の外も明るかったけれど出航するとすぐに暗くなりました。 7時19分 外はまだ明るいです。出航寸前です。
最初は音楽と歌を楽しみます。誕生日の人にはハッピーバースデェーの歌がプレゼントされます。結婚記念日の人にも祝福の歌が歌われました。誕生日の人が3名と結婚記念日の人が2組でした。記念日に豪華なディナーを楽しむのでしょうか。
7時43分 外は暗くなりました。
歌の次がすでに紹介した30分間回転し続ける踊りダルビーシュ・ダンス(スーフィー・ダンス)です。⇒ポチッ
8時38分
ダルビーシュ・ダンスの次は腰や腹部を揺すって踊るベリー・ダンスでした。
こちらもすでに紹介させていただきました。⇒ポチッ
8時48分
料理の一部を紹介いたします。ここから下の料理の写真はクリックすると拡大するように設定いたしまいた。
先ずは、いろんな肉のグリルです。トルコのケバブ料理のような感じです。
エジプト風のカレーのようです。中央に御飯がのっています。
見ての通り海老のグリルです。これらの料理をツマミにビールとワインを次から次えと追加して9時半になってしまいました。
ナイル川の河岸にはこのような固定された船が沢山ありました。おそらく同じようにディナーと踊りを楽しんでいるのだと思います。
普通のシャッタースピードだと船が動いているのですべてぶれてしまうので手動でシャッタースピードを上げて撮っています。ほんとうはすごく明るく豪華です。クルーズだけの小型の船も沢山通っていました。
夜景もきれいです。クルーズ船が動いているので普通の露出だとカメラを固定してもぶれてしまうため暗く撮っていまいが実際にはかなり明るかったです。
ベリー・ダンス [エジプト]
昨日はダルビーシュ・ダンスを紹介させていただきましたが、ナイル川でのディナー・クルーズのお目当てのもう一つがベリー・ダンスです。
ベリーは腹部のことです。腹部をゆすりながら踊るのでこの名がついたようです。
ダンサーは服装を代えて3回出演されました。これが最初(1回目)のダンスでした。上の写真が2回目です。
ベリーダンスの動画も紹介いたします。もちろん音楽も聴けます。プレーボタンをクリックしてみてください。YouTubeとSoNetの両方に登録いたしました。
ダウンロードは🎥こちら
これが3回目の踊りです。結構タップリの時間を使って見せてくれます。
船内の雰囲気です。観光客の人が多いですね。ディナーを楽しむ少人数のグループも多かったですね。
上から3枚目の写真を撮っている位置が我々の席です。ステージの真正面で且つ外の夜景が見えるテーブルが予約されていました。
皆さん写真を撮られていました。
青いマークの場所がナイトクルーズ船が出る桟橋です。桟橋の陸側に船のように見えているのは、船の形をしたレストラン(右の写真)で船のように川を走ることはありません。沖側にこの時に乗ったクルーズ船が接岸します。黄色のマークが宿泊したホテル(Cairo Marriott Hotel )です。
より大きな地図で ナイトクルーズが出る桟橋 を表示
ダルビーシュ・ダンス [エジプト]
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エジプトでダンスと言えばベリー・ダンスが有名ですが、もう一つ有名なダンスがあります。それが今回紹介するダルビーシュ・ダンスです。
イスラム教神秘主義(スーフィズム)の修行者をスーフィーと呼び、スーフィー・ダンスと言われるものがものがあります。ぐるぐる旋回し続けることで一種のトランス状態となり、より神に近づけると考えられているそうです。これらのダンスをステージ化しナイト・クルーズなどで見せているのをダルビーシュ・ダンスと呼ぶそうです。野球のダルビッシュ選手とはなんら関係がありません。
カイロ市内のナイル川のナイトクルーズで行われたダンスの一つとしてダルビーシュ・ダンスを見ことが出来ました。踊り手は約30分間一定方向にものすごいスピードで廻り続ける踊りです。ダルビーシュの意味が気になっていましたが はーしさんに教えてもらいました。ペルシャ語で神秘主義(の僧侶)転じて「貧しきものこそ高貴なり」だそうです。
食事をいただいたたテーブルから撮ったダルビーシュ・ダンスの動画です。音楽も聴けます。プレーボタンをクリックしてみてください。窓の外の夜景でナイトクルーズの雰囲気も味わってみてください。So-NetとYouTubeの両方に登録いたします。
ダウンロードは🎥こちら
身につけた何枚もスカートを取り外しながら色んなスタイルで廻り続けます。我々から見ると神業としか思えない踊りでした。この後にベリーダンスもありました。
これらの写真はフラッシュを使っているので止まって見えるのが残念です。すでに上で紹介の動画も撮りました。写真をクリックすると別画面で見ることが出来ます。
フラッシュを使わないで撮った写真です。回転の正確さとスピードが判ってもらえると思います。この写真以外はすべてフラッシュを使った写真です。この写真は船の中の柱にカメラを押し付けて極力ぶれないように撮りました。右の写真から一部を切り取ったのが下の写真です。写真はクリックすると拡大いたします。
ステージの踊りが終わった後は各テーブルに廻って来てテーブルの上でスカートを廻してくれます。もちろん我々のテープルの上でも右の写真のように廻してくれました。このときだけはダンサーは廻らないでスカートだけを廻していました。
テーブルを回っている場面をいくつか紹介いたします。
青いマークの場所がナイトクルーズ船が出る桟橋です。桟橋の陸側に船のように見えているのは、船の形をしたレストラン(右の写真)で船のように川を走ることはありません。沖側にこの時に乗ったクルーズ船が接岸します。黄色のマークが宿泊したホテル(Cairo Marriott Hotel )です。
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やっとエジプト料理が食べれました。 [エジプト]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
エジプトについて数日目にしてやっとエジプトらしいものが食べれました。それまではイタリア料理だとか日本料理などでした。
1人10ドルのエジプト料理の昼食です。普通はツアーでセットで出される料理です。2人だけでしたが、そのツアーと同じ価格で用意してもらいました。
我々の後に20名くらいのフランス人のツアーの人が入って同じものを食べていました。
最初は定番のモロヘーヤのスープです。これを食べた日本人のほとんどの人がおいしいと感じるスープだと思います。おいしいスープーなので家でも作ってみたくなります。具は入れないで作ることをお薦めします。
ネットで調べて一番近そうな内容は枠内です。
まずはモロヘイヤの茎を落として、葉の部分をみじん切りにします。茎の部分は固いのでちょっともったいない気もしますが、使わない方がよいでしょう。ニンニクは薄切りにスライスするか、同じくみじん切りにしておきます。
次に、200ccほどの水を鍋で火にかけ、鶏がらスープの素を加えます。沸騰してきたら、先にニンニクを投入して茹でていき、火が通ってきたのを見計らってモロヘイヤを投入します。モロヘイヤが鮮やかな緑色になったら、塩コショウで味を整え、最後にバターを加えたら完成です。
次に前菜などが出てきます。「生野菜サラダ」と「豆料理」さらに「えんどう豆のコロッケ」と「各種ペースト」です。これ以外にもう一皿豆料理が机の上に乗りました。パンのようなものに挟んで食べます。これ以外に豆料理も出てきました。
この中で特においしいのが写真の下の方に写っている緑色をした「えんどう豆のコロッケ」です。ペーストも4種類ありますがゴマのペーストすごくおいしいのです。ガイドさんも一緒だったのでおいしいものを教えてもらいました。一番おいしいものどうしをパンのようなものに挟んで食べます。えんどう豆のコロッケはターメイヤという名でガイドブックにも掲載されていました。
そのほかの料理もパンようなものに挟んで食べました。
最後はカレーが出てきました。野菜と牛肉です。エジプト風シチューのような感じでした。
これを御飯に混ぜながら食べます。
最後はデザートです。表面には焼き跡がありますが冷たいデザートです。プリンのようなババロアのようなエジプト独特のデザートだそうです。満足でした。
違う場所でのエジプトらしい料理を紹介します。
機内食です。 おいしそうでしょう。
ホテルのラウンジに置いてあった料理です。
これもホテルのラウンジです。
ムハンマド・アリ・モスク [エジプト]
が表示された写真はクリックすると拡大します。
ムハンマド・アリ・モスクです。このモスクはイスラーム地区の南東にあるモッカムの丘に建つシタデル(Citadel=砦)と言う名の城砦(城塞)の中に建てられたモスクです。シタデルは十字軍を阻止するために1176年(アイユーブ朝)に建設されました。立地条件の良さと堅固さからアイユーブ朝~マムルーク朝~ムハンマド・アリ朝~イギリス統治時代に城砦兼住居として使われたことからモスクもいくつか作られました。
ネットから航空写真を拝借いたしました。広い大理石の庭があるのが判ってもらえると思います。その庭は下で紹介いたします。
反対側から見たモスクです。ムハンマド・アリ・モスクはムハンマド・アリ朝時代に建設されたビザンチン(オスマントルコ)様式のモスクです。ムハンマド・アリにより1824年に起工し息子のサイード・パシャにより1857年完成したそうです。
高い塔が特徴ですね。これはミナレットと言われていろんな形式があります。ここのは鉛筆を思わせる尖ったトルコ式です。このモスク自体がトルコの有名なモスクを参考にデザインされたものだそうです。
町の道路から見たムハンマド・アリ・モスクです。エジプトのカイロの主要道路の雰囲気が出ています。
最近は肌を出した女性が多いためか中庭の入口で女性は緑のマントを渡されていました。見ていると強制ではないようです。でもほとんどの女性が受け取っていました。肌が出すぎている女性だけかな?
靴もここで脱いで裸足で中に入ります。入れる袋があると便利です。
中庭の真中には水が出るような大理石の構造物があるのが特徴です。この構造物は泉亭といわれるもので信者が身を清める場所です。右の時計塔は1846年にフランス国王から送られたものですが、これは1830年にムハンマド・アリがルクソール神殿ラメセス二世のオベリスクを贈った返礼だそうです。
中庭からモスクの中に入ります。これがモスクの内部です。教会との違いは内部に柱がないことでした。朝一番に来たのでまだ人が多くありませんでした。天井から吊り下げられたランプがきれいです。
観光ツアーの人たちは輪になってじゅうたんの上に座ってガイドさんの説明を聞いています。例の緑のガウンをはおった女性も見受けられます。
窓の飾りです。
シタデル城砦内には「ムハンマド・アリ・モスク」も含めて4っのモスクがあります。これは「エン・ナーシル・モスク」です。あとの2っのモスクは「アフマド・エル・ケトホダー・イル・アサブ・モスク」と「ソリマン・パシャ・モスク」です。
緑のマークの場所がムハンマド・アリ・モスクで黄色のマークが泊まったホテルです。紫色のマークはハン・ハリーリ・バザールの場所を示しています。
より大きな地図で ムハンマド・アリ・モスク を表示
ギザの三大ピラミッド [エジプト]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
今、エジプトが大変なことになっていますね。早く沈静化してもらいたいです。その願いをこめてエジプトの記事を掲載させていただきます。
エジプトを代表するピラミッドとスフィンクスの写真です。エジプトのカイロに来るとギザのピラミッドには是非とも来たいですね。背景のピラミッドは有名なギザの三大ピラミッドの真中に位置するカフラー王のピラミッドです。
少し角度が違う写真です。バックのピラミッドは紀元前2520年~2494年(紀元前2558年~2532年の説もあり)に在位したカフラー(Khafra)王のものです。四角錐の頂上部分には石灰石の化粧石が残っているのが特長です。高さは143.87m(現在の高さ136m)、底辺は215.29m、勾配は53度10分の巨大なピラミッドです。参道の入口には、スフィンクスがピラミッドを守護するように建っています。ただし、スフィンクスの建てられた時代には諸説あるそうです。
下の写真がキザの三大ピラミッドです。ピラミッドの西から東をとったもので、これもよく出てくる構図ですが、3っのピラミッドが展望出来る場所(下の衛星写真で展望場所と書かれたところ)からの景色です。自分達の車でクフ王のピラミッドの近くから展望場所まで砂漠の道を走って来ました。一番左が世界最大石造建造物であるクフ王のピラミッドです。真中の化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドで、一番右側がメンカウラー王のピラミッドです。道路の真っ直ぐ向こう側が東の方向になります。スフィンクスはそちらの方向の丘を下りたところにあります。
現在高さ 建設当時高さ
クフ王のピラミッド 138.8m 146.60m
カフラー王のピラミッド 136.0m 143.87m
メンカウラー王のピラミッド 62.0m 66.50m
全体の配置を判ってもらえるために衛星写真を拝借させてもらいました。ピラミッド以外にも沢山の遺跡があるのが判ってもらえると思います。
小さくて崩れかけているのがクフ王の王妃たちのピラミッドです。展望場所とは反対側から撮ったもので、写真の右端にクフ王のピラミッドの一部が写っています。化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドです。その左側のピラミッドはメンカウラー王のものです。その左側の小さなピラミッドはその王妃達のものです。
ピラミッドの廻りにはいろんな遺跡があります。スフィンクスの頭の部分が写っているの判りますか。
メンカウラー王のピラミッドです。化粧石が下の方に残っています。メンカウラー王は古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオです。このピラミッドをネットで調べると高さ65.5m(現在の高さ62m)、底辺105m、勾配51度20分と三大ピラミッドのうち最も小さく、他の2つのピラミッドと比較して長さで半分、体積で8分の1ほどの大きさだそうです。その理由には諸説あるそうですが、何らかの事情で財政が逼迫していたため建設費用を節約したとの説が一般的ださそうです。北面には大きな傷跡が残っていますが、これはピラミッドを破壊しようとしたものが破壊できずに終わったものの名残であるといわれています。1837年に玄室から遺体の一部が発見されましたが、ロンドンの大英博物館への輸送中に船が沈没し、石棺もろとも失われてしまいました。この遺体がメンカウラー王のものであるかは不明なままとなりました。
クフ王のピラミッドを背景にスフィンクスを撮りました。この構図もよく見ますね。
クフ王のピラミッドは化粧石は剥がれてしまい石を積み上げられたことが良く判ります。下の方の石は一個13トンの重さだそうです。ピラミッドは赤花崗岩と石灰岩の組み合わせで作られているそうです。ピラミッドにより構成は違います。
これが化粧石です。石灰岩で出来ています。ピラミッド全体が化粧石に覆われている姿はまるで鏡のピラミッドのように神秘的だったと思います。
クフ王のピラミッドの北側正面からの写真です。駐車の奥まで下がって精一杯遠くから撮りましたが全体を入れることは出来ませんでした。クフ(Khufu)王は紀元前2589年~2566年に在位した古代エジプト・古王国時代のファラオです。今から約4600年前と聞くとすごい歴史を感じてしまいます。このピラミッドは紀元前2560年に建てられたと言われています。一辺230m(現在は220m)・傾斜角51.50の四角錐は、その面が正確に東西南北を向いています。
今回、クフ王のピラミッドの内部に入ることが出来ました。内部に入れるのは一日に300人に制限されているため、近年は観光客が増えているので事前にチケットを手に入れてもらう必要があります。
入口部分を拡大いたしました。真中の大きな入口からではなくて白い警備員が立っている右下の小さな穴から入ります。この穴は9世紀に盗掘によって開けられた通路です。
カメラも最近は持ち込み禁止となりました。唯一の記念が下の右側のチケットです。これが内部に入るためのチケットです。左側はピラミッドエリア全体に入るためのものです。全体のチケットが50エジプトポンド(約1000円)に対して内部に入るチケットが100エジプトポンド(約2000円)です。
大回廊に到達するまでは無理な姿勢で急勾配を上るので結構登るのが大変です。そこの天井は人の高さより低く急坂のトンネルが続きます。登る人と下る人がすれ違うことが出来ないほど狭いところもある上に、かなりの距離を、かがんで登らなければならないので体力に自信がない方はゆっくりと時間をかけて登ることを、お薦めします。それだけに登りきったて大きな部屋に出ると感激すると思います。
今回は突然カイロ近郊の観光をすることになりました。カイロに住んでいる日本人の方から観光会社に段取りお願いしました。
8人乗りの車代が100ドル 日本語ガイドさん代が100ドル 昼食が1人あたり10ドルです。このときは2名で利用したので観光会社への支払いは1人あたり105ドルでした。各観光地の入場チケット代は結構かかります。丸一日観光地を廻るのであれば10000円をエジプトポンドに両替しておくことをお薦めします。
クフ王のピラミッドの断面を紹介いたします。番号2が我々がピラミッドに入った盗掘孔です。クリックして出てきた断面図の番号(1~12)の説明です。
1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路
7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔
ピラミッドの内部では2→3→6→9→11→10と王の間に入りました。
クス王のピラミッド内部にはカメラ持ち込み禁止のため、ネットから下の写真を拝借いたしました。内部の大回廊(断面図の9)です。ピラミッドに入る時、カメラは車に置いてくる事をおすすめします。入口でしつこくカメラ、カメラと聞かれます。見つかると預けることになりますが、正式な預け場所でない場合はカメラは戻ってこないと、思ったほうがいいとガイドの人に言われました。内部で歩くのが急坂で狭くて、さらに低くいために、登ののが非常に苦しかったのが6の場所でした。
スフィンクスの全景が1枚の写真では撮れないので、つなぎ目が気になりますが2枚の写真を合成しました。
スフィンクスを後から撮りました。東を向いています。スフィンクスやピラミッドは広大な砂漠の中にあるように思われている人も多いと思いますが東側はすぐに街に接しています。カイロの中心からも30分くらいでこのギザのピラミッドエリアに来れるのには驚きました。カイロ市内からも天気がよければピラミッドが見れます。
実はこの写真にはスフィンクスの正面に作ったことで話題になったKFC(ケンタッキーフライトチキン)のお店が写っています。クリックすると拡大するので探して見て下さい。ヒントは三つの白い三角テントの少し上の赤い看板が目印です。
スフィンクスの前にスフィンクス神殿がありその横に、この写真の河岸神殿があります。この河岸神殿は王の遺体をミイラにする場所だそうです。ピラミッドに付随して河岸神殿と葬祭殿が作られたそうです。河岸神殿はピラミッドから離れた場所に作り葬祭殿はピラミッドのすぐ側の正面に作られます。葬祭殿はミイラを埋葬する前にファラオ(王)の再生と復活を祈った場所だそうです。写真はファラオをミイラにした河岸神殿です。
河岸神殿の中です。
ここに来て驚いたのがカイロからこんなに近い場所に世界最大のピラミッドがあったことです。他の多くのピラミッドはこの大ピラミッドから南にナイルの肥沃地帯に接する砂漠の端につぎつぎと建設されていったようです。